FC2ブログ

夕方 いつものように 整形外科でのリハビリを終え
帰宅して 夕ご飯の準備をしていると 突然 腰に痛みを感じた。

献立が 鶏肉のスパイシー焼きだったから 台所で立って フライパンの中の 鶏肉の
焼け具合を見ているうちに 痛みが どんどん増してきた。

そして終いには 換気扇のスイッチを切るのに 手を伸ばすことすら できなくなった。
だから 夫に頼んで切ってもらい なんとか夕飯のテーブルについた。

ところが 痛みは激しくなるばかりで 身じろぎをしてさえ
激痛が走る。

多分 気圧の低下に伴って 外気が急激に下がってきたからだろう。
テレビの天気予報によれば 次第に寒くなって
明日は 冬並みの気温になるから 真冬の服装で外出するように と
言っていたから。

なんにしても 痛くて座っていられない。
夫に お風呂から出たら 声をかけて と 言いおいて
早々に夕飯を片付け ともかくベッドで横になった。

横になっても 動くたびに激痛がくる。

昨日は 私の人生の最悪の厄日の一つに当たっていたが
難なく一日を超えられて ホッとしていたところだったのに
まさか 次の日に こんなふうになるなんて‼️

実は 明日は 長男宅の孫たちと約束事がある日なのだ。

明日の朝には この痛みが 弱くなっていることを 祈るばかりだ。



スポンサーサイト

日本は 無茶に始めた第二次世界対戦で完敗し 人も物も 文化さえもなくした。

喪失感や虚無感にひたる間も無く 今日を食べるために生き延び
気づけば 国民総生産が世界一になって 誰もが浮かれ
バブル と呼ぶ時代をむかえていた。

その頃になると 評論家が「国民総白痴」と名づけるほど
日本中が 自分たちの元々の軸を見失っていた。

そして バブルがはじけ 夢から覚めた浦島太郎のように
今 ようやく 日本人とは 日本人の暮らしとは どうあるべきか を
考え始めたように思う。

それも そのきっかけは 海の向こうから投げかけられたものだ。

それは 戦前戦後 バブルの時期も 絶えず あるいは それらの時代を経たからこそ
いっそう磨かれた「食」や 「 旅館やホテルなどの職業としてのサービス ふるまい」が
初めにもたらした。

この二つには 変えようがない「日本の文化」があったからだ。

しかし 戦後七十年も経った現在だから
いくら 文化の高さや日本人が誇りとしてよい気質 を マスコミが声高に叫んでも
実際の生活は にわかには変わらない。

伝えられてこなかったがために「日本の食」は 若い人たちの食卓からは
遠い存在になってしまっているし 「ふるまい」にしても然りだ。
食やふるまいだけでなく 「 衣 」 もそうだ。
今は この国本来のものが 日常から遊離した 特別なもの になってしまっている。


食の貧困 殊に 子供達のおかれている状況を憂慮する人たちが
最近になって 一人二人と 活動を始め その輪が広がりつつあることを
報道を通して知った。
でも 私たち日本人の全てが 日本人とは の答えに落ち着くまでには
まだまだ長い時間が必要だし 国民の総意となるような答えを導き出すのも
これもまた 困難なことである。



浮かれた時代 は 日本だけではなかったらしく
今 世界の いわゆる先進国は 目覚めてハッと気づいたように
反動で 自国の保護へと 流れ出しているようだ。

自国の良さや利を守りつつ 他国の良さや利を認めて付き合うことは
とても難しいことだ。


我が家は バブルにも景気のよさにも 遠く離れたところで生きてきたように思うが
今 経済的には 確かに生き辛くなっている暮らしがある。

日本が世界が これからどうあるべきなのか どの方向へ向かうべきなのか
この我が家の暮らしも その判断に左右される砂つぶの一つなのだろう。

孫たちが成人したころには 「自国の保護」「グローバル化」などという
言葉すらなくなって 世界中が一つになっていてくれたら どんなにいいだろう。

他国の人を家族に迎えているからこそ 日本についてもその文化についても
世界についても 他人よりは 考えさせられる場面の多い 私だ。




咳が治ってからも 美容院で 長時間座っている自信がなくて
「行きたい 行かなきゃ」とは思っていても 今まで 美容院へ行けなかった。

その間にも ますます 染めは取れてくるは パーマっ気はなくなるは
髪は伸びるは で 自分でも あまりにの見苦しさに 薄いキャップを買って
病院へ行く際などには いつも 間に合わせにそれを被って出かけていた。
実際 うなじの伸びた髪などは 束にして結べるほどになっていた。

でも いつまでも そうしてごまかしているわけにもいかず
今日 とうとう 予約の電話を入れた。

そして 午後三時前に 夫に送ってもらって 美容院へ。

通っている美容院の美容師との付き合いは もう 三十年以上になる。
以前は もっと我が家に近い場所で営業していたが
同業者と結婚して 隣市の中心部へ移っていった。

どこの美容院へ通うかは お客の自由だから
その時点で 美容院を変える選択肢もあったが
出身地が近くの町だったこともあって 気心が通じていたし
腕も良かったから 家からは遠くなっても ずっと通い続けている。

