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  三歳で 私達夫婦の近くへ 息子夫婦に連れられ越してきた孫が 
先月の二十九日で十五歳になった。
 
  誕生日が修学旅行の最終日と重なってしまい 残念がっていた孫だったが
その修学旅行はとても楽しかった と 今日 息子宅へ行くと 笑顔で話してくれた。

  二十九日にはできなかったから 今日お昼から 家族で誕生日を祝った。
  夫が朝早くに畑からとってきたホウの葉で ホウ葉寿司を作り 持って行った。

  プレゼントは 孫の希望で いつも図書券。
  今年も 誕生日カードにこの図書券を添えて贈った。
  
  あの小さかった子が もう中学三年生。
  人の気持ちの分かる 優しい子に育っている。
  生意気なところがまったくなくて 年頃にしては無邪気で意地の悪いところもなく
我が孫ながら いい子に育ってくれた。

  彼女の人生はこれからだ。
  来春には 人生で初めての岐路が待っている。
  自分の人生を 地に足を着けて力強く切り開いていってほしい と心から願う。

  
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  気温が真夏並みに上がって 世の中みんな夏が近い!と感じているのに
私だけは ずっと冬布団のままだった。
  電気毛布も使い ベッドシーツも真冬のまま。掛布団も分厚い羽毛布団で おまけに
その上には 毛布まで欠けていた。
  さすがに 電気毛布はベッドに入る時には切ったが それでも熱いとは感じなかった。

  この二三日 特に気温が高くなってきたからか 夫が いくらなんでももう替えたら と
言って ようやく今日 電気毛布や分厚いベッドパッド 掛布団を片づけた。
  ベッドパッドも夏用 掛布団も 薄い羽毛布団になると なんだか寝室自体が
薄くなったような気がする。
  こんもりと盛り上がっていたベッドが ペシャンコになっている。
  パッドもシーツも布団もカバーも夏に代わり 寝室に夏が来たァ~と いうところだ。

  さてさて 今夜はちゃんと眠れるかな?
  急に布団が代わったせいで 足の痙攣など 来なきゃいいけど・・・。

  昨夜 夫がもうベッドへ入ろうとする頃になって 訃報が入った。
  今年度 持ち回り当番で 夫に 前職の退職者の会の会長が廻ってきている。
  会員数は五十人余りで 最高齢には百歳を超えた方も何人かいらっしゃる。
  その会に所属していらっしゃる方がお亡くなりになった と息子さんからの連絡だった。

  これまでは 訃報の連絡を受けても 弔問に伺い式に参列するだけで
なんの苦労もなかったが いざ会長が廻ってきてみると あちこちへの細々とした連絡やら
することが幾つもあって その対応に昨夜はアタフタした。

  まず 息子さんからの電話が入った時 夫は今までのようなつもりで応対してしまった。
ところが 新聞社各社へ通知のためにも もっと詳しくお聞きしなければならなかった。
  仕方がないから お取り込み中申し訳なかったが 詳しい事を伺うために こちらから
電話して いろいろお聞きするはめになってしまった。
  小さくても新聞記事に載るからには 性格な情報が必要になる。
  前会長から受け継いだたくさんの書類の中に その時のためのマニュアルがあった。
  それをすっかり忘れてしまっていたから 連絡にも落ち着いた対応ができなかった。

  最近は 仕事帰りに畑へ直行し 袋かけやら消毒やら草刈りやらに忙しい夫だから
夕飯の後はグッタリで 今夜も椅子に座ったまま ウツラウツラとしていた。
  そこへこの訃報が入ったから ボッとしたままで電話に出てしまったのがいけなかった。

  詳細を伺った後は それを書式に基づいて記し 新聞各社へファックスで連絡する。
  県の上部団体へも同じように連絡した後は 市の教育委員会へも連絡。
  その合間に 全会員へ連絡網を使って連絡がいきわたるよう手配。

  そうしておいて 明晩営まれるお通夜に 代表として出るための準備をし 最後に                       明後日の本葬に列席するための準備にかかった。

  手配に手抜かりがあってはならないから 眠気の残る夫と一緒になって あれやこれや
していたら とうとう深夜近くになってしまった。
  やるべきことが済むと 夫はさっさとベッドへ入りアッという間に眠ってしまった。
  残された私は 台所の片づけも終わっていなくて お風呂にも入っていない。
  また今夜も 一人取り残されてしまった・・・。 

  この春 寝室のベッドを 新しくシングル二台にした。
  私の衣類を収納する場所が欲しくて 下段が引出しになったタイプのものを選んだ。
  足腰が痛いから なかなか階段を上って 二階にあるクローゼットへ行けないからだ。
  せめて 季節の衣類だけは すぐに出し入れできるようにしたかった。
  すると したいわけではないのに 自然に 衣類の断捨離をする格好になった。

  ベッドの入れ替えのために それまで使っていたベッドの周辺に置いていた諸々の
ものを 衣類と一緒に 急きょ隣の和室へ移動してあった。
  衣類の整理が終わると 今度は 荷物をどこかへ片づけなければならなくなった。
  寝室をできるだけ広く使うためには この諸々のものも断捨離が必要になってきた。

  一度 夫に頼んで家具屋へ行ってみたが これが欲しい という収納家具がなかった。
  収納家具があれば それらをそこへ入れられる と思ったからだ。
  しかし 新しく家具を買い入れたら 断捨離が断捨離でなくなってしまう・・・
ということに気づいた。
  それで購入するのをあきらめて 何も買わずに帰ってきた。
  そして いろいろ考えているうちに 二階の物置に 昔 娘が使っていた収納家具がある
のを思い出した。
  今まで寝室に置いていたドレッサーを思い切って捨て それを下ろしてくることにした。
  細々した物を収納するのに ちょうどいい家具だ。
  これなら ドレッサーより たくさん物が収納できる。
  ドレッサーは 父母が準備してくれた嫁入り荷物の一つだし どこも悪くなっていない。
  思い入れもあるし捨てるのは忍びないが この際 切り捨てないと・・・。 
  二階の物置も広くなるし収納もできるし これなら一石二鳥だし。

