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午後には 大学病院へと 向かって来た。

病院の玄関を入ると その日の受診予定者の数が 表示されているのだが
今日の大学病院受診予約患者数は 千百人に満たなかった。

珍しいことだ。

例月だとおよそ千二百人 多い月には 千四百人にもなるのに。

処方箋フアックスの係員と話すと 今月は 全般に 受診者数が少なかった という。

二月は寒いから 患者も 近場の病院のや医院にかかったり
いつもよりたくさん薬を処方してもらい 通ってこなくてもいいように
配慮してもらっているのかもしれない。

どうしても ここでなくては という患者が 今月は来た ということか。

会計を終えて 今は 夫待ち。

明日が誕生日の長男に モールで何か買って帰る予定。

しんどいから あれこれ見て回れない。
出張が多い彼だから 靴下か何か 実用的なものにするつもり。

これからの十年余りが 彼の頑張りどころだ。
健康で過ごしてもらわねば 家族みんなが 共倒れになってしまう。

せいぜい 口を酸っぱくして 健康面での留意をうながさなくては。

今日は まだそれでお終いではない。

その後 整形外科へリハビリに行く。
昨日は しんどくて行けなかった。
一日でも休むと 足や腰の様子が 違うような気がする。

子供の体の心配より先に まず自分の体を と
家族から そんな声が 聞こえてきそうだ。
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家を八時に出て 内科医へ。

今、診察が始まるのを待っている。

名前を呼ばれて診察室に入った。

症状を話すと 念のためにCT検査をしましょう と言われた。

結果は 肺炎なし。

でも 藥はもう一回り飲むように言われ また今日も 血液検査と点滴だ。

蟻の歩みのようだが 確実に良くなってはいるのだから安心して
とも 医師にいわれた。

根気よく治すよりないってことだ。

脚腰の痛みがなければ 気管支喘息だけが

左脚に 痙攣が戻りつつある嫌な感覚が絶えず出るようもなっていて
それも不快だ。

一日でいいから なんにもない元気な体がほしい。
その体で 普通の事を普通にできれば さぞかし気持ちも軽くて
気も晴れるだろう。

世の中には 平等 なんて存在しない。
なんとか 自分で自分に折り合いをつけて 諦めながら暮らすよりない。

結局は そこへ行き着く。

仕方がないのだから・・・。

どうして こうも 咳き込みがしつこいのか・・・。

毎日毎日の点滴通い 何日になるか・・・いい加減 嫌になってくる。

体力も気力も 炎症反応とは逆に 萎えてくる。

とうとう 昨日はリハビリに行く気力が出てこなかった。


世が明けたら 午前中に点滴 午後には大学病院受診が待っている。

予定通り 夫は 今朝 長男宅の下の孫を連れて スキー場へ向かった。

ゲレンデには 食べ物はなんでもあるが 結構高い。

だから 我が家は 我が家の子供達がまだ幼い頃から 🍙おにぎりやお餅を付け焼きして
海苔で巻いたもの等を 必ず持たせてきた。

今でも その習慣は変わらない。

思ってみると 我が家の誰かが どこかへ出かけて行く時は
いつも 🍙おにぎりを持たせてきた。
おにぎりでないときは お弁当だ。

だから 結婚してからというもの 年がら年中 おにぎりを握ってきたことになる。
それも 夫と子供三人分のおにぎりを だ。
延べの数にすると いったい何個のおにぎりになるだろう。

今日持たせた大きな四個のおにぎりも それぞれ完食だった。
孫は それでも足りなくて ラーメンや何やら食べたらしい。

何度もリフトを使い 二人で楽しんで 帰りには♨️温泉に浸かって 帰宅した。

孫も 春からは 中学生。

どんな中学生になるやら。

去年の暮れ 娘が 年末とお正月を東京で過ごして 私たち夫婦が帰宅する際
一緒にこちらへ来て 上の孫を スキーに連れて行きたい

というので 亡くなった叔父が 関係の仕事をしていたことからの伝手で
近いスキー場幾つかのリフト券を 叔母を通じて入手した。

お正月過ぎに夫が娘と孫を連れて 二日通った。

今月も来る予定だったのだが 私がインフルエンザ真っ最中だったために
取りやめて 急遽 東京から越後湯沢温泉のスキー場へ行って来た。

それで その分の券が まだ未使用で家にある。

頂いた時に 必ず使い切るように とのことだったから
娘は 四月にならないと来られない と分かって
それなら と 夫は 長男宅の孫を 明日 スキーに連れて行く予定にしている。

その予定は ずいぶん前から決まった。 まだ未使用の券がある と
叔母が心配していることが 解っていたから 大丈夫 使うから と
夫も電話で知らせ 私も咳き込むから話はできないのでメールで
そのように知らせて 安心して と 伝えてあった。

それなのに だ。

昨日も今日も 夫にも(夫は 今日は 勤務日だったから その最中に)私にも
おんなじ内容の 券はどうしたか と メールがくる。

叔父が生前中には こんなことはなかった。

夫は どうなっているんだろう 人が変わったみたいだなあ・・・と 言う。
本当に どうなってしまったのか・・・。

今日のメールには ヘルパーに 毎日どう過ごしているのか と 聞かれて
それに対して 怒っている内容のものだった。

最近 メールもそうだが 電話の内容が ちょっとおかしい。

一回の電話の中で 何度も同じことを言う。

叔母は 大丈夫だろうか・・・。

国が 人間が それも個人が どんな状態であろうと 自然は関係なし。

季節を巡らせ 花を咲かせ 芽を吹く。

基本私の外出は 二週間ごとの大学病院受診と 月に一回 友人とお茶を飲みながらの
近況報告 それに週一回の書道教室通いしかない。
だから 一月にたった七回の外出だ。
そのほかは 全くと言っていいくらい 家の中にいる。
あとは リハビリに行くだけ。

