FC2ブログ

 やりつけないことを 急にやるとこんなことになる って見本みたいなことに。

 実は 十日ほど前から 右手の親指の付け根辺りに 痛みが生じてきた。
 その痛みが徐々に強くなって 昨日今日は 親指を少し曲げただけでも痛い。

 以前に 左手の親指が同じように痛みだして 簡単な手術をしている。
 「腱鞘炎」だった。
 だから ひょっとしたらこの痛みも腱鞘炎の痛みかもしれない・・・。
 そう思って 今日リハビリにいつもの整形外科へ行ったから 診察してもらった。
 結果は 「やっぱり 」だった。
 今日は 痛む部分に注射をしてもらい「まだ痛みが続くようなら手術」と言われた。

 原因は 多分 「梅の処理」 だろう。
 大量の梅の実を 洗ったり転がしたり揉んだり漬けたり・・・。
 漬けた後も 毎日台所へ運んで上下をひっくり返したり戻したり。

 このところ そんなことばかりしていた。
 日頃は 何もしていないのに急に手を使ったから そのせいで腱鞘炎に。

 毎日のように しっかり家事をこなしている人ならこんなことにはならないだろう。
 まったく 恥ずかしい話で 我ながら情けない。

 日中には 久しぶりに Iさんに パソコン指導に来ていただいて 楽しかった。
 会話が弾むと痛みも気にならないし 実際親指に負担がかかることは何もないから
忘れたようにして時間が過ぎたが いざ医院へ行く段になったら 痛みが・・・。

 心が通い合うことの心地よさを つい先日味わってきたばかりだったが
今日も 大人になってから知り合って こんなにも深い交際ができる友を持てたことに
友を送り出した後 感謝しながら家に入った。

 家族に恵まれ友に恵まれ こんなにも幸せだから 腱鞘炎くらいは仕方がないな・・・
 整形外科からの帰り 夫の横に座りながら そう考えることにした。

スポンサーサイト



 昨日G市から駅までは列車で 駅からは迎えに来てくれた夫の運転で家へ帰ったが
その途中で 息子の家へ寄った。

 長く会っていなかったわけではないのに 車の傍に立っている
息子の顔を見たとたん
なんとも言えない ホンワカしたあたたかい気持ちが湧いてきた。
 三人の子供を産み育てたが
 この気持ちは 子供たちの顔を見る度に 体の奥深いところから湧いてくる。

 息子とはいえ 今はもう中学生の子供がいて 四十歳のいい大人なのだから
「わが子」と呼ぶには ちょっと照れるくらいの 息子なのだ。
 それでも 顔を見るとやっぱり「自分の子」という無意識の感覚が出てくるから
自分でも不思議だ。

 昔 亡くなった母が
「孫は可愛いよ。でも それはあなたの子供だから可愛いのよ」 
と言った言葉を思い出す。

 社会へ出した時に恥ずかしくないように できるだけ早く自立するように と
多分 平均的な母親よりも 突き放したように育てたと思っている。
 それなのに 私はやっぱりどこまでも母親なのだ と 痛感したり変に納得したりだ。

 孫は可愛い でも子供はもっと可愛い。

 

 

 昨日今日と 十代から交流のある親しい友数人と会い おしゃべりし 食べ の
一年に一度の 楽しい時を過ごしてきた。

 肩に力の入らない 気楽に構えて 「上手いこと言って」などという言葉は
間違っても出てこない人たちとのお喋りは 本当に楽しいものだ と改めて痛感した。

 仲のいい人 しっかり互いが分かっている人 特に若い頃から 互いを知り合って
いる人たちと一緒にいる心地よさは また格別のものがある。

 しかし まるでぬるま湯に浸かっているような気持ちがする関係には ともすると
緊張感が欠ける。
 毎日がこのような状態で 過ぎていくとすると 向上心はどうなるだろう。
 自己反省したり 自分を見つめ直したりする気持ちは出てくるだろうか。

