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十一時に叔母宅に着いて叔母を乗せ 以前一緒に行って美味しかった鰻の専門店へと
向かった。

叔母は 多分 叔父が存命中から通っていたお店の鰻のほうが 好みなのだろうが
私が 今日行ったお店の鰻のほうが 焼き加減やタレの味が好きだ と知って
じゃあ そちらのお店へ行こう と言ってくれていた。

十二時前にお店に着いたというのに 店内は テーブル席が一つ空いているだけ。
叔母も私も 畳席がダメだから ラッキーだった。

胃のない叔母は 自分には並みを 私たち夫婦には 特上の鰻丼を頼んでくれた。
そして 肝焼きも一皿。
前回 鰻をご馳走になった時にも やっぱり 肝焼き を頼んでいた。

叔母は 世間で言う いわゆる「ゲテモノ」の類が好物だ。
だから 魚なら カマや頭そして皮 鳥なら軟骨や皮 蜂の子 など
ちょっと変わった嗜好の持ち主だ。

でも 食べる事が大好きな叔母だが 五年前に胃を全摘しているから
一度に食べられる量が決まっている。
だから 毎回 お店でパックをもらい 丼と肝焼きの残りを持ち帰っている。

このお店は ネットで調べても 必ず上位に名前が挙がっている専門店だから
品書きも すべて鰻だ。

そうでなくても値段の高い鰻を こんなにたくさんの人が食べに来ていることに
いつも驚く。

恋人同士 夫婦 幼い子連れ 成人した子供と両親 など 客層は様々。

やがて運ばれてきた鰻丼に載っている鰻の大きいこと 大きいこと!
丼の縁の周囲からはみ出している。
肝吸い 香の物 デザートと一緒に 食べ終えるのが苦しいほどだ。

外側はパリッと中はふっくら このお店の鰻は 宮崎産らしい。
でも 一年の時期によっては 和歌山県からも仕入れる と 前回
ご主人が話してみえた。

大大満足 満腹になって お店を出た。

叔母が デパートで催されている特設会場を見たい と言うので
その後 デパートへ。

叔母と私をデパートの表で降ろして 夫は いったん帰宅。

エレベーターで会場へ上がると たくさんのお客様で どこにどんなお店があるのか
客の背中で見分けられない。

会場内をゆっくり見ながら 叔母のお目当のお店でお目当ての品を購入。

お店を探して歩くのと人の多さに 叔母が疲れてしまい
お茶しましょう ということになって 数階下の茶屋で 喉を潤し一休みした。

ゆっくり休んでから 夫に電話し 迎えを頼んだ。

叔母も私も 久しぶりのデパートと人混みで 正直私も少々疲れた。
午前中からほぼ一日中出かけたのは この前はいつだったかわからないほど
家の中ばかりの生活を送っているからだろう。

その点では 今日一日は 心身を動かすいい機会の一日だった。


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最近の天気が良すぎて 気力も体もついていかない。

庭先にも花鉢にも 様々な花が咲き 春の盛りを誇っている。

しかし 花が咲けば咲くほど 陽気がよければいいほど 逆に気持ちが沈んでいくのは
何故だろう。

健常な人なら ああもしよう こうもしたい と 思ったことを どんどんやっていけるのだろうが
体の悪い者には 気持ちはあっても それが できない。

何もする事がなくても 春真っ盛りの風景の中を 歩くこともできる。
ところが 私は それさえできない。

せめて 車に乗れたなら 遠出して 藤の花や牡丹の花を愛でにも行けるが
それもできない。

こんな具合だから 明日からのゴールデンウイークも
なんの楽しい事のない いつもと変わらない日がやってくるだけの話だ。

夫は 畑に 苗を植えたり草刈りをしたりと やらなければいけない仕事の
リストを作って 待ちかまえている。

明日は 私と一緒で どこへも行けない叔母が 鰻を食べに連れて行ってくれる約束だ。

次男が 日曜日に帰ってくる と ラインで伝えてきたから
彼が家にいたなら 少しは出かけられるかもしれない。

彼の帰宅を待つしかない。
私のゴールデンウイークは せいぜいこんなものだ。

もう十二時をまわったから 昨夜のこと。

よそからいただいたり夫が掘ってきたりしたタケノコを 皮を剥いて茹で刻み
味出しに油揚げやしめじを入れて 混ぜ飯の素を作った。

冷凍しておけば おかずが少ない時に 役に立つ。
なにより 腰痛のひどい時に助かる。

煮上がって熱が冷めたら 保冷袋に小分けしておく。
一袋は長男宅へ もう一袋は 未だに食欲がないらしい叔母へ 世が明けたら
夫に 出勤の途中に届けてもらうよう 準備もした。

