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  今日は 久しぶりに動いた というか 仕事をした。

  夫が 畑から ゆずをとって来ていた。
  隣の畑から移植した柚子の木は 移植先の畑が気に入らないのか
なかなか 実の数が増えない。

  それでも 平らなおりぶたに並ぶほどの数は 収穫して来た。

  冬至用に数個残し 長男宅へ十個ほど揚げた残りを使って
今日 柚子ジャムを作った。

  なんでも手作業はそうだが 出来上がりは地味でも 美味しく作ろうとすると
手間がかかる。

  同じジャムでもイチゴジャムなどとは違って 柚子の実には 苦味があるから
まずは この苦味のもとになる 皮の内側の 白い綿の部分を取り除く作業から
始めないといけない。
  この作業が大変な手間で 時間がかかる。
  
  そして 皮を細かく切って ジャムにとろみをつけるために 種を茶袋に入れて
分量の砂糖と一緒に煮た。
  皮を細かく切るのにも 時間がかかった。

  煮すぎないように気をつけながら ようやく完成。

  ほぼ半月 寝たり起きたりだったから これだけで 腰痛がひどくなる。
  我ながら ふがいないことだ。

  でも 久しぶりに 何かを作った 仕事をした という気分は残った。
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  特に今月 体調不良で いつにも増して 引きこもりの生活をしている私を
夫は 夫なりに気にしてくれていたのだろう。

  私が大好きな女優が出ている映画がかかっているから 観に行こう と
昨夜 夫が言ってくれた。
  上映開始時間が二時近くだから 朝ゆっくり寝ていても大丈夫だから とも
言ってくれた。

  まだ頭が重くて 気分もすぐれないが せっかく夫が言ってくれるのだから と
行くことにした。

  お昼近くまでベッドの中にいて お昼ご飯を手早く済ませて 
映画館へ出かけて行った。

  映画の日本名のタイトルは 黄金のアデーレ。
  イギリスの女優 ヘレン・ミレンが主人公。
  戦時中 ウイーンの富裕家庭から ナチスによって持ち去られ
戦後 オーストリア国の所蔵物となっていた クリムトの絵画数点を
正当な持ち主として返却を求め 国と闘い勝利した 実話を基にした話だ。

  ヘレン・ミレンが演じる主人公の 伯母を描いたクリムトの絵は
あまりにも有名な絵画。
  
  自身の家族が幸せだった時代 その後に起こったホロコースト・・・
  主人公は 辛さから 今までわざと封印して生きて来た過去の出来事と
裁判で争うことで 向き合うことになる。

  辛く難しい裁判の過程で 彼女がくじけそうになった時
初め弁護を引き受けたのは 絵画の時価に魅かれてのことだった若い弁護士が
自らの親族もまたホロコーストの犠牲になったことを 我がこととして感じ
ビジネスではなく 彼女のために 絵画を取り戻そうとと 動き始める・・・。 

  私が四十代の初め 小さな映画館で上映された 描き方が絵画的で
音楽的な ちょっと変わった映画で ヘレン・ミレンを知った。
  以来 テレビでも 英国警察の警視役で出たドラマも 日本で放送されたり
アメリカのアカデミー賞をとったりしている 実に演技のうまい女優だ。

  気分も体調も 万全ではなかったが 映画を観ている間は 忘れていられた。 
  

 十一月も 残り数日。
 それなのに まだ霜が降りない。

 私が育った高山の冬は 寒い。
 雪が降る前の ほっぺたがヒリヒリするような早朝には 必ず霜が降りていた。

 真っ白な 五センチはあろうかという霜柱が
まだ舗装されていない道にも 周りの田んぼにも畔にも 真っ白に降りていた。

 学校へ行く前 集団登校の出発前 足下の霜柱を踏んでは遊んだ。

 白くて長い霜柱は 靴底で踏むと サクサクと乾いた音を立てた。
 その音を聴きたくて まだ踏まれていない霜柱を探しては 踏んだ。

 陽が照り出すと 日向の霜柱は またたく間に ゆるんで水になり
踏まれた場所には ぬかるみができる。
 すると あれほどきれいだった霜柱は 汚れたものになり
今度は 歩く度に靴底にベッタリと付いて 人には嫌われものになってしまう。

 あの 靴底で踏みしめる霜柱の サクサクと崩れる音と感触が
夫と 霜が降りない と 話していて よみがえってきた。

 ひ弱で覇気のなかった私と一緒に・・・。 

  今朝は 今冬一番の寒さだった。
  寒くても 夫の出勤の車で 医院まで送ってもらい 点滴を受けた。

  ようやく 炎症反応も下がって 明日からは 点滴に通わなくてもよくなった。
ようやく ここまでになった とうことか。

  今朝は 今冬一番の寒さでも まだ 霜は降りていない。
  今冬は まだ一度も 霜さえ降りてはいない。
過ごしやすいから助かるが この時期になっても霜が降りない などとは
気味が悪い現象だ。

  二時間もかけて点滴を終えての帰り道
気温が上がらず 風の冷たさが身にこたえる中 医院に近いバス停から
バスに乗った。

  早朝には 空は どんよりと濁った低い雲に覆われてはいたが
雨は降っておらず 防寒だけはしっかりして 家を出て来ていた。

  バス停の数でいえば たった二つ離れただけの距離だから
乗ったと思ったら アッという間に降車する。

  ところが たったそれだけの距離と時間 バスに乗っただけなのに
降車する時には ポツポツと雨粒が落ちて来始めた。

  降りたとたん急に雨脚が激しくなり なんと 雨に交じって透明ではないものが。
  まさかの みぞれだ。
  まだ 霜も降りていないというのに・・・。

  みぞれまじりの雨粒が 容赦なく振ってくる。
  傘など持っていないから 家まで濡れるより仕方がない。

  今朝 首に巻いて出た大きなショールを広げて 頭から首へと回し被って
歩き始めた。
  コートの襟を立て 私なりに 足早やに 家へと帰ってきた。

  こんな時 注意するのは 杖。
  晴れた日のようにつくと ツルッと滑って かえって危険だ。
  用心しながら やっとのこと 帰り着いた。  

  今年初めての みぞれ。
  今日の高山は きっと 初雪だろう。

 

