FC2ブログ

今日は 午後からの大学病院受診だった。

一時くらいの受付でも 全ての治療を終えて 会計をする頃には
もう 四時を過ぎてしまう。

勤務帰りの夫に病院に寄ってもらい 途中 薬局で薬を受け取って帰ると
もう五時をまわる。

それから 整形外科へリハビリに向かった。

行きは 陽が長くなっているからまだまだ明るいが
リハビリが終わる頃には さすがに辺りは真っ暗だ。

そんな中を帰宅途中 習慣になってしまった『月を見る』ことをすると
墨流し色の南西の空に 小さい三日月が 貼り付いたようにあった。
しかも その上には 線香花火の火花のように光る金星まであった。

おんなじ色をして 片方は 瞬きもせずどこまでも静かに でもくっきりと
他方は 彼方まで届け とでも言いたげに 八方に鋭い閃光を飛ばしている。

果てしのない宇宙空間では 決して近くはない位置にある二つの星が
こうして 異なる光で地上を照らしている。

空には灰色の雲が多いが 月と金星と そして 冬の大三角形を形作る星々だけが
なぜか偶然に 輝いている夜だ。

スポンサーサイト

入院中 ひまにあかせて 何冊も本を読んだ。
といっても 私が読むのは いつもいつも いわゆる大衆文学の類の時代物に決まっている。

ベッドで横になって読んだ本の中で 登場する人物が言う

『月は魂の真夜中』

と言う言葉にひっかかった。

月は 魂の真夜中を象徴するもの
でも 暗闇だからといって 恐れたり嘆いたりしてはいけない
暗闇の向こうには ほの白い光を持つ黎明がある

と その人物は言うのだ。

江戸を書く作者の中でも その作者は あまり評価の高いものを書いてはいない。
内容も 面白い とはいえない筋立てで むしろ こんなの買わなきゃよかった と
思える小説が多く 私好みの小説家ではない。

ネットでの購入の場合 本のタイトルと三行くらいの内容紹介だけで判断して買う。

著者が 人気作家だったりすれば 面白さは 折り紙付きで確実なのだが
あまり名の知れない作家のものでも たまに 当たり!と思えるものがあるから
自分の中での 新人見つけ や いつも読み慣れているものから離れて の気持ちで
どれ 読んでみようか と 買ってみる本もある。

この本も そういった本だった。

読み始めたものの面白くなくて ハズレだったなあ と思いながらページを送っていると
この言葉が 目に入った。

よく似たものに 明けない夜はない という言葉もあるが

月は魂の真夜中 という表現や言葉には 今まで出会ったことがなかった。

へえエ〜 こんな(とても失礼なことだが) 本にも 素敵な表現があるわア・・・

しかも 嘆いてはいけない その後には白々とした黎明が来る そう続けている。

長く付き合っている痛みや 手術の激烈な痛みで多少参っていた心に スッと入って
寄り添い 直ぐに在り処を見つけた言葉になった。

私にはくだらない小説だが この言葉だけは 綺羅星のように輝いてみえる。





たった二泊するだけだし 正直言って私は うるさいのが嫌いなくせに 独りぼっちは嫌で
喧騒からちょっと離れて 独り というのが 一番好きだから 今回の入院も 四人部屋でいい
と決めていた。

正直言って 個室 というのは 元来あまり好きではない。
物音が聞こえないのが 私は返って怖いのだ。
病院ならなおのこと 個室は嫌だ。


この部屋に入院した時には二床が空いていたが たちまちその日のうちに満床になった。
前から入っている人は どうも心臓が悪いらしい。
後からの人のうち一人は 認知症のうえどこか重い病因を抱えているようだ。
一番後に入ったのは 夜中までかかった重い手術の後に運ばれて来た患者だ。
だから 私以外は重病の人ばかりだ。

三人には絶えず看護師の出入りがあり それも頻回で 真夜中もそれは変わらない。
この二晩 看護師の出入りが少なくなるのは 夜中の二時を過ぎた頃になっている。
看護師たちは その度に ガタガタカタカタとカートを押して 何人かで出入りし
夜中といえど 互いに大きな声で話しながら 看護していく。

出入りする訳は 患者の発熱 脈搏異常 嘔吐など様々だが こんなことは病院なのだから
こちらも承知の上で 同室者は相身互いだから 眠りを妨げられても仕方がない。

ところが 問題なのは 認知症の患者だ。
自分が眠るときだけが静かなだけで あとは 五分と間をおかず看護師が駆けつける。
なぜかといえば 状況も何も理解できないために 絶えずナースコールするからだ。
点滴や他の管を引っ張って外さないように 絶対に外せない手袋を着けられているから
余計に それが気になって呼ぶ。

看護師も まただ と思っても来ないわけにはいかないから 律儀に その都度駆けつけ
その度に 同じことを言い聞かせては帰って行く。
それが 二晩とも朝方の四時まで続いた。
昼間数時間来て行く家族は まさかそんな状態だとは思ってもいないだろう。

