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  今日 日中 はなちゃんが 沐浴した。
  いつもは 夜 よく眠るように と 娘が 一人で 沐浴させているが
昨夜は 母子ともに 眠ってしまって 沐浴が できなかった。
  それで 今日の日中 させることになった。

  私が はなちゃんの沐浴を見るのは 今日が初めて。
  二人目とあって 母親である娘は 手際よく 顔と頭ををソープで拭くように洗い
着ている物を脱がせ ベビーバスへと運んでいく。

  赤ちゃんは たいてい お風呂が大好きだ。
  お湯に浸かると 気持ちよさそうに 口をちょっとすぼめて 目を細める。
  首を支えられながら お湯に浸かる姿は なんともいえず 可愛い。

  私は 写真を撮ることを 思いついて 急いで カメラをとりに。
  娘も 私のカメラでも撮って というので 二台のカメラで 交互に撮る。

  そういえば 上の孫の沐浴は 婿がやったから 沐浴風景の写真が 一枚もない。
  婿が 元来写真嫌いで ましてや 自分が真剣に沐浴させているのに カメラを
構えて写真を撮るなど もってのほかで 娘はもちろん 私も撮れなかったのだ。

  それだけでなく 初めての子にしては 上の孫は 残っている写真が少ない。

  娘も 今回 はなちゃんに沐浴させながら そのことを言っていた。

  だから というわけではないが めったにないチャンス とばかり
何枚も撮った。

  沐浴後は たったそれだけで 赤ちゃんは疲れるから 着替えを終えると 眠った。

  今日は 貴重な写真が撮れて 嬉しい。写真好きの夫も 喜ぶだろう。
  今日この時 は 今 今 だけのもの。
  赤ん坊の成長は速い。
  この 時 を留めておくのは 映像以外にない。

  これ等の写真は 二度と 撮れない 記念の写真になるにちがいない。
  多分 沐浴シーンの写真は これっきりになるだろうから。

  娘も 母親として 娘に 沐浴させる写真が残って 満足そうだ。

  はなちゃんは 大人の想いなど知らないで スヤスヤと眠っている。

  

  
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  昨夜 自室へ引っ込んだ後 知らない間に眠ってしまったせいか
今朝 早くに 目覚めた。
  
  目覚めて 床の上に横たわっていると 窓の外では 既に セミがけたたましい。
  あちこちから ミンミン ミンミン と せわしなく聴こえてくる。

  しかし 彼らの声を 気ぜわしく感じるのは 人間の勝手ともいえる。
  なにせ セミたちは たった七日の命を この世で燃やし尽くさねばならないのだ。

  それに比して なんと人間の命の長いことか。
  日本は 世界一の長寿を また更新したとやら。

  昔なら 子供帰りする歳になるころ 腰が悪くなった。
  さてこれから この体で どうやって生きようか と 思い煩いもしたが
なんのことはない。
  こうして 娘の手助けが できている。

  セミのように 生き急ぐことはない
  与えられた命を 無駄にしないよう でも 焦らず 自分らしく生きることだ
と セミに教えられた気持ちで 起き上がった。

  リビングのカーテンを開けると
陽は もう ギラギラと照りつけている。

  暑い一日が もう 始まっている。

  今夏 ローソンがサンリオ社とのコラボで 商品に付いているポイントシールを集めると
サンリオのキャラクターの絵柄の大きなお皿がもらえる というキャンペーンをやっている。

  キティちゃん キキララ マイメロちゃん が 一緒に描かれた特別なお皿と
キティちゃんだけ描かれたガラスのお皿の 二種類があって どちらも 同じポイント数で
ローソンの各店舗ごとに 用紙にポイントがたまれば 交換してもらえる。 

  マイメロちゃんは 孫が大好きなキャラクターだ。
  私が買い与えたぬいぐるみも お気に入りだし 保育園へ毎日持って行く
コップと歯ブラシを入れる袋も プール用のバスタオルと水着を入れて行くバッグも
やっぱり マイメロちゃんの絵柄だ。

