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私や家族のことではない。

友人のことだ。

彼女の身に 彼女の人生で 一番辛くて悲しいことが起こっている。
そして 必死で現実を受け止めて 対処しようとしている。

そのことを 彼女から知らされてから 日記としてブログをあげる気が 起きない。
正直言って 常も眠りが浅いが このごろは もっと浅くなっている。
そんなになっていても どうしようもないことは わかっている。
それでも 彼女の心境を想うと 居ても立っても居られない気持ちになる。

彼女は もっと眠れない夜を重ねているに違いない。

そんな中でも 彼女は 今 彼女にしかできない事をするために 必死に動いている。
今しておかなければならないことをするために だ。

気にかかるから 一昨日 そっとメールしてみた。
そうしたら 気ぜわしく 忙しくて それどころではないだろうに
昨日 彼女は 電話をくれた。

電話の声にも緊張感があって 今は まだ 嘆いている間もない様子が 伝わってくる。

かといって 離れているから というばかりではなく 今は 手伝ってあげられることがない。

近い将来 何か 彼女の手助けができる時が きっとくるだろうから と思って
ただ 見守って 静観するよりない。

よく頑張っているね
辛いでしょうけれど なんとか 乗りきってほしいよ。

耐えられない時には 電話してきてね。
聞いてあげることしか 何にもしてあげられないけれど・・・。
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時は 否応なしに過ぎていく。
人の悲しみや苦しみ 喜びも楽しさにも 知らん顔して 時は移ろってゆく。

しかし 時は 薄情なだけではない。
時は ひとの心を癒してもくれる。

叔父が息をひきとって一年 嘆きから立ち直れなかった叔母にも 一年が経った。

そして この一年の歳月が 大きな喪失感の中にいた叔母に
フラつきながらも 泣きながらも 諦め を受け入れ
それでも生きなければ という思いを 湧きあがらせつつある。

ひとの嘆きや悲しみ その元になった苦悩は 時 でしか解決できない。

叔母も 三回忌がやってくるまでには もっと元気になって
明るい顔になり 自分の人生を生きねば という気持ちが 強くなっていくだろう。

やさしかった叔父の笑顔を思い浮かべ
人工呼吸器につながれた姿を思い出しながら
叔母 息子 私に見守られ 息をひきとっていった姿を思い出しながら
叔父の冥福を 心から祈った。





数日前 私が暮らす市向けのタウン情報誌が ポストに入っていた。
その誌面の中に 過去三回の説明会を開いたが 地区の理解が得られなかったためだろう
法人の施設本体である養護施設の移転 ではなく グループホーム二棟を建設することに
変更したから その件について 四回目の説明会を開く という案内が載った。

そして今日 違うタウン情報誌の中に 同じ内容の文面の 折り込みチラシがあった。

その文中に
「つきましては 広く◾️◾️小学校下で生活してみえる方々の理解をいただき、
皆さまの仲間に入れていただき、家庭に恵まれないこどもの養護に、皆様の
ご支援をいただけますよう、このグループホーム建設について次のとおり
説明会を開催」する とある。

普通 グループホーム というのは 数人の認知症患者が 職員の助けを借りながら生活する
施設のことだ。

それなのに 変更して建設するというグループホームについての説明は一切ない。
にもかかわらず 上記に抜粋した文面が主になっている。

今まで三回も開かれたという説明会 は 当の地区のみを対象とした事で
「校下の皆さま 」を対象とした説明や ましてや このようなチラシなどが
市全体に配布されたことなど 一切なかった。
だから 他の地区に住む者は 施設建設のことも 問題が起こっていることも
問題の経緯もはっきり知らず 噂ていどにしか聞こえてこなかった。

そんな状況下での 苦肉の計画変更を 法人側は
今回 タウン情報誌二誌に 広告やチラシの形をとることによって
養護施設の移転に 如何に反対され苦悩してきたか を
暗に 市民全体あるいは市外へも 広く知らしめたい意向があったのではないだろうか。

そして当初 養護施設の移転計画だったにもかかわらず
同じ法人内の施設とはいえ グループホーム建設へと 変更せざるを得なかった
地域の不理解に対する憤りや悔しさ 哀しさが 文面の裏側に 垣間見られるような気さえする。

私が いつかは国や県から 功績に対して表彰されるだろう と思い 陰ながら尊敬してきた
福祉に対して長年取り組んでこられた方までもが 反対 を表明された 養護施設 とは
それほどまでも 忌み嫌わねばならないものなのだろうか。

一見 穏やかに落着したようにみえる問題だが 法人側からすれば
不完全燃焼の状態であろうことも チラシの文面から読み取れる。


ブログは SNSである以上 不特定多数の人に向けてのものだから
私が どれだけ日記風に書いているにしても やっぱり 日記ではない。

だから 心の中をされけ出したり 本当に思っていることや考えていることなど
真に綴りたいことが書けない。

ずっとそのジレンマに 歯がゆい思いできたが
今夜 その最たることが あった。

本当は そのことについて書きたい思いがあふれていても そのことに触れて書けない。
ただ 心のうちに秘めて悶々とするだけだ。

やっぱり ブログは 軽いおしゃべりの場 だと
今夜ほど 思い知らされたことはない。

ブログって シャボン玉飛ばし のようなものだ。
一瞬 華やかに虹色に輝くから 人目をひくが あっという間に弾けて
跡形もなく 消えてゆくバブルのようだ・・・
ブルグって 虚しい・・・。



