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電気の使用量と料金を示す「電気使用量のお知らせ」が 毎月ポストに入っている。

これを去年と今年の同じ月で比べてみると 今年の冬がいかに気温が低くて寒いか が
よくわかる。

我が家の一月の電気代を見ると 去年の一月より なんと一万円も多い。
それには 納得のいく思い当たる理由がいくつかあるから 一概にこの代金差が 即
一月の気温が低くて寒かったことにはならないことは 承知できるが それにしても
差が大きすぎるくらい大きいのは やはりこの一月が異常なほど寒かったことの証と
いえるだろう。

一概にいえない点の一つは 暮れの二十八日から一月の五日まで 娘が子供を連れて
帰省し 途中の五日間ほどは 婿も来ていて 二階の客用寝室のエアコンはもちろん
室内に敷いてあった電気カーペットも九日間ずっとつけっぱなしだったことだ。

また 二階だけでなく一階のリビングのエアコンも 隣室の和室の電気カーペットと
電気ストーブも 孫たちが起きてきたときに寒くないように 私か夫が起きたら直ぐに
スイッチを入れた。

私達夫婦の寝室も 就寝する前からエアコンを入れたし 私の敷き毛布も同じように
電気のスイッチを早くから入れた。

その上 次男が帰省していた間は 彼の部屋のエアコンもつけっぱなしだった。

アンペアが大きいおかげでダウンすることなく過ごせたが こう書いてみると スゴイ
電気の消費量だとわかる。

おまけに我が家のキッチンは ガスコンロでなく電気だから その分の使用量もある。

また 一去年の暮れからお正月の数日間は 東京で過ごしたために その間は全く電気を
使っていないから 余計に今年との差が開いた。

それにしても 例年なら 寝室のエアコンは 就寝の一二時間前からつけておいて
寝るときには止めて寝るのに 今冬はそうはいかない。
エアコンは一晩中つけておいて その上私は敷き毛布も入れる。
そうでないと 体に直に響いてしまう。

リビングにいる間も 冬の間は エアコンだけでなく灯油ストーブもつけるから
気温が低いと 灯油の消費も早い。

それにしても これほど電気使用量が多い冬は初めてではないだろうか。

それほど 今冬は寒い ということだろう。

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今夜でオリンピックが終わった。

毎回オリンピックがあると 国民性だとか国別だとかの言葉がマスコミに何回も登場し
競技でも 特に日本と韓国が関わる試合になると 日本側はそれほどでもなくても
韓国側は日本を強く意識して 毎回応援もヒートアップする。

そして 他国と競争する意識がなくても 日本人が出場すると 当然のことに日本人を
応援するし 勝てば我が事のように喜ぶ。
そして 頑張る選手の姿を見ながら 改めて 自分が日本人だ と意識する。

これは おそらくどの国の人も同じなのではないだろうか。
身びいき と言う言葉があるが 者であれ物であれ 自分に近しければ近しいほど
親しみを感じるし 応援したくなるのは世界共通のことだろう と思う。

日本という国や自分が日本人だ と強く意識するにはオリンピックの時だけではない。
私のような平凡な人間が 自分が日本人だ と思うのは 海外へ行った時だ。

外国へ行けば当然私たちは外国人の立場だから 五感で感じるものの全てが異質だ。
そして 自国の良いところにも悪いところにも 気づかされる。
そうした時 やっぱり自分は日本人だ と痛感する。

このように 日本人だ と感じたり思ったりすることは なんでもないことのようで
とても大切なことだ。
大げさに言えば これは自らが自らに認める身分証明書のようなものだからだ。
これがなくなると 自分がよって立つ場所がわからなくなり 存在する場所を失う。

話は離れるが 娘の二人の子は 父と母の国が違うから 二つの国籍を持つ。
彼女らには よって立つ場所が二つある ということだ。

それを彼女らが一番認識できるのは 言葉だ。
今はまだ幼いから自覚はないが それでもすでに二人は 家庭の中に二つの言葉が
存在していることを理解していて 父親との会話は英語で 母親とは日本語で と
無意識ながら区別している。

これはとても重要なことだと思っている。
娘も同じ考えで 上の子がすでにそうなのだが 通っている学校が終始英語 家でも
父親とは英語 父親と母親との会話も英語が多い となると 日本語に接する機会が
極めて少なくなってしまう。
そうなると 脳内の全てが英語で占められてしまい 日本人としての部分が 次第に
失われていく。
そうならないためには 日本語をしっかり習得することが必須になる。

そう考えている娘は 日本語を正しく習得させるために この春から 国語だけを
しっかり学習させようと 塾へ通わせる予定でいる。
そこで学ぶ子供達は当然日本人だろうから 日本の子供とも接触させ なおかつ
正しい日本語も身につけさせたい思いがあるからだ。

娘が 我が子に正しい日本語を身につけさせたい と考えるのには 遠因となるものが
一つあるのではないか とも思う。

それは 彼女自身が 高校生の時にした留学体験だ。
娘の留学は 世界的な規模の機関を通してだったからだろう。
実際に留学するまでは 決まってからの一年間を 留学するに際しての心構えは勿論
自分が何者であるか何のために留学するのか 留学先で自分を自分でどう支えるのか
など 自分を見失わないための いわば訓練が徹底的になされた。

この訓練は 子供だけでなくこれから我が子を留学させようとしている親にも行われた。

さらに この機関では 留学の期間は一年間 と決められていて 一年が過ぎたら
必ず帰国しなければならなかった。その後引き続き留学先の国や他国の学校へ行きたく
てもだ。
そうでないと 若い高校生は留学先に同化してしまい 日本人であるという意識や
物の考え方 認識の仕方が なくなってしまうからだ。

そうした自身の経験からも 娘は 我が子には英語と同様に日本語もしっかり
身につけさせたい思いがあるのではないか…と私は思っている。

私は私で やっぱりその思いが強い。
言葉以外で 日本や日本人を一番意識できるのは 食事の作法 特に箸の持ち方使い方
と着物だ。
特に民族衣装の着物は 日本人には欠かせない物だ。
だから 折に触れて着物を着る機会があれば 着せている。

