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今日は 孫は午前中は部活がある というので ベッドサイドテーブル作りの続きは 午後から
それも開始は遅くて 三時から。

そして 作業は 孫の家で。

昨日塗ったペンキは 完全に乾いているから 後は それぞれの部位を
組み立てて 木ねじでとめていくだけ。

今回の制作に際して 夫は そばにいて指示するだけで 実際の作業は すべて
孫に 一人でさせた。

今日の木ネジ止めも 孫にとっては初めての 電動工具を使わせての作業だったが
事前に練習させてからやらせた と 夫は言っていた。

制作の初めから完成まで 孫は 設計図の段階から その都度写真を撮ったりして
記録を残しつつ 作業していった。

そしてついに今日 予定通り完成した。

孫は 自分がイメージしていた通りの物ができたので とても嬉しいらしかった と
帰宅した夫が 言っていた。

今日は家にいた嫁も いつになっても孫が手をつけなかった作品作りが
たった二日で 完成にまでこぎつけたから ホッとしていた と これも夫の言葉。

意外に早く 五時には帰って来た夫が
今日は水曜日だから 温泉へ行こう と 言ってくれ 二人で向かった。

いつものように 入浴 岩盤浴 そのあと夕食 再び入浴して 帰って来た。
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今年 中学一年の孫のことだ。

小学生だった一昨年 夏休みに入ると早々に 課題の作品に 自分専用の椅子 を
作りたい と 夫に相談に来た。

たいていの物は 手先が器用で ものを作ることが大好きな この子の父親が
対応しているが 木工 となると 祖父の方が得意 と知っているから
おじいちゃんに相談してみたら? と 言われて 我が家へ来た。

そのときも どんな椅子を作りたいのか 色はどうする など
孫と会話しながら 設計図のようなものを 二人して描いていた。

孫がイメージする椅子を作るのに 多少は手伝っても 作るのは孫だから
小学生の作品としての出来上がり を夫は考えているらしかった。

今回は 孫も中学生になって 本格的に一式備えた 自分用の木工道具を
学校で一括購入して持っている。

それもあって 今年の作品作りを木工で と決めたようだ。

夏休み半ばごろに 今年の作品作りの相談に乗ってもらいたいらしい とは
聞いていたが なかなか本人からの連絡がないから
一体何をしているのか 木工ではなく他のものに変えたのか などと言いながら
夫は連絡を待っていた。

そして 夏休みも残り数日になった一昨日 ようやく孫からの連絡。

夫はブツブツ言いながらも 日にちがないから 塾が終わったら来るように と
電話していた。

夜の十時をまわった頃 迎えに行った母親と一緒に やって来た。

早速 作品作りの話になり 孫は ベッドサイドに置いて
衣類 眼鏡 目覚まし時計 ゴミ箱 などをまとめておける
キャスター付きの何段かになったテーブルを作りたい と言う。

一応 本人は 設計図めいた物を描いてはきていたが それが稚拙で
大きさもデザインも 夫には理解できないようだった。

嫁が こんなのが作りたいらしい とスマホの写真を見せたから
それで 夫は やっと感じがつかめたらしく
準備していた紙に 出来上がり図 それに基づいて必要になる各部位の図
その大きさ 寸法などを描いていく。

孫がイメージするテーブルだから 板と板の間隔や大きさ 高さなど
孫の考えを聴きながらだから
ここがその長さだとすると ここも同じ寸法にしなくちゃならない
出来上がりをその高さにするには 板の厚みから こうしなくては などと
話しながら 何枚も何度も 完成図や各部位の大きさや寸法を描き直していた。

そうやって設計図が出来上がったのが 夜中の十二時を過ぎた頃。

では明日 夫と一緒に 材料を買いに行こう と決めて
母子は ホッとした顔に疲れをにじませながら 帰って行った。

そして昨日。

午前中の部活が終わって 孫が帰宅した後に
暑い日になったので炎天下での作業は無理だから 作業は我が家の車庫でする と
作業場所を 孫の家から我が家に変更した夫は 予め 電動工具などを準備してから
孫を迎えに行った。

板やキャスター 木ネジ ペンキなど 製作に必要な材料を買いこんで 孫がやって来た。

それからは休むことなく 板に寸法を描き込んでの木取りやノコでの切り出し
など 汗みずくでやっていた。

私は いつでも飲めるように 氷水の中に冷やした麦茶を入れて出しておいたが
三時の休憩は 涼しい家の中でとった。

つかの間休憩が終わると また車庫での作業にかかった。
切り出した各部位に ペンキ塗りをして 今日の作業が終了。
後はペンキが乾くのを待って また明日のことになった。

途中 孫がペンキ缶の蓋を開ける際に 着ていたTシャツやズボンに
ペンキが飛び散り 選んだのが水溶性のペンキだったから 直ぐに脱がせて
夫の物に着替えさせ洗濯する というハプニングがあったものの
この日夫が予定していた作業は うまく運んだらしかった。

作業を終えて居間に入ってきた孫は 頭を椅子にもたせて 小さな声で
つかれたあ〜 と言う。
それはそうだろう
昨夜帰ったのが夜中 今朝も六時半起きで午前は部活だったのだから 無理もない。

それに 夫と一緒に仕事をするは 特別疲れるのを 私は知っている。
夫は 一度作業なり仕事なりにかかり出すと 手を止めることをしない。
こっちが ちょっと休みたい と思っても それを許さないのだ。
だからこそ仕事がはける とも言えるが 一緒に仕事をしている方はたまらない。

ここまでする と決めたら 一気に 休む間なく仕事をし続ける夫との作業は
孫には ちょっと辛かったようだ。
おじいちゃん ちょっと休もうよ と言い出せる雰囲気ではなかったのだろう。

