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  昨夜 夕飯の後 ご機嫌で歯磨きもし 私と一緒に孫のベッドに横になった。
  いつもなら 母親が一緒に寝るのだが 今夜はお腹の具合が悪く歩くのもやっとなので
言い聞かせて 私と寝たのだった。

  ベッドに入り 赤いくつ のお歌を歌って と言われて 何度か歌った。
  どうも 孫は い~じんさんに~つ~れられて~ のくだりを
に~んじんさんに~つ~れられ~て~ と思い込んでいるようだ。
  女の子が人参に連れられて行くのだから そりゃあ不思議だろう。 

  その後は昔話を三題。
  もっともっと とせがむのを 狸寝入りでごまかしていた。
  孫はもぞもぞと 一人で動いていた。

  ところが 突然 まったく急に 嘔吐し始めた。 
  ピューッと吹き出すように 何度も嘔吐する。                                                     あまりにも突然だったから 何が起こったのか戸惑うくらいだった。

  これはいけない!と体を動かし 進行形の孫に枕にしていたタオルを与え
とにかく 娘を呼んだ。
  幸い婿も帰宅していて 私は後始末 娘は新しいシーツ類を出し 婿は孫を洗面所へ。

  ノロウイルスだと大変だから 早速マスクに手袋をし 後始末にかかった。
  自分が着ていた衣類も汚れたから まず着替える。

  ベッドに並んでいたぬいぐるみも全滅だから 汚物を掃い 消毒のために多めに
ハイターを入れて洗濯機をまわす。
  洗い終わったら 平置きの二段になった網にのせ 浴室の乾燥機にかけた。
  ベッドから剥いだシーツ類は ぬいぐるみの後に一度洗って漬け置きした。
  何枚ものシーツだから 一度にはできない。

  娘が出した新しいシーツをベッドにかけ タオルを何枚も敷いた。

  それからは 孫が触ったと想われるドアノブや床 ベッドサイドの汚した壁 洗面所など
消毒剤と洗剤で もれなく拭いた。
  
  これだけのことをすると 頭の先から汗がポタポタとしたたり落ちる。
  することを終えてシャワーを浴びたら もう日付が変わっていた。

  孫の容態は まだまだ落ち着いていない。
  それでも 次第に間遠になっていくようだ。しかしその分 孫の体力は無くなっていく。

  妊娠中の娘にうつらないか それが心配だが 私と寝室が離れているし
こういう時は やはり母親でないと仕方がない。
  
  明日は 保育園を休ませ かかりつけの小児科医へ連れて行くことになるだろう。

  先週お休みしていた保育園のクラスの男の子が 今日久しぶりに登園し
一緒にプールに入ったりしたらしいから おそらくその子が持っていたウイルスを
もらってしまったのではないか と想う。
  だとしたら ひょっとして 同じクラスの他の子供たちの中にも 
今夜 孫と同じ様なことになっている子がいるのではないか・・・。
  孫だけでなく・・・。

  明日 小児科を受診すれば 正体がわかる。
  
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  土日になると 代々木公園では なにかしら催しがある。
  この土日は 自然農法で農業をしている人や無農薬で野菜を作っている人などが
集まって それぞれがテントを張ってのイベントがあった。

  今日明日だけが晴れの天気予報が出ているし 孫を連れての外出も
保育園へ通うようになってなかなかできなかったので 孫を連れて
そのフェアーへ行ってみた。 

  娘が事前に調べたら 無農薬のプラムを販売するお店もある というので
プラム大好きな私は 期待して行った。
  我が家の畑のプラムは 今年は全滅 と 夫から聞いていたから なおのことだった。

  会場までは いつものようにハチ公バスに乗った。
  公園のへりをちょっとまわる感じの道のりだから アッという間に着く。

  公園に着くと 正面のステージでは ワールドミュージックフェアー と銘打って
歌やダンスが披露されていた。
  私は興味もなく 素通りしようとしたが 意外や孫は ステージのダンスに興味津々。
  そのダンスが ベリーダンスだった。

  さすがに日中の公の場だから 衣装も露出の少ないものだったが
それでも 独特の音楽に合わせて腰を激しく振る踊りに 初めて目にする孫は釘づけ。
  一曲また一曲と 曲が変わる度にダンサーも衣装も変わり 音楽も変わる。
  胸から下 おへその下まで出して 激しく腰をまわしたり前後左右に振ったりしながらの
踊りに 身じろぎもしないで見入っていた。

  次から次に 新しい音楽や踊りが出てくるから 適当なところで切り上げて
そのままファーマーズフェアーの会場へ向かった。

  ところがところが そのフェアーは大したことがなく 私としてはガッカリ。
  なにか珍しいものや美味しそうなものがあれば 買ってかえろうと思って来たが
目新しいものはない。
  お昼近かったから 無農薬米のおにぎり三個とお餅を一つ それに
人参とリンゴのジュースを買って 近くに設けられたテーブルで食べた。

  お祭り騒ぎ的なこともなく お客の数もそこそこで 落ち着いた気持ちでゆっくり食べた。

  目当てのプラムを販売しているテントさえ あまりにも地味過ぎてわからなかった。
  それでも 見つけて 五個二百円を十個買った。安くはない。

  ヤギのミルクを使ったパンを販売しているテントがあって
そこに 子ヤギが繋がれていた。
  パン屋はその一店舗だけだったし 孫はそのパンは食べられないから買えなかったが
そのテントに 子ヤギが繋がれていた。
  触ってもいい とのことだったので 孫に頭をなでさせた。
  怖がりの孫は おそるおそるだったが ちょっとだけなでた。
  孫の収穫といえば これだけだったろう。

  興味を引くものが別にないから またステージの横を通って帰る。

  ステージでは 若い女性の 売れない?シンガーソングライターが
なにやら小難しい歌詞の曲を 電子ピアノを弾きながら歌っていた。
  孫は ここでも立ち止まって二曲ほど聞いた。

  バス停へと歩きながら孫が言うこと。

  あのおねえさん ハトポッポたいそうのお歌 うたったらいいのにねえ
  ハトっポッポたいそうのお歌 たのしいよねえ
  **ちゃん ハトポッポたいそうのお歌 ききたかったなあ~

  そう 孫の保育園ではプールに入る前 そのハトポッポ体操の歌なるものを歌いながら
みんなで体操をして プール遊びをしているのだ。
  これがよくできていて 準備体操を 幼児向けの歌に合わせた動きで体操と思わないで
楽しく体操できるように作られている。

  なぜ私が知っているかというと 最近 孫がベッドに入る前に
娘のアイパッドから流れる曲と画像に合わせて 一緒に体操させられているからだ。
  幼児向けだから 体操といっても簡単で単純な動きだから 私でもできる。
  娘はソファーに座ったまま 手だけ動かしている。

  このハトポッポ体操に 孫がはまっている。
  だから ステージのおねえさんが このお歌を歌ってくれたらいいのに・・・
  なんだかわからないお歌を歌って聞かせるより・・・

  孫の中に きっとそんな想いがあったのだろう。

  三歳児らしいかわいい想いが 期待してきた割にショボカッタ催しも 暑かったことも
すっかり許せるような そんな心持ちにさせてくれたのだった。

   今日は 朝からこぬか雨が絶え間なく降っている。
   保育園へ行かない孫は いつもより朝寝坊。
   それに連れて 私のすることも いつもよりのんびり。

   昨夜の深酒で帰宅の遅かった婿は 多分一日寝ているだろう。
   
   昨日夕暮れに届いたトウモロコシを 今朝食べたい と娘が言っていたから
外側の皮やヒゲを除いてラップで包み レンジに入れる。
   毎日飲んでいる ごぼう茶を作る。

   起き出した孫の洗面や着替えを済ませ 娘と三人での簡単な朝食。

   さて 外は雨だ。
   一日 何をして過ごさせよう・・・。

  日課の金魚の世話を一緒にさせる。
  金魚を水槽からすくって 小さなバケツに移させる。
  金魚すくいの要領だから 孫はこれが楽しみだ。
  三十分かけてその中で餌を食べさせた後 今度は薄く消毒薬を入れた
もう一つの器へ移す。
  五分間その中で泳がせたら きれいにした水槽へ戻す。

  その後は 孫と二人で 焼きドーナツを作った。
  粉や材料を量り一緒にして袋に入れ コネコネさせる。

  孫は おいしくなァれ おいしくなァれ と言いながら 小さな手でこねる。
  孫は精一杯コネコネしているつもりだが なにせ力もないし指先でのコネコネだから
いつまでたっても 中身は混ざらない。
  おてつだいしてェ と言い出すまでやらせる。
  あ~あ~つかれちゃったァ と言いながら 私へバトンタッチ。

