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友人のご主人が亡くなったことを 今日知った。

友人より二歳若くて 二人の息子さんと 建築の仕事をしていらっしゃった。

バイク好きなご主人は サイドカーに奥さんである友人を乗せ 日本各地へ旅をされたり
友人の話を聞いても とても若々しくて アクティブな方だった。

それが 突然の 亡くなった知らせだったから 驚いた。

癌だったらしい。

どんなに屈強な人でも 病気には勝てない。

友人の心境を想うと 慰めの言葉もない。

ご冥福をお祈りするばかりだ。
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昨夜と今夜 以前に映画館で観た映画を放送した。

バチカン市国🇻🇦が 映画の主な場所だ。

バチカンは🇻🇦何年も前に夫と旅した場所でもあったから
夫は 今夜も 放送を楽しみにしていた。

旅に出る前は 事前に行き先の歴史や見るべきポイント等を調べてから出かける。
それでも 実際に現地へ行って見て自分の目で見ると 情報量は断然違う。
そして旅を終えて後 印刷物や映像で かつて旅した先を目にすると
また違ったものが見えたりして 新鮮だ。

バチカン市国🇻🇦もそうだ。
キリスト教の歴史そのもののバチカン市国🇻🇦は 実に見応えがあった。

そして今回 久しぶりにまた観て 面白かった。
映画だから 実写でない場面も多かったが 主だった場所は 観てきた所だ。

映画の中では ローマの街中も写った。
夫とまわった泉も映って 懐かしかった。

いつもなら 途中で居眠ってしまう夫だが 今夜は最後まで観た。

夫は 私ほど旅好きではないが それでも旅に出た先にまた出会える喜びは
私と同じらしい。

ずっと思ってきたことだが どうして 官製の出版物は
あんなに質のいい紙を使用しているのだろう。

どこの市や県でもそうなのだろうか。

毎月初めに 各家庭に配布される印刷物は どれをとっても 紙質がいい。

もっと質を落としても差し支えないのに と いつも思う。

年間にすると 費やされる額が かなり違ってくるのではないか。

費用は すべて 市民や県民の税金だ。
市や県の係りは 紙の質を落とす ことを考えたことはないのだろうか。

印刷物に限らず 公のすることは お金に糸目をつけない。

もっと細やかな神経で 政に当たってほしい。

東京の孫が通っている幼稚園は イギリス🇬🇧の教育課程と同じ教育をしている。
幼稚園から高校までの一貫教育だから あえて 幼稚園 とは言わず 学校 だ。

六週間通学すると 一週間の休みがある。
今がその休暇の真っ最中。

そこで今日は 仲のいいお友達数人と一緒に 前回行って楽しかった キッザニアへ行った。

九時開園だからと 早起きして行くと 孫が 女の子で一番だったらしい。
なんと その日一番に行った女の子は その日一回しか行われない結婚式の花嫁さん👰に
なれるのだ という。
休日には その花嫁になりたくて 六時前から並んで番を取る父兄もあるんだとか。

大勢の子供で混雑するキッザニアで たくさんある
仕事のなかでも 結婚式は特別。
女の子の憧れの花嫁さん👰の結婚式だ。

思いがけず 花嫁👰になれた孫は 子供の美容師にお化粧してもらい
ウエデイングドレスを着て ヘッドにも冠 手には花束を持って 本格的に行われる結婚式に
のぞんだ。
本格的だから ブライズメイドも花婿も 入場も式も すべておこなっての結婚式だった。
大人が終始付き添って すごい事だよ❗️ 今時のお遊びは❗️

結婚式が済むと その後 前回も楽しかったコックさんやピザ屋さん 獣医など
八種類ものお仕事屋さんを楽しんだようだ。

しかし 帰宅した孫は やっぱり幼いから 花嫁になれたことのラッキーさより
今度は ピンクのドレスがいいから ブライズメイドがいい と言ったそうだ。

平日だからこそ こんなにたくさんのお仕事屋さんをお友達共々楽しめて 大満足の孫だった。

今時の日本の子供は みんなこのキッザニアへ行きたいらしい。
自分のおもちゃで屋内で遊ぶ形は もう古いらしい。

お遊びも 大型化 本格化 している。
年寄りには ついていけないよオ〜。

昨日 ちょっとはしゃぎ過ぎたのかもしれない。

寝る頃になって 足に いつもの予兆がきた。
だから そっと痙攣が起こらないように 起こらないように と
体の動きに気をつけた。

眠っている間も 熟睡ができなかった。

そして今朝 六時を過ぎた頃 アレがやって来た‼️
激痛を超えた痛みに とうとう耐えられなくて 夫に助けを求めた。

わたしの様子で どんな事になっているのか解る夫は
引き攣れが少し和らぐまで 三十分くらいマッサージをしてくれた。
それでも ヒクヒクビリビリは続くし 影響で 腰にも激痛がやってくる。

こんなにひどい引き攣れが起きた後は 一日中 何もできない。
洗濯物を干しただけだ。

今も ヒクヒクビリビリは続いている。痛い。
左足の先も裏もふくらはぎも ヒクヒクビリビリと重だるさと痛みだけしか感じない。

いつになったら よくなるのか。

やっぱり 自由に外を出歩くなんて わたしには無理なのかもしれない。
やっぱりダメかも👎


今週から 我が家近辺の道路状況が変わった。

すぐ側に建設されていたカルバートを通るルートになった。
通れるようにしておいて 高速道路の橋脚やそれに付随する工事が始まったようだ。

今日はその手始めなのか 八時から 我が家に一番近い場所で 下準備の工事をしている。

小山の縁の樹木を切り倒し これまで使っていた仮設道路のアスファルトを
剥がしている。

その音の凄まじいこと‼️‼️

何度も書くことだが 公共益を得るためには 陰で誰かが 不利益を被っている。

三年後を完成のメドにしているから 今後は 粛々と 爆音の騒音を伴いながらの工事が
進んでいくのだろう。

今日は とてもいい秋晴れだが 洗濯物を干すと あまりの騒音に
慌てて 家へ入ってしまった。

今日版 すさまじきもの それは工事の騒音。

今日は 大学病院受診日だった。

叔父の葬儀以後 この日は 受診後は必ず叔母の家へ行っていた。
そんな生活に私も慣れていたし 叔母はもっと それが当たり前のように思っていたらしい。
だから昨日 明日は図書館へ行かねばならないから 寄れない と メールすると

待っていたのに残念です

と メールが帰ってきた。

今日は図書館もだが 夫が迎えに来てくれるまで 自由に時間を使って構内を歩きたかった。

晴れならば バスを途中下車して モールを歩くつもりでいたが あいにく今日は朝から雨。
駅までくれば 全く濡れない。

欲しいものもあったし 駅舎に付随している東西の長い建物の中を あちこち見て歩いた。

雨の日は お客を呼び込むためか 雨の日サービス☂️があった。
いつもの値段より値引き 税金もなしだから かなりお得だ。
おまけに ポイントが貯まると どのお店でも五百円引きになるサービスまであった。

