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一年振りで同級生と会った。

前回会った時には とても暗い雰囲気をまっとっていた友が 今回 顔を見るなり
あらツ 明るくなった! と感じた。

そう伝えると
前回は言えなかった辛いことが 二年経って心の整理がついたのか
驚くほど自然に 彼女の口から告げられた。

小説やニュースでしか知らない出来事が 自分の家族に起こった時
起こったことの捉え方によって その後の生き方が変わる。

彼女ほど稀な事でなくても 不幸が自分に降りかかった時には
それまでの生き方で 身に起こった事の捉え方が変わり それからの人生が変わる。

友人は突然起こった不幸を嘆かず 哀しみの中から明るく生きる道を見つけていた。
そして 実に賢く豊かな人生を送っていた。

もう一人の友は 残酷な癌宣告を受け たった三ヶ月で逝ってしまう夫を
家で看取り みおくった。
その間 徐々に弱っていく夫を目の当たりにしながらも 涙を見せないでの日々は
どれほどのものだったか・・・。
それでも彼女は 辛さや悲しさを前面に出さないで 穏やかな口調で話してくれた。

壮絶な それでいて濃密な夫との三ヶ月は 哀しく酷い事だが
彼女の中に 温かくて強く 揺るぎないものを残したようだった。

二人の友人たちは 事が起こる前も 夫とともに必死に生きてきた。
境遇を嘆いたり恨んだりしないで 前だけを向いて生きてきた。
結果 理不尽とも思える夫との別れが待っていたわけだが
それでも彼女たちは 酷い現実を のろいただ打ちひしがれて嘆いてばかりはいない。
心の乱れを胸にしまって しっかりと生きているし 生きようとしている。

自分がいかに幸せな境遇に在るかに気づかないで 不平や不満ばかりで暮らしていると
事が起きた時 なかなか乗り越えられない。
自然 その後の生き方もうまくいかないのではないか・・・。
あるいは 生きる道を見つけるまでに 長い月日がかかってしまうのではないか・・・。

今回 友二人の思いがけない話を聞いて 日々の生き方がいかに大切か
改めて 考えさせられた。

そして 自己中心な考え方や生き方とは真逆にある 友人二人のこれからが
どうか 平安でありますように と 願いながら別れた。






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東京の娘から電話があった。

私達夫婦と次男 娘の家族は 年越しとお正月を 東京の娘宅と我が家で 交互に迎えている。
決めたわけではないのに いつからか それが年末から新年にかけての過ごし方になっている。

今年の年末とお正月は 東京で過ごす番だから 年末の三十日か三十一日に来てね という
確認の電話だった。

三十日にしても三十一日にしても 年末の新幹線は混むから
事前に切符を購入しておかないといけない。
その心積りで動いて欲しい という気持ちがあっての 電話だったのだろう。

次男からも 彼へもそのように電話があった と 言ってきた。

そして今夜 夫と相談したり娘と話したりして 三十日に行くことにした。
従って 今月の三十日には切符が発売になるから 駅へ行かなくてはならない。
まだまだ先のことと思っていた年末が 一挙に近くなった気がする。

あと二、三日もしたら あちこちのガラス拭きや障子の張り替えなど
徐々にしなくてはならない。
満足にできないながらも 年末の印と新年を迎える気持ちだけは表さなければ。

その前に 孫の幼稚園での発表会があって その数日あとには誕生日が控えている。
これまでは 誕生日のお祝いだけに行っていたが 今年は孫が 発表会も見てほしい と
言っているらしいから 私だけでも 来月の半ばには行ってあげたい。

去年は初めての発表会で 様子がわからなかったが 家族や祖父母が多勢見に来ていて
孫は その様子を見て 羨ましかったらしい。
だから今年は バアバだけでも ぜひ見に来てほしいのだそうだ。
そうなると 来月は 二度 東京へ行くことになる。

