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   気温が急に上がって 外は一年で一番気持ちのいい季節になっている。
   それなのに 私は相変わらずイタイイタイで過ごしている。

   二日から四日まで 婿が孫を連れて車で来て 夫と私がJRで行き 熱海で落ち合い
彼の車に同乗して 伊豆へ行く約束になっている。
   この約束は 春休みに夫が娘と婿とで決めたことで 私は全く知らなかった。
   しかも その話をした時の夫はかなり出来上がっていたらしく 酔いが覚めた時には
夫も 旅の話をしたことすら記憶になかった。
   だから帰宅後 娘から日取りや費用の相談があった時には 私はもちろん夫も
話の内容が理解できない有様だった。
   酔っていて覚えていない夫に 娘はあきれていた。
   そんな話になっていることを知らなかった私は もっとあきれた。
   それでも 約束は約束だし 婿はその気になっているというから 
それなら仕方がない 行かねば という次第になり行くことになった。

行くからには 旅を楽しみたいし 可愛い孫と過ごす時間も長くなる。
   髪の手入れが簡単でないと 一緒にお風呂に入る時にも時間がかかる。

   とりあえず 髪だけは 準備完了。
   次の問題は 夫が 大きいトランクを 私の知らない間に始末してしまっていて
荷物を詰めていく大きなバッグが無くなっていることだ。
   このことも 昨夜 私は知った・・・。

   さて どうしたらいいものか・・・。
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   友人が 着物をリメイクして洋服を作る人の展示即売会へ誘ってくれた。
   彼女もそうした洋服が好きだし 私も着物を作り変えた洋服を着たりしているのを
知っていて 今回 彼女がよく作ってもらう方が展示会をするにあたって
一緒に行かないか と 誘ってくれたのだった。
   そして 今日午後 連れて行ってもらった。

   会場は 喫茶店の二階にあり 以前友人がアクセサリーの展示会を開いた所だった。
   主催者は 私達と同じ年頃の女性だった。
   お聞きすると なんと我が家のお向かいのお宅の奥さんは 義理の妹さんだった。
   案外世間は狭いものだ。

   展示会場には 数人の先客があり 作品を観たり試着したりして 賑わっていた。
   会場へ入るやいなや パッと目に着く服があったが すでに他の客が試着中だった。
   大島で作られたそれは 長めのベストのような袖なしのチュニックのデザインで 
よく見ると とても手のこんだ切り替えしがしてあって 誰の目にもつくものらしかった。
   一緒に行った友人が見て廻っているうちに 私もそれを試着してみた。
   ものが大島で作られているから 実に軽い。そして布に張りがあるから気安い。
   鏡で見ると デザインは私に似合ってはいるが 色と柄がチョットという感じだ。
   後日 自分から布を持ち込んで作ってもらうことに お願いした。
   友人は 気に入った服があったので その場で購入した。

   なんでもそうだが 品物がどれだけたくさんあっても 自分に似合うものは
なかなかない。友人は その点ラッキーだった と 自分でも言っていた。

   近いうちに どれをリメイクするか 亡母の着物を出してみなくては。
   

  今日は 大学病院の受診日。
  いつものように 夫の出勤に合わせて家を出た。
  病院に着いた時間も 診察開始の時間も いつもと変わらなかったが
今日は 学生が二人 勉強のために私の担当医についていたため 診察室への
呼び込み時間が 大幅に遅くなった。
  それに合わせて 点滴も痛み止めのトリガーも 遅くなっていき 会計が済むと
もうお昼に近かった。
  それでも トリガーや点滴でいつものように痛みが軽くなれば 仕方がない と思えるが
今日は 一向に痛みが軽くならなかった。
  
  帰りに 薬局で薬をもらい その足で 整形外科のリハビリに向かった。
  その時も 痛みの具合は変わらず 腰や足も 療術士も口にするほど硬かった。
  痛みが強いときは マッサージする力を弱くしてもらうが 今日はいつにも増して
弱めにしてもらった。
  そうしてもらったが 痛みは軽くならない。
  今も 腰はドクドクと脈打つように痛む。

  一日中痛みを我慢していたせいか 夕方頃から頭まで痛くなってきた。
  このところなかったような痛みのせいか 熱も出て来た気配がする。

  明日は 午後用事がある。
  今夜早くベッドへ入ったら 明日の朝には 善くなっているだろうか。

   今使っているパソコンは 以前使っていたデスクトップパソコンが古くなって
買い替えの時期がきていたことと 調子が悪くなって 不具合が生じてきたから                            私がどこででも使えて持ち運びができるよう デスクパソコンを買い替える前に
コンパクトでしかもタブレットではない 小型のパソコンを と 夫が探して買ってくれた。
   大方 私がおもちゃのように使うのだから 安いものでいいだろう と
国産ではないが 安価なこのセパレート型のパソコンを買ってくれた。

   たしかに 小型だし キーボードと離して使えるから とても使いやすい。
   ところが 小型だけに 不都合も生じる。
   我流で おっかなびっくりで使うから 余計に問題も多くなる。
   まず  画面が小さい分 文字を入力したり読んだりが しにくい。
   画面を拡大すればいいのだが そうすると 全体が掴みにくくなってしまう。
   また ツールバーの表示が画面にいつも出ていないから 不便だ。

   今日も 基本操作だがわからないことがあって I さんに来ていただき
教えて頂いたが 小さいことが起因して 何度やっても教えてもらうようにできなかった。

   おまけに 文章を書いている最中なのに 強制終了されてしまうことが
しょっちゅうあるから 嫌になってしまう。
   時には ほとんで書き終えてしまっている文なのに 強制終了されてしまうと
また初めから書くのが嫌になって 諦めてしまうことがあるほどだ。
   だから最近は 何行か書いたらその都度保存し それを繰り返して書き込んでいる。

