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一年振りで同級生と会った。

前回会った時には とても暗い雰囲気をまっとっていた友が 今回 顔を見るなり
あらツ 明るくなった! と感じた。

そう伝えると
前回は言えなかった辛いことが 二年経って心の整理がついたのか
驚くほど自然に 彼女の口から告げられた。

小説やニュースでしか知らない出来事が 自分の家族に起こった時
起こったことの捉え方によって その後の生き方が変わる。

彼女ほど稀な事でなくても 不幸が自分に降りかかった時には
それまでの生き方で 身に起こった事の捉え方が変わり それからの人生が変わる。

友人は突然起こった不幸を嘆かず 哀しみの中から明るく生きる道を見つけていた。
そして 実に賢く豊かな人生を送っていた。

もう一人の友は 残酷な癌宣告を受け たった三ヶ月で逝ってしまう夫を
家で看取り みおくった。
その間 徐々に弱っていく夫を目の当たりにしながらも 涙を見せないでの日々は
どれほどのものだったか・・・。
それでも彼女は 辛さや悲しさを前面に出さないで 穏やかな口調で話してくれた。

壮絶な それでいて濃密な夫との三ヶ月は 哀しく酷い事だが
彼女の中に 温かくて強く 揺るぎないものを残したようだった。

二人の友人たちは 事が起こる前も 夫とともに必死に生きてきた。
境遇を嘆いたり恨んだりしないで 前だけを向いて生きてきた。
結果 理不尽とも思える夫との別れが待っていたわけだが
それでも彼女たちは 酷い現実を のろいただ打ちひしがれて嘆いてばかりはいない。
心の乱れを胸にしまって しっかりと生きているし 生きようとしている。

自分がいかに幸せな境遇に在るかに気づかないで 不平や不満ばかりで暮らしていると
事が起きた時 なかなか乗り越えられない。
自然 その後の生き方もうまくいかないのではないか・・・。
あるいは 生きる道を見つけるまでに 長い月日がかかってしまうのではないか・・・。

今回 友二人の思いがけない話を聞いて 日々の生き方がいかに大切か
改めて 考えさせられた。

そして 自己中心な考え方や生き方とは真逆にある 友人二人のこれからが
どうか 平安でありますように と 願いながら別れた。






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東京の娘から電話があった。

私達夫婦と次男 娘の家族は 年越しとお正月を 東京の娘宅と我が家で 交互に迎えている。
決めたわけではないのに いつからか それが年末から新年にかけての過ごし方になっている。

今年の年末とお正月は 東京で過ごす番だから 年末の三十日か三十一日に来てね という
確認の電話だった。

三十日にしても三十一日にしても 年末の新幹線は混むから
事前に切符を購入しておかないといけない。
その心積りで動いて欲しい という気持ちがあっての 電話だったのだろう。

次男からも 彼へもそのように電話があった と 言ってきた。

そして今夜 夫と相談したり娘と話したりして 三十日に行くことにした。
従って 今月の三十日には切符が発売になるから 駅へ行かなくてはならない。
まだまだ先のことと思っていた年末が 一挙に近くなった気がする。

あと二、三日もしたら あちこちのガラス拭きや障子の張り替えなど
徐々にしなくてはならない。
満足にできないながらも 年末の印と新年を迎える気持ちだけは表さなければ。

その前に 孫の幼稚園での発表会があって その数日あとには誕生日が控えている。
これまでは 誕生日のお祝いだけに行っていたが 今年は孫が 発表会も見てほしい と
言っているらしいから 私だけでも 来月の半ばには行ってあげたい。

去年は初めての発表会で 様子がわからなかったが 家族や祖父母が多勢見に来ていて
孫は その様子を見て 羨ましかったらしい。
だから今年は バアバだけでも ぜひ見に来てほしいのだそうだ。
そうなると 来月は 二度 東京へ行くことになる。

今年最後の月になって 急に慌ただしくなりそうだ。
充分に体調を整えておかなければ。



今日は 朝早くに家を出て しばらくぶりに 夫と次男のところへ行って来た。
何日も前から 簡単に調理して食べられる冷凍食品やお米 野菜 薬など
買い求めて 持って行く準備をしていた。

車にそれらを積んで 出発した。
高速を使って行くと 二時間もかからずに 息子のアパートに着いた。
家を出る時に カーナビに目的地を入れて向かったから 迷うこともなく
行き着けた。

部屋に荷物を下ろし この秋 息子が社員旅行で行った香港やマカオでの話などを聞いた。
息子の様子から 内心心配していたようなことはないようで ほっとした。
二時間かけて来たかいがあった。

お昼ご飯を一緒に外で食べたあと それじゃあ 帰るね と アパートを出た。

来るときと同じように カーナビに目的地を入力すればいいものを 夫は
最初のインターから乗る高速道路の上り口 と入力した。

私は えッと思って 上りなの?下りじゃない? と言うと 夫は
上りだろ?上りで間違いない❗️
と 言い張る。
こういう時 夫は絶対に自分の意見や考えを曲げない。そうわかっていても このまま走れば
逆方向へ行ってしまう。だから 私は重ねて
ここから上りって 🗻が見える方向へ行ってしまうわよ。反対方向へ向かわなきゃア。

そう言っても 絶対に自分は間違っていない と言い張る。
その間も 車は どんどん 来る時には見なかった景色の中を走っている。

そうしているうちに 夫も これはおかしい と思い出すものの
間違えた お前の言った通りだった とは 口が裂けても言わない。

いつもなら こうなったら 私は黙ってしまって 一切口を出さないのだが 今日は
自分が正しい という思いが強かったから それでも
おかしいじゃない 来る時にはこんなのなかったよ 絶対 反対だって❗️
と 言うと 夫は
ウルサイ‼️ もう口を聞きたくない‼️
と 怒ってしまった。

それでも 方向が間違っているのは確かだったから ブツブツ言い訳しながら
一度高速を下りて 入り直した。

しばらく走ると 来る時下りたインターを過ぎた。
やっぱり 逆だったのだ。

夫は 上り下り を間違えたのではなくて いっぺん下りなきゃいけないところを
下りなかったのが いけなかったのだ と 運転しながらしきりに言っている。

どんなことがあっても 絶対に 自分が悪かったとは言わない人 とわかっていたが
今日ほど呆れたことはない。

私が 自分の言葉で言ってもダメでも パッドに記載してあることなら夫を黙らせられる そう思った私は 持っていたパッドで調べ出して 夫の横で 書いてあることを読み上げた。
ほら 上り下りは こうだって書いてあるでしょ と言っても 夫は
それで間違えたわけじゃない と まだ 言い訳のようなことを ウジウジと言っていた。

