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  I さんの紹介の 家庭治療術に使う特殊な椅子を 夫が手作りしてくれた。
  見本になる椅子は 先だって見せてもらったから それによく似たように
夫に説明して 作ってもらった。
  基本は ホームセンターなどで売っている お風呂の座椅子。
  その真ん中に直径十五センチほどの穴を開ける。
  その穴を開けるのが 家庭工具では難しい。

  夫は コンクリートブロックのカッターを使ったらしい。
  以前ブロック塀をカットするのに必要で 私の知らないうちに工具を買っていたらしい。
  出来上がった椅子を見ると 切り取った輪の内側を ひっかかりがないように
きれいに内側に落として 座った時にお尻に当たらないようにしてあった。

  作って と 頼んだ時には 面倒くさげで嫌そうに 私の注文を聞いていたのに
ちゃんと細かいところまで考えてくれていたのが 嬉しかった。

  そして今夜 テレビを視ながら早速試してみた。
  完璧!!快適!!
  ありがとう~!!
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  今日は一日のほとんどをベッドの中で過ごした。
  昨日までの疲れが出て 夫が出勤した後も ずっとベッドの中で
本を読んだり 知らない間に眠っていたりを繰り返した。
  目覚めていようと思っても 知らず知らずに寝てしまっていた。
  それでもまだ寝足りない と体が言っている。

  昨日今日と 夕方リハビリに行った。
  長い間 行っていなかったから 腰や両足がガチガチになってしまっている。
  数日通っても この状態は良くならない と 悲しいかな 長年の経験からわかる。

  まあ しばらくは仕方がないから 寝たり起きたりを繰り返すしかないだろう。
  幸いなことに 明日は土曜日。夫の勤めが休み。
  明日も今日と同じように過ごすしかない。

  先週大慌てで東京から帰宅。次の日 かかりつけ医で診察を受けたら
精密検査が必要となり その場で大学病院の科を予約してくださって受診。                              MRIの検査をすることになった。
  そして今日。その検査を受けた。MRI検査は以前にも受けたことがあるが
今回はなんだか 不安だった。
  疲れが溜まっていたし かなり前から手足の先に痺れを感じていた。そしてなにより
自分でも 発する言葉が明瞭でないような気がしていたからだった。
  実際 そのころ電話で話した友人が ちょっといつもと違う と感じていたくらいだ。

  それで今日はドキドキだった。
  検査後 診察室で医師が画像を見ながら 結果を説明された。
  その結果 過去にも現在も 血管も含めて 全く異常なし ということだった。
  ただ やはり 過労からも様々な症状が出るから まずは疲労を取ること
と 言われた。

  本当によかった。
  娘にも息子たちにも 検査を受けることは話さなかった。
  余計な心配をかけないで よかった。

  いち早く駆けつけて 施術してくださった I さん。
  本当にありがとうございました。お騒がせしましたが お陰様で異常なしでした。
  ご心配をおかけした U 先生には メールで結果をお知らせしました。
  何事もなくてよかった との返信をいただきました。

  今回のことを教訓に 無理をしないでいこう と思っています。

  あ~あ~!ホントによかったわ~~。
   

  今日は孫の三歳児検診。
  娘じゃないとわからないことがあるから 今日はどうしても娘が連れて行かなければ。
  私は 万が一のためと 荷物持ちと孫の手を引く係り。

  区役所の中に設けられている検診場所へバスで向かう。バスに五分も乗れば区役所。
  いつも通る度に思うのだが 区役所の古いこと古いこと。
  外観も古いが内部もまた古かった。
  一昔もふた昔も前の事務所 の感。デスクもカウンターも何もかもが えッと驚くほど。
  
  田舎の役所は 職員の住まう地域に親類縁者 近親者が網の目のように住んでいる。
  だから 役所を立て替えて立派にする計画を立てても予算を組んでも 苦情が出ない。
  ところが 大きい都市は 市民の目が厳しい。
  渋谷区も ここまで古くなれば立て替えもやむを得ない と
誰の目にも はっきり認識できるまでは なかなか区民の了承を得られないらしい。
  それでも近年 さすがに建て替えの話が出てきたようだ。
  私が住む街ならば もう三十年も四十年も前に新しくなっているだろう。

  さてさて 孫はタイミングよく昨日歯科へ行ったばかりだから 歯科検診は問題なし。
  身長体重もそのバランスも問題なし。
  ただ 娘が言うには 孫は気が散る性分らしく 集中できないらしい。
  また 臆病だから 恥ずかしがりで 受け答えの声が小さい。
  各種検診は全く問題なく済んで 次のステップの相談だったり検査だったりは
一切なくて 一安心。

  大勢の同年同月生まれの子供の中には 相談室 検査室へと進む子もいた。
  なにか 問題があったのだろう。

  三歳になると 性格もまちまちだ。
  言葉の発達が早い子遅い子 言うことをきく子きかない子 など それぞれで
荷物を持ちながら周囲の親子を見ていると とても興味深かった。
  三歳なのに もう生意気だったり皮肉れていたりで 可愛げのない子もいる。

  マンションへ帰り 娘が何もしなくてもいいように 食事の準備をしながら
洗濯機を二回まわして干す。
  朝出かける前に 一回洗濯して乾燥するようにしておいたから まず干せた物を
はずしてたたんで。
  すべてやり終えたら三時を過ぎていた。
  大急ぎでバスに乗り渋谷駅へ行き山手線で品川へ。
  名古屋へ着いたのが六時過ぎ。

  明日は自分の検査日。
  今夜は早く休もう。
   

  三歳になった孫は 総合的な心身の検診を受ける。
  今日は 歯科の検診。 明日は保健所へ出向いて 同年同月生まれの子供たちと
一緒に 身長体重を初め 様々な検診を受ける。
  
  孫は 生まれて初めての歯医者さん。
  歩いて十分もしない 駅前の歯科に予約を入れてあったので 予約時間の二時に
間に合うように 孫を連れて出かけた。

  娘は 自分もかかったことのない歯科医院だし 孫にとっても生まれて初めて
歯科に行く というので 本当は自分が連れて行きたいのだが仕方がない。
  今日は いつにも増して とても体調が悪いから 連れて行くのをあきらめた。
  そこで 私が一人で連れて行くことになった。