一昨日の蕗味噌に続けての 夫の立ち寄りだ。

そんなことをして 後かたずけを終えると 日付けが変わっていた。

夜中になって 一人湯船につかっていると 蛙が鳴いている。

そうだ あと二日もしないうちに ゴールデンウィークがやってくる時節だ。

この休み中に 周辺の農家は 田植えをする頃になっているんだ・・・

なんにもしないうちに 暦だけは どんどん進んでいく。


この四ヶ月 私は何をしただろう・・・

地に足のつかないまま 無駄に時が過ぎていく。
今年も もう三分の一が経ってしまった。

もっとしっかり意識を持った生活を送らねば・・・と お風呂の中で思ったことだ。


高原に山荘を持っている友人が ちょうどいいフキノトウが出ていたから と
とてもきれいなフキノトウを たくさんくださった。
それで 昼間に洗ってゴミなどを取り 水が切れるように ザルに上げておいた。

それを リハビリの帰りに スーパーへ寄り 味噌のパックを三つも買い込んで
買い置きの砂糖や諸々を入れて 細かく刻んだフキノトウを混ぜて 蕗味噌を作った。

我が家にある一番大きな鍋を使っても 縁から三センチまでの量になった。


蕗味噌は いたって簡単に作れるが フキノトウを細かく刻む作業が 私には辛い。
今日のように大量ともなると 台所に立っている時間も長いし 味噌に混ぜて撹拌する時間も
結構かかってしまう。

それでも くださった方は 当然 出来上がった蕗味噌が届くのを楽しみに
フキノトウを わざわざくださったのだし こんなに大量だから 前回届けて
喜んでくださった方々にも またお配りできる。

前回 初めて差し上げて 今までこんなに美味しい蕗味噌 を食べた事がない 両親と三人で
夕ご飯に使ったら いっぺんに半分以上も減ってしまった と嬉しいことを言ってくださり
次の日に 夫にもう一瓶持って行ってもらった経緯のある 夫の勤務先の方にも
今度は 大きなパックに入れて 差し上げるつもりでいる。

また 前回には届けられなかった 彼の方このかたにも 今回は届けられる。

季節外れの蕗味噌を 喜んでくださるに違いない方々の顔を思い浮かべながら作った
季節外れの 大量の蕗味噌である。

私の住んでいる市には 今 密かに静かに 表立たないが 確かに進行している深刻な問題がある。

隣り合う市に ずっと以前から養護施設がある。

その施設が 私の住んでいる市と反対側の市との境の地区に 山を崩して開発された土地に
新しく建物を建て 越して来る・・・

そんな話が私の耳に入ってきたのは 数年も前の 山の開発が始まった頃だった。
日頃 家の中ばかりの私にも伝わったのだから きっと市のほとんどの人の耳に届いていただろう。

そして そのうち 山はどんどん崩されていくのに なんとも気持ちのスッキリしない内容の
噂とも真実とも判断のできない話が聞こえてきた。

でも まだその頃は へえ〜そんなことがねえ〜 くらいの気持ちでしか聞いていなかった。
聞きながら そんなことがあったとしても きっと最後には収まるところに収まるだろうから
という気持ちが強かった。それに そんな話は単なる噂に過ぎないかもしれないし とも
思う気持ちもあって 心に重くは響いていなかった。

今では土地は 山などあったのか という状態になり 開発に着手した当初から
同じ土地に建つ予定になっていた宗教団体の 教会を建てるため基礎工事を始めるべく
囲みがなされ 本格的な建設が始まる事がうかがえるまでになっている。

ところがだ。

噂に過ぎないかも と思っていた事が 実は真実だった。
施設が移転してくることに その地区丸ごとで反対し 署名嘆願書まで提出されているのだ。

教会ならいい しかし養護施設はお断り というのが 地区住民のほとんどの世帯の考えらしい。
そのために 未だ 養護施設は 建設の準備すら始められず 更地のままになっている。

それだけでも そうとう驚いたが 私が一番衝撃を受けたのは
嘆願書の署名には 何人もの元校長や教育委員会の長だった方の名もある ということと
子育て中に親しくお付き合いのあった 有識の方々の名もある ということ 更に驚いたのは
自らも障害児を持ち 30年以上も前から 障害児や障害者の施設建設 授産所の建設 などに
陣頭に立って尽力し それを実現してこられた方も 嘆願書に名を連ねていらっしゃる という
事実にだ。

以前から その方の生き方と功績に感銘し 陰ながら尊敬していた あの方も だというのだ。

本当にショックだ。

人って こんなにも 本音とたてまえが違うものなのか
それが こんなにもむき出しになるものなのか・・・

実際に自分の生活圏に関係するとなると それは困る!と それまで子供達に教え
指導してきたことを かなぐり捨てて 本心のところで 「 反対!」を表に出せる という
ことに 底なしの恐ろしさを感じてしまうのは 私だけだろうか。

だから 施設の建設は 整地が完全に終了しているにもかかわらず 未だ始まらない状況だ。
始まらないのではなく 始められないのだ。

確かに 問題を抱えた児童生徒も 中にはいるかもしれない。
でも 施設で暮らしている子たちが みんな いわゆる 悪い子 ではないだろう。

この事態を 市はどう収めるつもりなのか。
地区から出ている市会議員も 及び腰で この問題に触れないでいる と聞いた。
それほど 地区の意向は強いらしい。

たとえ 地区に強い影響を持つ人が せんを切っての嘆願書であったとしても
署名しなければそれで済むことだろうに それほど 地区のシバリが強くて恐ろしいものだ
ということなのか。



