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昨日 次男が帰省 今日は 夫と私と次男とで 東京へ。
いつからか 娘の家族と私たちが 一年交代で 東京と私たちが住む所で
年越しとお正月を迎えることになっている。
それで 今年は 私たちが東京へ来る年回りに。

年末とあって 新幹線は空席がないくらいで 荷物棚には たくさんのトランクが
すきまなく載っていた。

私たちは 品川駅で降りたが 東京まで行く人のために
車内では 何度も 東京駅は大変混雑しているから・・・云々 と 注意を促す
アナウンスが流れていた。

迎えに来てくれた娘の車で 都内を走ると 一般道も高速も 以外に
走っている車が少なかった。

故郷でお正月を迎えるために 帰省した人が多いのだろう。
また 仕事納めの後で 走っている仕事の車がなかったせいもあるのかもしれない。

マンションに着くと 二人の孫が 玄関のドアを開けて待っていた。
普段は忙しい婿も さすがにリラックスした様子で 出迎えてくれた。

なかなか会えない次男に 孫たちがまとわりついて離れない。
男の人が苦手で 馴れないと泣いてしまう下の孫も 不思議に泣かないでいる。

次男は 笑いながら やっぱり血じゃないの? 他人とは違う何かを感じるんじゃない?
と言いながら とうとう お風呂から寝かしつけまで 付き合っていた。

明日の日中は スケートへ行く者と 下の孫のお守りで残る者とに別れて過ごすことになった。
おそらく 私は残る組になるだろう。

泣かれなければいいが・・・。
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今夜は 夫の勤め先の忘年会。

夫は 夕方近くから 出かけて行った。
六時からの忘年会だから 例年 この日は 職員はみんな泊まりだ。

昔 長年夫が勤務していた頃には たまには出張があったから 一人の夜も ままあった。
しかし 退職して第二の職場で働くようになってからは 飲み会も出張もなくて
夫は 勤めが終わると 必ず帰宅している。

飲むことが好きで ワイワイ楽しむことが好きな夫には
その意味では ちょっと味気ない職場だ。

唯一飲む機会が 泊まりでの 年に一度の忘年会。

だから夫は 口には出さないが 今日をとても楽しみにしていた。
ずっと前から 会でのカラオケで披露するつもりなのだろう歌を
パソコンのユーチューブで 幾晩も何度も聴いては 一緒に歌っていた。
その成果がどうだったのか 明日帰って来たら 話してくれるだろう。

そんなわけで 夫にも特別な日なら 私にとっても 年に一度の一人の夜だ。

とりわけて何をするでもないが 気持ちのタガが緩んで
のんびりできていい。

相変わらず 叔母からの電話やメールがあるし まるっきり一人感はないが
それでも 気遣いしなくていい分 とても楽な気持ちで過ごせる。

寝て起きてしまえば 夫が帰って来て またいつもと変わらない日が待っている。
せっかくの夜だ せめて今夜は ベッドの中で 気兼ねなく本を読むことにした。



今日は午後から 今年最後になる大学病院を受診した。
午後からの受診は いつもなら案外患者が少なくて 早く終わるのだが
今日は 年末だからだろう 患者の数が多く 点滴やトリガーが終わったのは
四時を過ぎていた。

薬局で薬をもらい そのまま 整形外科のリハビリへ直行。
リハビリが終わると もう 夜も七時近かった。

これで 今年の病院通いもお終いだ。

今年もよく通った。

年が明けても また 同じような日々が始まる。
それでも 私は この体で 生きていく。

今朝の新聞に 研究者の老人観が掲載されていた。

歳をとるほど 物事の本質が分かるようになる。
すると 自己中心性や自尊心が いい意味で低下する。
心身や経済的状況など ネガティヴな状況が増えるにもかかわらず
主観的な幸福感を得るようになる。
これが 研究者のだいたいの考えだった。

確かに歳をとると 欲がなくなる。
もちろん同じ年齢でも 欲のある人はいる。でも 次第にその方向へ傾いていく。

歳をとらなくても 体が不自由になると 様々な面で諦めなくてはならないことが
出てくる。
それが積み重なると 諦めが納得になり 納得が生きる覚悟を生む。
自分が置かれている状況が理解でき それが自尊心の尺度を下げるからだ。

物事の本質が分かるようになってこそ 自己中心性も低下する。

体を悪くして歳をとるごとに 自分の中からいろいろな欲がなくなっていく。
それはずっと感じていた。
自由に動けないのだから仕方がない その思いが 私の幸福感の尺度を
変えていることを 研究者の言葉で 改めて感じた。