  でも 移動してある物全部は収納しきれないから やっぱり断捨離はしないと。
  何を捨てて何を残し それを家具のどこに収納するか・・・。

  今もこの作業は進行形である。
  なんといっても 片づけたい諸々が細かいものばかりだから なかなか終わらないのだ。

  とはいっても 片づけるよりないから ボチボチやるしかない。
  痛みと相談しながらだから この作業 いつになったら終わるかなぁ・・・。

  毎年春になると 山荘を持っている友人から 山荘周辺で採れる山菜をいただく。
  先だっても わらびやら山蕗やらを 持って来てくださった。
  そのいただいた蕗を見て 思い出した。我が家にも蕗があることを。

  フキノトウを食したい と夫が わざわざ野から採って来て
当時借りていた 隣の畑の縁に植えた。
  何年も前のことで その後次第に増えたから 車で行く我が家の畑へも移植してある。
  そのフキノトウが成長した立派な蕗が 隣の畑にたくさん出ている。
  日々目にしているから そこにあるのが当然のことになってしまっていて
その蕗を採って食べようという気すら湧かなかった。
  フキノトウを食するため という思い込みがあったからだろう。

  暑さを避けて夕方近く はさみでチョキチョキと根元から刈り取った。
  見た目よりたくさんの本数を収穫し 早速 お湯を沸かしてあく抜きをした。
  そして食後すぐから筋を採り始め さきほど漸くそれが終わった。
  根気のいる作業だが 野の物の始末は 時間との競争だから やるしかない。
  今は 深いボールの中に入れて 水にひたしてある。

  重曹を入れてアクを抜いた蕗は きれいな緑色で香りもいい。
  明日は これを煮るつもりだ。
  できるだけ香りや緑を逃がさないように煮なければ。  

  それはそうと I さんから教わった自家製の豆乳ヨーグルトが ようやく出来た。
  いままで 何回も失敗してはまた作り方を教わり直し作り直しての 今回の成功だ。
  だから 固まった時は嬉しかった。
  まだ食してはいないが 人によって食後感が違うと言われているから
私の口に合うかどうか 明日の朝が楽しみだ。
  もし 今回のが口に合わなくても 乳酸菌さえあればヨーグルトはできる とも
教えてもらったから これからも いろいろなものを種にして作ってみるつもりだ。

  この時期 木々は緑が濃くなり よく晴れた空に葉裏がキラキラと風にそよぐ様は
実に気持ちがいい。

  今日 病院からの帰り 夫の車の助手席に座って いつもの道を家へ向かっていた。
  お気に入りの道は二つある。

  一つは 広い環状道路から 農地の真ん中にある団地の横をまっすぐに通る路を経て
畜産センターへと向かう道。
  この路は両側に並木があって その街路樹が四季折々に変化する。
  今は 枝枝の黄緑になった葉が 鮮やかで実に美しい。
  秋になると 葉は黄色に変化する。
  また センターの 何本もあるメタセコイアの巨木も 四季によって姿を変える。
  今 瑞々しい緑の細かな葉も 秋には見事に黄変し その存在をますます誇る。
  センターには 桜の木もたくさんあって 花の頃は薄桃色に覆われる。
  様々に変化する自然を感じながらの 気持ちのいいルートだ。

  もう一つは 全国に名高い清流にかかる橋を渡るルートだ。 
  この路は 何の特徴もない普通の片側二車線の道路だが ただ 行き帰りに橋を渡る時
遠くに見える山々の眺めが 実にいい。

  今日もこの路を通って帰った。
  ちょうど橋の上に差しかかる辺りになると 霞がかかった向こうに
幾重にも重なった山並みが見える。
  近くは 市周辺を包むように取り囲む山々
  そして伊吹山から養老山系へとのびる稜線。 
  遠くの山並みは はるか飛騨山系へと続いていく。
  それらの稜線は 遠くになるにしたがって墨色が次第に薄くなり
細く長く連なっている。
  殊に春霞のこの時期は 細くたなびくような稜線の 墨色の濃淡が美しい。
  夕暮れ時には 西陽を浴びて 伊吹の残雪が茜色に染まっていく様も見逃せない。
  

  今日この場所を通っているとき 眼前の山並みを眺めながら
いつも同じ感情が湧き上がることに気づいた。

  あの薄墨色の稜線の向こうに 父母と暮らした生家がある・・・。

  この歳になってもなお深い 生まれ育った地への想いに驚かされる。
  この歳になったからこそ 想いが より増すのかもしれない。
  幸せばかりではなかった生家だったが 今になると愛おしくさえも想えてくる・・・。
  父母が去ってもう何年も経ち 自身も老域に入っているというのに・・・。

  牧水が焦がれた 幸い住むとひとのいう山のあなた も もしかしたら
こんな感情から生まれた地なのかもしれない。

  山に囲まれて育った私だが 月に二度行き来するこの路は
木々や山々の連なりを眺めながら 特別な想いをおこさせる 特別の道である。
  

  

  今夜 テレビ番組の プロフェッショナル を視た。
  俳優の渡辺謙を 何か月も追って作られた番組だった。

  渡辺謙は 今 アメリカのブロードウエーの舞台に 主人公の王様役で立っている。
  少し前に 彼がトニー賞の主演男優賞の候補に挙がった というニュースがあった。
  もともと渡辺謙という俳優が好きだから そのニュースを興味深く聞いたし 読んだ。
  だから 今夜の番組は どうしても視たかった。

  ストイックなまでに 俳優という職業にのめり込んでいる 生の姿を映していた。
  いつもなら 視ている途中で寝たりする夫も 今夜は最後まで視ていた。
 
  役を作り上げていくために映し出される 渡辺謙の姿は 壮絶なほど
激しい気迫がみなぎっていた。

  全く異なった言語を操り おまけにミュージカルだから 演技しながら歌まで歌う。
寝ながらでも歌っているという英語と英語での演技に苦しむ姿を そのまま映していた。

  役者という職業は こんなにも苦しいもの と 視る者を感動させる番組だった。

  できるならニューヨークへ行き 舞台を視てみたい と思った。
  そして 舞台俳優に与えられる 最高の栄誉である賞を 絶対渡辺謙がとってほしい
そう 強く願った。

どうか 渡辺謙に栄えある賞が授与されますように。

  
  

昨日の夫の釣果を 今日は料理し 食べる日。
  お昼には 糸よりと野菜を蒸し焼きに。
  夜は たくさんの小魚を すべてフライに。
  フライは 長男宅へ半分おすそ分けした。

