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昨夜泊まった旅館は 知らないで予約したが あちこちの旅のサイトでかなり高い評価を
受けていた。

評価がいいだけあって メインの温泉は申し分なかったし 食事も美味しかった。
館内も明るくて雰囲気もよかった。

ただ 前日宿泊した旅館は インが二時からでアウトが十二時と 湯治客や骨休めに来た客には
ゆっくり落ち着いて滞在できる時間設定になっていたが この旅館は 普通の三時イン 十時には
アウトの設定になっていたから せっかくいくつもの源泉があり浴室も浴槽もたくさんあるのに
お湯をゆっくり楽しませる という温泉旅館本来の使命からすると 少し残念な気がした。

ともあれ 今朝は旅館を出ると 夫の目当ての地酒を買うべ 一番に 地元の酒屋さんへと
車を走らせた。

両方の旅館の売店でも 当然地元のお酒は売っていたが なにせ銘柄が少ない。
その点 地元の酒屋さんなら 殆どの銘柄を揃えているし それらそれぞれについての味の説明や
醸造所の話 評判などにも詳しい。

飛び込みで見つけた酒屋さんも思った通り詳しくて どれでも気になる瓶があれば試飲してみて ください何本でもいいですから とまで言ってくださったが 夫は運転手だし私は下戸。
辞退すると 夫婦で本気で残念がってくださり 説明を聞いて夫が気に入ったものを数本包んで
もらっている間に 奥さんが それじゃあアルコールが入っていないものを車の中で飲んで と
冷えたお茶や清涼飲料のパックやボトルをたくさん袋に入れて サービスで持たせてくださった。

本当の酒好き だと 応対して分かったのと 旅館で買わずにわざわざ訪ねて来てまでも買って
くれたこと それに夫がその地の杜氏や酒蔵について聞きかじりでも知識があったことが
店主ご夫婦には 嬉しかったのかもしれない。

お酒を買うと 高速で金沢へ向かった。
せっかく美味しいお酒を買ったのだからそれに見合う肴を買いたい となり 目的の行き先は
金沢市内の近江町市場だ。

高速道路を使いおよそ一時間も走れば着いたが 高速に入るやいなや 雨が激しく降って来た。

こんなことも予想できたので 旅館の駐車場を出るときに 二人とも靴を履き替え 雨具も
すぐに使えるよう準備して出てきてはいたが 激しい雨の中の運転は危険だ。
とりあえずは 一番近いサービスエリアに入って 雨をやり過ごした。

来る時もそうだったが 激しい雨脚は長くは続かないから 用を足し店内をブラブラしている
うちに もう小止みになった。
そして 近江町市場の駐車場へ車を入れる頃には また青空が戻っていた。

何を買って帰るか は夫の思い次第だから 強い魚の匂いがする通りのあちこちのお店を
のぞいて歩いた。
昔 来た時にはもっと広かったような印象があったが そうでもない。
行きつ戻りつしながら 夫のほしい魚とお店を決め ハッポウの保冷箱に入れてもらった。

目当ての魚さえ買ったら あとは帰るだけ。
兼六園や茶屋街の市内観光もせず 途中 二ヶ所のサービスエリアで休んだだけで
ただひたすら 東海北陸道を走って帰って来た。



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今朝 家を出る時には降っていなかった雨が 福井県に入ると急に激しく降り始めて ワイパー
を動かしても 前が見えないほどの降りになった。

この状態が温泉地に着くまで続いたら 運転する夫には大変な負担になるところだったが
幸いなことに 数分で降りかたが変わって ホッとした。

その後はそれほど降らず 傘もささないでいられたのは ありがたかった。

温泉地に着いても 朝出るのが早かったから チェックインまでには かなり時間があったので
記念に陶器の絵付け体験をしよう と 夫はマグカップ私は舟形の深皿 に 絵付けすることに。

もう十年も前になるが 地元の陶芸家に 友人数人と 土コネから成形 絵付けの指導を
仰いでいた経験があるが 年月の移ろいが すべて忘れさせてしまい 素人同然の有様だから
時間もかかり 絵付けもうまくはいかなかった。

それでもまあ 夫とこうして来た記念なのだから お金を払い 後日自宅へ送ってもらう手配
をして お店を出た。

私は今回 御朱印帳を持って出て来ている。

道々 名のある神社仏閣を見つけたら 途中下車して 御朱印をいただくつもりでだ。

絵付け体験に向かう途中 古刹があった。

最澄が開祖の 那谷寺。
平安以前からの歴史を有する格式高いお寺だが 加賀藩三代目の前田利常の御代には
荒れ果てて 見る影もない有様だったのを 利常の肝いりで 立派な伽藍や庭園が
作られ 今に至っている という由緒あるお寺だった。

平成になって修復されたという千手観世音菩薩は 神々しくも 悩む衆生を救わんと
雄々しく佇んでいらっしゃった。

たくさんの洞穴を有する奇岩は その昔 芭蕉も発句したといういわれもあり
今も変わらず そこにどっしりとあった。

訪れる人も参拝者も少なくて ゆっくり拝見でき 御朱印もいただけた。

今夜の宿に着き 部屋付きの露天風呂は後回しにして 貸切状態の大浴場へ。

お湯はかすかに硫黄の香がするが 無味無臭に近い。

誰もいない大きな湯船に ただ一人つかる気分は 極楽だ。

ベッドに潜り込む前には 部屋の露天風呂に入るつもりでいる。

夫の夏休みも終わりが近づいてきた今日から 二泊三日で温泉旅行に出かける。

なんということのない骨休み旅行だ。

俺は どこって行きたいところはないから おまえどっか計画しろ

と ずっと言われていたが 体のこともあって あまり気がすすまず グズグズしていたら
しびれを切らした夫が どういうわけか 近場の北陸の温泉へ行くことに 自分で決めた。