   そのことを I さんに話すと 国産のとは品質が違うから そんなことが
起こるのかも と 言ってみえた。
   多分そうだろうと思う。
   こんなに小さいのに 大きいパソコンと同じ機能をするのは どこか無理がある。
   
   寿命も 多分早くくるだろう。
   その時こそは 国産の もっと大きいセパレート型のを買いたい!
   そう思いながら 今もこのパソコンで書いている。
   
   
   

   次男が帰って行った。

   彼が帰省すると 必ず一度は行く飲食店がある。
   息子だけでなく 夫も私も このお店が好きだ。
   今日も お昼をこのお店で食べよう と出かけた。
   評判のいいお店なので 早めに家を出て 別々に車でお店へ向かった。
   息子は 食べ終えたら そのままアパートへ帰って行く。

   飲食店の良し悪しは 味はもちろんだが 接客の仕方やお店の雰囲気 清潔さなども
重要な要素を占める。
   このお店は それのどれをとっても 最高の部類に入る。
   それでいて 品は庶民的な物で 値段も普通だ。それなのに いつ行っても 
従業員が代わっていても 接客態度も言葉づかいも丁寧で 店内はきれいに掃除が
行き届いている。

   高級なレストランでも 従業員の教育がなっていなくて 不愉快な思いをした経験が
ある。 また店内の清掃が行き届いていなくて ギョッとした経験もある。
   このお店では まったくそんな経験をしたことがないのだ。
   しかも 従業員は 客の用事がないときの立っている姿勢が 実にいい
   しっかり足をそろえて 手を前で重ね まっすぐに立っている。
   そうしながら 店内のどこからでもお客が声をかけると すぐテーブルへやってくる。 
   従業員同士の私語も聞いたことがない。

   また 店内は ザワザワしたところがない。
   厨房の音も聞こえてこないようになっている。
   客が遠慮して小声で話しているわけではないのに
従業員の キビキビした丁寧な応接の声しか聞こえてこない気がする。
   テーブルは 油ものを扱うのに いつもきれいに拭いてあり ネチャネチャしない。
   
   高級料理店なら接客も雰囲気もいいのは当たり前だが 一般的な庶民が行くお店で
このようなお店は なかなかないだろう。
   このお店が そのすばらしさを保ちながら 営業を続けているのは
ひとえに おかみさんが しっかりした従業員教育をしているからだろう と 想う。
   それと 味にブレがないことも 最大の要素だろう。

   今日も 美味しくいただき 気持ちよく 駐車場で息子と別れた。
   

  昨夜遅くに 次男から電話があった。
  久しぶりに土曜日の出勤がないから 明日帰る という連絡だった。
彼が帰るのは 一月以来だ。
勤め先の会社は 久しくなかったほどの忙しさらしく なかなか
土曜日が休みにならない。


  夫は 以前の仕事関係の会で 朝から出かけて行った。
  去年今年と その会の役が当番制で廻ってきた。今年はより重い役らしく
会への出席者のまとめなど ずいぶん前から忙しそうにしていた。
次男が帰って来るのが嬉しいらしい。
一緒にお酒を飲む楽しみがあるからだ。
いつも お酒を話題に 二人で夜遅くまで飲んでいる。。

息子は 夫が出かけてまもなく帰ってきた。
  こんなに早い時間に帰ってくるのは珍しい。

  息子のアパートは海が近いから スーパーの魚売り場の魚でも とても新鮮だ。
  彼は車を購入して以来 帰省するときには 必ず魚を買って来てくれる。
  今日も この辺りでは売られていない 珍しい魚を買ってきた。
  それで 今夜はその魚を使って 鍋にした。

  次男は 魚だけでなく 酒好きの夫のために 帰省の際にはいつもお酒を買って
土産にする。
  車がないときから バッグに入れて帰って来た。
  少ない収入の中からだから その気持ちを可愛いと思う。

  末に生まれた子だからか 夫も私も いつまでも 子供意識が抜けないできた。
  それでも 次男は大きくなり 今では なんとか自立した生活ができている。
  今生きている場が 彼にとって 一番合っているのかどうかは わからない。
彼自身も それが最適の場だとは 思っていないだろう。
  けれども 生きるために 毎日仕事に出かけて行き 疲れてアパートへ帰る。
  親としては 上の二人のように 大学へ行かせればよかったか・・・と思うこともあるが
今となっては 彼が彼なりに しっかり地に足を着けて生きていく姿を 高い木の上から
見守ることしかできない。

  第一は健康だから それだけを心配している。

  今日は 月一回の 温め療法の勉強会だった。
  医師から車の運転を禁止されている私は 毎回 I さんに乗せてもらい 出掛ける。
  会では いつものように 器具の使い方や療治の仕方の指導を受ける。

  十二時に会が終わり 今日は 先生も一緒に お昼ご飯を喫茶店でいただいた。
  メンバーは先生と生徒三人。

  食事を終える頃から ボツボツと 先生が話始められた内容に 私は驚かされた。
  自分より大事とも思って心血を注いで育てた 子供との関係についての悩みだった。
  その内容が 驚くほど 私の内に蟠っていることと似通っていた。

  親と子は この世で一番近しい間柄なのに 一番やっかいな間柄でもある。
 人間は 様々なしがらみの中で生きている。
  中でも 親子のしがらみは 切りたくても切れない間柄であるだけに やっかいなのだ。

  母親は 十か月自分の中で子供の命を育てる。
  胎動をお腹に感じながら 子の命を我が身として育てる。
  そして 自分の体を危険と隣り合わせに晒しながら この世に命を産み出す。
  産み出した後は 自分の足で社会へ出 一人前の人間として生きていけるよう
一時も心身を休めないで 育てる。
  そうして 子供は巣立っていくのだ。

  一方 親の翼の下で当たり前のようにして育ち 巣立った子は
親がどれだけ心を砕いて育ててくれたか よりも 自分が生きていく事の方に夢中で
社会の中に 自分の生きる場所を見つけることに夢中で 親の心の内を伺うこと等
想いもしないで生きる。
  