以前 私の生活状況を聞いて 人間の生活じゃない と言った 同年の知人がいる。
研究者の考え方からすると 彼女はまだ健康過ぎて 老年 という観念がないからに違いない。
研究者が言うような 幸福感や老年的超越尺度を身につけた人でなければ
私の気持ちや思いは理解できないのだ ということも この記事ではっきり知った。

今まで 何か胸の内でモヤモヤしていて スッキリとした形で理解できなかったことが
この研究者の記事で はっきり見えた気がする。

いい記事を読んだ。

百歳を生きる老人たちの幸福感は 当然いい意味で低下しているらしい。
こんなにも生きてきた という自己への肯定感が底にあるからだろう。
それに その歳くらいになると 欲もなくなるだろう。

まだまだ老年期の緒についたばかりの私だ。
これからもっと幸福感のラインが下がっていくに違いない。
老年特有の超越的尺度が どう変わっていくのか 自分のことながら興味深い。

今日は午後 I さんが 今年最後の温めの治療に来てくださった。
昨日の疲れで半日寝ていた私には 願ってもない事で ありがたかった。

I さんのおかげで なんとか歳を越せそうだ。
本当に ありがとうございました。

朝起きると とてもいい天気。

夫が
おい、今日 墓参りに行って 親戚へ年末の顔出ししてくるぞ
と言うので 急きょ 出かけた。

途中にあるスーパーで 花の茎を藁ずとで巻いてある 寒い地域独特のお供えの花を買った。
花生けに水がいらないから 凍って割れたりすることがない冬の仏花だ。

亡父母の兄弟の家数軒と知り合い宅に寄って 健在を確認すると もう二時を過ぎていた。

この時期の夕暮れは早い。

買い物をして高速に乗る頃には もう 山影が暗いシルエットになっていた。


順調に今日一日が済んだからだろう
夫も 疲れた疲れた を連発することなく 無事に帰宅できた。

昨日は 長男の家族と一緒に長男の家族と一緒のクリスマス会🎅だった。

夫と私は 二人の孫たちへのプレゼントである図書カードと
ケーキは 上の孫が作るから というので アイスクリーム専門店で買ったアイスクリーム
それに 到来物のアップルパイを持参した。

下の孫が作ったという二種類のピザ 嫁の料理のローストチキンやカルパッチョ、
サラダやシカ肉の前菜などが テーブルの上いっぱいに並べられて カンパア〜イ‼️

十二年 こうやって クリスマス会🎅を 長男の家族とやってきた。

長男と嫁が 私たち夫婦の近くに来たとき 上の孫は まだ三歳だった。
それ以来 下の孫が生まれて その孫にアレルギーがあるとわかるまでは
私がケーキを作っていた。
手間はかかっても 孫の喜ぶ顔が嬉しくて 誕生日とクリスマスには
張り切って 毎回 違ったものを作った。

下の孫の食品アレルギーも バナナ以外は大丈夫になってきたから
来年から また私が作ることにした。
但し 体調が良ければ の話だが。

二人の孫たちが大きくなったので 雰囲気も落ち着いていて
笑ったり食べたりと 口が大忙し。

楽しい会だった。

今日は 夫の父の祥月命日。
先月末に 家を継いでいる義弟から 二十二日に 義父の十七回忌の法要を執り行いたい と
連絡を受けていた。

平日でもあり 出席は 私たち夫婦と義弟夫婦のみ。
夫にはもう一人妹がいるが 事情があって十年前からまったく行き来していない。
義弟夫婦も 交流を絶って 五、六年になるから 法要にも呼ばない。

連絡をもらった時には 十一時に僧侶に来てもらうはずだったが
葬式が入ってしまったので 僧侶は 夜にならないと来られなくなってしまった。

それで昨日 義弟からその旨連絡があり それでも予定通り 僧侶不在ではあるが
おまいりにきてほしい その後 食事をともにしよう とのことだった。
また ご仏前はなし で来てほしい とも言われた。

とは言っても 手ブラでは行けない。
それで 花の鉢ならお正月過ぎまで楽しんでもらえるだろう と 胡蝶蘭の鉢を
求めて持参した。

四人で仏壇にお参りした後 義弟の車で 食事会場へ。
個室だったから ゆっくり時間をかけて 話をしながら食事ができた。

義弟のお嫁さんも お酒が飲める人なのだが 帰りの車を運転してくれるので
彼女は ノンアルコールのビールを飲んだ。
夫と義弟は日本酒を アルコールがまったく飲めない私は 烏龍茶を。

