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今日は 上の孫は 学校へ出かけて行ったが
下の子は 保育園へ行かない日。
その代わりに 今日は 午前中は耳鼻科へ 午後には皮膚科へ と
医者のはしご。

私たち夫婦が来る前から 鼻水が出ていたらしく 軽く咳をしていて
行った時にも 以前に私が作ってあげたマスクをしていた。

それがなかなか治らないので 再度診察してもらうために耳鼻科へ行った。
その間に 私は マスクの緩くなったゴムを換えた。
十五くらい作って送ってあったが まだ使っていないものもあって
換えたのは五個だけだった。

耳鼻科から帰ってきて お昼ご飯を食べ お昼寝が済むと
今度は 皮膚科へ。

予約できた時間が 上の子のお迎えと重なる時間帯だったので
皮膚科へは 私が付き添った。

前から 体に ちょっとずつ 水イボができていて
目につくくらいの大きさになると 皮膚科で取ってもらっている。
誰かに 保育園で移されたらしい。

昔は 直接皮膚をピンセットでつまんで 取ってもらうのが
普通だったが 今は 前もって 局所麻酔のテープを貼っておき
ピンセットでつまんでも 痛くないようにして取ってもらえる。

順番が来て 診察台に乗せられても 孫は泣かないで
お利口にして 取ってもらった。

帰ると 今日は ちょっとの間 遊ぶ時間があった。
母子で ふざけっこしたりして遊んだ後は 夕食。

そのあとは お風呂。
そして 就寝 と 毎日の日課と時間が ほぼしっかり決まっている。

私が二人をお風呂に入れ 娘があがった子らを世話して 寝させた後
ようやく 大人は一息つける。

私が 三人の子を育てている時も そうだった。
規則正しい生活をさせようと思うと 毎日が慌ただしい。
あっという間に過ぎてしまう。

なかなか子供ができなかった娘には エネルギーの塊ちゃんたちの相手は
疲れる仕事だろうが 家事の一端をヘルパーを雇ったりしてこなしながら
今のところは 健康で暮らしている。

親としては それがなによりの事だ。


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子供が語彙を獲得していくのは 耳から入ってくる音で学んでいくからだ。
だから 時々 間違って聞き取ったりするから 舌足らずの言葉になったり
語順が逆になっていたりする。

上の孫の場合 トウモロコシ と オテツダイ などが そうだ。
五歳になった今でも 孫は トウモロコシをトンボロコシ と 思い込んでいるし
オテツダイはオツテダイ だと思っている。

前にも 誰かが トウモロコシ と言うのを聞いて
トウモロコシじゃないよね〜 トンボロコシだよね〜 といったことがあったが
今日も 同じような 可愛いことがあった。

学校から帰った孫が 母親と ドリル学習をしている様子を
私は テーブルの向かいに座って見ていた。

何枚かの日本語のドリルの中に 空いているマスの中に文字を入れて
そばに描いてある絵と同じ名詞を完成させる という問題があった。
使っていい文字は 問題に書いてある文字だけだ。

いくつかつなげるうちに 「と : : ろ : し」と 次に 「と : :」いう言葉が出てきた。
使っていい文字は 「 ん」 と 「う」と「こ」「も」「ぼ」しか残っていなかった。

当然のように 孫は 「ん」を「と」の後に その後ろに「ぼ」入れ
「ろ」の後に「こ」をいれた。
これで 自分がいつも使う言葉 絵と同じ大好きな「トンボロコシ」が完成した。

ところが 次の言葉「トンボ」を完成させようとするが 「ん」も「ぼ」も
使ってしまっているから「とんぼ」ができない。
残っているのは 「も」と「う」しかなくなってしまっている。
でも 絵は 間違いなく「とんぼ」 だから 困った。

