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嫁に 旅行から帰っても疲れているだろうから 夕ご飯は我が家で食べればいい と
言ってあったので 予定より少し遅い時間に 土産を携えて 我が家へ来た。

バス旅行だったから 帰路の高速道路で 事故が起きた直後の状況に遭遇してしまい
別の 迂回する高速道路を使って 帰って来たらしい。
そんな事を聞くと 事故に巻き込まれなくてよかった と安堵する。

彼女が帰る少し前に 夫が迎えに行って戻っていた上の孫と まずは四人で夕食。

献立は シチューと ツナにコーンを混ぜたものをレタスの上に載せ 切ったトマトと
ゆで卵を飾ったサラダ。

シチューに入れたお肉は 義弟が今月 仲間と獲った鹿肉。
義弟からの鹿肉は まったく匂いがないから ホワイトシチューに入れても大丈夫だ。
ただ 煮込むと 脂身がないから どうしても硬くなってしまう。
だから 野菜類を煮込んだ後から 油で炒めておいて一緒にする。
チーズを入れたりブイヨンを加えてりして いつもより念入りに作ったシチューだ。

食べ終えた頃に 息子が 会社から直接帰って来た。
前の晩 仕事が深夜まであったのは 監査があったからだという。
仕組みはわからないが 系列があるのか 互いの会社同士で 監査し合うのだとか。
それが終わったので 昨夜は 早く帰れたらしい。

嫁の旅行の話や息子の監査や会社の話は 普段は夫と二人の単調な食卓を
大いに賑わしてくれるが もっと賑わしいのは 上の孫だ。

テストの後 仲のいい子たちとカラオケへ行ったこと
歌った歌で 八十七点を越える高得点が出て 嬉しかったことなど
次から次に話して 耐えることがない。

美味しい美味しいと 誰もがお代わりしてシチューを食べ終えると
今度は 下の孫から 部活が終わった旨の連絡が入り 嫁が迎えに行った。

夫が 連れに行こうか と言ったが 一晩留守にしていたこともあって
早く顔が見たかったり 仲間の母親同士 話があったりで
彼女が 自分で行きたかったらしい。

下の孫が来て夕ご飯を食べ終えても 息子は疲れているのだろう ずっと居眠っていた。

食べている途中には 嫁は椅子にもたれたまま 上の孫はテーブルにうつ伏せになって
みんな 寝てしまっていた。
彼らの居眠りは てんでに 一日を精一杯過ごしてきた証のようなものだろう。

下の孫が食後の梨を食べ終えた時点で みんなを起こした。

寝呆けまなこも 外へ出ると 空気の冷たさに いっぺんにシャキッとなる。

二台の車に二人ずつ乗って それも 父親と娘 母親と息子 の組み合わせで
彼らの家へと帰って行った。

二晩続きの夕ご飯は たくさんのお代わりと 彼らの若い食欲やおしゃべりで
久しぶりに賑やかな 我が家の食卓だった。

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今日明日と 長男の嫁が 職場の慰安旅行で 家を留守にする。

それを数日前に伝えてきたから それなら 二日間の夕食は 我が家で食べればいい
また 二人の孫の 塾や部活後の迎えも 夫がするからね と 言ってあった。

今日は 下の子は塾が休講でなしになり 部活が六時過ぎに終わるから
帰宅してシャワーを浴び終えた頃を見計らって 夫が迎えに行った。

お腹を空かせているに違いないから 家に来たら 直ぐ食べられるように
この子と夫の分を とにかく準備した。

今夜の献立は 鳥の唐揚げに生野菜サラダを添えたもの カボチャのスープ
小松菜にモヤシとエリンギ 卵を一緒に炒めたもの だ。

食材は 昨日のうちに買って来てあった。

鳥のもも肉は 大きめのものを七枚 用意していて
全部を揚げた。

上の子は 今 テスト中で 勉強しての帰りが 遅くなった。
それで 夫が いつも降りるバス停まで迎えに行って
我が家に着いたのが 10時。

迎えに行っている間に この子の分の唐揚げを揚げ
着いたらスープと野菜炒めを温めて 食べさせた。

下の孫は 今が食べ盛りだから
お姉ちゃんが食べるときに また食べる と 自分が先に食べ終えた時から
言っていた通り また ご飯と唐揚げを お代わりしてペロリ。
さっき 十五個くらい食べたから 合計で二十個以上も食べた勘定になる。

それにつられて 夫までもが 再びご飯と唐揚げを食べた。

そうなるだろう と 予想しての もも肉七枚だったから
深夜の帰宅になる と聞いている 長男の分の唐揚げも十分ある。

長男の食べる分は 明日もテストがあるという上の子が 食べ終えるのを待って
また夫が 二人を送って行く時に ご飯もスープも そのほかのおかずも
全部 持たせた。
そうすれば 深夜 会社から帰るのに わざわざ我が家まで来なくてもいいからだ。

嫁は とても美味しい唐揚げを作るから 孫たちは その味や揚げ具合に馴れている。
だから 私流のでは 彼らが満足できないのでは と ちょっと心配だったが
私のは私ので とっても美味しいね〜 おばあちゃんお店で売れるよ とまで
二人ともが言ってくれたから やれやれだった。

彼らの食べっぷりを見ると まんざらお世辞でもなさそうだった。

こんな具合で 今夜の役目は 無事終わった。

朝は パンを買っておくから 朝食の心配はしなくていい と
嫁が言っていたので 明日の私の役目は 今日と同じく 夕ご飯を作ることだ。

明日の夕食のメインは シチュー と 決めてある。
あとは それに添えて出すおかずをどうするか だ。

それは また明日 考えることにする。

でも もも肉七枚を唐揚げにするのは さすがに・・・。



昨日 友人が ご主人と一緒に 日帰りのバス旅行に行ってきたから と
たくさんのお土産を持って 訪ってくれた。

彼女からいただく品は いつも実のある品で 昨日持参してくれたものも やっぱり
添加物のない野菜ジュースや 夫が大好きな品だったり 美味しいねぎ味噌の瓶詰めだったり
行った先の名物の漬物だったり 彼女の人柄がしのばれる品ばかりだった。

どれも安価ではないだろうに こんなにいただいてよかったのか と 申し訳なかった。

昨夜は 温泉へ行き 行った時間が遅かったせいもあって
夕飯は 入浴の合間に 館内の食堂で済ませて来たのだが 夫は 温泉から帰るや否や
早速 いただいたねぎ味噌と漬物で ご飯を二膳も食べ
おまけにその後で これも彼女からいただいた大好きな金つばを 二個も食べた。

