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  大学病院での 痛み止めの注射の仕方が変わってから  痛みは軽くなった。
  ところが 打った後 数日は その痛みが強く出るようになっている。

  しかし 一番困るのは 発熱することだ。
  今回もそうだ。

  今も 測ってみると 三十八度六分ある。
  また 今夜も 水枕がいるだろう。
  こうなると 平熱に戻るのは ほぼ一週間はかかる。

  打った直後から 足もとがもつれているから 注意もいるが
これは 以前も同じだ。
  体がだるいうえに おまけに熱が出るのは 本当に困る。

  それでも 少しでも痛みが軽くなって 動くのが楽になるためには
痛み止めのトリガーに頼らざるを得ない。

  いろいろやってみたが やっぱり トリガーだけは止められない。
  だから 今夜も 今回も ただ 熱が下がるまで じっと待つしかない・・・。

  我ながら 不甲斐ない思いだが
これも 熱さえ引けば少し痛みが軽くなる そのためなのだ と
思わねば・・・。
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  今夜 ガイヤの夜明け という番組を視た。

  番組の前半は 国内大手の 着物のリサイクルチェーン店に焦点を当てていた。
  着物が大好きな私は 興味深く視た。

  誂えたり購入したりした時には 百万単位だった着物も 引き取りを依頼すると
なんと 三万 五万の値しかつかない。
  ウールとなると もはや 値などつかない。

  ショックだった。
  母が残したもの 嫁入りの際に作って持たせてもらったもの
好きで自分で作ったもの それらの着物や帯が 箪笥二棹に収まらないくらいある。
  それらの値段が 箪笥一棹分でも 作った時の百分の一にもならない。

  私が生きているうちは まあいい。
  精を出して着ることにしよう。
  でも 私が死んだら これらの着物と帯はどうなるだろう。

  幸い 娘が着物好きだから 大半は 娘が引き取るかもしれない。
  でも 母の着物は 丈が足りない。
  行き場がないからと 今夜の番組のように リサイクル店へ引き取られるのか。
  
  なんだか 悲しくなってしまう。
  一枚一枚の着物や帯には それを作った時の 母の思いや
身にまとった時の想いや嬉しさなど たくさんのモノが詰まっている。
  自分のものにしても そうだ。
  色や柄素材など気に入って誂えたり 反物を買ったりして作ったものばかりだ。
  それが 二束三文で買い取られていくなんて・・・。

  考えてみると 着物だけではない。
  道具 と呼ばれる物すべてが 末は そうなる運命だ。
  人が生きて暮らす ってことの果ては みんなそうなる。

  体がこの世から消え 生前使っていたモノは無くなる.・・
  それではいったい その人間がこの世に生きていた証って なんなのだろう。

  人は 一人で生まれて 一人で死んでいく・・・
  よく言われる言葉が 頭に浮かぶ。
  死んでいく時は この世で大切にしていたものも なにもかもを置いて
薄い帷子だけを纏って 一人で三途の川を渡っていかなくてはならない。

  着物が好きで大切  これは着物への執着があるからだろう。
  モノへの執着心 これも 欲の一つなのかもしれない と思う。

  この世からいなくなる時 モノへの執着も この世に置いていく・・・
  だとしたら 執着心とは 生きているからこそのもの。

  私は まだ死にたくはない。
  せいぜい 命のあるうちは 着物への執着心を持って生きていくつもりだ。

あぁ それにしても 着物のなれの果ての
なんと悲しい姿を見てしまったのだろう。
  
  
  

  リハビリを終えて 整形外科の玄関ドアーを出ると
真正面に見えたのは 山影から顔を出したばかりのフルムーン。

  今年一番のお月さまは 雲のまったくない暗い空を
まるで 丸いランプのように ほの白く照らしている。


  今朝 夫は 心臓の精密検査を受けるために 仕事を休み
ハートセンターへ出かけた。
  血管から造影剤を入れて検査をし CTを撮って帰ってきた。
検査の結果は 立体化処理され 一週間後 知らされる。

