FC2ブログ

十一時に叔母宅に着いて叔母を乗せ 以前一緒に行って美味しかった鰻の専門店へと
向かった。

叔母は 多分 叔父が存命中から通っていたお店の鰻のほうが 好みなのだろうが
私が 今日行ったお店の鰻のほうが 焼き加減やタレの味が好きだ と知って
じゃあ そちらのお店へ行こう と言ってくれていた。

十二時前にお店に着いたというのに 店内は テーブル席が一つ空いているだけ。
叔母も私も 畳席がダメだから ラッキーだった。

胃のない叔母は 自分には並みを 私たち夫婦には 特上の鰻丼を頼んでくれた。
そして 肝焼きも一皿。
前回 鰻をご馳走になった時にも やっぱり 肝焼き を頼んでいた。

叔母は 世間で言う いわゆる「ゲテモノ」の類が好物だ。
だから 魚なら カマや頭そして皮 鳥なら軟骨や皮 蜂の子 など
ちょっと変わった嗜好の持ち主だ。

でも 食べる事が大好きな叔母だが 五年前に胃を全摘しているから
一度に食べられる量が決まっている。
だから 毎回 お店でパックをもらい 丼と肝焼きの残りを持ち帰っている。

このお店は ネットで調べても 必ず上位に名前が挙がっている専門店だから
品書きも すべて鰻だ。

そうでなくても値段の高い鰻を こんなにたくさんの人が食べに来ていることに
いつも驚く。

恋人同士 夫婦 幼い子連れ 成人した子供と両親 など 客層は様々。

やがて運ばれてきた鰻丼に載っている鰻の大きいこと 大きいこと!
丼の縁の周囲からはみ出している。
肝吸い 香の物 デザートと一緒に 食べ終えるのが苦しいほどだ。

外側はパリッと中はふっくら このお店の鰻は 宮崎産らしい。
でも 一年の時期によっては 和歌山県からも仕入れる と 前回
ご主人が話してみえた。

大大満足 満腹になって お店を出た。

叔母が デパートで催されている特設会場を見たい と言うので
その後 デパートへ。

叔母と私をデパートの表で降ろして 夫は いったん帰宅。

エレベーターで会場へ上がると たくさんのお客様で どこにどんなお店があるのか
客の背中で見分けられない。

会場内をゆっくり見ながら 叔母のお目当のお店でお目当ての品を購入。

お店を探して歩くのと人の多さに 叔母が疲れてしまい
お茶しましょう ということになって 数階下の茶屋で 喉を潤し一休みした。

ゆっくり休んでから 夫に電話し 迎えを頼んだ。

叔母も私も 久しぶりのデパートと人混みで 正直私も少々疲れた。
午前中からほぼ一日中出かけたのは この前はいつだったかわからないほど
家の中ばかりの生活を送っているからだろう。

その点では 今日一日は 心身を動かすいい機会の一日だった。


スポンサーサイト



最近の天気が良すぎて 気力も体もついていかない。

庭先にも花鉢にも 様々な花が咲き 春の盛りを誇っている。

しかし 花が咲けば咲くほど 陽気がよければいいほど 逆に気持ちが沈んでいくのは
何故だろう。

健常な人なら ああもしよう こうもしたい と 思ったことを どんどんやっていけるのだろうが
体の悪い者には 気持ちはあっても それが できない。

何もする事がなくても 春真っ盛りの風景の中を 歩くこともできる。
ところが 私は それさえできない。

せめて 車に乗れたなら 遠出して 藤の花や牡丹の花を愛でにも行けるが
それもできない。

こんな具合だから 明日からのゴールデンウイークも
なんの楽しい事のない いつもと変わらない日がやってくるだけの話だ。

夫は 畑に 苗を植えたり草刈りをしたりと やらなければいけない仕事の
リストを作って 待ちかまえている。

明日は 私と一緒で どこへも行けない叔母が 鰻を食べに連れて行ってくれる約束だ。

次男が 日曜日に帰ってくる と ラインで伝えてきたから
彼が家にいたなら 少しは出かけられるかもしれない。

彼の帰宅を待つしかない。
私のゴールデンウイークは せいぜいこんなものだ。

もう十二時をまわったから 昨夜のこと。

よそからいただいたり夫が掘ってきたりしたタケノコを 皮を剥いて茹で刻み
味出しに油揚げやしめじを入れて 混ぜ飯の素を作った。

冷凍しておけば おかずが少ない時に 役に立つ。
なにより 腰痛のひどい時に助かる。

煮上がって熱が冷めたら 保冷袋に小分けしておく。
一袋は長男宅へ もう一袋は 未だに食欲がないらしい叔母へ 世が明けたら
夫に 出勤の途中に届けてもらうよう 準備もした。

