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このところ ずっと何もする気がなくて なんということもなしにダラダラ過ごしていた。

暑さと痛みと病院通いとわずかな雑事だけで過ぎていく毎日の私に比べて
夫は真っ黒になって痩せるほど体を動かし 忙しく過ごしていた。
そして 昨日あたりで 畑でのすることがなくなったらしい。

私の様子を横目で見ながらも毎日畑へ畑へと向かって行っていたのが することがなくなって
手持ち無沙汰になってきたからだろう。
夫が 七里ガ浜へ行こう と言い出した。
夏休みの間に一度二人で来たら と娘に誘われていたこともある。

私の実家のお墓参りも済んだし 夫の実家のお墓と仏壇へのお参りも一昨日済ませたから
行こうと思えば 世の中はお盆でも行けないことはない。

家にいる次男は 長男に誘われて姪の所へ出かけていて 留守の間の食事などの心配を
する必要がないから なおのこと行きやすい。

私が何日もブログをあげないものだから 心配して連絡をくれた友人にこの話をすると
気分転換にもなるから行って来たら と勧められたことで気持ちが決まり
それなら台風の影響が出ないうちに と さっそく 明日 出かけることに。

今日は午後から大学病院だったから まずはその前に駅へ行き切符を入手して 帰宅後
慌ただしく着替えなどの荷物をまとめ 宅配で送った。

明日の朝は 嫁が 駅まで送ってくれる というから ありがたく甘えることにした。

台風の影響で荒れるかもしれない海を眺めれば 少しは気分が変わってやる気が起きる
かもしれない。



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一昨日 夫と 息子が運転する車で 私の実家のお墓参りに行った。

もちろん 行った目的はお墓参りだから まずは一路 墓地へ行き 周囲の清掃や草取り
暮石の清拭をして綺麗にしたところで お花をたてろうそくと線香に火をつけて三人で
手を合わせた。

夫と一緒だと 目的の墓参が済むと そこからはお決まりのコースになる。

ひいきのお店で お昼ご飯に中華そばを食べ いつものスーパーに寄って買い物。
それも 決まって買うものがあるし 魚も必ず買う。

一昨日は 今まで食したことのない魚のお刺身があった。
いち早くそれを見つけた息子が こんな珍しい魚の刺身は食べないと!と
目を輝かせ まずはカートのカゴへ入れた。

ほかに珍しいものも数点あったが食指が動かずスルー。
でも家の近辺のスーパーでよく見かける魚介類でも 光り方が格段に違っている。

つぶ貝やとり貝 赤貝も 見ただけで 鮮度がいい とわかる。

それで 数種類の刺身のトレーをカゴに入れた。

ほかのお決まりの食品も買って あとは帰るだけ。

本当にあっけないほどの 私には物足りない思いの あわただしい故郷帰りだが
乗せて行ってもらえて 自分ではできない清掃やら何やらをしてもらえる
のだから 親戚や友人の顔が見られないのが残念であっても そこで文句は言えない。

帰宅後 夕食には 買って来たお刺身や何やらが お酒の友になったり
おかずになったりしたが ひさしぶりに美味しいお刺身を食べたね と
三人で言い交わすほど どれも驚くほど新鮮で うまみも甘さも歯ごたえも
抜群だった。

食べながら 昔昔 夫と一緒になった頃 魚屋に並ぶお刺身を買ったはいいが
まずくて食べられなかったこと 親しくなった人との会話で それを言うと
あんな山奥なのに刺身が美味しいなんて あるわけがない! と信じて
もらえなかったことなどを思い出し そのことを二人に話した。

夫も息子も それが事実 と分かっているから 「たしかに山深い所だから
何もないひどい田舎なのか と他所の人は思うかもしれない。 もちろん閉鎖的な面も
あったりするが それなりの歴史と洗練された文化や伝統が 形になって残っている。
食に関しても 一般に言うところの会席料理だって 金森宗和の宗和流に則った料理
が今もあったり 年越しやお正月だって きちんとこうして迎える という形に近いもの
がある。昔からの習わしに加えて近代では 山国であっても交通の発達で海が近く
なっているから 新鮮な魚介が手に入る。加えて肉類も特産があったりするからね。
雪の始末さえ考えなくてもいいなら 住むのにいい所だよね。」

と 身びいき半分にしても その場は マア冷静な公正な そんな話に落ち着いた。

夫はともかく 息子がそう思っていてくれる気持ちが 私には嬉しかった。

あれほど可愛がった孫が語る言葉を 彼の祖父母は どれほど嬉しく聞いただろう。
きっと 私以上に喜んだに違いない。

山国で買ってきたお刺身を食べながら 口や胃の腑だけでなく 心までが
美味しさを味わったような 一昨日の夕ご飯だった。

昨夜 夫が急に 私の実家の御墓参りに火曜日に行くか・・・?
と言った。

私も心で この夏のうちに夫が休みのうちに 実家の御墓参りに行きたい と思っていた。
だから いつだったか 夏のうちに御墓参りに行きたいなあ・・・と夫の前でつぶやいた。

