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  大学病院での 痛み止めの注射の仕方が変わってから  痛みは軽くなった。
  ところが 打った後 数日は その痛みが強く出るようになっている。

  しかし 一番困るのは 発熱することだ。
  今回もそうだ。

  今も 測ってみると 三十八度六分ある。
  また 今夜も 水枕がいるだろう。
  こうなると 平熱に戻るのは ほぼ一週間はかかる。

  打った直後から 足もとがもつれているから 注意もいるが
これは 以前も同じだ。
  体がだるいうえに おまけに熱が出るのは 本当に困る。

  それでも 少しでも痛みが軽くなって 動くのが楽になるためには
痛み止めのトリガーに頼らざるを得ない。

  いろいろやってみたが やっぱり トリガーだけは止められない。
  だから 今夜も 今回も ただ 熱が下がるまで じっと待つしかない・・・。

  我ながら 不甲斐ない思いだが
これも 熱さえ引けば少し痛みが軽くなる そのためなのだ と
思わねば・・・。
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  今夜 ガイヤの夜明け という番組を視た。

  番組の前半は 国内大手の 着物のリサイクルチェーン店に焦点を当てていた。
  着物が大好きな私は 興味深く視た。

  誂えたり購入したりした時には 百万単位だった着物も 引き取りを依頼すると
なんと 三万 五万の値しかつかない。
  ウールとなると もはや 値などつかない。

  ショックだった。
  母が残したもの 嫁入りの際に作って持たせてもらったもの
好きで自分で作ったもの それらの着物や帯が 箪笥二棹に収まらないくらいある。
  それらの値段が 箪笥一棹分でも 作った時の百分の一にもならない。

  私が生きているうちは まあいい。
  精を出して着ることにしよう。
  でも 私が死んだら これらの着物と帯はどうなるだろう。

  幸い 娘が着物好きだから 大半は 娘が引き取るかもしれない。
  でも 母の着物は 丈が足りない。
  行き場がないからと 今夜の番組のように リサイクル店へ引き取られるのか。
  
  なんだか 悲しくなってしまう。
  一枚一枚の着物や帯には それを作った時の 母の思いや
身にまとった時の想いや嬉しさなど たくさんのモノが詰まっている。
  自分のものにしても そうだ。
  色や柄素材など気に入って誂えたり 反物を買ったりして作ったものばかりだ。
  それが 二束三文で買い取られていくなんて・・・。

  考えてみると 着物だけではない。
  道具 と呼ばれる物すべてが 末は そうなる運命だ。
  人が生きて暮らす ってことの果ては みんなそうなる。

  体がこの世から消え 生前使っていたモノは無くなる.・・
  それではいったい その人間がこの世に生きていた証って なんなのだろう。

  人は 一人で生まれて 一人で死んでいく・・・
  よく言われる言葉が 頭に浮かぶ。
  死んでいく時は この世で大切にしていたものも なにもかもを置いて
薄い帷子だけを纏って 一人で三途の川を渡っていかなくてはならない。

  着物が好きで大切  これは着物への執着があるからだろう。
  モノへの執着心 これも 欲の一つなのかもしれない と思う。

  この世からいなくなる時 モノへの執着も この世に置いていく・・・
  だとしたら 執着心とは 生きているからこそのもの。

  私は まだ死にたくはない。
  せいぜい 命のあるうちは 着物への執着心を持って生きていくつもりだ。

あぁ それにしても 着物のなれの果ての
なんと悲しい姿を見てしまったのだろう。
  
  
  

  リハビリを終えて 整形外科の玄関ドアーを出ると
真正面に見えたのは 山影から顔を出したばかりのフルムーン。

  今年一番のお月さまは 雲のまったくない暗い空を
まるで 丸いランプのように ほの白く照らしている。


  今朝 夫は 心臓の精密検査を受けるために 仕事を休み
ハートセンターへ出かけた。
  血管から造影剤を入れて検査をし CTを撮って帰ってきた。
検査の結果は 立体化処理され 一週間後 知らされる。

  春先から どれだけ医者にかかっても治らず 今も続いている咳も声枯れも
原因が肺にあるのでは と 肺についても検査していただいたようだ。

  来週 大事の結果が出ないことを 今夜のスーパームーンに願った。

  

今夜は 中秋の名月 お月見だ。
本当は 明日が満月で 年内で一番大きいスーパームーン。
   でも 一応 今夜が お月見だ。
 
  六時前 外へ出て 車に乗ろうとした時 東の方を見た。
  すると 大きくまん丸い ちょっと白っぽく見える月が さえぎる物のない空の
低い位置に ぽっかりと浮かんでいた。

  二人の息子や嫁 孫たちが 夫の誕生祝の会で我が家へ来た時
帰り際に 下の孫と 近いうちに おはぎを作って持って行ってあげる と
約束していた。
  それで 今夜はお月見だから ちょうどいい と 午後から
三種類のおはぎを作った。
  小豆のあんこ 黄粉 ごま の三種類だ。
  それを 息子宅へ届けよう と 外へ出たのだ。

  毎年 雨や雲で見えない日でない限り 十五夜の月を見ている。
  でも 今夜の月ほど 可憐さを感じる月を 見たことがあっただろうか。
  そう想えるほど 大きさも丸さも 色も 飛び切りのお月さまだ。