一昨日の蕗味噌に続けての 夫の立ち寄りだ。

そんなことをして 後かたずけを終えると 日付けが変わっていた。

夜中になって 一人湯船につかっていると 蛙が鳴いている。

そうだ あと二日もしないうちに ゴールデンウィークがやってくる時節だ。

この休み中に 周辺の農家は 田植えをする頃になっているんだ・・・

なんにもしないうちに 暦だけは どんどん進んでいく。


この四ヶ月 私は何をしただろう・・・

地に足のつかないまま 無駄に時が過ぎていく。
今年も もう三分の一が経ってしまった。

もっとしっかり意識を持った生活を送らねば・・・と お風呂の中で思ったことだ。


高原に山荘を持っている友人が ちょうどいいフキノトウが出ていたから と
とてもきれいなフキノトウを たくさんくださった。
それで 昼間に洗ってゴミなどを取り 水が切れるように ザルに上げておいた。

それを リハビリの帰りに スーパーへ寄り 味噌のパックを三つも買い込んで
買い置きの砂糖や諸々を入れて 細かく刻んだフキノトウを混ぜて 蕗味噌を作った。

我が家にある一番大きな鍋を使っても 縁から三センチまでの量になった。


蕗味噌は いたって簡単に作れるが フキノトウを細かく刻む作業が 私には辛い。
今日のように大量ともなると 台所に立っている時間も長いし 味噌に混ぜて撹拌する時間も
結構かかってしまう。

それでも くださった方は 当然 出来上がった蕗味噌が届くのを楽しみに
フキノトウを わざわざくださったのだし こんなに大量だから 前回届けて
喜んでくださった方々にも またお配りできる。

前回 初めて差し上げて 今までこんなに美味しい蕗味噌 を食べた事がない 両親と三人で
夕ご飯に使ったら いっぺんに半分以上も減ってしまった と嬉しいことを言ってくださり
次の日に 夫にもう一瓶持って行ってもらった経緯のある 夫の勤務先の方にも
今度は 大きなパックに入れて 差し上げるつもりでいる。

また 前回には届けられなかった 彼の方このかたにも 今回は届けられる。

季節外れの蕗味噌を 喜んでくださるに違いない方々の顔を思い浮かべながら作った
季節外れの 大量の蕗味噌である。

私の住んでいる市には 今 密かに静かに 表立たないが 確かに進行している深刻な問題がある。

隣り合う市に ずっと以前から養護施設がある。

その施設が 私の住んでいる市と反対側の市との境の地区に 山を崩して開発された土地に
新しく建物を建て 越して来る・・・

そんな話が私の耳に入ってきたのは 数年も前の 山の開発が始まった頃だった。
日頃 家の中ばかりの私にも伝わったのだから きっと市のほとんどの人の耳に届いていただろう。

そして そのうち 山はどんどん崩されていくのに なんとも気持ちのスッキリしない内容の
噂とも真実とも判断のできない話が聞こえてきた。

でも まだその頃は へえ〜そんなことがねえ〜 くらいの気持ちでしか聞いていなかった。
聞きながら そんなことがあったとしても きっと最後には収まるところに収まるだろうから
という気持ちが強かった。それに そんな話は単なる噂に過ぎないかもしれないし とも
思う気持ちもあって 心に重くは響いていなかった。

今では土地は 山などあったのか という状態になり 開発に着手した当初から
同じ土地に建つ予定になっていた宗教団体の 教会を建てるため基礎工事を始めるべく
囲みがなされ 本格的な建設が始まる事がうかがえるまでになっている。

