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痛みが緩和したおかげで 来月に予定されている叔母の股関節置換手術前
の各種検査や手続きに 今日は朝から大学病院行きに付き添った。

先月のかかりつけ医からの紹介での初回の大学病院整形外科受診には
夫が仕事を休んで付き添った。

前に何度も書いているが 叔母は難聴の障害者なので 正しい聞き取りが
できない。

その上 最近は股関節の軟骨がなくなっていて 激痛が 歩行さえ
困難な状態にしてしまっている。

だから どうしても本人だけで受診したり一階二階と移動しながら
各種検査を受けることができなくなっている。

今日の医師の説明では 軟骨がなくなっている状態で無理をして動いた
結果 股関節内で細かい骨折までもがいくつも起こっており 手術しか
痛みをとる方法はない とのことだった。

医師の説明は実に丁寧で それでいて簡潔で こちらからの問いにも
しっかり答えてくださり とてもよく理解できるものだった。

診察前にした検査は レントゲン二種にCT検査 採血七本に心電図
呼吸器検査 リハビル室でのビデオ二本視聴 術前にする自己リハビリ
の仕方などなど 盛りだくさんだった。

その後 術前管理センターでの面接と説明があり最後に入院管理センター
で入院に際しての説明を聞き手続きをしてようやく会計を終え今日は終了。

本当は今日は この他に自己血の貯血をするはずだったが 様々な検査に
回っているうちに 本日の貯血の人数がまんぱいになってしまい
改めて金曜日に行くことに。

貯血するのに 人数に制限があるとは知らなかった。

金曜日には その貯血前に薬剤師と看護師との入院に際しての面談をする
ことになっている。

叔母は 次第に痛みが激してくるうちは 薬やマッサージ 注射や
安静にしていることで治せないか と考えていたようだが 事ここに
至って 医師に 手術しかない!とはっきり告げられて 内心では
渋々なのだろうが 手術するしかない と覚悟を決めたようだった。

九年前に胃癌で胃を全摘しているし難聴と激しい耳鳴り 片目の白内障 
酷いメニエール などなど そうでなくてもたくさんの体の不具合を抱え
ている叔母だから 八十を過ぎての大手術は心身ともに負担が大きいと
察する。

(そんな大きな手術なのに 要する予定時間は二時間なのだそう。私の
手術が要した四時間半は あれは一体どうしたことだったのだろう)

おまけに 叔母には頼れる家族がない ときている。
高齢になってのことだから なおさら様々に不安もあるだろう。

これまで 叔母に嫌おうなく関わってきた私たち夫婦だから
この状況の叔母を見て見ぬ振りは とうていできない。

幸い私も 手術のおかげで日常感じていた身動ぎの痛みは緩和している。
今日も 車椅子を押して歩くのは難なくできて嬉しかった。

夫ととも なんのかんの言わず できるだけのことはしてあげよう
と話している。

もちろん 無理はしないで。
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次男が適応障害になって帰って来てから 早いものでもう二年近くが経った。

以来 私の病院通いや書道教室への送迎 たまの夫と三人での外食の他は
月に一度の自分の病院へ行く以外 外出しなかった。

ごくごく稀にコンビニや本屋へ行くくらいが精一杯だった。

戻って来た頃は心の痛手が深くて 一日中二階の部屋で物音がしないと
変な心配が先に立って 痛い腰を我慢してそっと階段を上がり 部屋の中の
様子を伺ったりしたこともあった。

私自身も様々に心が乱れて 眠れないこともあった。

前の会社での扱いや諸々が頭や心から離れないらしく 辛かった思いが
繰り返し繰り返し襲ってくる様子に 私たち親も心が痛んだ。

当時は夫や私への信頼感さえ薄れ 激して攻撃的な発言をすることもあった。

今思うと こんな最初の一年は 本人もまた親である私たち夫婦も 相当に
辛かった。

そのうち次第に それなりに本人が落ち着いて来 私たち夫婦にも
ドッシリとした覚悟のようなものが しっかり根づいてきたのだと思う。

その頃から 息子の顔つきが徐々に穏やかに変わっっていった。
笑うようにもなった。

そんな彼の様子に 病院や教室への送迎の際 二人で外食することが
度々できるようになった。

スーパーへ一緒に行ってくれるようにもなった。

ようやくここまで来たか と一息ついた頃 この春からのコロナ禍が
始まってしまい またもとの引きこもりのような状態になってしまった。

それで 容態が前に戻りはしないか と心配したが そうはならなくて
今では一緒にテレビを観て笑ったりしている。

そんな中 今月に入って突然「ハローワークへ行ってくる」と言い出した。

求人率 特に息子が携わってきた製造業の景気がコロナ禍のために一気に
落ち込んでいる時期だから 世の中がこんな情勢だし 慌てることはない
のだから それより身体を完全によくすることが大事だから と言って
思いとどめたが それでも息子はハローワークへ出かけて行った。

最初はアルバイトから始めて様子を見て心身を慣らしてからにしたら
と こっちは せっかくここまで良くなったものを また元に戻ったら
今度こそ もっと大変なことになりはしないか と内心で心配している。