  どれも新鮮だから 美味しくいただいた。
  揚げ油は 必ず新しいものを使うし 粉やパン粉を付けるのも 私流の工夫があるから
いつも カラッと揚がる。
  大変だったのは 魚が小さいこと。
  大きければ なにもやっかいではないが モノが小さいだけに 揚げる準備も
揚げるのも 時間がかかるし根気がいる。

  こういう作業の時には 長く立っていると痛みが強くなるから 時々 腰を下ろしながらの
作業になる。
  正直 したくはないが 夫がせっかく釣ってきた魚を無駄にはできない。
  やるしかない。

  ちょうど揚げ上がるころ 夫が畑から帰宅。
  夫は 朝は 昨日使った釣り道具を手入れしたり干したりしていたが
午後から 畑へ 桃の袋かけに出かけていた。
  熱々のフライは 小骨まで揚っているから余計に美味しい。

  まだ一匹 カサゴが 冷蔵庫のチルドに入っている。
  明日の夕飯には それを煮付けて食す予定。

  ア~ァ それでやっと 釣果の始末終了になる。
やれやれだ。  
  

  

  夜中に 釣りに出かけて行った夫が 無事に帰って来た。
  一緒に行った友人を お宅まで送り届けてから 帰って来た。
  どこにも寄らず 夕食もとらずに 帰って来た。

  一日かけて 何時間も運転して行った結果は 糸より二尾 煮魚向きの魚一尾に
たくさんの小魚。
  小魚のほとんどが サバとスズキのようだ。

  慌ただしく夕食を済ませると 早速 魚の処理にかかった。
釣って来た後は 自分が処理する と決めているらしく 私に やれ と言わないから
助かる。
  大きい糸よりはお刺身に もう一つは煮たり焼いたりできるように。
  他のは 多分煮るつもりだろう。
  小魚は 頭をとって カラ揚げかフライにせよ と言う。

  だから 明日は 煮たり焼いたり揚げたり のどちらかになる。
  後は チルドか冷凍だ。

  体が本調子でないのに 遠い所まで往復運転して行って来たせいだろう。
  疲れ方が いつもよりあるようだ。
  相変わらず 咳込んでいる。

  明日の朝は いつもの休日より ゆっくり体を休めてくれるといいが・・・。

  今日 温めの講習会から I さんの車で 家へ連れ帰ってもらうと
夫が すでに帰宅していた。
  なかなか咳が止まらないでいるから きっと医院へ行きたくて いつもより早く帰宅した
のだろう と思った。
  案の定 医院で受診 点滴をし 薬の種類を変えてもらって帰宅した。 

  夜も就寝中 辛そうだから 明日明後日は体を休めるか と思いきや
今夜夜中 釣りに出かける という。それも 伊勢の南まで!!
  処方してもらった薬を持参してまでも 咳がそんなにひどいのに!?

  友人と約束していたのは 承知していたが 今夜まさか実行するとは!!
  あんなに咳が出ていても やりたいことはやってしまう!
  妻のいうことなど 聞きゃあしない!!

  それが夫だ と この歳になって またもや 諦めと一緒に確認させられた。

  仕方がない。
  これからご飯を炊き おにぎりを作り お茶とコーヒーをそれぞれポットに入れて
甘いモノを何か探して 一緒に持って行くように準備しなくては。
  全部用意ができて それからお風呂に入ると かなり夜更けになるが
痛みを和らげるためには お風呂は必須だから 入らないわけにはいかない。

  まあ 明日の朝は 寝たいだけ寝て居られるから それを楽しみにすることに。

  めったなことはないでしょうけど 気を付けて行ってらっしゃい。
  気の済むようにね!!  せっかく遠い所まで お金をかけて行くんだからね!!

  去年 私が住む県の北部で マイマイガが大発生した。

  山だけでなく市街地でも マイマイガの大発生で 灯りが必要な夏祭りなど
中止になったり 昼間に変更されたりした。
  街灯に集まるというので 街中を暗くしたり 一斉に灯りを消したりもした。
  生活に影響が出るようなガの被害など それまで聞いたことがなかった。

  北部ではホウの葉を使って料理に使ったりするが 去年はそのホウの葉が集まらなくて
業者が南の方まで買付に来た と聞いた。
  実際に名勝地へ行った友人も 木からぶら下がっていたり幹も葉も 至る所
マイマイガで 気持ちが悪くなって 途中から引き返してきた と話していた。

  私の住んでいる県南部では それほどでもなく ホウの葉もきれいなままで使えた。
  夫が作る果樹も マイマイガそのものの被害がなかった。

  それがこの春になったとたん あちこちでマイマイガの幼虫が見られるようになった。
  幼虫は 細くて透明な 蜘蛛の糸のようなもので どこからかフワ~ッと風にのって
飛んでくる。
  その卵は カマキリの卵をつぶした様な形で外側は硬く 肌色をしている。
  そして 卵のまま 壁や軒下に張り付いたままで冬越しし 気温があがって
暖かくなると かえり どこかへ飛んで行くのだ。

  家の周囲を見回ってみたが 我が家の壁には 卵はなかった。
  しかし 安心ではない。なにせ 幼虫は風に吹かれて糸と一緒に飛んでくるのだから。
  現に 玄関先で 何匹か見つけた。

  夫の果樹の木々も この春から何度も消毒しているが 生き残ったり飛んできたりで
次に行ってみると また幼虫がビッシリついている と言っている。
  かといって 口にする物に強い薬は使えないから 困っている。
  どこからか飛んでくるのだから 自分の所だけ消毒しても 効果がない。

  この分だと 毎年作るホウ葉寿司も 今年は畑の木に 使える葉っぱがなくて
作れなくなるかもしれない。
  北部と同じように大発生するとなると この夏には 大量のマイマイガが
夜には街灯に群がり 作物や樹木に大きな被害が出る可能性がある。
  今はまだ目立った被害はないようだが たくさん付いているという干し柿の実も
無事に収穫できるかどうか・・・。

  これといった対策法がないだけに 悩みの種のマイマイガの発生だ。

  パソコンンの調子がよくない。
   なにもしないのに 使っている途中で 突然フリーズしてしまったり
   書き込みの最中に 突然キャンセルになってしまう。

   なにせ小さなパソコンだ。 それなのに 買った電子書籍がいっぱい入っている。
   この覚え書きも ずいぶん増えてきた。
   そろそろキャパがいっぱいになってきたか・・・。

