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友人に 若い頃から市民生協に深く関わってきた人があって 彼女は退職してからも 何かと
関係が続いている。

去年 その彼女からの誘いで 住んでいる地域の生協が初めて催す 子供向けの平和を考える
イベントに関わった。
本の読み聞かせコーナーを 偶然 別のルートから関わった嫁と孫 嫁の友人と一緒に担当。
嫁たちはステージに立って読み聞かせるなどして 大いにお手伝いした。

その後 暮れに 友人らが街頭に立ってユネスコの募金を募った際に 募金をしてくださった
人たちに 感謝の意味であげる物にしたいから と言われ 自身の判断で折り紙で作った封筒に
折り鶴とメッセージを書いたカードを入れたものを作り 渡した。

それがとても好評だったらしく 今夏の子ども平和ひろばで使いたい と言われて また
暮れと同じように 折り鶴とカードを封筒に入れた物を 今 作っている。

平和行進に用いる折り鶴は 千代紙や白黒 金銀 両面のものなどはダメ と制限があるが
催しに来てくれた子に渡すのだから 制限がない。

だから 封を開けた時 メッセージと一緒に特別な折り鶴が入っていたら喜ぶか と思い
今回は 金銀も両面も使い 「出てきたら当たり‼︎」みたいな形にした。

もう一つ それこそ スペシャルなプレゼント として 春からクローバーを見かける度に
心がけて探し集めてきた 四つ葉のクローバーを カードの裏側に貼り付けた。

カードに書いたメッセージも 金銀の折り鶴も四つ葉も すべて私が独善でやっている事
で それを子供たちに気に入ってもらえるかどうかは 分からない。

でも 鶴を折りながら メッセージを書きながら 今 自身がしている事が 砂つぶ程度でも
平和に役立つのなら 子供たちが平和について考える機会の一助になるのなら と願って
やっている。



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孫たちが帰って行き ジャムを作り キュウリノキュウチャン作り をして する事が
一段落した。

友人にそれらを渡したくて ひさしぶりに連絡すると それでは今日の午後 と快い返事を
くれて 暑さ真っ盛りの一時に 迎えに来てくれた。

市内の喫茶店に落ち着き 先月の神経根ブロックの前に会って以来の互いのことに 夢中に
なって 話をした。

彼女は 隣の市に住んでみえる高齢のご両親宅へ ご機嫌伺いやら病院通いやらに 週に
一二度は通っている。

仕方がないから と 彼女は言うが そうは思っていても 誰もができることではない。
いつも感心させられる。

そんな彼女が 先週 熱中症になってしまっていた。

食料品の買い物など 普段と変わらない動きだったのに だ。

そんな事だったとは知らないで 呼び出してしまい 悪いことをした。

私も 何年か前に 屋内に居たのに症状が出て病院にかかったら 熱中症 と言われた
ことがあるが 体がだるいやら頭が鈍く痛くなるやら気持ちが悪くなるやら なんとも
気持ちがすっきりしない状態になる。
その後何日かは 屋内の涼しい場所で横になって過ごす という経験をした。

だから いくら良くなったから と言っても 知らなかったとはいえ 申し訳なかった。

でも 彼女との会話は いつも本当に楽しい。

気負わずありのままの気持ちでの受け答えが ストレスがなくて心地いいからだろう。

今日 彼女は 屈筋を整える というアームカバーを持って来てくれた。
フレクサーアーム という商標名の 紫外線もカットする優れものだ。
以前に 同じ理論から作られた靴下も頂いている。

靴下は 長時間履いていると 締めつけ感が強いから 一日中どころか数時間しか
履いてはいけない と言われたが このアームカバーは 家の中で一日つけていても
いいらしい。
つけることによって屈筋が整い それがあちこちの手当てのように派生していくように
作られているらしい。

喫茶店で箱から出してつけてみると ピッタリしているが あまり締め付け感がない。
屋内でも屋外でも どんな時にもつけていられるし 自分の気分で外せばいいらしい。
これで腕の屈筋が鍛えられるのだから ありがたいものを頂いた。

こちらは いつも自分で作った出来損ないのような物しか差し上げていないのに
彼女からは こうして いつも私の体を考えての品物を頂く。
ありがたいことだ。



昨日 朝早くに 娘からラインで 空港のラウンジで飲食しながらくつろいでいる家族の写真
と共に これから日本を離れる連絡が入った。

予定通り 彼らは旅立ったようだ。

最初ロンドンで何泊かして 婿がスーツをオーダーしたり買い物したり 用事を済ませてから
イタリアへ向かうのが いつものパターンだから 今回も ロンドンのホテルに着いてから
無事着いている と連絡があった。

いくらビジネス席だからとはいえ 他の乗客もいる中で あの絶えずおしゃべりな三歳児を
十二時間ものフライトの間 静かにさせておくのは大変だろう と思っていたが 上の子も
そうだったが 案外大人しく過ごして 逆に乗務員やお客に驚かれるそうだ。
ビジネスクラスのゆったりとした座席や 室内の雰囲気が そうさせるのだろう。
混み混みの あの狭いエコノミー席では そうはいかない。

それになにより 赤ちゃんの頃からずっと 年に二回はイギリスへ行っているから 乗り馴れて
ことが大きい。

ともあれ どんなことが起こるかわからない昨今だから 無事にロンドンに着いた様子に
安堵した。

日本と違って 一つ家族が同じ部屋で寝起きする習慣がないから 下の子が生まれてからは
ツインの部屋に滞在するようになったらしいが 同じホテルを何度も利用するお客への
ホテル側のサービスと配慮で 二方にベランダがついているツインの角部屋に 今回も
落ち着いたようだ。

体験入学で我が家にいた時 上の子が 何気なく
お部屋を出るとね いっぱい飲み物やケーキやクッキーがあってね いつでも好きな時に
食べていいのよ……。
と 引っ越しが済んだらまた今年も イギリスやイタリアで過ごす話になった時に言っていた。
そんなホテルに いつも滞在するということことだ。

いつもならふんだんには食べさせてもらえないお菓子を 旅先のホテルならではで 自由に
手に取れることもあって 日本にいる時よりは 多少ママの目がゆるむらしい。
孫には それが嬉しいとみえる。

物心つく前から いわゆる一般の庶民より豊かな生活をしている孫たちは いつ 自分たちが
恵まれた境遇にいることを知るようになるのだろうか。

幸い通っている学校では 一年生から 世界には特にアフリカには 飢えて満足に食べられない
子供たちがたくさんいる と学ぶ機会があるらしく 下の孫がパンに穴を開けて遊んでいるのを
見て私が叱っていると 上の孫が そのことにフッと会話の中で触れたから 観念的には 多少は
理解しているらしい。

娘は この事について 大きくなっていく過程で 知らず知らずに恵まれた環境にあることを
理解していくでしょう 独り立ちすればなおさら いかに幸せな家庭で育ったのか 思い知る
んじゃないかしらね 感謝とともに……と言っている。




私の背中には 両方の肩甲骨の上あたりに 大きな傷痕がある。

若い頃 結婚式の寸前にあった二度の交通事故で受けた傷が 式後 入院しても治りきらず
人にすすめられるまま 整体やら針やらに通った。

そのうち 剣山のような針の束を患部に刺し そこから鬱血している悪い血を出す という
治療を受けた。

たまたま運が悪かったのか 針を刺した部分が 傷になって残ってしまった。
それが 今も悩まされている肩甲骨の上の傷痕だ。

後から分かった事だが その施術師はモグリだった。だから 前の人に使った針を よく
消毒もしないで私に使ったので 菌が入ってしまったのではないかと思う。

結婚で体質が変わったらしく ケロイド体質になってしまっていたので その傷が
治るどころか 次第に盛り上がったようになって 広がってしまった。

それが いまだに残っていて 痒みを伴って疼くのだから 厄介だ。
いったん痒くなると 止めどなく狂ったように痒いから たまらない。

これが結婚前の娘だったなら とてもお嫁にいけない と思うほどの傷痕だから
今では 温泉に入ったりして人前で裸になっても平気になったが 若い頃は気が引けた。

その傷痕は まるで生き物のように 時々で形や広がりが変わる。
少し体重が減ると 盛り上がりが小さくなり 増えると たちまち痒みが強くなり
ブツブツとよけいに盛り上がって広がってしまう。

