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 昨夜の夕食はお好み焼きだった。
帰省した時は できるだけ東京ではしないことをと いつも心がける。

 今日は前もって準備していたヨモギを入れてお餅をついての昼ご飯。
 長男の子供たちも来ての賑やかなお昼ご飯だ。

 それが済んだら夫はアパートへ帰る次男を送って駅へ。
 帰宅するやいなや 娘が子犬を見たいというので 今度はみんなを乗せて長男宅へ。

 そのまま今度は いつも我が家の子供たちを可愛がってくれる私の叔父宅へ
娘と孫を乗せて挨拶がてら顔を見せに。

 その間 私は在宅で 後片付けをしたり夕食の準備をしたり。

 帰宅後は もう孫の夕飯と入浴が立て続けに待っていて 夫は大わらわ。

 私はといえば 食事の準備 片付け 気配り なんやかや。慌ただしい日になった。

 ちなみに 今夜の夕飯は パエリアにした。美味しかった。

 明日は私の父母の墓参をかねて飛騨へ。夜は下呂にお泊りの予定。

 孫はきっと 車の中でグッスリだろう。
 機嫌よく乗っていけばよいが。
 
 今夜は早く休まなきゃ。

 
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 娘が帰省すると次男に電話したら彼も久々の土曜休みだから帰って来るという。
 次男はお正月以来の帰省である。
 今年に入って次男の勤務先の会社は創設以来の忙しさだそうで
なかなか帰って来なかった。
 たまたま 娘の帰省と休みが重なってよかった。

 姪にと わざわざデパートへ出向いて デイズ二ーのくまのプーさんとピグレットの
ぬいぐるみをお土産にと買って来た。

 独身の次男だが 姪や甥を彼なりに可愛く思っているようだ。

 兄妹弟が仲良くしてくれるのは 親としてとても嬉しい。

 いずれ 夫と私は 彼らより先に この世からいなくなる。
それからの彼らの人生3人が支えあって生きてほしい 親の願いである。

 明日 娘が孫を連れて来るというので 
今日も夫は大忙しだ。
私もなにかせずにはいられない 夫の動きだ。

 痛みを我慢して 以前から作ろうと思っていた 孫のスモックを
作ることにした。
布や必要な物は準備していたから 型に合わせて裁断し縫う。

 ところが案の定 同じ姿勢がなかなか取れなくて 仕事が進まない。
しかしやり始めたからには なんとか完成させなくては・・・。

相変わらず痛む腰と足を伸ばしたり位置を変えたり 休み休みやる。
それでもやっぱり強い痙攣がきてしまう。なんでもう少し治まっていてくれないの!!

 それでも 時間をおきながらようやく仕上げた。
 
 可愛い柄だったから 仕上がったスモックも可愛い。

 孫は喜んでくれるだろうか。
 孫が成長し 私が今以上に体が悪くなって 動けなくなった時
「これはバーバに縫ってもらったものだ」と覚えていてほしい。

 そんな思いがあったから 痛みをおして作ったスモックである。


 夕方 いつもリハビリに通っている整形外科で 通常の治療だけでなく
今日は 5か所に痛み止めの注射をしてもらった。

 こうなることを分かっていてのことだから仕方がないわねえ~。我慢我慢!

 お風呂に入っていたら湯船の中で足に強い痙攣がきた。
痛む足を引きずりながら やっとのことで出たが痙攣と痛みは治まらない。
仕方がないから椅子に腰を下ろしていたら また書きたい事が出てきた。

 日中一人で誰とも話さず外出もできない生活だからだろう。次々に書く事が出てくる。
まあ このブログは他人に読んでもらおうと始めたわけでなく日々の出来事や思ったことなどを           記憶代わりに書いておくつもりで始めたのだから なんでも書く。

 東京にいる娘が孫を連れて帰省したいと言ってきた。
婿殿の仕事は 今が書き入れ時なのだそうで 珍しく彼抜きでだ。
デリケートで神経を使う仕事を生業にしている婿殿である。
おかげで 娘はお金の心配などまったくない幸せな生活をしている。ありがたいことだ。

 娘の暮らしぶりを見て思うのは                                       この世の悩みは お金さえあれば大半は解決するということだ。
平凡に これが当たり前と思って経済をやりくりして過ごしてきたが
そうでない生活もあるのだと知った。

 娘の今の生活がずっと続いていってほしいと 親として願っている。

 夫は 娘と孫が寝起きする部屋の準備やなにやら 今夜は忙しくしていた。
 本来は 来客用にと増築したはずの部屋なのだが 私が動けないのをいいことに
夫は自分の衣類やなにやらで その部屋を使ってしまっているから大変だ。