夫は それを気に留めていてくれたらしい。

それで 息子と三人で明日の朝九時に家を出て お墓へ向かうことになった。

夕方 リハビリに行った帰りに お墓の供花を買い 帰宅後 お墓を掃除する道具や
お供えする線香 ろうそくにマッチなどを 買ってきたお花と一緒に揃えて準備した。

明日も暑くなりそうだ。

父母は 古代の神々が舟を着けたという 姿が涼やかで流麗な山を日々臨みながら
泉下で私たちが行くのを待ってくれているだろうか・・・。

哀しみや苦しみや悔恨や この世での様々な思いを超えた彼岸の世界で 二人は
仲良く とまではいかなくても 肩を並べて待っていてくれる と想いたい。

昨夜遅く テレビを観ていたら 京都にある楽美術館が映った。
楽茶碗は 千利休と楽家の陶工たちのたゆまぬ研鑽によって 現代までめんめんと受け継がれ
数々の名品が現代までに産み出されてきた。

楽焼の茶碗は 萩焼 唐津焼の茶碗とともに茶道にいそしむ者には まず持っていたい茶碗だ。

こんなに伝統のある窯の焼物であるにもかかわらず 以外に身近にある茶碗でもある。
我が家にも ひと碗ある。

この茶碗は 五十年も前 病んで臥せっていた祖母を見舞った時 祖母が 私に こっそり渡して
くれた。

元は箱に納められていたものだろうが 母によると この茶碗は 祖母が嫁いる際に持って来た
道具の一つで 長年のうちに日常使いし 箱がなくなってしまったのだろう ということだった。

たしかに祖母は 若くして戦争で寡婦になって以来 多少の田畠を耕して生きてきた。
そして 野良仕事の合間には この茶碗とやかんに抹茶を持って出て お茶を立てて休んだ。

だから 大切に大切に深窓で扱われてきた茶碗と違って かなり使い込んだ跡の汚れなどもあり
決して綺麗なままの茶碗ではない。

でも その汚れは 祖母が長年この茶碗を好んで身近におき 使っていた証拠の汚れであって
そこには 祖母が生きた哀楽が詰まっている茶碗だ。

田畑の畔に座り この茶碗でお茶を立てて飲む時 祖母は何を思っていただろう。
豊かだった生家で過ごした娘時代の 楽しかった思い出だろうか・・・
この茶碗を嫁入り道具にと持たせてくれた父母のことだろうか・・・。

何人もいた自分の娘たちにではなく 祖母にとって初孫だった 祖母を慕って幼い頃から
一人ででも泊まりに バスに乗って行っていた私に と 祖母はこの茶碗を渡してくれた。

祖母が亡くなった後 一人の叔母が あの楽茶碗はどうした? と騒いだらしい。

最近では抹茶を立てて飲むこともなく過ごしていたが 昨夜の番組を観て 久し振りに
この楽茶碗に想いを馳せた。

温かみのある地厚の ほんのり赤みのさす楽茶碗は 私にとっては 祖母そのものに
等しい。

時々はこうして思い出し お茶を立てて楽しむ心のゆとりを持たねば と 思う。

夫はもともと麺類が大好き。
特に夏場の冷麦は 毎日でもいい というほどの好物だ。

これまで お店で買ったり到来物だったりの麺類を これでもか というほど食してきたが
これは美味しい‼︎と思えるものは少ない。

六月初め 新聞に うどんとも冷麦ともわからない太さの麺の広告が載った。
宣伝文言を読む限り丁寧に作られた麺だったから どうせこの夏も 美味しい麺が食べたい
と言うだろう夫のために 試しに取り寄せてみた。

値段は スーパーで売っている昔から定評のある冷麦と比べても あまり変わらなかったし
乾麺はそうめんくらいの扱いやすい長さだった。

届いた後 休日の昼間にさっそく茹でて食してみると 適度なコシがあり風味もいい。

試しに取り寄せたものは 数回でなくなってしまうくらい 夫も喜んで食べた。

それで 今度は 夏中食べられるように と大箱で取り寄せた。

ところが 毎日でもいい という夫のリクエストに答えて使っているうちに
「夏中」は もたなくなってきた。
この調子だと また頼むことになりそうだ。

そんなに麺ばかり食べても・・・と思わないではないが こう毎日暑いと
お米のご飯は食べたくないし 脂っこいものも胃腸にさわるから お昼は
どうしても麺類になってしまう。

栄養素の足りない分は できるだけ補うよう考えながら 日本中で一番暑い
この夏を 美味しい麺で乗り越えたい。