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今朝早く 宅配便で なにやら届けられた。
差出人の確認をすると 先日 高山でお見舞いに立ち寄った知人宅からだった。

なんだろう と 箱を開けてみると 中には 様々な種類の 高山の駄菓子の袋が
封書の手紙と一緒に 入っていた。

教師だったご夫妻は 新婚当初の何年かを 実家の二階で過ごされ
ご長男もその頃生まれて 両方のお母さんが交代で 赤ちゃんのお守りに
通っていらっしゃったことを覚えている。

当時の私は ちょうど小学校から中学校へと通っていた。
昔のことだから 変に勘ぐった考えの人もいなかったのか
ご主人のほうは 我が家の二階で暮らしながらも 隣の組の担任だったり
理科の担任だったりしたが 家では二階の住人 学校では先生 という関係が
何の差しさわりもなく 数年続いた。

その間 奥さんのほうも教師を続けていらっしゃったが 母とも気が合ったのだろう。
親戚関係で とかく嫌な思いをしてきた母だったが その数年は
同じ台所で炊事しながら 楽し気に 奥さん先生と 笑いあったり話たりしていた。

その後 高山に家を建てて転居されたが 以来 親戚付き合いのような 親密なお付き合いが
父母が亡くなるまで続いていた。

その後 十余年寝込んでいた母が亡くなり 私は 認知になった父を引き取っていたから
お付き合いも 年賀状や暑中見舞いのやり取りだけになってしまっていた。
ちようど母が倒れて間がない頃にご主人も倒れられて それ以来ずっと 入退院の繰り返しを
奥さんが 手厚い看護や介護を続け ご主人を支えて生活していらっしゃった。

そんなお二人のことが気にはなっていたものの つい近年まで 直接お見舞いに伺うこともなく
失礼していたが 自分の体調も悪いなりに諦めがついて 心も落ち着いてきたこともあり
急に お二人の様子が気になりだした。

私自身も 体調と相談しながらだから なかなか思うようには尋ねて行けないが
とりわけ 老齢の奥さんの体が心配だから これからも お二人の様子を見に
できるだけ出かけよう と思っている。

いつの時も 奥さんの手紙は 流麗で整った文字で認められている。
先日は 先客があったために 細かなことが話せなかったから
今夜 お礼の言葉とともに 近況や心情などを ゆっくり書いて
明日 ポストに投函するとしよう。





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夫の傷は 昨夜 マムシ焼酎をカット綿に含ませて 傷口に貼って寝たら
今朝は もう口がふさがって かすかに細い筋が見えるだけになっている。
やっぱり効き目はすごい!!

そんな夫は 朝早くに市場へ行き 娘や息子宅へあげるための 野菜やイチゴなどを買ってきた。
来月の一日は息子の誕生日だし 三日はひな祭りだから それぞれへのお祝いに
昨夜作ったフキノトウ味噌や菱餅と一緒に 持って行ったり送ったりするためだ。

朝採りたての野菜は どれも葉がピンと張って新鮮そのもの。
イチゴは 粒もそろって大きく つやつやと光っている。

そういえば
義父母が壮健だった頃は 十メートルものイチゴの畝が六本もあるビニールハウスが
何棟もあって 二人でイチゴを作り出荷していた。
だから 子供たちは 出荷できない大きさや形のいびつなイチゴを ふんだんに食べて育った。
彼らは そんなことを覚えているだろうか。

ともあれ 息子へは先ほど届けたが 娘宅へは 夕刻 段ボール箱に詰めて送らねばならない。
離乳食をモリモリ食べるという下の孫と イチゴが大好きな上の孫のために。
上の孫は 大好きなものを見つけて きっと大喜びするだろう。




今日の午前中 夫は 市内に住む子供たちに 昔からある遊びや糸くりなどを教えながら
一緒に遊ぶ という行事に誘われて参加した。

お昼ご飯は 行事でお餅つきが行われ それをお腹いっぱい頂いたから要らない と言って
着替えると そそくさと 畑へ出かけて行った。

畑仕事には休みがない。
一年中 なにかしら仕事がある。
だから 今日も 午後は畑へ行く と決めていたらしい。

畑へ出かけると 夫は なかなか帰って来ない。
ところが 今日の夫は 意外に早く帰って来た。

あら?早かったのねえ・・・と言いながら 家へ入って来た夫を迎えると
夫は ちょっと怪我をした・・・と 力なく言う。
え!どうしたの!?と 夫の顔を見れば こめかみに近い額の脇が・・・。

畑のフキノトウが出始めていたから 採って帰って フキノトウ味噌にしたくて
下ばかり見て採っていたら そこに張り出していた梅の枝があるのに気が付かず
その枝で 少し長く深く傷してしまった と 洗面所で傷をきれいにしながら言う。

早速 傷を消毒して薬をつけ テープで止めた。
湯上りに もう一度 薬を付けた脱脂綿を換え 夫は就寝。

薬をつける といっても 夫の薬は 必ずマムシ焼酎 と決まっている。
これ以外の外用薬は 絶対に使わない。
怪我も打ち身も すべて マムシ焼酎で治してしまう。
よく効くことは解っていても 私や子供たちは その匂いが嫌で使わない。
不思議なのだが これが 夫には抜群に効く。匂いも気にならないらしい。
多分 明日の朝 傷口は きれいにふさがっているだろう。