   今の私は パソコンなしでの生活は考えられない。
   このパソコンがあるから 閉じこもりのような毎日でも 時間が過ぎていく。
   買い物にしても パソコンに依存する度合いは大きい。

   おもちゃのように使えるように と 安価な物を求めてしまったことが悔やまれる。
   やっぱり 機器は 日本製の しっかりした造りの物でないと と思う。
   現に 充電器の差込口が すぐに壊れる。
   今使っている物で 三個目だ。

   いつまで持つか 壊れた後どうするか 考え時にきているのかもしれない。

  昨日は 朝 近所の奥さんから お茶に来ないか と 誘われた。
  長く家にいなかったから ひさし振りのお誘いだった。
  私が留守の間 いつものメンバーで 何度かお茶会があったかと思っていたが
みなそれぞれに忙しくて集まれなっかたらしく 昨日集まったメンバーも
今年になって初めてという人もいた。

  昨日のメンバーは四人。
  みな団塊の世代の女性だ。
  だから 話題は 当然 家族の事やら自分の体のことやら 身近かな事が多い。

  このお茶会のいいところは 他人の悪いうわさ話や 聞いていて聞き苦しい話など
しないところだ。
  昔 お茶に誘われ行ったら 他人の悪口や悪いうわさ話に終始したことがある。
  あまりのことに やんわりそういう話を拒絶する発言をしたら
どうして?他人の噂話ほど面白いことはないじゃないの? と返されてしまった。
  そんな話に終始する場は 私の流儀に反するから 以来 お茶会の誘いがあっても
どんな会でも できるだけ遠慮してきた。
  
  近所宅での このお茶会に誘われて行ったのも ほんの数年前からだ。
  集まるメンバーが よく知っている人たちで 性格もいい女性たちだったし
初回の話題も 気持ちのいいものだった。
  
  とかく 女性が集まると 特に年齢が高くなると なおさらのこと 話題の範囲が
狭くなる。
  だから ついつい他人の悪口や噂話になるのだろうが この会のメンバーは
例え 話題が他人のことになったとしても その人の消息だったり近況だったりで
悪い方向へは 話がいかない。
  それがよくて お誘いがあったとき 体調さえよければ お邪魔する。

  昨日も 気が付けば もうお昼近く。
  ご主人が在宅で お昼ご飯の用意をしなければならない人もあり
みんな慌ただしく帰ってきた。

  年齢とともに 次第に物忘れが多くなる。
  これは いくら逆らっても人間という動物である以上 仕方のないことだ。
  しかし 自然のなりゆきならいいが 極端にその頻度が多くなると それは別だ。

  夫は 自分でもちょっと自覚があるらしいが この頃 物忘れが多くなっている。
  一昨日の夜から喉の状態が悪くなっていて 治らないから 仕事帰りに
かかりつけの内科医院へ寄る と 夫から連絡があった。
  電話があった時に 私の薬も少なくなっていて 投薬してもらう時期がきているから
先生にお願いして出してもらってきて と伝えておいた。
  夫は 一時間も超えた頃 点滴をしてもらった と 帰宅した。
  薬局で出してもらった薬を持って帰ったから 当然私の薬ももらってきたかと思い
先まわしに ありがとう 先生 何も問題なく出してくださった? と 夫に言った。
  すると夫は キョトンとして うん? と怪訝そうな顔をした。
  電話で私の薬ももらってきてって頼んだでしょ? というと 夫は自分の体調が悪いから
余計にだったのだろうが 私の薬の事などまったく忘れて 頭に引っかかってもいなかった。
 
  最近 こんなことが ちょいちょいある。
  物の置場所は勿論のこと 予定も忘れていることがある。
  自覚があるから 大切なことは 必ずメモしたりカレンダーに書き込んだりしているが
それ以外のことで 忘れていることが多くなっているのだ。

  仕事場ではどうなのかと 心配になってくる。
  子供の名前や個々の子供のお母さんの顔がなかなか覚えられない と 以前から
こぼすが みんな 歳だから仕方がない と 大目にみてくれているから助かっている。

  本人は いたって楽観的だから あまり深刻に考えていないが
今後 こんなことが度々になって来た時には 医師に相談もありか・・・とも 思う。
  歳相応のもの忘れだ と言われれば 取り越し苦労でいいのだが・・・。

  友人が ブログに新人参の葉のことを揚げているのを読んでいて 思い出した。

  数日前のこと。
  夫が 畑から戻ると
  おい これ 花瓶にさせるか と 玄関先で声をかけた。
  何をとってきてくれたのだろう と 玄関へ出て行くと 緑一色の植物を手にしていた。
  初めて見るもので 茎も葉っぱも花らしきものも 全部緑だ。
  こんな植物 畑に植えてあったっけ? 
  これ なんだと思う? と 夫がニヤニヤしているから 多分想像もしない植物
なのに違いない。
  でも 正直 生まれてこのかた こんな花は見たことがない。

  そこで 夫が言うには
  畑で冬越ししたまま土の中にあったニンジンが こうして花を付けたのだそうだ。
今まで花を付けた人参なんて見たことがないから お前も見たかろうと思って
採って来た とも言った。
鼻を近づけてみると まさしく人参の匂いがする。
  花はといえば よくよく見ると とても造りが繊細できれいだ。
小さな花がリング状にまるく集まって 一つの花を成している。

  考えれば 人参だって 元は種から苗になるのだが 茎が立つ前に収穫してしまう。
  だから 花が咲くまでなんて 畑に置いておかない。
  おそらく これが人参の花だと知っている人は 少ないだろう。

  珍しさも手伝って 早速水切りして 花器にさした。
  その花が 意外に長持ちして 今もまだピンとして 可愛い花を咲かせている。

  水揚げもいいし アレンジメントフラワーにも きっと向いているのではないか。
  彩の中にこの緑色の人参の花が混じったら 一層アレンジが華やかになる。
  こんど人参が食べごろになっても 何本かは収穫しないで花が咲くまで
そのままにしておいて と 夫に頼んでおいた。