本屋でも 気の済むだけ本を手にとって立ち読みし 気に入ったものを 数冊購入。
ついでに 来月が誕生日の娘へ送るバースデーカードを選び 奉書袋も一緒に購入した。

駅舎へ来たら 必ず寄る洋服を売る店がある。
店内には 綿や絹の天然素材を使った洋服が置いてある。
店内には よほど興味を引くものがないかぎり 滅多に入らない。
お店の前に半額コーナーがあり それが わたしのねらいだ。
素材が素材だから 半額とはいえ 結構な値段だが デザインや色柄が わたし好み。
ときたま これが欲しい と思えるものに出会えるから 面白い。

この階には 他に数店舗 婦人服の店舗があるから ゆっくり覗いて歩けば
思わぬ値打ち品や 気に入った物に出会うこともある。

疲れれば 大きな木のテーブルに切り株のような椅子が並ぶ スタディコーナーがあるから
そこに腰を下ろして休んだり 飲食したりもできる。

もちろん 反対側の東には 大好きな図書館だ。
できれば本館へ行きたいのだが 本館は 我が家からだと 最寄りのバス停で降りてからで、お
ちょっと歩かなくてはならない。
それで 駅舎内の分館を もっぱら利用してきた。
でも これからは 本館へも行ってみよう と思っている。
病院行きの日とは別の日に。

夫が迎えに来てくれるまで 今日は 思う存分時間を使って 自由に過ごした。

久しぶりに 気持ちが晴れた。



腰を悪くしてから 負担をかけないよう無理をしないよう 医師からも言われて
よっぽどでないかぎり 家の中ばかりで過ごしてきた。

今回の不調は 自分でも 無理してる 意識あってのうえでのことだったから
覚悟していた。

年々 確実に 体力がなくなっていく自覚もある。
でも今回は 体もだが 精神的にも色々重くて 疲れの度合いが 桁違いだったような気がする。
だから今後は こんなことは まずないだろう と思っている。

こんなに自分でも思っていないほど疲れが出てしまったのは どうしてだ❓
と 考えてみた。

普段から 家の中ばかりに居て 体を使って動いていない
無理をしないように これ以上腰痛足痛を起こさないように。

それに尽きる。

特別 運動しなくても 単に 外出するだけでいい。
外へ出れば 意識しなくても 自然に歩くし動く🚶🚶‍♀️
それが 知らず知らずに体力を作る。

だから

これからは どんどん出かける。
用がなくても 出かける。
歩くために 出かける。

家の周囲でなく 買い物がなくても 繁華な場所へ出かけて行く。
そうすれば 知らず知らずに歩くだろうから。

気がつけば 健常な人が普通に過ごしている日常が 今までの私にはなかった ということだ。

そういえば 以前 私の暮らしようを聞いて 人間の暮らしじゃない…と言った人がいた。
その人から見れば 家の中ばかりでの生活は そう感じるほど 異常なものに思えたのだろう。

その言葉を言われた時はショックだったが 今思えば その人の気持ちがわかる。

だから
これからは できるだけ 用がなくても 外出する。
そう 今日 決めた‼️

昨日は一日かかって 畑で 種まきの準備をした夫。
今日は 一日かかって 夏の間に塗り残していた 二階の南側の壁塗りを完了させた。

これで 壁も軒板も漆喰も 全て修繕が済んだ。
雨樋は 居間やキッチンをリホームをした時に 全て新しくしたし 屋根瓦も点検済みだ。


夫は もうこれで 生きている間は 地震がこないかぎり家屋に関しては大丈夫 だと言う。
そのうち 一番手間もお金もかかる壁塗りを自分の手でしたことで 夫の満足度は 満々。


家屋を維持するのには 手間もお金もかかる。
そのうち一番のことを 自分の手でしようとするのだ。
最後まで 家の周囲すべての壁塗りを 一人で完了できるのか 内心 ちょっと心配だった。
それに なんといっても素人なのだし ハシゴや屋根から落ちはしないか と言う心配もあった。
大怪我でもしたら それこそ元も子もなくなってしまう。

でも 夫は やり遂げた。

昨日今日 自分の思うように動いて 思うような成果を得た夫は
お風呂上がり
それにしても さすがに疲れたア〜
と 満ち足りた顔で 言った。
そして 早々とベッドへ。

叔父や叔母のことを抱えながら おまけにこの暑い夏の間の仕事だったから
さぞかし 疲れもしていよう。

年の割には若く見えても 中身は七十。
よくぞ 自力で壁塗りを完了なさいました。

ご苦労様でした‼️

私が体調を悪化させてからも 相変わらず 遠慮がちではあるが
叔母からは 電話やメールがくる。

少しは 私の体調不良の原因が 自分にあるのかも・・・という思いはあるようだが
それは ほんのちょっとのこと・・・だと思っているようだ。

私からすると この体調絶不良は ひとえに 叔父と叔母へ軸足が向いていた間に蓄積された
心身の疲労が元だ と思っているのだが。

この温度差 思いの違い は 世話を受けた者と世話をしてきた者との
その間の思いの違いなのだろう。

人とは 得てして こんなものなのではないか。

片方は 精一杯 自分の生活を二の次にしてまで動いても
他方は ありがたい とは思いながらも 相手が そこまで自分のことを思って
動いてくれている とは 思い至らないものだ。
それが人間なのだろう。

しかしだ。

奥深い人間は 相手の 自分に対する思いや心の もっと奥を察知するし探る。
そして 相手の気持ちの深さに 思い至るのだ。

そのようにできるためには 自分自身の それまでの人生で
どんな経験をどれくらいし その経験から 何を学びとってきたのか が ものをいう。
その厚みが どこまで他人に寄り添えるか どこまでその人の気持ちが解るか を決める。
そして その厚みこそが 人としての真の優しさ なのだと思う。

しかし そうだとしても 叔母が心無い人だとは 思わない。
私がこの八ヶ月の間 叔父や叔母のことで奔走したのは 自分で納得してやったことだし
それを ありがたがってもらおう とは ハナから思っていない。
私自身の性格から やったことだから。

とはいえ 私だって人間だ。
虚しくない と言えば嘘だ。

でも でも と言うしかない。
自分で納得してやったことなのだから。


今 問題なのは 叔母に 私に頼らないで どう自立してもらうか だ。





今朝 思わぬ荷物が着いた。

差出先は 故郷の友人
何を送ってくれたのだろう。

封を開けて見て 思わず涙が出てしまった。

彼女は 以前 私が大好きだ と言っていたことを覚えていて
故郷にしかないものを送ってくれていた。

今年はいろいろあって 体調も悪くて 今 故郷でどんなものが食べられているか など
思いもしないで過ごしていた。

そんな時に 私が大好きなもの 栗寄せ を どうしても私に食べさせたくて と
彼女は わざわざ買い求めて 送ってくれたのだった。

彼女だって 本当は病気なのだ。
そのために 今は車の運転が出来ないのだと 前に言っていた。
だから多分 娘さんに運転してもらいお店へ行ったのだろう。
荷物は どうやって送り出してくれたのだろうか・・・。

