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  昨夜遅くから 娘が耳を痛がり出し どうも昨夜のうちに 鼓膜が破れたらしい。
  今朝早くから 耳鼻科へ行き診察の結果 長く無痛で滲出性中耳炎になっていたのが
鼻をかんだ拍子に急性中耳炎になった と言われ 鼓膜を切開してもらって帰宅した。

  痛みが強いらしく 耳を押さえては痛がっている。
  そうでなくても お腹が痛いし最近は骨盤まで痛み出しているのに 耳のせいで頭も
痛くなっていて 耳の強い痛みとともに 体中痛いとこだらけで 痛みをこらえている姿を
見ると 可哀相になってしまう。

  それでも 子どもは容赦なく 私や父親がいても 母親を頼るから なにかと
動かざるを得ない事も多々あって 一人なら 楽に横になっていられるのに と
思ってしまう。

  ここのところ 会社関係の事務の忙しさや 体調の悪さからあまり寝られずにいたから
疲れが 一番弱い耳にきたのだろう。
  娘は 幼い頃から耳が体の中で一番弱くて 風邪を引いたり熱が出たりすると
すぐに耳へきて 耳鼻科へ通った。
  それが 大人になっても変わらず やはり疲れてもストレスでも 耳へくる。

  一週間後にまた受診するというが しばらくは痛みが続くだろう。
  私は 来週の水曜日には帰らなくてはいけない。
  それまでに どれだけよくなるだろう。
  順調に治っていけばいいが・・・。
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三歳二か月になった孫は 語彙も増え 発音も明瞭になって
大人と不自由なく会話できるようになってきた。
  また よく覚えていて
      ・・・・って言ったよねえ~  とか
      ここ この前 一緒にきたよねえ  などと こちらが忘れていることを
しっかり覚えていたりする、
   大人の会話もよく聞いていて ある時突然 その会話の内容を口にしたりするから
ビックリさせられる。

   言葉が明瞭になると共に 言い間違いや言い損ないも少なくなってきて
言い方がかわいいから と 娘は わざと言い直させたりしないでいる。
   年齢がくれば 自然に直って 正しい物言いになっていくだろうから
今は そのかわいさを慈しみたい そう思っているようだ。

   いまのところ ずっと正しく言えていないのが おてつだい だ。
   孫は それを おつてだい と言う。
     ・・ちゃんが おつてだい してあげるね
     ちょっと おつてだい して
     おつてだい おねがいしまぁす   
   などと なかなか おてつだい が言えない。

   でも 幼いながら 自尊心があるから そう言った後は 笑えない。
本人の目の前で 笑おうものなら たちまち 言葉数が少なくなってしまう。
   なにか まずいことを言ったのだろう と思うらしい。
   
   可愛い声との 他愛ない会話を長くするためにも
できるだけ口をはさまないで 言い間違いを こちらも楽しみたいものだ。
   

   娘婿は 起業して 独自で事業をしている。
   日本語が心もとない彼に代わって 会社を興す時点から 事務的なことは
すべて 娘がやってきた。
   外国人が 日本で起業するには 日本人が同じように起業するより
かなり 煩雑な手続きが必要で 大変らしい。                                                  娘は 以前外資の会社で バックアップ業務をしていたこともあって
彼が起業するのを 大いに助けてきた。

   その会社の事務が 今の時期 とても忙しいらしい。
   自分しか事務処理ができないから 娘は 体調が悪くても 毎日机に向かっている。

   今日は 会社の用事で どうしても出かけなくてはいけなかった。
孫の預け保育が 夕方までなので 私も娘の体が心配で 一緒について 外出した。

   雨の降るなか その方が体が楽だからと 娘は車を運転して行った。
   冬の東京は 葉を落とし黒々とした枝を空へ伸ばす街路樹が 路の両側に連なり
さながら オブジェのようだ。
   雨にけぶる中 林立する霞が関のビル群や国会議事堂を横目で見ながら
娘は車を走らせる。
   あちこちに警邏や警護の警察車両 建物の周辺に佇んでいる警察官。
   これらを見ると ここが日本の中心だと実感する。

   用事を済ませ 出たついでに買う物があり 繁華街へ向かった。
   マスコミで 最近は中国からの買い物客が増えた と報道されているが
なるほど 傘をさして道行く人波の中にも 中国からの人が目立つ。