  ビルの二階三階のフロアーに その歯医者さんはあった。
  治療室は それとはわからないような リラックスできるようにデザインされていた。

  まず歯科衛生士が予め口中を検診した。
  なにせ なにもかもが初めての事だから 怖がりの孫は大丈夫かと心配だったが
さすが 歯科衛生士は子供の扱いに馴れている。

  診察台に靴を脱いで座るところから始まった。
  子供の気持ちを緊張させないように 言葉かけしながら 椅子を揚げ
背もたれを倒していく。
  口の中へ器具を入れるのも 何でもない事のように想わせながら。
  孫も 優しい言葉かけと 衛生士のやんわりとした雰囲気につられて 
小さな口を精一杯開けて 歯の状態や歯茎 歯列 噛み合わせなどを診てもらった。
  甘いものを食べさせていないし 食事にもほとんど砂糖を使わないから 虫歯なし。
  その他のことも まったく問題なく フッ素を塗布してもらって お終い。
  お利口にできたから と 風船を犬の形にしたものをいただいて ごきげん。

  こうして 初めての歯医者さんが終わって また 来た道を帰った。
  次は 三か月後に 検診とフッ素塗布。
  娘の容態によって予約してからになるが 娘が連れて行くのは無理だろうと思う。
  婿かヘルパーか・・・どちらもダメなら またその頃 来ることになりそうだ。

  無事に済んだ歯科検診だったが 孫はそれなりに緊張したらしく
夕食も早めにし お風呂も手早く済ませてベッドへ。
  いつもより 早く寝入ったようだ。

  明日は 午前中早い時間から 三歳児検診に保健所へ行く。
  愚図らないで 出掛けられるといいのだが・・・。

  昨日の疲れがまだ残っていて 特に孫は 朝起き抜けから ダラダラだ。
  大人でも 常でない場に一日中身を置いて 疲れが出たのだから
幼い孫にとっては 初めての正装の席。 おまけに 披露宴では ウエデイングドレスの
花嫁を先導して歩く という大役まで担っての式だったから その緊張たるや さぞかし
だっただろう。
  それに加えて 余興で獅子舞があって 獅子頭に頭をかまれるハプニングまであった。
  人一倍怖がりの孫は 顔を引き攣らせて 泣こうにも声も出ない有様だったから
その恐怖心の名残も かなりある。

  娘の体調を心配したが 神殿での式への参列は失礼し 披露宴に間に合うように
会場へ来たから それがよかったのだろう。
  夜間に病院へ走るような事態には ならなかった。やれやれだ。
  それでも やはり今日は思わしくない様子で一日が過ぎた。

  私は 昨日着た着物関係の衣類と孫の衣類を洗濯して干した。
  あまり食事する気が湧かないから ちゃんと支度して食べたのは夕食だけになった。
  朝もお昼も あるもので済ましてしまった。

  夕方 孫を連れだして郵便局へ行き 帰りは遠回りして散歩しながら帰った。
  少しは体こなしになったか と想ったが あまり効き目もなく
夕食の後のお風呂も グズグズだった。やっぱりヤレヤレだ。

  明日は歯科検診。
  孫の体調が 回復しているといいが。
      

  マンションの近くの美容院で 私 孫 娘の順で髪を整えてもらい
タクシーで 式場の椿山荘へ。

  美容院へ行く前に 着物は 早朝から着た。
  今回私が締めた帯は 祖母から母へ 母から私へと譲られたものだった。
  明治の丸帯を作り直した帯は さすがに一目見て いいものだとわかる帯だ。
  祝いの席に締める帯だから 使用頻度も少なくて 擦れや汚れもない。

  昔 この帯を母が締めたところは 一度しか見たことがなかったが
帯のいわれは いつの頃からか 母から聞かされていた。
今回 母の孫にあたる甥の結婚式だから この帯を締めて出れば 母も一緒に
孫の晴れ姿を見られる・・・そんな想いもあって この帯を選んだ。
  
  あの幼かった甥が お嫁さんを見つけ結婚する・・・なんだか不思議な気持ちがした。
  おとなしい子だとばかり思っていたが とてもひょうきんで 沢山の友人に囲まれていた。
  友達は生涯の財産だから これからも彼らの助けを借りながら 力強く生きてほしい。
  ポーラのデザイナー室にいる甥は これまでそこそこ受賞したりしてきたから
将来も頑張って 好きな道を歩いて行くだろう。

  結婚式の主役はどうしても花嫁さんだから 新郎の親はどちらかというと お飾りだ。
  弟と義妹は 披露宴の間 出席者に挨拶して回ったほかは ただ自分たちのテーブルで
口数もすくなく静かに座っていた。
  ここまで息子を育てるのに どれだけの心血を注いできたことか・・・
どれだけの苦労があったことか・・・。
  育てた親でなくてはわからない 弟と義妹だけが分かり合える 無言の言葉
を 二人で交わしているように想えた。

  こうした親の想いを繋げて 人間は幾世代も生きてきた。
  甥とお嫁さんも遠からず親になる。 その時初めて どれだけの愛情に包まれて
育ってきたか 実感するのだろう。

  高砂の席に並んで座る 甥と花嫁さんを見ながら 今日締める帯に込められた
自分に繋がる先祖の想いを どうか彼らも受け継いでいってほしい・・・。
  そんなことを考えながら 座っていた。
































































































































































































































































































































  明日は 夫と共に 明後日の甥の結婚式に出席するために 東京へ行く。
  長男と次男は 当日日帰りの予定だ。
  
  式には 私は和服で出席するから 午前中 長襦袢に半衿をかけ 留袖や帯 バッグ
草履 その他の必要な小物を 忘れもののないようにまとめた。
  夫は明後日帰宅するが 私は残って 水曜日に帰って来る予定だから
それまでの着替えやら薬やらも しっかり持って行く。
  夕方発送できるように すべての荷作りを終えた。

  そうしておいて 午後は予約しておいた美容院へ。
  髪を染め 毛先だけ切りそろえてもらった。
  式当日の朝 娘の住まいに近い美容院で セットしてもらうことになっている。
  着物は娘も私も自分で着るが 髪だけは美容院で整えないと。

  夫の帰りの車に迎えに来てもらい 一緒に帰宅。
  その後 荷物を宅配会社の営業所へ持って行き その足で二人ともリハビリへ。
  夫も私も 久しぶりのリハビリだった。

