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  今日 日中 はなちゃんが 沐浴した。
  いつもは 夜 よく眠るように と 娘が 一人で 沐浴させているが
昨夜は 母子ともに 眠ってしまって 沐浴が できなかった。
  それで 今日の日中 させることになった。

  私が はなちゃんの沐浴を見るのは 今日が初めて。
  二人目とあって 母親である娘は 手際よく 顔と頭ををソープで拭くように洗い
着ている物を脱がせ ベビーバスへと運んでいく。

  赤ちゃんは たいてい お風呂が大好きだ。
  お湯に浸かると 気持ちよさそうに 口をちょっとすぼめて 目を細める。
  首を支えられながら お湯に浸かる姿は なんともいえず 可愛い。

  私は 写真を撮ることを 思いついて 急いで カメラをとりに。
  娘も 私のカメラでも撮って というので 二台のカメラで 交互に撮る。

  そういえば 上の孫の沐浴は 婿がやったから 沐浴風景の写真が 一枚もない。
  婿が 元来写真嫌いで ましてや 自分が真剣に沐浴させているのに カメラを
構えて写真を撮るなど もってのほかで 娘はもちろん 私も撮れなかったのだ。

  それだけでなく 初めての子にしては 上の孫は 残っている写真が少ない。

  娘も 今回 はなちゃんに沐浴させながら そのことを言っていた。

  だから というわけではないが めったにないチャンス とばかり
何枚も撮った。

  沐浴後は たったそれだけで 赤ちゃんは疲れるから 着替えを終えると 眠った。

  今日は 貴重な写真が撮れて 嬉しい。写真好きの夫も 喜ぶだろう。
  今日この時 は 今 今 だけのもの。
  赤ん坊の成長は速い。
  この 時 を留めておくのは 映像以外にない。

  これ等の写真は 二度と 撮れない 記念の写真になるにちがいない。
  多分 沐浴シーンの写真は これっきりになるだろうから。

  娘も 母親として 娘に 沐浴させる写真が残って 満足そうだ。

  はなちゃんは 大人の想いなど知らないで スヤスヤと眠っている。

  

  
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  昨夜 自室へ引っ込んだ後 知らない間に眠ってしまったせいか
今朝 早くに 目覚めた。
  
  目覚めて 床の上に横たわっていると 窓の外では 既に セミがけたたましい。
  あちこちから ミンミン ミンミン と せわしなく聴こえてくる。

  しかし 彼らの声を 気ぜわしく感じるのは 人間の勝手ともいえる。
  なにせ セミたちは たった七日の命を この世で燃やし尽くさねばならないのだ。

  それに比して なんと人間の命の長いことか。
  日本は 世界一の長寿を また更新したとやら。

  昔なら 子供帰りする歳になるころ 腰が悪くなった。
  さてこれから この体で どうやって生きようか と 思い煩いもしたが
なんのことはない。
  こうして 娘の手助けが できている。

  セミのように 生き急ぐことはない
  与えられた命を 無駄にしないよう でも 焦らず 自分らしく生きることだ
と セミに教えられた気持ちで 起き上がった。

  リビングのカーテンを開けると
陽は もう ギラギラと照りつけている。

  暑い一日が もう 始まっている。

  今夏 ローソンがサンリオ社とのコラボで 商品に付いているポイントシールを集めると
サンリオのキャラクターの絵柄の大きなお皿がもらえる というキャンペーンをやっている。

  キティちゃん キキララ マイメロちゃん が 一緒に描かれた特別なお皿と
キティちゃんだけ描かれたガラスのお皿の 二種類があって どちらも 同じポイント数で
ローソンの各店舗ごとに 用紙にポイントがたまれば 交換してもらえる。 

  マイメロちゃんは 孫が大好きなキャラクターだ。
  私が買い与えたぬいぐるみも お気に入りだし 保育園へ毎日持って行く
コップと歯ブラシを入れる袋も プール用のバスタオルと水着を入れて行くバッグも
やっぱり マイメロちゃんの絵柄だ。

  このマイメロちゃんは 娘もまた 幼い頃大好きだった。

次男を産む時 上の二人は 保育園児だった。
  当時 娘は三歳で その年の四月に入園して 二か月しか経っていなかった。

  亡母がまだ働いていた関係で 私が実家へ戻り 退職していた亡父が
二人の子の面倒を見に 家へ来てくれた。

  長男は幼いながら事情を理解し なにより 保育園が大好きだったから
毎日 嬉々として通っていたが 入園して日の浅い娘は わたしがいない淋しさから
通園を嫌がって 亡父を困らせたらしい。

  **ちゃん おやすみ。おじいちゃん ほいくえん いってらっしゃい。
毎日 そう言っては がんとして 保育園へ行かなかった という。

  亡父は 仕方なく 長男だけを保育園へ連れて行き 家で 娘のお守りをした。
  そして 時々 市内の公園へ 娘を連れて出かけた。
 
  その頃 公園には小さな動物園があって ライオンやサルなどが見られたから
日中 そこで時間をつぶしたのだろう。

  その公園の中のお店が マイメロちゃんのぬいぐるみを売っていて
娘が それを欲しがった。
  亡父は 孫の機嫌とりに それを買い与えた。

  ピンクでフワフワの そのマイメロのぬいぐるみを 娘は とても大切にして
かなり大きくなるまで 大のお気に入りだった。

  そのマイメロを 今 孫もまた 大好きだ。
  ぬいぐるみはもちろん 保育園へ毎日持って行くコップ入れの袋や
プール用品を入れて持って行くバッグも マイメロの絵柄のものだ。

  自分も思い出があり 娘も好きなマイメロちゃんだから 母親である娘は
キャンペーンが始まるや いち早く その情報をキャッチして 私に伝えた。

  以来 私は 郵便局へ行く度に 近くにあるローソンへ寄って
シールのある商品を買い求めて ポイントを集めた。
  初めは そんなにたくさんのポイントは なかなか集められないだろう と思っていたが
とうとう 昨日 ポイントシールが お皿と交換できるだけ 集まった。

  娘にそれを告げると 娘も喜んで さっそく 今朝 保育園へ行く前に 孫を連れて
交換しに行ってくれ と 昨日 頼まれた。
  日中は保育園へ行くから お店へ連れて行く時間がないので 朝となったのだ。

  それで わけを聞いて喜ぶ孫を連れて 今朝 ローソンへ行った。
  シールを貼った用紙を持った孫と 手をつないで行った。

  孫に お店のカウンターにその用紙を出させて こうかんしてください と 言わせた。
  各店舗で 数が割り当てられているらしく その店には 残りが数枚しかなかった。
  かろうじて交換できたお皿の箱を 孫は大事に持ち帰った。

  家に着きドアを開けると 孫は 玄関で箱から出して 母親に見せていた。

  自分の年齢と近いキキララやキティちゃん 幼い時に自分も大好きだったマイメロ。
  娘は 子供の話を聞きながら 自分も嬉しそうに そのお皿を手にとっていた。

  他愛のないキャラクターの絵柄のお皿だが 娘と孫の二代に渡っての 思い入れのある
ものだから きっと 大切にするだろう。 

  喜ぶ二人の様子を見ながら めったにしたことのないシール集めだったが
してみてよかった と 一緒に喜んでいる私だった。


  
   

  
   

  昨日 鼻かぜがスッキリしない孫を 婿が もう一度耳鼻科へ連れて行った。
  薬をもらって 明日から 保育園へやってもいい と 言われてきたので
今日 一週間ぶりに 保育園へ登園した。

  母親は 赤ちゃんの世話で なかなか自分の思うように 世話をしてくれないと
知っているからか 朝起きると まっすぐ 私の部屋へ来る。

  トイレを済ませ服を着替え 顔を洗い 髪をとかして結び それから 朝食。
  今朝は 五平餅 豆乳ヨーグルト ジュース。
  その前に 食前の薬を 三種類も飲ませる。
  嫌がるから ゼリーに絡ませてから スプーンですくい 飲ませた。
  食後の薬も 三種類ある。

