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 午前十時半ごろ 携帯に娘からメールが入っていた。
娘夫婦と孫娘は 婿の妹の結婚式に出席するために 今日イギリスへ飛んだ。
 式には 着物で出席すると言っていたから 彼女のトランクには 着物や草履バッグ等
が 小物と一緒に詰められていただろう。
 日本の着物を見慣れないイギリスの人たちが 娘の着物姿に どんな反応を示すか
帰国後 みやげ話を聞くのが 今から楽しみだ。
 娘から 搭乗前のメールが送られてきたころは
 ちょうどその時間に診察を受けていたので メールを受信したことに気付かなかった。
 おまけに今日は 診察までの待ち時間が長くかかり その後の点滴 痛み止めの注射
が だんだん時間が遅れていった。
 会計窓口で順番を待っていて メールに気付いた。
その時間には 娘たちはもう 空の彼方だった。
 三人は 元気に成田から飛び立ったらしい。
 搭乗前に いっていらっしゃい を伝えられなかったのは残念だ。
 年に何度も国外へ旅する娘たちだが その度 無事に帰ってくることを願いながら
元気な帰国報告の声を待つことになる。

今回も なにごともなく帰国し また可愛い孫の声が聞けるのを待っている。
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  昨夜 テレビで衝撃的なドキュメンタリーを視た。
  真剣に生きた果てに 老後 破産して 明日の暮らしさえも覚束ない生活を送り
 毎日不安でいっぱいのなかで生きている・・・というものだった。
 体が悪くても病院へ行けない 薬代がない 介護を受けたくてもお金がない・・・
 それどころか 今日食べる物さえない 電気代も払えない生活・・・。
 どの老人も孤独で 人間としての尊厳さえも剥ぎ取られ 生きる意味さえなくしていた。
 例え 住む家が持ち家で田地があっても それが枷になって生活保護が受けられない。
 日々 厳しい現実に晒されながら こんななら 早く死にたい 死ねたら と願っていた。

 番組が進むにつれて 胸がつまり思わず涙が流れた。
 自分を待ち受けているかもしれない生活の 過酷さの一端を見せられた想いがした。
 番組に登場した老人だとて 溌剌として毎日笑っていた若い日があった。
 だれが 今の惨めな老後を想像しただろうか。

 我が身に引き換え 彼らに比して 子供があるだけましか 
 なんとか生きていけるだけましか とも想うが 明日のことはわからない・・・。
 何故なら あれほどの貧困生活の経験がないからだ。
 
 それにしても 国は残酷だ。
 真面目に生きて老いた自国の老人に あのような生活をさせて 知らぬ顔はないだろう。
 福祉に回す名目で税金を上げ 豊かな老後をうたって介護保険料を徴収し 
その結果 この国の老人の有様は どうだ。
 あの人たちからだって 若い頃の収入から 税金はしっかり取っておきながら
収入がなくなって老いたら 知らん顔はないだろう。

 いくら寿命が世界一になっても 長生きした果てがこんなでは 
世界に対して恥ずかしくはないか。

 以前訪れたデンマークで 寝たきりの老人が 二十四時間の手厚い介護を
国から受けていたことを思い出す。
 体が多少不自由でも 国の費用でピアノの講師を派遣してもらい 在宅で
趣味の時間を楽しんでいる老人もいた。
 
 なんという違いか。
 老後の生活のあり方に もっと心を寄せて 
老いても幸せを感じながら日々を送れるよう せめて食べることと病気に関すること位は
心配しなくていいように 国の政策がなされることを 切に願う。

  義弟は 長く単身赴任していたが 退職後は実家へ帰り 民生委員などをして
地域のために 働いている。
  現役で働いているうちは 時々回ってくる役員のほかは あまり地域との関わりは
ないようだったが 今は お年寄りのお世話をしたり 地域のために
一生懸命動いているようだ。
  
  地域と関わっているうちに 仲間に入れてもらったらしく
蜂の子取りもするという。
  この地方では 蜂の幼虫を ヘボ というが 蜂に目印を付けて飛ばし 巣をつきとめる。
  蜂の巣をとったら 幼虫を取り出して それを炊き込みご飯に入れた
蜂の子飯を炊いたり はちみつを採ったりするようだ。
  これは何人かの人がグループになってでないとできないことだ。

