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この春 テレビの番組がかなり変わった。
それ以前から視聴率が高い番組で 人気がある番組ももちろん放送されている。

夫が好きで毎週必ず見ている番組もあれば 私だけが興味があって見ている番組もある。

が それらの番組の中で 曜日によっては二人ともがハマって見るものもある。

それが今夜 木曜日だ。
今夜は 七時台から八時台九時台と 毎週連続の一時間番組が三つある。

木曜日は リハビリから帰ると 夫は 子供のように直ぐテレビのスイッチを入れる。
そして 七時台の番組は 夕ご飯を食べながら 二人でなんだかんだと言いながら見る。
八時台の番組になると 夫は いつも座っている自分の席から動いて テレビに近い
位置まで迫って そのために置いている椅子に座って見る。

それから二時間 座りっぱなしで 真剣に見入る。
テレビに近い位置まで動くのは 私が 見ながらテーブルの上の食器を片付けたり
キッチンでジャージャー水を流したりするので 気が散ったり音が聞こえにくく
なるからだ。

昔から 我が家のテレビは一台しかない。
これは 我が家の教育方針でもあった。
そして 三人の子供達が自立して家を出た後も ずっと一台 を通してきた。

夫は野球が好きなので 昔から野球中継がある日は 野球しか見られないのが
いつものことだったが 昨今 贔屓のチームが弱くなって見ても面白くないらしく
観戦する気が失せているせいだろう 見なくなった。
そのおかげで 私が 見たい と思う番組が毎週連続して見られるようになったわけで
それは私にとって嬉しいことだが まさか 夫が 私が見たい番組にハマって
私より真剣に見るとは 想ってもいないことだった。

これも 長く夫婦でいるからだろうか。
テレビ番組だけでなく 生活の中全般で お互いに考え方や志向がクロスオーバーしている
と感じることが多い。

どうであれ 自分が見たい番組をいつも見られるのは ストレスがなくて いい。



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二月初めにした神経根ブロックの効き目が出たかどうか まだ分からないのが現状だが
このところ 腰の痛みが強い。

なんとか腰を曲げないで 我慢していられるくらいだった痛みが 最近は 曲げないでは
いられなくて 気をつけているつもりでも 知らず知らずに前屈みになっている。

周囲の者にも 腰が曲がってきたとか前屈みになっているとか 言われるようになった。

これはやはり 痛いからだろう。

これまでも 大学病院へ行く度に その時々の状態を医師に伝えると 医師から
ほのめかされていたのだが 今日の診察で 二月のブロックとは違った神経根を
またブロックしたほうがいい と言われて 手術の日にちが決まった。

東京の孫が七月の七、八日には来るから それまでには回復していたいので
手術枠の空きがある一番近い日にちで来月十八日 と決まった。
万が一を考えて 今度も一泊する。

第五腰椎の奥から出ている神経根のブロックだから 多分 前回よりもっと痛い。
拷問をまた受ける と思うとやりたくないが それで少しでも痛みが緩和するのなら
やってもらうより仕方がない。

切除したり縫合したりの手術なら 日にちはかかっても いつかは完治する。
でも 私のように神経が病んでいる場合は 治らないことが前提だから 嫌になる。
神経は 一度傷ついてしまうと 今の医学では修復できない。
だから 一時的に痛みを抑えてより方法がない。

たとえ支障があっても日常生活が送れるなら こんなありがたいことはないが
私の場合 これだけ薬を飲みテープを貼っていても なお痛む。 そうなると
現実 ブロックより緩和の方法はないのだから 嫌だなんて言っていられない。

もう少し 自分の足で 自分の体を自分で動かして 生活していたい。
そのためには 手術しかないのだから 泣き言なんて言っていられないのだ。

でも 梅雨どきだから 回復には日にちがかかるかもしれないなア〜。

昨日は 孫のクラスメイトの誕生日で クラスのお友達全員がデイズニーランドへ招待された。
もちろん まだ一年生だから 保護者付きでだ。

親御さんが桁外れのお金持ちだそうで ランドでもVIP待遇だから 駐車場も一般とは違う
場所で 待たなくて駐車でき 入場も様々なアトラクションも 列について並ぶことなく
フリーパスで楽しめたらしい。

招待が持ちかけられた当座 母親である娘は躊躇していたが 孫の 行きたい行きたい に負けて
下の子も連れて行って来た と 弾けるように笑っている孫の写真を数枚 ラインで送ってきた。

お金持ち達の天辺はいったいどこにあるのか と思うほど 孫の通う学校には 桁外れの
生活をしている子がいる。

今回の誕生日の子も そうらしい。

ランドでの全てのことがフリーパスだなんて 行ったことのある者には 信じられないほどの
VIPさで 羨ましい限りだ。

娘は そうした一般社会からかい離しているような生活を 子に できるだけさせたくない
思いがあって 躊躇していたのだろう。

でも 娘達の生活だって 日本の平均庶民の私からすれば オオッーと思うから やっぱり
お金持ちの天辺は 遥か彼方の雲の上で 想像すらできない。

大人の思惑や事情など知らない孫は 一日中遊びくたびれて バタンキュウだったそうだ。
孫にとっては この上なく楽しい一日だったに違いない。

叔父の三回忌法要で 今日も朝から外出。

夫は その前に 朝食をソソクサと済ませて 畑へ玉ねぎの収穫に行った。
今年の玉ねぎはどれもが小さくて 車庫へ運んで来たものを見ると たしかに例年より
カサがない。

シャワーを浴び スーツに着替えた夫と 叔母宅へ迎えに行った。

近しい者ばかりでの法事だから 着るものは黒でなくていいから と言う叔母の言葉
に従って 夫はスーツにグレーのネクタイ 私は紺のワンピースの上に黒の薄い羽織物、
でもバッグだけは黒を持った。それに長めのグレーのパールのネックレスをつけた。

叔母はというと 喪服のようなフォーマルさはないものの 黒のズボンに やはり黒地に
同じ黒で薔薇がアップリケされているブラウス その上に薄地の黒のジャケットカーデガン
という装いにグレーのパールのネックレスだった。
肩苦しくはないが 誰が見ても法事らしさが伺える。