  春先から どれだけ医者にかかっても治らず 今も続いている咳も声枯れも
原因が肺にあるのでは と 肺についても検査していただいたようだ。

  来週 大事の結果が出ないことを 今夜のスーパームーンに願った。

  

今夜は 中秋の名月 お月見だ。
本当は 明日が満月で 年内で一番大きいスーパームーン。
   でも 一応 今夜が お月見だ。
 
  六時前 外へ出て 車に乗ろうとした時 東の方を見た。
  すると 大きくまん丸い ちょっと白っぽく見える月が さえぎる物のない空の
低い位置に ぽっかりと浮かんでいた。

  二人の息子や嫁 孫たちが 夫の誕生祝の会で我が家へ来た時
帰り際に 下の孫と 近いうちに おはぎを作って持って行ってあげる と
約束していた。
  それで 今夜はお月見だから ちょうどいい と 午後から
三種類のおはぎを作った。
  小豆のあんこ 黄粉 ごま の三種類だ。
  それを 息子宅へ届けよう と 外へ出たのだ。

  毎年 雨や雲で見えない日でない限り 十五夜の月を見ている。
  でも 今夜の月ほど 可憐さを感じる月を 見たことがあっただろうか。
  そう想えるほど 大きさも丸さも 色も 飛び切りのお月さまだ。


  実家のある市に 月見 と 昔 呼ばれた地があって
月が 向かいの山々の影を ポンポンと転がるように昇る。
  そのことは 去年の仲秋の名月について書いた時に 触れた。
  今夜の月は まるでボールか風船が コロコロと転がり出たようにも見える。

  人が どんなに変わろうと 社会に何が起ころうと 月は変わらず
きれいな姿で この日の夜の空を飾る。
  人は それぞれの想いで その月を眺め めでる。

  地球上に人間が現れた頃から 私達は それを繰り返して 生き継いで
歴史を作り上げてきた。 

  なにものにも左右されず 暗闇の宇宙に ただ一人浮かんで
常に同じ顔だけを向けて 月は 月だけの歴史を紡いできた。

  とりとめもないことを考えているうちに 月には 薄く雲がかかり
つかの間 そんなに見つめないで と 恥じらって 顔を隠したような
そんな気がした。

  息子宅を訪ねると みんなが 次々に ぞろぞろと 玄関へ出て来た。
  大皿にきれいに盛られたおはぎをみると 孫は 二ッと笑って 私の顔を見た。
  邪心のない 可愛い笑顔だ。
  
  名月だと知らなかった息子たちと しばし月を見ながら話して 帰って来た。

  十時を過ぎる頃 また外へ出て 空を見た。
この時間になると 月は 中天近くの千切れ雲の中 少し黄みを帯びて
明るく 辺りを照らしている。

  私が 見上げているのを 月は気づいているのだろうか。
  明日も いい天気になるようだ。
  
  

  もう日付が変わった深夜の時間から 毎月月末に生で放送される
今夜も生でさだまさし という番組がある。
  デビュー時から さだまさしの大フアンの私は 深夜だから なかなか毎月とは
いかないが できるだけ視るように 楽しみにしている。

  昨夜は 岐阜からの放送だった。
  ダジャレやおふざけを交えながらの 彼のおしゃべりは 実に軽妙で
それでいて とても真面目で しかもおもしろい。

  知り合いがテレビに出ることで気付くことを つい前日に書いたが
偶然にも 今夜も この番組に 次男と同級で 今は医師になっている青年が出た。
  彼は 昔から さだまさしと交流があるらしく 新生児医療に携わっている と
さだまさしから紹介されていた。
  彼は 子供の頃からとても優秀で しかも人格もよくて 申し分のない子だった。
  小学生の頃から 医師になる と 決めていたらしいことは 知っていた。
  夢を実現した意志の強さと 障害を持つ弟さんへの 熱い思いに 頭がさがる。                               と同時に ご両親が さぞかし喜んでいらっしゃるだろう と 
お母さまのお顔を思い浮かべながら テレビ画面を視ていた。