今年最後の月になって 急に慌ただしくなりそうだ。
充分に体調を整えておかなければ。



今日は 朝早くに家を出て しばらくぶりに 夫と次男のところへ行って来た。
何日も前から 簡単に調理して食べられる冷凍食品やお米 野菜 薬など
買い求めて 持って行く準備をしていた。

車にそれらを積んで 出発した。
高速を使って行くと 二時間もかからずに 息子のアパートに着いた。
家を出る時に カーナビに目的地を入れて向かったから 迷うこともなく
行き着けた。

部屋に荷物を下ろし この秋 息子が社員旅行で行った香港やマカオでの話などを聞いた。
息子の様子から 内心心配していたようなことはないようで ほっとした。
二時間かけて来たかいがあった。

お昼ご飯を一緒に外で食べたあと それじゃあ 帰るね と アパートを出た。

来るときと同じように カーナビに目的地を入力すればいいものを 夫は
最初のインターから乗る高速道路の上り口 と入力した。

私は えッと思って 上りなの?下りじゃない? と言うと 夫は
上りだろ?上りで間違いない❗️
と 言い張る。
こういう時 夫は絶対に自分の意見や考えを曲げない。そうわかっていても このまま走れば
逆方向へ行ってしまう。だから 私は重ねて
ここから上りって 🗻が見える方向へ行ってしまうわよ。反対方向へ向かわなきゃア。

そう言っても 絶対に自分は間違っていない と言い張る。
その間も 車は どんどん 来る時には見なかった景色の中を走っている。

そうしているうちに 夫も これはおかしい と思い出すものの
間違えた お前の言った通りだった とは 口が裂けても言わない。

いつもなら こうなったら 私は黙ってしまって 一切口を出さないのだが 今日は
自分が正しい という思いが強かったから それでも
おかしいじゃない 来る時にはこんなのなかったよ 絶対 反対だって❗️
と 言うと 夫は
ウルサイ‼️ もう口を聞きたくない‼️
と 怒ってしまった。

それでも 方向が間違っているのは確かだったから ブツブツ言い訳しながら
一度高速を下りて 入り直した。

しばらく走ると 来る時下りたインターを過ぎた。
やっぱり 逆だったのだ。

夫は 上り下り を間違えたのではなくて いっぺん下りなきゃいけないところを
下りなかったのが いけなかったのだ と 運転しながらしきりに言っている。

どんなことがあっても 絶対に 自分が悪かったとは言わない人 とわかっていたが
今日ほど呆れたことはない。

私が 自分の言葉で言ってもダメでも パッドに記載してあることなら夫を黙らせられる そう思った私は 持っていたパッドで調べ出して 夫の横で 書いてあることを読み上げた。
ほら 上り下りは こうだって書いてあるでしょ と言っても 夫は
それで間違えたわけじゃない と まだ 言い訳のようなことを ウジウジと言っていた。

ここまで強情な人だとは‼️

呆れ果てた私は それからは口を聞く気にもならず 家に着くまで ずっと目をつむっていた。

でも、こんな夫だが 気持ちを引きずらないから 家に着いてしばらく経った頃には
何もなかったかのように 普通に話しかける。
私にはそれが信じられないが そうなると こっちも黙ったままではいられないから
仕方なく 返事をしないわけにはいかなくなる。

マッタク マッタク ❗️ こんなことの繰り返しって 嫌になるわ〜😞








前回施術していただいた夜もそうだったが 昨日 温熱療法をしていただいた後も
今朝まで グッスリ眠れた。

その眠り方に特徴がある。

施術後 体が少しだるくなる。
そして いつもなら ベッドへ入っても しばらくは眠くならないのに
あッという間に 寝入っていて ハッと気がつくと もう朝になっている。
その間の数時間は まったく意識がないから まるで手術の時に打たれる
麻酔の効果のような 深い眠り方なのだ。

