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今日は 上の孫は 学校へ出かけて行ったが
下の子は 保育園へ行かない日。
その代わりに 今日は 午前中は耳鼻科へ 午後には皮膚科へ と
医者のはしご。

私たち夫婦が来る前から 鼻水が出ていたらしく 軽く咳をしていて
行った時にも 以前に私が作ってあげたマスクをしていた。

それがなかなか治らないので 再度診察してもらうために耳鼻科へ行った。
その間に 私は マスクの緩くなったゴムを換えた。
十五くらい作って送ってあったが まだ使っていないものもあって
換えたのは五個だけだった。

耳鼻科から帰ってきて お昼ご飯を食べ お昼寝が済むと
今度は 皮膚科へ。

予約できた時間が 上の子のお迎えと重なる時間帯だったので
皮膚科へは 私が付き添った。

前から 体に ちょっとずつ 水イボができていて
目につくくらいの大きさになると 皮膚科で取ってもらっている。
誰かに 保育園で移されたらしい。

昔は 直接皮膚をピンセットでつまんで 取ってもらうのが
普通だったが 今は 前もって 局所麻酔のテープを貼っておき
ピンセットでつまんでも 痛くないようにして取ってもらえる。

順番が来て 診察台に乗せられても 孫は泣かないで
お利口にして 取ってもらった。

帰ると 今日は ちょっとの間 遊ぶ時間があった。
母子で ふざけっこしたりして遊んだ後は 夕食。

そのあとは お風呂。
そして 就寝 と 毎日の日課と時間が ほぼしっかり決まっている。

私が二人をお風呂に入れ 娘があがった子らを世話して 寝させた後
ようやく 大人は一息つける。

私が 三人の子を育てている時も そうだった。
規則正しい生活をさせようと思うと 毎日が慌ただしい。
あっという間に過ぎてしまう。

なかなか子供ができなかった娘には エネルギーの塊ちゃんたちの相手は
疲れる仕事だろうが 家事の一端をヘルパーを雇ったりしてこなしながら
今のところは 健康で暮らしている。

親としては それがなによりの事だ。


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子供が語彙を獲得していくのは 耳から入ってくる音で学んでいくからだ。
だから 時々 間違って聞き取ったりするから 舌足らずの言葉になったり
語順が逆になっていたりする。

上の孫の場合 トウモロコシ と オテツダイ などが そうだ。
五歳になった今でも 孫は トウモロコシをトンボロコシ と 思い込んでいるし
オテツダイはオツテダイ だと思っている。

前にも 誰かが トウモロコシ と言うのを聞いて
トウモロコシじゃないよね〜 トンボロコシだよね〜 といったことがあったが
今日も 同じような 可愛いことがあった。

学校から帰った孫が 母親と ドリル学習をしている様子を
私は テーブルの向かいに座って見ていた。

何枚かの日本語のドリルの中に 空いているマスの中に文字を入れて
そばに描いてある絵と同じ名詞を完成させる という問題があった。
使っていい文字は 問題に書いてある文字だけだ。

いくつかつなげるうちに 「と : : ろ : し」と 次に 「と : :」いう言葉が出てきた。
使っていい文字は 「 ん」 と 「う」と「こ」「も」「ぼ」しか残っていなかった。

当然のように 孫は 「ん」を「と」の後に その後ろに「ぼ」入れ
「ろ」の後に「こ」をいれた。
これで 自分がいつも使う言葉 絵と同じ大好きな「トンボロコシ」が完成した。

ところが 次の言葉「トンボ」を完成させようとするが 「ん」も「ぼ」も
使ってしまっているから「とんぼ」ができない。
残っているのは 「も」と「う」しかなくなってしまっている。
でも 絵は 間違いなく「とんぼ」 だから 困った。

この過程を じっとそばについていて見ていた娘は トンボロコシ と作った時点で
これは困った と 苦笑いしながら 黙って笑っていた私と 顔を見合わせていた。

案の定 当然のことに 孫は「トンボ」が完成できなくなってしまっている。
空欄に入れる適当な文字が ない ない ないよ と 困っている孫に 娘が
じゃあ 最後の「と : :」から 入れてみたら❓
と 助言した。

「と ; : 」 に「トンボ」と入れる。「とんぼ」が完成した。
でも すると「トンボロコシ」が できなくなってしまった。

またしても戸惑う孫に 娘は
残っている 「う」と「も」を 空欄に入れさせて
「トウモロコシ」と 完成させてから
あのね 小さいうちは トンボロコシって言っててもね
大きいお姉ちゃんになるとね トウモロコシ って 言うようになるのよ
と 窮余の策 で 言い訳のように説明した。

それでも まだ納得できない孫は わかったような でもやっぱり
腑に落ちないような 不思議そうな顔をしている。

ドリルをやり終えた孫が 遊びだしてから 娘が
幼さゆえの 可愛い言い間違えを 無理に正したくなくて
そのままにしてきたのは いけなかったのかしら. . . . . .
と 言う。

難しいところだろう。
成長するに従って 自分から間違いに気づき 自然に直っていくのを待つか
言い間違えた時点で 即座に 正させるか。

言葉を覚える初期の段階から 正しい日本語として 厳格に言葉を教えるか
年齢を経るごとに 自らが間違いに気づき 直していくのを待つか は
育てる親の考え方ひとつだ。

戸惑う本人たちは 大変だっただろう場面だったが
そんな姿や様子を 側で見ていた私は 娘と孫への愛しさが あふれてきて
思わず泣きそうになった。






今朝は 上の孫は学校へ 下の孫は一時保育園へ それぞれ父親と母親に伴われて
出かけて行った。

イギリス式では 年長が一年生。
上の子は この九月から 一年生になった。
幼稚部の時と違って 白のブラウスにチェックのジャンバースカートが制服。
それに 黒い革靴を履いて 学校指定の濃紺のリュックが通学スタイルだ。

下の孫も この九月からは 定期的に月曜水曜金曜の週三日
一時保育園へ通えるようになった。

それまでは 前月の決まった日一日だけ 次の月に保育してもらいたい希望日を
電話で予約するシステムなので 大変だった。
定員があるから どの親も一斉に電話する。
九月前までは 私も自宅から 固定電話と携帯で電話して 娘と両方で予約取りした。
月によっては お昼過ぎまでかかって ようやく予約が それも希望日ではない日に
取れることもしばしばだった。
それくらい たとえ一時にでも 最多で月八回の保育を望む親は多い。

一時保育は あくまでも臨時保育だから 定期で通える子の数は極々少ない。
従って 募集も 広報の隅に目立たないように 小さく載るぐらいらしかったが
上の子の時からお世話になっているので 情報が入るのが早かった。
そのおかげで 週に三回 月に十二回の保育が叶った。

都や区も努力してはいるが 東京はまだまだ保育園不足だ。

明日は 下の子は在宅だ。
一日中元気な エネルギーの塊と 付き合う。

昨日夕方 激しい雨の中 娘に品川まで車で送ってもらい 夫が帰って行った。

毎週日曜日の夕食は サンデーロースト で 婿がお肉をローストして料理する。
夫が帰るというので 婿は 朝早くから買い出しに出かけ 昨日は 鶏一羽を
ローストしたもの ジャガイモやアスパラガス ブロッコリー 人参を ボイルしたり
オーブンで焼いたりして料理し 昼食に食べさせてくれた。

婿の料理は 材料も吟味されていて 手順も手抜きしないから ソースも自家製。
どのお肉の料理でも いつも美味しい。
また 彼はかなりのワイン通だから 必ずその時に合ったワインが出される。

美味しいワインと美味しいお肉 きれいな食器で 孫たちもパクパク食べる。
お肉が苦手な私でも 毎回美味しくいただく。

夫は 満腹 満足で帰って行った。

夫が出かける頃は 激しい雨だったが その後小降りになったので
娘と孫二人を連れて 恵比寿の三越へ 孫たちのものを買いに出かけた。

来る時 何か買ってあげて と 叔母から預かって来たお金があった。
娘は それに足して 上の子には通学用の靴を 下の子には 来年以降に使う
リュックを 買いたいという。