辛党であっても 粒あんのお菓子 特に金つばは 別腹だったらしく
そんなに食べてもケロッとしていたのには 驚いた。

最近は ご飯のおかわりをすることなどなくなり 内心心配していたくらいだから
ねぎ味噌も漬物も 彼好みであったことは確かだ。
それに加えて 好物の金つばが目の前にあっては 食べずにはいられなかったのだろう。

久しぶりに夫の食欲が戻ってきて よかった。
でも ということは 日頃私が作るおかずの味が悪い ということかも・・・

マンネリ化している料理と味付けを反省しながら
もりもりと食べる夫を 私は 半ば呆れながら見ていた。

彼岸花のお寺とモネの池へ 先日夫と行って来た事を 滅多にないことだったのと
花がきれいだったのとの両方から 身内だけでなく ラインを教えてもらった友人にも
伝えたくて 何枚か写真を送った。

その友人には 名古屋に住むカメラが趣味のお友達がいらっしゃって
そちらへ行って写真を撮りたい所がある と 連絡があり
案内して一緒に出かけられたそうな。

それがなんと 私から送られてきた写真と同じお寺だったわ と 昨夜 ラインがあった。

今の季節でしか撮れない花の美しさは カメラが趣味の方々にとっても
絶好の被写体なのだろう。

そして 友人のご主人が 私が送った写真を見て 写真の切り取り方がいい と
言ってくださった とも添えてあった。

もちろん なにげなく言ってくださった言葉だとは分かっているが
褒められて悪い気はしない。

むしろ 歳を重ねた最近は 他人から褒められることが少なくなっているから
正直 とても嬉しかった。

また 同じ写真を送った嫁からも 写真を見た孫が
いい写真と言っている と返信をもらっていた。

考えてみると 最近では褒められる事がめったにない。
その代わりに 人を褒めることも少なくなっている。

歳をとると 世の中の大方のことが分かったような気でいるからだろうか
何事にも なんでもが当たり前のように感じてしまっている。
それどころか逆に 世の中にも全てのことにも 不満や愚痴ばかりが多くなっている。

特に私は 暮らし自体が単調だから 感激することも感動する場も狭い。
それが 知らず知らず 人を褒めなくしているのだろう。

今回 ちょっと褒められることがどれだけ嬉しいか 気づかされた。

気づいたからには これからは 人のいいところに気づいたら
その場その場で さりげなくさりげない言葉で 褒めることにしよう と 思う。


来週の火曜日が 大学病院の担当医の都合で休診になる というので 代わりに今日が
診察日になった。

昨夜 叔母から 明日どうする?ここへ寄れる? と 電話があったので
本屋へ行きたいから 寄らないで駅へ直行するわ と答えた。

すると叔母から 私も久しぶりに洋服を見たいから 駅で待ち合わせましょう と 言われた。

それで今日は お昼過ぎに叔母と待ち合わせ 叔母にお寿司をご馳走になった。

駅の中には二階三階に 中年やシニアの女性向けの洋服を売る店が 十軒ほどある。

私も 長く一人で洋服を見て歩くことがなかったので 叔母に付き合って その殆どを
一緒に見て歩いた。

品揃えが以前と変わっているお店もあったりで 一軒一軒見て歩くのは 面白かった。

途中で そういえば来月同窓会があることを思い出して それからは 自分に似合うものがないか
そのことを前提に 見て歩いた。

何店かひやかした後に入ったお店で 私好みのパンツと丈の短いチュニック調のブラウスが
ボディーに着せてあるのが目についた。

試着してみると 悪くない。
それぞれの値段はそんなに高くはなかったが 私にとって 二点を同時に購入するとなると
直ぐには決断できない。

パンツの方が安かったので もともと欲しかったのはパンツだったから
パンツだけ買おうかな と 叔母に 言うともなしに言うと
なかなか上下揃って気にいるものに出会うってないことだから 両方買ったら?
と 言う。

叔母の言うことも間違ってはいないし このところ 洋服を買うことも稀だったから
迷った末に 思いきって両方を買うことにした。

何や彼やと勧めていた店員に 両方ください と 告げて コロコロバッグの中から
お財布を取り出していると その間に なんと叔母がサッサと支払いを済ませてくれ始めた。

そこまでしてもらう気持ちは全くなかったから 慌てて叔母の後ろからお金を店員に差し出すと
叔母が いいから いいから、 私が買ってあげたいんだから イイノ!
と 言ってくれる。

店員は 私たちがそんなやりとりをしている間 カウンターの向こうから ニコニコと笑って
見ていた。

どうしたものか と 悩んだが 今回は叔母の好意に全面的に甘えることにした。

その後も 叔母は これが似合うんじゃない?あれがいいんじゃない? と
洋服だけでなく帽子まで被らせて 買ってくれようとしたが
そこまで甘えてしまっては さすがに私も自身の矜持に関わるから 断り続けた。

叔母は 自分自身も 次々に入るお店で あれこれと気に入ったものを見つけては
試着したり被ってみたりして パンツやチュニック 帽子などを購入した。

ウインドウショッピングが好きな私だが 叔母は 私よりも もっとショッピングが好きだ。
でも 叔母も こうしてあちこちたくさんのお店へ入って見て歩くのは 最近なかったし
また 一人では 買いもしないのにこんなにたくさんのお店へ入って商品を見ることも
気後れしてできないから 今日は満足のいくまで見られて嬉しい と 言っていた。

それは私も同じで お店をまわりながら 気持ちが晴れていくような気がした。

二人とも家の中にいる時間が長い分 こんな時は 気が合う。

気に入ったパンツとブラウスも買ってもらって ウインドウショッピングも堪能できて
今日は本当にいい日だった。







昨夜 昨日夫と行った場所で撮った写真を ラインで 嫁と娘と次男に送った。
三人から帰ってきた返事は それぞれで興味深い。

なかでも 次男とのやりとりは 思ってもみなかった内容になった。

次男からは 彼岸花が綺麗だね の返信の後
再び私が 珍しくお父さんから行こうって言い出したのよ と 伝えると
仲が良くていいね と ちょっと冗談交じりの返事がきた。

それで 今度は私が この歳まで一緒にいると 互いが身の内みたいになっててね
仲がいいんだか悪いんだかわからなくなってるよ と 返信した。

すると なんと 次男から すかさず

仲のいい両親の子供は幸せです

と 返してきた。

まさか 我が子から こんな嬉しい言葉を言われるなんて 思ってもいなかったから
思わず 涙が出た。

私たち夫婦の子供でよかった と 思っていてくれる 幸せだと思ってくれている・・・
それが 何より嬉しかった。

育てる間は 大変なことも悩むこともたくさんあったけれど
一生懸命に 子供を第一に考えて生きてきた 私たち夫婦の生き方を
ちゃんと分かってくれていて 評価してくれているのだ と思って ありがたかった。