覚え書きしておこう と 思いながら つい忘れていた 人参の花だった。

  夜中雨が降る中 小鮎釣りに出かけて行った夫は 行った先での雨が止まなかったので
お昼前には もう帰る と連絡してきた。
  
  釣果は 五十匹。
  去年 初めて行った時には まったく釣れなかったが 今回これだけ釣れた。

  帰宅すると 道具を洗ったりした後 早速 から揚げの下準備にかかった。
  小さい鮎の内臓を きれいに取り除く。
  この作業が 案外に面倒で時間がかかる。

  下ごしらえが済むと今度は私の出番。
  油を熱して 順番に揚げていく。
  五十匹すべてを揚げ 今夜食べた後の残りは 新玉やニンジン ピーマンを細切りにし
一緒に甘酢に漬け込む。
  こうしておけば 数日楽しめる。

  夫は これからもシーズンの間 何回か出掛ける気でいる。
  次回は きっとフライだ。残れば佃煮に。

  帰宅途中 池田温泉に寄ってきた夫は 早々とベッドへ。
  私は これから甘酢漬けの準備にかかる。
  夫の期待通りに 美味しくできますように・・・。

  
  

  娘が孫の写真を送ってきた。
  三歳の孫は大食漢だ。大人顔負けに 驚くほど食べる。
  しかも 三食しっかり大食いする。
  朝など 時間がない もう出かけるよ 靴はいて! と言われるやいなや
猛烈な勢いで口に入れ始め 靴を履きながらでも もう一口もう一口と止めない。
そしてもぐもぐさせながら バイバイと手を振りドアーを出て行く。
  娘も 孫の食べることへの執念には脱帽だ と言っていた。

昨日の写真は 夕食時の様子だった。
  食べ始める前のと食べ終えた後の。そして食べている最中のが一枚。
  その食べている写真が おもしろかった。
  両方のほっぺが まん丸く膨れていて まるでリスが両頬にある袋を一杯にして
食べているのにそっくりのほっぺになっていた。
  孫は目が大きいから 余計にリスのほっぺだ。

  いったいほっぺには何が入っているから そんなに真ん丸なのか 娘に返信すると
ミニトマトが入っている という。
  なるほど それなら真ん丸になるはずだ。
 
  孫は 時々 そうやっておどけて見せる。
  婿は めったにふざけたりしないが 娘は やっぱり我が家の子。
  ふざけたり冗談を言ったりしながらの家庭で育ったから 自分の子とのやりとりにも
おふざけや遊びが入る。
  そうやって育てたから 孫もおふざけが好きだ。

  多分 娘と二人で夕食をとりながら ついおふざけが出たのだろう。
  行儀や躾けを考えると 叱らなければならない場面だろうが 
このくらいはいいだろう と娘もオオメにみているのだろうし 私も それでいい と思う。
  もう少し 年齢がいったら 自分でふざけていい時 を知るだろうし その頃になって
からでも教えるのは遅くないだろう。

  子供は 厳しいだけでも優しいだけでも いい子には育たない。
  今は そうやって食べる事を楽しみ 出された物をしっかり食べるほうが大事だ。

  それにしても ポッコリふくらんだ両のほっぺで笑っている孫の
なんとあどけなく可愛いことか。
  自分の子もこうした時期があったのだが 孫となると こちらにもゆとりがあるから
そんな姿をゆったりとした気持ちで楽しめる。
  その点 娘は年齢が上がっている分 気持ちにゆとりがある ということだろう。

  元気で 毎日たっぷり食べて 大きくなってくれることを願う ばぁばである。

  

  また今年も 夫が 小鮎釣りに出かける季節がきた。

  夫はしばらく前から なにやら落ち着かない様子で 去年の日記などをくっていた。
  そして先日 スーパーの鮮魚コーナーに 小鮎がパックで売られているのを発見。
  そうなると もうダメ。
  よし!!行くぞ!!となる。

 ところが今年は いつも一緒に行く友人からの誘いの電話が 入らない。
 もうそろそろ かかってきてもいいころなのに・・・と 夫は気もそぞろだった。
 それでも電話がないものだから しびれを切らして こちらから電話した。
 すると 電話がないはず。友人は体調を壊して近日検査入院する とのことだった。
 
 夫は友人の容態を気にかけつつも やっぱり行きたい気持ちを押さえられない。
 それで とうとう 一人で行ってくる と 言い出した。
 言い出したら聞かない性分だから 私も無理には引き止めない。
 一人では車での行き来が心配だが 毎回行先は同じ場所だし携帯もある。
 長男を誘ってみたら?とも言ってみたが 夫はその気がないから仕方がない。

 一昨日くらいから 二階の物置部屋からゴソゴソと道具を下ろしてきて
準備が始まった。
 
 まだ暗いうちに出かけるから お昼用に 昨夜はおにぎりを握り 二本のポットに
それぞれお茶とコーヒーを入れて準備した。
 
 夫は大漁を夢見て 早々とから揚げ用の粉など 自分で買ってきてある。
 煮るようにと 醤油やみりんまでも新しい物を買って来た。

 さてさて 釣果はいかに。
 釣りを楽しんで 怪我しないで 無事に帰って来てくれれば 私はそれでいいですからね。

  今夜のテレビ番組 カンブリア宮殿。
  一人の元企業コンサルタントが 最短二か月で卒業できる 寿司職人養成所を作った。
  その学校の卒業生は 今や世界中で働いているという。

  養成所での授業風景も流していたが 教える側はとてもやさしく丁寧で
とても徒弟制度が残る職域とは思えない様子だった。
  学ぶ側はそれぞれ事情を抱えていたりするが 皆真剣に学んでいるようだった。
  
  日頃 マスコミで見聞きする海外の和食 特にすしは 日本人にすれば とても
すしとは言えないようなものもあって 和食が世界遺産になったものの これを和食と
想われれるのは心外 と一人で憤慨していた。
  ブームとはいえ 海外にも 本物のおすしが食べたい 本格的な和食を食べたい と
思っている人もあるはず とも想っていた。

  この学校の経営者は 私と同じような考えに加えて 厳しい徒弟制の世界で 
寿司職人になりたいと寿司屋に就職したにもかかわらず 離れていく若者が多いことに
心を痛め なんとかならないものかと 考えに考えて この学校を立ち上げた。

  実際 二か月で独り立ちでき就職先もあまたあるとなれば よし!と挑戦して
寿司職人になって海外へ行こうとする人も 当然多い。

  もし 私がもっと若くて体も今のようでなかったら この学校に入ったかもしれない。
  でもそうと決めたら きっと一年コースでないと技術は身に着かないだろうが。

  海外で 本格的に学んだ日本人が調理場に立っているのは それだけでステイタス
になるし 職人の収入もかなりいいらしい。
  実際 日本人の職人を求めるお店は多いが 不足して売り手市場のようだ。

