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熱は下がったけれど 気管支炎になってしまった。

痰がからんで 話すと ひどい音の咳が出る。
だから 呼吸が 深くできない。

でも もう寝てばかりもいられないから 昨日は 娘たちが使っていた寝具の洗濯をしたが
一日中 今にも雨が降ってきそうな空模様で 完全に乾かなかった。
だから今日は それも干し直し ドライでの洗濯物の洗濯をして 竿いっぱいになった。


今日は 久しぶりにカラッと晴れて とても夏らしい日だった。

起きてすぐに ポストから新聞をとった後には 庭で作っているきゅうりの様子を見るのが
この夏の習慣になっている。

久しぶりに 今年は夫が数本の苗を植えてくれたから この夏は たくさんのキュウリがなる。

今朝も 五本収穫した。

今年は 今までとは別のレシピで キュウリの佃煮を もう二回 作っている。
今までのとは違って キュウリの厚みがあって 味も甘めの佃煮だ。


今朝は 早くから あちこちでする草刈りの音と 刈られた草の匂いがしていた。

夫も 隣の土地と 側溝の縁の草刈りをした。

青くさくて 爽やかで清々しい草の匂いだ。


体が回復して来つつあるからだろうか
気持ちが ちょっと明るくなってきた。








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昨日の大学病院麻酔科の受診は 午後の予約だった。

一昨夜からの熱が 午後になっても下がらなかったが 仕方なく 出かけて行った。

腰と足に 痛み止めの注射を十三箇所 その後 一時間の点滴が終わると
もう三時半を回っていた。

行きと同様 夫に迎えに来てもらい 家でただ寝ていてもよくならないから
内科にかかった方がいい と 夫の勧めで 途中で かかりつけの医院を受診。
薬を処方してもらい またここでも点滴。
診察の前に体温を計ると 七度九分あった。

薬局で 大学と医院の薬を出してもらい 家に帰って着替えを終えると
時計は もう七時を過ぎていた。

自分でも 不甲斐ない情けない と思うが 出したくて出る熱ではない。
とにかく よくならなくては どうしようもない。



今日は 起きた時から 体が重かった。

疲れが出たのだろう とは思ったが 天気がいいうちに洗濯をしないと
娘家族が使ったタオルやシーツ タオルケットなどが 山になっている。

一度にはできないから とりあえず かさばるケット類は後回しにして
シーツやバスタオルなどを 洗濯機に入るギリギリの量入れて 洗った。

昨日干したものが まだ乾いていないから 干物の量は ものすごい。
竿三本と キャスター付きの移動できる物干し三台に なんとか工夫して
干し終えた。

体がしんどいこんな時には 地面に降りなくてもいいようにと 夫が作ってくれた
テラス状のものが ありがたい。

これもキャスター付きの洗濯かごに 洗濯物を山にして乗せ
ゴロゴロと押して そのまま屋外へ出られる。

大量の干物を ようやく始末して 椅子に座り
体温を計ると 案の定 三十八度五分あった。
しんどいはずだわ。

今日は ちょっと離れた市に住む叔父夫婦を 夫と一緒に
訪ねる予定だったが 仕方なく 夫が一人で行ってくれた。

この叔父と夫は 魚釣りの趣味が合って 昔から よく行き来してきた。
夏 網が解禁になる晩には 毎年一緒に川に入り 鮎を獲った。

しかし近年は 叔父が高齢になり さらに病気になると
その年中行事も 途絶えてしまった。
叔父はそれを寂しがり 会う度に 昔話に花が咲く。

連れ合いの叔母は 県内では名の通った書道家だ。
今日も 夕方近くまでお邪魔していた夫に 私に と
上質の書道紙を 持たせてくれた。

一日中寝ていたにもかかわらず 熱が下がらない。
今は 九度ある。

明日の午後には 大学病院の麻酔科の予約が入っている。
それまでに 熱が下がればいいが・・・。


今日は 上の子が 遊びたい というものだから 近くに住んでいる長男が 息子を連れて
午前中から 折り紙などを持って来て 一緒に遊んでくれていた。

今年 中学生になった長男の息子だが 背丈は鴨居につきそうなくらい大きくなっているが
生来優しい子なので 幼い従兄弟たちと 気長に遊んでくれる。
だから 娘の子は 彼が大好きで 滞在中ずっと 遊びたい と言っていた。
ところが 思わぬ妹の病気騒動で ジジババも母親も きりきり舞いだったし
なにより 彼は中学生だから 部活に塾にと 毎日忙しくて 時間がなかった。

