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  明日は 孫の入園式。娘夫婦が付き添って行く。
  たとえ九月までとはいえ 正式に毎日登園することになるから
娘は 園で必要な物を新しく調えたり名前を付けたりと 慌ただしく準備に追われた。
  しかし それも今日でお終い。
  明日からは 一時保育所へ行っていた時刻より 一時間ほど早く マンションを出る。

  しかし 園でアレルギーの対応食が出るから お弁当を作って持たせなくてもいい。
  その分 気が楽だし 朝の慌ただしさが軽減される。
  そしてなにより 娘への負担が軽くなる。
  朝は婿が送って行き 帰りは保育ママが 迎えに行きマンションまで送ってくださる。
  
  私は 彼らが入園式に出かけている間に 置いていた衣類等を荷作りして発送する。
そして 彼らが帰宅後 お昼ご飯を済ませたら 孫を歯医者さんへ連れて行き
虫歯の点検やフッ素塗布をしてもらう。
  それが済んだら 今度は 孫を美容院へ連れて行き 髪を切ってもらう。
  前回 切ったが また伸びてきている。 これからの時期 汗もかくし
保育園へも通うから 短いほうがいい。

  それだけを済ませて 帰宅の途につく予定でいる。
  帰り着くのはおそらく夜になるだろうが 娘は 午前中の入園式で 手一杯だし
婿は 歯医者も美容院も 彼の日本語の認識度では対応できないから 仕方がない。
  私も 心残りのないように できるだけのことはしておきたい。

  今夜が 孫と入るお風呂の最後になった。
  昨夜より以上に 今夜は楽だった。
  明日は早くに出かけなければならない と 何度も母親から言い聞かせられて
おまけに 父親が帰宅する前にベッドに入っていないと叱られるから と言われては
さすがの孫も 言う事を聞かないわけにはいかない。
  それで 楽しい洗面器の太鼓も 今夜は早めに切り上げ シャンプーも体を洗うのも
さっさと済ませた。
  ありがたいことに まったくべソもかかず泣きもせず 母親にバトンタッチできた。
  
  最後の入浴を ご機嫌で済ませて ほっとした。
  毎日 ヘルパーが来て家事をしてくれ 夕飯から入浴まで 孫の面倒を見てくれる
ことにもなっている。
  何事もなければ 私は娘の出産まで 来なくてもいい。
  どうか そうでありますように・・・無事に出産までこぎつけられますように・・・。
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  夕ご飯の後 いつものように 孫を連れてお風呂に入った。
  孫は 母親と一緒に入ってさえも 泣いて困らせる。
  昨夜も 御多分にもれず泣いて 入浴の時間が全然楽しめなかった。

  今夜も 愚図られるのを覚悟で 一緒に入った。
  ところが 今夜の孫は 人が変わったように おりこうだった。
  そうなると こちらも気持ちがゆったりするから 湯船につかりながら遊べる。
 
  お湯に 洗面器を逆さにして伏せ それを太鼓に見立てて ポンポンたたく。
  洗面器とは思えない いい音が出る。
  歌を歌いながら 太鼓をポンポンたたいて 拍子をとる。
  孫は それがとても気に入って 何回も同じ歌を催促して 自分も歌った。
  機嫌がいいから なんとか泣かずに 体も頭も洗えた。

  孫と一緒の入浴では こんなにうまくいくことは めったにあるものではない。
  明日も また太鼓をたたいて歌を歌いましょうね と約束させられて あがった。
  あの歌もこの歌も歌ってたたいてね と念の入れよう。
  よほど 楽しかったにちがいない。

  なんにしても 泣かれずに済んだのが なによりだった。
  今夜は 気持ちよく眠れそうだ。
  

  今日は 一日お弁当やおやつを持って 孫は保育ママの所へ預けた。
  その間に 孫の衣類の整理や 生まれてくる赤ちゃんの衣類 タオル類の整理と
それらを収納する場所の整理を 娘と二人でした。

  小さくなって着れない衣類の中から 赤ちゃんがすぐに使える物 一年後に使える物等
を別々に分けて収納場所を作り 新しく購入した衣類やタオル類と一緒に収納した。
  孫の衣類は 小さくなった物を月齢や年齢別に整理、着られる物は 保育園の通院に
着て行く衣類と着て行けない衣類に分ける。そして それぞれの収納場所に収める。
  これだけのことをし終えるのに 三時間以上もかかった。
  スッキリと整理した後は 生まれてくる赤ちゃんを待つだけになった。
  四月からの毎日の保育園通いも 衣類や持ち物の名前付けも済んで準備万端整った。

  これだけのことを済ませておけば 私も家に帰っても 心配しなくていい。。
  四月からはヘルパーが毎日来てくれることに決まったから 日常の家事やら孫の世話も
娘が自分で動かなくてもいい。それがなによりの私の安心事だ。

  なかなかヘルパーが決まらなくて 今までヤキモキした。
  これで 今までのように 東京に来なくてもよくなるだろう。
  私も これで 自分の生活に戻れそうだ。

  

  お昼の後 大阪方面から家のある地方へと雨が降って来るようだから 早めに帰る と
夫が言い出して 慌ただしく婿に品川まで送ってもらって帰って行った。

  東京は 今朝は雲もみられないほどいい天気だったから 朝ごはんを済ませてから
夫と私で 孫を散歩に連れ出した。
  昨日 はしゃいで動き過ぎたせいで 昨夜 孫はたいそう膝を痛がって泣いた。
  普段乗らない自転車に一時間半も乗って 帰りもずっと走ったりしていたから
そのせいだろう。自転車のペダルこぎは かなり膝にくる。
  それで 今日の散歩は ごく近場へ。

  玄関先の車寄せで 同じマンションに住んでいる 孫と同年齢の女の子が
お父さんと一緒に車でお出かけするところに出くわした。
  夫と私は初対面だったが お父さんは孫をご存じで 向こうから挨拶してくださった。
  そういえば 時々一緒に遊ぶ と 娘が言っていた。
  お子さんの事や お父さんがディズニーランドの写真や映像関係を一手に引き受けて
いらっしゃる高名なカメラマンだ ということも 娘から聞いていたので
気さくに声をかけてくださったことに面喰い ちょっと恥ずかしかった。
  というのは その時の孫が とても変な服装をしていたからだ。

  孫は 去年の秋 結婚式に出席して また一月に結婚式に出た。
  白いチュールレースのロングドレスで出席した。当然お嫁さんも白いロングドレス。
  その式の時の花嫁のきれいさが強く印象に残ったらしく 式の後からというもの
暇さえあれば その白いドレスを着たがって いつも着て楽しんでる。
  今朝もそれを着ていて 散歩にも着替えないで 上に分厚い防寒着を着 おまけに
足元は運動靴を履いていた。おまけにおまけに 頭にはツバの広い夏帽子ときた。
  これ以上 ヘンテコな恰好はないという有様で散歩に行こうとしていたから
それが恥ずかしかったのだった。
  