一緒に入れてくれたものも どれも故郷でしか売っていないものばかり。

ありがたかった。

体が悪い時は 心も悪い。
どうしても 気持ちが萎える。

そんな時期にの 故郷で暮らす友の気遣いが 身にしみて 嬉しかった。

半分以上 故郷とは 縁が切れてしまっているような状態の今だが
それでも 私を作っている原型は 故郷とそこで過ごした年月だ。
いいことも嫌なことも たくさんあったが こうして 思いがけず 故郷に出会うと
やっぱり 懐かしいし嬉しい。

こんなにも思ってくれる友人が 故郷にはあるのだ という喜びと
心配してくれている人がいる という嬉しさが 心を暖かくしてくれる。
こんな体で 無意味に生きているのではないか 生きていていいのだろうか という
この頃のささくれた心許ない思いを 何処かへ運んで行ってくれたような気がする。

初秋を過ぎて いよいよ 秋も深まって 山からは 紅葉🍁の便りが届く時期になった。

とはいえ 昨日今日のこの暑さは 片付けてしまった半袖を また出そうか と思うほどだ。
気温が上がらないうちに と 体慣らしにブラブラと 家の近くを歩いた。

家を出ると いきなり かすかに金木犀の香りだ。
もう 今年もそんな時期が来ているのか・・・。

家の庭にも 金木犀はあるが 刈り込み過ぎて 今年はまだ 花は少ないはず。
だとすると この香りを運んで来るのは あのお宅の あの大きな木・・・足がそちらへ向かう。

ヤッパリ!
枝を丸く大きく張った木の 真緑の葉が見えなくなるほど 橙色の小さな花が ビッシリ!
木のそばまで行くと 甘い香りが より一層強くなって クラクラするほどだ。

しばらく 杖を支えに立って 香りを楽しんだ。

向かいの小山の緑は まだ紅葉の気配はない。
高速道路工事が 徐々に本格化しているから 来年は この緑さえ 変化しているに違いない。

世の中は 少しずつ変わっていく。
人の心も 同じだろう。

変わらないものは 月と香り・・・ 花木はそこにある限り 時期さえくれば 永遠に香る。
月は 日毎に巡り来る。

明日も天気はいいらしい。
あの金木犀は 明日も変わらず香るだろう。

夫はよく その日に勤め先であった 楽しい話や可笑しかったこと 可愛かった話など
を 夕飯を食べながら 話してくれる。

今夜は かに の話。
可愛い話は年少さんが多いが 今夜の話も その年少さんとの給食時のこと。

夫は 毎日順繰りに各クラスを廻って 子供たちと一緒に給食をとっている。

今日も 年少さんの一クラスで食べていると
みんながほとんど食べ終えたころ 一人の子が 夫の側へ来て

カニに刺されちゃったの❗️

と言った。

夫が

え⁉️ カニ🦀は刺さないよ カニは両方のハサミで チョキって はさむんだよ。

と言いながら 両手の指をチョキにして 揺らして見せた。

すると 隣で 二人の会話を聞いていた子が

ちがうよ カニはさすんだよ‼️ 見て見て❗️ ほら ここ❗️

と言いながら 自分の足を見せた。
夫が見ると なんと 蚊 に刺された痕があるではないか!

そして 見せたその子が言うこと。

カニにさされると かゆいんだよね〜。だから おくすりをぬるんだよ。

幼い子は 単音だけであらわされる単語 の理解が難しいらしい。
我が家にも そんな子がいた。

蚊に刺されると
かが に刺されちゃったの。

可愛い言い間違えに 私たち夫婦も祖父母も
蚊 と言う時に わざと かが と言ったりして その 幼さを愛しんだ。

今日 久しぶりに かににさされた を聞いて 夫と二人 笑った。
腰の痛みが ちょっとひいた。





昨日 整形外科で処方された座薬ってスゴイ❗️
医師が 強力だからね と 一言添えての処方だったが その通りだ。

昨日は どんな動きをしても ズキ!ときていた痛みが 今日は朝から 楽になっている。

今まで 痛み止めは服薬と貼り薬 を使ってきた。
座薬も 入院直後や手術直後には 使った覚えがあるが その後は 処方されなかった。
だから 私も 座薬があることに まったく考えがいっていなかった。
それが今回 こんなによく効くことがわかった。
整形外科の医師に 感謝感謝だ。

来週の火曜日にはまた大学病院を受診する。
その時には 担当医師に 今回の状況を話して 伝えなければならない。

痛み止めにかかわらず 様々な薬💊が日々開発されて 新薬が世に出る。
しかし 私が服薬している痛み止めは 従来からある古い薬だ。

これまでたくさんの新薬を使ってきたが 中には まったく体に合わなくて
不意に昏倒したり 体調を崩したり そのために救急車で運ばれたり と
散々な目にあってきた。
そしてその都度 それまで使われてきた薬に戻されてきた。

だから 私の体を組織する遺伝子や もっと小さな分子や原子は
人としての進化から かなり遅れているのではなかろうか と思ってしまう。

今回また 座薬 という ずっと昔からある薬によって あれほどの痛みが
軽減した。
私の体は よほど 進化から取り残されているとみえる。

朝 秋晴れの空を タクシーの中から眺めながら そんなことも考えた。

熱が上がらなくなっても タクシーで毎日点滴に通っている。
今日ようやく 血液の炎症反応が出なくなった。
しかし 医師は 用心のために 明日も点滴に来るように と言われた。

ところが 昨夜 夕飯を食べている時 急に 腰に ズキ!と 激痛が起きた。
とても身動きができないほどの痛みが 何にもしていないのにだ。

ウ!と声が出たまま 動けなかった。
この春にも 腰の痛みが増して 大変な時期があったが その時の痛みとは
またちょっと違う。

昨夜は 仕方なく 夫に湿布を何枚も貼ってもらい そおっと歩いてベッドへ。

今朝になってみると 痛みの度合いが下がっていた。

昨日は深夜になると 突然の嵐のような 強い風雨が屋根や窓をたたいた。
急激に気圧が下がった影響で 激痛が起きたのかもしれない
痛みは 敏感に 天候の変化を察知するから。今朝は そう思った。