  実家のある市に 月見 と 昔 呼ばれた地があって
月が 向かいの山々の影を ポンポンと転がるように昇る。
  そのことは 去年の仲秋の名月について書いた時に 触れた。
  今夜の月は まるでボールか風船が コロコロと転がり出たようにも見える。

  人が どんなに変わろうと 社会に何が起ころうと 月は変わらず
きれいな姿で この日の夜の空を飾る。
  人は それぞれの想いで その月を眺め めでる。

  地球上に人間が現れた頃から 私達は それを繰り返して 生き継いで
歴史を作り上げてきた。 

  なにものにも左右されず 暗闇の宇宙に ただ一人浮かんで
常に同じ顔だけを向けて 月は 月だけの歴史を紡いできた。

  とりとめもないことを考えているうちに 月には 薄く雲がかかり
つかの間 そんなに見つめないで と 恥じらって 顔を隠したような
そんな気がした。

  息子宅を訪ねると みんなが 次々に ぞろぞろと 玄関へ出て来た。
  大皿にきれいに盛られたおはぎをみると 孫は 二ッと笑って 私の顔を見た。
  邪心のない 可愛い笑顔だ。
  
  名月だと知らなかった息子たちと しばし月を見ながら話して 帰って来た。

  十時を過ぎる頃 また外へ出て 空を見た。
この時間になると 月は 中天近くの千切れ雲の中 少し黄みを帯びて
明るく 辺りを照らしている。

  私が 見上げているのを 月は気づいているのだろうか。
  明日も いい天気になるようだ。
  
  

  もう日付が変わった深夜の時間から 毎月月末に生で放送される
今夜も生でさだまさし という番組がある。
  デビュー時から さだまさしの大フアンの私は 深夜だから なかなか毎月とは
いかないが できるだけ視るように 楽しみにしている。

  昨夜は 岐阜からの放送だった。
  ダジャレやおふざけを交えながらの 彼のおしゃべりは 実に軽妙で
それでいて とても真面目で しかもおもしろい。

  知り合いがテレビに出ることで気付くことを つい前日に書いたが
偶然にも 今夜も この番組に 次男と同級で 今は医師になっている青年が出た。
  彼は 昔から さだまさしと交流があるらしく 新生児医療に携わっている と
さだまさしから紹介されていた。
  彼は 子供の頃からとても優秀で しかも人格もよくて 申し分のない子だった。
  小学生の頃から 医師になる と 決めていたらしいことは 知っていた。
  夢を実現した意志の強さと 障害を持つ弟さんへの 熱い思いに 頭がさがる。                               と同時に ご両親が さぞかし喜んでいらっしゃるだろう と 
お母さまのお顔を思い浮かべながら テレビ画面を視ていた。

  今夜のこの番組は いつもより真面目な話が多かった。
  現在中国地方に住んでいる フイリピン人の高校生が 賞をもらったという文も
さだ自身が 十分をかけて 全文が読まれた。

  文は 感動に胸が震えるようなものだった。
  こんなにも真剣に生きている 生きる意味を考えている高校生もいるのか と
思った。これは おそらく 番組を視ていた全ての人に共通した思いだっただろう。

  いろいろ なにかと悪い点ばかりがとりあげられる 若者の年代でも
大半の青年は 真剣に生きているのだろう という想いさえも 感じさせた。

  こんな番組を視た夜は 夜更かしするのも悪くない。
  昨夜は 温かく満たされた気持ちのまま ベッドに入ったのだった。

  今年の六月に 中学のクラス会があった。
  中学三年の時のクラスは 当時から団結が強くて 旧友みんなが とても
仲がよかった。
  担任の個性が強かったこともあってか クラスも よくまとまっていた。

  だからだろう 卒業後も 殆ど毎年 クラス会を持ってきた。
  地元に残って暮らしている旧友たちが 順番に幹事をしてくれて 年に一回
集まる会だ。

  卒業して四十年の前後から 出席者が ほぼ固定してきた。
  そのまま 今もずっと 毎年続いている。

  六月のその会で 私と同じ市に住んでいる友と 隣の市に暮らす友との間で
今度 三人で お茶でも飲もうか という話が出た。

  四十を過ぎる頃 いつも郷里の友ばかりに世話になっているから 今度は
近辺に住む者で こちらで同窓会を開こう と 中の一人が言い出して
  同窓会を持ったことがある。 その時 事前の打ち合わせで 何度か
集まったことがあったが 三人で話をするのは その時以来のことになる。

  数日前に そのうちの一人から 土曜日に会おうか と連絡があった。
  それで 今日 午後二時に と約束した。
  二人は 体の悪い私を気遣ってくれて 我が家に一番近い喫茶店で会った。

  二人は男性だが 小学校から一緒に育ってきた仲間だから
お互い 性別には まったくこだわりがない。

  クラス会では 個人的な家庭内のことや身内の話など なかなかできないが
三人で向かい合っていると 自然に 誰からともなく そんな話になった。

  想ってもいなかった話や 互いの体の変調なども 抵抗なく話せて
ついつい 時間が経つのも忘れていた。
  歳を重ね 人生経験を積んできたからこそ 互いに分かり合えることも多い。 