  出掛ける前に娘に 着替えさせようか と 言ったが娘が 面倒だからそのままでいい
というし本人も 脱ぎたくない というので そのまま出かけてしまった。
  まさか そんな高名なカメラマンと出会うなんて思わなかった。 ヘンテコでもいいや
と 連れ出してしまったことを内心悔やんだが 仕方がない。
   向こうも 同じ年の女の子がいるとはいえ さすがに 孫の服装を見て 怪訝な
顔をなさったが ちょうどその時マンションへ車が入って来て 立ち話を早々に切り上げ
別れることができてよかった。
   どうせ出会うなら 昨日の撮影会のような洋服の時だったらよかったのに と
ちょっとうらめしかった。そして夫と笑った。
   意外に 私にも見栄っ張りな面がある ということか。
 
  だから今日の散歩は 近所の八幡神社。孫が歩き始めから慣れ親しんできた場所だ。
  出がけに 今日は日がいいからもしかしたら結婚式があるかも と 娘が言っていた。
  神社に着くと 笛や笙の音が聞こえて来た。やっぱり結婚式のようだ。

 一時間も神社にいただろうか。お嫁さんを見たり かくれんぼをしたり。
  マンションに帰り着いてしばらくすると 空は曇って風も出てきた。
  その様子を見て 夫が 帰る と 言い出した。雨が降ってくる前に出たい と言う。
  
  あっけなく 孫とさようならをして 夫は帰って行った。
  今は春休み。私が帰るまで 一日三食を 夫は独りで済ます。
  同じものばかりを食べて体調を崩さない事を願いながら 送り出したが
どうだろう・・・。

  朝は曇って寒いような陽気だったが お昼近くなると晴れてとてもいい天気になった。
  
  午前中は 以前 孫にと娘がデパートで求めた洋服のブランドが
顧客の撮影会をするので 参加の勧誘があり それに行く事になっていた。
  デパートへ行くと 従業員が待っていて 買い求めた洋服に着替え 撮影室へ。
  引っこみ思案の孫は 照れくさそうながらも 周囲の大人におだてられ ほめられて
まんざらでもなさそうに カメラマンの前に立っていた。
  実際 ハーフの孫は 少し日本人離れした容姿なので これまでにも 外出した時等に
モデルに と 何度も声をかけられたりしている。
  お友達の中には 雑誌のモデルをしているお子さんもあるが 娘夫婦は モデルなど
の人目に晒される状況には 子供を置きたくなくて すべてお断りしてきた。
  今回の撮影会は 本人の写真でカレンダーを作りプレゼントしていただける という
趣旨だったから 世間へは写真が出ないので承諾したようだ。
  
   帰りは 孫は みんなにほめられたのが 自分でも嬉しくて その服のまま帰宅。
   帰り着くや否や 急いでお弁当を作り おかずや果物ワインを持って 代々木公園へ。
   いつも敷物を広げる場所は 決まっていて そこまで歩く。
   園内は あちこちの五分咲きの桜の下で たくさんの人が 憩っている。

   腰を下ろせるように 敷物を広げたのは 幼児用の自転車コースの真ん中。
   当然 周囲には 自転車に乗る 小さい子供たちがいっぱいだ。
   ここまでは 広場の喧噪も小さくしか聞こえてこない。

   お弁当を食べ終えた孫は 早速 事務所で自転車をレンタル。
   初めは ペダルをこぐ姿も ぎこちなかったが 次第に上手になっていった。
   夫は そんな孫の自転車の後ろを持ったり押したり 重労働だ。

   風もなく良く晴れた空に伸びた枝枝には 咲いたばかりの薄桃色の桜の花が
とても美しい。
   気が付けば もう四時を過ぎていた。
   そろそろ帰りましょう と 荷物をまとめて 孫と遊びながら公園を出た。

   本当に 今日はいい一日だった。
   
   

  私は 以前に何度か 娘や娘の家族と行ったことがあるが 夫は一度も行ったことのない
お寿司屋さんが 電車で 四五駅の所にある。
  よくマスコミにも取り上げられるお店だけに美味しい。
  そのことを 夫に話していたものだから 夫が 行ってみたい と 言い出して
お昼に行った。
  予約して行ったから そんなに待たないで席に座れたが お店の周りには いつ行っても
すごい数の人が待っている。

  カウンター席を予約していたから 番号を呼ばれて座った。
  ランチメニューの中から選んで注文した。 目の前に 順に握ったお寿司が置かれる。
  運よく 一番年かさで店内でも一番古い職人さんが 握ってくださった。
  忙しく お客の注文に応えて握りながらも 私たちへの気配りも怠りない。

  カウンター席に座ると ケースの中の寿司ねたが よく見える。
  ケースの中に 一段と大きい貝があった。何か と 聞くと 北海道のつぶ貝だという。
  今までこんな大きなつぶ貝は 見たことがことがない。夫が職人さんに そう言うと
職人さんも めったにこんな大きなものは入ってこない とのこと。
  夫と私は  注文したものを食べ終えたら 大好きな穴子とそれを頼もうと話した。
  このお店のランチメニューは どれも握りの数が多い。それもねたが大きいから
かなりお腹がふくれる。
  そのうえ 後から注文した穴子が特大サイズで 載せられた長皿から はみ出るほどだ。
  穴子を食べ終えた時点で 私は満腹。
  夫だけが 大きなつぶ貝を頼んだ。すると おろしたてを握ってくれる と 言う。
  職人さんは それまでも夫に 卵焼きをサービスしてくれ 本来は付いていない
デザートもサービスで付けてくれた。そのうえ わざわざ貝を おろしてくれる というので
夫は大喜び。
 カウンター席の利点だろう。夫が満足したのは 言うまでもない。

  今まで 東京でお寿司を食べる時には 築地まで行っていたが 娘のマンションから
こんなに近いところに こんな美味しいお店があるのなら 今度からはここにしよう と
夫は かなり気に入った様子。

  お腹も気持ちも満腹になって 帰りの電車に乗った。

  四月からの 待機児童保育所への入園に備えて 今 娘は 衣類やその他の孫の物
全てに ネーム付けをしている。
  昔 私たちの世代は 直接衣類にマジックで名前を書いたが 今は違う。
専用の接着テープに名前を刻印し それをアイロンの熱で付ける。
  なにせ 通園に関係するもの全てに その作業をするから なかなか大変だ。
  園へは ボタンのある衣類は着て行けないというので 今回たくさんの衣類を購入。
もちろんこれらにも名前テープを付ける。
  娘は今日も一日中 休み休みしながらも その作業をしていた。