車に乗る人は ちょっとスーパーへ行ったり ちょっと用事に出かけたり喫茶店へ行ったり
簡単にできるから それが外出 と言えるかどうかさえ わからないだろう。

でも 足腰の悪い者には 簡単にできること に 大変な制限がある。
ちょっと出る が できないのだ。

だから たまの外出は 心身のリフレッシュに とても貴重な機会だ。

毎月一回 一人の友人との会は 第三金曜日 と決めている。
彼女は忙しい人で 仕事を辞めた後も 有能だから あちこちの会を主催したり
所属していたりするから 会っている間の大方は 彼女の話を聞くことになる。
自分が動けなくて話の種がないから 彼女の話を聞けるのは 刺激になる。

今月の第三金曜日は 私が絶不調で会えなかった。
それで 今日 夫が出勤するのに合わせて かかりつけ医を受診 点滴し薬をもらって
ちょうど家にいた彼女が 迎えに来てくれ 会った。

咳き込みながら 彼女の話を聞いた。
聞くだけでも楽しくて 気持ちが軽くなってくる。

帰りは 足ならしのために 別れてから歩いた。

風が強い風冷えの日ではあったが 陽射しは 確実にぬるくなっている。

クローバーの茂みは まだまだ枯れているが
オオイヌノフグリは あちこちで 青い可愛い花をつけている。

人がどうであれ 国がどうであれ 自然は偉い。

高速道路工事の大きな現場のすぐそばにも ジョウビタキがやって来て
胸のきれいな色を見せる。

庭先の木蓮の芽も ガラス戸越しに 目に見えて大きくなっている。

山茶花の花も もう終わりが近い。

残念なのは 福寿草だ。
夫が自ら鉢上げして 毎年咲かせていたのに
その鉢を 花も茎も無くなった時点で
いつも 私の花をそうするように うっかり捨ててしまったらしい。

だから今年は どこを探しても 影も形もないのだ。

敷地の中のどこかに ヒッソリ生きていればいいのだが・・・。
自然は偉いから・・・。







まだまだ 呼吸は辛いし咳も絶えず出て しんどい状態が続いている。

それでも 多少はマシになったと思う。

今日 具合が悪くなってから 初めて 外を歩いた。

体力も筋力も ずいぶん落ちてしまった。
ゆっくり歩くのも フラついて 足元が覚束ない。

でも 目には力が出てきた と 思える。
ものの輪郭が はっきりしてきた。

ここでしっかり治しておかないと 喘息が慢性化する。

明日は またかかりつけ医を受診して 薬を処方してもらわねば。

食べないと と 無理やり食べてはいるが 味がまったくわからない。
何を口にしても 味を感じない。

美味しい!と 感じてモノを食すのって 幸せなことなのだ って
痛感する。

今日は私の誕生日。

年に一回しかない日
こんな日くらいは 元気でいたいのに。

でも 本人がへこんでいては お祝いしてくれる周りの人へ
申し訳ない。

今年も 夫や子供たち 叔母や友人が それぞれにお祝いしてくれるのだから。

この世に生まれて 今日という日を迎えられたことを
感謝して喜ぼう。

産んでくれた両親に感謝の日だ。

育たないかも知れない といわれた子が こうして 今 ここに生きている。
生きていられる。生かしていただいている。

そのすべてに 感謝 感謝 だ。

明日から始まる新しい年 生きている実感を感じられる日が
一日でも多くありますように。

午前中は また今日も かかりつけ医院で点滴。
行くたびに肩に 咳に効く という 痛い注射もするが あまり効果ははかばかしくない。

それでも 今日あたりは 洗濯をしよう という気が起きて 医院から帰った後 干した。

食欲はないが 食べないと力が出ないから 味が解らなくても
とりあえず 夫が買って来てある物を 無理にでもお腹に入れる。

マスクをして咳き込みながら行くと 他の患者が嫌だろうから と
インフルエンザが終わっても 整形外科のリハビリには
ずっと行っていなかった。

今日あたり 行ってもいいんじゃないか もうそろそろいいだろう
と 夫の勧めで 夕方 何日かぶりで りハビリに出かけた。

医院のスタッフみんなが 毎日のように来ていたのに どうして来なかったのか
どうしていたのか と 聞いてくれた。
単なる患者とスタッフだが 顔を見知っている人たちの中にいるのは 安堵感があって
嬉しいものだ。気持ちが安らぐ。

幸い いつも私を優先的にしてくださるマッサージの先生も
今日は出てみえたので 早速 かかった。

毎日こうして 少しずつでも よくなっていけばいい。

焦っても仕方がないから 成るように任せる。

それより 気がかりなことが できてしまった。
嫌だなあ〜

嫌だけど 放っておいていいことではないから
明日にでも もう一度確認して それでも間違いでなかったら 電話しなければ。

どうしてこんなに いい加減なのだろう。
一昨年 同じようなことがあって 一度電話しているのだ。そして正してもらった。
一回 失敗すれば 相手のあること 次がないように気をつけるものではないんだろうか。

お金のことだけに 気が重くなる。

相変わらず咳き込むし 喉はゼイゼイするし 呼吸がしんどいし 微熱はあるし・・・

それなのに また同じ事で苦情の電話をしなきゃいけないなんて・・・
嫌だなあ〜〜!

