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昨日 次男が帰省 今日は 夫と私と次男とで 東京へ。
いつからか 娘の家族と私たちが 一年交代で 東京と私たちが住む所で
年越しとお正月を迎えることになっている。
それで 今年は 私たちが東京へ来る年回りに。

年末とあって 新幹線は空席がないくらいで 荷物棚には たくさんのトランクが
すきまなく載っていた。

私たちは 品川駅で降りたが 東京まで行く人のために
車内では 何度も 東京駅は大変混雑しているから・・・云々 と 注意を促す
アナウンスが流れていた。

迎えに来てくれた娘の車で 都内を走ると 一般道も高速も 以外に
走っている車が少なかった。

故郷でお正月を迎えるために 帰省した人が多いのだろう。
また 仕事納めの後で 走っている仕事の車がなかったせいもあるのかもしれない。

マンションに着くと 二人の孫が 玄関のドアを開けて待っていた。
普段は忙しい婿も さすがにリラックスした様子で 出迎えてくれた。

なかなか会えない次男に 孫たちがまとわりついて離れない。
男の人が苦手で 馴れないと泣いてしまう下の孫も 不思議に泣かないでいる。

次男は 笑いながら やっぱり血じゃないの? 他人とは違う何かを感じるんじゃない?
と言いながら とうとう お風呂から寝かしつけまで 付き合っていた。

明日の日中は スケートへ行く者と 下の孫のお守りで残る者とに別れて過ごすことになった。
おそらく 私は残る組になるだろう。

泣かれなければいいが・・・。
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今夜は 夫の勤め先の忘年会。

夫は 夕方近くから 出かけて行った。
六時からの忘年会だから 例年 この日は 職員はみんな泊まりだ。

昔 長年夫が勤務していた頃には たまには出張があったから 一人の夜も ままあった。
しかし 退職して第二の職場で働くようになってからは 飲み会も出張もなくて
夫は 勤めが終わると 必ず帰宅している。

飲むことが好きで ワイワイ楽しむことが好きな夫には
その意味では ちょっと味気ない職場だ。

唯一飲む機会が 泊まりでの 年に一度の忘年会。

だから夫は 口には出さないが 今日をとても楽しみにしていた。
ずっと前から 会でのカラオケで披露するつもりなのだろう歌を
パソコンのユーチューブで 幾晩も何度も聴いては 一緒に歌っていた。
その成果がどうだったのか 明日帰って来たら 話してくれるだろう。

そんなわけで 夫にも特別な日なら 私にとっても 年に一度の一人の夜だ。

とりわけて何をするでもないが 気持ちのタガが緩んで
のんびりできていい。

相変わらず 叔母からの電話やメールがあるし まるっきり一人感はないが
それでも 気遣いしなくていい分 とても楽な気持ちで過ごせる。

寝て起きてしまえば 夫が帰って来て またいつもと変わらない日が待っている。
せっかくの夜だ せめて今夜は ベッドの中で 気兼ねなく本を読むことにした。



今日は午後から 今年最後になる大学病院を受診した。
午後からの受診は いつもなら案外患者が少なくて 早く終わるのだが
今日は 年末だからだろう 患者の数が多く 点滴やトリガーが終わったのは
四時を過ぎていた。

薬局で薬をもらい そのまま 整形外科のリハビリへ直行。
リハビリが終わると もう 夜も七時近かった。

これで 今年の病院通いもお終いだ。

今年もよく通った。

年が明けても また 同じような日々が始まる。
それでも 私は この体で 生きていく。

今朝の新聞に 研究者の老人観が掲載されていた。

歳をとるほど 物事の本質が分かるようになる。
すると 自己中心性や自尊心が いい意味で低下する。
心身や経済的状況など ネガティヴな状況が増えるにもかかわらず
主観的な幸福感を得るようになる。
これが 研究者のだいたいの考えだった。

確かに歳をとると 欲がなくなる。
もちろん同じ年齢でも 欲のある人はいる。でも 次第にその方向へ傾いていく。

歳をとらなくても 体が不自由になると 様々な面で諦めなくてはならないことが
出てくる。
それが積み重なると 諦めが納得になり 納得が生きる覚悟を生む。
自分が置かれている状況が理解でき それが自尊心の尺度を下げるからだ。

物事の本質が分かるようになってこそ 自己中心性も低下する。

体を悪くして歳をとるごとに 自分の中からいろいろな欲がなくなっていく。
それはずっと感じていた。
自由に動けないのだから仕方がない その思いが 私の幸福感の尺度を
変えていることを 研究者の言葉で 改めて感じた。

