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   気温が急に上がって 外は一年で一番気持ちのいい季節になっている。
   それなのに 私は相変わらずイタイイタイで過ごしている。

   二日から四日まで 婿が孫を連れて車で来て 夫と私がJRで行き 熱海で落ち合い
彼の車に同乗して 伊豆へ行く約束になっている。
   この約束は 春休みに夫が娘と婿とで決めたことで 私は全く知らなかった。
   しかも その話をした時の夫はかなり出来上がっていたらしく 酔いが覚めた時には
夫も 旅の話をしたことすら記憶になかった。
   だから帰宅後 娘から日取りや費用の相談があった時には 私はもちろん夫も
話の内容が理解できない有様だった。
   酔っていて覚えていない夫に 娘はあきれていた。
   そんな話になっていることを知らなかった私は もっとあきれた。
   それでも 約束は約束だし 婿はその気になっているというから 
それなら仕方がない 行かねば という次第になり行くことになった。

行くからには 旅を楽しみたいし 可愛い孫と過ごす時間も長くなる。
   髪の手入れが簡単でないと 一緒にお風呂に入る時にも時間がかかる。

   とりあえず 髪だけは 準備完了。
   次の問題は 夫が 大きいトランクを 私の知らない間に始末してしまっていて
荷物を詰めていく大きなバッグが無くなっていることだ。
   このことも 昨夜 私は知った・・・。

   さて どうしたらいいものか・・・。
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   友人が 着物をリメイクして洋服を作る人の展示即売会へ誘ってくれた。
   彼女もそうした洋服が好きだし 私も着物を作り変えた洋服を着たりしているのを
知っていて 今回 彼女がよく作ってもらう方が展示会をするにあたって
一緒に行かないか と 誘ってくれたのだった。
   そして 今日午後 連れて行ってもらった。

   会場は 喫茶店の二階にあり 以前友人がアクセサリーの展示会を開いた所だった。
   主催者は 私達と同じ年頃の女性だった。
   お聞きすると なんと我が家のお向かいのお宅の奥さんは 義理の妹さんだった。
   案外世間は狭いものだ。

   展示会場には 数人の先客があり 作品を観たり試着したりして 賑わっていた。
   会場へ入るやいなや パッと目に着く服があったが すでに他の客が試着中だった。
   大島で作られたそれは 長めのベストのような袖なしのチュニックのデザインで 
よく見ると とても手のこんだ切り替えしがしてあって 誰の目にもつくものらしかった。
   一緒に行った友人が見て廻っているうちに 私もそれを試着してみた。
   ものが大島で作られているから 実に軽い。そして布に張りがあるから気安い。
   鏡で見ると デザインは私に似合ってはいるが 色と柄がチョットという感じだ。
   後日 自分から布を持ち込んで作ってもらうことに お願いした。
   友人は 気に入った服があったので その場で購入した。

   なんでもそうだが 品物がどれだけたくさんあっても 自分に似合うものは
なかなかない。友人は その点ラッキーだった と 自分でも言っていた。

   近いうちに どれをリメイクするか 亡母の着物を出してみなくては。
   

  今日は 大学病院の受診日。
  いつものように 夫の出勤に合わせて家を出た。
  病院に着いた時間も 診察開始の時間も いつもと変わらなかったが
今日は 学生が二人 勉強のために私の担当医についていたため 診察室への
呼び込み時間が 大幅に遅くなった。
  それに合わせて 点滴も痛み止めのトリガーも 遅くなっていき 会計が済むと
もうお昼に近かった。
  それでも トリガーや点滴でいつものように痛みが軽くなれば 仕方がない と思えるが
今日は 一向に痛みが軽くならなかった。
  
  帰りに 薬局で薬をもらい その足で 整形外科のリハビリに向かった。
  その時も 痛みの具合は変わらず 腰や足も 療術士も口にするほど硬かった。
  痛みが強いときは マッサージする力を弱くしてもらうが 今日はいつにも増して
弱めにしてもらった。
  そうしてもらったが 痛みは軽くならない。
  今も 腰はドクドクと脈打つように痛む。

  一日中痛みを我慢していたせいか 夕方頃から頭まで痛くなってきた。
  このところなかったような痛みのせいか 熱も出て来た気配がする。

  明日は 午後用事がある。
  今夜早くベッドへ入ったら 明日の朝には 善くなっているだろうか。

   今使っているパソコンは 以前使っていたデスクトップパソコンが古くなって
買い替えの時期がきていたことと 調子が悪くなって 不具合が生じてきたから                            私がどこででも使えて持ち運びができるよう デスクパソコンを買い替える前に
コンパクトでしかもタブレットではない 小型のパソコンを と 夫が探して買ってくれた。
   大方 私がおもちゃのように使うのだから 安いものでいいだろう と
国産ではないが 安価なこのセパレート型のパソコンを買ってくれた。