今日もいい天気。
  夫は お昼前に散歩にでかけた。
  この分だと 桜の開花も早まって 月末か来月初め頃には 満開になるかもしれない。
都内の桜が一斉に咲き誇る情景は さぞかし見事なことだろう。
  週末には またお弁当を持って みんなで代々木公園へ行く予定だ。
  雨など降らねばいいが。

  
  







































































 

   今日は 孫がずっと通っていた体操教室 最後の日だった。
   四月から 幼稚園や保育園へ通う幼児は 今日で終了となるからだ。
   いつもは 先生の娘さんが マンションまで迎えに来てくださっていたが
今日は 婿が付き添って 娘が連れて行った。

   慌ただしく三人が出かけたあと 夫と私は かねてより予定していた
新国立美術館のルーブル展を観に 支度して出かけた。
   美術館までは 地下鉄の千代田線で三駅行くだけだから 直通で楽だ。
   おまけに 乃木坂駅からは 出口が直結しているから ありがたい。

   平日というのに たくさんの人だ。
   今回の展示は ルーブル所蔵の絵画の中でも 風俗画が中心の展覧会だ。
   メインは 初来日の フェルメールの 天文学者。
   
   音声ガイドを借りて まわる。
   たくさんの作品が 年代別に展示されていて その時代の風俗や絵画で表現された
画家の意図などを ガイドを聞きながらだと よく理解できる。
   初めは夫と同じような歩みで廻っていたはずなのに 気付くと一人。
   それでも ゆっくり時間をかけて 全ての作品を観てまわった。
   
   出口を出た所で 夫が待っていた。
   三十分も前に出たのだと言う。どうやら夫は 途中からガイドの付いた作品だけを
鑑賞してまわったらしい。
   時間をみると もう二時を過ぎている。
   カフェで一休みした後 どこかで昼食を と美術館を出た。

この時間だから通りの飲食店も 終了しているお店が多い。仕方がないから
どこでも営業している所へ入ろう と 歩いているとイタリア料理のお店があった。
   そこへ入り それぞれランチメニューをオーダーした。

   さて お腹が満たされた後 用もないから帰ろうか と思ったが 夫が
     せっかくここまで来たのだから ミッドタウンのサントリー美術館へも寄って行こう
と 言い出した。お昼を食べて また充電できたらしい。

   まだ陽は高いし それもそうだ と 少し歩いてミッドタウンへ。
   辺りは 桜並木が続いてきれいな通りだ。東京は世界中の大都市の中でも
緑が多くて美しい街だろうと思う。
   桜が咲く頃には 辺り一面桜の香りが漂い 頭上は薄桃色に覆われて
さぞかし見事な眺めだろう と想われる。

   サントリー美術館では 若冲と蕪村展 が開催されていた。
   若冲も蕪村も 江戸時代の代表的な画家だ。
   これまでも地元の美術館で作品は観たことはあるが これほどまとまった数の二人の
展覧会は 夫も私も初めてだったから 偶然にもこの展覧会に巡り合えて 幸せだった。

   もちろんルーブル展もよかったが 若冲と蕪村の作品は 同じ日本人だから
ガイドなしでも 作品の説明を読むだけで鑑賞できる。  
   力強い作品の数々には 観る者を圧倒するような迫力がある。
   思いついてのサントリー美術館行きだったが 行って本当によかった。

   気付けば もう五時。
   急いで地下鉄の乃木坂駅へ戻り 帰路についた。

   久しぶりに 心が浄化され満たされた一日になった。

  朝から快晴 いい天気。
  夫と二人で 孫を公園へ連れて行った。
  おにぎりや果物を持って 孫は水筒を肩にかけ おでかけくまちゃんを抱っこして。

  公園内には 桜の木がたくさんあるが まだ一輪二輪咲いているだけだ。
  週末には 天気さえよければ きっとお花見の頃合いになるだろう。
広い園内には あちこちの保育園から 園児が遊びに来ている。
  日向ぼっこをする人や 犬を連れて散歩する人などもいる。

ここ という場所に敷物を広げ 三人並んでおにぎりを食べる。
  カラスが 遠巻きに 木の上から私たちの様子を見ている。
  公園の烏は 嘴が太くて目が鋭いから ジッと視られると なんだか怖い。
  夫が すぐそばまで来た雀に 米粒を放ってあげた。
  三羽の雀が寄ってくる。そして 早い者勝ちに啄む。
  その様子を見ていたのだろう すかさず数羽の烏が 近づいてくる。
  彼らに囲まれでもしたら大変。万が一 孫に害を被っても嫌だから
早々に その場から移動。

空は申し分なく晴れていても 風が強い。
  ボール投げをして遊んでいても ボールが風に流されてしまう。
  しばらく遊んだが 鼻水たらしの孫の体調が案じられて 早々に帰宅となった。

  それでも このところ なかなか公園で遊べなかった孫には 気分転換になったよう。
  帰宅後 娘と一緒に お昼寝。
  普段は やんちゃを言ったり泣いたり と忙しい孫だが そこはやっぱり三歳児。
  可愛いものだ。
  今夜の夫とのお風呂は さて おりこうで入るだろうか・・・。
  
  

  朝ご飯の準備をして食べた後は 孫のかかりつけの医院へ連れて行き
食物アレルギーの証明書を書いていただいた。
  来月から通う待機児童の保育所では 給食にアレルギー対応していただけるから
そのためには この書類が必要になる。
  孫の 卵と牛乳のアレルギーは かなり改善されてはきたが まだまだ注意がいる。

  お昼ご飯の後 一時に迎えに来てくださる保育サポートの方に孫をお願いしてからは
夫と二人で 東急デパートへ。
  珍しいお酒やワインをいただいた後 瓶のラベルを残しておくための用紙を買う。
  それは 地下のワイン売り場にあった。
  あとは 何が欲しいということもなく デパートの中をブラブラ。お茶を飲んで帰った。

  ほどなく孫が帰宅。
  夫と遊んでいる間に 夕食の準備。
  孫は 大人とほとんど同じ量を食べるから 作り甲斐がある。

  夕食後は 夫と一緒にお風呂へ。
  東急で 目にしみにくいシャンプーを買ってきたので 今夜からはそれでシャンプー。
  それでも やっぱりちょっと泣き声が聞こえてきたが 夫はおかまいなしだから
孫も仕方なく洗わせたようだ。

