FC2ブログ

  一年も前に日が飛び切りいい日を選んで 七五三の詣りの日を決めてあった。
娘が決めた。日本の行事ごとやお祝いのあれこれは 日本人である娘の采配で進む。
  当然 それに関わる諸々も 全て娘の肩にかかってくる。
  そこが国際結婚であることの特徴だろう。
  だから 娘にかかる負担も夫の分まであるわけで 娘はなにも言わないが
きついことも多々あるだろうと 日頃から思い遣っている。

  今回の七五三も例外でなく お宮さんでのお祓いの予約 祝い膳を囲む場所
写真やの手配 孫の着物に合った被布を選ぶこと等々・・・。
  すべて娘が準備した。もちろんアドバイスはしているが 実際動くのは娘だけだ。

  万事においてこのようだから 口には出さないが彼女の疲れ方はかなりのものだと
想っている。
  それでも 愚痴ひとつ言わないでいるから かえって心身が心配になってしまう。
  私もそうだったが 恋愛で結婚すると結婚生活のすべての問題は自分にかかって
くるから どこへもぶつけようがない。ましてや親には愚痴れない。
  娘も多分そう想って暮らしているのだろう。おまけに国際結婚ときているから
なおさら そう想っているにちがいない。

  母親としては もう少し肩の力を抜いて 親に頼ってもらいたいと思う。
  ふんわりとやわらかい気持ちで子育てしても 子供は悪い子には育たないから。
  娘が真っ向から向き合って子育てする分 夫と私が孫にやわらかく接していこう。
これは いつも夫と話していることだ。

  東京では 孫がじいじとばあばが来るのを 楽しみに待っているらしい。
  少しずつ物心がついていくから 会う度私達も楽しみだ。 
スポンサーサイト

  ようやくパソコンが使えるようになった。
  二時間ほどかかって デスクのほうも繋がった。ただしあちらはアドレスが変わった。
  だから メールの相手に知らせなくてはならない。
  私のほうは 要らない変なものが入っていたのが二つほどあったらしいが 
消してもらえた。
  おまけにプリンターとも繋いでもらったから 印刷しようと思ったら できるはず。
まあ 私がおもちゃにして遊んでいるぶんには めったに必要ではないが。

  それにしても 私がパソコンで遊ぶのは 免許なしで車の運転をするようなもの。
限られたことしかできないが 他のことはしようとは思わないから なんとかなっている。
  パソコンがなんぞや とわかっていなくても 使えなくなったここ数日は
やはり不便だった。
  買い物はもちろん電子書籍も見られないし 不都合だった。
  なんやかやいっても 生活の中にパソコンがしっかり入り込んでいると感じた。

  もうこれで大丈夫。 やれやれだ。

  昨夜 突然ネットが繋がらなくなってしまった。
  元からあるデスク型のパソコンの調子が悪くて 息子にみてもらっていた。
  どうしても使えるようにならなかった。
  息子達が帰った後 さて とこのパソコンを開こうとしたが今度はこちらも繋がらない。
  いろいろやってみてもダメ。

  ブログが挙げられないのは諦めるとしても オークションで買い物をしている最中で
入札中の品物の締め切りが昨夜の物が一件あったから 大変。
  高値更新になっていればいいのだが落札になっていると 相手と代金の振込先など
すぐに連絡しなければならない。

  そこで 苦肉の策。
  息子の家で作業して 今 このブログも 息子の家で書いている。

  光フレッツの工事が終了して そちらで繋がるまでは ブログもお休みだ。
  仕方がないなあ~。

 

 今夜 久しぶりに東京の娘と孫と スカイプで話した。
  娘は家族で 今月の初めに イギリスでの結婚式に行ってきた。
  向こうで 夫の父母や叔父 祖母に会って 楽しく過ごしてきたようだった。
  スカイプでは 孫は大叔父さんにいただいた青いうさぎのぬいぐるみを紹介してくれた。
  最近は そのウサギを赤ちゃんに見立てて お風呂へ入れたり ミルクをあげたりして
遊んでいるという。
 
  孫は 父親がイギリス人だから お腹の中にいる時から 英語を聞いている。
しかし日常的には 母親が日本人だから 当然会話は日本語中心だ。
  父親は 彼女に合わせて日本語で会話したり 時には英語で話しかけたりしていた。
  夫婦の間も 英語と日本語が混じり合った会話をしている。
  最近では 父親の言葉も理解して英語の単語で返事したりしていた。
  ところが イギリスへ行って 周囲の言語が英語だけの環境に囲まれた時
孫の中に蓄えられていた英語の単語が 一気に噴水のように まるであふれ出したか
のように しっかりとした一文になって 英語が出て来た と娘が言う。
  帰国後は それまでの単語だけでない しっかりとした英語の一文での会話を
父親としている という。
  その 突然の英語の出方に 娘は驚いたという。
  もちろん まだ幼いから語彙も少ないが ちゃんと英語で会話できるようになった事は
婿にとって嬉しいことだろう。

  語学とは かくも日常が大切なのだと 考えさせられた。
  解からないだろう と想っていても 言語は確かに脳の中にしっかりしまわれて
ある時なにかのきっかけで 外に出てくるのだ。

  イギリスへ行くまでは 英語が言語の一つなのだという認識が 孫の中になかったのが
今回 英語だけの世界に包まれた時 初めて 日本語と同じように英語も意志疎通の
手段としての言葉なのだ ということが理解できたらしい。
  これは とても大きいことだったと思う。
  これで 孫は これから二つの言語で生きていくだろう。

  二つの国の国籍を持って生きていく孫の人生が 今始まった気がする。

  夫とともに インフルエンザの予防接種を かかりつけの医院で受けた。
  今年の第一回目の接種だ。
  特定疾患があるから 毎年しかも二回の接種をしたほうがいい という医師の奨めで
私だけでなく 夫にも私のために二回の接種を奨められるから 二人とも二回受ける。
  そのためか 夫も私もインフルエンザに罹ったことがない。
  早々と一回目の接種を受けたのは 来月初めに孫の七五三があるからだ。
  彼女は春に特別な病気になり 入院していた。
  万が一にもそんなことはないだろうが 彼女にインフルエンザを移したら大変だからだ。

  このところ夫と私は 娘の所へ行く準備を 徐々に進めている。
  娘の家族が大好きな 義弟から分けてもらったお肉や野菜を送ったり
お祝いの おこわを炊くように 小豆缶やもち米 一緒に入れるように冷凍しておいた栗など
も既に送った。
  当日の着物も送ってある。
  そして 昨夜は ここ数日 夫と話し合って 祝いをお金でなく 孫が喜ぶ品物にする
ことに決めて 娘夫婦の了承を得 ネットで見つけた品物を注文した。
  完成品だと とても高額になるが 自分で組み立てるのだと 予算内だった。
  それに 付属の小物を数点 別のネットのお店で選んで 送る手配をした。

  こんなことをしていると アッという間に時間が過ぎてしまって
  昨夜は ブログのことを忘れてしまっていることにさえ 気付かないでいた。

  今日は日中 とても気温があがって カラッと晴れたいい天気だった。
  私が外出するのにはありがたい天気。
  帽子をかぶり 杖をついて ゆっくり歩いてバス停へ。
  昨夜注文した品の代金を振り込むために 郵便局へ。
  足の傷めた小指が痛むが 仕方がない。
  手は親指 足は小指。なんたることか・・・。
  それでも 一人でバスに乗っての外出は 久しぶりだから嬉しい。
  郵便局は バス停に近い場所にある局を選んで 用をたす。
  そして またバスに乗って帰ってくる。もちろん また歩いて。