  これで ようやく 登園準備終了。
  リュックの中には すでに 登園用に コップや歯ブラシ お手拭き
着替え一式 豆乳パック など 入れてある。
  連絡帳も 記入済み。
  プール用のタオルと水着も 準備済み。
  朝一で沸かした ごぼう茶も 早くから水筒に入れてある。
  これらを いつ出かけてもいいように 玄関まで運んでおく。
  帽子 靴も添えて すべて完了。
  あとは 父親が 起きてくるのを待つだけだ。

  ここまでが 私の仕事。
  二人が出かけた後は 金魚の世話をし シャワーを浴びた。
  
  孫が 保育園へ行くと 私は楽だ。
  それそれ それそれ と 世話をしなくて済む。

  久しぶりに 落ち着いた日中を 送った。

  ほんのさっき 初台のスーパーから 帰って来た。

  もっと早い時間にマンションを出るつもりだったが 今朝 婿に連れられて
耳鼻科へ行った孫が 私が出ようとした時に ちょうど帰ってきたものだから
手を洗わせたり お腹がすいた というから 蒸しパンを蒸して食べさせたり
すいかが食べたい というので 切って食べさせたりしているうちに 時間が過ぎた。
  孫が お腹を満たして一息ついたところで はなちゃんの授乳を終えた娘に
バトンを預けて ようやくマンションを出た。

  いつも自宅を出て来る時には 荷物をコロコロに入れて持ってくる。
キャスターが付いているから 多少重くなっても 杖替わりにちょうどいい。 
  スーパーへは そのコロコロの中身を全部出して 空身を引いて行く。

  山手通りへ出て信号一つ分歩き 左へ曲がれば もう スーパーだ。
  山手通りへ出るまでに 短い坂があるから 帰りだけちょっとやっかいだが
あとは 平らな広い歩道を歩くだけだ。

  娘は 生協やネットスーパーを利用しているから たいがいの食品や日用品は
そちらで揃うが それでも スーパーでしか買えない物があって 時々 出かける。

  今日は 孫が大好きな蒸しパンーあんこが入っていなくて 皮だけの玄米パンー
や冷凍でない魚介などが欲しくて行った。
  スーパーへ行き 食品売り場の間をカートを引いて歩くと ああ これも買おう と
思いつく物もあって 結構な品数になってしまう。

  こんな暑い中を帰って行くのだから 生ものは 厳重に冷やして持ち帰らねば
途中で悪くなってしまう。
  そこで 備え付けのビニール袋に 一つずつ氷を入れては縛る。
  そのままでは コロコロの中が水滴で濡れてしまうから またそれをビニール袋に
入れて 二重にする。
  この作業に 随分時間がかかった。

  そうして スーパーを出ると 外は 熱風を含んだような空気だ。
  アームカバーや日傘に帽子の重装備だが それでも 暑い。

  マンションが スーパーや郵便局など 近くにあって 本当にありがたい。
  
  帰ると 今日はヘルパーが来られない と 連絡があった とのこと。
  きっとまた スーダン大使の身勝手な用事を言いつけられて 来られなくなった
のだろう。
どれだけの時間 拘束されて働かされても 全くの無給 ただ働きだから
彼女にしてみたら たまったものではない。

  ヘルパーの彼女の収入は 娘宅での仕事以外にないのだ。
  今日だけで 六時間分の収入が 消えることになる。
  気の毒だが どうしようもない。

  日中 買い物に出かけた婿は 帰ってくると 夕食の準備にかかった。
  娘は 孫の相手をしたりしている。私は 自室へ。

  六時になると 出来上がり。
  今夜は トマトで和えたパスタと ルッコラや他のベビーリーフにヤングコーン
ベビーキャロットとミニトマトが入ったサラダ それに 中にいろいろ詰め物をして
香りや味を付けたローストチキンだった。
  それに 夫が送ってきたジャガイモを ローストしたものが 添えられた。

  それぞれを 取り分けて食べる。
  それに お決まりのワインを開ける。 
  飲めない私は 大きなグラスに 少しだけ注いでもらう。
  娘は 授乳中で飲めないから あとは 婿が一人で ボトルをあける。

  上の孫は まだ 風邪が治りきらず はなも出るし 時々咳もするが
食欲だけは ほぼ戻ってきた。
  今夜も 切り分けてもらった大きなもも肉に かぶりついていた。

  後片付けは たいがい娘がするが こんな時だから 私も手伝って 調理器具や
食器などを 食洗機に入れた。
  この家の食洗機は 我が家のものの四倍以上もある 大きなものなので
どんなものでも入れて洗えるから 便利だ。
  その代り 機械が洗って乾燥した後の大量の食器のかたづけは 大変な手間だ。
  しかし  それは ヘルパーがやってくれるから 私の仕事ではない。

  今日の関東は 猛暑だった。
  でも マンションの中だけにいると そんなことも感じないでいる。
  
  お昼近く 上の孫と一緒にシャワーを浴びて 彼女のシャンプーに手こずった以外
これといって 問題のない 日曜だった。

  そんな私と違って 夫は また 小鮎釣りに出かけたらしい。
  前回行った時に 地元の人に教えてもらった方法で釣ってみたら よく釣れた と
メールがあった。
  自分で 煮てみたいからレシピを教えて と 言ってきた。
  いつも自己流での佃煮づくりだから これといって特別なことは 何もないが
調味料の量など話すと 早速煮ているようだ。

  はたして そのお味は 如何に。 
  

  娘宅では ずっと以前からの娘と婿との取り決めで 金曜の夜は 婿は自由。
だから 夜の帰りは遅い。
  その代り 土曜日は 婿が子供の面倒をみる。

  この約束があるから 土曜日は 朝起きて来た孫を 着替えさせて
ご飯を食べさせた後は 私は なるべく 孫とは 関わらないようにしている。
  特に 最近は 英語での会話ができるようになってきた孫と婿の間には
親密さが感じられるし 孫には 九月から 一日中英語の中での生活が待っている。
  ブリティッシュ スクールへ入学する前だから どれだけでも 英語力を
付けさせておきたい。

  そんなわけで 昨日は おおかた一日 自室で過ごした。
  婿が面倒をみる といっても だいたいは 子供向けの映画を見せたりして
過ごすのだが それでも 聞いていると 楽しそうに話している。

  夕食は 私が作るが 入浴や本読み 寝かしつけは やっぱり婿がする。
  だから 夕食後は また自由になる。
 
  一日のほとんどを 読書したりパソコンを開いたり ときには手紙を書いたりして
ゆっくり過ごす。

  日曜日の夕飯は 婿が料理するし 朝食さえ済ませれば 婿が居るから
わりと 私も楽だ。

  さて 日中になれば 婿は 夕食の食材の買い出しに出かけていくだろう。
  今夜は どんな料理が食卓に並ぶのだろう。

  熱も上がらなくなった孫は 今夜も モリモリ食べるに違いない。

  今はもう彼岸の人になっている私の父は 肉類の好きな人だった。

  お肉なら なんでも好きで 当時 豚を飼っているお宅からか お店からか
時々 今でいうホルモンを買って来て 味噌で味付けし 焼いたり煮たりして食べた。
  まだ ホルモンなど 世間に出回っていない頃だった。元来 あまり 肉類が
好きではなかった私は 箸を付けなかったが 父と弟は 美味しそうに食べていた。

  そんな我が家の 丑の日は 毎年必ず うなぎではなく トンカツだった。
  このときばかりは 母親でなく 父が自らカツ肉を買って来て 料理した。
  小麦粉をつけ卵をくぐらせ パン粉をつけて油で揚げる それを すべて自分で
やって 私たち家族に食べさせてくれた。
もちろん 食べる時には フォークとナイフを使った。

  トンカツは丑の日とは限らず 家族の誕生日だったり 家族のお祝いの日だったりに
よく食卓に載った。

  たまに高山へ家族で出かけると その頃 市内に二軒あった食堂の内の一軒に
入り ご飯を食べた。
  そして 注文するのは 父は 必ずトンカツ 母や私や弟は その日の気分次第で
トンカツにしたりカツ丼にしたりした。
  その後 私と弟は これも必ず コーンのソフトクリームを食べたものだった。