 私が動けない分 夫にかかる負担は多いがこれもそのせいだろう。

 語彙が増え会話が少し巧みになってきた孫が来るのを 夫は心待ちにしている。
 もちろん私もだ。

 

人にはこれだけはどうしてもという大切なものがある。
私にとっての大切なもの・・・それは第一に自分の命とこの体。
痛みを持つ体だが私にとっては唯一のもの。

次に大切なのは肉親。
父母、夫、3人の子供たちと彼らの連れあいと孫たち。 彼らとの様々な経験のなかで私は成長できた。
それらの経験のなかには 棺桶の中へまで持っていかねばならないものもある。
何でこんな事が起こるのと想像さえしたことのない酷い事もあった。
当時 母が今日は無事に目覚めたか命を長らえたかと 毎日朝晩電話して安否を
確かめたほど起きてはならない出来事だった。
苦しい山を宗教に救われた母だったが 晩年長くベッドの上で過ごして 違った形の
苦しみと酷さのなかで亡くなった。

人生は実に不公平なものである。

友人。
社交的でない私にとって数人のかけがえのない人たち。
この人たちの存在がなかったなら やはり今の私はないだろう。
大切な導き手であり いつも頼りになる人たちだ。

書物。
これがなかったら 人生は全く面白味のないものになるだろう。
特に 痛みを伴う体になってからは どれほど助けられているか。
昨今は月に2,30冊は読んでいる勘定だ。
今までは 読みっぱなしだったが おいおい読後感なども書いていこうと思っている。

書道教室。
先生と2人の先輩がた。
誠実で豊かな人格の人たちによって 私はいつも慰められ気持ちを軽くしてもらう。

これらが この人たちが 私の宝物だ。

 夫は 嫁がパートに出始めた息子宅へ子守・・・とはいえ孫たちはもう小学校や中学校へ
通学しているのだから留守番に近いのだが・・・にいそいそと出かけて行った。

 わが子の時には 働き盛りだったから 子供たちの友達の名前さえ知らない有様だったが
年とともに 子供たちや孫たちとの関わりが深くなっていき 今では私より メンドリのように
細やかに面倒をみている。

 私の体が悪くなってからは なおさらその傾向が強くなっている。

 私は また今日も 友人にパソコン操作の教授にきてもらい 午後の数時間を まるで頭の体操のように
混乱しながら なんとか過ごした。

 彼女のお父上は84歳という高齢にもかかわらず パソコンを使い 様々に役員などをこなしていらっしゃる
という。

 なんと柔軟な頭脳!生きる力!と驚いてしまう。

 混乱する~などと言っている場合ではないと思う。やる気だけなのだ。人生は!!!

 在宅引きこもりのような生活のなかでも やれること 学べることはたくさんあるのだ。

 イタイイタイばかりでこれからを過ごしたくない 過ごしてはいけないのだと 反省しきりである。

 よ~~し!!うだうだばかりしていないで 頑張るぞお~~11

 夫が休みに入った。
 彼にとっては 大大好きな畑仕事が 思う存分できるお休みだ。

 しかしその彼が 温泉へ行こうと言う。
 さすがに 年には勝てないようだ。疲れが出てきたのだろう。

  ワ~イ!!♨温泉だ温泉だ!!
  
 待ってましたとばかりに(夫の気が変わらないうちに)準備する。

 行くのは決まって30キロ先の池田温泉だ。
 泉質がとてもいい気持ちのよい温泉なのだ。近辺の温泉を制覇した知人も一番と言うお湯だ。

 出る時間を決めて さっそく更衣室へ。

 案外今日は お客さんが少ない。ラッキー!

 ああ~~いいお湯~~。

 いつまでも入っていたいが そうもいかず 心を残してあがる。

 夫は すでに出て待っていた。

 今度はいつになるかなあ来るのは。
 うれしい温泉行きだった。 痛みが和らいだようだ。

 

 実は一月末 胃が重い感じが続いていたので 胃カメラの検査を受けた。
検査の結果は単なる慢性胃炎で一安心。その時 医師の勧めで ピロリ菌の有無を知るための検査を
受けた。結果をしばらく後に聞きに来るようにと言われて帰宅した。それをすっかり忘れていた。

 今朝 夫に言われ 慌てて結果を聞きに行ったら・・・。
 絶対私にはいない!って変な自信さえあったのに ナント ピロリ菌がいた!!