台風の影響か 店内は 買い物客もまばらだった。
買うものは決まっているから 靴はサイズとデザインだけを選べばいい。
通学靴の指定は 黒で甲にベルトがある皮靴だ。

リュックは 大きさと色選び。
少し大きくなっても使えるように 機能性がしっかりしたものを選んだ。


ちょうど昨日は ハロウィン。 各店舗で お菓子の準備がしてあった。
買ったお店でも フロア の各店舗でも トリックオアトリート と言えば
店員が お菓子のつかみ取りをさせてくれた。

あいにくの台風と雨で 一日のお客様が少なかったからだろう。
どの店舗も 気前よく お菓子の入った小袋をいくつもくださった。
重いほどのお菓子を手に入れた二人は もうニコニコ。

さすがだと思ったのは その小袋すべてが 外国で製造されたお菓子だったこと。
子供向けだから いわゆる日本の駄菓子でも いただく方は文句はないのだが
恵比寿の それも三越ともなると オシャレなものだ。

甘いものや塩辛いものを食べさせない娘でも これならいいらしく
明日からのおやつに食べようね と 言っていた。

子供用品も 本格的なものは どれも値がする。
二点で 預かってきた額の倍近くした。

それでも 特にリュックなどは 一度質のいい品を買っておけば
長く使える。

新しい靴やリュックを買ってもらったことより たくさんのお菓子を
いただいた方が嬉しくなった孫二人は 上機嫌で帰ってきた。



金曜日の晩は お風呂へ入りパジャマを着て すぐにベッドへ入れる準備をした二人の孫は
今か今かと 私たちを 玄関で待っていた。

品川まで車で迎えに来てくれた娘は 孫たちが 待ち遠しくて待ち遠しくて
いつもなら就寝の時間を 寝ないで待っていたのだ と言った。

上の孫は五歳だから 私たちが来たのが 本心から嬉しくて仕方がない様子で
ドアを開けたとたんに 抱きついてくる。

下の子は そんな姉の様子を見て なんだかわからないが楽しいことなんだろう と
姉の後を追っかけて 同じように抱きついてくる。

二歳の彼女は 姉のすること言うことを なんでも負けずにまねっこだ。
上が ^_^^_^ちゃんね ナントカなの と言えば
すかさず自分も ^_^^_^ ちゃんね ナントカなの と言う。
上が ****ができる と言えば できもしないのに ****ができるの と
クリクリ目玉をさらに大きくして 言ってくる。

今のところ 主になっている日常の言葉は 日本語だが
父親との会話は 片言しか話せなくても 父親が言っていることは理解していて
ちゃんと受け答えしている。
上の子が 英語オンリーの学校へ行きだしてからは 娘の家庭内では
英語の比率が多くなった。
そのせいか 上の子より 英語の理解度が早い。
おまけに おチビちゃんでも発音は本格的だから 外出すると店員さんなどは
びっくりした顔をする。

食べることも よく食べる。
この小さな体に よく入る と感心してしまう。
上の五歳の子もこの子も 外食しても 大人一人前の量を しっかり完食する。
小さな口にいっぱいに入れても ちゃんと口を閉じて
品よく上手に食べる姿が愛らしい。

また 愚図ったりヤンチャを言ったりしないで
二時間ぐらいは ちゃんと座っていられるから 一緒に外出しても
レストランなど 安心して入れる。

昨日は 両親が用事で出かけたので 夫と私が 留守番がてら
日中 二人と過ごした。

誰も教えたわけではないが どの家の子もどの国の子もだろう
下の子は 要領がいい。
叱られても しれっとして受け流すし 気を引きたいときは
わざと大げさに泣いたりして アピールする。
その様子が可愛くて ついつい こちらも苦笑いになってしまう。

いつかは日本を離れて 他国で暮らすかもしれない孫たちだが
娘夫婦は 高校までは 一貫教育の学校に通わせるつもりでいるようだから
おそらく私が生きているうちは このまま日本で暮らすようだ。

あどけない二人の相手をしながら この子らが 今のままの生活を続けられるよう
婿の仕事が順調であればいい と 思った。

一昨日 遅い時間に 東京の娘から連絡があった。

娘からの連絡は 最近はラインでのメールが多いから めったに話さない。
そうでないときは 孫たちが私たち夫婦と話したいときで その時はビデオ電話になる。

一昨日も 孫たちは私たちと話したがって 何度もかけたらしいが
なにせ二人ともが温泉へ入っている最中で 気づかず つながらなかった。
孫たちは仕方なく諦めて 母親に急かされるまま 寝させられたらしい。

娘が言うには 孫たちは 私たち夫婦に 会いたい会いたい と言うらしい。
つながらなかった時も 会いたいと私たちに伝えたかったらしい。

それで あんまり会いたがるから 二人して東京へ来れないか という
娘の電話だった。

そういえば 今年は 正月以来一度も行っていない。
春休みも夏休みにも 行かないままだった。

そんな孫たちの気持ちを娘から聞いて 夫が じゃあ土日に行くよ と娘に返事した。

夫は 行きを土曜でなく金曜の夕方にすれば 土日いっぱい孫の相手ができるから
そうしようと決め 早速 今日 勤め帰りに 切符を買ってきた。
乗りたい新幹線は利用客でいっぱいだったが かろうじて別々の離れた座席が取れた。

夫は日曜に帰ってくるが 私は 数日いてよ という娘の言葉に従って
残ることになった。

そうなると 滞在中の着替えが何枚も要る。
キャリーバッグでは 行きは夫が持ってくれても 帰りが大変だから
私の荷物は 段ボール箱に詰めて送ることに。
金曜の夜から使えるようにするには 今日のうちに送らなくては間に合わない。

適当な大きさの段ボール箱を見つけて 早速荷作りした。

近頃の東京も 気温が上がらなくて寒いらしい。
下着も 長袖やらズボン下やら でも暖かい日もあるだろうから
半袖の下着も要るし----上に着るものも寒暖に対応できるように----と考えていたら
それぞれ四枚ずつを持っても かなりの量になった。
それを夕方 私がリハビリしている間に 夫が宅配の営業所へ持って行ってくれた。

夫の荷物は 帰る途中で買ってきた婿への土産と一緒に
キャリーバッグに詰めて行くよう 今夜 準備した。

婿への土産は いつも日本酒と決まっている。
珍しい銘柄 今まで飲んだことのない銘柄を選んで買ってくる。
そしてそれを飲みながら ああでもないこうでもないと話すのが 二人は嬉しいらしい。

また 今回はどうかわからないが 行くと たいがい夕食の後 婿は夫を飲みに連れ出す。
二人で 何軒か 婿の行きつけのお店をはしごするらしい。
深夜 いい気持ちで帰ってくる二人を見るとき
国や言葉が違っても お酒という共通のものがあってよかった とつくづく思う。

実際 娘が婿と結婚する と決まった時から お酒が家族と婿を取り持ってくれた。
お酒は 我が家の潤滑油のようなものだ。

リハビリの後 大事をとって注射もしてきた。
慌ただしいが これでなんとか行けそうだ。










朝 夫が出かけて帰って来るまで 誰とも顔を合わさない日が多い暮らしの私。

今日もそうだった。

車に乗れさえしたら ちょっとスーパーに行ったり 思いついた買い物に出かけたりして
誰かと顔を合わせたり短くても会話したりできるが 悲しいかな 運転は禁止されている。

何もしなくても いつも痛いから 自然に一日中寝たり起きたりして過ごす日が多くなる。
逆に そんな日が多いおかげで出かけられている とも言える。

最近は 一度出かけた後 そんな風にして過ごす日が多くなっている自覚がある。
要は 快復に日にちがかかるようになっている ということだ。

前は 数日寝たり起きたりしていれば なんとか動けたのに
一年ほど前あたりから ダラダラの日が多くなった。

今回の高山行きも例外ではなく 昨日病院へ行ったのだって
自分で歩いてではなく 連れて行ってもらってのことだから 行けただけだ。

でも 決して無理をしてはいけない とわかっていても
今だから 今でないと動けなくなる という恐怖が 常に何処かにあるから
出かける以上は どうしても動きたい。
でもそれだって 健常な人にしてみたら なんのこともない動きなのだが
心の中にある無意識の焦り が 動け動け と言ってくる。

