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  昨夜遅くから 娘が耳を痛がり出し どうも昨夜のうちに 鼓膜が破れたらしい。
  今朝早くから 耳鼻科へ行き診察の結果 長く無痛で滲出性中耳炎になっていたのが
鼻をかんだ拍子に急性中耳炎になった と言われ 鼓膜を切開してもらって帰宅した。

  痛みが強いらしく 耳を押さえては痛がっている。
  そうでなくても お腹が痛いし最近は骨盤まで痛み出しているのに 耳のせいで頭も
痛くなっていて 耳の強い痛みとともに 体中痛いとこだらけで 痛みをこらえている姿を
見ると 可哀相になってしまう。

  それでも 子どもは容赦なく 私や父親がいても 母親を頼るから なにかと
動かざるを得ない事も多々あって 一人なら 楽に横になっていられるのに と
思ってしまう。

  ここのところ 会社関係の事務の忙しさや 体調の悪さからあまり寝られずにいたから
疲れが 一番弱い耳にきたのだろう。
  娘は 幼い頃から耳が体の中で一番弱くて 風邪を引いたり熱が出たりすると
すぐに耳へきて 耳鼻科へ通った。
  それが 大人になっても変わらず やはり疲れてもストレスでも 耳へくる。

  一週間後にまた受診するというが しばらくは痛みが続くだろう。
  私は 来週の水曜日には帰らなくてはいけない。
  それまでに どれだけよくなるだろう。
  順調に治っていけばいいが・・・。
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三歳二か月になった孫は 語彙も増え 発音も明瞭になって
大人と不自由なく会話できるようになってきた。
  また よく覚えていて
      ・・・・って言ったよねえ~  とか
      ここ この前 一緒にきたよねえ  などと こちらが忘れていることを
しっかり覚えていたりする、
   大人の会話もよく聞いていて ある時突然 その会話の内容を口にしたりするから
ビックリさせられる。

   言葉が明瞭になると共に 言い間違いや言い損ないも少なくなってきて
言い方がかわいいから と 娘は わざと言い直させたりしないでいる。
   年齢がくれば 自然に直って 正しい物言いになっていくだろうから
今は そのかわいさを慈しみたい そう思っているようだ。

   いまのところ ずっと正しく言えていないのが おてつだい だ。
   孫は それを おつてだい と言う。
     ・・ちゃんが おつてだい してあげるね
     ちょっと おつてだい して
     おつてだい おねがいしまぁす   
   などと なかなか おてつだい が言えない。

   でも 幼いながら 自尊心があるから そう言った後は 笑えない。
本人の目の前で 笑おうものなら たちまち 言葉数が少なくなってしまう。
   なにか まずいことを言ったのだろう と思うらしい。
   
   可愛い声との 他愛ない会話を長くするためにも
できるだけ口をはさまないで 言い間違いを こちらも楽しみたいものだ。
   

   娘婿は 起業して 独自で事業をしている。
   日本語が心もとない彼に代わって 会社を興す時点から 事務的なことは
すべて 娘がやってきた。
   外国人が 日本で起業するには 日本人が同じように起業するより
かなり 煩雑な手続きが必要で 大変らしい。                                                  娘は 以前外資の会社で バックアップ業務をしていたこともあって
彼が起業するのを 大いに助けてきた。

   その会社の事務が 今の時期 とても忙しいらしい。
   自分しか事務処理ができないから 娘は 体調が悪くても 毎日机に向かっている。

   今日は 会社の用事で どうしても出かけなくてはいけなかった。
孫の預け保育が 夕方までなので 私も娘の体が心配で 一緒について 外出した。

   雨の降るなか その方が体が楽だからと 娘は車を運転して行った。
   冬の東京は 葉を落とし黒々とした枝を空へ伸ばす街路樹が 路の両側に連なり
さながら オブジェのようだ。
   雨にけぶる中 林立する霞が関のビル群や国会議事堂を横目で見ながら
娘は車を走らせる。
   あちこちに警邏や警護の警察車両 建物の周辺に佇んでいる警察官。
   これらを見ると ここが日本の中心だと実感する。

   用事を済ませ 出たついでに買う物があり 繁華街へ向かった。
   マスコミで 最近は中国からの買い物客が増えた と報道されているが
なるほど 傘をさして道行く人波の中にも 中国からの人が目立つ。

   デパートへ入っても やたらと大声を出している中国人客が多い。
   彼らは 自分たちがそれほど大きな声で会話しているとは 想っていないようだ。
   食堂街では たくさんの人が 入店の順番を待っていた。
   それなのに 待ち客のために並べられた椅子の上に 幾つもの椅子を占領して
中国の子供が 長々と寝そべって遊んでいた。それも二人が。
   彼らは 他に立って待っている客が気にならないのだろうか。
   
   デパート側も お金を落としてくれる大切なお客だから
多少の行儀の悪さは 目をつぶっている。
   国力が弱くなっている国と国力が強い国の 力関係のようなものさえ感じた。

   必要な買い物が済み 一向に止まない雨の東京を
夥しく行き交う車に混じって 娘は車を走らせ 帰ってきたのだった。
   

   今年の私の誕生日は 慌ただしく過ごしているうちに 自身でも忘れてしまっていた。
   夫も 自分の仕事が優先して すっかり忘れていた。
   友人が 忘れないで お祝いメールを 贈ってくれたし
長男家族が 忘れないでいてくれたから それで 夫も私も 誕生日だと気付いた。
   長男家族は ケーキで祝い 春先からちょうどいい 帽子をプレゼントしてくれた。

   夫は すっかり頭から抜けてしまっていたことを 多少後ろめたく思っていたようで
日曜日の朝 午後には出かける予定があったから その用事の前に食事をしよう と
言い出した。
   そうなの?じゃあ お昼ご飯の準備は要らないのね と答えて その後 出掛けた。

   夫は どこで食事する?とも聞かずに車を運転して着いたお店が うなぎやだった。
   そこは山家の一軒屋風の造りで 家並みからは離れており 屋根はわらぶきで
お店の中も 合掌のような造りになっていて 風情のあるお店だ。
   以前に何回か来たことがあるが なにせ値段が高いから めったに食べられない。
   でも ここのうなぎの焼き加減が 私にはちょうどよくて あそこのは美味しい と
うなぎの話が出る度に 私が言っていたのだった。 

