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電気の使用量と料金を示す「電気使用量のお知らせ」が 毎月ポストに入っている。

これを去年と今年の同じ月で比べてみると 今年の冬がいかに気温が低くて寒いか が
よくわかる。

我が家の一月の電気代を見ると 去年の一月より なんと一万円も多い。
それには 納得のいく思い当たる理由がいくつかあるから 一概にこの代金差が 即
一月の気温が低くて寒かったことにはならないことは 承知できるが それにしても
差が大きすぎるくらい大きいのは やはりこの一月が異常なほど寒かったことの証と
いえるだろう。

一概にいえない点の一つは 暮れの二十八日から一月の五日まで 娘が子供を連れて
帰省し 途中の五日間ほどは 婿も来ていて 二階の客用寝室のエアコンはもちろん
室内に敷いてあった電気カーペットも九日間ずっとつけっぱなしだったことだ。

また 二階だけでなく一階のリビングのエアコンも 隣室の和室の電気カーペットと
電気ストーブも 孫たちが起きてきたときに寒くないように 私か夫が起きたら直ぐに
スイッチを入れた。

私達夫婦の寝室も 就寝する前からエアコンを入れたし 私の敷き毛布も同じように
電気のスイッチを早くから入れた。

その上 次男が帰省していた間は 彼の部屋のエアコンもつけっぱなしだった。

アンペアが大きいおかげでダウンすることなく過ごせたが こう書いてみると スゴイ
電気の消費量だとわかる。

おまけに我が家のキッチンは ガスコンロでなく電気だから その分の使用量もある。

また 一去年の暮れからお正月の数日間は 東京で過ごしたために その間は全く電気を
使っていないから 余計に今年との差が開いた。

それにしても 例年なら 寝室のエアコンは 就寝の一二時間前からつけておいて
寝るときには止めて寝るのに 今冬はそうはいかない。
エアコンは一晩中つけておいて その上私は敷き毛布も入れる。
そうでないと 体に直に響いてしまう。

リビングにいる間も 冬の間は エアコンだけでなく灯油ストーブもつけるから
気温が低いと 灯油の消費も早い。

それにしても これほど電気使用量が多い冬は初めてではないだろうか。

それほど 今冬は寒い ということだろう。

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今夜でオリンピックが終わった。

毎回オリンピックがあると 国民性だとか国別だとかの言葉がマスコミに何回も登場し
競技でも 特に日本と韓国が関わる試合になると 日本側はそれほどでもなくても
韓国側は日本を強く意識して 毎回応援もヒートアップする。

そして 他国と競争する意識がなくても 日本人が出場すると 当然のことに日本人を
応援するし 勝てば我が事のように喜ぶ。
そして 頑張る選手の姿を見ながら 改めて 自分が日本人だ と意識する。

これは おそらくどの国の人も同じなのではないだろうか。
身びいき と言う言葉があるが 者であれ物であれ 自分に近しければ近しいほど
親しみを感じるし 応援したくなるのは世界共通のことだろう と思う。

日本という国や自分が日本人だ と強く意識するにはオリンピックの時だけではない。
私のような平凡な人間が 自分が日本人だ と思うのは 海外へ行った時だ。

外国へ行けば当然私たちは外国人の立場だから 五感で感じるものの全てが異質だ。
そして 自国の良いところにも悪いところにも 気づかされる。
そうした時 やっぱり自分は日本人だ と痛感する。

このように 日本人だ と感じたり思ったりすることは なんでもないことのようで
とても大切なことだ。
大げさに言えば これは自らが自らに認める身分証明書のようなものだからだ。
これがなくなると 自分がよって立つ場所がわからなくなり 存在する場所を失う。

話は離れるが 娘の二人の子は 父と母の国が違うから 二つの国籍を持つ。
彼女らには よって立つ場所が二つある ということだ。

それを彼女らが一番認識できるのは 言葉だ。
今はまだ幼いから自覚はないが それでもすでに二人は 家庭の中に二つの言葉が
存在していることを理解していて 父親との会話は英語で 母親とは日本語で と
無意識ながら区別している。

これはとても重要なことだと思っている。
娘も同じ考えで 上の子がすでにそうなのだが 通っている学校が終始英語 家でも
父親とは英語 父親と母親との会話も英語が多い となると 日本語に接する機会が
極めて少なくなってしまう。
そうなると 脳内の全てが英語で占められてしまい 日本人としての部分が 次第に
失われていく。
そうならないためには 日本語をしっかり習得することが必須になる。