それが 運良く というか 運悪く というか 部活のチームが試合に負けて
次の試合予定日だった今日が まるまる空いた。
それで 帰る前に と 来てくれたのだった。

娘らが家を出る時も 私と一緒に見送ってくれ 夫が帰って来るまで 残っていた。


そして息子たちも帰って行き また 家の中に 夫と私の二人になった。
やれやれ とも思うが なんだかスヤンとしたような 頼りなげな寂しさも感じる。

昔は 先ほどまでの賑やかさが 日常だった。
それが 一人去り二人去り 末の息子も家を出 同居していた父も逝って
夫と二人の生活が十年も続くと 今では その静けさが 当たり前になっている。

この家で育て この家から 三人が飛び立つのを見送ってきた。

一度家を出た子供達には この家は 時々顔を見せ滞在する場ではあっても
もはや 彼らの 家 ではない。

親は こうして ときおり羽を休めに来る子供らを 迎え また送り出すだけだ。

これでよし とも思うが 賑やかに過ごしていた 子供らの幼かったあの頃が
懐かしくも思える。

親とは 寂しいものでもある。

下の子の熱や発疹も 今のところ 治ったので 点滴に通わなくてもよくなり
四時の新幹線で 家族皆が 帰って行くことに。

昨日午後には 近くに住んでいる長男家族が来て 夕食には お寿司を共に食し
みんなで 花火をして楽しんだ。

下の子は 当然就寝の時間が来て早々に寝 上の子は お昼寝をして花火に備えていた。

来る早々 下の子の高熱に始まった病気で この出入り八日間のほとんどが
病院通いに費やされた滞在だった。

上の孫は もっと居たい と ダダをこねるが そうもいかない。

もっと大きくなったら 一人でお泊まりに来られるからね と なだめて
なんとか 納得させた。

今は おもちゃを片付けている様子。

今度来るのは 多分 秋を過ぎてからになるだろう。


今朝 三人の方から いろいろな野菜をいただいた。

ピーマン ミニトマト 満願寺 十六ささげ 数種類の茄子 カボチャ などなど
いつもそれぞれの家から いただくのが 今日は 重なった。

上の孫は ピーマンが「大好きじゃない」から 今まで 全く口にしなかった。

それを 今夜 「バアバのお友だちが作ったピーマンは 絶対甘いから たべてごらん 」
と言うと 初め渋っていたが 私が何度も勧めるものだから
おそるおそる 一口食べた。
すると 「おいしい❗️」と 大きな声が出た。
その後は パクパクと食べ 「もっとちょうだい」と言いだす始末。

そして 孫いわく「東京のスーパーのピーマンはおいしくないから・・ちゃんは食べないの」

そりゃあ そうだろう。
収穫した後 スーパーの売り場に並ぶまでには 数日はかかる。
朝採りのピーマンなんて 東京の中心部じゃあ ほぼ食べられない。

ミニトマトも 出したものは 全部食べてたいらげた。

子供の舌の確かさに 改めて 驚いた。


今日も 下の孫は 母親に連れられて 朝早くから 県病院へ点滴に行った。

やはり 川崎病の疑い濃厚 との診断だった。
それが こんなに高熱が続いたというのに 軽くて済んでいる方らしい。
だから 入院しなくてよかった。

昨日より 病院からの帰宅は早かったし 熱もずいぶん下がってきたから
多少は元気が出てきたが それでも 帰宅後 一口二口食べたものを 嘔吐してしまった。

それも一度きりでなく 三度も吐いてしまった。そして 下痢も 二度してしまった。

その度に 娘と私は大騒動で 汚してもカンカン照りだからいいようなものの
その都度 始末したり床を拭いたり 臭いや色のついた衣類を つけ置きし 前洗いし
それを洗濯機で洗ったり。