   席に通されて腰を下ろすと 夫が いつも あそこのうなぎが一番おいしい と
言っているから 今日は 誕生日のご馳走だ と 言う。
   そうだったのねェ だから 何も言わずに このお店へ連れてきてくれたのねェ
   今年は 忘れていたから それでおしまい かと思っていた。
   お祝いしてもらわないといけない歳でもないし と 残念だとも 想っていなかった。
   だから 余計に 夫の気持ちが 嬉しかった。

   そうして 一昨日東京へ来た。
   東京では 私の誕生日プレゼントに パジャマを贈ってくれた。
   普段 自分では買わないような品だったから すぐ下ろして着たらいい と
言ってくれるが 貧乏性だし 夫に見せてから と思って まだ着ていない。
   土曜日には みんなで 誕生日のお祝いに どこかへ食事に連れて行って
くれるらしい。

   忘れられていた今年の誕生日だったが 思いがけず
遅ればせながら祝ってもらった。
   ちょっと遅ればせの今年の誕生日。
   同年代の人たちのように 溌剌とした動きが出来ず 病院通いが外出 という
生活の私には このくらいの ゆっくり加減が ちょうどいいのかもしれない。
   ゆっくりでも 私なりの一年を無事に過ごしていきたいものだ。

  今日は 娘が どうしても会社の確定申告に 出掛けて行かねばならなくて
私は 体調の悪い孫と 留守番した。

  孫は 十分私になれているから 娘が家を出る時も 機嫌よく送り出した。
  その後は 私を相手に ままごとの買い物ごっこをしたり 最近興味が増している
携帯電話で 電話をかけたり 母親がいなくても 変わらず遊んだ。

  夕飯を済ませて 寝る前にベッドの中で本を読むのを ばぁばがいい と
私を指名。
  昨夜に続いて 私が寝かしつけか と 本を持って一緒にベッドへ入り 読んだ。

  本は 母親とおやすみを言う時に 今夜は一回だけ読んで寝るのよ と約束していた。
  ところが 一回読み終わると もう一回読んで と言う。
  私も まあもう一回読んでもいいか と 読んだ。
  でも まだ電気を消そうとしない。
  仕方なく請われるままに もう一度読んで もう寝なきゃね と電気を消す段になると
なんと 一緒に寝るのは マミーじゃなきゃ嫌だ と 言い出した。
  こうなったらしょうがない。 娘とバトンタッチしようと リビングへ行き訳を話した。

  そうしたら 娘に叱られてしまった。

  本読みは一回だけ と約束したんだから 一回読み終えたら はいお終い と
さっさと電気を消して 部屋から出てくればいいのよ。約束したんだから 守らなきゃ。

  たしかに・・・たしかに・・・
  約束したことは ちゃんと守らなくちゃいけなかった・・・。
  さっさと済ませて じゃあね と電気を消す そして部屋から出るべきだった・・・。

  ところが そうはいっても ばぁばとしては それが簡単にはいかない。
  なんだか かわいそうな気がして・・・。

  やっぱり かなり甘くなっている と痛感する。
  自分が子育てしていた時には 今の娘より もっと厳しくしつけていたわねェ・・・。

  それなのに この体たらく・・・。
  これじゃあ なめられても仕方がない。

  明日からは ものわかりのいいばぁばは止めて もっと厳しく向かわねば!

  でも・・・できるかなぁ・・・厳しくなんてさぁ・・・。

  今日 また東京へ来た。
  夫も 娘の体が心配だし孫も気になるから やっぱり行ってきたら と勧めた。

  娘は さすがに妊娠も半ばに入り お腹も目立ってきた。
  絶えず貼ってきて 動くのが辛そうだ。益々油断できなくなっている。
  顔色も悪く 肌のつやもなくなっている。

  孫の様子を聞いて 驚いた。
  先週は大変だった どうも風邪が完全に治りきっていないらしくて
あまり食べないし 食べると思えばもどしてしまったりで 体重もずいぶん減ってしまった
と 娘は話すではないか。

  今日は 預け保育の日だったので 孫は 夕方送られて帰って来た。

  その姿を見てビックリした。
  見るからに 顎がとんがって顔が細くなってしまっている。
  そうでなくても細かった足首や手首まで 一回り小さく感じる。
  大きな目が いっそう大きく見えるほど げっそりと痩せてしまっているのだ。
  そして 以前のような元気が見られない。
  病気の子 と 誰しもがわかるくらいだ。

  子供は 体調が壊れると瞬く間に 体重が減ってしまう。
  孫も 風邪が抜けきらないせいで 様々に症状が出ているようだ。

急に 母親に抱っこやおんぶはもちろん 一緒に走ったり遊んだりしてもらえない。
それどころか 母親は 自分のことはそっちのけで いつも横になっている・・・。
   今まで 自分のことを第一に動いてくれていたのに どうしてしまったのか・・・。
  
  孫は 自分が置かれた状況が理解できないから 混乱しとまどっている。
  私は そう感じている。
  感受性の強い子だから 余計にだろう。

  母親に 自分以外に 守るべきものが出来た時
上の子が味わう 淋しさや心もとなさ、戸惑いが こんなにも深くて大きいのだ と
今さらながらに 思い知らされる。
感受性の強い孫は 寄る辺のないような想いでいるのだろう。

  今夜は 一緒にベッドに入り 本を読んで添い寝した。
  ウサチャンを抱いて 私に寄り添って 無心で眠る幼い顔を見ながら

    大丈夫だよ 今だって赤ちゃんが産まれてきたって どんな時でも
    みんな **ちゃんを大切に大切に思っているよ。愛しているんだからね・・・。
    なんにも心配することないからね・・・安心していいのよ・・・。

  私は そう 小さな声で囁きかけた。
  なんども なんども・・・。
  

  

  
  
 

