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昨夜泊まった旅館は 知らないで予約したが あちこちの旅のサイトでかなり高い評価を
受けていた。

評価がいいだけあって メインの温泉は申し分なかったし 食事も美味しかった。
館内も明るくて雰囲気もよかった。

ただ 前日宿泊した旅館は インが二時からでアウトが十二時と 湯治客や骨休めに来た客には
ゆっくり落ち着いて滞在できる時間設定になっていたが この旅館は 普通の三時イン 十時には
アウトの設定になっていたから せっかくいくつもの源泉があり浴室も浴槽もたくさんあるのに
お湯をゆっくり楽しませる という温泉旅館本来の使命からすると 少し残念な気がした。

ともあれ 今朝は旅館を出ると 夫の目当ての地酒を買うべ 一番に 地元の酒屋さんへと
車を走らせた。

両方の旅館の売店でも 当然地元のお酒は売っていたが なにせ銘柄が少ない。
その点 地元の酒屋さんなら 殆どの銘柄を揃えているし それらそれぞれについての味の説明や
醸造所の話 評判などにも詳しい。

飛び込みで見つけた酒屋さんも思った通り詳しくて どれでも気になる瓶があれば試飲してみて ください何本でもいいですから とまで言ってくださったが 夫は運転手だし私は下戸。
辞退すると 夫婦で本気で残念がってくださり 説明を聞いて夫が気に入ったものを数本包んで
もらっている間に 奥さんが それじゃあアルコールが入っていないものを車の中で飲んで と
冷えたお茶や清涼飲料のパックやボトルをたくさん袋に入れて サービスで持たせてくださった。

本当の酒好き だと 応対して分かったのと 旅館で買わずにわざわざ訪ねて来てまでも買って
くれたこと それに夫がその地の杜氏や酒蔵について聞きかじりでも知識があったことが
店主ご夫婦には 嬉しかったのかもしれない。

お酒を買うと 高速で金沢へ向かった。
せっかく美味しいお酒を買ったのだからそれに見合う肴を買いたい となり 目的の行き先は
金沢市内の近江町市場だ。

高速道路を使いおよそ一時間も走れば着いたが 高速に入るやいなや 雨が激しく降って来た。

こんなことも予想できたので 旅館の駐車場を出るときに 二人とも靴を履き替え 雨具も
すぐに使えるよう準備して出てきてはいたが 激しい雨の中の運転は危険だ。
とりあえずは 一番近いサービスエリアに入って 雨をやり過ごした。

来る時もそうだったが 激しい雨脚は長くは続かないから 用を足し店内をブラブラしている
うちに もう小止みになった。
そして 近江町市場の駐車場へ車を入れる頃には また青空が戻っていた。

何を買って帰るか は夫の思い次第だから 強い魚の匂いがする通りのあちこちのお店を
のぞいて歩いた。
昔 来た時にはもっと広かったような印象があったが そうでもない。
行きつ戻りつしながら 夫のほしい魚とお店を決め ハッポウの保冷箱に入れてもらった。

目当ての魚さえ買ったら あとは帰るだけ。
兼六園や茶屋街の市内観光もせず 途中 二ヶ所のサービスエリアで休んだだけで
ただひたすら 東海北陸道を走って帰って来た。



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今朝 家を出る時には降っていなかった雨が 福井県に入ると急に激しく降り始めて ワイパー
を動かしても 前が見えないほどの降りになった。

この状態が温泉地に着くまで続いたら 運転する夫には大変な負担になるところだったが
幸いなことに 数分で降りかたが変わって ホッとした。

その後はそれほど降らず 傘もささないでいられたのは ありがたかった。

温泉地に着いても 朝出るのが早かったから チェックインまでには かなり時間があったので
記念に陶器の絵付け体験をしよう と 夫はマグカップ私は舟形の深皿 に 絵付けすることに。

もう十年も前になるが 地元の陶芸家に 友人数人と 土コネから成形 絵付けの指導を
仰いでいた経験があるが 年月の移ろいが すべて忘れさせてしまい 素人同然の有様だから
時間もかかり 絵付けもうまくはいかなかった。

