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昨日 一年以上会っていなかった友人に 紅葉狩りを兼ねて 三ヶ寺を巡った。

最後に行った ある一族の菩提所になっているお寺でのこと。

寺の裏山の中腹には 源頼政の首塚がるから そのいわれでも刻してあるのだろうか
寺からほんの少し高い場所に 石の八角形の台座に 耳のある石亀が載っていて
その上に 長方形の背の高い石碑が これも石の曲線が美しい笠を頂いて建っていた。

今では風化が激しく 刻してある碑文も読めないほど傷み 碑自体も崩れ落ちないか
心配になるほどの有様だった。

その碑を見ての帰り 石を並べただけのゆるい段を 杖をつきながら体を横にして
ゆっくり片足ずつ降りていた時 左足を載せた石が 固定されていなくて
載せた途端 グラッと下へ動いた。

段の端の石は 雨水で石を支えている土が流れていて もしかしたら不安定だったり
動いたりするかもしれないから と 段の真ん中をソロソロと注意して降りていたのに
案に反して その真ん中の石が動いたのだ。

そうなると もういけない。
アレエ〜という間に 石と一緒に左足が流れて 転んでしまった。

しまった!やってしまった!それもこんな人けのない場所で!
瞬間そう思ったが 降り方がゆっくりだったのと 石の動きもゴロッとゆっくりだったのと
それに転び方が まあまあよかったか 大したことにはならなかった。
それに今の季節だ。石段にも周囲にも落ちて積もった枯葉が クッションになってくれた。

頬を少しかすったのだろう しばらくはヒリヒリしたが 赤くもならずに済んだし
ズボンの両膝が汚れたくらいで すり傷もなくて 大難が小難で済んだ。
尻もちをつかずに 前のめりになって転んだのもよかった。

怪我はなくてよかったが 今朝 目覚めてみると 体のあちこちが痛い。
昨日 転んだ時の反動だ。
一日中おかしかったが 夕方 温泉へ行きゆっくりお湯につかると それも
自然に和らいできた。

とにかく 怪我がなくて本当によかった 。
神仏に感謝感謝!

それにしても 災難はどこにでもある ということを 改めて思い知らされた。


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我が家の二男は 学生時代あまり勉強が好きではなかった。
それで なんでもかんでも大学へ という世間の風潮とは逆に それより早く社会へ出して
生きるうえでの勉強をさせた方がいいだろう と 就職させた。

彼には やりたいことがあったが 残念なことに その職には着けなかった。
それでも 彼自身が自ら会社を選んで入り 今日まで 真面目に働いている。

子育ての頃 三人の子供を本好きな子にしたくて それぞれに読み聞かせを
重視して育てた。

三人ともに 本好きには育ったが 中でも一番本を読むのは この二男だ。
作家の中でも 彼は 宮城谷さんの書く 中国の歴史を題材にした小説が好きで
高校生の頃から 新刊が出る度に買っては 小難しい小説を読んでいた。

だからだろう。
二男と話していたり メールのやり取りをしていると 彼が発する言葉に
驚かされることがある。

もちろんそれは特別な言葉ではなく 日常的に使う言葉なのだが
それを何気なく 適切な時に 的確に使うのだ。

今夜も ラインでやりとりしていると ハッとさせられた。

今日の日中 見に行った紅葉があまりにも見事だったから その写真を送ったり
している時 私は 単に 紅葉を見に行った と伝えたのに 二男はそれを返信の中で
紅葉狩りに行った という言葉で返してきた。

そうだ 日本語にはこういう場合を言い表す言葉に 紅葉狩り という素敵な言葉が
あるんだった と 気づかされた。

こんなことが ときどきあるのだ。

大学へ行くばかりが勉強ではない 人生ではない と 改めて彼から教えられる瞬間だ。

本人に よくとっさにその言葉が出てくるわね と言うと 偶然だよ と
あくまでも彼は自然体で返してくる。

自分に自信がないこともあるのだろうが 私が褒めても 彼は決して奢らない。

そんな二男の良さを どれだけの人が理解してくれているのだろう。

母親の欲目なのかもしれないが 二男の優しさや このような細かな良さを
出来るだけたくさんの人に知ってもらえたら と 願ってやまない。

今日は 小春日和の この上なくいい天気。

何日か前に 突然ラインに名前が入って繋がった友人があった。
それが 携帯さえ 持たない! と今まで頑張っていた友人だったから 驚いたが
たまたまパッドを開いていた時だったので 直ぐに ラインで応じた。

彼女とは もう一年以上も会っていなかったから よけいに突然 パッドの画面に
彼女の名前が飛び込んできて びっくりだった。

今日その友人と会ってわかったことだが ラインの使い方を 息子に教わっていたら
突然 私の名前で返ってきたので 向こうも驚いたらしい。

勝手に繋がって おまけに今まで携帯さえ持っていなかったから 私の番号も知らない。

苗字がなかったから 誰だ誰だ と友人と息子にご主人までもが加わって
大騒ぎになったが この名前の知り人は 私しかいない と 結論が出て
恐る恐る開いてみたら やっぱりあなただった と 二人で大笑いした。

その友人が 今日は 近くの地域にある三ヶ寺へ 連れて行ってくれた。
どのお寺も 紅葉が綺麗で 見学や参拝の人もちらほらとあった。

三ヶ寺の中の一ヶ寺は 初めて行くお寺だった。
そこは ある一族の墳墓が固まってある 菩提所になっていた。

大きくて立派な五輪塔がいくつもあり その間には 灯籠もたくさんあって
隣の墓地を管理している人によれば これほど多くの墳墓や五輪塔がある場所は
高野山以外にはない という。