  しっかり混ざったら 袋の角を小さく切って 今度は型に絞り出す。
  孫に袋を持たせ私が助けて 型へ絞り出した。

  孫の作業はそこまで。
  あとは熱くなったオーブンへ入れて十五分。

  出来上がったドーナツは六個。
  私と母親に しぶしぶ一個ずつをくれ あとの四個をぺろりと食べた。

  コネコネやら力を入れての絞り出しやらで 本当に疲れたのか
四個目を手に持ちながら 孫の目が次第にトロンとしてきた。

  食べ終え 口をきれいにさせて そのままベッドへ。
  しばらくは なにやら母親との話声がしていたが それも今はしない。

  私も 孫が目覚めるまで自由に過ごす。

  今夜の夕飯は いなりずし。

今朝 孫を保育園に送って行くのに同乗し 検診に行く娘と一緒に 婿の運転で
東京衛生病院へむかった。
  いつもは婿が付き添って受診するのだが 今日はインターナショナルスクールの説明会
があるので 私におはちが廻ってきた。

  上の孫もここで産んだから 病院の場所は知っていたが 出産前の検診の付き添いは
今回で二回目だ。
  今日は案外早くに 娘の番号が表示されて 私も診察室に入った。

  今の超音波はすごい!
  お腹の赤ちゃんの頭の中の脳までが 画面に映し出される。
  心臓も 四つに分かれた心室心房それぞれや弁が クッキリと映っていた。
  背骨も臍帯 手足もすべても異常なく育っていた。

  私が妊娠中の時も 超音波検査はあったが 画像の解析度も悪かったし 第一それでの
検査は とても高かった。
  四十年の医学の進化はスゴイ。

  お腹の状態も 前回の時より悪くなっていなくて もしかしたら そのまま入院か と
ヒヤヒヤだったが 帰宅できる とあって 娘も私も一安心。
  私が来た成果だと 二人で喜んだ。

  あと十日間なんとか保たせられたら その後はもう薬は飲まなくてもいい と言われた。
  
  もう少しで赤ちゃんが産まれてくる!

  午前中は 洗濯をしたり留守の間の夫の食べ物を準備したり タクシーで整形外科へ
リハビリに行ったり と 慌ただしく過ごした。

  そうしておいて 間に合うひかりに乗ろうと 家を出た。
  ちょうど 三時半前のに乗れた。
  このひかりは一時間四十分ほどで品川に着く。
  孫の保育園からの帰りに間に合わせようと タクシーで できたばかりの高速環状を
近くの出口まで使い マンションに着いた。

  着いて十分もしないうちに孫が帰ってきた。
  迎えに下のエントランスまで行くと 私の顔を見るなり飛びついてくる。
  私が帰宅していた間 いつ戻ってくるの と何度も娘に聞いて待っていたらしい。

  孫がヘルパーにお風呂に入れてもらっている間に 夕食の準備にかかる。
  今夜は ホウレンソウのクルミ味噌和え モズクときゅうりの酢の物 餃子風焼き物
それに 枝豆を茹でたもの。
  簡単な物ばかりだから 孫がお風呂を出る前には 食卓の準備が出来上がった。

  三人でワイワイ話しながら きれいに平らげた。
  歯磨きのあとは ベッドでの読み聞かせタイム。
  最近の孫は かこさとしのカラスのパンやさん がお気に入り。
  ベッドにぬいぐるみのお友達を並べ その横に座って 一緒にお話を聞く。
  その後は 娘が来て一緒に寝入るまで横になっている。 

  本読みを終えた後は 月曜日からやっていないという 金魚の世話。
  三十分間 カルキ抜きと塩を入れた水に金魚を入れてえさをあげる。
  その後は カルキ抜きと消毒液を入れた水に移して 五分間。
  水槽の水を換え 酸素タブレットをきれいにする。
  その後 きれいになった水槽へ 金魚を戻しておしまい。

  いつもは 朝 金魚の世話をするのだが 明日は孫が出るのに合わせて
娘は病院へ行くから 私も付き添わねばならない。
  折あしく明日は 孫が九月から入るインターナショナルスクールの説明会があるから
婿はそちらに出席しなくてはならない。
  入学に際しての必要なことなど しっかり聞いてきてもらわねばならないから
婿は 今回は娘に付き添えない。
  それで 急きょ私が 娘の病院行きの付き添いだ。

  そんなこんなで 多分明日は朝から四人ともが 外出の準備をしなければならない。
  孫の保育園行きの準備は もう済ませた。
  教避難訓練があって プールはなかったから 明日はリュックと水筒が持ち物だ。
  リュックの中への着替えは もう入れた。
  明日の朝は 豆乳パックとコップ歯ブラシを入れるだけだ。

  今日は朝から 慌ただしく過ぎた。

  明日 娘がマンションに戻って来られますように。
  診察の後 そのまま入院 なんてことになりませんように・・・。
  

  
  
  

  昨日は忙しかった。

  早朝 夫の出勤にあわせて便乗し大学病院へ。
  治療後 会計の番号が呼ばれるまでの時間を利用して 留守中に着いていた
光ファイバーからの振り込みを 院内の郵便局でした。
  それから 何件かATMで作業。
院内に 郵便局や三社のも銀行のATMがあるから とても助かる。
  その後会計を済ませ 処方箋をファックスで薬局へ送った。

  いつものように 直行バスで駅舎に繋がる図書館へ行き 東京へ持って行って行った本
を返却し 何冊か新しく借りる。
  本屋も覗いて数冊の本を購入。
  一番楽しみにしていた本は まだ出版されていなくて残念。多分この本は東京の書店で
買うことになるだろう。
  いつも利用する駅舎内の本屋さんでは ポイントカードを作っているから
本当はここで買いたいが 早く読みたい気持ちには勝てない。
  これらの本は すべて今度東京へ行く時に持って行く。

  夫に迎えに来てもらって 内科医院へ。処方箋をもらい薬局へ行く。
  大学病院の山ほどの薬と一緒に内科の薬も出してもらった。
  大きな紙袋いっぱいの薬。
  これらのおかげで 東京へも行けるのだから 私にはなによりも大切な物だ。

  薬局で薬をもらった後は そのまま整形外科へ。
  リハビリを受ける。
  来なかった分 足腰はカチカチ。
  それぞれが短時間の施術だが 受けるとやっぱり楽になる。

  帰宅すると もう七時を廻っていた。
  着替えて 夕食の準備にかかる。
  私がいない間に掘った新じゃがや玉ねぎなどを使った料理をすると
夫は機嫌がよくなるから 疲れていても面倒でも それらを使って作る。
  私がいない間 簡単な物しか食べていない夫だし 手間がかかっても作らねば。

  今日は新じゃがを煮ている。
  まだ皮が薄いから 飛騨風のころいもにはならないだろうが 料理酒やみりんなど
少なくなっていた調味料を買って待っていた夫の手前 煮ないわけにはいかない。

  留守中溜まった家事やなんやかやしているうちに 時間はアッという間に過ぎていく。

  

  品川を午後四時過ぎのひかりに乗った。

  今夜と明日の夕食の分として 野菜たっぷりのカレーを煮込んできた。
  これで明日までは 娘は食事の準備をしなくて済むだろう。
  朝は 婿が孫の保育園行きの世話をするというから 簡単な物を食べさせればいいし
なんとかやっていくだろう。
  洗濯や掃除は いつものようにヘルパーが来てするし 孫の入浴もさせてくれるから
主だった家事は 娘はしなくていい。

  問題は その他になんだかんだと 細かなことで動かなくてはならないことだ。
  いちいち横になった体を起こし 動くのは辛いだろうと思うが 私が帰っている数日の間
だけ お腹の赤ちゃんに影響がでない程度に ソロソロと動かざるを得ない。

  私も 幼児の世話がどれほど大変か 体を使うか とっくに忘れていたことを 追体験
している思いだから 私のいない間 娘があの体で動く と想像するだけでこわくなる。


  品川から名古屋まで 二時間のうちを 殆どウツラウツラとしてきた。
  
  明日はまた早く起きて 夫の車に便乗して 大学病院へ行く。
  

  最近の孫は 婿と話す時 完全にイギリス人だ。
  今までは婿の問いかけや話に イエスとかノウとか簡単な言葉でしか答えられなかった。
  ところが 今回来て驚いた。
  たった二か月ちょっとの間に 完全に言葉として英語を使って 父親と会話している。

