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環境の変化 特に 面倒をみてくれる者が変わることに 赤ん坊はとても弱い。

今回 上の孫の入院で 下の孫は 生まれてこの方 離れたことのない母親から離れて
私が日常の世話をするようになった。
すると 心の安定を失ったかのように あれほど いつもニコニコ顔の絶えなかった孫が
よく泣くようになってしまった。

おなかがふくれてオムツも汚れていないのに ぐずるし なかなか一人遊びをしない。
昼間私の姿が見えないと すぐに泣くし 娘夫婦が帰ってきてからも 彼らの姿が見えないと
泣きだすようになってしまった。
一番困るのは 眠くなっているのに泣いて寝つかないし ようやく寝ても 睡眠時間も短くて
割と早くに泣いて起きてしまう。

これほど 赤ちゃんの心は乱れやすくて繊細だ。
搗き立てのお餅のように どんな形にでもなってしまう。

生まれた時から周囲が騒がしかったり 家族や兄弟が多くて育つ子は 神経や心も
それに馴れて育つから おそらくこんなことにはならないだろう と思う。
一人っ子や兄弟の少ない環境で育つ子ほど 神経が細い。

もちろん小さいから 環境が変化しても なじむのは早い。
赤ちゃんの時に養子に出されたりすれば いっときは 今の孫のように泣くだろうが
一週間もすれば 生みの親など忘れてしまうに違いない。

幼いから楽な反面 幼いからこそ 環境の変化を心身で丸ごと受けてしまうのが
赤ちゃんだ と 昨日今日 泣く孫をあやしながら つくづく感じている。







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昨夜 病院で一人で寝た孫に 娘は 朝起きた時には ベッドのそばにいるからね と
約束して帰宅していた。

それで 気にもかかるし約束したし で 娘は 今朝四時半頃から起き 家に置いて行く下の子の
離乳食を準備したりして 五時半には 家を出て行った。

下の孫が 起きだした気配に ベッドまで迎えに行くと 孫は キョトンとした顔をしている。
昨日も お昼寝の後には 私の顔を忘れていたから 今朝もきっとそうなのだろう と思った。

とにかく オムツを換え 離乳食を食べさせにかかった。

昨日は なにもかもがうまく運び お昼寝も離乳食も問題なくて 娘が帰宅するまで
終始 ご機嫌で過ごした。

ところが 今朝は そうはいかない。
寝て起きてリセットされた孫の頭の中には 私の存在が消えている。
家の中を見回して 不安げに 母親を探している様子だった。
それでも おなかはすいているらしく おとなしく食事椅子に座って 離乳食を食べ始めた。
食べながらも 私の顔を まばたきもしないで じっと見つめていた。
そして 思い出したように 台所や居間のドアの方を見て 親の姿を探している。

いつもなら完食するのに 今朝は あまり食べない。
そしてちょっとぐずり始めた。
やっぱり 親も姉の姿もなく 声さえ聞こえてこないから 幼いながらも家人を探すようだ。

ぐずっていたのが だんだん激しくなって しまいには 一人でお座りもしなくなってしまった。
抱っこから下ろそうとすると ひどく泣いてしまう。
そのうちに とうとう泣き止まなくなってしまった。

そうなると もうどうしようもない。
娘にメールして 帰ってきてもらった。
おっぱいをあげて寝させたら また病院へ行こう と 娘は考えていたらしいが
どっこい 孫は寝てくれない。
仕方なく 車にベビーカーを積み込んで 孫も私も 一緒に病院へ行かざるをえなくなった。

病棟へは赤ちゃんは入れないから 中庭やロビー 入院階のラウンジで時間を過ごした。
家にいて泣かれるよりは ベビーカーに乗せて動いているほうが ずっと楽だ。

ぐずりだしたり おなかがすいた様子になると 娘と交代して 私が病室へ。
そんなことを繰り返して 今日は一日の大半 病院で暮れた。

なんにも話さず 理解もできない赤ん坊でも 感覚は鋭い。
自分の身を守る本能の働きに 振り回された一日になった。

昨日 ちょうどお昼時に品川に着くと 娘が 上の孫と一緒に 改札口まで迎えに来ていた。
孫は 遠くに私の姿を見つけると 大きな声で ばァばァ~ と呼んで手を振った。

幼子の成長は 実に早い。
前回会った時よりも また背が伸びていた。顔つきも少し変わってきている。
幼女から少女へと 急速に成長していくのがわかる。
嬉しいような もっとゆっくり大きくなっていってくれたほうがいいような・・・。

娘も元気そうだ。
子供も二人になり 年相応の落ち着いた様子がうかがえる。

迎えに乗って来た車で 高速を使い 自宅マンションへ。
着いてしばらくすると 下の孫が お昼寝から目覚めた。
私と顔を合わせると 不思議なものを見るように 泣きもせず笑いもせず じっと見つめて
目を離さない。
ちょうど人見知りする月齢だから 泣かれないだけましだろう。

見慣れない人だけど 家族の雰囲気からすると 警戒しなくてもいいらしい・・・
彼女が本能で そう納得するまでに あまり時間はかからなかった。
あ~あ~う~う~と よくおしゃべりする子だ。
大きなまるい目をして 私と目があうと 手足をバタバタさせ ニッと笑うようになった。
そうすると 小っちゃくて真っ白な歯が二本 可愛い口元からのぞく。
離乳食もモリモリ食べて 元気いっぱいの赤ちゃんだ。

昨日は 仏教国の日本人には馴染みがないが キリスト教やユダヤ教では大切な
イースターだった。

娘の家についてしばらくして 孫が 私に どうぞ と差し出した卵の形のチョコレートで
それと知った。
婿は 敬虔なクリスチャンではないが この家では 日本とイギリスが混じり合っているから
お雛様も飾るし こうしてイースターも祝う。

いつも日曜には 何かしらのお肉を 婿が自らローストする。
イースターは 必ずラム肉を食べるのが習わしだから と 夕食はラム肉とボイルした野菜。
それに 特別な日だからと とっておきのワインを開けた。
飲めない私も 少しだけお相伴。
こうして 娘の結婚以来 婿がストックしている美味しいワインを飲むようになって
日本酒だけでなく ワインの良しあしも ちょっとだけわかるようになった。

一昨年から去年にかけて生活を共にしたこともあって お客様ではない雰囲気がいい。
娘夫婦も 二人目の子が生まれてから 子育てに余裕が見受けられる。
それが 二人の心にゆとりをもたらしているのを感じる。

さて 今日は午後から 上の孫は娘夫婦と一緒に病院へ行く。
下の孫は 病室へは入れないから 授乳を済ませて 家で私と留守番だ。

病院では 個室の空きがなくて 入院するのは四人部屋らしい。
そして 夜間は 付き添いはなし だ。
さてさて どんな展開になることやら・・・
面会時間が過ぎて 二親が帰る時 孫は泣くだろうなァ・・・。

午前中 家で 叔母のための総菜やご飯を作っていると 叔母から夫に電話があった。
看護師さんに 今日は帰られても大丈夫ですよ と言われたし フラフラするような気がするから
家へ帰って来た 今夜は 家で休む という内容の電話だった。

