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  先日採った 夫の喉の細胞検査の結果が 今日わかった。
  問題なし との医師の言葉に 夫は一安心。
  さっそく 診察の結果を メールで知らせてきた。

  咳が何故止まらないか は 依然不明だが 問題なし となれば このまま
なにも心配しなくてもいい ということだろう。

  それでも 服薬は必要らしく 今後も かかりつけの耳鼻咽喉科で受診できるように
紹介状を書いていただいて 帰ってきた。

  おおむね かかりつけ医と大学病院との診断は 変わらないものだったが
それでも 二か所で診察していただいて同じ とわかっただけでも 意味はあった。
  万が一見逃して 後で大事になったりしたら大変だ。

  実際 友人のご主人がそうだった。
  胃が悪くて ずっと長く同じ病院に通ってみえたが その間に肺がんが進行し
大学病院で診断が下ったときには もうステージ四にまで 病状が進んでいた。
  病院にかかっていながら発見できなかった と 悔しさに 友人は泣いた。
  いつも明るく元気な友人が嘆く姿に どう声をかければいいのか わからなかった。

  もう一人の友人のご主人は ずっと糖尿病の治療で通院していらっしゃった。
  ある時の検診で 医師が 糖尿病には無関係だが ちょっと引っかかる点に
目を止められ検査した。 結果 いわゆる心臓から出る電気信号に異常が確認され
すぐさま手術 一命をとりとめられた。

  この友人のご主人二人の あまりにも違ってしまった人生を想うと
診察を受ける医師次第 だと痛感させられる。

  なにごとも 早期発見早期治療。
  おかしい と思ったら 大きい病院で検査して診断を仰ぐ。
  これは 鉄則だ。

  それにしても 今のところは問題なし と診断されて 本当によかった。
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  夫の長い休みが終わった。
  休み とはいっても 勤めは休みでも 片一方の農業は大忙しで 殆ど休みなく
毎日のように畑通いの夫だった。
  
  どれだけ畑仕事が多かったかは 夫の陽に焼け方でわかる。
  また 外での仕事だから 流れる汗も想像以上らしく 彼の背中は
アセモのヨリがすごい。
  
  でも 明日からは また勤めが始まる。
  これからは 土日だけの畑仕事に戻る。
  とはいえ 夫の年齢で 毎日勤め先まで車で往復するのも 疲れることだろう。
  本音は もう辞めて畑仕事だけに専念したいのだろうが 勤め先のオーナーが
なかなか 辞めさせてくださらない。
  それほど信頼してくださるお気持ちは ありがたいのだが 年々 夫の体力も
衰えていく。
  もうそろそろ 二足のわらじを脱ぐ頃合いだ とは 夫思っているが
その踏ん切りが難しい。

  だから また明日からの勤めが始まる。
  私にできることは 夫の夏の間の無理が 秋口になって出ないよう
健康管理をすることだから 明日は 夫の健康だけを願って
送り出そう そう思っている。
  

  今夜は 予定通り 天ぷら。
  珍しく夫が 今日はお座敷天ぷらにしよう と言うので リビングのテーブルの上に
IHのコンロを出して 揚げた。

  揚げるのは ささげ 茄子 かぼちゃ ピーマン さつまいも 蓮根 に
小エビとニンジン玉ねぎのかき揚げ それに大きなエビ。
  いつもなら アナゴやキス 小あじなども揚げるのだが 運悪く 二三軒回った
スーパーのどこにもなかった。
  だから その代りに 開いたサンマに紫蘇の葉を重ねて巻いたものを。

  しかし 意気込んで揚げ始めたが 夫の食べ方が 遅い。
  私も やっぱり 沢山は食べられない。
  結局 準備したタネの半分も残ってしまった。

  今夜だけでなく 私たち二人の食は 確実に細くなってきている。
  数年前を思い出してみても 一度に食べられる量が かなり減ってきた。
  それは お米の減り方にも現れている。

  あんなに 畑仕事に精をだしているのに 食べる量が減ってきているのは
近頃 頓に感じている 老いのせいだろう。
  少しの量でも 高タンパクの 年齢に見合ったエネルギーを補給できる食事を
心がける時期がきている。

    

  最近 食事の献立に悩む。
  暑い夏がようやく去り 食欲も増してくるころなのに・・・。
  腰の痛みがなかなか軽くならないことも 一因ではあるが・・・。
  
  だから スーパーへ行っても なかなか カゴの中に物が入らない。
  夫もあまり食欲がないらしく なんでもいい と言って 食材選びに積極的ではない。

  先日 高山から親戚の者が来て 土産に 飛騨牛の大きな塊肉を持って来てくれた。
  知人が市場にいて 市価より安く手に入ったから と言っていた。
  さすがに五等級ともなると お肉嫌いの私でも 美味しいと思って食した。
  息子宅へ分けても まだ二人では食べきれない量のお肉だったから 夫と二人
  お腹いっぱい いろいろにして食した。
 
