FC2ブログ

今年に入ってから 次男の体調がずっとよくなかった。

体調が思わしくないと気持ちもそれに比例するし 結果 気が集中できないからだろう
次男は 数針も縫う怪我も含めて 怪我を何回か繰り返していたらしい。

毎日遅くまでの残業 土曜日も出社して残業で たまにしか帰って来ないから そんなに
何度も怪我をしていたことを 夫も私も知らなかった。

九月に入って 弱気のマイナーなメッセージを ラインで送って来るようになった。

一応 怪我は労災指定されて 時々は治療に行っていたらしいが なにせ通院する時間が
ないために 思うような治療ができないまま 日が過ぎていった。

無理して働きながら 一方で どうやら社内で傷つく言葉を浴び続けていたようだ。
それが次男の心を疲弊させていったらしい。

そんなこんなで 次男が次第に精神的に追い詰められていくのを感じた夫と私は
これは放っておけない時点に至っているのでは と次男の様子に 徐々に危ういものを
感じるようになっていった。

そしてとうとう先日の朝 会社へ行くのが怖い と 出勤前の夫に電話してきた。

こういう時の夫の判断は早い。

これまで診察してもらっていた医師がとても理解のある医師で 次男の様子から単に身体的な
ことばかりでないと診断され 気持ちが軽くなるような薬を処方してもらっている と
以前に次男から聞いていたので 今日は会社へ休むと連絡しておいて病院へ行き 医師と話して
休養できるように診断書を出してもらえ 土曜日に迎えに行くから と 伝えた。

実は今日の土曜日は 以前から いつもの友人と海釣りに行く予定が組んであった。
それを 次男との電話を切るや即座に友人に電話し断った。

一ヶ月の休養を要する との診断書は受理され 次男は治療と休養に専念できることになった。

そして今日 夫が次男のアパートへ行き とりあえずの荷物をまとめさせて 連れ帰って来た。

連れ帰ったといっても 息子は彼自身で自分の車を運転してきたし 帰って来た様子を見ると
思っていたより落ち着いていて 少し安心した。

しばらくは 体と心の硬い結び目が解けるよう ゆっくり養生させるつもりでいる。

息子は休職後どうするか の 大きな問題があるが 先々を考えても仕方がない。

息子の気持ちを第一に考えながら見守ることが 今 親としてできることだろう と思うから。


スポンサーサイト

ひょっとしたら三年近く 少なくても二年は会っていなかった友人から 十時半が過ぎた頃
電話があった。

彼女は私と同い年なのに 未だに二つの仕事を 分刻みでこなして働いている。
忙しい毎日の中 今日は子宮ガン検診で 思ったより早く検査が終わって時間ができたから
三十分くらい会って話せない? という電話だった。

前回会ったのは 彼女のお母さんが亡くなった と 実家のお嫁さんから緊急連絡が入った日
で 彼女の車で移動している最中だったから もう三年近く会っていないのではないか と思う。

あまり体調がよくなかったが せっかくしばらくぶりに彼女が電話路くれたので
私の家に近い喫茶店で 本当に三十分だけだったが コーヒーを飲みながら お互いに近況を
話して過ごした。

短い時間だったから踏み込んだ話はできなかったが 元気で変わりない様子が伺われて安堵した。

毎日家に夫が居る生活が どれだけ窮屈で自由がきかない生活か 彼女は愚痴る。
夫の性格にもよるだろうが 私にも もう数年したら夫が家に居る生活がやってくる。

自身の体が効かない私だから そうなった時の暮らしの形態も条件も彼女とは違っている
だろうが それでも 他の友人も同じような話をするから 今からしっかり心づもりしなくては
と 改めて思った。

慌ただしく車で帰る彼女に 帰りはリハビリになるからゆっくり歩いて帰るよ と言って別れた。

歩く道々は 金木犀が植わっている施設や家が多いこともあって 家まで帰る間あちこちから
絶えず金木犀の甘い香りが漂って とても気持ちがよかった。

香りを吸い込みながら あゝまた今年もこの香りの時節になったのか……と思いながら歩いた。

心に抱えているものがあるせいか 最近は 久しぶりにお香をたいたりしているが 屋外でも
こうした香りは 淀んだ気持ちを軽くしてくれる。
この時節に咲く橙色の金木犀もまた 香りだけでなく可愛い細工物のような小さな花も 眺めるだけで人の心のざわつきを鎮めてくれる。

人と話すことは それはそれで大切な和みを与えてくれるが 人も自然の中に生かされている
以上 自然が癒しになる。

これまでの人生でも どんなに大変な時も花を育て愛でることから離れられなかった。
花や草木に慰められ癒されて 一時でも心の奥の波立ちを落ち着かせてきた。

金木犀の咲くこの季節 出来るだけ外へ出て 十分に花と香りを楽しみたい。


今朝 友人から 最近のブログ読むと こっちまで凹んじゃうよぉ もっと明るいこと書いてよ
と 電話があった。

ハハハ〜〜〜仕方がないよォ〜実際にそういう気分なんだからァ〜

と思いながら なにか気分が上がる話がないか 頭を巡らせると アルアル!あるわァ!

ほぼ毎日のように書きながらも それでも生活のすべてをさらけ出しているわけではない。

別に隠すつもりはなくても 書かないことも多い。
けれど 主に書きたいことが他のことだと まあそれはいいかぁ となって書かない。

書かなかったことの一つに あまり気持ちが弾まなかったので つい書かなかったが
先日 叔母の掃除機を買いに行った時の事 その後には続きがあった。

掃除機を載せたままカートを引いて 夫は 叔母と私をテレビの展示コーナーへ連れて行った。

最近の夫は 家のが壊れているわけでもないのに やけに新しい有機や四Kのテレビが
気になっている。
だから 展示してあるテレビがいかに画面がきれいか 二人に見せたかったらしい。

あまりにもクッキリと色鮮やかな画像に驚いてしまったものの 叔母も私も イマイチ
夫が力説するほどには興味が湧かない。

じゃあ帰ろうか と あっさりテレビコーナーから出口へ向かって歩いて行く途中に
洗濯機のコーナーがあった。

そうよォテレビより洗濯機よォ〜!見たいのはァ〜!