  おもしろいもので 親が好きな物や好きなことは 刷り込みなのか 子も興味を持つ。
  私の場合 母親が 読書好き 絵が好き 花が好き 着物が好き 手仕事が好き
まだ 好きなことやモノはあったが・・・。
  そのうち 自身の嗜好で 読書 絵 花 着物 と 同じように好きになった。
  その私が育てた子らは 各々違ってはいても 絵 花 手仕事 着物 が好きで 
彼らの祖母の好みが しっかり生きている。 

  子供だけでなく孫たちも 好きな物や事など 受け継いでいるものがあるから驚く。
  まだ幼かったり子供だったりして 今後の嗜好は分からないが 
孫たちに 確実に伝わっているものを感じる。

  それなら と 娘に譲った着物を 孫にも着てもらいたいと思い
今日 専門店へ 洗いやシミ抜きに出した。
  上の孫は身長があるから 現状のままでは着られないのだが
  それでも譲りたいと思う気持ちがどこから湧いてくるものなのか 自分でもわからない。
  これは 亡母が作ってくれた着物だという気持ちへの 執着だけなのかもしれない。
  最近の若い人は おはしょりなしで着物を着る というから
そうやってでも 着てくれたら嬉しい。

  まだ終活は考えたくないが 子らと孫に 形見として譲りたい物はある。
  それらの物とは別に 伝えたい物伝えたいことを整理するのも 私の終活なのでは・・・
と 思うようになっている。

  遺伝子だけでなく 伝わっていくもの 伝えていくものがある 譲っていくものがある・・・
そう思うと 終活の意味に温かみが加わるではないか。

  最近 とりとめもなく そんなことを考えている。
  
  

  今日は 私の誕生日。

  でもそれ以上に 今日は 夫が勤める幼稚園の発表会だ。
  誕生日と一緒で こちらも年一回の行事。
  幼稚園と園児にとって 一年間の教育の仕上げと 成長と成果を発表する
とても大切な場だ。

  この日に向けて 園児も先生方も 練習と指導に励んできた。
  父兄も 我が子のステージ上の晴れ姿を楽しみに 祖父母や肉親とともに 
会場へ 足を運ぶ。

  今朝 夫はいつもより早く家を出 幼稚園から会場へと動いた。
  わたしも 毎年 会場へ行き 幼い子供たちが 精一杯踊ったり演じたりする姿を
客席から観るのを 楽しみにしている。

  そしてこの日 私は 園の理事長と園長へ ご挨拶しなくてはならない。
  発表会の終了後 園児や父兄のおおかたが帰った頃合いを 見計らって 
ホールで見送っていらっしゃる園長へ 日頃 夫がお世話になっているお礼を述べる。
  
  普通なら その後は用済みだから 帰るのだろうが 園長へ挨拶をした後は
必ず舞台の袖に座って 発表会の様子を観ていらっしゃる 理事長の所へ誘われる。
  そしてご挨拶の後には 用意してくださるお昼を 理事長と一緒にいただく。
 
  先生方は 後片付けと 午後からの姉妹園の発表会の準備に追われて
食事もそこそこに 慌ただしく動いていらっしゃる。もちろん夫も。
  そんな側で 理事長と私は さも呑気そうにお弁当をいただきながら 様々に話す。
  理事長は それを楽しみに 私を待っていてくださる。

  これには理由がある。
  亡くなった母の実家が 理事長の生家の近くで 理事長と昔話ができるからだ。

  今日も理事長は ご自分の来し方のご苦労なさった時期のことや 私と共通の話題の
生家での 幼い時代 戦争時代 の思い出などを 私の祖母や母の話に絡めながら
よく お話になった。

  ご兄弟それぞれに お付きの姉やがいるような 大家で育った方だが
亡母の実家が貧乏の見本のようだったにもかかわらず 一緒に遊んだ母や母の姉妹のこと
等 よく覚えていてくださって 明治の女の意気地を通した 私の祖母の思い出もまじえて
懐かしげに話してくださる。

  母が生きていたら 理事長との不思議なご縁に驚き さぞかし喜んだことだろう。
  そして 理事長がおっしゃるように 母も生きてお会いしたかっただろう。

  それにしても どこに人と人とのご縁があるか わからない。
  だからこそ 人は 真面目に誠実に 後ろ指指されないように生きなければならない。

  祖母や母 母の姉妹が しっかり生きてくれたからこそ 何十年も経った今
話題になっても 堂々としていられる。
  ありがたいこと と つくづく思う。

  振り返って 私はどうだろう・・・。
  孫たちが大人になって 私を知っている人に巡り合い 私のことが話題にのぼった時
恥ずかしい思いをしないでいられる・・・そんな生き方をしてきているか・・・。

  巡り合った理事長とのご縁を 大切に思いながら いつも そのことを考える。

  昨日は 最近にない 嬉しい日だった。

    嬉しかったことの一つは
    温熱療法の講習会に誘っていただいて 参加できたこと。

    講習会といっても 私の役割は ただベッドの上で 療法を受けることだった。
    それも 先生 I さん K さん のお三方から たっぷり受けることだった。

    頭の先から手足の先まで 文字通り全身の裏表 全てを温めていただいた。
    こんな 心地良い体験は初めてだった。
    施術後は 体の内側から ジワジワと温かさがにじみ出るようだった。

    先生は 後で眠気がきたり だるくなったりするかもしれない と おっしゃったが
帰宅後の私は 逆に体が軽くなったようで よく動けたのには 我ながら驚いた。

    考えるに 長年にわたる多量の薬の使用 それも痛み止めの使用で
私の体は 芯の芯まで冷え切ってしまっているのではないだろうか。
    だから あれほどの温めであっても 吸収こそすれ 有り余るということなど
全くなかったのではないか と思う。

    体を温めて免疫力を高めれば 病や痛みも和らいでくる。
    このことを 改めて実感した 貴重な一日になった。

    親身になって私の体を心配してくださる方々に ただただ ありがとう の言葉を。

    そして もう一つ 昨日はいいことが。
    何日も前から 嫁の都合で 昨日は 二人の孫と息子が
我が家で 夕飯を済ませることになっていた。

    孫たちは 夫が仕事の帰りに 息子の家へ寄って 車に乗せてきた。
    四人で食べた夕飯の後は 上の孫を 夫が塾へ送って行った。
    塾からの帰りは 会社帰りの息子が そのまま迎えに行き 我が家へ来た。
そして 息子も夕飯を食べ 孫たちも一緒に夜食のようにして また食べた。