  大人になるに連れて 社会もドンドン西洋化していき レストランで
ナイフやフォークを使う料理が 珍しくなくなっていったが その頃はまだまだ珍しくて
周囲のお客さんが ジロジロ見ていたのを 覚えている。

  長じて ナイフやフォークを使うことが 億劫でなかったのは 子供の頃からの
そうした食生活の影響も 大きかったのかもしれない。
  そのせいか お肉嫌いの私だが トンカツだけはずっと大好きで 今でもよく食べる。

  後年 認知症になった父だったが お肉好きだけは 相変わらずで
カツ肉を 入歯だったにもかかわらず 美味しい と 言って 食べてくれた。

  辛かったことや悲しかったことも 家族にはあったが 今では すべてが
恩讐の彼方に消えた。
  思い返してみると 子供の頃の思い出の中は 両親と私に弟が いつも一緒だ。
  そう思うと 子供の頃には 楽しかった事もたくさんあったのだ と 気付かされる。

  丑の日が来る度 あの頃のことや 台所でトンカツを揚げる父の姿を 思い出す。

  高熱が出ていた 上の孫だが 今朝には 微熱になった。
  一人で起きて 私の部屋へ来た。
  熱が下がると 体が楽になるらしく 本人も
  ねつ さがったみたいようォ~ と 言いながら 入って来た。

  娘は ここ数日の疲れが出ているのだろう。
  はなちゃんと一緒に寝ている部屋から 出て来る様子はない。
  朝寝の婿は もちろん 私がいる と わかっているから 起きては来ない。

  朝食の準備をし 四種類くらいある食前の薬を だましだまし飲ませてから
二人で 食べた。
  孫も 今朝は 昨日より 食欲も出ている。

  その後は 今回来る前にお店で見つけて 外の物と一緒に送っておいた
カラフルな粘土で 遊んだ。
  私と ウサギを作ったり きゅうりや茄子などの野菜を作ったりして遊び 上機嫌。

  充分粘土遊びをすると 今度は 私のパソコンで 動画を見たがった。
  孫が見るのは いつも 面白動物動画だ。
  それも 猫ばかりのもので 中に 特に その場面がくると 大笑いするのがある。
  何度となく見ても 必ず それが出ると 面白がって笑う。

  それは 大きなねこが ソファーの上にいて 眠たがっている
  そのねこが 眠気に耐えられず コトンッと 頭を 両の前足の間に落とす。
という 画像だ。
  作為のない姿が ついつい笑いを誘う動画だ。

  二回りも 猫の動画を見た後は アンパンマン。
  たわいない アンパンマンとバイキンマンのやりとりが 子供の心を引きつける。

  そんなことをしているうちに お昼ご飯の時間になった。
  そして 孫は 母親に連れられて お昼寝へ。
  私も しばしの自由時間。

  ところが 突然 物凄いいなびかりと共に 雷が鳴り出した。
  それも なかなか 終わらない。
  そのうち どこかに落ちたのだろう。 今まで聞いたことのないような 大きな音がした。

  一時間以上も 雷は鳴っていただろうか
  そのうち 次第に遠のいていった。

   東京で こんな激しい雷雨にあったのは 初めてだ。
   外にあった洗濯物は 寸前に取り込んでいて 助かった。

   今日は 丑の日。
   夕飯は うなぎ と 決まっているから ご飯を炊くだけでいい。

   なにごともなく過ぎていく 一日だ。
  

 娘宅へ 毎日通って来るヘルパーは フィリピン人の女性だ。
  このマンションには たくさんのヘルパーが 出入りしている。
  そして ヘルパー全員が 東南アジア系で なかでもフィリピン人が
断然多い。

  彼女らが 日本で働くにあたっては 就労ビザが必要だ。
  しかも それは 一年限りのもので 日本に もっと居て働きたい時には
それを 毎年 更新しなくてはならない。
  品川のほうの 不便は場所に その役所の 出入国管理所は あるらしい。
  
  就労ビザをとるためには 必ず 身元引受人 が必要になる。
  これがないと 日本での滞在は不可能なのだが これがまた 大変らしい。
  身元引受人になるのにも 厳しい条件がいる。

  娘夫婦が 去年 今回の妊娠にあたって ヘルパーを探し始めたが
なかなか この人 という いい人がいなかった。
毎日頼める人を となると だれでもいい というわけにはいかない。
  それで すでにフィリピンへ帰ってしまっているが とても評判のいい人がいたので
その人を 呼び寄せようとしたが  条件に合わず 呼び寄せられなかった。
  婿ほどの日本滞在期間があって 会社経営者でも 身元引受人 保証人に
なれなかったのだ。

  それほどだから 働く側も 一年毎に 滞在許可を申請し直す際 その
身元引受人になってもらえる人を探すのは とても大変だ。

  そうなると ひっきょう 公人 わけても 外国の大使館などに その身元引受人を
頼むのが 一番楽な方法になってくる。
  ところが 見ず知らずの 自国の人間でない者の 身元引受人には
いくら大使館でも なかなか なってはもらえない。
  ここに 依頼する者と依頼されるほうとの 力関係のようなものが 生じる。
  要は 彼女らの弱みに付け込んで
  身元引受人になってやる。しかし こちらの言うことを聞け となるのだ。
  彼女らは それでも 日本で働くほうが 自国での労働より 収入がいいから
涙をのんで 身元引受人になってもらう。
  その条件とは ただ働き である。

  もちろん そんなひどい大使館は まず 少ないのだろうが
娘宅へ 通ってくる女性も その前通って来ていた女性も 同じアフリカの国の
大使館を 身元引受人にしていた。
  彼女らが 身元引受人にしている国の大使館が 聞けば 実にひどい。

  労働条件などは まったく無視。いつでも 大使やその妻の都合のいい時に
時間など関係なく 呼び出して使う。
  しかも 賃金を払わない。まったくの無給なのだ。
  まるで 奴隷のような 扱いなのだ。

  しかも 後進国だからか 掃除道具すら整っていないから 箒で掃くのだという。
  もちろん 当然のごとく 大使館でなにか催しがある時には 一日中 夜遅くまで
こき使う。
  そんな日は 娘宅へ来られない と 時間ギリギリになって 連絡が入る。
  事前に 解放される時間など わからないからだ。
  

  最初 娘が 彼女らの置かれている立場と実態を知った時 衝撃を受けた。
  それではいかにも彼女らが 可哀相だ。
  そこで 様々な方面へ問い合わせたりして なんとかならないか やってみた。
  外務省などにも 実態を話して 相談したらしい。
  しかし 大使館は 国内といえども 治外法権 の場所。
  大使館内で どのようなことが起こっていても 日本は 手が出せないのだ。
  彼女らを気の毒に思っても なすすべがない。

  これが 日本で働いている彼女らの 実態だ。
  彼女らの多くは既婚者で 子供を 家族に預けてまで 日本で働いている。
  そうせざるを得ない事情が 彼女らにはあるから みすみす ただ働きになっても
他で収入を得ることをしながら 日本に滞在しているのだ。

  経済的に豊かな国に生まれ育った私達には 信じられないような話だ。
  毎日やって来るヘルパーの笑顔の裏に そんな悲しい事実が あった。 

  東京から帰って来る時 上の孫が 鼻水垂らしになっていた。
  婿が耳鼻科へ連れて行き 薬をもらってきて 飲ませていた。

  私が帰って来ている数日の間には 多少よくなっているだろう と 思っていたら
娘から 昨日から高熱が出て耳鼻科へまたかかり 抗生剤などもらってきて
飲ませてはいるが 薬が切れると また熱が上がってきて 今日も保育園を休んでいる
と 昨夜 メールがあった。

  新生児をかかえて大変なうえに 上の子まで熱が出ては 自分の体調も悪いのに
体がいくつあっても足りない。

  私も覚えがある。
  上の二人はとしごだったから大変だったし 三人目が産まれてすぐに
保育所へ通っていた上の二人が 同時に病気になり高熱が出た。
  それが 三人目にうつってしまい 三人ともが同時に 数日の間 高熱が続いた。
  あの時は大変だった。
  何日もの徹夜の看病で フラフラだった。