以前 私の生活状況を聞いて 人間の生活じゃない と言った 同年の知人がいる。
研究者の考え方からすると 彼女はまだ健康過ぎて 老年 という観念がないからに違いない。
研究者が言うような 幸福感や老年的超越尺度を身につけた人でなければ
私の気持ちや思いは理解できないのだ ということも この記事ではっきり知った。

今まで 何か胸の内でモヤモヤしていて スッキリとした形で理解できなかったことが
この研究者の記事で はっきり見えた気がする。

いい記事を読んだ。

百歳を生きる老人たちの幸福感は 当然いい意味で低下しているらしい。
こんなにも生きてきた という自己への肯定感が底にあるからだろう。
それに その歳くらいになると 欲もなくなるだろう。

まだまだ老年期の緒についたばかりの私だ。
これからもっと幸福感のラインが下がっていくに違いない。
老年特有の超越的尺度が どう変わっていくのか 自分のことながら興味深い。

今日は午後 I さんが 今年最後の温めの治療に来てくださった。
昨日の疲れで半日寝ていた私には 願ってもない事で ありがたかった。

I さんのおかげで なんとか歳を越せそうだ。
本当に ありがとうございました。

朝起きると とてもいい天気。

夫が
おい、今日 墓参りに行って 親戚へ年末の顔出ししてくるぞ
と言うので 急きょ 出かけた。

途中にあるスーパーで 花の茎を藁ずとで巻いてある 寒い地域独特のお供えの花を買った。
花生けに水がいらないから 凍って割れたりすることがない冬の仏花だ。

亡父母の兄弟の家数軒と知り合い宅に寄って 健在を確認すると もう二時を過ぎていた。

この時期の夕暮れは早い。

買い物をして高速に乗る頃には もう 山影が暗いシルエットになっていた。


順調に今日一日が済んだからだろう
夫も 疲れた疲れた を連発することなく 無事に帰宅できた。

昨日は 長男の家族と一緒に長男の家族と一緒のクリスマス会🎅だった。

夫と私は 二人の孫たちへのプレゼントである図書カードと
ケーキは 上の孫が作るから というので アイスクリーム専門店で買ったアイスクリーム
それに 到来物のアップルパイを持参した。

下の孫が作ったという二種類のピザ 嫁の料理のローストチキンやカルパッチョ、
サラダやシカ肉の前菜などが テーブルの上いっぱいに並べられて カンパア〜イ‼️

十二年 こうやって クリスマス会🎅を 長男の家族とやってきた。

長男と嫁が 私たち夫婦の近くに来たとき 上の孫は まだ三歳だった。
それ以来 下の孫が生まれて その孫にアレルギーがあるとわかるまでは
私がケーキを作っていた。
手間はかかっても 孫の喜ぶ顔が嬉しくて 誕生日とクリスマスには
張り切って 毎回 違ったものを作った。

下の孫の食品アレルギーも バナナ以外は大丈夫になってきたから
来年から また私が作ることにした。
但し 体調が良ければ の話だが。

二人の孫たちが大きくなったので 雰囲気も落ち着いていて
笑ったり食べたりと 口が大忙し。

楽しい会だった。

今日は 夫の父の祥月命日。
先月末に 家を継いでいる義弟から 二十二日に 義父の十七回忌の法要を執り行いたい と
連絡を受けていた。

平日でもあり 出席は 私たち夫婦と義弟夫婦のみ。
夫にはもう一人妹がいるが 事情があって十年前からまったく行き来していない。
義弟夫婦も 交流を絶って 五、六年になるから 法要にも呼ばない。

連絡をもらった時には 十一時に僧侶に来てもらうはずだったが
葬式が入ってしまったので 僧侶は 夜にならないと来られなくなってしまった。

それで昨日 義弟からその旨連絡があり それでも予定通り 僧侶不在ではあるが
おまいりにきてほしい その後 食事をともにしよう とのことだった。
また ご仏前はなし で来てほしい とも言われた。

とは言っても 手ブラでは行けない。
それで 花の鉢ならお正月過ぎまで楽しんでもらえるだろう と 胡蝶蘭の鉢を
求めて持参した。

四人で仏壇にお参りした後 義弟の車で 食事会場へ。
個室だったから ゆっくり時間をかけて 話をしながら食事ができた。

義弟のお嫁さんも お酒が飲める人なのだが 帰りの車を運転してくれるので
彼女は ノンアルコールのビールを飲んだ。
夫と義弟は日本酒を アルコールがまったく飲めない私は 烏龍茶を。