    今夜は 孫たちにも好評の 鶏めしだったから 多分・・・と見越してたくさん
作ったのは 正解だった。
    日頃は 体重を気にして 食事の量を減らしたりしている上の孫だが
今夜は 本当によく食べてくれた。

    作ったものを 美味しいと言って食べてくれるほど 嬉しいことはない。
    しかし 今夜の 嬉しい は それで終わらなかった。

    息子がケーキを準備して みんなで私の誕生日を祝ってくれたのだ。
    私に気づかれないように そっとロウソクに火をともして テーブルへ運んできた。

    今年の誕生日は 慌ただしく過ごしているうちに 自分でもすっかり忘れていた。
    夫も 今日が 勤め先の幼稚園の発表会 とあって それどころではなかった。
    だから彼も 私の誕生日のことなど 頭から抜けてしまっていた。

    それを 息子や孫たちはしっかり覚えていて ケーキまで用意してくれていた。
    誕生日を覚えていてくれただけでも嬉しいのに ケーキでお祝いしてくれた。
   
    そのことが 私には とても嬉しかった。
    家族として想っていてくれることが ありがたかった。

    多分 今夜はいなかった嫁の陰の力が 息子や孫を動かしてもいるだろう。
    こんな思い遣りが 故障した体で年を取っていくことの不安を 鎮めてくれる。

    昨日は 体も心も 思いっきり温かい 一日になった。
    友人や家族に恵まれて 幸せな人生を歩かせてもらっている としみじみ想う。
   
    今日は誕生日。
    ありがたいという気持ちと 感謝の念を忘れないで
これからの新しい一年の一日一日を過ごしたい と 思っている。

   今夜 何も特別なモノなど食べていないのに 夫に 蕁麻疹が出た。
   私も もちろん 同じモノを食べたが 私には出ない。

   夫は 性格に反して(!)日頃も 肌が弱い。
   それで 入浴後には 必ず全身にクリームを塗っている。
   だから 入浴時間はそんなでもないのに 上がった後の 洗面所を占拠する時間が
極めて 極めて長い。
   入浴するのは 視たいだけテレビを視て その後だから
必然的に 洗面所から出てくるのも 極めて極めて極めて 遅くなってしまう。

   おっと お風呂のことは 置いといてェ と

   蕁麻疹 蕁麻疹。   
   どうして 夫に蕁麻疹が出たのか 原因がわからないでいる。
   とてもかゆがっていたが 時間が経つにしたがって 次第に少し治まってきた。
   緊急で 病院へ駈け込まなくてはいけないか ちょっと心配になるほどだったが
治まってきて お風呂へ入れたから ほッと一安心。

   夫は ごく最近になって サトイモにアレルギー反応が出るようになってきた。
   やはり 食した後 蕁麻疹が出るようになったのだ。
   甘辛く煮つけたサトイモはとても美味しいのに 食卓に並べられなくなってしまった。
   残念だが アレルギーでは 仕方がない。

   それにしても 今夜の蕁麻疹は 何が原因なのか 気にかかる。

   年齢を重ねる毎に 今までは何でもなかったことに 反応が出るようになった。
   取り立てて どこも悪いところがなく いたって健康に見える夫も
確実に年をとってきている証拠だろう。

   今夜の蕁麻疹も そんな想いを実感させてくれた。

   それにしても おんなじものを食べてるのに 私には蕁麻疹が出ない って
夫が言うように やっぱり私の内臓は 鈍感なのかなぁ~。
   夫は
      俺は繊細だからなぁ~。だから敏感に反応するんだ。
と 自慢げに 独り言を言っていた。大きな声で わざと聞こえるように・・・。

   でも 今後は こんなことが 頻繁に起こるようになっては困るから
一度 皮膚科でアレルギー検査をしてもらう必要がありそうだ。
   万が一 命にかかわる事態にならないとも限らないから。

  明日は隔週で通っている 大学病院の受診日。
  多分 いつものように診察 点滴 痛み止めの注射だろう。
  そして 投薬の処方箋をもらう。

  明日も その後に これもいつものように 図書館へ。
  今回は 朝出がけに 車へ寄贈する本を乗せて行く。
  夫が迎えに来てくれる時に それを持ってきてもらい 図書館の係りの人に渡す予定だ。

  書架に並ぶかどうかは図書館次第だが 一応 持って行った本は
全て引き取ってもらえる と 事前に確認してある。
  どの本も 購入時からカバーをして大切に読んだ本だから 汚れはない。
  
  どうせなら 持参する本の全てが書架に並んで 利用者に読んでもらえたら嬉しい。
  自分もまた そうして寄贈本を利用させてもらっているから。

  明日 どんな本と出会えて 借りられるだろう。
  病院通いは 辛いし楽しいものではないが 図書館へ寄れる と想うと
朝早くから病院へ行く憂鬱さが 少し軽くなる。

    
    若い人はいい。
    挑戦して失敗しても それさえも輝いている。
    惜しむらくは 自分が輝いているのを その時に感じられないでいることだ。
    ただ 悩みの渦から抜け出せないでいる そんな心境の中にいる。
    むやみに 若さを浪費しながら生きている若者が多すぎる。

    だから 若さは 若者にはもったいない。
    長く生きてきた経験を持つ人生にこそ 若さは相応しい。

    肉体は衰えていくから どれだけ鍛えようと 寄る年波は正直に現れる。
    若い と言われても そこに真の若さはない。
    しかし そこに若さが加われば それまでできなかったことも できる。
    人生経験を重ねた者ならば 若さを無駄に浪費することもない。
    若さで 上手に経験を活かして生きられる。

    これは私の 夢のまた夢。
    
    同じ年代を生きる人たちは みんな 同じような想いを持ちながら 
  今日も明日も 生きているのか。
取り戻せない心身の若さを惜しみながらも
    精一杯 まだまだ若いのだ と 自他に言い聞かせながら・・・。