この過程を じっとそばについていて見ていた娘は トンボロコシ と作った時点で
これは困った と 苦笑いしながら 黙って笑っていた私と 顔を見合わせていた。

案の定 当然のことに 孫は「トンボ」が完成できなくなってしまっている。
空欄に入れる適当な文字が ない ない ないよ と 困っている孫に 娘が
じゃあ 最後の「と : :」から 入れてみたら❓
と 助言した。

「と ; : 」 に「トンボ」と入れる。「とんぼ」が完成した。
でも すると「トンボロコシ」が できなくなってしまった。

またしても戸惑う孫に 娘は
残っている 「う」と「も」を 空欄に入れさせて
「トウモロコシ」と 完成させてから
あのね 小さいうちは トンボロコシって言っててもね
大きいお姉ちゃんになるとね トウモロコシ って 言うようになるのよ
と 窮余の策 で 言い訳のように説明した。

それでも まだ納得できない孫は わかったような でもやっぱり
腑に落ちないような 不思議そうな顔をしている。

ドリルをやり終えた孫が 遊びだしてから 娘が
幼さゆえの 可愛い言い間違えを 無理に正したくなくて
そのままにしてきたのは いけなかったのかしら. . . . . .
と 言う。

難しいところだろう。
成長するに従って 自分から間違いに気づき 自然に直っていくのを待つか
言い間違えた時点で 即座に 正させるか。

言葉を覚える初期の段階から 正しい日本語として 厳格に言葉を教えるか
年齢を経るごとに 自らが間違いに気づき 直していくのを待つか は
育てる親の考え方ひとつだ。

戸惑う本人たちは 大変だっただろう場面だったが
そんな姿や様子を 側で見ていた私は 娘と孫への愛しさが あふれてきて
思わず泣きそうになった。






今朝は 上の孫は学校へ 下の孫は一時保育園へ それぞれ父親と母親に伴われて
出かけて行った。

イギリス式では 年長が一年生。
上の子は この九月から 一年生になった。
幼稚部の時と違って 白のブラウスにチェックのジャンバースカートが制服。
それに 黒い革靴を履いて 学校指定の濃紺のリュックが通学スタイルだ。

下の孫も この九月からは 定期的に月曜水曜金曜の週三日
一時保育園へ通えるようになった。

それまでは 前月の決まった日一日だけ 次の月に保育してもらいたい希望日を
電話で予約するシステムなので 大変だった。
定員があるから どの親も一斉に電話する。
九月前までは 私も自宅から 固定電話と携帯で電話して 娘と両方で予約取りした。
月によっては お昼過ぎまでかかって ようやく予約が それも希望日ではない日に
取れることもしばしばだった。
それくらい たとえ一時にでも 最多で月八回の保育を望む親は多い。

一時保育は あくまでも臨時保育だから 定期で通える子の数は極々少ない。
従って 募集も 広報の隅に目立たないように 小さく載るぐらいらしかったが
上の子の時からお世話になっているので 情報が入るのが早かった。
そのおかげで 週に三回 月に十二回の保育が叶った。

都や区も努力してはいるが 東京はまだまだ保育園不足だ。

明日は 下の子は在宅だ。
一日中元気な エネルギーの塊と 付き合う。

昨日夕方 激しい雨の中 娘に品川まで車で送ってもらい 夫が帰って行った。

毎週日曜日の夕食は サンデーロースト で 婿がお肉をローストして料理する。
夫が帰るというので 婿は 朝早くから買い出しに出かけ 昨日は 鶏一羽を
ローストしたもの ジャガイモやアスパラガス ブロッコリー 人参を ボイルしたり
オーブンで焼いたりして料理し 昼食に食べさせてくれた。

婿の料理は 材料も吟味されていて 手順も手抜きしないから ソースも自家製。
どのお肉の料理でも いつも美味しい。
また 彼はかなりのワイン通だから 必ずその時に合ったワインが出される。