どうせ行くなら 一泊では慌ただしいから二泊してこよう となり 二泊三日の温泉旅だ。

あいにく今日は 行き先は荒れた天気らしいが どうせ温泉につかるより目的のない旅だから
宿でマッタリするには かえって落ち着いていいかもしれない。

お湯につかる 飲む 食べる しかないのだから 骨休めにはちょうどいい。
呑み助の夫は 宿の備え付けのアルコールは高いから と 持ち込み用にスーパーでビールを買い
車に積んで行く。

かといって せわしない夫は 二泊を同じ宿では面白くないから と 同じ温泉場なのに
一日ごとに宿を変えての湯治旅行だ。

思えば ここ二、三年 夫と二人での旅らしい旅に出かけていない。
一昨年 計画して行くばかりになっていた旅を 叔父の入院やら葬儀やらでキャンセルした。
以来 叔母を放っておくわけにいかなかったこともあって 何処へも行っていなかった。

行ける時に 行こう と思わないと 私の体もだんだん悪くなるし 夫だって歳をとっていく。
ましてや 夫が言い出してのことだから 神経根ブロックの効果がまだ感じられる今なら
自由のきく車での旅が 一緒にできる。

珍しくもない温泉地だが 泉質はいい と昔から言われている所だ。

ゆっくりお湯に浸かれば 最近気になっている脇の痛みも消えるかもしれない。

お湯と新鮮な魚が食べられることだけを楽しみに 骨休みに行って来る。

今朝早く 娘家族が帰国した。

ロンドンからイタリアの南海岸と北部の高原の古都で二週間を過ごし イギリスに戻って
コッツオル スコットランド エジンバラで二週間 の一ヶ月のバカンスだったが
家族がみんな元気に過ごし 孫たちも 東京にいては体験できないような野外での活動も
して 家族だけでののんびりした生活を満喫したらしい。

それに なによりイギリスは父親の母国でもあり 自分たちにとっても 国籍のある国だ。
日本もイギリスも どちらも自分たちの国なのだから 行って当然の国なのだ。

神経を使う仕事と 日本と日本語に囲まれた生活から一時離れて 親族に会い共に過ごして
自分の国の空気を吸い 婿は さぞかしリフレッシュしたことだろう。

娘や孫たちのためにも またバリバリ働いてほしい。

日本を留守にしている間に セカンドハウスの建築もさぞかし進んでいるだろうから
見にいくのを楽しみに帰って来たにちがいない。

九月になれば 下の子も 日本でなら年少さんに当たる学校へ入学する。
上の子は二年生になり 新しいクラスと先生に変わる。

娘には 二人の子の学校の準備が待っている。

転居したての家で また 彼らの新しい生活が始まる。

私たちの家がある自治会では 自治会内の各家の親睦を図る意味で 毎年 その夏の第三土曜日
か日曜に バーベキューをする。

場所は自治会内に設けられている空き地。

準備はその年の自治会の役員がする。

バーベキューにする食材や飲み物などの買い物から 野菜を切ったり火を起こしたり
会場の設営などは 会長が先頭に立って 役が当たっている家が集まって準備する。

そして 自治会内の家々の老若男女は 五時になると 三々五々 空き地へと足を運ぶ。

この自治会が出来上がった頃は 各世帯の夫も妻も若く子供たちも幼くて 会場は
おおぜいの子供たちの甲高い声が賑わしく それに負けるな とばかりに大人たちも
大きな声で話し笑い おおいに飲み食べしたものだった。

が 今では 子供たちも大人になり ほとんどが家を離れてしまっていて わずかに近隣に
住んでいる子供や結婚している子供が この日に合わせて実家へ帰っていて 生まれた子を
連れて参加したりしているだけ。

当然 自治会が構成される前からこの地に家を建てて暮らしてきた夫も私も その後
周辺が宅地化されてから家を建てた十ほど若い世帯の夫も妻も 三十年近い年月の間に
歳をとった。

だから 私や夫と同年齢の人たちの中には バーベキューの日と分かっていても
会場へ足を運んでまで参加しない という人もでてきた。

砂利地の空き地は足場が心もとなく ましてや夕方から夜暗くなるまでだから
私も もう十年近く参加していない。
夫によれば 数名いる同年代の奥さん方も 出ない人の方が多くなっている。

元々 同年代の女性が少ないから 一人二人参加しないと 他の十ほど若い奥さん方とは
話が合わないからか 他の人も話し相手がなくて面白くないから出ない となってしまう。

それで近年は参加したご主人が バーベキューで供される食べ物を 各家に居残る奥さんへ
と運ぶ姿が 当たり前になってしまったらしい。

私たちの年代は 面白おかしく飲み食いするためにだけ 自治会のお金を多く費やすことに
抵抗があるのも事実で だからよけいに出て行かない ということもある。
以前 井戸端会議をする機会があった時 皆が同じ思いでいることが分かった。

それでも 十若い人たちは人数が多く団結してしているから 未だにずっとバーベキューは
自治会の行事として続いている というわけだ。

そして今夜も 出て行かない私のために 夫は会場と家とを何度か往復して 食べ物を
運んでくれた。
他のご主人方と同じように。

変な 自治会のバーベキューだ。

おそらく 同時に襲来した二つの台風のせいだと思う。

一昨日の遅くからだったと思う。
急に腰の痛みがつよくなった気がした。

最近 夜明けの頃になると眼が覚める習慣になっているが それが 昨日は違った。
急に左足が強烈に痙攣し始めて それで目が覚めた。

このところ 神経根ブロックのおかげで何ヶ月も経験していなかったから 急激に起きた
激痛に驚きながら ただ耐えるしかなかった。

強い痙攣は 引いたかと思うと また繰り返し繰り返し襲ってくる。

そうなると 歩くことさえ容易でなくなるし どんな体勢でいても激痛は変わらない。
おまけに 繰り返し繰り返しくる痙攣は 更に腰の痛みも 誘発するから 始末が悪い。

そんなわけで 昨日は一日 体が使い物にならなかった。
そんな日は 仕方がない ベッドに横になって できるだけ痙攣が軽く済むように
軽い軽い 痛くない痛くない と自分に言い聞かせながら 気を紛らすために
ひたすら本を読む。
当然 中身の半分も頭に入らないが そんなことは二の次で ただただ本の字面を追って
気を痙攣からそらす努力をする。