わずかな体重の増減に反応して 小さくなり大きくなりを長年繰り返しているうちに
今では かなり広がってしまって 肩の下あたりに散らばったようになっている。

結婚と同じくしてできたこの傷痕だから 付き合いも もう四十六年になるのに
今も まだ悩まされ続けている というわけだ。

こうなってしまうと この傷痕には 死ぬまで付き合うよりないだろう。

腰や足の神経もしかり。

どうしてこんなことになってしまったのか……何か悪いことをした結果なら
甘んじて受け入れるが 傷痕にしても神経にしても 私が受けとめて生きざるを得ない
よう 天が配剤したとしか考えられない。

孫たちを名古屋の新幹線ホームで見送った後 桃の処理も気にかかったが 前日と前々日にかけ
家で成った大きいキュウリと よそからいただいた大きいキュウリで キュウリのキュウチャン
漬を作ったので それを待ちかねている叔母の所へ持って行くために 叔母宅へ寄った。

毎年の夏ならば 取れ過ぎて困るほど成るキュウリが 今年の夏のこの酷暑で どのお宅の畑も
水不足のために ツルや葉が枯れ枯れになってしまい あまり成らないから いただくものも
あまりない。

でも 叔母だけでなく このキュウリのキュウチャンを待っていてくださる方が何人かあって
何とか一回は作りたい と 少しずつ成ったりいただいたりするものを 冷蔵庫で保存してきた。

そうして集めたキュウリが ある程度の本数になったのが 孫たちが帰る前の日だった。

日中は 忙しくて作れないから 孫たちが寝た後 作業を始めて 翌日ようやく出来上がった。

叔母がお世話になっている隣家の奥さんが これまでいくつかのレシピで作ってみたが
叔母に去年あげたのをつまみ食いしたところ 私が作ったものが一番美味しく口に合うから
レシピがほしい と 言われていたので そのコピーをお届けする という用もあった。

叔母宅から帰ったら直ぐにジャム作りの続きが待っていた。
一つずつ切り刻んだ結果集めた桃を火にかけ 煮詰めていった。

そんなこんなで 孫たちがいなくなった感傷にひたる間もなく 忙しかった。

そんな訳で ついつい ここ二、三日ブログをあげていなかったのです。
ご心配くださった皆様 ありがとうございました。

夫がつけている五年日記によると 去年の桃は 二十日の収穫では 少し早かった。

今年は 孫たちがいて 朝夕も土日も 畑へ行くどころではなかった。
一度 連休中に 草刈りには行って 一つ二つ試しにとってみたが 成りが悪かった。
そして 夫の頭には 去年の記載があった。

それでも 孫たちが帰る土曜日の早朝 いくつかでも収穫できたら と 夫は畑へ出かけた。

娘たち家族は 今夏も例年のようにイギリスやイタリアへ出かけ 一月は日本へ帰って来ない。
だから毎年 家族が日本にいるうちに 彼らに食べさせる分だけでも と収穫して送っている。
今年も 二十六日には日本を離れる という家族に 食べさせたかったのだろう。

私の生家がある町は桃や梨の生産地で 生産農家には親戚や知り合いが多く 我が家の
子供たちは 幼い頃から 完熟の美味しい桃を ふんだんにいただいて 夏を過ごした。

それがあってか 三人の子の中でも娘は特に 何より桃が好きで 桃さえあれば何もいらない
と 放言するほどの桃好きだ。
だから夫はよけいに 彼らが帰国する頃には収穫が終わっている桃を 日本にいるうちに
食べさせたいという気持ちが 娘可愛さの親バカで強いのだ。

ところが土曜日 畑から戻った夫が 玄関の戸をガラッと開けた後 しばらくして
オイ!!ちょっと来て見よ‼︎
と 大きな声で私を呼ぶ。

午後には孫たちを名古屋まで連れて行かなくてはならなくて テンテコ舞いしていた私は
何なの⁉︎もう〜! と思いながら出て行くと 桃の収穫に使うコンテナが 玄関に山のよう
に積まれている。

一瞬 エッ⁈ もうこんなに成っていたの⁈ と思ったら 夫が
コレ ぜぇ〜〜んぶ ダメな桃!!これで我が家の今年の桃は オシマイ!!

エエ〜ッ ‼︎ まさかのまさかだ‼︎

これでも まったく食べられないものは畑に捨ててきたんだ 山ほど……
積んだコンテナを眺めながら 悔しそうに夫が言った。

この前例のない酷暑で 虫の被害がないかわり 種の際から まるで煮え立ったように
茶色くなってしまったらしい。
そうでなかったら どうしてこんなになってしまったのか……。

私が見ては 中の様子が分からないが いくつか切ってみると なるほど どれも茶色い。
それも 種ぎわから外へと 腐ったようになっている。かといって せっかく自分が
丹精込めて育てた桃だから 食べられる部分を少しでも切り取って ジュースかジャム
にでもできれば と 夫は 気を取り直して 持ち帰って来たらしかった。

見かけは姿形はいいし色もほどよくて どこも悪いところがない桃なのに……仕方がない
食べられる部分だけを 加工するしかない。

全てを捨てるに忍びなくて 持ち帰っては来たものの 気持ちの持って行きどころが
ない というのが 夫の心中だろう。

でも 夫が汗水流して育てた桃だ。
ここは 夫の気持ちが少しでも安らぐように 面倒でも 一つ一つに包丁を入れて
食べられる部分を切り取って集め ジャムにでもしよう……。

そう思って取りかかったはいいが なにせ数が数だから なかなかハカがいかない。
コンキ コンキ‼︎ やるしかない‼︎

ところが なにせ数が多いだけでなく 切っても切っても 一個から残る食べられる部分が
わずかしかない。作業する途中で疲れてしまい 一休みしているところに電話があったり
して 一休みが二休みに と長くなった。

そのあと さて また切り取る作業に戻ろう と 台所へ行くと さっきまであった桃が
ほとんどなくなっている。
? と思っていると 夫が 捨てたぞ!もういい!骨折り損なだけだ!
良さそうな部分がありそうなのだけ残しておいたから それだけやってくれればいい!

助かった と思いながら 私の気持ちも複雑だったが とにかく残りを処理して
ジャム作りにとりかかった。

夫を励ますためにも
ほら でも ジャムにするには多いほど こんなにたくさんになったよ
と 出来るだけ明るく
それに ちょっと食べてみたけど すごく甘いから いいジャムになるわよ
と 言い添えながら 火にかけ 煮詰めた。

なんにも手伝えない私だって こんな言葉で夫の気持ちが晴れるとは 思っていない。

桃の木の下草刈りにだって 何度出かけて行ったことか………
冬は冬で枝打ちし 肥料を運んで元肥えをやり 一個ずつに袋をかけ 消毒だって
濃度に気を遣いながら 重い機械でし……

それらのすべてを一人でやって やっと成らせた桃なのに……。

その労苦が 見事に裏切られてしまったのだ。

悲しくて虚しいが これで 我が家の桃は すべて完了……
あっけなく終わってしまった……。

昨日午後 孫たちを連れて 名古屋駅の新幹線の待合室まで行き 東京から来る娘と待ち合わせ
孫たちを渡した。

待ち合わせの時間は四時だったが 夫が 駅までの途中で用事があったから 家を出たのは
お昼過ぎの 一番暑い盛りだった。

上の子は 学用品と学校や通学班のお友だちにいただいたプレゼントやぬいぐるみが入った
ランドセルと プール用具を入れたバッグに水筒 それに帽子。
下の孫は ぬいぐるみとプール用具が入っているバッグを入れたリュックに水筒 そして帽子。

それらの持ち物と二人を乗せて 家を出た。

ここ何日かの通学登園で使った物や二人の衣類 下の子が幼稚園で頂いた品などは まとめたら
大荷物になったから 宅急便で娘家族の新居へ送るよう 駅へ行く途中にある営業所で預けた。
それら以外の物は 娘が帰る際に すでに持ち帰っている。

暑い盛りとあって 車が走る界隈には 人影がまったくない。
人だけでなく 犬や猫の姿すら見当たらない。

最初にそのことに気づいたのは 上の孫だった。
誰もいないねえ〜静かだねえ〜

照りつける熱射で 屋根の瓦も道路もが 白茶けて揺れて見える。

お外へ出ると 死んじゃうから みんなお家の中にいるの?