我が家の洗濯機は 父がいた頃から使い続けているものだから とうに耐用年数を超えて
久しい。
だからか さすがに最近 多分ベルトが傷んできたのだろう 脱水時に変な悲鳴のような音
がするし 水槽の回転する力も弱っているらしく 洗濯物の量が多いとエラーを示す
ブザー音が しょっちゅう鳴るようになっている。

そんなこんなで 寿命が尽きるのが近いのでは と 洗濯するたびにヒヤヒヤしながら
いるのだ。

それで そうよ! 洗濯機こそ見なくては! と 勇んで様々な機種を見て歩いた。

新機種のほとんどはドラム式で 洗濯はもちろん乾燥する力も時間も断然短い。
おまけに ここが肝心なのだが 我が家がある市は 上水道代もそれに比例する下水道代も
どちらも高いから 買い換えるのなら 洗濯時に使用する水量が少ない機種を買いたい
それも今のより洗濯容量の多いものを というのが ずっと夢だった。

表示を見る限り ドラム式だとどれも使用水量が少なくていい。

ところが 足腰が悪い私には かがんで洗濯物を出し入れするドラム式は 残念ながら
どれだけ機能がよくても 絶対ダメなのだ。

そこで従来型のを見てみると 大きい機種は やっぱり使用水量が多い。
だから 容量が多いものは まず諦めて 今のとあまり違わない容量の従来型を見てみた。

すると あったあった🤭!
洗濯容量八キロで どうしても直ぐ乾かしたい物なら 体操服上下で十五分 運動靴なら
四十五分で乾燥できる という機種があった。

夫と二人 ああでもないこうでもないと言い合いながら見ていると いいタイミングで
売り場副主任の名札をつけた男性店員が来て その機種の説明をしてくれた。

快活で淀みない話しぶりには ついつい引き込まれてしまう力がある。

さすが副主任だけあって 掃除機を乗せたカートを引いているのを見て

今日一緒に買っていただけるのであれば オープンセールの価格よりこれだけ値引きします
下取りの料金も表示価格に上乗せして これだけ引きます。他に気持ちでこれだけ引きます
と パンパンと軽やかに電算機をたたいて これでどうですか と 言う。

使用年数がそんなに経っているのなら 今一緒にお買い上げいただく方が 絶対にお得だと
思いますよ。
どっちみち 今ご使用の洗濯機は あと一年二年でダメになるでしょう 今後どんなセールが
あっても 今提示した金額ほどは 値引きできないと思います!

と 堂々とした自信たっぷりの口調で言われてしまうと 誰だって気持ちが動くだろう。

なんだかうまく誘導された感がないでもなかったが ついに夫が
じゃあ 今 買うか!お願いします!
と言って とうとう買うことに。

そういうわけで 来月の初めには 新しい洗濯機が届く。

で これはいいニュースなのだから 本当は 一番にブログに書かないといけなかったのかも
しれないが なんだか書く気が起こらないままになっていた というわけで 今 書いた次第。

ね!?
根暗なことではない いいニュースも書いたからネエ〜!







まず初めに。昨日 何日ぶりかでいつもの道を歩いた。そして驚いた。

流れる川の両岸に 満開の彼岸花の帯が続いている。

鮮やかな独特の赤色が 緑の雑草が生い茂る中 橋の上に立つと 見えなくなる向こうまで
途切れることなく それもかなりの幅の帯になって広がっていた。

去年もこんなだっただろうか 毎年少しずつ増えてはいたが 今年になっていっぺんに
広がったような気がする。それも一両日で。

両岸の堤防を走る車の中からも この赤はきっと目につくに違いない。

あまりの見事さに見とれて 堤防道路から落っこちる車が出はしないか そんな心配まで
したくなる 彼岸花の帯だ。

次に
一昨夜 マッサージや叔母の家から帰ってパジャマに着替え 新聞やテレビを見ていた夫が

オイちょっと見てくれ 痒くて仕方がないんだ と アンダーシャツを脱いだ。

皮膚が弱い夫は しょっちゅう皮膚科に通っていて 湯上りには薬を塗ったりしている。
きっと いつもの湿疹が出ているのだろう と思いながら 薬を手にして塗ってあげようと
夫の背中を見ると エエッこれどうしたの⁉︎ と思わず言ってしまった。

何か虫に刺されたか 蕁麻疹が出たのか と思えるような 蚊に刺された後のような
そんな状態が あちこち背中じゅうにあった。

よく見ると 背中だけでなく 胸や脇 腕も 同じような状態だった。

痒くて痒くて仕方がないと言うので まずは痒みを減らすための薬を 何度も何度も塗った。
ある程度治ったところで よく見ると どうやら蕁麻疹ではなくて虫に刺された後のようだ。

それで今朝も何度か塗って 勤め帰りにかかりつけの皮膚科に行って診てもらった方がいい
と 勧めた。

帰宅した夫が やっぱり虫に刺された痕だって 医師に言われた。昨日 畑の果樹の枝を
はらったから その時に 葉っぱに着いていた虫が服の中に入ったんじゃないか って言われた

夫はそう言いながら 今までに出されている薬を塗るように言われた とも話した。

皮膚が弱くても 今までこんなふうに虫刺されで医者にかかったことはなかった。
蜂にでさえ 刺されてもあまり腫れない人なのだ。

皮膚も年齢とともに変化するのだ これからはいっそう気をつけないと と 思った。


最後に
人生百年時代になった と 最近 よくマスコミから この言葉が耳に入る。

あるコマーシャルでは 人生百年時代だ さあ これからの人生どうやって生きていこう
とか主人公が言う。
解説や論説でも 生きがいが必要だ とか そのために趣味を持て とか 言われるし
人生の後半は自分中心で とか 七十代で女は解放される とか けっこう刺激的な文言が
目についたりする。

このような言葉に触れるたびに あゝ 私はこれらの考えからはとても遠い所にいるなあ
と ため息をつきながら思う。

心まで弱ってはいけない と分かってはいても 私にはとても百歳という年齢が自分にくる
とは 想像できない。

まずは体のことがある そんなに長く生きられるとは思えない。
生きがいを持って百歳まで生きるには それを支える経済的な裏打ちが必要だ。
もし生きられたとしても この体で そんなに長い年月何か楽しい事があるのだろうか。