ありがたいことに 最近の病棟は皆こうなのだろうか。
夜中に枕元の読書灯を点けていても 誰からも注意されないし
覗きもされないから こちらは どれだけ眠れなくても 本を読むことで
しのげるから ありがたい。

そういえば 病棟一斉の消灯もないし 見舞客へ帰りを促す放送があるだけだ。
ベッド周りのカーテンを閉じておくのも常識になっている。
昔は そうしていると看護師が怒って サッと開けられたものだ。
患者のプライバシーや人権に 重きをおくようになってきた結果
患者個人個人の自由を認める範囲がひろがったのだろう。

重病者と同室の患者は この自由さがあればこそ 苦情も言わないでいられる。

それにしても 看護師は本当に大変だ。頭が下がる。
中には 声音も高く厳しい物言いで応じる看護師もいるが なんといっても認知症だから
そんな相手の気持ちなど 斟酌なく いっとき叱られてへこんでも 直ぐに忘れて
その看護師がステーションに帰り着かないうちに もうコールしている。
それでも 誰か彼か駆けつけて来ては 理解できなくても言い聞かせては帰る。

この患者が入院している間は こんなことがずっと続く。
きっと 夜勤明けは どの看護師もクタクタになっているだろう。
心から ご苦労様 と 言いたくなる。

一方 隣で眠れない私はといえば できるだけその人の眠る時間に合わせて
睡眠をとることで なんとか対処している。
とはいえ たった二晩だから我慢もできるが これがそうでなかったら
さすがの私も 個室に移らせて と言い出すだろう。

この 賑やかこの上ない病室も 今日の午後には 退室になる。

幸い 熱を流した足の痺れも 少し感じる程度になってきた。
まだ力の入り具合が弱くて不安定ではあるが 杖だけで なんとか歩ける。

さあ 今夜は 自分の匂いが染みついたベッドで ゆっくり寝ようッと 😏

昨日 夫とともに 指定の時間までに大学病院へ。

外来で受け付けを済ませた後 しばらく待合に座っていると 治療室から看護師が出て来て
治療室に入り 点滴をするための針を確保。 そして 車椅子で手術室へ。

夫は 一緒に前室には入ったが それからは私と車椅子を押す看護師だけが進む。

車椅子に座ったまま手術着に着替える。
ストレッチャーに乗り換えて いくつかの部屋を過ぎ 手術室内へ入って行った。

室内には 主治医の他に サブに付いてくださる医師・・この先生は 一時主治医が
県病院へ出向していた期間,担当医になってくださった,またとても熱心な医師で
一年間 日本のペインクリニックの草分け医師が在籍している病院での研修も
経験してみえる,またこの医師は 娘の友人でもある・・や助教授 若い麻酔医に
数名の看護師 が待ち受けていた。

主治医は 若いながら この病院の麻酔医では一番経験のある医師だ。
最近では 教授でさえ 処置の仕方を聞いている。
サブの医師も 主治医とともにこの科の中心で 二人とも人格的にも
もちろん医術にも 全幅の信頼を置ける医師だから 手術に対しての心配はない。

さっそく手術台へ転がるようにして乗り移り うつ伏せに。
こうなったらもう まな板の上の鯉だ。

私は怖いから 終わるまで ずっと枕に顔を押し付けたままでいる。

瞬間 両腕 両足 肩 胸 背中 に 看護師や医師が群がるようにして 手術台の周りから
点滴や 血圧計 心電図を測るための吸盤のようなものなど 一斉に着けにかかる。

そうして手術が始まった。

痛み止めの注射をした後は 鈍い痛みが残る。
そして 医師は 映し出される写真を見ながら その部分に 深く針を刺したのだろう。
電気を入れる部位を確保した後 多分 神経の元を 写真や私の反応を見ながら探る。

私の反応とは
ここだ❗️
とヒットすると イタアアイイ〜〜〜〜‼️‼️‼️

そこへ電気やステロイドなどの薬を 徐々に流したらしい。その間 数分だっただろうか。
痛みはもちろん持続している中でのことだ。

でも それでお終いではなかった。

またまた探って イタアア〜〜アアイイイ‼️‼️‼️‼️
の部分へ 今度は 耐えられるギリギリの痛みの中 なんと 十分間 電気を流し続けた。

あの痛さと恐怖は 普通の手術では経験しないものだ。
なにせ神経根を 電気熱を流したり当てたりして 凝固させるのだから 麻酔をかけていては
目当ての神経に当たっているのかいないのか 判断ができない。

この治療法は 今の日本の最先端の 神経の痛みを緩和する術法だから 耐えるよりないのだ。

こんな痛みを我慢してまで受ける手術なのだから 少しでも効いてもらわねば割りに合わない。

でも すぐに効果が現れるものではないから 効いているのかいないのかわからない という
もどかしいものでもある。
早い人で一週間から十日 人によっては 効果が現れるのは数ヶ月もかかることがあるのだ。