  たったこれだけの外出だが 天気がいいこともあって 気分がいい。
  帰宅すると 額が汗ばんでいる。 こんなことさえ 私には嬉しい。

  明日も いい天気らしい。

  今日 NTTのテレビとネットの工事の日にちについて 連絡があった。
  以前にも書いたが 切り替えの営業に来た人と電話工事に来た人 テレビの工事に
来た人が違っていて おまけにそれぞれの言う工事の方法が違っていたり こちらが
聞いていない事があったりして 夫も私も納得がいかなかった。 
  だから営業の人へそのことを伝えてあった。
  それなのに苦情についての解決の返答がないまま また改めての今日の電話だった。
  連絡の電話の際 その点について電話口の人に少し伝えた。
  少し口調が厳しくなっているのが 自分でもわかった。しかし 方法に納得が
できないままで 工事をしてもらっても仕方がない。
  テレビ工事の人から 夫が在宅の時間に連絡してもらうよう 約束して電話を切った。

  電話口の女性に どの家もこんなふうなままで すんなり工事をするのか
それで 今までなんの問題も起きていないのか と聞いたら 問題なく工事をしてきた
とのこと。 それには逆にこちらが驚いた。
  いったん営業が仕事を受けてきたら 電話工事とネットとテレビ工事の係りの三者が
その家の工事方法について 簡単でいいから一度意見や工事方法についての意志疎通
をはかるのが 契約者に対しての誠意なのではないか と私は強く考える。
   だって 契約は電話とネット テレビの三つが一つの NTTそのものとするのだから。
  それをしないから 我が家のような事態が発生してくるのではないか。
  営業は営業だけのノルマさえ果たせればいい 電話は電話さえ工事をすればテレビや
ネット工事の際のことなど知ったこっちゃない こんなバラバラな工事が有りだなんて
日本のNTTともあろう会社のやり方だとは とても納得できない。

  相対に会社なり団体が大きくなるほど 細やかなサービスややり方が大雑把になっていく。
ましてや元が国営の電電公社だから 親方日の丸意識がまだまだ残っているのでは
と想ってしまうのは 私がわがままだからだろうか。

  とにかく 数日中には連絡があるだろう。
  その時に 夫とどのような工事法をとるのか合意できたらいいのだが・・・。

   今日は大学病院へ行く日。

   いつものように 朝早く 夫の通勤車に同乗して 病院へ。
   受付番号を取って 受付が始まるのを待つ。
   もう 二十人くらいの患者が 私の前に受け付け番号を取って 待っていた。
   毎回 だいたいこのくらいの番号になる。
   しばらく待つと受付開始のアナウンスが流れ 内科と外科の分野に分かれた
それぞれの受付カウンターで 番号順に呼ばれ 診察券の裏に数字が印字される。
   自分の数字が 待合の前に表示されると 決まった担当医の診察室へと入って
診察を受けるシステムになっている。

   受付を済ませて 麻酔科の待合で血圧を測り 自分の印字の数字が表示される
のを待っていた。
   ここまでは 数えきれない回数 同じ手順で繰り返してきたことだから 私だけでなく                     待合には 顔見知りの患者たちが 静かに診察が始まるのを待っている。
   ところが いつもなら受付開始と同時に診察が開始される 担当医師からの
診察室への呼び込み番号が 表示されない。
   その時点では 他の患者も あれ?今日は先生遅いのかな? くらいの気持ちでいた。 
   そのうちに 他の医師が診察を始めた。次々に患者が診察室へ入っていく。
   三十分経っても担当医の診察は始まらなかった。
   このころになると さすがに私達同じ担当医の患者たちが ソワソワと
ちょっと不安げな面持ちで 互いの顔を見合わせたりし始めた。

   一時間も過ぎたころ 点滴室から これも顔見知りの看護士が 待合に出て来た。
そして言うには 
   **先生 今日は県病院へ出向の日なんです。 今 先生から連絡がありました。
 私達も知らなかったんです。 ごめんなさいね。
 だから 今日は他の先生に診てもらうことになりますが それでいいですか?
 もし 嫌だったら 改めて他の日に予約を入れてもらうようにしますが・・・。
  と 申し訳なさげに 一人一人の患者に誤って回った。

  患者たちはビックリした。そんなことって・・・としばらくは無言。
そのうち口調荒く文句を言う患者が何人か出た。しかし来たからには診察してもらいたい。
  みんなは渋々承知して 他の先生に割り振られただろう順番を待つことに。
  待合のあちこちから ブツブツ苦情を言い合う声が聞こえてくる。

  こんなに待つことは 今までなかったことだったから 四十分を過ぎたあたりから
私は ひょっとしたら と思い始めていた。
  今年の春頃から 大学病院の医師が交代で 県病院に開設された疼痛緩和の科へ
出向され始めた。 私の担当医もそのローテーションに加わっていた。
そのために それまでは規則的だった診察予約日が 少し変わってきた。
また 多忙さからか 診察を受けた時に 次の予約日をパソコンに打ち込み忘れたり
小さなミスが何回かあった。
  だから もしかしたら・・・と想っていたのだ。

  私の側へ看護士が来て 説明とお詫びを言った時に 私は小さく笑いながら
 やっぱりねえ ひょっとしたら と想っていたわ と返した。
  何年も通ってお互いに顔見知りで 看護士も私の性格を知っているから 看護士は
 **先生おっちょこちょいなとこがあるもんね ごめんね できるだけ早く診てもらう
ようにするからね 今日は代わりの先生で我慢してね
  そう言って 他の患者の方へ。

  番号が表示されて 顔は見知っているが 受診は初めての医師に診察してもらい
処方箋を印刷してもらい次の予約をしてもらって 点滴を受けるよう ベッドに横になる。
  横になって 点滴が準備されるまで待っていると さすがにいつもとは違った医師や
看護士の動き。そして助教授が**先生の単純ミスについて看護士相手に文句を
言っているのが聞こえてくる。
  迷惑をこうむっているのは患者ばかりでなく 自分の患者以外に割り振られた患者の
診察をしなければならなくなったのだから 医師だって大変だ。
  看護士も 三人の医師にたくさんの患者を割り振って受診させなければならないから
あたふたしている。

  このぶんだと **先生 病院へ帰ってきたら かなり絞られるだろうなあ・・・

  点滴を受けながら 私はそんなことを想っていた。
  患者は他の先生に診てもらえるんだから被害度は低いが それをこなさなければ
ならなくなって 大忙しになった三名の医師は 大迷惑だったことだろう。

  **先生 もうこんなミスしちゃあダメですよ!!
  科内での評価が下がりますよ!!
       

 

 先日 娘から 今度の七五三に着たいんだけど合うのない?あったら送って と
 連絡があった。

 勿論 彼女には箪笥二棹に入りきらないほど 着物を贈ってあるが わが子の特別な
日に 今まで着たことのない着物を着たい という気持ちがあってのことだろう。
 亡母は働きながら 老後に趣味のお茶やお花の時に着たい と随分の着物を作って
楽しみにしていた。
 それまでに作った着物もたくさんあって 箪笥二棹にもなっていた。
 ところが 退職して数年で倒れてしまったから 何枚も手を通していない着物があった。
 実家を他人に貸す時に 全部私の家へ持って来ている。  
 娘は 小さい頃から着物が大好きだったが 長じても着付けの教室へ通って免状を
取得するほど着物が好きで 現在も事あるごとに着物を着る。
 そんな娘だから 亡母の遺した着物も抵抗なく手を通す。今までも何枚か
娘のところへ行っている。 それでもまだしつけをしたままの着物が何枚もあるのを
娘は知っていて 連絡してきたのだった。
 おばあちゃんが大好きだった娘だから むしろ好んで亡母の着物を着てくれるから
私も嬉しい。
 寸法もなんとか合うので 私も娘もありがたい。

 今日は 二階に上がり 日中いっぱいかかって 娘に合いそうなものを
何枚も出した。 ついでに私が着た着物で もう娘が着られるようになったものも
一緒に送ろう とそれらも出した。
 ところが 連絡があった時に あれならと頭に浮かんだ着物が 出てこない。
 仕方がない。 まとめて何枚も送れば その中から娘が自分で合うものを選ぶだろう。

