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 今夜 ソフトバンクの孫社長が登場している番組を視た。
 社長は 彼の会社で作られたロボットと共に出演していた。
 パソコンと同じくらいの値段のロボットだという。

 パソコンがこの世に出て以来 世界の様相は一転している。
 アナログ人間の私にも それはよくわかる。
 世界中の情報が この小さな物から 引き出せ集められ使われている。
 今では二歳の孫でさえ 携帯の写真を 指で広げて視ようとする。
 六十余年の年齢差が 世紀の隔世の差さえ感ぜられる現代だが
それを上回って ロボットが実用化され さらに進化しているという。

 アナログ人間の私は 未だに電話の構造でさえ理解できないでいるが
世界は 確実に加速度的に 一つの方向性を持って進化している と実感した。

 孫たちが大人になる頃には 一家に何台ものロボットが使われているという。
 そんな時代を この目で見られないのは実に残念だ。
 私も ロボットを使う生活をしてみたい。
 痛みがあっても 健常者と同じ不自由のない生活がしたい と心から想った。
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 午後から 月曜日に Iさんに連れて行ったもらったOさんの個展へ 再び夫とともに。
 Iさんや彼女の友達のKさんやお隣のKさんとお嬢さんに いっぺんにお会いする。
 久し振りにお会いしたが 皆さん お変わりなくてなにより。
 Kさんのお嬢さんの成長にビックリ。
 おとなしくて品よく育っていらっしゃる とお見受けした。
 彼女に 友人がピアノを教えているから 親しい気がする。

 嫁の誕生日が来月なので 彼女に合うネックレスを購入。
 夫や子供たち優先の生活の日々 アクセサリーなど二の次三の次と
毎日働いている嫁だから きっと喜んでくれるだろう。
 こんな値段でいいのかしら と申し訳ないくらい安価でありがたい。
 
 敷地内の喫茶店でコーヒーをご馳走になった。
 喫茶店嫌いの夫が 「おいしいコーヒーだなあ」 とのたまう。
 「そうよ だから時々はこうして喫茶店へ来ようよ」 と言っても 
 やっぱり 夫の気持ちは変わらないらしい。

 夫に 喫茶店でのモーニングや ちょっと気分を変えて喫茶店で憩う事など
期待するほうが間違っているらしい。
 休日の朝など ちょっと朝寝した後 二人で喫茶店へ行ってモーニング・・・
なんて夢 一生あり得ない!! と改めて思い知る。仕方がない とあきらめたほうが
精神衛生にいい。

 今日はお昼頃に 娘が夫と娘と共に イタリアへ出発した。
 帰国は 来月下旬の予定。
 何日も前から 孫がはしゃいでいるらしい。
 搭乗直前に そんな孫の写真を添付したメールが届いた。
 何事もなく楽しいバカンスを と願っている。

 
 

 今朝は大学病院へ。
 明け方に強烈な引き攣れがあった。また最近ちょくちょくこれがくるようになっている。
 毎回腰と足に痛み止めの注射をしてもらっているのだが それでもくる。
 引き攣れの後 一番痛くて 後々までそれが続くポイントがある。
 そこへの注射する時は 医師が力を目いっぱい入れてでないと 液が入っていかない。
 その時には 当然ひどく痛むから 必死で我慢する。
 看護士が 動かないように 体を押さえている。
 痛くても この注射に助けられているのだから 耐えるよりない。

 夕方には 歯医者へ。
 以前にも書いたが 歯や歯茎は全く問題がないが 痛みをこらえているため
顎の噛み合わせが 歪んでしまっている。
 それを少しでも良くするために マウスピースをして就寝している。
 このマウスピースの具合を点検してもらう 月一回の通院。
 今回も歯と歯茎は 磨き残しもなく いたって綺麗。
 このまま また一月後に通院となった。

 そして その足でリハビリへ。
 いつものように メドマーと温め それにマッサージ。

 一日中 病院を巡るツアーのような一日になった。
 丑の日の今日は 夕飯はうなぎ。
 実は うなぎ好きな夫と私は 土用に入って既に食していたが 
こう暑くては 働く夫の体力が心配・・・とこじつけてのうなぎ。

 病院巡りをしながらのうなぎ・・・皮肉っぽいが仕方がないわ。

 今日は I さんを通じておつき合いがある O さんの個展へ I さんに連れて行って
もらった。
 Oさんは もうずっと以前から アクセサリーを自らデザインし制作していらっしゃる。
 そして 時々個展を催されている。
 Oさんは ご自身もいつもとてもセンスのある装いをした 溌剌とした魅力的な女性だ。
 内面も豊かで 賢いばかりでなく とても優しさに満ちた女性だ。
 だからか 彼女の作品には どことなく品が感じられる。

 会場は 隣の市の素敵な喫茶店の離れ。
 今年は ブレスレットがたくさん並んでいた。勿論チョーカーやネックレスペンダント
など どれも とても手のこんだデザインの品が たくさん展示してあった。

 天然の石やビーズを素材にしてあるから どれもキラキラと輝いて綺麗だ。
 以前 Oさんに手直ししていただいていたブレスレットが ある時突然パッと切れて
石が飛び散ってしまった。
 大切にしていた物だったから ガッカリして それ以後ブレスレットは持っていなかった。
 それで 今回の作品の中から どれかいただこうと 選びにかかるが 
目移りするは迷うはで なかなか決まらない。
 Oさんや Iさんとも相談しながら あれこれ身につけてみる。
 そして最後に 大粒のくすんだピンク系の石と水晶が組み合わさった涼しげな品に
決まった。 でもなにせ腕が太いから 少しきつめ。
 するとOさんが それに水晶の大粒の玉を二つ その場で増やしてくださった。
 話をしながら アッという間に出来上がり。

 数年前に Oさんのロングペンダントを イタリア旅行にして行った。
 それも とても手の込んだ素敵なデザインで 今もお気に入りの品だが 
それを付けてエレベーターに乗ったりした時 何度も 乗り合わせた外国人の女性や
男性までもが ペンダントを見て「素敵なペンダントですね」 と声をかけてくれた。
 「友人がデザインして制作した品です」 と誇らしげに答えたものだった。