夫は夫で もう日にちがない という思いが強くて なんとか二日で仕上げたい と
普段にも増して 作業のスピードをあげたらしい。

それでも孫は 今日のうちにここまで出来るとは思わなかったから嬉しい と
弱々しく笑顔で 私に言った。
それが なんとも幼げで可愛い。

背も高くなり 中学生になったとはいえ まだまだあまえんぼうのままの孫だ。

夜また塾だ というので 後の作業は明日 孫の家ですることにして
夫が送って行った。














叔母が 夫の夏休みの終わりに 三人でゆっくりしよう と
自分が住む市のホテルでの一泊に 誘ってくれた。

この夏 どこへも出かけていなかった私たち 特に夫への 日頃のお礼と慰労の意味合いが
あってのことだろう。

夫は 喜んでお誘いを受けた。
それで 一昨日昨日と一泊で 三人で行って来た。

このホテルは 叔父が亡くなる二年前に やっぱり叔父の誘いで泊まった。

夕食はその時と同じように日本料理の薬膳と 鵜が 実際に鵜飼いでとった
はがた鮎 を頼んでくれた。

最近のホテルでの飲食の味は 一般の飲食店でのそれと違わないように思うが
このホテルの薬膳の献立に出てくる 薬膳スープ は やっぱり格別だ。

幾種類もの体にいい食材から出るエキスが わからないほどの薄い味付けで
一つにまとまっていて とても品のいい それでいて濃厚さを感じさせるスープだ。
これなら体が元気になる と思わせて美味しい。

歯形鮎は 前回は 当時 叔父が懇意にしていた総料理長の計らいで出された。
今回は 夫が食べたがったので 叔母が頼んでくれたのだった。

部屋は わざわざ二室でなくても三人で泊まればいい と夫も言い
三人で 同じ部屋で休んだ。

夫がエキストラベッドを使ったが この寝具も案じていたより寝心地が良かったらしい。

どこへ行ってもペースの変わらない夫は 翌朝早く目がさめると
すぐに大浴場へ行き 部屋へ戻ると 着替えて 周辺の散歩に出かけた。

それでもまだベッドの中にいる叔母や私を見て 朝食に行く準備が整ったら連絡するように
と言い置いて 新聞を読んでいるから と また部屋を出て行った。

朝が弱い叔母なので ゆっくり起きて ようやく朝食。
早くから動いている夫は バイキングの朝食をもりもり食べた。

チェックアウトもぎりぎりにして 叔母宅へ送って行く途中で
日頃 叔母が買いたいと思っていても 一人では持ち帰れない大きな物を
ホームセンターに寄って買い 車に積む。

買い換えたがったゴミペールも 今使っているものより大きいものの方がいい
と言う夫の助言で 七十リットルの物を また お風呂の洗い場用の椅子も
叔母をあれこれ座らせてみて 一番座り心地や高さ お尻がしっかりのるものを
選んで買った。

ゴミ入れは玄関脇に置く用で 叔父が亡くなって以後 叔母がそれにゴミを入れておくと
ありがたいことに 面倒見のいい隣のご主人が 自宅のゴミを捨てる際に
一緒に持って行って捨ててくださる。

仕事帰りに寄る夫も 時々持って帰って来るが
毎回のごみ収集 となると そうもいかないから 我が家にとっても ありがたい方だ。

だからこそ 古くなってハゲていたペールが 叔母には気になっていたらしい。

そして 以前から叔母が欲しがっていたキッチンの床に敷くマット。
汚れても水がかかっても拭けて 敷いた後 あまり動かないから
めくれたりつまづいたりし難くて しかも安価な物 それがやはり古くなっていた。

これは 売り場の目立たない所に置いてあるから 今まで頼まれていても探せなかった
と 今回ようやく分かった。

このマットは 安価な上に結構長持ちする というので 我が家用にも買って来た。

あとは 買い置き用にしたい洗剤や柔軟剤などの大袋を幾つか トイレットペーパー
など 一人では買っても持ち帰られないものを数点。

それだけ買うと もうお昼を過ぎた。

叔母宅近くのお店でランチを済ませ 送り届け 買って来たものを運び込み
ペールは 新しい物に置き換えて 古い方は車に積み込む。

帰宅すると 夕方近く。
久しぶりにリハビリに行って 痛み止めの注射もしてもらった。
このところ 痛みが強くなっていたのだ。

今月も残り二日 慌ただしかった夏が 終わった〜 という気がしてきた。

今夜 夫と 警察が様々な犯罪を追跡する番組を観た。

番組の中で ある特定の人物を誹謗中傷する犯人を追う 場面があった。
元従業員が いわれのない事を連ねたビラを 雇い手が住むマンションの全戸のポストに
投函する画像 大量の封筒を銀行のATM機から持ち去る画像 など 証拠を突きつけて
家宅捜査する場面を映していた。

この番組は 過去に私に起こった事を思い起こさせた。
この時のことを 決して忘れたことはない。

私に起こる一年前 私が主になって始めたサークルの顧問をしていた男性に
同じことが起こっていた。

三月末 近隣の町村の代表者が集まって 年度の締めと来年度の方針を決める会があった。
その席での顧問は 当然来年度も顧問を継続する姿勢で 意見を述べていた。

ところが 何日も経っていない日 突然その顧問から 辞める と告げられた。

私たちサークルの会員は 皆 青天の霹靂だったから 戸惑い途方にくれた。

そして 新年度が始まって間もなくの頃のある日
その顧問が 私を待っていて 話がある と言われた。

サークルのみんなには 大変迷惑をかけた さぞかし怒っていることだろう
私も こんな形で それも突然に辞めるようなことはしたくなかった。
だから 本当のことを 長であるあなたにだけは 知っておいてほしい。