  言葉が通じて 会話ができるようになったからだろう。
  婿の孫への働きかけも 以前と比べると格段に多くなっている。
  自然に可愛さも増すとみえ 近頃では 土日になると孫を連れて外出するようになった。

  昨日は 二人で電車に乗って日本橋の書店へ 孫の本を買いに行った。
  そして 英語の幼児書を六冊も買って帰って来た。
  それも 高価な飛び出す仕掛け本ばかりを。

  娘は 私には甘やかすなっていうくせに こんな高い本ばっかり六冊も買い与えるなんて
信じられない 
  と 笑いながら言っていた。
  英語を理解し始めた娘に 嬉しさを隠しきれない。その表れなのだろう。
  家庭の中で自国の言葉で会話ができる これほど気持ちの安らぐ事は
ないに違いない。

  今までも 彼は妻との会話は英語だったが 娘が初めに理解した言語は日本語だった。
  妻は娘と日本語で日常会話するし 交わる大人ともお友達とも 日本語で会話してきた。
  だから娘が 今まで英語で会話する機会は 日本語よりはるかに少なかった。
  自分との意志の疎通もまだまだ幼くてできなかった。
  多分 彼は淋しかったのではないだろうか。
  それがこのところ 娘に一気に英語力が着いてきたから いろいろな会話が
幼児なりにできるようになってきた。
  その喜びは 私たちには はかり知れないものがあるのだろうと想う。

  赤ちゃんが産まれれば 母親は当然その世話に追われるようになる。
  上の子はその分淋しい思いをすることも多くなるはず。
  そんな時 父親との会話がはずめば 多少なりとも気もまぎれるし
ますます父親との絆が深まっていくだろう。

  出産を控えたこの時期に 孫が英語で会話できるようになってきたことを
婿のためにも孫のためにも 嬉しいことだと思っている。

  

  娘は 自社の仕事をするために 孫がまだ一歳にならない頃から 都の福祉制度にある
保育ママ という人に 月に数回 孫をお預けして お世話してもらってきた。
   
   保育ママ制度は 忙しかったり急に病気になったりして 子育て中の母親が
ちょっと子供から離れたい時 お世話をお願いできる制度だ。
   保育ママとして 区に登録して認可を得た人に 予約しておいて預ける。
   区で決められた時給を その方に 預けた時間の分 お支払いする。
   保育ママは 保育の状況を示す金額の受領の印を 区に月ごとに提出されるらしい。

   区内には何人もの保育ママがいらっしゃるから 最初は区へ連絡する。
   区から紹介されるのだから どんな人に当たるのかわからない。
   来てもらう場合も こちらが保育ママのお宅へ預ける場合もある。

   孫の場合は ラッキーだった。
   預かってくださる方が 実にいい方だった。
   多分これ以上の人はいないだろう と想える方だ。
   だから預ける時は いつもこの方にお願いするようになった。
   そして今も毎日 保育園へ迎えに行きマンションまで連れ帰ってもらっている。
   本当なら こんな短時間の預かり労働は嫌だろう と思うが 
Mさんは 孫が保育園へ入った時から 娘の事情を分かってくださって
時間をやりくりして ずっと続けてくださっている。

   保育ママのMさんは 七十代の半ばを超えた女性だ。
   しかし お歳を聞いて驚くほどの 実に若々しい女性だ。
   単に顔立ちがいいとか肌の手入れがいいとかではない 心や生き方までもが
姿かたちになって現れている そんな感じの女性だ。
   あのような雰囲気は お金があってどれほど身を飾っていても醸し出せないだろう。

   彼女は 背筋がピンとして おしゃれで素敵な方だ。
   まさに 山の手の奥様 という風格で 言葉遣いも実にきれいだ。
   以前に一度 娘と一緒に孫を預けに行ったが 住まいも初台の高級住宅地にあり
お金ではなく 自身の生き方として 保育ママを続けていらっしゃるのだろう と思った。

   長年幼児教育に携わっていらっしゃったから 子供の扱いは言うに及ばず
母親に対する気持ちも行き届いて 保育ママとして申し分のない方だ。
   こんな方だから おそらく保育ママとしての人気も高いだろう。
   Mさんにお預けしたい と希望する母親も多いだろうに 園への送迎という
短時間のお願いで 申し訳ないような気がする。
   
   昨日も 渋い朱色のサマーセーターに白い麻のパンツ 肩にショルダーバッグ
をかけて白い靴を履き 颯爽と 軽やかに孫を送って来てくださった。

   生き方が姿に出る というお手本のような女性だ。
   

  今日で 今回東京へ来て 一週間が過ぎる。

  娘の容態は 日を追うごとに わずかにわずかに悪くなっているような気がする。
  お腹の赤ちゃんが日に日に大きくなっていく月齢の時分だから いたしかたない。 
  大きくなっていく胎児を なんとか子宮の中に留めさせて 医師の言う
万が一出てしまっても 管をつながなくてもいい状態にまで育てなければならない。

  そんな娘の様子が心配ではあるが いつも傍に居て 自分の目で見られることで
多少の安心感のようなものもある。

  月曜日には 例え遅くなっても 一時帰宅しなければならない。
  金曜日が 娘の検診日。
  この一週間私が来たことが 少しでも検診の結果に 現れてくれるといいのだが・・・。

  朝 いつもの朝と変わりなく 孫は寝坊の婿を玄関で待ち 一緒に出かけて行った。
  やれやれ それじゃあこれから と 洗面器やらバケツやら薬やらを準備して                                 孫がお祭りですくって大事に飼っている金魚の世話を 娘に教えられた通りにし始めた。 

  そこへ 娘に婿から電話があった。
  新車なのにナビが不具合だからと 昨日から代車になっている。
  それで 婿がなにかわからないことがあって 下から電話してきたのかと思った。
  それほど 家の玄関を出て行って すぐのことだった。

  車が当てられた という
  婿は在日年数のわりに 日本語が使えない。
  だから 娘にすぐ現場まで来てくれ という電話だった。
  慎重な婿なのに どうしたんだろう。

  とるものもとりあえず 娘は 重くて大きなお腹を抱えて 家を出て行く。 
  急がないで ゆっくり歩いて と声をかける。 
  婿はともかく 車には 保育園へ行く途中の孫が乗っている。
  私も慌てて 娘の後を追って玄関を出た。

  娘は 山手通りの方へ向かうから と言っていたので歩いて行くと なんてことはない。
  マンションのある道から切通しへ曲がる すぐそばの場所で 事故は起きたらしい。

  既に 警察も来て 現場検証のような事をやっていた。
  相手は小さい日本車。角が擦れている。
  婿の方は ここにあたったのか と よく見なくては分からないほどのきずだ。

  娘は警官に 婿の言い分を聞きながら通訳して伝え 警官の言葉も英語に直して婿に。

  私は孫が気がかりだったから 車の後部座席を覗いてみると 私の顔を見た孫が
泣きだした。
  事故を目の当たりにし その後も 大人にほっておかれた形だったから 
ショックも大きく 心細かったのだろう。
  ワイワイしている場所に孫を置いていても 悪影響だから ひとまずマンションへ戻り
コンシェルジュカウンターで タクシーを頼んだ。
  孫の気持ちを変えようと 庭の石をゴリラに例えてみたりして笑っているうちに
タクシーがきた。

  孫の保育園まで タクシーで送る。
  保育園は 昨今 幼児誘拐やいたずらなどやっかいな事が方々で起きるからだろう。
  送迎者は 入園時に 登録が必要になっている。
  娘 婿 毎日園から連れて来ていただく松田さん その三人を登録してある。
  だから 送る者は本当は私ではいけないのだが 緊急の場合だ。

  娘が 事情を話して 今朝の送りが祖母であることを園へ伝えてくれていたので
問題なく門が開いた。
  靴を脱がせると 孫は自分で名前が貼ってある靴箱へ入れる。
  孫の部屋は二階だった。
  先生に孫を渡し 外へ。

  帰りは急がなくてもいいから バス停で 区内循環のハチ公バスを待った。
  幾つかのルートがあるが 幸い最寄りのバス停方向へ行くルートだからありがたい。

  バスを降り 事故のあった場所を通ったが すでに警官の姿もない。
  マンションに入ると 婿と娘はそれぞれ黙って座っていた。

  あの場所は危険だといつも思っていた。特に乗っている車のフロントが長いからね。
  まあ こんなこともあるわよ。大事じゃなくてよかったわよ。と 二人に言葉かけした。