  このマイメロちゃんは 娘もまた 幼い頃大好きだった。

次男を産む時 上の二人は 保育園児だった。
  当時 娘は三歳で その年の四月に入園して 二か月しか経っていなかった。

  亡母がまだ働いていた関係で 私が実家へ戻り 退職していた亡父が
二人の子の面倒を見に 家へ来てくれた。

  長男は幼いながら事情を理解し なにより 保育園が大好きだったから
毎日 嬉々として通っていたが 入園して日の浅い娘は わたしがいない淋しさから
通園を嫌がって 亡父を困らせたらしい。

  **ちゃん おやすみ。おじいちゃん ほいくえん いってらっしゃい。
毎日 そう言っては がんとして 保育園へ行かなかった という。

  亡父は 仕方なく 長男だけを保育園へ連れて行き 家で 娘のお守りをした。
  そして 時々 市内の公園へ 娘を連れて出かけた。
 
  その頃 公園には小さな動物園があって ライオンやサルなどが見られたから
日中 そこで時間をつぶしたのだろう。

  その公園の中のお店が マイメロちゃんのぬいぐるみを売っていて
娘が それを欲しがった。
  亡父は 孫の機嫌とりに それを買い与えた。

  ピンクでフワフワの そのマイメロのぬいぐるみを 娘は とても大切にして
かなり大きくなるまで 大のお気に入りだった。

  そのマイメロを 今 孫もまた 大好きだ。
  ぬいぐるみはもちろん 保育園へ毎日持って行くコップ入れの袋や
プール用品を入れて持って行くバッグも マイメロの絵柄のものだ。

  自分も思い出があり 娘も好きなマイメロちゃんだから 母親である娘は
キャンペーンが始まるや いち早く その情報をキャッチして 私に伝えた。

  以来 私は 郵便局へ行く度に 近くにあるローソンへ寄って
シールのある商品を買い求めて ポイントを集めた。
  初めは そんなにたくさんのポイントは なかなか集められないだろう と思っていたが
とうとう 昨日 ポイントシールが お皿と交換できるだけ 集まった。

  娘にそれを告げると 娘も喜んで さっそく 今朝 保育園へ行く前に 孫を連れて
交換しに行ってくれ と 昨日 頼まれた。
  日中は保育園へ行くから お店へ連れて行く時間がないので 朝となったのだ。

  それで わけを聞いて喜ぶ孫を連れて 今朝 ローソンへ行った。
  シールを貼った用紙を持った孫と 手をつないで行った。

  孫に お店のカウンターにその用紙を出させて こうかんしてください と 言わせた。
  各店舗で 数が割り当てられているらしく その店には 残りが数枚しかなかった。
  かろうじて交換できたお皿の箱を 孫は大事に持ち帰った。

  家に着きドアを開けると 孫は 玄関で箱から出して 母親に見せていた。

  自分の年齢と近いキキララやキティちゃん 幼い時に自分も大好きだったマイメロ。
  娘は 子供の話を聞きながら 自分も嬉しそうに そのお皿を手にとっていた。

  他愛のないキャラクターの絵柄のお皿だが 娘と孫の二代に渡っての 思い入れのある
ものだから きっと 大切にするだろう。 

  喜ぶ二人の様子を見ながら めったにしたことのないシール集めだったが
してみてよかった と 一緒に喜んでいる私だった。


  
   

  
   

  昨日 鼻かぜがスッキリしない孫を 婿が もう一度耳鼻科へ連れて行った。
  薬をもらって 明日から 保育園へやってもいい と 言われてきたので
今日 一週間ぶりに 保育園へ登園した。

  母親は 赤ちゃんの世話で なかなか自分の思うように 世話をしてくれないと
知っているからか 朝起きると まっすぐ 私の部屋へ来る。

  トイレを済ませ服を着替え 顔を洗い 髪をとかして結び それから 朝食。
  今朝は 五平餅 豆乳ヨーグルト ジュース。
  その前に 食前の薬を 三種類も飲ませる。
  嫌がるから ゼリーに絡ませてから スプーンですくい 飲ませた。
  食後の薬も 三種類ある。