昨夜 長男家族が揃って 私の誕生日が近いので プレゼントを持ってやって来た。

当日が平日で 孫たちもそれぞれ塾があったり 息子も残業で なかなか家族四人が
揃って来られない

バレンタインのチョコを持って来てくれた時も インフルエンザの真っ最中だった。
そして昨日も 点滴に通っている有様だ。

私自身 どうも今年は あまりいい始まりをしていないが 息子家族は 皆元気でいるし
下の孫は 四月から中学生になる。

背が みるみる伸びていくし 手や足も 今では 父親である息子より長い。
足だって この足に合った規定の靴👞があるの?というくらい 大きい。

昨日は 制服を誂えるのに サイズを測りに行って来た という。
裄に合わせると 百七十五センチのサイズの制服になった と 嫁が話していた。

剣道をやっている高校生の孫は 自分が学びたい分野の研究をしている大学を 目下検索中。

東京の娘家族は 昨日あたりから帰省して また スキー場へ行く予定だったのが
私のインフルエンザで来られなくなってしまった。

その代わり 孫の幼稚園のお友達家族が 今冬マンションを借り上げている 越後湯沢へ
お誘いを受け 今日から行ったらしい。

帰省するより お金はかかっても 余程その方がいい。
下の子は 当家のベビーシッターに一日中預けて 上の孫は スキースクールへ入れておけば
自分は 心おきなく スノボで遊べる。
一日遊んでも 後は温泉につかり 上げ膳据え膳だから 子供達と一緒に寝てしまえばいい。

金曜日にある 上の子のスケート教室にさえ間に合うように 東京へ帰ればいい。

次男は次男で 毎日仕事に明け暮れてはいるが 今のところ 元気らしい。

子供達や孫たちは 日々成長し大きくなり 彼らの世界で 精一杯生きている。
待ったなしで育っていく孫たちには どんな未来が開けているのだろう。

我が家の三人の子供は 互いに経済格差を抱えつつも 仲良くしているのが嬉しい。
ここで生きるこうして生きる と 見つけた場所があって そこで懸命に生きている。
不器用な者は不器用なりに 力があってそれなりの世界を得た者はそれを失わないよう
努力していくだろう。

懸命に生きる ことこそ 私が彼らに残し伝えたことかもしれない。
子供達は また彼らの子に そのことを伝えていくだろう。

私が こうしてグズグズしていても その先の彼らがみな 元気でいてくれるのが
毎日を 懸命に生きていてくれるのが 何にも勝る 誕生日プレゼントだ。

インフルエンザの薬は とうに飲み終え 一週間が過ぎたのだから
よっぽど良くなってきても良さそうなものなのに 一向によくなってこない。

しつこい咳が ずっと続いている。
絶え間なくひどい咳が出るものだから 夜も眠れない。
熱も 下がったかと思えばまた上がってきて その繰り返しだ。

そんな日が続くと 強い薬のせいもあって 頭はフラフラで重いし鈍い痛みがある。
当然食欲がないから ものも食べたくなくて ただ冷たい飲み物だけが 喉を通る。

薬を飲み終えた昨日の午前 医者へ行って インフルエンザ以外の症状を改善する薬を
処方してもらい 点滴をして来た。

タクシーで医院に着いたのが9時半をまわった頃だったが 点滴を終え薬局で薬を受け取って
家に帰ると もう午後一時近かった。

それでも 昨夜もずいぶん咳くものだから 今日は 夫が医院へ点滴に連れて行ってくれた。

以前 こんな症状になったのは もう十七、八年前になる。

あの頃は 毎日毎日の仕事が大変だった。心身へのストレスが大きかったのだろう。
ちょっと風邪気味になると もうだめだった。
咳き込み出すのだ。
あっという間に悪化して気管支ぜんそくになり その度に 医師には
入院しなさい! と 厳しく言われたものだった。
そして うちへ通ってくるぜんそく患者のうちで あなたが一番重いんですよ とも
毎回 言われた。

そう言われても 仕事を放り出してはいけないから
朝晩点滴に通うから 入院だけはさせないで と 頼み込んで 仕事を続けた。
そして 毎日 あの頃は自転車で フラつきながら 朝も夕方も点滴に通った。

認知症になった父の面倒をみるために仕事を辞めてから それ以来 ぜんそくが治まっていた。

でも 祖父や父がぜんそく持ちだったから 私の体にはその因子は 確かにある。
だからこうして インフルエンザが体内から去っても 咳だけが しつこく居残っている。

そうでなくても 普段動かないから筋肉がなくなっているのに
こうも長く寝たり起きたりしていては 筋力が ますます衰えていく。

そのせいでもあるのか 足元が自分でも覚束ない。
我ながら 頼りなげな有様だ。

早くよくならないと・・・。

できる人は 仕事がはやい。

夫は 新たに作った句を 夜遅くに 添削していただくべく パソコンで送った。
すると 翌日の午前中には もう添削したものを 返信してくださった。

いくつも送った中で 先生が まあこれなら と思われた句は七つだった。
ところが なんと すべて私の句。

夫も私も複雑な思いをしつつ その中から五句を選んだ。

添削してくださったものの中には 素人では絶対にこうは読めない という
素敵な文学的な表現に直してある句もあったが
それは絶対にあなたの作じゃないって分かるから やめたほうがいい
と 私が主張して 提出する句からは 外した。

それは 病む妻に南瓜煮る夜鹿の声 という句。
『鹿の声』という言葉は 素人では ちょっと思いつかない。
添削してくださった方は 気に入っていらしたようだ と 夫は言うが
あまりにも洗練されていて 高尚過ぎる語彙だ。
それにしても その道を極めた人は スゴイ と思う。