  今夜のこの番組は いつもより真面目な話が多かった。
  現在中国地方に住んでいる フイリピン人の高校生が 賞をもらったという文も
さだ自身が 十分をかけて 全文が読まれた。

  文は 感動に胸が震えるようなものだった。
  こんなにも真剣に生きている 生きる意味を考えている高校生もいるのか と
思った。これは おそらく 番組を視ていた全ての人に共通した思いだっただろう。

  いろいろ なにかと悪い点ばかりがとりあげられる 若者の年代でも
大半の青年は 真剣に生きているのだろう という想いさえも 感じさせた。

  こんな番組を視た夜は 夜更かしするのも悪くない。
  昨夜は 温かく満たされた気持ちのまま ベッドに入ったのだった。

  今年の六月に 中学のクラス会があった。
  中学三年の時のクラスは 当時から団結が強くて 旧友みんなが とても
仲がよかった。
  担任の個性が強かったこともあってか クラスも よくまとまっていた。

  だからだろう 卒業後も 殆ど毎年 クラス会を持ってきた。
  地元に残って暮らしている旧友たちが 順番に幹事をしてくれて 年に一回
集まる会だ。

  卒業して四十年の前後から 出席者が ほぼ固定してきた。
  そのまま 今もずっと 毎年続いている。

  六月のその会で 私と同じ市に住んでいる友と 隣の市に暮らす友との間で
今度 三人で お茶でも飲もうか という話が出た。

  四十を過ぎる頃 いつも郷里の友ばかりに世話になっているから 今度は
近辺に住む者で こちらで同窓会を開こう と 中の一人が言い出して
  同窓会を持ったことがある。 その時 事前の打ち合わせで 何度か
集まったことがあったが 三人で話をするのは その時以来のことになる。

  数日前に そのうちの一人から 土曜日に会おうか と連絡があった。
  それで 今日 午後二時に と約束した。
  二人は 体の悪い私を気遣ってくれて 我が家に一番近い喫茶店で会った。

  二人は男性だが 小学校から一緒に育ってきた仲間だから
お互い 性別には まったくこだわりがない。

  クラス会では 個人的な家庭内のことや身内の話など なかなかできないが
三人で向かい合っていると 自然に 誰からともなく そんな話になった。

  想ってもいなかった話や 互いの体の変調なども 抵抗なく話せて
ついつい 時間が経つのも忘れていた。
  歳を重ね 人生経験を積んできたからこそ 互いに分かり合えることも多い。 

  気付くと もう三時間も話していた。 
  互いにあわてて席を立ち また会おうね と 言い合って別れた。

  二十年ぶりに味わった三時間は また頑張って生きねば と 
思わせてくれる三時間だった。
  楽しくも 重みのある三時間になった。

  最近 知っている人が テレビに出ている姿を 何回か視る機会があった。

  今夜も なにげなく視ていた旅の番組に 友人が映っていた。
  飛騨を旅する女優親子が ある施設で 飛騨の有名な人形を
手作りするシーンがあった。
  その時 彼女らに 作り方を手ほどきしていたのが 友人だった。
  まさか テレビで視るとは思っていなかったから 驚いた。
  友人は いつもと変わらず 明るい笑顔で 女優たちに接していた。

  十日ほど前には 朝の番組に 娘が映った。
  番組内で取り上げた特集に インタビューを受けていた場面が映った。
  今夜の友人と違って あっという間のことだったが
娘から インタビューされたことと 放送される日にちや番組名を聞いていたから
見ることができた。

  友人の中には 素人としては かなりの回数 テレビに映る人もいる。
  今度テレビに映る と事前に知らないから 彼女も 番組の中で偶然に視る。
  しかし 彼女の場合は テレビの番組表で 番組のタイトルを見て
多分映るのでは と予想ができる。
  白川村の年間行事の番組や 初午の頃などに よく映るのだ。