  これで ようやく 登園準備終了。
  リュックの中には すでに 登園用に コップや歯ブラシ お手拭き
着替え一式 豆乳パック など 入れてある。
  連絡帳も 記入済み。
  プール用のタオルと水着も 準備済み。
  朝一で沸かした ごぼう茶も 早くから水筒に入れてある。
  これらを いつ出かけてもいいように 玄関まで運んでおく。
  帽子 靴も添えて すべて完了。
  あとは 父親が 起きてくるのを待つだけだ。

  ここまでが 私の仕事。
  二人が出かけた後は 金魚の世話をし シャワーを浴びた。
  
  孫が 保育園へ行くと 私は楽だ。
  それそれ それそれ と 世話をしなくて済む。

  久しぶりに 落ち着いた日中を 送った。

  ほんのさっき 初台のスーパーから 帰って来た。

  もっと早い時間にマンションを出るつもりだったが 今朝 婿に連れられて
耳鼻科へ行った孫が 私が出ようとした時に ちょうど帰ってきたものだから
手を洗わせたり お腹がすいた というから 蒸しパンを蒸して食べさせたり
すいかが食べたい というので 切って食べさせたりしているうちに 時間が過ぎた。
  孫が お腹を満たして一息ついたところで はなちゃんの授乳を終えた娘に
バトンを預けて ようやくマンションを出た。

  いつも自宅を出て来る時には 荷物をコロコロに入れて持ってくる。
キャスターが付いているから 多少重くなっても 杖替わりにちょうどいい。 
  スーパーへは そのコロコロの中身を全部出して 空身を引いて行く。

  山手通りへ出て信号一つ分歩き 左へ曲がれば もう スーパーだ。
  山手通りへ出るまでに 短い坂があるから 帰りだけちょっとやっかいだが
あとは 平らな広い歩道を歩くだけだ。

  娘は 生協やネットスーパーを利用しているから たいがいの食品や日用品は
そちらで揃うが それでも スーパーでしか買えない物があって 時々 出かける。

  今日は 孫が大好きな蒸しパンーあんこが入っていなくて 皮だけの玄米パンー
や冷凍でない魚介などが欲しくて行った。
  スーパーへ行き 食品売り場の間をカートを引いて歩くと ああ これも買おう と
思いつく物もあって 結構な品数になってしまう。

  こんな暑い中を帰って行くのだから 生ものは 厳重に冷やして持ち帰らねば
途中で悪くなってしまう。
  そこで 備え付けのビニール袋に 一つずつ氷を入れては縛る。
  そのままでは コロコロの中が水滴で濡れてしまうから またそれをビニール袋に
入れて 二重にする。
  この作業に 随分時間がかかった。

  そうして スーパーを出ると 外は 熱風を含んだような空気だ。
  アームカバーや日傘に帽子の重装備だが それでも 暑い。

  マンションが スーパーや郵便局など 近くにあって 本当にありがたい。
  
  帰ると 今日はヘルパーが来られない と 連絡があった とのこと。
  きっとまた スーダン大使の身勝手な用事を言いつけられて 来られなくなった
のだろう。
どれだけの時間 拘束されて働かされても 全くの無給 ただ働きだから
彼女にしてみたら たまったものではない。

  ヘルパーの彼女の収入は 娘宅での仕事以外にないのだ。
  今日だけで 六時間分の収入が 消えることになる。
  気の毒だが どうしようもない。

  日中 買い物に出かけた婿は 帰ってくると 夕食の準備にかかった。
  娘は 孫の相手をしたりしている。私は 自室へ。

  六時になると 出来上がり。
  今夜は トマトで和えたパスタと ルッコラや他のベビーリーフにヤングコーン
ベビーキャロットとミニトマトが入ったサラダ それに 中にいろいろ詰め物をして
香りや味を付けたローストチキンだった。
  それに 夫が送ってきたジャガイモを ローストしたものが 添えられた。