そうやって 久しぶりにやってきた悪日が過ぎた。

偶然にも今日の午後マッサージに行く予約を 以前から叔母がしてくれていたから助かった。

一時間半 たっぷりマッサージしてもらった。
そしてようやく 痙攣の後のさざ波のようなザワザワが 少し消えた。

施術してくれた女性が いつもの比ではないくらい左足が硬くなっていて そのせいで
体が自然にバランスをとろうとするから 右の腰や背中もガチガチになっていて驚いた
と 施術前に状態を話してあったにも関わらず 私が ベッドから降りると言っていた。
よほど身体中が いつも以上に硬くなっていたらしい。

痙攣は原因不明なのだから仕方がないのだ と答えると いかにも気の毒そうな顔をした。

そうなのだ……
仕方がないのだ……

この前 先生から聞いた最新の治療をすれば この痛みから解放されるのだろうか……。

まあ とりあえず 痙攣地獄からは抜け出せたことを 喜ぼう。

夫の車で 今日も 大学病院の麻酔科へ。

夫は たまたま勤務先に仕事ができて 私を降ろすとそのままいつものように仕事に行った。

病院の今日の予約患者数 千三百十三人。算用数字にすると1313 面白い数字の並びだった。

番号札を取り受付を済ませてしばし待ち 診察室への呼び込みで担当医師のブースへ。

今日は 初めての話をされた。

今まで 私がしてもらっている治療が 日本での 痛みに対する最先端の治療だと思っていたが
近年 また医学は進み 新しい緩和治療法が生み出されたらしい。

しかし新しい治療法だから 治験ではないのだが まだ誰にでも勧められる治療法にまでは
至っていないらしく 医師は

私たちも この治療法についての説明を どなたにもするわけではない
長く痛みで苦しんでいる患者で その中でも 自分の意思がしっかりしていて冷静に考えられる
方にしか しないのですが……

という言葉で 説明を始められた。その最新の治療法とは

まずは 局部麻酔で背骨の硬膜外に 痛みを発している箇所の神経を探りながらカテーテルを入れ
(神経根ブロックの手術のように針で電極を当てるのではなく 腰を切開して背骨に沿わせて
カテーテルを入れ定置する) それを 外部からコントロールして痛みを緩和させる。
その状態のまま1週間ほど様子を観察して 確実に痛みが軽減する と判明したら 今度は
本格的に全身麻酔手術で 心臓病で使うペースメーカーのような役目をする器械を 腰やお腹の
邪魔にならない部分に埋め込む。
背骨に入れたカテーテルとその器械を外からコントロールして痛みを緩和する。

というものだった。

私が通っている大学病院では すでに数例 この治療が行われている とも話された。

今 どうしても私に勧める ということではないが こういう治療のことも 頭に入れておいて
ほしい

ただ この治療を受けた患者でも 効果が感じられない という人も中にはある とも言われた。

そして この治療法のパンフレットを渡してくださった。

治療室のベッドに横になり いつもの点滴を受けながら 考えた。

今はまだ 六月に受けた神経根ブロックが効いている。
この効き目がなくなって どうしてもまた神経根ブロックの手術をしてもらう事になったら
もう一回 神経根ブロックをしてもらう その後 また激しい痛みが戻ってきた時に
その時に この治療のことを考慮に入れよう。

誰にでも勧めない ということ まだ 数例 だということ は 医師の側も この手術には
まだ慣れていない ということではないか……

私が考えているうちに 治療を受ける患者も増えるのではないか 従ってこの手術の件数も
多くなり 不安なくこの治療を受けられるようになるのではないか……。

これが 考えた結果のことだ。

効果の大きい人は それまで感じていた痛みの五割から七割も緩和する と パンフレット
にはあった。

根治治療ではないにしても 今抱えている痛みが そんなに軽減するのなら
今の私にとっては 夢のような治療法ではある……。

孫は きっちり朝の八時五十分には我が家へ来る。

今日は朝から 孫が来るのを待って月一回の内科へ行くべく シャワーを浴び 夫と二人で
内科医院へ行った。

お盆明けとあって 医院に着いたのが九時半前だというのに 待合室にはたくさんの患者が。

待つよりないから 黙って夫と並んでソファに座り 名前を呼ばれるまで待つ。

今日は 前回かかった時に次回には血液検査を と言われていたので お盆ごろから
背中の中ほどから右脇にかけて痛みを感じるようになっているので 医師にそのことを
話し 膵臓の検査も加えてもらった。
結果にもし悪い数値が出れば 医院の方から電話してくださるということだった。

医師には 多分何ともないと思いますがね と言われたから そう心配することはないのかも。

夫は夫で 不整脈が出るようになって以来 その薬と血圧の薬を処方してもらっているが
睡眠時無呼吸症候群の改善のために 夜間就寝時に着けるようになった器械から送られる
データの結果を聞くために やはり月に一度 私と同じ医院にかかっている。

二人して薬局で薬をもらい帰宅すると もう一時に近い時刻だった。

一人勉強していた孫娘のためにも 家に着くなり 前もって準備し鍋をかけておいたコンロの
スイッチを入れ 昼食作りに取りかかった。

四時過ぎに 勤め帰りに寄った嫁と孫が帰って行った後 夕飯のためのお米を研いでお釜に
仕掛けると もう整形外科へ行く時間だ。

整形外科も すごい数の患者が待ち合いに 座ったり立ったりして 名前が呼ばれるのを待って
いた。

久しぶりにリハビリをしてもらい 体が軽くなったような気がする。

それにしても 今日は 朝も夕方も 待って待っての一日だった。

今回の「子ども平和広場」の催しは 二回目ということもあって とても盛況だった。

私が担当した本と読み聞かせのコーナーへも たくさんの子どもたちが来てくれて 特に
大きい絵本の読み聞かせがリクエストされる回数が多く 準備していた小さな椅子にチョコンと
座って 真剣に聞いていた。