 判ったからにはやっつけるしかない!しかたない 処方された薬をしっかり一週間飲まなきゃ。
それでいなくなればいいが 再検査で生きていたら また違う薬を一週間飲むのだそうだ。

 ピロリ菌は五歳までに体内に入ったのだと医師の言葉。
 身内に胃がんの者が一人もいなかったから そんな菌はいるはずがない!って思いこんでいたのだ。

 ただ胃の調子が悪くて受診したのに 変な方向の治療を受けることになってしまった。

 判ったのがいいに決まってるけど・・・なんだかなあ・・・。

 先日一緒にお泊りした 親友の一人が熱心にブログをやっている。
その彼女のブログ仲間に 私たちより一回り年齢が下の女性がいるらしい。
泊まった晩 友人がその女性の事を話始めた。
女性の名前を友人が口にした途端 私の頭の中から 深く埋もれていた記憶が飛び出した。

 なんと昔昔の教え子と同性同名ではないか!!
 でも まさかねえ???あの子は婿取り娘じゃなかったはず。(そんなことまで覚えているとは!)         きっと違う人だわよねえっとその話はそこでおしまいになった。

 ところが 友人が帰宅後 その女性にあれこれ電話で話をすると 
ナントナント やっぱり教え子だったではないか!!!

 スゴイ偶然にビックリするとともに はるか昔の短い間の繋がりでしかなかった 
教え子の名前が 自分の口からよどみなくフルネームで出てきたことに 一番驚いた。

 名前だけでなく顔や姿までもしっかり思い出せているではないか!!

 なんなんだ??これは!!

 昨日のことさえも忘れていることがあるこの頃なのに なんで大昔の大勢の中の一人を
なんなく覚えているんだ??
 
 認知症だった父がそうだった。私もとうとうキタのかしらん・・・。

 いらぬことまでも心配になってきた オハナシでした。

 長男宅は我が家と車で五分くらい離れている。
 「スープの冷めない距離」そのものの着かず離れずのいい関係で行き来している。

 その息子の嫁から電話があった。
 来週からパートで働くことになったとの報告だった。


 少し前から 息子一人の収入ではそろそろ限界だ とは言っていた。その時がいよいよきたらしい。


 今どきは夫婦二人が働きに出ている家庭がほとんどのようだが 息子達は できるだけ二人の子供のために
母親は家にいてあげたい という考えから 今まで働きに出ていなかった。

 しかし 子供の成長に伴って 習い事や塾などの教育にかかる費用が増加する一方の昨今
とうとう 働きに出る決心をしたようだ。
 しばらくはフルタイムではなくパートで という。収入は少ないが 子供が帰宅するころには家にいたいから
らしい。

 パートでしかも短期間での職探しだったから 彼女の得意分野ではないが 仕方がないとも言っていた。

 家が近いこともあって 今後は今まで以上に かかわる機会も増えるにちがいない。

 できることは 助けてあげるつもりだ。夫もそんな気持ちでいるようだ。

 頑張れ!!お嫁さん!!

 まったく気の置けない二人だから 当然会っていた二日間は 互いに顔を見ているだけで 日ごろ溜まった
心のオりがなくなっていくようだった。

 ありのままの自分でいられることの安らぎが 全身の血流までも改善していく。リラックスとはこのような
状態をいうのだと実感する二日間の親友との時間だった。

 この年まで生きてくると それぞれに様々な出来事があった。
 死ぬまで人には話せないような身内の恥ずかしい話もある。
 すべて話して理解していてくれる二人だからこそ楽しいお泊りになる。

 なにをそんなに話したか?
 今回は 愚痴が多かったかな?それもほとんど一人の。二人は聞き役に回って。

 吐き出して彼女はスッキリしたようだった。帰っていく姿がシャキッとしていた。

 まだまだ 頑張って生きなくちゃ!
 これからも できる限り三人でお泊りしようねと言い交して 今回もそれぞれの帰途についた。

 明日は いつものように大学病院へ通院して受診した後 親友二人と会って 近くのホテルにお泊りする。

 一人は飛騨から一人は滋賀県から来る。本当なら 私も地元を離れ違った場所で泊まりたい。ところが 私は体が
悪いからということで 二人が わざわざこちらへ来てくれるのだ。ありがたいことだ。

 一人とは小学校から 一人とは中学校からの付き合いだ。交際はしばらく途絶えたりしながらも 今まで続いてきた。
 日ごろは お互い離れているから 電話やメールでやりとりしている。会うのは一年に二度くらいの頻度だ。

 長年のうちに お互い女の姉妹がいないこともあって 今では友というより姉妹のような存在だ。

 なんでも話せる。だから久しぶりに会うと 愚痴やらなんやら もう何でもかんでも心の内をお互いにさらけ出す。
 家族にさえ言えないことも 彼女たちには話せる。憤りもさみしさも喜びも思っていること全部を。

 だから 会えない時が長くなると 誰からともなく「会いたいねえ」という言葉が出てくる。
「ちょっと溜まってきたわ」「どう?」「会える?」「都合のいい日いつ?」となって会う日が決まる。

 今回もそうやって決まり 明日一晩泊まりで集まることになった。

 ホントに楽しみだ。二人はどんな話をするのか。また三人で泣くことになるかも。もちろんその倍以上の笑いも。

 行ってきま~す!
 