でも 内科医院での待合の時間 徐々に また痛みが戻ってきた。
それでも我慢できないほどではなかったから 点滴をして
また帰りも タクシーを呼んで 帰宅できた。

その痛みが 昨夜のレベルまで上がったのは 夫の帰宅直前だった。

早速 いつもの整形外科へ行き 診察 レントゲン 痛み止めの注射
やわやわとマッサージなど してもらった。

医師は 診察の際 度々 私の腰椎の状況から
知らない間に 骨が膿を持つことがあるから注意しなくてはならない と
おっしゃる。
今回も その心配を口にされた。

ありがたいことに今回も そんな事態にはなっていなかったが
熱を持たせないことが肝心だから と 強力な座薬を処方された。
金曜の夜に高熱が出たことを話したから 余計に心配されたのかもしれない。

リハビリの先生には 外見は何でもないようでも 紙一枚のギリギリのところで
普通の人と変わりないように動いているだけなんだから いつもそれ以上の余力はない。
自分は特殊なんだ と自覚しなくては。 と言われてしまった。

痛みが激しくて整形外科にかかるのは 今年はこれで二回目だ。
そのことを踏まえた上での忠告だったのだ と思う。

同じような忠告は 私の体を心から心配してくれる友人からも 以前に何度も受けていた。
その時も 気遣ってくれる気持ちを ありがたい と思いこそすれ おざなりに聞いていたわけではない。
ほんの少しでも痛みが軽くなると ついつい 目の前にあるやらなければならない事 に
気が行ってしまうのだ。
そして やりかけたら 最後までやらねば気の済まない性格が わざわいしてしまう。


今以上には 痛み止めの服薬ができない。
だから 今の痛みを抑えるには もうこの強力な座薬しかない。

友人や医師やリハビリの先生の言葉を しっかり肝に据えなければ‼️

夫の趣味の一つに釣りがある。
渓流釣りも海釣りも どちらも好きだ。

彼の学生時代からの友人で 同じ趣味を持ち 気の合う人があって
近年 川へも海へも その友人と出かけて行く。

今回も かなり前の月から 二人で行く約束をしていた。
でも 互いの都合が合わなかったり 行くと決めていた日の天候が悪かったりで
なかなか 行けなかった。
それが 私が体調を崩した日と 重なってしまった。

私が体調を崩すのは珍しいことでもないから とりあえず医者へ連れて行き
手間なしに私が食べられるものを スーパーで見繕って買い置いて
夫は 金曜日の夜中 伊勢の海へ その友人と出かけて行った。

そして 昨日夕方 帰ってきた。
いつもなら まだ陽のある日中には帰ってくるのに 昨日は帰って来なかったから
入れ食いなら 腰をあげるのが早い時刻になるのだろうが この分では おそらく・・・
と 暗くなったリビングや玄関先などに灯を入れ ベッドに入り 帰りを待っていた。

案の定だった。
聞いた時 思わず大笑いしてしまった。
釣果は 小さな小さな鯛が たったの一尾 😵❣️
明け方 現地に着いて ひたすら竿を入れ続けた結果だった。

何日も前から遠足か修学旅行に行く子供のように この日を待つのが常の夫だが
こんなに 気落ちして帰ってきた夫は初めてだった。

そりゃあそうだろう 大きな保冷バッグにたくさんの氷を買って入れ
大漁を期待して出かけて行ったのだ。
夕飯には 釣ってきた魚をさばくから と言い置いて。


それにしても ボウズに近いこんなことは 初めてだった。
持って行ったおにぎりもチョコレートもお茶も 珍しく残してきた。
釣れないから 食べる気が起こらなかったのだと言う。

そんなものか・・・調子が乗って釣れているときのほうが 食べられないのでは と思うが
どうやら 実際は反対だったらしい。

出かけて行く前 医者へ連れて行ってくれた帰り道 仕方ないこと と思いながらも
こんな状態の私を置いてでも それでも行くか と内心 腹立たしかった私は

遠い伊勢まで高速をガソリンを使って走って おまけに高いお金を払ってまで行くなんて
それで結果がなかったら この次は 日本海にしたら?
福井や富山なら 同じに高速を使っても近いし 魚だって美味しいでしょうに
釣れなくても 帰りに市場でだって買って帰れるじゃない
そのほうが よっぽど割りにあうんじゃないの?

と 助手席に座りながら 言ったものだった。

なんだか その通りになってしまったようで 言い当ててしまったようで
私の方が 気が滅入ってしまった。

そうしたら 夫が
お前が言う通り 今度は 富山の方へ行った方がいいかもしれないな・・・
と ボソッと言うではないか。

またまた私は そんなこと言わないでよ と 後ろめたさが増してしまった。

夫は 実に単純細胞な男だ。
わかっているのに それを忘れた私の言葉だった。

いくら熱があっても体調が悪くても 機嫌よく送り出しさえすれば たとえ釣果がゼロでも
こんな気持ちには ならなくてもよかったのに・・・。

こんなことではダメだ。

早く元気になろう‼️








一昨日から なんだか体が変だった。
フワフワしてだるく頭もボンヤリして 朝晩寒くなったから 体がついていかないのか と思った。

それが 昨日になっても続いていたが 習字だけは どうしても行きたくて
喉の痛みもなく 鼻水が出るでもないから フワフワする足元さえ気をつければ 大丈夫だから
と 出かけた。
筆を持っている間は集中しているからか いつもと同じように清書し 提出してきた。

お昼過ぎに ゆっくり歩いて帰宅したが その後も 体の調子が戻らなかった。

夫が帰宅し リハビリに連れて行ってもらい 夕飯の準備をした。
そのころになると これはだるさだけではないな・・・と自分でも変調が自覚できた。

どうにも食が進まない。
もしかして と 夫が食べているのを横目で見ながら 体温を計った。

すると あっという間に数字が上がり 止まった時は なん四十度六分‼️

フワフワするはずだ。きっと一昨日から徐々に熱が上がっていたのだろう。

夫に体温計を見せると 夫もビックリ!

夕飯の途中であっても 食欲もないことだし このまま横になりたくて
だるい体をこらえて 薬を飲み 水枕に氷をいっぱいに入れて ベッドへ。

夕飯が済んだら外へ出て 今年の十三夜の月を眺めよう と思っていたが
そんな気持ちはどこかへ消えてしまった。

横になった途端 目が開けられなくて そのまま眠ってしまったらしい。
目覚めると 時計は もうすぐ十二時。

少し熱が下がったのか 体が冷たく感じた。
ゆっくり起き上がって 重い体をおして下着を換えた。

珍しく夫がまだ起きていた。 私の容態が気になって 眠れなかったらしい。
少し熱が下がったみたい と言うと それで安心したのか 夫も寝支度してベッドへ。

今朝目覚めてみると まだだるさは変わらないが また少し熱は下がっていた。

多分 心身の疲れが限度になっていたのだろう と思う。
自分でも この八ヶ月の間よく持ったものだ と思う。

やっぱり しばらくは ノンビリ ボンヤリ ボーッ とする時間が必要みたい。

今日は朝からカラツと晴れて 秋らしい日和 そして 書道の稽古日。
行きはタクシーを使ったが 帰りはバスに乗り 停留所から ゆっくり歩いて帰ってきた。

高速道路の工事も いよいよ本格的になり たくさんの重機が ガーガー ドドドツと
あちこちで動いている。
我が家のすぐ側では トンネル内の整備が行われていて その騒音が またすごい。
広い工事現場の中を縫うように 道がクネクネと通っていて
早くトンネル内の道を通れるように と 周辺の住民は望んでいるが
まだまだ先のことになるだろう。