英国人であると同時に日本人でもあるのだ と成長するに連れて 二人の孫には
意識してほしいし その上でどう生きるか を考える人間になってほしい。

テレビでオリンピックを観ながら そんなことにも思いをめぐらしたことだった。








水曜日の私の誕生日は 平日だったために家族四人が揃わなかったから と言って
今日の午後 長男家族がようやく揃った時間に プレゼントと上の孫手作りのシホン
ケーキを携えて 我が家へ来てくれた。

長男は 毎年夫と私の誕生日には 家族みんなでプレゼントとケーキを持って来てくれる。

今年のプレゼントは キラキラ光る小粒のクリスタルが連なっていて シルバーのチエーン
がその両側に同じように流れている チョーカーだった。

しなやかに動く少し幅広のチエーンが きれいなラインで胸元からみぞおちの下まであるような
とてもお洒落なチョーカーで 久しぶりに手にする新しいアクセサリーだったので 嬉しかった。

孫手作りのシホンケーキも 甘さが品良くて美味しかった。
持って来てくれたケーキは いつも必ずその場で切り分けて みんなでいただく。
切り分けるのは 長男の役目 と自然に決まっていて 今日も彼が切り分けてくれた。

この歳になっては 誕生日を迎えた嬉しさも複雑な思いにかき混ぜられて複雑だけど と
言うと 長男は とれる歳があるだけいいよ 生きていなくちゃ歳も取れないんだから と
返してきた。

このやり取りに みんなで笑った。

確かにそうだ。
行きていればこそ 誕生日を迎えられる。
痛くても思うように動けなくても 生きている。
生きているからこそ 笑いも泣きもできるし 痛みも感じられる。

しょぼくれていないで 今日プレゼントされたチョーカーのように
キラキラできる日を送らなければ !

昨夜のカーリング 日本女子チーム対韓国チームの戦いは 凄かった。

先攻で最初から不利な試合だったが 強豪の落ち着いた様子を見せる韓国チームに
日本の女子たちは よく最後まで堂々と物怖じしなく くらいついた。
十エンドでタイに持ち込んだものの しかし 次のエンドで負けてしまった。

でも カーリングという どちらかといえば今までマイナーだった種目が
彼女らの活躍で 一気に脚光を浴びた。

試合には珍しく 選手たちそれぞれの声が 付けているのだろうマイクから聞こえて
作戦を練る甲高い道産子たちの 訛りのある会話が面白かったり可愛かったりで
ルールを知らない私も ついついテレビで放映される画面に 見入ってしまった。

最後の最後で負けてしまったのは残念だったが 若い彼女らの可愛い声と
清々しい笑い顔 そして何よりも彼女らの粘り強さに 脱帽だ。

清々しさで言えば フイギアスケートの二人の女子選手もそうだ。

日本女性らしい感情を ふさわしい曲に載せて しなやかに表現した。
パホーマンス的なジャンプの派手さはなかったが 滑らかでしなやかな滑りは
一位から三位までのメダルを獲得した外国選手たちよりも ずっと素晴らしかった。
技術の難度ばかりが優先されての判定は スケートが本来持っている美しさから
離れているような気がする。
その点で 日本選手の滑りは スケートのお手本ともなるようなものだったと思う。
惜しくもメダルは逃したが メダルに匹敵するような滑りだった。

カーリングとスケートの試合は 両方ともに 自分が日本女性であることを
改めて自覚させてくれた。
とても老けた女子ではあるが ……。

日本の女子は 世界一だ。

昨日は 書道の稽古日だった。

私が手術室で熱凝固ブロックを受ける前の週 書道の先生が 実は……と
以前から首の付け根がちょっと膨らんでいて心配なの 少しずつ膨らみが大きくなって
きている気がするの とおっしゃってみえたのだが 今度思い切って病院へ行くことに
したわ と その日に来ていた生徒のうち私ともう一人に告げられた。

他人から見ては 気にするほどの膨らみではなかったが 本人にすれば日々気をつけて
観察していると 徐々に大きくなっていくのが分かったのだろう。

それで 本来なら紹介状を持って行くところを 直接大学病院へ行かれた。
すると その日にした検査結果が あまり良くなかった。

直ぐに細胞診の必要あり となって 先週の月曜日にまた病院へ行き細胞を採られた。
結果は一週間待ち で 今週の月曜 結果を聞きに行かれた。

その間 私は自分の手術のことで手いっぱいだったから 先生の事を忘れたわけ
ではなかったが 連絡をとって結果を聞くのも失礼な気がしたし 万が一悪い
結果が出ていたら……とも思って 今日まで何も連絡を取らなかった。

そんなことがあって 今日 久しぶりに教室へ行った。
検査結果が悪かったら どんな顔をしたらいいかわからないなあ と思いつつ
部屋へ入って行くと 真っ先に 先生が
余計なご心配をおかけしてしまいましたが おかげさまで良性の腫瘍でした
今後 経過観察していくことになりました。 と言われた。

先生とお互いのプライベートな話を交わすのは 私ともう一人だけで 今日は
私が一番乗りだったので 早速私の顔を見るなり 話されたのだった。

嬉しくて 二人で手を取り合って 悪性でなかったことを喜んだ。

先生自身も 面倒を看なければならない父親を抱え ましてや教室には
たくさんの生徒が通って来ているから もし即手術 の事態になったら と
対処をどうしたらいいか 様々に思いを巡らせてみえたらしい。
結果がわかる前夜は 心配で一睡もできなかった と話された。

腫瘍そのものは 首の片側にもあって意外に大きかったらしいが 今直ぐに切除
する必要はないから 今後の経過観察次第だとも言われた。

近年 私の周囲の大切な人たちが 次々に手術したり病気になったりしているから
習字の先生までもか!と思い なんだか自分が禍いの種になっているような気さえ
正直していた。