 すっかり忘れていたのに テーマを視たとたん思い出した!うっかり忘れていたことがあったことを。
 去年の秋頃から ずっと探しているのに 未だに出てこない物があることを。

 数年前 痛みが少しでも和らげばと 夫が誕生日に買ってくれた 大切なパワー石のペンダント。

 絶対捨てたりはしていない。どこかに紛れ込んでいるにちがいないのに それが出てこない。

 とても気に入っていて しばしば身に着けて外出していた。
 ある時 帰宅後外して 慌てていたから そのへんにちょっとの間だけ置いたのだ。そこまでは確かだ。

 ところが どこに置いたのかがまったく思い出せない。

 それからというもの 夫には内緒で密かに探しているのだが 未だ見つからないのだ。

 それを ここのところ 忘れていたことに気付いたのだ。

 あ~あ~どこにいちゃったのかなあ~。

 また探し始めなくちゃあ~。

 神様~!夫に知られないうちに どうか在り処を教えてくださぁい!!

 

 

 利空と書いて「りく」と読む。
 長男宅の新しい家族ー今日で生後二か月になるビーグルの子犬の名前だ。
 思いがけなくやってきた子犬に 二人の孫は勿論 母性の権化のような嫁も息子も メロメロだ。

 名前は息子が一晩かかってつけたという。自分の父親の名前から一字とったらしいと孫が教えてくれた。
 親思いの息子らしい。が なにもそこまでしなくてもねえ・・・って母のヒガミ?

 さっそく夫の仕事が 休みになるのを待って今日 一緒に見に行った。

 掛け値なしに 可愛い!!

 我が家では 何年か前までパグを飼っていた。十六年生きたが 私の腰痛が激痛になり 手術するために入院している間に 天国へ行ってしまった。
 最期は目も耳も鼻も悪くなっていたが 不思議に夫が帰ってきた車の音だけは聞き分け のっそりと迎えにでた。

 動物は 飼い始めると 家族と同じ存在になる。家族はそのしぐさに笑ったり慰められたり 生きる力をもらう。
夫と私、三人の子供たちはどれほど彼から幸せをもらったか計り知れない。

 息子家族の元にきた利空も 元気に大きくなって 家族にたくさんの力を与えてほしいと思う。

 娘は毎日のように二歳の孫の面白い言動をメールで知らせてくる。痛みを抱えている私が少しでも気持ちが和らぐようにとの心遣いだろう。

 今日のはいつも以上に夫とお腹を抱えて大笑い。大笑い。

 二人が一緒にお風呂に入っていた時の会話。
 
 孫 「マミーの**ヨボレテルネ」(よごれてるね)
 娘 「ホント?そう?」
 孫 「うんーー古いからねえ」

 これって 何を指さしての会話だと思う? 胸に二つある小さなモノについての会話です。

 ヨボレテルっていうのも笑えるけれど 古いからねえっていうのも かなりツボルわ。

 まったく子供って・・・。

 以前に 長男の娘が幼かった時 私のバストを一緒にお風呂へ入っていて
「ママのはボイーン、おばあちゃんのはダレーン」って言ったことがあったが
 お風呂へ入っていての子供との会話は笑えることが多い。

 まったく子供って・・・。

 今日は母の祥月命日だった。
 十年以上もほとんどベッドの上で過ごし 病院で亡くなった。
「また来週来るからね」と 意識があるのかないのかわからない状態の母に声をかけて帰ってきた次の日だった。

 父親が出征の際 「会計の**に通帳と判を預けてあるから持ちに行くように」と 言い置いて行った。
しかし訪ねるとそんなものはあずかっていないと門前払い。

 それから厳しい貧乏生活が始まった。
 六人の妹や弟を母親と一緒に養うために 教師になる夢をあきらめ 働いた。

 それでも向上心のあった母は お茶お花書道と精進し どれも師範以上の資格を得ていた。

 私の本好きは 母譲りだ。

 母を知る友人たちは 優しくて上品で賢い人だったねと 今も言ってくれる。

 そんな母に 夢でもいいから会いたいと 痛切に思われてならない。

 自分で思うように動けなくなって 6年ぐらいになる。                             そのことにだけ思いがいくと 気持ちは当然落ち込み 痛みも一層増すし 鬱になる。