   デパートへ入っても やたらと大声を出している中国人客が多い。
   彼らは 自分たちがそれほど大きな声で会話しているとは 想っていないようだ。
   食堂街では たくさんの人が 入店の順番を待っていた。
   それなのに 待ち客のために並べられた椅子の上に 幾つもの椅子を占領して
中国の子供が 長々と寝そべって遊んでいた。それも二人が。
   彼らは 他に立って待っている客が気にならないのだろうか。
   
   デパート側も お金を落としてくれる大切なお客だから
多少の行儀の悪さは 目をつぶっている。
   国力が弱くなっている国と国力が強い国の 力関係のようなものさえ感じた。

   必要な買い物が済み 一向に止まない雨の東京を
夥しく行き交う車に混じって 娘は車を走らせ 帰ってきたのだった。
   

   今年の私の誕生日は 慌ただしく過ごしているうちに 自身でも忘れてしまっていた。
   夫も 自分の仕事が優先して すっかり忘れていた。
   友人が 忘れないで お祝いメールを 贈ってくれたし
長男家族が 忘れないでいてくれたから それで 夫も私も 誕生日だと気付いた。
   長男家族は ケーキで祝い 春先からちょうどいい 帽子をプレゼントしてくれた。

   夫は すっかり頭から抜けてしまっていたことを 多少後ろめたく思っていたようで
日曜日の朝 午後には出かける予定があったから その用事の前に食事をしよう と
言い出した。
   そうなの?じゃあ お昼ご飯の準備は要らないのね と答えて その後 出掛けた。

   夫は どこで食事する?とも聞かずに車を運転して着いたお店が うなぎやだった。
   そこは山家の一軒屋風の造りで 家並みからは離れており 屋根はわらぶきで
お店の中も 合掌のような造りになっていて 風情のあるお店だ。
   以前に何回か来たことがあるが なにせ値段が高いから めったに食べられない。
   でも ここのうなぎの焼き加減が 私にはちょうどよくて あそこのは美味しい と
うなぎの話が出る度に 私が言っていたのだった。 

   席に通されて腰を下ろすと 夫が いつも あそこのうなぎが一番おいしい と
言っているから 今日は 誕生日のご馳走だ と 言う。
   そうだったのねェ だから 何も言わずに このお店へ連れてきてくれたのねェ
   今年は 忘れていたから それでおしまい かと思っていた。
   お祝いしてもらわないといけない歳でもないし と 残念だとも 想っていなかった。
   だから 余計に 夫の気持ちが 嬉しかった。

   そうして 一昨日東京へ来た。
   東京では 私の誕生日プレゼントに パジャマを贈ってくれた。
   普段 自分では買わないような品だったから すぐ下ろして着たらいい と
言ってくれるが 貧乏性だし 夫に見せてから と思って まだ着ていない。
   土曜日には みんなで 誕生日のお祝いに どこかへ食事に連れて行って
くれるらしい。

   忘れられていた今年の誕生日だったが 思いがけず
遅ればせながら祝ってもらった。
   ちょっと遅ればせの今年の誕生日。
   同年代の人たちのように 溌剌とした動きが出来ず 病院通いが外出 という
生活の私には このくらいの ゆっくり加減が ちょうどいいのかもしれない。
   ゆっくりでも 私なりの一年を無事に過ごしていきたいものだ。

  今日は 娘が どうしても会社の確定申告に 出掛けて行かねばならなくて
私は 体調の悪い孫と 留守番した。

  孫は 十分私になれているから 娘が家を出る時も 機嫌よく送り出した。
  その後は 私を相手に ままごとの買い物ごっこをしたり 最近興味が増している
携帯電話で 電話をかけたり 母親がいなくても 変わらず遊んだ。

  夕飯を済ませて 寝る前にベッドの中で本を読むのを ばぁばがいい と
私を指名。
  昨夜に続いて 私が寝かしつけか と 本を持って一緒にベッドへ入り 読んだ。

  本は 母親とおやすみを言う時に 今夜は一回だけ読んで寝るのよ と約束していた。
  ところが 一回読み終わると もう一回読んで と言う。
  私も まあもう一回読んでもいいか と 読んだ。
  でも まだ電気を消そうとしない。
  仕方なく請われるままに もう一度読んで もう寝なきゃね と電気を消す段になると
なんと 一緒に寝るのは マミーじゃなきゃ嫌だ と 言い出した。
  こうなったらしょうがない。 娘とバトンタッチしようと リビングへ行き訳を話した。

  そうしたら 娘に叱られてしまった。

  本読みは一回だけ と約束したんだから 一回読み終えたら はいお終い と
さっさと電気を消して 部屋から出てくればいいのよ。約束したんだから 守らなきゃ。

  たしかに・・・たしかに・・・
  約束したことは ちゃんと守らなくちゃいけなかった・・・。
  さっさと済ませて じゃあね と電気を消す そして部屋から出るべきだった・・・。

  ところが そうはいっても ばぁばとしては それが簡単にはいかない。
  なんだか かわいそうな気がして・・・。

  やっぱり かなり甘くなっている と痛感する。
  自分が子育てしていた時には 今の娘より もっと厳しくしつけていたわねェ・・・。

  それなのに この体たらく・・・。
  これじゃあ なめられても仕方がない。

  明日からは ものわかりのいいばぁばは止めて もっと厳しく向かわねば!