 今日いただいたブレスレットもきっと人目を引くだろう。                                          市販では もっともっと高額なのだが
 玉を増やして作り直してくださったばかりでなく お値打ちに分けてくださった。
 申し訳ないと思いながらも お言葉に甘えてしまった。
 大切にしようと思う。
 お気に入りのペンダントとも合うこのブレスレットも これからの出番が多くなりそうだ。

 いい友人がいい友人を紹介してくださり いい出会いができる。
 お気に入りの素敵な作品にも出会える。
 Iさんに感謝 Oさんに感謝。
 
 

 今朝は 九時半近くに迎えにきてくれた 嫁と上の孫との三人で
セールをしているモールへショッピングに。
 私は 車の運転を禁止されてるから 日頃なかなか思うように買い物ができないでいる。
 夫と出かけても ゆっくり見て廻ったりできない と以前に話したことがあった。
 それで じゃあ今度一緒に という話になったのだった。

 まだ早い時間帯なので 店内には 買い物客の姿もまばらだった。
 買いたい品物が決まっていたから 見て廻るのも早い。
 何気なく入ったお店の奥に 目当ての品を見つけて試着してみる。
 違和感がない。じゃあこれに決めた! で買い物終了!

 ちょっと一休みして 三人ともソフトクリームを食べる。
 お昼を何にする? どこで食べる?
 「私 バイキングが好き」 という孫の言葉で行先が決まる。

 日曜のお昼とあって 店内は かなりの混みようだ。
 それでも てんでに好きな物をテーブルへ運んで来ては食べた。
 
 お腹を満たした後は 他のエリアを見て廻る。
 本好きの孫は いの一番に本屋へ。
 先日孫と話していた 漱石の「こころ」を見つけた。
 少し難しいかも と思いながらも 孫に購入。
 「おばあちゃん お奨めの本だぁ」 と孫が喜んだ。

 帰宅途中に 夫から買ってきてほしい物がある とのメールが入り
ホームセンターへ。

 今日も暑い日だったが 嫁と孫と三人での外出は 久しくなかったから楽しんだ。
 なにげない 小さな幸せを感じる一日になった。

 夫はエアコン嫌いである。
 だから 冬はエアコンがあるにもかかわらず 灯油ストーブで暖をとる。
夏は夏で 専ら扇風機で涼をえる。
 汗ダラダラでも エアコンを入れようとはしない人だ。

 それが 昨日今日の暑さに さすがの夫も 私がクーラーを入れたのに文句が出ない。
 そして 夜になって さて休もうと 夫が寝室へ入っていったとたんに
あまりの暑さに 自分から エアコンを入れたようだ。
 ところがところが 先の冬の寒さにも使わなかったエアコンだからか 作動しない !
電池がなくなっているのだろうと 電池を入れ替えても やはりダメ。
 そこでしかたなく 昨夜は あの暑さの中 居間のエアコンを入れたまま
二台の扇風機でエアコンの冷気を 寝室に送るという 苦肉の作戦で なんとか凌いだ。

 そして今日 作動しないリモコンを持って 電気店へ。
 訳を話すと 店員は こともなげに リセットボタンを押さないとダメですよ と言い
多分これで使えますから と修理も新しくすることもなく 渡されて帰宅した。
 ところが 帰宅後試してみたがやはり使えない。エアコンが入らない。
 やはり リモコン自体に問題がありそうだ。

 だからさあァ~ せっかくあるんだから 冬は冬で暖房を 夏は夏で冷房をさァ~
エアコン使おうよォ~ そしたら こんなことにはならないんじゃないのォ~

 と 言いたいのを グッと飲み込んで
 また 今夜も 暑い夜に耐えなくてはなりません。

 まったく もう~ なんてこと!!

 今日の最高気温38度2分。
 もっと高い気温だった所もあるはず。 特に舗装された路面等はもっと高かっただろう。
 さすがに 煮えるような熱暑のこの日は クーラー嫌いの夫も お昼ご飯の時から
クーラーを入れても文句は出なかった。

 こんな日は 涼しい屋内で たよりなど書いたり 読書したりして過ごすのが一番だ。
 夫は 午前中に収穫してきた桃の選別。

 夕方 いつもの日課の整形外科へ。
 玄関を出ると とたんにモワ~とした熱気に包まれるようだった。
 あまりの暑さのせいか 医院を訪れる患者の数が少ない。
 多分 もう少し遅い時間になると 混み合ってくるのだろう。

 なんでもなく いつものように過ぎた一日だったが
今日のこの暑さだけは 記憶に残るにちがいない。
 

 今日も孫たちは 我が家へ。

 昨日もそうだったが 中二の孫とは いろいろな話ができる。
 あの小さかった子と こんな話ができるようになったかと 驚いたり嬉しかったり。
 昨日は 話ばかりが優先されて 気付いたら 嫁が迎えに来てしまった。

 今日の話の中心は 読書。
 孫は無類の本好きだ。 試験の前には 親から読書禁止令が出るほどの読書家だ。
 だから 私とは話が合う。 

 昔も今も 孫の時代にも読まれる代表的な書といえば 「赤毛のアン」。
 私も孫と同じ年頃に読んで 感動したり感銘を受けたりした 大好きな本だ。
 こんな面白い本はないのに 読んでいる子が少ない と孫は嘆く。

 それと私が 同じ頃読んで感動したのが パール・バックの「大地」だった。
 中国を舞台にした 三代にわたる壮大な物語を 徹夜して読んだ。
 あれほど 心を震わせながら読んだ本はない。
 そんな話をすると 孫は作者と著作名を書き留めていた。
 いつか読んでくれたら嬉しいと思う。