 自分をある程度律して生きるには 常に居心地のいい場所にばかり身を置いていては
いけないのだ と 帰りの列車の中で考えた。
 
 してみると こうして一年に一度会って楽しく過ごすくらいが 丁度いいのかもしれない。
 互いにもたれ合って「なあなあ」で過ごしても いいことはないかも・・・。

 これまで こんな考えが浮かんだことはなかった。
 気持ちに変化が起きたってことは 私の中の何かが 今までと少し違ってきているのか。
 それが どう どのような方向に変わってきているのか 自身にもまだ判断がつかない。

 年齢とともに 過去の若かった頃ばかりを懐かしんで つい耽美的になりがちだが
若かった頃にだって 悩んだり涙を流したりした出来事はあったはず。
 悩みの中でも前を向いていたからこそ現在がある と思えば 
今だって 「楽」ばかりを求めないで 現実を見つめてしっかり生きなければ と思う。

 「うまいこと言って」というと もう一つ理解できないことがある と気づいた。

 他人と様々に様々なことを話したとする。
 その場でのその人の話に 「なるほどな そうなのか」 「そう思っているのか」 と
思って その場が終わったとする。
 
 あの人がああ言うのだから きっとそうするだろう と思っていると
なんのことはない。全くそうする気配がない。
 それどころか 言ったこととは反対の行動をとっていたりする。
 
 私には それが理解できない。
 言われた方にしてみたら 騙されたのかも という思いや 裏切られたのかも という
考えすらしてきてしまう。あれは嘘だったのかとも思えてくる。

 もちろん そうしたいと思っていても なかな実現しない時もある。
 かく言う私だって 思うようにばかり事が進んでこの歳まできた訳ではない。
 しかし他人の前で言った事は せめてそうしたいという気持ちが人に伝わるくらいには
努力もするし そうしたいとも心から願う。
 そういう行動をとることが 自分が発した言葉の言質ではないか。
 それが 自分の言葉が真実か否かの証明のような気がするのだが・・・。
 その場まかせの 合わせるためだけの言葉は 虚しいだけだ。
 正直に誠実に生きるということには  「他人にも自身にも嘘を言わない」
「相手を裏切らない」 ことも含まれると思っている。
 「嘘も方便」という言葉があるが そんな時の言葉は別だ。それは自ずと他人にも分かる。

 人間は歳を重ねると いろいろな人と出会い交わり分かれる。
 これまでに嫌だなと思った人も その人となりを通して 私自身の成長に
大きく貢献してくださっていると思うことにしている。理解できないながらも。                              そう考えると ええッそうなの? そうするんじゃなかったの?と不信に思う人たちを
「嫌いだ」 とは無下には言い切れない気もしてくるが どうだろうか。
 

 今日も暑かった。
 よその地方では 瞬間大雨だったり 雹が降ったりの大荒れ天気だが
この地方では こんなことでいいのか と思うほど雨が降らない。
 梅雨時は 雨がしとしとと降って 鬱陶しいはずなのだが
このところの天気は なにか嫌な変調を感じる。

 こう暑いと 出てくるモノがある。
 昔から 出て来るのは 幽霊。これは認知されている 夏の風物詩のようなモノ。

 しかし昨今 もう一つ暑いと出て来るモノがある。
 変質者だ。

 今日も 美容院でその話をした。
 普段は 普通の 全く一般の人と変わらない仕事に就いていることが多いらしい。
 美容師が知っている人は 暑い季節になると 豹変するという。
 彼女いわく 「それを知っててもねぇ 私にはなんにも被害が及ばないから・・・」

 この種の犯罪は 現場を押さえなければ 罪には問えないのだから仕方がない
とも言っていた。

 女性なら 多くの人が経験するセクハラも同じようなものだ。
先般 都議会で騒動になったヤジも 欧米ではヤジを飛ばした者を
「性差別者」 と呼ぶという。

 まさか当の都議も 暑い季節になったから あのように酷いヤジを
飛ばしたとは思わないが 変質者も性差別者にしても
女性に対しての尊敬と 対等という意識がないから 自分だけの歪んだ満足を
最優先してしまうのだと思う。