  まがいものの和食や寿司でなく 本格的な日本の食が海外に進出することは
正しい日本文化を知ってもらいことにもつながる。

  番組を視ながら 経営者の考えに共感する部分が多かった。

  ああ~ 私も健康で若かったらなあ~
  こんな学校で技術を取得して 海外で働いてみるのになあ~

  
  

この春五年生になった長男宅の孫の話だ。

 彼が通う小学校では 高学年になると 全員が どこかのクラブに入って活動する。
 体育系も文化系も どこでも入りたいクラブの希望を出して決める。
 ところが 人気のあるクラブには 人数の制限があったりで なかなか入れないらしい。
 そこで 公正をきすために 各自第三希望まで出し 第一希望のクラブから順に
希望する子同士で じゃんけんで決めたのだという。
 第一希望で負けたら 第二希望のクラブに入りたい子同士で またじゃんけんをする。
 そこでも負けたら 最後第三希望に入りたい子同士またじゃんけん。 
 そこまできても 負けてしまった子は どこでもいいから 希望者が少ないクラブで
入れる所へ所属しなければならなくなる。
 
 大概の子は 最低でも第三希望のクラブくらいへは入れるのだが
じゃんけんに弱かったりして運が悪いと 第三希望へも入れなくて まったく意に沿わない
クラブへ入る破目になってしまう。

 孫は その最悪パターンにはまってしまった。
 そしてなんと 入ったクラブが 手芸クラブ!
 そこしか人数の空きがなかったのだから 否応なく入らざるを得なかったらしい。
 孫のように ことごとくじゃんけんに負けた結果 このクラブに押し込められた男子が
孫を含めて四人いるという。

 夫と私はその顛末を聞いて 孫には申し訳ないが あまりにも気の毒な展開に
笑いを堪えるのが大変だった。
 よりにもよって 手芸クラブとは おそれいった。
 気のいい孫が どんどん負けて追いやられていく様が 目に見えるようだった。

 それで 手芸クラブで何をしたいの? と聞いてみたが 彼にはわかるはずもない。
 あまりにも彼のしょげ振りが気の毒で **ちゃんは キッチリしたことが好きだから
布で何かを作るようになっても きっと上手にできるよ と言ってはみたものの
基より 本人が入りたくもないクラブだから なんの励ましにもならないようだった。

 新学期になってからというもの 彼はついていなくて 不運続きだ。
 クラスでの役も 希望した役につけず 運動会の応援団員からも外れてしまった。
 同級生からの信頼が イマイチということもあるだろうが 希望すること全てが
うまく運ばないのは 本人にとって さぞかし辛かろうと想う。
 ましてや新学期。あんなこともこんなことも 楽しそうにするお姉ちゃんを見ていたから
よし自分も高学年になったら と 期待していたに違いない。

 それが クラブ活動さえ自分の思った所へ入れず あげくが手芸クラブ。
 意に沿わないクラブで 彼はどうやって一年を過ごすのだろう。
 例え子供といえど 生きることはなかなか難しいね **ちゃん。

 この分だと 顔を会わせる度に 思いっきりヨイショして 彼の気持ちが少しでも
前向きになるように 言葉かけをしなくては。

 めげるな**ちゃん!
 ガンバレ!!

 
 
 
 
  

  今日 大学病院での痛み止めの打ち方は いつもと違った打ち方だった。

  毎回受診の折に 点滴に加えて痛み止めのトリガーをしてもらう。
  腰と足の痛む箇所に 合計で十五か所前後に 痛み止めを打つ。
  足に打つ時には 毎回医師がエコーの画像を見ながら打つ。
  今日は 全部にエコーを使い 一番効きそうな所 数か所の深部まで針を入れた。
そのやり方だと そこからジワッと薬が広がっていって 広範囲に効くようになるらしい。
  そのかわり 今日は打った後 痛い。
  いつもなら 針を打った場所がどれだけ多くても 違和感がないのに
今日は 打った箇所もだが周辺もが痛む。
  足も 重く感じるし動きも悪い。

  これが 日にちが経っていくうちに効き目があらわれてくればいいのだが・・・。
  とりあえずは 明日 様子を見るよりない。
  

  昨日は母の日だった。

  夫が 母の日と思えど今はすでに亡く かぁ と 昨朝 新聞を読みながらつぶやいた。
  ついつい自然に 口をついて出たのだろう。
  親思いの夫だから 亡くなってどれ経っても 彼の中には 母の日がいきている。

  夫や自分の母親が此岸にあるうちは 五月の第二日曜が近くなると
今年は何を贈ろうかと 楽しみながら考えたものだった。
  考えた末に贈った品を 夫の母は あんたはいつも これが欲しいなぁと思っている物
を持って来てくれる どうしてそれがわかるのか不思議だ と言いながら 喜んでくれた。
  大概は辛口の母だったから そう言われた時は嬉しかった。

  自分の母は 今の私の年には もう寝着いていたから 贈る品は限られていた。
  でも 病院へ行き来する際に上着に付けるブローチなど贈ると とても喜んでいた。
  倒れる前は おしゃれで身だしなみに気を遣う母だったから 元気で居さえしたら
何だって贈ってあげられたものを それが今も心残りだ。

  自分の子供らからは 今年は偶然にも 花の鉢だった。
  それぞれが 考えて選び贈ってくれる品は なんでもありがたいが
あまり外出する機会のない私には いつでも眺められる花は
とりわけ 心のざわつきを鎮め 和ませてくれる。

  長男が 母親としての大変な部分は終えたのだから ああかしらこうかしら 
ああしなきゃこうしなきゃ と 思わずに 気ままに好きな本を読んで暮らせばいい 
そんなことを 昨日 花の鉢を渡しながら言ってくれた。
  そうしなきゃ鬱になってしまうよ とも言った。

  たしかに 痛みにばかり囚われていると 痛みは人格を変えていく。
  読書三昧という天国で 何も想わず遊んで暮らせるのが
私に与えられた 最大の贈り物なのかもしれない。