お寺に着いて驚いた。
叔父の息子家族の誰もが まったくの普段着姿で来ている。

いくら 黒でなくてもいいと言われても 今日は自分たちの父親 自分たちの祖父の三回忌だ。
たとえ集まる者たちが身内ばかりだとしても 普段着はないだろう。
単に会食に招待された場合だって もっとちゃんとした格好で行くだろうに。

叔母は 義理の息子夫婦 特にお嫁さんの人とナリを知っているから 瞬間エッと
いう顔をしたが 後はあきれて あきらめ顔だった。

というのも 後で聞くと 今朝になって お嫁さんから
ジーパンじゃダメ?
と 電話があったのだそう。
さすがの叔母も
ジーパンはやめて
と 言ったんだそうだ。

その結果が ジーパンこそ履いてはいないものの 普段着での出席 と なったようだ。

若い者ならともかく 法要にジーパンでいいかどうか 六十そこそこの女性が判断できないのか。
黒でなくていい と言われたら なぜ それなら普段着でいい ことになってしまうのか。

おまけにだ。
お寺での法要が済みホテルで食事をし 散会となった時 お嫁さんは私に
いつもすいませんね またお願いしますね
と 叔母の世話を 軽く告げられてしまった。
それも どことなくニヤついた顔で……と見えたは 私の心持ちがそうさせたからか。

いつもすいませんね は 分かる。
当然の言葉だろう。
でも その後の またお願いしますね とは どう解釈すべき言葉なのか。

今まで何度も書くように 私たち夫婦と叔母には血縁もないし 義理も義務もない間柄だ。
叔父が亡くなった今 叔母に一番近しいのは 義理とはいえ息子家族だろう。
叔母は 母親なのだ。
その証拠に 叔父が亡くなった当座 叔母はなにがしか遺産を分け与えた。

その頃 関係ないながらも私は 彼らの振る舞いを見て
今は 法で決められた額を分けておいて 後は 叔母の気持ちとして
子供達が結婚したり出産したりした時や 節句や七五三 入園入学などの機会に 出して
あげるほうがいいのでは と 叔母の気持ちを汲み取れない彼らの様子に危なっかしさを
感じて 叔母に言ったことがあった。

優しい叔母の気持ちも汲み取らず 貰うものだけもらって後の面倒はみない では
あまりにも虫がよすぎる と思う私が間違っているのだろうか。
それでは叔母がかわいそう過ぎるではないか。

私たち夫婦は たまたま近い所に住んでいるだけなのだ。

だから マタオネガイシマス と口先で軽く言われて 丸投げされても困る。

どうせ放っておいてもあの人たちが面倒をみるだろう みさせておけばいい
そう思っているのが マタオネガイ の言葉になって出た としか考えられない。

その言葉の前後に 私たちも様子を見には来たいのですが なにぶん直ぐにはなかなか
来られません 迷惑をおかけしますが どうかよろしくお願いします 何かありましたら
連絡ください お世話になって申し訳ありませんがよろしくお願いします

ぐらいのことが なぜ言えない‼︎

よほど私たち夫婦は お人よしに見られているらしい。

こうして書いていると 余計に腹が立ってくる‼︎

世間って こんなでも通っていくんだねえ‼︎

なんだか私たち二人ともが いいようにつけ込まれて うまく使われているような
軽くみられているような気がして 情けない気持ちになってしまう。

身内の恥を晒すことを書いたが 従兄弟とはいえ そもそも 幼い時に会って以来
互いに叔父の病室へ出入りするまで 一度も会ったことなかった間柄だ。

だから 身内であって身内とは呼べない関係だから 他人と同じようなものだ。

リハビリの先生に いい感じになっている という独特の言い回しで 二月の初めに受けた
神経根ブロックが効き始めてきたらしいことを告げられたが 痛いながらも 昨日今日動ける
のは 先生が言われる通り 効果があらわれてきたからかもしれない。

痛いなりに 今日もよく動けた。

まず 朝早くに洗濯して干し 一時間半ほど習字に行って来た。
帰って昼食をとった後着替えて 夫と叔母の病院へ。
荷物を夫と一緒にまとめて 叔母を叔母の家へ連れ帰り 布団の掛け敷きカバーと枕カバー
を新しいものに掛け替えて 汚れた方を洗濯するように ビニール袋に入れて持ち帰準備。

私は 三時前に他の用事があって その会場まで夫に送ってもらった。
用事とは この秋 東京の二人の孫が七五三詣りをするので 上の子に着せたい着物を
誂えることだった。

筍のように背が伸びている孫だから 大人と同じ尺の反物を身幅狭く仕立て 腰上げと
肩上げをしてもらうつもりで表地を選ぶ。
幼さも可愛さも感じられる地色と柄をたくさんの中から選び それに合う帯地も見立てて
こちらも幅が大人用より一寸ほど狭い千歳帯に仕立ててもらいたい旨お願いする。
着物に合わせる長襦袢は 子供だから汚すことが多いから 洗えるようにと化繊地にした。
着物と帯は汚れ防止の加工をしてくれるように依頼。

この用事を済ませて再び叔母の家へ。
叔母が 退院祝いにお寿司を食べたい と言うので 三人で近くの回転寿司店へ行った。
このお店は ほとんどのネタが百円ではなくて けっこう美味しい。

一時間以上 店内にいただろうか。
叔母を家まで送って 帰って来た。

帰ってからは 明日の法事に向けての準備。
黒は私だけでいい みんなは普通の服装で来て との叔母の言葉なので
夫は紺のスーツにグレーのネクタイ 私も紺のワンピースに黒の透ける羽織もの。
バッグだけは黒 を用意した。
法事に持つ数珠は黒でなくていいから白房の水晶をバッグに入れた。

これだけしておけば 今日のすることはお終い。

ああ 今日も動けてよかった。
痛くてもこうして動けることが嬉しいし 普通のことを普通にできることが楽しい。
この嬉しさと楽しさを享受できる裏には 常に 夫の助けがある。
ありがたいことだと思う。

今日は 久しぶりに午前から夕方まで外出する忙しい日になった。

こんなヤマンバみたいな髪で法事に出かけられない‼︎ と思い至ったのは昨日も午後。

明日は叔母が退院するから それに合わせて病院へ行く。
すると 今日しか美容院へ行く日がない!と気づいたのだ。

ずいぶん長い間 美容院へ行っていなかったが 時々自身で間に合わせに染めたりして
凌いできた。
元が短かかったから 髪はのびるがあまり苦にならなかった。
それに 外出もせず家の中にいることが多いことも 無精を決め込んだ原因だ。