そう言って 一枚の葉書を取り出して 読んでみてくれ と言われた。

手にとって読むと それは 脅迫状だった。

地元で生まれ育ったお前が 後から移ってきた者たちが主催する活動を応援するとは
何事だ これ以上見過ごせないようなら 地元や役場に居られないようにしてやる・・・
息子や娘 奥さんも同様だ・・・

というような内容だった。

顧問は どうしてもあなたにだけは真相を知っておいてもらいたかった
ここまで脅迫されては どうしようにも身動きできない。
手書きだから ほぼ差出人は あの人ではないか とわかるが かといって
警察沙汰になると 狭い町のこと 蜂の巣をつついたような騒動になってしまう
だから 悔しいが サークルから身を引く以外にない・・・。

驚いた
本当に 驚いた。

まさか 今の時代に このような脅迫状が届くなんて・・・。

誰にもこのことは話さないでほしい と 頑なに秘密を守ることを約束されて別れた。


しかし 事はそれだけでは済まなかった。

突然顧問がいなくなった後 私と副は あちこち駆けずり回って 新しい顧問を招き
活動を続けた。
そうして また一年が過ぎ 年度末がやってきた頃
前の年に顧問に来たものと同じ脅迫状が 私にも送られてきた。

そこには 私だけでなく その頃同じ郡内に勤務していた夫や 学校へ通っている
三人の子供達まで いられないようにしてやる という内容のものだった。

自分だけに向けられた脅迫ならまだ対応のしようもあるが 家族にまで及ぶ脅迫では
どうしようもない。

一年前の顧問の言葉が 思い出された。

万が一 本当に 夫や子供達にまで何か起こったら と思うと
自分の活動より 家族ほど大切なものはないから 悔しいが 活動仲間には
不義理をして 無理矢理振り切るようにして 一切の活動から身を引いた。

あれから二十年以上が過ぎたが あの時の唐突な私の行動を避難する気持ちを
持ち続けている会員が きっと今でもいるにちがいない と思う。
でも あのときは 一切の活動から黙って身を引くよりなかったのだ。
それほど はがきを手にしたときの衝撃は強烈だった。

以来 この 脅迫状が届いたことを 公表した事はなかった。
しかし今夜 二十年以上も前の 記憶の井戸の底に沈めていた 悔しかった経験が
今夜 苦い思いとともに 蘇った。
そして もう このことを書いてもいいだろう と思った。

当時の対応でよかったのか もっと他に方法があったのではないか と
考えることもあるが あの脅迫状が今来たとしても 内容が家族にまで及んでいたら
悔しいけれど やっぱり同じ対応をするだろう。
不甲斐ない私は そう思っている。

昨日は 前日から泊まりで同窓会に出席していた夫が 朝早くに帰り
雨模様ではあったが 午後からは晴れる との予報だったので
みんなで 車で一時間ちょっとのところにある 子供が喜びそうで
家族で出かけて楽しめそうな場所へと 出かけて行った。

我が家の子供達が育つ盛りには この施設はまだなかったし
実家との行き来に 数えきれないほど直ぐそばを通る高速を走っても
ちょっと寄り道してその施設へ行く なんてこともなく過ごしてきた。

広い高原に 馬や牛 ヒツジやヤギ うさぎやアルパカなどが飼われていて
乗馬体験 餌やり体験などもでき それらの動物と触れ合うこともできる。

上の孫は 娘の根気と努力で 動物を怖がらなくなっているし
乗馬も 頻繁にいくポニー公園での常連だから 心配ない。

問題は 下の孫だ。

彼女は 負けん気で強気だが 言葉とはうらはらに いたって動物が苦手だ。
馬が目に入る直前までは
^_^^_^ちゃん ウマだいすきなのオ
^_^^_^ちゃん ウマにのりたいイ
と 威勢がいいが 馬の姿が見えた途端 母親の足にしがみついて
すごい形相で 泣き叫ぶ。

馬だけでなく 牛もヤギもアルパカも すべてのものが そんな有様だ。
姿が見えないときは だいすきイ だいすきイ を繰り返すが
いざ姿が見えると もうだめだ。

特に 激しかったのは ヒツジのエサやりをしたときだ。
こちらがエサを持っている とわかると ヒツジたちは 奈良公園の鹿のように
何頭も寄ってきて エサに群がるから大変。

母親に抱っこして しがみついていても それでも怖くて怖くて 半狂乱。
あっちにいってエ〜‼️
あっちにいってエ〜‼️
と泣きながら叫ぶ叫ぶ 大音響の絶叫の連続だ。

その姿が 気の毒やら可愛いやら 情けないやらで 動物よりその孫を見る方が
よっぽど面白いくらいだ。

下の孫は 始終そんな調子だったが 上の子は さすがに五歳だけあって フットワークも軽く
妹のそんな調子にも慣れているからだろう
どの動物も 触ったり乗ったり エサをあげたり 大いに楽しんでいた。

芝生の広場でも じいじと二人で走り回り 転げまわり どこでも大満足の様子。


孫たちは 前の日には 近隣の市にあるモール内の子供向けの施設で遊び そして昨日はここで と
連日の外出になったが それでも 熱も出さず にぎやかなまま 今日の午後 帰って行った。