  直角の三叉路で道幅が狭く おまけに道の優劣がない。そんな場所だから
いつかは こんなことがあっても不思議ではない・・・と 以前から思っていたのだ。

  午後 車が修理から帰ってきた。

  婿殿 明日は より慎重に運転してね。
  
  

  先日 ベトナムフェアーへ出かけて 気付いたことがある。
  
  東京の孫は いわゆるハーフだ。
  だから まだ三歳だが 目鼻立ちや肌の色が 純日本人とはちょっと違う。
  娘に言わせると 父親の国のあるヨーロッパへ連れて行くと それがまったくの東洋人
だとわかるくらい 純西洋人とも 顔かたちが違うらしい。
  しかし 日本国内では 孫を連れていると ハーフ? と聞かれるくらいだ。

  ベトナムフェアーへ出かけた時 お店の店員である大の大人の男性が
孫の顔を見て かわいいねえ~ と言って ちょっとおまけしてくれたりした。
  これくらいは 孫を連れているとよくあることだから 驚かない。
  デパートであれ どこであれ 時には往来で まるで知り合いのように 孫に触れて
来る大人もいて 気が抜けない。
  連れているほうは 万が一なにかあってはいけないから こわい。

  ところがだ。
  驚いたのは 孫とたいして歳の違わない幼い男の子が 孫とすれ違ったりすると
親だろう大人に手を引かれながらでも 必ず孫のほうを振り向いて見るのだ。
  そして 水上人形劇の会場でも 椅子に腰かけている孫の前へ
幾人かの 幼稚園生と想われる歳の男の子が 来てはジロジロと孫を見、時に
話かけたりして行った。

  男としてこの世に生まれたものは こんなにも幼いうちから 異性を意識するものか
と ビックリ。

  以前 月に四回ほど通っていた保育所にも 孫の傍を離れない男の子がいたらしい。
  今の保育園にも そういう男の子が数人いる という。

  我が子たちが幼い頃は そんなことは感じたことがなかったから
時代なのだろうか。
  
  孫の顔立ちも 成長するに連れて変わっていくだろうし こんなことが ずっと続くとは
思いたくないが 年頃になった時に ストーカーやら 向こうの勝手な思い込みやらで
嫌なことがなければいいが・・・と ちょっと心配になってきた。

  婿は 道でスカウトにあった時など 娘は見世物じゃない と言って断るらしいが
彼の気持ちが理解できた出来事だった。

  それにしても 男って どれだけ小さくてもやっぱり男なのねえ・・・
  ビックリだわ~。
   

  朝は降っていなかった雨が 午後近くなって 雨音も高くたたきつけるように降ってきた。
  朝はいつものように 孫を送り出した。
  後は しばらくの間 自由時間だ。


  部屋へ引っ込んで パソコンで遊んでいるうちに いつの間にか もうお昼近く。
  ベランダの干し物を浴室へ入れ 乾燥機をセットする。
  簡単にお昼を済ますと 婿がご出勤。
  娘と交代でシャワーを浴び 今夜の夕飯の準備にかかった。

  今夜は冷蔵庫の中に残っていた 大根と牛肉を煮物にしてほしい と娘がいう。
  後は 魚を焼き 新玉をスープにと。

  見ると 大根はかなり古くなっている。
  扇に切って しばらくは水につけてみた。
  なんとか使えそうだから 水切りしてお肉と一緒に煮始めた。
 早くから始めないと 大根の中まで味がしみない。

  玉ねぎを切り すぐ火にかけられるように準備する。
  魚は 冷凍庫から冷蔵庫へ移して解凍する。

五時をまわった。
  お米をとぎ スイッチを入れる。
  玉ねぎスープを作る。
  大根の煮物はなんとかおいしそうにできた。

  四十分頃には 孫が帰って来た。
  玄関まで出迎え 毎日連れて来てくださるMさんを見送る。

  自宅の玄関に着いてリュックを下ろすと 孫にはヘルパーとのお風呂が待っている。
  帰宅後 お風呂へ直行させないと なんやかやと時間がかかり
ヘルパーの時間にも影響してしまう。
  一日 園で過ごした衣類も汚れているから すぐ脱がせたほうが都合がいい。

  孫がお風呂へ入っている間に 私は 食卓に器を並べ 夕食の用意。
  お風呂から出るとすぐに 娘も起きて来て夕食。

  食べ終えたら 歯磨きさせる。
  これが 嫌がって一苦労する。
  後は 寝室で その日の本読み。たいていは二冊読む。
  昨夜もその前も カラスのパンやさん と もくもくやかん。
  カラスのパンやさんは 我が子たちにも 毎日のように寝る前に読み聞かせた
思い出の詰まった本だ。
  そうした本がこの家に何冊もある。娘の記憶の中に それらの本があることが嬉しい。
  息子宅にも かつて自分が読んでもらった本がたくさん並んでいる。

  もくもくやかんは 話は単純なのに 挿絵と文体に話の内容がマッチしていて
これも 子供達に人気のロングセラーだ。

  楽しく二冊を読んだ後は 娘にバトンを渡す。
  娘は孫と一緒に横になり そんまま孫が寝て 婿が帰宅するまで孫のベッドにいる。
  孫のベッドを買い替える時に 大人も使えるような大きな物にしたが
それでよかった。
  二人が並んで寝ても大丈夫だ。 でないと お腹をけられたりしたら大変だった。

  その後は 明日の登園に向けて お手拭きタオルや 洗ったコップや歯ブラシを
新しい袋に入れる。
  明日 出掛ける前に 豆乳パックを忘れないで入れること。
  今日は雨だったから園での散歩はなかったらしい。朝着て行ったまま帰った。
  だから 明日は持たせる衣類はない。
  リュックの中に汚れた衣類が入れてある時には そっくりそのままの衣類を
持たせなければならない。園でのストックの衣類だ。
  晴れた日はほぼ毎日持ち帰る。日によっては二替えそっくり持ち帰るから
忘れる物がないよう気を遣う。

  明日からプールが始まるから それ用の道具も忘れもののないように持たせねば。
  そういえば プールタオルは買ったばかりで まだ名前を付けていない。
  今夜のうちに やっておかねば。

  それが済めば 今日のお勤めは終了となる。
  

  娘家族が住んでいるこのマンションのエントランスに 大きな岩舟がある。
  マンションの建設以前の大昔から ここにあったものだという。

  この岩舟や 一帯の地形を見るに
  この辺りは 大昔は代々木公園や代々木八幡宮とは繋がっていたのではないか。
  それが 長い歴史の中で 公園側との間に大きな道ができて離れたような気がする。
  切り離された神宮側の小高い山の中に その道ともう一つの大きな道を繋ぐために
切通しが作られたのだろう そしてこのマンションが建つ一帯がうまれたと思われる。
  また 一方の大きな通りにしても 元は神宮とは地続きだったのが その道で切られて
現在は 初台と呼ぶ一帯になったのでは と考える。

  だとすると 神宮の中に古代人の住居跡があったりするのもうなずける。
  そのころは 今では暗渠になったりしている渋谷川の川幅も広くて 古代人は
一帯の広大な森で狩りをし 食べられる草木や木の実を採り 川からは魚や貝類を得
寒さもほどほどだから 当時にしては かなり豊かな生活をしていたのかもしれない。

  そう想わせるほど 生きるための条件が整った地域のような気がする。
  しかしその後 江戸時代までは 人口の少ない 淋しい場所のままだったらしい。
時代小説の中にも この辺り一帯が 代々木台地 として登場する小説もある。

  多分 青山に墓地ができたり明治神宮が作られたりするころになって 一気に
首都東京の人口が増えていき 次第に住居地としての体裁が整ったのでは と想う。

  想像の域をでないこの考えが 合っているかどうか 昼間の空いている時間に
図書館へでも行って 一度この辺りの歴史を調べてみたいと思っている。


  

  
  
  
  
  

  
  
  
  

  四月初めに東京から帰る頃は 孫もまだ保育園には毎日は通っていなくて
一日中家にいる日が多かったから 馴れない事もあって大変だった。
  でも 娘は今よりはまだ自分で動けた。

  娘の容態そのものは その頃からみると お腹の赤ちゃんの月齢も進み
医師から厳しいことを言い渡されたりして 悪くなるばかりだ。
  しかし孫が保育園へ毎日通い ヘルパーも毎日午後から来てくれるようになったから
娘がすることは減っている。