 可哀想な女性が増えないことを願っている。

 この歳になっても 未だに わからないことはたくさんある。
 その中でも どうしてそう言われるのか 全く理解できない事が一つある。 

 たとえば 他人と普通に話していると 時々 会話の内容によって
相手から「 うまいこと言って 」 と言われることだ。
 こちらは 大真面目に 思っている事を述べているだけなのに
私の話のどこが 「うまいこと言って」と思わせるのかがわからない。
 この場合の「うまいこと」とは 「心にもないこと」 「おべんちゃらを言って」という
意味になると思われるが 私はいたって正直に 自分の考えや思いを口に出して
言っているだけなのだ。                                                            それが 他人には 心にもない上っ面の軽いことを言っている と
とられているらしい。
それが 私には理解できないし悲しくなってしまう。

 このとられ方の違いは 一重に人生観や日頃の生き方の違いからきていると思われる。
 私の生き方は ともすれば理想主義的な考え方に基づいているからなのではないか。
 しかしたとえそうであっても 私自身 他人に口からでまかせの嘘を言ったことはないし
行動も 自分の考えに基づいた責任ある行動をとっているつもりでいる。
 今までも 正直に誠実にまじめに生きてきたという自負もある。

 それなのに 何故 「上手いこと言って」などと 私の生き方からすると
私を全否定されたような気さえする言葉を 相手から受けなければならないのか。
 それが 正直言って 全くわからないのだ。

 うがった見方をすると 「うまいこと言って」と言う人は その人自身が
真っ当な考え方に基づいた生き方が出来ていなくて 自然 口から出てくる言葉も
真にかなったものではないのではなかろうか とさえ思ってしまう。

 現に 会話していて 「うまいこと言って」 と言う人は 私という人間を
深くは知らない人に多い。
 長く親しくお付き合いをしてくださっている人たちは 私が発する言葉を
そのままの意味にとってくださって 会話も違和感なくはずむ。

 それにしても たとえ深い付き合いではない人からでも
「うまいこと言って」などと言われるのは 心外だし 不愉快でもある。

 どうしたら このような言葉を言われないようにできるのか
それさえも わからないでいる私がいる。

 今日 大学病院で腰と足に かなりの箇所 痛み止めの注射をした。
 足には特に多めの注射液だと医師の言葉。
 なるほど いつもより足の感覚が随分鈍く感じる。
 それでも 二十分くらい横になっているうちに 動けるようになった。
 
 こんな時でないと自由に動けないから 帰りのバスを途中下車して
久しぶりに繁華街を歩いた。
 週末 ちょっとした予定があるから 何か新しい物で安価な物がないかと
デパートへ寄ってブラブラ探してみよう と思ったからだった。

 バスを降りてしばらく歩いていると 今まで見かけなかった新しいお店がある。
それもよく見ると 「古着屋」 とある。
 こんな街中に こんな構えの古着屋が いつオープンしたのだろう。
 思わず店内に入ってみる。
 結構明るくて広い店内は 新品を扱う普通の洋服屋と変わらない。

 どんな物があるのかと あちこちに掛かっている商品を見て回っていると
デパートで見かけるブランド品が 何着かまとめて掛かっているコーナーがあった。
 よく見ると新品だ! しかも値段が正札の四分の一!!
 ええ~ッ ホントなの? どうしてこんな値段なの?
 不思議に思って 店員に聞いてみた。
 正規の商品だが デザインのせいか売れなかったのを 会社や販売店が放出した
との返事。
 確かに デザインは万人受けしないかもね。
 でも せっかくだから試着だけでもしてみたいではないか。
 だって だって この値段だもの。
 と 店員に試着の断りを言って 試着。
 試着室も 一般のお店と同じ。使い捨ての汚れ除けまで備えてある。
 着てみると 意外に似合ってる??じゃない?着心地も サラッとして気持ちがいい。
 これはお買い上げだな!! と決まり!!

 デパートへ行くつもりが 途中で寄り道をしたせいで
かえって いい買い物をした。
 これこそ「絶対正価では買い物しないK子ちゃん」の真骨頂というものだ。

 てなわけで  見事お買い上げぇ~ と相成りました次第でございますゥ~

 嬉しいわぁ!!