  気付くと もう三時間も話していた。 
  互いにあわてて席を立ち また会おうね と 言い合って別れた。

  二十年ぶりに味わった三時間は また頑張って生きねば と 
思わせてくれる三時間だった。
  楽しくも 重みのある三時間になった。

  最近 知っている人が テレビに出ている姿を 何回か視る機会があった。

  今夜も なにげなく視ていた旅の番組に 友人が映っていた。
  飛騨を旅する女優親子が ある施設で 飛騨の有名な人形を
手作りするシーンがあった。
  その時 彼女らに 作り方を手ほどきしていたのが 友人だった。
  まさか テレビで視るとは思っていなかったから 驚いた。
  友人は いつもと変わらず 明るい笑顔で 女優たちに接していた。

  十日ほど前には 朝の番組に 娘が映った。
  番組内で取り上げた特集に インタビューを受けていた場面が映った。
  今夜の友人と違って あっという間のことだったが
娘から インタビューされたことと 放送される日にちや番組名を聞いていたから
見ることができた。

  友人の中には 素人としては かなりの回数 テレビに映る人もいる。
  今度テレビに映る と事前に知らないから 彼女も 番組の中で偶然に視る。
  しかし 彼女の場合は テレビの番組表で 番組のタイトルを見て
多分映るのでは と予想ができる。
  白川村の年間行事の番組や 初午の頃などに よく映るのだ。

  知っている人を テレビの中で視るのは 不思議な気持ちがする。
  直に会って話たりする時には感じない事を 画面を通してだと 感じたりする。
  画面は 生で見るより 横幅が広がる。
  顔がアップされて映ったりすると あれッあんなところにシミがある などと
気づくこともある が 一番強く思うのは
テレビ画面を通してだと その人の丸ごとの人間性までもが映し出されるような
そんな気がする ということだ。
  テレビという媒体が間に入ると 超客観的にその人を見られるからだろう。
  常なら感じないことが その人が隠しておきたいこともなにもかもが
画面の中で暴露されてしまうような そんな気がする。

  私自身 四十代の頃 地域のテレビ局の番組に 何回も映ったが
その時にも 同じように感じた。
  だから 自分が映るのを できるだけ視ないようにしていた。
  良いも悪いも 丸ごとのさらけ出された自分が 不特定多数の人に視られる・・・
そのことの怖さと 未熟な自分を恥ずかしく思う気持ちからだった。

  普段 深く考えないでよく視るテレビだが 視座を変えてみると
俳優たちは 常にそんな恐怖の中で自分以外の人間を演じているのだと気付いた。
  同じ歴史上の人物も 演じ手によって雰囲気が変わるのは
演じ手の人間性が そこに反映されるからだろう。

  体は 整形やエステで きれいになれる。
  でも 人間性だけは 外側からではなんともできない。
  見 聞き 考え 体験や経験を積んでこそ 心は磨かれ 
豊かな人間性が 培われる。

  なにごとも うわべだけ装っても 自分磨きを怠れば それは現れてしまう
見る人には見られてしまう ということだ。

  この歳になって そんなことを再認識されるとは思わなかった。
  たまたま 身近な人間がテレビに映ったからこそ 気付かされたことだ。

  改めて 今からでも 自分磨きに精を出さねば と 思う。
  棺桶に入るまでは 自分なのだから・・・。

  

  

  今日は 長かった連休の次の日とあって いつもの整形外科は
待合室も満員。
  座る空きもなく 仕方なく立って 診察の順番を待つ人も大勢いた。

  こういう病院の満員は 実に辛い。
  何故かというと みんな どこかが痛くて あるいは怪我をしていて
医師の診察を受けるために 来ているからだ。
  満員電車やバスで立つのは 殆どの人が健康だから 
立っていても あまり苦にならない。
  痛みや怪我をかかえて 立って診察の順番を待つのは 待ち時間が
よけいに長く感じる。

  次から次へと 患者が来るから 広い駐車場も車でうまっていて
空くのを待つ車が並んでいた。

  こんな日は スタッフは 殺人的な忙しさだから 午後の診察やリハビリでは
みんな 疲れた様子が見える。
  それでも 笑顔を忘れず いつものように 患者に接してくれる。
  気の毒だとは思うが こちらも やむにやまれず行くのだから
混んでいるからと言って 帰るわけにはいかない。
  
  久しぶりのリハビリは よく効いた。
  また明日も行くつもりでいる。
  

  我が家には 三本のなつめの木がある。
  なつめは 飛騨に多くある。
  小粒の実が茶色に色づくと 食べごろになる。
  甘酸っぱくてさっぱりしていて ちょっとりんごにも似た味がする。
飛騨生まれの私は このなつめが小さい頃から大の好物だ。
  だから 実家の畑にあるなつめの木のひこばえを持って来て畑に植えた。
  もう 三十年以上も前のことだ。
  この木から出た苗を 七年ほど前 家の南の庭に植えた。
  また 離れた場所にある畑にも植えた。
どの木にも実がなる。
  去年も 枝がたわむほど実をつけた。
天気のいい秋のある日 家の周りの二本の木のなつめを収穫した。
  まだ少し早いが 週末は夫に用事が入っていて 作業ができないから
よく晴れたし今日採ろう と夫が言って 脚立を立てて作業に向かった。
実のついた枝を切って下へ下ろしてから 実を採る。
  枝を切っても翌年にはまた茂って たくさんの実をつけてくれる。
私は この実を生のままカリカリと食べるのが好きだが
飛騨では これを甘辛く煮て食すのが一般的だ。
  煮たなつめは保存がきくから 報恩講の際の料理にも出される。
  甘辛く煮たものは 皮もやわらかくて美味しい。
  今では 飛騨では 缶詰にして土産物店でも売られている。
  値段も かなり高価だ。