たいしたことにならなかったのが なによりだったが
これでまた何日かは 家の中には独特の匂いが漂って
私は その中で暮らすことになる。

ホテルのチェックアウトが十二時なので 毎朝 起き抜けに温泉につかることができる。
足や腰の痛みには 何よりありがたい。
ここの温泉の温度は いつ来ても 私にちょうどいい温度で 実に気持ちがいい。

お風呂のフロアーには 幾種類もの露天風呂もあり ツアーで来ているわけでもないから
気の済むまで ゆっくり入っていられる。

三日目の朝も 始動はゆっくりだった。
温泉につかった後 昨日買ってきたパンやサラダで朝食。
部屋の中で浴衣のまま 食べたい物を 三人でテレビを見ながら 時間をかけて食べる。
三人には こんな時間も楽しい。

チェックアウトの十二時ぎりぎりにホテルを出た。
お昼は懐かしいお店で と 昨夜から決めてあったから そのお店へ向かった。
お店の前には 入店を待つ人の列ができていた。
おそらくはガイドブックに 安価で昔から変わらない味のお店 とでも紹介されているのだろう。

順番を待って店内に入り 店内でもまた待って ようやく注文のお皿が運ばれてきた。
変わらない昔馴染みの味は 昨日食べた中華そばと同じように
私たち三人の胃袋へ すんなり収まっていく。

食べた後は 昨日スーパーで買って ホテルで美味しく食べた 高山独特の
サツマイモの天ぷらを買って帰ろう と またスーパーへ。
衣が いわゆる天ぷらの衣と違って 小麦粉だけでなく 何か混ぜてあるのだろう。
洋風の感じで カリッとしていて おかずとしてではなく おやつの感覚で食べられる。

友人も私も 天ぷらのほかに 帰宅後の夕食のおかずに と ついつい幾つもの
惣菜を買い込んで 予定のワイドビューに乗るために 高山駅へと
友人の車で送ってもらった。

いつでも 別れはつらい。
また会える と分かっていても つい先日 急死された知人を思うと これが最後かも
という想いが 頭をよぎって つらい。

列車の中では 友人も私も 座席に背中をあずけながら 言葉も少なく帰って来た。

高山在住の友人は わざわざ 私たちと一緒に ホテルで二泊してくれた。
そして 三日間 二人の足になって 車を動かしてくれた。

二日目は お昼近くにホテルを出て 家で留守番の夫の土産に お酒を買いたい私のために
酒造会社のある 古い町並みへと 出かけた。

この界隈は 高山が まだ観光都市として舵をきる前 子供の頃からなじんだ街並だ。
小学生の間の何年かは一人で 後には 一緒に来た友人と二人で この町筋にあった先生のお宅へ
ピアノを習いに 毎週日曜日 汽車に乗って通った。

その頃は 通りのほとんどは 高山独特の 弁柄格子の町家だった。
今では逆に ほとんどの家が なにかのお店になって 観光客で賑わっている。
観光客に交じって通りを歩きながら 昔の 静かな佇まいの町並みを思い出したりしていた。

お昼は どれだけ観光客が多くなっても お店を拡張もせず 味も昔のままを守っている
中華そばのお店へ入った。
いつ来ても変わらない 懐かしい昔のままの高山が そこにあって お腹も気持ちも
ほっこりと 温かくなった。

それからは 買ってまとめて家へ送る という友人のために 市内のスーパーめぐり。
土産物店より こまごまとした高山独特の食品が並んでいる。
同じ商品でも 値段もスーパーのほうが安い。

高山は山の中にあるが 食材は 海の物も新鮮なものが 品数も多く並んでいる。
富山に近いからだ。
そして お肉も野菜も 季節季節の地の物が豊富だ。
高山でしか手に入らない物も多いから 飛騨の出身者は 懐かしさもあって
買って帰る人が多い。

友人に連られて 私も いくつか買った。
友人は 近所や知人への土産やお返しにと 大きな段ボール箱いっぱいに買った。
着日を指定しての買い物だが 親切にも 買った商品を一度売り場に戻し 改めて同じ商品を
新しく詰めて発送してくれる という。
なんて親切な対応だろう と 感心した。

観光によって 街並みや市の在り様は変わっても そこには 昔と変わらない飛騨人のやさしさや
心配りが感じられるようで なんだか嬉しかった。

高山市へ出かける日は 天気も良くて 高山も 駅に着く頃から
真っ白なアルプスの連なりが 青い空にくっきりと よく見えた。

駅まで 高山在住の友人が 車で迎えに来てくれていた。
会えた嬉しさから 私は 思わずハグしていた。

まずは私の用事を済ませよう と三人の話が決まり
早速 私が育った町へと向かった。

用事の第一は 両親のお墓参り。その後 生家の隣家へお悔やみに伺う。
その後 知り合い宅へのお見舞いに。

この三つは 今回 私が高山へ来た最大の理由だから
まずは これらを先に済ませないことには落ち着かない。

花屋で お悔やみに持参するアレンジフラワーを作ってもらい
途中のスーパーで お墓に供える花や お見舞いに持って行く果物などを調達。

今冬は暖かいから お墓の周囲にも雪がなくて ありがたかった。
二人の友人も 一緒に手をあわせてくれた。
お墓の中で さぞかし父母も 喜んでくれたことだろう。

お墓参りを済ませた足で 生家の隣家へ。
奥さんである私の幼馴染は 急死されたご主人を悼んで 私の顔を見ると
泣き崩れた。

胆のうが悪く この春 仕事を退いたら手術する予定でみえたらしい。
それを 仕事先が 何か月も休めない事情を抱えていたために
知らず知らずのうちに どんどん悪化させてしまい 遂には 急性膵炎になり
とうとう あっという間に亡くなってしまった。