多分この焦りは 私が動けなくなるまで 引きずって行く思いだ。







雨風が次第に強くなる中 何事もなく バスは定時に着いた。
迎えに来てくれた夫の車で帰宅。

台風に備えて 家中の雨戸は閉められていたから
窓の外は見えなかった。

翌朝 まだ強い風は残っていたが 空は青さが際立っていた。

しばらくして なんだか外が気になった。
同窓会に出かける前と 何かが違っている気がする。

何が違うのか・・・
わかった時は ギョッとした。

ナツメの木が 幹だけになっている!
その幹も途中でスッパリと切られている!
ただズドーンと 短く立っているだけ!
よくよく見ると金木犀も 土から かろうじて二十センチも残っているかどうかで
こちらもバッサリ!
その隣に大きく伸びていた木蓮などは 地面の上に幹さえ見えない!

どうしたの!!??
驚いて夫に聞くと
台風が直撃した時 倒れて ブロックを壊したら困るから 切った!
と しれっと言う。

いくらなんでも・・・
こんなにしてしまわなくても・・・

わかった!!
この夏 彼が大事にしていたアロエが 影になってダメになってしまった。
だからだわ!

昔 親との間で 何か面白くないことがあったらしい時
義弟が 庭木をすべて切ってしまったことを思い出す。
あの時も 驚いた。

やっぱり兄弟なのねえ・・・
この人は そんなことできない人だと思ってたけど おんなじ事やってる・・・
元々 優しいところと激しいところがある人だとは 分かっているけど・・・
私が大事にしているものを 汚されたり壊されたりするのは
今に始まった事ではないけれど まさか木まで とは・・・。

こうやって私は だんだんやる気が失せて 何事もどうでもよくなっていくのよオ・・・
わかってるウ・・・??






何十年ぶりかで出た同窓会 顔を見ただけでは誰かわからない人が 半数以上だった。

席はくじ引きで決める決まりになっていた。

足腰が悪い私は 一度座ってしまうと あちこちの人と話したい思いはあっても
身軽く席を立って動き回れない。

たまたま隣の席の男性が よく話す人だったから その人の話を聞いている時間が多くて
なんとか間が持てた。

そんな私だったが それでも 姿を見つけて側へ来てくれる人もいた。

その一人に 今は名古屋に住んでいるという女性があった。
彼女は 私たちが六年生の時 他の同級生と共に 閉校になった学校から
私たちの本校へ転校して来た。
転校当初 何にもわからないし 今までいた小さな学校からいっぺんに大勢の学校へ来たから
気後れもあって なかなか馴染めないしで 自分からは言葉も交わせなかったらしい。
そんな時に いの一番に 私が何くれとなく話しかけ できないことやわからないことの手助けを
してあげたらしい。

彼女には 子供心に それがとてもありがたかったし嬉しかった という。

そして 彼女は 今回が最後 と聞いて もしかしたら私が来るかもしれない 会いたい
会ったら あの時の嬉しかった気持ちを どうしても伝えてお礼を言いたい
そう思って 今回出席したのだ と 言ってくれた。
今日は会えて 本当に良かった あの時のことはこれからも忘れないと思う と話した。

遥か五十五年も前のことなのに
こんな風に 私の出席を待っていてくれた人がいたなんて・・・

この人に会えただけでも この人からこんな言葉をかけてもらえただけでも
今回出席した甲斐があった。

私自身も 彼女たち転入生のことは 覚えている。
特に大柄だった彼女は 私の一人隣の席になったから 名前もしっかり覚えていた。

彼女たちが住んでいた地区のことは 父の仕事の関係上知っていたし
そこでの暮らしの大変さも 父から聞いていた。
彼らの地区がまるごと離村せざるを得なかったらしいことも
幼いながら 理解していた。

だからだったこともある。
急に大勢の中へ入って戸惑っているらしい彼女が 気の毒に思えたのだろう。
具体的に 何を話し どんなことをしてあげたのかは 全く記憶にないが
おとなしく静かだった彼女に 世話焼きの私は 親切にしてあげたに違いない。

幼かったその頃の私が 彼女を通じて今の私に あなたはこんな子だったのよ と
語りかけられたような そんな気さえする 彼女の温かい言葉だった。

たくさんの人と話す機会がないまま終わり 面白さがなかったかもしれない同窓会を
たった一人の彼女の言葉が 救ってくれた。

置き去りにして来た幼い自分に巡り会えたような 心を温める小さな灯が灯ったような
細やかだが嬉しい出来事だった。

今回の高山行きには 三つ目的があった。
一つは 病気で同窓会に出られない友人に会うこと
同窓会に出ること
そしてもう一つは 知り合いの老婦人を訪ねて 一晩泊めてもらうこと。

一緒に行った友と二人 高山に着くと さっそくSちゃんに会った。
服用する強い薬で傷めた目を 来月になったら手術する と言う。
病気はわずかでも良くなってきてはいるが 薬の副作用が出たのだ。

心労も大変だろうに しかし彼女は 決して泣き言を言わない。
すべてを受け入れて消化し 淡々と話す。
偉い友だ。

ランチを共にした後 会の様子を明日また会って報せるね と別れた。
昨日は 車で来ていて一緒に泊まった友と家まで訪ね 四人で会った。

盛りだくさんだった昨日 次は 思ってもいなかった Iちゃんのブログ仲間で
かつてほんの短い間 教え子だった女性宅へ。

サンドイッチやスープを作って待っていてくれた彼女の家は
奇しくも 私が三つ目の目的として訪問する家のすぐ隣家だったこともあって
私までお邪魔する形になった。

リホームされたばかりの大きなお宅を見せてもらい
またここでも楽しい時を過ごし 雨の中 隣宅へと 一人辞去した。


昔 私の実家の二階に数年間みえて その後もずっと親戚のように
交流が続いているお宅だ。

去年 ご主人が亡くなると 奥さんから届く手紙が頻繁になった。
そして必ず 泊まりに来て 私の隣のベッドが空いてるから と添えてある。

なかなか一人で高山へ行く機会がないから 今回 もう一日高山での滞在を延ばして
泊めてもらうことにしたのだった。

ところがこの台風騒ぎだ。
早々と鉄道の特急は運休し どうも直撃らしい進路予報が出ている。
火曜日の大学病院受診は必須だから 万が一今日帰れなくなったら
困るので 泊まらず帰る と決めた。

でも 二時間ほど話しても なにせ老齢の婦人のこと。
なかなか 話したいことまで 話の内容が行き着かない。

また必ず泊めてもらいにお邪魔するから と約束して
雨足が激しくなる中 駅へとタクシーをとばした。


一緒に泊まった碧南からの友が 車で来ていたおかげで
ホテルから友人宅へ またそこから教え子宅への動きが
時間のロスなく済んで 大助かりだった。

Iちゃんのブログ仲間である昔の教え子宅を訪問する という
嬉しいおまけまでついて
高山での二日間は 慌ただしく忙しく過ぎた。

昨夜は 長年欠席していた同窓会に参加した。

ベビーブームに生まれた年代 といっても 山あいの小さな町の中学校だから
四クラスで百五十人にも満たない同級生の数だった。

それが今回 およそ二人に一人の 七十人を超える出席者だった。

出席者が多かったのと 五年ごとにあった会に 今までずっと欠席してきたので
誰が誰やらまったくわからない人が多かった。

あの人誰? あの人は? と 側に座った人にそっと聞きながら の会になった。

中学を卒業してから半世紀以上も経つと よくできた とか できなかった とかは
もはや関係ない。

男女ともに どう生きてきたか が 佇まいや雰囲気 顔立ちに表れている。

あの頃はとても無口でおとなしかった人が 快活で饒舌に来し方を語るのに
驚いたり 思いもよらない苦労を経てきていたり 背丈が小さかった人が
エッと信じられないほど背が伸びて恰幅がよかったり 一人一人が互いに
この歳までよく頑張ってきたね と エールを贈る そんな和気あいあいの
同窓会だった。