今はまだ 左足には かすかに痺れが残っていて 力も入らないし 重くてだるく鈍い痛みがある。

せめて 左足に来る激烈な引き連れが緩和すれば 腰の痛みはそのままでも
随分 楽になるのだが・・・。

ともあれ 手術自体は 無事に済んだ。

前回のように 術後の 強い下半身麻痺も起こらなかったのは 幸いだった。

予定通り 明日までの入院となった。

ヤレヤレダ 😰😞

明日午前中に また神経根ブロックをする。
今度は 腰椎から出ている神経の太い部分に 直に電気の熱を入れる。

普通は 日帰り手術なのを 前回の同じような手術で 時間が経っても下半身の感覚が
戻らなくて こんななら入院が必要だった ということがあったため
今回は それより痛みの強いブロックだということもあって
医師も 用心のために 二泊三日の入院で と 手配してくださった。

入院については 今までの経験から いつ入院になるかわからないし 入院用品も
その時に自分で準備できるとは限らないから 常に 大きなバッグに👜
必要品をまとめて バッグの表に 入院用品 と 書いた紙を貼っている。

だから 入院 といっても そのバッグの中を確かめて 今回必要なものと
いらないものとを入れ換えるだけで 準備は済む。

今回は冬支度だから 二、三日といえど けっこう荷物がかさむ。
病衣は借りるとしても 上に羽織るものや 車椅子になった時に膝にかけるものなど
必要品をまとめると バッグ一つでは収まりきらない。
荷物はできるだけ持ちたくないが 入院案内に記載してある物は持った。

術後の調子さえよければ 明後日には帰宅したい。

手術といっても切ったり はったりするわけではないから 手術としては簡単なものだが
なにしろ痛い。
拷問もかくあるか と 思う激痛だ。

そんな痛みを我慢してでも やってもらうのだから
術後には どれだけでも痛みが緩和してくれないことには 割りに合わないよオ〜〜😣

昨日 夕ご飯の後 湯船にお湯を張ろうと ボイラーのリモコンのスイッチを入れた。

我が家は お風呂だけ 灯油のボイラーだ。

それが いつもなら スイッチを入れたとたんに ボッ と外機の音がして
リモコンの赤いランプが点くのに 赤いランプが点灯しないし ボッと音もしない。

ナニ? どうして?・・・
もう一回 スイッチを入れてみたが やっぱり点かない。

お風呂のボイラー 入らないよ!スイッチ入れても赤く点かないしイ〜😱❗️

夫を呼ぶと 夫は 外機の様子を見たりしていたが
明日 業者に連絡して来てもらうより仕方がないなあ と言う。

だから仕方なく 昨夜は お風呂なしで休んだ。

もともと 外機はとっくに寿命がきている。
前のが悪くなって買い換えてから もう二十年近い。
その間に 二回 部品を替えている。
だから 今回 業者が来て見て 部品のストックもないし新しくしないとダメだ と
言われたら 買い換えるよりないなあ と 昨夜は夫とも話した。

今日 前回の修理に来てくれた人と同じ人が 見にきてくれた。
外機やリモコンをなぶっていたが その人が言うには
外機は傷んでいないが リモコンの接触が悪くなっている
温度を上げるボタンを一番上まで上げると 燃焼しない ちょっと下で止めると
燃焼するから 今度不具合が生じるまで それで使ってください。
今度不具合が生じたら もう買い換えるよりないです。

と言って 手間賃八千円も請求して帰って行った。
ほんのちょっとのことに八千円は高い!が 買い換えるよりマシだから仕方がない。

今の状態で どれだけ保つか それが問題だ。

でも とりあえずは 今夜またお風呂に入れる。
よかったア〜〜😊

隣市のショッピングモールから来る郵便物の写真に 整形外科でリハビリする時に使う用具に
よく似た機器があった。

いつもなら そんな広告や印刷物など見ない夫が 私が こんなものがあるんだって と
昨夜 その写真を見せると いつになく興味を示し 明日 見て来るか と 言う。
エエッ 私は 欲しいから見せたわけではないのにイ と 思ったが
そこへ出かけるのは 今年になって初めてだったから まあ いいかア と 同意した。

そして今日 午後になって 畑から帰った夫とお昼ご飯を食べた後
急いで準備して モールへ出かけて行った。

行ってみると その機器は『美容機器』の売り場に陳列してあった。

結構な値段がするその商品が どうして美容のコーナーにあるのか 店員に聞くと
これは 主に立ち仕事をする女性が 一日の足の疲れをとるための用具だから と
答えが返ってきた。

お願いして体感させてもらうと 加圧式で リハビリ用具には及ばないまでも
それなりに気持ちがいい。
健常者が 単にその日の疲れをとるための品 としては
それなりの効果が期待できるものなのだろう。