また 親の知らないところで 子どもはしっかり育っていた 育てていただいている
そのことにも思い当たり 感謝した。

日頃 帰省しても 面と向かってこんなことを口にしたことはないが
心にないと直ぐには出てこない こんな言葉を サラッと返してくれた次男に 心を満たされ
昨夜は ホロホロと 泣かされた。



高賀神社から道を下って 今度はお寺の彼岸花を見に。

ここは 去年同じ頃に 友人に連れて来てもらったが
すでに花は盛りを過ぎていて 残念な思いをした。

お寺は 新聞で紹介されたこともあって 彼岸花を愛でる人が あちこちで写真を撮ったり
びっちり咲く彼岸花の間の散策道を歩いたりして 楽しんでいた。

大きく真っ赤な 花魁の簪のような花が 妖艶で華やかだけれど 長い茎だけで葉がない分
淋しげでもある。

彼岸花を見た帰りは 途中でお茶もせず 家めがけて一直線だった。

いつもなら 途中でお茶でも飲んで ちょっと一服したいのに・・・と 不満が残るが
さすがに今日は 三ヶ所も寄って来たからか 腰が痛んでいても 満足できた一日だった。

しかし しかし 帰り着くと夫は 腰も下ろさず 今度は畑へ一直線だったけれど・・・。

昨日 夫は 朝七時前から 関係している幼稚園の運動会へ出かけて行った。

そして 思ったより早く帰宅して 遅いお昼を食べた後
読んでいた朝刊に 近在のお寺の彼岸花が真っ盛り という記事を見つけて
見に行こう! と 突然言い出した。

自分が イマイマ ビールを飲んだことなどすっかり忘れているようだ。
アルコールが入っているから行けないじゃないの・・・(何言ってるの!)
と さすがに最後の言葉は飲み込んで 言うと
それじゃあ 明日の朝行こう ついでにモネの池へも行ってみよう と 夫が言うではないか。
エエッ どういう風の吹きまわし? と思いながらも この機を逃したらもう絶対行けないし
前々から 一度行ってみたい と思っていた所だったので 嫌 とは言わず
今朝早く起きて洗濯を済ませ 行ってきた。

ひっそりと ただそこにあるだけの 小さな湧水池だったのが
透き通っている水面に 睡蓮の葉や花が映り その下を錦鯉がユラユラと泳ぐ様が
まるで モネの池 の絵のようだ というので 誰かがツイッターに写真を載せた。

すると 瞬く間に情報が拡散し 今では 日に何台も観光バスが来るほどの
ちょっとした観光地になっている。

我が家からだと 車でおよそ三十分の距離にある。

行ってみると まだ朝の九時だというのに 乗用車で駐車場がうまっていた。

よほど見に来る人があるとみえて 駐車場も二箇所あり 立派なトイレまで設けられていて
二名の警備員が 笛を吹きながら 車や道路を横切る人たちを 整理していた。

睡蓮の咲く頃が一番の眺めだというから 見ごろの季節はとっくに終わっているのに
小さな池の周囲は 人でいっぱいだった。

山から絶えず流れ込んでいる湧水だから たしかに水は澄んでいて水底まで見え 綺麗だ。
丸く浮いている蓮の葉の間を 何匹もの錦鯉が ゆったりゆったり と泳いでいる。

陽の射す所と日蔭や木陰になっている所とが 水面の色も違って見え
この池だけをとらえたならば 本当に モネの絵のように見える。

多勢の人に混じって その景色を堪能した後
夫が 今まで行ったことがないから ついでに高賀山神社へ行ってみたい と言い出し
車を もっと奥へと走らせて 高賀山へ。

私も 二十年以上も前に数回来たことがあるが それ以来の高賀山だ。

マラソンの高橋尚子さんが この神社の水を飲んでいたことで この神社が
有名になったが 元々 千二百 年もの歴史がある尊い社だ。

昔々 この山に 顔は猿体は虎 尻尾は蛇 の 「さるとらへび 」なる妖怪が出て
里人を苦しめていた。
それを 都の帝の命で 光高 というもののふが退治した 伝説が残っていて
社の下には その銅像まである。

ここまで海抜が高くなると 神水でなくても 川の流れは清い。
私が住んでいる市の北までは 途中の流れは翡翠色だ。

街中から 池を見ようとやって来る人たちには
道路に沿うように流れている川の清らかさや 水の色も
観光の対象なのだろう。

遠くない所に生まれ育っていても これまで来たことのなかった神社だっただけに
夫は 来てよかった と 満足そうに言っていた。




お昼過ぎのNHKで スカーフの上手な使い方 を放送していた。

確かに 自分で気に入って買ったものや 外国のお土産にいただいたものなど
昔からのスカーフが タンスの小引き出しにしまってある。

化繊でも いただいたものだと思うと 捨てられないし 素材がシルクとなると
なおのこと処分できないから 枚数にすると かなりの数になる。

そんなスカーフを 番組では オシャレにかっこよく またエレガントに
上手に結んで使う方法を教えていた。

一つの結び方から 三通りの使い方に変化させる方法や
首の短い人でも 使い方で綺麗に結べる方法
一段と華やかな結び方や 長いスカーフを洋服のように見せる方法など
たくさんの結び方を 紹介した。

一枚の布が 首や胸元 体を纏うものに変化して
とても綺麗だった。

歳だから と言わないで もっと引き出しの中から出して使わないと
と 思わせてくれた番組だった。

これからは 外出には スカーフを使おう!
とは言っても 私の場合 ほとんどの行き先が病院なのは ちょっと悲しいが・・・。

昨日 届いた箱を開けてみると 特大のブドウの房が 三房入っていた。

今 巷で大人気の サンシャインマスカットだ。
黄緑色の大きな粒が ツヤツヤと輝いている。

どこのスーパーでも 値段の差こそあれ 売られてはいるが
安いものでも とても我が家の経済では 買える値段のブドウではないから
スーパーでは いつも 見るだけ の代物だ。