今回が最後 と聞いていたのに みんなが名残惜しかったのだろう。
今までのように五年ごとでなく 今度は三年毎に集まろう と決まった。

三年後 自分の体がどうなっているかわからないが
現状のままでいられたら 出席できるかもしれない。

大病をした後回復したから大丈夫 と言っていた福岡からの友人や
埼玉や長野から来た友人やら 懐かしい顔に出会えて
いつの間にか 互いが中学生の頃に戻った夜だった。

飛騨の山あいの 小さな町で育った私は 戦後のベビーブームの真っ只中で生まれた。

だから 小さな町なりに 同級生が多い。
加えて 中学二年の途中で 全町内の中学校が合併したから
同級生でも 名前の知らない人もいる。

それでも ありがたいことに 卒業以来 地元に残って暮らしている人たちが
五年に一度 全体会としての同窓会を開いてくれてきた。

今年が その五年目にあたり 明日 同窓会がある。
そして 今回で 全体会は終わりなのだそうだ。

クラス会には 案外小まめに出てきたが この全体会には
もう四、五回出ていない。
四十代は母の介護 五十代は父の介護 六十になると自身の体が悪くなって
出席できなかった。

今年で最後だ と案内をもらって それなら行ってみよう と思った。
それが 明日だ。

正直行って この人に会いたい という特別な人がいるわけではないが
統合する前や小学校の時に仲良くしていて その後疎遠になっている友には 会って
元気でいるか どんな暮らしをしているのか 話してみたい。

統合後のたった一年半を共に過ごしただけだが 縁あって親友になっている友は
残念なことに体を悪くしているから 同窓会には出ない。

全体会でもクラス会でも 正直一番会いたいのは 彼女と 明日同じバスで行く友の
二人だけだから まずは 高山に着いたら いの一番に 彼女に
二人して会う段取りになっている。

その半分も気乗りしない同窓会だが それでも 多勢に会えば会ったで
楽しめるだろう という期待も 少しだがある。

最後の同窓会 はてさて どんな昔の友達に会えるだろうか。



今日の習字は 雨の中 バスに乗って行くと 皆さんが都合が悪くて
結局 私一人だった。

こんな日は 予め皆が欠席と分かっていたら お休みでもいいのだが 連絡が遅かったり
するから なし にするわけにもかず 先生は 教室で待っていてくださる。

たまにこんな日があると 私もなんだかやる気が薄れてしまう。
一人 と分かった時点で 帰ろうか と思ってみるが
先生は そんなこと言わないで練習していってください とおっしゃるので
いつものように道具を広げ 硯に墨を入れ 手本を広げる。

とは言ってくださるものの 先生も私も いつものような雰囲気が出ない。


先生は 現在進行形で すっとお父さんの面倒をみていらっしゃる。

だから 過去に 両親の面倒や介護の長い経験がある私相手だと 普段は話せない事や
愚痴を話したいらしい。

こういった愚痴は 経験したものでない限り 真から理解できないから
弟子の誰彼かまわず話せるものではないし 第一 普段の稽古日は
皆 真剣に練習するから 他のことなど話す間もない。

そんなわけで今日は 教室には たまたま私一人だったから
二時間の間の大かたを 二人で話して過ごし 練習に書いた半紙は
たったの五枚に終わってしまった。

それでも 親の介護の道をまっしぐらの 今の先生の気持ちは
悩み 葛藤しながら同じ経験をしてきた私には とてもよく理解できる。

わかってくれる人に 愚痴や胸の内を打ち明けて話し 聞いてもらうことが
どれだけ自分の心を軽くすることか それが私にはよく分かるから
こんな日くらいは 目いっぱい聞いてあげたい。

先生も私も 生真面目な性格だから 悩む点の大筋は あまり違わない。
話を聞き 体験を話し 二人で憤ったり慰めあったりするうちに
知らず知らず 二時間を超えていた。

練習ははかどらなかったけれど 多分 少しは先生の心のありようは
明るくなったに違いない。

そうしたら また気持ちを取り直して お父さんに向き合えるだろう。



以前 塾を営んでいた時の教え子が 何年か前に アメリカ人男性と結婚した。
相手は 彼女が 大学時代に留学してホームステイした先の 息子さんだった。

私も招かれて出席した結婚式には アメリカからご両親や兄弟 いとこの方も来日された。
とてもフランクで 気持ちの良いご家族だったから 国籍が違っても
明るい彼女のこと きっとうまくやっていけるだろう と その時 思った。

しかし アメリカは 大規模なテロ事件の後 入国審査さえ厳しくなっているから
結婚して永住権を得ようとする者には より格別の厳しさがあるようで
なかなか永住権 グリーンカードが得られないでいた。
そうこうするうちに 現在の大統領になり なお一層難しさが増してしまった。

彼と一緒に渡米していた彼女は 仕方なくいったん帰国し 別居結婚が始まり
二つの国を 互いに行ったり来たりして過ごしていた。

しかし 若い二人のこと そんな生活に耐えられるはずもない。
彼のご両親の勧めもあって 今度は 彼が日本に来て 日本で生活を始めた。
しかし 来てはみたものの 仕事がない。
生計も立たないので 以来今も 彼女の実家で 両親と姉弟と一緒に暮らしている。

そんな二人に 赤ちゃんが生まれた。
先日 両親や姉弟と一緒に 二人して 赤ちゃんを見せに来てくれた。
パパ似の 目の大きな ちいちゃな可愛い女の子だ。

赤ちゃんのパパは 最近になってようやく 家庭教師の声がかかって働きだしたが
三人の家計は 相変わらずママである教え子の収入だけだ。

現状からすると 二人が独立して自分たちだけの力で生活できるようになるには
いつのことになるか まだまだ先の見通しがたたないようだ。

幸いなことに 教え子の両親も二人の姉たちも弟も とても寛大で
今のところ そんな二人をあたたかく受け入れ 支えている。

好き だけで結婚した二人が これからは 自分たちの子供に対しても
責任を負う立場になった。

そんな二人の暮らしぶりに どこか少し危うさを覚えながらも
どうか この新しいチイちゃな命の女の子が 幸せ多い人生を歩めますように と
帰って行く一家の車を見送りながら 強く願わずにはいられなかった。



この前の土曜日 夫が畑で作業をしているところへ
実家を継いでいる弟夫婦が通りかかり 父母の両方ともが亡くなった後に
遺産分けで夫の名義に分割した畑の 残り半分を 夫に譲渡したいがどうか と
言われた と 畑から帰って来ると 私に告げた。

夫の実家は 結構広い耕作面積の田畑を持つ農家で 遺産として分けてもらった畑は
そのうちの少しだが それでも 夫が一人で作るには 十分の広さがある。

夫は 自分名義だった畑と それに 道をはさんで隣接する新しく相続した畑を
以来十五年近くの間 一人で作って守ってきた。

今回の話は 相続の際に分割した畑の残りを 譲渡してくれる というのだ。

今でさえ 年中 草刈りに追われていて お守りが大変なのだが
今回の話の畑は 分割前はもともと一枚の畑だったから
そこにもやはり 夫が大切にしている先祖代々の干し柿と同じ木がある。

義弟夫婦も老齢化し 忙しくて その畑の管理ができなくなってきたのだろう。
そうでなくても 管理が必要な田畑は広いし 他の場所にも柿の木はある。
だから今までも そこの柿の木は実がなるにまかせてあった。