  孫が朝出かけるまでの世話と 夕食の準備など 娘がしていたことを
娘に代わってするのが 私の今回の仕事になっている。

  朝 決まった時間に孫を起こし 着替えや洗面等を済ませるのを手伝い 
朝食をとらせる。
  以前はあれこれ準備したが ゆっくりゆっくり食べていると 家を出る時間に
間に合わなくなってしまうから 朝は 簡単に時間をとらないもので済ませる。
  通園に必要なリュックに入れる物や持たせる物は 前日の夜のうちに
準備しておくから 朝は水筒だけ。
  送って行く婿にバトンを渡して見送れば それで孫の朝の世話はおしまいになる。

  食器の洗い片づけや洗濯 掃除は すべてヘルパーが来てしてくれるから
その後 孫が帰ってくるまでの私の仕事は 雨だったり曇っていたりで
前日ヘルパーがした洗濯物が乾かないようなら 浴室へ取り込んで乾燥機にかけること。
それと 娘と自分の昼食準備。準備といっても お昼はたいがい簡単に済ますから
あまりすることもない。
  その後ヘルパーが来て洗濯やら掃除などの家事をするから 孫が帰るまで
特別なことがない以上 フリーになる。

  夕方五時半過ぎに 毎日お迎えをお願いしてある方が 孫を保育園からマンションまで
連れてきてくださるから 入口で孫を受け取り 連れ帰る。
  ヘルパーが孫をお風呂へ入れている間に 夕食の準備をする。
  予めその日の献立や材料を娘から聞いておき 作る。
  食卓を調え 娘と孫と私で夕食。帰りの遅い婿は 彼の席に用意した物を 帰宅後
温めて食べる。
  
  これだけが私のする仕事。
  今までも主だった家事はヘルパーがしていたが それ以外の 細々と娘がしていたことを 
私が娘に聞きながらするだけだ。
 
  孫が毎日保育園へ行く。それも 昼食は完全給食でしかもアレルギー対応 という
ことでお弁当を作ることもない。
  朝は 園で出る牛乳の代わりの豆乳のパックと水筒にお茶を入れて持たせるだけ。
  毎日 手を焼いていたお風呂も ヘルパーがしてくれる。
  だから 手のかかる孫の世話をしなくていい。
  食器を洗ったり片づけたり洗濯したり乾いた物を片づけたり家中を掃除したりの
通常なら 毎日こなさなければならない家事もしなくていい。

  これらの なんでもない普通の家事が 世の中の平均的な主婦や母親にとって
どれだけ大変で心身の負担になることなのか 今回再認識させられた。

  とはいえ 娘の容態が その負担が軽くなっている家事さえできないほどなのだから
手伝いに来た親としては けして 気が楽だ とは言えない 現在の状況だ。


  朝起きると 雨が降っていた。
  この調子だと 今日のベトナムフェアーは中止だろう と思えるくらいの降り方だった。
  しかし暫くすると雨があがってきた。地面は濡れていてもこの分なら開かれるだろう。
  手早く 朝食を済ませる。 混まないうちに行こう というわけだ。
  人出を予想し お目当ての水上人形劇を観るのに座れなかったら困るから と 小さな
折り畳み椅子を持ち 水筒 敷物 食べ物を買って食べる用のお金 などを娘から預かり
孫を連れてバス停へ向かった。

  渋谷区内循環のバスに乗り 代々木公園前のバス停で下車。
  いつもなら 歩いて行く公園だが なにしろ広大な園のこと。
  催し物の会場まで歩くとかなりの距離だから 遠回りになるがバスを使った方が早い。

  バスを降りると そこはもう会場。
  先ほどまで雨が降っていたというのに すでにすごい数の人人 人。
  とりあえず 人形劇は十二時からだから それまでに食べ物を買う。
  飲食店が並ぶブースは すでに行列ができている。
  何が食べたいか 孫に絵看板を見せながら動く。
  でも人の数に圧倒されて 孫はなかなか決められない。
  列の短いお店を探し 最後尾に並んだ。並びながら 何を買うか決める。
  鶏肉入りのホウ 豚肉の春蒔きの串 チマキ風に葉で甘いご飯を包んで蒸したもの
この三品を買って 食べる場所を探すが どこも空いていない。
座るのをあきらめ 近くの立ち食いコーナーで 先ほど買ったホウと 会場へ入るや否や
すぐに欲しがって買った 長いフランクフルトを食べる。

  残りは持って まずは水上人形劇の会場を確認をするために移動した。
  開場までまだ三十分以上もあるのに もう人が並んでいる。
  会場は 最前列がビップ席。その後ろに三列 大人が四人座れるくらいのベンチが
三つずつ並べてあるだけ。
  今 場所を動くと とても座れそうもない。
  やむを得ず 蒸し暑い中 持参の椅子に孫を座らせて開場まで待った。

  漸く開場の時間がきて 一番前の よく見えるだろう席に座ることができた。
  ところが 運の悪いことに 私たちの真ん前に案内されて ビップ客が座ってしまった。
  普通なら それでもよく見えるのだが そのビップの体が また大きいのなんの。
  並みの二倍は横幅がありそうな女性だったから たまらない。
  小さい孫からは 前が見えなくなってしまった。
  それならと 持参した椅子をよく見える場所に置いて 孫をそこに座らせて見せたら
と思い 椅子を出したが 孫は嫌がって座らない。
  どこかよく見えそうなところがないか と思って見まわしても 空いた席もない。
  それどころか いつの間にやら 立ち見客が十重二十重の人垣を作っている。
  やむを得ない。 膝の上に孫を乗せ 観劇した。

  水中劇そのものは 水中の御簾の向こうから人形を動かすもので
内容もいたって単純なもの。
  それでも きれいに彩色された竜や男女の人形が 時に面白可笑しく動く様には
観客は笑い拍手し 観ていた。
  孫も 人形たちのおどけたしぐさや動きに笑って 楽しんでいた。

  観客が見える場所での生演奏や歌に合わせて 水中で人形を動かすのは
なかなか大変な作業だろう と思った。
  ベトナムの歴史ある伝統芸能だから 一見の価値はある。

  可笑しかった人形の動きを話題にしながら孫はご機嫌で 帰りのバス停へと歩いた。


  
   

   品川まで迎えに来てくれた婿の車で マンションに着いた。
   彼らの車は 先月半ばに買い替えたばかりの新車だから 乗せてもらうのは初めて。
   荷物を入れようとしても トランクの開け方からしてわからない。
   乗り込もうとしても ドアの把手がない。
   よく見ると 小さな灯りがあるから おそるおそるそれに触れると 把手が出てきた。
   内装は 茶色がかった赤皮。天井も同色のバックスキン。
   この色とこの車種がよくて イギリスから届くのを 何か月も待ったという。

   発進音が またすごい。
   大きな音が嫌いな孫は この車が好きではないらしいが 婿に言わせると
自国の車だし 映画の主人公が乗り回す車だから イギリスの男の子なら いつかは
この車種に乗りたいと 憧れる車なのだそうだ。
   
   以前 同じ車種に乗っていて他国の車に替えたのだが やっぱりこの車がよくて
今度はフォードアの同じ車種にしたらしい。

   真新しい皮のにおいをかぎながら マンションに。

   孫が満面の笑みで玄関へ飛んで出て来る。
   私が来るのを待ちかねていたらしい。
   着替えを待つのも もどかしげで さっそく一緒に遊ぼうと 誘う。
   無邪気な笑顔は 大人の とかく沈みがちな気持ちを和ませてくれる。

   娘は横になっていたが やはり顔色も悪く ちょっと立っているだけで
お腹の具合が悪くなってしまうらしい。
   これでは 自分のことさえ満足にできない。
   私に電話してきたのも無理はない とうなずける。
   孫が保育園へ行っているし 夕方からはヘルパーが来てくれるとはいっても
チョットしたことの手助けが欲しいのだろう。
   多分 入院していても 同じことのようだ。
   しかし ヘルパーが来るから 前回来た時より 私のすることは少なくてすみそうだ。
   
   夕ご飯は 婿と孫の分は婿が作り 娘と私は よりさっぱりした物がよくて
出前を頼んだ。
   着いてから時間もなかったから 今夜はこれで仕方がない。
   東京は その点便利だ。いざとなれば なんでも宅配がある。

   全ては 明日からだ。
   明日は 代々木公園で催される ベトナムフェアーの水上人形劇を見せに
孫を連れて行ってほしい と娘がいうから お昼前には出かけよう。
   母親が いつも具合悪そうにしているのに付き合わせるのは かわいそうだ。

