FC2ブログ

夕方 いつものように 整形外科でのリハビリを終え
帰宅して 夕ご飯の準備をしていると 突然 腰に痛みを感じた。

献立が 鶏肉のスパイシー焼きだったから 台所で立って フライパンの中の 鶏肉の
焼け具合を見ているうちに 痛みが どんどん増してきた。

そして終いには 換気扇のスイッチを切るのに 手を伸ばすことすら できなくなった。
だから 夫に頼んで切ってもらい なんとか夕飯のテーブルについた。

ところが 痛みは激しくなるばかりで 身じろぎをしてさえ
激痛が走る。

多分 気圧の低下に伴って 外気が急激に下がってきたからだろう。
テレビの天気予報によれば 次第に寒くなって
明日は 冬並みの気温になるから 真冬の服装で外出するように と
言っていたから。

なんにしても 痛くて座っていられない。
夫に お風呂から出たら 声をかけて と 言いおいて
早々に夕飯を片付け ともかくベッドで横になった。

横になっても 動くたびに激痛がくる。

昨日は 私の人生の最悪の厄日の一つに当たっていたが
難なく一日を超えられて ホッとしていたところだったのに
まさか 次の日に こんなふうになるなんて‼️

実は 明日は 長男宅の孫たちと約束事がある日なのだ。

明日の朝には この痛みが 弱くなっていることを 祈るばかりだ。



スポンサーサイト



日本は 無茶に始めた第二次世界対戦で完敗し 人も物も 文化さえもなくした。

喪失感や虚無感にひたる間も無く 今日を食べるために生き延び
気づけば 国民総生産が世界一になって 誰もが浮かれ
バブル と呼ぶ時代をむかえていた。

その頃になると 評論家が「国民総白痴」と名づけるほど
日本中が 自分たちの元々の軸を見失っていた。

そして バブルがはじけ 夢から覚めた浦島太郎のように
今 ようやく 日本人とは 日本人の暮らしとは どうあるべきか を
考え始めたように思う。

それも そのきっかけは 海の向こうから投げかけられたものだ。

それは 戦前戦後 バブルの時期も 絶えず あるいは それらの時代を経たからこそ
いっそう磨かれた「食」や 「 旅館やホテルなどの職業としてのサービス ふるまい」が
初めにもたらした。

この二つには 変えようがない「日本の文化」があったからだ。

しかし 戦後七十年も経った現在だから
いくら 文化の高さや日本人が誇りとしてよい気質 を マスコミが声高に叫んでも
実際の生活は にわかには変わらない。

伝えられてこなかったがために「日本の食」は 若い人たちの食卓からは
遠い存在になってしまっているし 「ふるまい」にしても然りだ。
食やふるまいだけでなく 「 衣 」 もそうだ。
今は この国本来のものが 日常から遊離した 特別なもの になってしまっている。


食の貧困 殊に 子供達のおかれている状況を憂慮する人たちが
最近になって 一人二人と 活動を始め その輪が広がりつつあることを
報道を通して知った。
でも 私たち日本人の全てが 日本人とは の答えに落ち着くまでには
まだまだ長い時間が必要だし 国民の総意となるような答えを導き出すのも
これもまた 困難なことである。