  一粒ずつ採った実を 水で洗ってザルにあげた。
  二本から採った実はかなりの量になる。
  このうち 青いものは煮る用にまわす。
  そのうちの何割かは 夫の勤務先のオーナー宅へ。
  高山生まれのオーナーは ご高齢だが かくしゃくとしていらっしゃる。
  故郷のにおいのするなつめが我が家で採れる と知ったオーナーは
毎年この季節 夫が届けるのを楽しみに待っていらっしゃるのだ。

  もう一軒 近所に飛騨出身の方が住んでいらっしゃる。
  そのお宅へも届ける。

  秋の味がするなつめは 色々な人を思い出し 故郷への想いを深くする。
なつめの木が植わっていた辺りの景色や祖父母のこと父母のこと・・・。
  茶色い実を カリカリとかじりながら 幼い頃のあれこれへと 心が飛んで行く。
  

  

  十九日から今日まで 夫と 東京へ行っていた。

  娘の上の孫が 九月からブリティッシュスクールへ行き始めた。
  日本だと幼稚園だが インターの小学校のプレスクールだから 学校と呼ぶ。
  そのお祝いを まだしていなかった。
  
  また 七月に産まれた下の孫の 初宮参りとそのお祝いを 日のいい十九日に
したいし お食い初めも次の日にしたい というので 夫と行って来た。

  孫は 丸々と太り もうニコニコと よく笑うようになっていた。
  
  十九日は 天気もよくて 孫も泣かないで お祓いの間も よく寝ていた。
  初着は 上の孫の時にあつらえて作ってあるので それで済ませた。
  その分 なにかで補うことになるだろう。

  夫と婿はスーツ 娘と私は着物で神社へ向かった。
  上の孫も 着物が大好きなので 娘が幼い時に着た着物を着せた。

  神社は 歩いても五分もかからないから みんなで歩いた。
  外人の多い界隈なので 通り過ぎる外人が 興味深そうに 立ち止まって見る。
  
  七五三の時は お祓いを待つ人や子が大勢で 長い時間待ったが 今回は
お祓いは孫だけだったから ありがたみも増すような気がした。
  静かで厳かな空間のなか ゆったりと宮司の祝詞をあげる声が響いた。

  神社も近いし お祓いもすぐで 初宮参りは 滞りなく終わった。
  上の子の時は 神社へ行く前から泣きづめだったから
娘夫婦も夫も私も 随分疲れたものだったが この子はずっと寝ていたから
気持ちが楽だった。


  次の日には 娘の準備したお食い初めの祝い膳を 皆でいただいた。
  特別の日だからと 娘は 全て塗の器を出し めいめいの春慶のお膳に
きれいに料理が並んだ。
  こういうところは 私の子だな と思う。
  教えたわけではないのに 使う器や膳などを 道具だから と 揃えている。

  上の孫の時も 同じように祝った。
  初宮参りもお食い初めも やらなければやらないで済んでいくことだが
人生の節目節目の 子の元気な成長を願っての行事だから 私も大切にした。
  娘も 同じように大切にしている。

  孫が通うのは イギリスの学校なので 全てが本国と同じに進められる。
  だから この連休も 土日以外は 学校があった。
  毎日 朝は 婿が車で送って行く。
  昨日と今日 制服を着て定められた通りの服装で学校へ行く 孫を見送った。
  四月から八月まで日本の保育園へ通ったから 集団生活に抵抗がなかった。
  喜んで通学する姿を見て じじばばも嬉しい。

  東京滞在の間 天気にも恵まれたし 夫は 婿と外へ飲みにも出かけ
昨日は サントリー美術館へ行って 素晴らしい美術品も鑑賞できた。
  満足のいく東京滞在の数日だった。

  

  
  

  先月まで休んでいた 習字のお稽古に また今日から通い始めた。
  先生は およそ十か月もの間 ずっと休ませて頂いたにもかかわらず
快く 通うことを承諾してくださった。

  いつも一緒の時間に稽古する仲間で 私が尊敬するYさんも 体調がすぐれず
お休みなさっていたらしい。

  今日は 朝から雨 とあって あまり気分が乗らないまま出かけたが
教室に着いてみれば 先生や仲間が すんなり受け入れてくださるから
長期のブランクなど なかったかのように その場に溶け込んだ。
  この空気感が 何とも言えない。
  私にこの場があってよかった と しみじみ思う。

  通うわりには おしゃべりに花が咲くから 上達は遅い。
  それでも 六十の手習い。
  ボツボツ気負わないで 筆を持つことを 楽しみながら 続けて行きたい。

  二日が あっという間に過ぎた。
  思い返してみると いったい何を話したんだか忘れているような
そんな 神経の弛緩した 心地良い二日間だった。
  なにもかも 解かり合えている間柄だからこその 時間の経過だったのだろう。