それで 出すことにしたのは 病む妻へ南瓜煮る夜の厨かな
原型は 根曲りの南瓜煮る夜妻病みぬ だった。
なるほど 厨 という語彙の語感で ひっそりしている家の中や
夜更けて一人台所に立ち 妻のために と 硬い南瓜に包丁を入れる姿が浮かんでくる。

今回 俳句には濁音はできるだけ入れない ということも学んだことだ。

思ってもいない語彙が季語だったりして それも 面白かった。

先生が 着眼は面白い句だが残念なことにこれも二重季語なんですよ と言われたのが
さるかにの蟹のごと待つ芽立ちかな
という句。
芽立ち は春 と素人でも分かるが 蟹 が夏の季語とは知らなかった。

何はともあれ なんとか 役済まし できる句が完成。
添削してくださった先生 様様 だ。

思いがけず それも切羽詰まって 向かいあった俳句
これを機に 一人遊びで作ってみるのも いいかもしれない。

素人 とは 全く怖いもの知らずの恥ずかしいものだ。

今般 夫が 俳句を自作しなければならなくなって
二人で苦労して なんだかんだ言いながら それでもなんとか十句ひねり出して
本格的に俳句をやっておられる方の自宅を訪ねて 添削を受けた。

その方は 所属している会の県の仕事をしている関係で 自分の句は出せないが
添削はやってあげよう と 親切に言ってくださった方だった。
夫の窮状を理解し 同情してくださってのことなのだろう。


夫は 孫たちを読んだ句にしたい と 最初から決めていた。
私も 俳句については何も知らないから それでいいんじゃないの と 思った。

ところがところが 俳句を作るとき 孫というのはその言葉自体 禁語なのだそうだ。

そんなことは知らない私たちは 特に夫は 意気込んで 孫を入れた句ばかり作った。
だからもう そこで完全なダメ出しだ。
それに 季語だとは知らなくて入れた語彙が季語で 季語が 二重に入っていたり。

大半が添削以前の問題と知って 夫はビックリ ションボリして帰ってきた。

帰り際に その方は 親切にも 年間の季語集である歳時記を貸してくださった。

さて それからがまた大変。

それでも 即席ではあるが 幾晩も 季語や俳句と格闘していると
前回よりはマシかな と思えるようなものができる。

『孫』でガックリきた夫は 最初の意気込みがそがれてしまったのか
今回 添削していただく句の大半は 私が作った句になってしまった。

男性が作る句と女性が作る句では おのずと違いがある。
あなたの名前で掲載されるのに いかにも女性の句 と 分かるようじゃダメ
なんじゃない の? と 言うと

いい いい どうせ素人が作る句なんだから
俺でもお前でも そんなことはいい
そもそも 会報に載せるものが その道に達した者が作ったり書いたり描いたり
した玄人のものでなきゃならない なんて思うから みんな出したがらなくて
今回の俺のように困るんだから
会員みんなの会報なら みんなが気軽に投稿できなきゃおかしいんだ

と 夫は言い パソコンで 添削してもらうよう 送った。

さあ 先生は どういうふうに添削してくださるだろう。
今回も前回同様 ダア〜 メエエ〜〜❗️となって返ってくるか・・・。

ちなみに 前回見ていただいた句 のうち


着ぶくれて姉のあと追う三輪車

さっそうと蹴るスクーター風光る

空気裂く竹刀一閃寒稽古

これだけは かろうじて合格をいただいた。
これ 三句とも 作者は私。

だから夫は 余計に 力が 抜けてしまったのかも・・・。

一昨日 かかりつけ医の診察を受けた時 医師が言われるには
予防接種を二回受けると 検査をしても はっきりとした反応が出ない
のだそう。

だから インフルエンザの薬は出してもらったものの
A型の疑いあり B型の疑いあり が 診断結果だった。

でも医師には おそらく間違いないでしょう と 言われた。
医師は 経験からそう判断された。


自分で思い返してみると どうにも 体や下肢がだるくて
土曜日の夜中 眠れなかった。
あの時 すでにうつっていたのかもしれない。


予防接種を二回受けると 罹っているかどうか はっきりしないなんてネエ・・・。
そんなこと 知らなかったわア〜〜。

だからだろうか。
先に罹った夫は 他のところを見てもらいたくて行った かかりつけ医ではない医院で
咳が出ていたのを あちこち病院を廻るのが嫌だったから と その医院で診てもらった。
そして 単なる風邪 と 診断されて 薬をもらって帰って来た。
夫も やっぱり 二回接種している。
診断したのは 皮膚科の医師。

だったら仕方がないかア〜診断を誤っても内科医でさえ 診断が難しいというのだから。

それに たとえ その時点で判明していたとしても
おんなじ家の中にいるんだもの うつらないほうがおかしい。

今週は 週にたった一回の外出である書の教室へも行けない。
残念 ザンネエ〜〜ン😭

東京の娘が 孫が通う幼稚園が 一週間の休みに入るから 金曜日に来たい
と メールで連絡してきた。

いいよ と返信したものの やっぱり無理だろう と 思い直して
事情を 改めて伝えた。

インフルエンザは 一週間の潜伏期間があるから ギリギリのところだ。

万が一 孫たちの体調が 弱っていたり疲れていたりすれば
菌を拾わないとも限らない。

やっぱり 残念だけど今回は来ない方がいいよ

と 再度連絡。

それにしても 夫が持ち込んだのがいけない。
こればっかりは仕方がないが タイミングが悪かったわよね〜❗️

朝 しんどかったけど しっかりマスクをして 夫の出勤の車で大学病院へ。

今日の病院は いつもより患者が少ないようだった。
当然 麻酔科の受診者も少なくて 診察が始まって二番目だった。

手術の後 左足の痛みはかなり軽減していて 今のところ 痙攣も来ていない。
その代わり 左足は 重くてしびれている。でも あのひどい痙攣がくるより
ずっと 気持ちの負担が軽くなった。

