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友人に 若い頃から市民生協に深く関わってきた人があって 彼女は退職してからも 何かと
関係が続いている。

去年 その彼女からの誘いで 住んでいる地域の生協が初めて催す 子供向けの平和を考える
イベントに関わった。
本の読み聞かせコーナーを 偶然 別のルートから関わった嫁と孫 嫁の友人と一緒に担当。
嫁たちはステージに立って読み聞かせるなどして 大いにお手伝いした。

その後 暮れに 友人らが街頭に立ってユネスコの募金を募った際に 募金をしてくださった
人たちに 感謝の意味であげる物にしたいから と言われ 自身の判断で折り紙で作った封筒に
折り鶴とメッセージを書いたカードを入れたものを作り 渡した。

それがとても好評だったらしく 今夏の子ども平和ひろばで使いたい と言われて また
暮れと同じように 折り鶴とカードを封筒に入れた物を 今 作っている。

平和行進に用いる折り鶴は 千代紙や白黒 金銀 両面のものなどはダメ と制限があるが
催しに来てくれた子に渡すのだから 制限がない。

だから 封を開けた時 メッセージと一緒に特別な折り鶴が入っていたら喜ぶか と思い
今回は 金銀も両面も使い 「出てきたら当たり‼︎」みたいな形にした。

もう一つ それこそ スペシャルなプレゼント として 春からクローバーを見かける度に
心がけて探し集めてきた 四つ葉のクローバーを カードの裏側に貼り付けた。

カードに書いたメッセージも 金銀の折り鶴も四つ葉も すべて私が独善でやっている事
で それを子供たちに気に入ってもらえるかどうかは 分からない。

でも 鶴を折りながら メッセージを書きながら 今 自身がしている事が 砂つぶ程度でも
平和に役立つのなら 子供たちが平和について考える機会の一助になるのなら と願って
やっている。



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孫たちが帰って行き ジャムを作り キュウリノキュウチャン作り をして する事が
一段落した。

友人にそれらを渡したくて ひさしぶりに連絡すると それでは今日の午後 と快い返事を
くれて 暑さ真っ盛りの一時に 迎えに来てくれた。

市内の喫茶店に落ち着き 先月の神経根ブロックの前に会って以来の互いのことに 夢中に
なって 話をした。

彼女は 隣の市に住んでみえる高齢のご両親宅へ ご機嫌伺いやら病院通いやらに 週に
一二度は通っている。

仕方がないから と 彼女は言うが そうは思っていても 誰もができることではない。
いつも感心させられる。

そんな彼女が 先週 熱中症になってしまっていた。

食料品の買い物など 普段と変わらない動きだったのに だ。

そんな事だったとは知らないで 呼び出してしまい 悪いことをした。

私も 何年か前に 屋内に居たのに症状が出て病院にかかったら 熱中症 と言われた
ことがあるが 体がだるいやら頭が鈍く痛くなるやら気持ちが悪くなるやら なんとも
気持ちがすっきりしない状態になる。
その後何日かは 屋内の涼しい場所で横になって過ごす という経験をした。

だから いくら良くなったから と言っても 知らなかったとはいえ 申し訳なかった。

でも 彼女との会話は いつも本当に楽しい。

気負わずありのままの気持ちでの受け答えが ストレスがなくて心地いいからだろう。

今日 彼女は 屈筋を整える というアームカバーを持って来てくれた。
フレクサーアーム という商標名の 紫外線もカットする優れものだ。
以前に 同じ理論から作られた靴下も頂いている。

靴下は 長時間履いていると 締めつけ感が強いから 一日中どころか数時間しか
履いてはいけない と言われたが このアームカバーは 家の中で一日つけていても
いいらしい。
つけることによって屈筋が整い それがあちこちの手当てのように派生していくように
作られているらしい。