お互いに若い頃は 義父母も健在だったから 暗にギクシャクした時期もあったが
義父母が鬼籍に入ってからは 兄弟らしい行き来が出来ている。
今日も 夫も義弟も楽しそうに飲み お嫁さんとも屈託なく会話が弾んだ。

義父が亡くなって もう十七年
大人しく賢い人で 義母の言うことには逆らわない人だった。
日本が戦争に負けなかったら ずっと職業軍人として一生を終えただろう義父だった。

兄弟夫婦が仲良くしているのを 彼岸から 喜んでくれているだろう。

昨日 大学病院へ行って その後 皮膚科を受診し帰宅 そしてその後 リハビリへ。
それで 東京行きの疲れがまだあって 今日は 朝から寝ていた。

すると今日 お昼に 温熱療法をしていただく約束をしていた I さんから 電話があった。
私の体調を気遣って できる状態かどうか心配しての電話だった。

半日寝ていたからか 少し元気が出ていたので 来ていただきたい と お願いした。

I さんは いつものように 全ての道具を 大荷物にして 来てくださった。

温熱療法は 一時間半以上にもなっただろうか。
彼女は 丁寧に足の裏から背中側 足先から肩まで と 温めてくれた。

彼女だって 大病しているし 体も丈夫ではない。
それなのに彼女は 私の体調を いつも気にかけていてくれる。
まるで 妹のように。

彼女とは 私が三十代の時からの仲だから もう三十年以上になる。
仕事仲間として出発したが いつの間にか個人的な悩みを打ち明け 相談する仲になった。
次男についての悩みにも 根気よく付き合ってもらった。

私の方が十も年上なのに 最近では 彼女の方が年上みたいに 面倒をかけてばかりだ。
どんなことも 彼女の方が博識だし熱心だし人柄はいいし 偉い人だなあ と つくづく思う。

年内にもう一度治療しましょう と言って 帰って行かれた。

私は嬉しいが 彼女だって疲れているだろうに・・・

本当に ありがたい友人だ。

大学病院では 毎月一回 血液検査をする。
飲んでいる薬💊が 肝臓と腎臓に強い影響を与えるからだ。

今年になって 検査結果のうち 肝臓の数値が 急に少し悪くなった。
麻酔科の医師は 数値の悪化が 💊によるものであっては困るし それならば薬の出し方や
種類を変えねばならないから と 大学病院内の内科で 肝臓の精密検査を受けた。
内科医師の判断は 薬によるものではない とのことだった。

それが 先月の検査では先々月より改善されていた数値が 今月 また悪くなってしまった。
来月の検査の結果次第では また内科を受診し検査してもらいましょう ということに。

自分では 悪くなった原因が何なのか まったく思い当たらない。
特別 暴飲暴食をするわけでもないし 油こいものばかり食しているわけでもない。

ただ 何年も前に 胆のうを全摘している。
だから その分 肝臓に負担がかかっていることは確かだろう。
それに 問題は体重。

さて 年越しやお正月が待っているこれから。
食べるものをどうするか・・・。

それ次第で 一月の結果が変わるのは必定だ。

十六日の夕方には夫も来て 十七日には 家族での誕生祝いをした。

娘は リビングのあちこちから 飾りを吊したり 色とりどりの風船🎈を飾ったりして
お祝いムードを盛り上げた。

私達からのプレゼントは 孫が欲しがっていたキックスクーターとヘルメット⛑。
包装をといて 欲しかった品物を目にすると 孫は大喜び。

近くの代々木公園内で思いっきり遊ばせよう と 早速出かけて行った。
孫は ヘルメットをかぶり肘当てや膝当ても しっかりつけて準備万端。
そんな孫を夫が見守り 私は 下の孫を三輪車に乗せて梶棒を押して行った。