それを干し終えた と思ったら また同じことの繰り返しで テンヤワンヤだった。

よくなってきたように見えても まだまだ油断の出来ない状態だ。

孫は体重も減ってしまい 元々細かった首など まるでコケシの首のようだ。

夕方 東京から 婿も来た。

ここ数日 妹が大変な状況だったので 母親にかまってもらえなかった上の孫は
いくらジジババが面倒みても やっぱりストレスがたまっている。
それで 明日は 父親が下の子のお守りをして 娘は 上の子を 以前に行って面白く過ごせた
モールへ 遊びに連れて行ってくる と言っている。

予定では 土曜日に帰って行くつもりだったが 一日延ばして 日曜日に帰るらしい。

父親が一緒だし 心配ないだろうが 東京へ帰っても まだ予断ができないから
向こうの病院へかかるのだろう。

それまでに まだ明日明後日と二日あるから 病状もよくなっていてほしいものだ。

当の本人は 小さな酔っぱらいみたいに ぬいぐるみを抱えて フラフラしながら
細くなった体で 歩いたりしているのだが・・・。

昨夜遅く 下の孫を連れて 夫と娘が帰宅した。

帰宅できて まずはよかった と思った。
ひょっとしたら このまま入院かも と 内心では思っていたから。

抱っこされて玄関に入ってきた孫の小さな細い腕には 固定された点滴の管が
包帯でグルグル巻きにされていた。

しかし 寝かせたりした後 やっと腰を下ろした娘に聞くと
県病院で点滴をしているうちに 発疹が出始めたらしい。

上の子が川崎病にかかった時と 同じような推移と発疹の出方だったから
娘は もしかしたら と思った と言う。
医師も 今の段階では断定はできないが やはり 川崎病の疑いが濃い と
血液検査や何日も続く高熱 発疹の形状などから 判断して 言われたらしい。

孫は 相変わらず グッタリとして 荒い息をしている。
しんどいのだろう 時折 鳴き声のようなヤンチャを言っているような
か細い声をあげている。

明日の朝も一番に行って 点滴するよう指示され 来る時には
一応 入院の準備をして来るように と言われたらしい。

時間が遅かったが 慌ただしく入院に必要な細々とした物を 大きなバッグに詰めた。

そして 上の孫を 母親不在で 私と一日中家に居させるのも かわいそうだから
夫の勤務先へ連れて行くことに話が決まった。

オーナーから 帰省したら連れていらっしゃい と 前々から言われていたので
夫が 同年齢の子と一緒に遊べば 孫の気もまぎれるから と
自分から 連れて行く と言い出して 娘も賛成しての結果だった。

そうと決まれば 上の孫も 向こうで必要な物を持たせなくてはならない。
こちらも 孫が来た時用に用意してあったあれこれで 朝持たせる荷物を作り
かわいいバッグに まとめて入れた。

そうして今朝早く 娘は下の子を連れて病院へ出かけ
夫は 上の子を連れて 勤め先へと向かって行った。

娘が帰って来たのが三時半を回った頃 よかった 帰って来られたんだねえ〜 と言いながら玄関を開けると
川崎病の疑いは濃いままだが 熱が少し下がり始めたので 自宅で様子をみて
明日もまた点滴に行く のだという。

病名はともかく 熱が下がり始めたのは 何より嬉しい。
孫は 相変わらずグッタリしているし 何も言わなくても すぐに布団に横になる。
少し歩く気になっても 足元がフラフラしていて 危なっかしい。

夜には 昨日よりは 多少 飲んだり食べたりできるようになった。

それでも娘は 明日も 入院用の荷物は 念のために持って行くつもりでいる。

一日楽しく過ごして来た上の孫は 明日もジイジと一緒に行く と言って寝た。
明日は おにぎりが要る。

また明日の朝も 慌ただしい。

娘が連れてきた下の子の熱が 未だに下がらない。

昨夜は しんどいのだろう ときどき 小さな声で泣いては また目を閉じる という具合が
朝まで続いた。

昨日もらってきた座薬や頓服薬 使ったり飲ませたりしても 熱は少し下がったかと思うと
またすぐに上がってしまう。

なので 今日も 今度は 夫と私がかかりつけの医院が 空くのを待って 受診した。
昨日とあまり違わない診断だったが 抗生剤を処方してくださり
これで 熱は下がるはずだ ときどき言われたらしい。