それでもまあ 夫とこうして来た記念なのだから お金を払い 後日自宅へ送ってもらう手配
をして お店を出た。

私は今回 御朱印帳を持って出て来ている。

道々 名のある神社仏閣を見つけたら 途中下車して 御朱印をいただくつもりでだ。

絵付け体験に向かう途中 古刹があった。

最澄が開祖の 那谷寺。
平安以前からの歴史を有する格式高いお寺だが 加賀藩三代目の前田利常の御代には
荒れ果てて 見る影もない有様だったのを 利常の肝いりで 立派な伽藍や庭園が
作られ 今に至っている という由緒あるお寺だった。

平成になって修復されたという千手観世音菩薩は 神々しくも 悩む衆生を救わんと
雄々しく佇んでいらっしゃった。

たくさんの洞穴を有する奇岩は その昔 芭蕉も発句したといういわれもあり
今も変わらず そこにどっしりとあった。

訪れる人も参拝者も少なくて ゆっくり拝見でき 御朱印もいただけた。

今夜の宿に着き 部屋付きの露天風呂は後回しにして 貸切状態の大浴場へ。

お湯はかすかに硫黄の香がするが 無味無臭に近い。

誰もいない大きな湯船に ただ一人つかる気分は 極楽だ。

ベッドに潜り込む前には 部屋の露天風呂に入るつもりでいる。

夫の夏休みも終わりが近づいてきた今日から 二泊三日で温泉旅行に出かける。

なんということのない骨休み旅行だ。

俺は どこって行きたいところはないから おまえどっか計画しろ

と ずっと言われていたが 体のこともあって あまり気がすすまず グズグズしていたら
しびれを切らした夫が どういうわけか 近場の北陸の温泉へ行くことに 自分で決めた。

どうせ行くなら 一泊では慌ただしいから二泊してこよう となり 二泊三日の温泉旅だ。

あいにく今日は 行き先は荒れた天気らしいが どうせ温泉につかるより目的のない旅だから
宿でマッタリするには かえって落ち着いていいかもしれない。

お湯につかる 飲む 食べる しかないのだから 骨休めにはちょうどいい。
呑み助の夫は 宿の備え付けのアルコールは高いから と 持ち込み用にスーパーでビールを買い
車に積んで行く。

かといって せわしない夫は 二泊を同じ宿では面白くないから と 同じ温泉場なのに
一日ごとに宿を変えての湯治旅行だ。

思えば ここ二、三年 夫と二人での旅らしい旅に出かけていない。
一昨年 計画して行くばかりになっていた旅を 叔父の入院やら葬儀やらでキャンセルした。
以来 叔母を放っておくわけにいかなかったこともあって 何処へも行っていなかった。

行ける時に 行こう と思わないと 私の体もだんだん悪くなるし 夫だって歳をとっていく。
ましてや 夫が言い出してのことだから 神経根ブロックの効果がまだ感じられる今なら
自由のきく車での旅が 一緒にできる。

珍しくもない温泉地だが 泉質はいい と昔から言われている所だ。

ゆっくりお湯に浸かれば 最近気になっている脇の痛みも消えるかもしれない。

お湯と新鮮な魚が食べられることだけを楽しみに 骨休みに行って来る。

今朝早く 娘家族が帰国した。

ロンドンからイタリアの南海岸と北部の高原の古都で二週間を過ごし イギリスに戻って
コッツオル スコットランド エジンバラで二週間 の一ヶ月のバカンスだったが
家族がみんな元気に過ごし 孫たちも 東京にいては体験できないような野外での活動も
して 家族だけでののんびりした生活を満喫したらしい。