そう 奥さんは 切れぎれに泣きながら語られた。

本人も周囲の者も 体調不良になっていくことに 気づきながらも
まさか そんなに悪くなっているなんて 想いもしなかったらしい。
そして 病院へ駆け込んだ時には もう最期だった。

六十三才と まだまだ若くて体力もあり 無理も効く年齢だったのが
かえって 症状を急速に悪化させてしまったのだろう。

亡くなる前後の様子を聞きながら 生前の優しかったお姿が思い出されて
奥さんの気持ちを考えると いたたまれない思いがして 私も泣いた。

沈む心を引き立てて 次のお宅へのお見舞いに向かった。
こちらのお宅だって 決して愉快な気持ちでは 伺えない。

長年 入退院を繰り返しながらも 奥さんの手厚い看護で 頑張っていらっしゃる。
その知り合いが 年末から今月の上旬まで また入院してみえた。
ご夫婦共に 八十五才になられるから 老々介護だが 幸い 息子さんが同居だから
今では奥さんも かなりの部分 息子さんに頼っていらっしゃるようだった。

母や父の介護をし続けてきた私には 日々の細かい大変さがよくわかる。
病人は 病院や施設から面倒をみてもらえるが 病人を支える者は
どこからも その体調や心のケアもない。
だから よっぽど周囲に 手助けしてくれる人がいないと つぶれてしまう。

病人を見舞う と同時に 奥さんの体調も心配だったが
くたびれながらも まだまだ元気なお姿に安堵して お宅を辞した。

こうして 着いた日は過ぎて行った。

安いツアーを見つけて 明日から二泊で 高山へ行ってくる。

実家の近所のお宅へ伺い できれば お焼香をさせてもらうため。
それと 両親のお墓参り 知り合いのお見舞い。
それらが どうしても の用事。
あとは 毎年この時期にする 友人二人との顔見世だ。

ここ数年は 高山の友人と滋賀の友人が 私の住んでいるところまで来てくれた。
しかし 今冬がとても暖かく 高山も いつになく雪が少ない とあって
私と滋賀の友人が 高山へ行くことにした。

会って話すだけなら 一泊でもいいが 高山へ行く となると 実家もあり
親戚や知人ばかりの私は 黙って行き来するわけにもいかない用事が できてくる。
それで 二泊することになった。

でも 個人で行くにしては このツアーは 格安だ。
高山までの往復を 座席指定の特急を使いホテルで二泊もするのに
なんと 一万四千円だ。
我ながら いいツアーを見つけたものだ。
これなら 気楽に行ってこられる。

機嫌よく行かせてくれる 夫に 感謝 感謝!



今日は 私の誕生日。
友人からお祝いメールや電話をもらい 子供からカードも届いた。

この歳になって 誕生日もないものだ とも思うが
素直に言えば みんなから祝ってもらえるのは やっぱり嬉しい。

子供たちが高校や大学の頃 髪振り乱して 仕送りに邁進していた年代には
自分の誕生日が めでたい と思う暇もなかった。
だから 子供たちの誕生日や夫の誕生日には 必ず なにがしかのお祝いをしたが
自分の誕生日がきても 家族が気づかない限り 何もしなかった。

むしろ うんと 子供たちが幼かった頃のほうが 子供たちが 手作りのプレゼントを
贈ってくれたりして 楽しい思い出がある。

ところが 近年になって 自分が無事に一年を過ごし また新しい誕生日を迎えるられると
それだけで そのことが嬉しく 喜べるようになってきた。
歳をとる とは こういうことなのだろう。

今日ばかりは 外食嫌いの夫も 外での食事に連れて行ってくれた。
去年はうなぎだったが 今年は 洋食。
それも高級店でなく パン食べ放題の大衆レストランだったのは いかにも夫らしい。
しかも 私よりたくさん食べていた。

それでも お互いの誕生日を こうして夫婦そろって祝えるのは ありがたいことだ。

夫は 今年 古希を迎える。
誕生日までに お祝いをどうするか 考えなければ・・・
食事しながら 私はもう 夫の誕生日のことを思っていた。

今日 夫が勤務する幼稚園の 一年で一番大きな行事である 音楽発表会があった。

この日は 毎年 理事長が 私に会って話をするのを 楽しみに待っていてくださる。
楽屋から ステージでの園児たちの発表を見たり聞いたりしながら
二人で 高山の話をしたり お昼のお弁当をいただいたりする。

ご高齢の理事長だが まだまだかくしゃくとしていらして 凛とした生き方が そのまま
お顔に現れている方だ。

母の幼馴染 ということもあってか なんだか親戚の伯母さんにも似た
飛騨人独特の 優しみを感じる。

ステージでは 園児たちが この日に向けて練習してきた演技を
精一杯に演じる。

私の後ろに座っている観客からは 小さいのに よくあれだけのことを覚えられるなあ
と 感心した声が聞こえてきた。
それぐらい 園児たちは 邪気がなく 懸命に練習し それを懸命に演じる。

そんな孫の姿が ジジババの癒しにもなるのだろうか。
北海道からも 飛行機でやってくるジジババさえ いらっしゃるそうだ。

今日も 観客席は ほぼ満席だった。
今夜 園児たちは それぞれの家庭で さぞかしジジババに
褒められ 甘やかされていることだろう。

ホントホント みんなよく頑張っていたね!
じょうずだったよ!