 強い痛み止めを幾種類も使っているために車の運転も 医師から止められている。

 実際 手術後はひどい鬱状態になった。                                    現在も 足腰には絶えず痛みがあり 時としてそれが激しく耐え難いものになる。
 「痛い」と どの程度になったら口に出していいのかさえ わからなくなっているくらいだ。

 こうなる前には ああしたいこうしたいと考えていた事も幾つかあったが
それらはすべて実行できなくなってしまった。

 それはとても残念で 悲しい。
 
 しかし
 嘆くことばかりでもない。

 本好きな私には 持て余すくらいの時間を 思いっきり読書に費やせるようになった。
 ほとんど毎週 痛み止めの点滴が効いているうちの病院帰りに 図書館へ行き本を借りる。
 それも 毎回十冊近い本を。痛みの和らいでいる時間に 細切れに読む。
 何もかも忘れて 本の中に没頭できるのは 本当にありがたい。

 「人間万事塞翁が馬」という故事があるが まったくその通りだ。
 
  くよくよしていても 何もいいことはない。
  「今」をどう過ごすか・・・それしかない。

 
 

 あの未曾有の恐ろしい出来事から今日で三年が経った。

 阪神淡路の震災の時もそうだったが
 三年前のあの日も 刻々と報道されるテレビの前で
 ただただ震えながら 画面を視るよりほかなかった。

 満足に動けない体になって 家族の重荷のような毎日の生活を送る私は
 できることなら 代わってあげたい命があったと思う。

 溌剌とした命、明るい未来があっただろう命と。

 もちろん 今生かされていることをありがたく思わないわけではない。
 ただ この世の理不尽さと不合理のなかで
 やみくもに失わされた あまりにも多くの若い命を思うと
 この身で生きている自分の存在価値は いったいどこにあるのかと考えてしまう。

 亡くなられた方々のご冥福を心から祈るしかない。

朝起きてみると雪降り。それもチラチラでなく本降りだ。あらら何てこと。今日は土曜日に着た着物をかたつけてから 結婚式の後 帰り道で買ってきた花の苗を植木鉢に植える予定だったのに。

着物はかたつけた。しわを低温のアイロンをかけてのばし 動かないように紙をはさみながら丁寧に畳む。
それを文庫紙に入れて箪笥の引出しに戻す。長襦袢も同じ。小物のかたつけも結構手間がかかる。

それでも着物が好き。着る機会があって体がそれをゆるす状態であるかぎり着たいと思う。

昼近くまで外の様子をみていたが いっこうに雪は止みそうにない。
今日植えなければ明日はできない。大学病院へ通院する曜日だから。

よし、がんばって植えるぞ。少し小降りになる時を待って。
長靴をはき ゴム手袋をし 濡れてもいいように コートを着て帽子をかぶり 軒下で待機。
それだけで もう腰が・・・腰が・・・。

ようやくパンジー4株を植える。

他人からみたら笑えることかもしれないが 足腰が痛む私には これができる限界だ。でもやはり痛みが・・・。

 友人がブログのやり方の手ほどきをしてくれた。わざわざ我が家へ来てくれてだ。十歳近くも若い友人だが実に頼りになる女性だ。交際が始まってもう数十年にもなる大切な人だ。

 さて、昨夜夕食を終え、おもむろにパソコンを開いて始めようとしたとたんに一本の電話。
 教え子からの結婚式への招待。それも明日だという。なんだなんだ?どうしてもっと早くに連絡しないのよ。     さあそれからが大変。何を着て行く?それより祝儀袋だわ。新札あったかしら?襦袢に半衿かけなきゃ。

 そんなこんなでようやく準備が完了。やれやれだわ。

 本当はこんなふうに初めてのブログを書き始めるはずじゃなかったのに。なかなか思うようにはいかないわねえ。

 長年腰痛を我慢していたせいで神経まで傷つき、手術したにもかかわらず足腰に酷い痛みがたえずある。
 その痛みを抑えるために処方され服用している薬はものすごい数だ。そしてきわめつけは強い痛み止めの貼り薬。
 たくさんの薬のために車の運転はドクターストップ。
 自分じゃ思うように外出もできなくなっている。

 こんな私にどのような記事が書けるだろう。
 まずは日々のささやかな出来事、思ったこと感じたこと考えたことを書くよりない。そうだ、暇にあかせて読んでいる
たくさんの本のことも書いていこう。

 これで「生きている」って思えることが一つふえるだろうか。

 引きこもりのような退屈な暮らしが、少しでも楽しくなればいいと思う。