それに なによりイギリスは父親の母国でもあり 自分たちにとっても 国籍のある国だ。
日本もイギリスも どちらも自分たちの国なのだから 行って当然の国なのだ。

神経を使う仕事と 日本と日本語に囲まれた生活から一時離れて 親族に会い共に過ごして
自分の国の空気を吸い 婿は さぞかしリフレッシュしたことだろう。

娘や孫たちのためにも またバリバリ働いてほしい。

日本を留守にしている間に セカンドハウスの建築もさぞかし進んでいるだろうから
見にいくのを楽しみに帰って来たにちがいない。

九月になれば 下の子も 日本でなら年少さんに当たる学校へ入学する。
上の子は二年生になり 新しいクラスと先生に変わる。

娘には 二人の子の学校の準備が待っている。

転居したての家で また 彼らの新しい生活が始まる。

私たちの家がある自治会では 自治会内の各家の親睦を図る意味で 毎年 その夏の第三土曜日
か日曜に バーベキューをする。

場所は自治会内に設けられている空き地。

準備はその年の自治会の役員がする。

バーベキューにする食材や飲み物などの買い物から 野菜を切ったり火を起こしたり
会場の設営などは 会長が先頭に立って 役が当たっている家が集まって準備する。

そして 自治会内の家々の老若男女は 五時になると 三々五々 空き地へと足を運ぶ。

この自治会が出来上がった頃は 各世帯の夫も妻も若く子供たちも幼くて 会場は
おおぜいの子供たちの甲高い声が賑わしく それに負けるな とばかりに大人たちも
大きな声で話し笑い おおいに飲み食べしたものだった。

が 今では 子供たちも大人になり ほとんどが家を離れてしまっていて わずかに近隣に
住んでいる子供や結婚している子供が この日に合わせて実家へ帰っていて 生まれた子を
連れて参加したりしているだけ。

当然 自治会が構成される前からこの地に家を建てて暮らしてきた夫も私も その後
周辺が宅地化されてから家を建てた十ほど若い世帯の夫も妻も 三十年近い年月の間に
歳をとった。

だから 私や夫と同年齢の人たちの中には バーベキューの日と分かっていても
会場へ足を運んでまで参加しない という人もでてきた。

砂利地の空き地は足場が心もとなく ましてや夕方から夜暗くなるまでだから
私も もう十年近く参加していない。
夫によれば 数名いる同年代の奥さん方も 出ない人の方が多くなっている。

元々 同年代の女性が少ないから 一人二人参加しないと 他の十ほど若い奥さん方とは
話が合わないからか 他の人も話し相手がなくて面白くないから出ない となってしまう。

それで近年は参加したご主人が バーベキューで供される食べ物を 各家に居残る奥さんへ
と運ぶ姿が 当たり前になってしまったらしい。

私たちの年代は 面白おかしく飲み食いするためにだけ 自治会のお金を多く費やすことに
抵抗があるのも事実で だからよけいに出て行かない ということもある。
以前 井戸端会議をする機会があった時 皆が同じ思いでいることが分かった。

それでも 十若い人たちは人数が多く団結してしているから 未だにずっとバーベキューは
自治会の行事として続いている というわけだ。

そして今夜も 出て行かない私のために 夫は会場と家とを何度か往復して 食べ物を
運んでくれた。
他のご主人方と同じように。

変な 自治会のバーベキューだ。

おそらく 同時に襲来した二つの台風のせいだと思う。

一昨日の遅くからだったと思う。
急に腰の痛みがつよくなった気がした。

最近 夜明けの頃になると眼が覚める習慣になっているが それが 昨日は違った。
急に左足が強烈に痙攣し始めて それで目が覚めた。

このところ 神経根ブロックのおかげで何ヶ月も経験していなかったから 急激に起きた
激痛に驚きながら ただ耐えるしかなかった。

強い痙攣は 引いたかと思うと また繰り返し繰り返し襲ってくる。

そうなると 歩くことさえ容易でなくなるし どんな体勢でいても激痛は変わらない。
おまけに 繰り返し繰り返しくる痙攣は 更に腰の痛みも 誘発するから 始末が悪い。

そんなわけで 昨日は一日 体が使い物にならなかった。
そんな日は 仕方がない ベッドに横になって できるだけ痙攣が軽く済むように
軽い軽い 痛くない痛くない と自分に言い聞かせながら 気を紛らすために
ひたすら本を読む。
当然 中身の半分も頭に入らないが そんなことは二の次で ただただ本の字面を追って
気を痙攣からそらす努力をする。