体を温めることが いかに大切か がこれだけでも よくわかる。

薬を飲んでいる体 特に痛み止めを常用している体は
自分では気づかないが 芯が冷えている。
だから 血流やリンパの流れが悪くなっている。
それを 外から温めることによって 流れを良くすると
体全体が活性化する。
従って 眠りも深まるのだ。

この療法を I さんは 手術前に 何回かやってあげる と 言ってくださっている。
ありがたいことで 甘えることにした。

色々な民間療法があるが 効果が確実に現れるから この療法はいい。
手術前や病気がある あるいは病後の体には 絶対いい と 実感できるからだ。

友人にも勧めたいが ただ この療法は 火を使うし 東洋人なら馴染みがある香りの
煙が出る。
それを嫌がる人もあるから どれだけいいと思っていても むやみに勧められないのが
唯一の難点だ。

今日は ホントにびっくり‼️
そして 自分の愚かさにも びっくりしてあきれてしまった。
そしてそして 本当のことがわかって ホントにホントウに ありがたかったし よかった。

今日の今日まで ネットで画像を出したりして見ていたにもかかわらず
同じものだとばっかり 信じて疑いもしなかった ハトムギとジュズダマ‼️

午前中から温め療法に来てくださった I さんと お昼ご飯を一緒にしていた時だった。

お茶や化粧水を手作りする話になった。
I さんが
私 ハトムギって見たことがないから どんなものなのか 今日 お宅へ行ったら
その場所へ連れて行ってもらって見たい と 思って来たの。
と 言われた。

私は 昨日歩いていて ちょうど また新しく生えている場所を見つけたばかりで
嬉しかったから
それがね 昨日また 新しく生えている場所を見つけたのよ。
そこね 今 車で通って来たのよ。
そう 嬉しそうに言うと
彼女は
えッ❗️ どこでした❓
と キョトン とした顔をして 私の顔をジッと見て
多分 私が間違えているのでは と 思ったのだろうが 彼女らしく やんわりと
関連した会話をしながら 私が間違いに気づくようにしてくれた。

私は その段階で ようやく

えッ‼️ 私って ジュジュダマをハトムギと思ってた⁉️⁉️
ハトムギとジュジュダマは ちがうの‼️⁉️

そこで彼女は パッドを取り出して 画像を出し 完全に違う植物であることを説明してくれた。

同じように見えても 実のなり方が違うし 実そのものの硬さが全く違う と知った。

今の今まで おんなじ植物だと 思いこんでいた私は 大大大ビックリ‼️

どうりで 硬いから ミキサーで砕こうとしても大変だったはず。

後は 私のバカさ加減に 笑うよりほかなかった。
そして 二人で 大笑い❗️

それにしても 思い込みは 恐ろしい。
そして 違っていることがわかって 本当によかった。


相手が彼女で よかったア〜〜❣️

I さん ホントに 今日は ありがとうございました😊😊



長男宅の 六年生の孫が 修学旅行に行って来た。

行く前に 気持ちだけの餞別をあげた。
帰って来て 夕方 母親と一緒に 土産を持って来てくれた。

旅行先は 修学旅行の定番の 京都と奈良だったから
土産は 八ツ橋 だった。

夫が現職の時は 毎年付き添いで行っていたから 必ず
何かしら土産を買って来たが 退職してからは それがなくなった。

だから 京都土産 それも 孫が買って来てくれた土産だと思うと
思わず笑顔で ありがとうね と 口に出た。

これを おじいちゃんとおばあちゃんに と 思って 選んで買った姿が浮かぶようで
可愛いい。

大きくなって 背丈は もう夫を越した。
それでも 気持ちはまだ幼くて 生意気なところが全くない孫だ。

何事にももう少し欲が出たらいいのに と 息子夫婦も私たち夫婦も 思わないではないが
変にかたよってしまっても困るから まあ このまま大きくなってくれればいい
そう思うこの頃の孫だ。