  毎日 点滴に通っていたのに 体温がなかなか下がらなかった。
  下がっても 三十八度台までで 毎晩 氷枕を使って ベッドに。

  今日も 朝 夫が出勤する際に 医院まで送ってもらい 診察と点滴。

  いつもそうなのだが 私の血管は細くて見えない。 
  だから 下手な看護士だと 何回も針を刺し直し それでもダメで

けっきょく他の看護士に代わって ようやく点滴が始まる。
  腕ではできないから いつも手の甲の細い血管を使う。
  すると 太い血管からのように 早くは液を落とせない。
  ポトンポトンの間隔が 通常よりかなり間遠でないと 血管痛があり
腕全体の血管が 真っ赤に網の目状に現れてきてしまう。

  それでも 今日の血液検査の結果では 漸く炎症反応が1になった。
  医師は 炎症反応は下がってはきたが 明日が休診なので 金曜日に
もう一度 点滴に来るように と 言われた。

医院を出たのは 十一時近くになった。
  足の痛みも和らいできたから 医院の近くにある本屋へ
しばらくぶりに寄ってみた。

  この書店には 新刊の書棚とは別に 古本も売っている。
  最近は 古本といっても 出版されてすぐのものが売られている。 
  だから 新刊で読みたい本があるときには これはありがたい。
  古本といっても 一度目を通して読み終えたものを 購入者が すぐに
書店へ売った本だから 新品同様のもの。
  新刊に比べて 半値前後の値段で買える。
  私が読みたい本は 殆どが娯楽ものだから この古本で十分だ。
  ネットでも購入するが 紙の本よりは多少安いくらいで 古本よりは高い。
  それに 読みたい新刊が すぐにはネットで買えない場合が多い。
  そんなときには 古本がいい。
  出版されて一週間もしないうちに もう古本として 本屋の書架に並んでいる。

  今日は 三冊 読みたい本を見つけた。
  
  ちょっと体がよくなったおかげで これらを読む楽しみができた。

   

今朝 夫が 軒下に吊るしてある干し柿に 黒いカビが発生した と言う。
夫は 小鳥たちが ついばみに来るのを防ぐために 毎年小屋根の雨どいから
目の細かい網を 吊るす。
その作業をしようと 脚立をかけようとしていて カビに気づいた。

びっくりだ。
今まで長い年月 毎年たくさんの干し柿を作り 同じように干してきた。
干している間にカビが発生することなど 一度もなかった。

今年は暖かくて いつまでも気温が下がらない。
渋柿をちぎるのも 例年よりかなり早かった。

慌てて アルコール度数の高い果樹酒用の焼酎を 一つ一つの柿に吹き付けた。

これでは 干し上がっても 例年のような立派な連には ならないだろう。

下手をすると まったく食べられないような代物になってしまう可能性もある。

まったく 今年は散々な年になってしまった。

これだから 自然 天然相手の仕事は 怖い そして恐ろしい。
予測ができない気候相手の仕事は 大きな掛けの要素を含んでいる。

儀父母が作っていた時代には おそらく こんなことはなかっただろう。

今後もこのような気候が続くとなると 干し柿は作れなくなってしまうのではないか。

それでも 一生懸命に 一つ一つの柿に アルコールを吹き付けている夫の姿を
見ながら そうでなくても少ない連が これ以上悪い状態にならないように と
心から願った。



  昨日は 朝から体がだるく なんだかおかしかった。
  それでも 習字の稽古日だったから 休んだらその分書けなくなる と思って
出かけて行った。

  稽古中も 体の違和感は変わらなかったが なんとか時間まで稽古して帰った。

  帰宅後 ひょっとして と 体温を計ると 三十九度あった。

  パジャマに着替える気力もなく そのままベッドに入った。
  すると 今度は 元々悪い左足に 激しい痙攣が起き始めた。
  いつも 痙攣が起き始めると 終わることがなく続く。

  昨日も そうだった。
  強烈な引き攣れが次々に起こって 痛みを我慢するので 呼吸までおかしい。

  夕方になって 夫が帰宅。
  私の変調に気づいた夫は さっそく氷枕を持って来てくれた。

  それまで 我慢していた足の痙攣が 右足にまで起こるようになった。
  もう ダメだ。

  夫に足のマッサージを頼む。
  痛い所をマッサージするものだから 痛みはもっと強くなる。
  それでも 硬くなった箇所をもみほぐしてもらわないことには痙攣は治まらない。

  マッサージの間にも 次から次に 引き連れが起こって来る。
  痛いのを堪えながら 三十分も マッサージしてもらうと 少し和らいできた。

  少しでも痛みが楽になれば と シップをベタベタと足中に貼ってもらった。
  足の平から腿の前後まで貼ると いつも病院で処方してもらうシップンの袋は
二つも三つも使ってしまう。
  効き目はあるはずだが ここまで痛みが強烈だと 効きめは感じない。
  それでも 熱を持っているから 痛みは変わらなくても ひんやり感があっていい。
  苦しくなっている呼吸が楽になれば と 首や胸にも張ってもらった。