  親は それでよし と自分に言い聞かせる 一抹の寂しさを感じながら。

  親という字そのままが 親だ。
  子が 一人前の人間として生きていてもなお 親は子を心にかけるのだ。

  親が 真剣に子を育てれば育てるほど しがらみは密になる。
  そして しがらみから起こる確執もわだかまりも 大きくなる。
  しがらみが 親を苦しめ 子を苦しめる。
  それでも 親は子の幸せを願わない日はない。

  親と子は 互いに親子であることからは 逃れられない。
  どちらかがこの世から消えるまで 親と子として生きなければならない。

親おもふ 心にまさる親心 けふのおとずれ なんと聞くらん

  世の中の全ての子らが 松陰のように 親の心に自分の心を寄せてくれたなら
しがらみも絆となり わだかまりや確執は互いへの真の思い遣りになるだろう。

  親とは なんとおろかな者か なんと悲しい者か なんと慈悲深い者か。
  子とは なんとおろかな者か なんと自分勝手な者か.
そして なんと愛しいものか・・・。 
    
     

  

  体調は 少しずつ良くなってきたが 気持ちが なかなかそれに追いつかない。
  それで このところ ブログの書き込みができないでいる。
  すると 遠くにいて毎日会えない分 ブログで私の安否を確認してくれている友人が
心配してくれる。
  たいして重要なことでも ためになることでもない このブログのことは
自分の日々の覚え書きだから ほんの数人の人にしか 知らせていない。
  知らせている人たちは 私にとって大切な人でもある。
  その人たちが 気遣ってくださる。ありがたいことだ。
  
  書き込みする気持ちまでにはなれなくても 日々の家内の 炊事や洗濯などは
待ったなしだから やらざるを得ない。
  ましてや この時期 タケノコや山菜を 夫が採って来たり知人からいただいたりで
その処理に追われる。
  なにしろ 山のものは 採ってすぐに処理しなければならない。
  いくらこっちが 動きたくない したくない と 思っていても やらないわけにはいかない。
  だから しぶしぶ 体を動かしている。
  
  それに 今 一番の問題は ベッドを二台入れた後 それまでに寝室に置いていた
衣類や 諸々の荷物の片づけだ。
  ボツボツやってはいるものの 未だに 荷物の大方は 
一切合財を移動した和室に うず高く積まれたままだ。
  思い切って断捨離を と思っているのに 体も気持ちも動かないから
いっこうに その山が小さく少なくなっていかない。
 
  とはいえ 自分しかできないことだから 天気のいいうちに ちょっとでもやろうか。
  じゃないと そろそろ 夫の口から 小言のひとつも出てきそうだから・・・。
   
  

   四月から 待機保育所へ行き始めた 東京の孫。
   生来 極度の怖がりで 賑やかな場所が大嫌いな子だ。
   賑やかな所から人が少なく静かな場所へ行くと ああ 落ち着くね と
言葉にするような 子供には珍しい子だった。 
   病的と思えるほどの臆病者で 母親である娘は 早くから 同じ年頃の子供達と
一緒にやっていけるだろうか と 心配し 専門家に相談したりしてきた。
   娘夫婦の考えで 早くから体操教室や一時保育所へ通わせ どれだけでも
積極的な行動がとれる子にしようと 親なりの努力をしてきた。
   そのような子に 早くからの保育所や体操教室は ちょっと無理だったのでは と
児童心理の専門家には 言われたそうだ。
   それでも 仕事も抱えているし 通わせてきた。
   たしかに 孫は 保育士に馴れて会話するまでに かなりの時間がかかったし
みんなで運動する際にも 他の子の行動について行けず 一人 ただ立っているだけ
ということが ずっと続いた。
   それが この春休み 私と一緒に東京へ行った夫が 孫の状態や家庭の環境を考え
ちょっと乱暴すぎて 娘も止めにかかるくらいの遊び方を 孫とした。
   ずっと子供の教育に携わりその後も幼稚園児を相手の仕事をしている夫だから と
娘も ハラハラしながらも 口出ししないで様子を見ていた。

   おそらく 孫はそのノリと気持ちが続いていたのだろう その後 最後の一時保育所で
いつものように運動するとき それまでになく ビリになりながらもみんなと一緒の事を
やり遂げたらしい。
   その報告を聞いた私と夫は 効き目があったね と 笑いあった。

   今回 今までとは違った環境の保育所への入園で 馴れるまでまたかかるだろう
嫌がらずに通えばいいが と 娘夫婦も私達夫婦も心配だった。

   ところが 孫は変わったらしい。
   一日目は さすがにちょっと 娘も思ったらしいが 次第に馴れる速度が速くなり
今では 今までだったら絶対ありえなかった 男の子とも対等に臆することなく遊んでいる
と いう。
   仲のいいお友達もでき 手を繋いだりして遊んでいるらしい。
   大食いの孫だから給食の量が足りないだろうが 自分から もっと とは言えない
だろう とも想っていた。
   それが自分から おかわりください と言えて 食べているらしい。
   保育士にも **ちゃん なかなかですよ と 保育所での様子が語られたらしい。

   その話を聞いて 夫も私も驚いた。
   性格を観て 早くから 少しでも苦手とするところを治してあげたい という 
育てる側の試みや努力がいかに大切なことか を これほど実証していることはない。

   もちろん まだまだ三歳だから 今後どのような性格の子になっていくのか は
未知のことだ。 育てる側の者は 今まで同様 しっかり子供に向き合い 見つめて
いかなければならない。
   生来の性格が百八十度変わる とも思えないから 克服していかねばならない
課題は たくさん出てくるだろう。