新幹線の中や 品川からのタクシーの中でも 下の子は大変だったようだ。

あれだけ 起きているうち中 おしゃべりし 泣き ヤンチャを言い いたずらをし
どんなに叱られても意見されても どこ吹く風 で動き回りおしゃべりをする孫だ。

娘が くたびれるのもわかる。

他人の子なら とっくにお手上げだが
まん丸な 黒目がちのキラキラした瞳で見つめられては とてものこと
ついつい 笑いがこみ上げてきて 叱る気持ちが萎えてしまう。

また それを承知しているかのようないたずらやヤンチャだから 可愛いだけに
いつも こっちの負け になってしまう。

大きな怪我をしないで 大きくなっていけばいいが と願うばかりだ。

昨日は 大学病院受診日だった。

そして昨日は 治療が終わったら叔母と待ち合わせて 叔母が行きつけのマッサージ屋さんに
連れて行ってもらうことになっていた。

マッサージに連れて行ってもらうのは 昨日で三回目だった。

予約時間に行って 叔母と並んで マッサージしてもらう。
毎回 一時間半もの長時間だ。

当然 マッサージは 保険の効く治療ではないから 料金もけっこう高い。
ましてや 一時間半もやってもらうのだから 終えたあと支払う二人分の料金は
推して知るべし だ。

だから最初に 一緒に連れて行ってあげる と叔母に誘われたときは 遠慮して断った。
それから後も 叔母は 度々さそってくれたが 私は ずっと断ってきた。

でも夫が 去年 お前が一生懸命に いろいろやってあげたお礼にっていう気持ちから
誘ってくださったんじゃないのか? 甘えたら? と言うし
事実 叔母が どうしても 痛みを抱えて暮らしている私に マッサージを受けさせたい
と 本心から思ってくれていることが こちらにも伝わってきたので
それなら と 心苦しいけれど 素直にお言葉に甘えることにした。
それが一回目。

全身を 強すぎもせず かといって弱くもなく 絶妙な力加減でマッサージしてもらうと
体が 軽くやわらかくなったように感じる。

今回で三回目のマッサージだったが 確かに 効いている気がする。

一番それを感じるのが この夏これだけ様々なことがあって動いているわりには
足腰の痛みが あまり強く出ないことだ。

先日の黒部ダム行きだって 葬儀での疲れが残っていたのに
無事に行ってこられた。
これもマッサージのおかげだと思う。

今までの私だったら とてもこうはいかなかっただろう。

まったく まったく 叔母様さまだ。

お昼ご飯を早々に終えて 二人の孫は お昼寝させられた。

二人が二階へ上がって行って一時間半も経った頃 ドタドタバタバタ と音がした。
下の子が先に起き出して 廊下に出してあったおもちゃの箱を ひっくり返したらしい。
ケラケラ笑う 可愛い声が聞こえてきた。

その前に 隣のベッドに寝ていた姉を無理やり起こし 仲間にして 二人してやったらしかった。

おとなしい五歳の姉は イタズラ事は いつも妹に引きづられての結果になる。

四歳も年齢が離れているのに 妹は姉に負けん気で むしろ その上をいこうとする。
でも 悲しいかな できないことがたくさんあるから そんな時は よくまわらない口で
姉を叱りつけるようにしながら 自分ができなことを補おうとしているようだ。

この時のいたずらも 自分がひっくり返したのに ^_^^_^ちゃんがやったんだよ と
まるで 自分は何も悪くない という顔で シレ〜と言う。

丸い大きな目をした笑顔でそう言われると こちらもツイツイ つられて笑ってしまう。

そんなジャジャ馬なくせに 虫には からきし弱い。
蚊でさえ ショウジョウバエのような小さな虫でさえ 見つけると大騒ぎ。
自分の近くへ飛んでこようものなら 引き連れたように泣き叫ぶ。

昨日も 二人して ベランダに広げたプールで 機嫌よく遊んでいたが
そのうちに 小さな小さな虫が プールの水に浮いているのを発見。
途端に 二人ともが キャアキャア言って もうプールはいい と
われ先に出てしまった。

娘夫婦はどちらも虫が嫌いだから 孫たちが嫌いなのは仕方ないこと とは思うが
それにしても 嫌いようが甚だしすぎるから
このままでいいものか と ばあばとしては 密かに心配になってしまう。

子供の頃に戻りたい・・・そう言う大人がいるが
ところが 今の時代 子供だって 楽じゃない。

子供だって やらなきゃならないことがあるし
友達とも 臨機応変に気を遣いながら 付き合わなきゃならないし
部活はあるし 親からは ああせよこうせよ と言われるし
それはそれは 大変なのだ。

おまけに 今の時代 誰もが塾へ通っている。
家に帰れば 学校の宿題だけでなく 塾の宿題やら予習やらあって
勉強する時間も長いから グズグズしていたら あっという間に時間が経つ。

だから いまどきの子供は とても大変なのだ。

我が家の高校生や中学生の孫も 御多分に洩れず 塾へ通っている。

娘の孫は まだ塾へこそ通っていないが その分 家で 市販のドリルを
やり スイミングやスケート 体操の教室へ 通っている。
幼稚園が終わった後 それぞれ週一回のペースでだ。

だから 幼いながら 彼女の生活も 毎日が忙しい。

じいじとばあばの家へ 新幹線に乗って来ていても
毎日必ず 何冊かのドリルは 欠かさない。
この夏は それらに日記が加わった。
日本語のドリルだけでなく 英語のドリルも加わった。

幼い子が よくこんなにもたくさんのドリルを 毎日欠かさずこなせるものだ と
側で見ていて 感心する。

世の中の進化のペースが 速くなれば早くなるほど 子供たちが学ぶことは
多くなっていく。

地球上で 国が先進国であり続けるためには これも致し方ないことか。


幼稚園や保育園にすら行かず ひたすら 毎日を遊んで暮らしていた私には
今の子供時代に戻りたい とは 爪の先ほども思えない。

一昨日の夜 東京の娘から 孫二人が じいじとばあばの所へ行きたがっているから
明日の夕方着くように 行ってもいいか と 電話があった。

拒む理由もなく いいよ と返事した。

だから 嫁と孫と私の三人は イベント会場を出ると 階下のスーパーで食品を買った。
ちょうど昨日は 長男も家にいたので それじゃあ みんな集まっての夕食にしよう と話を決め
帰ってから用意するには時間もないし くたびれているから 出来上がったものを幾種類も
人数分間に合うように大量に準備し 帰宅途中 長男宅に寄って長男を乗せ 帰った。