私は なんでも 一度気にいると なかなか気が変わらない。
美容院もそうだ。
同じ美容師にお世話になって もう 三十年以上になる。


彼女もご主人も おおかたの従業員も 飛騨出身 ということもあって
共通の話題もたくさんある。

今日 その美容院へ行って来た。
今日 彼女と話題にしたのは 漁や猟のこと マタギのことだった。

我が家は 義弟が猟をするようになって 猪や鹿のお肉が手に入るようになった。


私の父は まったくその方面には興味がない人だったが
二人の叔父や夫が 釣りをしたり網をしたりしてきたし 叔父の一人は 中学生のころには
もう 一人前に うさぎや小動物にわなをかけて捕獲したりしていた。
だから 小学生のころ 祖母の家へ行くと 捕獲した動物が 軒下につるされていたりした。
もちろん うさぎのすき焼きなども 食したことがある。

夏場は もっぱら 川で魚とりをしていたし 秋の枯れ葉が落ちる時節には
そのころは まだ許されていた イワナもとってきた。
囲炉裏端に いつも 串にさしたイワナが 遠火にあぶってあった。
その叔父二人は 私を可愛がってくれるし 私も大好きだ。

そんな環境で育った私と 美容師の彼女は とても話が合う。

彼女のお父さんは 体を悪くされる ごくごく最近まで 猟師会の会長をされた
飛騨の山々のことなら 隅から隅まで知っている マタギだった。
遭難者の捜索は お父さんなしではできない と言われたほどだ。

だから 彼女は 周りにはいつも生きた猪やら鹿やら熊がいたり
その毛皮や 製品にする課程の熊の胆がぶら下がっていたりする環境の中で育った。

もちろん 渓流からのめぐみや きのこや山菜も 何がどこへ行けば どのくらいあるのか
知り尽くしてみえるお父さんの生き方を見ながら 生きてきた。

でも彼女は 仕事がらもあって めったに お父さんが生きてこられた仕事について話さない。
人によっては 生き物を捕ることに抵抗のある人もあるし ましてや生々しい話など
お客さんの前では 話題にできないからだ。

でも私は 彼女ほどではなくても 彼女が 熊の胆の小片を水に溶かす時の様子などを
語っても 経験もあるから解るし 猟の話や 山歩きや山のめぐみ全般の話も
よくわかる。

だから 彼女は 気楽に そんなことに関しても 私を相手に話す。
特に 彼女も 年齢を重ねて 父母への思いが深まってきたのだろう。
最近は 以前にも増して お父さんのことを話すようになった。

話には 若かった時には なかなか想い至らなかった 父親への思いがあふれている。
体を悪くされてから あれほど好きだった山へ入れなくなって さぞかし悔しくさみしいことか
と お父さんの心境を思いやる彼女の心が 言外に伝わってくる。

お父さんの話は 聞いていても 一遍のドラマか小説にでもなりそうで 興味深い。
実際 あるテレビ局が 何年もにわたってお父さんを追って
ドキュメンタリーを製作したらしいが 途中で製作者自身が 心臓が悪いことを 誰にも告げずに
お父さんについて山へ入っていて急死されたために お蔵入りになってしまっている という。

私が 叔父たちのことなど想いもせず 夫と一緒になったように 彼女もまた
夫になる人が 父親と気が合って 父親と一緒に猟や漁について行くなど
想いもしなかった という。

縁て おもしろいよね 自分では気づかないところで 伴侶を選んでいたなんて・・・。

今日の美容院は そんな言葉で終わった。

書道教室での 去年の十二月の課題は 条幅紙での書初めだった。
十二月までは 漢字と調和体を練習していたから 出品もその二点だった。

そのうち 漢字が 私たちが所属してしている会の方で 小さな賞をいただいた。
調和体は 遅くから始めたから まだまだだが 漢字のほうは
十二月で いったん止める と 決めていたから 最後の作品だった。
それが 受賞したとあって ちょっと嬉しかったし いい区切りになった。

清書した作品は 毎月数枚 提出する。
十二月は 二番目にいいものを 毎年 隣市の神社で開催される書初め展に
出品する。

今日 教室へ行くと 先生が
神社から 漢字の方の 入賞のはがきが来てますよ と おっしゃった。

はがきをみると 一番小さな賞をいただいていた。
神社の書展は 隣市のみでなく 周辺の様々な団体や 個人からも出品のある
とても大きな書展だから その中での受賞は たとえ 小さな賞であっても
私にとっては 価値のある賞だ。

