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 今朝九時を過ぎた頃 外で いつになく人の話し声がして ちょっとザワザワしていた。
 なんだろう と 夫が 玄関を出てみると 我が家の塀の向こうに
二台のパトカーと白いワゴン車が 停まっていた。

 夫に気づいたらしく 警官が 我が家の塀に沿ってパトカーを停めさせてほしい
と 許可を求められた。
 夫は ええ いいですよ と答えた後 なにがあったんですか と 尋ねると
その警官が お隣に泥棒が入ったんですよ と 返事をされた。

 驚いた夫は すぐ家へ入って来て 私に そのことを告げた。

 私は もっとビックリした。
 だって 私は 昨夜は 夜中の二時半過ぎまで起きていたからだ。

 この頃 夜になると 急に気温が下がって 腰や足の痛みが増す。
 それで 夜中に 浴室で 長い時間 湯船に浸かっている。
 パソコンを 二重にしたジップロックに入れて持って入って お湯に浸かっている。

 浴室の三メートルくらい向こうの塀は 道路だ。
 パソコン相手に 静かに湯船に浸かっていると
辺りは寝静まっているから 小さな物音でも 外の音はよく聞こえる。

 でも 昨夜は なんにも気づかなかった。 
 もし夜中に泥棒が入ったのなら 多分 私が浴室を出て寝室へ行った後だろう。

 夫から 泥棒の話を聞いた後 おぼろに思い出した。

 そういえば ここ幾晩か 深夜遅くまで湯船に浸かっていると
なんとなく 外で 物音 おそらく足音 がした。
 その足音は お風呂場の ちょうど向こうで した。
 ごくごく小さな音だったから 聞き間違いかも と 想っていた。

 でも あれは 私の空耳ではなく 確かに 人の足音だったのかもしれない。
 それも お隣に入った泥棒の・・・!!

 泥棒が いつ入ろう どこへ入ろう と 下見をしていたか あるいは
ここへ入ろう と決めて やって来ていた音だったのではないか!

 怖い 怖い!!

 今夜 夜中に 夫は 友人と釣りに行くために 家を出て行ってしまう。
 その後は 家には 私独り・・・心細くなってくる。

 まさか泥棒も 連日 軒並みに入りはしないだろうが
 それでも 夫が出て行った後 しっかり戸締りをしなくては!!

 怖い! 怖い!
 気味が悪い!!
 
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  今日から 年賀はがきが発売開始になった。

  我が家は 毎年二百五十枚の年賀はがきを購入している。
  夫が前職に在職中の時期には 加えて五十枚ほど市販のハガキを購入。
  この枚数の葉書きを刷り 宛名を書くのは大変だった。
  だから 退職した年に 少し整理した。
  それでも 新しい職の関係者が加わったので 枚数はあまり変わっていない。

  数年前から 年賀状辞退 の文言がある賀状が ぼつぼつと届くようになった。
  同年代や もっと上の年代の方からの賀状に その文言が見られる。

  今夜 夫と 今年の年賀はがきの枚数をどうしよう と話した。
  そして これから少しづつ 出す枚数を整理していこう ということに決めた。

  ところが 私が担当の親戚筋は 減らすことができない。
  賀状を出す私の友人の数も ギリギリに絞っている。

  減らすとすれば 夫の関係者への賀状だ。

  今まで毎年出していて 先からも戴いていた賀状を 突然やめるのは
かなりの勇気と決断が必要になる。

  だから 夫に 出さないと決めた方々には 今年も出して 
来年から失礼する旨の文言を 書き加えておいたらどう? と提案。
  そうしておけば その方々には 来年は出さなくてもいいし
予め知らせてあるから こちらへも出されはしないだろうから。

  長い年月 日本の中で行われてきた慣習の年賀状。
  まったく出さないのも また戴けないのも 正月の楽しみが半減し 味気なくなる。

  これからは 賀状を少しずつ減らしながら 歳をとっていくことになりそうだ。

  

  また今年も インフルエンザの予防接種をする時期がきた。
  夫の日記によれば 去年はこの月の二十二日に 第一回目の接種を
受けている。
  だから いつ かかりつけの医院へ行こうか予約しようか と 夫と話していた。