  母親なら 大なり小なり そんな経験はする。
  しかし 今 娘の場合 高齢での出産間もない時だ。
  しかも 母乳で育てているから 日に日に赤ん坊が大きくなるにつれて
自分の体力を奪われている。
  
  そんななかでの 上の子の高熱だ。
  親も子も 一緒にいてほしい いてあげたいのに うつるといけないから
それができない。

  かわいそうに 来てみれば 上の孫は 一人ポツンと 広いベッドに寝ている。
氷枕をして 熱でうるんだ瞳で私を見上げ それでも ニコッと笑った。

  今月末までを目途にして 家を出て来たが この分では
はたして それで帰れるだろうか・・・。
  孫の容態と 娘の体調次第では 来月までずれ込むかもしれない。
  

  一昨日帰宅して 明日には また東京へ戻ろうと思うと 昨日今日の忙しいこと。
  それでも 最低限のマストのことはしてから行きたい。

  帰ってみれば 家の中 カビ カビ カビ・・・
  台所も洗面所もトイレも カビ カビ カビ・・・。
  昨夜と今日と その始末に追われた。
  まったくまったく・・・ 掃除しながら 腹が立ってくる。

  夏休みに入っても 夫は 畑が第一だから 玄関先さえ まるで空き家状態だ。
  花がら摘みなんて期待してはいないが せめて 掃くくらいはしてほしかった。
  花は伸び放題 枯れ放題。吹き溜まった葉っぱやらゴミやらが 散らかり放題。
  東京へ行く前に 見目だけでも玄関先らしくして行きたい。

  冷蔵庫の中もそうだが 開けるところ 開けるところ 全てがひどい。
  これだって 一応 それなりにして行きたい。
  
  どうして 我が夫は こんなになるまで平気でいられるのだろう・・・。
  まったく まったく・・・。

  畑の作物を収穫したはいいが みんな台所に載せてある。
  これらの始末も つけておかねばならない。
  冷凍できる物はそれなりに。 冷蔵する物はそのように。
  腹を立てながら。

  でもでも そんなことばかりをしているわけにはいかない。
  今日は 午後一時に大学病院受診。
  いつものように 腰と足に麻酔。点滴。
  これで またしばらくは 痛みが軽減してくれるだろう。

  その後 今朝予約できた美容院へ。
  髪が伸び 次第に白髪も目立ってきて パーマっ気もなくなってきていた。
  だから 今回の帰宅で どうしても美容院に行きたかったのだ。
  やってもらいながら ついつい ウトウト。

  そして 夕食後 夫が釣って来て そのまま冷凍室へ入れてあった小鮎を煮る。
  煮ながら 明日の東京行きの荷作りをする。

  家から持って行く 玉ねぎやじゃがいも 茗荷 ピーマン かぼちゃ は別便に。
  その他のあれこれ 上の孫が産まれた時に 私が手作りしたが 使わなかった
湯上りやおくるみを 今度の子に使いたい と言うので それらも荷物に入れる。
  図書館から借りて来た本やらと 一つにまとめる。

  そんなことしていたら もうこんな時間になってしまった。
  ふと携帯をみれば 娘からのメール。
  今日は とうとう上の孫が発熱して 保育園を休んでいる と 言う。
  明日も休ませる と 伝えてきた。

  明日は 夕方までに東京へ着けばいいか と 思っていたが
そうも言ってはいられないようだ。

  

  
  
  

  今日は 一日ダラダラとゆっくり過ごしたい と 思っていたら
朝 私が起きてくると 夫はいつもの時間には起きていて 
  おい 今日 池田温泉へ行くぞ と 言う。

  一日家でゆっくりしていたい という気持ちもあったが 池田温泉には勝てない。
  それでも なかなか体が動かないから お湯に入る準備が 進まない。
  ようやく行けるようになったのは 十一時ごろだった。
 
  久しぶりの 池田温泉だった。
  今日のお風呂は ジエットバスの数が少ない方だったから ちょっとガッカリ。  
  夫と 待ち合わせる時間を決めて それぞれ 男湯と女湯へ別れた。

  今日の露天風呂は お湯がぬるめで 長くつかっていられた。
  祝日でも 案外に 人が少なかったから ジェットバスも 二回使えた。
  いつ来ても ここのお湯は いい。

  帰路 家の近くで 以前からずっと工事をしていた モールを小さくしたようなお店が
土曜日に オープンしていたので 店内が どんなふうになっているか
品揃えは どんなか見たくて 寄ってみた。

  工事中から 売り場面積がとても広いことは 見てわかってはいたが
店内へ入ってみると その広さは すごい。
  食料品だけでなく 薬 日用品 お酒 靴 衣料品 その他生活に必要な物全てが 
揃っている。
  もちろん 今時のお店だから ちょっとしたイートインもあったり
銀行の貯金を引き出す機械のコーナーも 設けられていた。

  建設中は とてつもなく広い駐車場だな と思っていたが
今日は 停めるスペースもないほど  車が停まっていた。
  その通り 店内には 凄い数のお客さん。

  今日は 偵察を主に考えて来てみたが 人が多くて 売り場が広すぎて
人に酔いそうなほどだ。
  それでも 片方の入り口から入って 順番に通路を歩いて 見てまわった。
  値段が 外のスーパーより 少々安い物が多いお店だ。

  このショップは 家から一番近い。
  私でも ゆっくり歩いて来られそうだ。
  バス停と家との距離くらいだろうか。
  そうなら 十五分くらいで来られるから リハビリには ちょうどいい。

  暑い夏のうちは 無理だろうが 涼しくなったら コロコロを引っ張って来よう。
  気晴らしの方法が 一つ増えた。


  

 今日 日中  帰宅した。
 火曜日の 大学病院受診があるし 今日明日は 婿も家にいるし
お父さんのことも心配だから と 娘が言うので 一日早くの 帰宅になった。

 娘が 品川までタクシーを使うように と 言ってくれたので 山手通りまで出て
タクシーを拾おうと思い 通りまで 二三分歩くと すぐに 渋谷行のバスが来た。
 それならと 急ぐこともないので バスに乗って 渋谷駅まで行った。

 渋谷駅近辺は 猛暑にもかかわらず 今日もすごい人出だった。
 さすがに女性は 日傘をさしている人が多かったが 若者は 猛暑もなんのその。
 ちょうど 夏休みに入った時期だからか 中高校生らしい男女が目につく。

 みどりの窓口でも 長い列。
 並んでいる外国人も多い。
いつものように 品川から名古屋までの ひかりを使う。

 二時間もかからずにもう名古屋だ。便利になったものだ と 他人事のようだが
いつも乗る度に 思う。

 最寄りの駅まで 幼稚園が夏休みに入って 毎日在宅の夫が 迎えに来てくれた。
 駅に着いてから しばらくは 久しぶりの自由時間を 楽しみたいから
夫の迎えは 夕方 涼しくなってからにしてほしい と 頼んだ。

 図書館で じっくり 時間を費やした。 東京へ持って行って読み終えた本を返し
また 貸出限度の十冊を 新たに借りた。これもまた 水曜日に東京へ行く時の荷物
に 入れる予定だ。

 夕飯を外で済ませ しばらく会っていない 叔父の家へ寄った。
 会社をたたみ 家にいた叔父が 今年になって 車を手放す決心をした。
 運転しなくなったから 余計にだろう。
 叔父は ほとんど 家にばかりこもっているらしく 叔母が ぼやくこと ぼやくこと。
 確かに 叔母の言葉からでなくても 叔父の老いと 痩せた体が 気になった。
 父方の たった一人になってしまった叔父だから 元気でいてもらわないと 困る。
 一時間以上も居ただろうか 辞して 帰宅。

 帰宅すると テーブルの上には あれやこれやの郵便物やらなんやらが。
 捨てる物 大切な物 一つ一つを開けては 整理する。
 なかなか 腰を下ろしてゆっくり まで たどり着けない。