でも その心配がなくなって 心の底からホッとした。

「九越え」は始まったばっかりだ。

自分だけでなく 夫に 子供たちに 孫たちに そして支えてくださっている大切な人
たちに どうか何事も禍いが起きませんように と願っている。

昨日は 私が「九越え」の歳を迎える誕生日だった。

「九越え」という言葉はこの地へ嫁して初めて耳にした言葉だった。

どの年代でも九のつく歳は 心身にも環境的にも様々な変化があるから 十分に注意して
過ごさなければならない 時としてこの九越えの歳にはよくない事が起こるから という
あまり歓迎したくない意味合いの言葉なのだ。

私も昨日で いよいよ何回めかの「九越え」の歳を迎えたわけだ。

昨日 夫は 勤め帰りに園芸店でシンビジュウムの鉢を求めて プレゼントしてくれた。
笑いながら。
私も笑いながら ありがとう と受け取った。

笑いながら には互いに通じる訳があった。

一昨日 いつものように大学病院の受診を終えた後 勤めが終わった夫の車で帰って
来る車中でのこと。
ラジオからは 男女のキャスターが番組に寄せられた葉書を読んで その内容について
面白おかしくかけ合っての 賑やかな声が聞こえていた。

夫も私も 聴くとはなしに聴いていると ある中年女性の葉書が読まれだした。

彼女は 夫と三人の息子との四人家族で 一昨日の前の日は彼女の誕生日だった。
ところが 鈍な夫は そんなことは頭から忘れてしまっている。
朝出かける時も仕事を終えて帰宅してからも まだ気がつきも思い出しもしない。

そんな中 夕食をいつも通り済ませた後 三人の息子が ちょっと出て来る と言って
自転車で出かける様子。
何もわからない夫は なんだ こんなに遅くから 何処へ行くんだ と半分怒って言う。
そして どうしても行かなくてはいけない用事があるんだ と言う息子たちに
ちょっと待ってろ と言い置いて奥さんのところへ来て
子供たちだけで自転車なんかで行かせるのは危ないから 俺かお前が車で連れて行こう
と言う。そして極め付けが どっちが運転して行くか ジャンケンで決めよう と
言い出した。

さすがに奥さんは堪忍袋の緒が切れて
バカ‼️今日は私の誕生日なの‼️子供たちはケーキ屋さんへケーキを買いに行くのよ‼️
と怒って言うと 夫は慌てて家を出て子供たちを車に乗せてケーキ屋へ行った……。

という内容の葉書だった。

この奥さんの連れ合いは 夫によく似ている。
家族の大切な日がいつだったかなんて まったく無頓着な夫なのだ。

それをよく承知している我が夫だから 自分とよく似た男性の話に大笑いしながら
帰って来たのだった。
そして帰宅後 カレンダーに 忘れないよう自分で丸印を付けていた私の誕生日が
昨日だったことを目にして しっかり頭に入れたらしい。

それで 花の鉢のプレゼント に至ったわけだった。

昨日聴きながら帰って来たラジオの話の中の夫のようにはなりたくなかったのだろう。
それで 笑いながらのプレゼントになったのだ。
それが分かった私も 可笑しいやら嬉しいやらでやっぱり 笑いながら の受け取りに
なった。

ピンク色のシンビジュウムは そんなことには関係なく きれいに咲いている。
この花のように なんの濁りもなく これからの「九越え」の歳を終えられたら と
願っている。








今日から後は 今まで降っていた雪が雨に変わる……
今日はそんな雨水だ。

今週はおおむね気温も安定しているらしいが 日曜日になると また気温が下がる と
いう予報が出ている。

今冬は 例年の冬に比べて気温が低い。
その証拠に 例年だと畑に植わったままにしておいて 使いたいときにその都度
夫が引いてきてくれる大根が 昨日引いてきてもらった数本全部の中心が 茶色く
なっていて 全く使えるものがなかった。
土の中で凍ててしまったらしい。

飛騨なら 雪が降る前に 畑の隅に穴を掘り穴の中にワラを敷いて その上に
大根や他の野菜などを入れてまたワラで覆い 雪が出来るだけかからないように
木で小さな屋根を付けて 室のようなものを作っておく。
そして 雪が深くなっても室の位置がわかるように 背の高い棒を立てておく。

真冬になって雪が降ると 降り積もった雪をかき分けながらその室へ行き
貯蔵してある野菜を取り出す。

同じ県内でも私が住んでいる地方は そこまで雪が積もらない。 大根でも
白菜でも 植わったまま冬越しするから 今冬のようなことになってしまう。
わらしべで上部を縛ってある白菜が あちこちの畑で見られる。
土の中で越冬する野菜はとても甘くなるから わざとそのままにしておくのだ。
白菜などは 葉が幾重にも重なっているから 外側の葉さえむいて捨てれば
中はきれいなものだ。

でも 今冬のように雪が多いと 白川村などでは 雪室の在り処を示す長い棒さえ
雪の下になってしまうから 掘り出しにも行けなくなる。

そうした時 大活躍するのが漬物だ。
一冬 または たった一二軒の八百屋が市場へ買い出しに行けるまで 晩秋に漬けた
漬物が貴重な食べ物で それが主な野菜になる。
だから 雪が降りだす頃までに どうしても 幾種類かの漬け物を漬けることは
嗜好品としてでなく 必須のことなのだ。

そんな事態になることを予想して 野菜を一つずつ新聞紙で頑丈に包み それをまた
使わなくなった毛布などで包んで 押し入れなどの凍みない所に保存しておく家も
多い。
多少萎びていても 生の大根は貴重品だ。