などなど考えると いよいよ人生百年だ!さア生きがいを持って前進だ‼︎ とは とうてい
思えないのが 私の現状なのだ。

さア前進だァ!と 百歳目指して張り切れる老人が 実際 今の日本に何割いるのだろう……

アッ……!でも ひょっとしてそんな老人は私だけ⁇……⁇
だとしたら 余計に惨めになってくる……。

ア〜アァ〜〜 気が滅入ってしまう 考えるんじゃぁなかったわァ〜〜。








さっき なんとなく目が覚めてしまった。

とりあえずお手洗いへ行き 外はどうか 雨は降っていないか と 居間のカーテンを開けてみた。

すると 外は 夜明けのように明るい。
でも 時計はまだ四時少し前だ。

不思議に思ってガラス戸を開け ベランダへ出てみて 明るいわけがわかった。
昨夜の満月がそのままに まだ南西の空高くに留まっていたのだ。

夜見る満月とも違って 月の表面の黒く見える部分も よりくっきりと見える。
その明るさといったら ほの青白くて透き通ったような どこか幻想的な気さえする明るさだ。

ひんやりと澄んだ外気を吸い込みながら天を仰ぐと 天は天で あちこちの星々がごくごく薄い
雲間を縫うように きらきらと星座を形作りながらきらめいている。

満月の名残り というには あまりにもきれいで見事な月と空だ。

そして そんなにも明るく月に照らされている地上には 満月に負けまいとするかのように
星星もまた またたいて 月とは違った鋭く尖った光を 辺りに投げかけてくる。

いつまでも仰いでいたい あまりにも印象深くて美しい空の様子だ。

昨夜 秋の満月を見られただけでなく その続きのように もっと素敵なこんな月や空に
出会えた人が ほかにどれだけいるだろう。

偶然だったが 見事な情景を見られたことで 幸せな気分になった。



昨日の午前中 畑へ出かけていた夫の帰りを待って 大急ぎでシャワーを浴びた夫と
家を出て 叔母の家へ行っt。

ヘルパーさんに掃除機をかけてもらったら その掃除機がチンチンに熱くなって
しまったんだけど これってこのまま使っても大丈夫じゃないよねえ……。

金曜日に そう言って叔母から電話があったので
そりゃあその状態で使い続けたら危険だよ 使わないほうがいいよ と 言っておいた。

その夜また電話があって 今度は夫が出て ヤッパリ私と同じことを言って電話を切った。

そのあと叔母も考えたのだろう。翌日また 新しいのを買うことにするわ と言ってきた。
そして 新しく買うのならコードレスの軽いのがいいわ と言う。

買うのなら 店員の説明を聞いたりして自分で見て選んで 買う機種を決めた方がいい。

昨日は たまたま また叔母がマッサージを予約してくれた日だったので じゃあその前に
ちょうど新装開店セールをしている電機店があるから そこへ見に行こう ということに
なった。

値段も様々にたくさんの機種が並んでいたが とにかく軽量のものがいい と機種を決め
店員と交渉 結果 本来の定価から かなり引いた開店セール値で購入できた。

店内はたくさんのお客で賑わっていた。日頃 電気機器を買い換えたいと思っていた人には
通常のセールより値引くこの期間は 目当ての品をお値打ちに買えるいい機会だ。

実際 レジ待ちで並んでいると 母親と娘らしき二人連れが カートには持ち帰り品を
数点入れていただけなのに やけに時間がかかっているな と思ったら どうやら嫁入の際に
持って行く電気製品を すべてまとめて買って その会計や配達先や運搬の日にちなど
細かなことを店員と三人で話している様子だった。

結婚が決まって いざ花嫁道具を と なった時 このセールを待っていたのかも知れない。
どの電化製品も大幅に安かったし おまけにそれをまとめて購入してくれるのだから
もっと安価なサービス価格での総額が提示されたに違いない。

冷蔵庫洗濯機テレビに始まってキッチン用品のオーブンやミキサー 炊飯器やプレート
そのほか細かなものまで準備すると 着物を作らない現代では 電化製品が嫁入り道具の
大方になるだろう。
タイミングさえ合えば とてもいい買い物をしたことになる。

こういうセールを利用すれば 浮いた分が大きいから それを他の家具の購入に回せる。

賢い買い物ができて より幸せな母娘だと思った。


そのあとマッサージを受けて夕ご飯を済ませ 食料品を買って叔母を送り 帰宅した。

そんなこんなで 今夜がお月見 ということを すっかり忘れてしまっていた。
一年に一度の仲秋の名月だったのに……。

帰って やれやれ と 一息つく間もなく 夫の畑仕事の汚れ物を洗濯し軒下に干していて
ようやく アッ仲秋の名月? と気がついた。

そのころには もう月は中天にあって それも雲間から光が漏れているだけ。

残念なことをした。
でもまあ 気がついただけよかったか……。

子供たちが手元を離れ 実際主義の夫と二人の生活の中では なかなか こうした年中行事
を ゆったりと準備して迎える事がなくなってしまった。

雛祭りしかりこどもの日しかり 七夕しかりお月見しかり……

せめて今夜の満月と 来月の後の月だけは ちゃんと観なくては……。

I さんに パソコンの使い方を教わって以来 パッドしか使わなくなっている現在まで
何が一番便利かといえば 書籍の購入が 居ながらにあっという間にできてしまうことだろう。

元来は紙と文字が大好きだから 本音を言えば 書店へ足を運び 本を自分の手にとって選び
購入したい。
でも それが叶わない。 紙の本はかさばるし 持ち運ぶにも私には負担になる。

家の大きな書棚にギッシリ並ぶ書籍を見るのは それだけで楽しいし満たされる。
でも 収まりきらなくなって あげく あちこちに書籍の山ができてしまう。

だから 初めのうちは 違和感を覚えながらの 電子書籍の購入だった。

ところが 慣れというのは恐ろしいものだ。

今では まずはパッドで新着や新刊本の中からお気に入りの作家のものを探し なければ
大学病院の帰り 書店へ寄り 新刊のお気に入り作家本を探す。

それに 電子書籍は紙本に比べて安価だし サイトによってはその値段より安く購入できる
サービスがあるから それも紙本より電子書籍を優先する大きな理由だ。

そんなわけで 電子書籍を購入するようになって久しいが 飽きる ということがないから
困ったものだ。

昨日も 新刊新着本の中に お気に入りの作家のものを見つけた。
その人の本は 待てばいつかは必ず文庫本が出る。
と わかっていても 見てしまうと もう落ち着かない。

パッドを 開けたり閉めたり何回もして 結果 読みたい気持ちに負けてしまった。

指先一つで購入が完了すれば あとは本にのめり込む。

こんなことを 何百回と繰り返してきても 未だにそれがやめられない……。

ホント ここまでくれば 完全な中毒だわァ………。

東京に住んでいる娘の孫たちと 時々ビデオ通話をする。

以前はスカイプでやっていたが ラインができるようになってからは 無料ということもあって
もっぱらラインのビデオ通話を利用している。

料金がかからないので 娘家族が海外に滞在している期間でも 何回かかかってくる。

国内にいるときには 大抵は 孫たち自身に何か変化があって それを私たち夫婦に伝えたい
ときに かかってくることが多い。

二人の孫は 翌朝早く起きなくてはいけないので 就寝も早い。
だから かかってくるのは 彼女らがお風呂も夕食も済ませてからの時間になる。

ところが その時間帯が問題で その頃は 私は整形外科へ行っていてリハビリの最中だったり
帰って来て直ぐにキッチンで忙しなく夕食の準備をしているか あるいは夕ご飯を食べていたり
で こちらにゆとりのない時間帯なのだ。