ところがだ。

噂に過ぎないかも と思っていた事が 実は真実だった。
施設が移転してくることに その地区丸ごとで反対し 署名嘆願書まで提出されているのだ。

教会ならいい しかし養護施設はお断り というのが 地区住民のほとんどの世帯の考えらしい。
そのために 未だ 養護施設は 建設の準備すら始められず 更地のままになっている。

それだけでも そうとう驚いたが 私が一番衝撃を受けたのは
嘆願書の署名には 何人もの元校長や教育委員会の長だった方の名もある ということと
子育て中に親しくお付き合いのあった 有識の方々の名もある ということ 更に驚いたのは
自らも障害児を持ち 30年以上も前から 障害児や障害者の施設建設 授産所の建設 などに
陣頭に立って尽力し それを実現してこられた方も 嘆願書に名を連ねていらっしゃる という
事実にだ。

以前から その方の生き方と功績に感銘し 陰ながら尊敬していた あの方も だというのだ。

本当にショックだ。

人って こんなにも 本音とたてまえが違うものなのか
それが こんなにもむき出しになるものなのか・・・

実際に自分の生活圏に関係するとなると それは困る!と それまで子供達に教え
指導してきたことを かなぐり捨てて 本心のところで 「 反対!」を表に出せる という
ことに 底なしの恐ろしさを感じてしまうのは 私だけだろうか。

だから 施設の建設は 整地が完全に終了しているにもかかわらず 未だ始まらない状況だ。
始まらないのではなく 始められないのだ。

確かに 問題を抱えた児童生徒も 中にはいるかもしれない。
でも 施設で暮らしている子たちが みんな いわゆる 悪い子 ではないだろう。

この事態を 市はどう収めるつもりなのか。
地区から出ている市会議員も 及び腰で この問題に触れないでいる と聞いた。
それほど 地区の意向は強いらしい。

たとえ 地区に強い影響を持つ人が せんを切っての嘆願書であったとしても
署名しなければそれで済むことだろうに それほど 地区のシバリが強くて恐ろしいものだ
ということなのか。



ここには 単に 施設の移転への賛否 ということだけでなく 人の心の底に潜む「差別 」
という 大きな問題が潜んでいるように想う。

人の心の なんと愚かしく哀しいものであることか・・・。

施設の子らの中には このような事態を耳にして
もし移転しても 移転先の学校や地区でいじめられるのではないか
だったら 移りたくない と言い出す子供も出ている と聞いた。

今日 この確かな話を知って 心の底が凍っていくような気持ちになった。

私とて 同じ人間
果たして 彼らと同じ立場や状況下に置かれたら どうなるだろうか。

夫は 確かに学校やクラスは荒れるだろうなあ と 言うのだが・・・。

今の時期 我が家の庭は 一年中で一番賑やかだ。

まず 水仙が咲き始めると いく種類もの植物が 小さな庭のあちこちで花を開く。
小さなトランペットリリーやスノードロップ 夫に繁殖力の旺盛さ故に嫌われるのに
そんなことは我関せずと ヒマラヤユキノシタも あちこちで咲いている。

木立ち性のものは 雪柳や夫が好きな木蓮が終わったと思うや コゴメサクラや白山吹に
牡丹までもが咲き 真っ白な卯の花がたくさんのつぼみをつけ 咲く順番を待っている。
芍薬も 負けじとばかりに小さな蕾をつけているのが見える。

そんな例年の庭が 今年はいっそう賑やかだ。
去年の晩秋 夫が 輸入業を生業にしている父兄から 余ったものだがよかったら と
たくさんのチュウリップの球根を頂いてきた。
そして 私が プランターに植えたらいい と心積りしているうちに
サッサと地植えにしてしまった。
そうするには そこに植わっていて 春になったら芽を出す花もあったのだが
夫にとって 地面の上になにがしかのモノが見られないものは ないに等しいから
当然 踏みつけられむしりとられての結果だ。

そうやって植えられたたくさんのチュウリップが 一度に芽を出し花が開いたから大変。
それまでは 私が好きな地味めの花ばかりだった庭が いっぺんに色とりどりで
花の形も様々なチュウリップが 私たちが主役 とばかりに 黄花ホウチャクソウと
競うように 長い茎を風に揺らしながら咲きはじめた。