  いつでもいいわけだが きっかけがないと なかなか よし!とは 気持ちが
向かない。

  そのきっかけになったのが 私の歯科医院の予約だった。
  歯と歯茎の点検のために予約をした。
  それが 今日だった。

  歯科医院と かかりつけの内科医院は隣り合わせだから ちょうどいい。
  それに 水曜日の今日は リハビリに行く整形外科の休診日。

  とあって それでは今日にしよう と 昨日 接種の予約をし
今日 夫と二人 接種してきた。

  特定疾患のある私は 医師の奨めで 毎年二回接種を受ける。
  仕事がらと 連れ合いが私だから と 医師が夫にも 二回の接種を受けるよう
奨められて 夫も二回受けるようにしている。

  一か月経った頃に 二回目の接種を受ける予定だ。
  

  夫がせっせと通う畑には 古い渋柿の木が数本あって 夫はその木を
祖父母や父母のかたみとも想って 大切に大切にしている。

  今年は その渋柿が近年にない大不作だ。
  毎年秋深くなると 夫は その実を一つ一つ収穫し 夜なべ仕事にして
手で剥いて三つを一串にして差し 縄に十段にして一連とし 軒下に干す。

  たいそう手間のかかる仕事だが 夫は毎晩 黙々と作業する
  その手間を 愛おしむように。

  それなのに 今年は不作。
  夫は がっかりしていた。
  そこへもってきて昨日のことだ。 仕事帰りに 玉ねぎの苗などに水をやろうと
畑へ寄ると 幹から出ている太い枝が 元からボキリと折られていた。
  前日には 確かに枝はあった。だから 日曜日の夜 折られたらしい。

  そんな太い枝が 自然に折れるわけもなく また もし 自然に折れたのなら
木の下に その枝が落ちているはずだろう。
  ない ということは 誰かが故意に枝を折り 持ち去った ということだ。

  おそらく 日中の明るいうちに下見をしたに違いない。
  または 大通りから一本入ったその道を いつも通る者の仕業かも。

  まことに けしからぬことだ。
  数本の木の中でも その木は一番実を付けていたから 折って持ち去られた
枝には 二三十個の実は付いていた と 夫は言う。

  渋柿の木は 道路に面しているから 夜中 辺りの人家が寝静まった頃なら
車で来て傍に停め 折ってそのまま社内に持ち込んで すぐに走り去れば
誰にも 見とがめらずに できる仕業だ。

  人が大切に作っているものを そのような乱暴なやり方で 盗んでいくとは
なんと卑怯なやり方か!!
  まったく 腹立たしいことだ。

  夫に 警察に届けたら と言うと 夫は 柿の枝ごときで 届けたら笑われる
と言う。

  干し柿は あまり若い人には好まれないものだ。
  だから きっと この泥棒は 私たち夫婦と歳が違わないのではないか。

  太い枝ごと折り取って持ち去る・・・そのやり方が許せない!!

  

  栗羊羹や栗蒸し羊羹は どこにでもある。
  特に 秋の栗のシーズンになると 全国のどこの和菓子屋でも 売り出す。

  飛騨には秋になると この栗羊羹でも栗蒸し羊羹でもない 栗を使った和菓子が
店頭に並ぶ。
  栗よせ という和菓子だ。
  名のある和菓子屋だけでなく その辺のスーパーでも売られている。

  私の母親は この栗よせが大好きだった。
  教えていた茶道の稽古にも お茶菓子に使って お弟子さんたちに出した。
  それだけでなく 毎日のように買ってきては 私達にも食べさせた。

  だから自然に 私もこの栗よせが好きになり 秋になると無性に食べたくなる。

  今年も栗のシーズンになると ああ 飛騨では栗よせが売り出されるなあ と
想っていた。
  そしてこの頃では 取り寄せようか とも思っていた。

  それを 先日 高山から来た友人が 土産に持って来てくれた。
  赤かぶの品漬けと 飛騨独特のかまぼこと一緒に。

  嬉しかった。
  食べたい と思っていたから 知らず知らず 友人にハグしていたほどだ。

  さっそく切って 夫と食べた。
  やっぱり まぎれもなく故郷の味がした。

  友人や故郷を想いながら食べる栗よせは ただ甘いだけでなく 複雑な味だ。

  