玄関に入ると 少し前に先に着いていた孫たちが 突進するように出て来て 足にすがりつく。

優しい伯母や従姉妹にも 会いたい と言っていたらしい孫たちは 思いがけないことに
驚くやら喜ぶやらで 大興奮。

もう一人会いたかった従兄弟は この夜開かれているお寺の夜祭に 友達と出かけていた。
嫁が迎えがてら出かけていく予定だったので 夕飯を食べながら
娘や孫たちも一緒に出かけよう と話が決まった。

テーブルの上はそのままに 迎えに行った後 また食べることにして 六人で出かけて行った。

この寺の夜祭は 参道の両側に たくさんの屋台が連なっていて 大勢の人出があり
注意していないと 連れを見失いそうなほどだ。

本堂に行き着く前に ほしいものがいっぱいの孫たちは
大きな従姉妹と それぞれが両側で手を繋いでいても すぐに立ち止まって動かなくなる。

どっちみち 買ってあげるつもりで一緒に来ていたから 二人ともが欲しがった
上はマイメロちゃん 下はアンパンマン のお面を買い 早速頭につけてニコニコ顔。

次に欲しがったのは 流水の中からすくい上げるカラフルな 小さなボール。
やらせるのは上の子だけで 下にはその中から幾つか分けてあげるだけでいい
娘はそう言うが 見ていると 下の子は 真剣にものも言わずに ジッと見ているから
これは平等にやらせないと と思い 下の子にも やりたいの? と聞くと
大きくうなずく。それで 下も同じように ボールすくいをさせた。

よほど嬉しかったとみえ 何度も立ち止まっては ボールが入った袋をかざして見ていた。
その姿は可愛いものの なにせ人混みの中でのこと 後ろから次々に人が来る。
押し倒されはしないか 姿が見えなくなりはしないか ハラハラのし通しだ。

ようやく本堂に行き着いて ろうそくや線香をあげ 家族の無事と安全を願った。

帰りの参道で また一つずつ ほしいものを買わせ 満足させて
長男宅の孫と合流し 帰宅。

長男宅の二人の孫たちにも 小さな従姉妹たちが使ったのと同じ額だけ
おこづかいをあげて 平等に。

帰宅後は 小さい人たちはシャワーを浴びて早々にベッドへ。

大きい孫と大人は 再び酒盛りとおしゃべりして 夜が更けていった。

忙しい一日だった。

この夏は 予期しないことと予定していたことが ひっきりなしにやって来る。
こんな夏は 滅多にあるものではない。


昨日の 子供の平和広場の催しは 初めての取り組みにしては 百人の入場者があったことを
考えると 実行委員の力を合わせた結果 成功した というべきだろう。

私の担当は 本のコーナーだったが 友人から声をかけられた当初から
以前から 小学校の子どもたちに 本の読み聞かせをしている嫁や仲間の人たちに
当日 絵本の読み聞かせをしてほしい と頼んであった。

それで昨日は 嫁が もう一人の仲間と 他の仲間は都合が悪くて参加できないから と
高二の娘を連れて 三人で来てくれた。

わざわざ図書館から借りてきて 他の展示用の本と一緒に並べたり
本の並べ方を工夫したり 読み聞かせだけでなく コーナー自体に力を貸してくれた。


嫁は現役で生協と関わっているから 実行委員のほとんどが顔見知りだったし
祖母 母親 孫の三代での参加は 私たちだけだったから
羨ましがられたり 珍しがられたりで 喜ばれた。

ステージでの歌や布芝居などの後 いよいよ読み聞かせだ。
三人がそれぞれ一冊ずつの絵本を読み聞かせた。

嫁と仲間の方が読み聞かせが上手いのは当然だが
高校生の孫が上手なのには 身びいきの私だけでなく 会場にいた人皆が 驚いていた。

静かだがよく通る声で 聞いている人たちの反応を観るように 落ち着いた態度で
読んだ。

読み聞かせが終わると 委員の何人かが寄ってきて 嫁や孫を褒めてくれた。
私の世代なら そう言われたら 多分 否定したり謙遜したりする言葉を返すのが
普通なのかもしれないが 日頃 二人の性格や言動をよく知っている私は
それをせず ただ素直に言葉を受け入れ お礼を述べた。

実際 耳に入ってくる様々な話と比較しても 嫁や孫は ハナマルだと思っている。
そうでなかったら 姑の呼びかけや依頼に応えたりはしないだろうし
孫にしたって わざわざ貴重な休みの一日を潰してまでも
地味なイベントに 参加してはくれないだろう。

閉会になり 後片付けまで手伝って 三人で帰ってきた。

これが 昨日の出来事第一幕で 帰ると第二幕が待っていた。

夏の初めの頃出てきた話で 明日 生協主催で 平和の集い が開かれる。
友人を通して その集いのお手伝いを頼まれている。

お手伝い といっても 読み聞かせや読書のコーナーでサポートするだけで
主だったことは する人があるから 私のすることは しれている。

かといって いい加減なことはできない。
コーナーのレイアウトなど 明日の朝 会場へ行ってから 設定する。

どれだけの人が 会場へ来てくださるか それが問題だ。

それにしても この会の 最初の立ち上げから関わってきた友人たちには
頭の下がる思いだ。

みなさん手弁当で 初めてのことだから手探りで ここまで進めてこられた。
中には 話が持ち上がって間もなく 突然ご主人を亡くされた方があって
急きょ代理で 遠くからお手伝いに来てくださる人もある。