残っていた球根のいくつかは 私が二、三のプランターに寄せ植えしたから
その花鉢にもチュウリップが咲き ムスカリやプリムラ バーベナやネメシア ラベンダーなどと
一緒に 色鮮やかに咲いている。

畑仕事も花の世話も 一人前にできなくなって久しい。
だから 庭の植物も 次第に様変わりしてきた。そして今年だ。

出て来るはずだった植物を想うと残念だが それも仕方がない と 最近では諦めている。
どんなものも 花であることに変わりはなく ましてや色鮮やかであるなら それでいい。

私が そんな枝をはって伸びる木蓮など 庭の真ん中にあると 周囲の植物に
日が当たらないから絶えてしまう と 強く言うものだから 夫は 今年の花後の剪定を
思い切り強めにした。それでも 来春までには また伸びていることだろう。

もうすぐ卯の花だけでなくコテマリが咲き 芍薬も開く。
オダマキやモッコウバラ そのそばには つるを伸ばしたクレマチスも たくさんの蕾が
花開く順番を 今か今かと待っている。

ささやかだが 大切な我が家の庭だ。





個人の家庭に代々伝わるものや気に入って買い入れた「お宝」を掘り出す
テレビ番組がある。
扱いや金額相当の「お宝」もあるが 中には ショックなほど価値のない品物もある。

そもそも「お宝」とは 金額をもってそういうのか その家やその人にとって
お金の高低に関係なく大切なものを指していうのか 考え方によって違っている。

また 世評的に価値あるものとして 家宝として何代にも渡って秘蔵されてきた物でも
いざ真の価値は 贋作だったり 作者が違っていたりして 家伝にしては
価値が認められないものだったりするが それでも 家伝の品としては
その事自体が「お宝」ともいえる。

翻って 夫の実家には 家史が長いにもかかわらず 「お宝」と言えるものが
何一つない。
それに比べて 私の実家は分家だったが 父の生家は江戸時代以前からの家系だったし
祖父が骨董や書画が好きで 私の子供の頃 祖父の元へ骨董屋や絵描きさんが
よく出入りしているのを見て育った。

中でも アララギぶんぽうさんが 祖父のお気に入りだったらしく
家の前の道で遊んでいると 駅から歩いて来られる姿を 度々見た。

小柄な方で 白いシャツに乗馬ズボン 革靴を履いて 腰をかがめ
軸が入っているのだろう 細長なものを風呂敷で包んで 片手に抱え
独特な姿で ヒョコヒョコとガニ股で歩いて来られた。

祖父が ・・日にはぶんぽうが来る と 楽しげに話していたことも覚えている。

だから 本家には たくさんのぶんぽうさんの軸があった。

夫から私への結納が実家へ入った日の床間には 本家にあった ぶんぽうさんの
それは見事な鳳凰の軸が掛けられた。

そんなわけだったから 我が家にも 祖父から父へと渡った軸が何本かあったし
あまりに身近にあったものだから 経緯は承知していても 価値 となると
興味もなく 大人になった。

そして 思いがけなくぶんぽうさんの名と絵に会ったのは 結婚後 県の美術館でだった。
県出身の画家の中に ぶんぽうさんの名があり いくつかの作品やデッサンなどが
他の県出身の画家の作品と同じに陳列してあった。

それを見た時 本当にビックリした。
えツ あのぶんぽうさんなの❓との思いと 単に祖父が贔屓にしていた そのへんの画家 では
なかったのか という思いと 懐かしい名に出会った思いとが混じり合って
ガラス越しに作品を観ながら 何故かしら泣けてきてしまった。

実家にあったぶんぽうさんの軸は 他の軸と一緒に 今 我が家にある。

それら 松鶴の図 打ち出の小槌に白鼠の図 の二本や短冊などは
世界的や全国的に有名ではなくても 子供の頃の祖父との思い出や ぶんぽうさんと
祖父に絡んだ思い出があるから 私には 何にも変えられない
大切な「お宝」になっている。