喫茶店で箱から出してつけてみると ピッタリしているが あまり締め付け感がない。
屋内でも屋外でも どんな時にもつけていられるし 自分の気分で外せばいいらしい。
これで腕の屈筋が鍛えられるのだから ありがたいものを頂いた。

こちらは いつも自分で作った出来損ないのような物しか差し上げていないのに
彼女からは こうして いつも私の体を考えての品物を頂く。
ありがたいことだ。



昨日 朝早くに 娘からラインで 空港のラウンジで飲食しながらくつろいでいる家族の写真
と共に これから日本を離れる連絡が入った。

予定通り 彼らは旅立ったようだ。

最初ロンドンで何泊かして 婿がスーツをオーダーしたり買い物したり 用事を済ませてから
イタリアへ向かうのが いつものパターンだから 今回も ロンドンのホテルに着いてから
無事着いている と連絡があった。

いくらビジネス席だからとはいえ 他の乗客もいる中で あの絶えずおしゃべりな三歳児を
十二時間ものフライトの間 静かにさせておくのは大変だろう と思っていたが 上の子も
そうだったが 案外大人しく過ごして 逆に乗務員やお客に驚かれるそうだ。
ビジネスクラスのゆったりとした座席や 室内の雰囲気が そうさせるのだろう。
混み混みの あの狭いエコノミー席では そうはいかない。

それになにより 赤ちゃんの頃からずっと 年に二回はイギリスへ行っているから 乗り馴れて
ことが大きい。

ともあれ どんなことが起こるかわからない昨今だから 無事にロンドンに着いた様子に
安堵した。

日本と違って 一つ家族が同じ部屋で寝起きする習慣がないから 下の子が生まれてからは
ツインの部屋に滞在するようになったらしいが 同じホテルを何度も利用するお客への
ホテル側のサービスと配慮で 二方にベランダがついているツインの角部屋に 今回も
落ち着いたようだ。

体験入学で我が家にいた時 上の子が 何気なく
お部屋を出るとね いっぱい飲み物やケーキやクッキーがあってね いつでも好きな時に
食べていいのよ……。
と 引っ越しが済んだらまた今年も イギリスやイタリアで過ごす話になった時に言っていた。
そんなホテルに いつも滞在するということことだ。

いつもならふんだんには食べさせてもらえないお菓子を 旅先のホテルならではで 自由に
手に取れることもあって 日本にいる時よりは 多少ママの目がゆるむらしい。
孫には それが嬉しいとみえる。

物心つく前から いわゆる一般の庶民より豊かな生活をしている孫たちは いつ 自分たちが
恵まれた境遇にいることを知るようになるのだろうか。

幸い通っている学校では 一年生から 世界には特にアフリカには 飢えて満足に食べられない
子供たちがたくさんいる と学ぶ機会があるらしく 下の孫がパンに穴を開けて遊んでいるのを
見て私が叱っていると 上の孫が そのことにフッと会話の中で触れたから 観念的には 多少は
理解しているらしい。

娘は この事について 大きくなっていく過程で 知らず知らずに恵まれた環境にあることを
理解していくでしょう 独り立ちすればなおさら いかに幸せな家庭で育ったのか 思い知る
んじゃないかしらね 感謝とともに……と言っている。