特に 漢字はこれで一区切り と決めたうえでの受賞だったから
余計に 嬉しい。

ささやかではあっても 会と神社の両方で受賞したことは
今まで続けてきたことに対しての 自分への いいご褒美になった。

先月から再開した仮名も なかなか上達しない調和体も
これまで通り 自分のペースで ゆっくりゆっくり やっていこう。

夫が前の職場にいる時 その職場の生協に加入していて
送られてくるカタログで 買い物をしたりしていた。
市民生協にも 家庭では加入していたから
同じカタログが 両方からくることも 度々だった。
カタログに載っている商品の写真が同じでも 価格が異なる物もあったから
そんな時には 安い方で購入した。

同じ生協でも 流通経路によって 価格が違うらしいが それにしても
同じ商品なのに どうしてこんなに値段が違うのか 消費者としては
なんだか そのまま納得できない。

夫が退職後も そちらの生協も ずっと会員になっているのだが
そちらでは 時々 市販もされている医薬品のカタログ販売がある。
その価格が えッと驚くほど安い。

会員としては とてもありがたいから
販売価格が 市販の三分の一ほどの 我が家でよく消費する医薬品などは
いくつかまとめ買いしたりする。

でも やっぱり どうしてこんなに安いの??と 疑問に思う。
昔から 薬 九層倍 という言葉があるが やっぱり薬品の原価は低いのだろうか。

さっき 今回購入した医薬品が 宅配で届いた。
こんなに安く手に入ると 同じ商品は もう薬局では買えない。


今日 大学病院の受診が 担当医師の都合で 午後からになった。
病院へ向かうバスの中で 長男のお嫁さんから 携帯にメールが入った。

小学生の孫が インフルエンザにかかった というメールだった。
たんに孫が罹患しただけなら メールなどないのだが
一昨日 バレンタインのチョコを持って長男宅へ行き 珍しく上がり込んだ。
気をきかせた息子夫婦が 二階で昼寝していた孫を起こして 下へ連れてきた。
そして お茶とお菓子を出してくれ みんなでいただいて 帰って来た経緯があった。


そんなに長い時間 一緒に過ごしたわけではないが
今日 インフルエンザと診断された ということは 日曜日には
孫の体内には ウイルスがいた ということだから
もしかして 夫や私に移していたら大変だから という心配からの報告だった。

夫も私も 毎年二回 予防接種を受けている。
私に移すと大変だから と 医師の奨めで 夫も一回でもいいところを
二回の接種だ。

だから 多分大丈夫だろう と お嫁さんには 返信しておいた。
でも 実際 どうなるかは わからない。

それより 高校受験を目前にした 上の孫にとっては 大変な事態だ。
彼女自身は 予防接種を受けているが 今後 家族が次々にインフルエンザに
かかったら どうするのだろう。

夫に 上の孫だけ うちで預かろうか と言うと
例え 預かっても 風邪の菌を学校からもらってきて 寝込むことだって
あるんだから 息子の家にいたって うちへ来って同じことだ
それに いくら勝手がわかっている祖父母の家でも 家にいるようなわけには
いかないだろう それより いつもと同じ生活をさせたほうがいい と言う。

それもそうだ と思いながらも 気にかかる。
下の孫だけで済めばいいが・・・。

毎年 年末になると必ず 我が家には きれいに咲いたシクラメンの鉢がある。
ある教え子が持って 訪ねてくれる。

シクラメンは 花の咲く時期がとても長くて 春になっても まだ楽しめる。

ところが 去年の年末に持って来てくれたシクラメンを どうやら お正月の間に
ダメにしてしまったらしい。

暮れから十日まで 娘が家族で来ていた。
いつもと違った気ぜわしさに紛れて 鉢の管理を怠ってしまった。

管理といっても ただ水を切らしさえしなければよかったものを
何日も水切れしたまま 放置してしまった結果
気づいた時には もう 可愛そうな有様になっていた。

慌てて手当したが 今だに回復しないから おそらく このままだろう。
せっかく持って来てくれたものを かわいそうなことをした。

毎年 シクラメンを持って 玄関先に立っている彼女に 申し訳ない事をした。
たくさんではないだろう給料の中から 花屋へ足を運び
どの花にしようか たくさんの鉢から 今年はこれ と 選んで 買ってくれた鉢を
ついつい うっかりしたがために・・・。

今はもう 数本の花茎しか出ていないシクラメンだが
来年まで持ち込めば また株は元気になるだろうか・・・。


昨夜 八時を過ぎた頃だったか 友人から携帯に電話があった。

聞けば 差し歯だった前歯が 硬いものを噛んだ拍子に折れてしまった と 言う。
彼女は 以前にも前歯を折って 前歯三本をブリッジで止めているから
そのうちの一本が欠けても 口の中には 前歯が三本ともがない状態になってしまう。

彼女の顔を ひょっとしたら 彼女以上に知っている私だから
それを聞いて 携帯を耳に当てながら 大笑いしてしまった。
前歯三本が無くなった彼女の顔を想像すると なんとも コメディアンのようで
可笑しくて可笑しくて 笑いが止まらなかった。

これが 相手が 普通のお付き合いの方なら
こんなに大笑いするなど 失礼の極みで できることではないが
幼馴染ゆえの気楽さと 二心がない相手だからこそ
遠慮もなにもあったものではないから ついつい 彼女の気持ちも考えず
大笑いしてしまったのだった。