  とりとめもなく 次から次へと話が移り それぞれの話題話題を話し 笑い
大笑いして また笑って 食べて食べて・・・。

  気がねのない間柄ゆえの気楽さで 食べたいものを それぞれが買って
テーブルに並べ 互いに それをつつき合って食べた。
  三人分を合わせると かなりの品数になったから
こんなに食べきれないんじゃない? と思ったが 何のことはない。
  残ったのは 漬物くらいで おおかた 夕食と朝食で 片づいてしまった。

  話題にしろ食べ物にしろ 三人が三人とも その裏を考えなくてもいいから
てんで勝手であっても それを自然体で受け止められる。

  この年齢になっての こんな間柄は 互いにありがたい。
  だから 合わない期間がちょっと長くなると 禁断症状のように
むしょうに会いたくなってくる。

  生まれも性格も 生きて来た環境も 全く違う人生だったからこその
不思議なバランスが 三人の間にある。

  この秋には重大なことがあるから どうしても もう一度会うことになる。

  同い年の三人だから これから向かうのは 確実に 老いだ。
  だから 楽しいことばかりでなく会う機会が 徐々に増えていくだろう。
  それも自然の摂理だ と しっかり 老いを受け止めて
互いの存在を 大切にしながら 生きていきたいものだ。 

  明日 大学病院でいつもの処置をしてもらい 処方箋をもらい会計を済ました後
JRの駅で 友人二人と待ち合わせることになっている。
  一人の友人の実家で 三人でゆっくり話して過ごす予定だ。

  ご実家は お義母さんが亡くなった後 友人のご主人が 定期的に通って
家やお庭の手入れを 欠かされない。
  月のうち 一週間は 必ず行ってみえるから 空き家の匂いもなく 
実にきれいに保っておられる。

  ご主人の ご実家への想い入れは とりもなおさず ご両親への 深い敬慕が
あってこそのものだ。
  家の中のあちこちに ご両親の跡を感じながら 管理していらっしゃるに違いない。

  それでも 年々 水回りは傷んでくる。
  もともと 何十年も ご両親が暮らされた家だから ご主人が受け継がれた時点で
既に 家自体は 古くなっている。
  だから 水回りが悪くなってきても 仕方のないことだろう。
  それで この夏 台所やお風呂 トイレなどの水回りを 思い切って改修された。
  今回は 新しくなった水回りを 見せてもらいがてら お邪魔する。

  三人でゆっくり話ができるのも 楽しみだが どんな風に 改修されたか
見せて頂くのも 楽しみだ。

  長男家族が 夫の誕生日を 一緒に食事してお祝いしよう と 言ってくれた。
  孫たちが 二人とも 一日中在宅の日だから ちょうどいいし と 今日の日中
我が家で 昼食を共にし 一緒に過ごした。
  折よく 車の点検で 昨夜帰省した次男も交じっての 食事会になった。

  中三の孫が 誕生ケーキを作って 持って来てくれた。
  まさか ケーキまで それも手作りして準備してくれるなど 思ってもいなかったから
夫も私も 驚いた。

  私が準備した ごはんとスープに 嫁が 三種類のから揚げや 豚肉の角煮 に
馬刺し それに野菜を添えて 持って来てくれた。

  ちょっと改まったお祝いの気分が欲しくて いつものランチョンマットではなく
摺漆の板膳に 祝い箸を乗せ 私と嫁が作ったものを並べると 内輪のささやかな
お祝いの食事会 の雰囲気が出た。

  長男家族からは 夫へ 肩掛け鞄 次男は 珍しい日本酒 が プレゼントされた。
  下の孫は 段ボールで 動く犬 を 作ってきてくれた。
  高価なものでなくても 気持ちがこもった品は 何歳になっても 嬉しい。 

  食事の後は ケーキ 果物 アイスクリーム で 食事会を終えた。
  孫手作りのケーキは クリームの甘さも ほどよくて とても美味しかった。

  楽しく過ごすうち 次男が帰って行ったが
長男家族は 夕方遅くまで ゆっくりしていった。

  久しぶりに 長男家族と 外で 暮れなずむ空を 見上げた。
  夕方の外は もう秋の気配がする。
  空は 秋の雲が筋になってたなびき 吹く風は肌寒く 秋の匂いさえ感じる。
  みんなで空を見上げ 茜色に染まる雲のきれいさを ひと時語り合った。

  娘の妊娠出産の手伝いで 私が十か月留守にしていた間に
何度か おかずを作って持って来てくれて 家の中へ入ったり 冷蔵庫を開けたりして
嫁は 家の中の散らかり様や汚さを承知していたらしく
  連休の後にでも 片づけの手伝いに来ましょうか と 帰りしな 言ってくれた。
 
  それほど 家中 どの部屋も ひどい有様だったのだが 
八月に帰って来てから ボツボツと できる時にできる範囲で片づけたし
お盆には 娘が孫二人を連れて里帰りしたから その前に かなりきれいにした。
  だから 冷蔵庫の中も そこそこ掃除もできたから いいよ と 答えた。