久しぶりに行くと 顔を見せなかった期間の長さも さることながら
髪の状態に 美容院で働いている人たちみんなが びっくりしていた。

いつも私がご無沙汰する期間は 体調を崩してのことが多いから
多分今回も・・・と話していたらしい。

髪があまりにも長くなっていたから このままの長さでも悪くないけど・・
と 美容師は言ってくれたが 私は バッサリと短くしたかったので
もったいないくらい短くしてパーマをかけ 染めてもらった。

仕上がった髪の後ろの状態を 鏡で見せてもらうと
あの伸びきって見苦しかった後頭が 自分でも ホウ〜と思うくらい
短くなっていた。
全体が短くまとまって うなじがスースーするような気がするほどだ。

これで 外へ安心して出かけられる。
出かける といっても 私の場合 病院とスーパーくらいのものだが
それでもやっぱり 髪が整うと 気持ちも軽くなる。

ようやく 私にも 春が来た気がする。



今夜 数日前に亡くなった俳優が主演するドラマが 再放送された。

人気のあったシリーズの中でも 一番印象の強かった回を 追悼放送するのだという。

これまでなら そんなに真剣になって視ない夫が 今夜は 自分の椅子を
テレビに近い場所に移してまで 真剣にみいっていた。

耳が遠くなっている夫だから 椅子をテレビに寄せないと 電話がかかってくると
私が相手と話す声で テレビの音が 聞き取りにくくなってしまう。
だから 最近の夫は ちゃんと聞こうとする時には いつもこうする。

ドラマは 面白かった。
亡くなった俳優は 四角い画面の中で 迫真の演技を見せて
生き生きと動いていた。

こんなに元気な姿で活躍していたのに・・・
人の命は わからないものだ・・・。

人気役者が亡くなると たいてい今夜のように その人が活躍するドラマや
映画が 再放映される。
そして 私たちは すでにこの世にはいない人が 元気に活躍している姿を
目の当たりにしながら その人を偲ぶ。

一般の人は そんなことはできないから
これは 亡くなった人が 役者だったからこその
特殊な悼み方 だ。

一般のものもそうできたら どんなにいいだろう。

愛しい人 尊敬していた人 懐かしい人 の 元気だった時の姿に
いつでも会えたら 嬉しいと思う。




昨日は 快晴ではなかったが 洗濯物は完全に乾くほどの天気だった。

それなのに 夕方ごろから なんだか 腰の違和感が強くなって
夕飯が済むころには 強い痛みを感じるまでになった。

雨が近い・・・

夜のテレビは 夫が起きている間は 彼が見たい番組ばかりを 次から次に視て
天気予報をみる間がなかったが 体が「雨」を予感していた。

そして今朝 寝坊して起きてみると やっぱり雨だ。

痛みを抱えるようになってから 雨が降る日は
こんな日はみんなも活発に外で動けない と 思うことで
気持ちが楽になる。

もちろん車のある人は 当然 車で何処へでも動いて行けるわけだから
これはあくまでも 他人が元気に外へ出て動いているのに 自分は動けない
という 私の気持ちの中だけでの慰めに過ぎない。

雨降りだからか 窓の中ほどを行き来する 工事車両の姿も 今はない。

家の中では 夫だけが今日も忙しそうに何かしている音が
二階から聞こえている。





深夜にかかるから なかなか視る機会がないが 好きな番組がある。

月に一度 土曜日の夜 NHKで放送される さだまさしの 生トーク番組だ。

放送は 東京の本局からだけでなく 日本全国にある地方の放送局からの日もある。

今夜が その番組が放送される日だ。

基本的には 全国から番組に寄せられたはがきを さだまさしが読んで
二人の番組関係者や その日のゲストと会話したり コメントしたりする番組だ。

その会話やコメント 聴視者からのハガキの内容が とても面白い。

真面目な内容のこともあるし ゲラゲラ笑ってしまう内容のことも多い。

さだまさし大好きの友人に教えられて視るようになったのだが
なにせ 深夜にかかる番組だから 一人でみているうちに 眠くなってしまう。

今夜の放送終了時間は 三時を過ぎる。

今日も 夫は とっくにベッドへ入って 白川夜船だ。

さてさて 今夜は いつまでみていられるか・・・。

年が改まってから 一度も会えなかった友と 久しぶりに会った。

お昼ご飯を一緒にする約束で 彼女が 迎えに来てくれた。

通りに面している我が家の塀が高くて 車庫から車を出す際 見ずらいから と
夫は 雨水の工事に続いて 隣家との境の塀の一部を 一段低くする工事にかかっている。

そんな夫には 彼の好きなカレーを作っておいて 出かけた。

何カ月も会わなくても なんのこだわりもなく話せるから 友はありがたい。

顔が小さくなったみたい と言う彼女に 単にやつれただけ と言って 笑い合うなど
お昼ご飯を食べた後 場所を変えて 喫茶店で話しているうちに 気づけば
もう 五時半になっていた。