読み手は 今回 図書館司書をしている教え子が参加してくれたので 読みは彼女がもっぱらで
次々にリクエストに応えて さすがに上手に ページをめくりながら読み聞かせてくれた。

セットしたテーブルの上には 戦争と平和をテーマにした絵本や物語をメインに 昔話や
創作童話や絵本を 目立たせたい本は前もって作っていった脚台に載せるなど 工夫して陳列した。

そして今年の催しの大きなメインは 六ヶ所のコーナーそれぞれでクイズを用意し 子どもたちが
それらのコーナーを回ってクイズに答えるスタンプラリーを取り入れた事だった。

私は自分たちのコーナーで出すクイズの出し方を くじ引きのように子どもが自分で箱の中から
選び出す方法にした。

クイズは 対象年齢が不特定だし 考え込んでしまうような問題でも困るから 昔話を主にして
簡単な問題にし 答えを三択にした。
そして 中には答えが抽象的で自身で考えて答えるものもいくつか入れた。

問題を考えるのも カード一枚一枚に平仮名で書くのも その過程が楽しかった。

それも ただクイズを書いた紙をつかみ出すだけでは面白味がないので 折り紙で作った封筒に
メッセージを書いたカードと折鶴を入れた物にクイズを書いたカードを添えた。
そして メッセージカードの中には 裏に四つ葉のクローバーの押し葉をつけたものを「当たり」
の形で五、六枚に一枚作って入れた。

丸く穴を開けた箱に そうして用意した物を五十個入れて 万が一のための予備に と十三個を
別に持って行ったが それらが全部なくなっても まだまだ足りなくて 午後の最後あたりには
クイズを書いたカードだけを箱に入れて ひいてもらったほどだった。

私にとっては まったく予想をいい方に裏切る状況になって 驚きながらも嬉しかった。

今回 準備にかなりの時間を費やしたが 家にばかり居る私には それも楽しい時間だった。

もし来年も三回目を開くとしたら 今年と違ったクイズの出し方をしないと。
これから一年かかって 子どもが喜ぶ方法を 楽しみながら考えよう!

去年 生協主催で第一回目の 子どもをターゲットにした平和について考える催しが開かれた。
友人に誘われる形で その催しの読書のコーナーのお手伝いをした。

そして今年もまた その催しが今日ある。

ずいぶん前から そのための準備をしてきた。

今回は二回目で去年がたたき台になっているから あれこれ工夫することができた。

なりゆきで コーナー自体の主なことを任された形になったから 自分のアイデアを優先する
ことができた。

八時半には友人が迎えに来てくれる。
たくさんの荷物と一緒に 一日出かける。

嫁が 朝の出勤時に上の孫を乗せて来て 我が家で降ろし 会社へ。

孫は 自宅でも勉強できる環境だが 家に一人でいると勉強する気が起きない というので
我が家で勉強することに。

下の孫は 午前中は部活があるので 帰宅後シャワーを浴びて こちらへ来る準備ができたら
連絡をよこし 夫が迎えに行く予定になっていた。

私は 十時過ぎから午前中は習字に行った。
どのみち下の孫から連絡があるのは一時くらいになるだろうから 上の孫は少し待たせるが
昼食の準備は 習字が終わって帰宅してからでも間に合うだろう と出かけた。

お盆の続きとあって生徒は私だけだったから 目一杯練習しては指導を受けして 清書できた。

真剣に集中してあっという間に時間が過ぎ 夫の迎えの車に乗り込むと 呼吸が苦しい。
無意識に歯を食いしばっていたのだろう こめかみに痛みがあって奥歯が浮いていた。

夫と二人だけなら ちょっと休んで ができるが 次男と孫二人の昼食の用意があるから
家に着くやキッチンへ行き 材料を切ったりの作業と調理に向かった。

今日の昼食は 野菜の黒酢炒めとトンテキ あとは茄子の味噌もみとトマト。
なにせ食べ盛りの孫たちだから 材料の分量も多い。
まずレンコンを薄切りにして酢水につけておいて 大量の玉ねぎ 人参 しいたけ
ピーマンを切って準備する。
あとは 合わせ調味料を作っておいて 野菜が炒まったらからめるだけだ。

別のフライパンに油をひき 薄く小麦粉をはたいた豚肉を焼き色がつくまで炒めたら
こちらも 前もって作っておいた調味料をそこに入れて炒りつければ出来上がり。

どちらも帰宅後時間をかけなくてもできる料理に と準備しておいてよかった。

テーブルの準備をしていると ようやく下の孫から連絡が入り 夫が迎えに行った。

お米もたくさん食べるだろうと 夫と二人の時より倍以上炊いておいた。

昔昔の三十年前の我が家がそうだったように 二人の孫は食べ盛り。
案の定 ご飯のおかわりも半端ではない。
こんなに食べたら眠くなって午後の勉強ができなくなるのでは と 内心 心配に
なるほどだ。

嫁の仕事が終わり我が家へ立ち寄る三時過ぎても やっぱり下の孫の勉強が目標
のページにまで至っていない。
五時を回っても まだ済ませられない。

さすがに母親も姉もシビレを切らせて イライラしながら待っているのが分かる。
でも 本人のペースは変わらない。

ああぁあ〜昔 次男がこうだったァ……
こんなところ 似たんだろうかァ……似なくてもいいのにィ……。

とうとう 嫁が これではラチがあかない と思ったのだろう
もう帰ろう!あとは家に帰ってからやれば⁉︎

嫁の一言で そそくさと片付けた孫は 母親の思いなどどこ吹く風 ケロッとした顔で
姉と一緒に帰って行った。

ヤレヤレェ〜〜……。

住んでいる県では二店舗目 という回らない回転寿し屋へ行ってみたい と次男のリクエスト。
お盆の間も訪れる者もなく一人家にいる叔母を想い 一緒にどうか と連絡してみると
行ってみたい と言うので迎えに行き 夫の車でそのお寿司屋さんへ 一緒に行ってきた。