私の背中には 両方の肩甲骨の上あたりに 大きな傷痕がある。

若い頃 結婚式の寸前にあった二度の交通事故で受けた傷が 式後 入院しても治りきらず
人にすすめられるまま 整体やら針やらに通った。

そのうち 剣山のような針の束を患部に刺し そこから鬱血している悪い血を出す という
治療を受けた。

たまたま運が悪かったのか 針を刺した部分が 傷になって残ってしまった。
それが 今も悩まされている肩甲骨の上の傷痕だ。

後から分かった事だが その施術師はモグリだった。だから 前の人に使った針を よく
消毒もしないで私に使ったので 菌が入ってしまったのではないかと思う。

結婚で体質が変わったらしく ケロイド体質になってしまっていたので その傷が
治るどころか 次第に盛り上がったようになって 広がってしまった。

それが いまだに残っていて 痒みを伴って疼くのだから 厄介だ。
いったん痒くなると 止めどなく狂ったように痒いから たまらない。

これが結婚前の娘だったなら とてもお嫁にいけない と思うほどの傷痕だから
今では 温泉に入ったりして人前で裸になっても平気になったが 若い頃は気が引けた。

その傷痕は まるで生き物のように 時々で形や広がりが変わる。
少し体重が減ると 盛り上がりが小さくなり 増えると たちまち痒みが強くなり
ブツブツとよけいに盛り上がって広がってしまう。

わずかな体重の増減に反応して 小さくなり大きくなりを長年繰り返しているうちに
今では かなり広がってしまって 肩の下あたりに散らばったようになっている。

結婚と同じくしてできたこの傷痕だから 付き合いも もう四十六年になるのに
今も まだ悩まされ続けている というわけだ。

こうなってしまうと この傷痕には 死ぬまで付き合うよりないだろう。

腰や足の神経もしかり。

どうしてこんなことになってしまったのか……何か悪いことをした結果なら
甘んじて受け入れるが 傷痕にしても神経にしても 私が受けとめて生きざるを得ない
よう 天が配剤したとしか考えられない。

孫たちを名古屋の新幹線ホームで見送った後 桃の処理も気にかかったが 前日と前々日にかけ
家で成った大きいキュウリと よそからいただいた大きいキュウリで キュウリのキュウチャン
漬を作ったので それを待ちかねている叔母の所へ持って行くために 叔母宅へ寄った。

毎年の夏ならば 取れ過ぎて困るほど成るキュウリが 今年の夏のこの酷暑で どのお宅の畑も
水不足のために ツルや葉が枯れ枯れになってしまい あまり成らないから いただくものも
あまりない。

でも 叔母だけでなく このキュウリのキュウチャンを待っていてくださる方が何人かあって
何とか一回は作りたい と 少しずつ成ったりいただいたりするものを 冷蔵庫で保存してきた。

そうして集めたキュウリが ある程度の本数になったのが 孫たちが帰る前の日だった。

日中は 忙しくて作れないから 孫たちが寝た後 作業を始めて 翌日ようやく出来上がった。

叔母がお世話になっている隣家の奥さんが これまでいくつかのレシピで作ってみたが
叔母に去年あげたのをつまみ食いしたところ 私が作ったものが一番美味しく口に合うから
レシピがほしい と 言われていたので そのコピーをお届けする という用もあった。

叔母宅から帰ったら直ぐにジャム作りの続きが待っていた。
一つずつ切り刻んだ結果集めた桃を火にかけ 煮詰めていった。

そんなこんなで 孫たちがいなくなった感傷にひたる間もなく 忙しかった。

そんな訳で ついつい ここ二、三日ブログをあげていなかったのです。
ご心配くださった皆様 ありがとうございました。

夫がつけている五年日記によると 去年の桃は 二十日の収穫では 少し早かった。

今年は 孫たちがいて 朝夕も土日も 畑へ行くどころではなかった。
一度 連休中に 草刈りには行って 一つ二つ試しにとってみたが 成りが悪かった。
そして 夫の頭には 去年の記載があった。

それでも 孫たちが帰る土曜日の早朝 いくつかでも収穫できたら と 夫は畑へ出かけた。

娘たち家族は 今夏も例年のようにイギリスやイタリアへ出かけ 一月は日本へ帰って来ない。
だから毎年 家族が日本にいるうちに 彼らに食べさせる分だけでも と収穫して送っている。
今年も 二十六日には日本を離れる という家族に 食べさせたかったのだろう。