そうやって 久しぶりにやってきた悪日が過ぎた。

偶然にも今日の午後マッサージに行く予約を 以前から叔母がしてくれていたから助かった。

一時間半 たっぷりマッサージしてもらった。
そしてようやく 痙攣の後のさざ波のようなザワザワが 少し消えた。

施術してくれた女性が いつもの比ではないくらい左足が硬くなっていて そのせいで
体が自然にバランスをとろうとするから 右の腰や背中もガチガチになっていて驚いた
と 施術前に状態を話してあったにも関わらず 私が ベッドから降りると言っていた。
よほど身体中が いつも以上に硬くなっていたらしい。

痙攣は原因不明なのだから仕方がないのだ と答えると いかにも気の毒そうな顔をした。

そうなのだ……
仕方がないのだ……

この前 先生から聞いた最新の治療をすれば この痛みから解放されるのだろうか……。

まあ とりあえず 痙攣地獄からは抜け出せたことを 喜ぼう。

夫の車で 今日も 大学病院の麻酔科へ。

夫は たまたま勤務先に仕事ができて 私を降ろすとそのままいつものように仕事に行った。

病院の今日の予約患者数 千三百十三人。算用数字にすると1313 面白い数字の並びだった。

番号札を取り受付を済ませてしばし待ち 診察室への呼び込みで担当医師のブースへ。

今日は 初めての話をされた。

今まで 私がしてもらっている治療が 日本での 痛みに対する最先端の治療だと思っていたが
近年 また医学は進み 新しい緩和治療法が生み出されたらしい。

しかし新しい治療法だから 治験ではないのだが まだ誰にでも勧められる治療法にまでは
至っていないらしく 医師は

私たちも この治療法についての説明を どなたにもするわけではない
長く痛みで苦しんでいる患者で その中でも 自分の意思がしっかりしていて冷静に考えられる
方にしか しないのですが……

という言葉で 説明を始められた。その最新の治療法とは

まずは 局部麻酔で背骨の硬膜外に 痛みを発している箇所の神経を探りながらカテーテルを入れ
(神経根ブロックの手術のように針で電極を当てるのではなく 腰を切開して背骨に沿わせて
カテーテルを入れ定置する) それを 外部からコントロールして痛みを緩和させる。
その状態のまま1週間ほど様子を観察して 確実に痛みが軽減する と判明したら 今度は
本格的に全身麻酔手術で 心臓病で使うペースメーカーのような役目をする器械を 腰やお腹の
邪魔にならない部分に埋め込む。
背骨に入れたカテーテルとその器械を外からコントロールして痛みを緩和する。

というものだった。

私が通っている大学病院では すでに数例 この治療が行われている とも話された。

今 どうしても私に勧める ということではないが こういう治療のことも 頭に入れておいて
ほしい

ただ この治療を受けた患者でも 効果が感じられない という人も中にはある とも言われた。

そして この治療法のパンフレットを渡してくださった。

治療室のベッドに横になり いつもの点滴を受けながら 考えた。

今はまだ 六月に受けた神経根ブロックが効いている。
この効き目がなくなって どうしてもまた神経根ブロックの手術をしてもらう事になったら
もう一回 神経根ブロックをしてもらう その後 また激しい痛みが戻ってきた時に
その時に この治療のことを考慮に入れよう。

誰にでも勧めない ということ まだ 数例 だということ は 医師の側も この手術には
まだ慣れていない ということではないか……

私が考えているうちに 治療を受ける患者も増えるのではないか 従ってこの手術の件数も
多くなり 不安なくこの治療を受けられるようになるのではないか……。

これが 考えた結果のことだ。

効果の大きい人は それまで感じていた痛みの五割から七割も緩和する と パンフレット
にはあった。

根治治療ではないにしても 今抱えている痛みが そんなに軽減するのなら
今の私にとっては 夢のような治療法ではある……。

孫は きっちり朝の八時五十分には我が家へ来る。

今日は朝から 孫が来るのを待って月一回の内科へ行くべく シャワーを浴び 夫と二人で
内科医院へ行った。

お盆明けとあって 医院に着いたのが九時半前だというのに 待合室にはたくさんの患者が。

待つよりないから 黙って夫と並んでソファに座り 名前を呼ばれるまで待つ。

今日は 前回かかった時に次回には血液検査を と言われていたので お盆ごろから
背中の中ほどから右脇にかけて痛みを感じるようになっているので 医師にそのことを
話し 膵臓の検査も加えてもらった。
結果にもし悪い数値が出れば 医院の方から電話してくださるということだった。