長年通って まるで身内のようになっている美容院まで バスで行き 思い切り
短くしてもらった。

しかし行く度に カットと染めとパーマをかけてもらう時間 じっと座っていることが
苦痛になってくるのを感じる。
いつまでこうして通えるだろうか。

美容院の後 思い切って このところ行きたくても行けなかった駅まで またバスに乗った。
目的は 書店。
文庫本に興味を引く新刊がないか あればそれを買いたい思いからだ。

まだ電子書籍では買えない新刊の文庫本を五冊買い タクシーで 叔母宅に一番近い
モールまで行った。

今日が特紹会とあって モールの中はものすごい人。
洋服も三割四割安く売っている。
中には 六割七割と書いた客寄せの札も目に入る。
時間があれば見たいが もう夫との待ち合わせ時間が迫っていた。

遅い昼食をフードコートで済ませ ここへ来た目的の 仏花と仏壇の前に置く供花
を買い 長いレジ待ちの列に並んだ。

そして叔母宅へまたタクシーで向かった。

夫はすでに来て 昨日買って来た空気清浄器の電源を入れたりしていた。

さっそく枯れ枯れになっていた仏花を新しい物に換え 写真の横に供花を。

それだけ済ませて叔母の病院へ様子見によると 叔母に少し元気が戻っていた。
目が かすかにでも見えるようになり 痛みも和らいで来ているからだろう。
この分なら 明日の午後退院しても大丈夫だろうと 私の気持ちも軽くなった。

帰ってから いつもより遅くなったが 整形外科へリハビリに。
明日の午前には行けないし 日曜は休み おまけに法事があるから どうしても
今日 リハビリに行っておきたかった。

遅遅に夕食をとり ようやく今日が終わった感じだ。


叔母は 入院しての治療が効いて 目薬をさす回数が 一時間おきから四時間おきになり
角膜の傷も小さくなってきたのだそうだ。

その結果 土曜日に退院する予定になった。

退院するといっても完治してではないから 叔母の目はまだあまり見えないし 当然のように
私たち夫婦が頼られて 病院へ行き荷物をまとめ 叔母の家まで送り届けることに。

今回の入院も 夫は勤め帰りに何度も病室へ寄り その度に 何かの惣菜やお菓子 果物 飲み物
などを 保冷バッグに入れては 運んでもらった。

家の中に目を悪くするものがあり それが目に入った可能性もある と医師に言われたとかで
今使っている空気清浄器は古くなっているから 新しいのを買って 退院前に動かして 空気を
綺麗にしておいてほしい と言うので 昨日 夫が勤め帰りに電気店で購入して 叔母宅へ行き
据えてきた。

退院するのはいいが 翌日の日曜日は 叔父の三回忌をすることになっている。
叔母は 目が悪くなってからは 仏壇のお供えやお花どころではなかったし 入院していたから
お花やお供えがないままの状態だ。

それでは いくらお寺での勤行でも仏様がかわいそうだ。
そこで 退院する前の今日 お供えやお花を買って叔母宅へ行き 家の換気をしたりする。
そして 勤めが終わった夫に寄ってもらって 帰って来るつもりだ。

夫と一緒に近くにある温泉へ 週一回のペースで通い始めてから 十一枚で六千八百円
のチケット綴りを もう三回くらい購入しただろうか。

そして 初めのうちは 岩盤浴を終えた後に 管内の食堂で食事をしたから その分も
ポイントが貯まった。

チケットと飲食代 毎回のようにペットボトルの飲料を買って飲んだりした代金が
コツコツと貯まった結果 今日で千ポイントを超えた。

売店で 叔母の退院が近いので叔母が好きなラーメン買い ナンバーコードのブレスを
カウンターで返却すると 係員に 千ポイントを超えましたね 何かと交換されますか?
一番いいのは チケット五枚との交換ですが と教えられた。

エエッもうそんなに貯まっていたの⁈

行くたびに飲み物の購入でわずかずつ貯まったポイントだった。

庶民中の庶民の楽しみの一つは 買い物やお金を使う場所で出されるポイントが
どれだけ貯まるか だ。

貯めるのが目的ではなかったが 今回 温泉でのポイントがこんなに貯まったのは
嬉しかった。

早速その場で じゃあ今 交換できますか? というと 次回いらした時でもいいですよ
と 笑いながら言われてしまった。

庶民はこれだから庶民 というやりとりだった。

言われたように 来週行った時に チケット五枚と交換してもらうつもりだ。

楽しみだわあ〜〜。

昨日 検査から帰宅した夫に いの一番に どうだった? と聞くと
まったく異常なしだった……。
と 返ってきた。

検査の際に撮った写真を持ち帰っていたのでそれを見ると 素人でも キレイ!! と
ビックリするほどの大腸の内部だった。

ポリープもなくて 綺麗ですね 全く異常ありませんね との診断だったらしい。

大腸に異常がなかったことは喜ばしいが では 出ないのは何故⁇ という疑問は
解決していない。

それについて 医師はなんと?
撮った夫に聞いても 特に何も言われなくて また下剤が処方された と言う。

また しばらく様子を観るらしい。

よかったような 原因が分からず仕舞いだったことに不安が残るような……。

とりあえずは 繊維の多い食材を使っての惣菜作りをするしかない。

雰囲気は 若い頃と変わらない夫だが 実際には 次第に体重が増えている。

昨夜も 毎日お風呂あがりに体重計に乗る夫が 自分でも驚いたように
おい また体重が増えているぞ〜
と 洗面所からリビングに居た私に 大きな声で言った。

今 どれくらい?
と聞いて その返事に私がビックリ‼️

ナント私より十キロも多い。
エエッ いつからそんなに増えてるの〜
と聞くと どうやら最近 急速に増えているらしい。

本人は その原因は このところ調子が悪くて いつもなら悩んだことがないのに
腸に原因がある と言う。
どんどん腸の中に溜まっていくから それで体重が増えているのだ と言うのだ。