私の生家がある町は桃や梨の生産地で 生産農家には親戚や知り合いが多く 我が家の
子供たちは 幼い頃から 完熟の美味しい桃を ふんだんにいただいて 夏を過ごした。

それがあってか 三人の子の中でも娘は特に 何より桃が好きで 桃さえあれば何もいらない
と 放言するほどの桃好きだ。
だから夫はよけいに 彼らが帰国する頃には収穫が終わっている桃を 日本にいるうちに
食べさせたいという気持ちが 娘可愛さの親バカで強いのだ。

ところが土曜日 畑から戻った夫が 玄関の戸をガラッと開けた後 しばらくして
オイ!!ちょっと来て見よ‼︎
と 大きな声で私を呼ぶ。

午後には孫たちを名古屋まで連れて行かなくてはならなくて テンテコ舞いしていた私は
何なの⁉︎もう〜! と思いながら出て行くと 桃の収穫に使うコンテナが 玄関に山のよう
に積まれている。

一瞬 エッ⁈ もうこんなに成っていたの⁈ と思ったら 夫が
コレ ぜぇ〜〜んぶ ダメな桃!!これで我が家の今年の桃は オシマイ!!

エエ〜ッ ‼︎ まさかのまさかだ‼︎

これでも まったく食べられないものは畑に捨ててきたんだ 山ほど……
積んだコンテナを眺めながら 悔しそうに夫が言った。

この前例のない酷暑で 虫の被害がないかわり 種の際から まるで煮え立ったように
茶色くなってしまったらしい。
そうでなかったら どうしてこんなになってしまったのか……。

私が見ては 中の様子が分からないが いくつか切ってみると なるほど どれも茶色い。
それも 種ぎわから外へと 腐ったようになっている。かといって せっかく自分が
丹精込めて育てた桃だから 食べられる部分を少しでも切り取って ジュースかジャム
にでもできれば と 夫は 気を取り直して 持ち帰って来たらしかった。

見かけは姿形はいいし色もほどよくて どこも悪いところがない桃なのに……仕方がない
食べられる部分だけを 加工するしかない。

全てを捨てるに忍びなくて 持ち帰っては来たものの 気持ちの持って行きどころが
ない というのが 夫の心中だろう。

でも 夫が汗水流して育てた桃だ。
ここは 夫の気持ちが少しでも安らぐように 面倒でも 一つ一つに包丁を入れて
食べられる部分を切り取って集め ジャムにでもしよう……。

そう思って取りかかったはいいが なにせ数が数だから なかなかハカがいかない。
コンキ コンキ‼︎ やるしかない‼︎

ところが なにせ数が多いだけでなく 切っても切っても 一個から残る食べられる部分が
わずかしかない。作業する途中で疲れてしまい 一休みしているところに電話があったり
して 一休みが二休みに と長くなった。

そのあと さて また切り取る作業に戻ろう と 台所へ行くと さっきまであった桃が
ほとんどなくなっている。
? と思っていると 夫が 捨てたぞ!もういい!骨折り損なだけだ!
良さそうな部分がありそうなのだけ残しておいたから それだけやってくれればいい!

助かった と思いながら 私の気持ちも複雑だったが とにかく残りを処理して
ジャム作りにとりかかった。

夫を励ますためにも
ほら でも ジャムにするには多いほど こんなにたくさんになったよ
と 出来るだけ明るく
それに ちょっと食べてみたけど すごく甘いから いいジャムになるわよ
と 言い添えながら 火にかけ 煮詰めた。

なんにも手伝えない私だって こんな言葉で夫の気持ちが晴れるとは 思っていない。

桃の木の下草刈りにだって 何度出かけて行ったことか………
冬は冬で枝打ちし 肥料を運んで元肥えをやり 一個ずつに袋をかけ 消毒だって
濃度に気を遣いながら 重い機械でし……