でも 可愛い盛りの孫たちが 目を輝かせてあどけなく話す様子や 甲高い声での 大人にすれば
他愛もない話は 夫と私の心を和ませ笑わせ 生きる力をくれる。

今日も ちょうどマッサージを受けている最中に ラインの着信音が鳴った。
この時刻にかかってくるラインは孫たちからだ と承知してはいても出ることができない。

迎えに来てくれた夫が 👧🧒と話していたところだった お前にかけても出なかったらしい
今日はスイミングの昇級テスト日で 二十五メートルを泳ぎきれた と話していた と言う。

きっと嬉しかったのね と思いながら帰宅して 夕ご飯を食べ始めると またかかってきた。

夫とは携帯での声だけだから どうしても直に顔を見て話がしたかったらしい。

パッドは居間のテーブルの上に置いてあるのだから夫が出ればいいものを 彼は絶対に
自分では出ないから 私が初めに出ないとビデオ通話ができないことを知っていて また
かけてきたのだった。

上の孫が映って ああこれを見せたかったんだなあ! と直ぐに気づいた。
彼女の前髪が 異常に短くなっていたからだ。

どうしたの⁉︎ その前髪⁉︎短いわねえ!
(なんだか切り口が斜めになっているような……^。^)

そう 短くしたんだよ 短いほうがよかったの!ママに切ってもらったんだよ!
ホントはね もっと短くてもよかったんだけどね〜
(いつ頃からか それまではマミーと呼んでいたのをママと言うようになった 友だちの
影響か 名前とかぶるからなのか)

すると 画面には映っていないところから もっと切れもっと短くってうるさくてねぇ!
と とうのママの声が。

笑ってしまった。

思春期だったら 絶対にママに それも斜めになんて切ってほしくないだろうに こんなことも
あと数年のことだろう。
その時期を 母娘で精一杯楽しめばいい。

そして話したかったのは 二年生になった九月から学校で日本語が始まって その教科書が
七月にこちらの小学校にお世話になっていた期間に 学校から貸与されていた教科書と
同じ教科書だということも だったようだ。

それと スイミングでの試験で二十五メートルを泳ぎきれたこと の二つが 上の孫が今日
主に話したかったことのようだった。それも どうしても顔を見ながら会話したかったから
またかけてきたらしい。

下の孫は 日本でいう幼稚園だが 高校までが一体の学校だから 九月に入学した形になった。
そのクラスでのことや 覚え始めた「あいうえお表」を見せて 「あ」 から 「ん 」 までを
そらで言えるところを見せたかったようだ。

そのビデオ通話だが 最近では少し収まってきたものの 二人がこぞって 声高に話したがる
ものだから そのバトルの有様の騒々しいこと騒々しいこと!

悲しいかな なにせ二人には四歳の年齢差がある。
だから勢い 語彙も豊富な上の子が どうしても画面を占領してしまう。
その隙を狙って下の子が話そうとするが 言葉を探しているうちに また上の子が話し始める。
それでバトルが再開 となってしまう。

それでも 我先にと話す内容に相槌を打って 二人の話すしぐさや顔を見 声に耳を傾けるのは
実に楽しい。

こうして直に 今、今 のことを見 話せるなんて いい時代を生きている。

そのうち ママの もう今日は終わりよ じいじとばあばに「ナイナイ」しなさい という声が
画面の外から聞こえてくる。
「ナイナイ」」とは イギリスでの「おやすみなさい」に当たる幼児語らしい。

すると今度は どっちが切るかでまたバトルだ。

そうして 突然にようにビデオ通話が終わる。

明日は日本語の学習が通常の学習時間の前にあるから 明日の朝は六時起きで七時には
家を出る と言っていた。

学ぶことが好きな子で わがままに育っていなくてよかった と つくづく思った。

二人の孫たちは 複数の国籍を持つがゆえに 学ぶこともその分多い。

どうか 素直で学ぶことが好きなまま大きくなっていってほしい と 切れたあと
しみじみ願ったことだった。


今日の予約患者数 千四百十一人。

また今日も その中の一人になって 診察 トリガー 点滴 を受けた。

まず診察室で 医師に先週の木曜日からの体の状態を話した。
木曜金曜の二日とも 痛み止めの注射と点滴を受けたことも もちろん話した。

とんでもない激痛と引き連れで 熱も三日ほど出て 昨日までほとんど寝たり起きたりで
過ごしたこと など細かに話すと 医師には

以前にもお話ししたように 早いと三ヶ月くらいで効果がなくなることもあるので……
でも 何回でもできる手術ですからねぇ……
まあ 少し様子を見ましょう。

そう言われ いつもだと十三ヶ所くらいのトリガーを 左足も含めて十六ヶ所くらい
してくださった。

念入りにされたからか 足も腰も 打った後がいつもより痛む。

今日はそのあと 久しぶりに駅の図書館や本屋へ行こう と 昨日まで思っていたが
昨夜 叔母から病院の帰りに寄って との電話があり バスとタクシーを使って行った。

私たち夫婦と一緒にマッサージに行って以来全く外出していないのでストレスが溜まって
しまい それで通販で 段ボール一箱に何枚もの洋服を買ったが いざ届いてみると
自分には大きくてサイズが合わない それで それらを もし私が気に入れば着ないか

というのが 叔母の用だった。

お昼に と モールで 購入して行った叔母の好みのネタが載っている握り寿司を食べる
のもそこそこに 叔母がやおら持ち出した段ボール箱には 本当に 何枚もの洋服が
積み重なって入っていた。

見ると 私でさえ大き過ぎる物もあったので どうしてこんなサイズを頼んだのか 聞くと

私は標準より裄が五センチも長いので M寸では手首がずいぶん出てしまうから
いつもL寸を買うのよ 今回もそう思ってL寸を頼んだはいいが いざ商品が届いて
着てみると 目を悪くしてからいっそう痩せたらしくて 身幅がガバガバで着られない
おまけに大半は 購入時に 返品交換不可 と承知しての物だから もしあなたが着られる
なら着ないか

と言う。

ファッションショーよろしく 袖を通し足を通しして 全てを試着してみると
私なら着られるものがほとんどだったので 遠慮なくありがたく頂くことに。

二万八千円の値札が付いていて 叔母が柄が気に入って取り寄せたという 薄手の丹後縮緬の
コートは M〜Lサイズなのにもかかわらず 私にも肩幅も身幅も大きくて着られなかった。
これは返品ができたので さっそく返品票を記入し 宅配業者に渡すよう荷作りした。

叔母ではないけれど 徐々に体重が落ちてきたこともあって 同じL寸でも
寸法ギリギリで ゆとりなく作ってある通販の洋服でも 最近の私は着られる物が多い。

ウール百のブラウスやアルパカのカーディガンなど 結構質のいい品ばかりだったから
中には 私ならこの色味や柄のものは買わないな と思う品もあったが どれも新品だし
家に居て着るには 申し分のない物ばかりだ。

秋から初冬にかけて着る普段の洋服が これで買わなくても揃ってしまったようだ。

叔母は 自分が着られなくても 大量に洋服を買ったことで

アァ〜!ストレス発散できてスッキリしたわ〜〜!