美味しいワインと美味しいお肉 きれいな食器で 孫たちもパクパク食べる。
お肉が苦手な私でも 毎回美味しくいただく。

夫は 満腹 満足で帰って行った。

夫が出かける頃は 激しい雨だったが その後小降りになったので
娘と孫二人を連れて 恵比寿の三越へ 孫たちのものを買いに出かけた。

来る時 何か買ってあげて と 叔母から預かって来たお金があった。
娘は それに足して 上の子には通学用の靴を 下の子には 来年以降に使う
リュックを 買いたいという。

台風の影響か 店内は 買い物客もまばらだった。
買うものは決まっているから 靴はサイズとデザインだけを選べばいい。
通学靴の指定は 黒で甲にベルトがある皮靴だ。

リュックは 大きさと色選び。
少し大きくなっても使えるように 機能性がしっかりしたものを選んだ。


ちょうど昨日は ハロウィン。 各店舗で お菓子の準備がしてあった。
買ったお店でも フロア の各店舗でも トリックオアトリート と言えば
店員が お菓子のつかみ取りをさせてくれた。

あいにくの台風と雨で 一日のお客様が少なかったからだろう。
どの店舗も 気前よく お菓子の入った小袋をいくつもくださった。
重いほどのお菓子を手に入れた二人は もうニコニコ。

さすがだと思ったのは その小袋すべてが 外国で製造されたお菓子だったこと。
子供向けだから いわゆる日本の駄菓子でも いただく方は文句はないのだが
恵比寿の それも三越ともなると オシャレなものだ。

甘いものや塩辛いものを食べさせない娘でも これならいいらしく
明日からのおやつに食べようね と 言っていた。

子供用品も 本格的なものは どれも値がする。
二点で 預かってきた額の倍近くした。

それでも 特にリュックなどは 一度質のいい品を買っておけば
長く使える。

新しい靴やリュックを買ってもらったことより たくさんのお菓子を
いただいた方が嬉しくなった孫二人は 上機嫌で帰ってきた。



金曜日の晩は お風呂へ入りパジャマを着て すぐにベッドへ入れる準備をした二人の孫は
今か今かと 私たちを 玄関で待っていた。

品川まで車で迎えに来てくれた娘は 孫たちが 待ち遠しくて待ち遠しくて
いつもなら就寝の時間を 寝ないで待っていたのだ と言った。

上の孫は五歳だから 私たちが来たのが 本心から嬉しくて仕方がない様子で
ドアを開けたとたんに 抱きついてくる。

下の子は そんな姉の様子を見て なんだかわからないが楽しいことなんだろう と
姉の後を追っかけて 同じように抱きついてくる。

二歳の彼女は 姉のすること言うことを なんでも負けずにまねっこだ。
上が ^_^^_^ちゃんね ナントカなの と言えば
すかさず自分も ^_^^_^ ちゃんね ナントカなの と言う。
上が ****ができる と言えば できもしないのに ****ができるの と
クリクリ目玉をさらに大きくして 言ってくる。

今のところ 主になっている日常の言葉は 日本語だが
父親との会話は 片言しか話せなくても 父親が言っていることは理解していて
ちゃんと受け答えしている。
上の子が 英語オンリーの学校へ行きだしてからは 娘の家庭内では
英語の比率が多くなった。
そのせいか 上の子より 英語の理解度が早い。
おまけに おチビちゃんでも発音は本格的だから 外出すると店員さんなどは
びっくりした顔をする。

食べることも よく食べる。
この小さな体に よく入る と感心してしまう。
上の五歳の子もこの子も 外食しても 大人一人前の量を しっかり完食する。
小さな口にいっぱいに入れても ちゃんと口を閉じて
品よく上手に食べる姿が愛らしい。

また 愚図ったりヤンチャを言ったりしないで
二時間ぐらいは ちゃんと座っていられるから 一緒に外出しても
レストランなど 安心して入れる。

昨日は 両親が用事で出かけたので 夫と私が 留守番がてら
日中 二人と過ごした。

誰も教えたわけではないが どの家の子もどの国の子もだろう
下の子は 要領がいい。
叱られても しれっとして受け流すし 気を引きたいときは
わざと大げさに泣いたりして アピールする。
その様子が可愛くて ついつい こちらも苦笑いになってしまう。