今夜 修学旅行のお土産を持って 長男宅の上の孫が 母親と一緒に来ていった。

長崎土産に 福砂屋のカステラを買って来てくれた。

スマホで撮ったたくさんの写真を見せ 行った所所での思い出話をして帰った。

今夜は もういつもの孫だったが 心身ともに疲れ果てた様子で帰宅したらしい。

クラスやグループ内で 気の合うクラスメイトもいなくて なかなか馴染めず
修学旅行中も 気の重いことがあったらしく あまり面白くなかったらしいが
それでも 今の時代はいい。
母親とライン電話をして気を紛らしたりしながら 旅行を終えて帰って来た と言う。

もともと 慎ましやかな子だから 持って行ったおこずかいも 使いきらないで
たくさん残して帰って来たらしい。
おまけに 残して来た金額の中から 私が餞別で持たせた額だけを手元に残し
あとは母親に返した と言う。

残したりしないで いいなぁと気に入った物があったなら 買ってくればよかったのに
本当に欲のない子だ。

こんな性格の孫には かえって なんでも買ってあげたくなる。

日常の中でのものは 息子夫婦が考えてあげるから 私は 日常的でないもの
例えば 着物の類などを と 少しずつ整え始めた。

浴衣や帯 下駄を手始めに 十代のうちに一枚は作ってあげたかった着物や帯など
その年の誕生日に合わせては 届けている。
二十歳には 本格的な振袖を とも 心づもりもしている。

高校生になっても いじらしいほど素直な 私たち夫婦にとっての初孫が
幸せな人生を歩めるように ずっと見守っていきたいものだ。

その初孫の 十七歳の誕生日が もうまもなくやってくる。



また今夜 叔母から電話が入った。

夕方の一回目は ちょうど夕ご飯の支度をしている最中だったから
出られなかった。
すると 今度は 夕ご飯の終わりかけにかかってきた。

電話に出ると いきなり いつもの弱々しい叔母とは違って
テンション高く 怒り口調だ。

何に怒っているのか もしかして 私か夫の何かが気に入らないとか・・・?

「どうしたの・・・なにかあったの・・・?」
勢いにびっくりして おそるおそる聞くと
「アッタマにきたワ〜 もうシラン!!」と 大きな怒り声で返ってきた。

話の焦点がわからなくて 叔母があっちへ飛んだりこっちへ飛んだりしながら話すことを
頭の中で整理しながら聞いていると こうだった。

東京在住の叔母の兄夫婦から 叔父の一周忌法要に 出席する旨の返信がきた。
出席は無理かも と思っていた高齢で病気持ちの兄が 夫婦で来てくれる というので
喜んだ叔母は 兄夫婦の経済的負担を慮って ホテルでの泊まり 鵜飼も観覧させようと
顔のきく友人の手を借りて 安価で手配した。
それを 今夜 フアックスで兄宅へ送ると 兄嫁が もっと安く泊まれるのに と 言って
電話してきたらしい。

ホテルも鵜飼も 料金は叔母が持つから とフアックス で伝えてあるのにも関わらずだ。
その前に 出席のハガキが届いた時点で ありがとうの電話をした際
手配はこちらでしましょうか と言うと 兄嫁から お願いします と言われていたから
友人の手を借りてまで 手配をしたのにも関わらず 兄嫁の言葉に叔母は怒っていたのだ。
おまけに 鵜飼まではいい と言われて 余計に怒っているのだった。


混線している話の中から ようやく叔母が起こっていることの要点がみえてきた。

確かに 叔母の怒りもわかるが 兄嫁も 負担をかけるのは申し訳ない という
気持ちからの言葉であったかもしれないではないか。

でも 腹を立てている叔母は そこまで推し量る余裕をなくしているから
そう私が言っても 叔母の耳には入らない。

電話の最後は 法要当日には 私たちが迎えに行くから また
お寺から食事の場所への移動の際 足のない人は 車で出席した人に
分乗させてもらえるだろうから 前もってタクシーを予約しておかなくてもいい
乗れない人があったら その時にタクシーを呼べばいいから
と できるだけ叔母の気持ちが落ち着くような話をして 少し落ち着かせて
電話を終えた。

人の心は難しい。
言葉は 発した方と 聞いた方とで受け取り方が違うと ズレが生じる。
この ズレ が怖い。

それにしても いつも気弱で 口調ももつれがちな叔母が
あんなに大きな声で ハキハキとした口調で 怒っていたのには驚いた。

このぶんなら 案じたことはない。
以前の叔母に戻るのも 間近だろう。





ブログ というと ソーシャルネットワーキング の最たるもので
本当は他人に向けて書き込むもので それを読んだ 不特定多数の人が
それについての感想なり意見なりを また書き込む という形式が 本来的なものだろう。