 玄関先の花鉢もそうだが 室内に置いてあった小さな観葉植物も 可哀相に
水が切れて 枯れ枯れになってしまっている。
 ちょっとかわいい 赤い実のなる 観葉植物だったから 気に入っていたのに・・・。
 仕方がないから 始末した。
 玄関先の花の鉢も 雨の時期のことで 枯れてはいないが
誰も 花の終わった後の始末や枝の間引きなどしないから 四方八方 伸び放題。
 明日の朝 無惨な姿を きれいにしてやらねば。

 しかし 明日の朝は 久しぶりに 朝寝がしたい。
 花の鉢の始末は 多分 夕方になるだろう。 

あいにく 孫は マスクをかけての 夕涼み会になってしまったが
 それでも ずっと楽しみにしていた孫は 母親に 金魚の柄の浴衣を着せてもらい
ピンクの兵児帯を締めて 髪飾りを付けてもらって 大喜び。

  婿の車で 保育園へと出かけて行った。
  午前中は なんとか持ったのに 午後から 雨が降り出した。
  これでは おみこしワッショイも盆踊りも 外では無理だろう。

  園に着くと もうたくさんの園児や大人でいっぱいだった。
  受付を済ませて 園舎内で始まりを待つ。しばらくすると 会の開始となった。

  挨拶のあとは すぐに 室内で盆踊りが始まった。
  先生や幼児が 可愛く三曲の歌に合わせて 踊る。

  そして 孫が一番楽しみにしていた おみこしになった。
  ワッショイというから 肩にかついで廻るのかと思ったら なんのことはない
台車に おそらくは乳母車だろう に乗せられた 手作りの神輿に付けられた二本の
紐を すがるようにして幼児たちが持って 動かして廻る。
   殆どは 脇についている先生数人が押したりしている。

一回目の おみこしワッショイは 園舎の廊下から室内を グルッと一回り。
  二回目は ちょうど雨が止んだ時に 狭い園庭を 一回り。
  子供らは ワッショイワッショイと掛け声も勇ましく紐を引く すがる 握る ただ持つ
の状態だ。 父兄は そんな我が子を撮ろうと 誰もかれもが カメラマンになって
取り囲みながら 神輿の動きに従って移動して行く。

   園舎の各部屋は お面や風車 ガラガラなどを 手作りする部屋
   ポップコーンがもらえる部屋 枝豆とポテトがもらえる部屋 に分かれていて
子供が ちょっと休憩できるようになっている。
   水分の補給に 麦茶コーナーも 三か所設けられていた。
   園舎の広場や入口付近には ヨーヨー釣り 輪投げ のコーナーもあって
園児はみんな それぞれのコーナーで 一つ賞品をいただける。

   孫は アンパンマンのお面を選び クレヨンで色を塗った。
   それに 先生が わっかになるよう 頭囲に合わせて 作ってくださる。

   女の子は 教えもしないのに 殆どの子がピンクが大好きだ。
   孫も 御多分に漏れず なんでもかんでも ピンクを選ぶ。
   だから ヨーヨー釣りも やっぱり ねらうのはピンク。
   私も手伝って 釣り上げる。

   風車にする色紙も やっぱりピンク。
   切込みが 前もって入れてあって すぐに出来上がるようになっている。
   これも手伝って 出来上がり。

   ポップコーンを食べながら 二階で演じられた 先生方の劇を観る。
   おおきなかぶ の 寸劇。
   おじいさん おばあさん まご 犬 猫 ネズミ と それぞれに
衣装やお面を付けて ウントコショ ドッコイショ と カブになって布を被った先生を
みんなで 掛け声をかけながら引っ張って 最後は 抜けてお終い。

   劇が終わって階下へ降りる頃 孫は ちょっとだるそうになっている。
   もう二回盆踊りがあり おみこしワッショイも もう一回あるが
どうも 帰ったほうがよさそうだ。
   婿に言うと 娘が 任せておくと三十分で帰って来そうだから
と 言っていたくらいだから 婿も賛成。
   孫に もうみんな楽しんだし 食べ物もいただいたし 帰ろうか と 聞くと
孫も うん と言うので 先生のそのことを告げた。

   ごった返す園を出 マンションへと戻った。 

   家のドアーを開けるや 孫は 大きな声で ただいまァ~ と言いながら入った。
   待っていた娘に 私が持たされてとって来た 写真や動画を見せた。

   九月からブリティッシュスクールへ入学する孫だから 保育園でのこんな経験は
今後ない。
   本人は忘れても 写真や動画が残れば こんなこともあった と記録になる。

   孫は 鼻水を垂らしながらではあったが 夕涼み会なるものに参加できて
いい思い出になった。

   
  

  今日は 孫が待ちに待った 保育園の夕涼み会だ。
  午後一時過ぎには 家を出る予定だ。
  母親が行けないから 婿と私が連れて行く。
  
  同じ年齢のもも組の幼児たちは この日に向けて 園庭で行われる
盆踊り大会の練習を 何日も何日も してきた。
  初めのご挨拶も みんなで練習してきた。

  そして この日を 楽しみに待っていた。

  娘は行けないが 孫には 浴衣を着せて参加させる と言っている。

  ところがところが 肝心の孫が 昨日の夜辺りから 鼻水たらしになってしまった。
  婿と一緒に寝るようになって 婿がガンガン クーラーをかけて寝るものだから
孫には 冷えがきつかったらしい。

  はなちゃんや 母乳を与えている娘に 移されては大変 と 早速 午前中
お尻の重い婿に 娘が 耳鼻科へ連れて行かせた。
  幸い 風邪も初期で 念のため薬をいただいて帰ってきた。

  この分なら 夕涼み会へ行けそうで ホッとしている。

   今日の午後三時に 区から保健婦の訪問がある と 数日前からわかっていた。
   三時になると 若い保健婦が 時間通りにやって来た。

   私は 玄関で出迎えると 自室へひっこんだ。

   娘によると 出産時の様子 その後の赤ちゃんの様子 母親の様子等は勿論
さりげなく 家庭環境や赤ちゃんの扱い方 可愛がられて育てられているか 等も
観察して行かれたらしい。

   昨今 乳幼児の虐待や育児放棄なども 問題化しており 区としては
そのような点も 大切なチェックポイントなのだろう。

   保健婦の今日の計測で はなちゃんは 一日平均二十グラムの体重増加
のところ それを上回る体重の増加だとわかった。
   オッパイがよく出て はなちゃんが それをよく飲んでいる証拠だ。
   日々 大きくなってきている とは思っても 実際に数字で表されると
よりそれが実感できて 嬉しい。

   寝させられている物 着せてもらっている物 置いてある上の子のおもちゃ 等等
家の中の様子や設えなども含めて 十分観察されたことだろう。
   授乳の様子もじっくり観て行かれたそうだ。
   お帰りになるまで およそ二時間にもわたった訪問だった。

   おそらく 区への報告は 何も問題なし懸念の材料なし となるに違いない。

   はなちゃんにも 大人にも 今日は いつにない一日になった。

  今朝は 私に婿の手助けを と 娘が言っていた書類とはまた別の書類が欲しくて
保育園へ出かける上の子と一緒に 娘が 保育園の近くにある 区役所の分所へ
出かけた。
  はなちゃんの授乳を いつもより早めて 授乳の後のオムツ換えを 私に頼み
慌ただしく 出かけて行った。

  三人が出かけると 私は 早速 はなちゃんのオムツ換えをした。
  赤ん坊のオムツ換えなど 自分の子以来のことだ。
  長男の二人の子も 娘の上の子も 嫁も娘も 私に して とは言わなかったから
要らぬ手出しは無用 と 私も思い あえて手を出さないで来た。
だから 赤ん坊のオムツ換えは 次男以来 なんと三十六年もしたことがない。

  それが いきなりのオムツ換えだ。
  上手にできるか 不安もあったが なんのことはない 昔取ったきねづか とは
このこと 手際よくできる。
  換えている最中の 小さくブリッという音とともの黄色い噴射も しっかり受けて
衣類やおくるみを汚すこともなく 新しい可愛いオムツに換えた。
  そしてその後 お腹が気持ちよくなった はなちゃんは また眠った。