  初春の福寿草に始まって 我が家の小さな庭には 次々にいろいろな花が咲く。
  本当は 一年中花の時期が重ならないで咲いてくれると 一番いいのだが
そう思うのはこちらの勝手で 花は己の咲く時を知り 律儀に花開くのだから 仕方がない。
  
  今はちょうど つつじやモッコウバラや小手毬 オダマキ 白山吹が終わるところだ。
  そして代わりに 芍薬 カラー 花菖蒲の幾種類かと卯の花が満開だ。
  紫蘭 白蘭 クレマチスも二種類咲いている。
  花期が長い花もあって クリスマスローズなどは 今もまだ咲いているし 海老根の
三種類や春蘭も まだまだ名残惜しげに咲いている。

  私自身は 山野草のように 可憐な花が好きだが 夫はあまり興味がない。
  彼が好むのは パッと人目を引くような 華やかな花だ。
  だから 牡丹や芍薬 バラなどを その辺りには山野草が植わっているにもかかわらず
大きな足で踏み固めながら 植えたり世話したりするものだから いつしか次第に無くなって
今は 姫しゃが 鳴子ゆり ほうちゃく草 二人静 外 後ほんの数種しか残っていない。
  あれほどあったものを と残念だが 仕方がない。 

  地植えの花もいいが 鉢で育てる花もいい。
  体を悪くしてからは できるだけ鉢植えの花は作らないようにしてきたつもりだが
気付けば これもかなりの数になってしまった。
  東京での滞在が 初冬から春にずれ込んだから もう作らないでおこう と思っていたが
夫の車に乗って 苗やの前を通ったりすると やっぱり欲しくなって買ってしまった。
  夫にあきれられながら それでも できるだけ痛い顔を見せないようにして いくつかの
鉢に苗を植えた。
  
  このところの天候で 苗は日に日に成長している。
  できるだけ大きく育てるために 毎日伸びて来た芽を 摘んでいる。
  そうして脇芽を増やし 大きな株にする。

  痛みのせいで何もできなくなってしまったが せめてこれくらいの楽しみは
自分にもあっていい そう思うから 毎日 庭の花を眺め 鉢の様子をみている。

  花はいい。
  ただ黙ってそこに居て それぞれがそれぞれの蕾を必ずつける。
  人間の心を斟酌せず ただ己の花をそこで咲かせる。
  
  それでも やっぱり花は花で 悩みがあるのだろうか。

  
  

  毎年一回 六人のメンバーで 一泊の旅をしている。
  昨夜 その旅に向けての話し合いがあった。

  メンバーが六人に定着してから もう二十年にもなるか。
  毎年 二人が組になって幹事を務め 行先の希望をとり 旅の準備をする。
  パック旅行ではないから 行先と日にちが決まると 幹事はそれにそって 切符の手配や
宿泊先の予約などをし 旅程表を作る。
  みんな素人だから これがなかなかに面倒なことだ。
  旅の間も 旅程にそってメンバーを連れて動かなくてはならない。
  行先での 見るべきもの 寄ってくる場所 昼食をとるお店などを探して 旅を組み立て
事前にもう一度 みんなに図る。
  当番の二人は けっこう大変なのだ。

  それでも 六人の気持ちがずれないで何年も来られたから 近年は お互いが遠い親戚
の間柄のように感じている気がする。
  話す時にも 誰もが遠慮なく思った事を口にし それでいて諍いにはならない。
  それぞれ性格も違うから 一つの事についての考え方や対処の仕方も違う。
  メンバーの考えに ああそうか と思わされたり気付かされたりもする。
  六人の年齢が 殆ど同じだからか 皆大なり小なり 同じような体験や経験をしている。
  同調し合う部分があるからこそ これほど長い年月 会が続いてきたのかもしれない。

旅の間 私の体が悪いのを承知で 皆がそれとなく気遣ってくれるから ありがたい。
  私が メンバーのお荷物にならないようにと かなり気を張っているのも 皆知っていて 
もっと頼ってくれた方が 気が楽だとも言ってくれる。

  これまでは 荷物は他人に頼らないで 必ず自分で持ち歩いてきた。
  今年は それができるだろうか と不安になる。
  体調は 旅の直前にならないとわからないが もし 痛みが強くなったら
今年は メンバーに頼ることになるかもしれない。
  そうなっても みんなが いいよ と言ってくれるうちは 甘えさせてもらうつもりでいる。
 
  今年の旅先は 滋賀県 に決まった。
  どんな旅になるか 楽しみなことだ。
  

  今日から また書道の教室に行き始めた。
  長期の東京への行き来で 先生に訳を話して了解を得 先月までお休みさせて頂いた。
  気持ちも ようやく落ち着いてきたので また今月から通わせていただけないか と
先生に伺ったら もう一人の方も また今月から伺う との連絡があったから ちょうどいい
とのお返事だった。
  通ったり休んだりの 勝手な生徒だが 先生はいつも快く受け入れてくださる。
  ありがたいことだ。

  いつもの時間に伺うと すでにもう一人の方も来ていらっしゃった。
  久しぶりの再会に ついつい お互いに休んでいた間の報告会が始まる。
  この歳になると 半年の月日は長い。
  先生も体調を崩されて毎日何か月も 遠くの病院まで点滴に通われ ようやく先月半ば
通院しなくてもよくなった と話された。
  一人の方は 乳がんが発見され すでにステージ2に進行していて 去年の暮れに切除
したが 退院するや否や 今度はご主人が肺気腫で入院。
  自分の病状も 十五回の放射線の照射など落ち着かなくて大変な中 ご主人の病院へ
毎日通われたとか。
  先生もこの方も ご自身の体が悪くなって 辛い思いをなさっていた半年だった。

  私も 自身のことではなかったが 身障の身には かなりこたえた半年だった。

  だれの身にも 平穏に過ぎていく毎日などない と改めて知った。
  そして 年齢的に 疲労を溜めないこと ストレスをできるだけ少なくすること
そして ちょっとおかしい と思ったらすぐに受診すること この三点が なにより大切だと
みんなで確認し合って 稽古に入った。
  

  連休が終わると あちこちへ出かけていた方から お土産をいただく。
  嫁の実家を訪ねていた息子宅からは 海産物やらかんきつ類やらお菓子やらが届いた。
  ご近所さんからは お茶やら海産物やら その他いろいろを頂戴した。
  