天気が良くて暖かい土曜日だったから 公園の中は たくさんのランナーが
走っていたし ドッグランの中も 飼い主と大小の犬で賑わっていた。

それでも広い公園だから 孫がスクーターに乗っていても 邪魔にはならない。

園内をほぼ半周した辺りで引き返し マンションへ帰った。
娘が作ったケーキの五本のろうそくに火を灯して祝った後はお昼寝。


夕食は 婿が料理してのバースデーデイナーだった。
孫の希望で 肉はポーク。
それを 大きな塊ごとローストしてあり 付け合わせの野菜も美味しかった。

婿は 乾杯のためのお酒と オーストラリアから直輸入したワインを二本開けた。
どれも高価で まだ日本では売られていないワインだという。

食後は 音楽に合わせて踊ったり 和やかで賑わしいバースデーだった。

二十日には お友達を招いてのパーティーをするらしい。
その日のための準備もあって 娘は大忙し。
親は大変だ。

発表会の十五日は 朝から慌ただしかった。

クラスの子供たちに 衣装を着せる係を引き受けていた娘は 開演の二時間も前に
上の孫を連れて 婿の運転する車で出かけて行った。

下の孫と私は 戻って来た婿と 定刻までに行けばよかった。
すでに起きていた孫に ご飯を食べさせ着替えさせて 自分も身づくろいをして
婿の車で 会場へ向かった。

会場では 娘が席をとって待っていた。

クリスマスを前にした発表会だから 毎年 キリスト誕生にまつわる逸話をテーマにした
劇が 発表されるのだという。

今年は キリストが誕生した と 小鳥が告げる場面がメインだった。
当然 セリフは英語だけだ。
子供たちは たどたどしい口調で 割り当てられたセリフを言っていた。

孫は 鳥のうちのフクロウの役だったから 娘は その衣装作りに大変だったらしい。
自分で工夫して 何色かのフエルトやフアーで羽を型取り それをテイシャツに縫い付け
長い布に同様にして尾羽も作り付け フクロウらしい衣装に仕上げてあった。
また 顔もフクロウらしく と お面も 手の込んだものを作っていた。

照れ屋で気が小さくておまけに臆病な孫は そんな母親の手作りの衣装を着て
彼女なりに 楽しみながら一生懸命演技していた。

会場は 当たり前ながら日本人は少ない。
祖父母も 異国の人が大半だった。
しかし 会場内の父兄は 日本の幼稚園の発表会と変わらない。
どの親も 我が子可愛さに スマホを持って写真を撮っている。

劇が終わり 校長の言葉が終わりを告げた後も なかなかみんな帰らない。
明日で終業し 翌日からは 三週間の長いクリスマス休暇に入ることもあって
親同士子供同士が 別れを惜しんで話したり写真を撮ったり。

明後日からは クリスマスを自国で過ごすために あるいは暖かい国で過ごすために
どの子の親も 経済的な豊かさを基盤に 家族で日本を離れて行く。

庶民とは少し違った雰囲気の 発表会風景だった。




東京の娘の長女が 二十日で五歳になる。

当日は たくさんのお友達を招いて誕生パーティーをする という。

でも 家族だけでのお祝いをしたいから 夫と私に来て欲しい と連絡があった。
それに 十五日には 孫の通う幼稚園の発表会があって 孫が 見に来てくれない? と言う。

孫が通う英国式の幼稚園は 年少年中の二年間だけで 日本では年長に当たる年には
もう 小学一年生になる。
だから 幼稚園での発表会は今年が最後になるから 去年の発表会では たくさんの祖父母が
見に来ていたのを覚えていて 私達に来て欲しかったらしい。

仕事がある夫は 十七日の誕生祝いには行けても 十五日は無理だということで
私一人が 十四日から行くことになった。

十三日には 大学病院を受診し I さんに温熱療法をしてもらい 夕方には整形外科で
リハビリを受け 痛み止めの座薬を処方してもらった。
それといつものたくさんの大学病院の薬💊とかかりつけ医の薬💊 コルセットや湿布
を持って 体調がよくない中 十四日から出かけて行った。

衣類などは予め送ってあったから 杖や身の回りの物だけを入れたトランクを持って
新幹線に乗った。

品川駅まで 二人の子供を連れて 娘が迎えに来ていた。
帯のように縦横に 車が連なって走る東京の煩雑な道路を 娘もまた 大きな車を
操って走る。

自分の子供であることからはるかに離れて 娘が東京の人間になってしまったのだ と
痛感し 今の孫の年齢だった頃を思い出したりしながら 嬉しいような寂しいような
複雑な気持ちがよぎる時でもある。

そんな母親の気持ちをよそに 娘は快活に会話しながら マンションへと車を走らせた。

体調不良の夫は 今日は珍しく午後から早退けした。
私は大学病院受診の日だったから 夫に寄ってもらい 一緒に帰って来た。

今日は I さんに また温め治療にきてもらえることになっていた。
それで 病院の帰りに 途中のバス停でI さんに乗せてもらって帰宅する約束になっていた から
一緒に帰宅することになった夫の事情を伝えると 夫にもかけてあげる と言ってくださった。