    今夜 テレビを視ながら なんだかやさぐれて  想った。

    

  本が好きだから 図書館で借りるのはもちろん それでも読み足りなくて ついつい
書店で紙の本を買ったり 電子書籍を買ったりする。

  電子書籍は パソコンの中に溜まっていくからいいが 書店で求めた紙の本は
いやでも嵩だかに溜まっていく。
  溜まるのが嫌なら 買わなきゃいいのに と 他人には想われるかもしれないが
我慢できるなら とっくにしている。
  読むモノがなくなると とたんに不安になって 心が安定しなくなってしまう。
  それが 怖い。
  手の届く場所に 読むモノがあるのが嬉しいし 安らぐ。

  自分でも そんな状態を 完全に中毒だという自覚はある。
  が だからといって 読むモノがなくなってしまうのを 我慢していることはできない。
  電子書籍も買うが 多くは 紙でないと買えない。
  したがって 紙の本はどんどん増えてしまう。

  それで 最近はその解決策として ある程度の冊数溜まると 古本として売ったり
時には 図書館へ寄贈したりすることにしている。
  そして また新しく買う。 書店で読みたい本を 楽しみながら探して。

  今日も 古本屋へ持ち込むモノ 図書館へ持って行くモノ に分けて整理した。
  ベッドサイドや本棚に またスペースができた。
  やったぁ~!!

  さて 今度は どんな本が並ぶことになるのか・・・。
  と いうより どんな本を買おうかなぁ~ が 本音だなぁ~。
  

  昨日の朝刊のお悔やみ欄で 恩師が亡くなったことを知った。

  小学校の五年六年の二年間 受け持ってもらった先生だった。
  体育が専科の教師で いつも大きなガラガラ声で 上級生に接してみえた。
  私にとって 初めての男性教師の担任だったし それまで 傍から見ていると
とても厳しい先生 という印象があったから 初めのうちは こわごわ席に座っていた。

  行儀悪く足を机の外へ出している男の子などには ポーンとその足を蹴飛ばして
机間巡視するような先生だった。 黒板に向かって板書していても 見られていない
と思って いたずらをしている悪童どもが誰なのか よくわかっていて そんな子には
チビたチョークを 教壇から投げつける そんな先生だった。

  でも することは粗っぽくて乱暴にみえても 心は児童想いの優しい先生だったから
担任の児童も 私だけでなく よくなついた。

  それまで私は 手も挙げられない引っこみ思案の子供だったのが 先生が担任になった
二年間で 劇的に変わった。
  多分 授業中 挙手が少なかったり 消極的な子供が多かったからだろう。
  一日に何回挙手したかよくわかるように 表にして張り出し クラスで競わせた。
  グラフの棒を伸ばしたくて 私もおそるおそる手を挙げた。
  目立たないように当てられないように そッと挙げたはずなのに 先生は目ざとかった。
  すぐに名前を呼ばれ 答えさせられた。
  そして正解だと それを褒めて認めてくださった。

 そのようなことを繰り返すうちに 次第に自信がついていった。
  それまで イジメられて泣いてばかりだった不甲斐ない子が 相手に言い返すようになり
対等に会話し 時によっては 遣り込めるようにまで成長した。
  そうなると 学習面でも飛躍的に伸び 学校が楽しくなった。

  六年の時には 先生と有志の受け持ちの子らと 夏休みにキャンプしたりもした。
  楽しく 本当に有意義な二年間だった。 

  この二年間で身に付けた力と自信が 中学校の三年間もその後の頑張りも支えてくれた。
  先生に受け持ってもらわなかったら 今の私は形成されなかっただろう。

  その恩師が亡くなった・・・。
  今年も年賀状をいただいたのに・・・。

  心から先生のご冥福をお祈りしたい。
  先生 ありがとうございました・・・。

   今日は バレンタインデー。
   午後から 長男宅へ届けに行った。

   想った通り 孫は彼にと選んだチョコを いたく気に入ってくれた。
   そして 箱を開けて中を見ると すぐに
     どれからたべようかなぁ~
  と 言って食べ始めた。
   なにせ モノは小さなチョコだ。
   アッという間に 最後の一かけに。
  
   あらあら もう少し味わって食べてよねぇ~ 安くはないんだからさぁ~
 と 心の中でつぶやきながらも 口には出さず。

   さすがに長男は 箱を開けて中は見たが その場で食べはしない。

   東京の娘から送ってきたチョコも それぞれに渡す。

   上の孫が手作りしたチョコ菓子と 嫁からのチョコを 夫はもらった。
   孫は テスト前だというのに 夜中までかかって作ったらしい。
   そんなことを聞くと 夫は おいそれとは食べられない と笑いながら言っていた。

   家に帰って 娘からのチョコも夫に渡し 二人で食べようと買ってきた箱を開けた。
   なかなか 可愛い大人向けの 和風チョコだ。
   もったいなくて 孫のようにパクパクとは 食べられない。
   まあ 何日かかかって食べて 楽しもう。

   今年のバレンタインデーは こうして済んだ。
   また来年も 孫が喜びそうなのを探して・・・と 頭はすでに 来年へ飛んで行った。

   明日はバレンタインデー。
   いつもならネットで探して贈るのだが 東京にいて 注文しそびれてしまった。
   それで今日 雪が舞うなか 出掛けた。

   デパートへ入って まず目に入ったのが ワゴンの中のハンカチ。
     そうだ! 体重を気にしだした中学生の孫には ハンカチにしよう!
   彼女が喜びそうな色や柄のハンカチを探す。
   あった あった!これならきっと気に入るだろう と思えるのを三枚選んだ。
  
   孫にと選んでいるうちに 
     離れて暮らしている次男にも チョコよりハンカチのほうがいいかも。
  と 思い 彼にも三枚 よさそうなのを選んだ。

   そのうち 東京の孫が幼稚園に通いだしたら きっと必要になるだろう と
彼女にも 可愛いのを。そのうちの一枚は 長男の中学生の孫と お揃いに。
   これらは 彼女の入園時に お祝いと一緒に渡すつもりだ。