いつかは日本を離れて 他国で暮らすかもしれない孫たちだが
娘夫婦は 高校までは 一貫教育の学校に通わせるつもりでいるようだから
おそらく私が生きているうちは このまま日本で暮らすようだ。

あどけない二人の相手をしながら この子らが 今のままの生活を続けられるよう
婿の仕事が順調であればいい と 思った。

一昨日 遅い時間に 東京の娘から連絡があった。

娘からの連絡は 最近はラインでのメールが多いから めったに話さない。
そうでないときは 孫たちが私たち夫婦と話したいときで その時はビデオ電話になる。

一昨日も 孫たちは私たちと話したがって 何度もかけたらしいが
なにせ二人ともが温泉へ入っている最中で 気づかず つながらなかった。
孫たちは仕方なく諦めて 母親に急かされるまま 寝させられたらしい。

娘が言うには 孫たちは 私たち夫婦に 会いたい会いたい と言うらしい。
つながらなかった時も 会いたいと私たちに伝えたかったらしい。

それで あんまり会いたがるから 二人して東京へ来れないか という
娘の電話だった。

そういえば 今年は 正月以来一度も行っていない。
春休みも夏休みにも 行かないままだった。

そんな孫たちの気持ちを娘から聞いて 夫が じゃあ土日に行くよ と娘に返事した。

夫は 行きを土曜でなく金曜の夕方にすれば 土日いっぱい孫の相手ができるから
そうしようと決め 早速 今日 勤め帰りに 切符を買ってきた。
乗りたい新幹線は利用客でいっぱいだったが かろうじて別々の離れた座席が取れた。

夫は日曜に帰ってくるが 私は 数日いてよ という娘の言葉に従って
残ることになった。

そうなると 滞在中の着替えが何枚も要る。
キャリーバッグでは 行きは夫が持ってくれても 帰りが大変だから
私の荷物は 段ボール箱に詰めて送ることに。
金曜の夜から使えるようにするには 今日のうちに送らなくては間に合わない。

適当な大きさの段ボール箱を見つけて 早速荷作りした。

近頃の東京も 気温が上がらなくて寒いらしい。
下着も 長袖やらズボン下やら でも暖かい日もあるだろうから
半袖の下着も要るし----上に着るものも寒暖に対応できるように----と考えていたら
それぞれ四枚ずつを持っても かなりの量になった。
それを夕方 私がリハビリしている間に 夫が宅配の営業所へ持って行ってくれた。

夫の荷物は 帰る途中で買ってきた婿への土産と一緒に
キャリーバッグに詰めて行くよう 今夜 準備した。

婿への土産は いつも日本酒と決まっている。
珍しい銘柄 今まで飲んだことのない銘柄を選んで買ってくる。
そしてそれを飲みながら ああでもないこうでもないと話すのが 二人は嬉しいらしい。

また 今回はどうかわからないが 行くと たいがい夕食の後 婿は夫を飲みに連れ出す。
二人で 何軒か 婿の行きつけのお店をはしごするらしい。
深夜 いい気持ちで帰ってくる二人を見るとき
国や言葉が違っても お酒という共通のものがあってよかった とつくづく思う。

実際 娘が婿と結婚する と決まった時から お酒が家族と婿を取り持ってくれた。
お酒は 我が家の潤滑油のようなものだ。

リハビリの後 大事をとって注射もしてきた。
慌ただしいが これでなんとか行けそうだ。










朝 夫が出かけて帰って来るまで 誰とも顔を合わさない日が多い暮らしの私。

今日もそうだった。

車に乗れさえしたら ちょっとスーパーに行ったり 思いついた買い物に出かけたりして
誰かと顔を合わせたり短くても会話したりできるが 悲しいかな 運転は禁止されている。