これまで私が 気持ちがいいからかけてあげようか と どれだけ言っても いい と
拒否していた夫だったが 自分でも よっぽど体調が悪い と感じてか やってもらう と言って
I さんが準備してくださったマットの上に 寝そべった。

うつ伏せ 上向き と それぞれ体の隅々まで 足の裏までも 丁寧に時間をかけて
温めてくださった。
気持ちよくなった夫は 知らず知らずに眠っていた。

そして最後に 体を起こして 頭に。

夫だけでもなのに その後私も 腰を中心に と 肝臓検査の数値が悪くなっていた と告げると
お腹から胸も 時間をかけて温めてくださった。

やってもらったすぐには 効くのか と 半信半疑だったに違いないが
夕御飯を食べている時
肩が軽くなった 効くなあ
と 夫が。

私は自分の体験から 絶対に効果がある と わかっていたが
夫の口から この言葉が出て 本当に嬉しかった。

あんなに丁寧に 時間をかけて治療してくださったんだから 効かないわけがない。

これからは かけてあげる と言った時に 今までのように拒否はしないだろう。

あんなに気持ちがいいんだもの。
それが分かったからには 拒否できるわけがない。

I さん 今日は 本当にありがとうございました。
さぞ お疲れになったでしょうね。

おかげさまで夫は 肩だけでなく 体全体が軽くなって 咳も ちょっと楽になったようです。
ありがとうございました 🙏🙏🙏

私も これで娘のところへ出かけられます。





我が家から比較的近い場所に 去年 デイスカウントスーパーができた。

店舗自体は 以前からあったスーパーの建物を そのまま使っているが
販売している食品のどれもが 他のスーパーより安価だ。

魚類の売値が 特に違っている。
どうやったらこんな新鮮な魚を安く売れるのか と 不思議に思うくらいだ。
この秋 何回も作ったさんま寿司の秋刀魚も このスーパーで購ったものだった。

安近短の利点がすべて揃っているので 最近では 他のスーパーへは行かずに
ほとんどの食料品を ここで贖うようになってしまった。

今まではそれで何も問題はなかったのだが 一昨日 ちょっとした問題が発生した。
私をリハビリに送った帰りに 夫が そのスーパーで 切り身になった鯖を買ってきた。
自分が 鯖の煮付けを食べたかったからだろう。

見た目は何も問題なく 新鮮で美味しそうだった。
それで せっかくこんな新鮮な切り身だから と いつもの自己流の煮方ではなく
わざわざネットで 一番美味しそうな煮方を調べて 味噌煮にした。
もちろん 調味料の分量も火加減も 完全にレシピ通りに 作った。
こんなに丁寧に調理したこともないくらいに。

ところが それを食べた夫が
味付けがどうのというより 鯖本来の旨味がまったく感じられない
この前食べたハマチの刺身もそうだったなア ハマチの味がしなかった
という。

確かに私自身も せっかくあんなに丁寧に調理したのに それにしては・・・
と 思いながら食べていた。
だから 半身の半分も箸が進まず 残した。

すると 夫が
ひょっとして 新鮮に見えるように何か加工してないか?
と 言いだす始末。
それくらい 鯖の味がしなかったのだ。

おまけに
じゃあなかったら 海から遠いこんな所で 新鮮で安い魚が食べられるはずがない
とまで言う。

夫の言うことが本当かどうかはわからないが そのものが本来持っている味がしない
というのは どうしてだろう。
私たち夫婦の味覚が落ちているからなのか・・・

夫は
もう あのスーパーで買うのはやめよう 美味しくない!
いくら安くても 不味かったら なんにもならない!
とまで 言っている。

これは 昨年ノーベル賞を受賞した女性が 来日した際にした講演のなかで
述べた言葉だそうだ。

物事を 常に冷静に俯瞰する姿勢がないと こういう言葉は出てこない。
さすがに ノーベル賞を受賞するジャーナリストだ と 感心する。

隣の国の今の状態が この言葉の通りだ。
一人一人が口にする言葉が 集まって膨大な数になり 今 歴史になった。

しかし 歴史とは 簡単になるもの 作られるもの なのか。


歴史となる多勢の言葉 それは 民意 と同意義だろう。
それが歴史を作るまでになる数は というと 事と次第で異なる。

ジャーナリスト女史は数百というが これぐらいの数では 現実では歴史にはならない。
文学的に表現すると という 比喩的な意味での 数百人だ。

では どれくらいの人数なら 歴史になるか。
それは 民主主義の熟成度に差配されるのではないか。
国や存在する集団が どれだけ一人一人を尊重しているか この一点にかかる。