確かに 外見は変わっていないように見えるが お腹周りだけが いやに太くなる。

年齢的にも仕方のないこと 同年齢の男性も同じようなもので 今までの夫の体型は
若い頃の鍛えようと畑仕事の賜物に他ならない。

と 思ってはみるが やはりお腹周りの張り様と 医師に処方される下剤を服用しても
サッパリ出る気配がないのは 普通だとは考えられない。

事実 ここ数週間なかなか出なくて それで胃腸の専門医に何度も足を運んで
もらう薬を変えてもらったり 夫の気に病みようは気の毒なほどだ。

結婚以来 彼が 出なくて悩むなんてことは 痔の手術の後だけだったから
そんな夫の様子に 内心 私も 腸のどこかがおかしいのでは と ちょっと
心配になっていた。

それで 明日 仕事を休んで 内視鏡検査をしてもらうことになった。
医師も 次々に出す下剤がどうして効かないのか わからないらしい。
内視鏡で観てもらえば 一番 腸の様子が解る とみての検査だろう。

今日はそのために 朝から パンとご飯と豆腐だけの食事だった。
食べてもいい魚もあるが 本人は神経質になっていて 食べない。

そんな夫の前で 私だけ他の食材を食べるわけにもいかず 夕食はご飯と豆腐だけ
の お粗末なものに付き合った。

明朝は 食事なしで医院へ行く。

原因が分かって 処置や きちんと合った投薬をしてもらえたらいい。
まさか おおごとの原因はないだろう と願っている。

先ほど 教育委員会から 私たち夫婦が住んでいる地区の小学校への 孫の体験入学の許可
が降りた と電話があった。

いよいよ孫は 楽しみにしている「ジイジのお家の近くの学校」へ通えることになった。

通学期間は二週間足らずだが それでも 通っている子供達と同じように 通学にあたって
準備する物や心得などあるだろうから それらの詳細については 娘と学校が 直接 連絡
するよう 娘宅へ申請書などの送付の際 一筆加えておいてほしい と 電話の向こうの
教育委員会の職員に伝えておいた。

夫は ランドセルなんかなくてもいいと言っているが 娘は 日本の学校へ通うについては
他の子と同じようにして通わせたいから と ランドセルも準備するようだ。

昨今のランドセルは値段が驚くほど高いが 型落ちの物なら安く買えるらしい。
事前に準備する細々とした品を揃えるには それなりに大変だろう。

この辺りは 朝も帰りも集団登校 集団下校だ。
東京では親が送迎しているから そこからして学校に関する何もかもがインターとは違う。
そんなことから違っている日本の学校やお友達 特に全く習う内容が異なる日本の授業に
孫は 直ぐになれることができるだろうか。

娘は 案外楽観的で お友達を作るのも上手だしキャピキャピしていなし 真面目だから
何とかやるでしょう と言っている。

日本語は日常使っているから話せるし 平仮名と片仮名の読み書きもできるが 問題は
漢字だろう。
一年生が一学期で教わる漢字が幾つあるか知らないが それを短期で覚えるとなると
大変だ。

孫が楽しみにしているルンルン気分が 続く期間になればいいが……。



昨日 夫が突然のように 怪我の後の様子見と 恐らくは掃除も満足にしていないだろうから
掃除をしに 次男のアパートへ行くぞ と 午後も遅くなって言った。

(エエッ〜先週末 自分から言い出して 行くって言っていたのに 勝手に釣りに行くことに
してしまって行かなかったじゃないの?次男も一日中待っていたんだけどって 言ってたよ)

そう思ったが 夫はそれを次男に連絡しろ と言う。

来週は 叔父の法事が予定に入っているから行けない。
すると 夫が言うように 行くなら今日しかない。
それで 昨夜 次男が土曜出勤の仕事から帰る時間を見計らって 連絡した。

次男は 今も頭が重く鈍い痛みがなくなっていないから薬を飲んでいるらしい。
疲れているから寝たい 来る時間があまり早くない方がいい と言うので お昼過ぎに着く
ように行くから と伝えた。

まずは 敷きっぱなしになっている敷き布団のパッドや肌がけ布団の替え そのカバーや
トイレマット バスマット などなどを買いにニトリへ。

薬局でアレルギーの薬や必要だと思われる薬を買い 家にあるもので間に合う物と合わせて
車に積み 掃除道具をあれこれ積み込んで高速に乗る頃には すでに十二時近かった。

次男のアパートまでは 高速を使って二時間はかかる。
何度か行き来しているとはいえ なれない道だから カラッと晴れた日でよかった。

アパートに着くと直ぐに掃除にかかる。
夫は 荷物を降ろす前に室内 特に布団やベッド周りの片付けを 次男と一緒に始めた。
私はトイレの掃除にかかった。

めいめいが てんでに自分がする事をする 形で黙々と片付けと掃除に没頭した結果
それぞれが満足できるまでにした。

そこまでした後 遅めのお昼ご飯を食べに外へ出た。

そしてまたアパートへ戻ると 干しておいた物をはたいてホコリをはらい 買ったり
持ったりして来たパッドや布団に これも新しいカバーをかけ トイレや洗面所の物
も敷いたりして ようやくお終い。

帰る車に乗った時には 時刻はもう五時を回っていた。

弾丸ツアー のような日帰りの次男のアパート行きの日だった。

さすがに疲れたし 腰も痛む。




夕ご飯の時 何か面白い番組でもやっていないかと テレビのチャンネルを変えていると
五木ひろしが戦後から昭和にかけて流行った歌謡曲ばかりを歌う歌謡特集の番組を見つけた。

戦後すぐから活躍した三人の男性歌手が歌った曲を 五木ひろしを中心に何人かの若い歌手が
歌う番組だった。

ご飯を食べながら聴いていると 私が生まれる前に流行った歌が案外多いことに驚いた。

それなのに 曲も歌詞も覚えていてどれも歌えるのはどうしたことか。

想うに それは 母親がよく口ずさんでいたからではないだろうか。

母は歌が好きだった。
声高に 歌が好き とは口にしなかったし お酒も飲めなかったから 宴席で歌うなどということ
も一度もなかった母だったが それでも歌が好きだった。