この春 我が家の畑に出たフキノトウで ふき味噌を作った。

ふき味噌は 毎年作って 親しい方にお配りしているが 近年は 我が家のふき味噌を
楽しみに待っていてくださる方が増えている。

作り方は 色々あるのだろうが 私は 誰に教えてもらったわけでもなく
まったくの我流で作る。

今日 そのふき味噌を 作り始めた当初から あなたが作る蕗味噌が一番美味しい と
言ってくれる友人と 半年ぶりに会った。

本当は 作った時に届けるつもりだったのが 自身の体調が悪くて
渡しそびれてしまっていた。
でも 待っていてくれる彼女の分 として とってあった。

それで 彼女に事情を話し こちらへ来られたら寄ってほしい と連絡したところ
私が大学病院へ行く日に 受診の後に会えないか と 言ってきた。

そして ふき味噌を渡しがてら 今日 半年ぶりに会った。

最寄りの駅に併設するカフエで なんやかや互いの近況や家族について
また 共通の知人の消息など 話しているうちに アッという間に時間が過ぎた。

今日 彼女に会ったら どうしても話しておきたいことが 一つあった。
それは 私と彼女を含めた6人で作っている旅の会を 今年から退会したい
という ことだった。

毎年 その年の当番二人が 夏に事前の話し合いをするために
会員を招集する。
その頃を見計らって 当番に気持ちを伝えたい と思っていることを話した。

年々体にかかる負担が大きくなってきていたが 去年は旅の後 特に辛かった。
それを引きずった結果 手術にもなり 免疫力が弱ってインフルエンザにもなり
強いては喘息にまでなってしまった。

それらのことを みんなに理解してもらい 抜けたいのだ と話した。

彼女は 結構顔が広いから 夏までには 今年の当番の二人の耳にも
入るかもしれないが いつも彼女と二人で 順に回ってくる当番に当たってきたから
彼女には 初めに伝えておきたかった。

これまで どうしようかと迷ってきたが これで 後戻りできなくなった。
あとは みんなに認めてもらうよりない。

二十年以上も続けてきた会だから やめる となると ちょっとさみしい。

おそらく これからは こんなことが増えていくに違いない。
それもまた 体のことを考えると 致し方ないことだ。

まずは 体第一 に考えて これからを生きねば。

娘と孫たちが帰って行った翌日の今日は 家の中が やけに静かだ。

絶え間なくおしゃべりしていた下の子の あどけないキンキン声も
軽やかで透きとおったような 上の子の笑い声も
どこからも 聞こえてこない。

そして夕ご飯の時も 夫と二人の食卓は 並ぶお皿の数も少なく
そうでなくても大きいテーブルが より広く感じる。

三人の滞在中には テレビも見る間がなかったが
今夜は 夫の好きな演歌の番組が映っている。

年がら年中同居していれば いつもあんななのだろう。
それに馴れていない夫や私には たまにやって来て賑わしていくくらいが
ちょうどいいのかもしれない。

子や孫は 元気でいてくれて 時々 顔を合わせて楽しく過ごすのが
一番いい。

演歌を聴きながら そんなことを思っている。

娘が 二人の子供を連れて 東京へ戻って行った。

上の孫は 「もっとジイジとバアバのお家にいたいなア」と言いながら 帰って行った。
可愛いことを言ってくれる。

朝 夫が 最寄りの駅まで 送って行った。

サヨナラのハグをした後 乗り込んだ夫の車が去って行くのを見送って 家へ入ると
玄関にあった小さな靴がない。

来た日が雨だったから 三人は長靴を履いて来た。
だから玄関には 三人の靴がたくさん並んでいた。
それが 全部なくなって タタキが急に広くなった。

広くなったのは タタキだけではない。

娘は 慌ただしいなかで リビングや和室に広がっていたおもちゃを片付けていったが
それでも 二つ三つ と 片隅に転がっている。

それがかえって 何か大切なものをなくした時のような 心もとないような
頼りなげな思いを起こす。

夕方 今朝洗ったシーツや干し上がった孫たちの服を 取り込んで畳んでいると
甲高い声で 笑ったり泣いたりしていた様子が思い出されて
自然に 口元が緩む。

いつかは 日本を離れていく娘と孫たちだ。
愛らしい盛りの孫たちの姿を 今こうして見られるだけ よしとしなければ。