畑はともかく 夫は 柿の木が気がかりなのだろう。
思案した結果 夫は 弟からの申し入れを受けることにした。

それで 夫は勤めの帰りに法務局へ行って どのような手続きが必要か
どれくらい経費がかかるか など 聞いてきた。

幾種類もの証明書や申請書が必要だが 中でも一番大切なのは
地元の農業委員会の書類だ と 分かった。

翌日の帰りに会へ行くと 譲渡の場合 なんと譲渡される側が 規定領の耕作地を
持っていることが 必須の条件だと知らされた。

譲渡を受ける畑を含めても まだ少し足りない。
弟に連絡すると 足りない分は貸す形にしてくれることになった。

日本は農地が少ないから むやみに転用したり勝手に譲ったりできないように
しっかり法律で 農地を守っているから 面倒な手続きや約束事があるらしい。

相続の場合は 割りに簡単だったが 譲渡となると こんなにややこしいとは
思ってもみなかった。

田舎の畑だから 税金だって知れたものなのに いざ自分の名義にしようとなると
なかなか大変なことだ。



最近 大事故が起きた事件を皮切りのようにして 道路を走行中の車に
別の車が異常に接近したり進路妨害したり 幅寄せしてくるなどの問題が
たくさんの番組で取り上げられている。

一番危険なのは高速道路での進路妨害や幅寄せで 一家のご夫婦が亡くなったのも
高速道路での事だった。

昔々のもっと昔になるが 今でも忘れられない恐怖体験をした。
四捨五入すると半世紀にもなる昔のことだが あの時の怖さといったらなかった。

職場の若い仲間数名と 名神高速道路を走っていた時のことだった。
皆 独身の 五人の男女が 一台の乗用車に乗っていた。
私は 後部座席の真ん中に座っていた。

朝早くに出発し まずは一般道を走り 名神高速へと入った。

同乗者みんなが これから行く場所でのことに花を咲かせ 気分よく乗っていた。

名神に入ってしばらく走ったころだった。
運転していた者が 一台のトラックを追い越した。
そして追い越してすぐに 一番左の車線に入った。
すると 今今追い越したトラックが 隣のレーンに並んだかと思うや
いきなり車線の白線を越えて 私たちの車のサイドギリギリに寄ってきた。
そして トラックの運転席では なんと若い運転手が笑っているではないか。
笑いながら なおもトラックを私たちの車にピッタリと 接触するほど寄せて来る。
グーッと寄せてはちょっと離れ またグッと ギリギリまで寄せてくる。
それを何度も何度も 執拗に繰り返してきたのだ。
しかも笑いながらだ。

最初にいきなり寄せてきた時には みんながワッとびっくりした。
私たちの車を運転していた者は 少しでもトラックから離れようと ハンドルを切った。
しかし なにせ一番端のレーンを走っているから どれだけ避けようしても
あとは路肩のガードレールしかない。

それでも必死で ガード側ギリギリに車を寄せて走った。

どれだけの間 そんなことが繰り返されたかは覚えていないが
あれだけ何回も繰り返されたのだから 一分や二分のことではなかった。

そして トラックの運転手は まるでゲームを楽しむかのように 何回も繰り返した後
気が済んだのか スッとスピードを上げて 前方へと走って行った。

あの時よく事故にならなかったものだ と 今 思い出しても怖くなる。
ひとえに 運転していた者の運転技術と冷静さに助けられたのだ と思っている。

このたびの事故で亡くなったご夫婦や同乗していたお子さん二人が どれだけ怖かったか
執拗に進路妨害してくる車を どれだけ必死に避けようとしたか・・・

若かった時に同じような恐怖体験をした私は 今回の事故の映像がテレビで流れると
そのたびに あの時の怖さがよみがえってきて 心が落ち着かない。
そして 腹立たしい。



最初の予定では お昼に 十三歳になった孫の誕生会をするはずだったが
急に息子に仕事が入ったのと 私たちが 忘れていたコンサートに出かけるのとで
急きょ 夜に誕生会をすることになった。

夫と出かけた今日のコンサートは 感激して 知らず知らず涙が出るほどだった。
そっと隣の婦人を見ると 彼女もハンカチで目尻をぬぐっていた。

オーケストラ演奏が主だったが バイオリンのソロ演奏もあって そのバイオリンが
またこrの上なく素敵だった。

前回同じホールで 若い女性バイオリニストの演奏を聴いたが
今回の奏者は デビュー二十五年の女性だった。
楽器の製作者の違いだろうか 音色も深くて音に奏者の情感が感じられる演奏だった。

世界一のトロンボーン奏者も ソロで一曲演奏した。
初めて トロンボーンでのメロディー演奏を聴いた。
柔らかな音とホルテシモの澄んだ強い音が ホールに響き渡った。

ソロ演奏もオーケストラ演奏も 加わっていた高校生の演奏も
すべてが感動もので 指定席料を払っただけのことはあった。

コンサートが終わると 急いで息子宅へ。
孫のリクエストの唐揚げを揚げる仕事が待っている。

誰が揚げても同じだと思うが 孫は おばあちゃんに揚げてもらいたい という。
そんなことを言われては おばあちゃんとしては冥利に尽きるから
頑張って揚げざるをえない。

長男宅に着くや 直ぐに揚げにかかる。
油の匂いと汚れ除けに エプロン持参だ。

思う存分食べたい孫のために 大量の唐揚げを作り終えて
ようやく誕生会の始まりだ。

孫 は食べる食べる。
孫だけでなく 山になった唐揚げを前に みんなも何度も口に運んだ。
そして あれほど大量に揚げた唐揚げだったが 二時間ほどで すべて完食。

孫は 笑いながら うつむけないよオ〜 と大満足の様子。

プレゼントの図書券をあげて ケーキでハッピーバースデーを歌い
みんなで冗談を言い合ったり大笑いしたりの 楽しい夜だった。

こんな夜が これから何回あるだろうか。

孫たちは 年々成長して大人になっていく。

これからも 家族みんなで笑い転げる機会が たくさん持てますように。
そして そこには 夫や私の姿もありますように・・・。

日曜日に 夫とコンサートへ出かける予定になっていた。

チケットの予約を 七月に済ませていてものだから
夫婦して その事をすっかり忘れていた。

夏に美容院へ行ったきりで 髪がひどい有様だったから
慌てて金曜の夕方 予約した。

予約した時に 髪を整えたら そのまま用事を済ませに出かけようと
思いついたので 美容院の後 久しぶりにデパートへ行った。

デパートでは北海道展が催されていて 中高年で賑わっていた。
どんなだろうと 売り場へ行ってみたものの 特別に買いたい品もなく
あまりの人の多さに 早々に退散した。

買いたいのは 今度訪うつもりでいる老婦人とその息子さんへの手土産だ。
かさばる物や重い物は嫌だし 値の張るものでもおかしいし・・・
小物売り場を歩いて 夫人には これからの季節に履いてもらおう と
暖かい靴下を数足セットにして 息子さんには 日常使いにハンカチを買った。
ありきたりのものだが 手土産がわりだから あまり気の張ったものよりは
実用的なものの方が 喜んでもらえるだろう。

あとは お出かけ用の自分の帽子を探す。

暑い季節はもちろんだが これからの 風が強かったり寒かったりする季節も
帽子一つ被るだけで 随分体感温度が違う。

気に入ってずっと被っていた帽子があるのだが 年数が経って
さすがに色が変わってきている。
今まで モールや駅に入っているお店へ行った時についでに探したが
気に入ったのがなかった。
顔立ちと頭の大きさに合った帽子が なかなかみつからない。

帽子売り場で店員を相手に あれこれいくつも被ってみて
ピッタリではないものの まあこれかな というものを選んで買った。

もうこれで用は済んだ。
食料品売り場へ行ってみたい気もあるが 家の冷蔵庫にはなんやかや入っている。
行ってみたところで 買うものもない。

夫に連絡して 迎えにきてもらい 帰って来た。
迎えに来た夫は 早かったなあ と言った。

体を悪くする前は よく売り場を見て歩いた。
どれだけ混んでいても それが楽しかった。
しかし最近は 人混みの中の売り場を苦痛に感じてしまう。

いつも一人でいることに慣れてしまったからだろう。
それに やっぱりモールは広い。
駐車場の車の数はすごくても 広い店内では 人の多さを感じない。
気ままにゆっくり 自分のペースで見て歩ける。