何もしなくても いつも痛いから 自然に一日中寝たり起きたりして過ごす日が多くなる。
逆に そんな日が多いおかげで出かけられている とも言える。

最近は 一度出かけた後 そんな風にして過ごす日が多くなっている自覚がある。
要は 快復に日にちがかかるようになっている ということだ。

前は 数日寝たり起きたりしていれば なんとか動けたのに
一年ほど前あたりから ダラダラの日が多くなった。

今回の高山行きも例外ではなく 昨日病院へ行ったのだって
自分で歩いてではなく 連れて行ってもらってのことだから 行けただけだ。

でも 決して無理をしてはいけない とわかっていても
今だから 今でないと動けなくなる という恐怖が 常に何処かにあるから
出かける以上は どうしても動きたい。
でもそれだって 健常な人にしてみたら なんのこともない動きなのだが
心の中にある無意識の焦り が 動け動け と言ってくる。

多分この焦りは 私が動けなくなるまで 引きずって行く思いだ。







雨風が次第に強くなる中 何事もなく バスは定時に着いた。
迎えに来てくれた夫の車で帰宅。

台風に備えて 家中の雨戸は閉められていたから
窓の外は見えなかった。

翌朝 まだ強い風は残っていたが 空は青さが際立っていた。

しばらくして なんだか外が気になった。
同窓会に出かける前と 何かが違っている気がする。

何が違うのか・・・
わかった時は ギョッとした。

ナツメの木が 幹だけになっている!
その幹も途中でスッパリと切られている!
ただズドーンと 短く立っているだけ!
よくよく見ると金木犀も 土から かろうじて二十センチも残っているかどうかで
こちらもバッサリ!
その隣に大きく伸びていた木蓮などは 地面の上に幹さえ見えない!

どうしたの!!??
驚いて夫に聞くと
台風が直撃した時 倒れて ブロックを壊したら困るから 切った!
と しれっと言う。

いくらなんでも・・・
こんなにしてしまわなくても・・・

わかった!!
この夏 彼が大事にしていたアロエが 影になってダメになってしまった。
だからだわ!

昔 親との間で 何か面白くないことがあったらしい時
義弟が 庭木をすべて切ってしまったことを思い出す。
あの時も 驚いた。

やっぱり兄弟なのねえ・・・
この人は そんなことできない人だと思ってたけど おんなじ事やってる・・・
元々 優しいところと激しいところがある人だとは 分かっているけど・・・
私が大事にしているものを 汚されたり壊されたりするのは
今に始まった事ではないけれど まさか木まで とは・・・。

こうやって私は だんだんやる気が失せて 何事もどうでもよくなっていくのよオ・・・
わかってるウ・・・??






何十年ぶりかで出た同窓会 顔を見ただけでは誰かわからない人が 半数以上だった。

席はくじ引きで決める決まりになっていた。

足腰が悪い私は 一度座ってしまうと あちこちの人と話したい思いはあっても
身軽く席を立って動き回れない。

たまたま隣の席の男性が よく話す人だったから その人の話を聞いている時間が多くて
なんとか間が持てた。

そんな私だったが それでも 姿を見つけて側へ来てくれる人もいた。

その一人に 今は名古屋に住んでいるという女性があった。
彼女は 私たちが六年生の時 他の同級生と共に 閉校になった学校から
私たちの本校へ転校して来た。
転校当初 何にもわからないし 今までいた小さな学校からいっぺんに大勢の学校へ来たから
気後れもあって なかなか馴染めないしで 自分からは言葉も交わせなかったらしい。
そんな時に いの一番に 私が何くれとなく話しかけ できないことやわからないことの手助けを
してあげたらしい。

彼女には 子供心に それがとてもありがたかったし嬉しかった という。

そして 彼女は 今回が最後 と聞いて もしかしたら私が来るかもしれない 会いたい
会ったら あの時の嬉しかった気持ちを どうしても伝えてお礼を言いたい
そう思って 今回出席したのだ と 言ってくれた。
今日は会えて 本当に良かった あの時のことはこれからも忘れないと思う と話した。