  そう言って 気遣ってくれる 嫁の気持ちが 身に沁みて嬉しいと思った。

  温かい家族に囲まれた夫も 満足な一日だったようだ。

  それにしても 孫が作って来てくれた 段ボールの力作を どうしたものか と
嬉しさ半分困った半分 の 夫である。

  あれほど暑くて 寝苦しかったのに この頃 なんだか寒くて 夜中に 目が覚める。
  私だけが そう感じているのかと思ったら 今夜 夫が
  もう 夏蒲団じゃ寒くないか と 言う。
  夜中に 肌寒くて目が覚めるよ と答えると
夫は 今夜から もっと厚い掛け布団に替えようか と言い出して
急きょ 夏蒲団を剥がして 合いの布団を出してきた。

  今夜からは 夜中に目覚めることもないだろう。
  ありがたいことだ。

  水害にあった人たちは 体育館の冷たい床の上で 一夜を明かした。
  五千人をはるかに超える人たちが 今も避難している。
  未だに 救助を待っている人も 多くいる。
  
  他の県では また今日 河川が氾濫して 避難をよぎなくされた人たちもいる。

  なんだか 私達だけが ぬくぬくとしているようで 心が痛む。
  
  今夜も 熱いお風呂にゆっくり入って 温かい布団にくるまって眠ることができる。

  なんでもない日常が 実は とんでもなくありがたく 幸せなことなのだ と
しみじみと想う。

  災害のただなかにいる人たちに
いっときなりとも 心が和む瞬間があってほしい。
  そして 家族で笑いあえる日が 一日も早く訪れますように・・・。

  今日は 夫の誕生日だった。
  子供達からは お祝いのカードや電話があった。

  今度の日曜日に次男も帰省して 長男家族と一緒に お祝いの食事会をすることに。
  私は 栗おこわとカボチャスープを作る予定。
  おかずは 嫁が 幾品か作って持ってきてくれる という。
  おこわにスープ 幾品かの惣菜で お祝いの食事会らしくなるだろう。

タイミングよく(悪く?)毎日使っている電気カミソリが 壊れそうなので
同じ型の電気カミソリを購入 それがプレゼント代わりになった。

  夫は 七十を間近にした誕生日なので めでたさも中くらい の様子。
  あまり 感慨もなく たんたんとした誕生日になった。

  気になるかもしれないけれど 畑仕事もほどほどにして
体を大切に これからの一年も 健康で快活にすごしてくださいね。

お昼になって なにげなくテレビをつけた。
  いきなり 常総の 鬼怒川の堤防が決壊した地区の 中継映像が
目に飛び込んできた。

  決壊した部分から激しく流れ込む濁流の様子や 冠水した住宅地では
救助を待ってタオルを振る人影など が 今 今 のこととして 放送されている。

  テレビからは あきらめないで救助を待て と アナウンサーが悲痛に告げている。

  いつの時の災害でも こうしてリアルタイムで 全国に その地の様子が
報道されるが 私達はその映像を ただ息をこらして手を握り締めて観ているしかない。

  頑張って!!頑張って!!
  もうすぐ 助けが来るから!!
  ヘリが見つけやすいように 何か目につく物を振って!!

  なんて残酷なんだろう!!
  こうして 私達は 現状のひどさを目の当たりにしているというのに
なにもできないでいるなんて!!
呑気にテレビなんか見ている時じゃない!!ってわかっているのに                                    ただ ただ 画面に映し出される惨状を見つめるしかない・・・
  
  こういう時 人間って なんて非力なんだろうって 悲しくなる・・・。

  ここからでは 助けてあげられないけれど
  それでも それでも この願いを 神様 どうぞ お聞き届けください!!

あの人たちを どうか 早く助けてください!!

  頑張って!!
  あきらめないで!!

  早く 助けてあげて!!

  もう大丈夫 と 家中の雨戸を開けた。
  台風は隣市の上空を通過して 日本海へと抜けていった。

  警報も出て心配したが ごくごく近くを通ったにしては 風も雨も
恐れるほどではなく 過ぎて行った。

  しかし 日本の各地では 大変な被害が出ている。
  だから よかった とは とても思えない。

  災害は いつどこで誰に降りかかるか それは まったく その時の運としか
いいようがない。

  四十年近く前には 水害で この地方も多大な被害を蒙った。
  今でも 当時ここまで水がついた と 背丈くらいの水位を示す標が立っている。
  幸い 水害に見舞われる少し前に 高台の団地へ引っ越していて
我が家に被害はなかったが もし 引っ越していなくて あのまま 平屋の借家にいたら
家財一切が水に浸かり 我が家は 全財産を失っていた。
  刻々と入ってくるニュースで 被害の甚大さを知りながら なすすべがなかった。
  雨が止んで 多少動けるようになると 
  被害を受けた叔父二人の家へと 夫は ありったけの食糧を リュックに詰めて
行けるところまでは車で その後は 濁水の中を徒歩で 向かってくれた。

  今では 叔父宅の周辺は水害の跡形もなく たくさんの住宅が建ち並んでいる。

  頻繁に各地の火山が噴火したり 地震が起こったりしているこの頃だ。
  万が一の時のための備えだけは忘れまい と 思う。

  台風十八号は 北進を続け この地方を直撃する予報が出ている。
  予想最大風速は三十メートル 一番心配なのは 雨だ。

  現在は 県下全域に 暴風警報が出ている。
  と いうのに やっぱり 今日も 家には私独りだ。

  夫は 早々と 六時過ぎには家を出 勤め先へ向かった。
  七時には 休園の連絡を 一斉メールで出さなくてはならない。
  子供達は休みでも 園舎になにかあってはならないから 夫は一日勤め先にいる。