ここには 単に 施設の移転への賛否 ということだけでなく 人の心の底に潜む「差別 」
という 大きな問題が潜んでいるように想う。

人の心の なんと愚かしく哀しいものであることか・・・。

施設の子らの中には このような事態を耳にして
もし移転しても 移転先の学校や地区でいじめられるのではないか
だったら 移りたくない と言い出す子供も出ている と聞いた。

今日 この確かな話を知って 心の底が凍っていくような気持ちになった。

私とて 同じ人間
果たして 彼らと同じ立場や状況下に置かれたら どうなるだろうか。

夫は 確かに学校やクラスは荒れるだろうなあ と 言うのだが・・・。

今の時期 我が家の庭は 一年中で一番賑やかだ。

まず 水仙が咲き始めると いく種類もの植物が 小さな庭のあちこちで花を開く。
小さなトランペットリリーやスノードロップ 夫に繁殖力の旺盛さ故に嫌われるのに
そんなことは我関せずと ヒマラヤユキノシタも あちこちで咲いている。

木立ち性のものは 雪柳や夫が好きな木蓮が終わったと思うや コゴメサクラや白山吹に
牡丹までもが咲き 真っ白な卯の花がたくさんのつぼみをつけ 咲く順番を待っている。
芍薬も 負けじとばかりに小さな蕾をつけているのが見える。

そんな例年の庭が 今年はいっそう賑やかだ。
去年の晩秋 夫が 輸入業を生業にしている父兄から 余ったものだがよかったら と
たくさんのチュウリップの球根を頂いてきた。
そして 私が プランターに植えたらいい と心積りしているうちに
サッサと地植えにしてしまった。
そうするには そこに植わっていて 春になったら芽を出す花もあったのだが
夫にとって 地面の上になにがしかのモノが見られないものは ないに等しいから
当然 踏みつけられむしりとられての結果だ。

そうやって植えられたたくさんのチュウリップが 一度に芽を出し花が開いたから大変。
それまでは 私が好きな地味めの花ばかりだった庭が いっぺんに色とりどりで
花の形も様々なチュウリップが 私たちが主役 とばかりに 黄花ホウチャクソウと
競うように 長い茎を風に揺らしながら咲きはじめた。

残っていた球根のいくつかは 私が二、三のプランターに寄せ植えしたから
その花鉢にもチュウリップが咲き ムスカリやプリムラ バーベナやネメシア ラベンダーなどと
一緒に 色鮮やかに咲いている。

畑仕事も花の世話も 一人前にできなくなって久しい。
だから 庭の植物も 次第に様変わりしてきた。そして今年だ。

出て来るはずだった植物を想うと残念だが それも仕方がない と 最近では諦めている。
どんなものも 花であることに変わりはなく ましてや色鮮やかであるなら それでいい。

私が そんな枝をはって伸びる木蓮など 庭の真ん中にあると 周囲の植物に
日が当たらないから絶えてしまう と 強く言うものだから 夫は 今年の花後の剪定を
思い切り強めにした。それでも 来春までには また伸びていることだろう。

もうすぐ卯の花だけでなくコテマリが咲き 芍薬も開く。
オダマキやモッコウバラ そのそばには つるを伸ばしたクレマチスも たくさんの蕾が
花開く順番を 今か今かと待っている。

ささやかだが 大切な我が家の庭だ。





個人の家庭に代々伝わるものや気に入って買い入れた「お宝」を掘り出す
テレビ番組がある。
扱いや金額相当の「お宝」もあるが 中には ショックなほど価値のない品物もある。

そもそも「お宝」とは 金額をもってそういうのか その家やその人にとって
お金の高低に関係なく大切なものを指していうのか 考え方によって違っている。

また 世評的に価値あるものとして 家宝として何代にも渡って秘蔵されてきた物でも
いざ真の価値は 贋作だったり 作者が違っていたりして 家伝にしては
価値が認められないものだったりするが それでも 家伝の品としては
その事自体が「お宝」ともいえる。

翻って 夫の実家には 家史が長いにもかかわらず 「お宝」と言えるものが
何一つない。
それに比べて 私の実家は分家だったが 父の生家は江戸時代以前からの家系だったし
祖父が骨董や書画が好きで 私の子供の頃 祖父の元へ骨董屋や絵描きさんが
よく出入りしているのを見て育った。

中でも アララギぶんぽうさんが 祖父のお気に入りだったらしく
家の前の道で遊んでいると 駅から歩いて来られる姿を 度々見た。

小柄な方で 白いシャツに乗馬ズボン 革靴を履いて 腰をかがめ
軸が入っているのだろう 細長なものを風呂敷で包んで 片手に抱え
独特な姿で ヒョコヒョコとガニ股で歩いて来られた。

祖父が ・・日にはぶんぽうが来る と 楽しげに話していたことも覚えている。

だから 本家には たくさんのぶんぽうさんの軸があった。

夫から私への結納が実家へ入った日の床間には 本家にあった ぶんぽうさんの
それは見事な鳳凰の軸が掛けられた。

そんなわけだったから 我が家にも 祖父から父へと渡った軸が何本かあったし
あまりに身近にあったものだから 経緯は承知していても 価値 となると
興味もなく 大人になった。