ところが 午後になっても熱が下がらず 食欲もなく 水すら欲しがらないので
午後の診察が始まるのを待って 再度受診した。

すると 今日もまた 県病院へ行くようにとの指示で
娘は 午前中にレンタカーを借りてきていたが 心配なので
夫が自分の車に 娘と下の子を乗せて行った。

その間に 私は私でリハビリに行き 戻ると 娘が 今から県病院へ出かける というので
夫が 家へ上がらず そのまま また 娘たちを県病院へ連れて行く 慌ただしさだった。

残された上の孫に 夕ご飯を作って食べさせ 昨夜やった花火の残りをさせ
シャワーを一緒に浴びて 髪や体を洗い 浴びた後は ドライヤーで孫の髪を乾かし
絵本を一冊読んで ようやく二階のベッドへ連れて行った。

「マミーにギュッとしてもらわないと寝ない」という孫に お話をしてあげるから と
言えば 『おむすびころりん』がいい というので
むかし むかあし あるところに おじいさんとおばあさんが・・・
で始まるお話をして聞かせているうちに どうやら 眠った。

やれやれだ。

寝させに二階へ連れて上がる前に 娘からメールが入っていた。
それも あまりかんばしくない内容のメールだったので 上の孫を寝させながらも
ずっと気がかりになっていた。

娘のメールにも 嫌な予感がする とあったが どうやら 下の孫は 高熱だけでなく
県病院に着く頃から 身体中に発疹が現れたらしい。

上の子が やっぱり二歳半ぐらいの時に 同じような症状の経過で
川崎病を病んで入院した。
その時にも 私も行って 娘と交代で病院に詰めた。

おそらく娘も その時のことを思い起こしたのだろう。
私も メールを見るなり 同じことが 頭をよぎった。

二階から降りてみると まだ点滴が終わるまでに一時間くらいかかる と
夫からメールが入っていた。

娘からは 血液検査の結果が判り 医師から話がある と言われた とのメールもあった。

まだ 三人は帰って来ない。

医師から どのような話があったのだろうか・・・。

重篤でなければいいが・・・。

それにしても 幼子が三日三晩も高熱が続く というのは 異常事態だ。
もう一度診察を受けた方がいいから と 夕方 少し甘いものが食べられたから このまま
状態をみたほうがいい という娘を急き立てて 病院に行かせたのだったが
そうしてよかった と つくづく思う。

病院へ行かせてよかった。

「子供の命は 朝の露のように儚いものだから」と 亡母は 事あるごとに
私に言った。
だから 病気の時には 絶対に気を抜いてはいけない
どんな病状でも 軽くみてはいけない

この言葉は 三人の子育てが とうに終わった今でも 私の中で生きている。

だから 今回も 娘もパッドの向こうの婿も 二人目 ということもあって
案外に 軽く観ているのが窺われたから
熱は怖いよ 脳へ 熱を上らせないように
高熱のある時には 頭をゆすらないよう とも 娘に 何度も言って
気楽に考えてはいけない と 昨日今日と 言い続けていた。

これ以上病状を悪くさせないために 言った言葉だったが
どうやら 事態は あまり良くない方向へと 向かっているようで
心配しながら 三人の帰りを待っている というか
三人で帰って来られるのを 待っている。

昨日の正午過ぎ 東京の娘が 二人の子を連れて 帰省した。

おおかた一週間 滞在する予定だ。

来た時から 下の二歳になったばかりの子が 遊んでいる最中に
「コホツ」と 時々咳をしていた。

娘によれば しばらく前に 手足にひどく発疹があって
病院にかかったけれど 原因がわからなくて 医師に 様子を見て と言われていたら
数日して ひいていった らしい。