 そうでなくても 私自身の着物も箪笥がギシギシなのに 亡母の物が加わっているから
当然収まりきらず箪笥を新調くらい一体どれだけあるの というほどの数だから
いくら 種類別にして引出しに納めていても 探すとなると大変なのだ。
 腰や足が悪いから なかなか手早く仕事が進まない。
 それでも ようやく選び出して 自分が当日着る予定の着物と帯それに合うように
帯揚げと帯締めを一緒にして 深い箱と浅い箱の二つに入れ 送る準備ができた。

 それを リハビリの後 夫の車で運送店まで運んでもらった。
 合計すればかなり高額になるが 三十万円を超えると窓口で受け付けても
すぐには送れない とのこと。
 何日もかかっては間に合わないかもしれないから 限度額で申告して保険をかけた。

 数日内には東京へ着く。
 一度にたくさん送ったから娘は驚くだろう。そして困るかもしれない。
 今でも二棹の箪笥がいっぱいだからだ。この前 これ以上は入らないから と言っていた。
 でも 私がどうかなれば いずれは娘のところへいく着物だ。明日のことはわからない。
早めに送っておいてもいいだろう。それでなくても こっちもいっぱいなのだから。

 向こうに着いたら 娘はどんな顔をするだろう。
 何枚送ったか 知らせていないから。送るよ とだけは連絡したが・・・。
 
 

 
 

  もういいかげんに江戸時代の小説から抜け出そう と思ってはみるのだが
未だに 現代小説や他の時代を題材にした物を 読む気になれないでいる。
  何故抜け出せないかというと 気に入った作者のお気に入りのシリーズの続編が
次々に出版されたり またお気に入りの作者が新たな作品を発表したりするからだ。
  それになんといっても 抜け出せない一番の理由は 今まで知らないでいたり
あまり名の知られていない作家や若い作家の小説の中にも とても面白い物があって
そんな小説や作家に出会うと 他にどんな小説を書いているのだろう と また腰が
そこで座ってしまう。
  
  最近図書館で いくらなんでも もう大概の江戸物は読んだから離れる時期が来た
かな と思いながら 書架の間を背表紙を見て歩いていた。
  そうしたら 今まで見過ごしていたのだろうか 新しい作者の作品が 目に留まった。
  読んでみたら これがなかなか面白い。
  すると同じ作者の作品を次々に読むことになった。
  図書館に同じ作者の小説がなくなると もっと 今まで知らないでいた作者があるかも
と思ってまた探す。見つける。読んでみる。面白いから他の作品も・・・
という具合に広がっていき・・・それで抜け出せない。私にとっては嬉しい悲鳴だ。

  今はまっているには 時代物の書き手としては若い 女性作家二人だ。
  一人は あさのあつこ もう一人は 西條奈加。
  この二人の小説が 実に面白い。
  小説の構成も内容もしっかりしていて 賞ももらっている。
  こんな作家や小説と出会うと 内心ニンマリしてしまう。
  こうしてなにかしら新しい発見があるから 読む醍醐味もあるというものだ。

  こんなふうだと 一生江戸物からは抜け出せないかもしれない と最近では想う。
  それならそうでいい。そんな形の幸せがあってもいいのではないか。
  というよりこれは 自由に動けない私に どこからか与えられた幸せなのではないか
とさえ このごろでは想えてくる。
  人間 いたるところに青山あり・・・与えられた場所で与えられた幸せを生きる。
  人間万事塞翁が馬・・・改めてこの言葉を頼もしく感じる。
  この幸せ 眼福がずっと続きますように・・・。
  

  今日もいい天気。
  いつものごとく 朝早くから夫は起き出して なんやかややっている気配。
  私はといえば 昨夜 最近なかった足の激しい痙攣が起きて あまり寝ていなかった。
  一昨日 左足の小指を傷めてしまった。 気温の変化に体がついていっていないから
思っているより 歩く時に足が上がっていないようだ。
  用心のために 昨日リハビリの前に診察を受けた。
  レントゲンで かすかに見えるか見えないかで 細いヒビが入っているのわかった。
  しばらくは不便だが 自然に治るのを待つより仕方ない。 との医師の言葉だった。
  右足にきた痙攣は そのせいもある。
  強い痙攣の後は いつまでも痛みが治らずに なかなか眠れないのだ。
  
  それなのに 夫ったらマイペースで早くから自分の布団を剥がして干しにかかる。
  そのうえ 私の掛布団まで 剥がして干そうとする。まだ布団の中にいるのに!
  昨夜はあまり眠っていないから もう少し横にならせてよ と言っても聞き入れない。
  私も負けずに 言い張る。でもふざけながら引きはがす。
  もう~!まだ足の痛みがあるし腰も痛いんだって!!
  しばらくは夫はあきらめたようだったが 今度は嫌がらせのように洗濯機が回る音が。
  まるで 早く起きて仕事しろ と脅迫されているような・・・。
  まあこれもいつものこと 仕方がない起き出すか 足はまだ元に戻っていないけど。

  起き出すと同時に 夫は布団カバーを外して干しにかかる。
  カバー洗っても干すスペースもうないじゃない! とは思っても洗濯しなくちゃ・・・。

  家の中の事が粗方終わると 今度は溜まっている用を済ませに 外出。
  飾り棚の蛍光管がパカパカしだしたから買い替えの物が要る。
  いろいろ不足の物を買い足しにホームセンターへ。
  溜まっている文庫本をブックオフへ持って行く。
  食品の買い出しにスーパーへ。
  欲しい物が揃わなくて三軒のスーパーをハシゴする。

  お昼ご飯も食べないで これだけの用を済ませて帰宅。すぐにお昼ご飯の準備。
  夫は食べ終えるやいなや 畑へ飛んで行った。 やれやれ・・・。

  夕方早めに帰った夫は 娘の所へ送る野菜や なんやかやを箱詰めにかかる。
  手伝って 今日買ってきた物も数点入れて 大きい段ボールと冷凍物の箱とを作る。
  そして 夫が早速宅配会社の営業所へ持って行った。

  帰って来る間に夕ご飯の用意を始めた。
  帰って来たら夫は風呂だ。出た時には夕飯が準備されているのが当然のように。

  これは長年培われてきた二人の関係だから仕方がない と諦めてはいるが
もう少し おっとりゆっくりのペースで生活したいと思う。
  いつも なにかに追われてでもいるかのように せかせかと落ち着かない毎日だ。
  特に 夫が仕事が休みの日。 普通は逆じゃないの? 休みの日くらい 二人で
のんびりしてゆったりと過ごすんじゃないの?もうこの歳なんだからさあ~
 こんなふうだと 夫婦の会話なんてなくなるよ・・・。 
 少しは二人でってこと 考えてよねえ~・・・。
  
  

 昨夜 今度東京へ行くので土産に欲しい と 夫が 実家の義弟に 猪肉や鹿肉が
まだあれば分けてくれないか と 連絡した。
  実家では 子供たちも含めて誰も食べないから いつでも要る時に という言葉に
甘えての お願いだった。
  すると 早速今日 お嫁さんが仕事に行く途中 持って来てくれた。
  たくさんいただいて恐縮だったが お嫁さんが いつまでも冷凍庫が空かなくて
困っていたところだったから かえってありがたい と言ってくれたのでちょっと気が楽に。
  お返しには 昨夜のうちに求めてきたお菓子と剥き栗の冷凍したものを。

  ビックリしたのは お肉の事でなく お嫁さんが話してくれた事だ。
  昨日 実家のある地区に 熊の親子が出た という。
  母熊と小熊が二頭だった。
  実家がある地区は 田舎ながらも山の中ではなくて 人家が集まっている。
  そこへ出たから 大騒ぎになったらしい。
  警察や消防署 地元の弟を含む猟友会の人たち 地元の人たち 
大勢が集まって 大きな音を立てて 山の方へ追いやったとか。
  それで 山へ帰って行ったと思いきや また今朝 今度は親熊一頭が
柿の木に登って 柿を食べているのを発見した。
  弟も見た。大きな熊だった と言っているという。
  昨日と同じ熊だったかどうかはわからないらしい。
  それで 今日は 登校する児童に役員が付き添って 万が一に備えた。
  その後 猟友会のメンバーが 捕獲のためのワナを仕掛けた という話だった。