 夏目漱石や森鴎外のこと 彼らの著作について・・・孫が既に読んでいる書もあり
二人の会話が弾む。

 まさか 孫と読書談義ができるとは 今まで想いもしなかった。嬉しい驚きだ。
 幼い頃のイメージがあるから 私には 実際の孫の成長度が捉えられていなかった。
 

 こんなに大きくなっていたなんて・・・
 体だけでなく 心も大きくなっていく孫娘が むしょうに可愛く愛しいと思う。

 夫が夏休みに入り 孫たちも夏休みに入った。
 そして 今日 早速孫たちが我が家へ。

 四年生の孫は 嫁が仕事先へ行く途中で 我が家へ連れて来た。
 「近いからありがたいでぇ~すゥ」と笑って言いながら 仕事先へ向かって行った。


 中二の孫は 午前中の部活が終わる頃に 夫が息子の家へ迎えに行く。
 そして 嫁が仕事が終わって帰宅する途中に我が家へ寄って 二人を連れ帰る。

 午前中 夫は下の孫を連れて畑へ行き ちょっとした桃狩りを楽しませて帰って来た。

 さて お昼ご飯はどうしようか・・・
                                                                            午後からは 夫は下の孫と工作の予定。 孫は折り畳み椅子を一緒に作りたいらしい。 
 夏休み前から「おじいちゃんと一緒に作りたい」と言っていた。
 一日や二日では完成しないだろう。
 となると 上の孫は私の担当・・・何か手仕事で作品になる物を考えようか・・・

 この夏休みは 嫁が務め出したから 孫たちとの時間が 今まで以上に増えるだろう。
 我が家は嫁の勤め先も近く 息子の家からの途中にあるから 何かと便利だ。

 この夏は 賑やかな夏になりそうな気配がする。


 

 今夜のテレビの番組の中で マルタ共和国で暮らす日本人女性の生活が紹介された。
 まだ四十代の頃 娘と二人でイタリアとマルタを旅したことを 思い出し懐かしかった。

 小さな城塞の国で 人がとても親切な国だった。
 狭い道を バスが速度を落とさないで突っ走る。まるでジェットコースターに
乗っているような気分だった。
 面白かったのは 日産の小型トラックが「サムライ」ブランドで走っていることだった。
 なるほど「サムライ」なら世界中で知られているからか と妙に納得したりした。

 水が乏しい国だから 夜遅くにシャワーを浴びようとすると 屋上にあるタンクが空で
赤茶色の水が出てきて 驚いた。
 岩の上に築かれた国土は保水性がなく 草もあまり生えない。
 土はとても貴重なので 風で飛ばないように畑を 石を積んで囲って守ってあった。

 だから 牛や馬 豚などの家畜が飼えない。
 それで うさぎが 主なお肉。

 昔 白川村で 冬場に大根とウサギ肉を味噌仕立てで煮込んだ料理を
ご馳走になったことがあった。
 娘は その思い出があったから マルタではウサギ肉の料理を美味しそうに食した。
 私は魚介の料理を食べた と記憶している。

 マルタの海は素晴らしくきれいだ。透き通っていて透明度もすごい。
 クルーズ船に乗て 青の洞窟巡りもした。
 洞窟内では 船頭が奨めるままに 娘は 服のまま海へ飛び込んで
気持ちよさそうに泳いでいた。

 番組を視ながら ああそうだった・・・
 そうそう 猫がたくさんいた・・・
 夕日が沈むころになると 人々は 着替えて小ざっぱりした服装で 海端へ出て来て
三々五々ベンチに座って涼みながら お喋りする。
 そんな情景が 連夜だった・・・
 夕日がきれいだった・・・

 映像を視ながら 娘との二人旅を 懐かしく思い出した夜になった。
 まだまだ若くて活力に溢れていた頃のことである。
 
 

 夫は 昨日海釣りへ行って帰ってきたかと思ったら 今日は畑へ直行。
 疲れ知らずの人だ。 あのエネルギーはどこから湧いてくるのか。

 お昼になって 紙に包まれた桃を 幾おりにも収穫して帰って来た。
 今年初めての桃の収穫だ。
 なんとか 娘たちが休暇で海外に出かけて行く前に 食べさせられそうだ。
 娘家族は 今年も一月近くをイタリアで過ごす。
 だから 帰国するころには 今年の桃の時期が終わってしまう。
夫は いつ収穫できるようになるか 出発前に送れるか 気が気ではなかった。
 そして今日 ようやく収穫できる日がきた。

 東京の娘は 桃が大好き。婿も大好き 孫も大好き。
 それで 初回の収穫は ほとんどが東京へ。
 ほとんどとは言っても 袋を外してみないと 桃の状態の良し悪しがわからない。
 案外 お店に並んでいるような きれいで無傷のものは少ない。
 だから 良いのを選んで箱に詰めて送るのだが これが意外に手間だ。
 
 娘の所 息子のところ・・・といいのを選んでいくと 結局 家では 虫喰いや傷みのある
他人様には差し上げられないものだけが残り 食べられない部分を切り落としたりした
桃を 二人が食べる・・・これが毎年のことだ。
 どこも生産者はそうだが 出荷できるような物は その家の者の口には入らない。
 我が家は 出荷はしないが 同じようなものだ。

 夫は 今年もまたしばらくは 桃の収穫に畑へ日参する日が続くのだろう。
 私は 虫喰いや半分傷んだ桃を 切り落としながら食べる日が続く。 

 今日 夫は随分前から楽しみにしていた 海釣りに行ってきた。
 時々 渓流釣りにも一緒する 気ごころの知れた友人と二人で
夜中に出発して 三重県の方まで 出かけてきたようだ。

 帰宅するなり 早速釣ってきた魚の処理を始めた。
 大きなクーラーボックスを覗くと けっこうな数の魚がいる。
 やっぱり 釣ってきたばかりの魚は キラキラと輝いている。
 いい型のあじは さばいて刺身に その他は煮たり焼いたりできるようにするという。

 私は 全く出る幕がないから もっぱら据え膳で 食べる専門だ。

 今日は 大物はかからなかったが 小型の魚が釣れたという。
 坊主でなかったのが何よりだった。
 長い道中の運転で疲れているだろうが まあまあの釣果に機嫌もいい。

 私は一日中 一人ぽつねんと留守番だったが 事故なく怪我なく帰宅してくれたから
新鮮な刺身に舌鼓を打って それでよしとしよう。

 今夜は カリブの海に素潜りで クジラと遊ぶ日本女性のテレビ番組を視た。
 私は あまりドラマは視ないが ネイチャーものやドキュメンタリーは好きだ。

 二木あいという日本の若い女性は 素潜りで6分もの間 海中にいられる稀有の女性だ。
 彼女が海中深くクジラと遊ぶように泳ぐ様は 普段は陸で生活する哺乳類とは思えない。
 同じ人間とは信じられない優美でしなやかな 息継ぎなしでの泳ぎは見事だった。