先日亡くなった一年生の事を 孫は 学校で先生から聞かされていた。
ボンヤリしているようでも ちゃんと先生の話は聞いていたらしい。

水筒いっぱいに 冷たいお茶は詰めたが 名古屋に着くまでになくなっては困るから
途中 コンビニで四人分のお茶を買って 孫二人にも与えた。

すると もともと水分をたくさん摂る下の子は あっという間に空にしてしまった。
いくらなんでも と思っていると 案の定 オシッコォ〜〜!

付近にトイレが見当たらない!仕方がない 緊急事態だ!
急きょ道路端に車を停め その影で……
ひとまず 事なきを得た。

ところが 最寄りの駅で乗り込んだ電車が名古屋に着く寸前 アナウンスが車中に流れ 二人に
ランドセルやリュックを背負わせて 降りる準備をしていると またもや オシッコォ〜 !

電車のドアが開くと同時に 夫は孫を連れてホームへと飛び出して行った。
私は上の子と手を繋ぎ 下の子のリュックや水筒を 杖を持った方の手に掛けて 降りる人たちに
続いて降りた。

その時には もう 二人の後ろ姿は見えなくなっていたが 行く先は同じで分かっているから
そのまま新幹線のりばへ行き 入るための入場券を購入。

上の子としばらく改札付近で待っていると くたびれ果てた様子の夫の前を 私たちを
見つけた孫が 走り寄ってきた。

大汗をかいてシャツの背をベタベタにしながら 必死でハンカチを使う夫が言うには
ナント!ナント⁉︎
トイレを探しに 連絡通路へ下りるまでに とうてい間に合わず 恥も外聞もかまわずに
大勢の人が下りていく階段のホーム側で 低い壁に隠れるようにして させた のだそうだ。

(そんな二人の 迷惑条例や陳列罪に引っかかるような アラレもない不謹慎な姿を 思わず
目にされたご利用のお客様 そして駅員の皆様 本当にごめんなさい さぞかし ひんしゅく
を買った事でしょう)

まったくもう 三歳児は 何事も待ったなしだ。

そんなこんなの オシッコォ〜 の騒動がありつつも 東京から来た母親と無事に待ち合わせ
その二十分後には トンボ帰りする母親と共に 新幹線に乗って帰って行った。

途中二度の騒動と暑さと汗で 夫も私もぐったりだったが 二人の孫は スッキリした顔で
久しぶりに母親に会えた嬉しさを身体中にみなぎらせ 車中から ちぎれるほどの勢いで
手を振りながら 「 ま た く る か ら ね 」と 窓の向こうから言って
発車とともに 消えて行った。

今日の午後も遅くに 夫と 孫二人を連れて名古屋へ。

上の子には 学校関係のプリントや筆記用具 お友達からのお別れプレゼントなどが入った
ランドセルを背負わせ 水筒を掛け 手には プール用具と大切なぬいぐるみを入れたバッグ
を持たせた。

下の子は プール用具とぬいぐるみが入ったリュックを背負い水筒を掛けて 家を出た。

車を駅の駐車場へ止め 名古屋まで各駅停車の電車に乗った。
混み合う快速や新快速では なかなか空席がなくて孫たちが座れないが 各駅停車で おまけに
始発だから 楽に四人で座れる。

名古屋駅に着くと 新幹線の乗り場へ。
切符を見せ入場券を買って ゲートを通り 待合室へ。

東京から来る娘と 新幹線の待合室で待ち合わせ 娘は 孫二人を受け取って そのまま また
東京へと トンボ帰りして行くことになっていた。

何日ぶりかでママの顔を見た二人の孫の 喜ぶ様といったらなかった。
やっぱりママが一番だ。

東京行きのホームで三人を見送り 夫と私は 我が家へと帰ってきた。

家の中は 孫たちが遊んだおもちゃやら プリンセスになって引きずったり被ったりして遊んだ
タオルやらタオルケットやらが 部屋のあちこちに……。

家中に 二人の孫たちの残像がうごめいているような気が……。
かくれんぼしていて ポッとどこかから 可愛い声で笑いながら出て来るような そんな気がする。
頭の中にも 二人の声がこだましている。

小さな体なのに 幼な子が持つエネルギーは凄い。

東京へ戻った孫たちが帰った先は 出てきた代々木のマンションではなく
七里ヶ浜へのアクセスがいい と引っ越した下北沢の家だ。

孫たちがこちらにいるうちに引っ越しが済んでいるが おそらく まだダンボール箱が
家の中のあちこちに積まれていることだろう。

下の孫は 自分用に設えられた部屋と 新しく購入された自分のベッドを目にして
大きな声を上げて 喜んだに違いない。

今度の家は 九月から 日本でいう幼稚園へ入る下の孫と 二年生になる上の孫の
ために 部屋を別々に設える と娘が言っていた。

そうして 荷物の整理や納めもそこそこに またこの夏も一月 四人は イギリスと
イタリアへ出かけて行く。

一月経って帰って来れば 七里ヶ浜の家の建築も かなり進んでいるだろう。

そして 孫たち二人は 毎朝 お弁当を持って 学校へ通う。

バアバとしては 一夏を 父親方の縁者と親交を深め 海岸や牧場で楽しく過ごし
元気に日本へ戻ってきてほしい と願っている。


先ほど 夫が 二人の孫を連れて二階へ行った。

その前に ママとダディとビデオ電話をして 顔を見 今日のことをそれぞれが話した。

その前に 上の子が ママと話したいと言っているから 今夜 なにもかも歯磨きまでを
済ませたら パッドから連絡するからね と 娘に伝えると 娘は 顔を見たり声を聞いたり
すると 実際に会いたくなっちゃうんじゃないかしら と チョッと心配げだったが
案ずるよりなんとかで 二人とも 機嫌よく話して 機嫌よくバイバイした。

八時にはベッドに入る習慣だから 夕食の準備からして 夫と二人の時より 二時間ぐらいは
早く取りかかる。

幸いにもこの天気だから 洗濯物は太陽がまだ中天にある頃には 取り込めるから 夕飯の
準備の前に プールで水浴びさせる用意も 取り込んだ後にしておける。

早め早めに 家事の何もかもが順に進まないと なかなか八時には寝させられない。

昔々 三人の子育て真っ最中の頃はこんなだったなあ と 思い出しながら 慌ただしく
あっという間に一日が過ぎた。

明日は 学校も幼稚園も 最終日の終業式だ。

下の子は みんながお帰りした後も 夫の帰宅時間まで 園に居させてもらって 夫と
一緒に帰って来る予定だ。

上の子は 学校から借りた教科書類を返却しなくてはならないが 明日も朝から暑い
ようだから 重いランドセルに全部の教科書を入れては 登校するまでにくたびれて
しまうだろう。
だから お借りした物は 登校時に付き添って 私が 校門の外まで持って行ってあげよう
と 思っている。

したがって 明日のランドセルの中は 宿題のノートと それを記録した用紙くらいで
軽い。

孫は クラスのみんなに お世話になったお礼とさようならを 上手く言えればいいが……。

夕方 娘は 一人で東京へ帰って行った。

昨夜から今日 今夜から二十一日までの自分がいない間の 学校と幼稚園へ通うために
必要な物や パジャマや着て行く洋服などを それぞれ日にちを書いた紙をテープで止めて
居間の隣の和室に並べて 世話する私が困らないようにして行った。

明日明後日にさせる宿題についても 細かく書いて メモをとめるボードに ピンでとめて
日にち毎に分かるようにしてある。

そして自分は 幼稚園と学校へ 最終日に居られない旨を伝えながら お礼に伺った。

そんなこんなで 娘は 昨夜から大忙し。

それだけ準備してくれて帰っても いざ明日の準備をする となると なんだかんだと
私には分からないことが出てきて 新幹線の車中とは分かっていてもメールや電話を
せざるを得なかった。