  今年の山はどんぐりが不作 とは聞いていたが 実際にこんなに身近かな場所に
熊が出没するなんて 想いもしなかった。
  この辺りには猪はいるが 熊がいるなんて予想もしなかった。
  これは 私だけでなく 地元で生まれ暮らしてきた人たちも同じだったらしい。
  だから なおのこと みんなが驚いたのだ。

  里まで下りてくることは 昔三年住んでいた白川村でもあったから知っていた。
  白川村だけでなく 飛騨の山々には 熊が生息しているのも知っていた。
  しかし いないと想われていたこの地域にも 実際にいたのだ。

  これにはビックリもビックリ。
  まさか 実家の地区に出たなんて・・・。

  冬ごもりを前に 山には体に蓄える食べ物がなくて 危険をおかしてまでも
集落まで下りてきて 食べ物を探さなければならない熊もかわいそうだが                              人間に危害があってはならない。ワナもいたしかたない措置だろう。

  そのまま山へ帰って行ってくれれば 一番いいのだが・・・。
  食べ物を求めて歩く母熊の後ろを ヨチヨチとついて歩く小熊二頭の姿を
想像すると なんだかあわれになる。 お腹を空かせていただろうに・・・。
  
  母熊が捕獲されては 小熊たちはとうてい生きてはいけない。
  願わくば 母熊だけが捕獲されて 小熊たちがみなしごになる なんてことに
なりませんように・・・。
  早くもっともっと山奥へ行って 食べ物を見つけてお腹を満たしてほしい・・・。
  

  台風が 寒さを連れて来た。
   とうとう 今年も寒さの季節が始まってしまった。
   気温が上がる日中でさえ 家の中は冷える。
   だから 腰や足の痛みがひどくならないうちにと 私は早々と冬模様。
   長いズボン下をはき 長袖の所謂ババシャツを着て 腰にはホッカイロを貼り 
おまけに 足首からの冷えが足の痛みを増長させるので レッグウォーマーを。
   これだけの装備でも 体の芯が病んでいるからか 寒い。
   体中が冷え冷えとしている。
   たぶん どれだけ着ぶくれても この冷えはなくならないだろう。
   お風呂に長くつかっていても 湯船から出れば すぐに寒さがやってくる。
   湯上りにもかかわらず いつお風呂に入ったの? と言いたいくらいの冷えを感じる。

   この冷えの感覚は 歳毎に強くなるような気がする。
   これも 年々体調が悪くなっている証拠なのかもしれない。
   
   本格的な寒さがやってくるのは まだまだ先だというのに この始末・・・。
   これからの季節が 思い遣られる・・・。
   
   

  こんなはずではなかった。
  それまで 私なりに落ち着いた生活パターンで暮らせていたのに
夏が終わる頃から 絶えずなにかがあって 家にいて静かに本に向かったりできないし
気にかけているIさんへの連絡さえ取れないでいる。
  原因を考えると 夏の旅でちょっと無理をしたせいで 体調が元に戻らないことだ。
  その次は 腱鞘炎の手術の後 親指が麻痺していて絶えず気持ちが悪いから。
  物を取り落としたり 力が入らなかったりして 気分がその度に沈んでしまう。
  この二つがあるのに 九月からというもの 家族内の行事が次々にあって
それらを 心身の元気がないまま 外見をごまかしながら暮らしている。
その度に 気持ちのおもりが次第に重さを増していくのがわかる。
  正直 自分さえも ごまかしている と思う。

  そうわかっていても 行事はやってくる。
  来月の初めには 娘の子の七五三のお祝いに 東京へ行かなければならない。
  一月前には 列車の切符が発売になるのだが 今回はまだ買ってなかった。
  それで 今日の午後 やっと重い腰と気持ちを揚げて 駅へ行ってきた。

  家族間の行事は お祝い事ばかりだから もっと晴れやかな気持ちで
迎えなくては。 喜ぶ家族の顔を想い浮かべて なんとか心持ちをプラスに向けようと
努力してみなければ・・・とは思うのだが それがなかなか 私には難しい。

  元々 家の中ばかりで生活しているから 気持ちを解放する術がない。
  こんな時 せめて車の運転だけでもできれば 行きたい場所へ外出できるのだが
それさえも 禁止されてしまっているから 今の私には夢の中の話だ。
どうやったら 気持ちを前向きにできるのか・・・。
  このままだと 鬱になってしまいそう・・・。

  まあ 気持ちに無理をして動いているうちに いつかはこんなことも自然に解消して
いくのだろう と想ってはいるのだが・・・。
     

 台風が過ぎ去った今日は 毎月している歯科医院で 噛み合わせとマウスピースの
点検の予約が入っていた。
  かかりつけの内科医院も隣なので 最近テレビで知らせている 肺炎球菌の
予防接種ついて 相談したくてかかった。
  インフルエンザの予防接種についても 予約日を決めたかったし。

  診察の順番がきて その旨話すと 肺炎球菌の予防接種の年齢の基準が
四月からと決められていて 対象年齢を外れている と言われてしまった。
  まさかそんなこととは知らなかった。
  該当者には市からのお知らせがあるらしい。 道理でそんなものは来ていない。
  それでも 特定疾患もあることだし接種したほうがいい との医師の言。
  やっぱり受けたほうがいいんだよね・・・。
  おそるおそる代金を聞くと 実費だから八千円 と言われる。
  たか~~い!! すごい出費!!でも仕方がない。 受けておいたほうが安心 と
も言われてしまった。そこまで言われては 止めます とは言えない。
  お願いします と伝えて 受ける日の予約をした。
  インフルエンザのほうは その一週間後に と予約した。

  予防接種代だけで 一万円にもなる!
  でも 万一罹っても軽く済むらしいから・・・。
  それに 生来喘息があるからそちらも心配だ。悪化しないようにせねばならないし。

  予防接種代がこんなに高くては もっと低所得の老人は受けられない。
  国の施策は 本当に矛盾している とつくづく思う。
  老人世代の医療費負担がかさむ というなら せめて予防接種ぐらいは無料で
受けさせてほしい。
  そうすれば 実際にインフルエンザで病院へかかる老人も減るだろうから
実質的に 医療費の支出も抑えられるのではないか。

  八つ当たり半分で そんなことを想いながら帰宅したのだった。

  

  
  

 台風が来る前にと 次男は帰って行った。
 これからは 行き来が車だから 家からいろいろ持たせてあげられる。
 お米 缶詰 野菜 コヒー 持たせようと買い置きした食品等々 いくらでも車に積める。
 若いころは 要らない と言って持ち帰らなかったが 彼も年をとったか と想う。

 今度の台風は まともにぶつかってくる様子が窺える。
 昼間の間に 家中の雨戸を閉め 物干しも竿を外して わざと倒しておいた。
 花鉢も玄関に入れたり 風が当たらないように避難させてある。

 先ほど 市の防災無線で 避難準備情報が流れた。
 断水に備えて 飲み水を汲み置きした。
 停電に備えての 懐中電灯やろうそくも何本か テーブルの上にまとめて準備した。
 
 あと何を準備したらいいだろう。
 実際に避難しなければならなくなったら 非常持ち出しのバッグやリュックがある。
 先日 内容を点検したばかりだから 持ち出すだけでいい。
 あとは 貴重品だが まさかそこまでは準備しなくてもいいだろう。