そして 思いがけなくぶんぽうさんの名と絵に会ったのは 結婚後 県の美術館でだった。
県出身の画家の中に ぶんぽうさんの名があり いくつかの作品やデッサンなどが
他の県出身の画家の作品と同じに陳列してあった。

それを見た時 本当にビックリした。
えツ あのぶんぽうさんなの❓との思いと 単に祖父が贔屓にしていた そのへんの画家 では
なかったのか という思いと 懐かしい名に出会った思いとが混じり合って
ガラス越しに作品を観ながら 何故かしら泣けてきてしまった。

実家にあったぶんぽうさんの軸は 他の軸と一緒に 今 我が家にある。

それら 松鶴の図 打ち出の小槌に白鼠の図 の二本や短冊などは
世界的や全国的に有名ではなくても 子供の頃の祖父との思い出や ぶんぽうさんと
祖父に絡んだ思い出があるから 私には 何にも変えられない
大切な「お宝」になっている。


この春 我が家の畑に出たフキノトウで ふき味噌を作った。

ふき味噌は 毎年作って 親しい方にお配りしているが 近年は 我が家のふき味噌を
楽しみに待っていてくださる方が増えている。

作り方は 色々あるのだろうが 私は 誰に教えてもらったわけでもなく
まったくの我流で作る。

今日 そのふき味噌を 作り始めた当初から あなたが作る蕗味噌が一番美味しい と
言ってくれる友人と 半年ぶりに会った。

本当は 作った時に届けるつもりだったのが 自身の体調が悪くて
渡しそびれてしまっていた。
でも 待っていてくれる彼女の分 として とってあった。

それで 彼女に事情を話し こちらへ来られたら寄ってほしい と連絡したところ
私が大学病院へ行く日に 受診の後に会えないか と 言ってきた。

そして ふき味噌を渡しがてら 今日 半年ぶりに会った。

最寄りの駅に併設するカフエで なんやかや互いの近況や家族について
また 共通の知人の消息など 話しているうちに アッという間に時間が過ぎた。

今日 彼女に会ったら どうしても話しておきたいことが 一つあった。
それは 私と彼女を含めた6人で作っている旅の会を 今年から退会したい
という ことだった。

毎年 その年の当番二人が 夏に事前の話し合いをするために
会員を招集する。
その頃を見計らって 当番に気持ちを伝えたい と思っていることを話した。

年々体にかかる負担が大きくなってきていたが 去年は旅の後 特に辛かった。
それを引きずった結果 手術にもなり 免疫力が弱ってインフルエンザにもなり
強いては喘息にまでなってしまった。

それらのことを みんなに理解してもらい 抜けたいのだ と話した。

彼女は 結構顔が広いから 夏までには 今年の当番の二人の耳にも
入るかもしれないが いつも彼女と二人で 順に回ってくる当番に当たってきたから
彼女には 初めに伝えておきたかった。

これまで どうしようかと迷ってきたが これで 後戻りできなくなった。
あとは みんなに認めてもらうよりない。

二十年以上も続けてきた会だから やめる となると ちょっとさみしい。

おそらく これからは こんなことが増えていくに違いない。
それもまた 体のことを考えると 致し方ないことだ。

まずは 体第一 に考えて これからを生きねば。

娘と孫たちが帰って行った翌日の今日は 家の中が やけに静かだ。

絶え間なくおしゃべりしていた下の子の あどけないキンキン声も
軽やかで透きとおったような 上の子の笑い声も
どこからも 聞こえてこない。

そして夕ご飯の時も 夫と二人の食卓は 並ぶお皿の数も少なく
そうでなくても大きいテーブルが より広く感じる。

三人の滞在中には テレビも見る間がなかったが
今夜は 夫の好きな演歌の番組が映っている。

年がら年中同居していれば いつもあんななのだろう。
それに馴れていない夫や私には たまにやって来て賑わしていくくらいが
ちょうどいいのかもしれない。

子や孫は 元気でいてくれて 時々 顔を合わせて楽しく過ごすのが
一番いい。

演歌を聴きながら そんなことを思っている。

娘が 二人の子供を連れて 東京へ戻って行った。

上の孫は 「もっとジイジとバアバのお家にいたいなア」と言いながら 帰って行った。
可愛いことを言ってくれる。

朝 夫が 最寄りの駅まで 送って行った。

サヨナラのハグをした後 乗り込んだ夫の車が去って行くのを見送って 家へ入ると
玄関にあった小さな靴がない。

来た日が雨だったから 三人は長靴を履いて来た。
だから玄関には 三人の靴がたくさん並んでいた。
それが 全部なくなって タタキが急に広くなった。

広くなったのは タタキだけではない。

娘は 慌ただしいなかで リビングや和室に広がっていたおもちゃを片付けていったが
それでも 二つ三つ と 片隅に転がっている。

それがかえって 何か大切なものをなくした時のような 心もとないような
頼りなげな思いを起こす。

夕方 今朝洗ったシーツや干し上がった孫たちの服を 取り込んで畳んでいると
甲高い声で 笑ったり泣いたりしていた様子が思い出されて
自然に 口元が緩む。

いつかは 日本を離れていく娘と孫たちだ。
愛らしい盛りの孫たちの姿を 今こうして見られるだけ よしとしなければ。




上の孫が 今まで通っていたスイミングスクールの経営者が変わったとかで
明日の午後 変わってから初めての教室があるので 休めないから と
娘は 二人の子を連れて 明日の朝 東京へ帰る という。