痛む三か所のうちの一つが改善しているので 現在使っている薬を減らしたかった。
医師にそう話すと 医師も そのほうがいい と 同意してくださり
外用の痛み止めテープを 三枚にしてもらった。
これは とても強い薬だから 一辺に何枚も減らせない。
様子を見ながら もし もっと減らせるようなら 二枚にしたい。

いつものように点滴とトリガーをしてもらったが やっぱり今日は
早く終わった。

いくら病院内の空気は清浄されているとはいえ 必要以上にいたくなかったし
熱はないものの 体全体がだるい。

そそくさとタクシーを呼んで 真っ直ぐに帰って来た。

処方された薬は 帰宅した夫に薬局へ行ってもらい
これで 今日の病院行きは完結。

昨夜は 咳が出て止まらなかった。

やはり 医者へ行かねば と 午前中 気温が上がってからタクシーを呼んで
かかりつけ医を受診した。

先月下旬の手術の話もし どうも夫の風邪をもらったらしいこと
今まで 十年近くも 風邪やインフルエンザに罹らないように 気をつけてきたのに
など話しながら受診すると 医師は 手術の後は どうしても体力も免疫力も落ちるから
血液検査とインフルエンザの検査をしましょう
ひょっとしたら インフルエンザかもしれないですよ
と おっしゃる。

エエ〜〜❗️まさか〜❗️
てっきり 夫のひいた風邪が移ったんだと思っていたのに・・・。

点滴をしてもらっているうちに 検査結果も出るから
薬の処方は それからにしましょう

そう言われて 点滴室へ。

そして 出た結果は
『インフルエンザA.Bどちらも疑いあり』‼️

まさかねえ〜〜😲😣
インフルエンザだとは・・・😞😣

だって 毎年二回も予防接種してるのに・・・外出だってめったにしないのに・・・
それなのに なんでインフルエンザア〜〜😔

仕方がない
処方された薬をしっかり飲んで 治すしかない。

明日は 大学病院の受診日だ。
行けるだろうか・・・😔

インフルエンザの予防接種は 毎年必ず二回受けてきた。
そうでなくてもたくさんの薬を常用しているから もうこれ以上薬は嫌だったこともある。

市日の大半を 幼児の中で過ごしてくる夫は 度々 幼児の風邪をもらってきた。
インフルエンザもしかりだ。

それでも 私は用心して 夫の風邪がうつらないように うつらないように と 用心してきた。
そのせいか もう何年も何年も インフルエンザどころか 風邪も引かないで過ごしてきた。

それなのに ここへきて とうとう 夫の風邪をもらってしまったようだ。

昨夜から体がだるくて 夜中に何度も手洗いに起きた。
喉もいがっらぽくて 時々せくようになった。

これは とうとう拾ったな・・・と思いながら 今朝熱を計ると 三十八度六分あった。
だるいはずだ。

夫が体調を壊した時から うがいは 日頃にも増して心がけていたのだが
役には立たなかったようだ。

午前中をずっとベッドで過ごし お昼過ぎにもう一度体温を計ると 八度三分。

少し回復した夫は 今日は 朝 昼 夜 と どうしても抜けられない会合がある。

午前中に出かけた夫に 買い物を頼んで それでお昼ご飯を食べ 仕方なく
またベッドへ戻った。

年々 抵抗力がなくなっていく。

火曜日は 大学病院受診の日。
それまでには 外出できるようにならなくては・・・。

今朝作ったおじやが よほど気に入ったとみえ 夫は お昼もそれを食べる と言って
残っていたおじやを温めていただいた。

そしてそのあと 薬を飲むと またベッドへ。
やはり体は正直で 寝室へ戻った夫は すぐに寝入った。

今日と明日の両日 勤めが休み おまけに雪降りで 本当によかった。
たとえ休みでも 晴れていると どうしても畑が気になる夫だ。

今の寒い時期には この時期でしかできない農作業がある。
柿の木の剪定や 土へのお礼肥・・・。

あらかじめ依頼しておいた養鶏場から 鶏糞が畑に山になって届いたらしい。
それを それぞれの果樹の根本や 野菜を作る畑へと運び 今年の成りを願って与える。

いつの時も 一年中の農作業を 夫は モクモクと一人でこなす。
クタクタになりながら こなす。
義父や義母が亡くなってから ずっと一人でやってきた。

こんな体の私を てんから当てにしない夫は 少しでも手伝いがほしいだろうに
一言も 泣き言を言わない。
そんな夫を 時としていたましくさえ思う私だ。

その夫がこうして寝込むのは よほど体がしんどいに違いない。

動き過ぎ と口を酸っぱくして言っても聞かない夫は
こうして 自分の体をいためてでしか 衰えを実感できないのだろう。

さあ 夕ご飯はどうしよう。
冷蔵庫にあるもので どれだけ滋養のあるものができるだろう・・・。

昼間の陽に少しは温められて 道に積もっていた雪は消えかかったものの
外は 深々と雪が降り続いている。

さすがに 今朝起きてベッド側のブラインドを揚げてみると 外は雪。


降らない降らない と言っていたが さすがにこの寒波だ。
まだまだ止みそうにない降りかたで すでに七センチぐらいは積もっている。

風邪で体調の悪い夫の朝食に温かいおじやでも と思い そおっと寝室を出てリビングへ。

まず 冷え切った室内を暖めるために エアコンをつけ ストーブも点けた。
普段は 灯油ストーブだけでの暖房だが こんな日は 早く室内を温めたい。

雨戸を閉めた室内は暗いが かろうじて天窓から明かりが入ってくるから 動ける。
下半身に強い痛みがないのが ありがたい。


玄関を開け 新聞と おじやに入れるネギを取りに行く。
玄関ポーチの軒から ほんの二メートルもない郵便受けなのに 雪が邪魔だ。
でも 滑って転んでは元も子もないから 仕方がない 歩くところだけ雪よけをする。