と 言葉通りの顔つきで言っていた。

私は このような買い物の仕方を これまでもしたことがないしこれからだってできない。
だから 叔母の心境は想像もできないけれど でも そんなことが出来たらさぞかし
楽しいだろう とは 思える。

大量に洋服をいただいて嬉しいのはもちろん嬉しいが なんだか嬉しい気持ちを飛び越えて
不思議な気分で帰って来た。






今日は 使い物にならない体をもてあましながら 一日過ごした。

でも 昨日の注射と点滴がよく効いて 昨日よりは歩行がしやすい。

夕方 また今日も夫の車に乗せてもらって整形外科へ行った。

昨日と同じように リハビリのあと 注射と点滴をしてもらった。

療法士が 昨日よりずっとよくなっている 顔つきも昨日とは大違い と言ってくれた。
彼女が医院で働き始めてから こんなに信頼できる療法士に出会ったのは初めて で
彼女が持っている腕と人格には ずっと敬意を払ってきているが 今回も彼女以外には
私の状態を理解してマッサージしてくれる人はいなかっただろう。
彼女には感謝しかない。

その彼女が まだいけるかもしれない 三ヶ月という壁をなんとか頑張って破りましょうよ
今回は普段きていない右足まで硬くなっていたし 腰も左足もひどかったけれど
触った感じでは 他のところはまだ大丈夫な気がします でも昨日の顔は酷かったわ
と言って 笑ってくれた。

年若くてもしっかりした腕と知識に裏打ちされた彼女の言葉は いつも素直に心に入る。

そうか 今回は前日に長時間 待ち合いのベンチに同じ姿勢で座っていたから 突発的に
起こったのかもしれない
なら もう少しこのまま頑張れるかも……

そう思いながらリハビリ室を出た。

しかし これだけ強烈な痙攣が起きると 強い痛みだけでなく いつも必ず熱が出る。
今回も昨日から三十八度を越す熱がある。

整形外科の医師は 熱自体は体を元に戻そうとして出るものだから むやみに下げようとせず
出来るだけ安静にしてそれ以上熱が上がらないように体を休ませなさい と言われた。

以前には 背骨が私のような状態だと あまり高熱を出すと中から腐ることがあるから
気をつけなさい とも言われたことがあった。

その言葉を思い出すから 休んでいなくては と よけいに思う。

明日からは三連休 私としては 夫が日中留守の方が お昼ご飯の心配をしなくていいから
連休でない方がいいのだが こればかりはどうしようもない。

おまけに雨らしいが 夫も私のこんな状況になれているから どうにかなるだろう。

昨日だって 仕事帰りに畑へ直行して 大根の種まきをするための畝作りをして来た。
疲れて帰ってみれば 汗と土で汚れたままで また運転して医院へ 私を運んだ。
今日も 種蒔きをしてから帰り そのまま また医院へ直行だった。

夫がいなかったら 今の私は 生活できないだろう。

諦めてなんでも一人でやってくれる夫には 心からありがたいと思っている。

昨日は 朝からどんよりとして蒸し暑く 雨が降りそうで降らない はっきりしない天気だった。

習字に行く日だったから 降ってくればタクシーを呼ぼう と思っていたが 九時を回っても
降ってくる気配がなく それならゆっくりバス停まで歩こう と 半になって家を出た。

歩けることが嬉しい。
あちこちから聞こえる高速道路工事の騒がしい音も 耳慣れて久しい。

習字が始まる十時に間に合うようにバスに乗れるのは 一年のうちどれだけあるだろう。

おおかたは 呼んだタクシーがなかなか来なかったり 歩こう と思っても 朝早くだと足腰の
状態が不安で 家を出て教室に着くのが 三十分以上は遅くなってしまう。

だから 九時半に家を出て歩き始められる昨日は とても稀な日だった。
六月にした神経根ブロック以来 雨の日以外は この稀な日が続いている。
こんなに歩けるのは いつ以来だったかわからないほど ずっと長年歩けなかった。

たとえ歩けてもすぐに痛みがきて バス停まで一キロの距離を何回も何回も足を止め
立ち止まり 休み休みゆっくりでしか歩けない年月だった。

だから 家からバス停まで途中で休むことなく自分のペースで歩ける嬉しさは まるで
新しい世界が広がったかのような そんな新鮮さがある。

強い痛みや痙攣から解放され 心軽く明るく過ごせるようになったこの劇的な変化は
夢の中にいるような喜びをもって過ごせる日々を 私にくれる。

でも 効き目が早く出る場合は効果が早く終わることが多い という医師の言葉は
いつも頭にはあった。
だいたい三ヶ月くらいで元に戻る場合が多い とも その時に言われた。

ブロックからおよそ三ヶ月が過ぎた。

それは 突然 そしてゆっくり起こった。

教室で いつもと変わらず筆を持ち机に向かっていると 左足に徐々に痺れがきた。
アレェ〜? そして アッと思う間に 急激に足全体に硬直が来始めた。

教室では 生徒は皆 正座して硯に向かっているが 私は 腰を上げて足を圧迫しない
よう 先生の許可を得て低い椅子に座り 腰高の姿勢で向かっているのだが……。

以前にもこういうことは頻繁にあった 先生や他の生徒さんを驚かせてはいけない。
ソロソロと足を前へ伸ばして投げ出し 手が届く範囲をさすったり押したりする。
強烈な痛みのなか そうしてほんの数分だけ多少硬直と痛みが弱くなる間を待つ。
そして 行儀が悪いが その間に 片足を投げ出したままで筆を持つ。

でもこうなると痛みをこらえる方に気がいくから なかなか字を書くことに集中できない。

それでも昨日は なんとか終わりまで居て またバスに乗って帰って来た。
教室からバス停までは 帰りも数メートルの距離 行きに至っては二十歩も歩けば着くから
問題は バス停から自宅までだが 幸いなことに 強烈な引き連れの後の間合い状態のまま
痛くて重だるく動きの悪くなった痺れた足でだったが ゆっくり歩くことができた。

とはいえ 帰り着いてヤレヤレと思う間もなく やっぱり どうしようもないあの強烈な
痛みと引き連れは戻ってきた。

療法士から 三点の関節を同時に違う方向に動かせばいい と聞いてはいても 硬直して
硬くなり おまけに激しい痛みの中では とてもではない 自分ではどうしようもない。