   それにしても 変われば変わるものだ と 夫と二人 驚いている。

  今夜 テレビ番組 カンブリア宮殿を視た。
  若い経営者二人が 出演していた。

  以前に 彼らがおんぼろの物件にかかわり 斬新なリフォームをして貸し出した番組を
視たことがあった。
  それで よけいに興味を持って視た。

  今や やっかいモノの代表になっている空き家を 彼らは 今までにない考え方で
どんどんリフォームする。
  それも 家や部屋が持っている特徴を活かし そんな家や部屋を探している人に
提供する。
  一つの物件に対して一人ヒットすればそれでいい。その人を案内し
気に入ってもらえればそれでいい そう彼らは言う。
  だから 営業マンの感性に任せている部分が大きい。
  物件は人と同じで性格があるから 不動産に関係のないアパレルから転職してきた
営業マンが 生地やデザインなどを説明するようにするからだろう 成績がいい
とも話していた。

  番組を視ながら考えた。 なんでも観念を一つの事に固定してしまってはいけない。
  モノ一つを使うのも こうでなくては とこだわると そこから抜け出せなくなる。

  年をとると なかなか視座を変えることは難しい。
  長年の経験からたどり着いた考え方に固執するからだろう。
  気持ちが若い と言われる人は きっと一つの事にこだわらない人なのだと思う。

  体が効かない分 せめて考え方だけでも 固めないでいたい。
  昔 映画演劇論の受講で知った 視座 という言葉。
  この 視座を変えて物事を見る 考える ことがいかに大切なことか
それを この年齢になって 改めて思う。
  

  今夜は 今年初めてのタケノコでご飯を炊いた。
  昼間 もう 出てるよ と 近所の方が知らせてくださった。
  勤めから帰った夫に そのことを伝えると 夫は急いで着替えを済ますと
さっそく堀りに出かけていった。
  そして 出始めたばかりのタケノコを 五本採って来た。

  タケノコは 丸ごとのままだと大きく見えても 実際 皮を剥くと 身は小さい。
  全てのタケノコの皮を剥き ご飯に入れるもの 天ぷらにして揚げるもの 煮るもの に
分けて ご飯にするものを切ってお米と一緒に炊飯器に入れ 味を付けて炊き始めた。

  自分が食べたいから と 夫が言いながら 慌てて採って来たコシアブラや
畑の隅に植えているアズキ菜やウドの芽も 今夜 タケノコと一緒に また天ぷらだ。

  残りの一本は ヌカを入れてあく抜き。
  明日は 煮ものにする。

  炊き上がったタケノコご飯は 息子宅の分も見越して炊いたから 夫が 息子宅へ。
  多分 孫たちにとっても 今年初めてのタケノコご飯だったろう。
  こうして 作ったものを運べる距離にお互いがいるのは ありがたい。

  さっき採ってきたものを 時間をおかず食す。最高に贅沢な食べ方だ。
  ご飯も 我ながら 美味しくできた。
  天ぷらも しかり。

  私は 天ぷらを揚げるうち 立ちっぱなしになるのを避けて ちょっと腰かけては立つ
の 繰り返しだ。
  でも それが嫌だとは思わない。
  誰でもそうだが 自分が好きな料理は うまくできる。

  今夜も 夫が満足するように 美味しくできた。
  自然の恵みに 感謝 感謝。
   


  

   今日明日は 春の高山祭りだ。
   あいにくの雨で 屋台は それぞれ屋台蔵の中での披露となった。
   晴れならば 引きそろえられた屋台の それぞれの素晴らしく精緻できらびやかな様を
四方八方から存分に楽しめるのに 観光客には残念なことだ。

   市は この祭りの観光客数を 今年は十八万人 と見込んでいるらしい。
   私が小さかった頃には 飛騨の中心の市の春祭り というだけで
観光客とりわけ外国人の観光客などは あまり見かけなかったように思う。
   高山市が 観光での立市を目指してから 観光で訪れる人が次第に多くなった。

   昔は 市内でも祭りの地域以外の所からの親戚や近隣の町村の親戚の者                          あるいは親しく交際している人が招待されて ご馳走やお酒のふるまいを受けたものだ。

   高山周辺では 祭りに限らず お酒やご馳走をふるまわれることを
よばれる という。

   祭りの晩は 玄関脇には火をともした提灯があげられる。
   通りの家々の門先に灯された提灯が 通りを行き来する人の影をほのかに照らし
足音や話し声が 祭り気分を否応なしに増している。

   祭りによばれると 必ず返礼で その家の人を 自分の土地の祭りの際には よぶ。
   今でも その慣習は残っているが 昔ほど多人数ではない。
   昔は すごかった。

   我が家は市内ではなかったが 土地の祭りには五十人ほどの人をよんだ。
   その人たちに 私と母とで お膳を運び下げ カンをつけたお酒を運んだり下げたり
てんてこ舞いだった。
   もちろん お刺身以外の料理は 殆どが手作りだった。
   客は一度に訪れるのではなく 五月雨式に 夕方から夜中までに訪れるから
   いつだれが とはわからないし 来客の人数も定まらない。
   時には よんだ人が よんだ覚えのない人を引き連れて来ることもあるから 困る。
   だから料理も 去年これくらいだったから今年はこれくらいか と思う数より
残ってもいいから 多めに準備する。
   そうでないと 予期しない人が来たりした時に 青くなってしまう。
   祭りにかかる費用も半端ではなかっただろう と 母の苦労が偲ばれるが
それは 多寡によらず 当時の家庭すべてに言えることだっただろう。
   
   客の中には 汽車やバスの時間に合わせて帰る人もあるが だいたいは長尻だ。
   初めに 名実ともに返礼だけのようにして さっさと何軒かをまわっておいて
最後に我が家へ という人は 実に長かった。 
   当然 お酒の量も度を過ごすから 日本酒だけでなくビール瓶の数も増えてくる。
   酔っぱらった状態で来る客もある。それでもお膳は一人前用意しなければならない。
   そういう人は 料理など味わって食さないから 帰った後のお膳はめちゃくちゃだ。
  
   客が 機嫌よく飲み 食べ 手拍子を打って歌い していく。
   それがなによりの 祭りによんだりよばれたりする 意味だったように思う。
   そして 今年の祭りにいったい何人の人が来たのか は 残った料理の数で数えた。
   