私の心身は 彼女に ずいぶん助けてもらっている。

近年は 体を温める療法 体にいい靴のインソールの作り方 肝臓の検査数値がよくなるように
肝臓の温め などなど たくさんのいいことを教えてもらっている。

それよりもっと前には 体にいいから と シルクパウダーやシルクのズボン下もいただいた。

自らも あまり丈夫でない彼女は 私の体調を いつも気にかけていてくれる。
ありがたいことだ。

今日も 彼女が通っている療法の師が考案した という くつしたを二種類 いただいた。

今日は試せなかったが 明日は 履いてみよう と思っている。
療法の理念を具現化した靴下だから 一日中履くものではない。
二種類を 一日二時間くらいをめどに 履き替えるように といわれた。

私の足に 効きそうな気がして どんな塩梅になるか 楽しみだ。

先日 春分の日に作ったぼた餅もそうだが
一年のうちで これだけは作る と 決めている食がある。

まずは 誰でもが作る おせち
二月の初午の団子
ひな祭りのちらし寿司
春一番に出るふきのとうで作るふき味噌や天ぷら
土手に生えるカンゾウのおひたし
もうすぐ生えてくる蓬を摘んで作る草餅
ホウの若葉を使ってのホウバ寿司

春は 木の芽も野草も 山野の息吹きを感じ そのパワーをいただく。
だから ワラビはもちろん独活やコシアブラなど
たくさんの山野草を 色々にしていただく。

藤の花が咲き始めれば その花でお寿司を作る。

梅がなれば 色々に漬けて加工し 大量の実を処分する。


夏は・・・白玉・・・
夫が 鮎掛けに行けば 釣ってきた鮎を 焼いたりするくらいか・・・
いやいや 畑で採れるブルーベリーでジャムを作り
これも畑のプラムで塩水漬けやシロップ漬けもする。

その他に 夫が何回か行って釣ってくる小鮎を佃煮にしたり天ぷらにしたり。

夏が過ぎて秋になれば 秋刀魚寿司
そして おはぎ
夫と共同で作る栗きんとん

柚子や花梨の実がなれば 焼酎やシロップで漬ける。

それが済むと 私は手を出さないが 夫は 干し柿作り

そして暮れには 飛騨の風習そのままに 塩鰤を焼いたり
年越しのご馳走を。

これらの他に 年間に二、三度のバーベキューがある。
春は必ず 息子の家族とお花見バーベキュー
東京から娘家族が帰省したら 一家揃ってのバーベキューを
桜の下や 我が家の裏庭でする。

絶えず続けてきた食は ざっと思い出すと これくらいか。

思い出すままにでも書き出してみると 案外こまめに 一年中いろいろ作っていることに
我ながら 驚く。

この他にも おはこのように作る鶏めしがあったりもするが
単発的なものも含めて 年中行事にして作る これらの食は
自分だけなら スーパーで買ったりはしても 家では作らないだろう。
家族があってこその 年中行事の食だ。

夫や子供達にも嫁にも 生まれてきた孫たちにも
暮らしの節目節目を意識し 食で季節を感じることを
日本が昔から伝えてきた食を できるだけ伝えたい。

こうしなければ とか こうでなくては とかの
強い気持ちがあって作り続けているわけではない。
生家で亡母がやっていたことを やっているだけだ。

嫁に話したことはないが
私ができなくなったら 今度は 嫁が作り続けてくれたら 嬉しいが
強制できることでもないから
自分が動ける間は 続けられたらいい と 今は 思っている。








吹く風は冷たいが 陽射しは 春を感じさせる。

去年も今頃だったか と 思い出して
隣市にあるお寺の 枝垂れ梅を 夫と見に行った。

ところが 今年は たくさんある梅の木のどの枝も
花が少ない。
一本二本と 枝垂れた枝に ビッシリと花がついている木もあるが
ほとんどの木の枝は 花がまばらだった。

去年 見事な花だったから 夫に 今年も見に行きたい と言って
わざわざ行ったが 不発だった。

でも 枯山水の庭を見ている時 隣の竹やぶの方から
ウグイスのきれいな澄んだ鳴き声を聴いた。
一羽なのだろうが 何度も鳴いた。

帰り 山門をくぐる時には
ヤマガラの 可愛い声も聴こえていた。

お寺が 山辺にあるから
もう少し長く居たなら もっと他の鳥たちの声が
聴けたかもしれない。

それにしても 梅の花は 残念だった。

卒園式が済んで 今日から 夫は 在宅だ。

何年か前に 我が家の汚水は 市の下水道につないだが
雨水は それまで通り 団地の下水道組合独自の下水道に 注ぐようになっている。

夫は この春休みの間に その雨水も 組合の下水道から外して
正式に 組合を脱会する と 言い出した。

でないと 組合の管を使っていないにもかかわらず 来年の四月には
組合の会長の役が 回ってくるからだ という。

それで 夫は 雨水も 組合の管へは流れ込まないよう
ホームセンターで材料を買ってきて 今日 自分で なにやら工事をした。

なんでも自分でやりたい人だから 思いついたら やらずにはいられない。
とはいえ 素人だから できることとできないことがある。
できないことを 無理やりやって できた ことにしてしまうから
やってくれるのはいいが 出来上がりが・・・。