そして昨日はそのあと そんな状態が 何度も波のように繰り返し繰り返し起こった。
手洗いへ歩くのでさえままならず 仕方なく 夫の帰りをベッドで耐えながら待った。

勤めの後 畑へ直行していた夫が帰って来て 野良着のまま 整形外科へ運んでくれた。

車に乗るのも降りるのも 医院の玄関から受付への数歩も 足に力が入らなくて
いつもよりずっと時間がかかる。杖だけが頼りだ。
しまった 家に予備の杖があったのだから 両手に持って支えて歩くようにすれば
少しは歩行が楽だったかもしれない と思ったが どうしようもない。

いかにも一昨日とは違う私の状態に 受け付けのスタッフの顔も固まっていた。
早速リハビリ室へ呼ばれても さっさと歩けないどころか転ばないようにするのが
精いっぱいの有様に 車椅子を持って来ようか と言われたが 大げさになるのが嫌で
自力で歩いた。

私をよく知っている療法士は 体に触るなり ワァ〜これは‼︎ と言ったきり黙ったまま
腰から足を 強くマッサージしていく。
その痛いことといったらない。
当然痛いだろうとは療法士も分かっているのだろうが そんなことは言いもしないで
ツボや腱をひたすらマッサージしてくれる。
施術台の縁をギュッと掴み我慢していても つい痛みに負けて呻きが漏れてしまう。

そして最後に 少し緩めておきましたがこのあと先生に診てもらってください と
療法士が言ってくれた。

自分でもそう思っていたので またノロノロと待ち合いへ行き 順番を待った。

医師に腰へ二ヶ所注射を打たれ 今日は点滴をした方がいい と言われて
多少なりとも痛みや引き連れが和らぐことを願いながら 点滴を受けた。

完全にブロックの効き目が切れてきたに違いない……
夢のような時期に 終わりがきたのかもしれない……
嘆いても仕方がない……
悲しいが もしそうだとしても 元に戻っただけなのだから……そう自分に言い聞かせながら……。

今日 二時半の予約になっていた説明会に 一緒に行ってくれないか と 一月も前から
叔母に頼まれていた。

それで今日は 十一時にショッピングモールで待ち合わせ お昼ご飯を一緒にいただいて
から 日赤病院へ行き 眼科の待合室で待った。

手術する患者が多いのか 予約時間を過ぎてもなかなか名前が呼ばれない。

説明を受ける前に 検査室での検査があり そのあとしばらくして診察室へと呼ばれた。

手術についてのビデオを見てもらいます と看護師に言われたので てっきり大きな画面に
写されるものと思っていたのだが 渡されたのはパッドだった。

手術方法について 手順や術後について また注意すべき事など 事細かに説明されていた。

ビデオを見る限りでは 手術に関しての不安はなくなり 安心して手術を受けられるように
思えた。

ビデオを見ながら 耳の悪い叔母のために 大切な事や覚えておかなければならない事などを
看護師の許可を得て メモしていった。

耳からの情報は 健常でも 特に歳を重ねた者は 忘れやすい。
それを文字で残しておけば何度も読み返せるし そうすることによって頭に入り覚えられる。

またしばらく待合室に座って待っていると 仕事が終わった夫がやって来た。

そのあと診察室への呼び込みがあり 医師から補足説明があり 疑問に思う事などについて
説明を受けた。
最後に 入院日と手術日 入院期間と希望する部屋などを確認して 必要な書類の説明を受け
手術までの間の点眼薬を処方してもらい 終了。

処方箋と書類が渡されるまで 待合室で再度待つ間に ビデオに関しての先ほどのメモを
清書して 叔母に渡した。

病院の向かいの薬局で薬をもらい お腹が空いた と叔母が言うので その足で車を走らせ
夕ご飯を食べに向かった。

そのあと 叔母を家へ送り 書類の連帯保証人欄に記入して押印。
手術は来月の八日(祝日でも病院では手術するのだそうだ)だが 書類は早めに記入を済ませて
おいた方が気が楽だ。

帰宅したのは八時を回っていたが 慌てて準備して 毎週行く温泉へ。
時間が遅いから客も少なく ゆったりした気持ちでお湯に浸かれた。

おかげで 一日の疲れが抜けたような気がする。

この二日ほど わけもなく流されるままに生きている気がする。

理由があって気持ちが立ち上がらないのと 天気が悪くて気が滅入っているのとの 両方で
自分の意思で生きている気がしないでいる。

とはいえ 一昨日は習字に行って来たし 昨日は 叔母の誘いでマッサージにも出かけている。
また昨日は 午前中に畑へ出かけ戻った夫と マッサージに出かけるギリギリまでの時間を
栗きんとん作りに使った。

電話があれば出るし 洗濯もしご飯も作る。やらなければならないことは それなりに
こなしている。

でも そうして動き 外出しながらも 意識をしっかり持ってその一つ一つをしたか
活きた時間を過ごしたか というと そうではなかった気がするのだ。

習字は 時間になったら夫に促されて 車で送迎してもらい マッサージは叔母が予約して
くれた時間に間に合うように夫の運転で向かい 終わった後の食事も叔母におまかせだったし
なに一つ自分の意思で動いていない。

きんとん作りにしても 茹でておけ と夫に言われのことだし 実をほじくるのもつぶすのも
形に絞るのも 夫の指示で動いただけ。

どうしてこんなに気持ちが塞いでいるのだろう……。
生きる という力が出てこないのは なぜか……。

まずは遠くに住む友の話。

彼女はここ十日ほど 体を壊して入院している。

そして 明日退院になった と いつもよりは弱い声音だったが電話をくれた。

退院しても一人だから 食事のことなどどうするのかと心配だが なんとかなるから大丈夫
と 彼女は言う。

そして 聞いてビックリしたのは
入院時に告げられた通り およそ十日間の入院になったが 友人が連れて行ってくれて入院した
のが済生会病院だった。 夫を亡くし一人暮らしの彼女は所得が低いから 治療費や食事代など
の一切が無料だ と 病院側から言われた という言葉。

済生会病院とは そういう病院だったのか と 彼女も初めて知った だから 個室に入ったから
その部屋の利用料金だけを支払えばいいのだと言う。

驚いた。
済生会病院 の名は 今までどこかで聞いたことがあったが 他の病院と変わらない病院だと
ばかり思っていた。

線引きはあるのだろうが 低所得者からは治療費はとらない などという病院が この日本に
存在していたなんて‼︎
普通 どんな病院でも 福祉医療証明を持参している人でない限り 何割かを自己負担
しなければならないもの とばかり思っていたのだが……
本当に 驚きだ‼️