  だから お肉のコーナーの前を通っても 食指が動かない。
  ならば魚は と思うが 家には 夫が釣って来た小鮎を煮て冷凍したのがある。
  焼き魚用のも煮魚用のも干物も 美味しそうに感じない。

  よし! こうなった時は うなぎかお寿司か天ぷらか どれか自分が好きなものに。
  それで 昨夜は 手巻き寿司。
  これなら 手間もかからず 食材も偏らないように考えられる。
  そして 今夜は 天ぷらに。
  これも 魚や野菜の食材もいろいろ取り揃えられるし 揚げるだけだ。

  二日分の買い物をして スーパーを出た。
  たった二日間の三食分しか買わなかったのに 金額がはねてしまった。

  食欲のわかない時だ。
  夫と これくらいは仕方がない と 互いに納得させ合いながら 帰って来た。

  年金暮らしの初老の夫婦にしては その自覚もなく
これだけでやる!贅沢は言わない!という 腹のすわりも イマイチの
私達夫婦の話である。
  
  

  つい数年前までは お茶を スーパーで買う なんてことはなかった。
  夏でも 必ず 麦茶を作って 冷やして飲んだ。
  それが このところ 夏場 家でお湯を沸かすことを とんとしなくなっている。
  スーパーで 何本か入った箱ごと 買って来ては 飲んでいる。
  お茶だけでなく お水も然り。

  それには 幾つかの要因がある。
  一つは 夫が畑へ行く日数が増えていて 特に夏場 毎日行くから
いちいち 持って行く大量のお茶のために お湯を沸かしてはいられなくなったこと。
  一つは 猛暑
  一つは お湯を沸かしてお茶を作ることが面倒くさくなった年齢
  一つは 安いこと
  そして 私の腰痛のせい・・・。

  思えば すっかり 買ってきたお茶を飲むことに馴れてしまっていることに驚く。
  昨夜 そのことに気づいた。

  まだ 当分 暑い日が続く。
  涼しくなって 温かいお茶が飲みたくなったら 丁寧に入れた日本茶をいただこう。
  あの 爽やかで豊潤な味と香りは ペットボトルのお茶とは 別の次元のもの。
  
  夫手作りのベランダで ゆっくり流れる時間とお茶を 誰にも邪魔されず楽しむ・・・。
  これも 腰を痛めたからこそ気づかされた 私だけのかけがえのない宝物だ・・・。
  
  

  夫は この春から一年間 持ち回りで ある退職者の会の会長をしている。
  それで これまで わからなかったり知らなかったりしたことが ずいぶん知れた。

  一番大きなことは 夫と同じ前職にあった者が死亡したら 死亡叙勲
八十八まで生きていたら 生存者叙勲 を受けられる ということだ。

  退職時に 自分の職歴などを書いて 教育委員会へ提出しなくてはならないが
これはただ万が一 死亡した時のためだとばかり思っていた。
  事実 夫は 弔辞を読むため 親族や教育委員会へ 会員が亡くなる度に
足を運んで 聞き取りやら 記録やらを参考にさせていただいている。

  しかし夫は名誉欲のない人だから 面倒だという思いもあって提出していなかった。
  弔辞なども必要ない という思いもあった。

  今までは それでもよかったのだが 近年 提出が義務づけられているそうだ。
  義務化されたことも 叙勲のために 提出するのだとも 初めて知った。
  市から県へ 県から国へ と そのための手続きがなされて 叙勲となるから
この身上書のような職歴を詳細に表した書類が必要になる というわけだ。

  夫だけでなく 退職後未だに提出がない方も 多数いらっしゃるらしく
このたび 義務なのだから提出せよ と 教育委員会から会へ 通達があった。
  会長自らが出さないわけにはいかず 夫は ここ何日か その書類の作成に
かかっている。

  なにしろ 大学を卒業して以来 初任地での事から始まって 退職するまでの
四十年近い年月を 書面にする作業だから大変だ。
  職歴に加えて その時にどんなことに取り組み どんな評価を受けたか などの
功績を かなり詳しく それぞれの内容として 記さなくてはならない。

  この夏 私の実家のお墓参りに行った際 若かった時にお世話になった
当時の校長先生を訪ねた。
  毎年 お盆と年末にお訪ねするのだが 折しも今回 その方が
生存者叙勲を受けられたとかで 立派な額に納められた賞状と勲章を
私達に見せてくださった。
  実物を前にして なるほどこれか と 実感した。