  夕食後は 夫の荷作り。
  式服と小物 下着の替え等をそれぞれバッグに入れ 終了。
  男性は 和服でない限り支度も簡単だから 楽だ。
  
  親族の結婚式は 久しぶりだ。弟と会うのも 久しぶり。
  明後日は 天候もいいようだから ありがたい。

  明日は朝早く 家を出る。
  しっかり戸締りして 出掛ける。

 今日は大学病院受診日。
 体調はイマイチでも いつものように夫の車に便乗して 朝早く家を出て病院へ行けた。

 こうして定期的に通院するということは けして健康ではないからだが
それでも 通院は生活のリズムの中に入ってしまっているから 私には当然欠かせない。
 だから 体調が悪化したりして 通常の生活リズムが乱れると 通院もできなくなるから
今日のように いつもと変わらず大学病院へ行くこと 行けることはとても大切なのだ。

 それに 大学病院を受診した後には 必ず図書館へ寄る。これもリズムのひとつだ。
 病院通いという 心滅入る事の後にある 最高のお楽しみだ。

 今日も前回借りた本を返却し 新たにまた借りてきた。
 時間をかけて 借りたい本を書架から探す時間は 私には至福の時だ。
 一度に十冊借りるから 時間もかかる。でもこの時間が幸せなのだ。
 とても些細で小さな幸せ感だが 隔週の図書館通いも大切な生活リズムのひとつだ。

 身の丈に合った生活のリズムが乱れない。乱さないようにする。
 今回体調を崩してみて 改めてそのことの大切さと そうできるありがたさを感じた。
 

 

  昨日は 自分でもちょっと・・・と不安になるくらい体調が悪かったから
夕方 また点滴をしてもらいに医院へ。
  そして 夕飯の後 今の私の体に効くと教えてもらった所を中心に 温めた。
  それに加えて 目の奥の疲れもずっと感じていたので 両目もじっくり温めた。
  すると それまでなんだかぼんやりしていた物の見え方が クッキリとして
目の奥までスッキリ。
  こんなに効果があるとは正直想っていなかったから 自分でも信じられないくらいだ。
  その効果は今日も続いている。

  温めに出会わせてくださった Iさんが 私の様子を心配して
忙しいのに 午後家まで来て 温めや もう一つの体調を改善する施術をしてくださった。
  自分ではやりにくい箇所の温めや できない温め方を施していただいたおかげで
体全体が温かくなって 気持ちよくなった。
  体の緊張を解きゆるめることも とても大切 と Iさんの説明でよく理解できた。

  三時間も施してもらったから お帰りになる頃には外気も冷たく 辺りはもう真っ暗に。
  身内のように心配し とんできてくださった Iさん 本当にありがとうございました。
  おかげ様で 明日の病院 希望が持てそうです。
  

  予定では水曜日に 木曜の通院のために 帰宅するはずだった。
  ところが 多分博物館へ行った帰り 寒かったからだろう。
  その夜 喉がいがらっぽくなって体もだるくなってきた。
  これはまずい と想い 蜂蜜をお湯で溶き生姜を入れて飲んだりしたが
朝になっても だるさがとれない。洗濯だけはして干したが 他の事をする気力が出ない。
  仕方がないから 娘にそれを伝え 横になっていた。 
  食事は 昨日作った春巻きや 冷蔵庫にある物で 娘が孫に食べさせた。
  寝ていても いっこうに良くなる気配がないうえに ちょっと熱っぽくもなった。

  ひょっとして風邪を引いたなら 孫や体調の悪い娘にまで移す可能性がある。
  よわった。
  でも ここで容態がこれ以上悪くなると どうしようもなくなってしまう・・・。

  午後まで容態を見て どうしようか いっそ帰宅を早めたほうがいいかも・・・
と 思い切って結論を出し 娘にその旨話すと 娘も承知してくれた。
  婿は孫を連れて外出中 言葉も交わさず帰ることになってしまうが仕方がない。

  明日は一時保育の日。お弁当がいる。かわいそうだが娘が作るよりない。
  午前中は 多少体調がいいから なんとかそれくらいはできるから と娘も言う。
  やっぱり 帰った方がいい。

  そうとなれば たとえだるくても荷作りをしなくては。
  発送するもの手荷物にするもの を分けて 発送するものは段ボール箱に入れ
一階のコンシェルジュデスクへ持って行き 手続きする。

  娘と言葉を交わしタクシーを呼んだ。品川駅まで行く。
  運よく 十分後のひかりがあった。

  夫とは朝から連絡を取り相談していたから 到着駅まで迎えに来てくれた。
  ああ~ 帰ってこられてよかった。途中で何かあったらどうしよう と想っていたが。

  明日の朝 かかりつけ医院で診察を受けよう。
  
  こうして 日曜日 急きょの帰宅が叶ったのだった。

  

  今日は婿が孫の面倒をみる日。
  私が家にいると 孫も私の所へ来るし 彼の出番がなくなるから 出掛けることにした。
  娘には できるだけ動かないで ベッドに入っているように 言い置いたが とはいえ
婿は 食事の世話はしないから 朝食の準備をして 孫と娘が起きて三人で食べた後
昼食のために 大根しめじ豆腐わかめネギ を入れて具だくさんのお味噌汁を作り
白菜を刻んで 作り置いてある肉味噌であえて春巻きの皮で包んだものを 油で揚げた。
そして ご飯を炊いてにぎり 海苔を巻いておにぎりを作った。
  すぐ食べられるように 食器も準備して完了。

  さあ お出かけだ。
  以前から行ってみたかった 深川にある 江戸深川博物館へ行ってみることに。
  バス停が近いからバスで渋谷まで行き 渋谷から地下鉄で白河清澄へ向かう、
  博物館は 白河清澄の地下鉄の駅からほど近い所にある。

  こんなマニアックな博物館へは あまり見学者も来ないのでは と想って行ったが
さにあらず 館内にはたくさんの見学者が。
  案内のお年寄りが数人いらっしゃったが 殆どの人は自由に館内を廻っている。

  今まで 江戸物の小説にはまってからというもの 幾度となく小説に登場してくる
深川の江戸時代の地名や生活道具や建物やらが 復元された街の中で
今も生きているように展示してあった。
  図面が残っていた佐賀町の街並みを忠実に復元した と館内案内人の説明。