  熱や痛みもあるし 引き連れも多少弱くはなったがまだ来るし で
夕ご飯は食べる気もしなくて ソロソロ歩いて ベッドへ行き 横になった。

  多少楽になったのだろう。
  トロトロとまどろろんでは目覚め を 何度か繰り返して 朝になった。

  そして今朝は 夫が出勤時間を遅らせて かかりつけ医院へ運んでくれた。

  朝イチで行ったが 胸のレントゲンを撮り 血液検査をし 点滴をし終えると
医院の中には 私一人。
  
  隣の薬局で薬を受け取り タクシーを呼んで帰って来た。
  
  明日も 点滴に行く。
  その後は 連休に入ってしまうから 善くならないと・・・。
 
  

  今夜 歌謡番組を視終え チャンネルをそのままにしていたら
故 土光敏夫氏を取り上げた番組になった。

  土光氏は どれだけ地位が上がろうと 生涯 夕食のおかずには
めざしを食したことで 有名だ。
  野菜も 自ら作った物を 食卓に載せた。
  質素を旨とした生活を 生涯貫いたことで 世に知られている。

  日本の経済を再生させた と言われる土光氏は 強い信念の人だったが
その源は 母親にある と ナレーターが語った。

  母親は 七十歳にして 女学校を設立した。
  その影に 土光氏の支えがあったことは 言うまでもないが
 それにしても 母親の行動力に すごい情熱と やはり 強い信念を感じる。

  彼女の座右の銘ともいえる言葉は
      個人はつつましく 社会は豊かに
だという。

  なんてすてきな女性だろう。
  なんてすてきな言葉だろう。

  こんなすてきな女性だからこそ 土光氏のような偉人が育ったのだろう。

  まさに この母にしてこの子あり だ。 

  はてさて 翻って 我が身を想えば どうだろう・・・。
  我が子たちは どうだろう・・・。

  こんな母からは あんな子たちしか育たないのも 仕方がないか・・・。
  でも でも それでも 私には 過ぎた いい子たちだけど・・・。
  

  娘のところの上の孫は 十二月生まれだ。
  おまけに 来月は クリスマスだ。

  来月になると クリスマスが近くなるせいで プレゼント用に おもちゃなどの
品を求める人が多くて 間近かになって欲しい物を探しても すでになくなっている。

  だから もう今から ネットやお店で探して プレゼントを確保しておかなければ
孫が欲しがっている品物を プレゼントできなくなってしまう。

  長男宅の二人の孫は もう大きいから 図書券 という決まりになっている。
  だから プレゼントで悩むのは 娘宅の二人への品だ。

  上の孫は お医者さんごっこができるおもちゃと 絵本がいいらしい。
  下の孫は まだおすわりもできないから 彼女専用のぬいぐるみあたりが
いいか と思っている。

  絵本はともかく お医者さんごっこのおもちゃは早く買って 誕生日に届くように
手配しなくては と思っている。

  下の孫へのかわいいぬいぐるみも 探して クリスマスに備えなくては。

  一年の経つのの早いこと 早いこと・・・

  フランスのパリの真ん中で 信じられない事が起こった。

  強い信仰心が基盤にある・・・というが どんな宗教も むやみに他人の命を
奪ってもいい などとは教えてはいまいに。
  集団的発狂に似た心理が 犯人たちが属しているグループを支配している 
としか 考えられない。

  数年後に オリンピックの開催を予定している日本も 他人事ではない。
  彼らは いつ どの国を標的にするか わからない。

  もし 今後 中東での自衛隊の活動が 今までとは違って もっと積極的に
なっていったら 私達の国もまた すぐにも標的に成りえる。

  無差別に 他人の命を 尊厳も生きる権利も何もかもを否定して奪うなど
絶対に許してはならない行為だ。

  パリは 何度か訪れた都で 大好きな街だ。
  あの美しい街で おぞましい犯行がなされた。

  犯行に巻き込まれた方々のご冥福を 心からお祈りする。 

  

今年の渋柿の収穫量は 不作のために 例年の十分の一しかなかった。
  
  不作だ と 夫が ガッカリしながら 度々言っていたから そうなのか とは
思っていた。

毎年 小さいものは 自分の勤め先の幼稚園へ持って行き
時間のある先生方が皮を剥いて それを 夫が連にして干す。
  出来上がった干し柿は 園児たちのおやつになった。

  例年は 五百個以上 持って行った。
  年によっては それ以上のこともあった。
  ところが 今年は 一個も持って行けない。
  今年は持って行けない と 夫は それもがっかりしている。

  収穫するのも 皮を剥くのも 連にするのも 干すのも 大量だと
手間と時間が それだけかかる。
  毎晩 夜なべする夫も 次第に疲れがたまっていく。
  だから 不作くらいが 仕事量としては一番いいかも などと 内心思っていた。

  ところが 実際に ちぎってきた量を見て 本当に驚いた。
  えッこれだけ? というほど 少なかったからだ。

  それでも 夫は 皮剥きにかかった。
  そして それは 今夜で終わった。
  たった 四日の夜なべ仕事で終わった。

  干し柿を作り始めてから 始めてのことだ こんなに早く終わったのは。

  例年のように ああ~やっと終わったァ という 夫の言葉を聞くこともなく
あッという間に 今年の柿剥きは 終わったのだった。

  今日も熱はあったが 夕方に 歯医者の予約が入っていた。
  削ったりガーガーやったりの治療なら 電話で予約を取り消すのだが
噛み合わせの具合やピースの状態の点検 歯や歯茎の点検などが主で
大したことはしない と わかっていたし 帰りは 夫に迎えに来てもらえるから
予約の時間に 出かけて行った。

  去年 東京の娘のところへ行き始めてから およそ一年近くの間
歯医者から遠ざかっていた。
  その間 虫歯にならないように 歯槽膿漏にならないように と 歯磨きには
充分注意した。
  だから自然に 歯磨きにも気を付けて 当然 時間をかけた。