そんな道を ゆっくり歩いていると 一反ほどの 元は稲作地の草むらの上で
小さな真っ黄色の蝶が あちらにもこちらにも たくさんの数 ヒラヒラと舞っていた。

蝶は春のもの という思い込みがあったから 相当な数の黄色いヒラヒラが
もうすぐ枯れ色一色になる寸前の草はらを飛んでいる風景が 意外で
つい 立ち止まって眺めてしまった。

残り少ない暖かな日に 小さな命を せい一杯燃やしているかのようで 可憐だった。

佇んでいると 赤くもないトンボがスイスイ近寄ってきたりして
秋の深まりを感じさせる。

足元の道端には 季節を間違えたタンポポが 季違いを恥じるように 丈短かに咲いている。

春先から こんなに季節の移ろいを感じたことがなかった。こんな田舎に住んでいながら。

心模様や生活の仕方で 感じるべきものも見逃してしまうものだ としみじみ思った。

今夜は 十三夜。
美しい月を眺めて せいぜい 秋を感じたい。

昨日 叔母の家の家事を手伝ってくれる人が決まったら これでたいがい 私の仕事は終わった。

三月以来 ずっと 私や夫の生活の軸足は 叔父や叔母だった。
叔母は それほどには思っていないようだが 正直 私たちは大変だったし とても疲れた。

自分のリハビリは後まわしになったり 歯医者へは行けないままだったり
優先すべきことができると 自分たちのことは仕方なく諦めて 叔父や叔母のことを
先に先にこなしてきた。

私たち夫婦はどちらも 頼られると 見て見ぬ振りができない性格だから
いつでもこんな 言ってみれば 貧乏くじを引くことになってしまうようだ。

それでも 他人のことに奔走することで 様々な経験を積むことになり
それが 自分たちの考えを深め 人間性を厚みのあるものにしてきたのではないだろうか。

何か一つ経験したら 必ず そこから何かをつかんで立ちあがる
これは 若い頃からわが身に降りかかってくる様々なこと 困難なことに向かう度に
肝に命じてきたことだ。

おかげで ちょっとやそっとでは泣かなくなったし うろたえることもなくなった。

この八ヶ月の間に経験したことも 必ず私の 私たちの成長の糧になる と信じている。

それにしても 気がゆるんだのか 今日は 体が重くて だらだらだった。

昨日 大学病院で いつもの治療に加えて 新式の機械でレーザーをかけたせいも
あるのかもしれないが でもしばらくは 休養が必要みたいだ。


今日火曜日は 大学病院受診の日 あわせて 叔母の家の掃除などをお願いしたセンターから
詳細の打ち合わせと顔合わせに 事務方の人とヘルパーの方が 叔母の家へみえる日だった。

叔母が ヘルパーに掃除などの家事の手伝いを頼みたい と言い出した時
昔 腰の手術の後 しばらく来ていただいていた方を思い出した。
とても有能な人で手際も良く 性格もいい方だったので 今だにとっさに名前が出るほど
印象が強くて 覚えていた。
もし その人が まだ仕事をやめていないなら その人がいいよ と 叔母に薦めた。
問い合わせると まだ働いてみえる とのことだったので その人を指名して お願いした。
それで 今日が 初めての顔合わせだったのだ。

その方も よく私を覚えてみえた。
あんなに激しい腰痛の患者をみたことがないほど 当時の私は どうしようもなく強い痛みを
抱えていたから よく覚えているのだ との言葉だった。
あの頃と比べると 今の痛みは ずいぶん軽くなってはきた。
それでも 今だに大学病院へ通っている と話すと 驚いてみえた。

驚いたのは 私も叔母もだった。
なんとその人は 一年半前に 脳内動脈瘤で生死を分けるような 大手術をしてみえた。
医師に 無事生還は三十% と言われたが 頭蓋骨を外しての大手術だったにもかかわらず
一月の入院だけで 麻痺もなく退院したのだそうだ。
そしてすぐに 仕事を再開したのだという。

その人いわく 生きるのだ という 強い信念と思いがあったから だそうだ。

生きる姿勢が 生死を分けるような手術もその後の身体の状態をも決めたようだ という
その人の言葉は 叔父の死後 ヒワヒワとしている叔母の心にも 私の心にも
強いインパクトを与えた。
本当に 強い人だ と思う。

こんな強い人に 週に一度でも来てもらえば きっと叔母も 強くなっていくのではないか
そう思ったし そうあってほしい と願った私だった。

そういう私も 気弱にならないで 毎日を生きねば‼️


今日十月十日は 長男宅の 下の孫の誕生日。
毎年この日には 孫の大好物のおはぎを作って お祝いの食事を共にする長男宅へ持って行く。
プレゼントは 二、三年前からは 上の孫と同じに 図書券 と決めてある。

バースデーカードを添えて持ち 十一時に夫と出かけた。

孫は 今日で十二歳になった。
長男が私たち夫婦の近くに来て もう十二年も経ったのだ と 孫の年齢が思わせてくれる。

この子は 嫁の実家が遠いため 地元の産婦人科医院で生まれた。
出産の際には 私も医院に駆けつけていた。
長男と 当事四歳だった上の孫が産室に入り 出産に立ち会った。
そのせいか 上の孫は 幼いながら とてもこの子を可愛がった。
高校生になった今でも 互いに互いのベッドに潜り込んで寝るほど 仲がいい。

上の孫にしても 今日十二歳になったこの孫にしても まったく生意気けがない。
いつもニコニコと 罪のないことを言っては笑い 親である長男夫婦とも
会話が絶えない。

今の時代 多分 こんな家族 こんな孫たちは 珍しい部類に入るのではないだろうか。
どうかこのまま 真っ直ぐに大人になってほしい と 心から願っている。

午前中に今入っている施設を出る と予定していた通り 夫と私は 10時に家を出て
叔母が入っている施設へ向かった。

ずいぶん元気になった叔母は 自分で荷物をまとめて 待っていた。
三週間前に入った時より 荷物が倍以上になっている。
日々元気になっていった叔母は 施設のある階から下へ エレベーターで降りて
二階や一階のお店をのぞいて見ながら 足腰が弱っているのを 回復させていったらしい。

施設は ビルの三階にあったから 下の階には 飲食店やブティックがあり
通路続きの建物には また他のブティックや 様々な飲食店があるし もっと先には
書店や図書館もあって 毎日 退屈しないで 足馴らしの散歩ができた。
どこも屋根付きの通路でつながっていて おまけに足元が平らだから 歩きやすい。