  裏長屋の腰高障子を開けると 狭い土間には片隅に小さなかまどや水屋。
  土間の向こうは 六畳もないほどの板敷の間。
  この時代 畳は自分持ちだったから 多少ゆとりのある者は畳を敷いたが
生活が苦しい者はゴザあるいは板敷のままだった。
  表戸の腰高障子も 自分持ちだったから 引っ越す時は戸と畳は持って越した。
  勿論 竈もない長屋がおおかただったから 生活道具は全て中古屋から買った。

  土間の竈も 一口のも二口のもあり それぞれの生活の在り様によって 住まい方は
まちまち。いつの世も お金が仇の暮らしだ。
  たった一間で寝起きし食事もしたから 布団は屏風で囲って部屋の隅に置いてある。
  二間ある長屋もあったが 暮らし向きのいい庶民しか住めなかった。

  江戸の人口は当時百万人。そのうち半数が武家だったし 江戸の土地もほとんどが
武家地だったから 庶民は押入れもない長屋にぎゅうぎゅう詰めで 暮らしていた。

  裕福な層や商家等が押入れや二階のある家に住まい お風呂やトイレも持っていた。
  その他の庶民は井戸もトイレも共同。溜まった汚物は大家が売って収入にした。
  お風呂は銭湯へ行った。 現代の銭湯とは違ってお湯が冷めないよう柘榴口があった。

  深川辺りの井戸水は塩水だったから 共同井戸はあったが庶民は水を買っていた。
  長屋の各戸から出る汚水は長屋の間の溝へ流れた。上に はめ板が渡してあったが
その板が腐っていたりして 周囲にはその匂いが漂っているような 劣悪な長屋も
多々あったようだ。
 
  暮らしの中の道具も 生活そのままを展示してある。
  長火鉢も 猫板付きの物と そうでないもの。小さな茶箪笥や箪笥。
  土間には唐傘や雨の日に着る蓑や笠などが 下がっている。
  表に面して並ぶ商家は八百屋やツキ米屋。 
  ツキ米屋の様子が小説の中に描かれていることがあるが これからは今まで以上に
想像が出来る。米粒一つも無駄にしない生活の有様が リアルに復元されている。
  船宿の様子も 想っていた以上だった。炊事場は もっと広いと想っていた。
  家自体も もっと大きくて広いと 本からは想像していたが 意外に狭い。

  何時間いても飽きない面白さだった。
  この面白さは 興味のある者にしか理解できないことかもしれない。
  まるで 小説の中に入り込んだかのような気分になれた。
  小説から 生活用品は全て中古屋で買ったことは知っていたが
まさか 腰高障子まで自分持ちとは 今日初めて知って驚いた。

  楽しかった博物館を出ると なんと 風花が・・・。
  もう一施設廻るつもりでいたが この分では帰りを急がなくてはとマンションへ帰った。
  帰れば 早速現実が・・・。

  東京は日本一の大都市で 世界中から物も人も集まっていて 
交通網も張り巡らされて 暮らすには不自由ない ように思える。

  しかし 子育てとなると まったく別物らしい。
  去年の十二月に三歳になった孫を 保育園に入れようとしても 
新たに募集できる人数を持たない保育園さえある。
  住まいの周辺の保育園五六ヶ所のうちで 募集人数が一番多い園で五人か六人だ。
そこへ 三歳になった幼児が殺到する。
  当然 殆どの子が公立私立を問わず入れない。
  それじゃあ 無認可の保育所はどうか というと これまた満杯で入れない。
  例え まぐれのように入れたとしても にわとり小屋かと想うほどに 
空間を年別に 幾つもに仕切った狭い場所に何人もの同年齢の子が ひしめきあった
あまり 保育環境の良くない 保育所だったりする。
  しかし どうしても子供を預けて働かなくてはならない親は 否応なしに 
そんな無認可保育所へでも 目をつむって預けなくてはならない。

  国は 少子化になんとかして歯止めをかけようと 様々に政策を打ち出しているが
根本的に このような現状がある限り 都会の若い人たちは 子供を産んで育てる気には
なれないだろう。
  人口の薄い田舎では考えられない子育ての悩みが この保育事情だ。

  また 出産費用も その前に立ちはだかる大きな問題だろう。
  昔からだが 健康な母親が健康のまま出産する場合 健康保険は適用されない。
補助はあっても 全て実費負担だ。
  また 妊娠中に母体に異常が生じて 検査したり何か手当したり投薬を受けても
それらは 全て実費である。

  出産時 普通分娩では出産できなくて 帝王切開となると 保険が適用される。
  それなら 無理にでも帝王切開にしてもらいたい と想う妊婦がいても無理からぬことで
仕方がないだろう。

  多額の出産費用と保育所や託児所の問題が 根本的な少子化の問題だと思う。
  首相をはじめ閣僚の方々 官僚の方々は 庶民に立ちはだかっている これらの
問題を どこまで我が事として 認識していらっしゃるのだろうか。

  税金だけが上がり 庶民の暮しは一向に良くならない。
  せめて 上がった税金の分だけでも こんなに改善されましたよ と 国民に分かる形で
示してほしい。
  特に どうしたら子供が増えるのか 低所得の者の暮らしがよくなるのか
真剣に考えて 早急に対策を打ち出してほしいと思う。

  日中から準備してあったふろふき大根にさつまあげ それに彩に添えたさやえんどう
それらの一碗に作り置いてある肉味噌をかけたもの 銀鱈の西京焼き ご飯。
  これが夕食の献立だった。
  幼いのに健啖家の孫は それら全てを私と同じ量 食べ終え お茶を飲んでいると
  何を想ったか
    **ちゃんねぇ~ ネギがだいすきなのよ さいきん!
と 言う。
  確かに 肉味噌にはネギがタップリ入っていた。それを嫌とも言わず平らげた。しかし
さいきん ってどういうこと? ネギはずっと前から食べてるのに・・・。
  きっと さいきん を使ってみたかったのだろう と想ったが 意地悪く
    そうなの? さいきんネギが大好きになったの?
と聞き返すと 孫はすまして
     そうなのよォ ネギがだいすきなのよォ さいきん!
と また繰り返して言う。
  よし もう一回 と思って
     さいきんって 昨日からなの?今日からなの?
と聞いてみた。すると
     そうなのよ きょうから さいきんなのよォ
と返ってきた。面白い。