浮かれた時代 は 日本だけではなかったらしく
今 世界の いわゆる先進国は 目覚めてハッと気づいたように
反動で 自国の保護へと 流れ出しているようだ。

自国の良さや利を守りつつ 他国の良さや利を認めて付き合うことは
とても難しいことだ。


我が家は バブルにも景気のよさにも 遠く離れたところで生きてきたように思うが
今 経済的には 確かに生き辛くなっている暮らしがある。

日本が世界が これからどうあるべきなのか どの方向へ向かうべきなのか
この我が家の暮らしも その判断に左右される砂つぶの一つなのだろう。

孫たちが成人したころには 「自国の保護」「グローバル化」などという
言葉すらなくなって 世界中が一つになっていてくれたら どんなにいいだろう。

他国の人を家族に迎えているからこそ 日本についてもその文化についても
世界についても 他人よりは 考えさせられる場面の多い 私だ。




咳が治ってからも 美容院で 長時間座っている自信がなくて
「行きたい 行かなきゃ」とは思っていても 今まで 美容院へ行けなかった。

その間にも ますます 染めは取れてくるは パーマっ気はなくなるは
髪は伸びるは で 自分でも あまりにの見苦しさに 薄いキャップを買って
病院へ行く際などには いつも 間に合わせにそれを被って出かけていた。
実際 うなじの伸びた髪などは 束にして結べるほどになっていた。

でも いつまでも そうしてごまかしているわけにもいかず
今日 とうとう 予約の電話を入れた。

そして 午後三時前に 夫に送ってもらって 美容院へ。

通っている美容院の美容師との付き合いは もう 三十年以上になる。
以前は もっと我が家に近い場所で営業していたが
同業者と結婚して 隣市の中心部へ移っていった。

どこの美容院へ通うかは お客の自由だから
その時点で 美容院を変える選択肢もあったが
出身地が近くの町だったこともあって 気心が通じていたし
腕も良かったから 家からは遠くなっても ずっと通い続けている。

久しぶりに行くと 顔を見せなかった期間の長さも さることながら
髪の状態に 美容院で働いている人たちみんなが びっくりしていた。

いつも私がご無沙汰する期間は 体調を崩してのことが多いから
多分今回も・・・と話していたらしい。

髪があまりにも長くなっていたから このままの長さでも悪くないけど・・
と 美容師は言ってくれたが 私は バッサリと短くしたかったので
もったいないくらい短くしてパーマをかけ 染めてもらった。

仕上がった髪の後ろの状態を 鏡で見せてもらうと
あの伸びきって見苦しかった後頭が 自分でも ホウ〜と思うくらい
短くなっていた。
全体が短くまとまって うなじがスースーするような気がするほどだ。

これで 外へ安心して出かけられる。
出かける といっても 私の場合 病院とスーパーくらいのものだが
それでもやっぱり 髪が整うと 気持ちも軽くなる。

ようやく 私にも 春が来た気がする。



今夜 数日前に亡くなった俳優が主演するドラマが 再放送された。

人気のあったシリーズの中でも 一番印象の強かった回を 追悼放送するのだという。

これまでなら そんなに真剣になって視ない夫が 今夜は 自分の椅子を
テレビに近い場所に移してまで 真剣にみいっていた。

耳が遠くなっている夫だから 椅子をテレビに寄せないと 電話がかかってくると
私が相手と話す声で テレビの音が 聞き取りにくくなってしまう。
だから 最近の夫は ちゃんと聞こうとする時には いつもこうする。

ドラマは 面白かった。
亡くなった俳優は 四角い画面の中で 迫真の演技を見せて
生き生きと動いていた。

こんなに元気な姿で活躍していたのに・・・
人の命は わからないものだ・・・。

人気役者が亡くなると たいてい今夜のように その人が活躍するドラマや
映画が 再放映される。
そして 私たちは すでにこの世にはいない人が 元気に活躍している姿を
目の当たりにしながら その人を偲ぶ。

一般の人は そんなことはできないから
これは 亡くなった人が 役者だったからこその
特殊な悼み方 だ。

一般のものもそうできたら どんなにいいだろう。

愛しい人 尊敬していた人 懐かしい人 の 元気だった時の姿に
いつでも会えたら 嬉しいと思う。




昨日は 快晴ではなかったが 洗濯物は完全に乾くほどの天気だった。

それなのに 夕方ごろから なんだか 腰の違和感が強くなって
夕飯が済むころには 強い痛みを感じるまでになった。

雨が近い・・・

夜のテレビは 夫が起きている間は 彼が見たい番組ばかりを 次から次に視て
天気予報をみる間がなかったが 体が「雨」を予感していた。

そして今朝 寝坊して起きてみると やっぱり雨だ。

痛みを抱えるようになってから 雨が降る日は
こんな日はみんなも活発に外で動けない と 思うことで
気持ちが楽になる。

もちろん車のある人は 当然 車で何処へでも動いて行けるわけだから
これはあくまでも 他人が元気に外へ出て動いているのに 自分は動けない
という 私の気持ちの中だけでの慰めに過ぎない。