助かったのは 二人ともが ママママ と 後追いしなかったことだ。

下の子は 昨夜 娘が言って聞かせると いっしよにかえるウ〜 と言っていたらしいが
夕方 娘が 借りていたレンタカーに乗り込む時には 上の子と一緒に並んで 手を振って
いってらっしゃ〜い と 大きな声で送り出していた。

一人だったら 恐らく こうはうまくいかなかったのだろうが 上の子が落ち着いた態度で
いるから 不安に感じながらも 泣かずに見送れたのだろう。

二人を置いて行く娘も 後ろ髪を引かれず 安心して帰って行けただろう と思う。

問題は 明日 幼稚園から帰ってからだ。

ママがいないから 愚図ったり泣いたりするだろう と思う。
その時 さみしくても我慢する上の子の姿や態度が見られれば 多少は落ち着くかも
しれない。

寝させる時は 私だと甘えて なかなか寝入らないから 今夜は 夫が一緒に二階へ上がり
二人の間に入って横になり 本を一冊読んであげてから 二人ともが寝入るまでいた。

ジイジが相手だと ワガママやヤンチャも影をひそめるから 驚くほど寝入るのも早い。

明日の晩も明後日の晩も この手で寝かせよう!

明日の朝一番にすることは お茶作り 夫と孫二人の水筒に入れて持たせるお茶だ。
早く火にかけて沸かさないと この暑さの中 なかなか冷めない。
水出しでもいいのだが 娘から 必ず沸かしたのを冷まして持たせてね と言われている。

沸いたらボールに移して冷ます。
氷を入れたいが それだとお茶の味が薄くなってしまい 孫たちには不評だから仕方がない。

次は パンにジャムをつけて 飲み物と共に出し ヨーグルトにブルーベリーを入れて出す。

この手順通りに朝食が済めば あとは 今夜準備したランドセルや 持参させる用品を入れた
バッグを持たせ 水筒をかけさせ帽子を被らせて 集合時間までに集合場所へ送り出す。

そのあとは 夫が下の子を乗せて 幼稚園へ向かう。
明日もプール遊びがあるから プール遊び用の物をバッグに入れ リュックに水筒 帽子を
被らせて 送り出す。

書くと簡単なようだが これが なかなかスムーズにはいかないから大変だ。

夫の言葉ではないが 当たって砕けろ で とにかく送り出さねば‼️


孫たちの体験入学と入園が 二週目を迎えた。

この三連休で 孫たちは かなりリフレッシュしたようだが 逆に娘は 疲労が目立って
きている。

毎日出される宿題をする という習慣がない孫に 国語の本読みと 算数の足し算引き算の
問題を書いて解かせるだけでも 一苦労だし 時間割通りに教科書や持ち物を整えさせる
のにも いちいち手がかかる。

来る前は 日本の子供が登下校時に背負っているランドセルを 自分も背負って通える
のが嬉しくて 楽しみにしていたのだが 実際に背負って通学してみると 重い。
その上 下校の時刻が一番陽の高い時だから 背中に汗をビッショリ。
汗だくになって歩かねばならない。
想像していたよりずっと大変なことがわかったようだ。

もっとも東京でも 学校指定のデイバッグがあるから 毎日それにたくさんの学用品を
詰めて通学する。
しかし マンションのエントリーから学校の入り口まで 父母の運転する車での通学だから
どれだけ重くて大変かの理解がない。

生活全部が対極にあるような 異なった環境での学校生活で かなり緊張を強いられる孫は
その反動でだろう 愚図ったりヤンチャを言ったりで すべての行動が なかなかサッサと
スムーズに進まない。

それに根気よく付き合いながら 翌日の準備までを済ませさせる娘の気長さと忍耐は
母親でなければできない事だ。

でも 今 自分の身を粉にしてやっていることの結果は 自分には帰ってこないが
必ずや将来 子供達の心身の形成の肥料になる。
そして 大人になった子供たちに なんらかのいい形になって あらわれるだろう。

それを信じて 手を抜かないで子育てをしてほしい。
幸い 家事は人任せにできる環境なのだから 無理をしないよう 子供たちのためにも
体を大切にして 精一杯 子供たちの将来のために できることをしてほしい。
娘よ 疲れるだろうが ガンバレ‼︎

明日の夕方 緊急の用ができて 娘だけが帰ることになった。
だから 明日の晩明後日の晩その翌日の晩 の三晩は 孫二人を 私が中心になって面倒を
みることになる。

問題は宿題だろう。
ノロノロの孫に 課題全部をこなさせることが 果たしてできるかどうか……。

最終日は終業式だから 前日の夜は 多分宿題は出ないだろうが そのかわり 娘に代わって
学校へお礼の挨拶に伺うことになるだろう。
お借りした教科書を返し クラスの担任と子どもたちに お別れと お世話になったお礼を
させたりしたり。

夫は楽観的に マア なんとかなるさ と言うが あまり厳しくすると もう来ない! と
言われそうだし 下の子には ママ~ ママ〜! と 泣かれそうだし……。

当たって砕けろ で 乗り切るよりない!!

夫の学生時代の友人で 同じ県内に住んでいる方が 今回の大雨と川の決壊や氾濫で罹災
された。

勤めている夫は 娘たちが来たこともあって 気にかけながらも 今までお見舞いや手伝い
に行けなかった。

それで昨日 早朝出かけて行った。
二つの河川が交わる場所に建っている友人宅は 腰壁の上まで水がきたのだという。

同居している子ども夫婦の知り合いや友人 ボランティアが大勢来てくれて 家の中の
片付けは少し進んでいたが 隣接している畑は手付かずのままだったから その畑の
片付けや手入れをした来たらしい。

畑は様々な流れてきた物で覆われていたし 残されている野菜はすべてが泥を被り
葉や軸に水をかけて すべてきれいにするまで重労働だった と 夫は話した。

そうやって 行ったすぐから作業する夫に 友人は喜んでくださったらしい。
暑い炎天下での作業に 夫はヘトヘトになって帰って来た。

まさか 川が氾濫するとは思っていなかったし ましてや 家の中へまで水が入って
くることなどないだろう と思っていたところへ 浸水してきた。
みるみるうちに水かさが増し屋内へと流入してきたから 孫たちを連れて逃げるのが
精一杯だった と 友人が話された と言う。

県内には 未だに避難指示が解除されていない地域がある。
ただでさえ暑いこの時期 大勢での避難先の暮らしは 辛いだろう。

他人事ではない話だ。


孫の体験入学の一週目が終わり ちょうどいい加減のところで この三連休がきた。

ノンビリさんもキカンボさんも 子供とはいえ 五日間 全く違う世界で毎日を過ごして
きて かなり疲れている。

特に上の子は 国の違いからくる教育の仕方の相違 言葉の理解 から始まって 朝の集団
登校から集団下校して帰るまで 何もかもが新しい世界で 何が何やら分からないまま
流されるままに必死で過ごした一週間だったに違いない。

いつも通っている学校は 個人の思いを大切にするから 集団でのシバリがない。
ところが日本では 朝礼 朝の会終わりの会 掃除…… 学校での行動は 日本人なら誰もが
これが普通 と思ってなんなく受け入れて エッ?当然じゃないの?というような些細な事
からして 違っている。

日本では ハンカチ鼻紙は 毎日 必ず持参する物で 学級や学校では持ち物検査までするが
イギリスでは 持って行こうが行くまいが個人の勝手だし もともと屋内外で靴を履き替える
習慣のない国だから せいぜい運動する際に運動しやすい靴に替えるくらいだ。
しかし日本では 登校したら必ず玄関で上靴に履き替えるし ハンカチ鼻紙に至っては
持ち歩くのは常識だから 子どもだって 登校時の必須アイテムの第一に挙げられる物だ。

だから 娘たちが来る前に 孫が毎日ポケットに入れて行く用のハンカチを準備しておいた。
娘はイギリス式に慣れてしまっているから そこまで思いつかないかもしれない と考えた。