その発疹が影響しているわけでもないと思うが 咳をするようになったの と娘の言。

昨夜は 夕食もいつも通り食欲もあり お風呂にも入って 機嫌よく寝た。

ところが 今朝になってみると 三十九度もの熱がある。
それで 運良く休日診療の医院が すぐ近くだったから 診察が始まるのを待って
夫の運転で 娘が連れて行った。

その間に 上の子に 朝食 着替え お勉強を済ませたら プールでの水遊びを
させて と言われた私が ドリルをやらせていると もう 三人が帰って来た。

早かったはずで 医師から 肺炎になっているかもしれないから 県病院を受診するように と
告げられたから これから荷物を作って また出かける という。

幼い子と老人は 病状が悪くなるのが早い。
まさか 肺炎にまでなっているとは・・・。

娘は 万が一入院 になった時を考えて 一通りの荷物を作り 大きな荷物を持って
下の子を連れて 夫の運転で出かけた。

今の時代は 幼い子は 専用の車用の椅子に座らせなくてはいけないから
抱っこしては 車に乗れない。
こんな時くらい と 思うが 事故にあった時のことを考えると 仕方のないことか・・・。

私は 医師の見立てに驚きながらも 再び慌ただしく出て行く三人を 送り出した。

その後は 下の子の病状を気にかけながら 上の子に勉強をさせ 終わると 今度はプール。
水着に着替えさせ 昨日買ってきてあった 水鉄砲やおもちゃのバケツなどで 遊ばせた。

遊び飽きると もうお昼。
水着を脱がせ 着替えているうちに うどんを茹で始める。

お昼ご飯を食べさせた後は お昼寝をさせなくてはいけない。
普段は 上の孫は 幼稚園へ行っているから もうお昼寝はしないが
今夜は特別で 花火をする と 母娘で決めてあった。

幼稚園へ通うようになってからの就寝時間は 八時前。
花火をするとなると 寝る時間が遅くなってしまうから そのぶんお昼寝しなさい と
母親から 言いつけられていた。

ちょうどうどんが茹で上がる頃 三人が帰って来た。

血液検査で 肺炎にはなっていない と判り 服薬や座薬を処方されて 帰って来た由。
やれやれ おおごとにならなくてよかった。

子供が幼いうちは 周りも なんやかやと慌ただしい。

まだまだ熱が高い孫は 食欲もなく グッタリしてそのまま寝た。

娘が 座薬を入れたから 多分 これで 熱が下がるだろう と言っている。

うどんに 納豆やシラス オクラ トロロ芋 それに青紫蘇とネギを
のせて 滋養たっぷりにして食べたが 二階に寝かせている孫が気がかりで
食べた気がしないくらいだった。

来るなり早々の大騒動で 夫も私も 気をもむやら心配するやらで
このまま一日が過ぎて行きそうだ。

やっぱり 幼子と一緒は 何かとあり 慌ただしい。

昨日 友のブログを読んで 初めて知ったことがあった。

人が亡くなった後 本人や家族の承諾があれば 献体できる。
この 献体 のことは もちろん知ってはいたが
もし 献体したとしたら 遺体が 家族の元に帰って来るのが
二年も三年も後になる というのだ。

私の中では もし献体したとしても 解剖などして
医学生の勉強の役に立てたら せめて二、三日のうちには
亡骸を綺麗にして 家族に返されて来るもの
それが献体だと 勝手に思い込んでいた。

だから 友人のご主人のように
自分が死んだ後は 献体してもいいか と 思ったりもしていた。

でも 二年も三年も 暗くてホルマリンのきつい臭いのする
冷たい場所に 体が置いておかれる と 知ってみると ちょっと考えてしまう。

それに 勉強する者達のすべてが 遺体に対して
畏敬の念を持って当たる とは限るまい。

大昔 これは人間のことではないが 解剖した動物の腸で
縄跳びをした と 獣医学生から聞いたことがある。

まさか 相手が人間に関してだから ありえないことだとは思うが
しかし いちいち今からメスを入れようとする部位に対して
これが生きて呼吸して生活していた人の一部だ などと考えていたら
メスを入れていじくりまわせないだろう。