  多くのお宅は ご主人か奥さんの実家へ帰省されていたらしく その関係のお土産だ。
  実家が遠い所にあるお宅は 連休のように長いお休みを利用しないと なかなか帰省も
ままならないからだろう。
  帰宅されたお顔は 楽しい数日で十分にリフレッシュされたのだろう とても晴れやかな
いいお顔をされていた。

  何年振りかで母親の顔を見 元気で暮らしている姿を自分の目で確かめられた嫁も
疲れより 安心したのだろう 晴れやかだった。
  
  日本は長い休みは 連休かお盆 年末年始の休みくらいで 欧米のように一ヶ月二ヶ月
に及ぶようなバカンスがない。
  元来 遊ぶことを知らない日本人は 仕事をしないでのんびりと長い間過ごすなど
とうていできることではないから 休みは 一週間から長くて精々二週間というところだろう。

  なんにせよ 束の間 心を和ませ 肉親の温かい気持ちに包まれて過ごした人たちは
また明日から頑張って働こう と 今夜は床に着くにちがいない。
  

  伊豆二日目は 宿の近くの山の上にある アニマルキングダムと遊園地へ。
  朝食後 おひつに残ったご飯で 部屋の係りにラップを借り おにぎりを作った。
  魚の切り身やコブを種にして 子ぶりのを三個作って持った。
  おそらく 園内のレストランはいっぱいの人で入れないだろう と思ってのこと。
  孫を連れていると 知らず知らずに 行動が昔の子持ちの時のようになっている。 
  
  草食動物には 餌をあげられるようになっていた。もちろん有料だが。
  キリンやシマウマやその他の草食動物に 餌を与えるのが楽しいらしく 孫は何回も
もっとあげたい もっとあげたい というので その度に 夫は百円で餌を買い 孫に。
  ちょうど餌やりの時間だったらしく 肉食動物のライオンやホワイトタイガーに 係員が
建物の屋上から 肉片を投げ与えたり 檻の外から 棒の先に肉片を刺したりしていた。
  肉片が ガラス越しに立つ孫のそばに落ちると それを食べにライオンが寄って来る。
  かなりの迫力に 孫は真剣な顔で後ずさる。大人でもちょっと怖い。

  ふれあい広場では ウサギやモルモット 亀 ハリネズミなどの小動物に触れたり
抱っこしたりできるようになっていた。
  臆病な孫は なかなか抱っこできないでいたが タイミングよく係員が来て
孫をこわがらせないように上手に誘導して 終いには 孫はモルモットを抱っこしていた。
  彼女には とても貴重な経験になった。
  ウサギは 自分がどこへ行くにも持っていくぬいぐるみが ウサギなので
一番親近感が湧くのか 自分からなでていた。
  
  絵本や図鑑で見る動物が 生きて動き 匂いまでもが いきいきと感じられる施設は
子供達には とても大切な施設だが 逆に 動物からすれば ストレスの多いことだろう。
  その証拠に チンパンジーは何かにいらだっていたのか ガラスに何度も体当たりして
観ている人間を威嚇しているようだった。

  お昼ご飯を と思いレストランへ入るも 待っている人の多さにビックリ!
  とりあえず 孫を木陰に座らせて 宿で作って持って来たおにぎりを食べさせた。
  やっぱり 子供と動く時は おにぎり持参は必須条件だ と思った。

  孫がひとごこちついた後は 遊園地へ向かった。
  まずは メリーゴーランド。ご機嫌な孫は 二回も乗り 次は観覧車。
  スカイジェット 汽車 と 堪能する頃には 孫はもう限界。

  三歳という年頃は 初めて物事の楽しさを認識できるころなのだろう。
  動物園も遊園地も 孫には刺激的だったようだ。

  宿へ帰った後 さっそく孫は 夫とお風呂へ。
  夕食前に一日の汗を流して いつ寝てもいいように との大人の想いだ。

  明日はもう帰らなくてはならない。
  孫が 一日中ご機嫌で楽しそうだったのが 今回の旅のメインになるだろう。

  一昨日のお昼近く 婿の運転する車と沼津で待ち合わせた。
  お昼ご飯を 沼津港近くの食堂でとろうと 港へ向かった。
  港は それにしてもスゴイ人人人。車を止める場所もないほど。
  それでも 一軒の食堂へ入り 新鮮な魚介のお昼ご飯をいただいた。
  孫は相変わらず大食。 大振りのネタが載ったにぎりを八巻も平らげた。

  昼食の後は ひたすら伊豆へ向かう。
  天城峠は 歌にも歌われた九十九折の峠道。
  右に左にと曲がりくねった峠は かつて若き川端康成も徒歩で超えた道。
  今は かなりカーブも緩和されていて 古道がところどころ見え隠れする。
  徒歩で超えた頃は さぞかし難所であったろう。

  宿は海辺にあった。温泉と食事が売り物の宿。
  温泉好きの孫はさっそくお風呂に入ろう と 催促。
  大浴場と幾つかの露天風呂をあっちへこっちへ 動いてはつかり動いてはつかり。
  孫の入浴に付き合うのも大変だ。

  部屋には 屋根付きの広いベランダがあり 大きなハンモックが吊るしてある。
  娘がこの宿に決めたのも ハンモックが大好きな孫を想ってのことだったようだ。
  彼らが滞在する場所は 国内外を問わず きっとこんな宿なのだろう。
  海を眺めながらくつろぐようにと テーブルや椅子 寝椅子も置かれていた。
  夫と婿は 滞在中毎日 そこでビールを飲んだり話したりしていた。
  私は ちょっとの間 そこで持参した本を読んだりした。
  潮騒を聴きながらの読書は気持ちがいい。

  夕食は これでもかと海鮮を使った料理がテーブルに並び 食べきれないほど。
  でも まずは孫に食べさせるのが第一。

  時間をかけて食事を終えると もう孫の寝る時刻。
  ベッドはどこ? と孫。どこで寝るのかと 不思議そうにしていた。
  係りが部屋に布団を敷くのを 興味深そうに見ていた。
  家にいるとなかなか寝つかない孫だが 布団を敷かれて電気を消されては仕方がない。
  布団に寝るのも初めてだから 余計にやんちゃも言わず さッと横になった。
  ずっと車に乗っていたから くたびれたのだろう。
  あッという間に 寝入った。

  次の日は 近くにある アニマルキングダムと遊園地へ行く予定。