でもまあ なんとか工事が終わったから これで 組合から脱会できる というわけだ。

もうすぐ 組合の総会が開かれるから
夫は その会で 正式に脱会を 申し入れる。

今日は 夫の勤務先の卒園式だった。

卒園式には 黒の礼服を着る。
それなのに なぜだか 入園式には 普通のスーツだ。

入園式だって 卒園式と同じくらい 園や子供達や親御さんにとっては
一生で一度しかない 大切な式だと思うのだが・・・。

ともかく 今日の卒園式に向けて 毎年のことだが
夫は 我が家の君子蘭を 園へ運んで行く。
卒園式会場に 名実ともに 花を添えるためだ。

今年の君子蘭は 一鉢に十一本もの花茎が立ち 見事に花を咲かせているから
さぞかし 卒園児の親御さんたちの目を 引いたことだろう。

年少で入園した子供達は 三年間で 驚くほど心身が成長する。

孫もそうだが もう少し その時々の可愛さを味わっていたいのに
そんな周囲の大人の気持ちなど斟酌せず どんどん大きくなっていく。

私にとっては 見ず知らずの子供達だが
夫から 毎日のように 可愛いエピソードを聞いているから
どうかこれからも 彼らの身の上が安寧であるように と 祈っている。

今日は春分の日。

毎年 春と秋の彼岸には ぼた餅 おはぎ を作って 長男宅へも 届けてきた。

夫の仕事先が近いから 何くれとなく持って行ったり 電話があったりで
叔母の様子は分かってはいたが 直接 家へ行くのは 去年の十二月以来だったから
ご無沙汰している叔父の仏壇に 手を合わせたかった。


生前の叔父は ことのほか アンコのぼた餅や 飛騨ではアブラエと呼ぶ エゴマを使った
ものが 好物だった。
それを どうしても 仏前に供えたかったこともある。

昨夜のうちに エゴマを焙煎し砂糖と混ぜ きな粉も砂糖と混ぜて準備し
もち米とうるち米を半々にして 炊けるようにした。

アンコは 自分で炊くのは 手間と時間がかかるから
昨日 スーパーで買って来てある。

今朝から 米は 三回炊いた。
それをボールに移し 突いて半殺しにして 千切って丸める。
その作業を繰り返して ようやく 炊いたお米のすべてを
エゴマ きな粉 アンコ をつけて ぼた餅が完成。

そうやって出来上がった物を 長男宅へは それぞれの種類を八個ずつ人数分
ご仏前へは 三種を四個ずつ 届け先別に重箱に詰めた。

長男宅へは お昼に間に合うように 夫が持って行った。
ぼた餅が大好きな孫たちは 大喜びで食べた と 夜になって 嫁から電話があった。


夫と私は お昼ご飯に出来上がったものを食べたあと
これから行く と 連絡し 途中で 仏前のお花を買って 車で向かった。

叔母宅に着くと まず 仏壇に持参したお花とぼた餅を供え
三人で お経をあげた。

花もぼた餅も 叔母は喜んでくれた。
今でも なかなか外出できない叔母は 仏前の供花を 造花で間に合わせていた。

仏壇の中の叔父も 好きだったぼた餅を きっと 喜んで食べてくれたに違いない。


私の体調が まだ本調子でないことを見てとった叔母は
今日 それでも 仏前に ぼた餅と花を持って手を合わせにきたことが
よほど 嬉しかったらしい。

夜になって 改めて お礼のメールがきた。

私も 仏壇に手を合わせることができて ずっと気にかかっていたから
気持ちが済んだ。

昨夜から いつになく忙しくして疲れたが それでも
やるべきことがやれて 気持ちはスッキリしている。





昨夜遅くに帰省した次男は 昨日は 取引先へ行っての仕事だったとかで
朝 七時半には 出社したらしい。

時間が気になって 六時過ぎに目覚めてしまった と言った。

だから ご飯を食べてしばらくは 私と なんだかんだ話していたが

もう 寝るわ お風呂は 会社から帰って アパートで入ってきたからいい

そう言って 今日のお昼まで 寝ていた。

久しぶりによく寝た と 言っていたから 一人でアパートにいる休みの日でも
こんなには 寝られないのだろう。

車の定期点検が済んだら その足で アパートへ帰っていく というので
彼が好きなものや昨日買ってきたもの その他いろいろを あれこれと
持ち帰らせるために 荷作りしておいた。

午後の一時に 車屋へ車を預けて それから 次男が好きなトンカツのお店へ
行き 夫と三人で 食事をした。

お昼ご飯を食べるのを我慢していた夫は お腹が空いていたらしく
珍しくご飯をお代わりして食べた。
息子が ご飯やなんやをお代わりするのは いつものことだ。

ゆっくりしていると もう 三時だ。
この時間には 点検が終わっている と 言われていたので 車屋へ向かった。

男の子は アッサリしたものだ。

それじゃあ と言って 点検の終わった車に乗り込むと それで終わり。

細かいことは ラインやメールで伝えるよりない。
まあ 口で言うと うるさく感じるから その方が こちらもいいのだが。

その通り 彼から 着いた と ラインで連絡が入ったから
しっかり栄養を考えて食事を摂るように 風邪をひかないように など
くどくどと ラインで返信した。

彼からは お母さんもね と いつものように返ってきた。

寝るために帰ってきたような 次男の 短い滞在だった。

明日 車の点検があるから と言って 次男が 帰省した。

それも 今日は 仕事があったから 夜遅くになって 帰ってきた。

日中のうちに 次男が ネギや生姜と一緒に煮付けたものが好きなので砂肝と
生姜焼きに と 豚肉やらを 買って来てあったから
それらを調理して 野菜を添えて 遅くからの夕ご飯を食べさせた。