  ところが 婿も娘もなかなか帰って来ない。
  役所へは 書類一枚を取りに行ったはずなのに どうしたことだろう
と 思っていると 娘からのメール。
  分所の職員の対応が悪くて 時間がかかっている とのこと。
  それでも 次の授乳時間までには帰れるだろう と 思って はなちゃんを見守り
二人の帰りを待っていた。

  はなちゃんが むずがりだした。
  よわった。まだ帰らない。
  こういう時 人口授乳の子は 誰であろうとミルクを作って哺乳瓶で与えられるが
母乳だけは どうしようもない。
  とにかく 母親が帰宅するまで できるだけ泣かせないように するしかない。
  とはいえ 相手はまだ生後十日ちょっとの新生児だから だますこともできない。
  ただ 抱いて リビングの中を歩き回るしかない。
  話しかけたり歌を歌ったりしながら 時を稼ぐ。

  そのうち だんだん はなちゃんの我慢も限界になる。
  泣きながら それでも だれもオッパイをくれないものだから
仕方なく 自分の手の指を音をたてて吸い始めた。
  それでも やっぱり お腹は空いているから 泣き出す。
  新生児は まだ内臓やへその緒がとれた所がしっかりしていない。
  だから 長い間 泣かせてはいけないのだ。

  娘に まだか と 何度もメールし はなちゃんの状態を知らせた。
  あと五分 と 係の職員が言っているから との返事。
  それでも それからが長い。

  たった一枚の書類を出してもらうのに 三時間近くもかかってしまった。
日本人同士の婚姻からの出生ならば こんな面倒はないのだが
人間一人がこの世に生を受けての 大切な手続きならば 致し方ない。

  ようやく帰宅した娘は 玄関のドアを開けるや否や 一目散にリビングへ。
  でも 手を洗ったり 授乳枕を体に巻き付けたり 授乳の前に準備がある。
  最後にオッパイを消毒して そうしてやっと はなちゃんはオッパイにありつけた。

  やれやれ ようやく私の責任は果たせた。
  新生児は怖い。
  いつ何が起こるかわからない。
  親なら平気でいられることも 新生児の扱いに馴れない者は かなり気を遣う。

  それまでずっと抱いて 立って歩き回っていた私は さすがに腕が痛くなっていた。
  
  今日はその後 一日中 授乳の間隔が乱れてしまうことになってしまった。
      

 娘が 様々な事情で 外出できなかったりすると 会社関係だったり
今回のように 出産に際しての届け出だったりで 役所や銀行手続きに支障が出てくる。
  代わりに出向く婿は 漢字ばかりの書類では 何をどこにどうやって書けばいいのか
さっぱりわからないからだ。

  役所や銀行は 何であれ 用件を済まそうとすると それに関しての書類を
まず 書いて出さないと こちらが欲しい書類を 渡してもらえない。 
  窓口で渡される用紙の各項目に 何を書き入れるのかが わからないらしい。

それがわかっているから 前もって娘が 用件をメモして渡したりして
彼が手続きするのに わかりやすいように説明したりは している。
しかし いざ 役所の窓口へ婿が出向いてみると 娘から聞いていないことがあったり
職員の対応がこちらの予期しないものだったり で 彼がパニックになるらしい。
  急いでその場で 娘に電話をかけて どういうことだ と問うらしいが
娘だって その場にならないと 対応できないことが多いのだから 仕方がない。

  日本での出生届けは 無事に受理されたが イギリスへの届出に 様々な書類が
必要らしい。 それらを発行してもらうのに 手間取っている。
  
  銀行も 最近は北朝鮮やイランへの送金に 目を光らせたりしているから
海外へ送金したりしようとすると 面倒らしいし まず書類書きが待っている。

  これらのトラブルを 今朝娘から聞いた私は 今度 役所や銀行へ彼が行く時に
届出用紙の各欄への記入くらいなら私でも手伝えるから 一緒に行って手伝おうか 
と 言ってあげた。
  孫を保育園へ送って帰って来た婿に 娘が私の言葉を伝えると 婿もそのほうが
ありがたい と思ったようだった。

  しかし 外国人が多く住むこの渋谷区の窓口に 外国語が話せる職員がいない
こと自体 ちょっと信じられない。
  おまけに そう言ってはなんだが 渋谷区に世帯を持って住まう外国人は
高額納税者が多い。
  彼らから たんまり税金を徴収しているのだから せめて彼らが窓口に来た時
応対できる職員を 窓口に配置するくらいの便宜を図ってもいいのでないか。

  婿の日本語のまずさも さることながら 区役所の対応のまずさにも
モノ申したくなる。
  

  はなちゃんは 相変わらず おなかがすいたら泣き おっぱいを飲み
ゲップをさせられ おむつを替えてもらって また眠る。
  上の孫は 朝 起きて着替え 朝食を済ませると 父親の車で 保育園へ。

  日中は はなちゃんの泣き声以外 静かなものだ。
  午後になって はなちゃんにお湯を使わせると 婿は 出勤して行く。
  それからしばらくすると ヘルパーがやってきて 洗濯したり前日の洗濯ものを
たたんだり アイロンかけをしたり キッチンを片づけたり。

  孫が帰って来る時間になると ヘルパーはお風呂の準備にかかり
私は 夕飯の準備にかかる。
  夕食の準備が整う頃に 孫が洗面所から出て来て
私と娘と孫との三人で ご飯になる。
  夕食が済めば 歯磨き 本読み 孫の就寝。

  午後九時には もう 孫は寝室だ。
  婿が帰宅する時間は 日によってまちまちだから 食卓に彼の夕食の準備だけは
ラップをかけて しておく。

  それからは また静かな時間がやってくる。
  私は 自室で 本を読んだり パソコンをなぶったり。
  
  そうして 今日も なにごともなく 過ぎていく。
  平凡に 穏やかに・・・。

  昨日 五日に産まれた娘の次女 はなの 名前の漢字とミドルネームが決まったので
今日 それを 命名書に認めた。
  墨と筆は やはり上の孫の命名書を書いた折に 自宅から持って来て そのまま
娘宅に 置いてあった。

  漢字で大きく名前をしたため その横に カタカナでミドルネームを書き添える。
  墨跡も黒々と 筆で認めると 私の下手くそな字でも それなりに様になる。

  普通は 神棚に供えたり そこに貼って下げたりして 名披露する。
  娘宅にも 彼らが結婚式を挙げた際に 明治神宮からいただいた 小さな置き型の
神棚がある。
  あるにはあるが それが 今 私が寝起きしている部屋に置いてあって
あまり人目につかない。
  それで 上の孫のときもそうしたが リビングにある大きくて背の高いウィンセラーに
貼っておく。
  ここなら 明るいし 誰の目にもついて 名前も映える。

  近日中に 婿が 区役所とイギリス大使館へ 出生届を提出する。
  これから はなちゃんは 二つの国に国籍を持つ人間として 生きていくことになる。 

 夫は 早めに始めた夕飯のバーベキューを みんなで楽しんだ後 帰って行った。
  タクシーで品川まで行ったら と勧める娘に バスで行く と言うので
孫と二人 バス停まで 送って行った。
  幸い ちょうどいい ひかりがあって それに乗ったらしい。

  夫の見送りから帰り 私が食卓を片づける間に 娘は授乳やらオムツ換えやらをし
婿は 上の孫をお風呂に入れ 寝室へと引っ込んだ。

  赤ちゃんをコットに寝かせた後 娘は 名前に合う漢字を探し始めた。
  姓名判断も考慮に入れて 字の画数も考えながらだから なかなか大変だ。

  キッチンの片づけを終えた私も 傍に加わり 様々に 字の組み合わせを考えた。
  結果 三つの候補があがった。 
  そのうち 一番 孫の雰囲気に合う 漢字の組み合わせから 愛奈 と書いて
はな と 読むことに決まった。
  上の子にも 愛 という字が使われているし ちょうど姉妹らしくていい。

   この字の組合せだと 性名判断では とてもよかった。
   だれでも親は 我が子に 幸多い人生を歩むよう願って 名付ける。
   孫の名も 幼少期から青年期 壮年期 そして晩年と幸せであるよう 考えに考えて
決められた文字だ。