ここまで強情な人だとは‼️

呆れ果てた私は それからは口を聞く気にもならず 家に着くまで ずっと目をつむっていた。

でも、こんな夫だが 気持ちを引きずらないから 家に着いてしばらく経った頃には
何もなかったかのように 普通に話しかける。
私にはそれが信じられないが そうなると こっちも黙ったままではいられないから
仕方なく 返事をしないわけにはいかなくなる。

マッタク マッタク ❗️ こんなことの繰り返しって 嫌になるわ〜😞








前回施術していただいた夜もそうだったが 昨日 温熱療法をしていただいた後も
今朝まで グッスリ眠れた。

その眠り方に特徴がある。

施術後 体が少しだるくなる。
そして いつもなら ベッドへ入っても しばらくは眠くならないのに
あッという間に 寝入っていて ハッと気がつくと もう朝になっている。
その間の数時間は まったく意識がないから まるで手術の時に打たれる
麻酔の効果のような 深い眠り方なのだ。

体を温めることが いかに大切か がこれだけでも よくわかる。

薬を飲んでいる体 特に痛み止めを常用している体は
自分では気づかないが 芯が冷えている。
だから 血流やリンパの流れが悪くなっている。
それを 外から温めることによって 流れを良くすると
体全体が活性化する。
従って 眠りも深まるのだ。

この療法を I さんは 手術前に 何回かやってあげる と 言ってくださっている。
ありがたいことで 甘えることにした。

色々な民間療法があるが 効果が確実に現れるから この療法はいい。
手術前や病気がある あるいは病後の体には 絶対いい と 実感できるからだ。

友人にも勧めたいが ただ この療法は 火を使うし 東洋人なら馴染みがある香りの
煙が出る。
それを嫌がる人もあるから どれだけいいと思っていても むやみに勧められないのが
唯一の難点だ。

今日は ホントにびっくり‼️
そして 自分の愚かさにも びっくりしてあきれてしまった。
そしてそして 本当のことがわかって ホントにホントウに ありがたかったし よかった。

今日の今日まで ネットで画像を出したりして見ていたにもかかわらず
同じものだとばっかり 信じて疑いもしなかった ハトムギとジュズダマ‼️

午前中から温め療法に来てくださった I さんと お昼ご飯を一緒にしていた時だった。

お茶や化粧水を手作りする話になった。
I さんが
私 ハトムギって見たことがないから どんなものなのか 今日 お宅へ行ったら
その場所へ連れて行ってもらって見たい と 思って来たの。
と 言われた。

私は 昨日歩いていて ちょうど また新しく生えている場所を見つけたばかりで
嬉しかったから
それがね 昨日また 新しく生えている場所を見つけたのよ。
そこね 今 車で通って来たのよ。
そう 嬉しそうに言うと
彼女は
えッ❗️ どこでした❓
と キョトン とした顔をして 私の顔をジッと見て
多分 私が間違えているのでは と 思ったのだろうが 彼女らしく やんわりと
関連した会話をしながら 私が間違いに気づくようにしてくれた。

私は その段階で ようやく

えッ‼️ 私って ジュジュダマをハトムギと思ってた⁉️⁉️
ハトムギとジュジュダマは ちがうの‼️⁉️

そこで彼女は パッドを取り出して 画像を出し 完全に違う植物であることを説明してくれた。

同じように見えても 実のなり方が違うし 実そのものの硬さが全く違う と知った。

今の今まで おんなじ植物だと 思いこんでいた私は 大大大ビックリ‼️

どうりで 硬いから ミキサーで砕こうとしても大変だったはず。

後は 私のバカさ加減に 笑うよりほかなかった。
そして 二人で 大笑い❗️

それにしても 思い込みは 恐ろしい。
そして 違っていることがわかって 本当によかった。


相手が彼女で よかったア〜〜❣️

I さん ホントに 今日は ありがとうございました😊😊



長男宅の 六年生の孫が 修学旅行に行って来た。

行く前に 気持ちだけの餞別をあげた。
帰って来て 夕方 母親と一緒に 土産を持って来てくれた。

旅行先は 修学旅行の定番の 京都と奈良だったから
土産は 八ツ橋 だった。

夫が現職の時は 毎年付き添いで行っていたから 必ず
何かしら土産を買って来たが 退職してからは それがなくなった。

だから 京都土産 それも 孫が買って来てくれた土産だと思うと
思わず笑顔で ありがとうね と 口に出た。

これを おじいちゃんとおばあちゃんに と 思って 選んで買った姿が浮かぶようで
可愛いい。

大きくなって 背丈は もう夫を越した。
それでも 気持ちはまだ幼くて 生意気なところが全くない孫だ。

何事にももう少し欲が出たらいいのに と 息子夫婦も私たち夫婦も 思わないではないが
変にかたよってしまっても困るから まあ このまま大きくなってくれればいい
そう思うこの頃の孫だ。

昨日の夜中 夫の携帯に 珍しく 次男から メールが入っていた。

夫は 最近特に 夜なべで柿の皮むきをして疲れるから 夜中はグッスリだし
携帯を枕元に持って行くことさえ 忘れてしまう。

昨日もそうだったから メールに気づいたのは 朝になってからだった。

夫は めったにない次男からメールがきたこと おまけに夜中に入っていたことに驚いて
おい ・・から夜中にメールがきているぞ
と 私を呼んだ。

二人してメールを読むと またその内容に驚いた。
次男らしからぬ 何か深刻なものを感じさせる内容だったからだ。

三人いる子供のうち いつも私の頭にあって 気にかかるのは次男のことだ。
末っ子ということもあるが 十分に 生きる力をつけてあげなかったのではないか という
親としての後悔と不安が いつも私の中にあるからだろう。

三十も半ばを過ぎた いい歳の息子なのだから なにを今更 親でもあるまい・・・
そう 思いもするが やっぱり気にかかるのだ。

家から仕事に通うか もっと近くにいれば 行き来も頻繁にできるし 様子もわかるから
心配の種も少ないが 離れていて おまけに土曜も仕事のことが多いから
次男もめったに帰って来ないし こちらからも なかなか行けない。
だから よけいに気がかりになる。