彼の勤務先は 大手企業の下請け会社だ。

土曜出勤は相変わらずらしいが それでも最近は
以前のようには残業がなくなった と言う。

給与は安くても残業代が多くて それで収入のバランスをとっていたのが
この頃は ちょっと生活が苦しくなった とも嘆く。

親ゆえか 三人の子供の中でも この次男のことが
いつも気にかかっている。
末っ子だからかもしれないし 三人のうちで 彼が 一番
収入が少ないからかもしれない。

でも 自分の収入だけで アパート住まいし 車も買って
自活している。

困ることもあるだろうに 偉いなあ と
身びいきで思うこともある。

願うのは 体を壊さないで元気で 仕事にはげんでくれる ことだけだ。

腰に傷みを発症して以来 それまでやっていた習い事も 趣味の会への参加も
ボランティアでやっていたことも すべて辞めざるをえなかった。

強い痛みが 絶えずあることで とても続けられる状況ではなかったからだ。

そのあと 痛みを抱えながらの生活に馴れた頃に
先生が また気ままに通うことを許してくださり 書道にだけ
通い始めたが その他のことは 何もやらないで 今まできている。


自分の中では 痛みを抱えていて何もできない と いうことが
生きていること自体 無意味のように感じて 虚無的な気持ちで
ずっときた。

特にそれまで 自分のための人生 というより 人の面倒をみることが
自分の人生の大部分だったから なんの役にも立っていないことが
一番 悲しくて辛かった。

そんな私の性格や 生きて来方を知っている数少ない友人の一人が
負担にならなくて 家に居て気ままな時にできるボランティアの仕事を
やってみないか と もちかけてくれた。

話を聞くと 好きな分野の仕事で 私でもできそうだ。

ずっと 何か社会とつながる伝を求めてきた私は
やっと ささやかでも 自分にもできることが見つかった気がして
嬉しい。

元気で歩けたり動けたり 車の運転ができたりして
自由に 自分の気持ちや都合で行動できる人には
この気持ちは 決してわからないだろう。

なんの役にも立てない動けない ことは苦しい。

今 ようやく そこに 小さな窓が開いて 吹き込む風を感じている。

叔母からは 以前ほどではないものの それでも 日に 二、三回は 電話がある。

でも最近は 以前と比べたら 声に力が出てきた。

少しずつ 自分を取り戻しつつある と 喜んでいたら
なんと ベッドサイドの畳の上で つまづいて 転んでしまい
肋骨に ヒビが入ってしまった。

近所のかかりつけ医が 日にち薬だから と
何もしてくれなかったらしい。

今日で数日経つが 痛むのだろう。
整形外科にかかって 固定するベルトをもらって着けたら
傷みが 軽くなった と 電話で 言っていた。

私と一緒で ほとんど外出しないで 家の中にいて
多分 テレビを友達に 暮らしているから
足腰が 弱っているせいもあるのだろう。

ベッドにつけている柵で 打ったらしい。

ここ数日は イライラしてしようがない と
電話の向こうで 言っていた。
イライラを向けて 妹さんと 喧嘩になったらしい。

誰も はけ口になってくれない とも言っていた。

テレビ相手では 話ができないから 仕方がない。

でも 私は そんな痛みを 年がら年中抱えて 暮らしているのだ
と 喉元まで出かかるが それを口にしたらおしまいだから
話を聞いて 受け流す。

それにしても やっぱり それはさっき聞いた 昨日も聞いた
ということが 多い。

ひっそりと 認知症が 忍び寄っているのでは と
心配になる。

昨日も今日も 風が強くて 冷たい。

でも 歩いていると 陽射しの柔らかさを感じる。

いつもの散歩道で 今日は メジロ ジョウビタキ シジュウカラ 土鳩 を
見かけた。

この時期 よく晴れた日中 葉っぱを落とした木の梢に シジュウカラが数羽
群れになって 止まっている。
互いに さえずりながら あっちの枝こっちの枝 と 行き来している。

ジョウビタキは いつも一羽だ。
黄色の目立つ羽に 白い輪っかのような模様だ。
これは冬鳥だが 夏鳥にも 同じ種の鳥がいて どちらも この辺りでは
モンツキ と 呼んでいる。