   三組を それぞれ判るように ラッピングしてもらった。

   さてさて 直接チョコ売り場へ行くつもりが ハンカチ売り場で
思わぬ時間をとってしまった。

   売り場は前日とあって どのお店のショーケースにも 売り切れの札が目立つ。
   でも ネットで見て いいな と思っていた物を見つけた。これは長男に。
   男の孫にどんなのがいいか 探していると これなら喜ぶだろう と思うのがあった。

   夫には 東京で 以前から欲しがっていたネクタイでいいのがあったから
すでに買って渡してあった。

   ハンカチを買ったから これでバレンタインの買い物は終了 なのだが
チョコのショーケースに囲まれているうちに 夫と一緒に食べるチョコが欲しくなった。
   それで 二人のために 一箱買った。

   明日 長男宅を訪れて 今日買ったものを渡すつもりだ。
   ハンカチにした孫は 喜んでくれるだろうか。
   可愛いパッケージのを 下の孫は気に入ってくれるだろうか。

   娘がまとめて送ってきたチョコレートも 忘れずに持って行って 渡さなければ。
   明日が 楽しみだわ。

  夕方のテレビで ありがとう のメダルを順に渡していく という番組があった。
  感謝の想いをこめて メダルを あ から う へと 順に繋いでいく内容だった。

  夫と 誰に渡したい? とあれこれ言い合っているうちに 夫は
    誰に渡すかなぁ わからんなぁ という。
    あなたは 結婚して最初に 世話になった 校長先生じゃない?
と 私が言うと 夫が ハッと何かを思い出して 突然笑い出した。

  夫は 私が家にいない間 時間つぶしもあって 昔の写真の整理をしたらしい。
  過去 自分の勤めた学校や担任したクラスの子供たちとの 夥しい枚数の写真を
夫は 後生大切に保管している。
  それらを 年代順に取り出してきては整理したのだ という。

  すると 今の自分からみて 信じられないような姿の写真が 目にとまったらしい。
  クラスの全員と撮った記念写真で 卒業アルバムに収められた一枚だった。
  自分でも可笑しかった と話出し わざわざ二階の押入れから持って来て私に見せた。

  そこには 二十六歳の若い夫がいた。
  写真の中の彼の足もとは と見ると 靴下も履かずゴム草履だ。 椅子に座って
クラスの子供たちと 悪びれた様子もなく  胸を張って収まっているではないか。

  そう あの頃の夫は まるで山猿のように 年がら年中靴下も履かず
ゴム草履で ちょっと裾の短いズボンをはいて黒縁のメガネをかけ 校内を闊歩していた。
  校内だけでなく 通勤もゴム草履姿のままだったのだ。
おまけに上は丁シャツ姿だ。 それが当時の彼のスタイルだった。

なのになのに
  その頃の自分の姿を全く忘れていた夫は 写真の中の自分の様子を見てビックリし
可笑しかった。よく校長やPTAがそれを許してくれていたものだ と感謝もし
感激もした。 俺が校長だったら絶対そんな恰好はさせておかなかった とも言った。

  当時 血気盛んだった夫は 勉強は学校だけでいい放課後は遊べ と主張して
担任の子供たち全員に ランドセルを教室に置いて下校させたりした。
  そして自分はというと 素足にゴム草履 という恰好だったのだ。

  そんな夫を 若かった私は 毎日ハラハラしながら学校へ送り出していたものだ。
  だから その当時の事をずっと忘れたことはない。

  校長先生は 若くて一途に子供たちの教育にまい進する夫に 小言の一つも
言いたいのを堪え 周囲から届く苦情からは 自らが盾になって夫を守り
大きな度量と温かい眼差しで夫を見ながら 過ごしていらっしゃったに違いないのだ。
  だから ありがとう のメダルを夫が贈るとすれば 一番に当時の校長先生に 
という言葉が 私から自然に出たのだった。

  ところが 私の言葉に 自分の野放図ともいえる若かった姿が写った写真を思い出し
それが可笑しかった と言って 夫は大笑いしたのだった。
  しかし 校長経験が長かった夫にしてみれば 可笑しいと同時にそれを許してくださり
何もお叱りなく過ごせたのが信じられない という思いもあった。

  この歳まで生きてくると 夫も私も 表で裏で 沢山の人に支えられて今日がある。
  ありがとう を忘れないでこれからを生きないと と改めてしみじみ思う。
  
  それにしても 写真の中の 素足にゴム草履 裾の短いズボン姿の夫の若いことは!
  多分 私も ピチピチの肌で髪もフサフサで 可愛かったんだろうなぁ~・・・。

  
  


















   

   今日夕方 帰って来た。
   
   週に一度の一時保育 三回の保育ママへの預け それに キャンセル待ちしている
一時保育が運よく入れば 残りの日はベビーシッターや婿が 孫の面倒をみるようにする
から なんとか やっていけそう と 娘がいう。
   家事は ヘルパーが週に二回ほど来るから大丈夫だとも言っていたから
何かあれば すぐに連絡をよこしなさいね と言い置いて帰ってきた。

   娘も 父親を一人にしておいて 私に来てもらうのが心苦しいし 心配なのもある。

   私が側にいれば そこは母親だから何でも気楽に頼めるし 私も 微に入り細に入り
気持ちが行き届くように やってあげられる。
   本音を言えば 賃金で雇う人でなく 血のつながった私なら 孫の世話も
安心して任せて 寝ていられるから そのほうが精神的に楽 だろう。
   しかし 私も自分の生活に そろそろ戻りたいし 夫の食生活も気がかりになる。

   だから ある程度のところで 線を引かないと仕方がない。
   そう思って 今日 ひとまず引き上げてきた。

   娘が無事に身二つになるまで 普通の妊婦と違って 医師から絶対安静の指示が
出ている以上 今後も 私の心配は絶えない。
   ちょっと動くと もうお腹に痛みがきて張ってくる。
   体調が悪いながら なんとか動けるのは 朝起き抜けの時だけだ。
   
   しかし 生まれてくるのは 娘と婿の子供だから 二人で乗り切っていくよりない。
   夫と私は こうしたほうがいいんじゃないか と言いたいこともあるが 
要は 二人のこと。 二人がいい と思う方法でやっていくしかないのだ。