案の定 学校から持ち帰るプリントには ハンカチ鼻紙についての注意が書いてある。
暑かろうが寒かろうが 持って行くのは個人の勝手だから 持って来るように とすら
言われないのがイギリスの学校だ。
プリントを読んで 事前に準備しておいて毎日持たせていてよかった と思った。

金曜日は参観日で 娘も出かけて行った。
その日は 着衣のままプールに入り泳ぐ 非常時での泳ぎの訓練があった。
事前に 待ち帰るプリントにその旨のお知らせが書いてあったから 娘は 替えの衣類を
指示通り持たせて登校させた。

ところが 行ってみると 孫だけは着ないでプールに入っていたらしい。
帰宅後 どうしてだったのか娘が聞くと 嫌だったから との孫の返事。
先生は何も言われなかったの? と聞けば 言われたけど (^_^)ちゃん嫌だったからね
着なかったの と答えていた。
孫が通っているイギリスの学校では それでもいいのだ。

嫌だ と 孫が言うとは 教師には想定外のことだったろう。
嫌であっても みんなと同じように行動して教師の指示には必ず従う のが 日本の
学校であり教育であって 個人の意思が入る余地は そこにはない。

おそらく わずか二週間の体験で来ているのだから と 教師が黙認してくださったし
クラスの子どもたちも同じ思いで 仕方がない と それを容認してくれたのだろうが
通常 日本の学校では 一人だけ教師の指示に従わない という行動は許されない。

もしそういう行動をとれば それは わがままだとか皮肉れている とかに受け取られて
言うことを聞かない 集団行動ができない問題児扱いされる。

娘は こんこんと 学校での違いを説明していた。
そんな娘でも 結婚前の職場からして日本式ではなかったし ましてや外国人の連れ合い
との暮らしが長いから 日本の学校のやり方を奇異に感じたり 違和感を覚えたりする
部分があるようだ。
彼女も もう半分以上 考え方や感覚が外国人になっているのだろう。

先生の呼び方からして ミスター何何 だし 友だちや親しい大人でさえ 何何 と
名前を呼ぶだけで ちゃん や さんや君 をつけては イギリスでは呼ばない。
だから孫は 我が家の前の家の通学班の班長をも 何何が と 名前の後に君をつけない。

登下校時 わけのわからない孫は そのお兄ちゃんだけが頼りで その子が右へ動けば
右へ 左へ動けば左へ 腰を下ろせば自分もその横に腰を下ろす という具合に まるで
影か金魚のフンのように 離れまいと ピッタリ真剣にくっついている。
そんな自分にとって大切なお兄ちゃんでも 何々が と呼び捨てだ。

日本人が考える「普通」が「普通ではないのだ」と 幼いがゆえに戸惑いすら感じる間も
なく わけもわからず夢中で過ごしているそんな孫をみながら 改めて考えさせられる。

ある国においては「当然のこと」でも 他の国では「余計なお世話」である ことを。
物事を 固定観念に囚われないで考えないといけない ということを。 大げさに言うなら
考え方の多様性 を理解して 世界を見なければならない ことを 孫から学んでいる。

一生を 二つの国を母国として二つのまったく異なる文化の中で生きていく孫たちだ。

両方の国のいいところも悪いところも知った上で 懐の深い人間に育ってほしい。

まさに今 それを学び始めたばかりの孫だ。
そして私だ。

もう十年以上は経つだろうか。
家から 高速を使えば一時間もしないで行ける場所に アウトレットモールができた。

ところが 父の面倒をみていた時期は それどころではなかったし その後には すぐに
自分の体が悪くなって 車の運転ができなくなったから 一人では 行きたくても行けない。

夫は あちこち見て歩く買い物が大嫌いな人だから 連れて行ってはもらえない。

そんなわけで 一度行ってみたい と思いながら 年月が過ぎた。

それが今回 セカンドハウスで普段使いにしたい食器のメーカーが そのモールに
入っているから行ってみる お母さんも一緒にどう? と 娘が言うので 昨日 夫に
孫たちをあずけて 二人で行って来た。

娘は こちらに滞在中自由に動けるように 着いた時からレンタカーを借りているから
昨日も その車で行った。

暑くなる と言う予報だったから 朝九時半の駐車場の開門に合わせて 家を出た。
それでも 開門を待って入る車も結構あった。
私たちも 道が空いていたこともあって 予定より十分早く着いて 開門を待った。

開門と同時にモールに入り 建物に近い駐車場に車を止め まずはフードコートで
オープンを待ち 事前に入手していた二人の券を 案内所でクーポンに換えた。
たくさんあるお店のほとんどで 何かしらのサービスや割引が得られるクーポン
だから 持っているに越したことはない。

事前に娘が どうしても行きたいお店は こことこことここ と決めてあったから
モール内の店舗の案内図を見ながら 目的のお店へ向かった。

まずは 一番の目的だった食器のお店へ。
娘は 昔 そのメーカーがある国へ留学していたこともあって どうせ新しく揃える
なら そのメーカーのものに と思ったらしい。

娘が留学から帰って大学生になった時に お世話になったお礼方々 私もその国へ
娘と一緒に行った。

その折り 今回 娘が揃えたいという食器メーカーを訪ね 工場や製造過程の見学を
したが すべて手描きされて作られた商品が 実に厳しい検品や検査を経て製造され
市販される事を知り その厳しさに驚いた。

そして 出来上がった製品が 最上級のものから十段階以上のランクに分別され 販売
されているのも 娘と二人で見てきている。
最高ランクの商品と次のランクの商品とは どこに違いがあるのか 素人の目では
見分けがつかないくらいの 厳しいランク分けがされている事が印象的だった。

それを知っているからこそ 娘は アウトレットのお店の商品を 実際に目で見て
これなら と思えたらまとめて揃えたい と思ったし 厳しい検品の仕方を一緒に
行って知っている私にも見てほしい と思ったらしい。

たとえ普段使いのものとはいえ できればいいメーカーのものを でも できるだけ
安く購入したい と考えての末が このメーカーがアウトレットで販売している と
知り 今回 孫たちを連れて来る前から 行ってみよう と決めていたようだ。

お店へ行くと 手描きされた模様の 様々なシリーズの商品が陳列してあった。

販売員に聞くと ここに置いてあるものは タイで製造されているのだという。
でも 製造の過程も含めてまったく変わりない製品で 本国同様厳しく検品された
上でのアウトレットで 殆どA級と変わらない製品を販売している という事だった。

実際 二人で見たところ どこが悪いのか判別できない きれいな商品ばかりだった。

それを見て これならアウトレットでも大丈夫 と思った娘は 同じシリーズで
何種類かの商品を 決まった個数や枚数 購入したい旨を販売員に告げた。

販売員は 娘が購入したい商品を 店内においてある分全ての個数を持ち出して
来て カウンターの上に並べ 気に入ったものを選び出せるようにしてくれた。

なんといってもアウトレットだから 手描きされた色のかすかな濃淡の違いや
わずか点のような色跡など 微妙にA級を外れた箇所がある。
店員は その一つ一つを見つけ丁寧に説明しながら 根気よく付き合って 必要な
枚数や個数を 一緒になって選び出してくれた。

開店早々で まだ他のお客が店内にいなかったのも幸いだった。

購入したのは全部で八種類くらいだったので 全ての商品を必要な数だけ選び出す
のに かなりの時間がかかったが 店員の感じのいい応対もあって 気持ちよく
事が進み おまけにアウトレット価格より更に三割も安価で購入することができた。

東京の自宅へ直接配送してもらうよう頼み お店を出た。

主な目的だった食器の購入が済んでヤレヤレ と思ったら もうお昼。

午後からは 興味を引いたお店を覗いて歩いて これ と見つけたものを買いながら
次に 娘が気に入ったものがあれば買いたい という商品の販売店をいくつか見て回った。
結果 最初に入って見た品にする と決まって 帰りに買うことに。

次に買いたかったのは食品だったので 様々な食品店に入ってみた。
モール内の店舗は どれも有名なお店ばかりだから 当然 食料品店が扱っている商品も
それなりに名の通った物ばかりで それらが市価の何割も安価で購入できるとあって
どのお店も大勢の人が入り 試食したりしながら目的の商品を探していた。