医学の研究は 人間のためにではあっても 冷徹さやモノとして見る目がなくては
とてもできることではない。

いろいろ思うと いくら 医学のため という気高い思いがあっても
やっぱり躊躇してしまう。

それに よく考えたら 医師や看護師が亡くなった後に献体した という話は
聞いたことがない。
実状を知っている彼らだからこそ そうしないのでは と勘ぐりたくなってくる。

やっぱり 友人のご主人と同じで
献体するのは やめることにしよう そう思う。





久しぶりに Iさんと 連絡をとり お昼前に迎えに来てもらった。

二人ともが知っているお店で ランチを食べ 私の家に近い方向にある
喫茶店で お茶を飲んだ。

「お茶した」というより 二人ともが コーヒーフロートを頼んだ。
蒸し暑い日だったから 二人ともが 冷たいものがよかったので
偶然 注文が 同じものになった。

その喫茶店は 広くて 隣の席を気にしないでいいし ゆっくりしていても
店員に追い出されることもなく いつも長居 になる。

今日も なんだかんだと話しているうちに 出たのは もう五時近くになっていた。

いつも思うことだが 互いに気質も考え方もわかっている友人と話すのは
本当に心地のいいものだ。

数少ないが 今日のような大切な友との交流があるからこそ
私の今の身体で生きていられる と思う。

たった数人の友がいなかったら 私の人生は つまらないものになっているだろう。

久しく会わなくても 昨日も会ったかのように なんのわだかまりもこだわりもなく
話ができるーこんな時 つくづく 自分の幸せを想う。

私が住んでいる辺りに 激しい雨が降った というので
夜になって 遠くの友人が心配して メールをくれた。

たった数人の 芯から気遣いあえる友人を大切にしてこそ 私のこれからがある。

そう 改めて思う今日になった。

このところ ピンポイント的に 私が住む市の中でも私が住んでいる地区だけに
短時間に大量の雨が降る。

激しい降雨の前には ずっと遠い場所から ゴロゴロが聞こえてくる。
それと同時に 色の濃い雲が空を一面に覆う。
ゴロゴロが 次第に大きくなってくる。

大慌てで洗濯物を取り込み 網戸にしてあった家中の窓を閉める。

すると 突然 家が震えるほどの大音響とともに 真っ黄色なイナビカリがして
同時に 激しい雨が いきなり降ってくる。

それが 数時間のこともあるし 一時間半ほどのこともある。

連日のこともあるが 一日置きや数日おきに こんな日がやってくる。

後からネットを見ると ひどい日は 一時間に137ミリもの雨が降っていた。
そこまでではなくても 120ミリなど いかに激しい降りだったかがわかる。

そんな日の夕方 リハビルの行き来に 川の堤防を走ると
川は驚くほど水かさが増して まっ茶色の水が 堤防の草をなぎ倒しながら 流れている。

先日の九州には こんな状態の雨が 長時間降り続いたのだろう と思うと
被害の甚大さが 納得できるというものだ。

今日も そうだった。

昔 母が 「夕立はクセになるから」といっていたことを思い出す。

水遣りをしなくてもいい分 雷の激しい音量とイナビカリの近さに 激しい雨に
怖さを覚える毎日だ。

「短時間」が「長時間」に変わらねばいいが と 心配になるほどの・・・。

ご主人の重い病気が発覚してから それまで毎日何回も更新していたブログだったのに
友は プツリと書かなくなった。

身辺の慌ただしい変化を 一人で背負い 住まいを 夫の希望で急きょ実家へ移し
日々変わる夫の病状を見つめながら この二ヶ月を過ごしてきた。

告げられた私も あまりにも衝撃が強くて なかなか 日記に自分の気持ちを表すことが
できなかった。

でも 様々な細々とした手続きがほぼ済んで ご主人との新たな生活が始まって
少し 精神的に落ち着きが出てきたのだろう。
友が 夫の 病状をカミングアウトして またブログを書き始めた。