源頼政の首塚があるが そばに建っているお寺は その一族を弔うためのお寺らしかった。
この地で生まれ育っていない私には 全く馴染みのない一族の名だったが
名古屋の徳川美術館の書物にも名が出ているくらいので身分の高い武将だったらしい。
なんでも 織田信長の家来だったとかで その後 家康に仕えたのだろうか。

今では 子孫も散り散りで 名古屋に住む子孫が 年に一度 草刈りに来るだけらしい。
あれほどの数の墓碑や五輪塔だから 子孫を探すのさえ おおごとだろう。
時々 ボランティアが 草刈りなどの作業をして ようやく菩提所 としてあるらしかった。

山裾に 斜陽を浴びてひっそりとある菩提所に佇むと 乾いた妖しい風が吹き抜けていく。
地下に眠っている一族の人々の怨念が サワサワと立ち上がってくるような
そんな気配がした。

それにしても 近くにこのような菩提所があるとは 今日までよく知らないでいたものだ。

このような古い菩提所がここにある と分かれば 時代劇のワンシーンでも撮りに
どこかのテレビ局や映画会社でも きっと来るに違いない そう思わせるような
そこだけが 寂しく時代の流れに取り残された菩提所だった。

昨日 ニトリで リビングに二ヶ所ある掃き出し窓の レースカーテンを買ってきた。

今までのは リビングをリフォームした時に付け替えた物だったが 南の日当たりの良い
場所だから どうしても早く悪くなるようだ。

それでも 普通にかかっていて不思議はない年月しか 経っていなかったのだが
今年の夏のこと 次男が帰省した折に レース地を上下に引っ張ったらしい。
そのとき 引っ張った箇所の布地が 横に裂けてしまった。

その後 夫と二人でニトリへ行き 適当なサイズのカーテンがないか探した。

掛かっているのは オーダーして寸法もキッチリ合った 天井からの物だったので
それだけの同じ長さの物は 見つからなかった。
それに 今のはフックをかける部分が三つ折りになっていて 生地をたっぷり
使ってあるが 既成の物はダブルのしかなかった。

再度オーダーして作るか… 寸法が合わなくても既成の物を買うか…迷っているうちに
日にちが経ってしまった。
そして時間が経ち もう既成のでいいんじゃないの? 長さが合わなくてもいいよ
となり 昨日 買って来たわけだ。

多少寸法が短くても 防炎 花粉防止 遮熱 と幾つもうたってあるし
一応値段も ニトリでは高い物だから それなりの効果もあるのだ と思いたい。


土曜出勤で今日が代休だった夫が 日中 掛け換えてくれた。
前のものが乳白色一色だったのが 新しいのは真っ白に 織りで粗く縦にストライプ がある。
日差しを受けると そのストライプがアクセントになって 案外いい感じだ。

ただ 長さが十五センチくらい短い。
でも 長くて引きずるようでも困るしサッシの溝に触れるようでも 黒く黴びてしまうから
これくらいの長さの方がいいのかもしれない。
夕方になって布地のカーテンを締めてしまえば そんなことも隠れてしまう。

レースカーテンを換えただけなのに なんだか部屋の雰囲気までが変わったように思えて
レースの白さが目に眩しく感じる。

季節毎にカーテンを付け替える人があるらしいが その気持ちがわかるような気がする。

新しいレースカーテンで 年末と新年を改まった気持ちで迎えたい。


車の運転を禁止され買い物袋さえ持ってはいけない と言われている私は
食料品の買い出しさえも 夫頼みの暮らしだ。

平日は仕事があるから 買い出しは土日に限られてしまう。
おまけに その土日は 夫は一目散に畑へと行ってしまう。
だから 他人がなんでもなくやっている日常生活が 私にはない。

昨日は夫の勤務があったので 買い物には行けなかった。
今日はといえば 午後の二時まで畑から帰って来ない。
遅い遅いお昼を食べて 娘へ送る野菜の荷を作り 営業所へ出しがてら
ようやく出かけた。

それも夫には やらなくてはならない仕事が 叔母の家にあった。
昨日 帰りに取り換えたアプローチの電気が うまく作動しないらしく
パカパカとまるでフラッシュのように点滅しているらしい。
その理由がわからないから 行って見る必要があった。

営業所で荷物を送ってから 破れているリビングのレースのカーテンの
換えを買いに まずはニトリへ。

その後 一緒に叔母の家へ行っては 時間がなくなるので
私はモールで降ろしてもらい 夫だけ叔母の家へ。

夫の用事が済んで迎えに来てもらえるまでが 買い物の時間。

書店へ寄りその後スーパーへ。短い時間だが 私には一人で動ける貴重な時間だ。
出来るだけ数日必要な物だけを買う。
でないと 持参の買い物袋が重くなってしまう。
あれも買いたいこれも…と思っても 仕方なく諦める。
特に お米は 仕事帰りに買って来てもらうよりないから 一番に諦めた。