おまけに ジャンルが決まっていて その中でランクづけまであり 人気のブログや
有名人のものは そこに金銭まで絡んでくるようだ。

でも 私は 全くそういうことには関心がない。
自分の書いたものが他人と比べられる ということは 自分の考え方や物の見方が
それはいい それはいただけない と 他人に委ねて評価してもらうことのような気がして
なんだか鼻じらんでしまう。

ゆえに 私のは 本来からすると ブログとは呼べないものだ。

それじゃあなんで書くのか というと これは ただ単なる日記 だ。
少なくとも 私本人は そう思ってその日にあったことや思ったことなどを 綴っている。

それに 書く という行為は 考えながら言葉を選び文章にしていかなくてはならない。
埋もれてしまっている語彙の中から 適した言葉を引きずり出して選び 繋げて
意味をなす文章を作っていかねばならないから かなり脳を使う。

それが ひなか一日 一人で家の中にいる私には かなりの脳トレになる。

そんな気持ちで書いているから 写真も載せないし 自然 文章も長い。
時として 自分の内面をさらけ出してしまうような文にもなってしまう。

だから本当は 非公開 にするべきなのだろうが たった数人の友人の
「消息がわかるから」 という言葉で かろうじて 公開 にしてある。

でも そうすると 真に綴りたいことや思いを 書けないことが 間々ある。
これとは別に 紙に書けばいいのだろうが でも それだと 二重手間で面倒だ。

最近 どうしたものか・・・と考えている。








長男宅の上の子が 高校の修学旅行に行っている。

三泊四日の旅程で 九州が目的地。

出かける前々日に我が家へ来た時には 長崎が楽しみ 特にハウステンボスが と
言っていた。
ハウステンボスには一泊するのだ とも言っていた。

帰りがけに 気をつけて行ってらっしゃい 楽しんで来てね と言うと
はあ〜い!帰ったらお土産持って来るから と 笑顔で言って 車に乗り込んでいた。

昨日 知り合いから 生みたての卵をたくさんいただいたので
十個をお福分けして 夫に 長男宅へ届けてもらった。
すると 玄関に出てきた嫁が うかない顔で
修学旅行先から スマホで「帰りたい・・・」と 電話してきた と 夫に言ったらしい。

何があったのか・・・よっぽどのことがあったに違いない。

四月に学年が変わって クラスも新しく編成された。
新しくなったのはいいが 今度のクラスには 一年生の時に同じクラスだった女の子が
一人もいなくなってしまって 他の子は 同じクラスからきた子たちと固まってしまい
自分の居場所がない・・・と 悩んでいることは 以前 嫁から聞いてはいた。

修学旅行は たいていグループでの行動が多い。
一月経って 新しいクラスメートやグループに 少しは慣れて
楽しく通っているのか と思っていたのに どうやら そうではなかったようだ。

孫の年頃でグループからハジカレルのは 苦しい。
決して性格も悪くはないから 単に ヨソモノ的感覚でハジカレているのだろうが・・・。

子供の世界も大人の世界も どのような場所や場面でも こういうことがある。

多分 日にちが経てば 同じような性格の子や 孫と心を通わせられる子が
きっと見つけられるだろうが そうなるのには たった一月 は短すぎた。

高校生活で一番の思い出になる修学旅行が 嫌な記憶だけで過ぎてしまっては
本当に残念だし 可哀想だ。

今夜 帰って来たはずだが どんな土産話を持って 来てくれるやら 気ががかりなことだ。

毎週水曜日には 温泉へ行く

夫と そう決めているが 水曜日は午後のリハビリがない曜日なので
ついつい 用事を入れてしまい なかなか行けない。

今月は 次男が帰省した時に一緒に行っただけだった。
それで 今朝 出かける前の夫に 今日は温泉に行ける? と聞くと 何にもないはずだから行ける
という返事が返ってきたので 夫の分もタオルや着替えを準備して 楽しみに待っていた。

家のお風呂でもいいのだけれど 天然温泉の湯にゆっくりつかると
足や腰には やっぱり効き目があるような気がするから 私としては できる限り行きたい。。

カレンダーにも今日の欄に 用事が書き込んでないことを確認して 夫の返事通りに
今日こそは行ける そう思っていたら なんと 出かける直前に 歯医者からの電話。
今日の五時に予約があったことを 夫がすっかり忘れていたのだった。

また今日もダメかア〜〜 口には出さないが 内心ガッカリしていると
夫は 今から直ぐに歯医者へ駆けつけるか このまま温泉へ行くか ちょっと迷った末に
予約日を変更してくれるようお願いして 今日は 温泉へ行くことになった。
バンザーイ!