今夜 二人を寝させてから 娘は荷作りを始めた。

来る前に こちらで準備していたものもあって 荷物は 増えている。
大きなトランクに入りきらないから あとは段ボール箱に詰めて送る と言っている。

長男宅から 使わない? と言って もらった着せ替え人形や 私が買っておいた
二人の孫のお揃いのドレスなどは また来た時に遊びたいから と 置いていくことに。

子持ちは どこへ移動するにも 荷物が大変だ。

来月には 婿の従兄弟の結婚式に出席するために イギリスへ行くらしい。

イギリスは 一年中 本当に寒い。
真夏でも セーターは普通に必要だし 人によっては 分厚い真冬のコートを着ている。

慣れている とはいえ 一家四人分の旅装を荷作りするのは さぞかし大変なことだろう。

娘も若くはない。
私が同じ年齢の時には 長男は高校受験の年だった。
時代が違う とはいえ 体は同じ。
疲れの度合いは 我が子の可愛さの陰に隠れて 感じないようだが
実際のところは かなりのものだ と察する。

二人の娘が成人するまで 元気なママでいてほしい と 願っている。

娘が 午後から 以前に行って楽しかったからまた行きたい
と 上の子供がいうので 近くの市のモールの中にある 遊び場へ連れて行った。

行きは 夫が送って行った。

そして 下の子は というと ちょうどお昼寝の時間に重なったこともあって
私と二人 お留守番だ。

お昼ご飯を食べているうちに 一人減り二人減りして なんだかおかしいな とは
感じていたらしいが ママと姉に ジイジまでが いなくなったことに 不安顔。

そんな様子に気がつかないふりをして 食べ終えさせると うんもすんもなく
二階のベッドへ連れて上がった。

本人は ちょっと半ベソだったが 変わらない私の様子に気持ちを収めたのか
ベッドに寝させて布団をかけ 私も隣のベッドに横になったのを見ると
モゾモゾしていたが諦めて うさちゃんとくまちゃんをギュッと抱いて 眠った。

二時間あまりよく眠ったが それでも 目覚めるや否や やっぱり半べそ。

頼れる者が私一人しかいない と 承知しているのか 私の顔を見るや 笑顔に。

腰が悪いから 抱っこできないので 眠る時も起きた時も 階段は 一人で
ゆっくり 一段ずつ。

腕にウサギとクマのぬいぐるみを抱えているから なかなか大変だ。
私が 持ってあげようか と言っても イイノ と言って 抱えたまま降りた。

下に着くと 夫がいた。

ジイジは よく動いて相手をしてくれるから バアバよりなついている。

それでも 小さな口から出る言葉が理解できないから ジイジも大変。
外を アンパンマンの 三輪車で 一回り。
この三輪車も家にあるおもちゃも みんな 上の子が遊びに来た時用にと
買ってあったもので 三輪車は ここ数年は上の子が使っていなかったので
物置に片付けてあったのを また 今回 引っ張り出した。

おんなじ女の子でも 上と下では 当然ながら 興味が違う。
このアンパンマンの三輪車は 下の子の方が喜ぶようだ。

そんなこんなで 時間をつぶしているうちに 娘と上の孫が帰宅。
新学期が始まった平日だったからか 空いていて 孫は 堪能したらしい。

ママと姉の顔を見たとたん ベッタリで 何かにつけてぐずるのに逆戻り。

そうなると 私なんぞは およびでない。

お風呂に入って眠るまで ママ〜 ママ〜 と グズグズは続いた。

娘の 下の子は とてもおしゃべりさんだ。
でも 悲しいことに というか 気の毒なことに 言葉を覚えたてのカタコトの
おしゃべりなものだから 母親でも なんと言っているのか わからないことがある。

ましてや 年に数回しか会ったことのない夫や私は 何を言っているのか
サッパリ分からない。


彼女は 真剣に話しているのに まったく見当違いのアイヅチを打ったり
要求と違うことをしてあげて 泣かれたり 。

それが 起きている間 絶え間なくかん高い声でおしゃべりが続くから
たまらない。

一人しゃべりならまだしも こちらに話しかけてくるから
そのように相手をしなくてはならない。

そうすると こちらがしたいことや家事が中断してしまって
時間だけが過ぎてしまうことになる。

ところが そんなにおしゃべりなのに はずかしがりやさんなのだから 面白い。

昨日のバーベキューの際にも 急に叔父や叔母 二人の大きな従兄弟が
やってきたからか 顔を見るなり 固まってしまって 突然無口に。

抱っこしたい四人は いらっしゃい と 両手を差し出すのだが
クルッと顔を背けて 母親の胸にピタッとくっついたまま。

それでも おいでよ と 手を出すと 泣き出してしまった。
そして なかなか泣き止まない。
一度泣き出すと 泣き止まないで ずっと泣いたまま。

これには みんな閉口した。

昨夜 夕ご飯を食べて 長男家族が帰って行くと
途端に またおしゃべりが始まった。

その変わりように 夫も私も娘も 大笑い。

自己主張が強くて絶えずおしゃべりしているのに
ちょっと知らない人には 恥ずかしがってしまう その反面さが
可愛いやら 大人は扱いに困ってしまう こまったちゃんだ。