それじゃあ 病院へ寄った後 家のほうへ ご飯とおかずを持って行く と返事した。

どうやら 叔母が付き添っていなくてもいいようになったらしい。
あるいは 叔父の容体も多少よくなってきたが その分 叔母の疲れが観てとれるから
看護師が ゆっくり休んだほうがいい と思って アドバイスしたか・・・そのどちらかだろう。

病室へ行ってみると 叔父は 昨日より 目に力があるようだ。
二日ほどステロイド剤を注射するようになってから ずいぶんよくなってきた。

それでも まだ声は出ないし絶食も続いているし ベッドの上からの移動はできない。
しかし これ以上の終日の付き添いは 叔母には無理だろう。
このへんが潮時だろう と想う。

叔父も 病室に一人で居ることに馴れたほうがいい。
叔母がいるとすぐ頼るし ちょっとしたことでも させようとする。

それに 完全看護がたてまえの病院だから 医師が告げたわけではないが
危機を脱すれば 付き添いも邪魔になるだけだろう。

明日から東京へ行く私にとって 少し叔父の容体がよくなったことは嬉しい。
安心して行って来られる。

帰って来た時には 今日よりもっとよくなっていてほしい。
そう願いながら 明日の午前中には 新幹線に乗る。

昨日で 夫の 家中の雨戸のペンキ塗りが終わった。
雨戸の色が変わっただけで 家の雰囲気も変わった。
たかが雨戸なのに 不思議なものだ。

懸案の仕事をし終えて 今日はゆっくりするか と思いきや 夫は また次の仕事にかかった。
本当によく動く人だと 今更ながら感心する。
こんなによく働けば それに比例して お金も貯まればいいものを 残念ながらそうはいかない。

まったく あてにされていない私は 一か月に一度に会う友人と 午前中 お茶をしながら話してきた。
最近になって身辺が忙しいが こんな時間もないと 気持ちがもたない。
その点 夫は どう気持ちの転換をしているのだろう。

今日会った友人は 長く生協の仕事をしてきた人で 考え方はもちろん 社会の観かたも深い。
退職後の今も 様々な団体やグループに属していて 広く活動している。
家の中ばかりにいる私には 社会と繋がるのに 欠かせない友人の一人だ。

だから 彼女と会うときには必ず 社会の情勢や経済 地域の発展に話が及ぶ。
私は 彼女のブレない確かな目を通して 物事を考えさせられる。

また来月会うと決めて 別れてきた。
重かった気持ちが 少し晴れた。

勤め先が春休みなり 二週間ほど在宅になった夫は 以前から 休みに入ったらやろう と
心づもりしていたのだろう 家の雨戸のペンキ塗りを始めた。

たしかに 私も気になってはいた。
壁を塗りなおしてから もうかなりの年数が経っている。
壁もだが 雨戸も退色して 赤茶色になっていた。

我が家は通りに面しているし 高速道路建設のために周囲の住宅がなくなったせいで
遠くからでも 我が家がよく見えるようになった。
すると 余計に 雨戸の色が気になっていた。

どうやら夫も 同じ思いであったらしい。
それで 休みになったら・・・と 思っていたのだろう。

昨日は 一階と二階の東に面している雨戸と二階の北の雨戸を 梯子をかけ下へ下ろして塗り
戸袋も塗った。
雨戸の枠も一緒の色になるように塗ってくれた。
ちょうどいい天気だったから 短時間で乾き またそれらを もとに戻した。

そして今日は 二階の南に面している窓の雨戸を塗ってくれた。

昨日も今日も 朝 私を大学病院へ送ってくれ そのあと帰ってからの仕事だ。
私を迎えに来てから 叔父の病院へ行くので どちらも午前中にし終えた。

夫の年齢を考えると 長い梯子を上下して雨戸を下ろしたり上げたりするだけでも
かなりの体力がいる。
そうしておいてのペンキ塗りだから さぞかし疲れるだろう。

それなのに 私の送迎 叔父の病院への往復 おまけに お風呂に入ったりする叔母を
自宅まで連れて行って また病院まで連れ帰ってくれる。

いくら丈夫な夫でも さすがに体が心配になる。
じっとしていられない性格で DIY も大好きだから 本人は いっこうに気にならないらしい。

家のことはともかく 今回の叔父の入院に関しては 本当によくやってくれる。
ありがたい と思う。

せめて 疲れをとるためにも 夜は 早く休んでね。

いつも 隔週の火曜日が 大学病院の受診日だ。
だから今朝も 当然のように 夫の車で送ってもらい 出かけて行った。

いつものように受付番号の札をとり やおらバッグから診察券を取りだした 。
そして 何気なく診察券を裏返して見た。
ムムム~!? 印字が二十三日になっているではないか!!
え~ツ! どうして?

自分の番号札の番号が呼ばれた。
もうすっかり顔馴染みになっている受け付けの係に 私間違って来ちゃったのかしら?
いつも受診が火曜日だから 診察券見ないで来ちゃったんだけど・・・ と言うと
彼女も そうですねエ いつも火曜日ですもんねエ~変ですよねエ~
そう言いながら パソコンで調べてくれた。

やっぱり予約は明日になっている という。
彼女自身も納得がいかないらしく わざわざ今日の担当医師の予定を 確認してくれた。
すると 今日の午前中は 私だけでなく 担当医師の診察枠は 空になっていた。
早く行く私は 担当医の診察順は たいてい一番だから 後のことを調べてくれたのだった。
間違いなく 診察日は 今日ではないらしい。

親切に彼女は でもお昼近くなら一人入っているから もし待っている時間があるなら
その枠に入れられますよ どうします? せっかく来られたのだし・・・ と言ってくれた。

でも かすかに思いだした。
そういえば 前回診察してもらった時に
今度の火曜日は都合があって午前中いないから 水曜なら 診察枠はないが 病院にいるので
臨時枠を取って 診察しますから 次回は 二十三日に と おっしゃっていたような・・・。

これは 診察室の看護師に確認してみるのが一番かも・・・
そう思って 受付の彼女に ちょっと診察室の看護師さんに聞いて来ます・・・
その上で 今日診てもらうか 予約通りに明日出直すか 決めます そう言い置いて
診察エリアへ行き まだ始まっていない診察室を そっとのぞいた。

すいません・・・声をかけると こちらも顔見知りの看護師さんだ。
私 間違って来ちゃったみたいです 受付の方は お昼近くなら入るけどって
言ってくださるんですけど 今日は先生 午前中いらっしゃらないんですよね・・・
そういうと ここでも看護師さんが パソコンで調べてくれると やっぱり 私の予約は明日。

看護師さんも お昼まで待てるなら 今日診てもらう?それとも他の先生に診てもらう?
そう言ってくださったが 明日の予約を間違えて 今日来てしまったのは 私のミス。
お忙しい先生の時間をつぶしてまでも 今日 強引に診てもらう異常があるわけではない。
ここは 潔く 明日出直す と決めた。

お礼を言って診察室から受付へ戻り 先ほどの女性に 明日また来ます ありがとう
お手間をとらせてしまってごめんなさいね そうお礼を言って 受付を離れた。

まったくもう!!われながら このうかつさに呆れる。
バカみたいなミスだ。

それでも 気を取り直して モールで叔母への惣菜を買い 叔父の病院へ行った。
叔父の容体は 相変わらずだ。
顔には出せないが 内心の重みが ますます増していくのを感じる。