久しぶりにデパートへ行って 売り場を狭く感じたのは
モールをブラブラすることに慣れたしまったからかもしれない。

ちょっと出かけただけなのに 疲れてしまった。

最近 気になっていることがある。

このごろ 自分の汗の匂いが変わってきたように思えるのだ。

長年 多量の薬を飲んできている。
だからではないか と思っているのだが 汗に どことなく薬の匂いが漂っているのだ。

お風呂へ入った後でも その後で出る汗には 薬の匂いがする気がする。

身体中を巡った薬は 役目を終えると 体外へ出る。
でも飲んだ薬は 嘘にはならない。
その証拠のように溜まったものが 匂いになって 出てくるのではないか。

科学的根拠があるわけでもないが 私は そう思っている。

一番気にかかるのは 他人にも この匂いが感じられるのではないか と
いうことだ。

しかし これは どうしようもない。
できるだけ汗をかかないようにするしかないが
そんなことは無理だから 何か対策を考えなくては とも思う。。

今 使っている石鹸を 夫が使っている柿渋のソープにしようか・・・。

考え始めると ちょっと憂鬱になるこのごろだ。




朝晩の気温が下がり そろそろ温かいおでんの季節になってきた。

私が育った家では おでん といえば 味噌おでんだった。
出汁で煮て 味醂などで味をつけた味噌を かけたりつけたりして食べた。
それが おでん だと思って育った。

ところが結婚してみると 夫は 味噌おでんより出汁が染み込んだおでんがいい
と言うので その時から 我が家のおでんは 出汁だけのおでんになった。

おでんだねも 地方や家々で違うらしく 生家のおでんに 牛スジはなかった。
だから 私が作るおでんにも 自分が食べ馴れていないから 入れたことがなかった。

今日 習字の帰り バスの中で 今夜はおでんにしよう と思った。
でも 大根と数種類の揚げ物は冷蔵庫にあるが コンニャクがない。
この前 買い物をした時に 買い忘れたからだ。

でも コンニャクだけ買い足しに スーパーまで歩くのも億劫だ。
どうしたものかと考えているうちに 降りるバス停が近くなった。

その時 コンビニの おでん と書いた幟が目に入った。
都合のいいことに コンビニはバス停のすぐそばにある。
足りないコンニャクは コンビニで買えばいい。

以前 友人が コンビのおでんは美味しい と言っていたことが
頭に残っていて 一度買ってみたかったから いい機会だ。

コンビニに入ると たくさんの種類のおでんだねを入れたものが
カウンターのそばに置かれていた。

目的はコンニャクだから まずはコンニャク と思っていると
店員に いくつくらい買われますか 入れる容器が違ってくるので と
言われた。
小さい方の容器だと タネの大小にもよるが だいたい五個くらい入る
らしかった。

どんなタネがあるか見ると 牛スジが目についた。
この間 夫が おちょぼ稲荷で カップ酒のつまみに 牛スジのどて煮を
美味しそうに食べていた姿を思い出した。
私はおでんに入れたことがない牛スジだが 夫は食べたいかもしれない。
そう思って 二本買った。

コンニャク二つと牛スジ二本でも 結構な値段になる。
やっぱり コンビニのおでんは ちょっと食べたい時や独り身の人が
家で作るより簡単 という時に買うものなのだろう。

夕ご飯に コンビニで買って来たの と話しながら
牛スジをいつものおでんだねと一緒に出すと 夫は
わざわざ買わなくても いつもと同じで十分だ と 言いながらも
ペロリと食べた。

夫は 結婚以来 私が料理するものに対して あまり文句を言わない。
それもあって 私はいつも自分流にやってきてしまった。

でも 何も言わなくても 夫にも食べたいものがあるのかもしれない。
遅きに逸したきらいはあるが せめて次回 おでんを作る時には
牛スジを忘れないように入れよう・・・。

満腹になって居眠る夫を見ながら そう思って後片付けをした。










私が長年服薬している薬の中に 肝臓や腎臓の機能を低下させる成分を含むものがある。
それは 大学病院で処方される薬だ。
それで 定期的に月に一度 血液検査がされる。

毎月の検査結果 腎臓に関しては 今のところ数値的にはいいのだが
問題は 肝臓だ。

もともと若い頃から 肝臓が強くない。
それに加えて 五十代で 胆のうを切除している。
その上の 多量の服薬だ。
肝臓に良いわけがない。

だから 毎回の肝臓の働きを示す数値は 正直言ってよくない。
でも よくないながらも 標準値をほんの少し上回るあたりを 行ったり来たり
していれば まだいいのだが
月によっては なんで⁉︎とびっくりするほど数値が悪くなる。
医師も顔を曇らせて また内科でー度診察してもらいましょう となってしまう。

内科のかかりつけ医院でも 血液検査をする。
九月に受けた内科のかかりつけ医院での血液検査の結果が ひどく悪かった。

医師も印字されている数値を見て 声が大きくなったほどだった。
それで 今日 処方される薬が 一種類増えてしまった。

人と比べて ひどい食生活をしているとは思っていないのに・・・。
落ち込んでしまう。

昨日高山で 帰り際にスーパーに寄った。

夫が買いたいのは 富山から入ってくる新鮮な魚
私が買いたいのは 高山にしかない惣菜だ。

魚は 前日夫が釣って来た魚があるので 今回はパス。

私が毎回 高山へ行く度に買って帰る高山の惣菜は 決まっている。

まずは 揚げづけだが 高山人でなければ これが何なのかわからないかもしれない。
三角の油揚げに 独特の方法でしょうゆ味を染み込ませたものだ。

以前は 高山で一軒しか製造していなかった。 それを今では もう一軒でも
製造するようになり 我が家がある隣市のモールなど高山市以外で売られている。
ところがこちらは しょうゆの味が濃くて 私の好みではない。
だから 高山へ来た時には 必ず買って帰る。
焼いて食べる揚げづけは 暖かいご飯に とてもよく合う。

次にどうしても買うのは 高山では あかまる と呼ぶかまぼこだ。
実家の近所の八百屋が 毎日十一時過ぎに仕入れから帰ってくると 店に並ぶ商品の中に
必ず まだ温かい作り立てのあかまるがあった。
それを買ってきては お昼ご飯のおかずにした。

それから 煮イカや塩イカ。
これも 店頭に並ぶ時は まだ茹でたてだ。
プックリと茹でられたイカは切って 生姜じょうゆや醤油に小口に切ったネギを
散らして食べる。

塩イカは 皮を剥いて茹でたイカの胴に塩を詰めた 保存の効くものだ。
塩出しして きゅうりなどと酢の物のようにして食べたりする。

そして さつまいものつけ揚げ。
高山では 祭りなどの行事の時に 天ぷらではなく このつけ揚げを作る。
前もって 衣に味をつけてから揚げる。

それから 天ぷらまんじゅう。
これも天ぷら用に作られたまんじゅうに 衣をつけて揚げてある。

これらは 子供の頃 法要やお祭りなどの行事の折に
飛騨で言うところの 皿盛りのご馳走の一品として 出されていたから
その思い出と味が 頭と舌と心の奥でつながっていて
懐かしさが 食べたくさせているのかもしれない。