この時間に行くと空いていて 幾つもある浴槽に 一人二人しか客の姿がない。
岩盤浴も同じで どの部屋にも 一人二人しか横たわっていないから
どこででも 気持ちもゆったりと入っていられるから嬉しい。

もう少しで行けなくなりそうな 今日の温泉だったが
時間をかけて入った後 気分よく帰ってきた。
行けてよかったア〜。

今日は 大学病院 それも診察は午後の予約。

バスの中から眺める周囲の山々は 今 ツブラジイの花の真っ盛り。
モコモコと盛り上がった黄色い花で 山腹が覆われている。

大学病院に着くと 学内に繋がる道々は ヒトツバタゴの木々が 枝や葉が見えないほど
真白な花に覆われて いつもより大きくなって並んでいた。

いつになく痛みの強い患者が多かった今日の午後は 受診が終わるのが
とても遅くなってしまった。

迎えに来てくれた勤め帰りの夫の車で 自宅へ向かう途中には
畑には 一面枯れ色に近くなった麦の穂が揺れ 山際には これも黄色くなった竹林が
あちこちに点在して 風に揺れている。

今は 私の住んでいる地域で 一番 春の終わりを感じさせる ダイナミックな季節だ。
一年の中で 最も木々の生命力と輝きを感じる情景でもある。

都会に住んでいては 決して見られない 感じられない季節の情景だ。

こんな素晴らしい山々や木々の様を見られる地域で暮らしている幸せを
しみじみと味わいながら 車窓を眺めて帰って来た
日頃の痛みも トリガーの痛さも しばらくは忘れる思いで・・・。

今夜 NHKで 小児集中治療室を 日本で初めて作り全国に広めた 小児科医の番組を観た。

幼い命を救うために奔走する 集中治療室の医師たちの姿に 頭の下がる思いだった。

そして 思い出したことがあった。
「子供の命は 朝露のようなもの だから 特に幼い時は 四六時中 子供の状態に注意して育てよ」

これは 私に子供が生まれた時から ずっと 母が私に言い続けてきた言葉だ。
母は 母も祖母にそう言われて 私と弟を育てたのだ と言っていた。

テレビに映し出される幼子は そんな母の言葉そのものの
今にも消えようとしている儚い姿だった。

朝露のように儚い幼子の命を 消えようとしている小さな命を 医学的な一縷の望みで
この世に止めようと奮闘する医師たちの姿は
機器に囲まれて 弱々しくベッドに横たわる幼子の動かない姿とは対照的で
実に頼もしくうつった。

そして 命を救うために まるで職人のように立働く彼らを 画面で視ながら
世の中には 華々しくはなくても しっかり私たちを守るために
裏方として働く人たちがいる とも思った。
日常からは決して見えない場所で 日夜命を救うために戦っていてくださる人がいる。

命に直結する仕事は 医師だけではない。
人が眠る時間に 安全を守るために道路工事に励んでいる人 線路や橋の強度を確認して歩く人
水道管や下水管 ガス管の点検に歩く人 などなど
地味でも 私たちの生活を支えてくださっている人がいる。

どの仕事も 生活や命を守るために なくてはならないものだ。
でも私たちは ついつい こうした場所で働く人の存在を 忘れがちだ。

高ぶりもせず奢りもせず淡々と 自らの仕事 として 幼子の命のために働く医師の姿に
感動を覚えつつ 他の 目立たない職業について黙々と働いている人たちのことにも
思いを馳せたことだった。

今日は母の日だった。

娘からは 数日前に 綺麗な花鉢が届けられていた。

そして長男は 夕方遅くに家族で来てくれ 軽い布製のバッグと お揃いの小さく畳める傘を
プレゼントしてくれた。

足腰の悪い私には バッグは軽いのが一番 それも肩に斜めがけの。
今 この時期に使っているバッグは たくさんのポケットがあって使い勝手はいいが
入る量が もう少しあるといい と 日頃使いながら思っていたので このバッグは
軽い上にたくさん物が入りそうで 使い勝手もよさそうだから ありがたい。

長男と嫁 高校生の孫の三人は 明後日からの修学旅行に備えて 買い物に行き
下の子の塾が終わるのを迎えに行っての後だったから 皆で 夕ご飯を食べて帰って行った。

お昼ご飯を食べた時間が遅かったから 軽くていい と言っていたが
食べ盛りの中学生を中心に 出したものは見事に平らげて帰った。
いつもは 年寄り二人の細い食欲だから 彼らの食べっぷりが 気持ちいい。

帰り際 修学旅行のおこずかいにと なにがしか準備していたものを 渡した。
中袋の表に 楽しんでらっしゃい と 書いてあるのを見て
孫は おじいちゃんおばあちゃんありがとう 楽しんできま〜す と言って
優しい顔で 嬉しそうに笑っていた。

今回のように 二人のうちの片方にあげる場合 必ず もう一人にも
それより少ない額のおこずかいを あげることにしているから
今日もまた 下の子にも それなりの額を渡した。