突然 明日の集いの話が持ち上がってから 二ヶ月も経たずに 開催の運びとなった。
私たちの世代は 概ね みんなで集まって何かすることに慣れているし
またそうすることが好きだ。
だからこそ 短期間に立案から企画 実際の開催 となったのだろう。

友人は 後に続く世代に ぜひ 今回の我々の世代の動きを学んでほしい といっている。

若い人たちは 極力群れることを嫌がり 面倒なことから遠ざかろう とする傾向がある。
そうでなく みんなの力を集めれば こんな素晴らしいことができる と
わかってもらいたい という思いからだ。

実際 呼びかけに応じて 明日のために集まった本だけでも 八十冊にもなっている。
明日は これらの本を コーナーに並べる。

たった一日限りの 平和の集い だが 子供たちの心に 平和 について考え
身近な問題として 捉えてもらえたら うれしい。

さてさて 明日 どれだけの人が 足を運んでくださるか・・・。

夏休みに入って間もなくの頃 考えた。

来年には 長男宅の上の孫は大学受験の年を迎え
下の孫も中二になって ますます部活や塾通いが大変になる。おまけに
その次の年 となると 上の孫は家を離れているかもしれず 下の孫も受験の年になっている。

そうなると 孫たちと楽しい思い出を作っておくのは この夏休みしかない。
聞くと この夏でさえ 二人の孫が同時に一日家にいる日が 二日しかないことがわかった。

そのうちの一日は 長男が家族で 私の実家のお墓詣りがてら出かける という。

すると 残りの一日しか 二人と何かする日がない。
それで 日帰りでどこかへ連れて行こう と思った。

孫たちに その日を空けておくようにいって どこか行きたい場所があるか 尋ねると
下の孫が 黒部ダムの放水が見たい という。
上の孫も それでいい という。
孫二人と私とで行こう と思ったが 嫁も その日は勤めがない日 というので
では 四人で出かけよう と話が決まった。

ところが 黒部までは遠い。おまけに 場所柄電車では行けない。
たとえ車でも 嫁一人の運転での行き来は 遠くて無理がある。

これはもうバスツアーしかない と思い 探すと 当日黒部ダムへ行く日帰りツアーが
名古屋発であった。

早速申し込むと ありがたいことに四人分の申し込みができた。
それで 昨日 最寄りの駅までの往復を夫にしてもらい 四人で行って来た。

決まった時から 下の孫は特に楽しみにしていた。
バスツアーが初めてだったのと 行き先が自分が希望した場所だったからだろう。

昨日は運悪く 朝 家を出る時もバスの車中でも雨だったが 黒部では止んでいた。

満員のトロリーバスに乗り 有名な破砕帯を越え ダム駅に着いて しばらく歩くと
眼前に 緑色の水を満々とたたえた 黒部ダムが現れた。

広い堰堤の上は 放水が風に巻き上げられて 霧のように降りかかった。
壮大な周囲のパノラマと 豪快で見事な放水に 圧倒されるようだった。

せっかく来たのだから と ダム湖の遊覧船に乗ったのも よかった。
船上の片側からは 切り立った立山の峰々が 荒々しく迫り
片側の窓外には 長野県のなだらかな緑の峰が連なっていた。

ダムそのものもバスが走る隧道も かつて 大勢の人々の犠牲と辛苦があってこそ
成し得られたことだ。

そんな感慨も 中国からの観光客の喧騒にかき消されてしまうほど
中国人観光客が多いのには驚いた。

下の孫は 終始嬉しそうで はしゃいで ダム湖周辺のスタンプを九つ集める という
ラリーにも夢中になり 私たちの分も走って集めて 記念品を手に入れた。

家を出るときには この雨では ガッカリの気分で帰ってくることになるだろう と
諦めていたのが 思わぬ天気の良さに救われた。

夫の車で家に着く頃には 体はくたびれ果て 足腰は大きな悲鳴をあげていたが
バスの車中や 長男宅で下ろした際の 孫たちや嫁の満足そうな様子や言葉に 癒される。

今まで四人で一日中一緒に遊んだことがなかっただけに
行ってよかった という思いと 私自身が行けて無事に帰れた という思いが大きくて
いい思い出ができた喜びでいっぱいだった。

おそらく このようなことは二度とないだろう。
孫たちや嫁には 開けた未来があるが 私の体では 今日が精一杯だ。
ああすればよかった こうすればよかった という 心残りをなくすよう
できるうちにできることをしておきたい。

それでも 身体中を貼り薬だらけにして 痛み止めを いつもより多く使っても
それだけの価値はあった と 一人満足している今日の私だ。

私が垂井から帰り 次男が帰省して お盆になったが 三人がてんでに動いていて
三人ともが家にいる日が 今日だけになった。

今日は 朝起きると雨。
でも 夫の実家への墓参りには どうしても今日は行かなければならない。

午後まで なんとか止まないか と待ったが 一向に止む気配がない。
では 雨でも と 三人で 夫の実家へ向かった。

墓地に着くと 雨の中でも 私たちのように お参りに来ている人があった。

友人宅の葬儀に使われたお花を頂いてきていたので 傘をさしながら
花立てに一本一本さしていった。

花立てには 既に 義弟夫婦によって花が供えられていたから 頂いてきた花をさすと
花立ては いっきに賑やかになった。

家が古いから 墓碑の数もたくさんだが
不思議なことに 頂いてきた花の数は 花立ての数と ぴったり同じ。

墓地でのお参りを済ませて ほど近い実家の仏壇へお参りに寄った。
義弟が一人でいた。
息子の二人の子が 泊まり込みで何泊も滞在していて 義妹は その子らを連れて
買い物に出かけて 留守だった。