  東京暮らしの間 気持ちが力になって 歯ブラシを使うのに
常より 力が入っていたらしい。

  なんと 今日 診てもらうと 何本かの歯の 歯茎に近い辺りのエナメル質が
薄くなっていることが判明。
  
  今まで 虫歯もなく歯槽膿漏もなく 極めて 口腔内は健康だった。
それなのに 予防に励んだのが裏目に出てしまったようだ。

  歯科助手が せっかく歯並びもいいのだから もう少し 歯磨きの際に
歯ブラシを歯に押し付けないで 磨いてくださいね と言う。

  そして それから 実際に歯ブラシを使っての ブラッシング指導が始まった。
  この歳になって 歯磨きの仕方の指導を受けるとは 想ってもみなかった。

  手鏡を見ながら やってみると やっぱり 歯ブラシを押しつけすぎているようだ。
  ブラシの先を ほうきを使って掃くような要領で動かすのが一番らしい。

  さあ 今夜から 教えられた要領で 歯磨きしよっと。
  
  でも やっぱり今日も 時間を経るにしたがって 熱が上がってきたみたい・・・。

  火曜日の痛み止めブロックの後 案の定 また今回も 熱が出た。
  でも いつものことだし 慌てることも驚くこともなく 静かに休んでいれば
大丈夫だろう と 昨日は大人しくしていた。
  
  しかし 午後になると 急に悪寒がし出した。
  あれ?なんだかおかしいなァ と思い 体温を計ってみると
なんと 三十九度七分もあるでなはいか!

  あれあれ これは大変 と 水枕に氷を入れ ベッドへ入った。
  多分 ウトウトしたりしていたのだろう。

  夫が帰宅したのはわかっていたが 私は夕ご飯も食べる気がしなくて
起きもせず ずっと寝ていた。

  昨日は 夫は お昼過ぎに出勤して行った。
  私が いつまでも起きてこないので どうしたのか と思って 寝室まできて
布団の中の私を覗いた。 

  午後になってこれだけ体温が上がった と告げると さすがに夫も驚いて
さっそく 水枕の氷を入れ替えてくれた。

  昨日のお昼ご飯は 午前中に胃カメラの検査をした夫のために うどんを茹でた。
  その残りがあったから 夫は それを温めて夕ご飯にしたらしい。

  私は 夕飯も食べないで 今朝までベッドに入ったまま過ごした。

  今朝になると 少し熱が下がっていた。
  でも 体がだるいし 頭もなんだかボォ~としている。

  この分では 明日も静かにしていないと・・・
  でも 夕方には 歯医者の予約が入っている。
  それまでに 今よりはよくなっているといいのだが・・・。

  夫は 毎日 お風呂上りに 肩や腰にシップを貼って寝る。
  貼らない日はない。

  そんな夫は 私がしている 温熱療法も あまり好まない。
  だから 何か 他にいい方法はないものか と 思っていた。

  そんな時 テレビの通販で 簡単な低周波治療器を見つけた。
  家庭用ではあるが ちゃんとした管理医療機器で
小さいし代金も高くないし 取り扱いも簡単で 使い勝手がよさそうだった。
  これなら 夫が毎晩使う気になるだろう と さっそく注文した。 

  品物が家に届いた時には またそんなものを買って・・・と
夫は 批判的だった。
  でも 試してみてよ と言って 肩や腰に着けてあげると
夫は まんざらでもなかったらしく 次の日からは 自分から
おい やってくれ と 彼から言うようになった。

  それ以来 機器での治療が 毎晩の行事になっている。
  自分では 肩や腰に着けられないから 自然 私がすることになって
一回の治療が二十分だから 二か所では 四十分にもなってしまう。
  すると 私が お風呂へ入る時間も それに連れて遅くなってしまう。

  重宝に使ってくれるのは嬉しいのだが そこのところが
ちょっと 困っている。

  昔から あまり 人とつるむのを好まない性格の私は
普段 自然に 女同士が集まっての井戸端会議や 喫茶店での茶飲み話からは
遠ざかっていた。
  それが 体を悪くしてからは 一層 遠のいてしまっている。

  だから 年に数回あるかないかの頻度で お茶する仲間に加わったりすると
近所のことなのに 全然知らない事だらけで まるで 浦島太郎のようだ。
  中には 情報局本部 のような人がいて 近所はもちろん 地域で起こった
あらゆることに精通していて いいことも悪いことも 全て知らない事はない と
自分でも 自慢するくらいの人もある。

  たまに そういう人と話す機会があると わずらわしいこともあるが
知っておいたほうが 身の立ち位置や対処の仕方の参考になる場合もある。
  地域の人の考え方の方向が解かって 次になにかあった時など それに対して
どう発言したらいいか どう話を持っていったらいいかを 事前に考えておけるから
いわば 都合がいい。

  若い頃には 人のうわさ話ばかりになる そうした集まりを 嫌悪する気持ちが
強かったが 最近では たまの機会を そう思えるようにもなった。
  なんでも 亀のこうより歳のこう で 考え方ひとつで 世の中 どうとでも
とりよう次第で 嫌なことも うまく自分の中でプラスの方向へ消化できる と
思えるようになってきた とういうことだ。。

  これは 自身で考えても かなりの成長だと思うが かといって
うわさ話に長けている人を偉く思えるか というと そうではない。

  この矛盾する考えは 私だけがよければいいのだ という 自己中心な思いに
由来していることに 気づかされる。 
  その人からは こちらの都合のいい情報だけを受け取って こちらからは
何も提供しない ということになるからだ。

  そんなに真剣に考えないで 軽く受け止めればいいのよ 楽しく話したら
それでいいじゃない という人もいるが なかなか そんな気楽な気持ちで
他人の嫌な話や噂話は 私にはできない。