 

 このところ 漬けこんだ梅を 毎日かき回したりかきまぜたりしている。
 四キロの重石がそれぞれに載っているから まずはその重石をどけなければならない。
 それが 足腰が痛い私には 大仕事だ。
 それでも こんな事ができるくらいに 最近はまずまず調子がいい。
 もちろん 健康な人には及ばないが こんな事ができて
さも忙しげに動けるのが 私にはとても嬉しい。

 健康な時には なにげなくこなしていた家事だが いざ痛みが伴ってきてからは
こんなにも腰に負担がかかっていたのかと 思わされる事ばかりだ。
 だから こうして台所に立って 機嫌よく動けるのが 楽しいし心が晴れる。

 こうして動いていると いつの間にか無理をしてしまって
また激痛がきてしまうから 程々にしておかないと・・・

 でもやっぱり 動けることが嬉しい。 

 我が家がとっている今日の朝刊の 地域のニュース欄をみて驚いた。

 昨夜遅い時間に 我が家の前を救急車が通る音がした。
 どこかのお宅で急病人が出たのかと 思いはしたものの 玄関の外までは出なかった。

 そして今朝 新聞を広げて 何気なく記事を下段まで読み進んでくると
なんと 我が家に近い住所と番地が載っている。
 えッ?なになに?! 
 番地の次には近所の それも私の教え子の名前があるではないか!!

 記事の内容にまた衝撃を受けた。
 教え子が勤め先を変えて 実家に帰って来ていることも全く知らずにいたのだ。
 彼が容疑者扱いでの 名前に尊称のない記事だった。

 家庭内での出来事だから おそらくは穏便に済ませられるだろうとは思うが
それにしても救急車を呼ぶと 怪我の場合 病院からか消防署からか
警察へ通報があるのだと 改めて知った。

 私達は 家族間での出来事は案外 「家族だから」 と安易に考えてしまいがちだが
第三者からすれば 「ただならぬこと」 と判断されることが実際にある。
 我が家も 恥ずかしいことだが十年前長男の結婚式に際して トラブルがあった。
 事の相手が親族だったから 振り回されてとても困った。
 その時 式場側から 「事が起こったら警察に通報しますから大丈夫です」 
と言われて 安心すると同時に かえって事の重大さを思い知らされた。
 式場をも巻き込んでのことだったから そこまでくると もはや「親族間のトラブル」
では済まなくなっていたのだ。
 当然 そこまでとは思っていなかった夫は その言葉に驚き 青ざめていた。


 ことほど左様に 家庭内や親族内での問題は 内内のことだから とみんなが 
それほど重大には考えない場合が多いが 社会的にみれば 見逃せないことだったりする。
 
 彼の場合も その場の状況から つい執った行動が大事になってしまったのだろうが
今後に影響が残らないように 解決するよう祈っている。
 

 午前も早いうちに 親友が 同級生のお母さんが亡くなったと 知らせてくれた。
 父と同い年だったから九十二歳だった。

 早くにご主人を亡くしてから 二人の息子を女手ひとつで育てあげた人だった。

 おばさんは 私達が小学生の頃から 「給食のおばさん」 として親しんだ方だった。
 中学になってからも 職員室の 「用務員のおばさん」 だったから
毎日学校で顔を合わせた。

 小柄でやさしいおばさんだった。
 父が同級だったこともあって 私を見かけると 「K子ちゃん」 と呼んでくださった。
 私も ただ [学校で働いているおばさん] としてではなく 親しみを感じていたから
学校にみえる 親戚のおばさんのような気持ちがしたものだった。

 そして おばさんは私の同級生のお母さんでもあった。
 私達クラスはとても仲がよかったので 仲間と時々お宅へお邪魔したりしたが                          いつも にこやかに穏やかな物腰で 迎えてくださった。

 そのおばさんが亡くなった。
 年齢を重ねていらしたから 訃報に接しても不思議ではないが
それでも 私が小さい頃から知っていてくださった方だったから 
折々の思い出とともに偲ぶと 時々のおばさんの顔が浮かんで 涙が流れてくる。

 私の同級生やお孫さんたち御家族にとって 大切な方を亡くされて
さぞお淋しいことだろう。

 おばさんのご冥福を心からお祈り申し上げる。