   ミドルネームの ジョセフイーヌ は 婿の父方の祖母の名だ。
   娘夫婦がイギリスへ行く度 必ず泊めてもらったりして 交流が親密だ。
   娘と気が合うらしく おばあちゃんも孫の嫁である娘を 可愛がってくださる。
   婿が結婚前には まったく交流がなかったのを 結婚してから
娘が それでは淋しいから と イギリスへ行く度に訪ねては親交を深め 互いに
好感を持てる間柄を築いてきた。
   もちろんクリスマスや誕生日には 互いにカードやプレゼントの交換もしている。
   きっと 何番目かのひ孫の誕生を 遠い国で 喜んでいてくださるだろう。
   そのうえ 自分の名を付けてくれたことにも 感激してくださるにちがいない。

   ひとつ問題なのは 婿のお母さんが どう思われるか だ。
   何故 私のではなくて義母の名なのか と 不満に思われるかもしれない・・・
   これは 娘夫婦が ジョセフィーヌ にしたい と思い始めた頃からの悩みらしい。
   悩みながらも この名に決めたのは 多分 娘は イギリスの義母よりも
婿の父方の祖母のほうが好きなのと 婿自身も 生き方や性格から それを許す
気持ちのほうが大きかったのだろう と 想像する。

   なにはともあれ はなちゃんの正式名が決まった。
   明日は 日がいい。
   命名書に 私が毛筆で認めることになっている。
   上の孫の時も そうだった。
   その時に 自宅から持って来た墨と筆が そのまま置いてある。
   それを使って 書く。
   上手に書ければいいが・・・。
   

  金曜日の夕方から来ていた夫は 早めの夕飯の後 帰って行く。
  
  赤ちゃんの顔も見たし抱っこもしたし上の孫とも遊んだし 十分に来た目的は果たした。
  一人で帰っても家は空っぽだから 暗い中へ入るのは 嫌なものだろうが
自宅だから 気も休まり また明日から 仕事に出かけられるだろう。

  これからは 桃の木にネットをかけたり 収穫作業があったりで 一人でいても
時間をもてあます なんてことは 夫に限っては ありえない。
  逆に 働きすぎ 体を動かし過ぎることの方が 心配になる。
  かといって 農作業は 待ったなしの仕事だから 手助けなしでも なんとか一人で
やらなくてはならない。

  私が留守にする間 体調を崩さないでいてくれればいいが と願う。
  これからの季節 気温が高くなる。熱中症も心配だ。
  
  カレーばかり食べないで まんべんなく栄養を摂ってくれればいいが・・・。  

はなちゃんの世話で出掛けられない娘が 夫と私に 今日 代々木公園で開かれる催しに
上の孫を 連れて行ってくれないか と 言う。
 朝ごはんを食べている時に言い出したから 急いで支度した。

 私は何回か連れて行ったことがあるが 夫は 催しに出かけるのは 初めて。
 いつものようにハチ公バスに乗って 出かけて行った。

 今日の催しは オーシャンフエァー。
 あまり孫の興味を引く物ではないかもしれないが・・・と娘も言っていたが 案の定
子供向けのものではない。
 様々にお店が出てはいるが サーファー向けのお店だったり 水着を売っていたりで
ショップ自体は 私たちでさえ あまり面白くなかった。

 今日は 天気予報も三十度を超える と出ていたが その通り まだ午前だというのに
汗がダラダラ流れる。
 時間が早く人出はこれからだから 木陰のベンチが空いている。
 そこに座って 孫が欲しいと言うので マンゴーのスムージーを買って 食べさせた。
 私たちも持参した水で のどをうるおす。
 娘が持たせたおやつも食べ ようやく ちょっと汗もひいた。

 メインステージからハワイアンのメロデイが聞こえてくるのを 耳にした孫が 
行きたがるので 行ってみることに。
 ステージでは ハワイアンに合わせて ダンスが披露されていた。
 孫は音楽もダンスも大好きだから みんな立ち見する中 自分も ステージの間近かで
身じろぎもせず立ち見。 次々に変る曲に合わせて変わるダンスに 見入っていた。

 どれほど そうしていたか・・・曲が何回も変わったから 三十分は見ただろう。
 最後まで見て 満足した孫を連れて 帰りのバス停へ。

 孫には面白味のない催しも お気に入りのワンピースを着てじぃじと出かけられたし
ハワイアンダンスも たくさん見られたし 今日も行ってよかったね となった。

 それにしても 暑かった。
 三十三度を超えたらしい。

  昨日のお昼過ぎ 母親に抱っこひもでしっかり抱かれて 
はなちゃんが 帰って来た。
  黄疸が強く出ていたから 午前中に検査し 結果がギリギリで退院の運びとなった。

  小さなはなちゃんは 一時ソファーの上に 寝かせられた。
  ベビーコットを 寝かせられるよう準備して その中へ移される。

  これは 婿の友人宅のお子さんが 産まれた時に使用していたのを 頂いたものだ。
  三歳の孫も これを使った。
  なにせ 寝返りをするまでしか使えない物だから 頂いた時には
まるで新品のようだった。
  上に赤ちゃんを寝かせ 下には 赤ちゃんグッズを入れられるようになっている。
  キャスターがあるから 赤ちゃんをどこへでも動かせる。
  日中はリビングに置き 夜 親が寝る時 一緒に寝室へ動かす。
  ベッドより高い位置に 赤ちゃんを寝かせられるし 半分を覆えるくらいの
日差し除けのようなものまであるから ちょっと明る過ぎる時にはいい。

  外国製だし 購入された時はさぞかし高価だったのだろうが 使う時期が短い。
  それを 使わなくなったからどうぞ と 他家に赤ちゃんが産まれると知ると
惜しげもなく くださるなんて やっぱり 富裕層は違う。

  それを 上の子が使わなくなっても 娘は 大切にとっていた。
  このへんが いかにも我が家で育った子だ。
  そしてまた 次女が その中で スヤスヤと寝ている。

  夕方 夫も来て 賑やかになった。
  でも 赤ちゃんが来たことで 今までとは違う。
  これまでは お酒好きな婿は 夫が来ると 次々にワインセラーからワインを出して
二人で ああでもないこうでもない と 遅くまで飲んでいた。
  昨夜は 一本を空けただけになった。
  上の子の歯磨きを私が済ませると 今夜からは 上の孫は主寝室で父親と寝るから
  婿は ベッドで読む本を孫に選ばせ 一緒に寝室へと引っ込んだ。
  その頃には 夫はもう 舟をこぎ出していて それを機に もう寝る と言った。
  孫より早い!と娘にからかわれながら 夫は休んだ。

  テーブルの上やキッチンの片づけを終えると リビングには 私と娘とその娘だけ。
  おっぱいをあげたり オムツをかえたり ゲップさせたり 女だけでのひとときだ。

  自分の産んだ子が もう 二人目の子の親になったなんて いつ時間がそんなに
経ったのだろう と思うくらい 娘を産んだ直後のことが 鮮明に思い出される。
  授乳の仕方の違いや 様々に便利なグッズで 四十年経った年月の重みを感じる。

  二人の孫が母親になる頃には 娘は 今の私のように 感じるだろうか。
  その時になって 今 私が感じている事と同じようなことや思いを 味わうのだろうか。
  

  はなちゃんが産まれる前 産まれたら 顔を見にくるか と 夫に聞いた時には
夫はメールで 夏休みになるまでは行きません と 返してきていた。
  それが 生まれた直後に 撮った写真やムービーを 夫の携帯に送ったら
夫は 気持ちを変えて 今夜 東京に着くように来る という。

  火曜日に一時帰宅した時に 写真を見たら やっぱり顔が見たくなった と言っていた。
  しかし まさか 仕事を早退してまで来る とは 思っていなかった。
  夫は 今日 午後から休みをもらって来る という。