  孫と話していると飽きない。
  それこそ最近飲んでいるお茶は トウモロコシが原料のお茶だ。
  そのお茶を飲んでいるときにも
     このおちゃ おいしいねぇ~ とんぼろこしのおちゃなのよォ~
と言った。とうもろこし が まだうまく言えないから とんぼろこし になる。
  そして その後に
     とんぼろこし まだ きに ひっかかってるかなぁ?
と聞いてきた。
  トウモロコシが なる という言葉をまだ知らないから 自分がしっている語彙で
ひっかかっている と言ったのだった。
     トウモロコシは 今は なってないのよ 
と答えると
     いまは ひっかかってないの? いつひっかかってるの?
と 不思議そうに聞いてきた。

  長年続けてきた人間業の間に 知らず知らず溜まった オリを溶かすには
幼子の無垢な心から発せられる言葉やしぐさほど いいものはない。
  

  今夜のお風呂も うまくいった。
  幼い子は どこで言葉を覚えるのかわからない。
  だから 身近かにいる者の言動は よほど神経を使って注意しなければならない。

  今夜 お風呂に入っているとき つい笑ってしまうような言葉を孫が使った。
  シャンプーしようと 孫の小さな両のてのひらに 液を少しだけ出してあげた。
  すると 孫は
     おきもちだけで けっこうでぇ~す
 と 言う。
  えッ なぁに? お気持ちだけでって。 けっこうでぇす って言ったよねぇ?!
と 使い時を心得たその言葉に ビックリするやらおかしいやらで 吹き出しそうになる。
 本人は いたって真面目に言っているから 笑うわけにもいかず。
 
手に載った液を頭につけて ゴシゴシすると
     もういっかい くださいなぁ
と言うから また液を少しだけ手のひらにあげると やっぱり
     おきもちだけで けっこうでぇす
と言う。私も すまして
     二回もですから お気持ちだけではありませんよゥ たくさんですよゥ
と答えたが 孫には まったく通じず。

 どこでこんな言葉を覚えたのだろう と不思議に思ってお風呂から出た後 娘にきいた。
 娘も 孫がそのフレーズを使うのを聞いたことがなかったから ビックリして笑いながら
多分 孫が娘に何か自分が食べている物をあげようとする時に 娘が孫に                             知らず知らず使っている言葉だから きっとそれを覚えていて
今夜ば~ばに使ってみたんじゃない? と言っていた。

 子供が言葉を覚えていく過程は 実におもしろい。
 大人の心を和ませ 愉快にさせる。
 そういえば 昨日 娘が私に
   **が お母さんが気づかないで話す ~やよ っていう言葉 使ったよ
と笑いながら 言っていた。
 言葉遣いには よほど気を付けているつもりだが 知らず知らずに方言が
出ているらしい。

 明日になったら また違う新しい言葉を使うだろうか。
 こんな小さな出来事も 子育ての楽しみの一つだろう。

  
 

 どうしたら 孫を泣かせずにやんちゃ言わせずに お風呂へ入れられるか
娘とあれこれ考えた。
  夕飯の前に お風呂に入れる。
  最近しなくなっている昼寝をさせて 眠気のさす時間をずらす。
  娘が一緒に入る。 等等 試してみて一番いいと思われる方法でお風呂へ入れよう
ということになった。
  娘が一緒に入る のは彼女に負担がかかるから 最後の方策だ。
  とりあえず 体調やその日の日中の動きによって 臨機応変に試してみることに。  

  さっそく今日は 外出した後に 本人は乗り気でなかったが 娘が一緒に横になって
お昼寝をさせた。
  初めは嫌がったようだったが眠った。 一時間半経っても起きないから起こし
その後 夕飯を済ませて 入浴となった。
  本人は嫌がってしないが 体はやっぱり昼寝を欲していることが よくわかった。
  
  さてさて 問題は入浴だ。
  おっかなびっくりで 一緒に入った。
  しっかり寝ているから眠気に襲われることもなく まったく泣きもせず
やんちゃも言わず 終始機嫌よかった。さすがお昼寝の効果大だ。
  一番楽だったのが シャンプー。
  自分から頭を差し出して 自分もシャンプー液を手に取り頭に。
  いつもなら泣きもやんちゃも最高潮になるシャンプーが なんなくお終い。
  最後に肩まですくんで温まるのも 自分からすくんで
  おまけの おまけの きしゃぽっぽー ポーッといったら あがりましょ~~
と歌っていた。嬉しくなって私も一緒に歌った。

  バスタオルで拭き パジャマを着るまで 拍子抜けするほどスムーズに。
  この前までの悲惨な有様は何だったんだろう・・・と不思議なくらいだ。
  娘も 苦笑しながら ホッとした顔をしていた。

  今日はうまくいったが 明日はどうだろう。
  明日は体操教室だから 朝からお弁当を持って出かけて行く。
  今夜のように また機嫌よく入るだろうか・・・。

  今日 婿と娘はお昼前に食事会に出かけて行った。
  半年も前から予約してあった食事だという。
  デンマークから世界一のシェフを呼んでのその食事会は 一人前七万五千円。
値段を聞いてビックリしたが その食事会には アジア諸国からの客も含めて
六万人の人が 予約に殺到したという。
  それだけを聞いても信じがたいのに 今ではオークションで その予約券に四十万円
もの値段がついているそうな。
  そんな食事会だけに 有名人や女優も見かけた と娘が言っていた。
 
  スタッフ一同を引き連れての一か月の来日で その間デンマークのレストランは
閉じているらしい。
  シェフ自らが日本中をまわって 食材を直接生産者と交渉して入手し調理した という。
  メニューを見たが なるほど日本国内のあちこちから集められた材料が使われていた。
  ところが できる限り食材の持ち味を活かす というシェフの料理に対する哲学から
出された一品一品は 限りなく手間暇はかけられていても きわめてシンプルなもの。
  娘が撮ってきた写真を見ると 日本食のような彩とはかけ離れた料理だった。
  また 自然食材がモットウのシェフだからこその食材で 蟻が使われていた。
  薄塩味の生海老の上に パラパラと振りかけたようにして 蟻がのっていた。

  昨夜 笑いながら三人で もしかしたら蟻や昆虫や蜂の子も出てくるかもね 
でも 蜂は昔から日本では食されてきたから ひどくビックリはしないよね と
私と娘は言い合っていたが 婿はビクビクだった。
  シェフはそれを知ってか 今回の食事には蜂はなかったが やはり蟻があった。
  蟻はちょっと酸味があった というがあまり気になるものでもなかったらしい。