そう考えている娘は 日本語を正しく習得させるために この春から 国語だけを
しっかり学習させようと 塾へ通わせる予定でいる。
そこで学ぶ子供達は当然日本人だろうから 日本の子供とも接触させ なおかつ
正しい日本語も身につけさせたい思いがあるからだ。

娘が 我が子に正しい日本語を身につけさせたい と考えるのには 遠因となるものが
一つあるのではないか とも思う。

それは 彼女自身が 高校生の時にした留学体験だ。
娘の留学は 世界的な規模の機関を通してだったからだろう。
実際に留学するまでは 決まってからの一年間を 留学するに際しての心構えは勿論
自分が何者であるか何のために留学するのか 留学先で自分を自分でどう支えるのか
など 自分を見失わないための いわば訓練が徹底的になされた。

この訓練は 子供だけでなくこれから我が子を留学させようとしている親にも行われた。

さらに この機関では 留学の期間は一年間 と決められていて 一年が過ぎたら
必ず帰国しなければならなかった。その後引き続き留学先の国や他国の学校へ行きたく
てもだ。
そうでないと 若い高校生は留学先に同化してしまい 日本人であるという意識や
物の考え方 認識の仕方が なくなってしまうからだ。

そうした自身の経験からも 娘は 我が子には英語と同様に日本語もしっかり
身につけさせたい思いがあるのではないか…と私は思っている。

私は私で やっぱりその思いが強い。
言葉以外で 日本や日本人を一番意識できるのは 食事の作法 特に箸の持ち方使い方
と着物だ。
特に民族衣装の着物は 日本人には欠かせない物だ。
だから 折に触れて着物を着る機会があれば 着せている。

英国人であると同時に日本人でもあるのだ と成長するに連れて 二人の孫には
意識してほしいし その上でどう生きるか を考える人間になってほしい。

テレビでオリンピックを観ながら そんなことにも思いをめぐらしたことだった。








水曜日の私の誕生日は 平日だったために家族四人が揃わなかったから と言って
今日の午後 長男家族がようやく揃った時間に プレゼントと上の孫手作りのシホン
ケーキを携えて 我が家へ来てくれた。

長男は 毎年夫と私の誕生日には 家族みんなでプレゼントとケーキを持って来てくれる。

今年のプレゼントは キラキラ光る小粒のクリスタルが連なっていて シルバーのチエーン
がその両側に同じように流れている チョーカーだった。

しなやかに動く少し幅広のチエーンが きれいなラインで胸元からみぞおちの下まであるような
とてもお洒落なチョーカーで 久しぶりに手にする新しいアクセサリーだったので 嬉しかった。

孫手作りのシホンケーキも 甘さが品良くて美味しかった。
持って来てくれたケーキは いつも必ずその場で切り分けて みんなでいただく。
切り分けるのは 長男の役目 と自然に決まっていて 今日も彼が切り分けてくれた。

この歳になっては 誕生日を迎えた嬉しさも複雑な思いにかき混ぜられて複雑だけど と
言うと 長男は とれる歳があるだけいいよ 生きていなくちゃ歳も取れないんだから と
返してきた。

このやり取りに みんなで笑った。

確かにそうだ。
行きていればこそ 誕生日を迎えられる。
痛くても思うように動けなくても 生きている。
生きているからこそ 笑いも泣きもできるし 痛みも感じられる。

しょぼくれていないで 今日プレゼントされたチョーカーのように
キラキラできる日を送らなければ !

昨夜のカーリング 日本女子チーム対韓国チームの戦いは 凄かった。

先攻で最初から不利な試合だったが 強豪の落ち着いた様子を見せる韓国チームに
日本の女子たちは よく最後まで堂々と物怖じしなく くらいついた。
十エンドでタイに持ち込んだものの しかし 次のエンドで負けてしまった。

でも カーリングという どちらかといえば今までマイナーだった種目が
彼女らの活躍で 一気に脚光を浴びた。

試合には珍しく 選手たちそれぞれの声が 付けているのだろうマイクから聞こえて
作戦を練る甲高い道産子たちの 訛りのある会話が面白かったり可愛かったりで
ルールを知らない私も ついついテレビで放映される画面に 見入ってしまった。