  滋賀の友人が退院して およそ一週間。

  当初 入院は一か月の見込み と聞いていたので 少し容態が良くなってから
お見舞いを と 高山の友人と連絡を取り合っていた。
  それが 嬉しいかな ビックリするような早さで 退院した。
  聞いてみると 執刀は教授で 腎臓内の微細な血管からの出血を止めながらの
手術、時間も予定より随分オーバーしたとのこと。
  それだけ 丁寧に慎重に手術がなされた結果 傷口も体力も 回復が
早かったのだろう。
  医学の進歩と卓越した医師の技術で なされた結果といえる。
  姉妹とも思う友人が 無事に退院 となったことは 本当に嬉しい。

  そこで 先週 高山の友人から 今度の土日はお見舞いにどうか と
連絡をもらった。
  私の体調もまあまあだし それでは と 宿を探したが 行楽シーズンの
おまけに土日 とあって どこも空室がない。
  仕方なく 強行に日帰りしよう と言うことに決めて 滋賀の友人に連絡した。
  すると せっかく遠い所から来るのに日帰りはないだろう 我が家に泊まって
と 言ってくれた。
  心苦しくて再三固辞したが 友人の 待っているから という言葉に甘えて
一泊させてもらうことに。  

  そして 昨日から今日にかけて お見舞いかたがた 二人でお邪魔した。
  高山の友人は お宅に伺うのは初めてのことだった。
  ごく最近まで 何匹か猫を飼っていたので 互いにそれを望みながらも
高山の友人にアレルギーがあるために お宅訪問が叶わなかったのだった。

  高速バスの停留所まで 友人だけでなくご主人まで出迎えてくださった。
  バスから降りる私達を ニコニコと 二人は迎えてくださった。
想っていたより回復している友人の様子に 涙が出るほど安堵した。
  ほんとうに よかった。

  お宅に荷物を置き 一休みした後 すぐに 友人の住む市内にある
国宝のお寺 三カ寺へと ご主人が車で連れて行ってくださった。

  一つの市内に 三か所の国宝のお寺がある というのは珍しい と
以前に テレビ番組で視たことがあった。
  それで いつか連れて行ってほしい と 私が話したことを 友人が覚えていて
今回 ご主人が連れて行ってくださったのだった。

  見舞いに来たはずが 観光させていただくことになって申し訳なかったが
お言葉に甘えて 連れて行ってもらうことに。

  三ヵ寺のうち二ヵ寺を拝観させていただいた。
  どの寺も鄙びていてこじんまりとした それでいて歴史の重みと風格を感じる
気持ちのいいお寺だった。
  もう一ヵ寺は 残念なことに拝観時間を過ぎていたため 塔を車内から眺めた。

  また夜は夜で 料理やさんでおよばれした。 重ね重ね申し訳ないことだった。

  そして今日 近江八幡から琵琶湖畔へと案内してくださり 湖畔の素敵な
喫茶店でコーヒーを飲みながら 湖を眺めた。
  常にはない北からの強い風に寄せられて 湖は波立ち 湖面一面に
白い波がしらが立っていた。
  こんなに近くから琵琶湖を眺めるのも初めてなら 荒く波立った様子を見るのも
初めてのこと。
  同じ日差しに照らされているにも関わらず 湖の水は 所によって
色合いに様々な違いを見せていて それも 山国に住む者には 興味深い。

  湖と古い町並みを後に友人宅へ戻り 名残りを惜しみながら二人に見送られて
また 帰りのバスに。
  友人は バスの中で食べて と おにぎりやらお茶やらホットドックやら
細々と持たせてくれた。 お土産とは別に。