そのお店は 注文したお寿司が新幹線の形をした物に乗って運ばれて来る と聞いて
夫と私は 先月 東京から来ていた孫たちを連れて 一度来ていた。

回転していない分ネタも新鮮で すし飯も温かくて 運ばれて来る方法にも驚きながら
叔母は 好みのネタが載ったお寿司を注文し 美味しい と食べた。

次男はスマホ片手に ツイッターでのお店の評判を見ながら このネタがいい と書いてある
からこれを頼もう とか言いつつ 次々に注文して食べた。

少しいいネタのお寿司は三百円以上したが それでもやっぱりモノは回転寿しだから
お腹いっぱい食べても レジでの金額は知れている。

値段の割にはお得感があったから お腹も気持ちも満足して店を出た。

長男宅の七人乗りの車で 長男家族と夫と次男と私の七人が 高山にある実家のお墓参りに
行ってきた。

例年お盆は 別々のスケジュールで動くから お墓参りも別々だったが 今年は 互いに
お墓参りに行く日が同じ と分かって それなら一緒に行こう となった。

行きは順調で お墓の掃除や周囲の笹やぶを切ったり雑草を抜いたりの作業も 人手が多い
だけに 早く済んだ。
日中の暑い陽の下での作業で みんな汗だくになってやってくれた。

可愛がってくれた孫とそのお嫁さんや子供たちが きれいにしてくれるのを 亡き両親は
お墓の中で喜んでいたに違いない。

帰るみちみち 長男と次男は 自分たちが幼い時に 夏は蛍狩り カブト虫取り 魚釣り と
毎日のように祖父に連れて行ってもらったこと 家の座敷で座布団をベースにしての
ボール遊びや 将棋 トランプ かるたなどのゲームも よく一緒になってやってもらった
など 私の両親に真から可愛がってもらったことを語り合い また祖父も祖母も二人ともが
いつも冗談を言い 明るくて楽しい祖父母だったから 幸せな子供時代を過ごさせてもらった
今から思うと ありがたかった と 話していた。

そういう思いが胸にあるからこそ 長男は 必ずお盆と暮れにはお墓参りに行ってくれる。
ありがたいことだ。

帰り道は渋滞ノロノロで いつもなら二時間少しぐらいで家に着くところが四時間も
かかってしまった。

こういう時 運転する者の性格が出る。
今回は 終始 長男が運転したが 彼はいつも安定した気持ちとペースを保ちイライラしない。
不思議に 短気なように見える次男もまた 運転に関しては長男と同じで 淡々としたペースで
運転する。

が 夫は違う。

ノロノロ動いては止まる車の中で 私がつい お父さんでなくてよかったわ と言うと
父親の性格や 子供の頃から同乗して こういう場合どうだったかをよく知っている息子たちは
ホントホント! と笑っていた。

後ろ座席で 終始ブツブツ言っていた夫は 運転しなかったのにもかかわらず よほど疲れた
とみえ 遅めの夕ご飯の後シャワーを浴びると 早く寝てしまった。
どうしようもない渋滞に 一人でカッカと怒りイライラして まいったのだろう。
自分が運転して往復したかのような 疲れ方だった。

何はともあれ みんなが大好きな中華そばを 長い観光客の列に混じって並び ひいきのお店で
食べただけで あとはスーパーで食料品を買っただけの高山行きではあったが 久しぶりに
長男家族と次男と一緒に 亡き両親の御墓参りができたことは 私には 小さな幸せな事だった。

昨日 涼しくなってから お墓参りに携える花と 仏壇のお供え物を買いに出かけた。

昨日は 夕方 激しい雨で 車で出かけるのも躊躇するほどだった。
一ヶ月以上雨が降っていなかったから 畑や植木などの植物には 正に恵の雨だった。

今朝早く四時半頃に目が覚めて外へ出ると 空気も少し湿っていて 呼吸するのも楽に感じた。

今朝は久しぶりに 花の鉢の水やりをしなくてもよかった。
今夏も 去年と同じように 台所で使った水をペットボトルにためておいて それを水やりに
使っているが さすがの酷暑で それだけではまかないきれない有様だ。
だから 昨夜の雨は 私にとっても恵みの雨になった。

出かけたはいいが スーパーに併設されている花屋さんには 一本も花がないではないか!
わずかにほおずきが数本あるだけ!

仕方なくもう一軒のスーパーへ行くと かろうじて ほしい花束の数が残っていた。
夫の実家の墓地にはいくつものお墓があり 今では刻んである文字さえ読み取れない暮石
もあって 供える花もたくさん必要なのだ。
花の束と仏前のお供えを買い 雨の中帰宅。
ここにもなくて買えなかったら 手ぶらでのお墓参りになるところだった。
激しい雨の中を出かけた甲斐があった。

そして今朝 夫と 夫の実家のお墓参りに行って来た。

お盆とあって 私たちが墓地に着くと 後から後からお参りや掃除に来る人が。

お墓の後 実家へ寄り 仏壇の前で手を合わせた。
今年は 亡くなった夫たちの祖母の五十回忌だ と 義弟が言っていた。
お嫁さんと二人で 僧侶に来てもらいお経をあげたらしかった。

私は写真でしか知らない祖母だが 孫の中でも長男だった夫を特別可愛がって
くれた と 夫が 折にふれて語る祖母だ。
五十年も経っているから もう何処かの誰かに転生しているかもしれない。
未亡人になって何人もの子を育てるのに苦労したという祖母だ。
もし転生しているのなら 幸せな生活を営んでいてほしいと思う 。