 夜中にこの地方に最接近して 朝にはすぎていく との予報だ。
 災害など出ないよう 無事に通り過ぎていきますように・・・。

  近年 長男のところの孫へのプレゼントは 誕生日もクリスマスも 図書カード
と 決まっている。
  上の孫も小学校の中学年の頃から 本人と息子夫婦との話し合いで そうなっている。
だから 今回弟へも当然 そうなった。
  じじばばからは図書カード 両親からは物で が しばらくは続くだろう。

  ところが 現在販売されている図書カードは 図柄が 通常 無地のもの以外には
ルノワールの絵のものとピーターラビットの絵のものしかない。
  だから 小学生の男の子に向いた図柄がないのだ。
  いつも もっと子供が欲しそうな絵柄のカードがあればいいのに と思いながら
  しかたがないから ピーターラビットのを購入している。
  ところが今回 本屋でいつものようにピーターラビットのカードを買って支払い
包装してもらっていると 偶然 カウンターの向こうの 販売用のカードを収納してある
引出しの中が こちらから見えた。
  いつもと違った封筒が入っているのが見えたから 店員にそのことを聞いてみた。
すると 限定のカードで残り二枚がある という返事。じゃあどんなのか見せて と
包装を中途で止めて見せてもらった。店員は嫌そうな素振りだったが 取り出してきた。
  見ると これならピーターラビットのより喜びそうだ。
  二枚だけでも とピーターラビットのと合わせて購入し直し包装もし直してもらった。

  誕生会の時 それを孫に渡すと 孫は大興奮!
  これが欲しかったの!!と大喜びした。
  嫁も これが出ていることは知っていたがどの書店も売り切れで入手できなかった 
と どこの書店にあったんですか とビックリした様子。
  そんなこととは知らずに こっちの方が余計に喜ぶだろうくらいに想っていたのが
思わぬ喜び様に 戸惑うくらいだ。
  あの時 嫌そうな店員に遠慮せず そっちのを見せて と言ってよかった。

  こんなに喜ぶのだから 販売する側も もっと絵柄や図柄を増やせばいいのに
どうして増やさないのだろう。 孫だけじゃないだろうに 欲しがるのは。

  というわけで 今年の図書カードは 贈る側も 想わぬ嬉しいものになった。


  

 今日は 孫の誕生会。
  栗入りの赤飯を炊いて 重箱二段に詰めて プレゼントと一緒に持って行く。
  今日は 次男の新車の納入日。 おめでたが重なった。と思ったら
上の孫が 剣道の昇級試験で初段に一発合格。おまけにある団体の作文コンクール
に入賞したとの通知がきて これらのたくさんのお祝いを一度にすることになった。
  上の孫にも 少額のカードを用意していたのが 役だった。よかった。
  嬉しそうに報告するのに なんにもなしでは可哀想。お祝いの気持だけでも。
  そのうえ次男が 購入した車種を模したケーキを 車やさんにプレゼントされたから
誕生日のケーキと二つのケーキで祝うことになった。 口福の方も二重で幸せ倍増。
 テーブルの上がとても賑やかになった。

 孫たちが成長するにつれて なかなか時間のやりくりが難しくなってきた。
 今日は 午前中に上の孫が部活があるということで 三時のケーキからのスタート
になった。
 夕方まで 遊んだり 車になんやかや付属のものを取り付けたり。
 長男は機械に強く 車に後付けする機器は すべて自分で取り付けてしまう。
 だから 次男も新車を入手したらその足で オートバックスへ行き 付けたい機器を
買って来て 長男がそれを付けてくれた。
  長男は幼いころから細かい仕事が大好きで 根気に細かい部品を組み立て
難しいプラモデルもあッという間に作りあげていた。
  長じても ますますその性格は強くなったようで 他なら車屋でやってもらう作業も
機器だけ買ってきて なにやら図面を見ながらやってしまう。
  おかげで 夫も次男も取り付け料なしで 気軽に頼めるから助かっている。

  その後は 孫のリクエストで 値段がちょっと高めの回転寿司へ。
  一つのブースに七人が押すな押すなで座った。
  通路を挟んで二か所に別れたらいい と提案したが その狭さがいいのだ と
孫たちが 楽しそうに言うから テーブルを中に四人三人に分かれて向かい合った。
  注文の機器の傍に座った長男は みんなの注文を受け付けるのに大忙し。
  十歳になった孫は 一人で十一皿食べてびっくり!大きくなった。
  さすがに七人ともなると 積み重なっていくお皿のスピードも数も 半端ではない。
  瞬く間に山のようにお皿が積み重なっていく。
  でも ものは回転寿司だから 支払う会計の金額はしれたもの。
  みんなお腹いっぱいになって長男宅へと帰った。

  この車種がいい と決めて 手元にきた新車だから 次男は嬉しそう。
  なんにでもこだわるところは 我が家の気質なのか どの子も孫たちも同じだ。
  付けたい機器もお兄ちゃんに付けてもらい 満足げで機嫌もいいから
姪や甥とも 気長に遊びにつき合っていた。

  明日は 台風が近づいているというので 早めに帰ると言う。
  車に乗れば乗ったで 交通事故が心配だ。
  これからは 事故なく日々の仕事の行き来が出来ますように・・・。

  

   

  長く美容院へ行っていなかった。
  腱鞘炎の手術やその後の諸々があったり 痺れがあったりで 身綺麗にしていようと
なかなか思えなくて 一日伸ばしにしてきた。
  もうこれ以上我慢が出来ないくらい 酷い状態になってきて 気持ちが向かないのを
無理やり立てて予約し ようやく今日行ってきた。

  行けば行ったで さっぱりもするし気持ちも晴れる。
  もう三十年以上になるつきあいの美容院だから 気ごころも知れているし 
家族のことも お互いに知っている。
  経営者のご夫婦の郷里が 私のそれと近いこともあって 単にお客とお店だけでない
お付き合いを 続けてきた。

  今日行ったら 長く寝たきりだった 奥さんのお母さんが 先月半ばに亡くなっていた。
わたしの亡母が 同じように長く患っていたから 彼女の心中も察することができたし
彼女も同じ想いをしているから 行くたびに なにかと愚痴やら心情やらを話してくれた。
  亡くなった後のこと 葬儀でのこと その後のこと しみじみと話した。
  特に お母さんが寝たきりになってしまったのには お父さんが深く関わってみえたから
お兄さんと彼女に 息を引き取られたお母さんに すまなかったと言って泣かれたとか・・・
お父さんの心情 彼女たちの思いは察するに余りあって 涙が流れた。

  夫婦の在り様 親子の在り様  人様々だが 想いもしない災難が降りかかった時に
どう動くか どう生きていくか それは それまでどう生きて来たかにかかっている。
  しなくてもいい苦労なら 苦労なんてしなくていい。
そうも思うが なにか事が起こった時には それまでの経験や体験がものをいう。

  彼女のお父さんは お母さんの事故以来 誰も真似できないくらい 手厚い看護を
一日も休まず続けてこられた。
  丈夫な体だったが 心の重荷もあってか 今は車椅子を使ってみえる。
  そうなっても 毎日車で病院へ行き 枕元に詰めてみえた。
  そんなお父さんの姿を見て 彼女の心も変わってきたようだった。
  だから お父さんの言葉は さぞかし堪えただろう。

  家族に様々な想いを残して お母さんは逝かれた・・・。
  ご冥福をお祈りする。

  

 七日に電話の工事をして 今日テレビとネットの工事の予定だった。
 足やら腰やら痛くて重い物が持てないし おまけに近頃は右手の親指に感覚が
ないから 家の中のあちこちが いつも以上に散らかり放題の状態になっている。
 だから まず家中の片づけをして テレビやネットの差込口の周りを空けて
工事がしやすいようにする 事前の大仕事があった。
 休み休みしながら なんとか片づけて掃除し 工事の人が来るのを待った。