でも 私のような 体に疾患があって それの治療のため となると
毎日リハビリに通えば それで十分だから 必要ない と 思えた。

それに 私には 『美容機器』というのが 気にくわなかった。

でも夫は リハビリに行かない日にこれを使えばいいんだから と
さかんに 買ったらどうだ と 勧める。

私の体を想ってくれるのはありがたいが 週のうち三回使うために買う となると
考えてしまう。

じゃあ あなたも使う? あなたも体感してみたら? と 聞くと
オレは必要ないから使わない だから体感なんてしなくていい と 言い切る。
店員や私が何度勧めても 夫は 頑としてやってみようとしない。

私だけのためになら もったいないからいらない リハビリに通えばいいんだから
そう言うのに 夫は なかなか諦めない。

終いには ついつい大声での応酬になってしまった。

店内は多勢の客で賑わっていて 店内放送の音楽の助けもあって
私たちの言い合いに気づく人が 側にいた店員以外いなかったのは 幸いだった。

店員に お二人でよく相談なさって お決めになったら
と 言われて 売り場を離れたのだった。

私を想ってのこと と 重々分かってはいるが
私に『美容機器』は 必要ない。

これが 『医療機器』として販売されているのなら
考えたかもしれないが・・・。

同じような医療機器の使い心地を 健常な女性の 美容のための疲れ取りにもどうか
と 考え出された機器なんて 絶対に買いたくない。
身障者に失礼だよ‼️
身障者は もっと深刻なんだ‼️

あくまでもこだわる 私です。




隣の市に 前から♨️温泉施設がある。

何度か利用したことがあったが 施設自体が小さかったし お湯が汚れている という
風評があったりしたので 温泉へ行くのなら ちょっと遠くても泉質がとてもいい
池田温泉まで 出かけていた。

ところが その隣の市の温泉を 同じ市にあるホテルが買い取って
大々的にリニューアルした。
開業当時 広告も入ったので そのことは承知していたが あまり期待度がなくて
これまで行く機会がなかった。

それが 今年に入って 書道の先生から 以前とは比べ物にならないくらい
建物内が広くてきれいになっているし 前にはなかった岩盤浴の施設もたくさんある。
また 日本で初めてのナノバブルが出ている珍しいお湯の設備もある。
館内では食事もでき 休憩所もあちこちに広く取ってあり たくさんの漫画本も置いてある。
夜は十時まで営業しているから 一度行ってみたら? と すすめられた。

先生は リニューアル以来 ちょくちょく利用しているけれど 気持ちがいいよ と言われた。

そんなに変わったのなら 行ってみたい と思った。
車でも我が家からは二十分くらいで行ける距離だから 池田温泉に比べたら とても近い。

でも 夫に連れて行ってもらわないと行けない。
それで 前々から夫に頼んでいたのが ようやく今日 行くことができた。

行ってみると 先生の言葉通りだった。

まず 駐車場の広いこと!
そして館内も 今どきの♨️はこうなのか と ビックリするほど 新しい感覚の施設だった。
それに 土曜日だからか想像以上の利用客で 館内は 広いにもかかわらず
一緒に入った夫の姿さえ 見失ってしまいそうだ。

先生お勧めのナノバブルの湯は シルク湯 と名前がつけられていて
お湯の中に出ている微細な泡で お湯の色が白く濁ったように見えた。
肌当たりもやわらかくて 湯温も私好みで とても気持ちがよかった。

五十床くらいある岩盤浴も 利用客が順番待ちしていて やっと利用できた。

私のように 温泉温泉 と言わない夫が どうせなら回数券を買っておこう
と言いだしたから 夫も気に入ったのだろう。

この近さでこの施設なら 先生ではないが ちょくちょく来たい と思える。

回数券を買ったからには それが実現できそうで 嬉しい🙌🙆

今の鳥インフルエンザ騒動で 県警からも動員されたのだろう。
その人たちを運んで来たらしい県警の名前があるバスが 私が利用するバス停の車両の中に
他のバスと一緒に並んでいた。
昨日の朝 習字に行くときのことだ。