明日は 長男家族と 私の実家のお墓参りに行く予定だ。
明日も暑くなるらしい。

今朝 先月末に出産を終えて 短い産休を取っている連れ合いと一緒に 目下 新米の両親役に
励んでいる姪から 送ったお祝いのお礼の電話があった。

晴れやかな若々しい声が 携帯の向こうから聞こえてきた。

一時間半置きの授乳で 昼夜の区別が定かでなくなっている と 笑いながら話す。
なんとか完全母乳で育児するべく頑張っているらしかった。

十九時間も分娩までかかって おまけにスワ陣痛! と 病院に駆けつけたが まだ子宮口が
二センチだから と一旦帰され 再度出直しての出産だったから 普通分娩を甘く見過ぎていた
とも 笑いながら明るい声で語った。

彼女の子育ては 今始まったばかりだ。

優しいご主人と共に 時には悩みながらも 持ち前の頑張りで 「めい」と名付けた可愛い
赤ちゃんを育てていってほしい。

今日も 孫二人は 朝から嫁が出勤する車に乗ってやって来た。

上の子は 直ぐ勉強を始め 午前中ずっと集中してやっていた。

下の子は 一時間ほど勉強した後 夫のアドバイスを受けながらの作品作りの続きにかかった。

昨日までに 切ったりしての形作りは済んでいたので 今日は もっぱら仕上げに向けての
作業をするようだ。

途中 何度か水分補給や甘辛のおやつを運んで 作業の進捗状況をみると 孫は汗をかきながら
一心に取り組んでいた。
夫は その脇に腰を下ろし 時々 こうした方がいい とか 助言していた。それでも汗で
ビッショリになっている。

デザインにと 昨日 糸鋸でくり抜いた大小3つの円い穴にペーパーヤスリをかけたり
ペンキを塗ったりしていたが この天気だから塗装は早く乾き 午後3時前には完成した。

できたぁ〜‼︎ と 孫が家の中へ持ってきた作品を見ると ヤスリをかけていた小さな円窓の
ような大小3つの穴には 白いペンキが塗ってあり 全体は茶色く塗られ 台座は黒で仕上げ
てあった。

茶色の中の小さな3つの白い円が際立っていて 全体の形もカットもデザイン的になっているから
私でも これなら欲しい! と思うほどの出来栄えの飾り棚になっていた。

天板が透明なアクリル板なのもモダンだし それを支える両サイドの木板が可動できるように
作ってあるのも機能的で素敵だった。

昨年作ったサイドテーブルよりずっと簡単に作れた今年の作品だが 仕上がった作品を見ると
洗練された感さえあって 完成度が高いように思える。

私やお姉ちゃんが褒めるものだから 孫はまんざらでもない様子で 仕事帰りの嫁と一緒に
大事そうに大きなビニール袋に入れて帰って行った。

家ではなかなか勉強がはかどらないから と お盆明けにも また二人は我が家へ来て勉強する
らしいが……作品作りのようには はかどらない予感がする……。

昨日今日と 長男宅の孫が来て 夫が 夏休みの作品作りの相談にのっている。

孫は 去年の作品が上々の出来だったから また今年も 夫のアドバイスを受け 木工で作品を
作りたいらしい。

今日は 珍しく 上の高校生の孫も 勉強道具を携えて 一緒にやって来た。

いつもなら 木曜日は習字の日だが 先生から 緊急に休む と連絡が入ってきたので
リビングのテーブルで勉強する孫の背中を見ながら 朝から お昼ご飯の準備や自家製ポテト
チップス作りができた。

下の子は 夫と作品の材料の買い出しに行き そのあと 車庫からは 早速ノコギリの音が
し始めた。

屋根もあって完全に太陽は遮断されている車庫とはいえ この暑さの中での屋外作業は辛い。
氷の入ったポカリをお盆に乗せて運んであげた。

お昼は 冷やし中華に冷製のかぼちゃスープにした。
我が家の畑で採れたかぼちゃだから たっぷり使って作りお代わりもさせた。

そのあとまた 夫と下の孫は 作品作りに戻ったが 私と上の孫は 彼女が先月体験してきた
動物園での飼育研修時のあれこれに話が盛り上がった。

普段は立ち入れない場所やバックヤードの様子 動物たちが食べる食材でも 表立っては口に
のぼらない物の話などなど 高齢化している猿の集団が いかに人間と似ていたかなどなど
彼女が体験し見聞きしてきた数日間のことを 次から次に話してくれた。

勉強しに来たのに 午後は話ばかりしてしまったから それを詫びると
大丈夫だよ 宿題ももうあらかた終わってるから と返ってきて やれやれそれならよかった
と 少し安心した。

そんなところへ 以前からお願いしてあった合格祈願の猫の置物が届いたから と友人が
わざわざ持って来てくれた。

彼女の知り合いが手描きして作る猫は とても霊験あらたかでよく願いが叶う と友人に
聞き 大学受験の孫に是非 と頼んであった。

届けてくれた時には 勤めを終えた嫁も我が家にいたから 可愛らしい猫ちゃんに 嫁も
本人もメロメロで とても喜んでくれた。

どうか 希望する大学に合格しますように!