  自分の体調が悪いにもかかわらず こうして細やかに心遣いしてくれる
友人・・・。
  二人のために二日間 あちこち案内してくださったご主人・・・。

  なんてことだろう。
  病人の見舞いに来たはずなのに 振り返れば まるっと二日 ずっと観光。
  それも ご主人に運転してもらって。
  ただ 少しでも回復した友人の顔見たさに お邪魔したはずなのに・・・。

  悪かったなあ・・・
  もっと完全に善くなってから お邪魔すればよかったなあ・・・
  帰りのバスの中では 反省しきり。

  病み上がりだと分かっていたのに 無理をさせてしまったことを悔いながら
でも 会えたことが嬉しくて 二日間の出来事を思い出しながら
二人で帰ってきた。

  私たちが帰った後 せっかく善くなりかけている体が また悪くならなければ
いいが・・・。

  そんなことになったら 何のために出かけたか分からなくなってしまう。
   


  

  

  東京の孫が通っている幼稚園は 夏休み冬休みの他に 春と秋に
一週間の休みがある。

  娘の家族は その秋休みを利用して 伊豆へ旅行した。
  赤ちゃんがいるから 飛行機ではまだ無理なのもあって 車で行ける所へ。
  春に 私たち夫婦と婿で 伊豆へ孫を連れて行った。

  この春には 娘は妊娠中だったので 留守番だったが 孫が 楽しかったと
何度も話すので 今回も同じ宿をとり 伊豆へ行ったのだ。

  春に アニマルキングダムへ行った時には 孫は 動物にエサをあげるのも
抱っこするのも 怖くて怖くて仕方がなかった。
  ところが 今回は 目を疑うほど違ったらしい。

  大きな動物にも触り 餌をあげ ウサギを抱きたがり モルモットなどは
側まで走って行って すぐに抱き上げ 離さなかったそう。

  春の時の孫が どんなだったかを知っている婿は あまりの変わり様に
ひどく驚いたそうだ。
  そりゃあそうだろう。
  どの動物も怖がって 足が前へ出ないほどだったのだから。
  そんな孫の怖がりを 少しでも治そうと 夫は何度も何度も 餌を買いに
走り 抱き上げて餌やりをさせた。
  小動物は こっちが初めに抱っこして見せ なんとか抱かせようと試みた。

  そんなふうだった春の経験が下敷きにあったから 今回の積極的な行動に
なったのだろう と 娘が言う。
  多分 孫自身も 不甲斐なかった自分を覚えていて 怖かったけれど
大丈夫だった という思いがあったのかもしれない。

  それにしても 春に行った時から五か月しか経っていない。
  それなのに こんな短い期間に 子供は変わる。
  
  子供って スゴイ!!

  かつて私達一家は 夫の転勤に伴って 今は世界遺産になり 世界中から
観光客が訪れている 白川村に 三年住んだ。

  当時 子供達は 上の二人が小学生 一番下がまだ二歳だった。
  上の二人は 夫が勤務する学校へ通った。

  住宅は学校のすぐそばで 職と居が隣接した生活だった。

  校下の子供達は 皆が集団登校や集団下校だった。
  我が家の二人の小学生は 学校を出て数歩の位置に帰る家があるのに
わざわざ みんなについて区域を一周して 帰宅したりしていた。

  村での生活は たった三年の月日だったが その十倍にも匹敵するものだった。
  親切で面倒見のいい村の人たちと 素晴らしい自然に助けられての三年だった。

  以来 絶えることなく 交流が続いているお宅がある。 
  そのお宅から また今年も 村内三か所の祭りで供される どぶろくが届いた。
  お酒好きの夫を 村での年月を愛おしんでいることをご存じだから
毎年 南から始まった村内の祭りが 一番北の地域まで行き着いた後 それぞれの
地区で造られたどぶろくを こうしてまとめ 荷物にして送ってくださる。
  ありがたいことだ。

  お礼の電話の中で 長年住んでいて毎年見ている住民でも 今年の紅葉は
その見事さに圧倒されるくらいだ と 話された。

  奥白川の紅葉は 天下一品だ。
  錦秋 という言葉でも言い尽くせないほど 紅葉は素晴らしい。

  それを知っているから 電話で聞いた紅葉の様子は 想像できた。
  すぐにでも行ってみたい 電話で話しながら そう思った。

  まるで故郷からの電話のような 郷愁を誘う どぶろくと電話だった。

  