土鳩は 飼い鳩とは 鳴き声が違っている。
ドテッポッポウ と鳴くから 遠くにいても すぐにわかる。
この鳥も いつも一羽でいる。

メジロは 山茶花の垣根で 花の蜜を吸っている。
たいがいは 一羽で行動しているのに よくいる垣根には
数羽で 群れのようになって 来ている。

写真などでは 羽の色が 鮮やかな黄緑色だが
この辺りでよく見かけるメジロは その黄緑が ちょっと濁っている。
でも 小さな目の周りには 確かに白い輪っかがある。

まだまだ 春の花のつぼみはかたい。
咲いているのは クリスマスローズと梅の花だけだ。

そういえば 一昨年だったか 友人二人と 隣市の梅園へ
梅見に行ったなア。

今年は 一人は病んでいるし 私とて 体調がまだ イマイチ。
他県にいる一人だけが あっちへこっちへ と 毎日元気に 忙しそうだ。

この年齢になると 元気で動けるのが 一番だ。

明日も天気はいいらしい。
また 小鳥たちに出会えるか。




今日は 水曜日。

毎週水曜日は 温泉へ行こう 夫との約束だった。

車で15分で行ける場所の リニューアルした温泉を 夫が珍しく気に入って
そう 言い出し 決めた。

なぜ水曜日かというと 水曜日と土曜日は 整形外科が午後休診で
リハビリに行かないから 夫が帰宅後に 時間があるからだった。

それが 私の体調不良が 思いのほか長引いてしまい
もう 長いこと 行けていなかった。

先週の水曜日までは ダメだったが 今日は行ける。

そう思って 私は 午前中から 二人の着替えやタオルなどを準備して
夫の帰宅を 心待ちにしていた。

それなのに 待てど暮らせど 夫は帰らない。

夫が帰ったのは 五時半をとっくに過ぎた頃だった。

その時間になると もう今日は行けないな と 諦めて
私は 夕食の支度にかかっていた。

遅かったねえ 何かあったの?
と 言うと 夫は
床屋へ行ってきた
と ケロッとして言う。

今日は水曜日だから 温泉へ行ける と 待っていたのに・・・

私が言うと 夫は ハッと 今日が温泉へ行く曜日 と 思い出したらしかった。

わかっていることを 何度も言われるのを 夫は嫌う。
だから 今朝も 言わなくてもわかっているだろう と思い あえて 言わなかった。

それが いけなかった。

わかっているだろう と思っても
これからは 口に出して 確認しなくては‼️

ちょっと前までは リビングにある二ヶ所の ガラスの掃き出し窓からは
山の裾野が見えた。

芽吹きどきには 木々のツヤツヤとした若葉
春も本番になると 竹群らからは 瑞々しい筍が生え
初夏になると 木々に絡みついて咲く 見事な藤の花
秋は秋で ナラやシイの木が どんぐりをいっぱいにつけ
色づいた葉っぱを落とした冬には こんもりと 真っ白な雪が覆い

春夏秋冬 居ながらにして 季節の移ろいが楽しめた。

それらの景色が見たさに ここに家を建てたようなものだった。


それが 高速道路の建設工事が進むに連れて
山は日に日に削られて 山肌の黄土色がむき出しになり
それが済むと 山頂に作られるという料金所へ繋がる路が 次第に高さを増し
今では リビングからは 何にもない空の半分しか 見えなくなってしまった。

西日を浴びて 風にはためく洗濯物の向こうには
今も たくさんの重機が その上を行ったり来たり 動いている。

日本でオリンピックが開催される頃には 完成したこの道路を
たくさんの商業車や自家用車が 行き来するだろう。

私たちは 生活の便利さを手に入れるために 目に見えるものだけでなく
目に見えないものまでをも手放しているが
それも ときのうつろい と いうことなのだろう。

便利になれば 誰もが 普通に その便利さを享受しようとする。

今は 新幹線を使って帰省している娘たちも
住まいのすぐ近くの高速に乗れば 高速だけを使って来られるようになる。

その頃には 私たち夫婦は 遠くまで高速道路を使って行くことはできない。

ただ ガラスの向こうを行き来する車を眺めながらの暮らしが
待っているだけだ。


今夜 王子製紙が 五月から トイレットペーパーやテイッシュなどの家庭用の紙用品を
値上げする というニュースを ネットで見た。

大手の会社が 値上げすると 他の会社も 右へならえで 値を上げるだろう。

トイレットペーパーやテイッシュ キッチンペーパーなどは すでに
私たちの生活の中に なくてはならない用品になってしまっている。

税金ばかり高くなって 年金は徐々に減っていくから
生活は 知らず知らずにしんどくなっている。

それなのに 生活に密着した消耗品が値上がりすれば
生活は ますます大変になる。

今までも これらの用品は ネットでまとめ買いしてきたが
値上がりする前に また買っておかねばならなくなった。

おそらく これらの紙製品に続いて ノートや便箋 その他の紙製品も
いつか知らない間に 値が上がっていくに違いない。

紙用品だけならまだいいが この調子で 何でもかんでも値が上がっていくと
年寄りは ますます暮らしにくくなってしまう。

高所得者層は ますます高額で品質の良い品を買い
低所得層は ますます生活が苦しくなっていく

それが 今の日本の現実だ。

福祉だなんだといいながら それを一番必要とする者たちには
その言葉が 一番遠い。

体調が万全でないところに このニュースだ。

春めいて 陽射しが柔らかくなってきて 気分がちょっと良くなってきたのに
いっきに 気持ちが冷めてしまった。

ちょっと前までは リビングにある二ヶ所の ガラスの掃き出し窓からは
山の裾野が見えた。

芽吹きどきには 木々のツヤツヤとした若葉
春も本番になると 竹群らからは 瑞々しい筍が生え
初夏になると 木々に絡みついて咲く 見事な藤の花
秋は秋で ナラやシイの木が どんぐりをいっぱいにつけ
色づいた葉っぱを落とした冬には こんもりと 真っ白な雪が覆い