  湯上りからは 私の出番。
  パジャマを着て 読む本が決まったら ベッドへ。
  今夜は二冊。
  読み終えると 寝ながら音楽を聞きたがるから娘のスマホで聞かせる。
  今夜は アナと雪の女王 の音楽らしい。

  帰宅した婿は夫と 食べながら飲みながら今度買い替える車のことなどを話している。

  明日は天気と孫の体調をみて 孫を夫と二人で公園へ連れて行く予定だが
孫は来たときから鼻水が出ていて 今日も医院で薬をもらってきたから 行けるかどうか。

  せわしないような 相変わらずの東京の一日が こうして終わった。
  
  

  夫と一緒に 東京の娘宅へやって来た。

  娘のお腹は 前回来た時より また少し大きくなったようだ。
  お腹の赤ちゃんは 元気で順調に成長しているらしいが 娘は 顔色が悪い。
  孫も 時々 咳が出る。体調は万全 とは言えない様子に見受けられる。

  孫は 私たちが来るのを 何日も前から楽しみに待っていたらしい。
  はにかみながら ハグしてくるのが いかにも可愛い。
  私たちが着替えるのももどかしく すぐに 遊ぼう と誘ってくる。
  なにをするでもない時でも ピョンピョン跳ねて 喜びが体の外へあふれ出ている。
  そんなに待っていてくれたんだと思うと 来たかいがある・・・と思って 夫を見ると
久しぶりに会った孫の 喜ぶ様子に まんざらでもない顔だ。

  夕食は 例によって 婿の料理 サンデーロースト。
  今夜のお肉は ポーク。
  手作りのソースをかけたお肉は 美味しい。
  ジャガイモやニンジンのローストや 茹でたアスパラが添えられてある。

  昨日 地産の野菜を荷作りして送った。人参もアスパラもその荷の中のものだ。
  安全で美味しく 安心して食べられる野菜は なによりの土産だ。
  待機保育園への入園祝いと共に 夫と私からの いつもながらの携え物だ。

  明日は 園へ提出するアレルギー証明書を書いてもらうために かかりつけの医院へ
孫を連れて行く。
  その書類があれば 対応した給食を園で出してもらえるから お弁当が要らない。
  ついでに 咳の具合も診てもらおう。
  こういう時 頻繁に行き来して 面倒をみてきたことが役に立つ。
  
  疲れたのか 夫はとっくに白河夜船。
  私も これまでにして やすみましょう。
  
  
  
  
  

  今日は春分の日 お彼岸の中日だ。
  来月四日は 夫の母の命日。
  夫と二人で 実家の仏壇とお墓参りに行ってきた。

  夫の実家も 今は夫の弟夫婦だけが住んでいる。
  かつて 集まり事がある時には 歳の近かった六人の子らが
ワイワイと賑やかなものだから 義父に うるさい と叱られていたのが
今は その子らも皆 独立して 互いに夫婦だけになってしまった。
  広い実家も物音一つしなくて なんだか淋しいような気さえする。 

  お仏壇に携えてきたお菓子をお供えし 二人で手を合わす。

  お墓は いつも義妹によってきれいにされ 既にお花が供えてあった。
  それに持参したお花を増してさし ロウソクと線香を立て お参りした。
    亡父母にとっては七人目になるひ孫が 無事に生まれてきますようお守りください 
それが私の今日の主願だ。

  私の実家もそうだが夫の実家も 先祖をたどると かなり古い。
  お墓を新しくした時に義弟が墓標を整理したが それでも江戸時代中期からのものは
まだ幾柱か残してある。
  刻まれた文字が かろうじて読み取れる墓石の一つ一つは 夫の祖先が
懸命に生きた証だ。
  決して豊かではない土地を 日々命をつなぐためにだけ耕し
ささやかな収穫を喜び 代々生きてきた祖先があったからこそ 今の私たちがある。

  祖先に感謝し 家族の幸せを願って合掌した一日だった。


  
  

  いつもお世話になる I さんの車に一緒させていただき 温めの講習会に参加した。
  私は 二回めの参加だったが 日頃 器具を使っていないので 心もとない有様だ。
  実際に器具の使い方から教えていただかないと 前回に教えていただいた事は
すっかり忘れてしまっている。
  香を棒状にしたものに火をつけることから 講習は始まる。
  先生は
      この時 心を静かに 良くなっていただこう という気持ちを込めてね
と おっしゃる。
  なにごとも 取り掛かる時点から 事は始まっている・・・ということだ。

  一つのことを極めた人の言葉には 重みがある。
  毎回 なにかしら講習会を通して 先生から学ぶことは多い。

  火つけを学んだ後は 今回も私は 施術してもらう側に。
  これは 私が疲れているだろう との I さんと Kさんの配慮からだ。
  先生の指導を受けながら 二人が交互に温めの施術をしてくださった。
  心地よい温かみが体に入って ついつい ウトウトとしてしまう。

  二時間ほど指導を受け 解散になった。
  
  どのような治療でもそうだが まずこちらの心構えがなっていなくては 良くならない。
  施術者と患者の間の信頼関係も言わずもがなだが 私の場合 間に立って
この温めの方法に出会わせてくださった I さんとの関係が 一番大きい。

  彼女とは 私が三十代からの お付き合いだ。
  同級生二人と彼女。
  この三人との交わりが 人生の様々な地点で 私の血肉になっている。
  昨日のブログに 友人は宝物 と書いたが これは決して大げさではない。
  
  彼女らには 長い年月の間 いつもなにかしら与えてもらうばかりだったように思う。
  私にできることは あるのか あるとしたら それはどんなことなのか・・・。

  昨日 今日と 友と交わり 過ごした後
ここらで しっかり考えなくては 私の今後の生き方が 曖昧なものになりそうな
そんな気がして  落ち着かなくなってきた。
  

  

  体は**歳にもなっているのに 気持ちだけは中学三年生のまま。
  そんな三人が 年に一度集まるのだから そのカシマシさは 押して知るべしだ。
  顔を合わせたのが一年も前だとは とても思えない三人だ。

  体のこと 日頃のこと諸々 起きて来た出来事や家族のこと・・・
  そして そんな他愛無い話題の中にも 真剣な悩みが入ってくる。
  長く生きれば生きるほど 解かって来ることもあるが 新しく起きてくることもある。
  経験値のない事が起こってくると いくら**歳になっていても 戸惑ってしまう。
  そんなとき 忌憚のない考えや思いを言ってくれる友人は ありがたい。
  心の中を 丸ごとさらけ出して見せても 臆することもなく 真っ向から受けてくれる。

  こんな友人を持てること自体 稀だろうと思う。
  特に 女性同士では なかなか心の中までさらけ出し合う なんてできない。
  それができるのだから いつ会っても ありがた味は変わらない。