  また 増えすぎた猪や鹿を やはりグループになって捕るグループにも
入れてもらっているらしい。
  グループ内でそれぞれ役割があって 義弟は 獲物を追い立てる 勢子の一人だ。
  そして 仕留めた獲物は グループのメンバーで分けるという。
  よほど信頼されない限り そのようなグループのメンバーには
誘ってもらえないから 義弟がどれほど地域のために働いているかがわかる。

  ところが せっかくの獲物なのに 義弟の子供たちは 誰もその肉を食さないらしい。
  だから ジビエ大好きばかりがいる我が家へ それらの切り分けられたお肉が
まわってくる。
  スライスされたりカットされたりしたお肉は まったく匂いがなくて 食べやすい。
  仕留めた後 すぐに上手に処置するかららしい。
  家族が集まってのバーベキューには たくさんの鹿や猪のお肉は とても助かる。
  子供たちもその連れ合いたちも孫たちも 喜んでモリモリ食す。
  なんとも 我が家にとっては ありがたい。

  最近ジビエのことが 時々マスコミにとりあげられるが
我が家は 労さずして その流れのおこぼれに預かっているというわけだ。
  その替わり 我が家からは 夫が作った果物などが実家へいく。
  兄と弟で うまい具合に おいしさを分け合っている。

  こんな関係が長く続けられるように 二人がいつまでも元気でいてくれたらと
 思っている。
  

  昔 子供たちがまだ小さくて 上の二人が小学生だった時
 家族で 御嶽山に登った。
  前年までに数回 岐阜県側から 白山に家族で登っていた。
  白山の岐阜県側からの登山道は かなり厳しく険しいが
小さかった子供たちは 必死で登った。おまけに その日のうちに下山するという
かなりきつい登山だった。
  何故そのような登山だったかというと 地元の子供たちが 
そうして登っていたからだった。 地元では それが白山の普通の登り方だった。

 そんなハードな登山経験があったから 御嶽の整備された なだらかな登山道は
えッ こんなに楽なの? と思えるほど 子供たちも楽しく登った。

 はるか昔に登ったあの御嶽が 物凄い噴煙をあげて噴火した。
 あまりにもひどい有様に夫と二人 テレビの映像にくぎづけになった。
 ほら あの山小屋で休んだよねえ・・・
 かなりの高度まで樹木があって 登山道も広くて整備されていて よかったよねえ・・・
 しばらくは 恐ろしい噴煙をあげる様子を視ながら 
思いがけず 二人してあの時のいろいろを思い出していた。 

 しかし 登っていて被害に合われた方々は とてものことそんな余裕はないだろう。
 もしかしたら 命も危うかったのだから。 命からがら噴煙から逃れたというから。
 中には 今も火山灰に埋もれたままでいる方もあるとか。
 早く 救助に行ってあげてほしい
 早く 下山させてあげてほしい
 
ただ ただ そう 願っている。

  右手親指の付け根の靭帯を手術したが その後親指のしびれがとれない。
  何故かだるさを伴った痛みもある。
  神経が引き攣れているようで 何かの度にビリビリが 親指の先まで走る。

  足腰の痛みのリハビリに通っている整形外科の先生は
  切開する時に 靭帯の両側にある神経を広げておいて切るから
 そのせいでまだ神経の状態が 元に戻っていないのではないか
 時間はかかるかもしれないが 次第に治ってくると思う
  と おっしゃるが たった親指一本のことなのに とても不自由だ。
  触れる感覚はかすかにあるのだが 絶えず痺れていて 気持ちが悪い。
  感覚がなくなっているから 物を持っても 取り落としたり 力が入っていなかったり。
  実に 不都合この上ない。

  余計なことだが 私は 元来左利きだ。
  それを 小学校へ上がる頃に 母に叱られ泣きながら 右手を使うようにさせられた。
  それまで 毬つきも字を書くのも 左手だった。
  当時は 優しい母親が 突然厳しく躾けるのが 鬼のように想えて 怖かったり
悲しかったりしたものだが あの時 無理を強いても直してくれたからこそ
箸使いや毛筆習字や裁縫など 右手で不自由なくできるようになった と感謝している。