発育盛りの姉弟は おやつに と作った山盛りのポテトチップスを パリパリと
小気味よい音を立てて食べ 母親とともに帰って行った。

二人は また明日も来るから お昼ご飯やおやつを考えなくては……。

昔々のことになってしまったが 塾を営んでいた時の教え子に 兄弟姉妹四人ともが
通ってくれた家があった。

四人の性格はそれぞれだったが ご両親がとてもいい方々だったから どの子もしっかりして
いて よくできた。 中には登校するのが苦痛で 両親に心配をかけた子もいたりで
両親を悩ませた。 母親が思いつめたり切羽詰まったりした時 もうその頃は私の手を離れて
いたが それでも訪ねてみえて 話を聞いたりした。

そんな経緯があったからこそか どの子も 何年も前に成人式を済ませて いい大人になった
今も 時々 連絡をくれる。

今日は姉妹二人と 途中からはお母さんも参加されて 四人の女子会になった。
一昨日の夜 会いたい と連絡をもらってのことだった。

姉妹の一人は結婚していて 可愛い女の赤ちゃんが一緒だったから 話の中心はその子のこと
になり 大きな瞳や 生えてきたばかりの小さな歯 輪ゴムをはめたようなムッチリの腕
何もかもが邪気がなくて 見ているだけで癒される思いだった。

でも 話を聞くと その子のアメリカ人の父親は 日本で生活するうちに次第に鬱になって
しまい 現在は 彼一人で母国へ帰って 治療しているのだそうだ。

ラインのテレビ電話ができることで 赤ちゃんも父親の顔や声を忘れないからいい とは
いえ やはり本音は寂しいし 将来への不安も抱えているのだろう と推察した。

日本で暮らす以上 日本語が話せない理解できない という事実は やっぱり最大のネックだ。

我が家の娘婿のように ビジネス上も日本語不要でバリバリ仕事をしていてさえ 年に二回は
必ずアルファベットを使う国へ出かけて リフレッシュしないではいられないのだから
教え子の若い夫には 仕事もなく言葉も分からない状況は さぞかし辛かったことだろう。

夫は日本語学校へは通っていたが 思っていた以上に習得が難しかったこともあって
責任感が強く性格がいいだけに 彼が置かれている現実から こうでありたいと願う立場へ
なかなか抜け出せないジレンマも大きくて とうとう一人で自滅してしまったのではないか。

もしかしたら 仲のいい妻の家族の中での暮らしも 彼には逆に作用して 孤立感を深めた
のかもしれない。
家族は家族で 最後の方では どう言葉がけしたらいいか分からなくて困ったらしい。

心の病気はとても微妙で 繊細な対応を必要とするから 教え子は今 心理カウンセラー
の資格を得ようと勉強を始めた と話した。
彼が日本に帰って来てまた一緒に暮らす時のためでもあり 自身の研鑽のためでもある
とも言っていた。
そして 暮れからお正月には 赤ちゃんを連れて彼女もアメリカへ行き 次第によっては
一緒に帰って来られるようであれば 三人で帰って来たい と話していた。

彼女が肝を据えて 家族に助けられながらも 夫と離れての生活を乗り越えよう と
冷静な判断のもと 赤ちゃんと日々過ごしているのを知り 母は強い! と 感心した。

どんな人にも 乗り越えられる試練しか 神仏は与えられない というから
彼女も夫も きっといつかは 安堵できる暮らしを手に入れられるに違いない また
そうなってほしい と 強く願っている。




本当は 友人から 上映する と聞いていて 見たい映画があった。

ところが 車に乗れない悲しさで 一人では映画館へ行けず 夫に言っても 興味がない と
一言のもとにバッサリ拒否され とうとう上映期間中に 行けなかった。

それなのに 夫の観たい映画のコマーシャルが テレビで流れているのが目にとまるやいなや
オイ 行くぞ! と 私の意見もなんのその 勝手に 私も観たがっている と てんから決めつけ
サッサと車に乗りこんでしまった。

行かない! と 突っ張ろうと思ったが この暑さだ。
映画館の中はさぞかし涼しかろう…… それに家の中ばかりにいないで たまには人中へ出たほう
がいいかも と思い直して 行ってきた。

誰もが考えることは同じらしく 朝一だというのに チケット売り場には長い列ができていた。
開始時間が近くなるから 横で一緒に並んでいる夫がイライラしてくるが 仕方がない。

特撮のアクションが これでもかこれでもか と 息つく間もなく展開するが この手の映画は
絶対に主人公は死なないから 案外落ち着いて観られる。

そのかわり 観終わるとグッタリだ。
ヤッパリ どこかしら知らず知らず 力が入っていたらしい。

アクション物だから 観終わっての感慨もなく 騒がしいフードコートでラーメンをお腹に詰め
途中どこへも寄らず 一目散に家へと帰って来た。

二年は行っていなかった映画館だというのに だ……。

娘家族は 今 イタリアに滞在している。

ロンドンで数日を過ごした後 イタリアの南部の海岸 その後内陸で と 出発前の娘の言に
よれば およそ二週間のイタリア滞在らしい。

その後 またイギリスへ戻り 親族と交流したりして二週間を過ごした後 帰って来る予定だ。

ラインができるようになったせいで 今夏は 毎日のように孫たちの様子を撮った写真が
娘から送られてくる。

この夏は イタリアでも猛暑らしく 注意報が出るくらいの暑さだという。
ロンドンに着いた時にも ロンドンもこの夏は暑い とラインで言ってよこしたから
今年の夏は 世界中の北半球が暑いのかもしれない。

孫たちは 普段忙しく仕事に神経を使っている両親と違って 四六時中自分たちと一緒に
いて 何をするにもどこへ行くにも一緒の両親との生活で 心身が満たされているのか
送られてくる写真からも 真から嬉しそうでリラックスしている様子がうかがえる。

細やかな神経を遣う事を要求される仕事で 日々神経質に過ごしている婿にとっても
こうして日本と日本語から離れて 英語なりイタリア語なり アルファベットを使う国へ行く
ことは 必要なのだろう。

それでも 時には仕事をすることもある というから インターネットが発達している現代では
それも致し方のないことなのだろうし 家族が生活するためのことだから仕方がないだろう。

ともあれ 娘家族は 元気でバカンスを楽しく過ごしているらしいから なによりと思っている。

行かなきゃ行かなきゃ と ずいぶん前から思っていたのに この暑さとものぐさ
に負けてしまって 美容院へ行くのが 延び延びになっていた。

それで一昨日の朝 腰の重い私を夫に急かされる形で ようやく 午後の時間に予約した。

ところが 午前中 習字から帰ると 生あくびが出て 体がだるいやら冷や汗が出るやら。
こんな調子では とても美容院へは行けないから 予約をキャンセルし 改めて昨日の午後
四時に とお願いした。