新聞を取り 慌ててネギを持ってキッチンへ。

まず 鍋に水と出汁を入れて 火にかける。
先週 夫が畑からひいてきた甘い人参や鶏肉やジャコ それにタップリのネギと卵で
我ながら美味しいおじやが出来上がった。

本当は このままのおじやを食べて欲しいが 夫は サラッとしたのを好まない。
だから マッタリとするまで このままにする。
そうしておけば 夫が起きだす頃には ちょうどいい按配になっているはず。
あとは 温めた牛乳に口がサッパリする伊予柑 これで 食欲のない夫にはいいだろう。


リビングも温かくなった。

夫を起こさないよう できるだけ大きな音をたてないように 二か所の雨戸を開けた。
ベランダと物干し竿に降り積もった雪を ザッと掃き 落とす。

外は 細雪が降り続いている。
通る車もないらしく また 道路工事の音のない外は いつになく静かだ。

雪の日は この静寂がいい。

心を鎮めてくれる 雪の朝だ。






なぜか 今冬は 私の住んでいる地域は 雪が降らない。

今日も朝から テレビでは 南や山陰の県では 激しく雪が降っている映像が流れ
これから明後日にかけては 記録的な積雪量が予想される という。

それなのに この地域は 多少 冷たいモノが舞ったりするが
一向に 例年のようには降らない。
雪を運んで来る雲の流れを見ても この地域は 雪雲が通らない。


他県の雪害をよそに 今夜も むら雲の中に 朧に 月が輝いている。

夫の体調は 悪くなるばかりだが おりしも 明日明後日は連休。

如月の空に朧月なんていらないから
早く 気温が上がって 温かい日が一日でも早く来ることを 願っている。



一昨日あたりから 夫の体調が また崩れていた。

自分でも 掛かりつけ医で薬をもらってきたりしていたが 改善しない。

でも 昨夜は あまり咳かなかったし 今朝もいつも通り 勤め先へと出かけて行った。

それなの今日は 夫は毎日よりずっと早く帰宅した。

悪寒がするし体もだるいから早退けした と言う。

そして 帰宅するや パジャマに着替えて 早々にベッドへ。

今は 熱もないが ひょっとしたら今夜上がるかもしれない。

だから 平生に動き過ぎなんだってエ〜
体は正直だから 疲れを取り切れなくて 信号を出しているんだよ〜。

見た目じゃなくて 実年齢で動いてよ〜
お願いだからね〜〜🙏🙏😰

みぞれが降る中 習字に出かけて行った。

教室に着いてみると 大好きな先輩の顔が見えない。
先生に聞くと 風邪気味なので今日は休む と連絡があった とのこと。

書の練習には変わりないが それでも力がちょっと抜ける。

その先輩が書かれる仮名文字は 実にたおやかで女らしい。
女文字ともいわれる仮名だから 彼女の性格の優しさが 書によく表れている。

書には その人の性格が全面的に表れる。

私の書は 仮名にしても漢字にしても どうしても 強さが全面に出てしまう。
それは 絶え間なくある痛みに 負けるものか という気持ちと 生来の隠れた利かん気の
性格が 災いしてのことだ。

小さい頃の私は 大人しくて手も挙げられないような子だったが
心の内には 周りの おしゃべりしないお利口さん という 私の定評への反発が常にあった。
それに 痛みになんか負けないぞ という ここ十何年の気持ちがないまざって
言葉や行動ではなく 書く文字に表れるのだから 恐ろしいものだ。

それは 例えば 書き初めなど 力強さが要求される書にはいいのだろう。
今年の書き初め展でも 小さいが 賞をいただけたことを
今日 先生から告げられた。
それはそれで嬉しい。

でも 毎月 課題を手本にしての書 となると どうもいけない。
痛みに負けまい という気持ちがいつもあるから それが筆にのってしまう。

今日書いたものもそうだった。
調和体を清書したものの やっぱり満足感がない。

たおやかにしなやかに やさしい文字を書く
これを今年一年 心がけよう・・・

そう思いながら 帰ってきた。

今年 夫は 前職の退職者団体で出している会報の 地域担当になっている。

年三回出される印刷物のうち 今回 担当になった分野が俳句。

楽天的な夫は 出版の半年も前だったら 俳句の会に入っている方に依頼すれば
どなたか引き受けてくださる方があるだろう と 考えていた。

ところがところがだ。

いざ依頼して回ってみると
俳句を趣味にしている会員はあっても すでに会報に出したことのある人ばかり。

どなたにお願いしても 丁寧にお断りされたり この人なら と 思っても
固辞されてしまったりで さっぱり俳句の原稿を出していただける人がいない。

そこで 方策尽き果てた夫は

よし!仕方がない!
それなら 自分で作ってしまえ!
それを 俳句をやっている人に添削してもらって それを載せればいい!!