そんな私の様子に腹を立てるでもなく 彼女も一緒に笑った。

でも 真面目に考えてみると
前歯が三本もないと ものを食べるのに とても不自由だろう。
それに 元のようなブリッジを作ってもらって完成するまでには
かなりの日数がかかるだろうから それまでは 口元を隠すために
外出の際には ずっとマスクをしなければならない。

おまけに 彼女によると 折れた前歯は 一本六万円もした。
三本の差し歯を作るのに 十八万円もかかったのだそうだ。
そんなにかけたお金が いっぺんになくなってしまうなんて・・・。

そう思うと とても他人事ではない 私も 気を付けなければ。
今のところ 噛み合わせの悪さの治療だけで済んではいるが 私だって 同じ歳だ。
硬いものを噛んだ拍子に いつ ポロッと折れるか わからない。

電話を切った後に あんなに大笑いして 彼女に悪いことをした と 反省しながら
絶対に 硬いものを噛まないようにしなきゃ と 思った。

毎年放送されるテレビ番組の 仮装大賞 を 夫は楽しみにしている。
今年もまた 今夜 放映された。

素人が 中には たまに玄人の芸人が それぞれが考え出したアイデアを 創意工夫して
出し物にして 演技する。
その出し物をいいと思った審査員が 点数になるポイントを入れて 優劣が決まる。

かわいいもの 幻想的なもの 意外なもの 小道具に凝ったもの と
様々だが どれもどこかに あるいは全部に 笑いがある。

どの出し物も 入賞する人も落選する人も よくこんなことを考えたな と 見ている者を
感心させ その一生懸命さが 笑いを誘うから それがこの番組の面白さだろう。

今夜も 夫と二人で 大笑いしながら視た。
二人とも年を取って シリアスなものや考えさせられる番組より
こんな アハハと笑い飛ばせる番組のほうが 癒される。

生きてきた年月の数だけ 苦しかったことや辛かったこと 悲しかったことを経験してきた身には
教訓的な番組は もういい。

明るく笑って暮らせたら それが 一番の幸せだ。
これからも 二人で笑って暮らしていきたい。
ばか笑いする番組や歌番組を視ながら 平安に。

また今年も 確定申告の時期がきた。
我が家で申告に関係するのは 毎年 医療費だ。

夫は夫で 私は私で 一年間に どの病院へ何回通院したかを調べる。

一昨年の十一月から去年の夏まで 娘の出産で 留守にしていた期間が長かったから
私がリハビリに行った回数は かなり少ないだろう と想って 回数を数えてみたら
なんと 百九回もになった。

一昨年の回数は覚えていないが 平均で毎月十二回行くとすると百四十回以上になる。
大学病院が毎月二回で年間十二回 内科医院へ月一回で十二回 の割合になる。
合計すると 平均で年に百七十回前後になる。

多分 これ以上にはなっても これ以下になることはないだろう。
すごい回数だ。

一年の半分を 病院通いで過ごす私って いったいなんなんだろう と思う。
他人様が 今日はどこそこでランチ 今日はどこそこでモーニング
今日はこの習い事 明日はあの習い事・・・と 毎日を生き生きと過ごしているのに
私はといえば ひたすら病院通いなのだ。
これでも 車の運転さえできれば また違った毎日になるのだろうが
それさえ禁止されているのだから どうしようもない。

こんなことを思っていても鬱になるだけだから と 普段は 考えないようにしている。
それでも 今日のように 回数を目の当たりにすると
その回数の多さに 我ながらビックリだ。

でも でも だ。
通わなきゃならない体なんだから 仕方がない。

今年もまた 回数の多さにめげないで せっせと病院通いするぞ!!

天気の影響か 今日は眠くてたまらない。
じっとしていると すぐ うつらうつらしている。
リハビリ中でも 知らない間に・・・。

胃もなんだか重いし 今夜は もう 寝る。

昨夜 それまで繋がっていたインターネットが 突然繋がらなくなってしまった。
このパソコンだけなら 故障かも と 想うが 夫がそれまで使って 書類作りをしていた
デスクのパソコンも 同時に ネットが使えなくなってしまったから さあ 大変!!

こんな時は コンセントを一度抜いて しばらくしてから また差し込む・・・とやってみたが
繋がらない。
おかしいなあ・・・もう一度・・・やってみてもダメ。
いったいどうしたのか・・・気にかけながら入浴し 出てからもう一度やってみてもダメ。
仕方なく 昨夜はそのまま寝た。

今朝になって どうか回復していますように と願いながら パソコンのスイッチを入れた。
ネットが繋がるか・・・・・・やっぱりダメ。
念のために コンセントを抜いて再起動を試みるも ネット画面が出てこない・・・ダメだ。

サポートセンターへ電話してきいてみるより方法がない。

そのあと 電話しても出ないセンターへ何度も電話して ようやくセンターの係と
話せた。
こちらの状態を話すと 窓口の女性は 親切に 電話口であれやこれや指図してくれた。
こうやってもダメ・・・じゃあ次に別の方法で と 長い時間 繋がる状態にならないかと
電話の向こうから指導し 私に パソコンを操作させたが それでも繋がらなかった。
当然 再起動も何回か試みている。
でも 繋がらなかった。