最後の最後で負けてしまったのは残念だったが 若い彼女らの可愛い声と
清々しい笑い顔 そして何よりも彼女らの粘り強さに 脱帽だ。

清々しさで言えば フイギアスケートの二人の女子選手もそうだ。

日本女性らしい感情を ふさわしい曲に載せて しなやかに表現した。
パホーマンス的なジャンプの派手さはなかったが 滑らかでしなやかな滑りは
一位から三位までのメダルを獲得した外国選手たちよりも ずっと素晴らしかった。
技術の難度ばかりが優先されての判定は スケートが本来持っている美しさから
離れているような気がする。
その点で 日本選手の滑りは スケートのお手本ともなるようなものだったと思う。
惜しくもメダルは逃したが メダルに匹敵するような滑りだった。

カーリングとスケートの試合は 両方ともに 自分が日本女性であることを
改めて自覚させてくれた。
とても老けた女子ではあるが ……。

日本の女子は 世界一だ。

昨日は 書道の稽古日だった。

私が手術室で熱凝固ブロックを受ける前の週 書道の先生が 実は……と
以前から首の付け根がちょっと膨らんでいて心配なの 少しずつ膨らみが大きくなって
きている気がするの とおっしゃってみえたのだが 今度思い切って病院へ行くことに
したわ と その日に来ていた生徒のうち私ともう一人に告げられた。

他人から見ては 気にするほどの膨らみではなかったが 本人にすれば日々気をつけて
観察していると 徐々に大きくなっていくのが分かったのだろう。

それで 本来なら紹介状を持って行くところを 直接大学病院へ行かれた。
すると その日にした検査結果が あまり良くなかった。

直ぐに細胞診の必要あり となって 先週の月曜日にまた病院へ行き細胞を採られた。
結果は一週間待ち で 今週の月曜 結果を聞きに行かれた。

その間 私は自分の手術のことで手いっぱいだったから 先生の事を忘れたわけ
ではなかったが 連絡をとって結果を聞くのも失礼な気がしたし 万が一悪い
結果が出ていたら……とも思って 今日まで何も連絡を取らなかった。

そんなことがあって 今日 久しぶりに教室へ行った。
検査結果が悪かったら どんな顔をしたらいいかわからないなあ と思いつつ
部屋へ入って行くと 真っ先に 先生が
余計なご心配をおかけしてしまいましたが おかげさまで良性の腫瘍でした
今後 経過観察していくことになりました。 と言われた。

先生とお互いのプライベートな話を交わすのは 私ともう一人だけで 今日は
私が一番乗りだったので 早速私の顔を見るなり 話されたのだった。

嬉しくて 二人で手を取り合って 悪性でなかったことを喜んだ。

先生自身も 面倒を看なければならない父親を抱え ましてや教室には
たくさんの生徒が通って来ているから もし即手術 の事態になったら と
対処をどうしたらいいか 様々に思いを巡らせてみえたらしい。
結果がわかる前夜は 心配で一睡もできなかった と話された。

腫瘍そのものは 首の片側にもあって意外に大きかったらしいが 今直ぐに切除
する必要はないから 今後の経過観察次第だとも言われた。

近年 私の周囲の大切な人たちが 次々に手術したり病気になったりしているから
習字の先生までもか!と思い なんだか自分が禍いの種になっているような気さえ
正直していた。

でも その心配がなくなって 心の底からホッとした。

「九越え」は始まったばっかりだ。

自分だけでなく 夫に 子供たちに 孫たちに そして支えてくださっている大切な人
たちに どうか何事も禍いが起きませんように と願っている。

昨日は 私が「九越え」の歳を迎える誕生日だった。

「九越え」という言葉はこの地へ嫁して初めて耳にした言葉だった。

どの年代でも九のつく歳は 心身にも環境的にも様々な変化があるから 十分に注意して
過ごさなければならない 時としてこの九越えの歳にはよくない事が起こるから という
あまり歓迎したくない意味合いの言葉なのだ。

私も昨日で いよいよ何回めかの「九越え」の歳を迎えたわけだ。

昨日 夫は 勤め帰りに園芸店でシンビジュウムの鉢を求めて プレゼントしてくれた。
笑いながら。
私も笑いながら ありがとう と受け取った。

笑いながら には互いに通じる訳があった。

一昨日 いつものように大学病院の受診を終えた後 勤めが終わった夫の車で帰って
来る車中でのこと。
ラジオからは 男女のキャスターが番組に寄せられた葉書を読んで その内容について
面白おかしくかけ合っての 賑やかな声が聞こえていた。