でも 娘が送ってくれたこのブドウのような 大きな粒のものは
デパ地下でも果物屋でも これまで見たことがなかった。

今まで見たことのある同種のブドウで 一番粒が大きかったものに比べても
二倍から三倍はあろうかと思える粒の大きさだ。

そして 驚いたことはもう一つ
その甘さだ。

大きな粒を口に入れ 歯で皮を噛むと 大げさでなくパリッと音がして
まるで砂糖か蜜のような果汁が ジュワッと出てくる。

あまりの大きさとその甘さに さすがに ブドウ好きの私でさえ
数粒食べただけで もう十分になる。

生産を販売ラインに載せないで丁寧に作ると かくも良いものができるのか
と 感じ入った。

この浜ブドウとは とても比べられるものではないが
夫が作る果樹にしても 同じことが言える。

夫が 丁寧に丁寧に 肥料をやり手入れをし 精魂込めて作ったもの
特に桃は 大きさも甘さも スーパーで売られているものより
はるかに上をいっている と 常々 手前味噌で思っている。

玉ねぎや人参にしても 孫たちは じいじのが一番美味しい というらしいが
この農園からいただいた野菜も やはりとても美味しかったらしい。

浜ブドウ とブランド名のついたブドウを 初めていただいて
その大きさと甘さに驚きながら 夫の作る物へまで
思いを巡らせたことだった。





以前 東京の娘家族が 横浜で代々農園を営んでいる友人宅を訪れた際に
そのお宅のブドウ園で ブドウ狩りを楽しませていただいた。

横浜という大都市に 広大な農園があること自体にも驚いたが
その農園が 絶えることなく代々受け継がれて営まれている ということにも驚いた。

時代の波に飲み込まれないで 宅地化もしないで 代々農業を専業とするのは
家としての強い意志がなければ 並大抵ではできることではない。

娘から その農園で楽しませてもらってきた と聞いたとき
そんなことを思った。

そして その農園で作っているブドウは 浜ブドウ というブランド名があるのだが
なにせ個人の農園だから 収穫量も大量ではない。
おまけに 宣伝も広告もしないのに 口伝てで評判が広まり
収穫前から予約で売り切れてしまうから 一般のお店には出回らないのだという。

娘は 食べさせてもらった時に その甘さに驚いて 次に出荷する種類のブドウを
私たちの所へ送ってもらうよう手配してくれた。

そのブドウが 昨日 届いた。

昨日は 大学病院受診日だった。

いつもの如く 夫の出勤に合わせて家を出て 病院の玄関前で降ろしてもらった。

建物の中へと入っていくと 案内カウンターの向かいに
本日の受診予約者数 が 手書きで表してある。

昨日の予約者は 千三百七十人余り。
千二百人をこえると 今日は患者が多い と判断できるのだそう。

県内のかかりつけ医から 紹介状を持参して来る初診の患者も多いが
予約患者のほとんどは 再診の患者だ。

それらの来院者が たくさんある科に まるで振り分けられたかのように
分かれて散っていく。

病気になったら たいていは 身近のかかりつけ医へ行って
診察してもらい 投薬を受けておしまいだ。

かかりつけ医では面倒がみられない重症患者やその疑いのある患者が
送りこまれるのが この大学病院だ。

それが連日千二百人以上にもなっているのだから
長年通っている私でも その多さには毎回驚いてしまう。

その中の一人である私は というと ヤッパリ昨日も 診察の後
痛み止めのトリガーを 十四箇所にうち 点滴をしてもらった。

トリガーの後は 通常の痛みとはちょっと違って
鈍くドーンとした重苦しい痛みがある。

ピンポイントでの痛み止めだから 毎回 微妙に針の位置が違う。
的を得た位置に針がさされたときほど 鈍く重い痛みが強くなる。

昨日は ほとんどの箇所に そんなふうに入ったから
足も腰も とても重だるくて 痛んだ。

こんなときは 足の運びを注意しないと 足が突っかかったようになって
転びやすい。
自分で思っている以上に 足が上がっていないし 前へ出ていないからだ。

片手にコロコロの取手を持ち 片手に杖を持って支え ゆっくり歩く。

今では こんな大学病院への通院生活にも慣れてはいるが それでも
処置室を出て ゆっくり歩くこの時 ヤッパリ落ち込む。

しかし 会計を待つ間に 同じように待っている多くの患者を目にすると
もっと重病な人がたくさんいる と思い直しては 気持ちを立たせる。

これが一生続くか と思うと気も滅入るから 今日は今日 と
考えることにしている。

健常な人でも老若男女に関わらず 明日のことは誰にもわからないのだ。

下手な考え休むに似たり その精神で頑張る きょんです💪❗️




今月は 私自身の不調や 先生の都合で変更になった日が 私にはすでに予定が入っていたりで
書道の稽古に 一日も行けていなかった。

今週の稽古日も やはり先生の都合で 木曜が今日に代わっていたが
今日は何も用事がなかったので ようやく 今月初めて行って来た。

今月初めて手にする今月のお手本の冊子
表紙には 昇級おめでとう の 先生の言葉がある。
嬉しかった またこれからも頑張ろう と思える瞬間だ。

道具を調え 腰を落ち着け 冊子のお手本を広げる。
今月は 独特の書体の大先生の筆になる和歌が 手本だ。

若山牧水の歌が 大先生独特の文字で書かれている。

どの文字までがひと続きなのか・・・読みづらい。
どの文字で意味が分かれているのか・・・私には理解できない。
和歌の内容が どうにも理解しづらかった。

次に 先生が 半紙に 弟子一人一人に書いてくださったお手本を見た。
先生は 大先生の書を 我々弟子が書きやすい書体に直し それをお手本として
渡してくださっている。

なるほど これはこういう文字が書いてあるのか・・・。

そのあと 冊子のお手本の脇にある 歌を 読み下して小さく書いてあるものを読んだ。

フムフム なるほど
初めのヲミナヘシ(女郎花)に対して 末語にヲトコヘシ(男郎花)で結んだのか・・・
牧水も 洒落た歌を詠んだものだ・・・。

そして もう一度大先生のお手本を見る。

❓❓❓
❓❓❓
エ〜! ちょっと待てよツ!
これって わざと??