   たしかに 小型だし キーボードと離して使えるから とても使いやすい。
   ところが 小型だけに 不都合も生じる。
   我流で おっかなびっくりで使うから 余計に問題も多くなる。
   まず  画面が小さい分 文字を入力したり読んだりが しにくい。
   画面を拡大すればいいのだが そうすると 全体が掴みにくくなってしまう。
   また ツールバーの表示が画面にいつも出ていないから 不便だ。

   今日も 基本操作だがわからないことがあって I さんに来ていただき
教えて頂いたが 小さいことが起因して 何度やっても教えてもらうようにできなかった。

   おまけに 文章を書いている最中なのに 強制終了されてしまうことが
しょっちゅうあるから 嫌になってしまう。
   時には ほとんで書き終えてしまっている文なのに 強制終了されてしまうと
また初めから書くのが嫌になって 諦めてしまうことがあるほどだ。
   だから最近は 何行か書いたらその都度保存し それを繰り返して書き込んでいる。

   そのことを I さんに話すと 国産のとは品質が違うから そんなことが
起こるのかも と 言ってみえた。
   多分そうだろうと思う。
   こんなに小さいのに 大きいパソコンと同じ機能をするのは どこか無理がある。
   
   寿命も 多分早くくるだろう。
   その時こそは 国産の もっと大きいセパレート型のを買いたい!
   そう思いながら 今もこのパソコンで書いている。
   
   
   

   次男が帰って行った。

   彼が帰省すると 必ず一度は行く飲食店がある。
   息子だけでなく 夫も私も このお店が好きだ。
   今日も お昼をこのお店で食べよう と出かけた。
   評判のいいお店なので 早めに家を出て 別々に車でお店へ向かった。
   息子は 食べ終えたら そのままアパートへ帰って行く。

   飲食店の良し悪しは 味はもちろんだが 接客の仕方やお店の雰囲気 清潔さなども
重要な要素を占める。
   このお店は それのどれをとっても 最高の部類に入る。
   それでいて 品は庶民的な物で 値段も普通だ。それなのに いつ行っても 
従業員が代わっていても 接客態度も言葉づかいも丁寧で 店内はきれいに掃除が
行き届いている。

   高級なレストランでも 従業員の教育がなっていなくて 不愉快な思いをした経験が
ある。 また店内の清掃が行き届いていなくて ギョッとした経験もある。
   このお店では まったくそんな経験をしたことがないのだ。
   しかも 従業員は 客の用事がないときの立っている姿勢が 実にいい
   しっかり足をそろえて 手を前で重ね まっすぐに立っている。
   そうしながら 店内のどこからでもお客が声をかけると すぐテーブルへやってくる。 
   従業員同士の私語も聞いたことがない。

   また 店内は ザワザワしたところがない。
   厨房の音も聞こえてこないようになっている。
   客が遠慮して小声で話しているわけではないのに
従業員の キビキビした丁寧な応接の声しか聞こえてこない気がする。
   テーブルは 油ものを扱うのに いつもきれいに拭いてあり ネチャネチャしない。
   
   高級料理店なら接客も雰囲気もいいのは当たり前だが 一般的な庶民が行くお店で
このようなお店は なかなかないだろう。
   このお店が そのすばらしさを保ちながら 営業を続けているのは
ひとえに おかみさんが しっかりした従業員教育をしているからだろう と 想う。
   それと 味にブレがないことも 最大の要素だろう。

   今日も 美味しくいただき 気持ちよく 駐車場で息子と別れた。
   

  昨夜遅くに 次男から電話があった。
  久しぶりに土曜日の出勤がないから 明日帰る という連絡だった。
彼が帰るのは 一月以来だ。
勤め先の会社は 久しくなかったほどの忙しさらしく なかなか
土曜日が休みにならない。


  夫は 以前の仕事関係の会で 朝から出かけて行った。
  去年今年と その会の役が当番制で廻ってきた。今年はより重い役らしく
会への出席者のまとめなど ずいぶん前から忙しそうにしていた。
次男が帰って来るのが嬉しいらしい。
一緒にお酒を飲む楽しみがあるからだ。
いつも お酒を話題に 二人で夜遅くまで飲んでいる。。

息子は 夫が出かけてまもなく帰ってきた。
  こんなに早い時間に帰ってくるのは珍しい。

  息子のアパートは海が近いから スーパーの魚売り場の魚でも とても新鮮だ。
  彼は車を購入して以来 帰省するときには 必ず魚を買って来てくれる。
  今日も この辺りでは売られていない 珍しい魚を買ってきた。
  それで 今夜はその魚を使って 鍋にした。