 ただ泳ぐだけでなく クジラの方から興味深げに彼女の近くへやってくる。
 人口的に酸素ボンベを背負っての潜りではないから 海中ではより自然なのだそうだ。
 だから クジラの目の動きまでも 自然のまま撮影できるらしい。
 現に 画面に映るクジラは 今までの姿とは少し違っているような気がした。 
 
 透明度の高いカリビアンブルーの海の中 海中生物のようにクジラと泳ぐ彼女の姿は
神々しくさえ思えた。

 とても二木さんのようにはいかないのは 解かっているが
せめて あの素晴らしい群青の上を船に乗って 漂うように満喫してみたいと思った。

 ここのところ 毎日のように 隣の土地の端に植わっている茗荷の藪の根元を
葉っぱをかき分けかき分け 茗荷が出ていないか 探していた。
 昨日までは 一つも目にできなかったのが 今日夕方 性懲りもなく 出ていないか
探してみると なんと 幾つか土の中から ひょっこりと顔を出していた。
 やったぁ~ 見っけぇ~!
 
 私は 香りのあるものが好きだ。
 なかでも 茗荷の香りは 清々しくて大好きだ。
 それで 以前 隣の土地をお借りして畑にしていた時に 私の実家から株分けしてきて
植えてもらった。
 繁殖力が旺盛で 数年経つと かなりの藪になった。
 でも 土地を返すことになったから 大半を 離れた所にある畑へ移した。
 畑の端に植わった茗荷は 新しい土地が嬉しくて 今では元の藪くらい増えている。
 でも 車に乗れない私は 畑へ一人では行けない。
 そこで 隣に残した僅かな藪が 私が自由に覗ける 大事な藪になった。

 そこに 茗荷の頭が出てきたのだ。 早速採って 今夜の献立が決まった。
 「茗荷寿司」が今夜のメイン。
 茗荷と青紫蘇の葉を刻み シラスと油揚げを空入りして錦糸卵とゴマを加えた具を
寿司めしに混ぜ込む。刻み海苔を散らしたこの茗荷寿司が 我が家の夏の定番。
 空入りした油揚げの触感と茗荷と青紫蘇の香りで食欲が増す。
 一夏のうちに何度も食卓にのぼる。
 さっぱりとしていて それでいてけっこう栄養もあって美味しい。
 大人の寿司と思いきや 孫たちにも好評の一品だ。
 アレンジして シーチキンを入れたり鶏のささみを割いて入れたりもする。
 九条ネギを細かくしたのを晒して散らしてもいい。カイワレ大根やブロッコリーの
スプラウトを散らしてもきれいだ。

 この分なら 畑にもボツボツ出始めているかもしれない。
 夫に採ってきてもらって また今年の夏も 何度も楽しめると思うと
自然に口元が緩んでくる。
 嬉しいことだ。

 今日のお昼 近々放映される 森鴎外の手紙を題材にしたドラマの宣伝番組を視た。
 森鴎外は 日本人なら誰でも知っている 明治の大文豪だ。
 彼は 珍しいことに あの時代にあって 二足の草鞋を履いていた。
 それも 片や軍隊の軍医であった。 後には軍医として最高の役職にまで昇っていく。
 そんな 固い印象の森鴎外の 娘に子供が生まれ 名前を付けるにあたっての
娘婿へ出した書簡を基にして ドラマが作られているらしかった。

 私は 森鴎外の作品の中では 「高瀬舟」 が一番好きな作品だ。
 短編ながら その筋立てが実に複雑 綿密だが それを感じさせない作品だ。
 主人公が舟で送られて行く道中に語る身の上を 付き添って送る役人が自分の事に
照らし合わせながら己の人生や生き方を考える 実に深い内容の書だ。

 これには 森鴎外の人生そのものが反映されていて 興味深い。
 江戸を引きずっていた明治の初め 彼には 森家の長男として生きることが
定められていた。
 留学中も 帰国後も 彼は己の意志や思いのままに生きることを封じて
家族や家名を重んじて生きる。
 しかし 心の内には 常に悶々としたものを抱えていた。
 その苦悩を 「高瀬舟」の罪人と役人の心の内に載せて語られていく・・・

 人間個人としての 森鴎外に触れたような気のする「高瀬舟」だが
今度のドラマは もうひとつ人間味のある鴎外が視られそうで 
放映を楽しみに待っている。

 今日は木曜日 書道の日。
 暑い日だったが この日ばかりは出かけて行かねば。

 調和体は先週で書き上げたから 今週からは漢字の練習だ。
 先生にいただいたお手本を左に置き 練習する。
 今月の漢字は 「垂藤引夏涼」
 毎月のことだが 難しい。 なかでも 藤の崩し字がなかなか思うように書けない。
 何枚書いても この字だけが思うようにいかない。
 が 焦っても仕方がない。 練習あるのみだ。

 一段落したところで四方山話が始まった。
 今度の連休には 先生の息子さんがお嫁さんとお孫さんを伴って
泊まりにいらっしゃるとのこと。

 我が家の嫁御も 夫の実家への出入りを嫌がらないでいてくれるが
先生のところのお嫁さんも ご自分の実家のほうが近いにもかかわらず
よく先生のお宅へいらっしゃるようだ。

 今時の若いお嫁さんは 夫の実家へはなかなか来ない とよく聞く。
 最悪なのは 同居すると決まり 舅姑は喜んで 二世帯住宅を新築する。
それも 嫁の気持ちを考えて 玄関は勿論 お風呂や台所等 全てを分離して
家屋の上下で若夫婦と住み分けるように建てる。
 ところが いざ息子が結婚して同居するようになると
嫁は実家にばかり帰って 階下の夫の親は 嫁の顔を見る機会がない。
 孫が生まれる。 本当ならば夫の親が階下にいるのだから 
嫁が再び仕事に出るのに 階下の親に預けるのが常識と思うが
嫁は 出勤する際に子供を連れて家を出 わざわざ自分の実家へ赤ちゃんを預けて
母親に面倒をみてもらい 保育所や幼稚園も実家の近くを選んで通わせる。
 夫の親は たまさかスーパーなどで近所の人に会って
「お宅のお孫さん 大きくなったわねえ」 などと言われ 戸惑う。