   母と私には 祭りの準備段階から後片付けまで 戦争のような忙しさだった。
   よばれるのは ほとんどが男だから 女は大変な思いをするだけだ。
   女がよばれるのは せいぜい実家か兄妹の家くらいだった。
   それでも 当時はそれが当たり前だったから 文句も言わず母を助けて動いた。
   いつだったか忘れたが 来客の様子か出す料理のことだったと思うが
母と台所で大口を開けて大笑いしながら お膳にお皿や小鉢を並べた事を思い出す。

   雨が降る祭りになったが 今年もきっと よばれて行く祭り客もあるにちがいない。

テレビのニュースから 母と二人して忙しく立ち働いた
はるか彼方の あの頃の祭りの情景が 懐かしくよみがえった。

   

   我が家の畑に トゲ無しのタラの木が植えてある。
   春先新芽を食したくて 夫が植えた。
   それが あちこちから根別れして 何本もの木になっている。
   昨日 その木から 夫が芽を摘んできた。

   今夜は そのタラの芽をメインにして これも夫の大好物の穴子やアスパラ
茄子 蓮根などいろいろな野菜の天ぷらをした。

   タラの芽は フキノトウやウドと同じく 春先にしか味わえない山菜だ。

   しかし 夫の転勤で白川村へ行くまでは せいぜい食すのは蕨やぜんまいくらいで
それほど山菜に興味がなかったから フキノトウにしてもタラの芽にしてもウドにしても
食べたい とは思わなかった。
   夫は 私よりもっと興味がなかった。
   それが 白川村で生活するうちに 自然に食するようになった。

   地元の人たちは 春 周囲の山々の雪が 麓から次第に上へ上へと消えていく
のに合わせて 山へ入る。
   そして ウド タラの芽 コシアブラ アズキナ などを採る。
   もちろん 蕨も採るが 一番多いのはウドだった。
   ウドは まったく捨てるところがない。
   葉も茎も それぞれに工夫して料理し食す。
   多分 今頃は 村人らが むら雪が残る山裾で ウドを採っているだろう。
   山に自生するウドの香りは強い。
   

   春だけでなく秋も 山の幸に恵まれた村は 食材が豊かだった。
   山の民は 一年中 なにがしか野のものを食材にして暮らしている。
   
   地元の人は 山菜採りに山へ入っても 昔からの暗黙のルールに従う。
   小さいものは採らない 採った周囲を戻しておく 採りきらない 等 必ず守る。
   ところが 街から来た者や大量に採って商品にする人たちの採り方はちがう。
   何人もの人が一台の車に乗ってやってきて 根こそぎ採りつくしていく。
   これは何十年も前の事だが きっと今も変わっていないだろう。

   山や川の恵みをいただく という気持ちがないから また来年もその次の年も
という気持ちがないから 山を荒らして去って行く。
   自分さえよければそれでいい という 我 がそうさせてしまうのだろう。

   夫も私も 山菜のことだけでなく 白川村での三年の生活で
本来人とはこう生きるべき という生き方を学ばせてもらった。

   そういえば 昨日 息子も白川での思い出に触れながら
そんなことを言っていた。
   まだ小学生だった息子だが 学ぶべきことはしっかり学んできている。
   しかし 裏を返せば 村での三年は それほど大変だった とも言えるだろう。
   家族みんながそれぞれに 強烈な思い出の三年間を送った。
   それが 今では宝物にも思える三年になっている。 

   
   

  昨日から今日にかけて 新しいシングルベッド2台が配送されるのに伴って
寝室の片づけや 今まで使っていたベッドを入れるための 二階のスペース作りなど
作業に追われた。
  もちろん 私は殆ど動けないから 夫が 家具を動かし 二階へ揚げたり下ろしたり 
できるように 準備していた。
  これまで使ってきたベッドは 今朝になって フレームを分解して二階へと夫が運んだ。
  私も腰にベルトをして 自分の衣類などの諸々も 少しずつ隣の和室へ一時運んだ。

  全ての物を運び出してガランとした部屋を 腰に気を付けながら拭く。
  あちこちが埃だらけで なかなか床拭きまでいきつかない。

  ようやく 寝室に新しいベッドを入れる準備が済んだころ 息子が来てくれた。
  夫と一緒に 今までのベッドのマットレスを二階へ運び 二階のソファーを下へ下ろす。
  これだけのことだが 夫一人ではできない。それで 夫が事前に息子に頼んであった。

  久しぶりに 家族を伴わないで来た息子は 運び終えた後 一緒にお茶を飲み
間に合わせのお昼ご飯を食べて帰って行った。
  息子は 年齢とともに次第に責任が重くなっていく会社でのことなど 孫たちが一緒では
なかなか話せないことを 短い時間だったが 話していった。
  家具を動かすのを手伝いにきてくれた息子だったが 私たち親に息子として向き合い
話せたこと また私達親も 会社での息子の働く内容などを聞く機会を持てたことは
近頃にない嬉しいことだった。

  息子が帰ってしばらくすると ベッドの配送車が到着。
  係りの男性二人が 手際よくフレームを組み立て アッという間に完成。

   二台の新しいベッドが入ると 今までと雰囲気が変わって 新鮮な気持ちがする。
   でも私には 自分の衣類を整理してベッドの引出しに入れる 大作業が待っている。
   少しでも衣類の断捨離をして 寝室に置く荷物を減らしたいのだが・・・。

   一度にはとてもできないから 何日も何日もかかるだろう。
   焦らずコツコツと整理するよりない。

   今夜は 新しいベッドで眠る最初の夜。
   最近にない 新鮮な気持ちがする。
   さて 寝心地はどうだろうか・・・。

  朝 十を超える粒と二袋の漢方薬に始まって 昼も夜も就寝前もずっと薬を飲んでいる。
  こんな生活が もう八年も続いているだろうか・・・。

  飲まなければ痛みが増す と分かっていても いいかげん嫌になってくる。

  それで 一体全体 私の体の本来の力は どれぐらいなのか。痛み具合はどうなのか。
  薬から離れたら どんな具合になるものか。
  それが知りたくて ここ二三日 薬を飲むのを控えて 体の調子をみてみた。