  でも・・・できるかなぁ・・・厳しくなんてさぁ・・・。

  今日 また東京へ来た。
  夫も 娘の体が心配だし孫も気になるから やっぱり行ってきたら と勧めた。

  娘は さすがに妊娠も半ばに入り お腹も目立ってきた。
  絶えず貼ってきて 動くのが辛そうだ。益々油断できなくなっている。
  顔色も悪く 肌のつやもなくなっている。

  孫の様子を聞いて 驚いた。
  先週は大変だった どうも風邪が完全に治りきっていないらしくて
あまり食べないし 食べると思えばもどしてしまったりで 体重もずいぶん減ってしまった
と 娘は話すではないか。

  今日は 預け保育の日だったので 孫は 夕方送られて帰って来た。

  その姿を見てビックリした。
  見るからに 顎がとんがって顔が細くなってしまっている。
  そうでなくても細かった足首や手首まで 一回り小さく感じる。
  大きな目が いっそう大きく見えるほど げっそりと痩せてしまっているのだ。
  そして 以前のような元気が見られない。
  病気の子 と 誰しもがわかるくらいだ。

  子供は 体調が壊れると瞬く間に 体重が減ってしまう。
  孫も 風邪が抜けきらないせいで 様々に症状が出ているようだ。

急に 母親に抱っこやおんぶはもちろん 一緒に走ったり遊んだりしてもらえない。
それどころか 母親は 自分のことはそっちのけで いつも横になっている・・・。
   今まで 自分のことを第一に動いてくれていたのに どうしてしまったのか・・・。
  
  孫は 自分が置かれた状況が理解できないから 混乱しとまどっている。
  私は そう感じている。
  感受性の強い子だから 余計にだろう。

  母親に 自分以外に 守るべきものが出来た時
上の子が味わう 淋しさや心もとなさ、戸惑いが こんなにも深くて大きいのだ と
今さらながらに 思い知らされる。
感受性の強い孫は 寄る辺のないような想いでいるのだろう。

  今夜は 一緒にベッドに入り 本を読んで添い寝した。
  ウサチャンを抱いて 私に寄り添って 無心で眠る幼い顔を見ながら

    大丈夫だよ 今だって赤ちゃんが産まれてきたって どんな時でも
    みんな **ちゃんを大切に大切に思っているよ。愛しているんだからね・・・。
    なんにも心配することないからね・・・安心していいのよ・・・。

  私は そう 小さな声で囁きかけた。
  なんども なんども・・・。
  

  

  
  
 

  おもしろいもので 親が好きな物や好きなことは 刷り込みなのか 子も興味を持つ。
  私の場合 母親が 読書好き 絵が好き 花が好き 着物が好き 手仕事が好き
まだ 好きなことやモノはあったが・・・。
  そのうち 自身の嗜好で 読書 絵 花 着物 と 同じように好きになった。
  その私が育てた子らは 各々違ってはいても 絵 花 手仕事 着物 が好きで 
彼らの祖母の好みが しっかり生きている。 

  子供だけでなく孫たちも 好きな物や事など 受け継いでいるものがあるから驚く。
  まだ幼かったり子供だったりして 今後の嗜好は分からないが 
孫たちに 確実に伝わっているものを感じる。

  それなら と 娘に譲った着物を 孫にも着てもらいたいと思い
今日 専門店へ 洗いやシミ抜きに出した。
  上の孫は身長があるから 現状のままでは着られないのだが
  それでも譲りたいと思う気持ちがどこから湧いてくるものなのか 自分でもわからない。
  これは 亡母が作ってくれた着物だという気持ちへの 執着だけなのかもしれない。
  最近の若い人は おはしょりなしで着物を着る というから
そうやってでも 着てくれたら嬉しい。

  まだ終活は考えたくないが 子らと孫に 形見として譲りたい物はある。
  それらの物とは別に 伝えたい物伝えたいことを整理するのも 私の終活なのでは・・・
と 思うようになっている。