それらのすべてを一人でやって やっと成らせた桃なのに……。

その労苦が 見事に裏切られてしまったのだ。

悲しくて虚しいが これで 我が家の桃は すべて完了……
あっけなく終わってしまった……。

昨日午後 孫たちを連れて 名古屋駅の新幹線の待合室まで行き 東京から来る娘と待ち合わせ
孫たちを渡した。

待ち合わせの時間は四時だったが 夫が 駅までの途中で用事があったから 家を出たのは
お昼過ぎの 一番暑い盛りだった。

上の子は 学用品と学校や通学班のお友だちにいただいたプレゼントやぬいぐるみが入った
ランドセルと プール用具を入れたバッグに水筒 それに帽子。
下の孫は ぬいぐるみとプール用具が入っているバッグを入れたリュックに水筒 そして帽子。

それらの持ち物と二人を乗せて 家を出た。

ここ何日かの通学登園で使った物や二人の衣類 下の子が幼稚園で頂いた品などは まとめたら
大荷物になったから 宅急便で娘家族の新居へ送るよう 駅へ行く途中にある営業所で預けた。
それら以外の物は 娘が帰る際に すでに持ち帰っている。

暑い盛りとあって 車が走る界隈には 人影がまったくない。
人だけでなく 犬や猫の姿すら見当たらない。

最初にそのことに気づいたのは 上の孫だった。
誰もいないねえ〜静かだねえ〜

照りつける熱射で 屋根の瓦も道路もが 白茶けて揺れて見える。

お外へ出ると 死んじゃうから みんなお家の中にいるの?

先日亡くなった一年生の事を 孫は 学校で先生から聞かされていた。
ボンヤリしているようでも ちゃんと先生の話は聞いていたらしい。

水筒いっぱいに 冷たいお茶は詰めたが 名古屋に着くまでになくなっては困るから
途中 コンビニで四人分のお茶を買って 孫二人にも与えた。

すると もともと水分をたくさん摂る下の子は あっという間に空にしてしまった。
いくらなんでも と思っていると 案の定 オシッコォ〜〜!

付近にトイレが見当たらない!仕方がない 緊急事態だ!
急きょ道路端に車を停め その影で……
ひとまず 事なきを得た。

ところが 最寄りの駅で乗り込んだ電車が名古屋に着く寸前 アナウンスが車中に流れ 二人に
ランドセルやリュックを背負わせて 降りる準備をしていると またもや オシッコォ〜 !

電車のドアが開くと同時に 夫は孫を連れてホームへと飛び出して行った。
私は上の子と手を繋ぎ 下の子のリュックや水筒を 杖を持った方の手に掛けて 降りる人たちに
続いて降りた。

その時には もう 二人の後ろ姿は見えなくなっていたが 行く先は同じで分かっているから
そのまま新幹線のりばへ行き 入るための入場券を購入。

上の子としばらく改札付近で待っていると くたびれ果てた様子の夫の前を 私たちを
見つけた孫が 走り寄ってきた。

大汗をかいてシャツの背をベタベタにしながら 必死でハンカチを使う夫が言うには
ナント!ナント⁉︎
トイレを探しに 連絡通路へ下りるまでに とうてい間に合わず 恥も外聞もかまわずに
大勢の人が下りていく階段のホーム側で 低い壁に隠れるようにして させた のだそうだ。

(そんな二人の 迷惑条例や陳列罪に引っかかるような アラレもない不謹慎な姿を 思わず
目にされたご利用のお客様 そして駅員の皆様 本当にごめんなさい さぞかし ひんしゅく
を買った事でしょう)

まったくもう 三歳児は 何事も待ったなしだ。

そんなこんなの オシッコォ〜 の騒動がありつつも 東京から来た母親と無事に待ち合わせ
その二十分後には トンボ帰りする母親と共に 新幹線に乗って帰って行った。

途中二度の騒動と暑さと汗で 夫も私もぐったりだったが 二人の孫は スッキリした顔で
久しぶりに母親に会えた嬉しさを身体中にみなぎらせ 車中から ちぎれるほどの勢いで
手を振りながら 「 ま た く る か ら ね 」と 窓の向こうから言って
発車とともに 消えて行った。