浮かない気分を引きずりながら 夕方 リハビリに行った。
その帰りだった。 東の空に 黄色く明るい朧月を見つけた。

薄くおぼろがかった黄色い月は 私だって こんなにぼんやりした日もあるんだから・・・
また 明日行けばいいことでしょ・・・そう まんまるい顔で笑ったように想えた。
そう想えるほど 月は いたってのんびりと 穏やかに 空にあった。

そうなのだ・・・一人落ち込んでいても仕方がない・・・誰を傷つけたわけでもなし・・・
明日また行けばいいだけのこと・・・。

おぼろに霞んで もの問いたげな月は その円い顔で
まるで母親のように やさしく私を見守っていた。

叔父が入院して以来 叔母は ずっと付き添っていて 病室の外へさえ なかなか出られない。
そんな叔母に 院内の売店で そそくさと買って来て食べる おにぎりやお弁当では 味気ないし
栄養もとれないだろう と できるだけ温かいうちに食べられるよう 毎日 おかずやごはんを
家で作って 差し入れている。

五年前に胃がんの手術をしている叔母は 消化の悪いものは食べられないし 一度に
小量ずつ 数回に分けてしか食べられない。
だから 作って行くおかずも 気を遣う。

今日 持って行ったのは 叔母が大好きな混ぜご飯に 鶏の手羽元と大根の煮物
細切りにしたきゅうりと焼いて皮を剥いたパプリカを生ハムで巻いたもの それに
大根と長芋をおろして甘酢で和えたもの だった。

病院の付き添いは 意外に疲労感が強い そして 神経を使う。
そんな時は 必ず胃腸が弱っているから 消化のいいおかずがいい。
若者ならいざ知らず 手の込んだ料理も 油っこい料理も厳禁だ。
そうしたものは かえって胃にもたれて 付き添いが体調を崩す原因になったりする。
自分の経験から こういう場合 酢を使ってあるものは 口の中もさっぱりするし
胃腸を休めて 疲れにも効くような気がする。
だから 毎日必ず 一品は 酢を使った総菜にしている。
特に 長芋は慈養もあるし消化もいい食材だ。

病院へ行くと まず 叔母を夫が 叔父夫婦の家まで車に乗せて行き ゆっくりお風呂に
入らせてくる。
その間 私が病室にいて 叔父に付き添う。

叔母がさっぱりして帰ってくると 持参して行ったご飯やおかずを持って
叔母と一緒に食堂へ行く。
入院以来ずっと絶食状態の叔父の前では 叔母が食事ができないのと
病人から離れて ほっとする時間を 叔母に持たせることが目的だ。
だから 叔母が食べる間 私が話相手になって いろいろ叔母の愚痴やら不満やらを聞く。
なんでもないことだが こういうことが 目の離せない病人に付き添っている者には
気分転換になる。

そんなことをしていると いつの間にか時間が過ぎて 病室を出る頃には外はもう真っ暗だ。
そして 帰宅後 夫と夕食をとる。

家の中のことは せいぜい洗濯するくらいで あとは何にもできない。
最初は もっと時間にゆとりがある と想っていたが 毎日が慌ただしく過ぎていき
なかなか ゆっくりできる時間が持てない。
でも まあ これも仕方がないだろう 四六時中 付き添っていて 十分な睡眠もとれていない
叔母に比べたら 神経を休める時間はあるのだから。

明日は 自分の病院受診日。
また朝早くに 夫の車に同乗して病院へ行く。

昨日も 叔母の食べるものを作って 五時頃 病院へ出かけて行った。
叔父は 相変わらずの様子で ベッドに横たわっていた。
呼吸も荒く 喉もゼイゼイ言わせている おまけに 今日は発熱まで。

夫に病室にいてもらい 叔母に早めの夕飯を食べさせるために 食堂へ。
病院の夕食時間にはまだ間があるらしく 誰もいなくて ゆっくりできそうだった。

作ってきたおかず数種類と 炊き立ての炊き込みご飯の容器を開けると
炊き込みご飯が大好きな叔母は おなかも空いていたのだろう すぐに食べ始めた。
いい味 おいしい と言って食べてくれるから 作ってきたかいがある。

叔父夫婦には 子供がいない。
でも 叔父には一人 息子がある。
しかし 小さい頃から一緒に暮らしてこなかったこともあって 離れて生活しているから
家族ということでの 細々とした世話は お嫁さんもしない。
だから結局 一番近くにいる私と夫が 昔から世話になってきたし 頻繁に顔も出してきたから
こんな場合 できるだけのことをしている。

とても苦しそうにしていても 叔父の意識はしっかりしているから それが救いだ。
今日も ゼイゼイいいながら 兄貴は幾つで逝った? と私に聞いた。
こんな時に と思いながらも 九十だったよ 叔父さんも頑張らなくちゃね と返した。
兄弟では一番下の叔父には まだ数年ある。

九十四才で認知症の叔母の他には 父の兄弟は この叔父だけ。
たとえ この先が数年であろうとも それまでは 叔父には元気で生きていてほしい。
本当に 頑張ってよくなってもらわねば・・・。

お昼ごはんを食べながら一年に一度の旅の相談をしよう と 毎年一回行く旅の会のメンバーが
今日 お昼に集まった。

もう二十年以上も続いている会だ。
その間 会員は徐々に減っていき 最後に今のメンバー六人に固定して もう十五年過ぎたろうか。
日ごろは 近所なのに それぞれが忙しくて めったに顔を合わせたりすることもないし
道で会っても 短い立ち話をするくらいだ。
それなのに 性格も環境も異なる者の集まりで行く一泊の旅の会が 何故か続いてきた。

旅の途中の列車の中は みんなが 中の一人が話す内容に なんだかんだと応答したり
意見や考えを話したり にぎやかだ。
宿に入っても 布団に入ってからも それぞれが話すが かといって 後から思い返すと
いったい何の話をしたんだったか ほとんど覚えていない有様だ。

でも そうだからこその この旅の会の意味もある。
日ごろ 家庭にあって 家族の前では話せないことや 家族への不満などを
この会の旅の間に 各々が吐き出すように話せる。
言ってみれば この会は 心の浄化作用ができる場所と時間になっているのだ と思う。
それがあるから こんなにも長く続いてこられたのだろう。

毎年 二人が一組になって幹事を務める。
今年の幹事は 私ともう一人の人。
事前に二人で 今年の行先や おおよその行程を決めて 今日 メンバーに提案した。
だいたいは その年の幹事に任せられているから 今日の集まりでも 大筋は合意された。
あとは もう一人の幹事とで 予約やら細かい行程を練って決める。
旅の費用も 幹事が支払い役になる。

私は 今 迷っている。
このまま 今年の幹事役を終えても メンバーとして 来年以降も続けていくか
今年を限りに この会からはずれるか・・・。

年を重ねる毎に 私の体の状態が悪くなっていることを感じている。
みんなに迷惑をかけないうちに 外れたほうがいいのではないか…そう感じている。

でも 今日も ちょっとそんな思いを言い出すと 大丈夫 みんな年々弱っているから・・・
遠くない日には 全員タクシーで移動するようにもなるんだから・・・
メンバーは そんな意味合いの言葉を それぞれが言って 全員が引き止める。