お互いに若い頃は 義父母も健在だったから 暗にギクシャクした時期もあったが
義父母が鬼籍に入ってからは 兄弟らしい行き来が出来ている。
今日も 夫も義弟も楽しそうに飲み お嫁さんとも屈託なく会話が弾んだ。

義父が亡くなって もう十七年
大人しく賢い人で 義母の言うことには逆らわない人だった。
日本が戦争に負けなかったら ずっと職業軍人として一生を終えただろう義父だった。

兄弟夫婦が仲良くしているのを 彼岸から 喜んでくれているだろう。

昨日 大学病院へ行って その後 皮膚科を受診し帰宅 そしてその後 リハビリへ。
それで 東京行きの疲れがまだあって 今日は 朝から寝ていた。

すると今日 お昼に 温熱療法をしていただく約束をしていた I さんから 電話があった。
私の体調を気遣って できる状態かどうか心配しての電話だった。

半日寝ていたからか 少し元気が出ていたので 来ていただきたい と お願いした。

I さんは いつものように 全ての道具を 大荷物にして 来てくださった。

温熱療法は 一時間半以上にもなっただろうか。
彼女は 丁寧に足の裏から背中側 足先から肩まで と 温めてくれた。

彼女だって 大病しているし 体も丈夫ではない。
それなのに彼女は 私の体調を いつも気にかけていてくれる。
まるで 妹のように。

彼女とは 私が三十代の時からの仲だから もう三十年以上になる。
仕事仲間として出発したが いつの間にか個人的な悩みを打ち明け 相談する仲になった。
次男についての悩みにも 根気よく付き合ってもらった。

私の方が十も年上なのに 最近では 彼女の方が年上みたいに 面倒をかけてばかりだ。
どんなことも 彼女の方が博識だし熱心だし人柄はいいし 偉い人だなあ と つくづく思う。

年内にもう一度治療しましょう と言って 帰って行かれた。

私は嬉しいが 彼女だって疲れているだろうに・・・

本当に ありがたい友人だ。

大学病院では 毎月一回 血液検査をする。
飲んでいる薬💊が 肝臓と腎臓に強い影響を与えるからだ。

今年になって 検査結果のうち 肝臓の数値が 急に少し悪くなった。
麻酔科の医師は 数値の悪化が 💊によるものであっては困るし それならば薬の出し方や
種類を変えねばならないから と 大学病院内の内科で 肝臓の精密検査を受けた。
内科医師の判断は 薬によるものではない とのことだった。

それが 先月の検査では先々月より改善されていた数値が 今月 また悪くなってしまった。
来月の検査の結果次第では また内科を受診し検査してもらいましょう ということに。

自分では 悪くなった原因が何なのか まったく思い当たらない。
特別 暴飲暴食をするわけでもないし 油こいものばかり食しているわけでもない。

ただ 何年も前に 胆のうを全摘している。
だから その分 肝臓に負担がかかっていることは確かだろう。
それに 問題は体重。

さて 年越しやお正月が待っているこれから。
食べるものをどうするか・・・。

それ次第で 一月の結果が変わるのは必定だ。

十六日の夕方には夫も来て 十七日には 家族での誕生祝いをした。

娘は リビングのあちこちから 飾りを吊したり 色とりどりの風船🎈を飾ったりして
お祝いムードを盛り上げた。

私達からのプレゼントは 孫が欲しがっていたキックスクーターとヘルメット⛑。
包装をといて 欲しかった品物を目にすると 孫は大喜び。

近くの代々木公園内で思いっきり遊ばせよう と 早速出かけて行った。
孫は ヘルメットをかぶり肘当てや膝当ても しっかりつけて準備万端。
そんな孫を夫が見守り 私は 下の孫を三輪車に乗せて梶棒を押して行った。

天気が良くて暖かい土曜日だったから 公園の中は たくさんのランナーが
走っていたし ドッグランの中も 飼い主と大小の犬で賑わっていた。

それでも広い公園だから 孫がスクーターに乗っていても 邪魔にはならない。

園内をほぼ半周した辺りで引き返し マンションへ帰った。
娘が作ったケーキの五本のろうそくに火を灯して祝った後はお昼寝。


夕食は 婿が料理してのバースデーデイナーだった。
孫の希望で 肉はポーク。
それを 大きな塊ごとローストしてあり 付け合わせの野菜も美味しかった。

婿は 乾杯のためのお酒と オーストラリアから直輸入したワインを二本開けた。
どれも高価で まだ日本では売られていないワインだという。

食後は 音楽に合わせて踊ったり 和やかで賑わしいバースデーだった。

二十日には お友達を招いてのパーティーをするらしい。
その日のための準備もあって 娘は大忙し。
親は大変だ。