   だから 親の私達は ちょっと離れた場所から 見守るしかない。
   無事に生まれてきますように・・・と祈りながら。
   
   
   

   今朝 キャンセル待ちで申し込んであった 孫の一時保育が入って
大慌てで お弁当を作って待たせ 婿が保育園へ送って行った。
   十時から 来月の一時保育の申し込みの受付が始まる というので 娘と二人で
電話をかけ続けた結果 希望の曜日四日分の一時保育がとれた。

   今日はヘルパーが家事に来てくれるので 孫もいないし 私の出番は夕方までない。
   そこで 先月行った深川資料館と入館料が一緒になっていた中川の船番所へ
行ってみることにした。

   中川の船番所も 江戸物の時代小説には 欠かせない場所の一つだ。
   江戸時代 関東一円からの物資の輸送は 概ね川や運河を利用して 江戸へ運ばれた。
   この中川船番所は 物資だけでなく人の出入りにもにらみをきかせ
入り鉄砲に出女 の警戒に当たった。
   物資は 今の千葉方面からの 味噌醤油や酒 近在の野菜などが多かったようだ。

   船番所は 通行する船の一艘一艘を 積荷の種類や数 通行手形の有無など
厳しく検めて記載した。
   後世 徐々に形骸化したらしいが 江戸の頃はまだまだ 船番所は関所としての
大切な役目を担っていた。

   その船番所のあった所に 復元した形で 船着き場が設けられ すぐそばに船番所を
偲ぶ資料館がある。
   三階に 設けられた船番所があり そこからは当時を偲ばせる川の堤がよく見えた。
   堤防だが その辺りだけは 護岸工事をせず 土手のままに保存してあって
川べりには ヨシが茂り 草むらのままになっていて 風情が残っていた。
   もちろん 周囲の風景は変わり 当時の川筋も変わって そこから見えていただろう
江戸湾は 陰も形も見えなくなっていた。
   それでも 資料館や復元された辺りを実際に目にすると 小説の中に描かれていた
船番所や周辺の有様が 字面だけでなく立ち上がって見え 登場する人物が 今にも
そこに出てきて動くような気さえする。

   深川の資料館もそうだったが この中川船番所も 興味のない人には 全く退屈な
場所かもしれない。
   特に船番所は 都内でも端に位置するから わざわざここまで来てみようとするのは
よほど 江戸という時代に興味のある人だけだろう。
   私もその一人にちがいない。

   とても幸せな気分にひたりながら 長い道のりの地下鉄に揺られ 帰ってきた。

   朝 作ったお弁当を持って 孫は婿に連れられて 保育園へ行った。
   私は その後 けっこう気ままに ダラダラと夕方まで過ごした。

   四月からの保育園入園申込みの結果が 昨日届いた。
   孫は 待機 となってしまった。
   入園に際しては 点数制で 点数が多いほど入園の確率が高くなる。
   孫の点数なら 去年は入れたから 娘は期待していたのに ダメだった。
   それで 今日役所へ問合せ 聞いたところ 今年の三歳児の待機は八十名だという。
   去年の待機児童数は十六名だったそうで 役所でも数の多さに驚いているという。
   今年は 娘が聞いていた入園可能な点数より五六点高くても 入れなかったらしい。

   申し込みに際して 通える範囲の六ヶ所の保育園を選んでいたのだが 全てダメで
代官山の保育園なら入れた と言われたが 連れて通うことができないのでは
話にならない。
   
   それにしても待機児童の数に驚いてしまう。
   渋谷区は 都内でもまだいいほうらしい。だから この時期になると
どうしても保育園へ入れたい親は わざわざ他の区から 住民票を移すこともあるらしい。
   しかし そこまでしても 入れない幼児の親はどうするのだろう。
   待機児童のための託児所があるらしいが 当然入れる数は限られてしまう。
   二次募集はあるものの ほんの数人のところへ あぶれた数の児童が殺到する。
   結果は目に見えている というものだ。

   仕方がないから 今まで同様 一時保育を毎月申込み 取れた日だけ通わせ
あとは 保育ママの制度を使って 月に何日か預けるしかない。
   カバーできないところは ベビーシッターを雇う。
   九月になれば インターナショナルの幼稚園へ入れる予定だから 
それまでなんとか つなげればいいが・・・。

   田舎では言葉さえない 待機児童。 ここまで身近かに味わうとは
想ってもみなかった。
   この歳になっても 初めてのことはまだまだあるものだ。

  孫は熱が出なくなって ちょっと体がだるそうだが それでもいつもと変わらない様子で
遊べるようになった。
  一日のおおかたを 昨日戻った父親と過ごして 楽しそうだった。
  私と娘は 足りなくなった食品を買いに スーパーへ。
  買い物をしているうちに 今夜の献立を変更。手巻き寿司に。
  婿が元気なら いつものサンデーローストだが 片手が使えないから 料理できない。

  手巻き寿司なら 材料を調えて 寿司めしを作り 海苔でめいめいが巻くだけだから
いたって簡単。なのに ご馳走のようだから 婿の退院祝いにもなる。

  買い物から帰ると 娘は早速ベッドへ。
  やっぱり ちょっと動くとてきめんに お腹にくる。

  夕飯の後 婿が入れられないから 今夜は私が 孫をお風呂に入れた。
  孫は五日間もお風呂に入っていなかった。
  明日は一時保育の日だから できたら行かせたい。でもお風呂へ入れて また熱が
ぶり返しては なんにもならないから 今夜は手早く入れねばならない。
  果たして うまくいくかどうか・・・。

  一緒に入るのは久しぶりだし また以前のように愚図らないか 心配だった。
 しかも 今夜は頭から全身を洗わねばならない ときている。
 私は 顔では笑っていても内心は・・・。
 ところが 今夜は自分で服を脱ぎ かけ湯をしてやると 自分から湯船へ。
 温まると 嫌がらずにシャンプーし体も洗わせ また湯船へ入った。
 こちらが拍子抜けする。
 また温まると 自分から 出る と言い 嫌がらずに拭かせて パジャマを着る。