県警のバス🚌なんて 日頃は間近で見ることがなかったから つい珍しくて
好奇心から近寄って見てみた。

『県警』の文字だけでなく 白黒の胴体には テロ対策に関する文言があったりする。

そうしているうちに 面白いことに気づいた。
運転席のちょうど外の下側にあたるところに 書いてある文字が 鏡文字だったのだ。

ほかの文字は ちゃんと左から ちゃんと読めるように書いてあった。
それなのに その文言だけが 鏡文字になっている。

アレエ〜? これっておかしいよねエ〜❓
なんでエ〜❓ なんでここだけ鏡文字イ〜⁉️

こうなったときの私は どうしてもそのままにしておけない困った性格だ。
誰かに聞きたいなア〜 もし間違ってこうなっているのなら 是非とも教えてあげたい❣️

そう思っていると タイミングよく その車両に向かって歩いてくる人がある。
しかもその男性は 運転手の制服を着ていた。そして そのバスの運転席に座った。

ヨシ❗️聞くなら今しかない‼️
すでにドアは閉まっていたが 大きな声で フロントガラス越しに 話かけた。

私の姿を見た運転席は 今しがた閉めたばかりのドアを開けて
何ですか❓ と聞いてくれた。

私はすかさず
これって 鏡文字になってますよねエ と言うと その人は
私が何を言いたいのか 理解した顔つきになった。
その様子を見て コレはミスで鏡文字になっているのではないな と思ったから
続けて どうしてここだけ鏡文字になっているんですか❓ と質問した。

運転手は なんの躊躇もなく
他の車両がバックミラーで 見るためですよ
と 表情のない顔をして答えた。
このおばさん 何を言うかと思ったら・・・今から出るって時に・・・
心の中でそうつぶやいている そんな顔だった。

エエッ エエッ ナニナニ⁉️ 他の車のバックミラーで見るためエ❓❓
私には 言っていることの意味がわからなかった。
そんな私の気持ちが顔に出ていたのか 運転手は もう一度 同じことを答えてくれた。

どういうことなのか納得できなかったが 出発をこれ以上遅らせるわけにはいかないから
ああ そうなんですね 知りませんでした ごめんなさい 時間を取らせてしまって
そう言って バスから離れた。

でも バスが出て行ってもなお 恥ずかしながら ことの意味がわからないままだった。
ノミコミの悪いのは 子供の頃からのこと。

釈然としないまま時間が過ぎて 夫が帰宅。
夕ご飯を食べながら 夫に事の次第を話すと なんと夫は 私が話し終える前に
バックミラーでみると正しい文字が写るからだろ
と サラッと言うではないか‼️
それも 運転手と同じことを‼️

エエッ⁉️
ナニナニ みんなそのこと知ってたのオ〜😒❓
知らなかったのは私だけエ〜😲⁉️

ビックリ ビックリだわ〜😳😳‼️
そんな みんなが当然知っていることを この歳になるまで 私は知らなかったのねエ〜😭😣❗️
そして それをまた大きな顔をして聞いたのね〜😱私ったらア〜ッ😨😰‼️

なんて恥ずかしいことだろう😣😵❗️
厚顔無恥 とはこのことだ。

自分のものの知らなさに 打ちひしがれる思いだ 当分はコレを引きずるだろうなア〜〜😱😰

昨夜の十一時が 殺処分などの防疫のリミット時間だったが
どうやら処分が間に合ったようだ。

最初 八万羽 とあったニワトリの数も 七万八千羽 と 正確な数になって
マスコミのニュースでは言われるようになったが
そのニワトリだけでなく 餌や卵や糞など 農場内のすべてが消毒され処分された。

確認されてから三日間 延べ千二百八十人の人を動員しての防疫作業だった。

しかし これでこの騒動が終息したわけではない。
市内にある養鶏場を含めた農場には 卵はもちろんのこと
産物や物品の移動が 早くて来月初旬まで 禁止されている。

だから 鳥インフルエンザが確認された養鶏農家だけの問題ではなく
関係者は その間 一切の収入がない と嘆きのコメントが 新聞にあった。

規定範囲にある市内市外の池や河川の野鳥も観察が継続されるし
まだまだ終息にはほど遠い。

私が散歩するコースにある川も 当然観察される。
その川には 鴨の群れがいつも気持ちよさげに泳いでいる。
あの鴨たちの中にも ひょっとして感染している個体がいたり
感染によって すでに死んでいるものがあったりするのだろうか。

今回の騒動も もとはといえば ニワトリが野鳥と知らない間に接触したかどうか
で始まったことだ。
名古屋の動物園での騒動も同じだ。

人間には感染しない とはいわれるが 小さな鳥一羽からのことが
これほどまでに人間を踊らせ 騒がせるのだから 科学の力でなんとかならないものか
と 思ってしまうのは 私だけではないだろう。




今夜 夫とふたりで久しぶりに というか二人では今年初めて 涙が出るほど大笑いした。

ネタは 『デンシンボ 』
音にしたりカナで書いたりすると 若い人には なんのことなのかわからないだろう。
これを漢字で書けば 一目瞭然 電信棒
電信柱 いわゆる電柱 のことだ。

なぜ なんの面白みもない電柱のことで 二人で大笑いしたのか・・・

今夜テレビを観ていたら コンクリートの電柱が どうやって造られるか
その工程を映していた。
その工程で造られているのは何なのかを 当てる番組だった。

その答えを 電柱 と言いたかった夫が
デンシンボ やろ‼️
と 大きな声で言った。

エツ デンシンボって〜・・・と 思った私は 次の瞬間思わず笑い出してしまった。
今どき デンシンボ なんて誰も呼ばないよ 電信柱か電柱でしょ❗️

と私が デンシンボ ってなによオ〜 とおかしくて笑い転げながら言うと
夫も アッ と思ったのだろう 自分も大笑いしながら
デンシンボやろう〜❗️ 間違ってないぞオ〜❗️