それともこれは 日本全国 どの医療機関に入院しても適用されることなのだろうか……。


そして もう一人の大切な友との話。

今日は お昼を挟んで彼女と会った。
というより 私の方から 会ってもらった。

聞いてもらいたいことがあったからだ。
彼女なら 私の気持ちを理解して フンフン と 耳を傾けてくれるだろう という 私の甘え
もあったし またそうしてほしかった。

その通り 彼女は親身になって聴いてくれた。

こうしたらいい という明確な答えがあるでもない どうしたらいいかわからない 出口が
なかなか見つからない話をグチグチ繰り返す私に 彼女は気長に付き合ってくれた。

どうしたらいいのか自分でも分からないのだから 他人である彼女の身にすれば どう答えれば
いいのか なおさら分からないことだろう とは思っても 聞いてもらわずにはいられなかった。

彼女には迷惑千万なことだったろうし 申し訳なかったが 話して聞いてもらったら
気持ちがちょっと楽になった。

今日また 改めて 友のありがたさを感じた。



日本列島は 国難の時代を迎えている時期に入ったのではないか!

そう思えるほど ここ近年 日本列島は自然の災害 それもどれもが大の付く災害に
立て続けにみまわれている。

昨日未明に起きた北海道の大地震では 何もかもが「想定外」の現象や状態になっていて
被災者は 怒りの持って行きどころがない思いを抱えながら 混乱する生活の中 それでも必死に
生きることにしがみついて 明日をみつめようとしている。

ネット上では 北海道の現状を知らせる報道に晒されいる人たちが 疑似体験をしたかのような
気になってしまい 気を病むようになっているから その対策をどうしたらいいのか……
というような記事が載っていた。

それほど 今回 目にする映像は 今まで誰もが見たことのないものだ ということなのだろう。

が 極めて私的な考えだが これは 想像を絶する酷いやり方で家を無くし親兄弟を亡くして
ぼうぜんと佇んでいる人々に対して 礼を欠いた記事であり考えではないだろうか。

酷い現実を突き付けられている人たちならいざ知らず 側で傍観しているだけの者の悲嘆の度合い
など とるに足らないものではないか。
昨日の今日 早々と考えることとは どうしても思えない。

この度の地震で起きた有様を報道で目にし もし 心が潰れる思いでいるのならば それで傷ついた
自分の気持ちを労わるより先に やる事があるだろう。

昔 テレビドラマの中で使われた 「同情するより金をくれ!」という 有名なセリフがあったが
その通り「下手な考え休むに似たり」という言葉もある。

もちろん 事象を我が事に考えて動くことは大切だ。
けれども 我が事が先に出てしまってはおかしい。

まず静観した上で 自分はどうしたら彼らのためになるか 何ができるか を考えて
行動に移すことこそが 私たちがすることなのではないか。

今日は水曜日 夫と温泉へ行く日だった。

仕事帰りに叔母宅へよると カーポートの屋根がめくれ飛び 換気扇の外窓も吹き飛んでいて
お隣から高梯子を借りて仮のふたをして来 そのあと畑の様子を見に行くと 栗のイガが
全部落ちてしまっていて まだ実っていない実だったが 仕方なくイガから出したり拾ったり
して来た という夫は いつもより遅く もう暗くなる頃に帰って来た。

今年は 桃といい栗といい 我が家の 成りものは 全滅だ。
辛うじて 干し柿用の柿だけは 今のところ無事のようだ。

帰宅後直ぐに温泉へ行くと マア まるで連休中のようなものすごい人の数だ。
話を聞くと みんなまだ停電中で 台所もお風呂も使えないのだ ということだった。

そういえば 私が住んでいる市内の小中学校は 停電している地域があるから今日は休校 と
朝 無線放送があった。

脱衣室や浴槽で聞くともなしに耳に入ってきた話だと 停電のために信号が点かないから
あちこちで事故が発生しているらしいし フェンスが倒れてしまったり車庫の屋根が飛んだ
り剥がれたりした家も多くあるようで ひどいのは 家がつぶれてしまったらしく
気の毒にねェ という会話まであった。

人命にまで及ぶ被害は出なかったものの 想像していた以上の被害が出ているようだ。

我が家は何も被害がなかっただけに 家で入浴できない人が温泉へ押しかけて来ている状況や
会話から もしそれが我が家だったら と思わずにはいられなかった。

帰りの車中で夫と話したのだが 我が家の辺りが無事だったのは 今作っている高速道路で
南東方向からの風の勢いが遮られたから 多少弱められたからではないか。

単に高い位置に道路が建設中なだけでなく 料金所へ上下する道路も同時に建設されているから
高速道路の下には 今まではなかった高い土盛りがされている。

だから それらのすべてが 南東方向から吹き付けた激しい風の 風除けの役目をしてくれた
のではないか。

日々建設の騒音に悩まされる我が家だが こうして風除けになり 西の山を削ったことによって
風も抜けていくようになり している と思うと まるっきり悪いことばかりではないのかも とも
思えてくる。





久しぶりに聴く風の音だった。

昨日は 朝から警報が出ていたので 夫の勤務先は休みになった。

それでも 私の受診日だったから いつもの時間に車を走らせ 大学病院へ。
この地方に影響が出るのはお昼過ぎから という予報だったから 道路は通勤する車が通り
毎日の朝と変わりがない。

台風が来る というような日だから今日は患者が少ないだろう と夫が車中で言って
終わり次第電話する約束で 車を降りた。

でもやっぱり この病院へ来る患者は ここでないとならない という人ばかりだからだろう
受診予約患者数は 千三百三十人 と いつもの火曜日と変わらなかった。

それでも 遠方から来る人の中にはキャンセルする患者もあったようで 次の診察日が満杯に
なってしまう と医師や看護師同士で話していた。

治療室を出ても会計が八十人待ちで 結局迎えに来てもらう電話をかけたのは十一時半過ぎ。

叔母宅へ台風への備えの確認に寄り 上がらず玄関先で話して 家へ向かった。

この頃になると多少風も出ていて これから来る台風の前触れだと感じられた。

帰宅後しばらくすると次第に風が強くなってきて それが加速度的に激しくなっていった。

大型の台風でスピードがあっただけに 雨よりも風の勢いがすざまじかった。
そして その風の音が 不気味に鳴る笛のように 途切れることなく長く聴こえてきた。

居間の天窓から外を見ると お向かいの家の物置だろうか が倒れていたし 庭の植物も
風の音に合わせるように 皆 低く斜めになって揺れていた。

夕方近くなって風が収まり やれやれ過ぎたか と思う頃 市内に停電している地区が発生 しているから水を極力使わないように と 防災無線が入った。

我が家はもちろん周辺も 見える範囲は電気がついている。
前回の大雨で被害が出た地区なのか と思っただけで とりあえずは我が家への影響はない
ので 夕飯の準備にかかった。

すると叔母から カーポートの屋根が一枚剥がれて飛んでしまっている とお隣が教えて
くれた と 電話が入った。
明日の勤め帰りに寄ってみる と夫が返事した。

間をおかず 午後三時ごろから長男宅周辺が停電していて真っ暗なので夕飯とお風呂に
我が家へ来させて と 長男と嫁の両方から電話が入った。

長男宅はオール電化だから 停電してしまうと 家の中の何もかもが使えない。

もちろん いいよいいよ と返事して 作りかけのおかずも量を多くして待った。

我が家への道道 私たちが住んでいる市へ入っても 高速道路工事の手前まで
停電していた と 着くなり 孫が教えてくれた。
すぐそこまで停電していたとは!