その最たるものが 年越しの際の 塩ぶり だろう。

一度刷り込まれた食べ物や味は 食する度に それを食べたあの時や
あの頃を思い出させ 心を穏やかにし 和ませてくれる。

何年経っても忘れられない 生まれ育った地の食べ物と味だ。





最近の夫は どうも解せない。

やたら 私に優しい。

新聞に 高山では 秋の祭りが近くなりその準備が行われている という記事が載った。

その記事を見ていた夫が 久しぶりに見に行くか と 言った。

久しぶりどころか 高山祭りには もう三十年以上も行っていない。
行ってみたいのはやまやまだが 私の体調もあるし・・・。

それに 天気も心配だし 前日には海釣りに行くのだし その前の日は運動会なんだし・・・
夫の疲れも心配だったし 多分記事を読んで ちょっと行ってみたくなって
そう口にしただけだろう とも思い 期待はしないほうがいい と考えて
三日連続だよオ〜 無理だわよオ〜 行けないんじゃないのオ〜
と ソフトに返しながら 最初 私は あまり乗り気でなかった。

どうせなら楽しく祭り見物をしたいから 無理して運転して行ってくれても
疲れてトゲトゲしくなっている夫のそばでの 祭り見物など 面白いとは思えなかった。
それでは全然楽しくないだろうから 夫が 本心から行きたい と
思っているのでないかぎり 行ってもナア・・・

四十五年共に生活してきて 最近の私は 相手に合わせることに
少しばかり疲れている。

特に 体を悪くしてからの この十年は 家の中のこともできなかったり
して 夫に負担をかけている負い目がある。
それがあるから 私なりに気を遣ってきたつもりだが
夫からすれば 日々 苛立つことが多いらしく 疲れてくると よけいに
それが強くでる。

だから 直前まで 行けるかどうか わからなかった。

祭りに行く話が夫から出た時に 高山祭りに行ったことがないという友人に
もしかしたら行けるかもしれないよ 行けたら一緒にどう?
と 声をかけておいた。
でも 天気と夫次第だから 前日の夜にならないと確実にはならないからね
とも 伝えてあった。

実際 昨夜 長男夫婦が 釣果のおすそ分けを持ちに来た時でさえ
明日高山祭に行くかもしれない とは話さなかった。

しかし結果 夫が 行く と言い 確実になったので
さっそく友人に連絡し 今朝早く待ち合わせた。

本当は 高山にいる友人に 今日行くことを知らせ
ちょっとの間でも三人で会う時間があるかもしれない と伝えたかったが
一緒に行く友人が タイミングよく 高山で探していた借家のいい物件を見つけ
不動産会社に連絡すると さっそく内覧に連れて行ってくれる という運びになって
慌ただしくなったものだから 会って話す時間が持てそうもなかった。

事実 着いて間もなく 夫と私は友人とは別行動になった。
彼女は お昼ご飯も不動産会社の社員と食べ 再び合流したのが一時半ごろだったか。
スーパーで買い物をして そのまま また高速道路に入ったのが 二時半ごろ。

途中 少し渋滞もあって 駅で降ろした彼女が 電車に乗れたのが五時半近く。

なんだか忙しい祭り見物だったが
それでも 秋祭りの屋台のからくりを初めて見た夫は 満足気だったし
私も しばらくぶりで 屋台一つ一つの見事な彫刻や装飾を目にして
あらためて その見事さを堪能する時間は 十分あった。

後半 夫がからくりを見たりする間 私は人混みの中 お店の縁台に腰掛けて休み
たまたま隣に座った台湾の幼い女の子二人に 折り紙で鶴を折ってあげたりもした。

夫も 終始機嫌がよかったし 友人も 目的の物件を三件も見られたし
私も屋台を見られたし それぞれがそれぞれに楽しんだ一日だった。






前回とは違って 今回の釣果は 結構あった。

前回のように小さな小さな鯖などではなく 少し小さいが 型のいい
魚を 数種類持ち帰った。

中には 現地では高級魚だ といわれる魚も何匹もあり
小型の鯖や鯵も たくさんある。

帰宅後夫は 早速 夕飯のために鯖や鯵さばいた。
私の口出しを嫌がるから 夫の好きなように やりたいようにさせ
私は いっさい黙ってリビングで座っていた。

皮を剥くのに どうも うまくいっていないらしい。
前にも 皮剥きをしたことがあるはずなのに どうやら夫は
その時の剥き方を忘れてしまったようだ。

こうなると 夫はだんだん気が立ってくる。

そうすると なにもしないで座っている私が 小憎らしくなってくるのだろう。
うまく剥けなくて四苦八苦しているというのに お前は 知らん顔でいるのか・・・
という 苛立った心のうちの言葉が 聞こえてくるようだ。

剥き方が違っていると指摘しようものなら ますます険悪になってくるから
そこは長年の経験で 彼の自尊心を傷つけないよう 間違いに気付かせる方法を考える。

まずはiPadで 鯖の皮の剥き方 を検索して出し
中でも 動画でその方法を説明しているものを探す。

あったあった 丁寧に手順を写しながら 説明している動画があった。

それを 何気なく 苦戦している夫に見せた。

夫は 逆の方から剥こうとしていたので うまくいかなかったのだ。

夫もそれで納得して それからは順調に仕事が進んだ。

ようやく夕ご飯になったのが 七時過ぎ。


釣りに行ったはいいが 帰ってからが大変なのだ。

長男に持ちに来るように連絡しても まだまだあるから それらの処分が・・・
煮魚用に塩焼き用に 分けて保存袋に入れて片付ける。

昼間 一緒に行った友人の奥さんから電話があった。
お互いに 行くまでのそれぞれの夫のはしゃぎようを 笑いながら話し
今度二人が釣りに出かけて行くときには 私たちも二人して出かけて
ランチやお茶でもしましょう と 約束して電話を切った。

そうなのだ 今まで どうしてそうしなかったのだろう。

二人が楽しんでいるのに こちらだけが家にいることはないのだ。
奥さんとでなくても 近くに来た友人と会ってもいいし 一人で出かけてもいいのだ。

今度 夫が釣りに出かける日があれば 絶対 私も出かけることにする。

深夜の二時前 私が余分に作っておいたおにぎりを一つ食べ 夫は出かけて行った。

夫を誘ってくれた友人宅まで迎えに行き それから目的地へ向かう。

出発する夫を 玄関の外まで見送りに出ると 外は白く霧が出ていた。
ライトに照らされると その部分だけが 細かな霧雨の粒のように見える。

気をつけてね と 車に乗り込んだ夫に声をかけ 夫はうなづいて出かけて行った。

朝になって 新聞を取りに玄関を出ると 空はどんよりと灰色だが 霧はもう晴れていた。
こんな早朝の空の日は 日中はいい天気になる。

船は 六時に出るのだと 夫が言っていた。

今頃はもう 釣り場に着いて 糸を垂らしているだろう。

せっかく遠い所まで行ったのだから 少しでも帰りの運転が苦にならないように
夫が満足のいく釣果であってほしい。

今朝 雨は止んでいたが 当然 地面は濡れている。
それでも 雨が上がった以上は 運動会は開かれる。

それで 夫は今朝六時半には家を出て行った。
昨日 止んだ時のことを考えて 運動場の水をとるためにバケツや雑巾を
たくさん準備してきてあるんだそうな。

先生方も早出で みんなで運動場の水をとり 一時間遅れで開始した という。

今の時代は 昔と違って 父兄への連絡は 指先一つで済むから
どんな連絡も 即座にできる。

怪我をしたりする子供もいなくて 無事に今年の運動会は済んだらしい。

運動会が済めば あとは今夜夜中からの釣りだ。
帰りには釣具屋へ寄り 私にはわからないなんやかやを買って来たらしかった。

夕ご飯も 入浴も早くして 手回品をザックにまとめ
コーヒーとお茶 おにぎりを念押しして 夫はベッドへ直行した。

私は しばらくテレビを見た後 夕ご飯の後片付けをし食器を食洗器に入れ
今は ご飯を炊いている。
炊き上がったら おにぎりの包みを二つ作り コーヒーをポットに入れて
それらを ザックのそばに置いてから 寝る。