  人生で何人そんな友人が持てるか それは どれだけ満たされた人生を送っているか
のバロメーターにもなるだろう。
  お金持ちでもないし 宝くじが当たったわけでもないが 私にとっては 友人が宝物だ。

  その宝物たちとの時間は アッという間に過ぎてしまう。
  そして それぞれが またそれぞれの家族の待つ家へ帰って行く。

  この次は いつ会えるか・・・。
  名残を惜しみながら別れた時の彼女たちの顔は 心の引っ掛かりを全て吐き出し
スッキリとして 中学のあの頃のように晴れやかだった。
  

  

  明日から 友人二人と お泊りだ。
  夫に言ったら 大笑いされてしまったが 宿泊は 隣の市。
  それも 二泊とも ビジネスホテル。
     なんで どこか よそへ行かない 隣の市なんて つまらない。
     おまけに ビジネスホテルでなんて もっと他にいい所だってあるだろうに。
  それが 夫の意見。

  ご意見は ごもっとも。
  きっと みんな そう想うわね きっと。
  でもね いいの いいの 観光が目的じゃあないのよ。
  たっぷりある時間を めいっぱい おしゃべりして過ごすんだから。
  いいお部屋 美味しい料理 は 私たちには必要ないの。
  食事は 気の向くままに外へ出て 食べたいものを食べればいいんだし。

  それに 隣の市は ちょうど真ん中だし 私の体を想ってのことでもあるのよ。
  ありがたいじゃないの。

  友人の一人は 高山から 一人は滋賀から来る。
  どちらも 小学校 中学校からの付き合い。
  なんでこんなに長い年月 友人関係が壊れないでこられたのか・・・。
  多分 三人は 互いに 分 を心得ているから。 
  人生経験も境遇も違うが 互いに 自分 がしっかりある。
  そして 互いに それぞれの欠点も長所も 解かり合えているから。

  しゃべって 笑って 日頃の鬱憤を晴らして またしゃべって の繰り返し。
  それでも またすぐ会いたくなる。
  この前 会ったのはいつだっただろう・・・。
  電話やメールで しょっちゅうやりとりしているから 忘れてしまった。
  ひょっとしたら 一年振りかも・・・。

  七夕みたいで それも楽しい。
  明日が 楽しみだ。
  

  昨日はホワイトデーだった。
  昨日は 息子が来て いろいろなお茶のセットを 今日は 夕方 家族で来て
孫たちが それぞれ一日かけて作って 黄粉ボールとチョコクッキーをプレゼントしてくれた。

  四年生の孫は男の子だが けっこう細やかに計量したりして まるで市販品のような
仕上がりにする。彼が作ったのが 二種類の黄粉ボール。
  反対に中学二年の女の子は 性格もおおらかなら作り方も同様で 仕上がりは
いかにも と想わせる。彼女は何種類もの形のチョコクッキー。
  二人が一日かけて おじいちゃんとおばあちゃんのために 作ってくれたお菓子だから
どちらも美味しい。
  おまけに 愛情プラスときているから 世界中で一番美味しいお菓子だ。

  この二日 腰の痛みがいつもより強くて ちょっと参っていた。
  だから 玄関先に来客があってチャイムが鳴らされても 出なかった。
  息子が来てくれた時にも 出なかった。
  悪いことをしてしまった。せっかくプレゼントを持って来てくれたのに・・・。

  今日は 町内会の親睦で 夫は夕方から出かけて行った。
  私一人のところへ 前もって来訪の電話があったから 大慌てでテーブルの上を
片づけ 椅子を出しておいた。
  お茶とお茶菓子の用意をし お湯を沸かして待っていた。

  こちらが どれだけ元気がない時でも 孫たちと会話しているうちに
気持ちが高まって 楽しくなる。
  子供は 生きるエネルギーの塊だ。
  今までも 入院中やその後の体調の悪い時期など ニコニコ顔の二人に
どれだけ慰められてきたことか。
  
  今年の夏には 娘にも二人目の子が生まれる。
  夫と私を楽しませてくれる孫が また一人増える。
  どんなエネルギーを与えてくれる子が産まれてくるのか・・・。 
  バレンタインの贈り物やホワイトデーのお返しが増えるわけだ。
  
  息子の家族が帰って行った後 
    それはそうと 二人の孫が赤ちゃんだったころに 何を贈ったんだったっけ・・・
  テレビを視ながら お茶を飲みながら そんなことを思い出していた。

  母が逝ってから十五年の月日が流れた。
  長く寝たきりになっていた母は 私が訪れた次の日の夜遅く 入院先の病室で
独り逝った。
  家と病院を出たり入ったりしていた母が 最期になった七か月の入院の間
それまでのように 私は 病院へ土曜日に行き月曜日に自宅に帰る生活を 続けていた。
  当時 父も 同じ市の違う病院に入院していたから 留守になっている実家と
母の入院先 父の入院先 を トライアングルのように廻って 様子を見 洗濯物を集め
纏めて洗濯して乾かし またそれぞれの病院へ持って行く という 看護生活を送った。
暗く寒い実家へ一人帰って 味気なく夜を過ごした。

  それでも 病院へ行けば 母の顔を見られた。
    変わりない? また来たよ
  聞こえているのかいないのか 反応のない母に声をかけた。

  最期になった日 後ろ髪をひかれながら帰って来しなに
    **がね 東京で着付けを習いたいんだって。お母さんの箪笥から
   必要な物 持って行ってもいい?
 そう 私が言葉をかけると それまでなんの反応も示さなかった母が ハッとしたように
目を見開いて うなづいたように思った。目顔で許してくれた と 私には感じられた。
  それほどの 母の反応だった。

  着物が大好きだった母は 年をとった時に それまで細々と続けてきたお茶やお花
の稽古に着ようと コツコツと着物を作っていた。
  母の死後 何枚もの しつけのかかったままの着物が 箪笥の中にあった。
  休みの毎に東京から来てくれる娘と二人で 母が集めた茶道具や着物を整理した。
  辛かった。

  あれから十五年・・・。
  血を受け継いだのか 娘は お茶の稽古に通い 着付けの免状を受けた。
  母から私へ渡った着物のうち数枚は 今 娘に渡っている。
  可愛がっていた孫が 自分が手を通すことなく遺していった着物を着ている・・・。
  さぞかし 母はあの世で 喜んでくれていることだろう・・・。

  母の命日に 優しくも厳しかった母を想い 一人偲ぶ。

   

  この二三日は 寒のもどりかと思うような寒さが ぶり返しているが
三月もこの時期になると 毎年ならそろそろ畑仕事が始まる。
  例年なら 夫は 土日が雨だとイライラとして 畑へ出られない と愚痴る。
  ところが 今年の夫は ちょっと違う。
  やけに落ち着いていて気のりのしない様子の夫に 何故かと 私なりに考えた。
  