そりゃあ 間違いではない。
確かに 昔は 電柱なんて呼ばないで みんながそれを デンシンボ と 呼んでいた。

本当は 電信棒だからデンシンボウ だったのだろうが 最後の音の ウ を略して
デンシンボ と呼んだのだろう。

電信棒にしてもデンシンボにしても なぜ棒だったのかというと
素材が 木材だったからだろう。
木の長い棒を地中に立てて 電柱にしていたのだ。

そんな昔の 子供の頃の呼び方で答えたものだから 二人してそれがおかしかったのだ。

この歳になると デンシンボ にかぎらず 昔の呼び方や言い方が
思わず出てくる。
幼い頃にインプットされた事が 脳の一番深い場所を占めていて
しかも それの濃度が一番濃いから なんの気もなしに 抵抗なく出てきてしまう。

認知になった人が 昔のことだけは鮮明に記憶しているのと 同じことだろう。

デンシンボ なんて 今は死語になった呼称が 私たち夫婦の
『今年初めての夫婦大笑い』 のネタだったことは
私たち夫婦が 確実に歳をとったことの象徴のようで
大笑いした後に なんだかもの寂しくもあった 今夜の『涙を流しての初大笑い』だった。



殺処分されたニワトリが入った袋を埋める 巨大な穴が 出水によって壁が崩れたのだそうな。
長さが十六メートルもの穴ののり面が 十メートルにもわたって崩壊したのだというから
よくぞ人的被害がなかったものよ と驚かされる。

それで急遽 隣にまた 今度は深さを四メートルにして 同じように穴を掘り 埋却するらしい。
新聞によると 養鶏農家が 隣地を買い取ってのことだという。

飼育していた鳥八万羽だけでなく 卵 飼料 鶏糞など 農場内のすべての物が処分される。
国の定めで 七十二時間以内に それらの作業を終えなければならないから
県も市も 関係機関は対策に大わらわの様子だ。

自衛隊員や作業に携わる人達の拠点に 私が住んでいる地域の公民館が使われている。
昨日夕方 その前を車で通ると 数え切れないほどの数の白い長靴が
公民館の敷地内の建物の前に固めて並べられていたり 出入りする大勢の人や
たくさんの車両が止まっているのが 目に入った。

養鶏場に近い道路を走る車までもが 消毒されているらしい。
市内には この養鶏場の他にもt何軒かの養鶏場があるが
今のところ ほかでは見つかっていないらしいから 関係者はホッとしている事だろう。

当の養鶏農家には 降って湧いたような大災難だろうし 聞こえてくるのは
気の毒に という 同情の言葉が大半だが
一方では 皮肉まじりに 何年も前に続けて起きた 町長や業者の収賄事件を持ち出して
この市がマスコミに取り上げられるのは 悪いことばっかりだ と嘆く人もある。

以前起きた事と今度の事は別だろう と思うのだが 確かに 言われてみれば
私が住む市では いいニュースでマスコミに登場したことがないのも事実だ。

でも だからこそ 当の農家の今後を 市民みんなが応援する気持ちで
見守っていきたいものだ と思う。

昨日 朝刊の第一面を見て驚いた。

なんと 住んでいる市内にある養鶏場で 鳥インフルエンザが発生した という記事だった。

それは 我が家からもそんなに遠くない地域にある養鶏場だったから
驚きは格別だった。

また飼われているニワトリの数にも驚いた。
その養鶏場でいつも卵を買う場所は 敷地の入り口付近にあって
普段 一般の人には 鶏小屋のある方へは近づけないようになっている。
だから 飼われている数は 多いだろうな くらいにしか思っていなかった。


それが 新聞には殺処分されるニワトリの数 八万羽 とあった。
いくら小さな生き物でも 八万羽ともなると ものすごい数だ。

今朝の新聞の第一面も このニュースが紙面の大部分を占めている。
社会面に添付されている写真には 深さ五メートル幅八メートル長さ六十メートルもの
巨大な穴に投棄される 殺処分されたニワトリの袋の山が撮られていた。
それは 幸い 養鶏場の経営者の おそらくは田んぼか畑なのだろう。

これは まったく 青天の霹靂 ともいえる災難だ。
経営農家の驚愕や心身への打撃を想いながら 少しでも心労への負担が少ないことを願った。

それにしても これまでは 鳥インフルエンザのニュースが報じられても
自分の身近かのニュースには感じなかったから せいぜい 卵はどうなんだろう
くらいにしか思わなかった。