今日の午後も遅くに 夫と 孫二人を連れて名古屋へ。

上の子には 学校関係のプリントや筆記用具 お友達からのお別れプレゼントなどが入った
ランドセルを背負わせ 水筒を掛け 手には プール用具と大切なぬいぐるみを入れたバッグ
を持たせた。

下の子は プール用具とぬいぐるみが入ったリュックを背負い水筒を掛けて 家を出た。

車を駅の駐車場へ止め 名古屋まで各駅停車の電車に乗った。
混み合う快速や新快速では なかなか空席がなくて孫たちが座れないが 各駅停車で おまけに
始発だから 楽に四人で座れる。

名古屋駅に着くと 新幹線の乗り場へ。
切符を見せ入場券を買って ゲートを通り 待合室へ。

東京から来る娘と 新幹線の待合室で待ち合わせ 娘は 孫二人を受け取って そのまま また
東京へと トンボ帰りして行くことになっていた。

何日ぶりかでママの顔を見た二人の孫の 喜ぶ様といったらなかった。
やっぱりママが一番だ。

東京行きのホームで三人を見送り 夫と私は 我が家へと帰ってきた。

家の中は 孫たちが遊んだおもちゃやら プリンセスになって引きずったり被ったりして遊んだ
タオルやらタオルケットやらが 部屋のあちこちに……。

家中に 二人の孫たちの残像がうごめいているような気が……。
かくれんぼしていて ポッとどこかから 可愛い声で笑いながら出て来るような そんな気がする。
頭の中にも 二人の声がこだましている。

小さな体なのに 幼な子が持つエネルギーは凄い。

東京へ戻った孫たちが帰った先は 出てきた代々木のマンションではなく
七里ヶ浜へのアクセスがいい と引っ越した下北沢の家だ。

孫たちがこちらにいるうちに引っ越しが済んでいるが おそらく まだダンボール箱が
家の中のあちこちに積まれていることだろう。

下の孫は 自分用に設えられた部屋と 新しく購入された自分のベッドを目にして
大きな声を上げて 喜んだに違いない。

今度の家は 九月から 日本でいう幼稚園へ入る下の孫と 二年生になる上の孫の
ために 部屋を別々に設える と娘が言っていた。

そうして 荷物の整理や納めもそこそこに またこの夏も一月 四人は イギリスと
イタリアへ出かけて行く。

一月経って帰って来れば 七里ヶ浜の家の建築も かなり進んでいるだろう。

そして 孫たち二人は 毎朝 お弁当を持って 学校へ通う。

バアバとしては 一夏を 父親方の縁者と親交を深め 海岸や牧場で楽しく過ごし
元気に日本へ戻ってきてほしい と願っている。


先ほど 夫が 二人の孫を連れて二階へ行った。

その前に ママとダディとビデオ電話をして 顔を見 今日のことをそれぞれが話した。

その前に 上の子が ママと話したいと言っているから 今夜 なにもかも歯磨きまでを
済ませたら パッドから連絡するからね と 娘に伝えると 娘は 顔を見たり声を聞いたり
すると 実際に会いたくなっちゃうんじゃないかしら と チョッと心配げだったが
案ずるよりなんとかで 二人とも 機嫌よく話して 機嫌よくバイバイした。

八時にはベッドに入る習慣だから 夕食の準備からして 夫と二人の時より 二時間ぐらいは
早く取りかかる。

幸いにもこの天気だから 洗濯物は太陽がまだ中天にある頃には 取り込めるから 夕飯の
準備の前に プールで水浴びさせる用意も 取り込んだ後にしておける。

早め早めに 家事の何もかもが順に進まないと なかなか八時には寝させられない。

昔々 三人の子育て真っ最中の頃はこんなだったなあ と 思い出しながら 慌ただしく
あっという間に一日が過ぎた。

明日は 学校も幼稚園も 最終日の終業式だ。

下の子は みんながお帰りした後も 夫の帰宅時間まで 園に居させてもらって 夫と
一緒に帰って来る予定だ。

上の子は 学校から借りた教科書類を返却しなくてはならないが 明日も朝から暑い
ようだから 重いランドセルに全部の教科書を入れては 登校するまでにくたびれて
しまうだろう。
だから お借りした物は 登校時に付き添って 私が 校門の外まで持って行ってあげよう
と 思っている。