 こんなことは 初めてだから 驚いた。
 あまりにもスムーズに事が運んで なんだか肩すかしされたよう。

 子供は心身の成長が早い。
 この変わりようも その過程なのかもしれない。
 そうだと こんな嬉しいことはないのだが・・・。

  木曜日に大学病院へ行った後 その足で東京へ向かった。
  娘は 二月に入ったら いろいろな手配ができるから 来なくても大丈夫だから と
言っていた。
  だから 今度東京へ行くことがあっても 様子を見に行くだけだ と思っていた。
  しかし 月が変わっても 何か気になってしかたがない。
  電話して声を聴いても なんだかひっかかる。
  それで夫も 行ってすることがなくても 様子を見るだけでもいいから 行ってこい と
言い 木曜の診察の後 間に合う新幹線で 東京へ来た。

  来てみてたら あらあら 孫が高熱を出しているではないか。
  昨日の午後からだという。
  その日は 婿が去年の怪我の後の 金具を除く手術のために 朝から入院していた。
  体調が悪い娘は 自分も具合が悪いのに 孫の看護を 一人でしていた。
  飲ませる薬は 以前に処方されていたものを使っていた。

  やっぱり来てみれば こんなことになっていたのか と納得。
  熱さましを飲ませても 薬が切れると また熱が上がってくる。
  食事もあまり摂らないから 先月帰って行った時より 痩せている。

  その夜は そのまま様子をみ 昨日の朝 医者へ連れて行った。
  朝になったら 片方のほっぺが いやに赤くなっていて それも気になったし
熱が繰り返し出るから やっぱり医者にかかった方がいい と娘と相談してのこと。

  もちろん娘は連れて行けないから 孫をベビーカーに乗せて 私が連れて行った。
  かかりつけの医院は 近い。今回時間を計ってみたら 五六分だった。
  保険証や母子手帳などが入った物と 娘が症状をメモしたものを待たせてくれた。

  予約時間に間に合うように行ったが 待つことおよそ一時間。
  大人でも いいかげん嫌になるが 本好きな孫は 家にはない本を何度も何度も
私に読ませて時間をつぶした。
  喉と鼻の奥を検査するのに 柄の長い検査棒を入れられたが 泣かなかった。
  そして 孫のすぐあとに出た言葉が  がんばった!!
   ホント よく頑張ったね。えらかったよ。 と私が言うと
  孫は  シールいただける? と言う。
  その会話を老年の医師が聞いていて
   ごめんね シールは チクンしないとあげられないんだよ とおっしゃる。
  孫は 残念そうに納得。 診察室を出た。
検査の結果 ただの風邪 で 熱さえ下がればまた元気になる とのこと。

  薬局で薬をもらい また全身をミノムシのようにくるんで ベビーカーに乗せて帰宅。
  帰宅後 娘への第一声
    **ちゃん がんばったの でもシールはなしなのよ チクンしなかったから
  シールはもらいたいものの 注射するのはちょっと・・・という孫なりの複雑な心境だ。

  昨夜も熱は出たが 今朝は微熱程度に下がっていて 油断はできないが一安心。

  午後になって 婿が帰宅。
  数日ぶりで家族が揃ったのが嬉しくて 孫ははしゃいでいた。
  
  この分なら 明日はもっと元気になるだろう。

    

  この冬のほとんどを東京で過ごしているから 合間に帰宅する数日は気ぜわしくて
なかなか手のかかる料理ができないでいる。

  それもあって今夜は 夫の好きな天ぷらにした。
  揚げる食材は自分の好きなものを買ってくる と言って夫が買い物に出かけて行った。
  魚けは アナゴ 大エビ キス。
  野菜は 茄子 ピーマン いんげん アスパラ 蓮根 かぼちゃ しめじ 玉ねぎ。
  いつもなら かき揚げもするのだが 今回は野菜がたくさんなので やめた。

  ガスこんろを電気に替えてから 揚げ物をするのがとても楽になった。
  表面が平らだから 揚げたものを置いておけるし挙げた後の掃除も簡単になった。 
  温度管理で油の飛散も少なくなったし 新聞紙を周囲に貼っておくから
それに使用済みの油を吸わせて捨てることもできる。。

  今夜は食材がたくさんだから 揚げるのに時間がかかった。
  夫は揚ったものから食べていく。うまいうまい と言いながら美味しそうに食した。

  今回はまだ小さくて挙げなかったが もうすぐふきのとうの季節だ。
  夫は ふきのとうをはじめ山菜の天ぷらが好物だから 今から楽しみに待っている。
  今日も昼間 畑の端に出ていないか探したらしい。
  見つけたが まだまだ赤ちゃんサイズだったから採らなかった と残念そうだった。

  冬の間 管理不行き届きだった夫の食生活。
  徐々に元に戻していかねば・・・。

  ようやく 家の中の事 あれこれやらなきゃという気持ちが出てきた。

  今日は 正月以来そのままになっていた 花の始末を。
  祝い飾りは松がとれた時に片づけたが 花はそのままだった。
  玄関が北向きだし 和室もめったに使わないから 室温が低い。
  だから 花が長持ちする。それで 今まで生けた時と変わらない状態で保てた。
  しかし もう限界。千両の実が落ち始めていた。

  水盤二つの花と余り花を生けていた花瓶をきれいにし 剣山もきれいにして干した。
  それでも まだ使えそうな花があったから みみっちくそれを小さな花瓶に。

  歳の暮れに生ける時は 花代だけでも結構な金額になるから もったいない気もするが
こうして一月以上も持つと 贅沢なものでもない。

  花は亡母の影響が強い。
  幼いころから 花を生ける母の姿を見て育った。
  自分で生けるだけでなく 私が中学生のころまでお弟子さんが出入りしていたから
より身近かに花があった。

  毎年暮れの花を生けながら 当時の亡母を想う。
  母は和室二間の床の間と玄関の三杯分の花を生けていた。
  それまで 何回も倒れては入院する を繰り返していたが 最後に倒れて
再起できなくなる前の年の暮れまで 欠かすことなく生けていた。
  私は そんな母の後ろ姿を見て育った 門前の小僧だ。

  鉢花はもちろん 身近かに花を生ける習慣を残してくれた 母に感謝だ。