  書類作成にあたって夫は 面倒だから と できるだけ端折った書類にしたいらしい。
  でも 考えてみれば その書類の中には 我が家の歴史が すっぽり収まっている。
  
  夫は 深夜まで仕事をし 私も 三人の子育てをしながら それに毎晩付き合った。
  どれだけ家へ持ち帰る仕事が多くても 夫は 必ず毎晩 学級通信を書いた。
  最初はガリ版に鉄筆で その後は手書きして印刷からワープロへと変わっていった。

  その長い年月の間 我が家は ずっと父親不在の 母子家庭だった。
  長男が保育園へ行くようになった時 担任の先生から
お宅の**君ほど 父親の影がみられない子も 珍しい とさえ言われた。
  我が家の二人の男の子は キャッチボールすら 父親とせずに育った。
  それほど 職に没頭して過ごした年月だった。

  たまの日曜も 担任の子供達が訪ねて来た。 
  我が家の子と同年齢の子たちなのだから 公園で遊ぶ際に 一緒に仲間に入れて
くれればいいものを ふと見ると 家の子だけが 隅っこで 鉄棒を 行ったり来たり
しながら 撫でていた。

  こんな思いで過ごした年月を 端折ってもらったら困る。
  家族の 私の年月を 端折るなど とんでもない。
  そう 夫に抗議したら 夫は また しぶしぶパソコンに向かっている。

  あまりにも仕事にのめり込む父親の姿を見て育った 我が家の子たちは
だれも 同じ職業に就いていない。
  娘などは お父さんみたいに働いても 働かない人と給料が同じなんて
割に合わない とまで 中学生の頃 言った。
  それでも 夫に対して 今も尊敬の念を持っているのは 折にふれて 子供らに
父親の仕事の崇高さや偉さを ずっと言い聞かせ 分からせてきたからだ。

  さて 夫は どんな書類を完成させるのだろうか。
  家族の思い 私の思いに応えられるような 内容になっているといいのだが・・・。

   

  夫は 毎年夏 大学時代の同期の仲間と 互いが持ち回りの幹事をして
一泊して会う。
  この会は 卒業以来だから もう四十五年以上も 続いている。

  今年は 今日と明日 隣接している市のホテルで開かれる。
  それで夫は 年一回のこの会を 幹事から案内のハガキが送られて来てから
ずっと楽しみにしていた。
  学生時代の 気のおけない仲間との お酒を飲みながらの語らいは
歳月の移ろいを忘れて 互いに遠慮のない あの頃に戻れるからだろう。

  今日も 夫は いそいそと出かけて行った。
  だから 今夜は 私独りだ。

  夫が前職を退職してからというもの こんな夜は めったにない。
  とはいっても 元気なら 友人とお茶会や食事会でもして
賑やかに過ごすのかもしれないが 特に最近 体調の思わしくない私だから
なんということもない いつもと変わらない夜を過ごしている。

  変わったことといえば テレビのチャンネルを 自由に変えられることくらいだ。
  
  せめて ゆっくり お気に入りのお茶でもいれて 楽しもう。

  先だって 東京の娘が帰省した時に ほぼ一年 東京と自宅を行き来して
世話をしてもらったお礼に と 掃除機を買ってくれた。

  私が腰を痛め 掃除機すらかけられなくなって久しい。
  その間 モップや箒も使ってみたが どうもきれいにはならない。
  しかも やっぱり腰に負担がかかる。
  それで やむなく ロボット式の掃除器を購入して 今に至っている。
 
  ロボット式掃除機は とても役立つのだが 弱点がある。
  段差の大きい場所では 使えないのだ。
それに 隅々までしっかりと埃や塵を除去したくても ロボットの刷毛では
思う様には 掃除が行き届かない。。
  しかたがないから 階段だけは 専らモップで掃除していた。

このたび 私が東京暮らしをしている間 夫は家の中で 悪く言えばやりたい放題。
  いつの間にか どの部屋も物置か と思うほど 散らかしていた。
  今回 娘や孫が来る というので 大わらわで片づけた。
  その後 それぞれの部屋を掃除したのだが これがまた大変だった。
  ロボットとモップ それぞれで掃除したが ロボットでは 表面の塵やごみは
きれいにするが 畳の中の細かいほこりまでは 吸い出さない。

  娘と話している間に その事に触れた話題になった。
  娘が ハンデイー掃除機なら 普通のコードのある掃除機より軽いから
お母さんでも使えるのでは と 言ってくれて お礼の気持ちで 買ってあげる と 
言ってくれ すぐに ネットで注文した。
  ハンデイーでも しっかりした吸引力のあるものを と ダイソンの機種だ。

  その掃除機を使って ここ何日か掃除している。
  実に 調子がいい。
  逐電だから 一度に使える時間は限られるが それでも 私が使う分には
充分だ。
  パワーがあるから とてもよく埃を吸引する。
  え!ここにこんなに埃があったの? と 驚くほど よく吸う。