なぜ 準備したものをザックに私が入れないか
夫が 私には構われるのを嫌うからだ。
畑のことと同様 自分の分野に手をつけてもらいたくないらしい。

さてさて 今回の釣果は如何に。
前回のように 小さな小さな鯖ばかり山ほどだと また始末が大変だ。

なにはともあれ 友人を乗せての車の運転
たとえ釣果がなくても 何事もなく帰って来てほしい。

明日は 夫が勤務している幼稚園の運動会だ。

ところが 今日のこの雨。
一日降り続いて 夜になってもまだ止まない。

天気予報では 明日の朝には止む とあるが どうだろう。

夫には 雨が止んで どうしても明日は運動会がなければならない訳がある。

数日前の夜 友人から電話があった。
キッチンにいた私には どなたからの電話なのか すぐにわかった。
どうしてかというと その方と電話で話す時の夫は 声の調子がいっぺんに変わるからだ。

不思議なもので 多分 私も同じなのだろうが 学生時代の友人と話す時には
年齢までもが 記憶の中のその頃の自分に戻ってしまうからだろう。
体がその頃の自分を知っているから 声も いつもより大きく力強くなるのだ。

電話に出た時の夫の声もまさにそんなふうで 大きな声で話し 快活に笑い
そして 彼からの釣りに行く誘いに 嬉々として応じていた。

それからというもの 釣り道具を二階から降ろし 今 玄関には
いつの間にこんなのを買ったのか 私が知らない道具や道具入れがいっぱいだ。
目を輝かせて さも忙しげに動いている。

その釣りの約束の日が 運動会の終わった次の日で 家を出るのが夜中の二時だ。

だから 今夜あたりの夫の頭の中は

雨が止んで 明日 無事に運動会ができるだろうか・・・
できなかったら また来週準備することになる・・・
できなくても明朝は出勤だし 日曜日は晴れの予報だから 帰りには釣具屋へ寄って
餌やら氷やらなんやら 買って来なくてはならないし・・・
帰ったら 夕飯を早く済ませてお風呂へも早めに入って 早く寝て一時には起きて・・・
自分は 予定通りに準備して行けるが あいつはどうか・・・心配だ・・・
ちゃんと おにぎりの包みを二つ作って 温かいお茶とコーヒーを
それぞれのポットに入れておいてくれればいいが・・・
あいつは ときどきポカをするから 忘れないように明日寝る前に念押ししないとなあ・・・

そんな思いでいっぱいではなかろうか。

家と勤務先と畑のトライアングルを行き来するだけの夫だから
たまに友人と釣りに行くくらいは 私が何も言わないことがわかっているが
おにぎりを忘れられるのは 困るらしい。

これだけあちこちにコンビニがある時代なのだから
途中のどこかで買ったって おにぎりくらい たかが知れているのに と思うが
それはどうも夫の流儀に反するらしい。

その証拠に 昨夜
「明日の朝は 今夜の残りのご飯があれば炊かなくていい 夕飯をおにぎりの分
多く炊くようにしろよ」
と 私に言い置いて 寝た。

私は エエッなんで明日の夜なの? と思ったが 夫には夫の考えがあっての言葉だろう
言われたようにしてないと機嫌が悪くなるし・・・
と思って 今夜 夕ご飯を炊いた。

そうしたら そうしたらだ。案の定
なんで今夜こんなに炊いたんだ⁉︎ 釣りに行くのは次の日だぞ‼︎
と 怒られた。

彼の頭の中は 運動会と釣りが渦巻いて こんがらがっていっぱいになっているらしい。

もともと解りやすい人だが 歳をとって余計に 直情的な面が目立つようになった。

そうでしょ〜ヤッパリ日にちを間違えてたのねえ また明日の晩 炊くわよ。

私は感情を出さずに サラッとそう言っておしまいにしたけれどネエ〜。



今年のノーベル文学賞は 国籍はイギリスだが 元々は日本人の
カズオ イシグロ氏が受賞した。


五歳で日本を離れた後も 日本人の両親の元で育ったらしいから 彼の思考回路の大部分は
日本人としてのものだろう。
同じ日本人だと思うと 受賞は とても誇らしいし嬉しいことだ。

ずっと以前のことだが 「日の名残り」を映画で観た。
この時には 原作がカズオ イシグロ とあっても あまりそれには興味がなかった。
ただ 出演者のイギリス人二人が 共にオスカー級の超有名俳優だったから
その演技のうまさに感嘆し 感動したことを覚えている。

そして近年 書道の先生から この本とても面白いですよ と 紹介されたのが
カズオ イシグロ の 「私を離さないで」だった。

なんのこともない回想から始まる物語なのだが ページが進むに連れて
エッ これってどういうことなのだろう・・・と 読み手を不安な気持ちにさせ
次第に 単なる回想ではなくなっていく。
そして 思ってもみなかった方向に物語は展開して 最後は 読み手の心情を
暗くて辛くて 深く静かな悲しみで 鷲掴みにするような小説だった。

その時には 作者が日本人だと知って 日本人にもこんな筋立ての小説を書く人が
いるのか と驚いた。

その カズオ イシグロ氏が ノーベル文学賞受賞 と知って
本を読んだ時の感動が どっとよみがえってきた。

やはり 読みながら物語の中へ強く引き込まれていった あの時の思いは
私だけが感じたものではなく 全世界の読んだ人たち共有のものだった と 解り
いい本を読んでいた喜びと 推薦してくださった先生への感謝の思いで
昨夜は 幸せな気分だった。

リハビリを終えて外へ出ると 通りの向かいの家の屋根の上に 黄色く丸い月が
周りに虹色の輪を輝かせながら ぽっかり浮かんでいた。
昨夜の月より 黄色味が濃い。

今日は月に一回の薬をもらう日だったので 月を横目で見ながら そのまま隣の薬局へ入った。

薬局へ迎えに来た夫の隣に座って堤防を走ると さっき見た月が
もう 東の空の中ほどまで昇っている。
先ほど月の周りにあった虹色の輪は もうなくなってしまった。

車を走らせるこの堤防は 月を見るには絶好の場所だが なにせ人は歩かない。
それも 車の運転席の反対側に座っていないと 眺められない。

だから 今夜の月も 意識して見た人しか その美しさに気づかなかっただろう。

ほんとうにきれいな月だった。
黄色味がかった月は 昨日の名月より ずっときれいだった。
私には そう思えた。

薄くかかった雲間に はっきりとくっきりと 車でさえなかったら
立ち止まってしばらく眺めていたいほど 煌々と輝く月だった。

一年で一番美しい月 といわれるお月様以上に 美しい月があるのだ と
今夜 気づいた。

昨夜飾ったススキ 今朝 片付けてしまったススキを
もう一晩 飾っておくんだったなあ・・・。



今夜はお月見 中秋の名月だ。

いつもの水曜日と同じように 夕方近く 温泉へと出かけた。

その時刻の月は まだ大きくて 東の中空に ポッカリと浮かんでいた。
白い月は まるで糸を離れた風船のように フワフワと 空に漂っているようだ。

玄関にかける絵の額を 私の知らない間に 秋のものに架け替えていた夫は
去年は気にもしなかった名月が 今夜だと気づいて
温泉への道すがら 道端に生えているススキを 切って家へ持ち帰って飾ろう と言い出し
路肩に車を停め いつも車に積んでいる道具の中からハサミを出して
数本のススキを切りとって 車に入れた。

ゆっくり温泉につかって外へ出ると 月はもう高く昇って
東西に長くたなびいた雲の上にあって 南に近い天空から 青白い光を投げかけていた。

家に帰り着くと 夫が切ってくれたススキを 大切にしている銅壺に活けて
月がのぞめるベランダに据えた。

煌々と輝く月をあおぎながら 思った。
夫は 体が疲れているのは 確かだろうが 何か思うところがあるのだろうか・・・
最近 とみに優しいのはなぜだろう。
今夜のススキにしてもそうだ。
ナツメにしても 私が そろそろとってくれない? と 頼む前に
全部取ってくれたし・・・
彼の中で 何かが変わったのか・・・
このまま ずっとこの調子が続けばいいのだが・・・。

そんなことを思って しばらく立っていると 肌寒さを感じて
湯上りに風邪を引いては大変 と 中へ入った。