  やっぱり 結局は どこまでいっても私は私だから 気軽に 井戸端会議や
うわさ話には加われない 加わってはいけない ということなのかも・・・。 

  明日から明後日にかけて 雨の予報が出ているから と
夫は 今朝 朝ごはんを済ませると 畑へ行った。

  干し柿用の渋柿をちぎるためだ。
  なりものは すべてそうだが ひとつひとつ 手で収穫しなければならない。
  渋柿も 夫が木に登って ひとつひとつ 手でちぎる。

  柿の木は もろくて折れやすい。
  ハシゴをかけても 木の上の方まではとどかないから 昇らなければ採れない。
  身の軽い夫でも 一昨年には ハシゴごと倒れて落ちた。
  幸い 打ち身だけで済んだが 柿ちぎりは 常に危険が伴う。
  我が家の渋柿の木は 祖父の代から植わっているのもあって 木の高さも
かなりのものだ。だから よけいにもろい。

  今年も 安全に柿ちぎりが終わればいいが と案じた。
  明日が雨 とわかっているから 多分帰るのは いつもよりもっと遅いだろう
と 思いながらいた。
  今日中にちぎってしまわないといけないからだ。

  案の定 帰ってきたのは 三時を過ぎて四時になろうか という時刻だった。
  無事に帰っては来たから 安心したが 以前に夫が言っていたように
やっぱり今年は不作だったようだ。
  去年もあまり多くなかったが 今年は その比ではない。
  去年より 収穫箱で六箱は少ない。

  剥く手間が それだけ少なくてすむから 夫の労力は軽減されるが
それでも 夫は がっかりしているように見える。
  
  渋柿の不作は 我が家だけでなく 今年は 地区一帯が不作らしい。
  農家の収穫物は その年の天候に左右される。

  夫の祖父母や父母の代は この干し柿が 一家の大切な現金収入だった。
  その時代にも 不作の年はあっただろう。
  例年と同じ現金収入をあてにしていたのに 今年のように不作の年は
大変だっただろう と想う。

  歳の暮れに市場へ出してお金にした義父は その帰りに 家や子供たちに
日頃欲しがっていた物を 買って帰っていた という。
  きっと 子供だった夫や弟たちは 父親の帰りを 心待ちにしていただろう。
  そうやって 野球のグローブを買ってもらった時は 本当に嬉しかった と
いつだったか 皮をむきながら 夫が話した。 

  また今年も 例年より少ない柿の実を 夫は愛おしむように剥くのだろう。
  背中を丸め 黙って 黙々と・・・。
   

  今朝 新聞を開いて 三面記事の紙面を見て 驚いた。ショック!!

  私が大好きな小説家が亡くなった。
  宇江佐 真理 時代小説家だ。

  私と同じ歳だった・・・
  ついこの間 新刊が出たばかりだというのに・・・。

  彼女の小説は 人の営む日々の機微を とても細やかに とても優しい目で
描かれていて 一冊読んでとりこになった。
  それからというもの 彼女の作品をむさぼるように読んできた。
  
  ああ~ これからは もう彼女の小説を読めないんだ・・・。

  ショック! ショック!!
  悲しい!!

   

  昨日は 久しぶりに 随分動いた。

  まず午前中 ゆっくり歩いてバス停まで行き 美容院へ。
  髪をきれいにしてもらい すっきりしたら またバスで 今度は駅へ。

  駅舎に隣接する図書館の分館へ 予約してあった本を取りに行った。
  それから 続きの建物に入っていて いつも利用している本屋へ。
  先だって購入したリーダーに 昨日から不具合が生じていた。
  パソコンが直ったとたん 今度はリーダーがおかしくなった。

  本屋で リーダーの係りの従業員に 不具合になっている点を説明すると
店員が 専門のセンターへ問い合わせてくれた。
  それから修正にかかった。だいぶ時間のロスになってしまったが仕方がない。
  正しく動いて ちゃんと本が読めるようになったのを確認後 お店を出た。

  その後は 久しぶりに 欲しい衣類があったので 駅舎前から
またバスに乗ってモールへ。
  夫に 仕事帰りにモールへ寄って乗せてくれるように と頼んであったが
この時点で もうあまり時間がなくなっていたので大急ぎで 専門店街へ。

  急いでいても気に入った品を買いたいから 何軒か店内の品を見て歩いた。
  なかなか これがいい という物に出会わなかったが 最後に入ったお店で
店主に こんなのはどうです? と勧められて試着してみると 案外いい。

  いつもは 何年も前に買った古いものばかり着て過ごしている。
  一番古いのは もう二十年以上も前に買ったものだが 常日頃 外出しないから
それで済んでしまって なんの不自由もなく暮らしている。
  でも たまには新しいものがほしい。

  店主が奨めてくれたものは 自分なら絶対に選ばない色や柄だったが
店主の 遊びに行く時には 普段とは違う 着ていて楽しくなるようなものの方が
いいですよ。楽しみに行くんだから その気持ちを盛り上げてくれるような
明るいもののほうがいいんですよ それがきっと似合いますよ。 という言葉に
背中を押されての試着だったが なるほど やっぱりプロだ。
  意外に似合っている。
  私には冒険する感覚の柄だが これを着たら気持ちも軽くなりそうな気がした。
  それで結局 奨められたものを そのまま買った。

  もうそろそろ夫がモールへ来る頃だろう と慌ててメールし 下りていった。
  しかし 夫からは なんの返信もない。
  今日は祖父母参観がある日だ と言っていたから いつもより帰る時間が
遅くなっているのかもしれないな そう想いながら一階に。

  朝から動いて喉が渇いていたので 夫から連絡があるまで とフードコートへ。
  休みながら 再度 夫の携帯へメールした。

  なんと! すっかり忘れられていて 夫はすでに帰宅していたではないか!
  一昨夜も 朝も あれほど頼んでおいたのに 夫の記憶からは抜けていた。
  おまけに 買い物の後に送信した携帯のメールも見ていなかったらしい。

