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水道屋さんが来て 一回の便座も二階の便座も 新しい物に付け替えて行った。

私が知らない間に 付け替えが終わっていた。
昨夜 夫が息子に 工事に立ち会って 代金の支払いもしてくれるよう頼んでいた。

新しいものは やはりいい。
新しい というだけで いい。

寝室に引っ込んでいて気づかなかった私は さっき 初めて使ってみた。が……

二階のは 使う頻度が少ないし 家族以外の人の目に触れることがないから
上蓋が自動であろうが手動での上げ下げであろうが いっこうに構わない。
温水がしっかり作動して 冬場にはお尻が乗る場所が温かくなりさえすれば それでいい。

しかし 一階のトイレまでもが 手動でないと蓋が上がらない便座になっている。
今までのは トイレのドアを開けると 自動で蓋が上がったのに……。

それに リモコンではなく 作動させるボタンが便座の袖に付いている。

ええ〜!これ古いんじゃないのォ〜?

立ち会っていた息子に言うと でも蓋の裏側の表示には ちゃんと今年の製造年が印字
してあるよ だから古くはないよ リモコンを使わない機種なんだよ と言う。

たしかに 表示を見ると 今年製造された機種だ。

でも それじゃあ今までリモコンを取り付けるのに壁にくっつけてあったラック状のものは
どうするの?
壁にそのまま残ってしまっているよ……
剥がそうにも とても手では剥がせない。どうすれば剥がれるのか……。

せっかく新しくなったのに なんだか嬉しさも半減してしまった。

依頼する際に 夫がそういう機種を希望したのだろうか……
ひょっとして ケチったのかもしれないわねぇ〜〜経費を……。

おいおい慣れてはいくだろうが 最初のうちは ちょっと使いづらい。
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二階にあるトイレは 泊まり客がないかぎり 普段は あまり使わない。

夫が 着替えにあがったときや たまたま下のを私が使っているときに 使うくらいだ。

先月のある日 夫が使った後に タンクの脇に 水が少し溜まっているのに気づいた。
手洗いの水が はねてこぼれたにしては おかしかったらしい。

工具を持って何かいじる事が大好きな夫は すぐさま工具箱を持って上がり
どこからか漏れているのでは と あちこちなぶってみたようだ。

こういう場合 放っておくと 夫はだんだんこうじてきて 傷んだ箇所をより傷めて
しまったりすることがある。

出勤前だったこともあって これ以上は夫の手にはおえないらしい と思える頃合いに
水道屋さん呼んだら?仕事に遅れるし と さりげなく言うと 夫もあきらめて
修繕を頼んだ。

要は 温水暖房便座の 水道とつないでいる管のどこかが悪くなっての水漏れらしい。

家を建てて三十五年も経った。
これまでにも お風呂のボイラーが悪くなって 替たりしてきた。

使用頻度の多い一階のトイレも 前に替えた便座のリモコンの調子がおかしくなってきた。

それで 二階のトイレは 修繕を頼むよりいっそ便座ごと新しくすれば つなぐ管も新しく
できるし それに この際だから と 一階の便座も一緒に替えることにした。
そうすれば リモコンも新しくなる。
便器ごと替える とも考えたが そうすると大ごとになるし 今のところそこまでは必要ない。

ところが 水道屋さんは 台風の被害で沢山の修理や修繕の依頼を受けていて
我が家のような軽微な修繕をするまでには 日にちがかかるがいいか と言われた。

つい先ごろの台風で 我が家の狭い周辺こそ無事だったものの 市内も周辺の市も
かなりの打撃を受けていたから インフラの工事屋さんは 大忙しなのだそうだ。

待つことおよそひと月半 ようやく我が家の番がきたらしく 昨日 夫に連絡があって
今日 午前中に来てくれることになった。

これまで 水栓を止めて専ら下のトイレだけを使ってきたが 息子が帰って来てからは
一時的にしろ三人家族になり トイレが一つだけでは 不便さを感じていた。

トイレが悪くなり 私が動けなくなり……

人も物も 年とともに「変化する」のが自然なのだから「加齢」や「老化」を
マイナスのイメージで捉えてはいけない と 何かで読んだか聞いたかしたことがあるが
どれだけ明るく考えようとしても 経年による老化や加齢からは 次第に フレッシュ さ
から遠ざかるイメージしか浮かんでこない。