今の時代だ この年頃は 欲しいもの 買いたいものがたくさんある。
決してたくさんはあげられないが 買い物の助けになれば と思う。

正直言って 多分 孫たちに渡した金額の方が プレゼントしてくれたバッグの代金より
多くなっただろう。
それでも 互いを いつも気遣っているよ 思っているよ という気持ちや
心の交換なのだから 金額が問題ではない。
私たち夫婦ができるのも せいぜい十年ぐらいのことだ。

今月の末には 上の孫の誕生日がやってくる。
去年は 彼女の希望で プレゼントは 世界中の素敵な図書館の写真集だった。

修学旅行から帰った後 何か欲しいものがあるかどうか 彼女に聞いてみなければ。



今日の午前中はいつもの書道の日。
今月初日の今日は 先々月に提出した書が 昇級したかどうかが分かる日。

毎月初日に先生から新しいお手本をいただくと 昇級していれば 表紙に おめでとう と
先生の字で書いてある。

だから 初日は いつもの練習日より ちょっとワクワクドキドキしながら向かう。

漢字も仮名も 資格取得の分岐点まで昇級してきたから 今は漢字を休んで
好きな仮名を練習しながら 調和体に力を入れている。

この調和体のお手本の書体が そもそも難しくて 始めた当初は手こずった。
それが 毎月毎月練習をしているうちに馴れて 嫌でなくなり
今では面白くなってきたから 不思議だ。
だから ワクワクドキドキは この調和体。

そして今日 いただいた今月のお手本の表紙には おめでとう の文字があった。
ウレシイ!

これで 人知れずライバルと思っている人に追いついた と内心で喜んだのもつかの間
その人の名をお手本で探せば その人も昇級している。
ア〜ア また先に行かれたア〜 でもでも 練習する楽しみがいがあるというもの。

牛や亀のような歩みではあるが 少しずつ少しずつ 上達している。
その証拠に 初めは嫌だった調和体が 最近は馴れてきて 面白い と思えるようになった。

大先生の手になる月々に合った歌人の歌を 先生が 弟子一人一人に書いて渡してくださる。
その和歌自体も興味深く 練習していて難しいけれども 楽しい。

仮名も調和体も まあまあのところまできた最近は 清書して提出するものの他に
一枚を残して それを裏張りして額に入れて楽しみなさい と 先生はおっしゃる。

ようやくそう言っていただけるまでに昇級できてきた ということなのだろう。

とは言っても とてもとても恥ずかしくて 額になど入れて人目には晒されないが
それでも やっぱり嬉しくなる。

先生にいただいた雅号や作っていただいた印を 恥ずかしいと思わないで使える日も
そんなに遠くではなくなったようで それも励みの一つだ。

今日は 夫と 四時過ぎに家を出 長良川畔にある料亭へと向かった。

長良川の鵜飼開きに合わせて 川畔の料亭で催されるコンサートと食事の会に出席するためだ。
会場は 場所も川畔の一等地にあって 普段知事やセレブが出入りする高級料亭だから
コンサートも食事も きっと素晴らしいものだろう と 期待も大きかった。

夫はスーツにネクタイ 私もちょっとおしゃれして出かけた。

この日の聴衆は百人 そして その後 食事になる。

コンサートは 珍しい二十五弦の箏とハープとのコラボで奏でられるものだ。

会場は日本家屋のぶち抜きの座敷に椅子を並べたもので 演奏者と聴衆との距離が
普通のコンサートでは考えられない至近距離だ。

前よりのいい席で聴く二十五弦の箏は迫力があり 大きなハープの演奏も こんなに近くで
聴いたり見たりするのは初めてのこと。

チェロやバイオリンの曲も数曲 今日のために編曲されて演奏された。
また趣が違って響く箏とハープの音色を 雰囲気も一緒に楽しんだ。

眠ってしまわないかと心配していた夫も 演奏に魅せられて 聴き入っていた。
それはそうだろう。
もともとクラッシック好きの夫だし それに こんなに前では眠るどころではない。

演奏の後 場所を二階に移してきょうされた食事は会席で 次々に運ばれ出される料理は
どれもとてもいい味で舌に優しく 美味しかった。

コンサートも食事も 料亭ながら どちらも椅子席になっていたのもよかった。

食事が終わる頃 窓から眺める眼下の長良川では 花火が上がり
篝火を灯した幾そうもの鵜舟と観覧船との総がらみとなり
赤く輝く篝火や鵜匠の鵜を操る声 踊り子たちが舞う音曲 観覧船から起こるどよめき
船頭が竿で船べりをたたく音 それらが一つになって 間近かに響いてくる。

実際に乗船して観るのとは違った 趣のある眺めだ。

夕暮れて墨色の中 赤い篝火や船の灯りが川面に映り 金華山の山頂には
ライテイングされた岐阜城 くらい空には 煌々と朧の丸い月があり
それら全てが 幻想的な一幅の画のように相まって 実に感動的な情景だった。