  夫は いくら自分が悪くても 絶対に誤らない人だ。
  案の定 今回も 反対に 私に怒りながら運転。

  せっかく 久しぶりの外出で ちょっと気分も晴れていたのに
なんのことはない また 元の沈んだ気持ちに戻ってしまった。 
 
  こんなことなら またバスで駅まで行って 自宅方向へ行くバスに乗り換えて
帰ればよかった・・・。

  

  近所の 時々お茶を一緒にしたり立ち話をしたりする奥さんが
紅葉を見がてら 飛騨のりんごを買いに高山へ行って来られた。

  この方は ご夫婦とも運転が苦にならなくて よく二人で思い立った時に
あちこちへ出かけられる。羨ましいかぎりだ。

  先日の文化の日にも 一度行きたい と言われていた友人を乗せて
高山へ日帰りして来られたらしい。

  そんな話をしながら 買ってきたりんごをおすそ分けしてくださったのだ。
  あらあら 話を聞くと 買われた販売所は遠い親戚に当たる。
  まさに 頂いたリンゴは 故郷の味だ。

  頂いたお礼を言い いい香りを放つりんご持って家へ入った。
  そしてしばらくしたら また奥さんの声が玄関先でする。
  なんだろうと思いながら戸を開けると そこにはニコニコ笑いながら                                  今度今度は 手に小さいプラスチックの入れ物に入ったものを持って 立っていらっしゃった。 

  「奥さん これ知ってみえる?」
  と言って差し出されたのは 『にたくもじ』。
  これも 私には忘れられない故郷の味だ。

  『にたくもじ』とは この時期の古くなった漬物を 油で炒めて煮たものだ。
  その年の漬物を漬ける時期が来ると 漬物樽を空けなくてはならない。
  それで 前年に漬けて残っている漬物を樽から出して 加工して食べる。
  それが『にたくもじ』だ。 

  『にたくもじ』ってなに? と 不思議な言葉に戸惑う人も多いかもしれない。
  でも 飛騨の人間なら 誰もがこれを食べて育つ。
  生家でも 亡母が作ったものが よく食卓にのった。
  我が家の「にたくもじ」はちょっと甘辛で これがあれば
ご飯を何杯も食べられた。
今のように たくさんの美味しい総菜が並ぶ食卓からはみれば
なんと粗末で単純な味の それも色の悪い総菜だろう。
  そんなことを話すと 持って来てくださった奥さんは
  やっぱり そうなの?
  途中で寄った 道の駅で売っていてね 試食したら美味しかったから
パックをたくさん買ってきたのよ。
  売っていた人が これは昔から飛騨にあるものだって言われたのを
思い出して きっとこれも懐かしいんじゃないか と想って。
 
  そう言って パックを二つもくださった。
  リンゴももちろん嬉しいが この『にたくもじ』は 特に嬉しかった。

  ここからは余談だが

  『にたくもじ』の語源は 多分 平安時代にあるのではないか と想っている。
  これは私の考えだから 本当にそうなのかどうかは わからないが。

  その昔 女房言葉で 漬物を くもじ と呼んだ。
  それを煮たものだから にたくもじ なのではないか。
  私は そう考えている。

  飛騨は 昔から京都との行き来が頻繁だったから 現在も 京都の古い文化の
名残りがある。
  それは 高山祭りの屋台に代表されるだろう。
  言葉もしかり だ。

  実際 遠い親戚は 江戸時代 飛騨に 間口十五間の大店を持っていた。
  そして 生糸を商い 年に何度も 京都と飛騨を行き来した。 
  主は そんな暮らしの中 京都では 後の歴史に名を残す人たちとも
知り合い 親しい交わりがあった。
  そして 京都の文化だけでなく その人たちから 考え方も学んでいたようだ。

  京都と飛騨の関わりは古い。
  だから 言葉も 自然に入ってきて 根付いたのだろう。

  にたくもじ から いろいろなことを思い出した。

  懐かしい味を 温かい炊き立てのご飯でいただきながら その夜の
夫との食卓は いつになく 話に花が咲いた。

  昨夜遅くになって 急に パソコンがフリーズしてしまい どうやっても
まったく 青画面になったのが 動かなくなってしまった。

  どうかしようにも わからないから そのままにして休んだ。
  そして今朝 起きて見ても やっぱり昨夜のまま 全然変化がない。

どうしよう パソコンなしではいられない。
  本と同じくらい 私の毎日に パソコンは必要なのだ。

  そうなると もう困った時の I さん頼み しかない。
  仕方なく 病み上がりで まだ外出もままならないという I さんに 携帯メールで
どうしたらいいか おそるおそる お伺いした。

  するとすぐに それは修理屋さんへ持って行くよりない との返信をいただいた。
  おまけに ご自分が知っていらっしゃる修理店まで 紹介してくださった。
  店主は とてもいい方で 修理費用も格段に安価だとのこと。

  営業しているかどうか電話で聞くと 今夜七時までなら とのお店の返事。
  夫の帰宅を待って 早速 お店へ連れて行ってもらった。

  さすがはプロ。
  どこかしらキーをなぶったり 本体をどうかされたりしてみえたと思ったら
  あら 不思議!! あっという間に 復活したではないか!