   フェアーは沢山の人出らしい。
   迷子にならないよう 孫の手を離さないようにしなければ。  
   

   今日午後の四時前 東京の娘から電話があった。
   声の響きから なにやら悪い話 と予想ができた。
   案の定 体の容態が悪化してしまった とのこと。
   今のままだと お腹の赤ちゃんが 生命維持装置を付けなくてはならない状態で
産まれてきてしまう と 医師に言われてしまった と言う。
   それで 孫娘を 我が家へ預けるか 私が東京へ来てくれるか どちらかを頼めないか
という 話の内容だった。
   お父さんとも相談して夜に返事する と言って その場は電話を終えた。

   もしかしてその様な事態になることも・・・ と 東京を引き上げて来る時に ちょっと思った。
   しかし 娘にそんな事は言えないから 産み月までなんとかして持てばいいが と 
願いながら 帰ってきたのだが・・・。
   やはり 無理だったらしい。

   出来るだけ お腹のなかに赤ちゃんを保たせて 無事に元気な子を産ませてあげたい。
   となると 娘の言うように 二者択一しかない。

   孫をこちらへ連れて来て生活させるとなると
幼稚園へは夫が連れて行き来できるから都合がいいが お昼ご飯はアレルギーがあるから
毎日お弁当を作って持たせなくてはならない。
   第一 通い始めた保育園からまた知らない園へ変れば じいじとはいつも一緒でも
お友達や環境にゼロから慣れなくてはならない。
   精神的に強い子ならいいが 孫は反対の性格。
   両親と離れて 我が家での暮らしにも馴れなければならない・・・。

   帰宅した夫と いろいろ考えた結果
やはり ここは私が東京へ行くのが一番いいのではないか ということになった。
   早速 娘にその旨を連絡。

   そうしておいて リハビリに向かった。
   整形外科から帰り 慌てて夕飯の準備をし食べた。 
   
   さあ それからが大変。
   この前 東京から帰る時に 今度来る時には季節も変わっているだろうし と
荷物を全て引き上げて来てしまっている。
   一から 全ての必要品を荷作りしなくてはいけない。
   最初に 持って行く物を 薬 日用品 下着 服 と 思いつく限り書き出しておく。
   そのメモに沿って持って行く物を準備して 一所に集める。
   そのうちに メモし忘れている物に気づくから それも集めておく。
   案外 そうした物が多いのだ。
   そして最後に 集まった物を効率よく段ボール箱に詰める。
   
   夕ご飯の後 そんなことをしていたら 遅くなってしまった。
   明日は 午前中 どうしてもの用事が入っているから それを済ませると
家を出て電車に乗るのは 一時過ぎ頃になるだろう。
   
   明日からまたしばらくは 東京暮らしだ。
   

   こうして パソコンに日記を記すようになって かなりの月数になる。
  ノートに手書きしていた頃には 文字を消したり推敲したりに 案外に時間もかかり
毎日続けては書けなかった。
  パソコンで書き込むことの最大の利点は その悩みが消えることだ。
  何回書き換えても 時間をとらない。あっという間に消えてしまう。
  また この歳になると なかなか漢字が出てこなくなる。
  以前は いちいち辞書で確認してから書く という作業にうんざりすることがあった。
  それが パソコンなら 一瞬で変換が叶う。                                                                 だから 三日坊主の私でも こんなに長く続けることができた。

  ところが 最近困っている。
  いざ 文字を手書きしようとすると 以前にも増して文字が下手くそだ。
  我ながら 恥ずかしくなるほどの文字を見ると 悲しくなる。
  それに 書こうとする気持ちや頭の中のだけが先走ってしまい
文字に載せようとすると 筆が気持ちについていけなくてじれったくなってしまう。
  すると 下手な文字や文章がもっと下手になってしまう。

  まがりなりにも長年書道の稽古にも通っているのに この程度の文字しか書けない。
  情けなくて 落ち込む。

  たまたま連日手書きする機会があり やむなく書いたものの
あらためて その下手さに参っている。

  お茶も買って持ち やれやれとベンチに腰を下ろしていた時 ハプニングが起きた。

  一緒に帰る友人には 近年はまっているブログの会があり 頻繁にオフ会にも出ている。
  小学校の一年生から中学を卒業するまでの年月を飛騨で過ごした友人は
飛騨への思い入れが強い。
  転校生だった彼女には 飛騨に親戚もなく 親兄弟もみな残っていない。
  それもあって 自分が育った地への想いは特別深く 懐かしいのだ。
  そんな彼女が ブログを通してまた飛騨と関係ができたことを 嬉しく思っていた。
  友人はいつも 時に電話で時に会って その会の楽しさを 嬉しそうに話してくれる。

  今回も 彼女は同窓会の前日に来て そのブログ仲間の女子会に出席していた。
  
  そのブログ仲間に 私が初めて教壇に立った時の教え子がいることがわかった。
  それを知った時のことは 以前にもこのブログに書いたが 偶然とはいえ驚いた。
  友人の話から もう四十年以上も前のことなのに 瞬間 その教え子の名前や
当時の髪型など まるで昨日のことのように頭の中に浮かんだことにも驚かされた。

  なんと その教え子が友人が帰る列車を調べ 友人だけでなく私にまで土産を持って
突然現れたのだった。

  まさかの出会いに もうビックリ!一瞬 声も出なかった。
  美しい女性に成長した教え子の姿に 突然彼女に会えたことに 思わず涙が出る。
  それまで友人の話の中の教え子は 私には 教えていた四年生の時のままだった。
  それが 時を飛び越えて 急に大人になってしまったかのようだ.
  モデルかと思うほどスタイルのいい美しい彼女は にこやかに笑って立っていた。

  友人の話から 彼女が幸せに暮らしている様子を聞き 喜んでいた私だった。
  人生で関わってきた人たちが幸せであってほしい と願うのは言うまでもないが
なかでも 教えた子供達が幸せに暮らしているのを知ることは 最良の喜びだ。

  短いたった数分の出来事だったが 彼女が見送りに来てくれたからこそ
持てた 特大の喜びだった。

  彼女の優しさと心遣いは いただいたお土産にも反映されていて
細々とした幾つもの飛騨の食べ物が 一つ一つ丁寧に袋に入れてあった。
  おそらくは 今回の旅ではスーパーへ寄る時間がないだろうと気遣った彼女は
友人が日頃懐かしがるあれこれを買い求め 保冷剤と共に保冷袋に入れてくれたに
ちがいない。 
  そして それを私にまで持って来てくれたのだ。
  その細やかな心配りに 胸が熱くなった。

  彼女は 私たちが列車に乗り込むと 列車が動き出す方向へ移動し
姿が見えなくなるまで 手を振って見送ってくれた。

  彼女の姿が見えなくなっても
  驚きの再会が体中に感動となって広がり しばらくは言葉も出ないほどだった。

  隣同士に座りながら友人との会話も途切れがちで そのうち友人が眠り
私もしばらくはウトウトとしたらしい。

  下車駅に着くと 夫が迎えに来てくれていた。
  友人は 列車を乗り換え 帰って行った。

  たった三日の なんでもない いつもの近距離への旅だったはずが
盛りだくさんで感動でいっぱいの 忘れられない旅になった。
  
   

   車で廻ってくれた友人のおかげで 予定していたことが早く終わった。
   帰宅当日 することはもうなかったから 朝市へ行きたいという友人に付き合い
一緒に泊まった二人と 四人で宮川に開かれる朝市へでかけた。

   かつては 地元の住民が買い手の素朴な朝市だったが 今や観光客でいっぱいだ。
   売られている品物も 観光客向けのものになっているし 値段も高い。
   観光立市を打ち出している以上 朝市も観光の目玉の一つだから
様変わりするのは やむをえないことなのだろう。
   それでも 生活の中に溶け込み 日常必要な品々が並んでいた昔の朝市を懐かしむ
住民は多いにちがいない。

朝市めぐりを終える頃 中の一人が御主人に迎えに来てくれ と 家へ電話した。
   その際 みんなに昼ご飯をご馳走するよう どこかへ連れて行って と頼んでくれた。
   そんなことになるとは思っていなかった三人は ビックリし遠慮したが 
ご主人も クラスこそ違え同級生という気安さもあり お言葉に甘えることになった。