午前中まで 冷えピタを貼ったり薬を飲んで横になっていたら 楽になった気がした。

起きて 夫のお昼ご飯を作り ぬるいシャワーを浴びると これなら美容院へ行けそう と
いうくらいになったので 夫に送ってもらって 美容院へ行った。

三十年以上通っているから オーナーの奥さんや 妹分のようにずっと一緒にやっている
美容師とも 身内のような気の置けない間柄なので 会話の内容も 自然に 互いの
プライベートなことになる。

だんだん通うのが間遠になってしまっているわ……と 私が 会話の中でボソッと言うと
* * さん 体を大事にして 長生きしてくださいね……
奥さんが シミジミとした口調で言ってくれた。

彼女がまだ独身だった頃から お母さんが不慮の事故で長年昏睡状態になってしまった事
や 県内でも名の知られたマタギだったお父さんが 責任を感じられてだろう スッパリと
山行きをやめて まめまめしくお母さんのベッドサイドへ毎日通われた事 そのお父さんが
お母さんが亡くなられると自身の体も悪くなり 今では車椅子で施設にいらっしゃる事など
彼女の人生のおおかたを承知しているが 彼女もまた 私の過ごして来たここ何十年の出来事を
知っている。

そんな彼女だからこその言葉だったから 彼女の一言は心にしみて つい涙ぐんでしまった。

そんなふうに思ってくれる他人がいることが また 間遠になってはいても 顔を見れば 直ぐに
身内のことや抱えている病気のことなどを話し出せる人があることが つくづくありがたいと
思えた。

彼女は 数年前に命が危ぶまれる病気になり 今も苦しんでいる。でも そんなことは微塵も
顔に出さないで 毎日お店に立ち 客に接し仕事をこなしている。

意志の強い彼女を見ると こちらも 弱音を言っていられない と思う。

だから昨日もまた 彼女から 髪を綺麗にしてもらうだけでなく 元気と生きる強さをも
頂いて帰って来た。

彼女だけでなく 私には いつも気にかけていてくれる友人が在る。
他人なのに だ。

弟も遠く 姉も妹もいない私だが 数少なくても こうして案じてくれる人が在る
と思うと 独りではないのだ と 気持ちを強く持てる。

体が弱っているせいで いつも心の底にある孤独感が 浮き上がってきたのだろう。

心細がっていてはいけない
明るく! 明るく!


これも昨日のことだが 夫が出かけた後 友人からの電話で話し さてパッドでもみてみるか
と 画面を出すと メールがいくつか入っていた。

そのうちの大半はセールスだが 中にフェイスブック上で姪があげている知らせがあった。
もしかして⁉︎ と見てみると なんと生まれたての赤ちゃんの写真が‼︎

もうそろそろかな と 気になっていたが やっぱり生まれていた。

詳しいことは分からないが とりあえず弟に おめでとうメールを送った。

すると弟から直ぐに連絡があり どうして分かったの⁉︎ビックリしたよ‼︎というメールだった。

フェイスブックを見られるようにしてるから 弟の二人の子がアップしてるのがわかった時に
返信はしないけれど それぞれの様子だけは それで分かるのよ 今回も赤ちゃんの写真を見た
と伝え 赤ちゃんが女の子であること 初産だったから十九時間も出産までにかかったこと
普通分娩であったこと 標準よりちょっと身長が小さめの赤ちゃんだったこと など を聞き
母子ともに元気だ というから よかったわね これであなたもおじいちゃんだわね と冗談
をメールで言い合った。

何事も慎重に それでいてしっかり実行する姪らしく お産する病院も仕事がら関わった中から
ここなら と選んで決め 分娩も 娘のように痛いのはイヤ と無痛分娩に頼るのではなく
しっかり覚悟を決めて普通分娩で産んだようだ。

医療の 特に産休に入るまでは 不妊や不妊治療に関する取材などしていたようだから
手堅く危険性を一切排除した出産と それをするにあたって 信頼できる病院を選んだらしい。

産休に入る直前にテレビでみた姪は お腹こそ大きくなっていたが 顔つきも変わらず 元気そう
だったから 妊娠が順調に進んでいるのだろう と思っていた。

たまたまテレビに出る職業だったことと フェイスブックのおかげで 忙しくてなかなか連絡の
取れない姪だが こうして彼女の動向がわかるから ありがたい。

私にとっては たった一人の血のつながった姪だ。
離れていても このニュースは嬉しい。

昨日は 滅多にないことだが 夫が一日中仕事に出かけていた。

夏に夫が家にいない なんてことは 私にとっても滅多にないことで 車の運転ができたら
きっと ワァ〜イ! とばかりに 映画館か図書館か 行きたい所へ出かけるのだろうが
残念ながら 本当に残念だけれど それができない。

だから エアコンかけて本を読んだり鶴を折ったり 結局いつもと変わらない一日にしか
ならなかった。

夫が四時過ぎに帰って来るまで 友人からの電話が一回 叔母からの電話が五回
たったそれだけ。
電話だけが 外界とつながる糸だ。

でも こんなことはほぼ毎日のことで 私には珍しいことではないが 夏休みに入ってから
は 夫がずっと在宅で それに慣れてしまっているからか 急に家の中が静かに思えた。

心細くもあって 独りでいることに強い と思ってきた自分が 急に信じられなくなった。

日ごろ 夫の助けなしでは過ごせない生活を送っているからか 若くはない という
自覚がそうさせるのか……

外からは すぐそばの山肌を掘削する 道路工事の大騒音響が 絶え間なく聞こえ
空はカンカラカンのカンカン天気だというのに 心のうちは へんに静まりかえって
もの寂しくて 本を読んでも鶴を折っても なんだか落ち着かない一日だった。