春夏秋冬 居ながらにして 季節の移ろいが楽しめた。

それらの景色が見たさに ここに家を建てたようなものだった。


それが 高速道路の建設工事が進むに連れて
山は日に日に削られて 山肌の黄土色がむき出しになり
それが済むと 山頂に作られるという料金所へ繋がる路が 次第に高さを増し
今では リビングからは 何にもない空の半分しか 見えなくなってしまった。

西日を浴びて 風にはためく洗濯物の向こうには
今も たくさんの重機が その上を行ったり来たり 動いている。

日本でオリンピックが開催される頃には 完成したこの道路を
たくさんの商業車や自家用車が 行き来するだろう。

私たちは 生活の便利さを手に入れるために 目に見えるものだけでなく
目に見えないものまでをも手放しているが
それも ときのうつろい と いうことなのだろう。

便利になれば 誰もが 普通に その便利さを享受しようとする。

今は 新幹線を使って帰省している娘たちも
住まいのすぐ近くの高速に乗れば 高速だけを使って来られるようになる。

その頃には 私たち夫婦は 遠くまで高速道路を使って行くことはできない。

ただ ガラスの向こうを行き来する車を眺めながらの暮らしが
待っているだけだ。


今夜のおかずは どんな野菜があるか ストックをみると
じゃがいも 玉ねぎ 人参 がある。
人参は 夫が 畑から掘ってきたもので とても甘い。

それに 義弟からもらった鹿肉のミンチがあったから それらで コロッケを作ることにした。

コロッケを作るのは 久しぶりだった。

下ごしらえだけを リハビリに行く前に済ませ 帰ってから 揚げた。

揚げたてのコロッケは 我ながら 下味が良くて 美味しかった。

食べ終えた夫が
久しぶりに 美味しかった
と 言うので

久しぶり『に』って ・・・ちょっとおかしくない?
それだと 普段は 美味しくないみたいに聞こえるけど?

笑いながら そう言うと 夫は
コロッケ『が 』 久しぶりに美味しかった
と 彼も 笑いながら 言い直した。

でも 私は また
それじゃあ いつものコロッケは美味しくない ってことになるよ

と 言い返した。

夫は それでまた
今夜の献立は コロッケだったねえ 美味しかったよ
と 言い直した。

そのあと 二人で 大笑いした。

コロッケも美味しく食したが 夫との こんなたわいない会話が
ずっとできるのが 一番の幸せなんだなあ と
しみじみ思ったことだった。

それにしても 日本語の助詞の使い方は 難しい。
助詞一字で 言いたいことが 相手には まったく違って伝わってしまう。

こうして 毎日のように書く内容も 人の目に触れたとき
誤解をまねかないよう 気をつけなくては と 改めて思う。

東京の娘に女の子が生まれた時 娘が出入りしている呉服店で
孫の初着を誂えた。

京友禅の エッ というほど立派なものだった。

それを仕立て直して 孫は 三歳の七五三にも着た。

次に生まれた孫も女の子だったから 同じ着物で初宮参りをした。

でも その着物はあまりにも立派で ちょっと着せたい ちょっと着たい時に
特に 飲食する場面では 気楽に着せられない と 娘が言うので
昔 娘が着た初着や七五三に着た着物などを 何年か前に 送った。

箪笥の底から出してみると クリーニングして片付けてはあったものの
どれも 経年のシミが浮いていた。

シミはあっても どの着物も 亡母が孫のために誂えてくれた 思い出深いものだから
孫の 普段の遊び着にするには もったいない気がするが
箪笥の底にこのまま置いていても どうしようもない。

孫に と作ってくれた着物を またその子たちが着て楽しむのなら
亡母も 喜んでくれるだろう。

そう思って 東京へ送った。

幼稚園はインターナショナルだが お雛祭りや七夕など お友達同士で着物を着て
集う機会があって 送ってやった着物が 役に立っているらしい。

私が孫に と作った着物も いつか またその子供が着てくれるだろうか。

ハーフの孫たちだから 成人後を どんな国で過ごすのかは わからないが
半分は日本人の血が流れている と 誇りに思ってもらいたい。

それには 日本の民族衣装としての着物が 孫たちの手元にあれば 彼女らの心の中に
母親や祖父母の 自分たちのバックボーンにある 目に見えないものまでもを
忘れずにいてくれる・・・

そんな気がして これからも 孫たちには 着物に親しんでもらいたい
そう バアバは思っている。



夫が使っている いわゆるガラ携の具合が どうも悪くなった というので
写真の画素数も最近のは大きくて綺麗に撮れるし 送られてきた写真も綺麗だから
使用年数も 相当きていることもあって 新しくした。

電話とメールのやりとり 写真が撮れて送受信ができれば それでいい というので
夫は また ガラ携帯にした。
それも 私のとは違って 最新の型ではあるが ザ携帯 といえるものに。