次の日曜に 一緒にお昼ご飯でも食べがてら 様子を見に行こうか・・・
夫も気がかりなのだろう そう言っている。

調理の簡単な冷凍物や野菜やお米 健康を害した時のための薬品などを持って
今度の日曜日 次男のところへ行くことにした。





今日は 大学病院受診の日。

いつも病院に着くのが早いから 受付の番号札は けっこう若い数字の札が取れる。

それでも 診察が始まり自分の番が来て 早い時間に診察室へ入ることができても
早く会計ができて終わるとは限らない。

医師の段取りや 一人の患者に要する時間によって
その日その日で 治療の順番が変わるから 病院を出る時間が違ってくる。

今日は 思ったより早く終わった。

それで 以前から 行きたいと思っていた美術館へ 思い切って出かけた。
病院から駅まで いつもと同じにバスで行き 駅からバスを乗り換えて 美術館へ。

十月の末から 日本美人を描いた絵画ばかりを集めた展覧会が 開かれている。
朝比奈文庫というコレクションから選ばれた 明治から昭和にかけて活躍した画家が
描く 美人画八十点が展示されている。

名の知られている有名作家から 幻の作家 知られていない作家 郷土の作家の作品が
テーマごとに分けて 展示してあった。


絵画鑑賞は 少ない趣味の一つだ。

美人画ならば 鏑木清方が一番好きだ。
昔 東京の近代美術館で観た隅田川舟遊びの屏風絵の迫力は 今も忘れられないほどの
衝撃だった。

鏑木清方の絵画に描かれた女性は 実に品があり清冽な印象を与える。
顔の描き方がそうだからだろう。

音声ガイダンスを借りて 会場をゆっくり回った。
清方の作品もあった。

中でも 秋の夜長 と題された あまり名の知られていない画家の作品が
印象強く残った。

残念なことに 長く立って観て回っていると 腰の痛みが次第に強くなってしまう。
せっかくトリガーをしてきたのに なんということか。

それでも なんとか最後の絵まで行き着いて 会場を出た。

久しぶりの 本当に久しぶりの美術館だった。
腰の痛みは増してしまったが 満足感が残ったから いい日だった としたい。

夫の勤務先の理事長が亡くなったのは ことのほか暑い八月の半ばだった。

叔母が救急車で運ばれるのと 葬儀の時刻が重なってしまい 大変だった。

早いもので もう三ヶ月が過ぎた。

夫の雇い主だから 妻である私とは接点がないはずが 思いがけなくもご縁があった。

生家が亡母の実家に近く 母はもちろん祖母のこともよくご存知だとわかったのだった。
理事長は このご縁を 驚きながらもとても喜んでくださった。

そして 私と顔を合わせると 生家の近隣の話や昔のことなど 懐かしそうに話された。

体調が悪くなって入院された時 どなたの面会もお断りになっていたのを
夫と私がお見舞いに伺うと 私たちになら会いたい と 病室に入れてくださり
弱ってベッドに横たわりながらも 元気になったらまた故郷の話がしたい と
しっかりした声で おっしゃってみえた。

それが お会いする最期になった。

同郷だったからか 理事長には 亡母と同じ雰囲気があった。

話される言葉や抑揚にも 母を想わせるものがあって お会いするたびに
懐かしさや恋しさを感じたものだった。

たった十年の縁だったが 私にとっては 大切な十年だった。

そして今日 私に かたみ として 理事長が使わないでとってあったストールを
娘である園長から 手紙を添えて いただいた。

それは ラベンダー色の優しい手触りのストールだった。
カシミヤの温かいぬくもりは 生前の理事長の 穏やかなお顔を偲ばせて
熱いものがこみあげてきた。

お心にかけていただいたことと 私にまで かたみ をくださったことを感謝して
今夜 園長に お礼の手紙を認めた。

あの世で もう 母や祖母は 理事長とお会いしただろうか・・・。
夫や私が この世でよくしていただいたお礼を 伝えてくれただろうか・・・。


今日は午後から 五月に亡くなった叔父の 納骨や永代経をあげてもらうお寺を決めるために
宗派の別院へ話を聞きに 叔母と叔父の息子と共に 夫と出かけた。

お通夜や葬儀 四十九日に来ていただいた僧侶のお寺が 叔父の家から遠いこともあって
叔母は できるだけ自宅から近くて お参りしたいと思った時に タクシーで直ぐに行ける
所の方がいい と言い 別院なら近いから できるなら別院へ納骨したい意向だった。

ところが 別院で話を聞くと 納骨や永代経は こちらでも引き受けないことはないが
法要は 最初にご縁のあったお寺でないといけない とのこと。
たとえそのようにする場合でも お寺の同意を得てからでないと 引き受けられないから
お寺側としっかり話をして了承を得てほしい。
でないと お寺同士で気まずくなっても困るから と言われた。

それだと 納骨した場所と法事に来てもらってお経をあげてもらうお寺とが違ってしまう。

別院の事務所で話を聞き終えた後 お参りして行こう と 四人で本堂へ行った。

そしてそこで 葬儀に来てもらった僧侶は 同じ宗派 というだけでなく 毎月のように別院へ
講話に来ていらっしゃることを 置いてあった印刷物を見て知った。

それなら なおのこと 別院へ納骨するから と 式を執り行ってもらったお寺へは言い出せない。

どうしたらいいものか 困ってしまった。

帰り 四人で喫茶店へ入り どうしたらいいか あれこれ考えたが それでも結論が出ない。

おまけに叔母は 友人から聞いた と言って 他のお寺へ電話したり友人に電話したりで
どうも話の中心が はっきり見えていない気がした。

結局 日を改めて お寺へ出かけて行って 納骨堂を見せてもらったり 話を聞いたり
しよう ということになって 二人と別れた。

夫は 縁があってお世話になったお寺だし 遠い といっても 毎日通うわけでもない。
お寺には個別の納骨堂もあるのだから 法要の時には そのお寺でお経をあげてもらい
供養してもらう方がいい その方が 永代経をあげてもらう意味が活きるのでは と
帰る道々 車の中で話していた。

私も お寺へは よく通ったとしても 毎月の命日か法要の時くらいだろう。
それくらいなら たとえ叔母がタクシーを使うとしても できないことはない と
思う。
祥月命日しかお参りしないのなら なおさら 遠い は勘定に入れなくてもいいだろう。
そう考えると 納骨と永代経も法要も 一つのお寺でしたほうがいい と 思う。