実家を出た後 昨年亡くなった叔父の仏前へのお参りに向かった。

叔母が このお盆のうち ずっと一人で過ごしていることは メールで知らされていた。
叔父の息子家族も 手を合わせには来ないらしい。

事前に電話で お参りに行く その後 一緒にご飯を食べに出ましょう と 伝えてあった。

お盆の三が日のうち せめて一日くらいは一緒にいてあげたい と 思ってのことだ。

そして 先日 連れ合いを亡くした友に 想いが飛ぶ。

まだまだ 気持ちの整理も これからのことも 何も整理のつかないまま
黒いリボンに縁どられた夫の写真と ただただ向き合っているにちがいない。

一人で 徹底的に悲しみに浸り 涙を流す時間も 必要だろう。
でないと なかなか立ち直れないのではないか・・・

そう考えて しばらく経ったら 訪おうと思っている。

四十九日の忌明けは まだまだ先だ。
ご主人の魂は 今はまだ 友の周りや 大好きだった家の中を 浮遊していることだろう。

その間 どっぷり 故人との思い出に浸り その後 悲しみの底から 抜け出してほしい。

子供達が好きな本に じごくのそうべえ という本がある。

綱渡りの最中に 落ちて死んでしまったそうべえが あの世への途中で
歯抜き師 医者 祈祷師 と一緒になる。

三途の川を渡り 閻魔様の前に引き出されるが くたびれ気味の閻魔様は
ろくに審議もしないで 四人を 地獄行き にしてしまう。

ところが この四人が それぞれの力を発揮して 難なく地獄のさまざまな場所で
鬼たちを困らせる。

それに手を焼いた閻魔様は とうとう四人を 地獄からこの世へと帰らせてしまう。


本には その間のことが おもしろ可笑しく書いてあり また 挿絵がいいものだから
読み聞かせると 子供達は ゲラゲラ笑いながら楽しんで 何度も聞きたがる。

娘の子も やはりこの本が大好きで 話が理解できるようになった頃から
東京から来るたびに まっさきに この本を見つけては 読んで読んで とせがむ。

三途の川 閻魔様 浄玻璃の鏡 地獄の鬼たちや釜ゆで 針の山・・・
本当なら これほど怖いものはないはずの事だが この本は面白い。

今はお盆
地獄極楽のあの世の門が開いて 亡くなった人たちの魂が帰って来る。

できるなら 本のように 大好きだったあの人も そしてあの人も 彼岸からこの世へと
魂だけでなく体ごと 閻魔様に送り帰してもらいたい。

これまで 気丈に 一人で看病を続けてきた友人だったが
さすがに 憔悴の色も濃く かなり体重も落ちていた。

そして 物言わぬご主人の顔を覗きこんでは そっとおでこを撫で 頬に触れ
顎の髭の剃りあとを撫でて 悲しみを新たにして 泣いた。

「近年は こんなふうに撫でたりすることがなかった・・・
こんなに早く逝ってしまうのなら もっとたくさん 触れておくんだった・・・」

震える小声でそう言いながら ご主人の顔を まるで指先に記憶させるかのように
覚え込ませておくかのように 何度も何度も 納棺が済むまで 撫でたり触れたりしていた。
そして その度に 泣いた。

そんな彼女の様子は 一回りも二回りも背中が小さく見え 儚げだった。

長年寄り添い連れ添った夫婦の 最期の姿が そこにあった。


こうして 生前の笑顔の写真が映し出され 好きだった音楽が流れるなか
私の大切な友のご主人は 彼岸へと 旅立って逝かれたのだった。

水曜日の午前 山姥のようになっていた頭髪を 急いで美容院で整えた後
昨夜のうちに準備しておいた荷物を夫の車に乗せ そそくさと友人宅へと向かった。

予め聞くと 葬儀は金曜日になる とのことだったので
三、四日は泊り込むことを前提だから 荷物も それなりに大きくなった。

こちらは 初めから 裏方での手伝いのつもりだから
亡くなったご主人のお顔を拝見して手を合わせた後は 直ぐ 台所に立つ。
前日の治療のおかげで 痛みが薄れているのが なによりだった。

夕方になると ご主人同士が幼馴染で 夫婦で仲良くしていた方の奥さんYさんが
私と同じように裏方で手伝うべく 到着された。

主にすることは 遠方からいらっしゃって 家に泊まられる親戚の方々のお世話だ。
それに お通夜と葬儀当日の受け付けを 親戚の男性と私たちですることになった。

Yさんとは 初対面ではなかったが こんなに何日も行動を共にしたことはなかった。
それなのに 気心を合わせて 一緒に立ち働けたのは 不思議だった。

二人で動きながら さまざまな故人との思い出話やそれぞれの人生についてまでも語り合えた。

途中からは もう一人 友人の学生時代の友達も加わって 三人で 台所に立った。

どの人も 人柄のせいだろう。
悲しみの中ではあったが 昔からの知り合いのようにして過ごした四日間になった。


今週の火曜日の朝 いつもの火曜日と変わりなく 夏休み中の夫の車に乗せてもらい
受診するために 大学病院へ向かった。

受け付けを済ませ 麻酔科の待合に腰を下ろして 診察が始まるのを待っていた。
そこへ 余命宣告を受けたご主人を 在宅で看病していた友人から 電話が入った。

とうとう救急車で病院へ運ばれ おそらく ここ二、三日 だろう と言う。
一人で頑張ってきた彼女だったから 誰か一緒に付いているのか 聞くと
いつも彼女が頼りにする兄嫁さんが 今日はいてくださる と言うから
それじゃあ 私は 今日は大学病院に来ているから 明日病院へ行くから
と 伝えて 電話を切った。