  だから このところ 掃除することがとても楽しい。
  部屋の隅の 気になっていた箇所も きれいになった。

  このまま どの部屋も散らからないで ずっと片づいたままだったら
どれだけストレスが減ることか・・・。
 

  若い頃には あまり食べたいと思わなかった 野菜の煮物が
六十を過ぎると とたんに食べたくなって 毎日のように 食卓にあるようになった。

  また夫は 以前は 幼い頃 毎日のように食べたから食べる気がしない
と 言っていた豆腐だったが 今では逆に 冷蔵庫の中に切らしたことがない。

  ことほど左様に 食べ物は不思議だ。
  エネルギーに満ち溢れた若い頃には 振り向きもしなかった 生家でよく出された
料理や食材が 年齢があがるに従って 回帰するように食べたくなる。

  夫の場合は その豆腐と この地方独特の食材の 十六ささげだろう。
  暑い季節は冷奴 寒い季節なら湯豆腐 そしてマーボ豆腐など
豆腐ならなんでも好んで食す。
  ところが 私が生家で食べた からし豆腐 は 食べない。
  食べた記憶がないからだ。

  私の場合は 春は身欠きにしんと蕗の煮物 それに 飛騨独特の ころいもだ。
  ジャガイモを収穫する際 たいがいは捨ててしまうような 小さなじゃがいもだけを
甘辛く煮つけた ころいも は 煮物の中では 大好物だ。

  蕗と身欠きにしんの煮物は 母が好きで 生家では よく食卓にのぼった。
  肉類を好まなかった母だったが この身欠きにしんだけは 格別に好んだ。
  これとて 母の父親が 樺太や北海道から送ってきたり持ち帰ったりして
よく食べたから 自然に好きになったものだった。

  ホウ葉寿司やホウ葉餅にしても 季節になると食べたくなったりする。
  そのためにホウの木がほしくて 畑に植えてもらっている。

  母親が好んで作るものは 自然と子供達も好きになるから
我が家の子供たちも ころいも は 大好きで 孫も大好きだ。

  昨日から そのころいもを たくさん煮た。
  そして今日の夕方 息子宅へ おすそ分けを持って行った。
  息子も嫁も孫たちも ニコニコ顔で受け取った。

  手の込んだ こじゃれた料理は作れないが 昔からある煮物や
季節ごとの食材を使って作る味噌など 私が作る素朴なものを
みんなが 待っていてくれたり喜んでくれたりするのが 嬉しい。

  決してレパートリーが広くない 日々のおかずが
最近 特に 昔帰りしている気がする。

  夫も私も 還暦を過ぎて 体だけでなく味覚までもがこども帰りしているようだ。

  昨日は 年一回の 町内会でのバーベキューパーティーだった。
  毎年夕方から始まる会は 食材からすべて その年の役員が準備する。
  会場は 町内にある空き地。
  下が砂利なので 足場が悪いから 足腰が悪くなってからは 私は参加しない。
  私だけでなく 同年齢の奥さん方も いつの間にか参加しなくなった。

  面白いもので 私の世代の奥さん連は 皆物静かで大人しく 飲めない。
  しかも 人数が少ない。
  ところが 五十代の奥さん連の数は 断然多くて 皆活発。
  お酒も いける口の人が多い。
  だから とても賑やかだ。
  私の世代の女性が出席しなくなったのは そんな違いに圧倒されてしまうからだ。

  でも 町内にはもめごともなく 皆 しっかりした人たちなので 実にいい町内だ。

  今夜 九時に会が終了して 夫が帰って来た。
  見ると ジーパンのすねが赤い。かなり濡れている。
  側溝を飛び越えようとして失敗してブロックで打ったのだ という。 
  お酒が入っているから 素面の時より感覚が鈍くなっていて
ちょっとした幅の側溝なのに 足が滑ったらしい。

  さっそくジーパンを脱いでみると かすり傷ではなくて 小さな穴が開いていた。
  それも かなり深い。
  傷の深いのが心配だから 病院で一針でも縫ってもらった方がいいのでは と
勧めるが 夫は 大丈夫だから と いつものように マムシ焼酎をカット綿に含ませて
傷口に貼りつけた。

  いたって元気にみえても やっぱり歳は歳だ。
  今まで 幅の狭い側溝での怪我などはなかった。
  そういうのを 年寄りの冷や水 というのよ と キツク言ってやったが
本人は へらへらと笑っていた。
  元来 運動神経抜群の人だから なかなか身に沁みない。

  夫は 最近 とみに 年齢を感じさせるようになってきた。
  もっと自分の年齢を自覚してくれないと。
  大けがでもしたら大変よ!
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