叔母は どのような結論を いつ出すのだろう。
はたして出せるのか 甚だ疑問だが 叔母の意思を尊重するよりないだろう。



母方の祖母は 一晩で袴を縫い上げるほど 裁縫にかけては腕の立つ人だった。
今でいう草木染めで 布の染め変えをして 着物を仕立て直したりもしていた。

母も とても手のきく人だった。
私がものごころついた頃には もう編み物をしていたし ミシンも踏んでいた。
だから 小学校の頃までは 母の手作りの服を着て育った。
特に 冬に着るセーターやカーディガンは すべて母が編んだものだった。
ブラウスやワンピースも 母とお揃いで縫ってくれた。

編み物は 手編みも機械編みも よそ様の物を預かって編んでいたし
レース編みもビーズ編みもして テーブルセンターや花瓶敷き バッグなど
今も我が家で使っている。

昼間の仕事で疲れているだろうに 毎晩なにかしら編んだり作ったりで
手を動かしていた。
しんから物を作るのが好きだったのだろう。

その娘である私は 母の足元には及ばないけれど やっぱり子供の小さい頃は
ある晩は夫の帰りを待ちながら ある晩は仕事をする夫の傍らで
毎晩 なにかしら作って過ごしてきた。

三人の子のズボンや服も作ったし 刺繍もした。
娘のための人形や着せ替えの洋服 袋物などはもちろん 小学校の入学式に履いた靴も
手作りだった。

でも 母が倒れて寝込むまで手を動かし続けていたのに対して 私は仕事が忙しくなるにつれて
なにも作らなくなった。

娘は そんな私を見て育ったからだろうか。
裁縫が 大の苦手だ。
そんな娘のために ミシンがあれば と思い 買い与えてあるが 一度も出番がない。

東京へ行く度に 娘家族の洋服だったりなんだったりの ほころびやボタン付けなどを
したり 孫が保育所へ持って行く袋なども 私が作った。

かといって 娘は無能ではない。
むしろその反対に 同じ年齢の女性より 様々な点で優っていると思っている。
でも 裁縫は不得手なのだ。

祖母 母 私 娘 と 世代を経るごとに 手仕事に対する情熱は サキボソリになっていく。
孫たちは と考えると もっと関心がなくなっていそうだ。

我が家の女系家族は 裁縫や編み物への関心度は どうみても サキボソリだ。

裁縫ができなくても編み物ができなくても 今の世の中 なんら不自由はないが
それでも 祖母や母の中に流れていた手仕事への情熱を想うと ちょっと寂しくなってくる。

習字の日に一緒になる方のご主人が 帯状疱疹になってしまい 看病のために
二ヶ月休んでみえた。

そして今日 ようやくでかけてくることができた と 久しぶりに顔をだされた。

ご主人の帯状疱疹は 片方の目の中にできた。そしておでこから頭頂部にかけて
湿疹が出た。

始まりは 目の奥が痛くなってきて 眼科を受診した。
その眼科で検査の結果 帯状疱疹だから皮膚科にかかるように言われた。
その時には まだ湿疹が出ていなかったから 患者も奥さんも信じられなかったらしい。

でも おでこや頭頂部に湿疹が出始めると これは大変なことになった と思われたらしい。

それからは かかりつけになっていた 大きな病院の内科で治療してみえる。
ひどい時は入院し 治療された。

家庭では 冷えがよくないから温めるように指示されて レンジで温めた濡れタオルを
ずっと頭やおでこに当てていた とおっしゃった。

目の奥にできた帯状疱疹 なんて今まで聞いたことがなかったから
その場にいた者は 皆驚いて その方の話を聞いた。

二ヶ月以上経っても まだ治っていなくて 薬を飲んだり塗ったりだという。

私が通っている麻酔科も 帯状疱疹の患者が 受診される。
湿疹に伴う痛みの緩和が目的だ。

どの患者も 痛くて痛くてどうしようもなくて すがるような思いで
受診される。
でも 帯状疱疹が目の中にできた患者には 出会ったことがなかった。

話を聞きながら いつ誰がかかってもおかしくない 帯状疱疹という病気の怖さを知った。

夫は この週末に 柿ちぎりをするつもりでいたが 週末の天気が悪いと予報がでているので
今日午後 休みをとって 渋柿をちぎってきた。

全部ではないが 何本分かを ちぎったらしい。
コンテナ六つ分の渋柿が 玄関に広げてある。

今夜から本格的な皮剥きが始まった。

テレビの前に陣取り シャッ シャッ と 小気味好い音を立てながら
渋柿の皮剥き用の小さなカンナを リズミカルに動かして 次々に剥いている。

なんでもそうだが 手仕事の道具を作る人がいなくなっているように
このカンナも あと数年で なくなってしまう と 夫は嘆く。

伝統的な干し柿作りも 昨今は 専門農家では機械で剥いているそうな。
機械でなら 労力も時間も少なくてすむ。
手間ひまかけて作るわりには 見合った値段がつかないのが現実だから
これも 致し方ないことなのだろう。

我が家で作る干し柿は 剥くのに機械を使わねばならないほど多くない。
せいぜい百連くらいのものだ。
それに夫は 子供の頃から両親を手伝って育っているから 手剥きにこだわりがある。
両親と一緒に ほの暗い作業小屋で 毎晩皮剥きをした思い出が 強烈に焼きついている。

言葉もなく ただ黙々と皮剥きをする夫の頭の中には
若くて働き盛りの両親が きっと今も 健在なのだろう・・・。

さて 今夜は 何連出来上がるだろう。

夫の干し柿作りが また今年も始まった。

一昨日 畑へ出かけた夫は もうちぎれるのがあったから と
木一本分の渋柿を千切ってきた。(不思議だが 柿を 採る とか 収穫する とは言わない)
今年は去年とは うって変わって とてもよく成っているらしい。

去年は 成りが悪い上に 枝が盗まれたり 黴びてしまったりで 全滅の憂き目にあった。
去年は気温が下がらなくて 専門農家でさえ 黴びて出荷できなかったから
今までになかったことではあったが 諦めざるを得なかった。

それが 今年の成り様は 尋常ではないらしい。
枝が折れないか心配になるほど成っている と 夫が嬉しそうに言っている。

昨夜は 皮むきの作業に向かう準備をしただけだったが
今夜から 皮むきにかかった。

普通 成りがいいと 実の一つ一つは 小ぶりになるのだが 今年は 実が大きい。
三つを一本の串に刺したものを縄目に十段 実が重ならないように吊るして 一連 と呼ぶ。
実が大きいから 皮を剥いた当初は その一連が長いし重い。