東京の娘と孫たちが帰省する と分かった時に それならみんなでバーベキューをしたら
と 夫が言って その予定だった。

ところが連日雨天で 無理じゃないの と私は思っていたら
なんと 夫は 雨が降ってもやる と言って 昨日から 雨の中でもできるように
椅子やテーブルを出すベランダや 焼く道具などを覆うように
大きなシートを張った。

雨があたらなくても寒かったら困る。
大人はともかく 小さな子や 新学期が始まったばかりの子たちだ。

そんな私の気持ちが天に届いたらしい。

朝 お肉だけは当日に買うように 段取りをつけていたので
スーパーへ出かけたが その頃は まだこぬか雨が降っていた。

でも 長男家族が我が家へやって来る頃になると
雨が上がり 明るくなった空からお日様が照るようになった。

今度は暑くて 雨よけにと夫が準備していたシートを 日よけにするまでになった。

食べ盛りの孫たちも 大好きなお肉でお腹をいっぱいにし
その内の一人は 途中で 塾へと出かけて行った。

毎年何回か こうして家族が集まる。
今回は 婿は仕事で 次男は予定が先に入っていて 二人は来なかったが
みんなが元気で ワイワイ賑やかに 食べたり話したり笑ったりできるのは
なによりの幸せだ。

今 高校生の孫は 幼い従姉妹二人を連れて 近所へ散歩に出かけて行った。

大人たちは のんびりと てんでに話したり居眠りしたり。

世界は緊迫してるが ありがたいことに 我が家は平和だ。

昨日のお昼過ぎに 娘が二人の子供を連れて 帰省した。

上の子供が通っている 日本でいう幼稚園は 6週通ったら一週休み というシステムで
金曜から休みに入っていた。

夫の車から降りた上の子は 車が着くやいなや
「ば〜〜ば〜 こんにちわア〜〜❗️」と 玄関へ飛び込んで来た。
そして 私に抱きつき はぐする。

でも 下の子はまだ1歳だから 来るたび来るたびが初めてのように感じるのだろう。
母親のそばを離れないで 黙ってはにかんでいた。
それでも 母親や姉の言動が いかにも親密そうなものだから すぐになれる。

晴れていたら 畑のまわりに 種がこぼれて咲いている水仙やムスカリ
雑草の踊子草の花などを さっそく摘みに向かうのだろうが あいにくの雨だ。

着替えると 前もって二階から降ろしてあったおもちゃで遊び始めた。

おもちゃ箱を覗き込みながら 下の子も上に負けじと 自分が遊びたい物を
確保する姿が おかしいやら可愛いやらで 思わず笑ってしまった。

4歳離れていると 下の子にとっての姉は 何事についても目標だったりお手本だったり
自分もできないのに 同じことをしたいようだ。

なんでもマネっこで 何がおかしいのか面白いのか 自分では分からなくても
上が笑うと 下の子も同じように笑う。

いつもの 夫と二人の時より一時間以上も早い時間に夕ご飯を食べ 一服する間もなく
今度は 入浴。
これは夫の役目だから 夫が先に入っているところへ 順番に裸にして浴室へ連れて行く。

上の子も まだまだ幼児体型だが 赤ちゃんから抜けたばかりの下の子のお腹は
まるでキューピーちゃん。
フニャフニャしたような二人の湯上がりの肌は 可愛いピンク色だ。

パジャマに着替えて 今度は歯磨き。
これも順番だから その間に 私とボールを転がして遊んだ。
子供と遊ぶのにも エネルギーが要る。
ちょうど良い具合の頃に 歯磨きを交代。

そうして 彼女らは 母親に連れられて 二階の寝室へ。

下の子が生まれてからは 上の子の寝かしつけが楽になった。
疲れていたこともあって 二人は あっという間に寝付いたらしい。

それからあとは 娘が 上の子が通っている幼稚園での出来事などを
面白おかしく話した。
日本の幼稚園ではないぶん 興味深いエピソードも多くて 聞いていて面白い。

さあ 朝になったら 目覚めの早い二人が いの一番に起きてくる。
こちらも そのように構えて 朝の準備をしなくては。

今日から 長男宅の下の孫は 中学生になった。

嫁が入学式会場前で撮った孫の写真をメールで送ってくれた。

学生服を着た孫が 急に大人びて見え 昨日までのあどけなさが
どこへいったか と思うほど凛々しい姿だった。

また 夫も 今日から勤務だ。
今日は 新年度の始業式だった。
在園の 新しく年中と年長になった園児たちが 登園してくる。

春休みの間 時間に左右された暮らしではなかったから
昨夜 夫は冗談に 明日の朝 ちゃんと起きられるか? と 言いながらベッドへ。

そして今朝 目覚まし時計より早く目覚めた夫は 少し緊張した面もちで
園へと出かけxていった。
夫は 年度始めの始業式と入学式には 必ず ピンクか赤のネクタイをする と決めている。
だから今朝の ネクタイは ピンクだった。
すると 明日の入園式は 赤だな?