  それぞれを 取り分けて食べる。
  それに お決まりのワインを開ける。 
  飲めない私は 大きなグラスに 少しだけ注いでもらう。
  娘は 授乳中で飲めないから あとは 婿が一人で ボトルをあける。

  上の孫は まだ 風邪が治りきらず はなも出るし 時々咳もするが
食欲だけは ほぼ戻ってきた。
  今夜も 切り分けてもらった大きなもも肉に かぶりついていた。

  後片付けは たいがい娘がするが こんな時だから 私も手伝って 調理器具や
食器などを 食洗機に入れた。
  この家の食洗機は 我が家のものの四倍以上もある 大きなものなので
どんなものでも入れて洗えるから 便利だ。
  その代り 機械が洗って乾燥した後の大量の食器のかたづけは 大変な手間だ。
  しかし  それは ヘルパーがやってくれるから 私の仕事ではない。

  今日の関東は 猛暑だった。
  でも マンションの中だけにいると そんなことも感じないでいる。
  
  お昼近く 上の孫と一緒にシャワーを浴びて 彼女のシャンプーに手こずった以外
これといって 問題のない 日曜だった。

  そんな私と違って 夫は また 小鮎釣りに出かけたらしい。
  前回行った時に 地元の人に教えてもらった方法で釣ってみたら よく釣れた と
メールがあった。
  自分で 煮てみたいからレシピを教えて と 言ってきた。
  いつも自己流での佃煮づくりだから これといって特別なことは 何もないが
調味料の量など話すと 早速煮ているようだ。

  はたして そのお味は 如何に。 
  

  娘宅では ずっと以前からの娘と婿との取り決めで 金曜の夜は 婿は自由。
だから 夜の帰りは遅い。
  その代り 土曜日は 婿が子供の面倒をみる。

  この約束があるから 土曜日は 朝起きて来た孫を 着替えさせて
ご飯を食べさせた後は 私は なるべく 孫とは 関わらないようにしている。
  特に 最近は 英語での会話ができるようになってきた孫と婿の間には
親密さが感じられるし 孫には 九月から 一日中英語の中での生活が待っている。
  ブリティッシュ スクールへ入学する前だから どれだけでも 英語力を
付けさせておきたい。

  そんなわけで 昨日は おおかた一日 自室で過ごした。
  婿が面倒をみる といっても だいたいは 子供向けの映画を見せたりして
過ごすのだが それでも 聞いていると 楽しそうに話している。

  夕食は 私が作るが 入浴や本読み 寝かしつけは やっぱり婿がする。
  だから 夕食後は また自由になる。
 
  一日のほとんどを 読書したりパソコンを開いたり ときには手紙を書いたりして
ゆっくり過ごす。

  日曜日の夕飯は 婿が料理するし 朝食さえ済ませれば 婿が居るから
わりと 私も楽だ。

  さて 日中になれば 婿は 夕食の食材の買い出しに出かけていくだろう。
  今夜は どんな料理が食卓に並ぶのだろう。

  熱も上がらなくなった孫は 今夜も モリモリ食べるに違いない。

  今はもう彼岸の人になっている私の父は 肉類の好きな人だった。

  お肉なら なんでも好きで 当時 豚を飼っているお宅からか お店からか
時々 今でいうホルモンを買って来て 味噌で味付けし 焼いたり煮たりして食べた。
  まだ ホルモンなど 世間に出回っていない頃だった。元来 あまり 肉類が
好きではなかった私は 箸を付けなかったが 父と弟は 美味しそうに食べていた。

  そんな我が家の 丑の日は 毎年必ず うなぎではなく トンカツだった。
  このときばかりは 母親でなく 父が自らカツ肉を買って来て 料理した。
  小麦粉をつけ卵をくぐらせ パン粉をつけて油で揚げる それを すべて自分で
やって 私たち家族に食べさせてくれた。
もちろん 食べる時には フォークとナイフを使った。