お勝手に立ちながら 繕い物をしながら 編み物をしながら いつも小さな声で 何かしら
歌っていた。

その姿を見て聞いて育ったから 五木ひろしが歌う曲のどれも 生まれる前の曲であっても
一緒に歌えるのだ。

テレビから流れる歌を聴きながら 俯いて 手を動かしながら 歌を口ずさんでいた母の姿を
今夜 思い出している。

娘が 私たちが住んでいる地域の自分も通った小学校へ 孫が通っているインターが終業
した後 日本の小学校が終業するまでの期間通わせたい という考えから 教育委員会へ
受け入れが可能かどうか聞いてみてくれないか と言ってきた。

それで 夫が教育委員会へ出向き こちらの意向を説明してお願いしてきた。

ところが 日が経っても何も連絡がない。
昨日の午後 しびれを切らした夫は 直に小学校へ出向いて行った。
そして 教頭先生と話し 通学の許可をもらってきた。

しかし 夫が直談談判におよばなかったら この話はまったく進まなかったようだ。
教育委員会へ出向いてこちらからお願いしたにもかかわらず 教育委員会から
学校へは何も話がいっていなかった事が 直に教頭先生と話してわかったからだ。

まったく呆れてしまうほどの事務処理能力のなさだ。
彼らはいったい 市役所の中で日々何をしているのだろう と不思議になってくる。

住んでいる市だから悪く言いたくはないが 悲しいかなこれが現実の市役所だ。

わざわざ教育委員会へ行ったことが何にもなっていなかった腹立たしさを
夫と二人話したのが一昨夜のこと。

そして昨日 また市役所のやり方にがっかりすることがあった。

友人と話していた時のことだ。
彼女はとても頭の切れる人で 地域のためにも昔から継続して活動している。
しかし それを自慢げにもしないし声高には言わない。

そんな彼女が 最近 市役所の福祉関係の会議に召集されて出席したが
その時の市の話の内容に驚き それは少しおかしいのではないか と思った事が
あった と話し出した。

市側は 老人の増加に対して 見守り隊を作りたいのだという。
しかし市が見守ろうとするのは 午前八時から午後五時半までで しかも
何らかの問題が生じて出動するする場合 一件につき二千円を徴収することにする
との説明だったという。
それを 彼女は憤りながら私に話したのだった。

これを聞いて 私も おかしいと思った。
そもそも 老人が救助の手を必要とするのは 日中よりも夜間の時間帯の方が
断然多いことは 誰が考えても分かることだ。
夜 暗い階段を踏み外す お風呂に入っていて倒れる などの問題が発生するのは
絶対に夜間だからだ。
日中であれば 近隣の者や訪問者もあるから 多少時間はかかったとしても何とか
なるだろう。
肝心なのは 夜間の見守りをどうするか ではないか。

それなのに 見守るのは五時半まで だなんて 到底 住民サイドに立って決められた
ことだとは考えられない。
そのことだけでも おかしい と思うのに 一件の出動につき二千円の料金を取るなんて
どこからその発想が生まれたのか知らないが 愚の骨頂 としか言いようがなくて
開いた口が塞がらない。

昔 私は 自分が活動していた事に関係して よく市役所へ出入りした。
特に教育委員会へは しょっちゅう様々なことでお世話になることも多かった。
その頃も 腑に落ちないことが多かったが あれからもう四半世紀も経っているのに
未だに やり方や考え方が変わっていない。

なんとお粗末な考え なんと実情や実態にそぐわない事をしようとしているのだろう。

いつも何事も 市役所ありき で上から目線。
住民サイドに立って物事が決まらない。
逆に ここはキッチリ市の考えとして進めるべき という時なのに そういう時には黙って
しまい 長いものには巻かれろ だ。

自分が住んでいる市なのに この町を心から好きになれないのは こういうところが
あるからだ と改めて気づかされ これがこの町の気質か とも思う。

友人と二人 本当に情けないねえ と嘆き しばし言葉も出なかった。

ブログが前後するが 昨夜 近隣の家々はとうに寝静まり 暑い暑い と何度も目を覚ました
夫も ようやく寝入った夜半 一人湯船につかりボオッとしていると 浴室の外から 突然
ホトトギスの鳴き声が聞こえた。

あの独特の鳴き方だから 間違えようがない
確かに ホトトギスだった。

今年初めて聴くホトトギスの声だった。

向かいの山は削られてなくなり その続きの山も削られ切られして丸裸になってしまっている。
峰も 伸びてくる高速道路をつなぐために平らにならされどこもかもが まっ茶色だ。

だから もう今年は渡って来ないだろう と諦めていた。

それが 突然 それも思いがけない真夜中に鳴いたのだ。

鳥は一般に 鳥目 というくらいだから 日が沈んだ後 暗くなってしまう前にねぐらに帰るか
どこかの枝に集まって 朝日が昇るまで眠るのだとばかり思っていたから 驚いた。
ホトトギスは群れないから 一羽で夜を過ごすのだろうと思うが まさか夜通し起きている
わけではあるまい。

でもその甲高くよく通る鳴き声も二回だけで どこかへ飛んで行ったものか 眠ったものか
それ以後は聞こえてこなかった。

初夏の訪れを告げるホトトギス
その鳴き声が いつまでも頭の中でリフレインして つかの間 重かった気持ちを忘れていた。

月曜日は 叔母の入院騒ぎで夫の帰宅が遅くなってしまい リハビリに行けなかった。

火曜日は大学病院だったし その後 入院した叔母を見舞って日赤へ寄ったり 内科で
薬を処方してもらい 薬局で大学病院での処方薬も一緒に出してもらったりで リハビリ
へは行かなかった。

一昨日は整形外科の診察時間が午前中で終わりだから いつも夫が帰宅後にリハビリへ
連れて行ってくれる私は 水曜日はリハビリには行かずその日は夫と温泉へ行く。

だから リハビリに行くのは今週は昨日が初めてだった。

そんなわけで 昨日久しぶりに整形外科へ行き 名前を呼ばれてリハビリ室へ入って行くと
なんと リハビリ室が模様替えされていた。

以前にも模様替えされたことがあったが 今回の模様替えは ちょっと違った感じがした。

何故そう感じるのか 直ぐにわかった。

マッサージなどの順番を待つために置いてあるソファーの位置が 不自然な気がするのだ。

ソファーは 二列ともが駐車場に面した外向きのはめこみガラスに向かって置いてあった。
その位置に座ると 室内の全てに背を向けて座ることになってしまう。

片側が壁の 廊下状になっている場所であれば 壁に背をくっつけてガラスの方向を向いて
座っても違和感はないかもしれないが 同じ室内で全てに背を向けて座る というのは
何か不自然な気がするのだった。