私だけでなく同じ市に住む友人たちも 驚いて電話してくる。

思いがけないこと というのは 当たり前だが 突然にやってくる。

養鶏農家を知っているだけに 事の重大さが より深刻に大きく思われる。


本当にこの冬最大の寒気が列島を覆うようにやって来た。

紅い満月を見た翌日から 初めはみぞれまじりの氷雨だったものが
今日は止む間なく 少し向こうがかすむくらい真っ白になって降り続いている。

木の大枝や小枝には 落ちかけ吹きつけられた雪が 覆うようにこんもりと
はりついている。
この降りかたでは しずりになって落ちかかるのは まだまだ先のことだろう。

雪の日は静かだ。
あたりの物音を雪が消して ときおり行き交う車や人の足音さえ
かすかに忍んだ音になる。

こんな日は 子供の頃の雪の日を思い出す。
夜半 暖かい布団の中で聞いた 物悲しい汽笛の音
静かに積もる かすかな雪の音・・・。

働き者の夫も さすがに今日は動きようがなく じょさいなげにテレビを
観るともなしにみている。

この寒気は 雪とともに 日ごろ動き過ぎの夫に 休む日 を運んでくれたようだ。

昨夜来の寒気が ようやく季節らしい天気を運んで来た。
外には 今朝から白いみぞれを混ぜて 冷たい雨が降っている。

私の体には この寒気は絶対的になければいいものだが
スキー場など この季節ならではの仕事に従事している人たちにとっては
寒気が運んでくる雪を どれほどか待ち望んでいたことだろう。

この世の中は 風が吹けば桶屋が儲かる の例えのように
全ての事柄が 巡りめぐってつながっている。

しかし昨今の温暖化は その例えのつながりを薄くするほど
私たちの生活を変えようとしている。

太陽の陽射しも雪も雨も 時に災いとなったとしても
すべての生き物の生命の根源であり 生命の鎖を育むおおもとなのだ。

だから 照るべき時節に照り 降るべき季節には降らなければ
生命の礎が危うくなってしまう。

ときおり 重機の音が騒がしい窓の外を眺めながら
そう考えて 腰の痛さを紛らしている。

夫が帰宅後 リハビリに連れて行ってもらおうと 車に乗り込むと
まあるく大きな それも真っ赤な艶めいた月が 東の山の端から出ているのに 気づいた。
月齢は確かめていないが おそらく満月なのだろう。

リハビリを終えて 夫に連絡し迎えに来てもらい 車の中からまた月を観ると
あれほど赤かった月は もう先ほどよりは かなり上がって小さくなり
オレンジ色がかった落ち着いた黄色に変わって 静かに明るく照らしていた。

月は登るに従ってその光を透明な白さに変え 今は 冴え冴えと寒空に輝いている。

今夜は今までにない寒気のせいで冷える。
こんな夜に わざわざ外に出て月を眺める人はいないだろう。
それでも月は 見てくれとも言わず 白々とした光を 屋根屋根や工事中の土塊に投げかける。