夫も私も 聴くとはなしに聴いていると ある中年女性の葉書が読まれだした。

彼女は 夫と三人の息子との四人家族で 一昨日の前の日は彼女の誕生日だった。
ところが 鈍な夫は そんなことは頭から忘れてしまっている。
朝出かける時も仕事を終えて帰宅してからも まだ気がつきも思い出しもしない。

そんな中 夕食をいつも通り済ませた後 三人の息子が ちょっと出て来る と言って
自転車で出かける様子。
何もわからない夫は なんだ こんなに遅くから 何処へ行くんだ と半分怒って言う。
そして どうしても行かなくてはいけない用事があるんだ と言う息子たちに
ちょっと待ってろ と言い置いて奥さんのところへ来て
子供たちだけで自転車なんかで行かせるのは危ないから 俺かお前が車で連れて行こう
と言う。そして極め付けが どっちが運転して行くか ジャンケンで決めよう と
言い出した。

さすがに奥さんは堪忍袋の緒が切れて
バカ‼️今日は私の誕生日なの‼️子供たちはケーキ屋さんへケーキを買いに行くのよ‼️
と怒って言うと 夫は慌てて家を出て子供たちを車に乗せてケーキ屋へ行った……。

という内容の葉書だった。

この奥さんの連れ合いは 夫によく似ている。
家族の大切な日がいつだったかなんて まったく無頓着な夫なのだ。

それをよく承知している我が夫だから 自分とよく似た男性の話に大笑いしながら
帰って来たのだった。
そして帰宅後 カレンダーに 忘れないよう自分で丸印を付けていた私の誕生日が
昨日だったことを目にして しっかり頭に入れたらしい。

それで 花の鉢のプレゼント に至ったわけだった。

昨日聴きながら帰って来たラジオの話の中の夫のようにはなりたくなかったのだろう。
それで 笑いながらのプレゼントになったのだ。
それが分かった私も 可笑しいやら嬉しいやらでやっぱり 笑いながら の受け取りに
なった。

ピンク色のシンビジュウムは そんなことには関係なく きれいに咲いている。
この花のように なんの濁りもなく これからの「九越え」の歳を終えられたら と
願っている。








今日から後は 今まで降っていた雪が雨に変わる……
今日はそんな雨水だ。

今週はおおむね気温も安定しているらしいが 日曜日になると また気温が下がる と
いう予報が出ている。

今冬は 例年の冬に比べて気温が低い。
その証拠に 例年だと畑に植わったままにしておいて 使いたいときにその都度
夫が引いてきてくれる大根が 昨日引いてきてもらった数本全部の中心が 茶色く
なっていて 全く使えるものがなかった。
土の中で凍ててしまったらしい。

飛騨なら 雪が降る前に 畑の隅に穴を掘り穴の中にワラを敷いて その上に
大根や他の野菜などを入れてまたワラで覆い 雪が出来るだけかからないように
木で小さな屋根を付けて 室のようなものを作っておく。
そして 雪が深くなっても室の位置がわかるように 背の高い棒を立てておく。

真冬になって雪が降ると 降り積もった雪をかき分けながらその室へ行き
貯蔵してある野菜を取り出す。

同じ県内でも私が住んでいる地方は そこまで雪が積もらない。 大根でも
白菜でも 植わったまま冬越しするから 今冬のようなことになってしまう。
わらしべで上部を縛ってある白菜が あちこちの畑で見られる。
土の中で越冬する野菜はとても甘くなるから わざとそのままにしておくのだ。
白菜などは 葉が幾重にも重なっているから 外側の葉さえむいて捨てれば
中はきれいなものだ。

でも 今冬のように雪が多いと 白川村などでは 雪室の在り処を示す長い棒さえ
雪の下になってしまうから 掘り出しにも行けなくなる。

そうした時 大活躍するのが漬物だ。
一冬 または たった一二軒の八百屋が市場へ買い出しに行けるまで 晩秋に漬けた
漬物が貴重な食べ物で それが主な野菜になる。
だから 雪が降りだす頃までに どうしても 幾種類かの漬け物を漬けることは
嗜好品としてでなく 必須のことなのだ。

そんな事態になることを予想して 野菜を一つずつ新聞紙で頑丈に包み それをまた
使わなくなった毛布などで包んで 押し入れなどの凍みない所に保存しておく家も
多い。
多少萎びていても 生の大根は貴重品だ。