夫は 今夜 それを五連作った。
今夜だけで 百五十個 皮をむいたことになる。

私は というと その間 去年使った縄のよりを解いて また今年使えるようにする仕事をした。
解き終わって数えてみると 九十本以上あった。
一連に二本必要だから これで四十五連分になる勘定だ。

使いやすいように 十本毎に束ねて 長い縄が絡まないように 元も同じように括った。

私ができることは これくらいしかない。
あとは夫の独壇場だ。

勤めが休みの週末に 一気に千切る予定でいたが その週末は天気が悪いという予報なので
明日の午後 休みをもらって千切る という。

明日からは 玄関が柿でいっぱいになる。
今年こそは 夫がかける労力に見合った 美味しい干し柿が出来上がるといいのだが。


友から その報せを聞いてから もう何日も経ってしまった。

本当は その報せを聞いて すぐにでも彼女に連絡しなくてはならなかったが
報せの内容が内容だっただけに 気持ちや心を電話口で言葉であらわせば
虚しく 空々しさだけが露わになるような気がして 電話すらできずにきた。

小学校から中学まで一緒で 家庭の事情で高校一年の時に 突然転居
その後 しばらく年月が経ってから また交流が復活した友がいる。

友人からの報せは その友のご主人が この春に亡くなっていた という報せだった。

毎年 気の合った者だけが集まる同窓会があるのだが 今年もその会の案内があった。
友人は 会に彼女に出るかどうか 何気なく聞くために 電話した。

そうしたら 主人がこの春三ヶ月の闘病の末に亡くなった と 彼女が話したのだそうだ。
それで 友人は驚いて 私に電話して報せてくれたのだった。

二歳下の若々しくて男らしい方で 彼女が事情を抱えているのを承知で一緒になり
彼女と起こした工務店を 力を合わせて大きくしてこられた方だった。

ご主人は 自分が長くないとわかってから まだまだ息子たちは未熟だから
お前が代表になって 会社をやってくれ お前に後を任せる と言い置いて
亡くなったのだ という。

病院で死ぬのは嫌だ と 家での闘病だったらしい。

医師に病名を告げられてから 次第に衰弱していく連れ合いの傍で看取る日々
心の内を 当人の前では顔に出せず さぞかし苦しくて辛かったに違いない。

同じ頃 私自身も毎日叔父を見舞い 叔母の様子をまざまざと見てきただけに
彼女の心持ちのカケラなりと わかるような気がする。

だから よけいに 電話もできなかった。

でも 彼女は まだまだ心の整理がつかない中 気丈にも 会に出る という。
みんなの顔を見て 元気をもらいたいから と。

そんな話を聞くと 体調がいいとは言えなくて 返事を出し渋っている私も
出て行かなくては と 思う。

出て行って 辛さや悲しさを抱えながらも 頑張って生きている彼女から
少しでも 生きる強さとエネルギーをもらえたら と 思っている。


今日は 午後に いつも私の体を気遣ってくださる 友人 Iさんにお願いして
温熱療法に 来ていただいた。

いつでも呼んで と言ってくださるのだが 治療していただきたい と日時を約束すると
大方の確率で 私の体調が崩れてしまったり 用事が入ったりして
いつも お詫びしてお断りの連絡を入れていた。

そして今回 私が手術することになった と知って
その前に 治療を何回かしておいたほうがいい と 連絡をくださった。
ありがたいことだ。

それで 今日の午後 来てくださった。両手に荷物を抱えて。
私も これでいいかな と 一応敷物を準備していたのだが それよりもっといい敷物を
持参して来てくださったのだった。

普通の線香五本分くらいの棒状の香の熱を スコープという道具で輻射させ
それを 体中に当てて温める。

不思議なもので どこか悪い箇所があるときには その香は 先が尖って急速に減る。
私は 足腰が悪いから I さんがその部位にスコープを当ててしばらくすると
先っぽが 鋭く削ったように尖ってきて 取り替えなくてはならないほどになった。

背側とお腹側 顏と頭 全身に丁寧にスコープをかけてもらうと 体の芯がポカポカしてきた。
腰にもう一回かけてもらうと もう三時間は経っていただろうか。

お言葉に甘えて 次回の日決めたところで 夫が帰宅。
私には アッという間の気持ちのいい時間だったが I さんにとっては大変だったに違いない。
お疲れになっただろう。

ありがとうございました。
次回も よろしくお願いいたします。





今日も 朝からいい天気だった。

夫は ニコニコで でも心なしか ちょっと遠慮気味に 小声で
畑へ行って来る
と言い置いて 畑へ出かけて行った。
明日から天気は下り坂らしいから 今日のうちにする作業がいくつもあるのだろう。

私は 洗濯物を干し終えると 昨日買ってきておいた花🌼を植えた。

鉢の数は増やさないで 夏の名残りの花を始末して その後に
買ってきた花を植えた。

植えるといっても 重い土や肥料などは 昨日のうちに 夫が 玄関先まで持ってきて
植え替えがしやすいようにしてある。

買ってきたのは これから来る冬の時期用に 紅白の葉ボタンやガーデンシクラメン
それに 赤い可愛い実がなっているチェッカーベリー それらに彩りを添えるよう
二、三の花の小さな鉢。

そして どうしても 来春 鉢の中で咲く姿が見たくて 🌷チューリップの球根を四種類。
チューリップ🌷は たくさんに増えているムスカリと一緒に植えるつもりで買った。

チューリップ🌷とムスカリの球根の鉢は 中央にガーデンシクラメンを植えて
冬の間も楽しめるようにして 二鉢作った。

残りは 新しい土を増して 枯れたものと植え替えて 今の時期風に。

作業が終わると 玄関先には 早々と葉ボタンが。
チェッカーベリーの赤い実も クリスマスを待っているかのように。

鉢の汚れを落とし水遣りして 作業の後を片付けてきれいにすると
玄関先がさっぱりとした。

さっぱりしたのはいいけれど
見返りに 言わずもがなの 痛みが・・・

でも これも承知の上での 土遊び

明日は 友人が我が家へ来てくれて 温めの治療をしてくれることになっている。
多分 痛みを和らげてもらえるだろう。

Iさん よろしくお願いします。


一昨日の十日は 娘の誕生日🎂だった。

家族の誕生日には 必ず バースデーカードを贈る。孫たちには プレゼントと一緒に。
子供たちやその連れ合いには カードだけの年もある。

それで 娘の誕生日に間に合うように 今年も カードを贈った はずだった。

八日の 大学病院を受診する日の朝 病院玄関前に設置してあるポスト📮に投函した。

院内にある郵便局へ 直接持って行くとよかったのだが
朝早いから まだ開いていない。
それに 受診後に持って行くと 最初の集配時間が過ぎてしまう。
だから 病院に着くと すぐポスト📮に投函したのだった。