どうしようか・・・
今 本当に悩んでいる。

今日は 書道教室の日。
天気も 雲ひとつない青空で申し分ない いい日だ。

バス停まで ゆっくり歩いて バスに乗り込んだ。

そうだ 孫は一人で家にいるはず・・・お昼ご飯も一人だろう・・・
ちょうど 孫の家に近い所に教室がある。
それなら 呼び出して 一緒にお昼を食べようか・・・

そう思って電話し 私の用事が終わったら 近くのバス停で 待ち合わせることにした。
孫も 昨日の合格発表の後で 家でゆっくりしていたから 二つ返事で合意。

孫と二人での外出は 昔 彼女がまだ四、五才の頃 デイズニーランドや東京へ連れて
行ったきり そのあとなかった。

教室が終わり 孫と一緒に とりあえずバスに乗った。
近辺に 飲食するいいお店を知らないから 無難に ホテルのバイキングでどうか と聞くと
孫も そこがいい と言って 一番近いバス停でおりてホテルへ。

平日だからか 利用者が極端に少ない これなら ゆったり食事ができる。
料理は 特別珍しいものもなかったが 二人とも 互いに好きな品をとってきて
話をしながら食べた。

孫の話は 昨日の発表の時のことや 合格者を集めての話があったこと
もう 紙袋三つ分もの宿題が出されて うんざりしたこと
そのあと ずらッと校舎を巡って並んで 教科書や辞書 室内履きなどを
母親と二人で買ったこと そのあと 市内のモールで 制服の採寸をして帰宅したこと
そこでも 順番を長い事待ったこと 帰ったら 疲れてくたくただったこと・・・など

自分の人生の方向が決まった日のことを (彼女は そこまでは思っていないだろうが)
克明に話てくれた。

学ぶ内容は 彼女の父親の時代より はるかに進歩し深くなってはいるだろうが
合格した日の大方の流れは 昔と一つも変わっていなくて 驚いた。
私は その昔の父親の時の思い出などを 話して聞かせた。

そうして食事を終え くちくなったお腹を抱えて ぶらぶらと河畔を散歩しながら
降りたバス停へと歩いた。

彼女と乗ったバス停で孫は降り 私は私で家の近くまで乗って帰って来た。

自分に 育てる責任がないから ただ育って行く折々の姿を見ていればいいからか
孫は わが子と違った可愛さがある。
彼女は 素直で生意気なところがない分 よけいかもしれない。

カラリと晴れた空を仰ぎ 柔らかくなってきた風を感じながら
バス停からの道を 満たされた気持ちで歩いた。

昨日に続いて 今日も朝早くに出勤する夫の車に同乗して 大学病院へ。
いつもは エスカレーターを上がると 左の外科ゾーンへ行くのだが 今日は逆に
右の内科ゾーンの受付へ。

急きょ臨時枠に入れてもらったからか 診察開始時間になっても 私が指定された診察室では
診察が始まらなかった。
大きい病院での患者の扱いには馴れているから おとなしく待つ。

待っていると 携帯が鳴った。
慌てて手洗いへ行き電話をとると 今日 入試の合格発表を 母親と共に見に行っていた
孫からだった。

おばあちゃん 受かったよ!! と弾む声で孫が言った。
今朝まではしっかり覚えていたのに 自分のことにかまけていて 抜けてしまっていた。
心からよかった と 思った。

おめでとう!!よかったね!! お祝いの言葉を返して電話を切り 待合室に戻ると
ちょうど私の番号が 呼び出しのパネルにあった。

慌てて診察室に入り 診察開始。
若い医師だが しっかり丁寧に説明してくれた。
データから予想される肝臓の状態は 思ったほど悪くないらしいから 一安心。
今日は 採血 来月四日にエコー検査 そして六日に 検査結果からの再診察 ということに。

今まで 麻酔科での血液検査は 点滴する際に一緒にしていたから 検査室での採血は初めて。
それまで 朝 病院へ行くと たくさんの人が群れになって待っている箇所があった。
それが 検査室だった。
血液の検査だけでなく あらゆる検査がそのエリアで行われるようなシステムになっている。
だから 早朝から大勢の人が集まっていたのだ。

検査室で受け取った私の受付番号は 百八十一。
私が受付するまでに すでにもう百八十人もの人が 様々な検査を受けていた。

血液採取する係員は さすがに 毎日毎日 人の血管に針を刺しているから上手だった。
私のように 細くて蛇行している血管からでも 一度で採取してくれた。

診察まで待ち 検査で待ち それからまた いつものように会計で待ち をすると
もうお昼前。
今日は三時から 歯医者の予約が入っていた。
やっぱり今日は 叔父の病院へは行けない。


先週末から ずっと家を出る日が続いたのと 今日の病院二軒の受診で くたびれた。
さすがに 腰の痛みもひどい。
でも 孫のいい結果を聞けて 本当によかった。
息子夫婦も 一安心していることだろう。

自分の受験番号を確認して すぐに私に連絡してくれたことが 嬉しかった。
土日のうちに お祝いを持って行かなくては。

おめでとう!!よく頑張ったね!!

今日は 朝から三時頃まで 雨。
叔父が入院している病院は バスで行くのには 便が悪い。
だから 今日は 病院へは行かない と決めていた。

叔父の病院へは行かないが 自分の内科のかかりつけ医へ行く。
月に一度の薬を処方してもらうために。

その代わり 夫が 仕事帰りに 病院に寄ってくれた。

昨日は 少し良くなったように窺えたのだが
今日 CT を撮りに 検査室と病室を 車椅子で往復しただけで
夫が 病室へ行ってみると 七度台まで下がっていた熱が また高くなり
叔父は 苦しそうに呼吸して また辛そうになっていたらしい。

一日や二日で たちまち回復するとは 期待していなかったが
それでも 傍に付き添っているの気持ちを想うと 気の毒になる。

明日 大学病院の帰りに 叔父の所へ寄るつもりだ。
つきっきりでいる叔母のために 今夜作る惣菜を持って。

今日も 病人のそばから離れられない叔母のために あり合わせの材料で数種類のおかずを
作り 途中 スーパーでお湯を注ぐだけの味噌汁のカップなどを買って 病院へ行った。


昨夜は 緊急で入院したためか 病院側の叔父への対応が なんだか物足りないものだった。

個室内にあるトイレへも 歩いて行ってもいいのか悪いのか・・・ 本人は自分で行きたがるから
ふらつく叔父を摑まえながら 点滴棒を動かして 何度も何度も連れて行っていた。
その度に 叔父はしんどくなり 呼吸もつらくなった。
途中から 尿を溜めるから と 看護師が容器を持ってきたが その時にも 歩いてはダメ とは
言わなかった。
ベッド上での採尿 の指示さえなかった。