書きながら辛い時もあるだろうが でも その気持ちを抑えて 淡々と書き始めている。

それまでブログを通して交わっていた友人の方々は さぞかし驚かれたことだろう。
心の熱い地方の方たちだから きっと彼女を大きくサポートしてくださるに違いない。

なかなか身動きが思うようにいかない私は 毎日の彼女の様子やご主人の病状を
また彼女のブログで知ることができる。

慌ただしく過ごしている彼女へは 電話もメールも遠慮しているこの頃だから
ブログを見られるのは ありがたい。






夫の昨日の釣果は というと 小さな鯖ばかり。

昨夜のうちに 夫が頭と腹をとってくれていたので
今日は それに片栗粉をまぶして揚げ 刻んだ野菜と一緒にして
南蛮漬けにした。

揚げ物をするのも 私には大仕事。
鍋について 長く立っていると 直ぐに痛みがひどくなってしまう。
だから 休み休みの作業になる。

それでも 仕上がった南蛮漬けを 夫は 美味しい美味しい と言って
何匹も食べてくれた。
自分が作った玉ねぎが たっぷりと使ってあるのも ご機嫌の理由だ。
赤や黄色のパプリカや人参との色合いがいいから 余計に食欲が出たのだろう。

こちらは というと 久しぶりに長いことキッチンに立って
腰が イタア〜〜イ❗️



夜中1時半に おにぎりを作り コーヒーやお茶を持たせて 夫を送り出した。

そして 今朝は起きると 暑くなるというので 洗濯して干し 花鉢にたっぷりと水を遣り
いつものようにコロコロを相棒に 家を出た。

バス停に着いて 今日は土日だから 平日よりバスの本数が少ないことに 気がついた。
なんという間抜けなこと!

予定した電車に乗れるかどうか 微妙な時刻のバスに乗った。
途中 友人からの電話 予定通りかどうかの確認だったから ちょっと無理かも と返信。

駅に着くと まだ十分あったが アンテナショップで買って行きたいものがあったから
やっぱり 一本後の電車に乗ることに。

買って行きたかったのは 県産の生ジュースだった。
食欲がない病人に 少しでものど越しがよくて 美味しい と思ってもらえるのは
ジュースしか思いつかない。

一本遅い電車にしたおかげで 急がなくても 買い物をしても時間があった。

最寄りの駅には 友人が車で待っていてくれた。

ご主人の点滴が終わって 直ぐに急いで来てくれたに違いない。

お宅に着くと よく手入れされた広いお庭に面した部屋で
ベッドに横たわってテレビを見ていらっしゃるご主人の姿が目に入った。

なんと声をかけたらいいか・・・そんなこちらの気持ちを察してだろう
元気だった頃と変わらないような声音で ご主人の方から声をかけてくださった。

そのおかげで こちらも 以前と変わらない気持ちで 自然体でお話ができた。

前回お会いした時と比べると 少し痩せてはみえたが 声には力があって
多分 私を気遣って 無理をしてくださっているのだろう
病気や症状については何も触れず 楽しい時間を過ごせた。

途中からは 白山登山の帰りに寄った と 従兄弟の方の訪問もあって
たまたま 私も昔 何回か登ったことがあったので 山の話で盛り上がった。

思わぬ長居になってしまったことを悔いながらも 見舞ってよかった と
つくづく思った。

外出して友人と二人になり 一緒にお昼ご飯を食べた時
病人の前では たんたんと顔色も変えないで振る舞っている彼女だが
心の底には 様々な感情や思いがある と 語った。

それはそうだろう 長年共に暮らしてきた連れ合いだ。

夫婦 には これがそうだ という形がない。
二人が暮らす長い年月の中で 自然に作られた形だったり色だったりするのだから
彼女たち夫婦には 彼女とご主人の形がある。
その中へは 誰も入り込む余地はない。

彼女は今 私が未経験なことに直面し 体験している。
おそらくは 人生最大の経験だ。
私には理解できない心境もあるに違いない。

それでも いつもどんな時も 私は彼女のそばにいる と 思っていてほしい。
ただ そばに居る と思える存在 それが 友人だと思っている。

限りある命と日々向かいあって 息の抜けない暮らしをしている彼女が
どうか 頑張りすぎないよう
残り少ない日々を悔いなく生きよう としていらっしゃるご主人が
どうか 平安な気持ちで過ごされるよう