 今回は 事前の電話通りの時間に玄関チャイムが鳴った。
 電話工事の時は クレーンの先に作業する人を乗せるカゴ状のものが取り付けてある
特殊作業車が来たから 今度もそうだろうと想っていたら 訪れた人はたった一人。
それも 普通車に乗ってやってきた。
 屋内の作業予定のコンセントや場所を確認した後 何年か前に増築した際に
将来を考えて光ファイバーの取り込み口を付けてあったので その場所を確認した。
 この場所については 有線からの乗り換えに営業で来た人にも 電話工事の際にも
しっかり示して 話してあった。 

 今日工事に来た人は 高い所にあるんですねえ・・・今日はハシゴを持って来ていない
んですよねえ・・・ と言う。ハシゴがないと作業ができない と言う。
 それでも せっかく来たんだから 屋内から作業ができる場所がないか探してみる 
そう言って どこか二階に屋根裏へ上がれる場所はないか 聞いてきた。
 あるにはある。二階の和室の天袋の天井板が一枚外れるようになっている。
なってはいるが・・・物がいっぱい入っているのだ。それを全部出さないことには
屋根裏へは上がれないのだ。
 困ったことになった・・・と思いながらも 仕方がない 椅子に登って少しずつ物を出して
上がれるようにした。痛いのを我慢しながら。
 懐中電灯を持って天井板を外して屋根裏へ入り しばらく見ていたが
 やっぱり 無理ですねえ~ 中からはできませんわ~  と言いながら出てきた。

 なによお~ これだけするのに私がどんな思いしながらしたと想ってるのォ~
 また痛いのに片づけなきゃいけないなんてえ~
 内心 腹が立ってくる。
 
 おまけに階下へ降りてくると 新しく取り付けた電話の場所からテレビの線を持って
いくのには 内付けで室内の上の方に線を這わせていかなければならない と言う。
 そんなこと 営業の人が見た時も言わなかったし 電話の工事に来た人も 
この場所へ電話を移すと テレビの線をそうする必要が出てくる なんて
一言も 説明受けてないよ!!

 工事に来るのに ハシゴの一つも準備してこないなんて!! と思ったところへ
天井裏へ上がるのに 物を出したり戻したり大変な思いをした後での この一言!!
そして改めて工事の日にちを決めて後にまた来る と言い残して帰って行った。
 腹が立つが仕方がない・・・。

 それにしても いったいNTTって どうなってるの!!??
 工事の日にちが違ったって 互いに打ち合わせしてないの!!??
 大きな家でもあるまいに 我が家の配線がどうなっているか位 
どうやって工事するか位 打ち合わせておきなさいよ!!

 帰宅した夫に事の顛末を報告すると 夫はあちこちへ苦情の電話を入れた。
 我が家へ来た三人の 工事の仕方への思いが統一されていないことが判明する。
 
 せっかく朝から 今日だと思って用事も入れないで待っていたのに 空振りだった。
 気持ちも空振り。腹立たしささだけがいつまでも残って・・・。
 まったく もう~~!!
 

  午前中に 娘から イギリスから帰って来た と連絡があった。
  十日ほどの短期の滞在だったが それなりに楽しい滞在だったと言った。
  花嫁花婿との記念写真や おもちゃ屋の中で嬉しそうに遊ぶ孫の写真も送ってきた。

  彼らは バカンスであれ用事であれ 躊躇せずに海外へ出かけられる。
  海外だけでなく国内でも 行きたい行こうと思い立った時に 金額の制限がないから
すぐ予約して出かけて行く。
  上には上があるのだろうが それなりに経済の心配なしになんでもできる生活を
娘が送っている姿を見られるのは 母親として ありがたいと思う。

  私は 生まれてこのかた そんな生活をしたことがないから 娘の話を聞いても
フ~ンそうなの とただ返事をするだけで 羨ましいと思う気持ちも湧いてこない。
  これは 長男も次男も同じだとみえて 家族が集まっても だれもお金のことや
生活の仕方について等 こだわらない。
  娘自身も 鼻にかけることもないし 暮らしぶりを話題にすることもない。
  まあ 当然といえば当然のことだ。 なんといっても三人は私が育てたのだから。
公務員の薄給で 毎日毎日の生活がカツカツの中で 三人の子を育てたのだから。
  どんな生活をしようが その土台は同じだ。
  堅実で無駄遣いしない家計のやりくりは ベースは違っても基本は同じ。
  それよりも 家族みんなが仲良くできる。 私が一番嬉しいと思えることだ。

  娘が海外にいる時は 私の携帯が鳴る回数が極端に少ない。
それが帰国するとたん 日に何度もメールや電話がある。
  今日も 早速何度も写真を添付したメールが送られてきた。
 
  こんな他愛ない毎日を送れる生活を 幸せ と呼ぶのだろうと想う。

  今夜は皆既月食。
  夕方早い時刻からの皆既月食は なかなか見られない と知って楽しみにしていた。
  日中は暑いくらいの気候でよく晴れていたから この分なら今夜は確実に観られる。
そう思っていた。
  ところが 夕方近くなると 次第に空には雲が・・・
  月食が始まる頃には 月が昇る辺りは すっかり雲で覆われてしまったではないか。
  それでも諦められなくて 夕食を終えて外へ出てみた。やっぱり東の空は灰色一色。
その後ろに かすかにオレンジがかった明かりがさしている。
  多分 あそこにつきがあるのだろう・・・。

  テレビでは 今半分かくれた と報道しているのにその影さえ見られない。
  悔しくて また外へ。 アッもしかしてあの薄雲が動いたら・・・と 夫と二人で
東の空をにらんでいると 薄くかかった雲の間から 半分欠けた白い月が現れた。
束の間 ほんの数秒だったが とりあえずは半月になった月を眺めることができた。

  私たちが眺めていると お向かいの下の男の子が出てきた。
  斜め前のおじいちゃん宅へ行くようだ。 月を眺めている私たちに気付くと
   おかあさ~ん お月様がでてるよ~ 半分になってるのがわかるよ~
 と玄関の外から呼ぶと 雲がかかってて見れるわけないでしょう と返事が。
   ちゃんと見られるよ 出てるよ~ 見てみて~
 その声に お母さんだ出てくる気配が。 ところが お母さんが玄関の外へ出てきた時
 またしても灰色の雲が半月を隠してしまった。
   早く出てこないから また隠れてしまったよ~
 男の子は そう言い残して おじいちゃんちへ走って行った。
 奥さんは 私たちに気付くと 複雑な表情をしてまた家の中へ入っていった。

大人は 興味がないと なかなかさッと動かない。だから せっかくの子供の興味や
好奇心の芽をつぶしてしまったりする。
 むつかしいことだ。

 何度も根気よく外へ出ていた夫が
  お~い 今また出てるぞ~
と呼ぶ。 出てみると 丸い月がほの赤く見える。位置がさっきよりかなり高い。
 小さいが 確かに見えた。 しばし二人佇んで眺める。 また隠れるまで・・・。

 かすかにだが ちょっとの間でも見られたから 月のように半分の満足で
よしとするか・・・


 
  

 我が家は テレビ パソコン 電話が有線で一つになっている。
  それをNTTの光ファイバーに変える と夫が言い出して 今日一時に工事に来ると
以前から決まっていた。
  今日は 大学病院へ行く日。受診後に図書館へ寄ったりする時間がない。
  それどころか 点滴 痛み止めの注射をした後に会計窓口を終える時間が
その日その日で違ってくるから 大急ぎでの帰宅になってしまう予感が。
  案の定 ギリギリの時間になった。仕方なく病院から直にタクシーで帰宅。
  大慌てで 帰宅したにもかかわらず 電話があったのは二時前。
  なんだ こんなことなら 慌ててタクシーで帰ることなかったのに・・・
  内心では なによ!と思いながらも怒ったところでどうしようもない。

  これから向かう と電話が入るまでにしたことは
  お昼ご飯を食べる。夕飯のお米をとぐ。
今朝できなかったから 洗濯機を回す。その間に家中の窓を開けて風を入れる。
  工事のために 辺りを片づけて掃除をする。
  洗濯が終わった後 洗濯物を干す。
  