雪国には雪国なりの 古来から伝え継いできた生きる知恵がある。

もし来冬が今冬のように気温が下がる予報が出るなら 我が家も 隣の畑に
穴を掘って室を作り 野菜を貯蔵するか と夫と話している。

せっかく身を粉にして作る大根や人参だから 一本でも多く守りたい。
何も手伝わない私でさえそう思うのだから 実際に作る夫の思いはもっと深いだろうし。



夫が勤務する幼稚園の三学期は 秋の運動会と双璧をなす雛祭り発表会に照準を合わせて
始まった。

一年間の成長ぶりを父兄や祖父母らに見てもらうために 園児も日々演目の練習に
余念がないし 先生方も 落ちこぼれる子がないよう気配りしながら 根気に指導する。

純真な園児たちは 園外の大きなステージでの両親や祖父母の前での発表会 とあって
指導に応えようと グウタラな大人では考えられないくらい真剣に練習する。

その姿が 彼らを一気に成長させる と言っても過言ではない。

特に 年長クラスの園児たちのこの発表会にかける思いは 夫から聞くだけでも
涙が出るほどだ。

先週の土曜日 その発表会があった。
まだ体調が術前までには回復していなかったから 会場まで見に行けなかったのが
残念だった。

残念だったことはもう一つあって 肝心の年長さんたちのクラスで インフルエンザ
が流行してしまって せっかく練習してきて演じるのを楽しみにしていた園児の何人か
が 欠席せざるを得なかったのだ。

その子の親御さんも同じ思いで もう熱もないからなんとか出してもらえないか とい
電話がかかってきたらしいが インフルエンザなのだから 園側も 気持ちはわかっても
どうしてあげようもない。
粘る親御さん相手に 夫や職員は大困りだったそうだ

それくらい園児や親御さん 園 にとって 発表会は一大行事なのだが 何人もの園児が
休んでしまった分 せっかくみんなで練習してきた演目が 例年に比べて寂しかったらしい。

それでも 済んでしまえば あと残っている大きな行事は 来月の卒園式だけだ。

残りの日々を怪我なく楽しく過ごして 一年生になってほしい。

夫を通してしか縁のない子供たちだが 長いこれからの未来へ向けて 彼らに
どうか優しい風が吹いてほしい。

オリンピックは個人が競い合うものだが その裏側には選手の出身国の援助があり
強化のために国費が出費される。

経済状態のいい先進国になればなるほど 一人の選手にかける費用は大きい。
日本の場合は一人当たり一千万円 と 何かで読んだ。

だから当然 個人の競争イコール国の競い合いが色濃くなるが それ以上に各選手の
オリンピックに向けての執念があり 努力という言葉の遥か上をいく 日々の激しい
鍛錬があるのは 一般国民もよく承知している。

強化選手に至るまでも大変で 多額の費用がかかる と 以前にテレビに出演していた
元オリンピックの選手が語っていた。
経済的に支え続ける周囲の人の苦労もまた 人並みではない。

そういう意味でも 選手たちが 応援してくれた周囲の人達や支えてくれた人たちへ
感謝の思いを述べるのは 心からそう思えるからこそのことだろう。
今日の羽生もまた 支え続けてくれた周囲に対して 感謝の言葉を口にしていた。


その羽生が オリンピックを例えて 魔物 という言葉を使っていた。
その魔物に魅せられて 情熱とアドレナリンを強く出し続けた者だけが
メダルを胸にかけられるのだろうが それにしても凄まじいことだ。


羽生には 以前から 説明のできない清廉なオーラがある と思ってきた。
それは いつも彼の周囲にだけ感じるものだが 大げさに言えば かげろうに似て
フワフワと漂い それでいてクリスタルが放つ鋭いプリズムのようでもある。
プリズムを周囲に与えながらも なお 天からも光と雪の結晶が降り注ぎ
常に キラキラと清らかに輝いている。

何か分からないがみんなが彼を特別な存在に感じて魅せられるのは
そのオーラのせいではないだろうか。
だからこそ 世界中にたくさんのフアンがいるのだろう。
よくテレビで見るあの鬼のようなロシアの女性コーチさえ 羽生のことを語る時
実に柔和で優しく慈悲深い顔をしていた。

今回 彼は怪我の後にもかかわらず オーラを持つ者として あの快挙を成し遂げた。
清廉な勇者として 氷の国に住む魔物に立ち向かい 退治したということか。

今日 魔物と闘う彼の姿を 世界中の人が固唾をのんで見ていた。
清らかに雄々しい姿で魔物に勝利した彼は 世界中を幸せな気持で包んでくれた。

天からこの世に遣わされた精霊のように 清冽でしなやかで それでいて力強く
氷上を舞ってみせたあの四分半を 私たちは長く忘れないだろう。

昨日は 内科 薬局 整形外科 をタクシーを使ってはしごした。

いつもなら夫の帰宅を待って 連れて行ってもらうのだが あいにく昨日は
夫の勤務先の発表会が今日あるので 夫は夕方遅くまでその会場準備があった。
昨朝 今日は帰りが遅くなる と言い置いて出かけたから 連れて行ってもらえない事は
初めから分かっていたが かといって 内科の薬も切れているし 手術後は一度も
リハビリに行っていなかったから 昨日はどうしても両方の医院にかかりたかった。

でも タクシー代もバカにならない。 せめて整形外科でリハビリが終わった後は
帰宅した夫に迎えに来てもらいたかった。
そうなると どうしても午後からの診察時間に合わせて受診することになる。
それも 五時頃に内科を受診して隣の薬局で薬をもらい そのあとタクシーを呼んで
整形外科へ行かないと 夫が帰宅するだろうと思える時間にならないから
タクシーを呼ぶ時間も 考えて見当をつけてから になる。
おまけに 内科の待合室は 昨今の大流行しているインフルエンザの患者でいっぱい
らしいから ますます考えなくてはいけない。

そんなわけで 側からすれば どうということもない事だろうが 昨日の私には
タクシーをいつ呼ぶか は精一杯考えなくてはならない大問題だった。
こんな事で悩むのは私くらいのものだろう と自分でも可笑しくなるが。