医師には 多分何ともないと思いますがね と言われたから そう心配することはないのかも。

夫は夫で 不整脈が出るようになって以来 その薬と血圧の薬を処方してもらっているが
睡眠時無呼吸症候群の改善のために 夜間就寝時に着けるようになった器械から送られる
データの結果を聞くために やはり月に一度 私と同じ医院にかかっている。

二人して薬局で薬をもらい帰宅すると もう一時に近い時刻だった。

一人勉強していた孫娘のためにも 家に着くなり 前もって準備し鍋をかけておいたコンロの
スイッチを入れ 昼食作りに取りかかった。

四時過ぎに 勤め帰りに寄った嫁と孫が帰って行った後 夕飯のためのお米を研いでお釜に
仕掛けると もう整形外科へ行く時間だ。

整形外科も すごい数の患者が待ち合いに 座ったり立ったりして 名前が呼ばれるのを待って
いた。

久しぶりにリハビリをしてもらい 体が軽くなったような気がする。

それにしても 今日は 朝も夕方も 待って待っての一日だった。

今回の「子ども平和広場」の催しは 二回目ということもあって とても盛況だった。

私が担当した本と読み聞かせのコーナーへも たくさんの子どもたちが来てくれて 特に
大きい絵本の読み聞かせがリクエストされる回数が多く 準備していた小さな椅子にチョコンと
座って 真剣に聞いていた。

読み手は 今回 図書館司書をしている教え子が参加してくれたので 読みは彼女がもっぱらで
次々にリクエストに応えて さすがに上手に ページをめくりながら読み聞かせてくれた。

セットしたテーブルの上には 戦争と平和をテーマにした絵本や物語をメインに 昔話や
創作童話や絵本を 目立たせたい本は前もって作っていった脚台に載せるなど 工夫して陳列した。

そして今年の催しの大きなメインは 六ヶ所のコーナーそれぞれでクイズを用意し 子どもたちが
それらのコーナーを回ってクイズに答えるスタンプラリーを取り入れた事だった。

私は自分たちのコーナーで出すクイズの出し方を くじ引きのように子どもが自分で箱の中から
選び出す方法にした。

クイズは 対象年齢が不特定だし 考え込んでしまうような問題でも困るから 昔話を主にして
簡単な問題にし 答えを三択にした。
そして 中には答えが抽象的で自身で考えて答えるものもいくつか入れた。

問題を考えるのも カード一枚一枚に平仮名で書くのも その過程が楽しかった。

それも ただクイズを書いた紙をつかみ出すだけでは面白味がないので 折り紙で作った封筒に
メッセージを書いたカードと折鶴を入れた物にクイズを書いたカードを添えた。
そして メッセージカードの中には 裏に四つ葉のクローバーの押し葉をつけたものを「当たり」
の形で五、六枚に一枚作って入れた。

丸く穴を開けた箱に そうして用意した物を五十個入れて 万が一のための予備に と十三個を
別に持って行ったが それらが全部なくなっても まだまだ足りなくて 午後の最後あたりには
クイズを書いたカードだけを箱に入れて ひいてもらったほどだった。

私にとっては まったく予想をいい方に裏切る状況になって 驚きながらも嬉しかった。

今回 準備にかなりの時間を費やしたが 家にばかり居る私には それも楽しい時間だった。

もし来年も三回目を開くとしたら 今年と違ったクイズの出し方をしないと。
これから一年かかって 子どもが喜ぶ方法を 楽しみながら考えよう!

去年 生協主催で第一回目の 子どもをターゲットにした平和について考える催しが開かれた。
友人に誘われる形で その催しの読書のコーナーのお手伝いをした。

そして今年もまた その催しが今日ある。

ずいぶん前から そのための準備をしてきた。

今回は二回目で去年がたたき台になっているから あれこれ工夫することができた。

なりゆきで コーナー自体の主なことを任された形になったから 自分のアイデアを優先する
ことができた。

八時半には友人が迎えに来てくれる。
たくさんの荷物と一緒に 一日出かける。