ずいぶん昔 チェコで起きたプラハの春 それが一番いい例だろう。

では 翻って 我が国の実情はどうだろうか。
「民意の総意」として 真の歴史が作られてきただろうか。

現実「歴史」になるまでには どれくらいの人の言葉が必要なのだろう。
例えば 日米安保条約締結時のあの学生達の数をもってした事は 歴史の中で語られはしても
新しい歴史を作るまでには至らなかった。

こう考えると 歴史になる ということは 歴史を作ることとは同意ではない。
極端に言えば 時系列の中での出来事であったとしても 歴史にまではならない ということだ。

この世の中のほとんどのことは 単に「出来事」で終わってしまう ということだ。
民主主義の社会であっても ただ虚しさや悲しさだけしか残らない出来事に・・・。

一人一人の考えや意思は タテマエとしては尊重されるが
たとえその数が集まろうと 現実では歴史にはなれない といえるのではないか。

歴史を作るまでには至らない様々な出来事でこの世は成り立ち
その積み重ねで時が流れていく というのが 本当の「歴史」の意味だと思う。

実は この「小さなことの積み重ね」こそが 歴史へと方向づけるものであって
実際は 女史がいうような簡単なことでは 歴史にはならない。

こんなことを 今朝 新聞記事を読んで 思った。







最近 夫の体調が良くない。

一昨日辺りから 幼稚園で流行っているらしい風邪の症状が出て 医者にかかった。
抗生剤も処方されていて しっかり薬💊も飲んでいるのに
なんだか次第に体調が悪くなっていく気がしている。

今日も 帰宅した際の様子が悪い。
温かい飲み物☕️などを用意して 体を温めてリラックスさせたりしてもダメだ。

そうしたら 夕御飯の最中に 急に 左目👁がおかしい と言い出した。
見えにくくなっているわけではないらしいが 幾度となく目薬を点している。

先週の金曜日には 一過性だと思いたいが フラッと 一瞬 意識がなくなったらしい。
これには本人もビックリして 早速かかりつけ医にかかり CTをとり 念のために
来週の月曜日に 基幹病院で MRI検査をすることになっている。

干し柿作りにしても 今年は ちょっと違っている。
畑の柿の木のうち二本の実は 私の友人夫婦が 毎年とりにくる。
例年なら夫は 残りの木の実を全部収穫するのだが 今年は 二本がそのまま。
今頃は 木からポタポタ落ちていることだろう。

だから 皮をむく柿の数は 今年は例年より少ない。
なのに 夫は 最後まで皮むきをせず どれだけか捨ててしまった。

最後の一個まで皮をむく根気が 今年はなかった。
最後の方は むくのに飽きてしまったらしい。
多分に 疲れの影響だろう。

これだけを見ても 夫の様子が違ってきているのがわかる。

同年齢の男性に比べて元気だ 体力がある💪 と これまでは自分で言っていたのだが
不調が続いて このところ ちょっと自信をなくしているようでもある。

やっぱり 確実に 老いはきている。

勤めだけでもかなりの負担なのに 畑仕事に人一倍励んできたツケがまわっているのだ。

今まで 請われるままに 勤めを続けてきた。
いい加減 勤めを辞める時期だ と 思っていたところに 理事長が亡くなり
園長から 辞めてもらっては困るから これからもよろしく と 先回りに言われてしまった。
これで またしばらくは辞められなくなってしまった状態だ。

仕事自体は 中心が幼児👧👦相手だから かえって癒されるが 通勤の往復🚙がこたえるらしい。

今のように 体調が悪いときには 夫は 私の言うことにも聞く耳を持つが
よくなると たちまち元の回遊魚に戻ってしまう。

しかし ともかく 今度の検査の結果次第では 何か対策を考えなければ。


来年の書き初め 調和体の手本 高浜虚子の句だ。

今月一回めの木曜日は ちょうど 医師の都合で診察日が変わった日に当たったから
行けなかった。
従って 今日が初めての書道の練習日だった。

今月は書き初めの練習だから いつもと用紙が違う。
手本は いたって芸術的な筆致の文字を書かれる先生の手になるものだ。
でも最近は その先生の書かれる手本にも 少しは馴れて
以前ほど 嫌だとは思わなくなってきた。
これも ホンのちょっとの進歩か。