ともかく タクシーで内科へ行ったわけだ。
受診した後 薬局で投薬を待っている時間に 一度夫の状況を知るためにメールを入れた。
直ぐに返信がなければ まだ仕事中ということだ。

案の定 返信はない。

薬を受け取った後 事務の女性にタクシーを呼んでもらった。
出払っていて 二十分くらい待つことになるがそれでもいいか とタクシー会社の返事。
迎えがないのだから 待つより方法がない。それに 整形外科へ行く時間が遅ければ
その分 リハビリの後 迎えに来てもらえる確率が高くなるから 大人しく待った。
でもインフルエンザは拾いたくないから 頼んでマスクをもらって待った。

ようやくタクシーが来て整形外科へ向かう途中で 夫からの電話。
今終わった のだと言う。
整形外科でのリハビリが終わったら連絡するから迎えに来てほしい と伝えた。

前話が長くなったが 肝心の嬉しかった話はこれからだ。

整形外科に着くと 私が信頼している先生が 他の患者にマッサージして
見える姿が チラッと見えた。
こんな体調の時こそ その先生にマッサージしてもらいたい。
そう思っていると 気持ちが伝わったのか メドマーの後 直ぐにその先生に
マッサージしてもらえた。

手術することも伝えてあったし 何より 先生も最近になって ブログを見てくださる
ようになったので 説明するまでもなく術後の私の状況をご存知だった。

マッサージが始まって直ぐ 私の体の変化に気づかれて
いい感じの状態になっていますよ 手術前に比べると 全然違っていますね
痛い思いをした甲斐があったんじゃあないですか。
と 驚きのこもった声で言われた。

私も驚いた。
体に触れただけで 直ぐに分かるとは! の驚きだけでなく 今はまだ術後だから
左足の違和感が強いが 神経そのものは ちゃんとやってもらった事を受け止めて
それなりになっている という事にも驚いた。
だから しばらく経てば 今の足の違和感も前くらいにはなるだろうし強い痙攣も
少しはなくなって腰の痛みも緩和する だろう。
そう これからに期待が持てる気持ちが湧いてきた。

先生の言葉に 嬉しくなった。

何度も経験してきた神経根ブロックのうちでも 今回が一番大変だったから余計に
大変だった分の効果がちゃんと出ている と知って嬉しかった。

そう言って喜ばせてくださった先生に感謝!
先生の言葉が 塞ぎがちな私の気持ちを どれだけ明るくしてくださったことか!
これからに希望を持たせていただいた。
そして うまく手術してくださった大学病院の医師にも感謝!
来週の火曜日に受診した時には 今日のことを必ず話そう そう思った。

痛かったけれど やってもらって 本当によかった。


長くベッドの中から出なかったから足がヘナヘナで このままではマズイ と思い
天気もいいし風もないし 日中は体感温度も冷たくなかったから 足慣らしに 家の近くを
三十分ほど歩いてみた。

そうでなくても左足が重くてもつれるから いつもよりもっと注意して歩かないと
爪先が上がっていなくて なんでもない平らなところでも 転びそうになる。

家の中でさえそうなのだから 屋外ではもっと注意して歩かないといけない。

寒くないように 万全の重装備で外に出た。

一週間の間に 春は確実に近くなっているらしい。
そういえば お正月に活けた花はとうに捨てたが 芽がでるまで と捨てないで
花生けにさしておいた銀柳から若緑色の柔らかな葉が出てきた。
自然が作り出す色合いは どれだけ才能のある画家でも作り出せない。

隣の畑の端を覗くと フキノトウがあちこちに出ていた。
これも薄緑で 小さな頭を見せている。

ちょっと見ない間に 高速道路工事がかなり進んでいた。
出来上がってコンクリートがむき出しになった橋脚と橋脚の間には それらを
つなぐように道路本体の工事が始まっていた。

橋脚自体を作る工事もかなり進んでいて 一週間前より ガードしている養生の
青い幕が 空へ空へと いくつも伸びていた。

インターだから 料金所へと向かって行く登り線と 料金所から出て来る線が
それぞれ大きくループを描いて一般道路と連結するから 工事は本線の上下線
だけではない。

洞を作っていた山を広範囲に削り 料金所そのものを作る工事も同時に進んでいる。
だから 我が家から見られる東西と南の土地のほとんどで 巨大なクレーンや大型の
機械やダンプが稼動している。

前は聴けた小鳥たちの鳴き声は 今はもう聴けない。
暖かくなるにつれて芽吹いてきた木々や草の芽も 見られなくなった。
家の東西は 工事中で通行止めになっているから わずかに残っている田んぼの中の
道さえ歩けない。

歩くのは 広げられてアスフアルト舗装された新しい道か北にある道だけだ。

それでも ゆっくり歩けば 春の兆しは感じられた。
道端には オオイヌノフグリが ひっそりと葉を広げているし 春の七草だった
ハコベは もうかなり大きくなっている。

吹いてくる風も刺すような鋭さがなくなって 心なしか丸く穏やかになっている。

久しぶりに ぐるっと家の周りを歩いて早春を感じているうちに
そういえば もうすぐ雛祭りがくることを 思い出した。



昨日 午後の四時前頃から お風呂に入った。

それまでは シャワー浴びたりするだけで 湯槽にはつかれなかった。
多分そんなに用心することはなかったのだろうが 今までの術後で痛がりようが
一番ひどかったので 夫が 入浴はやめたほうがいい と言うので 入らなかった。

水曜でまる一週間が経つから もう浴槽につかっても大丈夫だろう と思っても
久しぶりに浴槽につかるのだから もし倒れたら という不安もあって
入っている間に夫が帰宅する時間を見計らっての入浴だった。