おまけにソファーのすぐ側にローラーベッドがあって ベッドに横になる患者の身になると
常に横から見られているような気がしてしまうのではないか とも思った。

ソファーを今の位置のままに置くのなら 方向を九十度変えればいいのではないか
そうすれば 違和感なく座って待てるし ローラーにかかる患者にも背を向けることになる
から その向きの方がいいのではないか……。

そう思った私は 長年通っていて遠慮がなくなっていることもあって 感じたことを
スタッフにそのままに伝えた。

しかし 帰宅して よくよく考えたら 患者が口を出すことではない と気づいた。

医院側がすることなのだから 患者は何も言う権利も口出しする権利もない。
変わったな と思っても それをそのまま素直に受け止めて 誘導されるままの位置へ
動けばいいのだ。

あゝ この歳になっても また私の悪い癖が出てしまった。
何にでも口を出す 言わなくてもいいことにまで 関わらなくてもいいことにまで 口出しする
私の最大の欠点を またしてもやってしまった感がある。

こういう「我の強さ「悪い癖」は歳とともになくなってきた と思っていたのに……。

最近 とても嫌なことがあって憂鬱な気分になっていたところへ 昨日のこの様だ。

まったく何をやっているのやら……
いくつになっても 馬鹿な私だ。

昨夜 夫は疲れ切って帰って来たから 夕ご飯の後に再び病院へ行ける状況ではなかった。

それで 今日 いつものように大学病院で診察 痛み止めのトリガーと点滴を済ませ 会計
の後処方箋をフアックスで薬局へ送って 帰りのバスに乗った。

叔母が入院している日赤病院は 路線の一番近い駅で降りてタクシーをつかまえないと
行きにくい。

大学病院を出る前に院内のコンビニで 日頃 叔母が好んで飲んだり食べたりしているもの
をいく種類か買いバスに乗った。
目が見えないだけでもなのに激しい痛みがあるから あまり食欲がなくなっているらしい。
それならなおのこと 好きなものなら 少しでも口にする気が起きるのではないか と思う。

日赤病院は 病棟へのエレベーターのそばに売店がある。
そこで 薬を飲む用に水のペットボトルを何本かと 蓋の部分につけるストロー を買い
レジで代金を支払っていて 今日は暑いから病室内にいても暑さは感じているだろう
普段もアイスが好きな叔母だから 食欲がないならアイスクリームなら食べるかも と
思いついて アイスクリームも買った。

個室に入っている叔母は 今日は体がしんどいらしくだるそうだった。
痛みも相変わらずのようで 看護師に痛み止めの薬をもらって飲んでいた。

入院してよかったのは 一時間おきにさす数種類の目薬の管理を看護師がしてくれる点だ。
本人も 気が楽になった と言っていた。

買って行ったアイスクリームを 喜んで食べた。
一個を全部食べて 自分でもビックリしていた。
乳成分の多いアイスクリームは栄養価も高いから 食欲のない時はいい。
病室に冷蔵庫があるが 冷凍庫はないから 誰かが買って行かない限り病人は食べられない。
今日いろいろ買って行ったものの中で このアイスクリームを一番喜んでくれた。


トリガーをしてもらった後は体が重だるくて 鈍い痛みが強いから 私も椅子を並べて
横になっていた。
そうして 夫が病室へ来るまで話をしたり 眠ったりして過ごした。

叔母は 目を痛めてから四十日にもなる。
この間 一人でよく頑張ってきたと思う。

早く良くならないと 二十七日の叔父の三回忌にかかってしまうから 叔母も内心では
焦っているのが感じられた。

全く どうしてこんなことになってしまったのか。

かといって 悪くなったからには 医師の指示に従って治療するよりないのだから
冗談を交えた会話でもして 叔母を慰め 帰って来た。





今日 午後の2時半ごろだった。

午後の予約で眼科の受診になっていた叔母から 電話があった。

眼の菌が死ぬどころか眼の奥にまで入っている と診断され 点滴で菌を殺さなくては と
入院するよう医師に告げられた と沈んだ声で言うではないか。

悪くなってからずいぶん日にちが経っているにもかかわらず 一時間おきに数種類の目薬を
さすことをずっと続けているにもかかわらず 入院する羽目になってしまった。

気の毒 としか思えない事態だ。

叔母から電話があって直ぐに 夫に連絡し 病院へ駆けつけてもらった。
耳が悪い叔母は 話をしっかり聞いているつもりでも 聞こえていないことが多々ある。
こんな時は 一人だと心細いし 入院用の荷物を持ちに一時帰宅もしなければならない。

実際に今 夫は叔母を連れて叔母宅へ行き 荷物をまとめる手助けをしている。
入院に際して必要なものは と さっき夫から忘れているものがないか 電話があった。

最初 夫に電話して病院へ行ってくれるよう頼んだ後 自身も 病院へ行こうと 慌てて準備
したが 連絡しあっているうちに とりあえず病室へ送り落ち着かせたら一旦帰宅し 改めて
私を乗せて病院へ来るから と夫が言う。