  次男は 魚だけでなく 酒好きの夫のために 帰省の際にはいつもお酒を買って
土産にする。
  車がないときから バッグに入れて帰って来た。
  少ない収入の中からだから その気持ちを可愛いと思う。

  末に生まれた子だからか 夫も私も いつまでも 子供意識が抜けないできた。
  それでも 次男は大きくなり 今では なんとか自立した生活ができている。
  今生きている場が 彼にとって 一番合っているのかどうかは わからない。
彼自身も それが最適の場だとは 思っていないだろう。
  けれども 生きるために 毎日仕事に出かけて行き 疲れてアパートへ帰る。
  親としては 上の二人のように 大学へ行かせればよかったか・・・と思うこともあるが
今となっては 彼が彼なりに しっかり地に足を着けて生きていく姿を 高い木の上から
見守ることしかできない。

  第一は健康だから それだけを心配している。

  今日は 月一回の 温め療法の勉強会だった。
  医師から車の運転を禁止されている私は 毎回 I さんに乗せてもらい 出掛ける。
  会では いつものように 器具の使い方や療治の仕方の指導を受ける。

  十二時に会が終わり 今日は 先生も一緒に お昼ご飯を喫茶店でいただいた。
  メンバーは先生と生徒三人。

  食事を終える頃から ボツボツと 先生が話始められた内容に 私は驚かされた。
  自分より大事とも思って心血を注いで育てた 子供との関係についての悩みだった。
  その内容が 驚くほど 私の内に蟠っていることと似通っていた。

  親と子は この世で一番近しい間柄なのに 一番やっかいな間柄でもある。
 人間は 様々なしがらみの中で生きている。
  中でも 親子のしがらみは 切りたくても切れない間柄であるだけに やっかいなのだ。

  母親は 十か月自分の中で子供の命を育てる。
  胎動をお腹に感じながら 子の命を我が身として育てる。
  そして 自分の体を危険と隣り合わせに晒しながら この世に命を産み出す。
  産み出した後は 自分の足で社会へ出 一人前の人間として生きていけるよう
一時も心身を休めないで 育てる。
  そうして 子供は巣立っていくのだ。

  一方 親の翼の下で当たり前のようにして育ち 巣立った子は
親がどれだけ心を砕いて育ててくれたか よりも 自分が生きていく事の方に夢中で
社会の中に 自分の生きる場所を見つけることに夢中で 親の心の内を伺うこと等
想いもしないで生きる。
  
  親は それでよし と自分に言い聞かせる 一抹の寂しさを感じながら。

  親という字そのままが 親だ。
  子が 一人前の人間として生きていてもなお 親は子を心にかけるのだ。

  親が 真剣に子を育てれば育てるほど しがらみは密になる。
  そして しがらみから起こる確執もわだかまりも 大きくなる。
  しがらみが 親を苦しめ 子を苦しめる。
  それでも 親は子の幸せを願わない日はない。

  親と子は 互いに親子であることからは 逃れられない。
  どちらかがこの世から消えるまで 親と子として生きなければならない。

親おもふ 心にまさる親心 けふのおとずれ なんと聞くらん

  世の中の全ての子らが 松陰のように 親の心に自分の心を寄せてくれたなら
しがらみも絆となり わだかまりや確執は互いへの真の思い遣りになるだろう。

  親とは なんとおろかな者か なんと悲しい者か なんと慈悲深い者か。
  子とは なんとおろかな者か なんと自分勝手な者か.
そして なんと愛しいものか・・・。 
    
     

  

  体調は 少しずつ良くなってきたが 気持ちが なかなかそれに追いつかない。
  それで このところ ブログの書き込みができないでいる。
  すると 遠くにいて毎日会えない分 ブログで私の安否を確認してくれている友人が
心配してくれる。
  たいして重要なことでも ためになることでもない このブログのことは
自分の日々の覚え書きだから ほんの数人の人にしか 知らせていない。
  知らせている人たちは 私にとって大切な人でもある。
  その人たちが 気遣ってくださる。ありがたいことだ。
  
  書き込みする気持ちまでにはなれなくても 日々の家内の 炊事や洗濯などは
待ったなしだから やらざるを得ない。
  ましてや この時期 タケノコや山菜を 夫が採って来たり知人からいただいたりで
その処理に追われる。
  なにしろ 山のものは 採ってすぐに処理しなければならない。
  いくらこっちが 動きたくない したくない と 思っていても やらないわけにはいかない。
  だから しぶしぶ 体を動かしている。
  
  それに 今 一番の問題は ベッドを二台入れた後 それまでに寝室に置いていた
衣類や 諸々の荷物の片づけだ。
  ボツボツやってはいるものの 未だに 荷物の大方は 
一切合財を移動した和室に うず高く積まれたままだ。
  思い切って断捨離を と思っているのに 体も気持ちも動かないから
いっこうに その山が小さく少なくなっていかない。
 