高額な施設だったが このような立地のよさが 叔母には合っている と思って
この施設がいいのでは と 叔母の妹や義理の息子と相談の上 決めたのだった。

入った後 叔母は 徐々に 食事や諸々についての不満が募ってはきたが あの施設以上の
いい施設はない という施設だったのだから いたしかたなかった。
人里離れた場所や山の中に建っている施設では 田舎大嫌いの叔母では とても
元気が出た今のような姿にはなれなかっただろう。

施設の職員に見送られて 何倍にも増えた荷物を 夫の車に積み込んで 出発。
途中で 叔母が入所中 出たら食べたい 出たら食べよう と言い続けていた
うなぎを食べるために 専門店に寄った。

あれほど食べたかったうなぎでも いざ食べようとすると 胃のない叔母は
少量しか食べられない。
仕方なくパックをもらって 残りを持ち帰った。

長期間 家を留守にしていたし この長雨だ。
当然 家の中はカビているだろう と思っていたが 予想に反して
カビ臭くもなく ただこもった匂いがするだけだった。

叔母の家は 小さいがメーカーの建物だ。木造ではない。
だから 機密性が高い。
そのため カビも生えなかったのだろうか。
だとしたら 建坪単価が高いのもうなずける と 変なところで感心した。

昨日 買っておいて持って行った花を 仏壇や花瓶にさして仏壇の前に飾って
お経をあげ 叔父の写真に 叔母を守ってあげて と願った。

そして夕方近く 隣近所に帰宅したことを報告 今後のことをお願いして
夫と私は 帰ってきた。

朝方 眼が覚めると 外は雨。
やっぱり天気予報は当たった。

いつもの時間に眼が覚めた夫だったが 新聞を取り込み 見出しに眼を通すくらいの時間
リビングにいたが また寝室へ戻って ベッドに入った。

私は 昨日の疲れもあって ズボラを決め込み ベッドに居続けて リーダーで本を読んだ。

そのうち 夫が起き出したが 私はまだ起きる気がしなくて ベッドで本を読んでいた。
そして いつの間にか寝入ってしまったらしい。
ふと眼が覚めて時計を見ると なんと お昼が過ぎているではないか。
いつの間にか雨も止んで 窓から見える道路も 乾いていた。

慌てて身繕いし 寝室を出て夫の姿を探すが 家の中のどこにもいない。
ひょとして トイレで倒れていないか・・・でもいない。
いつも持ち歩くバッグや車の鍵は 定位置にあるのだからと ベランダを見るとスリッパがある。

でも姿が見えない 大きな声で お父さん!と呼んでみると
上から おう と返事があった。

声のする方を見ると 夫は ハシゴをかけて ナツメの実を採っていた。
私も もうそろそろだな と思っていたところだったから 嬉しくなった。

さっそく私もお手伝いだ。
小さな実を 一粒づつ枝から採ってカゴの中へ。

今年の実は 茶色に実って美味しそうなのに限って 虫に食われてしまっている。
中がカスカスになってしまって 食べられたものではない。
全部を採り終えてみると やっぱりいつもの年より量が少ない。
でも 私一人が食べるには 十分の量があった。

このナツメは 故郷の味だ。
実家の畑に生えたひこばえを持って来て 隣の畑に植えたものが大きくなったので
敷地の中にも そのまたひこばえを植えた。
今では その二本が 秋になると 可愛い実をたくさんつける。

故郷の地方では この実を 甘辛く砂糖と醤油で 蜜煮のようにして煮て食べることが多い。
それを缶詰にしたものが 土産物店にも並んでいる。
収穫する手間 コトコトと煮る手間 がかかるからか 結構値段が高い。
でも私は 生のまま カリカリと食べるのが好きだ。
食べ始めると 止まらなくなって 困ってしまう。
それくらい 私は このナツメが大好きだ。

またこうして 大好きなナツメを食べられる幸せ。

木に感謝 夫に感謝。

昨日今日は 久しぶりの晴れ。
こんな日の朝は 起き抜けから忙しい。

今日は ちゃんと動けるようにと 昨日リハビリの後に 痛み止めの注射を腰と足にした。
だから 珍しく今朝は 起き抜けから 大丈夫 動ける。
今朝方 思いがけず 足にけいれんが起きた それも両足に起きたのに。
それでも ちゃんと動ける。嬉しいかぎりだ。


夫が出かける前から 二つのベッドのシーツをはがし 掛け布団のカバーを外し
枕カバーもはがし おまけに ベッドパッドまで 今日は洗うと決めて
マットレスから外して 洗濯機のところへ持って行った。
やる気満々だ。

夫が家を出 車の姿が見えなくなると 直ぐに洗濯機の一回めを回す。

こんなに朝早くから 家事を始めるなんて いつ以来だろう。
昔はあんなにキビキビと 朝早くから動けたのに・・・
考えてみても仕方のないこと! だから 今の体で出来る事をするだけだ!

一回めが終わると 洗濯槽から洗濯物を取り出し すぐさま 次の洗濯物を入れ
洗剤を入れ 回す。
その間に コロコロがついたカゴに入れた干物を外へ運び出し 竿に干す。
干し場は 体が悪くなってから そんな体でも干しやすいようにと 日曜大工で
それまではコンクリートだった物干し場を 履物を変えなくてもそのまま出られるように
木でベランダを作ってくれた。
今では かなり古くなってはきたが おかげで 干し物がとても楽になっている。

大物ばかりだから 枚数は少ないが それでも干すのは大変だ。
さすがに大きいものばかりだから その後 二回も回して ようやく洗濯が終わった。

その間に 数日前に軒板の塗装をしてもらったのだが 一部分 夫の気に入らないところがあり
やり直してもらうよう 頼んであったので 業者がやって来た。
その部分を業者に説明し 塗り直してくれるよう頼んで 家に入った。

でも 今度はちゃんと塗ってくれるか気になって 玄関先に置いてある 観葉植物の
混み合っている葉を間引いたり 垣からはみ出している葉を切ったりしながら
さりげなく 仕事ぶりを見たりした。


そんなことの合間には 電話が鳴るは 夫がとっている飲料の配達が来るはで
結構忙しかった。

それでも 三回めの洗濯物を干し終えた。なんとも気持ちがいい。

明日はまた 天気が悪くなるらしい。
つかの間の晴れの日 動けてよかった。


今夜のテレビのチャンネル権は なぜか 夫にあった。
私が夕食の準備をしているうちから 夫がテレビをつけていたからだったろう。

私は 夫が見ている番組には興味がなくて 黙って その夜の菜飯を食べていた。
そんな時 夫が 歌番組に変えた。

美空ひばりと石原裕次郎の軌跡をたどる番組だった。

嬉しかった 懐かしかった。
胸が キュン となった。


何を隠そう その昔 中学生から高校生の時代の私は
密かな でも熱狂的な 裕次郎フアンだったのだ。

当時 近所の姉妹にオルガンを教えて 毎月 なにがしかの月謝を頂いていた私は
映画を観たりレコードを買ったりできる 自由に遣えるおこずかいを 持っていた。

だから 高校へ通いながら 裕次郎の新曲が出ると 放課後 直ぐにレコード店へ
買いに走った。
当時 レコードもだが ソノシート という柔らかく薄い盤が流行りだった。
ソノシートは レコードより安価だったからか 流行りだったからか
裕次郎の歌も 出る曲は ほとんどソノシートだった。