それなら と夕食の準備をして夫が帰って来るのを 今 待っているところだ。

岡崎の妹さんに 入院した事を連絡したものの 妹さんも風邪が治りきらずグズグズしていて
直ぐに病院へは行けないらしい。

やっぱりまた 夫や私が面倒を見なくてはならないだろう。
これも何かの強い縁か とも思う。
なにせ 一番近いところにいるのは 私たち夫婦しかいないのだから。

今夜病院へ行けなくても 明日は大学病院受診の日だから 終わったら日赤へ直行になる。

受診や処置が終わったら 叔母に電話して 何か欲しいものがないか 買ってきてほしいもの
がないか聞かねば。
その上で 日赤へ行くつもりだ。

自分が母親になって もう四十四年にもなる。
こんなに長い年月 母親として過ごしてきたにもかかわらず 私の中の母の日の母親は
ずっと亡母のままだ。

もちろん 子供たちは毎年 それぞれに なにかしらの品にカードや言葉を添えて
贈ってくれる。
それを 心からありがたくも嬉しくも思う。

でも それでも 母の日の私の心は埋まりきらないものがある。

それは 母がもう この世にいないせいだ。

晩年は 一日のほとんどをベッドで過ごした母だったが それでも 母の日には
せめてパジャマではあっても 贈った。

いつも身ぎれいにしていた母だったから 贈る品にパジャマしか思いつかない自分が
情けなかったし それを喜んでくれる母が悲しかった。

それでも 贈れるうちはよかった。

自分が家を離れてからずっと途切れることなく 母の日や誕生日には プレゼントしてきた。
母は どんな物にも喜び その品を大切にし身につけてくれた。

そのプレゼントができなくなってからも もう長い年月が経ったが 未だに 母が亡くなって
この世にいないことになれない自分がいる。

いい歳をして と笑われそうだが 年月が経てば経つほど 私の母への慕情は深まっている。

夢の中でもいい 会いたい と思うが 亡くなって以来 一度として あのエクボを浮かべた
優しい笑顔に会ったためしがない。

明日はまた母の日。
長男家族が揃って我が家へやってくるだろう プレゼントとケーキを持って。
娘からは 先日すでに癒しのグッズを贈られている。

でも それでもなお 私の心の何処かは 欠けたままある。

京都から私が住んでいる市に近い市へと ナンジャモンジャの花を観るツアーがあって そ知り合いがそれに参加していらっしゃった と 友人がブログにあげていた。

そうなのだ。
今が どこのナンジャモンジャの木も 真っ白な花が満開に咲き 木がまるごと白色に
包まれる時期なのだ。

私が長年通っている大学病院の周辺も ナンジャモンジャが並木になっていて この時期
道の両側に ナンジャモンジャが真っ白になって咲く。 盛り上がるように咲く白い花のせいで 木がいつもより大きく柔らかく膨らんでいる。

それが並木になって連なっている景観は見事で それを眺めるのがこの時期の私の
病院通いの楽しみなのだ。

白い花をつける木は 人と同じで 一本だけ立っていると 静謐で清楚だが清々しさや清潔さが
かえってその木を雄々しく凛と見せる。

これが他の色の花をつける木だと 印象が違ってくる。
ピンクの花だと可愛らしさや若さが感じられるし 紫の花だと妖艶さが感じられる。

一本でもなのに 真っ白になった木がたくさん集まっている様は まるで一つの目的に向かって
進む人の群れのようで けがれのない気高ささえ感じてしまう。


清楚さ 静謐さ 一本筋の通った強さを感じるのは 白色の花をつける木にだけ と思うのは
私だけの感覚だろうか。

このところの 痛い痛い にばかり気を取られていて 今がナンジャモンジャの花が満開の時期
だということを 忘れていた。

来週の火曜日は また大学病院へ行く。
その時まで あの真っ白な花は 私を待っていてくれるだろうか……。

東京の娘の長女は 日本でいうなら一年生。

東京にあるイギリスの学校へ通っている。

インターナショナルスクールだから 学校での言語はイギリス英語だし カリキュラムも
学習の進め方も学ぶ内容も 日本のそれとはまったく異なる。
当然 日本に関することは学ばないし日本語の読み書きも日常的ではない。

しかし 娘夫婦は 英語と同じように日本語も学ばせたいし 日本の子供達が学んでいる
ことも できるなら学ばせたい。

それで 各学期が日本の学校より早く終了するから インターが終業してから日本の学校
が終業するまでの二、三週間 日本の学校へ通わせたい と考えている。

住んでいる渋谷区は 一月の間きっちり通学できることが条件だというから 通えない。
そこで 祖父祖母が住んでいる土地の 自分が通った小学校で受け入れてもらえないか
聞いてみてくれないか と 昨日 娘から夫に電話があった。

夫は 今日明日にでも教育委員会へ出向いて 事情を話し 受け入れが可能かどうか
聞いてくるだろう。

娘夫婦が考えているように スンナリ事が運べばいいが 一度の通学期間がなにせ短い
から 難しいようにも思える。

とにかく 夫が教育委員会を訪ねてからでないと 事の次第はわからない。

昨日は一日中腰痛が酷くて 動くのもやっとの有様だった。

連休中の返しも勿論あったが 大きな原因は気圧の急激な低下。
一昨日あたりからその兆しはあった。
天気予報でも六日の午後遅くには降り出す しかも激しい と注意の言葉を添えていた。

だから 娘たちが帰る前から もう痛み出していた。
それを察した娘は 四人が使った寝具や衣類バスタオルなど どっさりの洗濯をして帰った。

そのおかげで大仕事がなかったから 昨日はゆっくり休むことができて ありがたかった。
でも 自分で こんな時こそ温熱療法を とやってはみたが一向に痛みは和らがない。
ここまで痛いと もうどうしようもない。

夫が帰宅する時間を見計らってお風呂に入り その後 整形外科へ。
さすがに昨日は 連休明けとあって 医院の中は診察待ちリハビリ待ちの人で溢れていたが
こんな症状の時は リハビリだけでなく痛み止めの注射をしてもらいたいから 受け付けで
そのようにお願いして 他の患者と一緒に 診察の順番を待った。

リハビリと注射を終え月一回の薬を薬局で受け取ると なんと時計はもう八時を回っていた。
こんなに時間がかかったのは初めてのことで ビックリ。

しかしおかげで今朝 園児たちの遠足に付き添って出掛ける夫の お弁当作りができた。
昨夜は 保存してあった今年最後の筍を炊き込みご飯にする準備もできたし 今朝も早く
ベッドから起きられて おかずも数種類作り 夫を送り出せた。

耐えられない痛みでなかったら なんとか動ける。
今までもずっとそうして動いてきた。

医師や看護師には 無理はするな と言われるが 無理をせずには動けない。
気をつけているのは 荷物を持たないこと 重いものを持たない下げない ことだ。
これを破ったら いっぺんに腰椎にくる。
だから それだけは絶対にしない と決めている。
それ以外の 家事や日常のことは 痛くても自分でその痛みを無視して動く術が
長年のうちに身についた。