春休み中 大きな事故もなく 園児たちは元気に登園したようだ。

孫にとっても 老齢ながら元気に勤める夫にとっても
今日から始まった一年が 無事で明るいものになるように と 願うばかりだ。




先日 私が一緒に行けなかった 「 I 市へのお祭り見物と食べ歩き」 の予備日が
今日だった。

だから 孫たち二人は 今日の日中は在宅とわかっていたので
連絡して お花見🌸がてら 一緒にランチを食べよう と 誘った。
二人は喜んでくれた。

先日は お高いバイキングランチだったので 今日は お手頃なバイキングランチ。
この値段でバイキングは なかなかないだろう というレストランがあるホテルへ。

ここは 公務員の団体が母体だからだろう 時間制限もないし
飲み物も税金も込みの料金なのに 値引きクーポンまであるというお値打ちランチ
がいただける。

孫たちは 二人とも食べ盛りだから 食べる食べる!
特に 下の孫は男の子で 竹の子のように身長が伸びている時期にあるから
料理も飲み物もデザートも ランチの終了時間間際まで 二時間の間
ずっと食べ続けていた。

レストランを出てからは 一昨日 夫と行った桜の巨木二箇所を巡ってお花見🌸だ。

一昨日は 満開直前の桜だったのが 鵜飼桜は花吹雪🌸の真っ最中。
風に舞う花びらが 風花が強く舞っているのかと間違うほどだ。

しだれ桜の方は 花弁が舞い落ちる寸前の様相だった。
桜のうちでも しだれ桜が大好き という上の孫は
ウットリと 長く枝垂れ 盛り上がったように 花でいっぱいの木の下で
桜色に覆われた空を眺めていた。

じゃあ帰ろうか と 車に乗り込むと同時に フロントガラスにポツポツと雨粒が。

いいタイミングだったね と 孫たちと話しながら 彼らの家へ送って行った。

孫たちが こんな些細なことなのに 満足して喜んでくれたのが バ〜バは嬉しかった。

お昼ご飯を食べた後 夫と二人 色々な花木や花の芽が出てきた庭を
ベランダに出て 眺めていると ムスカリやチューリップを寄せ植えした花の鉢に
なんと❗️岐阜蝶が飛んできて止まった。

まさかの岐阜蝶‼️

今まで ここらまでは飛んできたことがなかった岐阜蝶だったから
二人ともビックリしたり興奮したり。

近寄っても すぐには飛んでいかない。
すぐそばで写真を撮ってもそれでも止まっている。

思えば 今 工事をしている山際の辺りは 清水が湧き出ていて
湿った場所もあったし カンアオイの群もあった。
それが 掘り起こされ 重機に踏みつぶされてしまったのではないか。

すみかを追われ 帰る場がなくなったから
こうして 我が家の庭にまで 迷い込んできたのではないか。

そう思ったら たった一羽でフワフワと飛んでいる様が
哀れに見えてきた。

これから岐阜蝶はどこへ行くのだろうか。
どこで卵を産み どこでかえるのだろうか。

ショウジョウバカマの群生もなくなり
トンボが生まれ亀が住んでいた池もなくなり
岐阜蝶のすみかもなくなり
私の宝物だった山も植物も小さな動物たちも
高速道路ができることによって みんななくなった。

これらを犠牲にしてまでも手に入れるモノは
はたしてそれだけの価値があるものなのか。

そうでなかったら 失くした命に申し訳ない。

この時期は 夫が家にいてくれるから 助かることが多い。

病院通いが日課の私には 夫の車が不可欠だ。

痛みは 三日間安静にしていたおかげで 最初のようにひどくはない。
でも 動くたびに痛いし 立っていても横になっていても座っていても
何をしていても痛い。

多分 医師にも 安静にしているよりない と言われるだろう。
心配なのは 中が空っぽになっている腰椎二個の 圧迫骨折だが
それなら いくら安静にしていても 激痛は続くに違いない。

今日も 朝早くに 大学病院へ送ってもらい迎えにも来てもらった。

医師の見立ては 想っていた通りだった。
医師も 圧迫骨折が一番心配だから 絶対に重いものを持ったり
無理な姿勢をしたりしないように と 念をおされた。

夫は 私が病院にいる間に 塀の内側の塗装を剥がし 新しく塗り替えた。
去年 家の外壁を塗装した残りの塗料があったので それを塗ったらしい。

帰宅すると 塀の外側は 前に塗り直してあるし 内側も綺麗になって
家全体の雰囲気が とてもよくなっていた。

家も人も 見栄えがすると 格まで上がったような気がするから不思議だ。

病院からの帰り 夫が どこかで弁当でも買って桜を見ながら食べよう と言い出した。

塀も綺麗にし 陽気がいいから 気分が良くて そんな気になったものか
痛い痛いで暮らしている私を想ってのことか まあ どちらもだったのだろう。

途中のスーパーでお弁当を買い 桜の木が多い公園で ベンチに座って食べた。

風もなく気温も上がっていて 公園には 花見客やら子供連れやらが いっぱいだった。
桜は 八分咲きできれいだが この公園の桜は 年を追うごとに 少なくなっているようだ。