  とはいえ 自分しかできないことだから 天気のいいうちに ちょっとでもやろうか。
  じゃないと そろそろ 夫の口から 小言のひとつも出てきそうだから・・・。
   
  

   四月から 待機保育所へ行き始めた 東京の孫。
   生来 極度の怖がりで 賑やかな場所が大嫌いな子だ。
   賑やかな所から人が少なく静かな場所へ行くと ああ 落ち着くね と
言葉にするような 子供には珍しい子だった。 
   病的と思えるほどの臆病者で 母親である娘は 早くから 同じ年頃の子供達と
一緒にやっていけるだろうか と 心配し 専門家に相談したりしてきた。
   娘夫婦の考えで 早くから体操教室や一時保育所へ通わせ どれだけでも
積極的な行動がとれる子にしようと 親なりの努力をしてきた。
   そのような子に 早くからの保育所や体操教室は ちょっと無理だったのでは と
児童心理の専門家には 言われたそうだ。
   それでも 仕事も抱えているし 通わせてきた。
   たしかに 孫は 保育士に馴れて会話するまでに かなりの時間がかかったし
みんなで運動する際にも 他の子の行動について行けず 一人 ただ立っているだけ
ということが ずっと続いた。
   それが この春休み 私と一緒に東京へ行った夫が 孫の状態や家庭の環境を考え
ちょっと乱暴すぎて 娘も止めにかかるくらいの遊び方を 孫とした。
   ずっと子供の教育に携わりその後も幼稚園児を相手の仕事をしている夫だから と
娘も ハラハラしながらも 口出ししないで様子を見ていた。

   おそらく 孫はそのノリと気持ちが続いていたのだろう その後 最後の一時保育所で
いつものように運動するとき それまでになく ビリになりながらもみんなと一緒の事を
やり遂げたらしい。
   その報告を聞いた私と夫は 効き目があったね と 笑いあった。

   今回 今までとは違った環境の保育所への入園で 馴れるまでまたかかるだろう
嫌がらずに通えばいいが と 娘夫婦も私達夫婦も心配だった。

   ところが 孫は変わったらしい。
   一日目は さすがにちょっと 娘も思ったらしいが 次第に馴れる速度が速くなり
今では 今までだったら絶対ありえなかった 男の子とも対等に臆することなく遊んでいる
と いう。
   仲のいいお友達もでき 手を繋いだりして遊んでいるらしい。
   大食いの孫だから給食の量が足りないだろうが 自分から もっと とは言えない
だろう とも想っていた。
   それが自分から おかわりください と言えて 食べているらしい。
   保育士にも **ちゃん なかなかですよ と 保育所での様子が語られたらしい。

   その話を聞いて 夫も私も驚いた。
   性格を観て 早くから 少しでも苦手とするところを治してあげたい という 
育てる側の試みや努力がいかに大切なことか を これほど実証していることはない。

   もちろん まだまだ三歳だから 今後どのような性格の子になっていくのか は
未知のことだ。 育てる側の者は 今まで同様 しっかり子供に向き合い 見つめて
いかなければならない。
   生来の性格が百八十度変わる とも思えないから 克服していかねばならない
課題は たくさん出てくるだろう。

   それにしても 変われば変わるものだ と 夫と二人 驚いている。

  今夜 テレビ番組 カンブリア宮殿を視た。
  若い経営者二人が 出演していた。

  以前に 彼らがおんぼろの物件にかかわり 斬新なリフォームをして貸し出した番組を
視たことがあった。
  それで よけいに興味を持って視た。

  今や やっかいモノの代表になっている空き家を 彼らは 今までにない考え方で
どんどんリフォームする。
  それも 家や部屋が持っている特徴を活かし そんな家や部屋を探している人に
提供する。
  一つの物件に対して一人ヒットすればそれでいい。その人を案内し
気に入ってもらえればそれでいい そう彼らは言う。
  だから 営業マンの感性に任せている部分が大きい。
  物件は人と同じで性格があるから 不動産に関係のないアパレルから転職してきた
営業マンが 生地やデザインなどを説明するようにするからだろう 成績がいい
とも話していた。

  番組を視ながら考えた。 なんでも観念を一つの事に固定してしまってはいけない。
  モノ一つを使うのも こうでなくては とこだわると そこから抜け出せなくなる。

  年をとると なかなか視座を変えることは難しい。
  長年の経験からたどり着いた考え方に固執するからだろう。
  気持ちが若い と言われる人は きっと一つの事にこだわらない人なのだと思う。

  体が効かない分 せめて考え方だけでも 固めないでいたい。
  昔 映画演劇論の受講で知った 視座 という言葉。
  この 視座を変えて物事を見る 考える ことがいかに大切なことか
それを この年齢になって 改めて思う。