  試みた時期も悪かったにちがいない。
  このところ雨模様の日が続き 気温が下がって寒さが戻ったかのような気候だった。
  こんな日は 体がよく知っていて そうでなくても足腰が痛い。
  そこへもってきて 服薬を止めたものだから 痛みがモロにきた。

  それで このところ体調が悪化。
  痛くて 起きて居られなかった。結果 何日か寝て過ごしてしまった。

  リハビリの療法士にも 腰から下がガチガチに硬くなってしまっている
何か特別なことでもした? と聞かれてしまった。
  硬いのは いつもなのだが 硬さが尋常でないから ビックリしたらしい。

  やはり 薬を飲んでいないせいなのだろう。
  こんなにたくさんの薬を飲んで いったいどれが効いているのかわからない と
思っていたが どの粒も 私の体を助けてくれているのだ と 改めて実感する。

  もう何日かしないと この痛みは和らがないだろう。
  それまで 転ばないように 気を付けなければ。
  
  
  

  春爛漫の季節 あちこちの桜の銘木からも 満開の報が寄せられている。
  銘木は たいがい 老木だ。
  老木が老木としてシャンと立って 自らの力で満開に花をまとう姿は神々しくさえある。
  樹が 花を己が枝枝につけるまでには 渾身の力が要る。
  一年をかけて ようやく花を咲かせるのだ。

  しかし 老木の中には 自分の力では花をつけるのが難しい木がある。
  そのような老木を なんとか蘇らせようとする人がいる。
昨今は 樹木医師なる人間が 木の老化度を診断し 必要な手当てをする。
  すると 当然だが木は次第に力を取り戻していく。そしてまた花を咲かせるようになる。

  この地方の代表的な桜の老木というと 淡墨桜と臥竜桜か。
  薄墨桜は 亡くなった有名女性作家が小説にもし 自らも木の存命に尽力された。
  その結果 今では花を全身の枝枝につけて 見物客を魅了している。
  樹齢千五百年といわれる老木が 渾身の力を振り絞って咲いているかのようだ。
  この木に咲く花は 色が薄く花も小さいから 満開であっても他の木のようではない。
  ましてや 散り際には薄い墨色になるというから 元々が慎ましやかに
そっと山里に咲く桜なのだろう。

臥竜桜にしても 元はといえば 高山線の小さな駅の傍にある お寺の木だ。
  近隣の人たちは昔からその桜をお寺の名で **寺の桜 と呼んできた。
  沿線の住民は 汽車が駅に停まるたび 車窓から見える桜を慈しんできた。
  その桜が 臥竜桜 と呼ばれるようになったのは いつからなのだろう。

  ひっそりと 時期になると咲き 散っていた山郷の桜。
  それが今では 全国から観光客を集めるために
人間のために咲け とばかりの木になってしまった。
  命を長らえさせてやったのだから それだけの分は恩を返せ とばかりに。

それでも 桜は 文句も言わず また今年も花をつけた・・・。

  満開の花を見て ただただ きれいきれい と眺められないのは
どこか皮肉れているからなのだろうか・・・。
  
  
  

  

  天皇皇后両陛下が パラオを 戦没者慰霊のために訪問される。

  今日 夫の実家で 彼の祖母の法要が行われた。
  仏壇の上の長押には 彼の祖父母や両親の写真とともに 戦死された叔父さんの写真が
揚げられている。
  
  若かった叔父さんは 今回天皇皇后が訪問される 南方の激戦地区で戦死された。
  法要の後 一緒に食事をしながら その話題になった。
  祖母は 隆夫という自分の末息子は 機関銃の銃士だったから
きっと いの一番にやられたのではないか と 生前話していたそうだ。

私の母方の祖父も 南方への輸送船に乗っていて 戦死している。
  船がアメリカ軍の攻撃にあい 沈没した。

  帰宅後 夫は南方諸島での戦いについて 調べ始めた。

  パラオ共和国の中でも ペリリュー島では 日本の戦死者一万二十一人。
  アメリカ軍は死傷者あわせて一万人を超える犠牲者を出している。
  アメリカ軍が すでに制空制海権をとっていたにもかかわらず これだけぼう大な
犠牲者を出したということは とりもなおさず 日本軍の反撃の激しさを物語る。
  最新の兵器で戦うアメリカ軍に 絶望的な戦況の中で いかに日本軍が抵抗し
戦ったかが解かろうという数字だ。

  それでも 我々戦後生まれの日本人には 狂気にさらされたように
戦わざるをえなかった尊い一人一人の兵士のその時の心境など 想像だにできはしない。

  戦後の日本が 夥しい骸の上に成り立ってきたことを もう一度想い起こさなくては
今を生きる日本人として この国に生きる者として 申し訳ない。
  国が きな臭い方向へ行きつつある今 天皇皇后のパラオへの慰霊の旅が
私達へ 一つの警告を発しているように思える。 

  先に 夫の弟から 亡くなった彼らの祖母の四十七回忌を執り行うから出席を と
連絡をもらっていた。
  そして今日 夫と二人で出席した。
  なにも持ってこないで と言われたので 蘭の鉢を携えて行った。
  食事を一緒にしたいから と 義妹がわざわざ迎えに来てくれた。

  お経も 回忌の数によって違うのか 今日のお経はあまり聞きなれないものだった。
  最近では どの宗派でも ご住職が教本を持ってきてくださるから お参りする側は
とても助かる。
  ご住職が 張りのあるお声で 長いお経をあげてくださった。
  お参りする出席者は 四十七回忌ともなると さすがに少ないが それでも
肉親だけの 心のこもった法要だった。