これで 誕生日までには着くな と ホッとした。

ところが 当日になっても どうも着いている気配がない。
逆に 娘からは さりげなく 忘れてない❓と 言いたいのだろう 何通もメールが来る。

それで 思い切って カード着いてる? と 聞くと
着いていません
と返ってきた。

おかしい‼️ おかしいではないか‼️‼️
間に合うようにと 出したのに❗️

なんで着いていないのか・・・

せっかく 娘にと 書店で選んで買った綺麗なカードなのに・・・

以来 毎日 着いた? と聞いていたら
今日夕方 やっと着いたわよ と 娘から連絡が。

そして どうしてこんなに着くのが遅くなったのか わかった。

まったく思っていなかった私のミスが原因だった。

なんてこと‼️
料金が不足だったのだ❗️

まさかのミス❗️


でもでも 料金が不足だったら 差出人へ戻ってくるはずでは?

集配した郵便局で 仕分けする際 はじき出されるから
付箋が付いて 差出人へ戻されるのが普通ではないのか。

投函当日の仕分けで はじき出されて戻ってきていれば 出し直しても
なんとか十日には着いたはず。

どうして受取人のところまで行ってしまったのか・・・。

ともあれ カードは届いた。
自分へのお祝いカードなのに 自分が不足分を払って・・・。

ゴメンねエ〜
お祝いじゃなくなってしまったわねえ・・・。

このところ あちこちのテレビ局で 造替を終えた 春日大社 の番組を放送している。

結婚の前後 時々夫と 京都や奈良へ 車ででかけた。
奈良は それ以来 行ったことがない。
夫は 毎年のように 京都と奈良へは 仕事で出かけて行ったので
あえて 二人で行くなんて思いもなかったし 私も 生活に追われていて
京都は行っても 奈良へは行こうと思わなかった。

近年になって ゆっくり京都の寺社や奈良の寺社を巡りたい と思うようになってきた。

そこへもってきて 春日社の造替 だ。

番組の映像で 前の色を掻き落とした後に塗られた朱色も鮮やかな社殿を観た。
この社にしか使われない特別な朱色を 観たい❗️と思った。

宝物殿も 以前に行った時には観なかったから 行きたいと思う。

夢の中ででも行くより仕方がないか・・・
ドラえもんの どこでもドア がほしい と思う。

今日 お昼前に 大学病院の麻酔科の担当医から電話があった。

手術に関することだろうな と思いながら電話に出ると 予約した日の都合が悪くなったから
日にちを変更してほしい とのことだった。

習字からの帰りだったから はっきりした日にちが決められず 明日 改めて連絡することに。

どうも医師の口ぶりでは プライベートでの予定があったのを 忘れて見えたらしかった。
二人の子供さんがいらっしゃる医師だから ひょっとしたら 子供さんがらみの用事が
あって その日は 勤務を休みにするつもりがあったのかもしれない。

明日 いつ と返事すればいいやら・・・。

多分 来月の孫の誕生日には 夫と二人で 東京へ行くことになるだろう。

孫が 早くから 誕生日には じいじとオ〜ばあばアとオ〜 と
来て欲しい人を決めて 楽しみにしている
娘が そう 電話で言ってきているからだ。


東京へ行くのは こうした用事があって行くだけで
夫と二人で 遊びで行ったことがない。

もっとゆっくり行って あちこち見たりしてまわりたいなあ

今夜 夫が言い出した。

じゃあ 今度行ったら どこか観光する?

私は期待しながら聞いたが

かといっても まだ年末前で休めないから ダメかア〜〜

ナンダア〜〜残念 結局今度も娘たちのマンションと駅の往復カア

最近夫との約束事をする会話は ぬか喜びに終わることが多い。
そもそも夫は 出かけることが あまり好きではないのだ。
喫茶店でさえ ここ何年も 二人で入ったことがない。

そんな時間があったら 畑へ行く夫だからだ。

期待した今夜の会話も 結末は いつもと一緒。
ぬか喜びしただけに終わった。

いつか 娘の所へ一人で行った時に 思いっきり
行きたい所へ行くぞ❗️

仕方がないから そう思って気持ちをおさめた。

左足の激痛と強烈な痙攣を少しでも弱めるための手術を 前から 医師に勧められていた。
その返事を 今日しなくてはならなかった。

夫にも相談し リハビリの先生にも相談して 手術することに 気持ちを固めた。
そして今日 お願いします と 医師に伝えた。

手術の日は 来月の七日 と決まった。

ほぼ一月あるから その間に体調が崩れたりすると アウトだ。

夫には 会計待ちの間にメールしておいたら その日は休みをもらって付き添えるように
心づもりをしてくれていた。

今まで何回も 同じような手術をしてきたが こんなことは初めてのこと。
だから 休みをとった と聞いて かえってびっくり。
どういう心境の変化か。

切ったりハッタリの手術ではないが 手術室での 同意書が必要な手術だから
誰かが付いていて当然なのに 今までは 夫も付いてくれず 心細い思いだった。

今度は 安心して手術室に入れる。
万が一 術後にしばらく麻痺が起きても 夫が側についていてくれれば 安心だ。

神経そのものに電気の熱を当てるのだから 何が起きるかわからない。
まったく下半身の感覚がなくなったりするから 排泄の感覚もなくなったりする。
そんな時 やっぱり誰かが側にいてくれると 心強い。

今回は 心穏やかに手術室に入れそうだ。




秋の長雨で 今年は松茸が豊作らしい。

私が住む市は 昔から 松茸で有名な街だが 時代とともに下火になり
昨今は 松茸の街 という言葉が 住民からでさえ聞こえなくなっている。

それでも いまでもこの時期になると 松茸を扱う問屋が店だしして
松茸が 並べられる。
市内の松山で採れた松茸を 山持農家が 持ちこんだものだ。

この問屋の名前は有名になっているらしく 他県からも買いに来る客がある。
それほど 昔は大量に採れた ということだろう。

地元で育った人たちは 昔 お腹いっぱいになるほど松茸を食べたから
今は食べたいと思わない という。
家族みんなが 松茸がこぼれるほど入った背負子を背負って 山ほど積んだリヤカーを
引いたり押したりして 山から家に帰った と話した友人もいた。
それほど 昔はよく採れた松茸の産地だった。