昨日の夜中 夫の携帯に 珍しく 次男から メールが入っていた。

夫は 最近特に 夜なべで柿の皮むきをして疲れるから 夜中はグッスリだし
携帯を枕元に持って行くことさえ 忘れてしまう。

昨日もそうだったから メールに気づいたのは 朝になってからだった。

夫は めったにない次男からメールがきたこと おまけに夜中に入っていたことに驚いて
おい ・・から夜中にメールがきているぞ
と 私を呼んだ。

二人してメールを読むと またその内容に驚いた。
次男らしからぬ 何か深刻なものを感じさせる内容だったからだ。

三人いる子供のうち いつも私の頭にあって 気にかかるのは次男のことだ。
末っ子ということもあるが 十分に 生きる力をつけてあげなかったのではないか という
親としての後悔と不安が いつも私の中にあるからだろう。

三十も半ばを過ぎた いい歳の息子なのだから なにを今更 親でもあるまい・・・
そう 思いもするが やっぱり気にかかるのだ。

家から仕事に通うか もっと近くにいれば 行き来も頻繁にできるし 様子もわかるから
心配の種も少ないが 離れていて おまけに土曜も仕事のことが多いから
次男もめったに帰って来ないし こちらからも なかなか行けない。
だから よけいに気がかりになる。


次の日曜に 一緒にお昼ご飯でも食べがてら 様子を見に行こうか・・・
夫も気がかりなのだろう そう言っている。

調理の簡単な冷凍物や野菜やお米 健康を害した時のための薬品などを持って
今度の日曜日 次男のところへ行くことにした。





今日は 大学病院受診の日。

いつも病院に着くのが早いから 受付の番号札は けっこう若い数字の札が取れる。

それでも 診察が始まり自分の番が来て 早い時間に診察室へ入ることができても
早く会計ができて終わるとは限らない。

医師の段取りや 一人の患者に要する時間によって
その日その日で 治療の順番が変わるから 病院を出る時間が違ってくる。

今日は 思ったより早く終わった。

それで 以前から 行きたいと思っていた美術館へ 思い切って出かけた。
病院から駅まで いつもと同じにバスで行き 駅からバスを乗り換えて 美術館へ。

十月の末から 日本美人を描いた絵画ばかりを集めた展覧会が 開かれている。
朝比奈文庫というコレクションから選ばれた 明治から昭和にかけて活躍した画家が
描く 美人画八十点が展示されている。

名の知られている有名作家から 幻の作家 知られていない作家 郷土の作家の作品が
テーマごとに分けて 展示してあった。


絵画鑑賞は 少ない趣味の一つだ。

美人画ならば 鏑木清方が一番好きだ。
昔 東京の近代美術館で観た隅田川舟遊びの屏風絵の迫力は 今も忘れられないほどの
衝撃だった。

鏑木清方の絵画に描かれた女性は 実に品があり清冽な印象を与える。
顔の描き方がそうだからだろう。

音声ガイダンスを借りて 会場をゆっくり回った。
清方の作品もあった。

中でも 秋の夜長 と題された あまり名の知られていない画家の作品が
印象強く残った。

残念なことに 長く立って観て回っていると 腰の痛みが次第に強くなってしまう。
せっかくトリガーをしてきたのに なんということか。

それでも なんとか最後の絵まで行き着いて 会場を出た。

久しぶりの 本当に久しぶりの美術館だった。
腰の痛みは増してしまったが 満足感が残ったから いい日だった としたい。

夫の勤務先の理事長が亡くなったのは ことのほか暑い八月の半ばだった。

叔母が救急車で運ばれるのと 葬儀の時刻が重なってしまい 大変だった。

早いもので もう三ヶ月が過ぎた。

夫の雇い主だから 妻である私とは接点がないはずが 思いがけなくもご縁があった。

生家が亡母の実家に近く 母はもちろん祖母のこともよくご存知だとわかったのだった。
理事長は このご縁を 驚きながらもとても喜んでくださった。

そして 私と顔を合わせると 生家の近隣の話や昔のことなど 懐かしそうに話された。

体調が悪くなって入院された時 どなたの面会もお断りになっていたのを
夫と私がお見舞いに伺うと 私たちになら会いたい と 病室に入れてくださり
弱ってベッドに横たわりながらも 元気になったらまた故郷の話がしたい と
しっかりした声で おっしゃってみえた。