夫が迎えに来るまで ベンチに腰をおろして待ち 帰って来た。

自分一人で 行きたい時に行きたい場所へ行って買い物をしたい
細やかだけれど切実な私の望みだが これは死ぬまで叶いそうにない。

本キチの私は いつもいつも どれだけ体調が悪くても 高熱で朦朧としていない限り
手元に本がないと居られない。

痛みも 死ぬほどの強い痛みでない限り むしろ本を読んでいると 気が紛れていい。

最近は 図書館ではあまり借りず ネットでの購入がもっぱらだ。
それも おおかたは文庫本だ。
文庫本は安いうえに 電子書籍だと 値段が割引きになることがあるから
なおのこと 手軽に購入できる。

ネットで買えない新刊は 店頭での購入になるが やはりこちらも文庫本だ。

しかし 実際 図書館に置いてある文庫本は 数が少ない。
それも 新刊書は となると なかなか入らない。
シリーズ物やお気に入り作家の小説は 発売されたら 直ぐに読みたいから
待てなくて ついつい買ってしまう。

とは言っても やっぱり図書館に置いてある文庫本は ありがたい。

そんな 私にとって食べ物以上に大切な文庫本を
図書館に置かないようにしよう という動きが 最近ある。
図書館での文庫本の貸し出しを できなくしよう というのだ。

そんなことは 絶対に困る。
私を含めて 所得の少ない者にとって 図書館で借りるあの文庫本の
大きさと手軽さは とてもありがたい存在なのだ。

それだからこそ 逆の考えから出された発想だろう。
手軽に安く入手できる本まで貸し出されては 書店や出版元が儲からない。
だから 図書館では貸し出しをしないようにしてくれ ということなのだろう。

しかしこれは あまりにも一方的で理不尽な要求ではないか。
その裏に潜む 儲け第一主義の傲慢ささえ感じてしまうのは 私だけか。
下世話な汚い言葉で言う 誠に 「 * * の穴の小さい 」話ではないか。

世界に冠たる出版王国の日本が 儲からないから貸し出すな 買わせろ では
文化の程度が知れる というものだ。

民主主義が根付き 成熟した日本だからこそ 国内で出版されるあらゆる書籍を
図書館という文化と人智の宝庫に集め 誰もが閲覧でき借りられるようにしなくては。

今はまだ小さな記事でしかないが 今後この問題がどうなっていくか
興味深く見守っている。

昨日は昨日とて 友人の I さんの好意に甘え 今日はまた今日とて 叔母の好意に
夫婦して甘えた。

私の体調が戻ったら またマッサージに連れて行ってあげる と まだベッドから
離れられないでいるうちから 叔母が 何度も電話してくれていた。

私自身もだが 最近の夫の様子から 彼も疲れが溜まってきている と感じていた。
それで 思い切って叔母に 私はリハビリに行けば多少のことはしてもらえるから
わたしの代わりに 夫を一緒に連れて行ってもらいたい と連絡してみた。

叔母は そうなら勿論連れて行くが あなたも一緒にやってもらいなさい と言ってくれ
直ぐに三人分の予約をしてくれた。

叔母が午後の三時でお願いすると しょっちゅう通ってお世話になっているからだろう。
むしろもっと遅くの五時からなら 三十分のサービス延長をしてあげられるから
五時からでどうですか と 逆にお店の代表の方が言ってくれているがどうする? と
叔母から連絡がきた。

ちょうど今日は祝日で 夫も家にいる日だから 時間はいつでもよかった。
それに 雨間に畑へ行っても その時間なら帰宅している。
なにより そんなに親切に言ってくださるのだから 五時からでも全く問題はない。

そんな経過があって 今日午後 モール内にあるマッサージ店へ向かった。

すでにモールに来ていた叔母と合流して 三人同時にマッサージが始まった。

行ってみると いつも私にマッサージしてくれる若い女性が今日もいて 担当してくれた。
叔母によれば 彼女はもうすぐ辞めるから このところ常時はいないらしい。
それを 私が行くと知った代表の人が わざわざ彼女に連絡して呼び出してくれたらしい。

サービス延長してくれる ということだけでもなのに 私のためにわざわざ彼女に
連絡してくれた と知って 商売とはいえ なんと親切で心配りのできる人か と
お店の代表者に感心した。
そんな人だからこそ 店舗を任せてもらえるのだろう。

そういう彼の心は 当然マッサージ師全員にも伝わる。
通りいっぺんにマッサージして 商売としてお金をもらう のではない気持ちが
彼らの手先から マッサージしてもらう側に伝わってくるようだ。
決してグイグイ押すのではなく かといって軽くおざなりにでもなく
ちょうどいい具合の加減で 全身のツボ処を順に揉んでくれる。

私を担当してくれる女性は 痛みがある事や腰椎を手術している事も承知だから
そのへんの加減も絶妙で 安心してやってもらえる。

そうやって三人ともが しっかり三十分延長してマッサージしてもらった。

夫は なん年ぶりかで おまけに一時間半もマッサージしてもらったからだろう。
肩が軽くなり 目もはっきり見えるようになった と言っていた。

最近の私達夫婦は ひとさまの好意に甘えてばかりの生活をしている気がしている。
その分を せっせとどこかで返していかないと 甘えてばかりいては
生活のどこかで支障が生じて来はしないか くせになり馴れてしまいはしないか……。

それが ちょっとこわい。

体が回復に向かった一昨日だったか 私の方から連絡するね と前回会った時に言いながら
そのままになっていた Iさんに 久しぶりになってしまったが会って話がしたい と
連絡した。

すると ブログから私の体調の様子を理解してみえた Iさんは 早速今日でもいい との
返事をくださった。
おまけに 温熱療法もどうか という好意に甘えて 昼間 施してもらった。