  それにしても 食事の値段には シェフやスタッフの渡航費や滞在費に加えて
食材探しの費用なども含まれてはいるのだろうが 信じられない値段だ。
  挙句 食べさせられるのが蟻!とあっては 飽食の極みだ。
  それとも 国連の機関が奨励する 虫を食べよう に賛同してのことなのだろうか。

  千二百円の定食にも思案する庶民には とうてい考えられない在り様である。

  今日はとても楽だった。

  朝ご飯の準備をして 食洗機の中の物を片づけた。
  食洗機といっても 日本のと違って大きい。日本の大きいサイズの四倍は軽くある。
大鍋からスプーンのような小さな物までなんでも洗える。とても便利だ。

  その後は 昨日今日は主に婿が孫の面倒を見る日だから しばらく孫と遊んだ後は
自分の部屋へ引っ込んだ。
  持参した本を読んだりパソコンをなぶっているうちに眠くなってしまった。
  婿が孫を連れて買い物に出かける物音で目が覚めたが また本を読んで過ごした。

  婿が帰宅して 料理に取り掛かったらしい と思ったら孫が部屋へ入ってきて
またひと遊びした。

  もうすぐ出来上がる との声でダイニングへ行くと 今夜はラム肉のローストだという。
切り分けたお肉や ローストしたジャガイモ オレンジで香り付けしローストした人参
芽キャベツといんげんの茹でたもの 等を銘々のお皿に取り分けてくれる。
  別に作ったソースとお肉の臭みを消すソースをかけて食べた。
  どれも美味しい。
  孫は 私と同じくらいに取ってもらったお肉も野菜も ペロッと平らげる。
毎度のことながら 凄い食欲には驚かされる。

  いつもなら 夕食の後私がお風呂へ入れるのだが 今夜は婿が入れる という。
  昨夜の有様をみて 自分から言い出した。
  さっそく婿がお風呂へ連れて行ったが 彼は一緒には湯船に浸からないし
石鹸で洗ったりしない。シャンプーもしない。
  でも 娘に言わせると 毎晩入るから一晩くらい洗わなくても大丈夫。それより
助かるわ ありがとう と言ったほうが 彼も気持ちよくやってくれるからいい らしい。
  おだててやる気を出させる作戦らしい。
  私も 彼が在宅の夜は 彼に孫の入浴を任せてゆっくり食後を過ごしたいから
それはいいと 笑いながら娘の話を聞いた。
  その通り 今夜は久しぶりにNHKの番組を視ることができた。

  明日は 日中娘が夫婦で出かける予定だ。
  話題のランチに 半年も前から予約してあるらしい。
  私と孫は おにぎりでも持って公園へ行くつもりだ。
  夜は なにかデリバリーをとるらしいから 明日も楽ができそうだ。

  今日 新国立劇場の建物内へ 初めて入った。
   建物の中に有名なベルギーパン屋さんがあるというので 娘と孫と三人で出掛けた。
   昨夜帰宅が遅かった婿は まだお休み中。

   建物内は 広くて明るくて とてもきれいだ。
   人影はまばら。平日はお勤めの男女で賑わうのだろうか。
   お目当てのお店へ入り それぞれが食べたい品とパンを注文。
   待っている間にお店から孫へ色紙や色鉛筆が。子供連れも案外利用するのかも。

   パンは特別美味しいとは思わなかったが 都内に数か所あるお店は いつも行列
ができるほど人気のお店だという。
   でも 新国立劇場内のこのお店は お客もまばらで 穴場的な存在かもしれない と
娘が言っていた。
   新国立劇場そのものも静かだし広いし 子供連れにはなおのこと 穴場かもしれない。
   
   帰りはゆっくり歩いて帰った。
   意外に娘たちの住む場所から近い。
   初台の 山手通りから一本入った道を歩いた。
   孫は 楽しげに鼻歌を歌いながら機嫌よく帰ったきた。

  夕食の後 いつものように一緒に孫とお風呂に入った。
  しかし 今夜はちょっと違った。
  シャンプーで泣き出すのは変わらなかったが お風呂から出てパジャマを着せていると
泣いて困らせる最大の原因は 孫が一人で寝たくない からだと分かった。
  母親が寝入るまで一緒にベッドに入っていてはくれるが 目覚めるといつも一人なのが
嫌なのだ。孫はダデイーとマミーのベッドで一緒に眠りたいらしい。
  泣きながらべそをかきながらの孫から ようやく聞き出したことだ。

  おまけに 孫はもっと私に訴えて なんとかしてもらいたかったのだろう。
  いつもはそんなことはしないのに 母親と一緒に寝始めたが 途中で
お茶が飲みたい と私の部屋まで起きてきた。
  ダイニングへ連れて行って お茶を飲ませた。
  孫は 私が差し出したお茶を 一口飲むと 涙声で 私に訴えた。
  **ちゃんねぇ ダデイーとマミーのベッドで寝たいの
  **ちゃんのベッドは嫌なの・・・。

  これには参った・・・。
  なるほど・・・彼女は甘い私に訴えて 私から母親に言ってほしいんだなぁ~・・・
と 孫の 必死に考えた末の言葉とわかっても そうなの ? とは答えられない。

  仕方がないから 部屋の前まで孫を連れて行った。
  案の定 部屋の中からは 孫を呼ぶ娘の声が・・・。
  びっくりしたのは それでもなお 孫は私に同じことを・・・。

  仕方がないから 心を鬼にして また明日遊ぼうね と言ってドアを閉めたのだった。

  三歳になると 自分の想いを遂げるのに こんな策を採れるんだ と感心したり
彼女の気持ちを考えると やるせなかったり・・・。
  それにしても 孫の心身の成長の早さには 驚かされる。

  今日は今年初めての 大学病院受診日だった。
  開診を待ちかねていた患者で 病院はいっぱいだった。
  私は早い時間から行って 受付が始まるのを待つ。その時点では患者の多さは
分からない。
  番号が呼ばれて 診察 点滴 痛み止めのトリガー を終えて 会計のカウンターへ
降りて行くと 診療を終えて会計を待っている患者が見えてくる。
そして 実際の自分の会計番号札を手にすると もっと患者の多さが認識できる。
  今日は 会計の札を取った時点で 私の前に待っている患者の数 五十人以上。
  いつもより診療に時間がかかったうえに そこからまたまた待たなければならない。
  会計が終わると 十二時を過ぎていた。