驚きながらも 事の次第を知らせなくては と 親しいもう一人の友人に
明日 病院へ行って 様子を知らせるから と その場で 電話して伝えた。

彼女も私も 病状の様子から 在宅で おまけに 友人一人で看病するのは
病人にも友人にも 限界がきているのでは と 心配していたのだ。

電話を切った後 心が騒いだが とにかく 明日病院へ行くためにも
今日は しっかり治療してもらわなければ・・・ 多分明日の夜は
友人とベッドサイドに詰めることになるだろうから・・・
などと思い 気持ちを高ぶらせながらも 順番を待って 治療を終えた。

そして 階下で会計を待っている時 また 病院の友人から 電話が入った。

「 逝ってしまったわ・・・早かった・・・」

私は あまりのことに 初め声が出なかった。
「エエッ 明日の朝 行くって さっき言ったばっかりなのに・・・」
トンチンカンに それだけ言うのが せいいっぱいだった。


まさか こんなに早く逝ってしまわれるなんて・・・
そうでなくても 医師からの宣告は余命三ヶ月 と聞いていたのに 本当に早い旅立ちだった・・・。

ボッとしてしまった私は とにかく 夫に迎えに来てもらわなくては と連絡した。
それから 夫が来てくれるのを待つ間 先ほど連絡した もう一人の友人に
亡くなったことを あらためて報告した。
彼女も 電話口で 言葉をなくしていた。

いつもなら 帰りぎわ 病院から 薬局へファックスで処方箋を送っておくのに
この日は 気持ちが上ずっていた証拠だろう 薬局へ薬を取りに行くと
今日はフアックスがなかったので まだ薬ができていない と言われてしまった。
そうだ フアックスで送っておく ということが 頭の中から抜けてしまっていた。

こんなことは初めてですね 痛みが強くなっていますか と薬剤師に問われ
自分でも いけない 心を落ち着けなくては と 思い直していた。

その夜は 泊まりこんで友人を助けるために 数日分の衣類など
重い気持ちで バッグに詰めた。

お盆が間近になった今日 叔母の所へ 盆提灯を一対 持って行った。

去年の夏が 初盆だったから 本来なら 去年届けるはずだったが
叔母の具合が悪くて お盆どころではなかったから 届けるのが今年になってしまった。

茗荷が大好きな叔母なので 畑に出た茗荷や手作りの惣菜なども持って
夕方 出かけて行った。

夫が組み立てた盆提灯に 案がなかった叔母は びっくりしたり喜んだり。

灯を入れると 中の回転灯が回り 仏壇の前が 一気に華やかになった。

仏壇が小さいから 提灯も小ぶりのものを選んだが かえって釣り合いがとれた。

故人へ というより 少しずつ落ち着きを取り戻している叔母への贈り物だ。

叔父の息子家族からは 一周忌以後 連絡がないらしい。

私たち夫婦は 遠くの親戚より近くの他人 そのもの。

身寄りが遠いと 出入りする者が少なくなる。
連れ合いがいなくなったぶん 心細いに違いないから
これからも 多分 親密に付き合うことになるだろう。

長男の二人の子供たちが少し大きくなって 親と一緒でなくても
祖父祖母と出かけられるようになった頃から 魚釣りの好きな夫が言い出して
毎年夏休みになると 二人を マスの放流釣りに 連れて行っていた。

受験があった年と二人ともが合宿などで 日にちが取れなかった年が
二、三回あって ここ二年行っていなかった。

来年になると 上の子がまた受験になり それ以後は行けなくなってしまう。
それで 今日 この恒例の釣りに 夫は二人の孫を連れて行ってきた。

私は 体調がイマイチだったから 初めて同行しなかった。
孫はもう 二人とも 私の付き添いがなくても 大丈夫な歳でもある。

放流釣りを楽しんだ後 温泉に入って 温泉に併設してある食堂で
マスの唐揚げ定食を食べて 帰って来る それが毎回のお決まりのコースだ。

仕事から帰った嫁に 二人ともが マシンガントークだったそうだ。
楽しかったのだろう。

二人の心に おじいちゃんとの思い出が残れば 嬉しい。

昨夜は 友のブログを 何度も読み返して過ぎた。

そのせいか 眠りが浅く 今朝も明ける頃から 目が覚めた。

ご主人の容態が 次第に悪化して 重体化してきているらしい。

彼女には 何人もの兄がいるが 姉妹がいない。
子供もいないから 日々悪くなっていく夫を たった一人で 昼も夜も
在宅で看病している。

ヘルパーや看護士 療養士などの手助けがあっても
基本は 一人だ。

病院なら 個室で付き添っていても 昼夜絶え間なく看護士が出入りして
病人の様子を観てくれるから どこかしら心強い。また束の間でも会話できる。
それに 他室や廊下の物音なども聞こえてくるから 十分眠れない代わりに
孤立感がない。

在宅だと それがない。

重病人を たとえ夫とはいえ ひとりで 在宅で看病看護するのは 負担が大きい。
なにより 深夜など 不安と心細さが増しているのではないだろうか・・・。

在宅看護が始まって 一ヶ月を過ぎた。
心身の疲労も かなりのものだろう。

病院や医師との間で いざという時は入院 という話に決まっているらしいが
頑張り屋で なおかつ負けん気の彼女のことだ ギリギリまで そうしないだろう。

そう分かっているだけに 何もしてあげられない自分が もどかしく後ろめたい。

せめて ヘルパーなどに任せて ちょっとの間 用達しに出た時にでも
十分二十分 駅の構内ででも 話し相手になれたら・・・と思う

せめて 深夜の病人を見守る彼女の横で 話し相手にでもなれたら・・・ と思う

そんなことぐらいしか 彼女にしてあげられることを 思いつかない私だ。