  遺伝子だけでなく 伝わっていくもの 伝えていくものがある 譲っていくものがある・・・
そう思うと 終活の意味に温かみが加わるではないか。

  最近 とりとめもなく そんなことを考えている。
  
  

  今日は 私の誕生日。

  でもそれ以上に 今日は 夫が勤める幼稚園の発表会だ。
  誕生日と一緒で こちらも年一回の行事。
  幼稚園と園児にとって 一年間の教育の仕上げと 成長と成果を発表する
とても大切な場だ。

  この日に向けて 園児も先生方も 練習と指導に励んできた。
  父兄も 我が子のステージ上の晴れ姿を楽しみに 祖父母や肉親とともに 
会場へ 足を運ぶ。

  今朝 夫はいつもより早く家を出 幼稚園から会場へと動いた。
  わたしも 毎年 会場へ行き 幼い子供たちが 精一杯踊ったり演じたりする姿を
客席から観るのを 楽しみにしている。

  そしてこの日 私は 園の理事長と園長へ ご挨拶しなくてはならない。
  発表会の終了後 園児や父兄のおおかたが帰った頃合いを 見計らって 
ホールで見送っていらっしゃる園長へ 日頃 夫がお世話になっているお礼を述べる。
  
  普通なら その後は用済みだから 帰るのだろうが 園長へ挨拶をした後は
必ず舞台の袖に座って 発表会の様子を観ていらっしゃる 理事長の所へ誘われる。
  そしてご挨拶の後には 用意してくださるお昼を 理事長と一緒にいただく。
 
  先生方は 後片付けと 午後からの姉妹園の発表会の準備に追われて
食事もそこそこに 慌ただしく動いていらっしゃる。もちろん夫も。
  そんな側で 理事長と私は さも呑気そうにお弁当をいただきながら 様々に話す。
  理事長は それを楽しみに 私を待っていてくださる。

  これには理由がある。
  亡くなった母の実家が 理事長の生家の近くで 理事長と昔話ができるからだ。

  今日も理事長は ご自分の来し方のご苦労なさった時期のことや 私と共通の話題の
生家での 幼い時代 戦争時代 の思い出などを 私の祖母や母の話に絡めながら
よく お話になった。

  ご兄弟それぞれに お付きの姉やがいるような 大家で育った方だが
亡母の実家が貧乏の見本のようだったにもかかわらず 一緒に遊んだ母や母の姉妹のこと
等 よく覚えていてくださって 明治の女の意気地を通した 私の祖母の思い出もまじえて
懐かしげに話してくださる。

  母が生きていたら 理事長との不思議なご縁に驚き さぞかし喜んだことだろう。
  そして 理事長がおっしゃるように 母も生きてお会いしたかっただろう。

  それにしても どこに人と人とのご縁があるか わからない。
  だからこそ 人は 真面目に誠実に 後ろ指指されないように生きなければならない。

  祖母や母 母の姉妹が しっかり生きてくれたからこそ 何十年も経った今
話題になっても 堂々としていられる。
  ありがたいこと と つくづく思う。

  振り返って 私はどうだろう・・・。
  孫たちが大人になって 私を知っている人に巡り合い 私のことが話題にのぼった時
恥ずかしい思いをしないでいられる・・・そんな生き方をしてきているか・・・。

  巡り合った理事長とのご縁を 大切に思いながら いつも そのことを考える。

  昨日は 最近にない 嬉しい日だった。

    嬉しかったことの一つは
    温熱療法の講習会に誘っていただいて 参加できたこと。

    講習会といっても 私の役割は ただベッドの上で 療法を受けることだった。
    それも 先生 I さん K さん のお三方から たっぷり受けることだった。

    頭の先から手足の先まで 文字通り全身の裏表 全てを温めていただいた。
    こんな 心地良い体験は初めてだった。
    施術後は 体の内側から ジワジワと温かさがにじみ出るようだった。

    先生は 後で眠気がきたり だるくなったりするかもしれない と おっしゃったが
帰宅後の私は 逆に体が軽くなったようで よく動けたのには 我ながら驚いた。

    考えるに 長年にわたる多量の薬の使用 それも痛み止めの使用で
私の体は 芯の芯まで冷え切ってしまっているのではないだろうか。
    だから あれほどの温めであっても 吸収こそすれ 有り余るということなど
全くなかったのではないか と思う。