私が夫と結婚した頃でも まだまだ松茸が出た。

働き盛りで元気だった義父に付いて 夫と松茸採りに行ったことがあった。
松茸が出ている場所が近くなると 薫りがするからわかるが
それでは せっかくの松茸を踏んでしまったりするから その前に見つけないといけない。
義父は 下から山肌を観察して ほんの少しモコツとしている辺りを見つけると

踏むなよ❗️踏むなよ❗️

と 私たちの動きをけん制しておいて 人が変わったように 次々に松茸を探し当てた。
そしてその夜は たっぷり松茸が入ったすき焼きを 家族で囲んだ。

いまではホラ話のような 懐かしい思い出だ。

車で 松茸問屋の前を通り過ぎて いろいろ思った。






先だって 高熱が出て 連日 医院へ点滴に通っていた時
ある日 かかりつけ医が一緒の 義弟に会った。

胃の検査をしてもらう病院を紹介してもらって 今度 精密検査をする と言って
受付で 紹介状を頂いていた。

彼が帰るときに 少し痩せたように思って お大事にね と声をかけた。

その後 検査の結果がどうだったか 知らないでいた。

それが昨日 夫が 来月の義父の法要の期日について 実家へ電話すると
義弟がいなくて 彼の奥さんが電話に出た。
それで 義弟が入院していることを知った。

胃の検査を受けて帰宅した夜 急に激痛が起こって かかりつけ医に緊急でかかり
また紹介状を書いてもらい 胃の検査をした同じ病院を受診したのだと言う。

検査の結果 胆管に石が詰まって膿んでいて 胆汁が体内に溜まってしまっていたのだそうだ。

今日さっそく入院先の義弟を 夫と見舞った。

義弟は 溜まっている胆汁を体外へ出すために 鼻からチューブを入れていた。
病室で対面すると 心なしか 薄く黄疸が出ている と見受けた。

今年はハナからついていなくて病院ばかりだ と義弟は嘆いた。

湯たんぽでの低温やけどに始まって 次には膝を傷め 湿疹が出るようになり
薬のアレルギー💊に悩まされ 未だに治らないでいる。
そこへもってきて 大腸の検査やポリープ切除 胃の検査 そして今回の入院。

痛みはなくなったらしいが こんな年もない と義弟は ベッドの上でくさっていた。

湿疹には かなり前から悩まされている夫が 自分の経験を話し
アロエを使った自前のローションを作って 入浴後に使っていることを伝え
それを使ってみたら と言っていた。

義弟は真から参っているらしく 最近 医師の処方する薬では なかなか治らないから
かえって そういう漢方の自家薬の方が効くかもしれない と 思い始めていた
と 話した。

健康な時には 気の強い義弟だが 体の悩みが続いて心も弱くなっているらしかった。

夫は さりげなく励ましたり笑わせたりして 元気づけようとしていた。
自家製のローションを持ってきてあげる と約束もしていた。


人は 病には弱い。
次々に病いにとりつかれると 心も弱ってくる。

今回の入院で 内科的に悪いところがなくなれば あとは湿疹だけだから
早く元の元気な義弟に戻ってほしい と願いながら帰ってきた。

もう何年も前に夫と旅した後 旅先へ持って出たペンダンドが
家へ帰ってケースに収めようとした時 ないことに気づいた。

それは 私が持っているアクセサリーの中でも お気に入りで
腰の手術の後 痛みに苦しむ私に 石にパワーがあるから と 夫が買ってくれたものだった。


かなり大きな石のペンダンドで その石に触れているだけで元気が出るような気がしていた。
不純物のない石の色も良くて 買ってくれた夫の気持ちが嬉しくて よけい大切なものだった。



それが スーツケースの中を探しても探しても どこからも出てこなかった。
最後にスーツケースを片付けたのは夫だった。

夫は よく見ないで なんでもすぐ捨てる。
それまでも 私にとって大切 というものをいくつか捨てられた経緯があった。
ケースに入っていなかったから きっとよく見もしないで 捨てられたのかも・・・
と でも夫には 失くした とは言えないから 心の中で ずっと恨んできた。

その間 数年。
ずっと気にかかっていた。

そして今日 なんと そのペンダンドが 思いがけないところから 出てきた。
絶対ありえないところから出てきたのだ。小さな透明の袋に入って。

あったア〜〜‼️ 出てきたア〜〜‼️

見つけた瞬間 嬉しさよりも

でも どうしてこんなところに⁉️

という不思議さの方が先に来た。

失せ物が出てくる時って こんなものなのか。

袋から出して手にしたとたん 急に とてつもなく嬉しくなった。

何年も何年も 捨てられてしまったのかも と疑いながら それでも どこかにあるのでは と
思い続けてきたペンダンドだ。

今日は 見つけたときから ずっと一日中 このペンダンドを着けていた。
そして時々 ホントに出てきたのだ と確かめたくて 胸に下がる石を握ってみた。

そして 心の中で 夫に平謝りに謝った。ごめんなさい🙇‍♀️🙇‍♀️
長い間 あなたを疑って恨んでしまって 本当にごめんなさい🙏🙏

これからは 絶対に 失くさないから‼️‼️





日中 風もなく とても穏やかな天気だった。

それで しばらくぶりで 散歩に出た。

家の周囲は 高速道路の工事が進んでいる。

つい最近 最後まで居座っていた工場が立ち退いた。
その後の建物を壊す作業も進められているから 何か所もで様々な重機が動き
ダンプが出入りし あっちからもこっちからも 工事の音で 大騒動だ。

そんな中を ゆっくり歩いた。

工事で 辺りの様子は日々変わっていく。
昨日はあそこにあった土の山が 今日はこっちに 遠くにあった事務所のプレハブが
いつの間にか近くに という具合で これからどうなっていくのか
今は さっぱり完成後の姿が想像できない。

それでも 完成目指して 工事は粛々と進んでいるのだろう。

しばらく道路傍に立って あちこちの重機の動きを見ていた。
そして ハタと思いついた。

どの重機も 事務所も 何か連絡を取り合って 動いているにちがいない。
だとしたら 我が家の中では つながりの悪いWAIHiも
ひょっとしたら 外の方が つながるのでは・・・。

急いで家へ帰り ブックリーダーを持って 事務所らしいプレハブの近くまで行った。
案の定 画面にはアンテナが何本も立って 何日もうまくできなかったダウンロードが
スイスイとできた。
パソコンで買った本を リーダーと同期しようとしても なかなか繋がらなかったのに
外の方がつながりやすいなんて 私としては すごい発見だ。