  去年の夏 時ならぬ台風のせいで 夫にとって大切な大切な 桃の木の大きな枝が
見るも無残に 根元からポッキリと折れてしまう という出来事が起きた。
  それも三本も。
  その時の夫の嘆き様は 傍でみていても 気の毒になるくらいだった。

  桃や富有柿は 根元から幹を三本くらいに枝分かれするように 苗のころから育てる。
  それが それぞれ太くなって またそれが大きく枝をはらせていくように育てていって
やっと その枝枝に実が成るのだ。
  その太い枝が三本も折れてしまうと 実の成りは 極端に減ってしまう。
  何年もかけて 大切に世話をして育ててきた樹が そんなになってしまったから
夫が がっかりしたのは当然のことだった。
  だから 今年の桃の成りが想像できるから 夫は 今一世話に力が入らないのだ。

  それと 畑への足が重いのには もう一つ 理由がある。
  仕上げの頃は 私は娘の所へ行っていて 夫が一つ一つ剥いて作った干し柿が
その後どんなふうに仕上がったのか知らずにいた。というか 帰宅しても関与しなかった。
  その夫の大切な干し柿が どこから来たものやらアナグマにやられてしまったのだ。
  連に作った干し柿を ニ段にして軒下に吊るしていたのを いつのまにか アナグマが
食い散らかしてしまったのだった。
  一連だけがやられたのなら まだあきらめもつくが 何連もそれも美味しそうになった
ものの あっちを食べこっちを食べして だいなしにしてしまったのだ。

  高速道路の建設工事で向かいの山に人が入り そこを住処にしていたケモノたちが
追われ おまけに昨秋は 山の食糧が極端に少なかった。
  だからだろう それまで姿を見せなかったアナグマが えさを求めてきたのだろう。

  それやこれやで どうも夫の畑仕事への意欲が いつものように湧いてこないらしい。
  それでも 果樹以外の ジャガイモの種植えなどは 重い腰をあげて済ませた。
  こんな時 私が手伝えれば 少しは夫の気持ちも違ってくるのだろうが・・・。

  傍で見ているだけの私だが 今年こそは なにかいいことが畑仕事であるように と
夫のために 願っている昨今なのだ。
  
   

    四年前の今日 未曾有の災害が 日本に起きた。
    想像をはるかに超える 大津波。それに加えての原発事故。

  津波だけの災害であったなら その地で暮らす人々の人生までも変えてしまうような
どれだけ大きな津波であっても 土地をかさ上げし インフラを再建し 交通網を復興させ
人々が帰還して また元の生活ができるようにさえなったなら
年数をかけても 人間の手で なんとか復興がなされたならば
住民は また戻ってその地で生きていこう と思うだろう。

  ところが今 なかなか復興が進まず 帰りたいと思っている人々が帰れないでいる。
  その最大唯一の原因は 原発事故だ。

  四年という歳月は とりわけ年老いた者には長い。
  この四年を いつかは帰れる という希望にすがって生きて来た老人が
なかなか進まない事故後の処理のために 帰還できないとなれば
落胆というよりは 命の炎さえ消されたような想いをするに違いない。
  もし私が同じような境遇に置かれたとしたら この体でこれ以上生きる意欲が
湧くだろうか・・・。

  それでも 被災者は 生きていかなければならない。
  あの原発事故さえなかったら どれほど人々に生きる希望と意欲が生まれただろう。

  日本が今後もっと発展していくためには原発は不可欠 と 政府はいう。
  その主張は どこまでが真実なのだろう。
  事故処理を完了させるまでには 今後四十年の歳月が必要だという。
  それも 処理に伴ってどんな問題が発生するか 予想さえつかないのだ。
  処理の途中で 高濃度の放射線が漏れないとも限らない。
  そんな 人間の手で解決できないようなモノが 本当に必要なのだろうか・・・。

  例え先祖から住み続けていた土地だとしても 現状の環境の場所へ
積極的に帰りたい と思う人がどれだけいるか・・・。
  
  大勢の人々に 取り返しのできない人生の転換をさせ 心に癒えない傷を負わせ
今なお苦しい境遇におかせている原発。
  こんなものが 本当に必要なのか。
  あの日 テレビの画面に映し出された無惨な光景 その後の原発事故の報道を
思い出すと 改めて憤りがこみあげてくる。

  大津波でなくなったたくさんの方々 その後心の傷みの中で亡くなっていった方々
のご冥福を祈り 今なお苦しんでいる方々には どうか心を折らずに生きてください と
ただ それだけしか 私には伝える言葉がない。

  
  
   

  今朝 寒風に吹きつけられていた氷雨は 次第に雪に変わった。
  またたく間に 辺りの山や田畑は うっすらと白く覆われていった。
  夕方になるほど 雪の舞い方は強くなって リハビリに行く頃には
積もるかとも想われるほどの 降り方になっていた。

  今の時刻では 隣の市で すでに四センチの積雪だと
天気予報が言っている。
  おそらく 家の窓の外にも 同じくらいの雪が積もっていることだろう。
  白川村には 警報まで出されている。
  今日から明日の朝にかけての降雪で ようやく溶けかかっていた積雪も
また 二メートルをはるかに超すにちがいない。
  日本有数の豪雪地帯の春は まだまだ先のことだ。
  
  記憶では 子供の四月の入学式にも 雪が舞った年があったから
この地域でも 雪はそんなに珍しいことでもない。
  それでも 春の気配を感じながらの雪は いっそう寒さを感じさせ
ひとたび気温があがると すぐに消える淡雪には はかなささえ覚える。

  この冬は家にいることが少なかったから 降りしきる雪の様を見る機会が少なかった。
だから 思い出すこともなかったが おもえば 私は この雪の中で育ってきた。
  幼いころ 火の入った櫓炬燵に接するように敷かれた温かい布団の上で
ぬくぬくと掛布団にくるまりながら まだ蒸気機関車だった夜汽車が 駅を出る時にあげる
汽笛の声を聴いていたことを思い出す。
  降る雪で あらゆる物音が消されたなか 物悲しい汽笛が 尾を引いて響いていた。
  そんな時 外はしんしんと雪が降り積もるだけで 道行く人影もなかった。

  今日の嵐を窓から眺めながら 遠くなってしまった故郷での冬のことなどを
知らず知らず 思い出していたのだった。

  明日は 東北大地震が起きた日。
  あらためて 亡くなったたくさんの方々 家屋を失い今もなお仮設住宅での生活を
余儀なくされている方々・・・あの日運命を変えられてしまった方々に 想いを馳せる。