なんと身の程知らずなことを 夫は考えたものだ。

その日から 彼は 生まれて初めての俳句に 七転八倒の日々を送っている。
こんな姿は 久しく見たことがない。

『何事も成るように成る』主義の夫だが さすがに俳句は手にあまるようだ。
毎晩 食後に ウンウンうなり頭を抱え 指折りながら 白紙に向かっている。


そばにいる私は まさかここまで無鉄砲なことを と 呆れながらも
それでもやっぱり 彼が悩む姿を 放って置くわけにもいかず
テレビも見ないで ああでもないこうでもない と 二人して ない頭をひねっている。

それにしても 五七五 の なんと難しいことか・・・

太平楽な夫の無謀さも ここまでくれば 文化財ものだ。

しかししかし なんとか期限までには 形にしなくては・・・。





私が こうして 全く個人的な日記や覚えや記憶を パソコンに日々書き綴っていられるのは
二人の友の勧めと手ほどきによる。

一人は ずっとずっと前から 書くことが好きな私に ブログの楽しさを語っていた。
一人は 具体的に 憶えの悪い私に 根気よくパソコンの操作教えてくれ
ブログのあげ方を指導してくれた。

彼女たちは パソコン操作に詳しくて 二人ともブログをあげていた。

そのうちの一人は 子供時代をおくった飛騨が恋しくて 他県で暮らしながらも
ブログを通して知り合った飛騨の人たちと 親密な交際をしている。

逆に私は 父母もとうに亡くなり 叔父叔母も高齢になった近年は
お墓まいりに行くくらいで 飛騨との縁は とんと薄くなっている。

その友のブログには 当然 飛騨のことが多くあげられる。
今では 彼女の方が よっぽど飛騨に詳しい。
彼女のブログで 忘れかけていた飛騨での暮らしを 思い起こす事も多い。

先日も 彼女は 飛騨のブロ友から 家でついた草餅を送ってもらっていた。
そして その美味しい食べ方を 違うブロ友から教えてもらっていた。

それが 焼いた草餅に味噌を薄く塗って 二度焼きして食べる というものだった。

そうなのだ。
子供の頃 冬場のおやつは 焼いた草餅や豆餅だった。

飛騨の餅は どの餅も 一切れが厚くて大きい。
母は その草餅に味噌を塗って 二度焼きして食べさせてくれた。

本家でも 冬場 多勢の従兄弟たちが外で遊んでいると 必ず 祖母が
囲炉裏の上に大きな網をかけて たくさんの草餅を焼き 味噌を塗って食べさせてくれた。

遊んでお腹が空いた私たちは 囲炉裏を囲んで座り 香ばしい味噌を塗った草餅を食べた。
囲炉裏の火は ちょっと燃え盛ると 大黒柱を背にデンと座った祖父が
直ぐに おきを消壺に入れてしまうものだから いつも煙っぽくて 目にしみたが
その時だけは みんな 額に汗が浮かんだままの顔で 大人しくかしこまって座り
祖母が焼き上げてくれるお餅を食べた。

彼女のブログを読んでいると 幾重にも積もった底にある忘れかけていた情景が
フワ〜と立ち昇るようによみがえってくる。

遠い昔を思い出させてくれる 友のブログだ。

昨夕のテレビ番組では 赤ちゃには 数を認識する能力が 生まれながらに具わっている
という 研究結果も紹介された。

映像の中の赤ちゃんたちは クマのぬいぐるみを使った実験で
一つと二つのぬいぐるみを 隠したり見せたりして その反応を見せたが
確かに 二つを見せておいたあと 一つを隠して再び見せると アレ❓という表情をした。

また ずっと以前に 月齢がきても なかなか寝がえりやハイハイができない赤ちゃんを
同じ月齢で すでにそれができるようになっている赤ちゃんたちの中へ入れると
できなかった子が すぐにできるようになった映像を見たことがあった。

それほど 人間の赤ん坊は 生まれつき社会性が具わっているものらしい。

生まれて間もないのに 正義や数の認識 社会性までもをそなえている赤ちゃんって
ホントに スゴオイ存在だ‼️

昨日 朝刊に ある大学の研究グループが 海外の専門誌に発表した記事が掲載されていた。
その後 夕方のテレビ番組でも この研究が話題として取り上げられていた。

それは 我々が何にもわからないと思っている赤ちゃんにも 正義 が理解できる という
研究結果が出た というものだ。

赤ちゃんに いじめられているもの それをいじめているもの その二者の間に入って
いじめられているものを守るもの の 三者の様子を 色で区別したモノで見せる。
その後 いじめているものと間に入って助けたものとを 赤ちゃんの前に出して見せる。
赤ちゃんはどちらを選ぶか・・どの子も何回テストしても 助けに入ったモノを選んだ。

この結果 赤ちゃんにも正義が理解できる というのが 研究結果だ。

これはすごいことだ。

でも ではなぜ この人間が生来持っている心理が 大人になっても持続されないのだろうか。

研究グループには 次には 是非 このことについて研究してもらいたい。

寿司は もともと 関西それも大阪辺りから始まった。
その頃の関西近辺では いい水を使っての いわゆる清酒造りが盛んだった。
当時の酒といえば 濁り酒が一般で 関西で醸造される清酒は 価値が高かった。
そして その清酒は 廻船によって全国へと運ばれて行った。

清酒だけでなく 江戸になってもなお 大阪近辺は商業の中心地となり 様々な商品が
酒とともに 主に関東そして全国へと流れ 大阪商人たちに莫大な富をもたらした。

酒造りに欠かせない水と麹を使ってできる物に 酢 がある。
当時のスシといえば なれ鮨しかなかったのを その酢を使って 関西で作り出されたのが
箱寿司であり押し寿司だった。