体を温める療法は 誰にとっても悪いわけがなく 特に皮膚疾患に悩んでいる人には
アトピーさえ完治するほどの効き目がある療法だから 私の足や腰の痛みにもいい。

施術してもらった後 我が家に近い喫茶店で ランチと その後コーヒーを飲んだ。

一月も会っていなかったから 話すことも聞いてもらいたいこともたくさんあって
今日は 会っていた時間のほとんどを 私が話していたような気がする。

この世で 私が気の置けない友の一人であって 相手がこう話してどう思うかなど
全く頓着しなくてもいい人が相手だから 会って話している間に このところ体だけでなく
弱っていた心までも まるでリハビリしてもらったような清涼感と 汚れていた何かが
自然に洗い流されていくような そんな爽やかな気持ちが残った今日になった。

また来週の金曜に来て施術してくださる という言葉に またしても甘えてお願いした。

施術の温もりと I さんの心の温もりで 残っていた心身のオロが いっぺんに消えたみたいだ。

I さん いつも本当に ありがとう!

昨日は 二週間に一度の大学病院へ行く日だった。

前回行った時から昨日まで おおかた寝ていたからだろう 久しぶりの気がした。

昨日の来院患者予約数は 千四百二十六人。

私はいつも朝早く行くので 外科ゾーンの受付順は 遅くても三十番以内だから
診察が始まって直ぐくらいに 診察室への呼び込みになる。
でも 予約時間が遅ければ遅いほど 実際の診察時間は押せ押せになってしまう。
遠くから来る患者にとっては 一日仕事になってしまう。

私だって 診察時間は早くても その後の治療となると その時々の状況次第だ。
数人の患者を診察室へ呼び込んで順に診察した後 治療になるから
その間 治療ベッドに横になって 待つことになる。

その待ち時間も日によって違い 長く待つ日もあれば直ぐに治療が始まる日もある。
昨日は 総患者数が多かったことに比例して 麻酔科の受診者も多かった。
自然 治療ベッドでの待ち時間も長くなった。

ほとんどの受診者は おとなしく自分が治療してもらえるまで横になって待つが
中には 大きな声で怒りだす患者もいる。

昨日は入院棟から呼び出されて治療に来た 私と同年齢くらいの女性が
苛立って大声をあげて 看護師に苦情を言っていた。

無理もないのだ。
麻酔科の患者は 誰もが痛みを抱えて来院している。
入院している ということは その痛みが半端ではないからで
絶えずどうしようもない痛みに苦しみながら それでも 呼び出しに応えて
彼女は診察室へ来たのだ。
そんな身に じっと待つことなど どうして出来ようか。

これは 死んだほうがマシ と思うほどの痛みを経験した者や
絶えずある痛みに我慢しながら生きる者でないと 理解できない感覚だろう。

その証拠に 怒りをぶつけられた看護師たちは この人はどうして待てないの?
という雰囲気だった。

でも ベッドに横になって治療が始まるのを待っている者たちには
彼女の心境がよくわかった。
ただベッドに横になっていてさえ みんな痛いのだから。

私の隣に横たわっていた女性も カーテンの向こうで
どうしてこんなに時間がかかってるの?痛いんだから早く治療してもらいたいわ
と 小さくつぶやいていた。

治療してくれる医師も看護師も 彼らは 私たち患者のような痛みの経験がない。
それに 実際 何人もの患者を診なくてはならないのだから 個々の思いにまで
心を傾けてはいられない。
だから 彼らは淡々と仕事をこなすより 仕方がないのだ。

怒鳴っている声を聞きながら
彼女の痛みも想像できるし 気持ちも分かりすぎるくらいよく分かるから
気の毒に……痛むのだろうなあ〜 何処へもぶつけられない強い痛みを抱えて
自分の意思ではそれをどうしようもなくて 苛立つよりないんだろう……
そう思いながら 私自身 同じ姿勢でいる時間が長くなって 次第に痛みが
増していた。



実は今週の水曜日は 友人lちゃんの亡夫の百か日法要だった。
以前から lちゃんに 葬儀の際も一緒に手伝った 彼女が高校の時からの友人
Oさんにも声をかけてあるから是非来て欲しい と言われていて 行く予定でいた。
それなのに 寝込んでしまった私は 残念なことに行けなかった。

その葬儀の際に わざわざ千葉から駆けつけた lちゃんの友人があった。
ゆっくり話す間もないお通夜と葬儀の短い時間だっただろうに 落ち着いたら
手伝ったOさんがIちゃんを乗せて 車で千葉まで行くから と 約束ができて
Iちゃんは ずっと楽しみにしていた。
私も 彼女が早く元気を取り戻して そんな楽しい冒険ができたらいい と
思っていた。

百か日法要の翌日に その冒険の旅に二人して出かける とも聞いていたから
行ってエールを とも思っていたのだ。
それなのに 行けなかった。

彼女らが出かける日 無事に行って来てね と念じながらベッドの中にいた。

そうしたら今朝 携帯が鳴った。
こんなに早く誰だろう と思うと Iちゃんだった。

もう 千葉の友人が住むマンションに着いていて そのゲストルームから
かけている と言う。

驚いた。
まさかこんなに早く着いているとは!