これだけでも 散歩に出た甲斐があったというものだ。

雲のない青い空を見ながら とても気分よく歩いた。






この秋 自分でも良くできた と思えるものが サンマ寿司だ🍣

今年の春 近所に 新鮮な魚が入るスーパーができた。
種類も多くて新鮮 おまけに どうしてこんな値段で と思うほど値も安いから
遠くからでも買いに来る客がいるほどで 午後も遅くだと もうなくなってしまう。

そのスーパーに この秋 季節の秋刀魚が入っていて 新鮮なのに安い。
ある日 その秋刀魚で押し寿司を作ろう と思いつき 腹を割いてもらった。
安いのにもかかわらず このお店では 客の希望するように加工してくれるから
客は 余計便利に魚を買い求めるのかもしれない。

さて 家へ帰って早速 漬け込む甘酢を作り 腹開きにしてもらった秋刀魚の小骨を
丁寧にとる。
そうした秋刀魚を液に漬け込んで 時々身を裏返しながら 数日冷蔵庫で寝かす。
十分浸かったら 酢飯を作って上に乗せ しっかり押す。
これで さんま寿司の出来上がりだ。

毎年より 今年は数日長く漬け込んだせいか 身が熟成されて
とても美味しく出来上がった。

自己満足か と思っていたが 海ばたで育った嫁が
とても美味しい と言ってくれた。

海のものに関しては 彼女に褒められるのが 一番嬉しい。

もちろん 夫も 喜んで食べてくれ あまりにも美味しかったから とのリクエストで
今年は もう三回も作った。

そして また四回目の秋刀魚が 今も冷蔵庫に入っている。

新鮮な魚が手に入るようになったおかげで
いつも 痛い痛いばかりの私に ちょっとだけ嬉しさをくれる サンマ寿司だ。

以前 友人から ドクダミ化粧水の作り方を教えてもらって
ずっと それを使ってきた。

それで支障はなかったし 使いごごちも問題なく 今も使っている。

ところが 前は あまり気にしていなかった顔のシミが 最近になって
気になりだした。
シミの色が薄くなるものなら 薄くなった方がいい と思うようになった。

近所の田んぼの縁の畔のようになっている場所に ハトムギが生えているのを
何年も前から 見てきた。

娘が幼い頃は 家の前の用水の縁にも生えていて その実をままごとに使ったりしたが
今は もう生えていない。
それで よけいに ああ あそこに生えている と 覚えていた。

秋になり ハトムギの実が黒くなって 採りごろになっていた。

そのハトムギの実から 化粧水を作ろう と思い立って 自分では取れない場所だから
夫に 時間があったら採って と頼んでいた。

することばかりで忙しい夫は なかなか採ってくれなかったが
ようやく この休みに採ってきてくれた。

ネットで化粧水の作り方を調べて 今日 仕込んだ。
ハトムギの実自体 手に入らない昨今だからか ハトムギ茶を使う使い方ばかりだったが
同じように作ってみた。

さて どんな化粧水が出来上がるか 楽しみなことだ。

これが成功して効果があると分かれば 友人たちにも 分けてあげたい。

成功して 良質の化粧水が出来上がりますように 🙏

お風呂に入っていて 思い出した。

前々回 大学病院へ行った帰りだった。
いつものように バスで駅まで来て 予約してあった本が来ていると
連絡をもらっていたので 図書館へ行った。

本を借りたり返したりする時に 私はあまり係の人の顔を見ない。
見ない というより 応対が誰であろうと 借りられればいいから 興味がないのだ。

その日も いつものようにカウンターへ行き 係の人に 予約本を取りに来た旨を告げた。

すると 先生 お久しぶりです と係の男性が 突然 私に言うではないか❗️
そこで初めて 相手の顔を見て驚いたのなんの‼️

以前 お向かいに住んでいた家族のご主人だったのだ。
それも ただ住んでいて引っ越していかれたのなら あら懐かしい で済むのだが
その人は 奥さん共々 私が住んでいる団地の世帯で構成している ある団体の
公金を使い込み 家を売って弁償し 団地から出ていかれた経緯があった。

発覚当時 団地の住人は 考えてもいなかった事態に呆然として
どうしていいか混乱するばかりで 訴えなければ とは 誰もすぐには思いつかなかった。
そうこうしているうちに 団地から さっさと出て行かれたのだった。

その後 どこに住んでみえるかもわからず その家族のことは 忘れてしまっていた。

それが 突然 二週間に一度は通っている図書館に 職員として現れたのだ。
それも その館の長 だと言ってだ❗️

だとすると 私が知らなかっただけで その人は ずっと以前から バックオフィスに
いた ということだ。

あの時 我々がその人を訴えていたら どうなっていただろうか。
おそらく公職である今の職には着けてはいないだろう。

悪びれもせず お久しぶりです と言われた私は アラア〜 と驚くばかりで
なぜ この人がここに❓
と いう疑問が 頭の中を巡るだけだった。

世の中 悪いことをしても こんなに堂々と 公職に着けるとは‼️

なんだかスッキリしないまま 予約本を受け取ると 直ぐに館を出てしまった。

今日 ふっと そんなことはあったのを 思い出した。

前回 大学病院を受診した際 医師から また ちょっとした手術を勧められた。

何回もしている痛い神経ブロックの一種だが これがまた 超激痛を伴う手術だから
はい お願いします とは 直答できない手術なのだ。

医師もそのことを十分理解しているから 強くは勧めない。
それに たとえ激痛に耐えて手術を受けたとしても その後
まったく痛みがなくなるわけではないから 余計 絶対した方がいい とは
医師も言えない。

でも どうですかねえ やってみてもいいと思うんですが・・・
日帰りでとはいかないから 二、三泊して・・・。

という言い方だった。
次回までに ご主人と相談されて どうするか聞かせてください
とも言われた。

どうしようか 迷う。

さっき リハビリに行って 私の体に合ったマッサージをしてくださる方に 相談した。
若いが タイ式と日本式の両方のマッサージを修得されている方で 腕はもちろん
人格的にも 信頼の置ける方だ。

今後 細く長く 行きて行くためには やってみてもいいのではないか
やらなくても 痛みはあるのだから もし術後 痛みの度合いが変わらないとしても
手術しても変わらなかった と分かれば 今後 手術すればよかった と思わなくてもいいから。

というのが 彼女の意見だった。

聞きながら そうだな と思った。

来週病院へ行ったら 手術してください とお願いしよう 今はそう思っている。