また江戸になると 江戸湾で 海苔の養殖が成功し 板ノリが作られるようになった。

この板ノリは 酢飯を包み込むのにうってつけのものだった。
それまでは 江戸での寿司といえば 屋台でのちよいつまみの握り寿司 それも
いわゆる江戸前といわれる 生の魚介ネタに火を通したものだったのが
板ノリの登場によって 魚介だけでなくかんぴょうや干し椎茸といった
庶民にも手が届く食材を使っての 巻き寿司が考案された。

大阪商人たちは その年の終わりの節分の日に それぞれの講や座で
一年の締めくくりの会を催し その席で 縁起をかついで 酢飯に七種の食材を添え
それを 江戸から入ってきた板ノリで巻き 七福も江戸も 巻いて丸かじりにして飲み込み
自分たちの商売が 来る年も江戸に負けないように繁昌することを願った。
恵比寿大黒を商売の神様と崇める 七福 でもあったろう。

こうして 巻き寿司の丸かじりが始まったのではなかろうか。

たくましい大阪商人たちの矜持と気合から始まった 巻き寿司の丸かじり が
後に これも商人たちによって 恵方巻き と 名を変えて全国に流布していったことは
今日のクリスマスやバレンタインの商戦にも通じるものがあって 興味深い。

さてさて この概考が どこまで当たっているか どこまで真実に迫っているか
立春の日の 初占い としよう。



昨日は節分
旧暦の大晦日だった。

昔の人は 一年分の大祓えの意味で 家の中にいる禍事の代表としての『鬼👹』を
豆をまいて追い出し 新しい年に備えた。

まいた豆を年の数だけ食すのは 大切な穀物の豆だから
そのままにしないで拾って食べなくては という思いからだ。

豆まきは 昔も今も変わらない日本全土に根づいた風習だが 近年 それに新しく
太巻きのお寿司を その年の恵方を向いて一本丸かぶりする 風習が広まった。

江戸の末期に 大阪商人の間で 大晦日である立春の前日に まき寿司を食べ始めた。
食べ始めたのがなぜ巻き寿司だったのか それはわからないが
ともかく 事の起こりは そうらしい。

その風習が 昭和になると 大阪や兵庫の辺りから広島の辺りまで 広がっていた。

その風習に目をつけ 商売に結びつけたのが 当時展開しつつあったコンビニだった。
まず大阪や兵庫で フアミリーマートが始め それを後に セブンイレブンが
全国的に展開した。
スーパーでも ダイエーやジャスコが 負けじと大々的に宣伝し
とうとう全国に 節分には巻き寿司を食べる ということが 風習化していった。

また 始めは 丸かぶり寿司 だったものが 年の分け目の節分の日に食べることから
その名も 万人に受け入れられやすいように めでたい『恵方巻き』に変化した。

今では 昔からの風習である『豆まき』より『恵方巻き』を食べる日本人の方が
多くなっているらしい。

普段は信心深くなくても『恵方』という言葉に弱い日本人の心理をうまく突いて
とうとう全国に広め 旧来からの風習までも凌駕して 稀に見る大当たり🎯になった。

そして 今日は『立春』
旧暦の新年の始まりだ。

この国のおおかたの行事や季節の物事は この日から始まる。
春一番も八十八夜も二百十日も 寒明けのこの日をさかいに数えられた。

『旧暦』は 太陽の動きからすると うるう が多くなってしまうが
日本の物事は 今でもやっぱりこのこよみの中で 暮らしに根づいている。

さあ〜 今日から新しい年が始まった。

『立春大吉』と 大書して 新しい年神様を迎えよう❣️



今回の入院で 再確認したことが もう一つある。

再確認というより 改めて自分に言い聞かせたことだ。

腰が悪くなって 地獄のような痛みが消えず 腰椎を手術するハメになり
長年我慢し過ぎた結果 大切な足の神経を傷つけてしまっていた。

痛みの大元が分かったその頃 私の体も心も 痛みに支配されてしまい
生きているのかどうかさえも なんにも考えるゆとりがなかった。

その時期が過ぎると 今度は 絶え間ない痛みに 生きていることが嫌になった。
こんな痛みを抱えて どう生きたらいいのか と 生きる意味を見失った。
それくらい 抱えてしまった痛みは激しかった。

その頃は 家族が心配するほど 鬱になっていたと思う。
治療にかかる費用の多さも 悩みの種だった。

私が抱えている事の大きさと辛さや 心の内を理解してくれたのが
かかりつけの医師だった。

私の体の状態が もう健常の域ではない と判断した医師は
身障者認定の申請や検査の後押しをしてくれた。

結果 医療費については解決した。
その頃からだろうか 気持ちが次第に楽になっていった。

そして 痛みはどうやってもなくならない これからの私は この痛みを抱えるより
仕方がないのだ という諦めの気持ちが出てきた。

毎日を 痛い痛い で過ごしても 楽しいことを考えて過ごしても
一日の長さは変わらない。これからの人生も変わらない。
それなら 楽しいことを考えたりして 明るく暮らした方がいい。
今の体でできることを考えよう。生きる楽しさを見つけよう。
周囲の人間も その方が 私に気を遣わなくていいし 雰囲気も明るくなる。

その思いに行き着いた時から 今の私がある。

これからも どれだけの痛みが起こっても この気持ちで生きていきたい。

でもでも 今回の手術が効くことを 今は願っているのだが・・・。