行楽気分でゆっくり行く と聞いていたから きっと途中 高速道路の
サービスエリアの宿泊施設などを利用しながら 何日か時間をかけて行くのだろう
と 勝手に思っていた。
それが もう昨日には着いていたらしいのだ。

電話では 東京に入ってからは湾岸を走る首都高を走って来た のだと言う。

二三年前 娘の処にいた時 婿の運転で 船橋まで やはり湾岸の首都高を走った。
遠く近く見え隠れする新旧のタワーや 林立する高層ビルの群れが まるで
絵画のように新鮮に見えて 実に綺麗だった記憶があるが 首都高自体は
幾つもの車線とおびただしく行き交う車や煩雑な車線変更があり 田舎者には
とてもこんなところは運転できない と 後部座席で孫と並びながら思った。

夫も 品川から娘が住む代々木までや 代々木から新宿や銀座へ行くのでさえ
娘が運転する隣に座っていて よくこんな道を運転できるなあ と 感心しながら
乗せてもらう度に言う。

そんな路を 私と同じ年のおばさんが(彼女も私と同じく 既に何人かのおばあちゃんでもある)
一人で運転して なんと千葉まで行ったのだ それも思っていた以上に早く!

驚いた 驚いた!
エエッツ!!もう着いてるの‼︎
鼻声が治らないままの私は 何度も聞いた。
電話の向こうからは 笑っている元気そうなOさんの声も聞こえてきた。

浜松では餃子を 富士宮では焼きそばを 道中 名物を食べながら来たのだと
Iちゃんは楽しそうに話した。

それにしても スゴイわ!Oさん!
車で千葉まで行こう という気持ちと その実行力!

常々 Iちゃんから しっかりした人だと聞いていたし 葬儀の際に一緒に立ち働いて
私自身 人柄に触れてもいたから 優しさの中に芯の通った強さを持った人 だと
感じてもいた。だから この人なら ゆっくり時間をかけたら車での旅もできるだろう
とは思っていたが……それにしてもスゴイわ!

葬儀以来 聞いたことのなかった Iちゃんの心の底からの楽しそうな声と
そばにいるのだろうOさんの快活な声が フニャフニャとしている私に
元気をくれた。

気をつけて 楽しい車旅をして帰って来てね〜。











東京から帰って 月曜火曜は なんとか予定をこなしたが 水曜になったら
もういけなかった。

初め疲れが一気に出たのだろう と思っていたが 風邪気味になり
鼻かぜになり 熱も出て とうとう 一週間寝てしまった。

昨日 久しぶりにリハビリに行ったが 治療の途中で 足にひきつれがきた。
施療師がマッサージしてくれたが なかなか治らなかった。

そして今日の夕方 リハビリに行って来た。
幸い 昨日のようにはならなかったが 鼻声だし 体もフワフワしていて
帰り際 別の治療師に エラそうねえ 大丈夫? と言われてしまった。

フラフラするのは この一週間 食欲がなくて あまり食べていないせいだろう。

インフルエンザの予防接種を受けたいのに この分では まだかかりそうだ。

今夜は 細麺のうどんを煮込みのようにして 無理やり食べた。
布団に入るのが 快くなる早道だろうから また今夜も 温めた寝室へ
早々に引き上げる。

干し柿にする 今年の渋柿のことだ。

去年が余るほどの成り年だったから おそらく今年は 成りが悪かろう と 夫も
前から言っていた。
だから ある程度は 夫も覚悟していた。

ところが 今日の午前中 収穫してみると なんとその量の少ないことか!
少ないなんてものじゃない!
不作の年でも 玄関のタタキ半分を占領したうえに 玄関の外には 収穫した柿が
深い箱に六から八杯は積み上げられる。

それなのに 今年は 玄関の中に 例年の四分の一くらいしかないのだ。

お昼過ぎに 畑から帰った夫が

おい ちょっと玄関見に来てみろ……

と 台所にいた私を呼ぶので 出てみると 午前中に収穫したのだろうと思える量の
渋柿が 運び込まれていた。

アレ!?ちょっと少ないけど 遅くから出かけたから 午前中はこんなものか
と思って そのまま また台所へ行きかけると

今年はこれで全部だ……後にも先にもこれだけしかない……

と言うではないか!!

まさかア と思ったが 夫の残念そうな顔を見ると 冗談でなく本当のことのようだ。

エエッ〜〜!! ホントにこれで全部なの!??

こんなこと 初めてだ…… いくら不作だっていってもなア……

夫は沈んだ声で言って 居間へ入った。


成りすぎる年も始末に困るが こんなに少なくては 剥いて連にする気力も
湧かないらしく いつもなら早速剥き始めるのに それからの夫は 何もしなかった。


こんな年もあるわよ という慰めさえも言えない 今年の渋柿だ。



一日寝ていれば 疲れも取れるかな と思っていたが なかなかだるさがとれない。

それでも 帰宅した夫と 温泉へ。
ゆっくりお湯に入れば 疲れやだるさも解消するだろう そう思って出かけた。
車中で 体調が思わしくないから 今日は温泉だけにして 岩盤浴はやめる。
夕食は温泉内の食事処で と 約束した。

いつものように ロッカーに荷物を入れ脱衣して 湯船に入った。

お湯に浸かったり 髪を洗ったり これもいつもの手順で進めたが
体のだるさと重さは 相変わらずあった。

そのうち なんとなく このままでいてはダメだ と 頭の中で信号が鳴った。
万が一 裸で湯船に浸かったまま倒れるようなことになっては大変だ。
早く上がって いつも夫と待ち合うコーナーで待っていればいい。

とにかく 脱衣室で着替えるが ゆっくりしか動けない。
さっさとすれば 倒れてしまうような不安があった。
それでも着替えて いつもの待ち合いにしているコーナーへ行き
テレビを見るともなしに見ながら 夫を待った。

そんなこととは知らない夫が 着替えてやって来た。
夫はいつも先に出て 遅い私を待っていてくれる。
ところが 今日は反対になったから 夫は驚いた。
多分その時にはもう 夫の目には 私の様子が違って見えたのだろう。
大丈夫か……と言う夫に頷いて見せ ヤッコラと腰を上げて 食事処へ向かった。

ところが 十歩も歩かないうちに 気持ちの悪い生つばが 口の中に広がりはじめた。
いけない!!