そのうち 私も疲れてきたし夫も帰宅して いつものリハビリへ行く時間になった。
窓口の女性も もうこれ以上どうしたらいいか 困惑しだしたのが伝わってきた。
それで 料金が発生してもいいから 自宅まで来て見てくれないか と言い
病院から帰って来る頃に別のサポートセンターから電話くれる という約束をして
リハビリへ出かけて行った。

帰宅してしばらくすると 今度は男性が 聞くところによると ネットが繋がらないとのことだが
こちらには 回線を再起動した履歴が全くない と 電話が入った。
そんなバカなことはない。
昨夜も今日も コンセントを抜く さす を 何回繰り返したかわからない。
でも その男性は こちらに履歴がない以上 再起動されていないのだから もう一度
今度は 本体に差し込んであるモノを抜いて しばらく待ってから差し込んでみて と言う。
半信半疑で 言われたとおりやってみた。

すると どうだろう!!
ネットが繋がったではないか!!
電話で話しながら作業していた私も そばで一部始終を聞いたり見たりしていた夫も
ビックリしてしまい どうですか という 電話の向こうからの声に
繋がりました…画面が出てきました・・・と 小さな声で返答した。

でも でも どうして??
昨日から何度も 今日は サポートセンターの導きで 何回も 再起動したよ??

どうしてだかわからないが 今日あれほど丁寧に指導してくれて その間に何度も
試みた再起動なのに この人が所属しているサポートセンターの追跡履歴には
なにも痕跡がなかった・・・という結果になっていた。
一日かかったのに 最初にやった コンセントのさしなおし で あっけなく 万事解決!!

きつねに化かされたような変な気持ちで 電話口の男性に
どうして? の疑問を そのままぶつけるも 男性も どうしてでしょうねえ・・・というばかり。

あァあ~・・・つかれたァ~~
たったこれだけのことに 昨夜から今日一日振り回された。

電話口の男性に
じゃあ これから 再起動しなくちゃならない時は 今のように この差し込み口を
抜き差しすればいいんですね? と問うと その人は
これは どうしても繋がらない時の応急の処置です と 言う。 なんだか曖昧だが こちらも疲れていたから 納得しないまま お礼を言って
電話を切った。

後から だんだん 何に対してかわからない腹立ちがきた。

最初にやった事で直っていたことを思うと
半日 誠実に付き合ってくれたセンターの女性に気の毒したなあ と言う思いと
あの人にも こんな簡単なことが分からなかったのか 再起動できた確認を
したんだろうか・・・という不信感とが ないまざって
今も すっきりしないでいる。

時代 という壁は なかなか越えられない・・・

これは ある有名歌手が 歌番組の中で 語った言葉だ。

たしかに そうだ と 思う。
一つの大きな流れが生まれて育ち それが うねりのようになっていく時には
流れ自体に留まることを知らない勢いがある。 そうなると 流れの中に飲み込まれてしまうよりない。

逆らおうとすれば 流れよりもっと大きなエネルギーが要る。
それも 持続するエネルギーが要る。
流れとそぐわない事をしようとするのだから 周囲とも不協和音が生じて
ときには 自分自身さえむしばむことになりかねない。
でなかったら 時代の流れにそぐわないものは 置き去りにされる。

だから その不遇を じっと我慢しさえすれば いつか きっとまた 違う流れが生まれてくる・・・
そう想って 我慢し しのぐしかない。

そうしていれば きっと自分にあった流れがくる・・・。
時代とは そうしたものだ・・・。

なるほどなあ~ と思う。

単純な言葉だが
今夜 この歳になった今 初めて 時代を生きる ことの意味や難しさを 実感できたように思った。

人生は なかなかに難しい
それは 当然のことなのだが 当然ではないことを理解するのは もっと難しい。

前回も感じたが 私の歪んだ噛み合わせの治療は 限界らしい。

今日も 診療予約時間に歯科医院へ行き 治療椅子に座った。
マウスピースの具合を診てもらう。


マウスピースをつけたまま 上下の歯をカチカチ合わせてみる。
すると 先生が
これ以上は 手術しないと 良くならないかもしれないねえ・・・。
と おっしゃる。

いやだ いやだ。
手術なんかしたくない。

私のそんな様子をみてか 先生が また
まあ 手術したくないなら このまま しっかり毎晩 マウスピースをつけて
休むよりないですからね またしばらく 様子をみましょう。

そうですね・・・しかたないですね・・・ 心の中で私。

次回は二十四日に来てください 様子をみたいから。

そうか・・・これでいい とはならないんだァ・・・
今度みて 少しでも良くなっていなかったら 今度こそ 手術を って
言われるかもしれない・・・。

今夜から しっかり真面目に着けて寝なくちゃ・・・。
やっぱり 手術なんて したくなァいィ~!