    体を温めて免疫力を高めれば 病や痛みも和らいでくる。
    このことを 改めて実感した 貴重な一日になった。

    親身になって私の体を心配してくださる方々に ただただ ありがとう の言葉を。

    そして もう一つ 昨日はいいことが。
    何日も前から 嫁の都合で 昨日は 二人の孫と息子が
我が家で 夕飯を済ませることになっていた。

    孫たちは 夫が仕事の帰りに 息子の家へ寄って 車に乗せてきた。
    四人で食べた夕飯の後は 上の孫を 夫が塾へ送って行った。
    塾からの帰りは 会社帰りの息子が そのまま迎えに行き 我が家へ来た。
そして 息子も夕飯を食べ 孫たちも一緒に夜食のようにして また食べた。

    今夜は 孫たちにも好評の 鶏めしだったから 多分・・・と見越してたくさん
作ったのは 正解だった。
    日頃は 体重を気にして 食事の量を減らしたりしている上の孫だが
今夜は 本当によく食べてくれた。

    作ったものを 美味しいと言って食べてくれるほど 嬉しいことはない。
    しかし 今夜の 嬉しい は それで終わらなかった。

    息子がケーキを準備して みんなで私の誕生日を祝ってくれたのだ。
    私に気づかれないように そっとロウソクに火をともして テーブルへ運んできた。

    今年の誕生日は 慌ただしく過ごしているうちに 自分でもすっかり忘れていた。
    夫も 今日が 勤め先の幼稚園の発表会 とあって それどころではなかった。
    だから彼も 私の誕生日のことなど 頭から抜けてしまっていた。

    それを 息子や孫たちはしっかり覚えていて ケーキまで用意してくれていた。
    誕生日を覚えていてくれただけでも嬉しいのに ケーキでお祝いしてくれた。
   
    そのことが 私には とても嬉しかった。
    家族として想っていてくれることが ありがたかった。

    多分 今夜はいなかった嫁の陰の力が 息子や孫を動かしてもいるだろう。
    こんな思い遣りが 故障した体で年を取っていくことの不安を 鎮めてくれる。

    昨日は 体も心も 思いっきり温かい 一日になった。
    友人や家族に恵まれて 幸せな人生を歩かせてもらっている としみじみ想う。
   
    今日は誕生日。
    ありがたいという気持ちと 感謝の念を忘れないで
これからの新しい一年の一日一日を過ごしたい と 思っている。

   今夜 何も特別なモノなど食べていないのに 夫に 蕁麻疹が出た。
   私も もちろん 同じモノを食べたが 私には出ない。

   夫は 性格に反して(!)日頃も 肌が弱い。
   それで 入浴後には 必ず全身にクリームを塗っている。
   だから 入浴時間はそんなでもないのに 上がった後の 洗面所を占拠する時間が
極めて 極めて長い。
   入浴するのは 視たいだけテレビを視て その後だから
必然的に 洗面所から出てくるのも 極めて極めて極めて 遅くなってしまう。

   おっと お風呂のことは 置いといてェ と

   蕁麻疹 蕁麻疹。   
   どうして 夫に蕁麻疹が出たのか 原因がわからないでいる。
   とてもかゆがっていたが 時間が経つにしたがって 次第に少し治まってきた。
   緊急で 病院へ駈け込まなくてはいけないか ちょっと心配になるほどだったが
治まってきて お風呂へ入れたから ほッと一安心。

   夫は ごく最近になって サトイモにアレルギー反応が出るようになってきた。
   やはり 食した後 蕁麻疹が出るようになったのだ。
   甘辛く煮つけたサトイモはとても美味しいのに 食卓に並べられなくなってしまった。
   残念だが アレルギーでは 仕方がない。

   それにしても 今夜の蕁麻疹は 何が原因なのか 気にかかる。

   年齢を重ねる毎に 今までは何でもなかったことに 反応が出るようになった。
   取り立てて どこも悪いところがなく いたって健康に見える夫も
確実に年をとってきている証拠だろう。

   今夜の蕁麻疹も そんな想いを実感させてくれた。

   それにしても おんなじものを食べてるのに 私には蕁麻疹が出ない って
夫が言うように やっぱり私の内臓は 鈍感なのかなぁ~。
   夫は
      俺は繊細だからなぁ~。だから敏感に反応するんだ。
と 自慢げに 独り言を言っていた。大きな声で わざと聞こえるように・・・。

   でも 今後は こんなことが 頻繁に起こるようになっては困るから
一度 皮膚科でアレルギー検査をしてもらう必要がありそうだ。
   万が一 命にかかわる事態にならないとも限らないから。