  現在は 無理に矯正することはよくないらしく 左利きの子供は
そのまま 学校にあがる。
  左利き用の道具も 開発されて市販されている。
  しかし 日本語は 平仮名も漢字も 右利きでないと なかなかきれいには
書けないのが現実だ。
  特に 毛筆習字は 絶対に右利きが有利だ。
  今でも 日本の中で暮らすには 生活は断然右利きが有利なことが多い。
  もちろん 左利きが悪いとは思っていないし 差別するつもりもない。

  我が家の子供たちを育てる時 赤ちゃんの時から このことが頭にあった。
  手で物が掴めるようになった頃から 左で握るのを さりげなく右手に持ちかえさせた。
  私のように 無理な矯正をさせたくなくて 物心がつかないうちにと思ったからだ。
  おかげで 三人の子はどの子も 生来右利きであるかのようだ。

  ともかく 早くこの痺れや感覚の鈍さが 薄れてほしい。
  似非右利きの身には 今の状態が 鬱陶しくてしかたがないのだ。
  
  
 
 
 

  夜半 目覚めてベッドに腰掛け そっとカーテンを開けてみる
  通る車もなく 近隣の物音も途絶えて 皆 深い眠りのなかにある
  中天に昇った欠けた月の ほの白い光に照らされ
  辺りが ひっそりと浮かび上がって見える
  ただ 虫たちのさざめく声が 遠く近く 窓の外から聞こえてくる

  痛みに目覚める夜半だが
  虫たちが騒ぐこの季節だけは 彼らの澄んだ音色が 傷んだ体を慰めてくれる

  こんこんと眠る夫を気遣い 静かにベッドを抜け出す
  ひそかに居間の灯りをともし 読みかけの本を開く
  登場人物たちが 物語の中へ私を誘っていく

  どれほど時間が経っただろう
  虫たちは 相変わらずの恋模様を 強く弱く奏でている
  草むらの儚い恋は どんな結末を描くのだろう

  少し冷えた体をベッドへ運び 夫のかたわらに横になる
  まだ夜明けまでには間があるようだ
  眠りのなかへ帰っていこう 
  虫の音を聴きながら

  目覚ましが鳴るまで

   

  今年のどんぐりは凶作 随分前から新聞は記事にしていた。
  
  昨夜半から激しかった雨が 午前中に止んだ。
  久しぶりに 散歩した。
  いつもの散歩道には 何本かのどんぐりの木がある。
  初めは小さな細い木だったのが 今では道を覆うほど大きくなって 見上げるほど
はるかに高くそびえている。
  毎年秋になると このどんぐりの木から 道にたくさんの実が落ちてくる。
  それを拾うのが この時期の散歩の楽しみでもある。
 
  それが 今年は全くといってもいいほど どんぐりが落ちていない。
  今日の散歩で拾えたのは たったの十四個。
  去年は 一度に百個はゆうに超える数を拾ったのに。
  それに 毎年ならば おそらく夜分に食べにくるのだろう 
 けものたちの匂いが この時期 辺りに漂っている。
  それが 今年はその匂いが全くしない。
  毎年食べに来るけもの 多分アナグマかなにかだと想うが 
来ても実が落ちていないから どこかよそを探しているのだろうと想う。
  他の山や山裾にだって 今年のどんぐりは少なかろうに。

  食べ物を求めて山をさまようけものを想うと なんだか可哀想になる。
  とはいえ 餌を探して里にまで出没する 熊やいのししの被害が大きくなるのは
困ったことだ。

  拾ってきた今年の貴重などんぐりを 玄関の飾り棚に そッと転がした。
  どんぐりは コロコロと乾いた音を立てて 可愛く無邪気に転がった。
  

昨日は お彼岸の中日だった。
  夫と私は 畑でとれた栗で 栗きんとんを作り 栗おこわを炊いて
 夫の実家を訪れ 仏壇にお供えして お墓参りをした。
  あいにく 実家の義弟のお嫁さんは 仕事で留守だったが 義弟は在宅だった。

  栗は 義父が夫に遺してくれた畑に木を植え 夫が丹精込めて育てた。
  その木からとれた栗の実は つややかで大振りの実だ。
  それを二人で 茹でた後 実を丹念にほじくって出し潰して 少々の砂糖を加える。
  それを 一つの重さを量って 絞るようにして形を作る。
  形作った後は 問屋から取り寄せた専用の包み紙で丁寧に包む。