お湯につかる ということの幸せ感を 久しぶりに味わった。

でも 腰の痛みは軽くなってきているが 左足の感覚は 依然として変わらない。
ひどくだるくて重くて鈍く痛む。

熱凝固の後に入れた薬が いつになったら効いてくるのか……。
去年は 一月の二十五日に入れた薬が 四月の中頃になってようやく効いてきた。

今回は 三月の十日には効いていてほしいのだが そうはいかないだろうなア……。

少しずつ腰の痛みも和らいできたように思えたから 昼間起きてテレビを観たりした。
そうしたら 不甲斐ない事に 痛みが強くなった。

術後 左足はまるで丸太のようで だるく鈍い痛みに痺れが加わってどうしようもない。
何かすればそれが緩和しないものか と 昨夜は夫に頼んで 足の平を揉んでもらった。
ちょうど電気が流れた筋道と同じ筋が カチカチに硬くなっていて 揉んでもらっても
全然やわらかくならない。

おまけに 痙攣するといつも痛みが一番激しいふくらはぎの箇所が 一段と痛む。

今日になっても足の平もふくらはぎの痛みも相変わらずで 左足の不快感はなくならない。

いつも飲んでいる痛み止めに加えて 朝晩飲むように別の鎮痛剤が処方されているのに
効いているのかいないのか さっぱりわからない。

市内に 今日からまた新しくデイスカウントのドラッグストアがオープンしたらしい。
行ってみたいのに それもならず。

焦ってもいいことはない と頭では分かっていても いつまでもある痛みとこの左足
の鈍さやだるさには 参る。
腰など 腰椎を手術した後と同じような痛みだ。
よっぽど深くまで針が入ったものとみえる。

この腰の痛みだけでも もとの痛みほどになってくれたら と思う。

術後の痛みが強い と昨日ラインで愚痴った私に 一番よく効く と分かっている娘が
孫たちからのビデオ電話をくれた。

上の子は来週一週間は学校がお休みになる。それを利用して 家族で 以前から
行きたがっていたウサギ島へいくのだそうだ。

上の孫が通う学校には 各クラスにマスコットのぬいぐるみがあって その週の
スターオブザウイークに選ばれた子が そのマスコットを家に持ち帰ってお世話できる
ことになっている。
普通は金曜に持ち帰って月曜にクラスに返すのだが 今回は来週いっぱいお休みだから
普段より長くそのぬいぐるみと一緒に居られる。
孫は 今週 その運のいいスターオブザウイークに選ばれたとかで
キツネのぬいぐるみを大切そうに抱っこしたり頬ずりしたりして見せてくれた。

彼女は 日頃から大事にしているぬいぐるみと一緒に そのキツネさんもウサギ島へ
連れて行きたいが 荷物にはぬいぐるみ一個だけ と母親に言われて悩んでいた。
孫は 日本で言えばまだ年長さんだから 生まれた時から一緒にいるぬいぐるみは
彼女の分身のようなもので 大切なお友だちだ。
だから 一個だけ というのは 小さな頭を悩ませる大問題なのだろう。

その点 下の子は 目下のところ大切なぬいぐるみは クマちゃんだけだから
悩みはない。
ビデオ電話でも 以前私があげたボンボンリボンちゃんの大判のハンカチで
クマちゃんを包み 窒息させそうに抱きしめていた。

幼い子の 高く澄んだ声やしぐさは それだけで見る者の心を和らげてくれる。

ベッドに横になったままの私の様子を 彼女らなりに心配してくれた。

オリンピックの開会式も見る気が起きずにいた私だったが 孫たちのビデオ電話は
そんな私に元気の素をくれた。

ショボくれていないで 明日はもっと気力を出さなくては!!

昨日 痛みを緩和するために 三箇所の背骨から出ている神経の元を焼いて薬を入れた。
日付けが変わったから もう一昨日のことになったが。

去年は二箇所だったが 左足に起こる強い痙攣が 腰椎五からの神経も関係している
のでは ということで 今年は三箇所になった。

その腰椎から始めた。 一番痛みが強く感じる神経の箇所はどこか 長さ十一センチ
近い針で探るのだし それもかなり深部だったから 神経に触れるたびに何度も痛い
思いをし そのうちで一番痛みが強く感じる箇所に電熱を当てる。ビリビリと電流が
左足の後ろ側を通って 足の平から親指 そして足の甲まで流れるのを感じた。
痛むところをめがけての電気だから それも瞬間ではないから これはもう拷問だ。
そうして焼いた後へ 薬を入れる。これがまた痛い。

あとの二箇所も同じようにして ようやく終わった。

術前 ストレッチャーから手術台に移ってうつ伏せになる時 顔を横にした方が
いい と看護師が必ず言うが とても顔を横向きにして 目を開けてなどいる
勇気はないから 顔は伏せたままでやる。

いったい 顔を横にして目を開けながらあの痛い手術に耐える患者がいるのか
私には信じられない。

およそ一時間かかって手術を終え またストレッチャーで病室へ戻った。
直前に 入るはずだった病棟でインフルエンザが発症したとかで 急きょ 部屋が
変わったらしい。

入った四人部屋は 私以外は眼科の手術をした年老いた患者だった。

夕食が済むまで付き添ってくれた夫が帰り あっという間に消灯時間が来た。
老女ばかりだから 寝つきも早く あっちからもこっちからも すごいイビキ。
夫で馴れている私は平気だが 神経質な人なら寝られたものではないだろう。

イビキだけなら寝られるが 肝心の私は 針を刺した箇所 特に一番深部まで達した
腰椎の箇所の痛みが強くて 一晩中一睡もできなかった。

看護師を呼んで痛み止めをもらおうか とも思ったが 昼間やっての夜だから
しかも深部まで針を刺してのことだったから これくらい痛んでも仕方がないか と
思い 我慢した。

朝になって 診察を受けに外来へ降り医師にそのことを告げると そう思って痛み止めを
出してあった と言われた。
それなら 術後に病室へ入った後 血圧や体温を計りに 担当の看護師が病室へ
来たのだから その時に一言 痛み止めが出ている と伝えてくれればいいものを。
その言葉がなかったばっかりに こっちは一晩中寝ないで我慢する羽目になった。