 いくらなんでもそんな嫁はいないだろうと 普通は思うが これは事実あったことだ。
 それに比べたら 我が家も先生のお宅も 良いお嫁さんに恵まれたと 
つくづく思う。 そしてそのことを二人で喜び合う。

 せっかく縁あって 「親子」になったのだ。
 家族になったのなら 嫁 姑 などと堅苦しく立場に囚われないで
 親と子として 仲良く 笑いのある楽しい生活をしなくては 人生 損ではないか。

 今まで意見が対立したことはないが これからも 気持ちが食い違わないように
たくさん話をして 家族みんな仲良く暮らしていきたいものだ。
 
 

 
 

 今日 友人から電話があった。
 彼女は同年だが まだ仕事を持っているから なかなか会う時間が作れない。
 我が家のジャガイモを収穫した後 よかったら持ちにいらしゃい と連絡してあった。
 それで 仕事の合間に電話してきたのだ。

 もっと早くに来るつもりだったんだけど・・・と何か屈託のある様子で彼女はやってきた。
 つい先日まで 彼女は東京の娘さんの所へ行っていたのだという。
 娘さんが倒れたという知らせがあったから 大慌てて出かけて行ったらしい。

 娘さんには二人のお子さんがある。友人にとってはお孫さんだ。
 そのうちの一人が イジメにあっていたことを娘さんが知り 心労から倒れてしまったのだ。

 母親にとって 自分の子が 誰からであっても 疎外されたりイジメられたりすることは
耐え難いことだ。
 娘さんも 気付いたときは驚いたそうだ。
 事実を知り具体的なことが分かってくると 学校の担任にも連絡したり 相手の子の親にも
連絡をとり 面会もして話もした。
 しかし 結果はなかなか娘さんの思うようには運ばなかったらしい。
 担任も相手の子の親も まるで 今どきのテレビドラマの中の登場人物のような
煮え切らない態度で 即イジメの解決へとは なかなかいかなかった。
 それが 娘さんの心を痛ませ 心労を生んでしまった。
 友人が娘さんに付き添って病院へ行った結果 医師にそう告げられたという。
 実際 娘さんは 一人で外出もできないほど心労がひどく 電車のドアが閉まると
心が締め付けられるようにも感じてしまうーそんな酷い精神状態にあったらしい。
そんな日が続き ある日倒れてしまったのだった。


 それにしても なんで イジメが生まれるのか・・・
 同じ性格の人間なんてこの世にいない。 みんなそれぞれが違っていて当然なのだ。
 みんなが互いに大切な命であって 仲良く生きていかなくては。
 こんな簡単なことが 何故理解できないのか。
 また 何故自分の子に分からせて育てられないのか 憤りを感じ不思議に思う。

 えてしてイジメに合う子は 素直で真面目でおとなしく まっすぐなものの見方をする子が多い。
 本当なら そんな子こそ 胸を張って生きられるのに。
 何故 辛い想いをさせられてしまうのか・・・

 友人の話を聞いて わが子たちの小さかった頃のことや 教え子に起きた事など
はるか昔にあったことなどにも想いを寄せて 悲しくなった。

 この世の中は 
 ひねくれて意地の悪い者ほど生きやすい・・・そんな馬鹿なことがあってはならない。
 せめて 子供の世界だけでも 真っ当なことが真っ当として通るようであってほしい。

 すべての子供が 毎日明るい気持ちで学校へ通い 楽しい生活を送ってほしい・・・
 心から そう願わずにいられない。
 

いつか 書かねばと思っていた 「私の歯」についてだ。

 私は 一月に一度 歯科医院へ通っている。
 歯が悪いわけではない。
 常に足と腰の激痛に耐えているので 顎の噛み合わせが悪くなっているからだ。
 痛みを我慢して 無意識に歯を噛みしめているらしく 悪くなっているのだ。
 それで 少しでも上下のあごにかかる負担を軽減する目的で
マウスピースを作ってもらっているから 一月に一度その具合を見るために
歯医者へ通っている。

 歯医者へ行く度に 悪くないが当然のように 歯と歯茎の状態も点検してもらう。
 点検結果を書いた用紙を その都度渡されるが 毎回歯も歯茎も良好だ。
 歯の磨き残しもない。
 それもそのはず 毎日朝晩 時間をかけて丁寧に磨く。
 歯茎も同じように 丁寧に手入れをしている。
 だから 口腔内の綺麗さについては 自信がある。

 先月も 通院の折に もし今以上歯を白く見せる必要があるかどうか 聞いた。
待合室に 歯を白くするためのものが 売られていたからだ。
  歯科医は
「これだけきれいに磨けているのだから そんな必要は全くないです」
と 言われた。

 ことほど左様に 年齢のわりには 歯も歯茎もいいのだが
問題は 噛み合わせだ。
 こればかりは 痛みと関連しているから どうしようもない。
 痛みをできるだけ薬で抑えるーこれしか方法がないから厄介だ。

 一月に一度 マウスピースの具合を点検してもらう
 そのために しっかり通院するより外にない。

 今日は久しぶりのパソコン指導を受ける日。
 I さんが来てくださる日は 朝から頭や心が嬉しがっているのがわかる。

 前もって 今日はどんなことを教えて頂きたいか 考えておくから
そのことを中心に 教えていただくことになる。

 ところが 久しぶりにお会いするから どうしても四方山話に花が咲く。
 それが楽しくて来ていただくような気さえする。

 今日も いろいろ話した。
 互いの家族のことや 生まれ順で変わる性格のことなど・・・。

 特に生まれ順で性格が変わることに 話は大盛り上がり。
 長子か二番目か末っ子か それによって性格が変わるのは勿論のこと
考え方が変わるから 物事の捉え方が見事に違ってくる・・・
 I さんの話で 生まれ順の違いで生じる考え方や捉え方の違いの大きさが
どれほどのものか 目から鱗の思いがした。