   ご主人は心よく 古民家風のお店へ みんなを連れて行ってくださった。
   そして それぞれが食べたい品を注文した。

   元は同級生だから気安く ここでも話に花が咲く。
   話題は この地にある おおきな宗教団体のこと。
   市内と 今は市内になった 神話を持つ二つの山の周辺に その団体の建物が
散在している。世界中に信者がある総本山だ。
   迎えにきてくれた同級生のご夫婦は その山の麓で料理屋を経営している。
   だから事情に詳しいし 多少恩恵にも浴しているらしかった。
   彼らだけでなく 麓の地域にも大きな恩恵がある と話していた。
   いつの間にか所有する土地が広がって 一帯が団体のものになっているらしい。

   二人と別れた三人は 中の一人の車で駅へ向かった。
   帰りを決めていなかった私は すでに切符を買っていた友人に合わせて帰ることに。
   幸い 隣の座席が空いていて もよりの駅まで並んで行くことになった。

   今回の旅は 車を運転する友人たちに助けられての 歩きの少ない旅になった。
   一緒に帰ることになった膝の悪い友人ともども ありがたいことだった。

   旅はこれでお終い 後は列車の指定席に座るだけ。
   売店でお茶を買い 改札時間まで 待合室のベンチに座り過ごそうと思っていた時
またもや 想ってもみなかった驚きがあった。   
       

  その夜開かれた同窓会の出席者は十八人。
  中学三年の時のクラス会だ。
  地元に残ったメンバーが 順番に幹事になって 毎年開いてくれる。
  この歳まで続くと 出席者は毎回 ほぼ決まってくる。
  もちろん 都合が悪くてその年は欠席する者もいるが 珍しく出席する者もいたりする。

  私が中学二年の二学期 町内にあった三つの中学校が統合した。
  それまで名前も知らなかった者同士が 同じクラスになった。
  しかし 担任の個性からか 偶然気の合う者が集まったのか 私達のクラスは
すぐに皆が仲良くなり結束も固くなっていった。
  一緒の教室で過ごした月日は一年と数か月だというのに 以来交流が絶えないでいる。

  残念なことに 担任はすでに亡くなった。
  強烈な個性の教師で 人間的にも面白い先生だったが・・・。
  
  会は その年の幹事の挨拶に続いて 既に亡くなった同級生への黙とうから始まる。
  四人が亡くなっているのだ。
  そのうちの二人とは 出席する度に互いに会えたことを喜び合った仲だった。
  彼らも生あれば 今回の会にも元気で出席したことだろう。

  出席する者は 男子も女子もみな 落ち着いた生活を送り幸せそうな雰囲気がある。
  だからこそ こうして同窓会に出てこられるのだろう。
  その中に 自分が居られることが嬉しい。

  既に還暦を数年前に迎え それぞれの体も どこかしら不具合が生じている。
  それでも 男性のほとんどが未だ現役で 会社経営や農業経営に従事している。
  なかには それで巨額の収入を得て 御殿のような自宅に住む者もいる。
  そんな彼らも 偉ぶりもせず 話の仲間に加わっている。
  クラス会のいいところは 皆が平等の立場で 話ができるところだ。
  そんな彼らからは 毎回エネルギーをもらう。

  それでも 年を経る毎に 男子の酒量も次第に減っていくようだ。
  元気印の彼らも 確実に歳はとっているということか・・・。
  出席した男子の中で 喫煙者がたった一人だったのに驚く。
  みんな健康に気遣って暮らしているのだろう。

  何何君 誰々ちゃん と 当時の呼び方で呼びあう時間は 過ぎるのが早い。
  互いの苦労話や思い出話に 心が温かくなっていく。
  楽しく話ながら 明日からまた頑張らなくては と 勇気が湧いてくる。

  今回は 幹事の心遣いで お土産までいただいて散会になった。

  ホテルの車で それぞれの帰る所へ送ってもらう。
  私と共に泊まる四人は 予約してあった違うホテルへと運んでもらった。
  市で取り組む行事が翌日あり 同窓会があったホテルは何か月も前から満室で
宿泊予約ができなかったのだ。

  部屋に落ち着くと またまた話足りない分の話が始まる。
  大勢の席では話せなかったことなど お風呂が閉まる寸前まで話した。

  今まで知らなかったことや驚くような話も出たり 地元に残っていなくては知らない事
などもあり いつまで経っても話すことは終わらない。

  後で思い返すと なんでもないことだったり忘れてしまうことだったりが多いが
話しているうちに同級生当時の姿に見えてくるから 同窓会は不思議だ。
  当時 勉強ができたとかできなかったとかは この歳になると関係ない。
  ただ 互いが元気で生きていること 顔を合わせることが嬉しいのだ。

  次回のクラス会まで 私も頑張って生きなければ。
 
  
  
  
  
  

   昨日は一日パソコンの電波が悪くて使えなかった。

   知人宅からホテルへ帰ってほどなく 高山に住む友人から 翌日の予定を尋ねる
電話があった。
   雨でできなかった両親のお墓参りや 親戚への顔出しを何軒かするつもりだと話すと
一日休みをとったから 車で連れて行ってくれる と言う。
   お墓は駅からは遠い。 駅前でタクシーを拾い 一時間後に迎えにきてもらうよう
運転手に頼むつもりでいた。
   親戚へは その帰りのタクシーを使って廻ろうと 明日の算段をしていたところだった。
   だから 友人の申し出はとてもありがたかった。

   当日の朝 ホテル前まで迎えに来てくれた。 その足で 親戚への手土産を買いに
連れて行ってもらい お墓への途中で 供えるお花を買った。

   お墓は いつもと変わらぬ姿で 静かにそこにあった。
   お参りに来るのを待っていてくれたであろう両親を想い 目頭が熱くなる。
   供えた花は枯れて色が変わり 長くお参りする者がなかったことが知れる。
   枯れた花を取り除き 花立てをきれいにする。
   お墓を水で洗ううちに 友人は周囲に生えた草をとってくれた。
   娘の古い友人を さぞかし母も懐かしく想って お墓の中から見ていただろう。
   お墓を掃除し花を換えながら 来なかった期間のことなどや 知人宅を訪問し
いろいろ話したことなどを 心で語りかけた。
   そして 七月に出産を控えている娘が あんなにも可愛がっていた孫娘が
無事に赤ちゃんを産めるよう力を貸してあげて と願った。

   親戚宅に寄ると 腰の曲がった叔母が一人 隠居所で座っていた。
   歳はとってきたが 頭はしっかりしている。
   元気な姿を見ると ホッとする。
   話ていると 声を聴いて 従弟が母屋から出てきた。
   彼も もう還暦を迎えている。
   暇ごいをすると お米を持って行け と言ってくれる。
   重いお米は帰りの荷物に困るが せっかくの好意だ。宿から送ればいいと思い
好意をいただいて帰って来た。
   としよりとの別れはつらい。
   叔母も涙を浮かべながら 見送ってくれた。

   もう一軒は 寄ると もぬけのから。
   いつもなら 誰かいるのに・・・と不安になる。
   この家の叔母は 過去何回も倒れて 体に不自由がある。
   叔父や従妹もいないから もしやまた入院しているか と想い
他家へ嫁いでいる従妹に電話してみると こちらも留守。ますます不安が広がっていく。
   仕方がないから 夫へ電話し もしそちらへ何か緊急の連絡があれば
すぐ私の方へその旨の連絡をくれるよう 頼んでおいた。
   幸い 入院しているでも具合が悪いでもなく 叔父と連絡がとれ 一安心。
  
   歳とった叔父や叔母が多いと いつどのような連絡があってもおかしくはないから
いつも安否が気がかりだ。
   まだ 様子を見たい親戚が数軒あるが どちらへも上がると長くなりそうだし
ゆっくり話もしたいから 次回必ず訪問することにして 今回は諦める。

   この夜の宿へ行く頃に ポツポツと雨が車のフロントガラスを打つようになった。
   友人が車で廻ってくれなかったら どれほど難儀しただろう。
   持つべきものは友人だ と つくづくありがたかった。

   今回の短い旅で やりたいと思っていた事の大方は これで済んだ。
   それも友人のおかげで 早く済ませることができた。
   したいと思っていたことが済んだから 気がかりもなくなった。

   これで 今夜の同窓会に 気持ちよく出席できる。

   今回の飛騨行き一人旅は 実に満足のいく旅になった。

   出発した金曜日は 出掛ける時には降っていなかったが 高山に着く頃になって
車窓に雨粒が当たるようになった。
   もし降らなかったら この日 両親のお墓参りに行く予定だったが 予定変更。
   訪いを連絡してあったお宅訪問を先にすることにした。
   