それが お会いする最期になった。

同郷だったからか 理事長には 亡母と同じ雰囲気があった。

話される言葉や抑揚にも 母を想わせるものがあって お会いするたびに
懐かしさや恋しさを感じたものだった。

たった十年の縁だったが 私にとっては 大切な十年だった。

そして今日 私に かたみ として 理事長が使わないでとってあったストールを
娘である園長から 手紙を添えて いただいた。

それは ラベンダー色の優しい手触りのストールだった。
カシミヤの温かいぬくもりは 生前の理事長の 穏やかなお顔を偲ばせて
熱いものがこみあげてきた。

お心にかけていただいたことと 私にまで かたみ をくださったことを感謝して
今夜 園長に お礼の手紙を認めた。

あの世で もう 母や祖母は 理事長とお会いしただろうか・・・。
夫や私が この世でよくしていただいたお礼を 伝えてくれただろうか・・・。


今日は午後から 五月に亡くなった叔父の 納骨や永代経をあげてもらうお寺を決めるために
宗派の別院へ話を聞きに 叔母と叔父の息子と共に 夫と出かけた。

お通夜や葬儀 四十九日に来ていただいた僧侶のお寺が 叔父の家から遠いこともあって
叔母は できるだけ自宅から近くて お参りしたいと思った時に タクシーで直ぐに行ける
所の方がいい と言い 別院なら近いから できるなら別院へ納骨したい意向だった。

ところが 別院で話を聞くと 納骨や永代経は こちらでも引き受けないことはないが
法要は 最初にご縁のあったお寺でないといけない とのこと。
たとえそのようにする場合でも お寺の同意を得てからでないと 引き受けられないから
お寺側としっかり話をして了承を得てほしい。
でないと お寺同士で気まずくなっても困るから と言われた。

それだと 納骨した場所と法事に来てもらってお経をあげてもらうお寺とが違ってしまう。

別院の事務所で話を聞き終えた後 お参りして行こう と 四人で本堂へ行った。

そしてそこで 葬儀に来てもらった僧侶は 同じ宗派 というだけでなく 毎月のように別院へ
講話に来ていらっしゃることを 置いてあった印刷物を見て知った。

それなら なおのこと 別院へ納骨するから と 式を執り行ってもらったお寺へは言い出せない。

どうしたらいいものか 困ってしまった。

帰り 四人で喫茶店へ入り どうしたらいいか あれこれ考えたが それでも結論が出ない。

おまけに叔母は 友人から聞いた と言って 他のお寺へ電話したり友人に電話したりで
どうも話の中心が はっきり見えていない気がした。

結局 日を改めて お寺へ出かけて行って 納骨堂を見せてもらったり 話を聞いたり
しよう ということになって 二人と別れた。

夫は 縁があってお世話になったお寺だし 遠い といっても 毎日通うわけでもない。
お寺には個別の納骨堂もあるのだから 法要の時には そのお寺でお経をあげてもらい
供養してもらう方がいい その方が 永代経をあげてもらう意味が活きるのでは と
帰る道々 車の中で話していた。

私も お寺へは よく通ったとしても 毎月の命日か法要の時くらいだろう。
それくらいなら たとえ叔母がタクシーを使うとしても できないことはない と
思う。
祥月命日しかお参りしないのなら なおさら 遠い は勘定に入れなくてもいいだろう。
そう考えると 納骨と永代経も法要も 一つのお寺でしたほうがいい と 思う。

叔母は どのような結論を いつ出すのだろう。
はたして出せるのか 甚だ疑問だが 叔母の意思を尊重するよりないだろう。