こんな見事な夜は 一生のうちでもなかなかないだろう。

印象深くて 思い出に残る素敵な夕べだった。

嬉しい夜だった。

昨夜 友人の一人から 私の住む市にある病院へ 検診に行くから会えないか と メールが来た。

彼女は 一年に一度 経過観察の検診に来ているが 私は去年は 叔父の病院へ通うので精一杯で
会えなかった。

二年ぶりに彼女に会う機会だから それでは と 待ち合わせ場所を決めて 今日 出かけて行った。

彼女は 相変わらずの細い姿で 待ち合わせ場所の喫茶店に現れた。

縁あって 彼女の妹さんとも交流があるので 妹さんやお子さん方の暮らしぶりのあれこれや
彼女自身のこと 私のことなど 久しぶりに話した。

彼女は偉い。
大舅大姑と舅姑のある家へ嫁に行き たくさんの親戚の中で 働きながら三人の子を産み育て
今も 市会議員になっているご主人を支えて 市の相談員などをしながら 同居の孫たちや
近くに嫁いでいる娘の孫たちの面倒までみている。
何もせず グズグズしている自分が恥ずかしくなるくらいの働き者だ。
それでいて 彼女の口から 愚痴めいたことは 一度として聞いたことがない。

偉人伝などでなくても 偉い人は身近にもいるものだ。
偉いなあ と思う人は 彼女だけではない。

普段 家の中ばかりで暮らしている身には こうして時々偉い人に会うと
気持ちが 改まる気がする。




昨夜来の激しかった雨に打たれて 真っ白な卯の花の大株が 首を垂れているのが
寝室の小さな窓から見える そんな朝だ。

新聞を取りに外へ出ると 雨は時々ポツリと 落ちてくるだけになっている。
昨日せっかくきれいに掃いた玄関先は 雨にたたかれて落ちたイチイの小さな葉っぱが
まだら模様を作って 貼り付いている。

山茶花が終わると同時に始まった イチイの葉の生え替わりは
山茶花の落花と同じくらい やっかいだ。
それでも この木が邪魔 と思えないのは 私の中にある飛騨の血なのだろう。

ただただ緑のこの木は 飛騨の象徴のようなもの。
飛騨一円の家々の玄関や庭には 必ず植わっている木だ。

家を建てた頃にはもっと植わっていたのが 今ではたった三本になってしまった。
塀に攻められ山茶花に攻められして ようやく残った三本だ。
どれもかたみが狭そうに植わっているが この時季と 赤い小さな実をつける時だけは
ここにいるからね と教えてくれる。

夫の実家にも たった一本だが 庭にある。
結婚当初 長男である夫について実家に入るはずだったから
運び込まれた嫁入り荷物と一緒に めおとのイチイの苗を その家に根付くように と
記念樹として 本家の祖父が持たせてくれた。
が 家を継いで農業をする と言い出した義弟が 夫に代わって家へ入ってから
十年も経った頃だったか 何か両親との諍いの末に 義弟は 庭にあったたくさんの木を
見事に切ってしまった。 それは見事に。
イチイもそのアオリを食って 一本が切られたが さすがに気が引けたのか 一本は残った。

イチイは強い木だ。
だからこそ 雪深い飛騨で 大昔から大切にされてきた。

表立って恋しいとは思わないが 飛騨で生まれ育まれてきたDNAは
確実に 血の中に飛騨がある と思わせてくれる。
その血の中には 祖父母があり父母があり 遠い先祖が 生きている。






今まで ドライで洗濯する衣類は スーパーや薬局で市販されている洗剤で洗える物だけ
家で洗っていた。

夫のスーツや私のよそいきなどの大切な衣類は クリーニング店へ出してきた。

それが先日ひょんな事から スーツや学生服も家庭で洗える洗剤があることを知った。

早速 ネットで調べてみると あった あった。
しかし たかア〜い!
でも 夫と私の衣類をクリーニングに出せば ワンシーズンでこれぐらいはかかる。

迷った末に 思い切って 洗剤と二種類の仕上げ剤のセットを注文した
それが数日前のこと。

連休中にもかかわらず 商品はすぐに届いた。

そして カンカン照りの今日 朝から意気込んで 説明書を読みながら洗濯した。
どれくらい洗浄能力があるのか 宣伝文句通りなのか ちょっと不安があったので
いつもの洗剤でも洗える衣類を 今日は洗ってみた。
洗い上がり干し上がりの差も 確かめたかった。

結果 さすが 高い洗剤だけはある。
最高の仕上がり具合だった。

これなら スーツもネクタイも 家で洗って大丈夫だろう。

今日洗濯した衣類は 一日で乾いた。

明日からは クリーニング店へ出すはずだった 夫の衣類も私のものも
今日のようにして 家で洗うつもりだ。

仕上げにはアイロンがけが必要になるから それが手間だが
クリーニング代のことを思えば なんのその だ。

ただ 今日もそうだったが そうなると 腰が・・・それを覚悟の上でのことになる。

次男が帰って行って なんだか 気が抜けてしまい 今日は 一日中ボオ〜としていた。

次男が家にいた数日間 夫も私も けっこう彼に気を遣って過ごしていたからだろう。

次男は 気難しいところがあるし 上の二人と違い 世間で苦労していることが分かっているから

家に戻って来た時くらいは 彼の思い通りに過ごさせてあげたい
気持ちを解放させてあげたい ゆっくりさせてあげたい

私たち夫婦二人ともが 暗黙のうちに そんな思いでいた。
だから できる限り 彼が好きなものを食べさせて 機嫌よく過ごさせてあげよう と努めた。

その気張りが 彼が帰って行って なくなった。
それは 私だけではないようで 夫も 珍しく家にいて
庭に出て花の世話をするくらいで 何もせず テレビを観たりして一日を過ごした。