   駅前からタクシーに乗り 目的のお宅へ。
   ご夫婦は 待っていてくださった。
   何度も脳梗塞を繰り返し その度入退院していらっしゃったご主人だったから
もしや寝着いていらっしゃりはしないかと 今回の訪問も躊躇するほどの想いだったが
あんに反して 想像していたよりお元気そうで 右半身の麻痺と言葉の不自由さを
抱えながらも 気丈に生活していらっしゃった。

   奥様も 当然お歳は召していらっしゃったが もともとお優しいなかにも凛とした
方だったから 今もそのままの様子で ご主人を支えながら 元気でいらっしゃった。
   そのお二人の姿に 胸が熱くなった。

   両親が若い頃から 我が家と親戚付き合いのように行き来させていただいて
私も弟もよく可愛がってくださった。
   もう五十年以上も前の折に触れての思い出に いつまで経っても話が尽きなかった。
   私が初めてお聞きする話やお二人がご存じなかった話など 次から次へと話題が移り
時間が過ぎるのが惜しいくらいだった。
  
   そのうち ご長男が帰宅された。 赤ちゃんの頃から知っている私は 当然ながら
会わなかった年月の分だけ こちらもご長男も歳をとっていることに気づかされた想い。
   それほどの ご長男の老成ぶりだった。
   彼が 実によくお父様の面倒をみられることに感心した。
   老齢のお母様を気遣いながら助け 不自由なお父様の薬の管理から
食事の容器に至るまで気を配っていらっしゃる姿に 両親に寄り添って生活していらっしゃる
日常の暮らしぶりがしのばれた。
   いい息子さんを待たれた と嬉しかった。
   
   夕食をご馳走になり ご長男の車でホテルまで送っていただいて帰った。
 
   何か一つ長年気がかりだったことがなくなったような・・・ちょっと肩の小さな荷が
下りたような・・・そんなスッキリとした清々しい気持ちで その日が終わった。

   今回 お二人にお会いできて 本当によかった。
   明日 両親のお墓にも報告できる。
   お墓参りの前に お二人にお会いできてよかった。
   今日のことを両親に話せば きっと喜んでくれるだろう。

  明日から二泊三日の予定で 飛騨へ向かう。
  用事の第一は 両親のお墓参り。もう長いこと行っていない。
  それに 中学のクラス会。
  そして 久しく伺っていないお宅への訪問 親戚への顔出しなどなどすることばかりだ。

  一軒のお宅は もう十年以上も季節の挨拶状だけで ご夫婦のお顔も見ないできた。
  その間に ご主人が体調を崩され 時に病院に入ったりする生活を送っていらっしゃる。
  叔父や叔母の顔も 久しく見ていない。
  みんな歳をとり 体のどこかに故障があり弱っている。

  飛騨へ行く時は たいてい夫の運転で行く日帰りの旅だ。
  短時間に 目的の事だけを早々に済ませて さっさと帰ってくる。
  それでは義理も欠くし 会いたい人や気がかりな人に会うこともできなくて
いつも 心を残しながら帰って来る。
  だから いつか何日かかけて一人で行って ゆっくり気がかりなことを
済ませたい・・・ずっとそう思ってきた。
  今回 幸いなことに 痛みも落ち着いていて体調も悪くない。
  それに いつまでこの体調が保てるかわからない。体が動いて一人で行けるうちに
行って会っておかねば という想いに 最近 頓に駆り立てられている。

  生まれ育ってきた時々で 世話になったり可愛がっていただいたりした方々への
想いは 夫にはわからない私だけの想いだから ひとりで行き お会いするのが
一番いいし その方が あれこれと四方山話もできる。
 
  そんな私の気持ちを分かってくれて 気持ちよく送り出してくれる夫に感謝。
  花の鉢への水やりも 夫がしてくれる。

  日曜日は 行った塩梅で帰りの時間を決めるつもりでいる。
  お墓の中では さぞかし 両親が首を長くして待っていてくれることだろう・・・。
  

  最近 夕ご飯が済むと 夫はやおらパソコンのスイッチを入れる。
そして 時々独り言を言いながら 地図を見たりして なにか調べているようだ。
  調べている というより そうやって楽しんでいる といったほうがいいかもしれない。

  そうしたら 今日 夫は書店で一冊の本を買ってきた。
  そして また今夜も パソコンを使い本を広げ それにマークを入れたり
プリントアウトしたりしている。
  お風呂にも入らず 夢中になって画面やページに見入っている。

  そういう時の夫には 何を話しても耳に入らないことを知っているから
話かけることもせず わたしも ただただ黙って 自分の好きなように夜を過ごす。
  
  いったい そうやって 何に行き着くのか 何が目的なのか・・・。
  

  昨日午後 I さんに リンパケア療法に連れていってもらった。
  I さんが 私の足腰がガチガチに硬くなっているから それから痛みがきているのでは と
わざわざ車で送迎してくださった。

  リンパケア療法は いわゆるマッサージのようでもなく 整体のようでもなく
軽く足先や手先を動かすことによって 全身の筋肉を緩めて 痛みを軽減する療法だ。
  体液や血液の循環を促す療法だから 強く加圧したりボキボキやったりしない。
  触れている箇所からの微振動が体全体の調子を整えるらしい。
  先生は 続ければ きっとサッサと歩けるようになるのでは とおっしゃった。
  足にくる痙攣もなくなるだろう ともおっしゃった。

  施術中は 今までに受けたことのないやり方だったこともあって 術前と術後の違いが
あまり感じなかった。
  ところが 帰宅後次第に 体が重くだるくなってきた。
  これだけ体に影響が出るとは思わなかったから驚いた。
  どこかしら なにかしら 体内が変化しているのだろう。
  一回の施術で これだけ表れるのだから 何回か回数を経れば もっといいほうへ
向かうのではないか と想う。

  帰りに I さんに次回の施術日を予約していただいた。
  温熱療法との併用で 少しでも痛みや痙攣が軽減するよう 希望を持って
施術を受けたい と思っている。

  時代小説にはまってから 何百作もの作品を読んできた。
  私は 一人の著作者の作品に出会うと その人の作品をできる限り読む。
  ある程度自分が満足するまで読むと ふっと他の小説家の作品に目がいく。
  そして またその小説家の著作にのめり込む・・・。
  それを繰り返して 次々に やすむ間なく読み続けてきた。

  読書好きは それぞれ本の読み方に その人独特の癖のようなものがある。
  この読み方が 私の読書の癖だ。
  そして この癖が 私の読書する楽しみ方だ と思っている。

  いくらなんでも もうこれだけ読めば時代小説から抜け出せるだろう・・・と想って
図書館へ返却に行く。書架の間を歩いてカウンターへ向かう途中 もうここで
目を引く本に出会ってしまう。手にとってパラパラとページをめくり あらすじを追う・・・
面白そう と思ったら もうダメだ。
  その本が 今まで読んだことのない作者だと 今度はその人の他の小説が
私を呼ぶ。読んで・・・読んで・・・ と本が私を引き付けてしまう。

  困ったものだが 困りながらも これが実に嬉しいし楽しい。
  多分 こんな調子の読み方は これからもずっと続くだろう。

  最近また 今まで作品を読んだ事がない新しい時代小説を見つけた。
  これだけ多数の時代小説を読んでくると 作者の力量も 素人ながら分かってくる。
  この作者は力があるな 内容がしっかりしているな 面白いな と感じると
その人は 新人賞を受賞していたり 過去に受賞経歴があったりする。
  中には 内容がとりとめなくダレていたりする本もある。するとその作者のものは
いつの間にか次第に消滅していったりする。

  図書館の他に楽しめるのは 書店。
  ここでは 新刊を探す。またその時夢中になっている作者の小説で 図書館にはない本
を探す。探してもない時は カウンターで取り寄せを依頼する。
 
  もう一つは 電子書籍だ。
  今は 二社の電子書籍を利用している。
  電子書籍のいい点は 時々値引きサービスがあること。
  また 新刊で 本屋へ行き買う前に 早くそれを読みたい時 すぐに入手できる点だ。
  そして一番いいのは 本の場所をとらないことだ。
  パソコン一つさえあれば 何百冊でも持ち歩ける。

  ところがこのごろ 問題が起こってきた。
  パソコンが小さいから 容量が重くなってきている。
  この分では パンクしそうだから リーダー専門のタブレットが必要かもしれない。
  リーダーになら 一千冊くらいは入るらしい。

  考えどころかもしれない・・・と 思っている。