 最初の子がいたとする。
 数年して次の子が生まれる。
 その間の数年間は 長子は 謂わば「一人っ子」状態。
 ちやほやされて 周りの大人の目も気持ちも一人占めの期間だと
次に生まれた子には思えるのだという。
 次に生まれた子にしてみれば 自分にはその期間がない。
 長子は自分よりいい思いをしている・・・ということになるらしい。

 長子にしてみると 次に生まれた妹や弟は 皆から甘やかされちやほやされて
自分はいつも我慢させられている・・・そんな意識でいることが多いのだが
年下の妹や弟にしてみたら 全く反対の思いや考え方もできる と知った。

 気の合う友人との会話からは どんな話の中からでも学ぶことがある。

 これまで 長子の私は 親の扱い方が弟と私とでは違っていたから
自分にとって不満だったことばかりを 論ってきたように思う。
 弟にしてみれば 私が思いもしない事で 親に対する不満があったのかもしれない
と気づかされた。

 今度会ったら 弟とこのことについて 話してみたいと思っている。
 

 今日は 夫と一緒に 孫の試合を観戦した。

 孫は昨年中学へ入ると 剣道部へ入部した。
 以来 竹刀や剣道着での練習に明け暮れている。

 今日は中体連の 市内の中学剣士たちが一同に会しての 大きな試合だった。
 

 夫と朝早くから会場へ出かけて行った。
 会場では剣士たちが竹刀を打ち合っての稽古 彼らの気迫と緊張があふれている。

 その中に混じって 孫の姿が見えた。
 初めて見る孫の剣道着姿だ。

 嫁によると 緊張で今朝はご飯が食べられなかったようだという。
 日頃は 背は高いが気弱で優しいばかりの性格の孫だから
互いに気を読んで打ち合う剣道など 本当にできるのかと ジジババは不安だ。

 いよいよ孫の番。 こちらまで緊張する。
 ガンバレ! ガンバレ! 気を読め!
 白旗が揚がる。 彼女が一本取った!!
 あと一本 頑張って取れ!!

 しかし 相手が次に一本取ると 続けてもう一本取ってしまった・・・。
 ざんね~ん!!
 最初の試合を落としてしまった。

 次の試合も 始めに一本取ったものの 残念無念!!

 こうして 彼女の 今年の中体連が終わった。

 試合には負けてしまったが いつも人のことを優先して考えるおとなしい孫が 
それぞれの試合で 一本でも取れたことを 褒めてあげたい。
 さぞかし緊張したことだろう。

 夕方遅くに 息子の家族が来宅。
 孫は 開口一番
「今日は応援に来てきてくれてありがとう」
 と 少し疲れた笑顔で 夫と私に挨拶した。
「よく頑張ってたねえ お疲れ様」 と声をかけ
今では私より背が高いのに 可愛くて つい小さい頃のままに 頭をなでてしまう。

 わが子は三人とも 親が観戦に来るのを 極端に嫌った。
 だから どの子もあれほど部活に打ち込んでいたにもかかわらず
私達親は 一度も試合ぶりを見に行けなかった。
 それが 孫の試合を見ることができた。
 夫も かなり前から この日を楽しみにしていた。

 勝ち負けはともかく  夫は機会があればまた観戦に行きたい様子でいる。
 孫の一生懸命な姿を見られて 今日は清々しい想いで眠れそうだ。
 

 今日の新聞の下段に 書籍の広告で 「人生の九割は逃げていい」 という
宣伝広告が掲載されている。

 解放された生き方をするためには どのように心がけて暮らしたらいいか 
その知恵を授ける内容の本らしい。
 本の内容紹介の文言の中に
「目指している方向が同じ人とだけつき合う」
「上手くできない自分を責めなくていい」
「自分の価値観を最優先して生きてみる」
「根性がないからといって自分を責めない」
 と 興味深いものが目についた。

 本当にそうだと納得 共感できる文言だった。
 人生も 折り返し点をはるかに過ぎて 「これからをどう覚悟して生きていくか」
この考え方次第で 毎日が楽しくも辛くも どのようにでも変わってくる。

 意に副わない生き方は 知らず知らずに不満が積もっていく。
そして その「知らず知らず」に 無意識に積もっていくモノが 心に負担をかける。
 心の負担は顔に現れる。長年の負担は人生の影だ。
 
 この歳になると もう心も体も無理は御免こうむりたい。
 これからの人生は できるだけ影のない 明るい気持ちで生きていきたいと思う。
 そのためには 広告の文言のように心がけて生きたい 真からそう思っている。

 

 いつか書道で雅号をいただくー実現したらいいなあという夢があった。
 それが 実現した。

 先生は いつでも名はあげますよ と以前からおっしゃってくださっていたが
今までなかなか 自分に自信がなかった。
 それで ここまできたら号をいただこう と自分なりの目標点を決めていた。
 ようやく 今年になってその目標に達した。
 それで 先日先生やその場にいらした先輩に相談して 雅号が決まった。

 私は無粋な子で 何一つ母の良いところを受け継いでいない。
 母は 十代から茶道や華道に勤しみ 中年になってからは書道も始めて
師範の免状までいただいていたというのに。
 だから 何か一つでも ある程度まで精進できて名を頂く そんな時がきたら
母が頂いていた雅号の中の文字が入ったものにしたいーそんな密かな夢があった。

 今回名をいただくにあたって 先生にその思いをお伝えした。
 先生は それを快く受け止めてくださった。

 先生の雅号は 茱径ーしゅけい とおっしゃる。
 「茱」は 赤くて可愛い実をつける「ぐみ」の意である。
 つややかな かすかに斑点のある あのぐみの実は 私も大好きな木だ。
 以前我が家にも植えていた。また今はその茱の実のる季節でもある。