買って来た新曲を 繰り返し繰り返し 聴いた。
だから 今でも 裕次郎の曲は すべて歌える。

歌が出ると 必ず その曲名をタイトルにして 裕次郎が主演する映画もあった。

学校では 生徒が一人で映画館に行くのは 禁止されていた。
が しかし 私は そんなことは無視して 一人で映画館に入った。
しかも 学校の制服のままでだ。


今思うと冷や汗ものだが その頃の私は 何かモンモンとしたものを
体いっぱいに抱えていたのだと思う。
だから 大胆で ステバチのような行為を 平気でできたのだと思う。

映画館の関係者は 一人で通って来る制服姿の私を見て ひょっとしたら
学校へ通報していたのかもしれないが 学校からは 一度も
注意されたことも叱られたこともない。
あいつなら まあ大丈夫だろう と 思われてのことだったのかもしれない。
だとしたら 先生方の広いお心を ありがたいことだった と 今は思う。

そんなことを思い出しながら テレビに映る さっそうとしてカッコいい
裕次郎を見 彼が歌う姿を見ながら 一曲残らず 口ずさんでいた。

今夜は 久しぶりに なんだかわからないけれど 心の中にあった
黒く丸まっている硬い石ころを扱いかねていた あの頃を思い出した。


何かから逃れるように 見えないその先への何かを求めるかのように
明るく心根のやさしいヒーローが 正義感に燃えて活躍する姿を観たくて
大胆にも一人で 通いつめた映画館と スクリーンに映る裕次郎の姿・・・。

私にとっての裕次郎は 大好きだったスターであると同時に
石ころのようになっていた あの時代の 私の象徴でもある。







診療所の医師に 思いを率直に話す間 その医師は なるほど とか ふんふん とか
あいずちをうち こちらの話すことをパソコンに打ちながら 最後まで しっかり
聞いてくださった。

また私と叔母は 退所後 介護認定を受けたいと思っていることも伝えた。

訪問看護や診療を主にしている診療所の医師だけあって 患者への接し方が
叔母のかかりつけ医とは 雲泥の差があった。

私や叔母が 経緯を話し終え だから かかりつけ医を変えたいが かと言って
今まで見てもらってきたのが その医師だから 介護認定の調査に当たっては
その医師に意見書を書いてもらうのが妥当だと思っていること。や
大学病院で胃の手術をした際に そのクリニックからの紹介だったこと、
だから 叔父のことで延び延びになってはいるが 大学病院での五年後検診に必要な
経過の書見などの書類が そのクリニックを通してでないと 出してもらえない こと。
だから 不信感を持ってはいるものの 今後どうしたらいいのか わからないでいること
なども 話した。

話す中で叔母が 開業当時は患者が集まらず 関わった手前 叔父も心配して
自分たちのかかりつけ医を変えてまで クリニックへ通ったが 現在では おおはやりで
一人の診察時間が 二分ぐらいしかないことや ホームドクター と銘打っての開業だったが
夜間の連絡先も知らせないし 往診もしないこと。
自分が日赤へ入院する際に 往診に来てはくれたが それは 朝 開院前だったからだし
近所の人たちが 無理やりお願いしたから 手前 来てくれただけだった などとも話していた。

すべて聴き終えた後

いろいろな医師がいますからねえ・・・
この診療所や僕たちは 様々な身体条件や病状によって 通院できない患者さんのために
働いていますが 違った考えやポリシーの医師もいますから。むしろ そういった医師の
ほうが 多いでしょうねえ。
と 口にしてから
退所後のことが心配なら 訪問看護 という手段もありますよ。
僕なら 現在の ++さんの状態なら 訪問看護を受けるよう勧めます。
お家の近くにある訪問看護ステーションでもいいし ここでも それはできますよ。
でも 今のお話を聞くと そのクリニックの先生は おそらく 必要ない と
おっしゃるでしょうねえ。
介護認定に関することと 胃の検診に関することが終わったら 変わったらどうですか。
近くのステーションを持つ病院でもいいし ここへ来てもいいですよ。
普段は 訪問看護を定期的に受けて 病気になったら 僕か その病院の医師へ
看護師に連絡してもらって かかればいいんだし。
そのほうが 病気になったら医者にかかるより 安心じゃないですか。

そう おっしゃった。

訪問看護 は 叔母も私も 頭になかったから それはいい!と思った。
絶対そのほうが 安心できる。

そして 医師が言われるような筋道を踏もう と決めて 長々と話を聴いてくださったお礼と
思ってもいなかった いい道を提示してくださったことに感謝しながら
診療所を辞した。

こんなに長く時間をとったにもかかわらず 診察代もなかった。

私たちの話を聴く間も 医師が考えを話される間にも その医師は ポリシーという言葉を
何度も遣われた。
その医師からは 医療に従事する人間としての矜持が うかがえた。
若い医師だが 奢ったところのない いつも患者を第一と考える 真摯な態度に
好感が持てた。 そして こんな医師なら信頼できる と思った。

本当に 世の中には いろいろな医師がいる。
この医師ではダメだ と思ったら 直ぐに医者を変える。それがとても大切なことだ。
それを 叔父や叔母の世話を通して 学ばせてもらった。

今日は 叔母の退所に当たって 退所後の医療や生活についてのカンファレンスが
現在入っている施設内であった。
c施設側から 私にも同席してほしいと言われていたので 午前中から出かけて行った。

施設には診療所が併設されており 体調が崩れると 直ぐに医師がかけつける体制が整っている。
幸い 叔母は 今日までそんな事態にはならなかったが それでも 受診し投薬はしてもらった。

退所後の生活に関しては 週に何回か ヘルパーに来てもらう と決めている。
だから 今日の話も 医療に関してがほとんどだった。

医師にどのようなことを話し どのようなことをお願いし どのようなことに関して
アドバイスを受けたいのか 叔母と 前もって話し合っておいた。

だから医師に 正直に 思っていること どうしたいか を 筋立って話した。
耳の悪い叔母に変わって 私が主だって 聞いてもらった。

内容は こうだ。

亡くなった叔父と叔母が かかりつけ医としてかかっていたクリニックは
自宅から歩いても 五分とかからない ところにある。
そのクリニックが開業する際に 宣伝広告の会社を経営していた叔父は
仕事上 深く関わったらしい。