遥か五十五年も前のことなのに
こんな風に 私の出席を待っていてくれた人がいたなんて・・・

この人に会えただけでも この人からこんな言葉をかけてもらえただけでも
今回出席した甲斐があった。

私自身も 彼女たち転入生のことは 覚えている。
特に大柄だった彼女は 私の一人隣の席になったから 名前もしっかり覚えていた。

彼女たちが住んでいた地区のことは 父の仕事の関係上知っていたし
そこでの暮らしの大変さも 父から聞いていた。
彼らの地区がまるごと離村せざるを得なかったらしいことも
幼いながら 理解していた。

だからだったこともある。
急に大勢の中へ入って戸惑っているらしい彼女が 気の毒に思えたのだろう。
具体的に 何を話し どんなことをしてあげたのかは 全く記憶にないが
おとなしく静かだった彼女に 世話焼きの私は 親切にしてあげたに違いない。

幼かったその頃の私が 彼女を通じて今の私に あなたはこんな子だったのよ と
語りかけられたような そんな気さえする 彼女の温かい言葉だった。

たくさんの人と話す機会がないまま終わり 面白さがなかったかもしれない同窓会を
たった一人の彼女の言葉が 救ってくれた。

置き去りにして来た幼い自分に巡り会えたような 心を温める小さな灯が灯ったような
細やかだが嬉しい出来事だった。

今回の高山行きには 三つ目的があった。
一つは 病気で同窓会に出られない友人に会うこと
同窓会に出ること
そしてもう一つは 知り合いの老婦人を訪ねて 一晩泊めてもらうこと。

一緒に行った友と二人 高山に着くと さっそくSちゃんに会った。
服用する強い薬で傷めた目を 来月になったら手術する と言う。
病気はわずかでも良くなってきてはいるが 薬の副作用が出たのだ。

心労も大変だろうに しかし彼女は 決して泣き言を言わない。
すべてを受け入れて消化し 淡々と話す。
偉い友だ。

ランチを共にした後 会の様子を明日また会って報せるね と別れた。
昨日は 車で来ていて一緒に泊まった友と家まで訪ね 四人で会った。

盛りだくさんだった昨日 次は 思ってもいなかった Iちゃんのブログ仲間で
かつてほんの短い間 教え子だった女性宅へ。

サンドイッチやスープを作って待っていてくれた彼女の家は
奇しくも 私が三つ目の目的として訪問する家のすぐ隣家だったこともあって
私までお邪魔する形になった。

リホームされたばかりの大きなお宅を見せてもらい
またここでも楽しい時を過ごし 雨の中 隣宅へと 一人辞去した。


昔 私の実家の二階に数年間みえて その後もずっと親戚のように
交流が続いているお宅だ。

去年 ご主人が亡くなると 奥さんから届く手紙が頻繁になった。
そして必ず 泊まりに来て 私の隣のベッドが空いてるから と添えてある。

なかなか一人で高山へ行く機会がないから 今回 もう一日高山での滞在を延ばして
泊めてもらうことにしたのだった。

ところがこの台風騒ぎだ。
早々と鉄道の特急は運休し どうも直撃らしい進路予報が出ている。
火曜日の大学病院受診は必須だから 万が一今日帰れなくなったら
困るので 泊まらず帰る と決めた。

でも 二時間ほど話しても なにせ老齢の婦人のこと。
なかなか 話したいことまで 話の内容が行き着かない。

また必ず泊めてもらいにお邪魔するから と約束して
雨足が激しくなる中 駅へとタクシーをとばした。


一緒に泊まった碧南からの友が 車で来ていたおかげで
ホテルから友人宅へ またそこから教え子宅への動きが
時間のロスなく済んで 大助かりだった。

Iちゃんのブログ仲間である昔の教え子宅を訪問する という
嬉しいおまけまでついて
高山での二日間は 慌ただしく忙しく過ぎた。