休みは明日まで
明後日からは みんな働きに出かける。

次男もまた 明後日から工場へと出かけて行く。

遅刻をしないで 病気をしないで 毎日元気に働けますように。

いい天気の午後 次男は お昼ご飯をそそくさと食べ終え 慌ただしく 家を出て行った。

車のミラーを修理してもらう約束を 車屋としてあったので 約束の時間に間に合うようにと
出て行った。
そして今 アパートへと帰る途中だと ラインで知らせてきた。

娘は 家族で 伊豆へ行っているらしい。
下の娘が 波を怖がって シートの上で じっと座ったままだ と その様子を 写真で送ってきた。

長男も 家族で中山道を訪ねているらしく 上の孫から 道端で目にした花の名を聞いてきた。

夫と私は 次男が帰った後の寝具類のカバーなどを洗濯機にかけたりして
このいい天気を 家にいて 使っている。

次男が家にいた間 遠出はしなくても 四回の外食や買い物や温泉 と けっこう動いた。
家での食事も 彼が好きなものをと 心を配った。

ジジババの 今年の連休は このまま なんのこともなく終わりそうだ。

地方や地域 地区は その土地独特の気質を育む。

古い伝統が色濃く残る土地ほど それは 今も顕著だ。

よくいわれるのが 京都だ。
京都の人は 腹の中と口にする言葉が反対だ と いわれる。

高山も 似たようなところがある。
文化圏で考えると 高山は 昔から京都と縁が深いからだろう。

子供の頃 母からよく 人の言葉を真に受けてはならない と言われた。
例えば その家の子が いつも夜遅くまで起きているとする。
それを 誰かが えらいねえ目がかたいねえ と褒めたとする。
が それは褒め言葉ではなくて 子供のくせに夜更かしして と
あんに批判されている ことを意味している。

また ある家にお邪魔したとする。
想わぬ時間が経ってしまった時に 帰ろうとしたら
いいではないか ご飯でも食べていってよ と その家の人に
引き止められても 言葉通り居続けてはいけない。
それは もう帰ったら というのが 本当の腹の中 などなど。

人の言葉には 本音と建て前があるから よくよく言動に注意せよ
と 母は 教えたかったのだろう。

高山で生まれ育った母は 自分を厳しく律して生きた祖母に育てられたからか
高山人 としての気質が強かったように思われる。

こういう気質だから 嫁いだ先の気質に 母はなかなか馴染めなかった。
地域で言えば一括りされても 私が生まれ育った所とは
微妙に気質に違いがあるからだ。

特に母の場合は 芋づるのように繋がり 血縁が網目のようになっている中で
自然に育まれてきた 私の生家の親戚縁者の気質が 容易に受け入れられなかった
ことが 大きかった。

それほど 気質 というのは難しいものだし 時代を経ても消えるものではない。

今回の一ノ宮の大祭にしてからが 面倒で大変なことではあっても
やらなければならない という 飛騨人の律儀さや 真面目さに支えられてのことだ。
そこには それを支える誇りも大きいだろう。
だからこそ 何百年も何千年も続いてきた伝統のお祭りだ。

高山は ヨソモノには住みにくい といわれる。
高山だけでなく その土地が大昔から育んできた諸々や気質を理解できないと
どこに住んでも馴染めない ということなのだろう。

古い伝統文化が色濃く残っている土地ほど それはいえる。


飛騨では 五十年に一度の 飛騨一ノ宮水無神社での大祭が 今 行われている。

この大祭には 飛騨一円すべての 大小様々な神社が 水無神社へと お祝いに駆けつける。

本元の水無神社はもちろん この日に備えて 何年も前から 一ノ宮中の
神社に関わる家々が 古老からの話や五十年前の大祭で残された書き付けなどをもとに
この 神社にとって一番の大行事を 滞りなく執り行えるよう 心血を注ぐ。

飛騨一円の神社をお迎えし もてなす側だから 儀式に備えてや段取りやもてなし方など
覚えねばならないことや心配りは そうとうなものだろう。
なにせ 前回が五十年前のことなのだから。

またおそらく 関係者は 何日も勤めを休まなくてはならない。
大祭の期間中は 一ノ宮地区全体が そのような状況にならざるを得ないだろう。

お祝いに駆けつける側の神社とて その準備は大変なものだ。
古くなった道具や衣装を新調したりして 祭り行列に参加する人たちもまた
何年も前から 大祭に向けて物事を運ぶ。