それも腹立たしかったが おまけに 昨日 術前に外来の診察室へ入った時に
預けたはずの診察券が病棟に来ていないが 持っているのか と尋ねられた。
そんなはずはない。
診察券を提出しなければ何も始まらないのだから 出してあるに決まっている。

外来へ行ったら聞いてみてくれ と言われたので 外来診察室の看護師に伝えると
当然のことだが ここにはない とのこと。
おそらく 手術に際して必要な書類と一緒に手術室へ行ったはずだから そのあと
どうなったかだ。

看護師にそう言うと そうですよねえ と答えて病棟へ ここにはない と電話し
次に手術室へ聞いた。手術室にもなかった。

そのうちに私の処置や点滴が始まって そうでなくてもこっちは痛いのだ。
診察券のことは 私の責任ではないのだから そっちで適当にやってくれ の気分。

点滴が終わる頃になって 診察券ありましたよ 医事課へ行っていました との事。
私が動けない分 診察券が一人で病院中を一回り探検してきたようだ。

医師に痛み止めの処方を頼んだら 十日分出してもらえた。
それだけ痛みが強いと判断してのことか 痛くても当然 ということなのか。

重だるく鈍く痛む左足と術跡の腰辺りの痛みで 杖をついても歩行ができないから
外来への行き来も 退院時も 車椅子での移動。
自分で病棟の出入りをしていないし かろうじて病室内のトイレと洗面所へ歩く
だけの二日間だった。

帰りは 迎えに来てくれた夫に押してもらって退院した。

一週間は安静に と言われて来たから しばらく痛みが落ち着くまでは
また家の中で 寝たり起きたりだ。

これだけ痛い思いをするのだから よっぽど緩和しなきゃ 割りに合わない。
まったく まったく!!

昨日は 午後から I さんに来ていただいて 温熱療法をしてもらい 夕方にはリハビリに
出かけ(運のいいことに 私が一番信頼している先生にマッサージをしてもらえた)
リハビリを終えると いつもは水曜日に行く温泉だが 今日は行けないし おまけに
手術の前 ということもあって その足で 温泉へ連れて行ってもらった。

これで手術前の体の準備は万端だ。

温泉から帰って夕飯を終え 今夜は早く寝もうと思いながらふとパッドを見ると
着信していた。娘からだった。

夫が送った大根や人参が着いた報告は昨日あったから 用がなんだったのか気になって
電話してみた。

夫が送った人参が ハチミツか砂糖でコーテイングしたかと思うほど甘かったという。
家にも送った残りがあるが どれも割れていたり形が変だったりするので まだ使う気が
起きなくて 調理していない。(いつも どんなものでも 形のいいものを家では食べた
ことがない のが 我が家では普通になっている)
娘は 着いてすぐに調理して孫たちに食べさせているらしい。
すると 今夜もその人参を食べた後 甘いよ と 孫たちが夫に伝えたくて ビデオ電話を
したかったらしいが その時刻には ちょうど温泉へ行っていたから つながらなかった。

美味しいと言って食べてくれるのが 夫には何よりの褒め言葉だと 娘はよく承知している
から 夫を喜ばせるためもあって 野菜を送った後 いつも孫たちとやりとりさせる。

残念ながら昨夜は孫たちとは話せなかったが でも久しぶりにに娘と話せた。
私の方からは 今日手術する ことくらいしか話すことはないが 娘は お友達やママ友とは
日頃話はできても やっぱり本音で子供のことは話せないから 私を相手なら なんでも
気を許して話せるので 二人の孫がそれぞれにできるようになったことや 今頑張っている
こと 学校や保育園でのことなど 次から次へ話題が移って 一時間以上も話した。

娘も こうして話さないと溜まっていくものがあるから 時々は昨夜のように 心の
浄化作用 が必要になる。

昨日 I さんの身近かにあったという 幼い子の突然死のことや 胃腸風邪だと診断されて
いたのに治らなくて 大きい病院へ行った時にはすでに遅く 十二指腸潰瘍の悪化で
亡くなってしまった二歳のお子さんのことなど 聞いた悲しい話を伝えて
「いつも言っていることだけれど 『子どもの命は朝露のように儚い』ものだから
十分気をつけるようにね」 と言って 電話を切った。

さア! 今日は またあの イタア〜イ!!! ことが待っている!
ガンバル しかない!!


深海調査船 や深海調査ロボットの開発によって これまで知られなかった深海の
様子や生き物のことが 次第にわかってきた。

海底火山や海底温泉の活動によって生物が生み出されているのではないか という
研究だけでも驚きなのに 火山の噴出物によって 貴重な鉱物までもが作り出され
ていることも 徐々に分かってきた。

今夜 そんな深海のことがまざまざと映し出されるテレビ番組を観た。

生物に至っては 研究によって地球上の生命の起源どころか 地球外生命体のことまで
もが解るかもしれないそうだ。
四十億年前の原始の生命たった一つから 地球上に生きる全ての 形態の異なる生物が
生み出されたなんて 信じがたい不思議なことだ。

資源の乏しい日本にとっては 深い海の底で 気の遠くなるような年月の間に人知れず
生み出され続けてきた結果できたチム二の発見は 驚きと喜びを伴って報道された。
近代社会が必須とする鉱物を多量に含んでいたからだ。

このニュースは多少なりとも知っていたが 今夜の映像は 海底の様子とともに
火山から絶え間なく鉱物を含んだ熱水が噴出されている様子や 火山から噴出した
鉱物を含む石が 深海の底にゴロゴロ転がっている様を鮮明に映し出していた。

