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私や家族のことではない。

友人のことだ。

彼女の身に 彼女の人生で 一番辛くて悲しいことが起こっている。
そして 必死で現実を受け止めて 対処しようとしている。

そのことを 彼女から知らされてから 日記としてブログをあげる気が 起きない。
正直言って 常も眠りが浅いが このごろは もっと浅くなっている。
そんなになっていても どうしようもないことは わかっている。
それでも 彼女の心境を想うと 居ても立っても居られない気持ちになる。

彼女は もっと眠れない夜を重ねているに違いない。

そんな中でも 彼女は 今 彼女にしかできない事をするために 必死に動いている。
今しておかなければならないことをするために だ。

気にかかるから 一昨日 そっとメールしてみた。
そうしたら 気ぜわしく 忙しくて それどころではないだろうに
昨日 彼女は 電話をくれた。

電話の声にも緊張感があって 今は まだ 嘆いている間もない様子が 伝わってくる。

かといって 離れているから というばかりではなく 今は 手伝ってあげられることがない。

近い将来 何か 彼女の手助けができる時が きっとくるだろうから と思って
ただ 見守って 静観するよりない。

よく頑張っているね
辛いでしょうけれど なんとか 乗りきってほしいよ。

耐えられない時には 電話してきてね。
聞いてあげることしか 何にもしてあげられないけれど・・・。
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時は 否応なしに過ぎていく。
人の悲しみや苦しみ 喜びも楽しさにも 知らん顔して 時は移ろってゆく。

しかし 時は 薄情なだけではない。
時は ひとの心を癒してもくれる。

叔父が息をひきとって一年 嘆きから立ち直れなかった叔母にも 一年が経った。

そして この一年の歳月が 大きな喪失感の中にいた叔母に
フラつきながらも 泣きながらも 諦め を受け入れ
それでも生きなければ という思いを 湧きあがらせつつある。

ひとの嘆きや悲しみ その元になった苦悩は 時 でしか解決できない。

叔母も 三回忌がやってくるまでには もっと元気になって
明るい顔になり 自分の人生を生きねば という気持ちが 強くなっていくだろう。

やさしかった叔父の笑顔を思い浮かべ
人工呼吸器につながれた姿を思い出しながら
叔母 息子 私に見守られ 息をひきとっていった姿を思い出しながら
叔父の冥福を 心から祈った。





数日前 私が暮らす市向けのタウン情報誌が ポストに入っていた。
その誌面の中に 過去三回の説明会を開いたが 地区の理解が得られなかったためだろう
法人の施設本体である養護施設の移転 ではなく グループホーム二棟を建設することに
変更したから その件について 四回目の説明会を開く という案内が載った。

そして今日 違うタウン情報誌の中に 同じ内容の文面の 折り込みチラシがあった。

その文中に
「つきましては 広く◾️◾️小学校下で生活してみえる方々の理解をいただき、
皆さまの仲間に入れていただき、家庭に恵まれないこどもの養護に、皆様の
ご支援をいただけますよう、このグループホーム建設について次のとおり
説明会を開催」する とある。

普通 グループホーム というのは 数人の認知症患者が 職員の助けを借りながら生活する
施設のことだ。

それなのに 変更して建設するというグループホームについての説明は一切ない。
にもかかわらず 上記に抜粋した文面が主になっている。

今まで三回も開かれたという説明会 は 当の地区のみを対象とした事で
「校下の皆さま 」を対象とした説明や ましてや このようなチラシなどが
市全体に配布されたことなど 一切なかった。
だから 他の地区に住む者は 施設建設のことも 問題が起こっていることも
問題の経緯もはっきり知らず 噂ていどにしか聞こえてこなかった。

そんな状況下での 苦肉の計画変更を 法人側は
今回 タウン情報誌二誌に 広告やチラシの形をとることによって
養護施設の移転に 如何に反対され苦悩してきたか を
暗に 市民全体あるいは市外へも 広く知らしめたい意向があったのではないだろうか。

そして当初 養護施設の移転計画だったにもかかわらず
同じ法人内の施設とはいえ グループホーム建設へと 変更せざるを得なかった
地域の不理解に対する憤りや悔しさ 哀しさが 文面の裏側に 垣間見られるような気さえする。