要は 夜間だったから 担当医師も決まらず 単に とりあえず入院しただけのことだったらしい。

ところが 今日午後になって 急に扱いが変わった。
病室を ナースステーションに一番近い部屋に移動。と同時に 尿管の導入 酸素マスクをさせ
指に血中酸素を測定するものを着け 心電図を測定するものも着けられた。
看護師が 定期的に痰の吸引にも来て 体位を変えられるようにもしてくれた。
もちろん オムツになった。

それまでの点滴も継続しているから 病室内は一変して 重症患者の部屋だ。
実際 看護師が 何かの書類に 重症 と記入しているのを見た。


あまりの扱いの変わりように 叔母も夫も私も
やっぱりなァ という思いと こんなに悪くなっていたんだァ という思いからだろう。
看護師たちが バタバタと病室とナースステーションを行ったり来たりする様子を
隣接するコーナーに座りながら ただ黙って眺めていた。

叔母が 独り言のように
なんとか米寿まで と思っていたけれど 七の誕生日を迎えられるか・・・
と 沈んだ声で言う。
夫も私も なんと返答したらいいかわからず 黙って 叔母の顔を見ていた。

それにしても これまでかかっていたクリニックの医師は なにをしていたのだろう。
二か月もの間 毎日点滴に通わせていて 容体をしっかり把握していたのだろうか。
食欲が出なくて 日を追うごとに衰弱し体重も十キロ以上減ってしまっているのに。

病院にかかっていなくて 今の状態になってしまったのなら仕方がない。
かかっていて こんな有様になってしまったのだから 諦めがつかない。

苦しそうに喉をゼイゼイ言わせながら 酸素マスクをしている叔父を
見ているこちらも その姿がかわいそうで 苦しくなってくる。

明日はまだ日曜日 本格的な治療は月曜日にならないと 始まらないだろう。
どうにかして回復してくれればいいが・・・。

昨夜遅く 夫が入浴中に 電話が鳴った。
こんな遅くにかかってくる電話は いい話だった試しがない。
そう 心準備しながら ディスプレイを見ると 叔母の携帯からだった。
これは 叔父の容体が悪くなったな・・・そう とっさに思った。

今年に入ってから 叔父の体調が崩れたまま 一向に改善しない。
二か月以上も 毎日叔母が付き添い 近所のクリニックへ 点滴に通っている。
それも 百メートルもない距離が歩けなくて 往復タクシーを使っての通院だ。
それなのに 食欲も戻らず 体重は減って行く一方だった。

そんな叔父の容体を 時々 叔母との電話で知っていた。
だから 昨夜はすぐに 叔父のことに違いない と想えたのだ。

案の定 叔父は 七時頃 救急車で搬送されたのだ という。

クリニックの医師から ようやく体調が戻り掛けたから 今日から点滴には通わなくていい
と 言われ 一日家で寝ていたが 次第に熱が出て とうとう 三十九度を超えてしまった。
それで 叔母が 救急車を呼んだらしい。

入浴中の夫に事の次第を告げると 夫はすぐに浴槽から出た。

慌てて病院へ行くと 叔父は ベッドに横たわり 二つの袋から点滴をしていた。
顔が赤いから かなり高熱が出ているようだった。
着の身着のままで 一緒に救急車に乗って来た叔母が
落ち着かない様子で 心配気に ベッドサイドに立っていた。

とりあえずは 入院に必要な物を 家へ取りに行かなくてはならない。
叔父の物はもちろん 付き添って泊まる という叔母自身の物も要る。

私が 病室に残って叔父に付き添い その間に 夫が 叔父の家まで叔母を乗せて行って
荷物を取ってくることに。

高熱のせいで 叔父は いつも以上に大きな声で 脈絡のない事を話かける。
いつも 頭から離れないのだろう 没落してしまった実家のことなども言いかける。
適当に相手をしながらも できるだけ安静にさせようと メイン灯を消し室内を暗くした。

何度か出入りする看護師に 熱を下げてはいけないのか尋ねると
アイスノンを持って来てくれた。これで少しは楽になってくれればいいが・・・。
糖尿病の血糖値を測ると とても数値が高い。インシュリンを打ち 新しい点滴に替える。

そうこうしているうちに 夫と叔母が 大きなバッグを幾つも持って帰って来た。

時計を見ると もう 夜中の一時を回っている。

また 朝になったら来るから と言い置いて 夫と私は帰って来た。

今度は 入院手続きに必要だから 印鑑を忘れずに持って行かなくては。

五年前の今日 私たち日本人は 未曾有の大災害が起こしている惨状を
テレビの画面を通して 凍るような思いで 見つめ続けた。

目の前に 次々に映し出される映像は この世の出来事とは信じられないような
まるで 地獄絵図のような有様だった。
私たちは その惨たらしい映像を ただただ 見つめ続けるよりなかった。

数分前まで 平凡で穏やかな暮らしをしていた人々が どうしてこんなめに
あわなければならないのか・・・。

息をするのさえ忘れるくらい残酷な映像は 人間のか弱さと自然のとてつもない力を
まざまざと 見せつけた。

あの日から五年 災害に合われた方々の中には 未だ あの日のまま
前へ進めないでいる人も多い。

どうかどうか その方々のこれからに 少しでも希望がもたらされますように・・・。
未だに行方不明となっている方々が 一日も早く 家族の元へ帰れますように・・・。

合掌。

冬の寒さが 例年ほどでなかったこともあって 最近も 随分温かい。
たくさんの薬を 朝 昼 晩 寝る前 の一日四回 飲み続けて もう 十年近くなるか・・・。

寒さがきついと 薬をしっかり飲まなければ とても痛みに耐えられないが 今冬や昨今のように
平均気温が少し高いと 体は正直だから 痛みの度数が ちょっと減る。

このところ 血液検査の結果 肝臓の数値が高い と判ったこともあって
薬を見ると 以前のように しっかり飲まなければ という気持ちが 萎えている。

医師に これ以上数値が悪くなると 劇症肝炎になることもある などと 半分 脅しのように
言われたことも大きい。

これらを飲めば また余計に肝臓が悪くなるのだろう・・・という思いが働いて 飲みたくない。
とはいっても 飲まなければ たちまち痛みは強くなるのだから 飲むよりない。
だから 仕方なく飲んではいるが ついつい 自分の判断で これは飲もう これはいいや・・・
と 勝手に選別しながら飲むようになってしまった。

私は いったい何をやっているのだろう・・・。
昨夜 反省した。

頑張れば いいことがある この言葉は 今の私にこそ 一番あっている言葉だ。
実際 処方された通りに ちゃんと服用すればちゃんと痛みに作用してくれるのだ。

神様 先生 ごめんなさい
これからは 以前のように 真面目にちゃんと飲みますから。
不真面目だった私に 痛みの倍返し なんて罰を与えないでください!!