持っていた荷物を 夫に押しつけるように渡して 洗面所へ駆け込む。
この温泉内には 手洗いがあちこちにあるから こういう時はありがたい。

洗面所から出ると 食事するどころではないと夫は判断し そのまま車に乗った。
東京での疲れが出たんだろう----
そうボソリと言って 夫は途中の薬局で栄養ドリンクを買ってくれ ようやくのこと帰宅した。

自分でも これほどまでに疲れているとは思ってもいなかったが 体は正直だ。

早々にパジャマに着替えてベッドへ。

明日は習字も休んで お粥を食べてドリンクを飲んで また一日寝ることにしよう。



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昨日は 定期の大学病院受診 そして月に一度の血液検査の日でもあった。

点滴の前に 検査のために血液を採取するから 引き続きの点滴やトリガー治療を
している間に 検査結果が出て 医師からプリントアウトしたものが渡される。

基準値範囲の上限近くまで良くなっていた肝臓の数値が 前回 とても悪くなってしまった。
それで この一月 食べ物にも気をつけたつもりだったのに 数値は前回より悪かった。
特別何か治療や措置を必要とするほどの数値ではないが それでも 要注意の数値ではある。

若い頃から 肝臓の働きが悪いことはわかっていたが 加えて胆嚢を全摘しているから
肝臓に負担がかかっている。
そこへ 大量の薬を毎日飲むのだから 肝臓にいいわけがない。
とにかく これ以上数値が悪くならないよう注意せねば と 思う。

朝 出がけに夫とは 迎えは叔母宅へ と約束ができていた。
去年 私が仲間六人の旅の際に叔母に買って行った小田原の薬を それがなくなると
東京の姪子さんに頼んで買ってもらうほど 叔母は気に入って使っている。

その買い足した薬も 残り少なくなってきているのを 察していた。

小田原までは距離はあるが 娘のマンションからは 小田急に乗れば一本で行ける。
それで 東京にいるうちに半日を使って 行楽気分で小田原まで行き 薬を買って来ていた。
一番大きな箱を二箱と 旅の時には買わなかった印籠の形をした専用の振り出し容器も
一緒に買った。

今 叔母が薬を小出しして入れている容器は平形で 注意して開けないと 丸い薬の粒が
飛び出て あちこち転がってしまうのを知っていたから 専用の容器があったら便利だろう
と 思って 薬と一緒に買った。

その薬と容器を 昨日 病院の後に叔母宅へ行き 届けた。
叔母は 私のそんな気遣いを喜んでくれ 買ってきた代金よりはるかに多い金額をもらった。

お昼はお昼で 偶然訪ねてみえた叔母の友人と一緒に外食し ご馳走になり 夜は夜で
叔母と勤めが終わった夫との三人で また外食になり お腹いっぱいで帰って来た。

そんな日だった翌日の今日は 疲れやら食べ過ぎやら トリガーの後の重だるく鈍い痛みやらで
パジャマのまま ベッドにいる。

午後遅く夫が帰って来れば 今日は久しぶりの温泉行き ゆっくりお湯に浸かってくるつもり。

そんなわけで 今日は 小原庄助さんよろしく 寝てお風呂に入っての怠惰な一日を過ごす。


去年までずっと長く続けてきた 一泊しての旅行の会が
皆で話し合った結果 今年から 会食だけする会に変わった。

その会食が 今日あった。
今年の当番が 長良川川畔のお店を予約し そこでランチをいただいた。

そして 都合で一人が欠席だったが いつもと変わらず
一年分のおしゃべりに花が咲いた。

場所を変えて お茶を飲む時になっても話が尽きないくらい
だったが 洗濯物を取り込む頃合いになり 解散になった。

一年毎に皆の環境が変化して 今では 話題は介護や施設のことが多い。
中の一人は まだ存命の母親があるが 他の者は 親を見送って
次はもう自分の番が来ている。

年は取りたくないね〜 で 今日の話は終わったものの
溌剌として 山に登ったりなん泊もの旅行に行ったりのメンバーだから
まだまだ元気に動いて 人生を楽しむに違いないが その中で 私だけが
一番今日の話題に近い存在だった。

しかしこれは 嘆いても仕方のないことで
私は私らしく できることで楽しみを見つけて生きるよりない。

そう思い返しながら 帰ってきた。

品川で 新幹線の切符を買おうと 駅の売り場で並んだ。
列に並んでいるうちに 表示を見ると どれもこれも 自由席と指定席がソルドアウト。
午後四時過ぎのどれも バツ バツ バツ の印しかない。