  その間に 小豆を混ぜて栗を乗せておこわを炊いた。
  炊き上がった栗おこわを重箱に詰めてごま塩を振り 南天の葉を添えた。
  私の生家では 赤飯を炊いて上にゴマをふっても 南天の葉は添えなかった。
  夫の亡母は 赤飯を持って来てくれる時には 必ずこうして南天の葉を添えて
 持って来てくれたものだった。
  秋のお彼岸なのだから 本来ならお供えには おはぎなのだろうが
この南天の木の葉に想いがあって あえて栗おこわにしたのだった。

 仏壇にお参りした後 夫と義弟は 自分たちの先祖に想いを馳せ
しばし ご位牌を眺めながら 話し込んでいた。
 兄弟の それぞれにいろいろあった齢を経ての 穏やかな心地よい時間だった。

 年月は 水のように ある時は坂巻きある時はとうとうと流れる。
そして 川幅を広げながら 大海へと注いでいく。
 人もまた 水の流れのように 穏やかにゆったりと大海へと流れ着くのだろう。
 
 同性の姉妹がない私には 和やかに話しする二人が とてもうらやましく思えた。       

 今月23日にアメリカで開催される 国連気候変動サミットで 2050年9月23日の気象の
予報が発表された。
 日本は お彼岸になっても激しい暑さにが収まらず 熱波の影響で 京都の紅葉の
見ごろは クリスマスごろになりそうで 季節感は 今と全く変わってしまう
 と NHKのお天気キャスターが予報を 発表した。
 猛暑が続きスーパー台風も接近するそうだ。そうなると大雨に対する最大級の警戒が
必要になる との予報も。

 2050年には 私は生きていないが 孫の世代が中年になる頃だ。
 子供たちはまだ生きているだろう。
 近未来の天候が まさかこのようになるとは・・・。

 地球を温室効果ガスが蓋い 地球は今よりかなり暖かくなっているらしい。
 昨今の日本の 季節感の狂ったような気候からも これらの予報が
とてつもなく奇想天外なことではない とわかる。

 孫子の代に このような日本を残していいのだろうか。
 激烈な暑さの夏の日 強烈な紫外線の中では戸外のプール遊びもできないだろう。
 夏だけでなく 冬の天候も変わっているだろう。
 雪は今より降らなくなっていて 夏場は激しい水不足をきたすに違いない。
 水不足は 一年中に及ぶかもしれない。
 農作物も かなり種類が違ってくるだろう。 南洋の植物が増える。

 考えるだけでも 今の環境が激変しているだろうことが 容易に想像できる。
 
 予報を単に予報で終わらせるために 私たちに求められていることは何なのか・・・
 真剣に考えなければいけない と 新聞記事を読みながら強く想った。

 

 午前中 渋る夫に頼み込んで 久しぶりに 産直市場へ行ってきた。
 このところの 野菜の高値の影響が大きいらしく 買い物客で混雑していた。
 レジに並ぶ人をかき分けて 商品棚までたどり着くのが大変なくらいだった。
 どの野菜も スーパーよりかなり安価で求められるから 主婦は殺到する。
 この私もその一人だ。
 朝採りの新鮮な野菜が 飛ぶように売れていく。
 息子と娘への分も買うつもりできたから 二つのカゴは一杯になった。
 長いレジの列に並ぶが あああれも買うとよかったかな と欲が出て来る。

 我が家の畑で 様々な野菜が作れたらいいのだが なにせ毎日世話に通うには遠い。
 だから 野菜は玉ねぎやジャガイモ等の あまり手間のかからないものを植える。
 葉物は 毎日の食卓に欠かせないから 猫の額ほどの庭で少しだけ作っている。
 先日は 茄子やトマトの後に 小松菜の種を蒔いた。
 夫の実家の正月の雑煮は 小松菜を使う。小松菜だけの碗にお餅が入った
簡素な雑煮だ。
 この辺りの家々は すべてこの雑煮を食べる。
 だから お正月に 正月菜と呼ぶ小松菜は 必須の野菜なのだ。
 今 種を蒔けば 年内に一度収穫できるから 来月半ばにもう一度蒔く。
それが お正月頃に ちょうどいい塩梅に大きくなっている。
 せめて お正月の雑煮碗の中ぐらいは 我が家で育てた野菜を と想っている。
 
 それにしても 今日行った産直市場の賑わいは 主婦のお財布の締まりの硬さが
窺われて 面白かった。