娘と私も 同じように試食や試飲を楽しみながらお気に入りを見つけ 予定外の買い物をし
てしまったが それもショッピングの楽しみの一つだ。

娘に付き合って 長年 一度来てみたい行ってみたいと思っていた所を 休み休みしながら
でも あちこち見ることができて 楽しめた。

私の年代がほしいと思うものはあまりないが それでも 見て歩くだけで気が晴れる。

先月したブロックが 思いのほか早く効き目が現れているせいで 休みながらでも
こうして歩けることが 心から 嬉しいと感じられる。
それがなかったら 娘と二人でのお出かけなど とうていできなかった。

娘の買い物に付き合っただけのアウトレット行きだったが 幸せな一日だった。






幼い頃 体が虚弱でしょっちゅう学校を休んだし 運動会も 全校が最後のラジオ体操を
する頃には熱が出てしまい 親におんぶされて家に帰り 翌日は学校を休んだ。

それほど体は弱かったが 父親に似て色が黒かったせいか 皮膚だけは丈夫で 湿疹が出て
悩まされるなどということはなかった。

だから 注射する際のアルコール消毒も この歳まで どうという問題もなくて 十年以上
隔週で受診して打つ痛み止めも点滴も ずっとアルコールで消毒してもらってやっていた。

ところが 先月した神経根ブロックの際 うつ伏せになった態勢で 腰を中心に背中を
アルコール消毒してから手術が始まるのだが 手術が終わってから 看護師が 施術前に
背中に被せていた紙のようなものを剥がすと 消毒した部分が真っ赤になっていたらしい。

背中のことだから 私にはまったくどんな状態になっているのか分からなかったが
アラ~ ~ アルコール消毒 大丈夫でしたよね〜? こんなに赤くなってるんですけど…
そう 看護師はあわてた口調で言った。

そして術後 病室のベッドへ運ばれると 看護師が アルコール禁止 と 大書した紙を
持って来て 枕元の上に貼り付けた。

結果 以来私は アルコール消毒のカット綿でも使えない という体になってしまった。

ええッ 私ってアルコール消毒ダメだったの?今までなんともなかったのに…… と
ちょっと驚いたが 今後 体に針を刺す時にさえ アルコールを使わないように気をつければ
いいだけのことだ と 体質が変化した事に あまり深く思いがいかなかった。

ところが この歳になっての体質の変化は アルコールに限ったことではなくなってしまった。

接触性皮膚炎が起きるようになってしまったのだ。

つい一週間前のことだ。

気温が上がり暑くなってきたし スニーカーを履く際に 足首までの靴下ではなく
靴下カバー状の 足にピッタリした物の方が 踵がスッと入って楽だろう と 思い
三足セットで売ってある物をお店で見つけ 購入した。

一足めを履いた時には ピッタリと縁が足に着いた部分が ちょっと痒い程度で 履き心地
もよくて 思った通り スニーカーを履く時も踵ががスッと入って これを買ってよかった
と 一人で喜んだ。

ところが だ。
次に二足めを履いた時の事 一足めに感じた痒みが更に強くなって 思わずかゆい部分に手が
いって かきはしないまでも 何度もピッタリ足に付いている部分に触れていた。
でも それでも一日中履いて過ごした。

夜になって お風呂に入ろうと それを脱ぐと なんと 両足ともピッタリ皮膚についていた
部分に 小さな水疱が連なってできている。
水疱にまでなっていない部分は 真っ赤なミミズ腫れになって 跡がついていた。
そして その痒みといったらない!
でも 水疱にまでなってしまっているから かくわけにもいかず 痒み止めの薬を塗って
少しでも痒みを少なくするよりない。
塗っては少し治り塗っては少し治りしてはいるが 未だに水疱はなくならないし 痒みも
なくなっていない。

まさかの状態だ。

今まで 人から ゴムが当たる部分が痒くなって困る 赤くなってしまう という話を
聞いてはいた。
でも まさか 自分がそうなるとは いや 私の場合は それ以上の症状が出るようになる
とは 想像もしていなかった。

今後は アルコールだけでなくゴムにも厳重な注意を払わなければならなくなってしまった。

この歳になって まさかこんな風になってしまうとは……

そういえば この春 今まで 花粉症はおろか花粉のカの字も感じた事がなかったのに
なんだか鼻がムズムズするような気がして もしかして と思って 花粉をブロックする
スプレーを使った。

ひょっとしたら 気がした だけでなく 実際に花粉症にもなってしまったのかも知れない。
ここまできて体質が変わるなんて 思ってもみなかった。

まったく面倒なことになってしまった……。











私が暮らしている自治会には 現在 小学生はおろか中学生すらいない。

かつては大勢の子供がいたから 潮干狩りだ 七夕だ キャンプだ と 年中なにかしら町内で
母親同士が寄り合っては 子供達を喜ばす行事を考え 料理したりして ワイワイ集まって
親子で楽しんだものだったが 今では その当時の子供らが親になり それぞれが生家を離れて
しまっている。

だから 同じ自治会には 遊ぼうにもお友だちが一人もいない。
でも 隣の自治会は世帯数が百をゆうに超えていて なお 新築して越してくる世帯もあって
当然 小学生も多い。

それで 今回 孫は 隣の自治会の子供たちの集団登下校に混ぜてもらっている。

隣の自治会 といっても 通りを隔てたお向かいには 高学年の男の子二人の兄弟
がいて 玄関を開ければ その子たちの家が真正面にあって そのお宅の六年生の
子が 今年の通学班の班長さんだから 心強い。

今朝も その子が先頭になって 見守り隊の大人たちに付き添われながら登校した。

孫が混ぜてもらって登下校する地区の通学班は いくつかあるが 下校時には
ちょうど我が家のそばまでは みんな一緒に それぞれの班が並んで帰って来る。

その一緒に帰って来る 孫の班とは違う班に 今年この地区ではただ一人の女の子の
新入生がいる。
そして たまたま 孫はその女の子と同じクラスになったらしい。

今日 孫は その子から 遊びに来ていいよ 勉強道具を持って来てね と言われ
親切にも 我が家からその子の家までの地図まで描いてくれ 渡されて帰って来た。

地図を描いてくれたよ と 学校から帰った孫が ランドセルから紙切れを出して
母親に見せた。

娘がその紙切れを見て アラア〜!…… と言ったまま 笑いをこらえながら 私に渡した。

なんだア〜? と思いながら 渡された紙切れを見ると なんと 我が家からその子の家まで
の道筋なのだろう 鉛筆で筋だけが描いてある。

ここから真っ直ぐ行ってね ここで曲がってこっちへ行ってね それからここまで来たら
こっちへ曲がってね と 言いながら描いて渡してくれたのだろう と思える一本の筋が
鉛筆で描かれているだけで 他には何も描いてない地図だった。

笑ってしまった。
一年生が描く地図なんて こんなものなのだろう。
それでも きっと真剣に描いてくれたものに違いない。

その幼く拙い地図を 娘と二人で 可愛く思いながらも可愛さゆえに笑ってしまったのだ。

ところが 実際 困ってしまった。
親切にも 遊びに来ていいよ と 描いてくれたこの地図では どこにその子の家があるのか
サッパリ分からない。

それに 遊びに来ていいよ と その子の母親か帰宅時に家にいる家人も承知してみえるのか
どうかも 分からない。

住宅地図で探してみると その子の名字から 家の位置だけは分かった。
それでも だからと言って 女の子の言葉を鵜呑みにして押しかけるわけにはいかない。

行きたがる孫に言い聞かせて 今日は行くのを諦めさせた。

明日は たまたま授業参観日だから 母親である娘が学校へ行き 女の子の母親を見つけて
挨拶して 本当に遊びに寄せていただいてもいいのか確かめる それがいいのでは と
いうことに落ち着いた。