その関係で それまでかかっていた医院から そのクリニックへ移った。
それ以後 ずっと そのクリニックをかかりつけ医にしてきた。

ところが 亡くなった叔父は 体調を崩してから三ヶ月の間 毎日 そのクリニックへ
点滴に通っていた。それも 歩けなくなって 徒歩五分の距離を タクシーで往復してだ。
にもかかわらず 叔父は 徐々に衰弱していった。
その間に 叔母も叔父の容態を心配して 医師に 入院させなくていいのか
このままで大丈夫か 問うたが 医師は 大丈夫 と言うので 叔母も
ずっと 叔父を連れて その医院へ通い続けた。
そしてある日 その医師が 来週からは一週間に一度通えばいい と言われた。
結果 翌日に 叔父は高熱を発し食も通らなくなり 驚いた叔母は 救急車を呼び
叔父は入院した。
そして入院後 叔父は 一滴の水も 一さじの食べ物も 口にしないまま 逝った。

その経過での かかりつけ医師への不信感 と 叔母自身も 下痢をしている と
医師にうったえて受診して 投薬をされたのはいいが 下痢が止まって その次に
他のことで受診しても 下痢止めが かわらず出されたりするようなことが
度々あって 不信をいっそう募らせていた。

だから それらのことから叔母の心に起こっている かかりつけ医への不信感を
包み隠さず 診療所の医師に 話した。
同じ医師という立場の方に このような思いを赤裸々に話すことに
抵抗はあったが これを話さなければ 今後の医療についての相談はできない。

だから 思いを全て話した。


夫が 疲れた顔で帰宅した。

聞けば 怪我をした園児は 二人だ。
おおきなワゴン車が 赤信号で止まっている園車に ブレーキも踏まずぶつかってきた。
幸いにも 大方の園児は降りた後で 園車の中には 園児は二人だけだった。

衝突された瞬間 二人は座席から放り出され 床に叩きつけられたようだ。
子供は小さいから 体重が軽い。 追突の衝撃で たやすく飛んでしまうのだろう。

しかし 病院へ運ばれての検査では 骨折のような重傷もなく 関係者はホッとした。
一番ホッとしたのは 親御さんだろう。
事故にあった連絡を受けてから 我が子の顔を見 検査結果が出るまで
生きた気がしなかったに違いない。

こちらが悪かった訳ではなくても 子供を預かっている側としては 当然
夫たちも ビックリもし心配もした。

本当に 軽傷でよかった。
早く良くなってね。

今日は いつになく 夫の帰りが遅い。
私を リハビリに連れて行ってくれる時間を とっくに過ぎている。
何かの用事で 勤め先を出るのが遅いのなら 家へ着くと同時に
おい!行くぞ !! と玄関の戸を ガラツと開けて 大きな声で呼ぶのが常だから
その時 直ぐに出かけられるよう いつも準備万全で待っている。

今日もそうだ。
それにしても こんなに遅くなるときには たいがい 短いメールくらいは 入るのだが。

でも もしかして 帰り道で事故ったりはしていないだろうな・・・
心配になって メールしてみた。

帰りがやけに遅いけど 何かあった?

すると

バスが追突された 園児が二人乗っていた その対応

と 返信があった。

ありゃりゃ! !
それは大変だ!
勤めて十年 初めてのことだ。

どれくらいバスが損傷して 園児にどんな被害があったのだろう・・・
相手の車は どんな状況下で 追突してきたのだろう・・・
親御さんとは 直ぐに連絡がついたのだろうか・・・

心配で気がかりになることはたくさんあるが
まずは 夫が 手抜かりなく 全方向への対応を 万全にすることが第一だ。

おかげで 夕食の準備はゆっくりできたが リハビリへは行けなくなってしまった。

でも 大わらわで対応に当たっている夫を想えば 自分のことだけを
考えてはいられない。

子供たちのショックや 怪我の度合いが 心配だ。



先週の土曜の夜 一時的に施設に入っている叔母から 電話があった。
九日に 施設を出たい と言う。

九日だと 入ってから ちょうど三週間くらいになるし 叔母も ずいぶん元気になり
心配だっためまいも起こらないから 自宅へ戻っての一人暮らしができそうだ と
自分で思えるくらいに 心身が回復したらしい。

私や夫にとっては 叔母さえ 自宅で暮らせるようになって 私たちが面倒を
見なくてもよくなるのなら そんないいことはない。
だから 夫も 当日は勤めが休みだから 施設をひき払って 荷物をまとめ
叔母を自宅まで送れる と 承知した。

そして昨日 腰の痛みを抱えつつも どうしても駅まで行かねばならない用事もあって
その帰りに 叔母の所へ寄った。

叔母の部屋へ入ってしばらくすると 職員が 本人から九日に出る と申請が出たので
水曜日に 以後の医療も含めた生活のカンフアレンスをしたい ついては
身元引き受け人である私にも同席してもらいたい と 言われた。

ええツ 水曜日は 私からお願いして 友人に施術してもらうことになっているのに・・・

でも 確かに 退所後すぐに独居の生活が始まるわけだから 今後の医者のかかり方や
生活上の不安な事など 何も考えのないまま出たところで 万が一 帰宅後に
めまいが起こって また私達夫婦が動かねばならないようでは困る。
だからこの際 入所しているうちに しっかり 今後の見通しを立てておいてほしい。
私達夫婦にとっても この八ヶ月のようなことが 再び起こらないように・・・。

仕方がない 面と向かって 同席してもらいたい と言われては わかりました としか
返事できないではないか。
友人には申し訳ないが 訳を話して 日にちを改めてもらうよう お願いしてみよう。
叔母のことさえなくなれば 私のペースでの生活が戻ってくるだろうから・・・。

叔母の気持ちとしては 今までのかかりつけ医の対応が あまりよくないので
他の医院へ変わりたいのだが かといって 介護認定を受けるに当たっては
その医師に 意見書を書いてもらわなくてはならない。
介護認定については 同じフロアーにあるステーションのケアマネに
入所してすぐに相談し 在宅時でないと 調査できないので 退所後 直ちに
地域のセンターへ連絡してもらうよう要請してある。

一番重要なのは 意見書は 今までのかかりつけ医にお願いするとして
その後のかかりつけ医を どうやって決めるか どこにするか だ。
往診してくれることが条件になるし 何科を専門にする医師にするか も
考えなくてはならない。
その辺りが カンフアレンスでの主な話題になるだろう。

退所後の家事については 以前 私が使ったことのあるヘルパーを
お願いできないか 紹介所へ連絡したところ その人がまだいる
とのことなので 退所後に 叔母の家へ来てもらい 詳細をとり決めることにした。
とても有能なヘルパーだったから 十年ほども前のことだったのに その人の名前を
覚えていた。

こうして 今は面倒でも 後々のことをしっかり考えておけば これまでのように
もう 私の出番はないだろう と 思っているし そうであってほしい。

だから あと少しだが もう少し もう少しだけ 私の出番は終わらない。