  ようやく工事の人が来た。
  この工事に二時間もかかってしまった。

  工事の人たちが帰った後は 昨日と今日 来月の積立している会の旅のために
列車の切符を 当番の人と一緒に買いに行く用事が入っている。
  ジパング手帳を使えるメンバーが三人いるが 私は当人確認が必要な手帳のために
一緒に行かなければならない。 
  大急ぎで洗濯物を室内へ入れ 開け放ってある家中の窓を閉める。
  工事が終わったら当番へ電話することになっていたから その旨を連絡する。
  駅の駐車場へ車を入れて みどりの窓口へ。帰りの予定列車の切符を購入。
  体調が悪くなりませんように と心で祈りながら・・・。

  帰宅途中に 薬局へ寄ってもらい 大学病院で処方された薬を受け取る。

  家へ送ってもらったら もう六時を回っていたが仕方がない。
  私の帰宅を待っていた夫と 整形外科へリハビリに。
  案外空いていてありがたかったが それでも 帰宅したら七時半過ぎていた。

  それから 晩御飯の準備にかかる。
  夫はお腹を空かせているから 短時間で準備できるお肉と三種類の野菜の炒め物と
たたききゅうりにたこと茹でもやしを混ぜてピリ辛和えにした物。それに買い置きの
ニラ饅頭と これも作り置きの赤ダツの甘酢漬け。どれも簡単だけど野菜をたっぷり。
  ご飯だけは予約しておいたから 炊き上がっている。

  ところが 食べるころには もう疲れてしまっていて 箸があまり進まない。
  夫は今日も中休み。 途中で子供のようにウツラウツラ。
  さっさと自分の分だけ片づけて ヤレヤレだ。

  こんなに時間に追われていろいろやった日なんて 一年のうち今日だけだろう。
  でも 予定していたことは無事に全部終了できた。 よかった よかった。
  しかし 午前中にせっかく痛み止めの注射してきたのに 腰に痛みが・・・。

  

 今日は夫が代休日だった。
 昨日映画館へ行った時 帰りに 蜩の記のほかに どんな映画が上映されているか
スケジュールをみると 同じ時代劇で 柘榴坂の仇討ち が上映中だった。
 蜩の記は マスコミで大々的に宣伝していたから 知名度も高かったが
この 柘榴坂の仇討ち は影に隠れて 前宣伝も知名度もなかったので 知らなかった。
 簡単なストーリーのダイジェストを読んで この作品もおもしろそうだなあ と夫が言う。
 明日代休だから また明日これを観にくるかあ と珍しく乗り気だった。
 映画大好きな私は しめた! と内心でガッツポーズ。
 というわけで 午後は今日も映画鑑賞。

 桜田門外の変が起きた朝 大老のお籠の傍で警護の役に就いていながら 
大老を守りきれず 警護に就いていた家来のなかで 主人公だけが 生き延びてしまう。
 両親は自害するも 主人公は切腹も許されず  暗殺に加わった水戸浪士の首をとれ
と命ぜられる。
 時がながれ明治と変わってもなお 暗殺者を探し続ける主人公と それを支える妻。
 十三年が経った時 たった一人になってしまっている 存命の浪士を見つけ出すが
仇と想う彼もまた 変の朝から心が時間が止まったまま生きて来た と知る。
その姿を目にして 主人公の気持ちが変わっていく・・・。
 仇と想って探し続けてきた相手に 今日からは 留まった場所から一歩歩み出して
生きよ と告げる。
  そして 主人公もまた 妻とともに 新しい心持ちで生きていく道を選ぶ・・・。

  蜩・・・も柘榴・・・も 十年 十三年という長い年月を 武士として一つの事にかけて
生きるも 片や切腹 片や生きる道 と正反対の結末に描かれていた。
  しかし どちらも愚直に真摯に武士としての矜持を保ち 家族に支えられて己の道を
全うする。
  どちらも ブレない生き方 信念を通す生き方 をよく描いてあった。

  欲を言えば 個人的には 柘榴・・・の登場人物のキャスティングに不満が残った。
  主人公を支え続ける妻の役には もっと適した女優があるのでは と思った。
 
  
  

 昨日は十三夜の月だったのに 残念ながら台風の影響で全く姿は観られず。
 台風が去った後の今夜は きれいに晴れた空に クッキリと一夜遅れの月が。
 特に何とてしないが そのかわり今夜の月を 存分に愛でる。
 来年のことはわからないから・・・

 

  昨日から公開になった映画 蜩の記 を鑑賞した。
  原作は 大好きな作家の 同名の著作だ。
  小説を離れて 映画として完成度の高い作品だった。
  隅々まで気配りされ どこにもダレたところにない 久しぶりに見ごたえのある
良質な日本の映画 だと思った。

  一日一日を大切に生きる主人公と家族の生き方がきめ細かく描かれていた。
  劇中の人物たちの所作の美しさは 清廉で揺るぎない生き方をする家族の信念の
現れでもあり 俳優たちが実際に小笠原流の家元から直に指導を受けての結果でもある。

  なさねばならない事を成し遂げ 気にかかる家族の行く末までも見届けて後
主人公は 家族に笑顔の最期を見せて刑場へと歩んで行く・・・
その歩み去る後姿で 映画は終わった。

  鑑賞後 あの時ああだったら こうだったら とは観衆に全く想わせない作品は
人としての生き方だけを強く印象に残した。

  劇中で 岡田准一が長刀を振るって太刀の鍛錬をする場面があった。
  彼が 実生活で ずっと武道の鍛錬を続けているというだけあって 見事だった。
  彼だけでなく 登場する全ての俳優が それぞれの役を見事に演じていて
作品の完成度が より高まり 見ごたえがあった。

  日々を大切に覚悟を持って生きるーどこか浮ついた現代の我々日本人への警告
ともとれて 静かだが 内に滾るものの熱い映画だった。     

  娘の子は 今が一番 なんでも吸い取り紙のように吸収する時期にある。
  言葉を覚える速度は 特に物凄い。
  そして 自我が目覚める最初の時期でもある。
  いつもと違った経験も 彼女の成長を促す。
  だから 海外への旅から帰ると 驚くほど心身ともに大きくなっている。
  とはいえ そこはやっぱり幼子のこと。
  語彙が増えても発音はたどたどしいし 単語の中の文字の綴りも間違っていたりする。
  たとえば おてつだい が おつてだい になったり
おるすばん が おするばん になったり。
  このような可愛い言葉遣いが たくさんあって 周囲の者を和ませてくれる。

  このほかに 大人が会話しているのを 何気にしっかり聞いて頭に入れていて
ある時 思いがけない時に それを使って 周りをビックリさせたりもする。

  シュガーハイ という言葉もそうだった と娘から聞いた。
  小さな砂糖菓子をたった一個数日食べたせいで シュガーハイになった
旅での体験が 孫の中に強く印象づけられていたらしく
というより 自分ではなにがなにやらわかるはずのない年齢だから
両親の困惑振りや ショックを受けている様子を見て 幼いなりに
なんだか拙い事になったらしい それが甘いお菓子を食べたせいらしい と
その時の経験が 強く心に焼き付けられたからだろう。

  帰国後ほどなく 近くの神社で祭礼があった。
  子供神輿もあって 二日間のお祭りの間 子供たちが 太綱を引いて
地域を廻る。 その途中 主だった家では子供たちにたくさんのお菓子の袋が用意され
一人一人に手渡してくださる。 神社からも 幾種類ものお菓子が入った大きな袋を
いただける。 帰宅後 どんなお菓子をいただいたのか楽しみながら開けてみるらしい。
ところが 孫は卵や牛乳のアレルギーがあるから 食べられるお菓子が限られる。
それでも 中には これなら大丈夫というお菓子が幾つかある。
 お菓子だから 当然甘い匂いがするし 子供にとっては魅力的だ。
 娘も こんなにいただいてきたのに 何も食べさせないのも・・・と思ったのだろう。
 その中の一つの封を切って ほんの数個与えたらしい。
 孫は 甘いのが口の中いっぱいに広がったのだろう その瞬間の嬉しさを
 「**ちゃん シュガーハイになっちゃったァ~!」
 と 表現したそうだ。