  トンカツは丑の日とは限らず 家族の誕生日だったり 家族のお祝いの日だったりに
よく食卓に載った。

  たまに高山へ家族で出かけると その頃 市内に二軒あった食堂の内の一軒に
入り ご飯を食べた。
  そして 注文するのは 父は 必ずトンカツ 母や私や弟は その日の気分次第で
トンカツにしたりカツ丼にしたりした。
  その後 私と弟は これも必ず コーンのソフトクリームを食べたものだった。

  大人になるに連れて 社会もドンドン西洋化していき レストランで
ナイフやフォークを使う料理が 珍しくなくなっていったが その頃はまだまだ珍しくて
周囲のお客さんが ジロジロ見ていたのを 覚えている。

  長じて ナイフやフォークを使うことが 億劫でなかったのは 子供の頃からの
そうした食生活の影響も 大きかったのかもしれない。
  そのせいか お肉嫌いの私だが トンカツだけはずっと大好きで 今でもよく食べる。

  後年 認知症になった父だったが お肉好きだけは 相変わらずで
カツ肉を 入歯だったにもかかわらず 美味しい と 言って 食べてくれた。

  辛かったことや悲しかったことも 家族にはあったが 今では すべてが
恩讐の彼方に消えた。
  思い返してみると 子供の頃の思い出の中は 両親と私に弟が いつも一緒だ。
  そう思うと 子供の頃には 楽しかった事もたくさんあったのだ と 気付かされる。

  丑の日が来る度 あの頃のことや 台所でトンカツを揚げる父の姿を 思い出す。

  高熱が出ていた 上の孫だが 今朝には 微熱になった。
  一人で起きて 私の部屋へ来た。
  熱が下がると 体が楽になるらしく 本人も
  ねつ さがったみたいようォ~ と 言いながら 入って来た。

  娘は ここ数日の疲れが出ているのだろう。
  はなちゃんと一緒に寝ている部屋から 出て来る様子はない。
  朝寝の婿は もちろん 私がいる と わかっているから 起きては来ない。

  朝食の準備をし 四種類くらいある食前の薬を だましだまし飲ませてから
二人で 食べた。
  孫も 今朝は 昨日より 食欲も出ている。

  その後は 今回来る前にお店で見つけて 外の物と一緒に送っておいた
カラフルな粘土で 遊んだ。
  私と ウサギを作ったり きゅうりや茄子などの野菜を作ったりして遊び 上機嫌。

  充分粘土遊びをすると 今度は 私のパソコンで 動画を見たがった。
  孫が見るのは いつも 面白動物動画だ。
  それも 猫ばかりのもので 中に 特に その場面がくると 大笑いするのがある。
  何度となく見ても 必ず それが出ると 面白がって笑う。

  それは 大きなねこが ソファーの上にいて 眠たがっている
  そのねこが 眠気に耐えられず コトンッと 頭を 両の前足の間に落とす。
という 画像だ。
  作為のない姿が ついつい笑いを誘う動画だ。

  二回りも 猫の動画を見た後は アンパンマン。
  たわいない アンパンマンとバイキンマンのやりとりが 子供の心を引きつける。

  そんなことをしているうちに お昼ご飯の時間になった。
  そして 孫は 母親に連れられて お昼寝へ。
  私も しばしの自由時間。

  ところが 突然 物凄いいなびかりと共に 雷が鳴り出した。
  それも なかなか 終わらない。
  そのうち どこかに落ちたのだろう。 今まで聞いたことのないような 大きな音がした。