  夫たちの祖母は とても長命で 九十過ぎまで生きられた。
  夫が就職した年 初任地で数日した時に 亡くなったそうだ。

  夫は長男だったから 祖母に可愛がられたらしい。
  姑は お乳を揚げる時だけ抱けるくらいで あとは外で農作業をしたという。
  当時の事を 折にふれて 姑が話していた。
  嫁は一家の働き手としての扱いでも 孫は可愛かったのだろう。

  祖母は 早くに連れ合いを亡くし 後家さんで五人の子を育てたが その子供らも
今はもう どなたも鬼籍に入っている。 
  それで 実家を継いでいる義弟が 実家や御位牌 お墓のお守りを
してくれている。
  そのおかげで 今日のように回数の多くなった法事も しっかり執り行ってくれるから
ありがたい。

  夫の実家はともかく 私の実家のお墓のお守りは 弟がいなくなったら
誰がしてくれるのだろう。
  果たして 甥が 遠くからわざわざ来てお守りをしてくれるのだろうか。
  その前に 弟が両親の眠るお墓へ入るのかどうかさえも わからない。

  夫や私も 老齢に入っている。
  親どころか 自分たちの事も 真剣に考えなくてはいけない年齢に至っている。
  実家のお墓へは入れないから どうするか・・・。
  深刻な問題をかかえている。

  

  昨夜から 東京の孫が保育所へ持って行くコップ袋を作って 夕方発送した。

  娘が一応準備したが 毎日持ち帰るとなると 袋の洗い替えがいる。
  娘は体調が悪いし 一週間分の袋があれば 二三日分をまとめて洗えるから と思い
袋を五つと 手拭き 家で使うようにランチョンマットの洗い替え を縫った。

  孫が大好きなキャラクターの マイメロちゃんの柄。
  コップ入れなのに 今持って行っている袋には 手拭きまで入れて持ち帰って来る と
娘が言っていたので 少し大きめでマチのある袋にした。
  
  自分の子供たちが小さい頃は こうして ミシンに向かう機会が多くあった。
  帰りの遅い夫を待ちながらや 帰宅後の夫が仕事するのに合わせて
よく ミシンに向かって なにかしら縫っていた。ラジオの深夜放送を聴きながら。

  それが 子供たちが大きくなるに従って 自分の仕事も忙しくなっていき
いつか そんな夜も消えていった。
 
  今 またこうして 幼子の小さな物を作っていると 当時のあれこれを思い出す。
  ちょうど娘が孫と同じ年の時に 私のお腹には次男がいた。
  二十代最後の年で若かったから 心身の無理も無理と思わず よく動いた。
  慎ましい生活だったが それを苦労と思うこともなく
毎日が アッという間に過ぎていった。

  あの頃は 夫や三人の子供たちのことをなによりも優先し
自分のこと わけても身を飾ること等は 二の次三の次のことだった。
  それでも なんの不足もなかった。
  夫や子供たちが健やかに毎日を送る事 それだけを願って暮らしていた時代だった。

  自分の人生をこうして思い返してみると どの時代であっても 自分なりに精いっぱい
生きてきたように思う。
  人間だから失敗もあるが それも一生懸命生きた結果なら その失敗が 今の私を
作っている一部なのだから それも受け入れられる。
  大切なのは 今 今 を疎かにせず生きること。今 今 の自分を肯定して生きること。
  それしか充実した人生を送る術はない と 今の私は考えている。
  

  たかが孫のコップ袋作りから 意外な方向へ想いが動いた 今日の日記になった。
  これも歳をとった証拠なのだろう。

  

  昨日の朝になって 夫が 池田温泉へ行かないか と 言う。
  あァら 嬉しい。ハイハイ 行きます行きます!
  慌てて支度をして 車で向かった。

  車中からは 目に 満開の桜が咲く景色が 次から次へと流れていく。
  日本人の 桜に対する思い入れがどれほどのものか よくわかる。
  ちょっとした堤には並木が 小さな公園には周囲に 家の庭にも という具合に
今の時期 あらゆる所に 盛り上がるようになって 桜が咲いている。
 
  池田温泉が近づいた頃 夫が
    コンビニに寄って おにぎりでも買って行って 帰りに花見でもするか
と 言い出した。
  道中の桜もきれいだったが 温泉のある池田山は 桜で有名な場所でもある。
  だから 夫が急にお花見を思いついたのだろう。
  そうしましょう そうしましょう と すぐさま賛成し コンビニへ寄った。
  まだお昼前だというのに おにぎりの棚には 数個しかない。
  みんな よく買うんだなあ と 変にビックリしながら 残っているおにぎりを買った。

  今日は休日だから きっと温泉は混んでいるだろう と 想ったが
意外に それほどのことはない。
  夫と 待ち合わせの時間を確認して それぞれ男湯と女湯へ。
  やっぱり ここは泉質がいい。
  実際 県内でも有数の泉質の良さらしい。

  少しヌルッとするお湯に ゆっくりつかって楽しむ。
  やっぱり 池田温泉は いいィ~!