  知っている人を テレビの中で視るのは 不思議な気持ちがする。
  直に会って話たりする時には感じない事を 画面を通してだと 感じたりする。
  画面は 生で見るより 横幅が広がる。
  顔がアップされて映ったりすると あれッあんなところにシミがある などと
気づくこともある が 一番強く思うのは
テレビ画面を通してだと その人の丸ごとの人間性までもが映し出されるような
そんな気がする ということだ。
  テレビという媒体が間に入ると 超客観的にその人を見られるからだろう。
  常なら感じないことが その人が隠しておきたいこともなにもかもが
画面の中で暴露されてしまうような そんな気がする。

  私自身 四十代の頃 地域のテレビ局の番組に 何回も映ったが
その時にも 同じように感じた。
  だから 自分が映るのを できるだけ視ないようにしていた。
  良いも悪いも 丸ごとのさらけ出された自分が 不特定多数の人に視られる・・・
そのことの怖さと 未熟な自分を恥ずかしく思う気持ちからだった。

  普段 深く考えないでよく視るテレビだが 視座を変えてみると
俳優たちは 常にそんな恐怖の中で自分以外の人間を演じているのだと気付いた。
  同じ歴史上の人物も 演じ手によって雰囲気が変わるのは
演じ手の人間性が そこに反映されるからだろう。

  体は 整形やエステで きれいになれる。
  でも 人間性だけは 外側からではなんともできない。
  見 聞き 考え 体験や経験を積んでこそ 心は磨かれ 
豊かな人間性が 培われる。

  なにごとも うわべだけ装っても 自分磨きを怠れば それは現れてしまう
見る人には見られてしまう ということだ。

  この歳になって そんなことを再認識されるとは思わなかった。
  たまたま 身近な人間がテレビに映ったからこそ 気付かされたことだ。

  改めて 今からでも 自分磨きに精を出さねば と 思う。
  棺桶に入るまでは 自分なのだから・・・。

  

  

  今日は 長かった連休の次の日とあって いつもの整形外科は
待合室も満員。
  座る空きもなく 仕方なく立って 診察の順番を待つ人も大勢いた。

  こういう病院の満員は 実に辛い。
  何故かというと みんな どこかが痛くて あるいは怪我をしていて
医師の診察を受けるために 来ているからだ。
  満員電車やバスで立つのは 殆どの人が健康だから 
立っていても あまり苦にならない。
  痛みや怪我をかかえて 立って診察の順番を待つのは 待ち時間が
よけいに長く感じる。

  次から次へと 患者が来るから 広い駐車場も車でうまっていて
空くのを待つ車が並んでいた。

  こんな日は スタッフは 殺人的な忙しさだから 午後の診察やリハビリでは
みんな 疲れた様子が見える。
  それでも 笑顔を忘れず いつものように 患者に接してくれる。
  気の毒だとは思うが こちらも やむにやまれず行くのだから
混んでいるからと言って 帰るわけにはいかない。
  
  久しぶりのリハビリは よく効いた。
  また明日も行くつもりでいる。
  

  我が家には 三本のなつめの木がある。
  なつめは 飛騨に多くある。
  小粒の実が茶色に色づくと 食べごろになる。
  甘酸っぱくてさっぱりしていて ちょっとりんごにも似た味がする。
飛騨生まれの私は このなつめが小さい頃から大の好物だ。
  だから 実家の畑にあるなつめの木のひこばえを持って来て畑に植えた。
  もう 三十年以上も前のことだ。
  この木から出た苗を 七年ほど前 家の南の庭に植えた。
  また 離れた場所にある畑にも植えた。
どの木にも実がなる。
  去年も 枝がたわむほど実をつけた。
天気のいい秋のある日 家の周りの二本の木のなつめを収穫した。
  まだ少し早いが 週末は夫に用事が入っていて 作業ができないから
よく晴れたし今日採ろう と夫が言って 脚立を立てて作業に向かった。
実のついた枝を切って下へ下ろしてから 実を採る。
  枝を切っても翌年にはまた茂って たくさんの実をつけてくれる。
私は この実を生のままカリカリと食べるのが好きだが
飛騨では これを甘辛く煮て食すのが一般的だ。
  煮たなつめは保存がきくから 報恩講の際の料理にも出される。
  甘辛く煮たものは 皮もやわらかくて美味しい。
  今では 飛騨では 缶詰にして土産物店でも売られている。
  値段も かなり高価だ。