  一時間以上も 雷は鳴っていただろうか
  そのうち 次第に遠のいていった。

   東京で こんな激しい雷雨にあったのは 初めてだ。
   外にあった洗濯物は 寸前に取り込んでいて 助かった。

   今日は 丑の日。
   夕飯は うなぎ と 決まっているから ご飯を炊くだけでいい。

   なにごともなく過ぎていく 一日だ。
  

 娘宅へ 毎日通って来るヘルパーは フィリピン人の女性だ。
  このマンションには たくさんのヘルパーが 出入りしている。
  そして ヘルパー全員が 東南アジア系で なかでもフィリピン人が
断然多い。

  彼女らが 日本で働くにあたっては 就労ビザが必要だ。
  しかも それは 一年限りのもので 日本に もっと居て働きたい時には
それを 毎年 更新しなくてはならない。
  品川のほうの 不便は場所に その役所の 出入国管理所は あるらしい。
  
  就労ビザをとるためには 必ず 身元引受人 が必要になる。
  これがないと 日本での滞在は不可能なのだが これがまた 大変らしい。
  身元引受人になるのにも 厳しい条件がいる。

  娘夫婦が 去年 今回の妊娠にあたって ヘルパーを探し始めたが
なかなか この人 という いい人がいなかった。
毎日頼める人を となると だれでもいい というわけにはいかない。
  それで すでにフィリピンへ帰ってしまっているが とても評判のいい人がいたので
その人を 呼び寄せようとしたが  条件に合わず 呼び寄せられなかった。
  婿ほどの日本滞在期間があって 会社経営者でも 身元引受人 保証人に
なれなかったのだ。

  それほどだから 働く側も 一年毎に 滞在許可を申請し直す際 その
身元引受人になってもらえる人を探すのは とても大変だ。

  そうなると ひっきょう 公人 わけても 外国の大使館などに その身元引受人を
頼むのが 一番楽な方法になってくる。
  ところが 見ず知らずの 自国の人間でない者の 身元引受人には
いくら大使館でも なかなか なってはもらえない。
  ここに 依頼する者と依頼されるほうとの 力関係のようなものが 生じる。
  要は 彼女らの弱みに付け込んで
  身元引受人になってやる。しかし こちらの言うことを聞け となるのだ。
  彼女らは それでも 日本で働くほうが 自国での労働より 収入がいいから
涙をのんで 身元引受人になってもらう。
  その条件とは ただ働き である。

  もちろん そんなひどい大使館は まず 少ないのだろうが
娘宅へ 通ってくる女性も その前通って来ていた女性も 同じアフリカの国の
大使館を 身元引受人にしていた。
  彼女らが 身元引受人にしている国の大使館が 聞けば 実にひどい。

  労働条件などは まったく無視。いつでも 大使やその妻の都合のいい時に
時間など関係なく 呼び出して使う。
  しかも 賃金を払わない。まったくの無給なのだ。
  まるで 奴隷のような 扱いなのだ。

  しかも 後進国だからか 掃除道具すら整っていないから 箒で掃くのだという。
  もちろん 当然のごとく 大使館でなにか催しがある時には 一日中 夜遅くまで
こき使う。
  そんな日は 娘宅へ来られない と 時間ギリギリになって 連絡が入る。
  事前に 解放される時間など わからないからだ。
  

  最初 娘が 彼女らの置かれている立場と実態を知った時 衝撃を受けた。
  それではいかにも彼女らが 可哀相だ。
  そこで 様々な方面へ問い合わせたりして なんとかならないか やってみた。
  外務省などにも 実態を話して 相談したらしい。
  しかし 大使館は 国内といえども 治外法権 の場所。
  大使館内で どのようなことが起こっていても 日本は 手が出せないのだ。
  彼女らを気の毒に思っても なすすべがない。

  これが 日本で働いている彼女らの 実態だ。
  彼女らの多くは既婚者で 子供を 家族に預けてまで 日本で働いている。
  そうせざるを得ない事情が 彼女らにはあるから みすみす ただ働きになっても
他で収入を得ることをしながら 日本に滞在しているのだ。

  経済的に豊かな国に生まれ育った私達には 信じられないような話だ。
  毎日やって来るヘルパーの笑顔の裏に そんな悲しい事実が あった。