  昨夜は オリオン座の流星群が 一番よく視られる と知って
楽しみにしていた。

日中よく晴れていたし 夜になっても 雲が少なかったから
きっと 流星の幾つかは視られるだろう と想っていた。

  夜十一時をまわった頃 外へ出た。
  空を仰ぐと ええッ あんまり星がみえないぞ??どうしたことだ??
  目が 外に馴れたら見えてくるかもしれない と想って
しばらく 空を見ながら 一つ所に立っていた。
  幾つかの大きい星や 輝いている星は見えても やっぱり 満点星 という
わけには いかない。

  以前はきれいな星空が見られたのに どうしてなのか・・・。
 
  その訳がわかった。
  住んでいる地域の明るさの問題だろう。

  最近になって 大きなショッピングセンターが建った。
  そこの駐車場の街灯や標識 広告塔の灯り
  近所の 高速道路建設のための 赤色に点滅している灯りや街灯 など
以前より随分明るくなったからだ。

  残念! 楽しみにしていたのに・・・

  そうすると これからは あまり夜空の星を見られない ということか・・・。

  生活が便利になるのは とてもありがたい。
  しかし その分 これまで手にしていたことを 諦めなければならないのだ と
知らされたような気持ちだ。

  夫に頼んで どこか真っ暗な場所へでも つれて行ってもらわなくては・・・。

  

























































































































































































































 

日本のモノづくりが 安い賃金に魅かれて 国内にあった拠点を海外へ海外へ と
移して久しい。
 それが最近 拠点が 徐々に日本に戻ってきているらしい。

 安い賃金を求めたがために 長い歴史の中で培われてきた 日本の精緻な
モノの作り方や技術が 忘れ去られてしまった。
 だから いざ再び国内で生産しようとしても 問題が出ているらしい。
 一度失われた技術を取り戻すのは とても難しいことだ。

 また 海外での生産を目指したがために 大切だったはずの 日本の技術も
国外へと流れ 結果 追いつかれている。
 ただただコストダウンのために 流れて失ってしまったものの大きさは
はかり知れないものがある。

 それでも まだまだ 日本の技術は高く 素晴らしい。

  混ぜたような話だが 昔した 数回の海外旅行でも 思った。
  生活環境のどれをとって比較しても 日本ほど素晴らしい国はないと。

  店舗のショーケースには 必ずと言っていいほど 日本製品が 別格の扱いで
誇らしげに並んでいた。
 それは 日本国内にいては気付かないことだった。

 知らない国への旅行は もちろん楽しい。
 でも 先進国が多いヨーロッパでさえ 国民性であれなんであれ 日本人のほうが
真面目さ誠実さ勤勉さ 細やかさの どれをとっても上をいっている と 感じた。

 その日本人が作るモノなのだから 悪かろうはずがないのだ。

 それなのに なんで日本人は 海外ブランド と聞くと 飛びつくのだろう。
 ブランドだからではなく 自分にとって それが求めているものだから
必要だから買う 使う であってほしい。

 なんでもない生活用品 例えば 赤ちゃんの紙オムツでさえ 日本の物はいい。
 格段に質がいいのだ。しかも安価で売っている。
 だから 日本へ出稼ぎに来ている外国人は 家族や知人のために まとめ買いして
自国へ送っている。これは ミルクや衣類等大切な赤ん坊に必要な物全てに言える。

 国力とは 経済の伸び率や 軍事力ばかりではないだろう。
 もともと培われてきたものを 守り保って さらに それに磨きをかけて
よりいいものを作っていく技術 これも大切な国力だ。

  生産の拠点が日本国内へと戻れば 日本はもっと明るくなる。
  そして 活気が出て来るだろう。

  国粋主義者では 決してないが 日本人は もっと自国の優秀さを自覚して
日本人であることに 誇りを持つべきだ と思う。
  日本人にしか作れないモノや 世界に誇れるより高い技術は
そこから産まれてくるのではないだろうか。