少し離れた神社の境内にある 鵜飼桜 と呼ばれる市内で一番の早咲きの巨木は
大きく張った太い枝枝にたくさんの花をつけ 今が見頃 とばかりに咲いている。

せっかくだから もっと見事な桜を見に行こう と 夫は 車を走らせた。

そして着いたところは 私は初めてのお寺。
枝垂れたたくさんの枝枝に花をつけた 見事なしだれ桜の巨木が 山門のきわに。
おもわず ワア〜〜 と 言ってしまう。
遠くからでも目印になるほどだったが 目前にすると
その綺麗さは いっそう際立って 見る者を圧倒する。

これだけの木なのに 名前はつけてないらしく シダレザクラ とだけ書いてある。

この寺の近くはよく通るし 家からでも そんなに遠くない場所にあるのに
今まで見に来なかったことが不思議なほど 見事なしだれ桜の巨木だ。

ここまで来たら もう一件 国の天然記念物に指定されている桜も
見に行ってみよう ということで 行ってみることに。
でも この桜は 他の種類とは違って 咲く時期が遅く まだまだ蕾の状態だった。
この桜は ヤマザクラが突然変異したもので 日本中にこの木しかない という
「中将姫誓願桜」という名がつけられた珍しい桜だ。

以前見に来た時には ヤマザクラだから 葉の方が早く出ていて
八重の ピンクがかった 花弁の先が少し尖ったような 変わった花が満開だった。
この桜にしかない気品と色合いが とても魅力的だった。
樹齢からすると もしかしたら 市内の桜では 一番の古木かもしれない。

こんな具合で 最後の桜は残念だったが それでも前の二本が爛漫に咲く様を
堪能できたからか とても満足な幸せな気分で帰宅したのだった。

薄桃色の見事な桜たち🌸が 痛みから逃れていられる時間をくれ
痛みに負けそうになり 硬くなっていた心を 優しく和らげてくれた。


三日間 安静にしていたら 痛むものの なんとか車に乗り込めるまでになったので
夕方 夫に リハビリに連れて行ってもらった。

一番腕のいいマッサージ師が 先週の金曜日にかかった時に 来週は月曜も来ます と
言ってくれていた。

その人は 通勤に一時間以上もかかる所の人だからか 常勤のようで常勤ではないシフトで
働いているから たいがい月曜は 顔を見せないのだ。

受付で訳を話し その人を名指しでお願いし マッサージしてもらった。

ブロックの後 その周辺の箇所はよくなっていたし 今日も 変に悪くはなっていないから
別の神経か筋 筋肉に痛みが生じている と 言われた。

うつ伏せになって 背中を触ってもらうと 確かに痛んでいる場所が 微妙にちがった。

ある部分がブロックで緩んだから その反動もあるのかも とも言われた。

明日は 大学病院だから 症状を話して 処置をしてもらう。
そして 明日も勤務だと教えてもらったから 夕方 またリハビリに行く。

こんなことの繰り返しが 私の生活なのだから 悩んでみてもしょうがない。
ただただ 毎日 痛みとつきあうだけだ。

横になっていると 痛みは多少やわらぐ。
でも 手洗いに立つと もういけない。

そんな姿勢になりたくなくても 自然に前かがみになってでないと うごけない。

まったく なんでこうなってしまったのか 何が悪かったのか 原因がわからない。

とにかく 痛みがやわらぐまでは こうしてしのぐよりしかたがない。

ア〜〜ア〜〜〜〜😔

嫌になるなア〜〜😭

深夜に座薬まで使ってみたが 今朝になっても 激痛は治らなかった。

行った先のホテルのレストランでは ランチバイキングを 予約してあった。
たまたま今日がその市のお祭りだったし 桜の時期だということもあって
料金も高いランチバイキングだったから 孫たちとの食事を 楽しみにしていた。

孫たちも 昨日からテンションが高いですよ〜 と 嫁からメールもきていた。


それなのに・・・😭😭

夫は 車に乗って行けるようなら ホテルのロビーに座って待っていればいい
と 言ってくれたが その 座っている ことすら この激痛では無理だ。

それで 泣く泣く 今日の孫たちとのお出かけは 諦めた。

万事につけて いつも いつも こうだ・・😔😔

楽しみにしているせっかくの時でも 今回のように 突然の激痛で
ダメになって キャンセルせざるを得なくなるのだ。

普段はできるだけ考えないようにして なんでもないように暮らしてはいるが
今日のようなことが起きると 気持ちが萎えて さすがに落ちこむ。