心から願いながら 帰って来た。

夫は 一昨日 友人からの電話で誘われて 明日は 今夜夜中から海釣りに出かける
と 決めていた。



そうか・・・じゃあ 土曜日は 早い朝から畑へ出かける ってこともなく 家にいないんだな・・・
と 思っているうちに
それじゃあ 私も出かけてもいいんだ と気づいた。

なら この前予定していて 行きそびれていた 友人のご主人を見舞えないか と 思った。

でも 私一人の気持ちで見舞っていいものかどうか まずそこのところが問題だ。

それで友人に連絡すると 来てもいい と言う。

在宅で療養中だから 伺うのなら 友人が病人の側を離れられる点滴が終わる頃合いがいい
とのこと。

では JRの時刻を調べて そのころに着くのに乗って行くわ と 今夜 友人と電話で話して
決めた。

食がなくなっているご主人へのお見舞いには 駅上のショップでジュースを買って行こう
と 思っている。

ありがたいことに 私の住んでいる県には 林檎 桃 梨 ぶどうなどが栽培されていて
生ジュースも販売されている。
アンテナショップだから 何かのジュースはあるはずだ。

正直言って 病で衰えていらっしゃるご主人とお会いするのは 辛い。

でも 日々 そんな連れ合いを正視しながら 看病している友人を想えば
そんな思いは 甘い。
友人のためにも 一度お会いしておかねば 私自身 悔いが残る気がする。

お会いしておくことが その後の友人との付き合いに影響する・・・
今はそんな気さえしている。

ありがたいことに 体調もまあまあ。
念のために 夕方 リハビリの後に 痛み止めの注射もしてもらって来た。

自らも病で 同行できないもう一人の友人の分までも
明日は 短時間であっても しっかり 病人に向きあってこよう と思っている。


昨日は 年に一度の 三十年近く共に旅を楽しんできた 女性六人でのランチ会だった。

毎年 旅の前に 会員六人が集まって その年の旅の行き先を決める。
昨日のランチ会が それだった。

私は ここ数年 一緒に旅をすることに 少なからず無理が生じてきた。

行けば楽しいから ついつい無理をして体に負担をかけてしまい
帰宅後 なかなか体調が 旅の前の程度にまで戻らなくなっていた。
去年が最も酷くて その結果 一月末に神経根ブロックをすることになってしまった。

それで 昨日は 五人に訳を話して 会を離れる了承を得るつもりで出席した。

食事が終わって 今年の幹事が 旅の話に入った頃合いに
体の現状を話し 申し訳ないが続けられない と五人の前で切り出した。

すると 皆も年齢を重ねていること 中の二人が九十を超える親を持っていて
いつどのようなことになるかわからないこと など 私だけでなく
皆も同じだから 今までと変わりなく 六人で楽しめるよう 泊まりでなくても
日帰りでの食事会を 年に二回持ったらどうか という意見が出た。

せっかくこれまで長く六人で続けてきたのだから 辞めるなんて言わないで と
他の四人も口々に言い 今後は 食事会にしよう ということに決まった。

最初は大勢だった会が 今の六人になってから もう二十年以上になる。
会の名前を「六女会」としたのは その時からだ。
名付け親は私だった。

六人は それぞれ環境も違い性格も違うが 共通しているのは
みな腹がないことだろう。
裏表がないから 変な気遣いが要らない。
同じ地区に住んでいても なかなか会えない六人が 年に一度 共に楽しく旅をして
思い切り他愛のないおしゃべりをし 別れる。
それで 二十年以上続いてきた会だから 正直 私自身
会を抜けたい と告げるのは 辛かった。

だから 今回の皆の決定は 本当にありがたかった。

近場での食事だけなら 万が一 体調が悪くなって欠席 となっても
一人分の取り消しで済む。

五人の気持ちを素直に受け止めて これまで通り
仲間に入れてもらうことにしたのだった。