それにしても 一年生って あどけなくて可愛い。

年齢的に 一年生くらいまでは童話の世界で生きている と 言われたりもするが
まだまだ幼い心の一年生が描く地図も 童話の中の地図のようで 可愛いものだった。



今朝 集団登校して行く上の孫を 知り人が見守り隊だというので 夫も集合場所まで出て
お願いしながら 孫を皆で見送った。

それまでが大騒動。
ノロノロとしていて いつまでたっても着替えの終わらない孫たちのお尻を 娘と二人で
追いたて 朝食のパンを食べるのもユックリな上の孫を 集合時間に間に合わせようと
またまた追いたて もっと食べたい というのを諦めさせて 口をすすがせ ようやく
ランドセルを背負って外へ出た。

上の孫がノロノロなのは もっと小さい頃からのお決まりで よく言えばおっとりさん
悪く言えば そのままでノロイ。

でもカリカリしていない分 気性も穏やかで優しく それでいて頑張り屋さんだ。
多人数の中に入っての行動では支障があるかもしれないが 体験入学しているクラスも
三十人以下のクラスらしく 昨夜 担任の先生の言葉では 初日でもクラスに溶け込んで
うまくやっていたようだから ノロくてもオットリでも 何とかなっているのだろう。

その点 下の孫は 別の意味でスゴイ。
どこでも誰にでも物おじしないし 自分の主張をはっきりさせる。
だから 昨日は 給食ももっと食べたがったらしいし こうしてほしい したい と
先生にもしっかり言ったらしい。

性格の違う孫たち姉妹は 今日もそれぞれに新しい経験を 慣れない場でしている
ことだろう。

私は迎えに来てくれる娘とお昼を外で食べ 買い物をして帰る予定で 会計の順番を
待っている。

娘が独り立ちして以来 この地で二人だけで外出するなんてことは 未だかつてない
ことだ。

我が子でも 手元からひとたび離れてしまえば 親子水入らずで過ごす機会は
なかなか巡ってはこない。

日々 子育てと仕事に明け暮れして 自分が築いた新しい家族の中で生きている娘は
そんな私の思いには気づきもしないでいるだろう。

私もかつてはそうだった。
亡くなった母親も こんな思いでいたに違いない。
人は 立場立場になってみないと その心境は理解できないものだ と
しみじみ思う。

一昨日 娘が 東京から二人の子を連れてやって来て いよいよ二週間が始まった。

上の孫が小学校へ体験入学のために来るだけでなく 下の孫も 夫の勤務先の幼稚園に
その間 体験入園することになったから 一昨日の晩は 両方の準備に追われた。

そして昨日の朝は 娘が小学校へ 挨拶かたがた上の子を連れて行き 夫は下の子を連れて
幼稚園へ ほぼ同時刻に家を出た。

上の孫は 真新しいブルーのランドセルを背負い 前日準備した指定の通学帽子を被り
下の子も 園から貸し出された体操服の上下に帽子を被り 二人ともが初めての服装で
期待と不安と 何より楽しみにしていた気持ちをふくらませて それぞれが 母親と
ジイジの車の後部座席に据えられたシートにおさまり 見送る私に手を振って出かけた。

娘は 二時間もしないうちに帰宅。
本人は一日学校で過ごし 地域の通学班の子供達と一緒に並んで 三時半ごろ帰って来た。

にわかの夕立がちょうどあがって まだ濡れている通学路の途中まで迎えに出ていた私を
見つけた孫は 他の子に混じって並んで歩きながら ニコッと笑って 小さく手を振った。

あの顔なら 初日は無事に乗り切ったようだ と 少しホッとした。

見守り隊で付き添ってくださっている二人に挨拶しながら 朝の集合場所まで一緒に歩いた。

娘は下の子を迎えに出かけていて留守だったが ランドセルを下ろし 手洗いやうがいをして
おやつを食べさせているうちに帰って来た。

下の孫も 先生が驚かれるほど ずっとみんなといたみたいに屈託なく過ごせたらしい。
この子の方が 主張もしっかりしているから 小さくても心配がない。

さてさて 二人が帰ってからが慌ただしい。
早めの夕ご飯に入浴を済ませ 髪を乾かして歯磨きをさせると もう就寝の時間がくる。

さア〜 また新しい朝が始まる。

今朝は 私も大学病院受診だから 夫の車に下の孫と一緒に乗って行く。

二階で物音がし始めた。
もうすぐ二人が起きてきて また騒々しい 一日が始まった!

何日も降り続いている雨は とうとう 私の住んでいる市にも 他人事ではない事態を
もたらしている。

私が住む市は 平成の大合併で 近隣の村と町と一緒になり 新しい市になった。
その 一緒になった町は奥が深く いく筋もの集落が 北へと細く繋がっている。

その一つに 先日NHKでも放送されたが 澄みきった豊かな水が湧き出る 実に美しい
場所がある。

あちらからもこちらからも 山肌からコンコンと絶え間なく流れ出す清水が 苔むした
小さな岩間を 清らかに流れ落ちている場所だ。

今 その場所辺りが 緊急の非常事態になっている。
そのほかにも いく筋もの谷沿いの集落に 避難指示が出されている。

避難先は 元の町の公民館だと 緊急放送で言っているが そこまで果たして無事に
辿り着けるのだろうか。
公民館へは 遠い道を車で走り 水かさが増して逆巻いているだろう濁流にかかる橋
を渡り しないと行けないのだ。

高齢者が圧倒的に多い集落のことだ。
誰かが声を掛け 車に乗り合わせてでないと この長雨にふやけたようになっている
道では 歩くのさえおおごとだろう。

長良川も氾濫水位を超えた箇所がでている。

一人で心細い思いでいるだろう と 叔母に連絡してみると 昨晩は眠れなかった と
言っていた。

そんなことは起こらないだろうが万が一を想い 少しの食べ物と水を持って二階へ
上がって 今夜は二階で寝る方がいい と 伝えた。
二階にある浴槽に水を溜めておいたほうがいいかも とも伝えておいた。

それにしても どうしてこんなに降るのだろう。

おまけに こんなときに 関東で やや強い地震があった と テレビで言っている。

何度も繰り返される地震 台風 長雨 による災害……
近年の日本は 災害に見舞われる 地球や自然の大きなサイクルに入り込んだ としか
思えない。

全国の被災地や 市の北に住んでいる人たちのために
どうか 早く雨が止んでほしい!


結婚して最初に暮らし始めたのは 平屋の借家だった。

古かったので 子供が生まれると不都合なことが色々あり 市営の団地の新築アパートへ
引っ越した。
引っ越す時には 長男がまだ一歳で お腹に娘がいた。

市街からは離れていても 広くて使い勝手のいいアパートで 住み心地が良かった。
高台に建っていたこともあって 買い物はもっぱら自転車か歩きで 坂を上り下りした。

百年に一度あるかないかの大洪水が起きたのは 引っ越して一年も経っていない時だった。

降り続く長雨が 団地の坂を まるで川のように流れ落ちる様子を 生まれて間もない娘を
抱っこしながら 窓から眺めていたことを はっきり記憶している。

そうして まさかの 長良川の堤防が決壊し それまで住んでいた地域は 水に浸かった。
人の腰や肩までもの浸水で 前に住んでいた平屋の家は 屋根近くまで水がきたらしい。

もし引っ越さないでいたら まだ真新しかった嫁入り荷物だった家具も何もかもが
流され浸水して 生活のすべてをなくしていた。

あのとき 心から 助かった と 思った。

一昨年亡くなった叔父の家も同じ地域にあったから 一階はすべて駄目になり 雨が止むと
夫はリュックに食料をいっぱいに入れて 後片付けの手伝いに行った。
道路も冠水していたから 途中まで車で行き そこからは徒歩で向かった。

母方の叔父の家も床上浸水したから そちらへも行かねばならず 大災害に市内中が混乱して
落ち着くまで 長い時間がかかった。

今 私たち家族が住んでいる所も その時 川上から流れてきた材木が 近くの川をせき止めて
しまい 堤防からあふれ込んだ水で 一階の柱の半ばくらいまで浸水したのだそうだ。

そんな経験があるから 直接被害にあった人たちは この止まない雨に 怯えている。

昨日は 何度も 叔母からは不安そうに電話があった。
テレビに映る長良川の様子が あの大惨事を思い起こさせて 恐怖を感じてしまうらしい。
実際に 叔母の友人達も 怖い怖い と 言っているらしい。