なかなか上達しない私の習字 でも 止めなければ 少し少し と 前へいく。
その途中に 時々 何か小さな やったァ~ が あれば
それがまた少し 止めない理由になって 気持ちを引き立ててくれる。

今日も そんなことがあった。

月々で 課題があり それを手本にして一月練習し 月末に清書して 提出する。
それを 大先生方が審査され 進級するかどうかが決まる。

でも 十二月だけは 書初めで 進級には関係ない。
進級審査はなくても 一年の締くくり また次年度への繋ぎとしては 大切だ。
そして 進級はなくても 出来栄えについては 幾つかの賞が 設けられていて
受賞者は 賞状がいただける。
受賞者の数は多いが 所属している者の数も膨大だから 認められた証しにはなる。

今日 新しい今月のお手本と一緒に その賞状をいただいた。

自分では 清書の仕上がりは イマイチだった。
でも 一応清書だから と 提出した。
受賞なんて 頭から 考えてもいなかった。
それが 賞状をいただけたのだから 我ながら 少し嬉しかった。
ちょっとだけ やったネ の気分。

一月から あらためて仮名の練習を始めた。
賞状は 漢字に対してのものだが 仮名も 亀の歩みのように
根気と気長と 休まないで練習に行く を続けていけば いつかは
賞状が いただけるかもしれない。

飽き性の私が 唯一 続けている書道だから
これだけは 動けなくなるまでは続けよう と 今日また 強く思った。

今日は 日本中が節分の行事。
神社では 豆まき。
たくさんの家庭で 恵方巻きを恵方に向かって食べ 豆まきをし 歳の数だけ豆を食べる。
昔ながらのイワシが食卓に載る家もあるだろう。

このほかに 幼稚園や保育園でも 子供たちが豆まきをする。

この日 我が夫は 毎年 鬼だ。
だから 幼稚園の年中年長の子供たちは 夫が鬼役だ と知っている。
それでもやっぱり 鬼が来る となると 興奮するらしい。

何日も前から 園児たちは 怖いもの見たさの期待感で 今日を待つ。
年少さんたちは 年上の園児や 卒園した兄弟から この日の様子を聞いて待つ。
楽しみ半分怖さ半分で 園内は 日を追うごとに いつもと違う 雰囲気に包まれていく。

さあ いざ 鬼さんが来るよ と いう今日。

鬼はまだ顔も姿も見せないのに 小さな怖がりさんたちは 誰か一人が泣きだすと もうダメだ。
そんな子たちは 集められ一室に閉じこもり 豆まきが終わって 鬼が退散するのを待っている。
その間 豆まきが終わるのを じっと身を寄せ合って待っている子供たちの心境は どうだろう。
部屋の外から 鬼の声や 鬼を追い回して豆をぶつける園児たちの 大声や走り回る音が
聞こえてくる中 早く鬼さんが園からいなくなるように 真剣に祈っているのかもしれない。

一方 園内では 鬼を追いかけ 豆をぶつけようとする 元気な園児たちが待ち構えている。
彼らは 誰が鬼になっているのか 十分に承知しているから 余計に張り切り走り回る。
でも中には 泣かないまでも 鬼が いつもの先生 と分かってはいても やっぱり鬼が怖い子も
たくさんいる。
そういう子は 元気な子の後からついてまわり ちょっとだけ 鬼に向かって 豆を投げる。
そして すぐに遠くへ逃げる。

他方 鬼役の夫は 幼い怖がりさんたちのためには ちょっとだけ 先生だよ と 分かるように
お面を ずらしてかぶり 真っ赤な鬼の衣装を着て 各クラスへ向かう。
そして 年長年中の元気な男の子たち 中には 男の子顔負けの女の子たちに 追いかけられ
豆をぶつけられながらも 怖がるように ガオォ~ と 時々おどかしながら
園の屋内外を 走り回る。
子供たちは 口々に 鬼は外 福は内 と言いながら 追いかけ 豆をまく。

そうして 子供たちがそれぞれ持っている豆がなくなる頃 ようやく 鬼さんが降参して
豆まきの行事は おしまいになる。

園からの帰りしな 年少さんの一人が そっと耳元で 夫に言ったそうな。
もう 鬼さんに ならないでね・・・

この日の夫は いつにも増して くたびれて帰ってくる。

さてさて 我が家の節分行事は これからだ。
うまく業界の宣伝手口に巻かれている とは思っても やっぱり我が家も 恵方巻き。

我が家の鬼さんも ゆっくり 恵方巻きや豆を食べてくださいな。

いつもの大学病院の受診だったのに 今日は疲れた。

診察 点滴 痛み止めのトリガー を終えて 順番を待って会計が済めば それでおしまいだが
たいてい 毎回 その後 院内にある郵便局に寄って 用事を済ます。

今日は その郵便局で済ます用事が いくつもあった。
おまけに いつになく郵便局の利用客が多くて 待ち時間が長かった。

郵便局を出て 院内のコンビニでおにぎりを買い ホールのテーブルで食べた。
ホールは吹き抜けで明るく テーブルや椅子の数も多いから ゆっくりできる。

そのはずなのに 今日は疲れた。
多分 前回した血液検査の結果が 思いのほか悪かったせいかもしれない。
そのせいで 薬の処方も変わった。

来月の検査までに 数値が改善していればいいが・・・。
それより 今日の疲れが 明日に持ち越さないよう もう寝よう。

空はどんより
休日明けなのに いつもならやかましく聞こえてくる 高速道路工事の重機の音も
なぜか 今日は聞こえてこない。

こんな日は なんだか落ち着く。

それで 手紙を書いたり 引き出しの整理をしたりして過ごした。

若い頃から 記念切手を そんなに熱心にではないが ずっと集めてきた。
ぼつぼつではあっても 長年の間に かなりの枚数になっている。
最近 もうそろそろ そんな趣味も整理しなくては と 思っている。
先日会った友人も 処分した と言っていた。

近々 切手の整理もしなくては・・・。