雨降りだからか 窓の中ほどを行き来する 工事車両の姿も 今はない。

家の中では 夫だけが今日も忙しそうに何かしている音が
二階から聞こえている。





深夜にかかるから なかなか視る機会がないが 好きな番組がある。

月に一度 土曜日の夜 NHKで放送される さだまさしの 生トーク番組だ。

放送は 東京の本局からだけでなく 日本全国にある地方の放送局からの日もある。

今夜が その番組が放送される日だ。

基本的には 全国から番組に寄せられたはがきを さだまさしが読んで
二人の番組関係者や その日のゲストと会話したり コメントしたりする番組だ。

その会話やコメント 聴視者からのハガキの内容が とても面白い。

真面目な内容のこともあるし ゲラゲラ笑ってしまう内容のことも多い。

さだまさし大好きの友人に教えられて視るようになったのだが
なにせ 深夜にかかる番組だから 一人でみているうちに 眠くなってしまう。

今夜の放送終了時間は 三時を過ぎる。

今日も 夫は とっくにベッドへ入って 白川夜船だ。

さてさて 今夜は いつまでみていられるか・・・。

年が改まってから 一度も会えなかった友と 久しぶりに会った。

お昼ご飯を一緒にする約束で 彼女が 迎えに来てくれた。

通りに面している我が家の塀が高くて 車庫から車を出す際 見ずらいから と
夫は 雨水の工事に続いて 隣家との境の塀の一部を 一段低くする工事にかかっている。

そんな夫には 彼の好きなカレーを作っておいて 出かけた。

何カ月も会わなくても なんのこだわりもなく話せるから 友はありがたい。

顔が小さくなったみたい と言う彼女に 単にやつれただけ と言って 笑い合うなど
お昼ご飯を食べた後 場所を変えて 喫茶店で話しているうちに 気づけば
もう 五時半になっていた。

私の心身は 彼女に ずいぶん助けてもらっている。

近年は 体を温める療法 体にいい靴のインソールの作り方 肝臓の検査数値がよくなるように
肝臓の温め などなど たくさんのいいことを教えてもらっている。

それよりもっと前には 体にいいから と シルクパウダーやシルクのズボン下もいただいた。

自らも あまり丈夫でない彼女は 私の体調を いつも気にかけていてくれる。
ありがたいことだ。

今日も 彼女が通っている療法の師が考案した という くつしたを二種類 いただいた。

今日は試せなかったが 明日は 履いてみよう と思っている。
療法の理念を具現化した靴下だから 一日中履くものではない。
二種類を 一日二時間くらいをめどに 履き替えるように といわれた。

私の足に 効きそうな気がして どんな塩梅になるか 楽しみだ。

先日 春分の日に作ったぼた餅もそうだが
一年のうちで これだけは作る と 決めている食がある。

まずは 誰でもが作る おせち
二月の初午の団子
ひな祭りのちらし寿司
春一番に出るふきのとうで作るふき味噌や天ぷら
土手に生えるカンゾウのおひたし
もうすぐ生えてくる蓬を摘んで作る草餅
ホウの若葉を使ってのホウバ寿司

春は 木の芽も野草も 山野の息吹きを感じ そのパワーをいただく。
だから ワラビはもちろん独活やコシアブラなど
たくさんの山野草を 色々にしていただく。

藤の花が咲き始めれば その花でお寿司を作る。

梅がなれば 色々に漬けて加工し 大量の実を処分する。


夏は・・・白玉・・・
夫が 鮎掛けに行けば 釣ってきた鮎を 焼いたりするくらいか・・・
いやいや 畑で採れるブルーベリーでジャムを作り
これも畑のプラムで塩水漬けやシロップ漬けもする。