  昨日 病院へ行った時に そのことを娘に話すと 娘は 父親の気持ちが
嬉しいのだろう、 まんざらでもない顔で 笑っていた。

  もともと どちらかといえば 父親っ子の娘だから 写真を見た父親が
夏休みになったら などと言わないで すぐにでも赤ちゃんの顔を見たい と
気持ちを変えてくれたことが 嬉しかったのだと想う。
  おそらく 娘自身も 早く赤ちゃんを見てほしい と思っていたに違いない。 

  一時帰宅した際 知ったのだが 娘は 一人でいる父親に 私には何も言わずに
ビールを三箱も 送っていた。
  こんな時 実際にしんどい目をしているのは 私なのに・・・と 思ってしまう。
  それほど 娘は父親が好きなのだ。

  三歳の孫に じぃじが来てくれるって と話すと 彼女も大喜び。

  週末は ちょっと手荒な遊び方で孫の相手をする夫を 傍らで ハラハラしながら
見守る 婿の姿が見られることだろう。
  

  娘の体が 順調に回復し 今日退院 と 昨日決まった。
  しかし 赤ん坊のはなちゃんに 黄疸が強く出て 一緒に退院できるかどうか
今日の午後にならないと わからないらしい。

  二三日前から 顔が黄色くなった。
  どんな子も 強弱の差はあるが 黄疸は出る。

  自分の子たちの場合 母親と血液型が違うと 黄疸が強く出たような記憶があるが
そうでもないらしい。
  娘夫婦は 二人とも同じ血液型だから 産まれてくる子も同じ血液型だ。
  それなのに 黄疸が強く出ている。

  新生児黄疸 とは 不思議なものだ。
  なぜ黄疸が出るのか 人体の神秘さを 産まれるやいなや思い知らされる。

  ともあれ 今日 母親と一緒に退院できることを 願っている。

  五日に産まれた 娘の次女は 名前が はな と正式に決まった。

  名前の候補は 幾つか 婿と二人で考えてあったらしいが 生まれた後 すぐに
娘のもとに連れて来られた時 赤ちゃんの か弱い泣き方や小ささが
はな という言葉が持つ可愛さや 優しい響きに なんとなく合ったのだろう。
  その時から みんなが はなちゃん と 自然に呼ぶようになっていた。

  それが昨日 保育園へ上の子を迎えに行き その足で病院へ行って
赤ちゃん室の 娘の子が寝かされた小さなベッドをのぞくと その枕元に
ローマ字で はな と書かれた 名前が決まった赤ちゃんに貼られるシールが貼ってあった。

  これで 赤ちゃんの日本名は はな と 正式に決まった。

  娘の子の場合 出生届は 日本とイギリスの両国に出す。
  その際 日本名のあとに イギリス名が続く形で 届けられる。

  通称 呼び名が日本名で 正式な名前は 日本名とイギリス名を繋げたもの となる。
  上の子の診察券や 薬局で出される薬の袋などにも そのように書かれている。
  
  日本名に どのような漢字を使うか は 娘が考え イギリス名は 婿が考える。
  上の子の時も そうだった。

  上の子の時 命名書は 私が筆でしたためたが 次女はどうするのか。

  花ちゃんの人生が 始まった。
  どうか 幸多い 人生でありますように。

  今朝 婿と孫を送り出し お急ぎで支度をして 帰る準備をした。
  バスに乗り渋谷駅へ みどりの窓口で 新幹線の切符と乗車券を 並んで買った。
  品川では十分の乗り換え時間しかなかったが 無事に目的の新幹線に乗れた。
  なにせ ジパングだから 新幹線の中でも ひかり しか割引がない。
  したがって 本数に限りがある。一時間に だいたい二本の運行だ。
  今日は 運よく 待ち時間がなく ひかり に乗れた。

  大学病院の予約時間に 五分残して間に合った。
  いつものように 足腰への痛み止めの麻酔 点滴 投薬の処方箋をだしてもらう。
  最近 麻酔の仕方を変えてもらってからは また少し痛みが弱まっている。
  今日も 医師が画像を見ながら 深部まで針を刺し ジワァッと広い範囲に 麻酔薬が
広がるよう 腰に四か所 足に二か所打つ。
  針を深部まで それも響く部位に刺すから 痛みはすごい。
  打った後も 二三日は痛む。
  それでも 以前の方法より ずっと効き目がある。
  それに 大げさでなく 手術前後に生きられないほどの痛みを経験しているから
どれほどの痛みを 痛む 痛い と言えばいいのか わからなくなっているのが 現状だ。
  だから この麻酔方法でも 医師や看護師が 痛いよ とか すごく痛いよ 我慢してね
と 言われるので やっぱりこれは 痛い という部類の痛みなのだ と知る。

  痛みが弱まると 痛む という感覚が 少しづつ戻っているように思えて 嬉しい。
 
  会計の窓口へ行くまでに およそ二時間。
  これも まあまあいつもと同じだ。

  この後は 駅へ行き 着いた時には時間がなくて寄れなかった図書館へ。
  借りていた本を返却。また数冊借りた。
  ちょうど貸出期間が二週間で 大学病院の受診と間隔が同じだから 便利だ。
  すでに 夫が着いて 新聞を読んでいた。
  そそくさと 借りる本を探し カウンターへと急いだ。

  そして もう一軒 整形外科へ向かう。
  久しぶりのリハビリだった。
  意識していなかったが やっぱり 足腰はパンパンに張っている と言われながら
マッサージしてもらった。
  たった一回のリハビリでも するのとしないのとでは ずいぶん違う。

  大学病院の薬は 明日 夫に薬局へ行ってもらい  もらって来てもらう。
  夫が 週末赤ちゃんに会いに東京へ来る というので その折もってきてもらうことに。

  家に帰ると もう 七時半近くになっていた。
  帰宅した といっても 慌ただしい。
  着替え 明日朝 すぐ出かけられるように持ち物の用意。
  夫が あれも持って行けこれも持って行け というものだから 帰って来た時より
明日行く時の方が 荷物が多くなってしまった。

  溜まっている郵便物に目を通し 整理する。

  みな終えて腰を下ろしたら もうこんな時間になっている。
  久しぶりに テレビを見ながら お茶を飲む。
  
  やっと 我が家に居る 気持ちになれた。

   退院予定の金曜日まで 母親代理業の私だ。
  
   まずは 娘にお願いされたことを どれも忘れずに しなければならない。
   日常のことなのだが これがどうして なかなかである。

   孫の 毎日の登園に際してからが 細々とした持ち物から記入することから 大変だ。
   我が子の時は若かったせいか こんなにいろいろすることに気も遣わないでよかった。
   第一 毎朝 体温を測り記入したり 睡眠が何時から何時までだったなどの
細かなことを 保育園とのやり取りの連絡ノートに書きはしなかったように思う。
   時代がかわり 様々に寛容さがなくなっている と 感じる。
   預ける方も預かる方も いつも互いに ピリピリと緊張しあっている。

   毎日通ってくるヘルパーにも 日によって してもらう事が変ったりするから
それも しっかり伝えなければならない。
   これが やっかいだ。
   なにせ 相手は 日本語があまりわからない人だから 英語での意思疎通になる。
   婿や娘にとっては なんのこともないが 私は困る。
   二十年も前の錆びついた片言で なんとか凌がねばならない。

   でも最大は 孫の世話だ。
   幼児は なにせ手がかかる。
   幼児自身が自分でするのだが これがまた しっかりしたことができない場合が多い。
   よほど 私がさっさとした方が 時間もかからず精神衛生にもいいのだが
それもできないから やっかいだ。

   ともあれ 昨日今日と二日 母親代理業が済んだ。
   明日は 自分の病院受診のために 一旦帰宅する。
日帰りするつもりでいたが 一晩くらいなら 私がいなくても大丈夫 というので
火曜日は自宅に帰り 水曜日の朝 三時の孫の迎えに間に合うように また来る。

   大丈夫 とはいえ 水曜の保育園へ持参する細々としたものや 着替えなど
明日持って行くリュックとは違う もう一つの方に 全部準備しておいた。
   婿のためではあるが これはひとえに 孫が保育園で困らないように の思いからだ。

   明日の朝ちゃんと送り出せば 水曜の保育園への登園は これでなんとかなるだろう。