  結婚以来 こうした時に 夫が家にいたことがない。
  学校勤めの頃も 外に嵐が来始めている中を 学校へと出かけて行った。
  校長になれば 一晩中 保健室で仮眠しながら 校舎を守る事もあった。
  幸い 大きな出来事もなく 退職をむかえたが それまでの間 何回も何回も
台風は来た。

  だから 我が家は 私が三人の子をかかえて 大量のご飯を炊いておにぎりにし
飲み水を準備し 緊急持ち出しの荷物を作り 万が一の事態に備えた。
  外を吹き荒れる風におののきながら 停電に備えて ロウソクや懐中電灯や
ラジオ を一所に集めて ニュースに耳を傾けたものだった。
  子供達が幼かった時期は 腹帯に使ったサラシも出して
次男をおぶって 上の二人の手を繋いで・・・と そんな準備さえした。
  夫が不在の分 気が抜けなかった。
  特に 深夜の台風には どれほど 心細い思いをしたことか・・・。

  夫が前職を退職した時 これで もう 心細い思いをすることはなくなった と
ホッとしたものだが なんのことはない 未だに 同じ思いをしている。

  今朝も 夫は 私が作ったおにぎりや お茶の入った水筒を持って
心ここにあらず の様子で 勤め先へと出かけて行った。

  私は 相変わらず 一人で 万が一に備えて 幾つものボールや鍋に水を溜め
雨戸を閉めまわし 懐中電灯やろうそくを準備し 台風に備えている。
    

  最近の私は 腰痛がひどかったこともあって
夫を送り出したあとは 帰って来るまでの間 どこへも出かけないで 家にいる。
  出かけるのは 時々 夫の車でスーパーへ行く時と リハビリに行く時だけだ。
  夫が帰って来るまでの時間 電話ですら 他人と話さない日も多い。

  じゃあ なにをしているの? と 時々 不思議そうにきかれるが
  毎日 最低限の家事をする時間以外の時間の殆どは 本を読んで過ごしている。
  他人から見たら まるで ひきこもりのような生活に見えなくもない。

  かたつむりのようになって一日中過ごしている と いうと
よくそんなでいられる と 呆れられるが 本人は 外出したい気持ちを押さえて
家にいるのではない。
  本を読んで過ごす毎日は いたって楽しいから どこかへ出かけて行きたいとは
まったく思わない。

  私としては 思いがけなく 自由に動けない体になったわけだが
これまで あまりにも日々慌ただしく過ごしてきた人生だったから
ここで ちょっとゆっくりしてもいいよ と どこからか言われているのではないか・・・
  そう 勝手に解釈しての 日々の過ごし方だ。

  へえ~ そんな生活 私にはできないわ よくそうやっていられるわねえ
と なんだか 変な人を見るような目で見つめたりする人もいるが
本人には 今の生活がいたって快適なのだから 仕方がない。

  生来が怠け者だから こんな生活が性に合っているのかもしれない。
  

  我が家のすぐ前に 東海環状の高速道路が通る。
  そのための工事も既に始まり 家の前には もう 長いボックスカルバートが
二つ完成した。
  一つは 高速道路から山の上に設けられる料金所へ出入りする 車線二本分。
  もう一つは 高速道路建設に伴って 新たに建設されるバイパスのため。

  私達住民は その二つのカルバートの中をくぐって 今までもこれからも使う
生活道路へと 出て行くことになる。

  このカルバートだけでなく 高速道路が建設されるために 近隣の十軒以上の家が
立ち退いた。

  ところが 中に一軒だけ 今もなお 立ち退かない工場がある。
当然 話し合いの上で決まった 立ち退きの期限は とうに過ぎている。
  
  この工場は 以前から 騒音や荷の上げ下ろしの件で しばしば住民との間で
トラブルがあったから 立ち退きに同意した時も 住民は すんなりとはいかない
だろう と想った者も多かった。

  案の定 期限がとっくに過ぎても 新しい機械を購入したりして
平然と 操業し続けている。

  この工場が動かないために 二つのカルバートを造る際に必要な仮設道路が
本来なら まっすぐに着くはずの道が クネクネと曲がりくねって
実に 危険で通りにくいものになってしまっている。
 
  私達は 全ての工事が完了するまで この道路を使って生活しなければならない。
  実に 迷惑このうえない。

  ひとの話によれば あまりにも動く気配がないものだから
県や市の役人ばかりか 市長までもが出向いて 説得に当たったのだという。
  それでも 未だ動く気配がない。

  私達 近隣の住民も あまりにも人家に近く おまけに 土壌が軟弱とあって
なぜ この地でなければならないのか 納得のいく説明を求めて 反対した。
  そして どうしてもルート変更しない となった時には せめて もう少しでも
人家から離れて建設を と 粘り強く交渉した。
  結果 数メートルではあるが 動いた。そして 建設が始まったのだった。
  民主主義とは こうしたものだと思う。

  最初から 反対し続けているのなら まだわかる。
  一度賛成したにもかかわらず その結果を無視し ゴネ続ける・・・
  これは いったい どういう考えから出ているのだろうか。

  それでも 工事は できる箇所から着工して 現在は 山のむこう側から
削り始めている。

  国も関わっての大事業だから いずれは 立ち退かざるを得ない事態にはなるが
それにしても 工場主の厚顔ぶりには 工事関係者だけでなく 市内の住民皆が
呆れ果て これからどうなっていくのか と やじうま根性も混じって 話題になっている。 
  
  

  今朝 ネットのニュースで初めて知った!
  私と同じ名前の動物がいた!! それも よりによって害獣だなんて!!