 母の名からは「香」と「晶」のどちらかを選びたいと ずっと胸の中で温めていた。

 いろいろ組合せを 先生と先輩とともに考えた結果 「茱香」-しゅこうーと決まった。

 掛け値なしに嬉しかった。
 私の大好きな尊敬出来る先生の御名と 大好きだった母の名が一つになった 
夢の雅号が実現した瞬間だった。
 
 また その決まった名を 先生のご主人が 篆刻で印にしてくださるという。
 先生のご主人は 日展にも入選された実績をお持ちの方だ。
 まだまだひよっこの私なぞには もったいなくて恐れ多くて・・・
 でも 先生は 事もなげに
 「主人も喜びますから」 と言ってくださるので 厚かましくもお願いすることに。

 どんな印に仕上げてくださるのだろう・・・
 雅号を頂いた 印を作っていただける・・・  夢の中の出来事のような気がする。

 最近の台風は 私が子供の頃のそれとは ちょっと様子が違ってきている気がする。
 台風は 台風の時期がはっきりあったような・・・。
 梅雨前線や 前線と重なったりはしていなかったような・・・。
 だから 勿論被害を出す地域はあったが 
今のように 台風が近づくかなり前から 大雨が降ったり洪水が発生したりはしなかった
そんな気がするが それは私が子供だったからか・・・。

 地球温暖化の影響で 地球全体の気象が徐々に変化しているからではないか・・・
 住んでいる県の北部では マイマイ蛾が大発生している。
 
 災害状況を知らせるニュースが 痛ましい有様を映し出している。
 自然の前では 人間なんて小さい存在だと思い知らされる瞬間だ。

 どうか これ以上被害が大きくなりませんように・・・。

 若い頃に 夏に涼しげに見えて綺麗だったから 気に入ってつけていた
トンボ玉があった。

 先日 昔気に入っていたが 今はなんだか時代遅れのような気がして
しまい込んでいたアクセサリーの整理をした。

 片方だけになったしまったイヤリングや 年齢的に似合わなくなった物が
けっこうある。
 その中に きれいなトンボ玉があった。
 お気に入りだったから 思い出があって捨てがたい。

 それで これを新しくチョーカーにして 中学二年の孫にあげようと思いついた。
 トンボ玉だけを お店へ持って行き 訳を話すと お店の人が
「きれいで可愛いトンボ玉だから きっとお孫さんも喜ばれますよ きっと」
と 紐だけを替えて トンボ玉の両側にキラキラ光る小さな玉を選んで付けてくださった。

 石や本体になる物を買わない客だから お店にとっては 儲からない客だったろうに
嫌な顔せずに 私の希望通りのチョーカーを作ってくださった。 
 おかげで かわいいチョーカーが出来上がった。

 しかし 親の意向もある。
 孫に渡す前に 嫁に聞くと
「どこかへ出かけた折などにトンボ玉を見かけると いつも見ているだけで買ってないから
 喜ぶと思いますよ」 との返事。
 
 今夜 下の孫の迎えを頼まれている夫に 持って行ってもらった。
 本人はまだ塾から帰っていない。
 どんな反応を示すだろう。
 喜んでくれると嬉しいのだが・・・。

 昨夜 突然雷鳴がしたと思った途端に激しい雨が。
 そして 何度目かの雷鳴で灯りが消えた。

 夫は入浴中。
 真っ暗な中での入浴は大変と 慌てて懐中電灯でろうそくの在り処を探して
火をともし 二本を持って浴室へ急ぐ。

 今夜はもう電気は消えたままか と思ったら ありがたいことに復旧した。
 それでも まだ外ではゴロゴロ鳴っている。
 今のうちにしなければならない事をしてしまおっと!
 慌てて 洗い片づけやなにやら 再び停電にならないうちにと動いた。

 こんなことは長い間なかった。
 超超大型台風が 日本列島の真ん中を通るという予報が出ている。
 本格的な影響が出る前に 夫に万全の措置をしてもらわねば。

今日は大学病院への通院日。
 普段は 大学病院へ行った日は 整形外科のリハビリには行かないのだが
梅仕事をして以来 痛みが少し増しているので 今日は病院のハシゴをした。

 整形外科で受付けを済ませて待合室のコーナーへ行くと
久しく会っていなかった友人がいた。 それも 左の腕にギブスをしているではないか!!
 「どうしたの?!」 と 思わず聞くと
 家の階段を もう一段あるのに気付かないで降りてしまい
前のめりになって 左手を下にして全体重をかけて倒れたのだという。
 そのために 左の下腕を複雑骨折してしまった と返ってきた。

 彼女は私と同年齢だが 長年教職に就いていて 定年間近かで退職した。
 動けないで家の中に燻っている私と違い 退職後も 畑仕事に 趣味にと 
溌剌と動いて 羨ましい限りの生活を送っている。
 だから 骨折などとは 無縁の人だと思っていた。
 
 正直に思ったことを話すと
「体は正直だからねえ・・・やっぱり歳は歳よ」 と苦笑いしながら言う。

 私は左足が 自分で思っているようには上がっていなくて
家の中の なんでもない平らなところでも よく躓いたようになったり転んだりする。
 そう言うと
「私だってしょっちゅうよ そういうこと」 と彼女は言う。
 彼女の診察の順番がきて
「お大事にね」 「あなたもね」 と会話して別れた。

 どれだけ若々しくても 活動的な毎日を送っていても
体は 自分の年齢をよく知っている ということに 改めて気付かされた。
 肉体は 体躯もだが脳もまたその一部で 体躯は丈夫なようでも
それを動かす脳が 年齢相応に衰えているのだと思う。
 
足や腰に痛みを抱えている私には 他人事ではない。
  こうしてブログを綴って 精々脳の老化だけでも遅らせなくては!!

  ガンバレ!K子!!