また今年も こうして何度も夜空を見上げるにちがいない。
その度に 月は優しい明かりを投げて 私のざわめく心を鎮めてくれるのだろう。

今日は 今年初めての書道の稽古日だった。
私にとって 年が改まった感覚が 今日ようやくやってきた気がする。

いつもの時間に教室へ行くと 姉弟子はもう練習を始めていた。
先生や姉弟子たちに新年の挨拶をし 定位置に座って 道具を広げて並べた。

私は 単に筆を執って書くことだけでなく この 道具を広げて向かう瞬間が
何とも言えなく好きだ。

墨汁を硯に出して 筆をとり墨を含ませる。
お手本を見ながら 墨色も鮮やかに筆を下ろす。

筆を動かすことに集中していると あっという間に時間が過ぎる。

やっぱり私は 筆を持つことが好きだ。
腰が痛くても足に痙攣が来ても どんなことがあっても 書道だけはやめられない。

今年も 休み休みにはなるだろうが 通えるかぎり先生のお宅へ伺おうと思う。

三時過ぎの新幹線に乗って 娘と孫たちが東京へと帰って行った。

暮れからずっと一緒にいたので さすがに 男の人が苦手な下の孫も夫に馴れて
お風呂に入れるときにも 泣かなくなっていた。

賑やかだった家の中がいっぺんに静かになって 夫と私がたてる物音が
急に大きく聞こえる。

耳や頭に孫たちのかん高く可愛い声が残っていて 今にも姿を現すような
そんな気さえする。

子育てほど 面倒で しかもやり直しのきかない仕事はない。
自分の子だからこそ 結果が報われることを度外視して育てられる。

娘を見ていて 三人もの子をよくぞ育てたものだ と 我ながら思う。

親の持っていきようで 子供はどんな方向にでも向かって育つ。
だから 真剣に子供と向き合って育てようとする親ほど 悩みが多くて深い。

娘の子供たちがどんな大人に育つのか おそらく私たち夫婦は見届けられない。
豊かな人間性を持った 自立した国際人として 成長してほしいものだ。

いつかは日本を離れて暮らす二人の孫の前途が どうか明るいものでありますように と
新玉の年を迎えて あらためて願わずにはいられない。

昨日と今日 娘が上の子をスキー場へ連れて行く というので 夫は運転手。
私は おにぎりやらなんやら作ったりして お茶と一緒に持たせて 送り出した。

まだ幼くて足手まといの下の孫は 当然置いて行くから 私は一日子守だ。

暮れから一緒にいるおかげで 下の孫も ぐずらないで お利口でいる。
お利口でも そこはやっぱり一歳半のワケナシさんだから その分 私は大忙し。


上の孫は 昨日は 午前と午後の二回 キッズのスキー教室に入り 特訓。
一日で もういい というかと思ったら また明日も来たい と本人が言うので
昨日は ウエアーやスキーをレンタルしたが 今日も となると買ったほうが安くなるので
昨日スキー場からの帰りに ウエアーの上下を買って来た。

今時の子供のスキーウエアーはよく考えてあって サイズの着用年令幅が大きい。
孫が買ってもらったものは 百二十五センチから百四十五センチまで着用できるものだ。

我が家の子供達が小さい頃は 身長にぴったりのサイズのウエアーを買うしかなくて
毎年のように買い替えていたものだった。

スキー人口が年々減少していく傾向にあるから メーカー側も考えたのだろう。

そうでなくても スキーに行くにはお金がかかる。
行くまでのガソリン代や高速道路代 着けば駐車場料金にリフト券代 それに
食事代など 結構高額になる。
孫のように 教室に入ったり道具をレンタルすると その分もっとかかってしまう。


それにしても
この雪のない冬 スキー場は人口降雪機で作った雪のゲレンデにしか雪がなくて
あとは茶色の土らしい。
スキー場側は なんとかしてお客を呼ぼうと シーズン中何台もの人口降雪機を稼動して
雪を保つのに躍起になっている。
しかし それでも使えるゲレンデやリフトは限られてくるから 関係者は大変だ。


雪がないことがわかっていても 東京から来るときに 娘は 孫にスキーをさせる と
決めてきたので とにかく少しでも雪さえあって滑られれば と
昨日今日と 出かけた次第。

もちろん スキー教室に孫を入れているうちは 夫も娘も スキーを楽しんでいる。

二日連続だから 今日はさぞかし三人とも疲れて帰ってくることだろう。

三十日の午後 次男と私たち夫婦は 年越しとお正月を一緒に過ごすために
東京の娘宅へと向かった。

一年ごとに交互に 東京と自宅で 娘の家族と一緒にお正月を過ごすのが
慣例になっていて 今回は 私たちが東京へ行く番だったからだ。

娘夫婦と私たち夫婦と次男は 夜中 新年をシャンパンでの乾杯で迎え
朝には孫たちも加わって 雑煮とお屠蘇やお節で 改めて元旦のお祝いをした。

氏神様の代々木八幡宮は 娘宅から歩いても五分とかからないところにある。
午後から みんなでゆっくり初詣に出かけた。

神社は高台にあって 正面の大鳥居からは長い石段を登って行くのだが
鳥居の外の通りから 初詣客が長蛇の列をなしていた。
お祓いを待つたくさんの車も 神社の法被を着た人が何人もで整理していた。

娘宅からは違う道を行くから 長い列に並んで参拝の順番を待たなくていい。
それでも人の多さに呆れた夫は 明日の朝早くまた来ればいい と言うので
娘家族と次男が参拝を終えるまで おみくじを買ったりしながら待った。

夫と私は 二日の朝 夜明けとともに娘宅を出て 神社へ行った。
さすがに 境内には小鳥たちの鳴き声が響いているだけで 静かなものだ。
元旦のあの人出が嘘のように 人影が見あたらない。
大木の梢には オナガが群れて鳴き交わしながら 枝から枝へと飛び交っていた。

二人でゆっくり茅の輪をくぐって参拝し 裏手にあるお稲荷様にも参拝。
このお稲荷様は出世稲荷として有名で 神社とともにパワースポットに
なっているらしい。人知れず 有名人も参詣にやってくるのだとか。

私は 二人の息子と婿の 出世と仕事の成功をお願いした。
特に 生き下手な次男の行く末をどうぞお見守りください と祈念した。

そして昨日 仕事がある婿を残し 娘と孫たちを伴って新幹線に乗った。
迎えに来てくれた長男の家族と一緒に みんなで夕食をともにした後 帰宅。

今日になると 仕事が始まるという次男がアパートへ帰って行った。

お正月気分も次第に薄れていく。









また新しい年が始まった。


今年は 生活の軸足が 自分たち夫婦や家族の中にありますように
家族がみな 健康で過ごせますように。

友の病が 少しでも良くなりますように。

そして 世界中が平和な社会になりますように。