夜中から降り始めた雨は 雨脚も強く 朝になっても止まない。
やっぱり 天気予報通り 今日は 一日雨が降るだろう。

友人と会うのが 昨日でよかった。
病み上がりの彼女に 我が家まで迎えにきてもらうのは そうでなくても心苦しいのに
雨をついて来てもらうのは もっと申し訳ない。

今日は 孫の高校入試の日だ。
母親である嫁は わが子の将来にも関わる大切なこの日に
早くから起きて 心を込めて弁当を作り 試験会場の高校まで 送って行ったに違いない。
孫の父親である長男は 落ち着いてやって来い とでも 励ましの言葉をかけて
気にかけながらも普段と変わりなく 勤務先へと車を走らせただろう。

入試ばかりは 他人の力を借りるわけにはいかない。
自分一人の力で 切り抜けるよりない。
生まれて初めての 自分に対する試練の日だ。

一日 気にかけ案じながら 夫も私も 電話もメールも 一切控えている。
孫は 息子夫婦の子。
私たちは 当事者の外周りで ただ見守るだけでいい。

祖父母がしゃしゃり出て いい結果になった試しはない。

孫のことだけでなく 何事に対しても それらへの関わり方や言動で
その年齢に達するまで どのように人生を積み重ね どのように考えて生きてきたのかが
その人間の器の大きさとなって現れる。
当然 今の言動になって それは現れる。


孫や他人様に 胸を張って 自分の生き様を誇れるような
そんな じじ ばば でありたい と 心から思う。

今日 友人が 昨日の私のブログを見て思ったことを 彼女のブログにあげてくれた。


生徒会長を務めた孫娘が 卒業式で答辞を読み 孫の希望で 私も式に出席した。
私は その事に関して思ったことを書いたのだが 友人のブログは それをまた
私に関連付けてのものだった。

そうなのだ。
小学校の頃から高校までいつも 学級や児童会、生徒会の役をいつもやっていた。
おまけに高校では 生徒会長もやった。

今回 そんな自分のことは すっかり忘れてしまっていた。
それを 友人はしっかり覚えていてくれてのブログだった。
ありがたいことだ。

今日会った友人にも言われたが 孫娘は 私の性格に似ているのかもしれない。
お人好しで 自分のことより他の人のことを優先して頑張ってしまうところや
オシャレや男の子に 全然興味がない点など 私の中学時代と重なる。
一番よく似ているのは なにより読書が大好きなところだろう。

外国旅行をしたい と言う孫だが 彼女が行きたいのは 観光地ではなく
遺産のような図書館 古い図書館へだ。
実際 学校の図書館からそれらが写真で載っている本を借りてきて
いいよねえ~行ってみたいなあ~ と 溜息をつきながら見ていたこともある。

頑張れば いいことがある・・・。
高校入試を明日に控えた孫に 今日の友人のブログの題を そのまま伝えてあげたい。

頑張れば いつかきっと 憧れの図書館へ行けるよ・・・。
そう伝えてあげたい。

以前にお腹の手術をしたにもかかわらず また同じような症状が出て
去年 再手術しなければならなくなってしまった友人と 九か月ぶりに会った。

前回の手術もそうだったが 今回もまた 大変だったようだ。
彼女は その前にも手術している。
彼女は その体験を明るく笑いながら話すが こちらは エツと驚いたりヒヤヒヤしたりの連続で
よくぞ回復されたものだ と 聞いているこちらが 肝を冷やす話の内容だった。

今回 再び手術するはめになった原因は 前前回 全部切除されていたはずの部位が
なんと 二センチも体内に残っていたためだ という。
それも 前回の手術では 担当医師にはそれがわからなかったらしい。

その残ったものが すべての原因になる素になった ということは
それは 医療ミス 医師のミス ではないのか。
それも 重ねてのミス ということにならないか。 ひどい話だ。
そのせいで 死ぬようなめに何度もあわされた友人にしてみれば たまったものではない。

ずっと家で養生してきた彼女と ようやく今日 会うことができるようになって
体にさわらないか と思いながらも お昼をはさんで ついつい 長時間にわたって話した。

彼女の話によれば 今回 手術日の前や後に ずっと体を温めたことが 麻酔にも術後にも
おおいに役立った という。

体を温めることは 彼女の体験した 素 (因) とは真逆の意味で 体の素 (基) だと
改めて知らされた思いがする 。

最近は 温めをさぼり勝ちだった私には 今日の彼女の話は いい薬になった。
さっそく身を入れて 温めに精を出さねば!

昨夜来の雨は 夜明けとともに止んでいた。
この分なら 傘は要らないだろう と想える天気になった。
よかった。

嫁が 八時半には家を出たい と言っていたので それに合わせて準備をした。
いつもよりは ずっと早く起きて 一通り化粧をし 昨日出して準備しておいた着物を着た。

着物は無地を着て行こう と決めてはいたが 何色の着物にするか迷った。
迷った末に 一番地味めの色で 一つ紋のグレーの無地を着ることにした。
帯は もっと年がいってから降ろそう と思っていた帯を締めることに。

考えてみれば これから先 どんなことがあるかわからない。
もっと先になってからと思っていても その時になって 着物が着られるかどうかわからない。
それなら 孫の晴れの日におろしたほうがいい そう思って 新しい帯を準備した。
着物と帯が決まれば あとは必要な紐類を揃え バッグと草履を調えたらおしまいだ。

この年になると やっぱり着物のほうが 晴れの席には相応しいように思う。
着物が好きで 若い頃に習った着付けだったが 身につけておいてよかった と思う。
これからは 年を追うごとに ますます着物を着る機会が増えていくだろうから。
亡母の着物 好きで作った自分の着物が これからの出番を待っている。

式の会場の体育館は 底冷えがする。
膝に掛けていられるようにと 大判のウールのショールを持って出かけて行った。
息子の家へは 出勤する夫が送ってくれた。

嫁と すぐ近くの学校へ向かった。
体育館の父兄席は 早くから来ている父兄で 前の方はいっぱいだった。

孫の学年は 全体におとなしくて とてもまとまった学年だ と聞いていたが
ざっと見まわすと 一二年生も 今時の中学生にしては 好感が持てる雰囲気だった。
その印象の通り 式の最中も 皆 おとなしく真面目に話を聞き 椅子に座っていた。

我が家の姓が五十音順の後のほう とあって 孫が学年で一番最後に 卒業証書を授与された。
一組の最初の生徒と四組の最後の孫だけが 姓名を読み上げられた。
みんな同じに授与されるのだが 名前を読み上げての授与は 証書を頂いた という気持ちを
よけいに強く感じるから不思議だ。

式も終盤になり いよいよ 孫が答辞を読む番になった。
隣に座る嫁からも 緊張しているのが伝わってくる。
壇上の孫の緊張度も そうとうのようだ。遠くからでも 顔がこわばっているのがわかる。
どうか 落ち着いて 読み上げればいいが・・・私も思わず肩に力が入ってくる。

今日の答辞の文面は 孫自身が 何日も考えて 自分の言葉で書いたのだという。
それをまた 家で何日も 声に出して読む練習をしたらしい。
受験勉強がある中で 何事もおろそかにできない 孫らしい行動だ。

実際 答辞の文面は 型を守りながらも 自身の経験や考えたことなども取り入れてあり
孫らしい答辞になっていた。
静かに聞き入る父兄の中には 孫の読み上げる内容に 涙する人も多かった。
育ててくれた両親への感謝の気持ちを 孫自身の思いと言葉で 素直に語ったことも
随分 父兄の心に沁みたのだろう。

孫は 堂々と答辞を読み終え 自分の椅子へと戻って行った。

友や先生との別れを惜しみながら すべてのことが終了した後
私たちは 三人で 昼食をとりに出かけて行った。

帰りの車の中では 緊張が解け お腹が満たされた孫は うつらうつら。
十五歳とはいえ まだまだ幼さの残る寝顔だった。

ご苦労様でした よかったよ。
明後日は もっと大変なことが待っています。
頑張ろうね!!