したがって 明日のランドセルの中は 宿題のノートと それを記録した用紙くらいで
軽い。

孫は クラスのみんなに お世話になったお礼とさようならを 上手く言えればいいが……。

夕方 娘は 一人で東京へ帰って行った。

昨夜から今日 今夜から二十一日までの自分がいない間の 学校と幼稚園へ通うために
必要な物や パジャマや着て行く洋服などを それぞれ日にちを書いた紙をテープで止めて
居間の隣の和室に並べて 世話する私が困らないようにして行った。

明日明後日にさせる宿題についても 細かく書いて メモをとめるボードに ピンでとめて
日にち毎に分かるようにしてある。

そして自分は 幼稚園と学校へ 最終日に居られない旨を伝えながら お礼に伺った。

そんなこんなで 娘は 昨夜から大忙し。

それだけ準備してくれて帰っても いざ明日の準備をする となると なんだかんだと
私には分からないことが出てきて 新幹線の車中とは分かっていてもメールや電話を
せざるを得なかった。

助かったのは 二人ともが ママママ と 後追いしなかったことだ。

下の子は 昨夜 娘が言って聞かせると いっしよにかえるウ〜 と言っていたらしいが
夕方 娘が 借りていたレンタカーに乗り込む時には 上の子と一緒に並んで 手を振って
いってらっしゃ〜い と 大きな声で送り出していた。

一人だったら 恐らく こうはうまくいかなかったのだろうが 上の子が落ち着いた態度で
いるから 不安に感じながらも 泣かずに見送れたのだろう。

二人を置いて行く娘も 後ろ髪を引かれず 安心して帰って行けただろう と思う。

問題は 明日 幼稚園から帰ってからだ。

ママがいないから 愚図ったり泣いたりするだろう と思う。
その時 さみしくても我慢する上の子の姿や態度が見られれば 多少は落ち着くかも
しれない。

寝させる時は 私だと甘えて なかなか寝入らないから 今夜は 夫が一緒に二階へ上がり
二人の間に入って横になり 本を一冊読んであげてから 二人ともが寝入るまでいた。

ジイジが相手だと ワガママやヤンチャも影をひそめるから 驚くほど寝入るのも早い。

明日の晩も明後日の晩も この手で寝かせよう!

明日の朝一番にすることは お茶作り 夫と孫二人の水筒に入れて持たせるお茶だ。
早く火にかけて沸かさないと この暑さの中 なかなか冷めない。
水出しでもいいのだが 娘から 必ず沸かしたのを冷まして持たせてね と言われている。

沸いたらボールに移して冷ます。
氷を入れたいが それだとお茶の味が薄くなってしまい 孫たちには不評だから仕方がない。

次は パンにジャムをつけて 飲み物と共に出し ヨーグルトにブルーベリーを入れて出す。

この手順通りに朝食が済めば あとは 今夜準備したランドセルや 持参させる用品を入れた
バッグを持たせ 水筒をかけさせ帽子を被らせて 集合時間までに集合場所へ送り出す。

そのあとは 夫が下の子を乗せて 幼稚園へ向かう。
明日もプール遊びがあるから プール遊び用の物をバッグに入れ リュックに水筒 帽子を
被らせて 送り出す。

書くと簡単なようだが これが なかなかスムーズにはいかないから大変だ。

夫の言葉ではないが 当たって砕けろ で とにかく送り出さねば‼️