そういう大変な思いをして迎えた大祭が いい天気に恵まれたことを
祭りに関わったすべての飛騨人が 喜んでいるに違いない。

かすかに残っている五十年前のことを そういえば ああだった などと
当時の父母の会話や様子を 新聞に大きく載った写真や記事
テレビに流れる映像を観ながら 思い起こしている。

連休の間の今日は いつものように 大学病院の麻酔科の受診日だった。

昨日も今日も 夫は暦通りの出勤だったから 朝 夫の車に乗って出かけた。

先月の二十八日は 私たち夫婦の結婚記念日だった。
夫と 連休に次男が帰省したら 一緒にご飯を食べに行こう と予定していた。

ある店舗から 記念日サービスのハガキがきていたからだ。
大食漢の次男には もってこいのお店だったので 夫は ちょうどいい と言っていた。

今日 私が病院へ行く日だから それに合わせて待ち合わせて 夕方 食事した。

待ち合わせまでの時間は 久しぶりに 駅舎の中でつぶした。

図書館や書店は どれだけ時間があっても持て余すことがない 大好きな場所だ。

このところ なかなか図書館へ寄れなかったので 今日は思う存分本に触れて 満足満足。

三人での食事も 時間が中途半端だったからだろうか 店内は静かで 会話しながら
ゆっくり落ち着いて食事ができた。

次男も歳をとり 世間で苦労してきたからだろう 若い頃を思うと ずいぶん落ち着いてきた。
人付き合いが下手な彼には 世渡りは難しかろう。
それでも 生きていくためには 彼なりに頑張って生きていくよりない。

私たち夫婦の結婚記念日の食事会 というよりは 次男のための頑張れ会 のような
願いを込めた 今夜の食事会だった。

今日は 午前中に夫が畑へ出かけ 午後には 次男と一緒に 高速道路の工事を 俯瞰して見てみたい
と 二人で 山の尾根へ登った。

そこからだと 高速道路の橋桁の連なりがひと目で見られ どこへつながって伸びているのかが
はっきりと眺められる。

戻って来て 撮ってきた写真を見ると 橋桁が まるで ドミノのようにきれいに並んで
遥か向こうの山裾まで連なっているのが よくわかった。

向こうの山も トンネルが掘り始められているのまで 写真には写っている。

家の周囲の工事の進捗状況は 日々の変化でよくわかるが こうして俯瞰写真を見ると
高速道路がどのようにどこへ伸びていくのかが理解できる。

夫と次男が登った場所は 来年も登れるだろうか。
そして 工事の全体は どれくらい進んでいるだろうか。

環境は どんどん変わっていく。


連休の間の今日は いつものように 大学病院の麻酔科の受診日だった。

昨日も今日も 夫は暦通りの出勤だったから 朝 夫の車に乗って出かけた。

先月の二十八日は 私たち夫婦の結婚記念日だった。
夫と 連休に次男が帰省したら 一緒にご飯を食べに行こう と予定していた。

ある店舗から 記念日サービスのハガキがきていたからだ。
大食漢の次男には もってこいのお店だったので 夫は ちょうどいい と言っていた。

今日 私が病院へ行く日だから それに合わせて待ち合わせて 夕方 食事した。

待ち合わせまでの時間は 久しぶりに 駅舎の中でつぶした。

図書館や書店は どれだけ時間があっても持て余すことがない 大好きな場所だ。

このところ なかなか図書館へ寄れなかったので 今日は思う存分本に触れて 満足満足。

三人での食事も 時間が中途半端だったからだろうか 店内は静かで 会話しながら
ゆっくり落ち着いて食事ができた。

次男も歳をとり 世間で苦労してきたからだろう 若い頃を思うと ずいぶん落ち着いてきた。
人付き合いが下手な彼には 世渡りは難しかろう。
それでも 生きていくためには 彼なりに頑張って生きていくよりない。

私たち夫婦の結婚記念日の食事会 というよりは 次男のための頑張れ会 のような
願いを込めた 今夜の食事会だった。

今日は お昼ご飯を 次男が好きなお店で食べ 彼のために 仕事着の新しいのを買ったりして
家へ戻った。

しばらく休んでから シチューがいい というので 食材を準備し下ごしらえを済ませて
帰宅した夫の車で いつものようにリハビリに向かった。

医院に着いて車を降りようとすると フロントガラスすれすれに ツバメがよぎった。

毎年 医院の車寄せの 柱と天井のつなぎめに 巣を作る。
そして 上手に雛をかえす。
それも 二回もだ。

あゝ また今年もやって来たんだねえ〜遠くからご苦労さま
鳴き声を聞きながら 医院のドアを開けて入った。

受付で もうツバメが来ていますね〜 と カウンター越しに言うと
そうなんですよ 今年も上手にかえすといいですよね〜 と 笑顔で返ってきた。

ツバメの滞在中は 巣の下の掃除が大変だろうに
そんなことにはまったく触れず そう言って返す医院の人たちの なんとやさしいことか。

そんな医院へ通っている私は幸せだ と つくづく思った。