もう一度 脇の読み下したものを読む そして もう一度お手本を見る。
やっぱり どう考えても 大先生の間違い としか考えられない。
だって 読み下しは ちゃんとヲトコヘシになっているもの・・・。
ヲトコヘシじゃなければ意味が通らないのに
大先生の書かれたお手本は ヲトコシヘ になっている。
渡された先生のお手本も 同じように ヲトコシヘ と書いてある。

でも 今月は今日で三回めの練習日だ。
もし お手本の間違いならば 本部からの知らせがあるか どなたか通っている方が
指摘してか すでに先生も気づいておられるはず・・・。

それに ヲトコシヘという花が 実際にあるのかもしれないし 読み下し文が
間違っているのかもしれない 稀にそういうことがあるのだ。

なんでも納得しないと気の済まない私。

おそるおそる先生に どこで切って詠むのか オトコシヘというのはどんな花なのか
読み下しはヲトコヘシになっているんだけれど・・・
と 聞いてみた。

すると 先生は エツ!という顔をされた。

アラツ これは・・・? と 先生も気づかれ おかしい と思われたのだろう。
早速 辞書やパッドで調べてみえたが ヲトコシヘ という花は見つからなかった。
そこで ヲトコヘシ を調べると ヤッパリ❗️あるある❗️

ヲミナヘシ に対して ヲトコヘシ なのだ。
女 に対しての 男 色も 鮮やかな黄色に対しての真っ白。
先生も 歌の意味からも そうでなくてはおかしい と気づかれ そうおっしゃった。

大先生がお間違えになったのだ としか考えられない。
今まで 全く間違いに気づかなかった。
弟子のどなたも指摘されなかったし お手本そのままをみなさんに書いて
渡してしまった。

それにしても 本部から 訂正の連絡が入っていない。
本部の偉い先生方も 事が 大御所の大先生の筆になるものだから
もし 間違いに気づいている先生があっても 間違っている とは
面と向かって言い出せなかったのかもしれない。

それでも 間違いだとわかった以上 お手本のままではなく
正しい文言に直して書きましょうか・・・。

先生はそうおっしゃったが 私たちは 和歌を学んでいるのではなく
書を学んでいるのだから お手本のままでいいです と 私は言った。

それでも先生は 間違いなのにそのままというのは 気持ちが悪い。
と言われたが かといって 三週めの今更 本部に連絡したところで
どうしようもない。

また もし本部の先生方が気づいていても黙って見えるのなら
なおさらのこと。
教室の師である先生が 間違いに気づき 指摘したとなると
これもまた それからのことが問題になって 先生の立場が悪くなっては
それも困る。

だから このままお手本通り 書いて出すことにしましょうよ。
と 私が言って ではそのままで と いうことになった。

同じ時間に学んでいる人たちも 毎回練習しているのに
まったく気がつかなかった と 口々に言って 先生ともども
よく 気がついたねえ と驚かれる始末。

なんでも知りたがりやの「きょん」の 面目躍如 の出来事だった。
それと 昔々 専科として学んで 今は錆びついた「国文」が ちょっとだけ顔を出した
とも言えるか。

それにしても 大大先生でも 間違いはされるのだ。
年々 お年を召されているのだから それも有り得ることだ。

雲の上のそのまた上の大先生でも ヤッパリ人間なのだなあ と思える
今日の出来事だった。



昨夜は雨風が激しく 一時はこのまま長く続くと大変なことになるかも と
心配になるほどだったが おかげさまで しばらくするとそれも止んだ。

今朝 外へ出てみると たくさんの千切れ飛んできた枝葉が塀の中にあったり
もうすぐ色づく棗の実が 大量に落ちていたり 。

棗の実は 秋の私の楽しみの一つ。
せっかくもうすぐ熟れて 収穫時になる寸前だったから 残念 残念❗️

でも 被害というほどのことでなく済んだのは ありがたいことだった。

九州では またも甚大な被害が出ている。
そんな時に たとえ大好きな棗であっても もったいなかった など
不謹慎極まる物言いだろう。

被害に遭われた方々に 心からお見舞い申し上げたい。

御彼岸に行けなかった両親のお墓参りに 今日 行って来た。

台風の影響で 午後から雨☂️の予報が出ていたので 降り出す前に帰って来たい と
言う夫の車で 今朝八時前に家を出た。

供花は 昨日のうちに買ってあったから 高速を走って 一路高山へ。

予報に反して 家を出る頃から ポツポツとフロントガラスに雨粒が。
走るに連れて 雨はいよいよ本格的になっていった。

長くお参りしていない分 周囲や墓石の掃除もしてきたいのに
このぶんでは ただお参りするのが精一杯になってしまう。

そう思っていると 飛騨地域に入ったとたん 雨が降っていない。
美濃と飛騨では こんなにも天気が違うものか と驚きながらも
なんとか帰りまで天気がもってくれればいいが と夫と話しながら行く。

お墓は案の定 周囲の笹が伸びていたり 枯葉がこびりついたり草が生えていたり。

早速 夫はハサミを取り出し 私は墓石を拭き始めた。

花立てには 夏に 長男が家族と来た時に供えてくれたらしい花が 枯れたまま。

すべてきれいになる頃 雨粒が落ち始めた。
急いで後片付けをし ろうそくや線香を立てて 二人でお参り。

いつも 夫と一緒の時は 目的の用事さえ済ませたら 後はサッサと帰るだけ。
雨が降り出した今日は いつにも増してとんぼ帰りだ。

行った時に必ず寄る 夫の好きな中華そば屋で中華そばを食べ 近くのスーパーで
飛騨の物をいくつか買っただけで また高速にのった。

雨は本格的に降り出した。
これから何日かは 台風の影響がなくなるまでは ずっと雨降りだろう。

なんということ! 帰り着いたのが 三時少し前。
今までで一番速い往復になった。

大忙しのお墓参りだったが それでも きれいにしてきたことで
私の気持ちもスッキリした。

立ち寄りたい親戚も 会いたい友人も ちょっと寄ってみたい場所もあったが
仕方がない。
どっちみち 夫と一緒では 思うようにはいかないのだ。
これも いつものことだ。

また今度 一人で行ったら ゆっくり気の済むように廻ろう。




友人の ご主人の葬儀以後の暮らしぶりは 彼女のブログを読んで察してはいたが
毎日のようにご主人を偲ぶ 寂しげなそのブログの内容が気になり
実際の彼女の様子を 会って確かめたくて
昨日 思い切って 一晩泊まりで 彼女の所へ行って来た。

今 彼女がいるのは 健常ならば 楽に行き来できる距離の町だ。
現に 私の家の近くのバス停から最寄りの駅までのバス代の方が JRの乗車賃より高い。
JRでたった四駅離れているだけの町だ。

駅を出たロータリーに車を停めて 彼女は待っていてくれた。

電話では ちゃんと食べているから大丈夫 と言っていたが
看病で痩せていた葬儀の時と あまり変わっていない。
でも 多少日にちが経った分 元気になっているように見受けられるのが 嬉しかった。