  私は家から病院までの距離が近いからいいが 遠方から通って来る患者もいる。
  まだ暗いうちから自宅を出 暗くなる頃に帰宅する。それでも患者はやって来る。
  少しでもよくなりたくて・・・。

  かかりつけの近所の医院には医院の役割があるから 医師や看護士とも親しくなる。
  大学病院は大学病院で 通って来る患者の想いを受け止めて 医師も看護士も
職員も動く。
  長く続く病院通いの中で つくづくそれぞれのありがたみを実感している。

  今年も医院 大学病院 共にお世話になる生活が始まった。
  今年は 痛みがもっともっと軽くなりますように・・・。

 今日は一日寝て過ごした。
 明日からはまた病院通いが始まり 明後日には東京へ行かなくてはならない。
 病院はともかく 東京では娘が 来てくれるのを待ちかねている様子。
 今まであまり親に頼らず なんでも自分で解決してきた子だけに 今回の様子は
頼りなげにうつる。
 平生はなんでもなくても 子供からヘルプのサインが出ている時には
側にいて助けてあげたい。
 今がその時だと感じるから 夫も一人暮らしの不自由さを我慢して出してくれる。
 留守にするうちの家の事も気になるが 今第一に考えるのは娘の体調だから と
後ろ髪を振り切って出かける。

 明日 出がけに送れるように荷物の準備も済ませた。
 ここにきて ようやく私の新しい年が始まったようだ。
 

  今日は I さんに連れて行っていただいて 去年から I さんを介して
お話を伺っていた U 先生にお会いした。
  体を温めて冷えから守り 痛みや不調を緩和ケアする という家庭療法の療術師
であられる。
  去年のうちに 何度か I さんに試していただいた時に とても気持ちがよかった。
  リハビリ時にする温湿布の温かみを それまで全く感じなかったのが その後には
感じることができたから 自分でも その施術のよさを実感した。

  その施術が まず家庭療法である点 簡単な道具を使ってただ温めるだけ という
難しい理屈でなく 体が本来欲している温かさで体をケアする点に魅かれた。
  医者も薬も大切。それを助ける自然治癒力を高めるためのケアという先生のお話は
しっくり心に入り込んだ。

  心地よさを実感しながら体をケアでき しかも経済的に負担なくできるのがいい。
  いままでもいろいろ これがいいよ と友人や知り合いから奨められたり
業者からは極めて高額な商品の勧誘もあったが 今まで気持ちが動かなかった。
  私の体を案じて奨めてくれることだから 勿論ありがたいとは思ったのだが。

  この施術法は 自分だけでなく家族の体をケアできるのもいい。
  家族みんなが健康で過ごせたら こんな幸せなことはない。
  さあ 今夜から まずは夫に。
  先生は やってあげる でなく やらせていただく という気持ちが大切
と おっしゃった。
  数日後 また一人になる夫が 私がいない間できるだけ健康で過ごせるように
体を温めてもらおう。

  I さん いいご縁をありがとう。
  また今年も 今まで以上にお世話になりそうですがどうぞよろしくお願いしますね。

  遅めの朝食にお雑煮を食して 次男は自分のアパートへと帰って行った。
  いいオジサンなのに 親にとってはいつまでも末っ子だから彼のことが様々に気になる。
  その思いは夫も同じで 言わなくてもいいことに世話を焼くから鬱陶しがられてしまう。
  今月下旬には弟の子の結婚式があるから 式に出席する服装など細かな世話を焼いて
車を見送った。

  彼のためには 今年も元気で仕事に励み一人での身の世過ぎができますように と
初詣の寺社で願って来た。
  次男だけでなく 夫や子供たちとその連れ合い 孫たち・・・と
それぞれの今年の安寧を願うと 手を合わせている時間もそれなりにかかる。
  それでも やっぱり年の初めには一人一人の名前を挙げて願って来る。
  自分の年齢からすると 逆に彼らの方から親の健康を気遣われているのだろうが
親とはおかしなものである。

  昔 亡き母親が その年齢にならないと理解できないことがある・・・ と
何かの折に口にしたが 今 ようやくあの時の母親の気持ちがわかるようになった。
  そうか・・・あの時母はこんな気持ちだったのか・・・と。

  早くに倒れてしまった母だったから さぞかし体が動いたら と思っていたに違いない。
  腰や足の痛みと折り合いをつけながらも 家族のために 今年も動ける範囲で動いて
手助けしていこう・・・年の初めに改めて想う。
  孫たちを可愛がってくれた亡母の分まで・・・。

 正月二日に 長男家族とお宮詣りお寺詣りをするのが 年の初めの行事になっている。
 今年は 雪が舞う寒い初詣になったが それでもみんな一緒に健康でお詣りができた。
 今年は 長男が厄年とあって 彼は家族と共に 神殿で御祈祷を受けた。
私は 目的のお守りを求め 別に願い事を記して 絵馬を奉納した。
   
 お決まりの記念写真を皆で撮った後は 参道に並ぶたくさんの屋台店をのぞく。
 それぞれが食べたい物を買い それを皆で立ち食いする。
 新年早々行儀が悪いが 孫だけでなく大人も小腹が空いている時間帯だから
銘々が持つ袋に手を出して 分け合って食べる。
 そんな時に知り合いに会ったりすると ちょっと気恥ずかしい。
 それでも 孫たちや息子夫婦と一緒だから こちらは厚顔である。

 神社の後にはお寺へ詣でる。
 このお寺は我が家の願いをよく聞き届けてくださる ありがたいお寺で 
初詣は欠かせない。
 今年は例年にも増して聞き届けてもらいたいことがあって 神社でもお寺でも
真剣に手を合わせた。

 そうした後は我が家へ戻り 皆でおめでとうの乾杯だ。
 孫や息子は 元旦には 料理上手の嫁が作ったお節を食しているから 
今年のメインは焼き肉にした。
 いいお肉をお腹いっぱい食べさせてあげたいから 早朝に夫とお肉専門店へ行き
求めてきておいたのだった。