  狐につままれたようなような想いと 嬉しさとで 言葉も出なかった。
  店主は 何ごともなかったかのように 戻りましたね と 物静かな声で
おっしゃった。
  そして 代金を払おうとすると こんなことくらいでいいですよ とおっしゃる。
  なにか 心苦しくて戸惑ったが お言葉に甘えて そのまま お礼を述べて
お店から出た。

  今のようなせちがらい世の中に このような店主もいらっしゃるのだ と知った。
  それも 繊細で面倒な パソコンや関連機器を扱っているお店の店主が だ。

  嬉しかった。
  パソコンが直ったことも このような人に会えたことも。
  そしてまた 電子書籍も読める 日記も書ける 友人のブログも読める。
  それが 嬉しい。

  それから それから 
  なにより 本調子でないお体なのに このお店を教えてくださった I さん!
  本当に いつもいつも お世話になりまして 申し訳ありません。
  お陰様でまた このようにパソコンを使えます。
  ありがとうございました。

  はやく善くなってくださることを 願っています。
  

  

  テレビ番組の ガイアの夜明けやカンブリア宮殿が好きで よく視る。
  両番組を視て思うことは 何ごとも 発想と企画に力がないとダメだということだ。

  何か新しいことを始めようとするとき まず着想する力がないといけない。
  またその思いや考えを具体化するのに 企画力が必要だ。
  もし 考えた物が商品ならば それをどうやって売り出すかを考える力も要る。

  これらの総合力がないと せっかくいいアイデイアが浮かんでも 実現できない。
  昨今よく聞く 地元を活性化する ということにしても同様なことがいえる。

  私が住んでいる市にも 特産といわれる物がある。
  栗と干し柿がそれだ。

  栗は 利平栗 という 大粒の種類で 我が市が発祥の栗だ。
  また 干し柿は 伊自良大実 という種類の渋柿。やはりここだけの柿。

  市は この栗を特産品と位置づけて 毎年この栗の収穫時期には
大枚の税金を使って 有名歌手やお笑いタレントを呼び 地元放送局からは
生放送したりしている。
  栗の掴み取りなどもあって けっこう各地から人が集まって賑わう。

  しかし それだけだ。
  栗を生産する農家を増やそうとする取り組みも 栗を使って何か食品を作ろう
ともしていない。
  いつか これもテレビで視たのだが 高知県の小さな町では
昔からその町にあった 有名な山栗を 今は荒れ放題の栗畑を再生させて
それでお菓子などを作って売り出そう と 真剣に取り組んでいる。
  そして もうすでに商品化して 売り出されていた。
  それも なんとわが県から 栗の木の専門家を呼んでの取り組みだった。

  私の住んでいる市との この差はどうだ。
  片や ただただ たくさんのお金を使ってお祭り騒ぎをするだけ
片や お金を有効に使って それも多額でないお金で 地道に研究して
特産品作りをし 商品化している。

  干し柿にしてもそうだ。
  昭和の時代までは 東海地方で年末に売られ買われていた 干し柿の連柿の
ほとんどが 伊自良大実の連柿だった。
  それが 甘いお菓子があふれる時代と社会変化から 需要が減り
それに連れて 干し柿を作って出荷する農家も 今では数軒しかない始末だ。
  今では 市の広報紙にさえ かつて作られていた・・・などの文言が見られる。
  無くなればなくなったで仕方がない・・・そんな考えなのだろう。

  干し柿そのものの需要が減っても それを工夫してお菓子にするなどの
発想が どうして出てこないのだろう。
  干し柿農家を 何故 増やそうとしないのか。
  個々の農家だけでは なかなかできないことでも それを市なり農協なりが
先導して 売れる商品 を作り出せば また連柿を作ろうとする農家も
出てくるだろうに。

  しかし こうした取り組みへの努力は 収入に直結する問題だけに
難しいのかもしれない。
  やってみようじゃないか という 心意気と地道な努力 それを下支えする
経済的な問題 これらが大きい。

  何ごとも損か得か に重きを置いて物事を判断したりする気質にも左右される。
  すぐには収入にならない となると 手っ取り早くお金が稼げる品物を と なる。

  それにしても 我が市が せっかく ここにしかない という特産品を持ちながら
それが 次第に無くなっていくのは もったいないことだと思う。

  

   

  日曜日 暗くなってから 夫が釣りから帰って来た。

  いつも一緒に行く友人をお宅まで送り 息子宅へ寄って アジ四匹とへ鯛四匹を
置いて それから帰って来た という。 

  今回は途中から釣れ始めて結構な釣果になった と アジを刺身にさばきながら
満足そうに話した。

  大きなアジが九匹にヘ鯛が八匹。
  まだ釣りたかったのだが 前回 帰りに二時間も渋滞に巻き込まれたから と
未練を残しながら 帰って来たらしい。


  夫がさばきながら言うのに 一緒に行く友人は 奥さんも結構イケる口だそうで
釣りから帰ると その晩は ご飯はなしで 釣果を肴に 二人して飲むのだそうだ。

  結婚して四十五年近いが 私はまったく 夫の晩酌に付き合えない。

  実家では 亡父は お祭りやお正月など行事の時以外 飲まない人だった。
  アルコールに弱い人だったから あまりお酒も好きではなかったのだろう。
  だから母などは お酒好きな父親のいる家庭は お酒を買うのにお金を遣うから
その分子供がかわいそうなのだ 我が家はその点いい と 私や弟に よく話した。

  そんなふうに お酒を飲むのは悪いこと と刷り込まれて育ったのと
元々アルコールに弱い体質だったのとの両方で 私も弟も 全く飲めない。
  
  だから夫は 友人の話を聞いて 羨ましかったのだろう。
  自分も妻と二人で さしつさされつ 飲みながら
釣った時のことなどを話したら さぞかしお酒もうまかろう と 思ったようだった。

  そりゃあ私だって 少しは飲めたら と思う。
  夫に付き合う云々はさておいても 飲めたら楽しいだろう と思う。
  でも もし私が飲んべいだったら 我が家の家計はどうなっていたか。
  子供が三人もいたのだ。
  それこそ亡母の言葉のように そのしわ寄せは みんな子供の所へいったに
違いない。
  げんに 白川での三年は 毎月の酒代が四五万あった。
  人寄りの多い月など それが六万にもなった。
  今想っても どうしてそんなに飲み代があったのか 不思議なほど
夫は 村人や父兄と飲んだ。 

  そんな暮らしの中でやりくりしながら 家を建てるためにと 少しずつ蓄えたのだ。
  愚痴の一つも言いいたいのを グッとこらえて。
  村の人と飲むのも仕事のうちだ と自分に言い聞かせて。

  それをなんだ!!
  私が飲めないことを 不足のように思ってほしくない!!
  もし 私がイケる口なら とっくの昔にクダをまいてるよ!!
  