公共のスペースでは 最近 強い香り特に女性の香水などは 遠慮してほしい との
断り書きや張り紙がしてある。
例えば ホールや図書館など 大勢の不特定多数の人が集ったり使ったりする場所だ。

それでかどうかわからないが 最近は デパートの売り場などでも 以前ほど
女性の強い化粧の匂いや 香水のツンとくる香りが 少なっているように思う。

ところが今日 驚いたことに スーパーで びっくりするくらい強い香水の香りを
辺りに漂わせながら カートを押している女性に出会った。
それも 私よりは とうに五六才はいっているだろう と想われる いわゆる老女が だ。

あまりにも強い香りにびっくりして 小柄なその人の顔を 思わず振り返って見てしまった。
きっとお金がかかっているのだろう と想わせるような洋服を 身にまとった老女だった。

口紅も赤くくっきりと 白くフアンデーションを塗り 眉毛はもちろんきれいに描いて
寸分のすきのないお化粧をしていた。

これが デパートの店内だったりすれば こんな老女がいても納得がいくが
今回の場所が場所 庶民が行くスーパーの店内だから驚いた。

店内を カートを押して歩いている他のお客も 彼女の香りに連れて 振り向いたり
すれ違いざま 避けて歩いたりしている。

帰り道 車の助手席に座って 彼女のことに想いをめぐらした。

彼女は 間違いなくお金持ちだ そして おそらく独居だろう。
夫や同居人があれば あれほど強い香りを辺りに振りまいて スーパーへは来ないだろう。
どこか 遠くても近くても行く場所があれば きっとそこへ お化粧をしたり
おしゃれをしたりして 香水も付けてお出かけするに違いない。
また おそらく 没頭できる趣味も持たない人 なのではないか。
お金があっても時間があっても 使い道がない人なのではないだろうか。

孤独感を埋めるために 自分の自尊心や存在感を 自分にも他人にも見える形にする・・・
それが 濃い化粧をし さもお金持ちそうな洋服に身を包んで いかにも高価な香水の香りを
ふりまいてのスーパー行き・・・。

これは あくまでも私の推測に過ぎない。
あるいは 小説の読みすぎか・・・。

でも 今日偶然出会った 着飾り強い香りを振りまいてスーパー内を歩く あの老女は
私に かたくなで孤独のまま年をとることのみじめさを 具現化して見せてくれたように思う。

お金持ちでない私には 間違っても 彼女のような高価な香水を贖えるわけもないが
せめて 自分らしく潔く生きて それが内面にも外面にも現れるような
そんな暮らし方ができればいい・・・つくづくそう思った。

今日は 朝から気温が上がり 日中は 春そのものの陽気になった。
これまでは 一日中 外で洗濯物を干していても ストーブをたく室内に取り込んで
残っている湿り気を 夜のうちに乾かしていた。
それが 今日は 日中のお日様だけで すっきり乾いた。

遠くからは 山鳩の 野太い声も聞こえてきた。
そういえば 先日訪れたお寺の庭では 竹藪の中から うぐいすの笹鳴きが聞こえていた。
隣の畑では 早くに芽を出していたフキノトウが もう花が終わって茶色になってしまっている。

春は 確実にやってきた。

明日も 今日と変わりない陽気になる との予報だ。
そのあと また天気が悪くなるらしいが 孫の卒業式がある月曜日だけは
なんとかいい天気になってくれるといい と願っている。

後期に生徒会長をしていた孫は 卒業式で答辞を読むそうな。
その姿を おばあちゃんに見てほしいから 式に来てほしい と 孫から頼まれている。

孫の晴れ姿を 見逃がしてなどいられない。
当然 行くよ と返事をしてある。

だから よけいに この陽気が続いてくれないと困るのだ。
せめて雨にだけはならないように と 今から願っている。

書道教室が所属している団体は 一月と七月が 昇級月だ。
その月に提出した作品は いつもの月より昇級しやすい。
そして その結果は 二か月後のお手本の冊子に載る。

一月の結果が 今日頂いたお手本の冊子に載っていた。
仮名は もうこれ以上の級はいいと決めて ただ上達だけを望んでの提出だが
調和体のほうは そうはいかない。
少しでも早く 級が上がっていってほしい。

今朝 教室に着いて 先生からお手本を 手渡していただいた。
昇級していると 先生がお手本の表紙に そのように書いておいてくださるから
お手本を受け取った瞬間に 上がったかダメだったか が判る。

渡されたお手本には 何か書いてある!?
それも いつもの昇級の時と違って その文が長いようだ。
表紙の色で 文字が読みずらいから 瞬間には 何と書いてあるのか判らなかった。

お手本を渡した先生は 何かしら私が反応するのを 待っていらっしゃったのかもしれない。
ところが 表紙に目をこらしている私を見て 理解できていないことに気づかれたのだろう。

* * さん おめでとう 二階級 昇級でしたよ。

と ニコニコ笑顔で 伝えてくださった。
よく見ると ××さん *級から*級へ二階級特進 おめでとう と 書いてあった。

今日は 私が一番乗りだったから 周りには誰もいなくて 聞いている生徒がいなかった。
だから 嬉しさを そのまま表しても大丈夫。

思わず わァ~!嬉しい!! ありがとうございます! と 声をあげていた。

本当に嬉しかった。
漢字や仮名より ずっと後から始めた調和体だが 私には どうも不得手感があって
練習には なかなか気が入らないから いつも困ってしまう。
それで 長く続けて少しずつ上がっていけば それでいい くらいに思っていたから
清書して提出はしたものの 今回も 昇級はないだろう と 半分以上 諦めていた。
だから こんな嬉しいことはない。

それに もうひとつ 他人には言えないが 内心で 嬉しい!! と思っていることがある。
教室には 私と同年齢の生徒もたくさんいるが 中に お互い口には出さないが
私を気にしている人がいて 私も その人のことが なんとなく気にかかっている。

今回の二階級昇進で 調和体の部での級が 私のほうが上になったのだ。
別に競争しあっているわけでも 敵愾心があるわけでもないが
気にかかっている その方より上になった と思うと わけもなく ちょっと嬉しいのが本音だ。

これで ますます精進しなくては という気持ちが 強くなっている。

今日は雛祭り。

今ではそうでもない家もあるが 私が生まれた地方では 行事は旧暦で祝う慣習がある。
だから 子供の頃の雛祭りは 四月三日だった。

私が育つ頃は 終戦まもなくだったから 各家々のお雛様は まだ土雛のところが多かった。
本家の雛祭りも 何段もの高い壇に 土でできたお雛様が飾られていた。
それも 何代にも渡るお雛様たちだから その数も大変なものだった。