嫁が冷蔵庫に入れていたお刺身や魚を持参して来たので まるで持ち寄りパーティ
のそれのようにテーブルの上が賑やかになり 孫たちも嫁も喜んだ。

ほどなく この日ばかりは長男も早く帰って来て 六人での夕ご飯が始まった。

しかし九時になっても停電は復旧しない。 この分では長男宅へ彼らが帰っても
何もできないから みんなして泊まっていくことになった。

今朝 五時に目が覚めて外へ出ると 千切れ飛んで来た葉っぱや枝が 塀の内外に
積もったようになって貼りついていた。

帰宅した長男の嫁からは 家がある丁目まで復旧していて助かったが 隣の丁目はまだ
停電したままだ と電話があった。

高校生の孫からは 今日のお弁当は 今朝持たせたご飯に半解凍になっていたおかずだよ と
ラインがきた。

嫁は 仕事を休んで冷蔵庫や冷凍庫の始末をするつもりだ と言っていた。

我が家と長男宅は それで済んだが 周辺地域はまだ停電していて混乱が続いている。

数日前から 姉のような友が毎日何回もあげていたブログが パタッと上がらなくなっていた。

彼女はすぐ行き来できる距離にいないから こういう時に行ってみるわけにいかない。

上がらなくなった日に 気になって何度も見たが ヤッパリ画面が変わらなかった。
次の日の朝になっても 上がっていなかった。

これはオカシイ!?
彼女の身に 何かあったに違いない!!

それで 恐る恐る ラインのトークで どうかしたのか尋ねた。

すると 今まで聞いたことのないような 苦しそうな声で 寝込んでいる…… と
言うではないか。

食あたりなのかも知れない……食べたものが当たったのかも…… とも言った。

そんな時に連絡して悪かった と思い 慌てて 大事にしてね と言って 電話を切った。

その後も 一人暮らしで病んでいる彼女のことが気になって気になって…… でも
辛そうだった様子から しつこく連絡するのもはばかられて その日が過ぎた。

それでも とうとう気持ちに負けて 翌日 どんな様子か 連絡してみると
友人が訪ねて来てくれて 休日だったが 彼女を病院へ連れて行ってくれたらしい。

結果 即入院 になった。

と 病院のベッドからの返信がきた。

入院になるほどの症状で一人で苦しんでいた彼女を想うと 身につまされてしまった。

でも よく友人が訪ねて行ってくださった と 知らないその友人に感謝した。

そのあと もう一人の友から電話があり 彼女のところへ電話があった という。
十日ほどの入院予定 と言っていたらしい。
何か菌が入って 三日も四十度の熱が続いたのだとか。

発熱に慣れてしまっている私でさえ さすがに四十度の熱が出てそれが三日間も続けば
参ってしまう。
滅多にそんな高熱が出たことのない彼女には さぞかし苦しかったことだろう。

しかしまあ 友達のおかげで入院したからには なんらかの処置をしてもらえるだろうから
誰より本人は辛いながらも安堵したことだろう。

休日明けの今日 あらためて専門の科の医師に診察してもらったらしい。

私も 明日は 大学病院の受診日になっている。
台風が来ているが通常通り診察があるのか 昼間確認すると 変わりなく診察する というから
明日の朝早くには家を出て 大学病院へ行くつもりでいる。

待ち時間の間にでも また彼女の容体を聞いてみるつもりでいる。

悪い病気でなく 少しは治療で良くなっているといいのだが……。

旅行帰りの昨夜は さすがに腰骨がドックドックと脈打って痛みが激しく出てしまった。

それでも 旅の間にたまった洗濯物をそのままにはしておけず 洗濯機を回しながら
腰を曲げながらでも 持って行ったトランクの中を片付けた。

洗濯が終わった後 物干しに干し終え いつもの痛み止めに加えて 痛みが激しい時に使う
ように と処方してもらっていた薬を一錠飲んで 早々にベッドで横になった。

疲れてもいたし薬も効いたからだろう いつのまにか寝ていたらしく 用を足しに眼が覚めると
夜中になっていて 隣のベッドでは 夫がマスクを着けて気持ちよさそうに眠っていた。

ベッドから起き上がり 腰を上げ立とうとすると またあのドックドックが戻ってきた。
それでも仕方なくヨタヨタ歩いて用を済ませ 今度は痛み止めの薬と座薬を使い ベッドへ戻った。

しばらくは眠れなかったが うつらうつらしているうちに朝になっていた。

そして起き上がってみると 昨夜の激しい痛みが少し軽くなっていた。

あの強いズキズキは 骨自体が痛む痛みのように感じたから 最悪 以前から医師に
気をつけるように言われている骨折をしてしまったのでは⁈ という不安が大きかった。
だから とりあえずは 起きられることに安心した。

なにせ腰骨二つが空洞だから 容易に折れてしまう危険が 絶えずある。
無理をするな 荷物を持つな など 日頃から 医師やリハビリの療術師に言われながら
自分でもいつも注意して暮らしているのが現状なのだ。

受診する度に 大学病院の処置室の主任からは 必ず 最近 転んでない? と
聞かれる。
腰が不安定で左足の神経が悪いために つまづいたり転んだりしやすいからだ。
歩くのでさえ いつも 左足左足 と 意識していないと駄目なのだ。

側から見て なんでもなさそうに見えるのは ありがたいことに膝の関節に
異常がないからだ。
これは多分 五十歳まで 毎日どこへ行くにも自転車に乗っていたことで
膝の関節周りの筋肉が強くなっているからだと思う。

腰だってそうだ。 普通なら骨の中が空洞では とても今の状態ではいられない。
年齢に比べて 自転車で鍛えた強い筋肉があったからこそ なんとか今まで保っている。

膝と腰の筋肉のおかげで 歩く姿には 私が抱えている痛みが現れていないのだ。

しかし 最近はその筋肉の貯金もそこをついてきている。

無理はできないのだ と忘れてはいけない と あらためて思い知らされる。