雪国には雪国なりの 古来から伝え継いできた生きる知恵がある。

もし来冬が今冬のように気温が下がる予報が出るなら 我が家も 隣の畑に
穴を掘って室を作り 野菜を貯蔵するか と夫と話している。

せっかく身を粉にして作る大根や人参だから 一本でも多く守りたい。
何も手伝わない私でさえそう思うのだから 実際に作る夫の思いはもっと深いだろうし。



夫が勤務する幼稚園の三学期は 秋の運動会と双璧をなす雛祭り発表会に照準を合わせて
始まった。

一年間の成長ぶりを父兄や祖父母らに見てもらうために 園児も日々演目の練習に
余念がないし 先生方も 落ちこぼれる子がないよう気配りしながら 根気に指導する。

純真な園児たちは 園外の大きなステージでの両親や祖父母の前での発表会 とあって
指導に応えようと グウタラな大人では考えられないくらい真剣に練習する。

その姿が 彼らを一気に成長させる と言っても過言ではない。

特に 年長クラスの園児たちのこの発表会にかける思いは 夫から聞くだけでも
涙が出るほどだ。

先週の土曜日 その発表会があった。
まだ体調が術前までには回復していなかったから 会場まで見に行けなかったのが
残念だった。

残念だったことはもう一つあって 肝心の年長さんたちのクラスで インフルエンザ
が流行してしまって せっかく練習してきて演じるのを楽しみにしていた園児の何人か
が 欠席せざるを得なかったのだ。

その子の親御さんも同じ思いで もう熱もないからなんとか出してもらえないか とい
電話がかかってきたらしいが インフルエンザなのだから 園側も 気持ちはわかっても
どうしてあげようもない。
粘る親御さん相手に 夫や職員は大困りだったそうだ

それくらい園児や親御さん 園 にとって 発表会は一大行事なのだが 何人もの園児が
休んでしまった分 せっかくみんなで練習してきた演目が 例年に比べて寂しかったらしい。

それでも 済んでしまえば あと残っている大きな行事は 来月の卒園式だけだ。

残りの日々を怪我なく楽しく過ごして 一年生になってほしい。

夫を通してしか縁のない子供たちだが 長いこれからの未来へ向けて 彼らに
どうか優しい風が吹いてほしい。

オリンピックは個人が競い合うものだが その裏側には選手の出身国の援助があり
強化のために国費が出費される。

経済状態のいい先進国になればなるほど 一人の選手にかける費用は大きい。
日本の場合は一人当たり一千万円 と 何かで読んだ。

だから当然 個人の競争イコール国の競い合いが色濃くなるが それ以上に各選手の
オリンピックに向けての執念があり 努力という言葉の遥か上をいく 日々の激しい
鍛錬があるのは 一般国民もよく承知している。

強化選手に至るまでも大変で 多額の費用がかかる と 以前にテレビに出演していた
元オリンピックの選手が語っていた。
経済的に支え続ける周囲の人の苦労もまた 人並みではない。

そういう意味でも 選手たちが 応援してくれた周囲の人達や支えてくれた人たちへ
感謝の思いを述べるのは 心からそう思えるからこそのことだろう。
今日の羽生もまた 支え続けてくれた周囲に対して 感謝の言葉を口にしていた。


その羽生が オリンピックを例えて 魔物 という言葉を使っていた。
その魔物に魅せられて 情熱とアドレナリンを強く出し続けた者だけが
メダルを胸にかけられるのだろうが それにしても凄まじいことだ。


羽生には 以前から 説明のできない清廉なオーラがある と思ってきた。
それは いつも彼の周囲にだけ感じるものだが 大げさに言えば かげろうに似て
フワフワと漂い それでいてクリスタルが放つ鋭いプリズムのようでもある。
プリズムを周囲に与えながらも なお 天からも光と雪の結晶が降り注ぎ
常に キラキラと清らかに輝いている。

何か分からないがみんなが彼を特別な存在に感じて魅せられるのは
そのオーラのせいではないだろうか。
だからこそ 世界中にたくさんのフアンがいるのだろう。
よくテレビで見るあの鬼のようなロシアの女性コーチさえ 羽生のことを語る時
実に柔和で優しく慈悲深い顔をしていた。