 
 

 中学時代の思い出として まだ幾つかある。
 一つは 統合して新しいクラスになってからの事だ。

 それまで一度も同じクラスになったことのないM君が 同じクラスになった。
 そのM君の事で忘れられないことがある。

 統合してからもK先生が英語の担当だった。
 クラス数が増えたために もう一人H教師が英語の担当になった。

 どういう分け方をしたのか生徒にはわからなかったが M君も私も依然 英語は
K先生のクラスになっていた。

 ある日
 K先生が 教室に入ってくると
「このクラス決めに不服のある者 H先生のクラスへ替わりたい者がいたら
 手をあげよ」
 と 言われた。
 K先生の怖さや執念深さを知っている者ばかりだから みんな黙って座っていた。
 その時 M君が挙手した。
 みんなは ビックリした。 K先生も まさか替わりたいと自ら言い出す者など
ないだろうと 内心では思っていたにちがいない。
 瞬間 ウッと詰まったようにみえたK先生だったが
「そうか MはH先生のクラスへ替わりたいのか それなら今からH先生のクラスへ行け」
 と言われ M君はその場で机の上の物をまとめると 自分の椅子を持って
移動して行った。

 私だけでなく みんなが 「M君って なんて勇気があるんだろう!!」 と感心した。
 実を言えば 全員がK先生なんて嫌だ替わりたい と思っているにもかかわらず
後にどんな罰が待っているのか想像すると 怖くて手が挙げられなかったのだ。

 のちのち クラス会で幾度となく この時の事が話題になる。 M君はその度に
「そりゃあ 俺だって怖かったさぁ 体が震えて顔が引き攣ったぞ
 それでも やっぱりK先生は嫌だったから 死ぬ気で手を挙げたんだ」
と みんなに話してくれる。

 みんなは
「M君はすごかったよ その証拠にK先生は何も言わなかったもなあ」
 と口ぐちに M君の勇気を褒める。
 
 M君は 高校卒業後 しばらくサラリーマンをしていたが 一人で起業した。
 今では 娘婿を後継者にして 堅実に会社経営をしている。

 栴檀は双葉より芳し というが
まさに その片鱗をみたような 中学の出来事だった。

 

 今日は七夕。

 子供たちが幼い頃は 笹竹を準備し 飾り物や五色の短冊も調えて
それぞれが願い事を短冊に書き 賑やかに七夕飾りを玄関先に飾ったものだったが
今はそれもなく ただ 夜空が晴れて牽牛と織女が一年に一度の逢瀬を楽しめるように
願うだけである。
 二つの星たちは 果てしなく広大な天の川の両辺にあって さぞかし恋しい想いで
この夜を待ち焦がれていることだろう。
 胸が詰まるような一途な恋しさは 神話であれ現であれ 恋人同士であれば同じ。

 遙か昔には そんな感情も味わったが 今は穏やかに過ぎていく日々があるだけだ。

 せめて 書道の上達と家内の安全を願おうか・・・。

 今日は 遅まきながら梅雨らしく 雨が降ったり止んだり。
 だから 珍しく夫が畑へ出かけなくて 名実ともに 「休日」 となった。

 午前中には 夏の旅のチケットを求めに駅へ。
 帰りには 二人して回転寿司屋へ。生鮪が美味しかった。

 夫が畑へ出かけないと なんだか落ち着く。
 一人家にいると カンカン照りの中で汗を流して働く夫の姿が 頭の中でクルクル巡って
ジッとしていても 落ち着かない。

 午後は 雨音を聴きながら 本を読んだり 作り置きの惣菜を作ったり。
 夫は夏の計画の旅程を確認したり テレビを視たり。

 久しぶりに同じ部屋の中にいて お互いの動きを目の端にしながらの時間を過ごした。

 たまには こんな日もいいものだ。
 

 私には 私を自分の子供のように可愛がってくれる 父方の叔父が一人ある。
 若い頃は 溌剌として仕事に麻雀にと活力があったが 年齢を重ねて
自分が中心でやっていた会社を閉じた数年前辺りから にわかに精気が薄れている。
 元気を出してもらいたいと 叔母は 自分も大病の後なのに 
叔父の食事に気を遣い 生活の仕方までなにくれとなく細々と面倒をみている。

 その叔父夫婦から 「近場でゆったりしよう」 と誘いがあって
昨日から泊りがけで叔父たちの住む市のホテルへ行ってきた。

 そのホテルには 私の同級生の弟さんが働いていらっしゃる。
 その方の実家と亡父たちの生家は 田舎のこととて 昔の親戚筋に当たるとかで
叔父は 若い頃から なにかにつけてその方とのお付き合いを願って
ホテルを利用させていただいてきたらしい。

 今回も私たち夫婦と泊まることを 叔父から事前に連絡してあったようだ。
 私も 弟と同級生の彼を小さい頃から知っていたし 彼の兄とも親しかったから
お互いによく覚えていた。

 彼は 中学を卒業すると すぐ料理人の道を選び 故郷を離れていった。
 そして 料理人として 一筋に同じホテルで修業された。
 過去の時々に彼のお世話になる度に 着々と 料理人としてホテル内での地位を
上げていらっしゃることは知っていた。
 そして現在 彼は そのホテルの 「取り締まり総料理長」 の地位にいらっしゃる。

 けして豊かとは言えない小さな山間の田舎町から 単身たった十五歳で出て来て
以来五十年近い長い年月を 同じ場所で修業してこられたことにも 頭が下がるが
その厳しい修業の末 「取り締まり総料理長」 でいらっしゃるという。
 そこまでになられるのに どれほどのご苦労があり 精進をなされたか・・・。
 心から 凄いなあ~と感銘を受ける。

 久しぶりにお会いすると ご本人は 偉ぶりもせず 
「あれ~ッ お姉さん! もっと大きい人だったのに 小さくなられたねえ~」
などと 気軽に冗談を言われて 私たちと会話されたのだった。

 昨夜の食事は 彼が影で力を発揮してくださって 通常のお客では考えられない
内容の食事であった。
 おかげで 最近弱り気味だった叔父も 美味しくいただけて食が進み
いつもは 大病のせいで少ししか食べ物が入らない叔母も きれいにいただいた。
 夫は美味しいお酒もいただき 四人が彼に感謝しながら食事を終えた。

 最近の世の中は 働くスタイルが変わってきて
一所にズッと長く勤める人の方が 珍しくなっている。
 そんな中で 彼のように何十年も一所で辛抱しながら精進して出世してこられた
方は 尊敬に値する。

 久しぶりに スゴイと思え 尊敬できる人に会えた気がした。
 揺るぎない信念の下 自分の道をひたむきに生きてこられた自信さえ感じられて                         心から清々しいと思える人物だった。