ひかりに乗りたかったが こうなると選べるどころではない。

背に腹は変えられない。
今日中には 帰りたいのだから 仕方なくグリーン車の空いている席の切符を買った。

グリーン車に乗るのなんて いつ以来のことだろう。
座席もしっかり ゆったり 背もたれには 小さなライトが付いていて 小テーブルもある。
肘掛けも幅広く柔らかだ。

動き出してまもなく アテンダントがおしぼりのサービスに。
ゴミさえ 集めに回ってくれる。

確かに 高いだけのことはある。

今日も 朝早くから午後の一時半ごろまで 留守番しながら二人の孫のお守りだった。

風はあったが いい天気だったから 外でのボール遊びの後 近くの八幡様へ。
しばらく 七五三詣りの家族や着飾った女の子を見た後 孫たちにお賽銭を持たせ
境内にある三箇所の社で 手を合わせさせた。

マンションに帰れば お昼を食べさせ 下の子は直ぐにお昼寝をさせる。
上の子は 下が寝ている間に 娘が指示して出かけたドリルをやらせる。
次々に やるべきことが待っている。

下の子を寝かせるのは まったく手がかからないが 上の子に勉強させるのが大変。
やりたくないから どうしてもダラダラになってしまう。
バアバは甘い と 見抜かれ なめられているから厄介だ。
それを 褒めたりなだめたり 叱ったりしながら やらせる。

その途中で 娘夫婦が帰宅。
勉強は娘にバトンタッチして 私は自身の帰る準備をする。
来た時同様 大半のものは宅配できるように荷造りし マンション入り口の
コンシェルジュの所へ 出しなに運び 送る手配をした。

今日 娘たちが行った場所には 小さな移動動物園が来ていたとかで
私を品川へ送る前に その場所へ行った。

ポニーやヤギ チャボや七面鳥 うさぎにモルモット ネズミにヒヨコなど
小動物が 囲いの中にいて 抱っこしたり 持って来た人参をあげたりして
上の子は大喜びだが いざとなると やっぱり下の孫は怖がって泣いてしまった。

品川へ送ってくれたが 駐車場が三台待ち と知って ホームまで来なくていいから と
そこで別れた。

連日のお守りで 正直疲れたが 疲れているのは娘も同じで 昨夜など 孫たちを二人して
入浴させ寝かせた後に 洗いあがった洗濯物を 浴室で乾燥させるつもりだったのだろう
洗濯し終えたものが カゴに山もりに入れてあったが それをそのままにして
娘はソフアに横になると 気付くと寝てしまっていた。

風邪でも引いたら大変だから 上に暖かいものを掛け 代わりに 私が干した。

週三回ヘルパーが来るが 三連休だと どうしてもその途中で洗濯せざるを得ない。
孫たちに手がかかるのは もう数年だろうから それまでの辛抱だが
それに連れて 娘も年をとるわけだから 疲れも溜まっていく。

孫も可愛いには違いないが 可愛い子供がいてこその孫たちだ。

一度に重なってしまった大変なことが なんとか形になるまで
身体を壊さないように と 親は願う。




連日の子守りは きつい。

それで 土曜日は 婿も仕事が休みだから 娘が用事で出かけても 孫のお守りは
するだろう と思い 娘に 今日 出かけて来てもいいか 聞くと
三時半から婿と二人での用事があって 婿も出かけるから それまでに帰って来て
と いうことだった。

娘は 朝から上の子をスケート教室へ連れて行き いったん孫を家まで連れ帰って
またその足で 用事に出かけて行き 夕方まで戻れないのだ ということだった。

三時半にはマンションに帰る予定で 大宮に住んでいる友人と会うことにした。
子守りだけの毎日から ちょっと離れて 自分の時間を過ごしたかった。

朝は スケート場へ向かう娘の車に便乗し 途中の待ち合わせの場所近くで
降ろしてもらった。

大宮からの距離は遠くても 電車の便がいいから びっくりするほど時間が
かからなくて 彼女はやって来た。

二年ぶりの再会だった。
お互いに 家族のことや体のことなど 話が尽きなくて 最初に入った喫茶店で
お茶を飲み お昼を食べ またお茶をすると もう三時になってしまった。
あっという間に 時間が経っていた。

名残を惜しみながら別れて 地下鉄に乗り マンションへと帰った。

マンションに行き着くと 婿は 玄関にいて 直ぐにも出かけるところだった。
私と入れ違いで 婿は家を出て行った。

慌てて着替え 娘に頼まれた 上の孫の勉強のドリルを数枚やらせながら
下の子の ママゴトの相手をする。

リビングは 婿が 勝手にやらせ放題だったらしく ひどい散らかりようだ。
ママゴトをしながら 散らかったオモチャもかたづける。

そばについて見ていないと 上の孫のドリルは なかなか進まない。
ひらがなとその濁音 破裂音の練習で それを書かないといけない。
何枚か済ませると 今度は 簡単な足し算や時計の読み方のドリルが待っている。
それを済ませると 今度は迷路のドリル。
あとで娘に聞くと 上級用の迷路だからだ と言っていたが 私でも難しかった。

これをさせることがなんの役に立つのか 子供の何をのばす目的なのか
と 首を傾げたが 表紙の年齢は 孫の年になっているから 仕方がない。
四苦八苦しながら 難しいから だんだんだらけてくる孫を励ましながら やらせた。

暗くなって六時をまわった頃 娘が帰宅。
ようやく今日の子守りから 解放された。

明日は 朝から三時ごろまで 孫二人の子守りをし 娘たちが帰宅したら
私は 自宅へ帰る。

孫の学校のクラスのママたちとのミーティングが 朝早くからあるというので
娘は いつもより早く孫を連れて 出かけた。
孫の学校は 日本のそれではないから 日本の祝日も通学する。