深海を住処にしている生き物は これまで全く知らなかった物ばかりで おまけに
その姿も形も動き方も 次から次に驚かされるばかりだった。

科学の進歩は これまで解明できなかった地球上の様々なこと 宇宙のことを
徐々に私たち一般の人間にも その面白さとともに教えてくれる。

これから何年生きられるか分からないが 柩に入るまでには もっともっと
興味深いことが判明し発見されるだろう。

それを知ったからといって 得た知識を何かの役に立てるわけではない。
でも 宇宙という果てない空間に無数の星が浮かんでいて その中の一つが
ちっぽけな地球で その地球の上の人間というミクロの世界の生き物が
もっと小さなものやもっと大きなもののことを知ろうと ない知恵をしぼって
うごめいている……
そう想うと すべてを抱え込んで存在する暗い宇宙も 数知れない生き物を
載せてクルクル回っているこの地球も そこにうごめいているものたちも
この世 と呼ぶすべてのことが繋がって一つになり 愛おしくさえ感じる。

うごめいた後に どんな新しいことが見聞きできるか 楽しみだ。

今日は 節分

午前中は習字に出かけたから 夫に迎えに来てもらったついでに そのまま買い物へ。
数日分の食材と一緒に 豆まきの豆と今夜食べる恵方巻きを買った。

別に食べなくても幸せは来る と分かってはいても 「節分には恵方巻き」 のフレーズ
が これだけ世の中にはびこって定着した感があると “我が家だけはパス” は
しにくい。
かといって 節分には恵方巻きを食べなくてはいけない とも信じていないから
自分で作る気は サラサラない。
だから 買う という理屈にたどり着く。

昨今の日本は 「節分は豆まき」 より 「節分には恵方巻き」 の方が幅をきかせて
もともと地味な豆は お店でも隅っこに並んでいて あまり人目を引かない。
これは 扱う業界の大きさと力の入れようによる違いなのか それとも収益の差か。

地味な豆では巻き寿司に太刀打ちできない とばかりに フアミリーレストランや
お菓子のチエーン店では この時期が一番甘い という赤い色と可愛さを前面に
打ち出しての イチゴを使ったメニューがてんこ盛りだ。

そう思うと 近年の節分というのは その後に続く立春と一緒になって 春が来る!
というワクワク感を刺激するような色合いや形の食べ物が考案され それに世間が
のせられている ということもできる。

そうはいっても やっぱり恵方巻きと豆は 今日の必須アイテムだ。

ウウ〜ン……でもこの歳になると 切らないで丸かじりするには 恵方巻きは太くて
長すぎるし 歳の数だけ食べるにしては 豆の数は多すぎる。

だんだん世の中から外れていくような そんな淋しさを
ちょっとだけ感じる節分の夜だ。

夕ご飯の後 時代劇をテレビで観て チャンネルも変えないまま 観るともなしに
そのままにしてあった。
すると番組が 日本風土記 になった。

今日の風土記は 四国の宇和島 身近にいる者が生まれた場所だ。
そう思うと 急に親近感が湧いて 観たいと思えてきた。

四百年も前から連綿と受け継がれてきた段々畑を守り ジャガイモを植える老夫婦
イワシ漁が不漁になり ハマチや鯛の養殖に切り替え 漁業を続けてきた漁師たち
互いに助け合ってあこや貝を引き揚げ 真珠を取り出す人々……。
牛を飼い闘牛の伝統を守っている人々
地区に伝わる風習を受け継ぎ 家々を回る子供たち……。

土地にしっかりと根付き生きている人たちの日々の生活が 映し出されていた。

いつも思うが こうした番組で映し出される空や海 山や川は どうしてこうも
日本の原風景そのもの と思えるような映像なのだろう。
快適な暮らしや近代的な生活が 置き去りにしてきたものに対する郷愁が
私たちの中に眠っている感情を引き出すからだろうか。
番組の性格上 今風の暮らしをしている人の姿や物は映さないから
風土に根ざしたものが 余計に印象付けられて興味を引く。

宇和島は 私がいる所から車で行っても 今でも十二時間はかかる地だ。
その地の 知っていた事知らなかった事を 面白く観た。

海を眺めながら土を耕しながら生きてきた人達の 熱いエネルギーを感じさせる
番組だった。


今年の書初展への出品作品は 残念ながら奨励賞止まりで いただいたのは
賞状だけだった。
夫にそう話すと マア こんな年もあるさ と慰められた。

今日から月が変わって 書道のお手本も変わった。
今月の調和体のお手本は 独特の書体で有名な大御所の先生のものだ。
それを もう少し書きやすいように教室の先生がしてくださったお手本を見ながら
稽古する。

それでも 右に歪み左に歪みする文字を真似て書きながら雰囲気を出すのは大変だ。

次回は 水曜日に大学病院で一泊してのブロック手術があるから 欠席になる。
土曜日に伺えればいいが できなかった場合を想って 一応 清書を数枚。

当然満足のいくものではないが とりあえずそのうちから二枚選んでもらい
預けてきた。

何事も同じだろうが 書けば書くほど つくづく書の難しさを感じる。
でも それをも楽しみながら また今年もコツコツ続けていきたい。

昨夜は とっても綺麗なブラッドムーンが見られると 期待していたのに 残念!

昇り始めは 靄がかかったような桃色のお月様が 暗い山の端から 大きな
まんまるな姿で現れた。まるでポンポン弾む手毬のような月だった。

なんて可愛いお月様なの!と 夫と話しながらリハビリへ向かった。

それが整形外科から帰る頃には 空は濃淡の雲で覆われて 肝心の月は
しばらく佇んでいないと 姿が見えないほど。それも瞬間だけだ。

テレビでは月食が進む様子を刻々と映し出すのに 外に出てみても 我が家からは
雲の向こうに隠れていて 辛抱強く待っていても ようやくかけらが見られるだけ。

鋭い寒気に 長く立ってはいられないから 適当に時間を空けては 外に出てみたが
やっぱりテレビのように綺麗な月はみられない。

最後は 外に出るのを諦めて もっぱらテレビ画面で 欠けていく様を鑑賞した。
完全に地球の影に覆われた時の見事な赤銅色は 人間が作り出せない神秘の色だった。

こんな綺麗なお月様を 自分の目で見たかった。
本当に ザ〜ンネェ〜ン!!