でも 我が家は 新しく父母が起こした家だったから 私のお雛様は 昭和のその頃の
主流だった 御殿付きの 今の人形と変わらないお雛様だった。

そして 壇の隅っこには 生まれてまもなくだった私の初節句を
形ばかりでも祝ってあげたい と祖母が買ってくれた それはそれは小さな 一対の
土でできた雄雛と女雛が 小さな赤い平台の上に 必ず飾られた。
そのお顔が可愛くて 手のひらに載せては ほほずりしたりした思い出がある。

物心ついた時期には 御殿に雄雛女雛 その下に三人官女 五人囃子に右大臣左大臣
それに ぼんぼりや橘と桜にたかつき などが飾られていたが その後 三人の仕丁や
道具が加わって 今の時代と変わらない七段飾りになった。

当時にしては 豪華で新しかったお雛様も 後年 娘に調えてもらったものと比べると
さすがに 古びて小さい。
雛も時代の流れがあって 孫のお雛様は やはり現代のもの と思わせるお顔だったり
大きさだったりする。


四月といっても 飛騨はまだ寒いが それでも 日差しは春めいてくる。
飛騨の雛飾りには 菱餅や雛あられの他に あさつき が添えられる。

そのあさつきが 私が生まれた町には どうしたことか生えなかったから
お雛様を飾る頃になると 母に連れられて あるいは一人で 高山の祖母の家へ行き
田んぼの畦や土手に生えているあさつきを採った。
それも 根っこをつけたままでないとダメだったから よいしょッと力を入れて抜かなくては
なかなか抜けなかった。

そのあさつきの根をきれいに洗うと 真っ白なひげ根が現れる。
その上に 緑も鮮やかな ちょうどねぎを小さくしたようなあさつきがあった。
ひな壇に飾ると 赤い毛氈に 華やかな色とりどりの衣装をまとったお雛様と
あさつきの緑が 子供心にも 実に印象的だった。

当時 各家々のお雛様は 玄関を開ければ すぐ見えるように飾られていて
近隣の子供たちは
ひ~なさァまア みしとくれ~ お~ぞ~ても~ほ~めるで~
と歌いながら 家々のお雛様を見てまわり それぞれの家でお菓子をいただいた。

今では もう そんな風習はなくなっているだろう。

雛祭りのこの時期 飾られることもなくなってしまって 押入れに眠っている自分の雛に
ごめんね と謝りながらも 来年こそは出してあげないと と はかない希望を抱いている。

先日 三年以上会っていなかった友人から電話があった。
以前 彼女に連れて行ってもらったことのある 隣市のお寺の梅の花が見事だから
一緒に見に行かないか というお誘いだった。
天候の具合をみて 晴れた日に連れて行ってもらう約束をした。

そして今日 そのお寺へ 連れて行ってもらった。
その寺は 山際の奥まった場所にあり 訪ねる人もあまりないお寺のようだが
それでも近年は どこからか多少の補助金や寄付でもあるらしく 徐々に整備されていく様子だ。

石庭で市の指定を受けているお寺だが 周囲には 紅白のしだれ梅が何本も植えられていて
ちょうど今からが見ごろだ。

花木に近づくと プ~ンと 梅特有の気品ある香りが漂ってくる。
お香にもあるくらい 梅の香りは日本人には好まれる。

その香りの清々しさと 凜とした花木の佇まいは しだれている枝のたおやかさもあって
実のなる梅の花とは また違った趣きが感じられる。

前回は気が付かなかったが 建物の裏には 数えたら三十本もの紅白梅が植えられていた。
こちらはまだ蕾も硬くて いっせいに咲く満開時には 花も香りもさぞ素晴らしいだろう と想えた。

家まで送ってもらった後も まだ あの強い梅の香りが 体にまといついているようで
しばらくは 清々しい気持ちが続いた。

今日 最高裁で 徘徊中に線路内に入り列車事故を起こした 男性認知症患者の妻に
JR側の訴えが退けられ 妻に賠償責任なし と 判決が下された。

他人事ではない。
過去に認知症の父を看ていた私は この裁判にどのような判決が下るか 強い興味があった。
だから 今日の判決に 人知れずほっとした。

実際 患者を四六時中見守ってはいても フッとした隙に その患者が外へ出てしまうことがある。
亡父にも 何度か ヒヤッとさせられた。
一度など 夕方暗くなりかけても所在が知れなくて 警察や消防の力を借りようとしたこともあった。

私が住んでいる市でも 時々 行方不明になった患者があるから と 服装や年齢を知らせる
捜索の放送がかかる。
中には 悲しいかなとうとう解らずじまいになる人もあるらしい。

我が家も 亡父の徘徊を防ぐために 家中の戸に幾つもの錠や鍵やブザーを付けていたが
それでも 完全に外への徘徊を防ぐことはできなかったのだ。

今回の裁判の対象は 年老いた妻だった。
なおさら 夫の徘徊を防ぐなど無理なことだった と 私だけでなく
経験者はみんな 同情しながら妻の心境を想い 裁判の行方を見つめていたに違いない。

もちろん 今回のような事故を起こしても仕方がない とは言わないし言えない。
家族や面倒をみている者は それなりに責任があるだろう。
しかし それでも 防げないこともある ということだと思う。

今後 類似する事故は 多くなっていくだろう。
それを どうやって防ぐか防げるか は 大きく行政に依る。
社会全体での見守り これができれば 言うことはないのだが それが 一番難しい。

私たちは 自分の家で自分の家族と暮らしたいし 家族もそうしてあげたい。
どんな病気であっても 最期は 自宅で家族に見守られながら その生を終えたい。

こんな ささやかで根源的な願いが叶えられて
看護している者が裁判で裁かれるようなことがない社会体制は
いつになったら 出来上がるのだろう。

今日は 長男の誕生日。
四十三年前の今日 初めての子として生まれてきた。

妊娠 とわかった時は嬉しかった。
その前に何度か流産し 医師から しばらくは 赤ちゃんは諦めて と言われていた。
悲しかったが 神様にお願いするよりなかった。

定期的に通院 そして 偶然 かすかな体調変化を感じ受診すると
医師は 多分、妊娠はしていないと思いますが とりあえず検査だけしておきましょう と
まさかの軽い気持ちで 検査をしてくれた。
ところが その まさかだったから 夢をみているような気がしたものだった。

流産しやすい とあって 妊娠当初から ほぼ一週間ごとに医院へ通い 薬を飲み続けた。
途中 危うい時期もあったが 予定日より半月早く生まれてきた。

破水から始まった出産は 一日経っても陣痛がこなかったから いざ産むときは 大変だった。
羊水がなくなっていて ほとんど からいきみ の状態での出産だった。
もう少しで子宮が出てくるところだった。
今でも 当時の助産婦ー彼女は高校の同級生だったーの言葉を覚えている。
ー切ればよかったねえ 危なかったねえ・・・ー

生まれた年は いつまでも寒い年で 三月のこの時期なのに 高山は毎日雪が降った。
心の広い大木のような人間になってほしい・・・夫と そう願って名前を付けた。

四十三年も前のことなのに 昨日の出来事のように 細かなことまで覚えている。

様々な 大きな事小さな事があった。
そして彼は 独立し 二人の子持ちになり 今日を迎えた。

夫として父親として 彼のこれからには 想いもよらない出来事が待っているかもしれない。
それらを 健康で力強く乗り越えていってほしい と 願っている。