  娘は おかしいやら こんなにも甘いものを口にして喜ぶ姿が可愛いやら
 旅の間に自分たちが話していた事を 聞いて覚えていたことにビックリしたりで
その言葉を よく気持ちを現すのに使えたことだ と 早速 私に電話してきた。

なんとも愛しいエピソードではないか。
  こんなことも こうして記録に残しておけば 孫が大きくなった時に読んで
 そんなことがあったんだ と笑ってくれたら バアバとしては 嬉しい。
 
  この子が大人になるころには きっと私はいないだろう と想うから・・・。
  

  我が家の子供たちは成人したが 夫の仕事がら 運動会はその後も 季節になると
 夫と二人の食卓の話題に のぼってきた。
  夫が退職を迎え これで運動会とは縁がなくなる と思ったが 
再就職先でも 運動会は待っていた。
  それからまた もっと小さな子供たちとの新しい運動会を 毎年迎えてきた。  
  
  今日は 夫が再就職先で迎えた七回目の運動会。
  いつもより二時間近くも早く 夫は出かけて行った。
  準備のためだが それだけではなく 夫は運動会が大好きなのだ。
  体育会系の夫は 体を動かしていないと 生きている気がしないほど 運動が好きだ。
  おまけに 子供が大好きだから 再就職先で交わる幼い子供たちが可愛くて
どれだけ泣いて困らせようが 小さい体で精一杯主張しようとしている姿が
いじらしい と言って笑う。
  運動会でも その日に向けて一生懸命に練習する子供たちの頑張る姿を
孫を見守るような眼差しで見ているらしい。
  実際 子供たちからは 「幼稚園のおじいちゃん」 と呼ばれると言う。

  今日は朝からよく晴れた。
  夫は 先生方と一緒に 運動会を無事終えられるよう 頑張っていることだろう。
  無事に終えて 疲れてはいてもホッとした顔で帰って来るだろう。
  子供たちの可愛い様子を 聞くのが楽しみだ。

 娘夫婦は 毎年一月二月と 夏に長い休みをとって 海外へ出かける。
 行先は 去年と少し違ったが 今年もそうして出かけて行った。

 旅先での滞在が長いから その分滞在先周辺の美味しい物を毎食いただく。
 日本では 孫に卵と牛乳のアレルギーがあるために 普段の食事にも気を遣っている。
 味付けも 塩と砂糖は使わず もっぱら天然だしだけの味だ。
 面倒なこともあって 娘は 孫と一緒に 毎食その食事で済ませている。
 しかし 海外でまで美味しい料理を我慢したくないから と現地の料理を楽しむらしい。
 孫はといえば 相変わらずの 塩味なし甘みなし の食事だしスイーツもなしだ。
 ところが 娘は そのことに後ろめたい想いがする。娘の眼差しが気になる。
 自分たちだけが 美味しいものを食べて 娘には食べさせない・・・
 それで 外出からホテルへ帰る度に ラウンジに常時備えてあるスイーツの中から
ほんの少しだけ ご褒美のようにして 砂糖菓子を与えることにしたらしい。
 本人は こんなに甘いものは 今まで食べたことがないからとても喜んだという。
 幼いながら 甘いものは 美味しいと想ったことだろう。
 
 ところが 何故か 普段はおとなしくて勝手なことをしたりしない孫が
どうしたことか このところ お店に入れば商品に触ったり大きな声をあげたりして
親が困るほど 振る舞い方が奔放になっていた。
 二人は 娘の変わりように わけがわからず戸惑ったようだ。
 こんなことでは 安心してショッピングもできないと困ったし
言い聞かせても 一向に孫のはしゃぎようは納まらなかったらしい。

 そこで 婿と娘は なにか原因があるはず と考えた。 その結果
 孫の行動の原因が ホテルに帰る度に与えた 砂糖菓子にあるんじゃないか
と想った。そしてその後は 砂糖菓子を与えないようにした。
 すると 孫の行動は元に戻り いつものおとなしい子になった という。
 やっぱり あの砂糖菓子が原因だった と まさか砂糖菓子でハイになったなんて
と 驚いた・・・  と帰国後 娘が話してくれた。

 常に甘いものを食べたことがないのに 急に砂糖で固めたような 甘い物が
体に入ったから 神経を刺激されてしまい ハイになってしまったようだ・・・
 と 私は 娘から聞いたこの話を披露したのだった。

 ことほど左様に 味 特に塩味と砂糖味は神経を刺激するのだ と
バァバたちは 驚いたりショックだったり・・・。

 それでも 極端じゃなくても 一般の人が食べているんだから
すこしづつ 味のあるものにも 慣れさせてもいいのにねえ・・・美味しいものが
たくさんあるのに 食べさせないなんて なんだか可哀想よねえ・・・。

 嫁や娘に口出しできないバァバたちは こっそり言い合ったことだった。
                             

 今日は書道の稽古日 先生のお宅へ伺うと いつも一緒のYさんは
急な用ができてお休みだとか。
 今日は月初で 課題を清書して提出するまで まだまだ何回か稽古日がある。
 いつもそうなのだが 気持ちにゆとりがあるから ついつい話に花が咲いて
肝心の筆が進まない。

 東京のお孫さんは もうたくさんお話ができるようになられたでしょう
と 先生ご自身も 我が家の孫娘と あまり月齢の違わないお孫さんがあるので
話を向けてくださった。
 そして 明日からまた来るんですよ と嬉しそうにおっしゃる。そして
 この前 うちに来た時に 息子と嫁は 孫を私と夫に任せて 出掛けたんですけどね・・・
と 話し始められた。

 娘のところもなのだが 先生の息子さんご夫婦も お子さんの食事に
随分気を遣っていらっしゃる。
 なんでも薄味で 甘い砂糖を使った物は 一切食べさせていない。
 料理の味付けは もっぱら天然のだしだけである。

 預かってお守りをしているうちに お孫さんのお腹が空いて機嫌が悪くなってきた。
 早く食べさせようと 軽くおにぎりを と思って 買って準備してあった天然だしの
袋を破いて おにぎりにまぶしてのりを巻いて 食べさせたそうだ。
 ところが そのおにぎりを食べさせた後 いつもは物静かなお孫さんが 
どうしたことか 急にゲラゲラケタケタとわけもなく笑ったり騒いだり
それまでとは まったく違った行動をとるようになり 同じ子とは思えないほどの
変わりように ご主人と二人 ビックリしてしまった と話された。

 なんで急にそうなってしまったのか わからないでいたが 帰られるころには 
また元の物静かな様子に戻ったから みんなホッとした。 とおっしゃる。
 それで 息子さんたちが帰られた後 なんで突然あんなふうになったのか 
先生宅で過ごされたうちの事を 頭の中でさらってみられたそう。そして
お守りをしていた後にああなったことに気付かれて 預かっているうちに何をしたか
考えてみると おにぎりを食べた後 急にハイになったことに気づかれたそうな。
 そこで もしやと おにぎりを作ったときに味付けに使った だしの粉末を舐めてみた。
 驚いたことに 天然とうたってあるにもかかわらず とても塩辛かったらしい。
 まさか天然だしが それほど濃い塩味とは思わずに 食べさせてしまった。
  毎日 塩気の薄い味に慣れた小さな体に いきなり強い塩味が入ったものだから
体がビックリして 神経を刺激したのではないか・・・
 日々体に入る味が変わると こんなにも影響が出るなんてねえ・・・
と 驚かれた体験を話してくださった。

 私も 孫が 同じような経験を砂糖でした と 娘から聞いた話を披露した。

         ②のシュガーハイ へ続く