  あれから 我が家でも防災について それまで以上に考えるようになった。
  生活用品を少しでも蓄えておくことから 自然災害保険の見直しまで。
  でも まだまだ充分ではない。
  備えておかなくては と思いながらも ついつい後回しになっていることもある。
  先日 そのうちの一つだった 断水時のトイレ用の凝固剤を ようやく購入した。
  飲み水は 多少の備蓄はあったが トイレまでは 準備ができていなかった。
  これで 少し安心度が増した。

  今 一番心にかかっているには 寝室の中。
  増築時に 万が一に備えてわざわざ設けたドアーが 今 ふさがってしまっている。
  寝室には 倒れては困る大きな家具を置いていない。
 しかし  階段を使うのが辛い私は ついつい衣類の置場所が寝室になってしまう。
  知らず知らずの間に その衣類がドアーをふさいでしまっているのだ。
  ベッドサイドには軍手や運動靴を備えて すぐに逃げ出せるようにしたあるのにだ。

近いうちに ベッドの位置を変えて 衣類を置く場所を作り 
いざという時には 開けて外へ出られるように ドアーを設けた当初の 目的に適った
室内にしなければ と 思っている。
  

  今朝の新聞に ハコベ のことが載っていた。
  畑へ出かけた夫は 雪解けの後に生えている はこべを採ってきた。
  緑も鮮やかなハコベは 柔らかで ようやく萌え出したばかりだ。

  ハコベは 七草のひとつだから 正月の後の七草粥には 欠かせない植物だが
ハコベだけを食したことはなかった。
  籠に山盛りのハコベを きれいに水で洗い 湯がいた。
  湯がいても 鮮やかさはなくならない。いっそう緑が澄んだようだ。

酢味噌 ごまみそ フキノトウ味噌 の三種類で 食してみた。
  ハコベそのものには香りがないから どれで食しても美味しいが
私は 同じ春のフキノトウ味噌で和えるのが 一番気に入った。

  ハコベには 血液の浄化や利尿作用などがあるから 漢方薬にもなる。
  古来 厳しい冬を耐えて過ごした人々は 雪解けを待って萌え出る野草を待ちわびた。
  やわらかな日差しの中で 緑濃い野草を摘むのは どんなにか嬉しかったことだろう。
  冬の間に滞った体内の浄化にも 野草は役立ったのだろう。

  この春は古人よろしく 我が家も これから萌え出る様々な野草が食卓に上りそうな
そんな 今夜の夫の様子だ。

  

  夫が 畑から今年初のフキノトウとヨモギをとって来た。
  フキノトウは まだつぼみのだけを 丁寧に土や汚れを取り除いて 天ぷら用に                          ヨモギは 外側の葉を除いて これも天ぷら用に。
  残りのフキノトウは味噌に ヨモギは湯がいて冷凍する。

  いよいよ今年も 春をいただく時期になった。
  これから五月が過ぎ 山に六月が来る頃まで 春の恵みを満喫できる。

  フキノトウは夫の大好物。
  今夜の天ぷらも 美味しくいただいた。
  スーパーで求めたさよりも天ぷらにした。あとはアスパラ いんげん 茄子 しめじ
かぼちゃ それに 庭で作ったブロッコリーも。

  どうしても我が家は 花より団子 になりがちなこの季節だが これからの時期は
様々な花が開花して 一年で一番華やかな雰囲気の 生命があふれる季節だ。
  同じように色があふれていて華やかであっても  秋は儚さが混じる。
  万物の息吹きを感じるのは これからの季節だけだ。

  まだまだ カイロや電気毛布が離せない 痛い痛いの私にも
やっぱり春はやってくる。
  フキノトウの天ぷらに舌つづみを打ちながら なんだか嬉しくなってきた。

  東京から帰って 昨日今日とリハビリに行った。
  今日は特に いつにも増して 腰から下のこわばりが強い。
  いつも 腰から両足をマッサージしてもらうのだが 今日は足の裏までこわばっていた。
  マッサージ師も 驚いていた。
  かなり強く押すらしいが 私はいっこうに感じない。
  マッサージの他に温湿布や 両足をエアー圧でリンパや血液の流れをよくする
ようなリハビリを受ける。
  
  今日は そのどれもがきつかった。
  温湿布で足を温めるのだが まったく温かみを感じなかった。

  一日中寝ていればこわばりがなくなる というわけではない。
  疲れがこわばりを強めはしても 疲れが取れたからといって こわばりがなくなる
ことはない。
  悲しいかな このこわばりは 腰を痛めて以来ずっと付きまとっている。
  近年は 痛みやこわばりと共存することに ずいぶん慣れてはきている。
  それでも 今日のような日が 度々ある。
  でも 強い痙攣が足にこなくなっただけ今は良くなっている と思わなければ。

  できるだけ 痛い痛い は気にしないようにしているが
それでも やはり今日のような日は辛い。

  痛みを忘れるために できるだけ楽しいことや愉快なことを 考えたりしたりする。
  だから 腰の痛みを覚えてから テレビで視る番組の分野も変わった。
  それまでは視なかった ガハハ アハハ と笑うバカ番組が加わった。
  夫と一緒に視ながら笑っていると 気持ちが少し軽くなる。
  夫から 勤務先の幼稚園児の可愛く可笑しいエピソードを聞くのも 効き目がある。

  考えたり悩んだりして どうなるものでもない。
  これからは ますますガハハ アハハ が必須になっていく。

  今朝 出掛ける前の慌ただしい時に 夫が
     おい 来てみろ 珍しい鳥が来ているぞ 
と言う。
  どれどれ と洗面所から出て 居間の窓から外を見ると あらあら可愛い小鳥が二羽。
  草木の間にチラチラと見えるその姿は アオジだった。
  雀くらいの大きさで 胸が黄緑の特徴のアオジは 我が家の小さな庭を チョンチョンと
くちばしでつついて 何かを食べている。

  アオジは 東京の娘のマンションの木々にも よく来る。
  食事をしているダイニングから良く見える何本かの大きな木の枝には
アオジの他に メジロやシジュウカラなども よくやって来て 楽しませてくれる。
  先だっては キジバトが窓枠の外にとまって 長いことジッとこちらを見ていた。

  今朝は時間がないから もっと見ていたい気持ちを抑え 夫と私は家を出た。
  外へ出ると 空気が冷たいのに加えて 風が強い。
  玄関先には フクジュソウが咲いている。
  鉢植えからも 様々な形の葉が伸びて 隣の畑には水仙が 咲き始めている。
  こんな寒風の中でも 春は確実に近づいている。