私が いつかは国や県から 功績に対して表彰されるだろう と思い 陰ながら尊敬してきた
福祉に対して長年取り組んでこられた方までもが 反対 を表明された 養護施設 とは
それほどまでも 忌み嫌わねばならないものなのだろうか。

一見 穏やかに落着したようにみえる問題だが 法人側からすれば
不完全燃焼の状態であろうことも チラシの文面から読み取れる。


ブログは SNSである以上 不特定多数の人に向けてのものだから
私が どれだけ日記風に書いているにしても やっぱり 日記ではない。

だから 心の中をされけ出したり 本当に思っていることや考えていることなど
真に綴りたいことが書けない。

ずっとそのジレンマに 歯がゆい思いできたが
今夜 その最たることが あった。

本当は そのことについて書きたい思いがあふれていても そのことに触れて書けない。
ただ 心のうちに秘めて悶々とするだけだ。

やっぱり ブログは 軽いおしゃべりの場 だと
今夜ほど 思い知らされたことはない。

ブログって シャボン玉飛ばし のようなものだ。
一瞬 華やかに虹色に輝くから 人目をひくが あっという間に弾けて
跡形もなく 消えてゆくバブルのようだ・・・
ブルグって 虚しい・・・。



今夜 修学旅行のお土産を持って 長男宅の上の孫が 母親と一緒に来ていった。

長崎土産に 福砂屋のカステラを買って来てくれた。

スマホで撮ったたくさんの写真を見せ 行った所所での思い出話をして帰った。

今夜は もういつもの孫だったが 心身ともに疲れ果てた様子で帰宅したらしい。

クラスやグループ内で 気の合うクラスメイトもいなくて なかなか馴染めず
修学旅行中も 気の重いことがあったらしく あまり面白くなかったらしいが
それでも 今の時代はいい。
母親とライン電話をして気を紛らしたりしながら 旅行を終えて帰って来た と言う。

もともと 慎ましやかな子だから 持って行ったおこずかいも 使いきらないで
たくさん残して帰って来たらしい。
おまけに 残して来た金額の中から 私が餞別で持たせた額だけを手元に残し
あとは母親に返した と言う。

残したりしないで いいなぁと気に入った物があったなら 買ってくればよかったのに
本当に欲のない子だ。

こんな性格の孫には かえって なんでも買ってあげたくなる。

日常の中でのものは 息子夫婦が考えてあげるから 私は 日常的でないもの
例えば 着物の類などを と 少しずつ整え始めた。

浴衣や帯 下駄を手始めに 十代のうちに一枚は作ってあげたかった着物や帯など
その年の誕生日に合わせては 届けている。
二十歳には 本格的な振袖を とも 心づもりもしている。

高校生になっても いじらしいほど素直な 私たち夫婦にとっての初孫が
幸せな人生を歩めるように ずっと見守っていきたいものだ。

その初孫の 十七歳の誕生日が もうまもなくやってくる。



また今夜 叔母から電話が入った。

夕方の一回目は ちょうど夕ご飯の支度をしている最中だったから
出られなかった。
すると 今度は 夕ご飯の終わりかけにかかってきた。

電話に出ると いきなり いつもの弱々しい叔母とは違って
テンション高く 怒り口調だ。

何に怒っているのか もしかして 私か夫の何かが気に入らないとか・・・?

「どうしたの・・・なにかあったの・・・?」
勢いにびっくりして おそるおそる聞くと
「アッタマにきたワ〜 もうシラン!!」と 大きな怒り声で返ってきた。

話の焦点がわからなくて 叔母があっちへ飛んだりこっちへ飛んだりしながら話すことを
頭の中で整理しながら聞いていると こうだった。

東京在住の叔母の兄夫婦から 叔父の一周忌法要に 出席する旨の返信がきた。
出席は無理かも と思っていた高齢で病気持ちの兄が 夫婦で来てくれる というので
喜んだ叔母は 兄夫婦の経済的負担を慮って ホテルでの泊まり 鵜飼も観覧させようと
顔のきく友人の手を借りて 安価で手配した。
それを 今夜 フアックスで兄宅へ送ると 兄嫁が もっと安く泊まれるのに と 言って
電話してきたらしい。