着くのが一時過ぎになってしまった私を 彼女はお腹を空かせて待っていてくれ
美味しいランチがいただけるお店へ 連れて行ってくれた。

葬儀後の彼女は 一日中絶え間のないくらい電話が入り 弔問客があり
忙しく落ち着かない毎日を送っていた。

四十九日の忌明け法要の後も 弔問客の訪れの予定などが入っているし
十一月が過ぎるまでは なかなか落ち着いた生活が望めない気がする
私と話している合間にも 幾度となくかかってくる電話の応対をしながら 彼女はそう話した。

悲しみの中で夫を偲び 弔問客の相手をしながら 祭壇に向かって手をあわせる生活は
今の時期の彼女にとっては 当然の 寡婦になった姿なのかもしれない。

しかし ある程度の日にちが経ったら 彼女本来の性格のままの
闊達で 生き生きとした生活を送ってほしい と 私は思っている。

私達同年代の女は 結婚すると どうしても 知らず知らず自分を抑えて
夫の意思や婚家の義父母や親戚に気を遣い それに合わせて生きざるを得なくて
本来の自分を どこかに置き去りにしながら生きてきた。

不謹慎かもしれないが ご主人が亡くなった今 彼女はそんな生活から解放された。
だから これからは生活の全てを 自分の生きたいように生きてほしい。

そして ずっとずっと先に 彼女が今際の際に立った時
いい人生だった 思うように生きることができた と 満足と充実感と幸福感に包まれて
旅立っていけるような そんな生活を送ってほしい。

この世の中で 縁あって 夫よりも長く 血の通った父母と暮らした年月よりも長く
共に泣いたり笑ったりしてきた間柄の彼女には
これまで以上に 有意義で幸せな人生を生きてほしい。

昨日から今日 いろいろ話したことを思い出しながら電車に乗り
そう願いながら 帰って来た。







今年も 栗🌰の季節がやって来ている。

夫は 勤めのある日は その帰りに 休日は 朝早くに 畑で落ち栗拾いをしている。

他の果樹と同じように 素人が育てた樹だから 年々樹が衰えて
なかなか長持ちしない。
だから 当然 収穫量も年々減っている。

おまけに 今年の栗は 甘みがないし 実もパサパサしている。

それでも 今年もまた 栗きんとんにしたり 剥いて栗ご飯を炊いたりしている。

言わずもがなだが 栗の皮は 硬い。
剥いているうちに 包丁の歯のキレが 次第に悪くなってくる。
だから夫は 時々研ぎながら 黙々と剥いている。

テレビを見ながら聴きながら 手袋をして皮を剥く夫の姿は
毎年恒例の 我が家の初秋の情景だ。

せっかく 丹精込めて 美味しい実がなるようにと 一年かけて樹の面倒をみても
今年のように 美味しい実がなるとはかぎらない。

それでも 夫は飽きもせず どの樹木もこまめに面倒をみる。
実の収穫は 一年のうちのほんの短い期間だけで 一年の大半は
冬までもしなければならない作業がある。

退職の数年前から 兼業農家に 兼業農夫になった夫は
今日まで ほとんどの作業を 一人でやってきた。

さすがに 最近では 始めた頃に比べると 体力もなくなり
疲れの度合いも大きくなってきた。

農作業ができるのも 残り十年あるかないかだろう。

昨日 誕生日を迎えた夫
また来年も 今夜のように 黙々と栗の皮を剥く姿が見られますように。

誕生日には カレーをみんなで食べたい カレーパーティがいい と 夫が言ったので
今日は 朝からカレーを作って・・・と心積もりしていたら なんと夫が
俺が作るから お前はテレビでも見ていろ と言う。

どういう風の吹き回しか。
こんなことは初めてのこと。
見れば 夫は ネットで作り方を調べたのだろう レシピをプリントアウトまでしている。

そこまでして 自分で作る気になっているのなら 私は引っ込んで お手並み拝見といこう。

奮闘して作ったのは いつもと変わらない 玉ねぎとジャガイモ 人参にお肉が入ったカレー。

エエ?これだけ? みんなを集めて いつもと変わりばえしないカレーを食べるだけ??

これじゃあパーティにはならないわよう〜〜
やっぱり最後は私の出番かあ〜
やれやれ!

と 心の中で思う。

それでも せっかくの 夫のやる気とプライドを傷つけてはいけない。
そこは長年の連れ合いのこと うまい言い回しが必要。

結果 カレーをもう一種類作ることに。
ちょうど昨日 新鮮な野菜を幾種類か買って来ている。
自分で作るつもりだったから 食材はあるのだ。

だから 七種類の野菜を使って 野菜カレーを作った。

そして これも 夫には言わないで買って来ておいたナンを添えた。

それに トマトやキュウリ 刻みキャベツに生ハムを添えた野菜サラダ。

これだけを足すと なんとかパーティらしい卓上になった。
テーブルも カバーを掛けて ちょっとよそいきにした。

長男家族が デザートのケーキとプレゼントを持って到着 いよいよ誕生パーティ❗️

大人はビールで 孫たちはソフトドリンクで カンパーイ❣️❣️


大慌てで作った野菜カレーも美味しくて ナンとともに大人気。

みんなが 二種類のカレーを楽しんで 何度もお代わりして食べてくれた。

孫たちが大きくなって なかなか時間を取れなくなってはいるが
こうして集い なんでもないことで笑い 賑やかにワイワイと話して
楽しい時を過ごせることは 本当に幸せなことだ。

また一つ歳を重ねた夫のこれからの一年 これまでと同じように
元気で暮らせますように と願いながら カレーを食べた。


遅くまでの仕事が終わってから 一旦アパートへ帰り シャワーを浴びて
途中で夕飯を食べ やっと今 次男が帰って来た。

明日は 夫の誕生日だからと 酒好きな夫のために 日本酒を買って
今夜一緒に飲みたいからと 他に一本たづさえて。

一日の畑仕事で疲れ果てた夫は 夕食も済むか済ませないかでベッドに入って寝ていたが
帰って来たよ お酒を一緒に飲みたいって と起こすと やおら起き上がって居間へ出て来た。

そして 酒盛りが始まった。

明日は 塾のある長男宅の子が帰るのを待って 我が家に集まり
みんなでカレーパーティーをする予定になっている。

玉ねぎとジャガイモは 我が家のものがあるし 肉は 義弟にもらった鹿肉があるから
スーパーで買ってくるのは 人参だけだ。

それでも 明日のカレは 七人分 それも食べ盛りがいるから 凄い量を作る。

ご飯も一升では足りないから 普段は片付けている一升炊きの炊飯器を 準備した。

昼間には なまくらして八月のままの設えになっていた 玄関の棚の上や飾り棚など を
九月のよそおいに変えた。

九月の額は 秋の大きな満月の色紙
下には ススキを生けた壺 その後ろに金屏風を立てた。

玄関の棚の上は 月にウサギの小さな几帳を立て
秋草を 一閑張りの籠に生けた。

これだけで 玄関の戸を開けると 空間は九月になった。

本当のところ 今は もう落ち栗の季節だから その色紙を額に入れたいのだが
我が家にある色紙では 栗は柿と一緒に十月の色紙に収まっている。
だから 栗は 来月までおあずけだ。