今回 彼は怪我の後にもかかわらず オーラを持つ者として あの快挙を成し遂げた。
清廉な勇者として 氷の国に住む魔物に立ち向かい 退治したということか。

今日 魔物と闘う彼の姿を 世界中の人が固唾をのんで見ていた。
清らかに雄々しい姿で魔物に勝利した彼は 世界中を幸せな気持で包んでくれた。

天からこの世に遣わされた精霊のように 清冽でしなやかで それでいて力強く
氷上を舞ってみせたあの四分半を 私たちは長く忘れないだろう。

昨日は 内科 薬局 整形外科 をタクシーを使ってはしごした。

いつもなら夫の帰宅を待って 連れて行ってもらうのだが あいにく昨日は
夫の勤務先の発表会が今日あるので 夫は夕方遅くまでその会場準備があった。
昨朝 今日は帰りが遅くなる と言い置いて出かけたから 連れて行ってもらえない事は
初めから分かっていたが かといって 内科の薬も切れているし 手術後は一度も
リハビリに行っていなかったから 昨日はどうしても両方の医院にかかりたかった。

でも タクシー代もバカにならない。 せめて整形外科でリハビリが終わった後は
帰宅した夫に迎えに来てもらいたかった。
そうなると どうしても午後からの診察時間に合わせて受診することになる。
それも 五時頃に内科を受診して隣の薬局で薬をもらい そのあとタクシーを呼んで
整形外科へ行かないと 夫が帰宅するだろうと思える時間にならないから
タクシーを呼ぶ時間も 考えて見当をつけてから になる。
おまけに 内科の待合室は 昨今の大流行しているインフルエンザの患者でいっぱい
らしいから ますます考えなくてはいけない。

そんなわけで 側からすれば どうということもない事だろうが 昨日の私には
タクシーをいつ呼ぶか は精一杯考えなくてはならない大問題だった。
こんな事で悩むのは私くらいのものだろう と自分でも可笑しくなるが。

ともかく タクシーで内科へ行ったわけだ。
受診した後 薬局で投薬を待っている時間に 一度夫の状況を知るためにメールを入れた。
直ぐに返信がなければ まだ仕事中ということだ。

案の定 返信はない。

薬を受け取った後 事務の女性にタクシーを呼んでもらった。
出払っていて 二十分くらい待つことになるがそれでもいいか とタクシー会社の返事。
迎えがないのだから 待つより方法がない。それに 整形外科へ行く時間が遅ければ
その分 リハビリの後 迎えに来てもらえる確率が高くなるから 大人しく待った。
でもインフルエンザは拾いたくないから 頼んでマスクをもらって待った。

ようやくタクシーが来て整形外科へ向かう途中で 夫からの電話。
今終わった のだと言う。
整形外科でのリハビリが終わったら連絡するから迎えに来てほしい と伝えた。

前話が長くなったが 肝心の嬉しかった話はこれからだ。

整形外科に着くと 私が信頼している先生が 他の患者にマッサージして
見える姿が チラッと見えた。
こんな体調の時こそ その先生にマッサージしてもらいたい。
そう思っていると 気持ちが伝わったのか メドマーの後 直ぐにその先生に
マッサージしてもらえた。

手術することも伝えてあったし 何より 先生も最近になって ブログを見てくださる
ようになったので 説明するまでもなく術後の私の状況をご存知だった。

マッサージが始まって直ぐ 私の体の変化に気づかれて
いい感じの状態になっていますよ 手術前に比べると 全然違っていますね
痛い思いをした甲斐があったんじゃあないですか。
と 驚きのこもった声で言われた。

私も驚いた。
体に触れただけで 直ぐに分かるとは! の驚きだけでなく 今はまだ術後だから
左足の違和感が強いが 神経そのものは ちゃんとやってもらった事を受け止めて
それなりになっている という事にも驚いた。
だから しばらく経てば 今の足の違和感も前くらいにはなるだろうし強い痙攣も
少しはなくなって腰の痛みも緩和する だろう。
そう これからに期待が持てる気持ちが湧いてきた。

先生の言葉に 嬉しくなった。

何度も経験してきた神経根ブロックのうちでも 今回が一番大変だったから余計に
大変だった分の効果がちゃんと出ている と知って嬉しかった。

そう言って喜ばせてくださった先生に感謝!
先生の言葉が 塞ぎがちな私の気持ちを どれだけ明るくしてくださったことか!
これからに希望を持たせていただいた。
そして うまく手術してくださった大学病院の医師にも感謝!
来週の火曜日に受診した時には 今日のことを必ず話そう そう思った。

痛かったけれど やってもらって 本当によかった。