ホテルも鵜飼も 料金は叔母が持つから とフアックス で伝えてあるのにも関わらずだ。
その前に 出席のハガキが届いた時点で ありがとうの電話をした際
手配はこちらでしましょうか と言うと 兄嫁から お願いします と言われていたから
友人の手を借りてまで 手配をしたのにも関わらず 兄嫁の言葉に叔母は怒っていたのだ。
おまけに 鵜飼まではいい と言われて 余計に怒っているのだった。


混線している話の中から ようやく叔母が起こっていることの要点がみえてきた。

確かに 叔母の怒りもわかるが 兄嫁も 負担をかけるのは申し訳ない という
気持ちからの言葉であったかもしれないではないか。

でも 腹を立てている叔母は そこまで推し量る余裕をなくしているから
そう私が言っても 叔母の耳には入らない。

電話の最後は 法要当日には 私たちが迎えに行くから また
お寺から食事の場所への移動の際 足のない人は 車で出席した人に
分乗させてもらえるだろうから 前もってタクシーを予約しておかなくてもいい
乗れない人があったら その時にタクシーを呼べばいいから
と できるだけ叔母の気持ちが落ち着くような話をして 少し落ち着かせて
電話を終えた。

人の心は難しい。
言葉は 発した方と 聞いた方とで受け取り方が違うと ズレが生じる。
この ズレ が怖い。

それにしても いつも気弱で 口調ももつれがちな叔母が
あんなに大きな声で ハキハキとした口調で 怒っていたのには驚いた。

このぶんなら 案じたことはない。
以前の叔母に戻るのも 間近だろう。





ブログ というと ソーシャルネットワーキング の最たるもので
本当は他人に向けて書き込むもので それを読んだ 不特定多数の人が
それについての感想なり意見なりを また書き込む という形式が 本来的なものだろう。

おまけに ジャンルが決まっていて その中でランクづけまであり 人気のブログや
有名人のものは そこに金銭まで絡んでくるようだ。

でも 私は 全くそういうことには関心がない。
自分の書いたものが他人と比べられる ということは 自分の考え方や物の見方が
それはいい それはいただけない と 他人に委ねて評価してもらうことのような気がして
なんだか鼻じらんでしまう。

ゆえに 私のは 本来からすると ブログとは呼べないものだ。

それじゃあなんで書くのか というと これは ただ単なる日記 だ。
少なくとも 私本人は そう思ってその日にあったことや思ったことなどを 綴っている。

それに 書く という行為は 考えながら言葉を選び文章にしていかなくてはならない。
埋もれてしまっている語彙の中から 適した言葉を引きずり出して選び 繋げて
意味をなす文章を作っていかねばならないから かなり脳を使う。

それが ひなか一日 一人で家の中にいる私には かなりの脳トレになる。

そんな気持ちで書いているから 写真も載せないし 自然 文章も長い。
時として 自分の内面をさらけ出してしまうような文にもなってしまう。

だから本当は 非公開 にするべきなのだろうが たった数人の友人の
「消息がわかるから」 という言葉で かろうじて 公開 にしてある。

でも そうすると 真に綴りたいことや思いを 書けないことが 間々ある。
これとは別に 紙に書けばいいのだろうが でも それだと 二重手間で面倒だ。

最近 どうしたものか・・・と考えている。








長男宅の上の子が 高校の修学旅行に行っている。

三泊四日の旅程で 九州が目的地。

出かける前々日に我が家へ来た時には 長崎が楽しみ 特にハウステンボスが と
言っていた。
ハウステンボスには一泊するのだ とも言っていた。

帰りがけに 気をつけて行ってらっしゃい 楽しんで来てね と言うと
はあ〜い!帰ったらお土産持って来るから と 笑顔で言って 車に乗り込んでいた。

昨日 知り合いから 生みたての卵をたくさんいただいたので
十個をお福分けして 夫に 長男宅へ届けてもらった。
すると 玄関に出てきた嫁が うかない顔で
修学旅行先から スマホで「帰りたい・・・」と 電話してきた と 夫に言ったらしい。