今月は 体が動かず 設えを変えるのが遅くなってしまったが
いつもは 月が代わると 壁の絵画もその下の小物も 飾り棚も額も
その月に相応しいものに代える。

垂はつの設えも 季節によって代える。

家を建てるとき 玄関の空間を広くとった。
こうして 楽しみたいがために。

今にして思うと 現在のような体になっても 屋内で自分なりの楽しみができるように
そのために 広くとったような そんな結果になったのは ありがたいことだ。

自分なりに生活を楽しんで生きる 小さなことに喜びを見出して・・・
これからも そんなふうに 私なりに 穏やかに生きていけたらいい。

それができるのは 夫が元気でいてくれること。
健康で明日の誕生日を迎えられることを 喜びたい。





生まれてからこれまでの人生で どれだけのことを学んできたか・・・と考えるとき
誰もが 学ぶには学んだが それは 自分が見聞きし 己が生きてきた範囲での
学びにすぎない ことに気づく。

だからこそ 見聞を広め人間の幅を大きくすることが大切になる。
でも よく言われるこのことを どれだけ真摯にとらえて 人は生きているか・・・。

突然だが 誰だったか演歌歌手の歌に 山 という歌があったと思うが たしか
人生を山に例えていた と思う。

同じ意味で山を歌っているかどうかは はっきりしないが このブログを書き始めて
人生は山に等しい と この歌を思い出すとともに 思った。

生ききった時の 人生という山の高さや形 緑の多さ
そこに その人の生き様が投影されているのではないだろうか。

どれだけ幅広く生きたか どれだけ人のために生きたか
どれだけ他人との付き合いに心を砕いたか 独善的な生き方をしてこなかったか
そして どれだけ生きる努力をしてきたか ・・・

それによって 山の高さが変わり 険しさが変わり 植栽の種類も変わる。
もちろん この場合 山は高ければ高いほど その人が懸命に生きた証になるだろう。

しかし 山の美しさは 高さだけではない。
鋭く屹立する不毛の山ではなく 裾野をなだらかに優美に広げる緑の山
これもまた 美しい。

裾野の広がりは 己の思いだけでなく他人との交わりや本などから
多くのことを学びとらえて生きてきた証だからだ。

他人を思いやる深い心からは 当然そうあるであろう 言葉や行動が発せられる。
それが いわゆる 常識 と呼ばれるものではないだろうか。

他人との交わりを軽視する人生を送ると 学ぶ機会を逃して生きる。
交わっても 己の思いが強くて 他者の考えや思いに心を馳せないと やはり 学びは浅い。

他人の心を察しない生き方は 潤いのない川のようなものだ。

そうなると 自分の常識を常識として生きてしまっていることにすら
気づかないで 生きてしまう。

この歳になると 悪い意味で ああこの人は こういう人生を送ってきたんだなあ と
思わざるを得ない事柄に出くわす。
もちろん ああこの人はいい人生を生きてきたんだなあ と感じさせる人との出会いも多いが。

大口を叩けるほど 誇れる人生を送ってきたとは サラサラ思っていないし
他人からは なんて人! と 私自身思われているかもしれないが
そんな私でさえ 自分の常識は自分の常識 で通してはばからない人に出会うと
この人の山はどんな形か・・・ どれほどの高さか・・・と
想像してしまう。

生きた果ては 姿よく高く 広い裾野を持つ 全山緑の 美しい山になっていたい。

そう思わせることが 今日あった。




遠くの身内より近くの他人 という言葉があるが 最近 特にそう思う。

ああしたい こうしたい という気持ちはあっても 体が思うようにいかないから 余計にだ。

身内とも思っている友人が 夫を亡くしたその後 一人で奮闘している。
すぐに駆けつけて ちょっとでも助けてあげられたらどんなにいいか と思う。

彼女のもとへ 友人や多くの知り合いが それとなく訪れたりして
助けたり励ましたりしているのを ただ 遠くから ブログを見て知り
彼女の身になって ありがたいことだ と思うしかない。

一人になってしまう ということの本当の寂しさや直面する孤独感を 私は知らない。

経験のある人が 彼女にかける言葉こそ 心の底から 彼女の今の心境を理解して
すくいあげてくれるものだろうから と思うと なおのこと 芯から理解できない自分が
出る幕ではない という気がして 言葉かけすらも 二の足を踏んでしまう。

今日も彼女は 長く留守にしていた家のあちこちを 一人で せっせと掃除し
その合間に あちこちの用事を済ませに 忙しく動いているだろう。

ひょっとしたら ブログを見た近くのどなたかが 手伝いに行ってもらえただろうか。

これまで 彼女と 親密にお付き合いしてきた仲の方たちだ。
近くの他人 として 少しでも彼女の力になってくださったら と
彼女を想う私は 思うように動けない体を恨みながら ただただ願っている。

お盆が過ぎたら 連絡するから と 友人に伝えてあったのに
ナンダカンダやっているうちに日にちが経ってしまい ようやく数日前に連絡した。

そんなでも ありがたいことに 早速会いましょう と返事があって
昨日 ランチやお茶をしながら会って 会えないでいた間にあった出来事や家族のことなど
長時間 話した。

私のこの夏の大まかな様子は ブログを読んで 承知していてくれたので
それらの出来事の実際を 細かに話したり 互いの夫のことや
父母のこと 兄弟や甥姪こと 孫のこと など どれだけ話しても
話のネタが尽きない そんな間柄の 気の許せる友人との 楽しい一日だった。

この歳になると 気兼ねなく 思いや考えを言い合えるのが なによりいい。
どんなことを話しても その通りを受け止めて返してくれるから
話していても 気が休まる。

車の運転を禁止されている私には わざわざ家まで迎えに来てくれて
また送り届けてくれる そんな気の置けない友人は たった二、三人しかいない。

彼女はその一人だから とてもありがたい。

夫が玉ねぎを収穫した頃 よかったら と差し上げたが それがとても甘かった と
喜んでもらえた。
そして お返しに 夫が好きなお酒や 私の好物の焼き芋など いただいてしまった。