中筆を持って 先生の手本を見ながら 書いてみる。
字の位置や漢字とひらがなとのバランス 濃淡や太い細いのバランス・・・
一字の中にも太い細いがなくてはならない。

書いては朱を入れてもらい 書いては朱を入れてもらい して 何枚か書くうちに
下手なりに 次第に形になっていく。

十枚を書き終えたところで 今日注意されたことが ようやく頭の中に定着した気がした。
それで もう一枚だけ 最後に書いた。

我ながら 気合いが入った字で バランスも濃淡も 文字の大小も
今日一番の仕上がりの書になった。

提出すると 先生も 今日一番ですね よく書けましたね と言ってくださった。
でも まだまだ練習あるのみ。

来週の木曜日は また欠席になる 今月は 残念だが 行けない日が多い。
集中して書き上げるよりない。

I さんには叱られてしまったが 私から習字を取ってしまうと 何にもなくなって
カラッポになってしまう。
やっぱり 習字は辞められないわア〜。

だから I さん❗️ 許してね〜🙏🙏




今日も 午後から I さんに来ていただいて 温めの治療をしていただいた。

彼女も 私のブログを見ていてくださる 数少ない友人の一人だ。
だから 最近の私の様子 最近に関わらずいつもの様子を よくご存知なので
ここのところの私の不調も とっくに知ってみえる。

そして今日 リビングへ入って腰を下ろす間もなく

・・さんは 動きすぎ‼️
ちょっと良くなるとすぐ動くから ダメ‼️
あなたの状態なら 外出は病院へ行ったり治療したりするだけで
後は ベッドで寝てるくらいでないと❗️p

と 叱られた。

これくらいのお叱りは 以前にもあったが しかし その次の言葉にビックリ‼️

それって 団塊の世代病ですよ❗️
観てると 同じ世代の女性は みイんなよく動く❗️
私たちの世代では考えられないくらい よく動く❗️
それって 団塊の世代病ですよ❗️
月に何回も登山したり 病気になっても 病気だったりしても ちょっと良くなると
直ぐ なんかかんか動きますよね❗️
まるで 止まると死んでしまう回遊魚みたい❗️
病気なんだから ダラーッとしていられないんですか⁉️
じゃないと いつまで経っても良くはなりませんよ‼️

と 言われるではないか。

私は エッツ‼️‼️
と 思った。

今の今まで 自分がよく動くなんて自覚も意識も まったく持ったことがない。
むしろ インドア派で 生来 どちらかといえばナマカ だと思って生きてきた。
時間さえあれば 毎日でもダラーッツとしているし 友人や同世代の知人に比して
考えられないくらい 動かないからだ。
これは 体を悪くする前も 当然悪くなってからは余計にのことだ。

そりゃあ 周囲の人は 凄い。
確かに 山へは登るし 旅行はしょっちゅうだし 畑仕事はするし
毎日でも喫茶店へは行くし プールへは通ってるし・・・そんな人ばっかりだ。

それに比べたら私は 喫茶店へは行かないし 山にも登らないしプールにも行かないし・・・
休み休み続けているのは 書道だけだ。
(もっとも 彼女には 習字だって ホントは無理なんです❗️と言われてしまったが)
だから他の人を 同年齢なのになんと私と違うこと 自分もあんなふうに動けたら と
ときに羨ましく思うこともあるのだ。

それなのに まさか自分が 彼女の世代からすると 同じに観られているなんて
思ってもいなかった。
でも 彼女や彼女の友人からすると 私のブログを見るだけで
あの体で よくあれだけ動けるな と 感心してしまう と言う。
そして 私に限っては 絶対に動きすぎ‼️ なのだそうだ。

ビックリ‼️ビックリ‼️だ。

そんなこと思ってもいなかったわ 夫にその言葉を聞かせたいわ と 笑いながら言うと
おたくのご主人は 特別だから〜別ですよ❗️
と また一刀両断に言われてしまった。
たしかに 夫は 動いていないと生きた気がしない人 だ。