 皆でワイワイ賑やかに食した後 息子と嫁は帰って行った。
 いままでなら そのまま家族が泊まっていくのだが 今年は犬がいる。
 犬を 我が家の次男坊 と呼ぶくらい大事に飼っているから 犬だけに留守番させるのが
心配だし可哀想らしい。
 それで 孫二人がお泊り になった。
 二人とも大きくなったから 自分のことは自分でするし手間がかからない。
 下の孫は夫と 上の孫は私と それぞれ一緒にお風呂に入った。
 一緒に湯船に浸かっての会話は楽しい。大きくなった成長した と感じる時でもある。

 お昼近くに息子夫婦が戻ってお昼ご飯を共にし しばらくゲームなどを楽しんだ後
みんなで帰って行った。

 あれほど賑やかだった家の中が 急に静まり返ったようになる。
 椅子やテーブルの上など 片づけなくてはならないが
 夫と私は 長年の呼吸で言葉を交わさなくても 互いにすることがわかっている。
 黙々と自分の領分の片づけを済ませたあとには 二人の生活が戻って来る。
 次男は朝から友人と出かけているが 彼も明日にはアパートへ帰って行くだろう。

 また今年も 夫と私だけの 静かで落ち着いた暮らしが始まろうとしている。
が 今年はそうも悠長に構えてはいられない事情がある。
 神仏に願った事がかなう様 精々やるべきことをやらなくては。
 
   
 

   年が変わった。
   去年あった不幸なことも嫌なことも 日付が変わり年が変わると共に
すべて過去に流れ去り 真っ白のキャンバスのような新しい日の階が用意された。
   今年こそは特大の希望玉が持てるようにと願おう。個人にとっても社会にとっても。

   還暦が過ぎ一年一年迎える毎に なにごとも目新しさを覚えなくなっている。
   それでも年を越して新瑞の年を迎えると 心も明るくなり新鮮な気持ちになる。
   たった一日が過ぎた ただそれだけのことなのに 不思議だ。

ようやく動けるようになった二十九日の午後からは 生ける花を買い求めたり
買い物に出かけたりと 毎年の歳末のように慌ただしく過ごした。
 
   私の体調不良だけでなく 年末には夫が風邪をひき込んでしまったから
毎年 年末に山から大きな松の枝を切って来て キラキラの玉や縁起物の絵柄の短冊等
をその枝に吊るす松飾りは 残念なことに今年はなしだ。

   これは飛騨地方に古くから伝わる年迎えの伝統だ。
   生家も必ず松飾りを吊るして 新年を迎えていた。
   父が切ってきた松に母と弟と一緒に飾り物を吊るした。気ぜわしい歳の暮れのことで                    半ばいやいやだった松飾りだったが 長じて あの時どきを思い出すと 
父の顔 母の声やあの折の会話などがよみがって 無性に懐かしい。

   お正月に松飾りがないのは淋しいからと その代わりに長いしだれ柳の枝に紅白の
小さなお餅を付けた花もちを園芸店で求め いつも松飾りをかざる所から吊るした。
   この花もちも 飛騨のお正月の風物詩だ。
   玄関には縁起物を飾り 寿ぎの絵や色紙も飾り 棚には花も生けたが
この花もちのしだれた枝一つで もっとお正月らしく華やかになったのが嬉しい。

   今住んでいる 夫が生まれた地方には あまり伝統的なものが残っていない。
   残っていないのではなく 単に私が生まれ育った飛騨地方と違っているだけで
その違いが大きいからなのかもしれないが。
   例えば 雑煮だ。この地方のお正月の雑煮は 煮たお餅と 正月菜と呼ぶ小松菜が
入っているだけのものだが 飛騨の雑煮碗は賑やかだ。青菜はもちろんかまぼこや
椎茸 海老や鶏肉などが 一度焼いてから入れたお餅の上に載っている。

   年越しにしてからが違う。
   飛騨では 年越し とは言わない。歳とり という。今もそうだろうか・・・。
   飛騨ではどちらかというと 年とりの方が 正月より卓上の料理が賑わしい。

   お風呂へ入り めいめいが真新しい下着と着物に着替え
順に神棚の前で柏手を打った後 料理がのったお膳に向う。
   飛騨ぶりと呼ばれる 大きな塩ぶりの焼いたものは 飛騨独特の 歳とりには
つきものの大切な一皿だ。これは富山からもたらされる。
   飛騨ぶりを食さない家庭は 大きな煮いかを 一人に一杯ずつ付ける。
   茶わん蒸しや皿盛り 吸い物 刺身酢の物などが 一人ひとりのお膳の上に並ぶ。
   飛騨は山国だが富山が近いから 昔から派手な歳とりになったのかもしれない。

   飛騨の冬は雪が深い。
   それもあってか お正月は大人も子供も楽しむ。
   その一つが 福引や 辻占だ。
   せんべいのような焼き菓子が三角になったお菓子の中に 小さなモノが入っている。
子供の喜ぶおもちゃだったり 財布に入れておくエビス大黒だったり・・・。
   新聞紙を三角にした中に小物が入った福引もあった。
   どれを選ぼうか振ってみて その音で これ! と決めたりしたものだ。
   何が出てくるかワクワクしながら せんべいの三角を割った。
   辻占は ちょっと生姜風味の効いた小さなせんべいを 間に占いを挟んで曲げてある。
お正月のことだから どんな占いが出てくるか楽しむ。
   生家では この福引や辻占が一斗缶で買ってあって 正月の間 何回も楽しんだ。

   また 家族や親せきの者たちと 百人一首や花札も楽しんだ。
   大人にまじってようやく取った札の数が 年とともに増えていくのが嬉しかった。
   百人一首の絵札を使ってする 坊主めくりなる遊びも それはそれで面白かった。
   父方の誰もが花札が好きだったから 当然のように 我が家も深夜まで 家族で
何回も札をひき 勝ち負けに真剣になった。
   そして 互いに冗談を言い合ったり 気のきいたことを言って大笑いしたりした。
   遊びに興じて家族だけで過ごす お正月ならではの楽しいひとときだった。

   父や母は 孫たちも同じようにして正月を過ごさせてくれた。
   夫と私が子供たちや孫たちとともに過ごすお正月に 松飾りや花もちを準備して
むかうのは 心の底に 亡き父母に対する感謝の気持ちがあるからかもしれない。

   我が子たちに両親が願ってくれたように 孫たちがお正月を楽しく迎え
これからの一年を 家族皆が元気で病気などしないで過ごせますように と
心から歳神様に願う 元旦である。