   

  最近 朝晩の気温がグッと下がって 寒くなった。

  ベッドには とっくに電気敷毛布が入っているが 昼間過ごす居間は
暖かさへの備えが まだだった。

  もうそろそろ カーペットやストーブやらがあったらいいなぁ と思っていたら
さすがに 夫も寒く感じてきたらしく 何日か前に 二階から降ろしてあった。
  そして土曜日に ようやくそれをテーブルの下に敷いてくれた。
  ストーブも それ用に灯油を買ってきて 点くようになった。

  備えができると もうだめだ。
  それまでは なしでもよかったのに 一度その温かさを味わってしまうと
電気を入れたり 点けたりしないではいられない。

  おまけに 私の場合 それらに加えて 電気ミノムシの皮がある。
それの中に上半身の半分まで入れて椅子に座ると そうでなくても 動く度に
痛みがあるから動かないのが 心地良過ぎて 余計に動きたくない。
  まるで 極楽だ。

  一日中 その極楽状態で せっせと本を読む・・・
  こんなことでいいのだろうか・・・こんなにも幸せでいいのだろうか・・・。

一昨日の夜 東京の娘から 明日は 孫が一番仲良くしている同級生のお宅へ
ハロウイーンパーテイーに招待されているから 家族で出かける予定だ と
メールがきた。

  去年までは 表参道をパレードする 仮装の人達に交じって 孫は 白雪姫の
恰好をして参加していた。

  今年はそうしなくて お友達のお宅で催されるパーテイーに行くらしい。
  どんな格好でお邪魔するのかな? と 夫と話したりした。

  夜遅くなって 二人の子供を寝させた頃 今日のパーテイーはどうだったのか
と 娘にメールで聞いてみた。

  その返信メールの内容に 驚いた。

  招待してくださったお宅は 世界中に何軒もの家を持ち 自宅には なんと
三人の専属シェフがいた。
  おまけに そのお宅は プライベートジェット機まで持っている のだそうだ。

  ビックリ ビックリだ。

  世の中には そんな生活をしている人もいる とは テレビや雑誌で知っていた。
  でも まさか 身近にそんな人の話を聞くとは 想ってもいなかった。

  ビックリした点のもう一つは 孫が仲良くしているお友達が そうだったことだ。
  そんな家の子と 毎日同じ教室で学び 遊びしていることに驚いたのだ。

  さすがに娘も 自分たちの子供が そんな友達に囲まれての生活環境の中で
これから十五年も過ごすことへの 戸惑いを感じているようだった。

  娘夫婦だとて 日本の一般家庭よりは 格段の差がある生活を送っている。
  それでも 彼らの生活とは比べられないほど もっと格差のある家庭との
お付き合いが始まってしまったことへの戸惑いだ。
  娘は 我が子たちが どうしたら庶民の感覚を失くさないで育つか育てられるか
それを考えねば と 思っているらしかった。

  それはそうだろう。
  いくら現在は お金の心配をしなくていい生活を送っている としても
育った源は 我が家だ。
  貧乏暇なしの 田舎教師の家で育ったのだから。
  年がら年中 お金の工面に心を砕く 私の背中を見て育ったのだから。
  婿も娘も 自分たちのルーツはよく知っている。
  今もなお 日常生活の中に階級が残っている国に育った婿にすれば
なおのこと戸惑いがあるのかもしれない。

  二人の孫が どのように育っていくか は 娘夫婦の考え方に左右される。
  孫たちが どれほど水準の高い生活環境で育とうとも 日本の一般家庭の
在り様は しっかり見て感じて育ってほしい。

  そう思った私は できるだけ私たちの所へも連れて来て
私達の生活にも 違和感なくなじむように育ててほしい と 返信した。



  
  

  昨日は ハロウイーン。

  ジジババには そんなことは 生活になんにも関係ないから
いつもと変わらない 土曜日だった。

  畑で穫れた野菜を持って 買い物に行く途中 長男宅へ寄った。
  長男宅の玄関には 小学生や中学生の子供がいるからだろう。
  今時の若い家族らしく オレンジ色のかぼちゃや 黒いとんがり帽子など が
飾ってあった。

  多分 ここら辺りの子持ちの家族は 長男宅と ほぼ同じような
ハロウイーンの迎え方 過ごし方だったのではないだろうか。
  勿論 同じ市の繁華街では たくさんの家族連れが 仮装して商店街を廻り
お菓子をもらって歩いた と 今朝の新聞には載っていた。

  ところが 所変われば で 娘が暮らす東京は スゴイ。
  去年東京にいて 夜 偶然車で通りかかって驚いたのが 仮装した若者の
数だ。 どこから湧いて出たのか と 思うほど 車が通れないほどの仮装の人だ。
  中でも 二歳だった孫が 顔を白塗りにして歩いている男性に目を点にして見入り
どうしたの?怖いねえ~お化けだねえ~ と その後何日も 思い出しては
話していた。

  今年も 東京でのハロウイーンの様子が テレビニュースで報道されていた。
  渋谷での様子が映されたが それは 去年見たのと同じような光景だった。

  西洋の本来のハロウイーンは 日本でいうならお盆のようなもので
亡くなった人に想いをはせ 悼む行事らしい。
  それを ワイワイ騒ぐことの好きな日本人は お祭りにしてしまっているようだ。

  楽しむことが悪いわけではないが それが犯罪や 犯罪までいかなくても
他人に迷惑をかけるような事態にだけは してほしくない と思う。