そオ〜かア〜〜・・・私って よく動いているのかア〜〜・・・
自分ほど動かない不精なものはいないだろう とさえ思っていたのにイ〜〜・・・。

叱られたのに なんだか嬉しくなってきた。
動きすぎッツて言われるほどではないにしろ はたから見たら 動いているらしい。

でもそうだとしたら I さんに叱られたように もう少し だら〜っとしていてもいいのかア〜。

これからは 胸を張って? だら〜っとしていよう❗️

しかし 夫は
今でもなのに これ以上どうやったらダラ〜なんてできるんや?
と ニヤニヤ笑って言うのだが・・・。


それにしても 今日は 思いがけない 団塊の世代病 と言う言葉 に ビックリ。
それも私に限っては 言われて嬉しいような そうなのかなぁと半信半疑のような。

叱られたのやらなんやら解らない 興味深い I さんの言葉だった。

こんなことを 笑ったりしながら一時間も話しただろうか。
そしてそのあと 一時間半も治療してもらった。

前回と今回持ってきてくださった煎じ液 ありがとうございます。
お風呂に入れて使わせてもらい 精々温めます。




昨日今日と まったくベッド生活。

どうやら 今年いっぱいの動きのツケが回ってきたようだ。

この体の私が よくもまあ 動いてこられたものだ と 自分でも感心するし
今年 動いているうちも 動けることに感謝しながら 自分の役割を果たせることにも
感謝しながら ずっと動いてきた。
その分 かなり無理をしている という意識もあった。

当然ながら そう過ごしながらも いつかどこかで このツケが それも強いツケが
くるだろう と 覚悟しながら過ごしてきた。

それが 今出たのだ と思っている。
この一年 よくもったものだ と思う。

本当なら 明日手術の予定だったのは 体調からすると一番いいタイミングだったといえる。
ところが 医師の都合で延期になり 私の都合もあって 年内は無理になってしまった。
だから これからの一月くらいは なんとか持たせないと仕方がない。
おまけに今月は師走 何かと忙しない月で おまけに東京行きの予定が入っている。
ズボラでもなまくらでも できるだけ痛みをとって 乗り切らねばならない。
マッサージや I さんに頼って 。

幸い 水曜日には また I さんに来てもらうようお願いしてある。
なだめなだめしながら やっていくよりない。

I さん よろしくお願いします。

日本は 古来から 森羅万象のすべてを 神 として崇めてきた。

空を突いてそびえる山々も 流れ落ちる滝もその流れも 道端に転がる石や岩までをも
手を合わせる対象にしてきた。
月や太陽も その第一のものだろう。

仏教やキリスト教などの いわゆる宗教が広まった現代においても なお
日本人は はば広く信仰の対象としている。

その大本は すべてのものにイノチがある という観念と思想に発しているのではないか。
日本人が作り出した箱庭や盆栽も 掛け軸に描かれる自然も その先にあるものではないか。

その考えに思い至った時 気づいたことがある。

私がこんな体になっても どうしても花が好きで 季節季節の変わり目になると
花の苗を求めたくなるのも その先の先の先に繋がっているからではないか・・・。

何にもできなくて家にばかりいると こんな どうでもいいことを思いつく。
損にも得にもならないことを考えていると 少しは慰められる・・・こともないのだが。

東京の孫は 父親が英国人だから イギリスの学校へ通っている。
幼稚園 小学校 中学校 高校が一貫教育されているから 幼稚園と呼ばずに 学校 と呼ぶ。

その学校は 娘夫婦は 単に英国と同じ教育課程だという事で 入学させたが
入れてみると 望んで入学させる親の経済的レベルが とてつもなく高いことがわかった。

従って 子供の誕生パーティーの開き方も ハンパではない。
これまでも 学校のことや学友の家庭のことなど いろいろ娘から聞いてきたから
何事につけても 庶民の感覚とはかけ離れていることは 知っていた。

しかし今日 娘から送られてきた 学友のバースデーパーティーのビデオを
夫と二人で観て その様子が想像以上だったから 驚いた。
ほんの四歳の子のパーティーなのに 祝い方もお金のかけ方も桁違いだった。

娘夫婦だって 日本の平均から比べたら 思いもつかない暮らし振りをしているが
その娘が うちは最下層 というくらい 他の家庭は凄いらしい と思っていたが
今回 そのスゴサ が よくわかった。

娘は 私たち夫婦の子として育ったから 自分の子が育っていく環境が
当たり前の世の中だと思って育ちはしないか と 心配している。

その心配がよくわかった。

でも 考えたところで どうにもできない。
孫が転校するほか その悩みの解決法はないからだ。

せいぜい我が家に来て 母親が育った環境に馴れさせ
日本の なんでもない家庭の有り様を 教えるしかないだろう。