  大学病院を出る頃になると 朝よりもっと風が強くなっていた。
  夕方 リハビリに行く頃も 変わりなく風は吹いて
春が来るのを まるで拒んでいるようだ。

  でも もうそろそろ ふきのとうを食卓にのせられる時期がくる。
  まだこの辺りは 梅の花も咲いてはいないが
鶯の澄んだ声が聴けるのも そう遠くないに違いない。

  幾つになっても 春は心を踊らせる季節である。     
  

  今日は 孫が体操教室へ行く日だった。
  教室の先生が 娘の事情を理解してくださって 教室の後 自宅へ連れて行って
遊ばせてくださり 夕方 マンションまで送ってくださる。
  ご親切なお申し出に甘え このところ何回か お願いしている。

  いつもは お嬢さんが マンションまで孫を迎えに来てくださるが 今朝は雨が降って
いたし しばらく娘も教室へ顔を出していなかったから 娘が車で孫を連れて行った。
  教室の会場まで 途中 区内に住まっていらっしゃる先生とお嬢さんを乗せて行った。
  帰りは ご自宅までお送りし 孫をあずけてきた。
  今朝 お弁当を作って持たせたから 孫は先生宅でそれを食べ 夕方まで遊ぶ。

  私は 孫の帰りを待たず 帰って来た。
  品川まで 娘が車で送ってくれ 一緒に遅い昼食をとった。
  
  私は 昼食をとりながら これまで何度も滞在していても 伝えていなかったことなど
娘と話した。

  ひとつは 娘たちの生活の中に 笑いが少ないこと。
  婿の仕事上 いつ仕事関係の連絡があるかわからないし ひとたび連絡が入ると
娘も緊張して成り行きを伺ったりするから 家の中で夫婦で笑う ということが少ない。
  テレビもあまり見ないし 日本流の一家団欒がないから よけいだ。
  そんな中で孫が育っているので 孫もその影響を受けている。

  私が滞在しているうちは 娘と他愛ないやりとりに 冗談を言ったり笑ったりするから
家の中が 明るく感じる。私と夫が営んできた家庭は 常に笑いがあった。
だから 娘も私とのやり取りで 少し気分も軽くなっていくような気がする。
  育った家庭の雰囲気を 思い出してくれたらいい・・・と想う。
  孫のためにも 笑うとリラックスするし気分も和らぐから その点でも 私が滞在する
意味があるのではないか・・・。

  また 私自身 みんな一緒じゃないといけない という考えに 反発するほうだ。
  そんな私が育てた娘だから もっとその考えが強い。
  日本の幼稚園は 特に都内の有名幼稚園ほど 持ち物からしてすべてに
色柄から寸法まで決まっていて それを手作りする母親は 入園前大変らしい。
  友人たちからそんな話を聞くと 娘は 私は日本の学校へは自分の子は入れられない
とつくづく思う と言う。
  みんなと一緒じゃなきゃダメ と考えないから 娘は外国人とも結婚したのだろう。
  その考え方の下地は 私の亡母もそうだったから 私へと伝わり それが娘へと
繋がっているのではないか・・・。

  そんなことなどを 食べながら ゆっくり母子で話した。
  普段は 娘は仕事をしているかベッドで休んでいるかだから
なかなか ゆっくり互いの心のうちを話す機会と時間が持てない。
  今日は たまたま 娘と話す時間が持ててよかった。

  娘の安静度は益々重くなる。
  ヘルパーやシッターがいても 娘の気持ちが芯から安まることはないだろう。
  夫も 気がかりだから また行ってやれ と言う。
  夫の言うようにまた行って 笑わせたり冗談を言い合ったりすることになるだろう。
それまで しばしは 疲れを取ったり友人と会ったり 自分自身の楽しみを得ようと思う。
  

 今日は ひな祭り。
 今年のひな祭りは 娘の体調が悪くて ひな壇を飾ることができない。
 それでも ひな祭りはひな祭りとして 祝ってあげたくて
せめても印にと 市松人形と吊るし雛の大小を 昨日 地下のストックルームから
娘を手伝って 出してきた。

 そして今日 娘は孫に晴れ着を着せて 区内の金王神社へ 今日まで元気に成長した
ことの御礼と これからも健康でいられますようにと お詣りに行ってきた。

 金王神社は古く鎌倉時代以前の創建で 渋谷氏がこの辺りを支配していた頃からの
由緒ある神社だった。
知る限りだが 都内の名ある神社は どこも立派だ。
 その昔から 坂東の人々がいかに信心深かったかが想われる。
 特に江戸時代に入ってからは 庶民は盛んにあらゆることを 神仏に祈願した。
 金王神社もその類をもれず 人々の信仰を集めた 立派な社殿だ。
 源頼朝によって 義経討伐に功を遂げた 渋谷金王丸が祀られている。

 境内には 金王桜と呼ぶ 桜の巨古木がある。
 一本の同じ枝に八重と一重の桜が咲く という珍しい桜で 区の文化財でもある。
 木の傍らには 芭蕉のよんだ句碑があった。
 満開の頃は さぞかし見事だろうと想わせる木の様だ。

 今はまだ 開花にはほど遠く 境内にはベンチで休んでいる人がちらほら。
 お詣りを済ませ 絵馬を求めて 娘の無事な出産と孫の健やかな成長を祈願した。

 お昼ご飯を近くで食べ帰宅。
 吊るし雛を横に 市松人形を孫に抱かせて 今日の善き日の記念に
写真を撮った。

 今夜は お祝いに ちらし寿司だ。
 孫の好きなアナゴをのせた ご馳走寿司。

 孫がお昼寝からまだ覚めないうちに作りましょう。
 

  三月一日は長男の誕生日だった。
  私が二十五になりたての翌月のこの日 彼は 二週間も早く産まれてきた。
  破水して丸一日も陣痛が起こらなかったので いざ出産という時には
羊水が出てしまっていて からいきみするしかなかったから とても大変だった。
  母体が大変だと子も生まれ出るのが大変で 産まれた時の長男の顔は 目がないかと
想うほど はれていた。
  私の母は それをわかっているから
     おう おう よく頑張って産まれてきたねえ
と 声をかけていたが 夫は 生まれたての赤ん坊を見るのは初めてだったから
顔を見るや ギョッとしていた。 

その後 体に悪い所が見つかり 母乳が止まったり 姑からの 心ない言葉で
何度も傷ついたりもした。
  当時を思い出すと 長い年月が経っているのに涙が出てくる。

  それからも いろいろな事があった。
  それでも 長男は 三月一日 四十一歳になった。
  今では 私は老いていくだけになって 彼のためにしてあげられることもなくなった。
  ただ 彼の健康と 家族との幸せを願うだけである。