その他に 夫が何回か行って釣ってくる小鮎を佃煮にしたり天ぷらにしたり。

夏が過ぎて秋になれば 秋刀魚寿司
そして おはぎ
夫と共同で作る栗きんとん

柚子や花梨の実がなれば 焼酎やシロップで漬ける。

それが済むと 私は手を出さないが 夫は 干し柿作り

そして暮れには 飛騨の風習そのままに 塩鰤を焼いたり
年越しのご馳走を。

これらの他に 年間に二、三度のバーベキューがある。
春は必ず 息子の家族とお花見バーベキュー
東京から娘家族が帰省したら 一家揃ってのバーベキューを
桜の下や 我が家の裏庭でする。

絶えず続けてきた食は ざっと思い出すと これくらいか。

思い出すままにでも書き出してみると 案外こまめに 一年中いろいろ作っていることに
我ながら 驚く。

この他にも おはこのように作る鶏めしがあったりもするが
単発的なものも含めて 年中行事にして作る これらの食は
自分だけなら スーパーで買ったりはしても 家では作らないだろう。
家族があってこその 年中行事の食だ。

夫や子供達にも嫁にも 生まれてきた孫たちにも
暮らしの節目節目を意識し 食で季節を感じることを
日本が昔から伝えてきた食を できるだけ伝えたい。

こうしなければ とか こうでなくては とかの
強い気持ちがあって作り続けているわけではない。
生家で亡母がやっていたことを やっているだけだ。

嫁に話したことはないが
私ができなくなったら 今度は 嫁が作り続けてくれたら 嬉しいが
強制できることでもないから
自分が動ける間は 続けられたらいい と 今は 思っている。








吹く風は冷たいが 陽射しは 春を感じさせる。

去年も今頃だったか と 思い出して
隣市にあるお寺の 枝垂れ梅を 夫と見に行った。

ところが 今年は たくさんある梅の木のどの枝も
花が少ない。
一本二本と 枝垂れた枝に ビッシリと花がついている木もあるが
ほとんどの木の枝は 花がまばらだった。

去年 見事な花だったから 夫に 今年も見に行きたい と言って
わざわざ行ったが 不発だった。

でも 枯山水の庭を見ている時 隣の竹やぶの方から
ウグイスのきれいな澄んだ鳴き声を聴いた。
一羽なのだろうが 何度も鳴いた。

帰り 山門をくぐる時には
ヤマガラの 可愛い声も聴こえていた。

お寺が 山辺にあるから
もう少し長く居たなら もっと他の鳥たちの声が
聴けたかもしれない。

それにしても 梅の花は 残念だった。

卒園式が済んで 今日から 夫は 在宅だ。

何年か前に 我が家の汚水は 市の下水道につないだが
雨水は それまで通り 団地の下水道組合独自の下水道に 注ぐようになっている。

夫は この春休みの間に その雨水も 組合の下水道から外して
正式に 組合を脱会する と 言い出した。

でないと 組合の管を使っていないにもかかわらず 来年の四月には
組合の会長の役が 回ってくるからだ という。

それで 夫は 雨水も 組合の管へは流れ込まないよう
ホームセンターで材料を買ってきて 今日 自分で なにやら工事をした。

なんでも自分でやりたい人だから 思いついたら やらずにはいられない。
とはいえ 素人だから できることとできないことがある。
できないことを 無理やりやって できた ことにしてしまうから
やってくれるのはいいが 出来上がりが・・・。

でもまあ なんとか工事が終わったから これで 組合から脱会できる というわけだ。

もうすぐ 組合の総会が開かれるから
夫は その会で 正式に脱会を 申し入れる。