あれからもう四十年以上も経っているから 河川の防災は格段に進んでいるだろうが
人の心に植え付いている恐怖は またひょっとして同じことが起こったら と 大雨の度に
繰り返し繰り返し湧き上がってきて いつまで経っても忘れられるものではない。

全国の各地で起きているこの雨の災害が どうか これ以上広がりませんように
不安な思いで過ごしている人たちが 早く安堵できますように

日本全国 皆が祈っていることだろう。

先週先々週と行けなかったので 昨夜 久しぶりに夫と二人温泉へ行った。

私たちが行く時間帯は 夕ご飯の前後とあって お客はまばらで ゆっくりお湯に入れる。

少ないお客は おおかた私たち夫婦とあまり年齢が変わらないが たまに幼い子供を連れて
来ている母親がいる。
おそらく 夕ご飯を早めに済ませた後温泉へ入り 帰宅後はすぐに寝させるつもりで来ている
のだろう。

昨日一緒になったのは 四、五歳くらいの男の子と母親だった。

えてして子供は どんな子でも声が甲高いし ちょこまか動き回って じっとお湯につかる
なんてことはない。

こちらも三人の子を育て 孫も同年齢の子がいるから そんな子供の騒がしさには馴れている。
普通の子供の騒がしさなら 目くじらは立てないのだ。

ところが昨日一緒になった男の子は その範疇をかなり逸脱していた。

岩盤浴を終えて浴槽がいくつかある屋内の方へ入り ナノバブルの浴槽に体を沈めていると
その親子が入って来た。
入って来る前から 甲高い声が聞こえていたから あゝ子供が来るな とは 分かった。

その男の子は 入って来るなり利用者が少ないのをいいことに 洗い場の桶を集めだした。
そして 洗い場の蛇口はその子の力ではお湯も水も出せなかったからか 集めた桶で浴槽の
お湯をすくい始めた。
おまけに 一度 桶を湯船に投げておいてから 自分もお湯に入って その桶にお湯を汲む。
それをどうするのか と見ていると どの桶もいっぱいに浴槽からお湯をすくって入れた後
ズラッと 洗い場に並べてみて どの桶にも均等にお湯が入っているようにお湯の分量を
加減し始めた。そして次には それを片っ端から浴槽の中へぶちまけ始めたではないか。
ぶちまける度に バシャ〜ッと大きな音が浴室内に反響した。

母親は やめなさア〜いイ〜 と笑いながら言うだけで 本気でやめさせる気がないようだ。

いくら利用者がない浴槽であっても 一度洗い桶で汲んだお湯は 浴槽へ戻しては駄目だろう。

家の浴室と違ってどの浴槽も大きいし 浴室自体も広いから 気持ちが解放されるのは
大人も子供も同じだろう だからといって やっていいことと悪いことの区別はしっかり
身につけさせてほしい。

隣の浴槽でのことだったし 私が入っている浴槽ではなかったから 腹立たしい思いだったが
我慢して黙っていた。

もし私が洗い場で体を洗う時だったら そんな行為は見逃せなかっただろうし 母親もさすがに
そうなったら 真剣に叱って止めたかもしれない。

そんな子だったから 露天風呂でも 泳ぐ と言って 足をバシャバシャさせるは動くは で
そこでも一緒になった私は 落ち着いてリラックスしてお湯につかるどころではなかった。

母親は お客も少ないし こんな時くらいいいだろう と思ったのかもしれない。
でも やっていいことと悪いことは 時や場所によって左右されるものではない。

多分 あの子は この次同じ時間帯に来て客が少なかったら また同じように遊ぶだろう。
その時 母親は しっかり我が子を制止できるだろうか。



先週 渋る夫の尻を叩いて マッサージに 強引に行かせた。

体が疲れきっている様子だったし おそらくはそれが原因で 風邪も引いていないのに
ずっと咳が出ていたからだ。

自分からは絶対に 行く とは言わない人だから 強引に私が勝手に予約を入れて
頼むから行って来て と 送り出した。

そのことを 叔母に 私も電話で話し 勤め帰りに寄った夫も 楽になった と 叔母に
話したからだろう。

それまで 目が悪くなってからずっと マッサージにかかっていなかった叔母の 行きたい
モードに火をつけたようで 一緒に行こう と誘われた。

そして叔母が予約してくれて 今日 五時からの予約で行って来た。

叔母がお得意様なので 四十五分の予約で一時間 それぞれやってもらった。

痛みを堪えているうちに 肩がガチガチになっている と 自分でも感じていた。
当然 腰も硬くなっていたから 私もマッサージしてもらいたい と前から思っていた。

だから 叔母からのマッサージへの誘いは 一度ではなかなか楽になっていない夫にも私にも
とてもありがたかった。

モール内にある店舗の店長は いつも叔母がかかる人だが 数回叔母に連れて行ってもらった
だけの私の好みの人も覚えていて その人が多店舗へ移動しているにもかかわらず わざわざ
その人を呼んでくれていた。
夫は これまで行く度に担当者が違ったが 今日の人が一番良かったらしい。
だから多分 次回からは その人を夫の担当にしてくれるだろう。

マッサージの後 叔母も私たち夫婦も 一階の食品売り場で買い物をし 夕ご飯を食べて
叔母を家へ送り帰って来た。

日曜から 娘と孫たちが来るらしいから それまでに英気を養っておかねば‼️

次の週末に来る娘と孫二人を迎えるために 夫は朝から客用寝室を整えたり掃除したり
いつもは自分が着替えに使っている和室を片付け 滞在する間 階下の寝室で着替えるよう
必要な衣類を移したり 一日中 忙しそうに動いていた。

私はといえば その何もかもを手伝えず 精々が洗濯とご飯の準備をしたくらいだった。

こんな生活が もう十年以上も続いているから 夫も 初めから私をアテにせず
サッササッサと 自分の思いと手順で物事をこなしていく。

だから私は さしずめ そんな夫の応援団長といったところだろうか。

午後になって遅くに夫は買い物に行ったが 私は どうしても買って来て欲しい物だけを
メモして渡しただけで 一緒には行かなかった。

一緒に行かないと あゝ あれが要るんだった という物が出てくる反面 行けば
ついつい買わなくてもいい物まで買ってしまい 無駄にお金をつかう ということもない。

夫と二人だけの生活だから 足りなければ他の物で間に合わせられるし なければないで
どうにかなっていく。

ところが 今度の週末からの二週間は そうはいかない。

一番は 食べ物だ。
日頃から食べている物が私たち老夫婦とは違うから 孫たちが東京で日常的に食している
ものに近いよう準備してあげたい。 となると スーパーも一軒だけでなく あちこち 廻って
食材を揃えることになるだろう。

ありがたいことに二人とも 好き嫌いなくなんでもよく食べるから 上の子のアレルギーさえ
気をつければ問題ないが 要は 食材の種類とそれを使っての料理と味付けが問題だ。

特に今回の滞在は 孫が初めて日本の学校へ通って 日本の小学校を体験する という
目的で来るから できるだけ無駄なストレスはなくしてあげたい。

いつも母親である娘が準備して食べさせる食材だったり献立だったりにして 特に朝食は
なるべく東京での朝と変わりのないよう食べさせ 行ってらっしゃい と 元気に送り出して
あげたいものだ。

二週間のうち前半は娘が一緒にいるから その間に 孫たちの生活パターンやサイクル
を整えて それを覚え 通学に支障のないようにしてあげたい。


日本の学校生活は 短い期間だとはいえ 楽しいことばかりではないだろう。
嫌なことがあった時 東京と同じ食べ物や飲み物を口にできたら 少しはそれで
気持ちが落ち着くだろう。

子供はたくましい といっても まだまだ一年生の孫だ。
滞在中 小さな彼女の頭と心が どれだけでも平安で過ごせるよう きっと夫も
同じ思いで 二階の準備をしたに違いない。

国の違う両親の元に生まれたが故に いいことも悪いことも二倍の孫たちだから
せめて 楽屋裏ともいえる我が家にいるときくらいは ホッと気持ちを緩めて
リラックスさせてあげたい。