それにしても 昨日の痛みには マイッタ。
まあ こんな時もあるさ と その時をやり過ごすより仕方がないのだが……。

娘家族が 四時過ぎの新幹線の 指定席が四人分取れたひかりで帰って行った。

朝の五時過ぎから のぞみの予約をしようとしたが 指定席はまったく取れなくて
このひかりだけ ようやく取れた。

娘家族の 二泊三日の短い滞在のうち その中心は家族一同でのバーベキューだった。

婿が手配してくれていた地ビール二タンクを飲みながらのバーベキューは 毎年恒例の
我が家の行事になっている。

当日の昨日は天気も良く ベランダにテーブルや人数分の椅子を並べて 賑やかに楽しく
誰もが笑い合い語り合って 夜まで過ごした。

今年は 頭を怪我している次男が 脂っこいお肉やアルコールがダメだったから
ちょっとかわいそうだったが それでも兄や姉たちと一緒に話し笑い 幼い姪たちとも
気長に遊びに付き合って 楽しそうに過ごしていた。
連休の最終日は 自分のアパートにいたい と言って 夜 義姉に駅まで送ってもらい
電車で帰って行った。

頭が重い症状が続いていたから 来週の土日のどこかで 夫と様子を見がてら
次男のアパートへいくつもりでいる。

次男が飲み食いできなかった分 長男宅の孫が 育ち盛りとあって 食べること食べること
驚くほどの食欲を発揮していた。

こうして毎年恒例にしていると 子供やその連れ合いもだが 孫たちが一年一年成長して
行く様子が よくわかる。

いつの間にか 最年長の孫は大学受験の年を迎え 最年少の孫も 九月からは 日本だと
幼稚園に当たるナーサリーに入る。

子も孫も 少しずつ生きる環境を変えながら 健康で誠実に生きていることが嬉しい。

和やかな家族の輪も 一ヶ所でも小さな綻びができると 瞬く間に崩れてしまうことを
私は知っている。

だからこそ こうしてまた今年も連休に家族一同が集い 恒例の行事ができたことが
嬉しい。
そして 無事に迎えただけでなく みんなが仲良く幸せな気分で過ごせるのが何よりだ。

この幸せがどうか長く続きますように と願いたい。




明日から 東京の娘家族がやって来る。

明後日は 長男家族も来て 家族総勢十一人でのバーベキューだ。

今日 婿が バーベキューに飲む生ビールのタンク二つを 早々と送ってきた。
東京近辺の知り合いが営む小さな工場で醸造された地ビールを こうして送って
来るのも毎年のことだ。

バーベキューの材料は 当日調達するとして 今日は午後 夕食の材料と 明日の
材料を買いに出かけた。

娘たちが来ると 特に婿は いわゆる和食候のものは 食べるが箸は進まないから
献立悩む。

明日の夕食は 鶏肉の唐揚げとパエリア に決めた。
そのための材料を 買い忘れのないようカートに入れながら スーパーの中を歩く。
大人は終始アルコールでも 四人の孫たちは果物やお菓子も食べたくなるし
ジュースやお茶も必要だ。

それに夜 多分婿が持って来るワインを飲むだろうから お供のチーズやクラッカー
生ハムがそれぞれ数種類必要だが それらは一昨日 大学病院の帰りに駅のスーパー
に寄って買って来てある。
このスーパーはチーズの種類や生ハムの種類が多く置いてある。
一緒に 孫たち用の飲み物やピタパン 二人が好きな硬蒸しパンなども買って来た。

今日の買い物で 娘家族が滞在中のバーベキュー以外に必要な食材は ほとんど準備した。

あとは明日 夫が娘たちを迎えに行った帰りに 彼らが好むパンを売っているパン屋さんで
数種類のパンを買うようにすればいい。
そうすれば サンドイッチも作れるから 野菜サラダやベーコン ハム ソーセージと一緒に
朝食にできる。

買い物から帰った後 私は買って来たものの仕分けと片付け 夫は いつも自分が着替えを
している二階の部屋の片付けをした。

娘たちが来る度に 大変なんだぞ と私に愚痴るが 私としては 普段広げすぎているから
(私が二階へ行けないのをいいことに) 誰のせいでもなく 夫が自分でやっていることを
自分で片付けるだけのことなのだ。
片付けるのが面倒なら 広げなければいいだけのこと と 私は心で思う。

次男は 未だに頭がひどく重痛いらしく 夜眠れない と言っている。
痛み止めも処方されているし かわいそうだが こればかりは親でもなんともし難い。

この症状が次第に治まればいいが ジワジワとした毛細血管からの出血で血腫ができて
いての痛みだと また別の心配が起こってくる。

ともあれ 我が家の連休後半が始まった。



今朝早く夫は 昨夜次男が救急搬送された病院で出された紹介状を持って 次男を乗せて
次男のアパートがある隣県の市民病院へ向かった。

結局 昨夜 次男は後頭部を7、8針縫う怪我を負い ふらつきや頭痛 嘔吐があるものの
検査の結果に異常がない ということで 夫が我が家へ連れ帰って来た。

さすがに 顔面も耳まで腫れて 嘔吐も治らず頭が重い痛い状態だったから 氷枕をして
処方された痛み止めを飲ませて寝させた。

私は容態が変わらないかと心配で眠れなかったが 朝 起こすと辛そうではあったものの
なんとか起きて 夫の車に乗って病院へ行った。

我が家から息子が住む市までは 高速を使って二時間かかる。

診察の結果 今は異常がないようだが 日にちが経って頭痛が出て来る場合もあるから
気をつけるようにと言われて抜糸の日の予約をし アパートに寄って数日分の荷物をまとめ
また夫の車で帰宅した。

怪我をしたことは事実だが これくらいで済んで良かった と思わねばならないだろう。
また 幸いなことに息子の勤務先は今日明日も休みなので 今日から連休明けまでは
家で面倒をみられる。

ご苦労様だったのは 昨夜 駅までの送迎をしてくれた長男と嫁 それに夫だ。
夫は本来なら今日は勤務日だったのを 休んでの病院行きの運転と付き添いだった。

まだ頭が重い とは言っているが 痛みは治まっている様子だから このまま傷が順調に
治って痛みさえ戻ってこなければ と願うばかりだ。