  欲張って いつまでもつかっていたいが そうもいかない。
  これ以上つかると のぼせてしまう。残念だが 出る。

  温泉の施設を出て しばらく車で走ると たくさんの車が止まっている。
  辺りは 桜 桜 桜だ。
  車を止める場所がない。仕方がないから 山裾の方へ車を走らせた。
  すると しだれ桜が続く場所が。ちょうど一台分の駐車スペースが空いていた。
  車のすぐ後ろには 濃桜色のかわいい花が満開の 大きなしだれ桜の木が数本。
  それも 車止めから桜の木々までに 敷物を広げるだけの芝生が。歩く必要もない。
  
  さっそく敷物を広げて腰をおろし おにぎりをほうばる。
  頭の上には 薄く濃く桃色をした八重の花をいっぱいにつけた しだれた桜の枝が。
  労せずして こんなにステキな場所を手に入れられて ラッキーだったねぇ。
  この木は こんなに見事に花をつけているのに 香りがしないねぇ。 
  不思議な木だねぇ と話したりしているうちに おにぎり終了。

  しばらくは しだれた枝が風に揺れる度に もっこりとついた八重の桜が
零れ落ちそうになるのを 眺めて過ごした。

  今日は 一転して空は雨。
  この雨で あの桜たちも 花びらを散らし始めたにちがいない。
  いい時に いいお湯に入り 想ってもいなかった場所で 見事な桜を堪能できた。
  
  連れて行ってくれた夫に 感謝 感謝。 

  極めてプライベートなことだが 夫と私は 二十年以上同じベッドで休んできた。
  それで何の不都合もなく過ごしてきた。
  しかし 友人たちに聞くと この歳になると殆どの夫婦が別々に休んでいる という。
  その話を夫にすると                                                                            俺たちもそうするか 今のベッドも随分長いこと使っているから
            マットレスも かなりへたってきたことだし    と 言う。
  そこで この際思い切って シングルベッド二台に買い替えることにした。

  そして 今日午後から 二人で お店へ見に行った。
  最初は 何軒か見てまわるつもりだったのだが 初めに入ったお店に
気に入った物があったので それを購入することに決め 配送と 今使っているベッドの
引き取りをお願いしてきた。

 配送されるまでに 室内の荷物を別の部屋へ移し 今使っているベッドを
外へ出しておかなくてはならない。
 これを機に 寝室に置いている私の衣類も整理しよう と思っている。
 そうすれば 少しは部屋がスッキリして 同じ部屋でも気分も一新して休めるだろう。

 でも 問題も出てくる。
 一番の問題は 今まで使っていた布団のサイズが合わないから
新しいベッドに合った寝具を調える必要があることだ。
 現在 掛布団は 室のいい羽毛布団を使っている。同じ素材の布団を二枚 となると
値段もかなり張ってくる。
 なんでも新しくなればそれでいい というものでもない。
 
 まあ これからは次第に暖かくなるから 冬の布団は 寒くなるまでに
シングルサイズに作りかえればいいか・・・。
 それとも いっそのこと安い布団を探して購入するか・・・。
 どちらにするにしても 時間はあるのだから いろいろ調べて その結果にしよう。

 二人で そんなことを話ながら お店を出た。
 

  

斜体文    今日は大学病院の受診日。
   夫の車で送ってもらう。
   いつものように 診察 点滴 トリガー 投薬の処方箋をもらう。
   足へのトリガーは 看護士が 動かないように足を押さえているほど痛い。
   それでも トリガーをしなければ 痛みがひどいままだから よけい辛い。
   痛いのを覚悟で やってもらう。 

   大学病院からのバスに乗って 今日はショッピングモールで途中下車。
   孫が保育所へ毎日持って通う コップを買い コップを入れる袋を縫うための
付属品を買った。

   娘が 一応ひとつ準備したが 入園式当日の説明で 毎日持ち帰る と 言われた。
   入院スレスレの娘にとっては 毎日面倒だから 替えが欲しい という。
   それで 孫が最近はまっている マイメロちゃん柄のコップを 東京で探したが
どのお店も 商品が売り切れてないらしい。
   そこで 今日 病院の帰りに モールで探すと なんと マイメロ柄のコップだけでも
六種類も揃っているではないか。
   同じ柄の布もたっぷりあり 東京と地方ではこんなに違うものか と 驚くほどだ。
   それなら いっそ食事エプロンも作ってあげよう と その分も布を買ってきた。

   その後 図書館へ。
   前回借りて まだ読み終えていない本もあったから 再度それらを借り替えた。
   今度は しっかり読み終えられる。
   これからは たっぷり自由に使える時間があるのだから。

   夫が迎えにきてくれ 今度は 夫のメガネを買いにメガネ店へ。
   視力検査に時間がかかったが 誂えておいて そのまま整形外科へリハビリに。

   帰宅したら もう七時をまわっていた。

   一日中 外出して疲れたが それでも久しぶりに時間を自分の思うように使えたことで
気持ちは 晴れた。
   これが 私の日常。日中はいつも一人。それに馴れているからだろう。
   
   明日は 友人と これも久々に お茶する。
   去年会ってからの身辺に起こった事など 互いに報告しあうことになるだろう。
   
   

 午前は 娘夫婦が孫を連れて入園式に行った。
 午後には 歯科検診に私が孫を連れて行った。
 泣くどころか 歯科衛生士のお姉さんと 言葉を交わしたりしながら おりこうだった。
 今日は 今後のために レントゲンを撮ったり 口中の現在の状態を計測したりと
検査の前段階のことがあって それに結構時間がかかったが それでも嫌がらずに
お姉さんの指示に従っていた。
 虫歯もなく フッ素塗布してもらい終了。
 孫は 前回初めてかかった時に 風船で作った動物をいただいて帰ったのを覚えていて
診察台に乗るや否や 風船は? と聞き その後も何回か聞いていた。
 最後に ピンクの風船がいいの と催促した。お姉さんは あまりに何度も要求するから
わざわざ 風船がストックしてある別の引出しの中から ピンクを探し出してふくらませ
ウサギを模って 持たせてくれた。
 いただいた歯ブラシもピンク。
 孫は ウキウキとご機嫌で バイバイ して歯科医院を出た。

 途中で 雨がポツリポツリ。
 大急ぎでマンションへ帰って行った。

 私が それじゃあ と マンションを出ようとした時 孫が
   ばあば かえらないでェ~ と両手で抱きついてきた。
 今後は 出産時まで来ない とわかって 淋しくなったらしい。
 この四か月近くのほとんどを 一緒に過ごしたから 幼いながらも情が湧いたのだろう。
 そんな言葉を聞くと 後ろ髪をひかれるが 仕方がない。

 雨が降り出した東京の街を タクシーに乗り 渋谷駅へ向かった。