  小型のシカ科の生き物キョンが 南房総地方のあちらこちらで 農作物に
多大な被害を与えているらしい。
  動物園で飼われていたものが 数頭逃げ出したのが始まりだ という。

  シカの繁殖率は高い。
  おまけに環境がいい。温暖で冬もあまり気温が下がらず 一帯は草地が広がる。
  だから 驚異的に頭数が増えて 今では 畑ばかりか野球場にまで出没している。
  

  写真で見ると つぶらな瞳をした かわいい小さなシカだ。
  こんな可憐な生き物が害獣にまでなって 人間から悪者扱いされるとは・・・。

  動物園から逃げ出せば 当然 食べ物を探さなくてはならなくなる。
  しかし あまり天敵もいない となると 条件は 動物園よりずっといい。
  自由に広範囲に動き回れるし 第一 暮らす場所が 辺り一面緑の草地だ。
  草地に飽きても ちょっと探せば 生きのいいのが どうぞ食べてください と
言わんばかりに 整然と並べて植えてある。
  彼らにとって 畑であれ山であれ 生きるのには快適だろう。

  近年問題になっている害獣の多くは 元は人間に飼われていたものだ。
  このキョンだって 飼っていた人間が まさか自分たちを 敵視するなんて
想ってもいなかっただろう。
  どこかしら人間の匂いがする畑の作物は もしかしたら 彼らにとっては
人間が 当たり前に彼らに準備した食べ物 のような感覚なのかもしれない。

  それにしても 同じ名の 可愛い動物がいたことに驚いた。
  と同時に それが 最近人間に害を及ぼして 問題化していると知って
ビックリするやら 悲しくなるやら・・・。
  なんとも やるせない気持ちになった。

  それに 人間のキョンも この歳になると 既に害獣の部類に入るのかも・・・
と こちらも なんだか悲しくなってくる。

  

  早速 昨日栗きんとんを届けた叔父宅から 電話があった。

  叔母が言うには   今年の栗きんとんは叔父さんも食べられるよ・・・。
  ということは やっぱり今年の栗は 甘みがさっぱりない ということだ。
  だって 糖尿病の叔父でも食べられる というのだから。
  かなり砂糖を加えたはずなのに それでもまだ甘みが感じられないとは・・・。

  そして 勤め先から帰宅した夫も 今日お休みだった人の分を 自分も食べてみたが
甘みが全然なかった あんなに砂糖を使ったのに・・・と 言った。

  せっかく手間暇かけて作るのに これでは作り甲斐がない。

  シーズンはこれからだというのに 初っ端からガッカリだ。

  煮て 砂糖漬けかシロップ漬けにでもしなければ 甘みが出ないかもしれない。
  しかし 収穫した栗全部を そうするわけにもいくまい。

  やれやれ 気の重いことだ。

  昨日 雨間に 夫が畑から 初物の 栗の実を拾ってきた。
  実が落ちるのが 去年より数日早いらしい。

  それで 昨夜剥いておいた実で 今朝はさっそく栗ご飯を。
  そして 今夜は これも恒例の栗きんとん作り。

  夕飯後 茹でた栗の実を スプーンで中身を出し 砂糖や何やら加えて
ネットリさせ 一つ一つの量を スケールで量って 茶巾に絞る。
  それを わざわざ問屋で求めた専用の用紙で包む。

  今夜作った栗きんとんは 五十個以上。
  届くのを待っている叔父夫婦や息子宅 夫の勤務先のオーナー宅や勤務先へ
作ったもの全てを 夫が 明日運ぶ手筈になっている。
  だから 作った夫と私の口へは 全く入らない。

  夫の勤め先のオーナーは 県内にある和菓子の老舗の店名 川上や に対して
我が家を 川下や と 冗談に呼ばれて 毎年お持ちするのを
楽しみに 待っていてくださる。
  全く混じり物のない我が家の栗きんとんを 一番美味しい と言ってくださるから
夫も お持ちするのが嬉しいらしい。

ところが タネを作りながら 味見をしたところ 今年の栗は 正直言って
今までで 一番 味がよくない。
  口に入れた時に 渋みというか苦味のようなものを ちょっと舌に感じた。
  甘みも 少ない。
  だから 今回は 例年より砂糖を多く使った。

  どうして味が悪いのか わからない。
  ひょっとしたら 今度 拾ってくる栗は 甘くて美味しいかも と 期待するのだが・・・。
  天候の不順が 味に影響しているのかもしれない。
  だとすると 我が家の今年の栗は 全て 味がイマイチ ということになってしまう。

  夫が 一年中丹精して ようやく成った栗の実だから
その労苦の分 満足のいくものでないと・・・。

  さて 今年のきんとんの出来を 皆さんは どう感じてくださるか・・・。