何があったのか・・・よっぽどのことがあったに違いない。

四月に学年が変わって クラスも新しく編成された。
新しくなったのはいいが 今度のクラスには 一年生の時に同じクラスだった女の子が
一人もいなくなってしまって 他の子は 同じクラスからきた子たちと固まってしまい
自分の居場所がない・・・と 悩んでいることは 以前 嫁から聞いてはいた。

修学旅行は たいていグループでの行動が多い。
一月経って 新しいクラスメートやグループに 少しは慣れて
楽しく通っているのか と思っていたのに どうやら そうではなかったようだ。

孫の年頃でグループからハジカレルのは 苦しい。
決して性格も悪くはないから 単に ヨソモノ的感覚でハジカレているのだろうが・・・。

子供の世界も大人の世界も どのような場所や場面でも こういうことがある。

多分 日にちが経てば 同じような性格の子や 孫と心を通わせられる子が
きっと見つけられるだろうが そうなるのには たった一月 は短すぎた。

高校生活で一番の思い出になる修学旅行が 嫌な記憶だけで過ぎてしまっては
本当に残念だし 可哀想だ。

今夜 帰って来たはずだが どんな土産話を持って 来てくれるやら 気ががかりなことだ。

毎週水曜日には 温泉へ行く

夫と そう決めているが 水曜日は午後のリハビリがない曜日なので
ついつい 用事を入れてしまい なかなか行けない。

今月は 次男が帰省した時に一緒に行っただけだった。
それで 今朝 出かける前の夫に 今日は温泉に行ける? と聞くと 何にもないはずだから行ける
という返事が返ってきたので 夫の分もタオルや着替えを準備して 楽しみに待っていた。

家のお風呂でもいいのだけれど 天然温泉の湯にゆっくりつかると
足や腰には やっぱり効き目があるような気がするから 私としては できる限り行きたい。。

カレンダーにも今日の欄に 用事が書き込んでないことを確認して 夫の返事通りに
今日こそは行ける そう思っていたら なんと 出かける直前に 歯医者からの電話。
今日の五時に予約があったことを 夫がすっかり忘れていたのだった。

また今日もダメかア〜〜 口には出さないが 内心ガッカリしていると
夫は 今から直ぐに歯医者へ駆けつけるか このまま温泉へ行くか ちょっと迷った末に
予約日を変更してくれるようお願いして 今日は 温泉へ行くことになった。
バンザーイ!

この時間に行くと空いていて 幾つもある浴槽に 一人二人しか客の姿がない。
岩盤浴も同じで どの部屋にも 一人二人しか横たわっていないから
どこででも 気持ちもゆったりと入っていられるから嬉しい。

もう少しで行けなくなりそうな 今日の温泉だったが
時間をかけて入った後 気分よく帰ってきた。
行けてよかったア〜。

今日は 大学病院 それも診察は午後の予約。

バスの中から眺める周囲の山々は 今 ツブラジイの花の真っ盛り。
モコモコと盛り上がった黄色い花で 山腹が覆われている。

大学病院に着くと 学内に繋がる道々は ヒトツバタゴの木々が 枝や葉が見えないほど
真白な花に覆われて いつもより大きくなって並んでいた。

いつになく痛みの強い患者が多かった今日の午後は 受診が終わるのが
とても遅くなってしまった。

迎えに来てくれた勤め帰りの夫の車で 自宅へ向かう途中には
畑には 一面枯れ色に近くなった麦の穂が揺れ 山際には これも黄色くなった竹林が
あちこちに点在して 風に揺れている。

今は 私の住んでいる地域で 一番 春の終わりを感じさせる ダイナミックな季節だ。
一年の中で 最も木々の生命力と輝きを感じる情景でもある。

都会に住んでいては 決して見られない 感じられない季節の情景だ。

こんな素晴らしい山々や木々の様を見られる地域で暮らしている幸せを
しみじみと味わいながら 車窓を眺めて帰って来た
日頃の痛みも トリガーの痛さも しばらくは忘れる思いで・・・。