そればかり食べていて 他の玉ねぎを食したことがない私には 比べようがないが
そんなに喜んでもらえるなんて 夫も作った甲斐がある というものだ。

いつものことながら ランチもお店を変えてしたお茶も どちらも長っ尻になって
お店には 迷惑なお客だろうが いつも家の中ばかりにいる私には
こうして誘ってもらえて 外へ連れ出してもらい 思いっきりお喋りできることが
何にも代えがたい とても貴重な時間だし 大切な友人だ。

家まで送ってもらい 帰って行く彼女の車を
私は カタルシスのように過ごした時間の名残りの中にいて
見えなくなるまで ただ立って見送った。


日中は 陽射しが真夏と変わらないくらいなのに 夜風は 涼しい を通り越して
肌寒さを感じるほどになった。
窓を開けては もう寝られない。

夫が いつの間にかの季節の移ろいに驚いて 長年つけている日記を見てみると
なんと 去年も一昨年も 八月の末には もう 栗きんとん を作っていた。

連日 畑へ行って農作業をしているのに 栗の木を見ることがなかったらしい。

それで昨日 慌てて栗の木を見に行くと ヤッパリ もう 栗のイガが落ちていた。
今朝も畑へ行って 栗拾いをして来た。

そして今日の午後 二日間で拾ってきた🌰を茹でて きんとん作りをした。

拾ってきた後は 直ぐに水に浸けておく…万が一虫がいるかもしれないから。
水からあげたら 一時間以上茹でる。
実が柔らかくなったらザルにあげて 一粒ずつを半分に切って
渋皮を入れないよう注意しながら スプーンで実の中身を取り出す。
取り出し終えたら スリコギで ペースト状になるまで つぶす。

ここまでするのが 大変なのだ。

凝り性の夫は わざわざ専用の包み紙を取り寄せている。

茶巾に絞ったペースト状の栗を 大きさが均一になるよう
一個ずつの重さを計って 包み紙で包んで 出来上がり。

夕方までかかって作った栗きんとんは 早速 差し上げるお宅へと
夫が 持って行った。

防腐剤も保存剤も使っていないから 車で行ける範囲にしか お配りできないが
お店で売られている栗きんとんとは違って ちょっと不細工でも甘みが少なくても
それでも 我が家の栗きんとんが届くのを 楽しみに待っていてくださる。

その中の一軒は 県内では 栗きんとんの販売で有名な 川上屋 をもじって
我が家のものを 川下屋の栗きんとん と呼んで 面白がってくださる。

なにはともあれ もう そんな季節になった ということだ。








今日の新聞の 週一で連載されている 同一筆者の記事欄は
「我が家言葉」についてだった。

いつもは素通りする記事だが この 「我が家言葉」という文字に興味を引かれた。
国語辞書にはない 筆者が独自で紡ぎ出した言葉だ。

世間や他家では使われないが 家の中や家族間でやり取りされる言葉 を
筆者は こう呼んでいる。

おおかたは 当家の子供が幼い時に よくまわらない舌で喋った 片言のような
言葉だったりするが なかには 当家の家族間で起こった面白い話題がもとに
なっていて 折に触れては 家族で口にする「一つ言葉」のようだったりする。

思えば 我が家にも そんな言葉が いくつもある。
大半は やっぱり幼い頃の子供達の言葉に起因している。

たとえば 「ねばねばゴム」
昔 娘が ままごとや遊びに使うのに 輪ゴムを欲しがった際
未使用の輪ゴムではなくて 何かの用で使ったものを とっておいて
欲しがる時に それをあげていた。

輪ゴムは 一度使ったものは 古くなると粘ついてくる。
そのことを知らなかったわけではないが 遊びに使うのだから
わざわざ新しいものをあげなくても という思いがあった。

あるとき 輪ゴムを欲しがったのであげたら
その輪ゴムが 古くなっていて 粘ついたらしい。

その感触が 幼い娘には とても不快だったのだろう。
次に 輪ゴムがほしい時に言った言葉が

「ねばねばゴムじゃないのをちょうだいね」 だった。

ちょうど実家に帰省していた時だったから
父も母も この 娘の「ねばねばゴム」に 腹を抱えて大笑い。

この笑いの中には 幼い子のことだから 使用済みのでもかまわないだろう
という おとなの 幼児をあなどったことへの反省も含まれていた。

以来 我が家では 使用済みの輪ゴムを
「ねばねばゴム」と呼ぶようになったし
輪ゴムだけでなく 使用済みでない新品を欲しい時や使いたい時にも
「ねばねばゴムじゃないのをね」 などと使っている。

孫たちの幼さを愛しんでくれた父母は とっくに鬼籍の人となったが
今では 長男の子供達が幼かった頃も 娘の子供達も かつての彼らがそうであったように
祖父母の夫や私を 可愛い片言で楽しませ 笑わせてくれている。



今日から九月

夫は また今朝から 勤務先へと車で向かって行った

県特産の 大きくて長い 紡錘形のカボチャ数本を 手土産に持って。

夏の間 膝よりも高い草の中で 埋もれるようにして成長した南瓜だ。

これには 飛騨地方の伝説からとった名前がついているが 代を経る毎に
本来の遺伝子が持つ形に変化して 先祖返りしていく。

でも 今年の物は まだ二代目か三代目だから 十分この南瓜独特の形をしている。

夫が収穫してみると 二十個もあった。
一個が長いから とても一度には食べられない。
だから たったの数本でも 何人分にも分けられる。

もともとこの南瓜の種は 叔父からもらった。
叔父がこの種を どうやって入手したかは 知らない。
初めは買って来て 種を残したのかもしれない。

なにせ この種の管理は厳しく 苗では絶対に売らないし 種も売らない。
育てたかったら まず原物を買わなくてはならない。

春 これによく似た種の南瓜の苗を お店で見ることもあるが
それには 違った名前の札が刺してある。

今年は 同じ形状の南瓜でも 皮の色が白いものの苗も植えたらしく
大きな 細長くて白いのが 数本あった。

食べてみると サツマイモのようにホクホクで 甘みが強い。

緑色の皮の方は まだ食べてはいないが 白皮のと同じように 美味しいといい と思っている。

ところが 美味しいから知り合いにあげよう と思っても なにせ大きい。
一個差し上げても かえって迷惑になる。
だから 三等分ぐらいに切ってからでないと ダメだろう。

硬い皮を切るのは 差し上げる直前でないと 切り口の色が変わってしまう。
甘くて美味しいが 大きいが故に 案外 面倒なものだ。