ミーティングの後 婿と合流して ハウスメーカー数社との話し合いがある。
だから 今日は 朝早くから夕方まで 下の孫のお守りだった。

孫と私とは 一年に数回会うだけだが よく懐いているから
私と一日過ごしても 楽しく遊び お昼を食べお昼寝も愚図らず サッと寝た。
寝て起きても機嫌よく 娘夫婦が上の孫と一緒に帰って来る夕方まで
まったく問題なく過ごした。

娘は 一時保育園の保母さん達は 皆 一度保母をリタイアした人たちで
年齢が 私とあまり変わらないし 週三回の通園で 母親と離れることに
不安がないからじゃない?
と 言っていた。

近くの八幡様へ散歩に出かけると 七五三で 着物を着た女の子が
たくさん 両親や祖父母に連れられて お参りに来ていた。

孫は さすがに女の子だ 次々にやって来る 着物を着て着飾った子たちを
飽きもせず 長い間 ベンチに座って見ていた。

来年 三歳になったら ^_^^_^ちゃんも ああやって着物を着て
お詣りするのよ と 私が言うと

^_^^_^ちゃんもオ~? 着物着るのオ~?

と 嬉しそうにしていた。

泣いたり愚図ったりして 手こずることもなく 夕方まで二人で過ごした。

下の孫が まだ生まれる前から産まれて一ヶ月くらいの間 絶対安静 の指示が
出ていた娘の手伝いに来て 娘夫婦が今も暮らしているこのマンションで
二週間に一度 二、三日病院受診のために帰宅しながら 過ごした時期があった。

その時も感じたが 今も 同じことを感じている。
それは 私が抱えている腰や足の痛みについてだ。

普段住んでいる自宅は 木造の二階建てだ。
フローリングの床が多いが どこも床暖房の設備がない。

夏はともかく 冬になると 知らず知らず床から冷気がくる。
断熱効果のある敷物の上に 毛足のあるカーペットを敷いたりしているが
万全には程遠い状態だ。
ストーブを焚いたりエアコンを入れても 家全体は温まらない。

だから 私は ミノムシ状態になれる電気で暖まるものに中に 体ごと入れて
椅子に座る。
それでも寒さは感じて 痛みは強い。

娘のマンションは 国内でも有数のメーカーが施工した建物だからか
構造自体がしっかりしている上に 冬は床暖設備があるので 居住空間全てが
実に暖かい。

今はまだ床暖を入れていないが それでも夜など暑くて 掛け布団を剥ぐくらいだ。

この 自宅とマンションの差は 私の体に もろに表れる。
どれだけ気をつけていても 自宅にいる時より動く。
それなのに 足の痺れは変わりなくあるものの 腰の痛みの度合いが全く違って
弱くなる。

もちろん 重いものを持ったり 孫を立って抱っこしたりはできないし
ゆるい坂道でも 同年齢の人と比べたら 休み休みでないと登れないし
いたみがなくなったわけではない。
でも 自宅にいるより 確実に歩けるし動ける。

痛みが これほど住まいの影響を受けることを 久しぶりに娘のマンションに来て
痛感している。

もし 宝くじでも大当たりしたら 今度こそは 木造でなく 太い鉄筋の
構造がしっかりした建物にして 一年中痛みが和らいでいられるような
そんな家を建てたいなあ〜。



東京国立博物館で 運慶の彫刻像を集めた大きな展覧会が催されていることを
テレビで知って 今回 東京へ来たら ぜひ行きたい と思っていた。

娘にそのことを伝えて 日程を調節して 今日 一緒に行って来た。

娘と二人での外出は 娘が子供を産んで以来 初めてのことだ。

上野は いつ行ってもすごい人だ。

運慶展が催されている平成館の前には 四人ずつ並んで 長い列をなしていた。
入場制限がされているから 辛抱強く待っての入場だ。

今回の展示で 私が一番見たかったのは 無著と世親の菩薩像だった。
二メートルもの高さがある二体の像を 間近でみられるチャンスだ。

興福寺に属す 父の康慶 子の快慶 その子の湛慶らの作が ところ狭しと
展示してある。

人の熱気で 広い展示室内は 上着を脱いでも 汗ばむくらいだ。

ほとんどが国の重要文化財の 様々な坐像や立像は 観ているものを圧倒する。

特に観たかった無著菩薩は 顔や 老いを感じさせる手の彫りに至るまで これが木を彫刻して造られたものかと驚くほどで 静謐な中に 深い精神性をたたえて 立っていた。

静かに佇むその姿は ものすごい数の入場者が 像の周りを
幾重にもなって取り囲んでいるにもかかわらず 厳粛で なおかつ人間的で
慈悲深く ただただ仏の道を探求し 行き着いた者だけが持てる心の平安すらも
感じさせて しばらく見上げていると 涙があふれてきて 思わず手を合わせた。

運慶展の中で 一番間近に観たいと思って来た 仏だったからか
如来像や観音菩薩像 童子像 仁王像など たくさんの素晴らしい仏を
観て廻ったが 人間の形をしたこの無著像に 一番の感動をおぼえた。

一緒に行った娘も 展示されている仏様を順に巡って観ているうちに
自然に 心が浄化されたような気がする。素晴らしい彫刻は
ただそこに有るだけで 観る者を圧倒するエネルギーがすごいね と 言った。

帰りの電車の中でも 運慶という仏師は ルネサンスのミケランジェロにも負けない
日本が世界に誇る 天才彫刻家だね と 話しながら帰って来た。