でも 本人は どのような勤務形態で働くつもりなのか言わないから
分からないが 面接までしてきたようだ。

さすがに 一人暮らしは精神的に負担が大きいと自覚しているのだろう。
家から通える範囲で探しているらしい。

これまでのように愛知県で働けば 当県よりずっと賃金が高いので収入
も多いが アパート代や光熱費などを考えると 手元に残る金額は
大して変わらなくなる。

本人が自分で考えて踏み出した第一歩だから 私たち夫婦が
嬉しくないわけはないが 本当に大丈夫なのだろうか という不安も
大きい。

それでも ようやくここまで来たか という感慨も大きい。

まだまだ油断はならないが 二年経って初めて 
「明日は夕方から友達と会ってくるから 夕ご飯は要らないから」と
言ったのには驚いた。

息子が二階へ行ってしまうと 夫が 感慨深げに
「友達に会うなんて 二年ぶりだなあ……やっとだなあ……」
と ボソッと呟くように言った。

ほんの少し明けかけ差し込んできた一筋の光が どうかこのまま
あふれるほどの光になりますように……

手放しで喜ぶにはまだ早い ついつい浮かれたがる気持ちに そう
言い聞かせている。

昨夜 夫はベッドが変わった様子にはまったく気づかないまま寝たようだ。

今朝 起きてベッドの上に座ってベッドの端を掴んだときに アレ⁉︎ と
思ったそうだ。

それでよく見ると 今までのマットレスの上に 一枚新しくマットが
敷いてあった。

マットに付いているラベルを見ると 前に私に買ったエアウイーブだった。

私が起きて居間へ行くと「カードありがとう」の後に続けて
「アレどうしたの⁉︎」と聞いてきた。

金額の張るものだけに その点も気になったのだろう。

ごまかし半分の説明をすると 夫は
「俺はどっこも悪いところはないんだからマットレスだけでよかったのに」
と 予想通りの言葉が返ってきた。

お金の出どころを彼なりに納得したのか それ以上の追求はなく すんなり
受け入れてくれた。

私のマットでは 多分 腰にあたる部分を硬いと感じるだろうから
スタンダードのマットにしたこと その代わりに 一番高い枕を買ったから 
数日後にそれが届くこと を伝えた。

夫は 何も言わずに フ〜ン だけで済んだ。

気がついた今夜から 夫の眠りは変わっていくのだろうか。

何ら変わらなくて もったいない と言われてしまうのか。

枕が加わったら もっと眠りが良くなって疲れがより取れて
そうして いつまでも健康で長生きしてほしい。

昨日の午前中 かねて配送を依頼してあったエアウイーブが届いた。

夫が私に買ってくれた時は そのまま持ち帰ったので 大きなバッグに
入った物をそのまま 夫が車で家まで運んだが 宅配となると バッグの
まま送るわけはなく 段ボール箱に入っていたので 自然 大きな荷物に
なって運ばれて来た。

本当は今日が誕生日なのだが 着いたら一晩でも早くそれを使ってほしくて
天気のいいうちに これまで敷いていたパッドを除けて洗い ベッドに
風を通し枕も干した。

ちょうど干せた頃に天気が怪しくなったので取り込んだ後 梱包を解き
バッグから出したエアウイーブをベッドの上に敷いた。

その上に新しい敷きマットを敷き 干した掛け布団と枕をセットした。
枕だけは購入を待つ順番があって一緒でないのが残念だが 仕方がない。

そうしておいて 誕生日のカードを枕の上に置いた。

夫が寝室へ行く頃には 私はお風呂に入っていたから 果たして夫が
ベッドの高さや寝心地が変わっていることに気づいたかどうかは
分からない。

カードだけを読んでおしまいにして エアウイーブを敷いてあることに
気づかず いつものように あっという間に眠ってしまったかも。

でも とにかく これで夫の眠りの質が良くなって 枕が届いたら
一層 肩まわりの疲れがとれたら 私の睡眠の質も良くなるような
気がする。

朝 目覚めたら 夫は何か言うだろうか。

気づいていてくれるだろうか。

昨日の夕方 長男夫婦が 今週中の夫の誕生日祝いと私の退院祝いを持って
訪ねてくれた。

夫や私の誕生日は 毎年必ず何かを持って来てくれるから 今年も来て
くれるだろう とは思っていたが 退院祝いは存外だったからビックリやら
嬉しいやらだった。

折々のプレゼントやカードは いつのプレゼントでもカードでもそうだが
金額の高ではなく あなたのことを忘れていませんよ いつも思っている
という気持ちのあらわれだから 嬉しいものだ。

若い頃から 書くことが苦にならなくて 思いを伝えるときには 話言葉
でなく書き言葉でのことが多かった。

結婚してからは 夫へも子どもたちにも やはり思いは書いて伝えてきた。

それが 娘が留学したり外国人と結婚したりで ますますプレゼントや
カードを贈ったりする機会が増え 今では それが特別なことではなく
当たり前のことになっている。

だからだろう 子どもたちも夫も 互いの誕生日や敬老の日などには
カードを贈ったりプレゼントを贈ったりが普通になっている。

ずいぶん前にも書いた事だが 家族といえども 特に離れて暮らして
いればなおさら 互いの安否を確認し合う機会が少なくなる。

それを補ってくれるのが 折々のプレゼントやカードだ。

だから ちょっとした事だが せめてカードなりとも贈ることを
私は大切にしている。

それが家族を結ぶ縁になり 心をつないでくれる。

私のそんな思いを深く理解したり知ったりしてくれているわけでは
ないかもしれないが それでも 昨夜のようなことがあると
きっと息子たちも娘も彼らの子供達も この慣例を受け継いで
いってくれるだろう と思っている。