  一粒ずつ採った実を 水で洗ってザルにあげた。
  二本から採った実はかなりの量になる。
  このうち 青いものは煮る用にまわす。
  そのうちの何割かは 夫の勤務先のオーナー宅へ。
  高山生まれのオーナーは ご高齢だが かくしゃくとしていらっしゃる。
  故郷のにおいのするなつめが我が家で採れる と知ったオーナーは
毎年この季節 夫が届けるのを楽しみに待っていらっしゃるのだ。

  もう一軒 近所に飛騨出身の方が住んでいらっしゃる。
  そのお宅へも届ける。

  秋の味がするなつめは 色々な人を思い出し 故郷への想いを深くする。
なつめの木が植わっていた辺りの景色や祖父母のこと父母のこと・・・。
  茶色い実を カリカリとかじりながら 幼い頃のあれこれへと 心が飛んで行く。
  

  

  十九日から今日まで 夫と 東京へ行っていた。

  娘の上の孫が 九月からブリティッシュスクールへ行き始めた。
  日本だと幼稚園だが インターの小学校のプレスクールだから 学校と呼ぶ。
  そのお祝いを まだしていなかった。
  
  また 七月に産まれた下の孫の 初宮参りとそのお祝いを 日のいい十九日に
したいし お食い初めも次の日にしたい というので 夫と行って来た。

  孫は 丸々と太り もうニコニコと よく笑うようになっていた。
  
  十九日は 天気もよくて 孫も泣かないで お祓いの間も よく寝ていた。
  初着は 上の孫の時にあつらえて作ってあるので それで済ませた。
  その分 なにかで補うことになるだろう。

  夫と婿はスーツ 娘と私は着物で神社へ向かった。
  上の孫も 着物が大好きなので 娘が幼い時に着た着物を着せた。

  神社は 歩いても五分もかからないから みんなで歩いた。
  外人の多い界隈なので 通り過ぎる外人が 興味深そうに 立ち止まって見る。
  
  七五三の時は お祓いを待つ人や子が大勢で 長い時間待ったが 今回は
お祓いは孫だけだったから ありがたみも増すような気がした。
  静かで厳かな空間のなか ゆったりと宮司の祝詞をあげる声が響いた。

  神社も近いし お祓いもすぐで 初宮参りは 滞りなく終わった。
  上の子の時は 神社へ行く前から泣きづめだったから
娘夫婦も夫も私も 随分疲れたものだったが この子はずっと寝ていたから
気持ちが楽だった。


  次の日には 娘の準備したお食い初めの祝い膳を 皆でいただいた。
  特別の日だからと 娘は 全て塗の器を出し めいめいの春慶のお膳に
きれいに料理が並んだ。
  こういうところは 私の子だな と思う。
  教えたわけではないのに 使う器や膳などを 道具だから と 揃えている。

  上の孫の時も 同じように祝った。
  初宮参りもお食い初めも やらなければやらないで済んでいくことだが
人生の節目節目の 子の元気な成長を願っての行事だから 私も大切にした。
  娘も 同じように大切にしている。

  孫が通うのは イギリスの学校なので 全てが本国と同じに進められる。
  だから この連休も 土日以外は 学校があった。
  毎日 朝は 婿が車で送って行く。
  昨日と今日 制服を着て定められた通りの服装で学校へ行く 孫を見送った。
  四月から八月まで日本の保育園へ通ったから 集団生活に抵抗がなかった。
  喜んで通学する姿を見て じじばばも嬉しい。

  東京滞在の間 天気にも恵まれたし 夫は 婿と外へ飲みにも出かけ
昨日は サントリー美術館へ行って 素晴らしい美術品も鑑賞できた。
  満足のいく東京滞在の数日だった。