ところが そんな単純な携帯なのに なかなか 使えない。
会社が違うと 操作ボタンの位置ももちろん違うし 手順も違う。

今までは機種が変わっても 同じ会社のものだったから 余計に使いにくいらしい。

機械オンチの私でも パソコンでも携帯でも なんとか我流で 自分なりに使っている。

夫が 新しい携帯の使い方にあんまり困っているから 気分を害さないように
ちょっと やってみようか? と 言って 夫が困っていることを やってみると
なんのことはない サッとできる。

最近 夫と私の間では こんなことが多くなってきたように思う。

その逆に 私が困ることを 夫が難なくこなすこともある。

今回もそんな時も 互いに年をとった と 痛感する。

あれほど感が働いて 機械物に強かった夫だったのに
いつかの 高速道路の方向を間違えたことも そうだ。

老い と呼ぶには まだ早いが
でも 足音は 確実に大きくなってきている。

何事も そのことを頭において 毎日を過ごさなければ
そう しみじみと思わせる 夫の新しい携帯電話 だ。

我が家のキッチンの水栓は 今どき珍しくもないが オールインワンの浄水栓だから
定期的に カートリッジの交換が必要だ。

今の物の交換時期は とうに過ぎている。
それは 承知していたが なんとなく 替えそびれていた。

そのことに ようやく 夫が気づいた。

やっぱりネットで購入するのが 一番手軽で安価だから と
今夜 注文した。

こういうことになると 夫より私の方が 馴れている。
なにせ どこへも出かけないから ほしいものがあると おおかたは ネットで手に入れる。

だから 今回も 夫は おい これこれの型式だから 注文してくれ と言うだけ。

私はというと せっせと調べて 間違いない と思える会社を選び 注文した。

本当に いい時代に生きている。

家に居ながらにして あっと言う間に 買い物ができる。
そして 商品が 二、三日で届く。


でも その便利さの裏には 昨今ニュースになっている 配達員の超過勤務や
手当ての未払いがある。

しかし 問題になっている会社の配達員たちは そんなことは おくびにも出さないで
いつでも キッチリと 淡々と 丁寧に 自分の職分を果たしている。

今までも 配達や集荷の際には 当然 いつもありがとう ご苦労様 は 言ってきたが
彼らが そんなにも 過酷な労働環境にある とは 思ってもいなかった。

客は 迅速さ便利さから利用するが 手当ては言うに及ばず 彼らの労働条件にも
間接的に 責任がある。

多少 今より便利さがそこなわれても 彼らの利を 守ってほしい と思っている。

今日 夫が 勤めの帰りに 長男宅に用事があって寄ると
高校生の孫が 試験期間中で 一人で家にいた という。

それも 試験期間中にもかかわらず 溶連菌に感染していて
テスト勉強も ままならない と 話たらしい。

夜 心配になって 嫁に 電話すると
なんと 下の孫まで感染症になってしまった という。

溶連菌は 感染力が強い。

一家総崩れに ならないよう 願うばかりだ。

今日の午前中のように 気温が上がって穏やかなぬくもりを感じると
どれだけ 咳に悩まされていても さすがに 春の訪れを意識する。

夫は 早くから 畑の草取りに 出かけて行った。
寒さが抜けると とたんに 草がはえ始め 玉ねぎの畝は あっと言う間に
草に覆われているらしい。

雑草は 強い。
生えどきを どうして知るのかわからないが
気温が緩むと いっせいに その生長点が 動き出す。

リビングに入れておいた君子蘭の鉢には 一番多いものは 十一本もの花茎がついて
その一本一本に 二十もの花を咲かせ出した。
一鉢に 二百二十もの花が咲く勘定になる。

鉢も大きくなったからだろうが これほど見事に花をつけたのは 初めてのことだ。

そんな大きな君子蘭の花鉢が 三つも窓際を占領している。

三年越しのシクラメンも花をつけているし
暮れにいただいたシクラメンたちも 元気に咲き続けている。

花も頑張っているのだから しんどい 呼吸が苦しい とばかり言っていないで
せめて 気持ちだけでも 春をめがけて 明るくならなくては。

天気もよかったし 咳が また少し出なくなった。

人との会話の最中での咳き込みも 少なくなってきた。

あと もう少しでよくなる。

そうなったら 真っ先に 美容院へ行こう。

去年の十二月の下旬に 行ったままだから 酷い状態だ。

仕方がないから キャップをかぶって ごまかしている。

アア 早くすっきりしたい。

去年の 今月十一日 叔父が入院 した。

早いもので もう一年が経つ。

怒涛のような一年が あの日 入院した という 叔母からの電話で始まった。

叔母は 未だに 自分の生き方が見出せないでいる。


去年は 偶然に 身近で大切な人を亡くした人が 三人いる。

叔母だけでなく もう一人も 未だに体調が戻らないでいる。

三人は 三人三様の悲しみ方や嘆き方の中で この一年を過ごしてきた。

命 と 思うほどの人が 自分の傍らから消えた時
その事実を どう受け止めて乗り越え 自身のそれからの人生を どう生きていくか

三人を観て 考えさせられる。



毎日 毎日 書くことは同じ。

この シツコイ咳と息苦しさのことしかない。

深呼吸が できない。
胸の筋肉が 痛い。

それでも 確実に いい方向へむかっているのだ と 思いたい。

せっかくここまできたのだから やり直しだけは しないよう
入浴時にも 気をつけなければ。