ただ 救いなのは 経験や体験から培われたモノは確実にある といえることだろう。
しかし それだって 体が動かなくてはどうしようもない というものだ。

「女房や畳」だけではなく「世の中のものすべて」は 新しいほうが断然いいに決まっている。

月の大半をベッドの上で安静に過ごしたおかげで 痛みはずいぶんマシになってきた。

今日は 午後から 大学病院の予約が入っている。

洗濯して洗濯物を干す事もできるようになったし お米を研いで炊けるようにもなった。

でも しばらくすると痛みが戻って 長く立ってはいられない。

脚が弱るから と思っても 痛みが先にたってしまう。

来月半ばまでには なんとしても 外出しての歩行が普通にできるようにならなくては!

昨日とった予約の時間に 腰椎の手術後に作った 胸から骨盤まである頑丈なコルセット
を着けて 麻酔科へ行った。

コルセットは 家にいて 食事や何かで起きて動く際にも 必ず着けている。
着けると 多少は楽な気がする。

受付を済ませて待ち合いのソファに座っていると 処置室から看護師が出て来て
診察の順番まで ベッドで横になっていたら? と 言ってくれたので 中へ入って
寝て 診察を待つことができた。

今日の医師との話し合いで 前回の受診後 医師の指示通りに 安静にしていたことや
その結果徐々に 多少ではあるが 痛みは軽減する方向にあること など 今の状態を
話した。

医師は 安静にしていれば薄らいでいく痛みならば 今のところ骨折もしていないのだから
今後 これまで以上に 重い物を持たない下げない 腰を曲げたりかがんだりひねったり
もしない 長時間立たない など とにかく腰へ負担をかけないよう気をつけて生活すれば
まだ手術はしないでいいでしょう 前回の神経根ブロックが効き過ぎくらい効いたせいで
動き過ぎた事も 今回 腰へ負担をかけてしまった一因 ということも考えられる。
その神経根ブロックの効き目が薄れてきたことで 余計に痛みが増している とも考えられる
から 年内にもう一度 神経根ブロックをしましょう。

と言われた。

確かに 二年前と比べて状態は悪くなってはいるが レントゲン検査でも骨折はしていない。

負荷をかけないよう気をつけて生活し また 痛みが出ても安静にさえしていれば
骨自体の痛みは 何とか収まるが 神経の痛みは そうはいかない。
安静を保っても とても収まるものではない。
ならば 骨は現状を保つよう気をつけて暮らすことで痛みの発症を出来るだけ防ぐ。
そうすれば金属やボルトを入れないで済むから ブログの針が入る。
針が今まで通り入るなら ブロックを繰り返すことは可能だ。
そうすれば 神経の痛みは緩和できる。

そう考えて 医師の言葉に同意した。

とにかくは 今の痛みをなくすのが先決だ。多少楽になったからといって 無理はしないで
おこう。

トリガーの後 点滴を受けながら そう思った。



先週の診察時に 痛みが収まらなかったら また来週も来た方がいい その際は 予約を
とってから来た方がいい とって言われた。

一週間経っても はかばかしい変化がなく 依然として変わらない痛みがある。

だから 手術後に作った胸から骨盤までをすっぽり保護するコルセットを 起きている時は
ずっと装着している。
それでも痛みを感じている。

それで 今後のことを相談するためと 痛み止めのトリガーや点滴をしてもらうために
明日 十一時の予約を取った。

足の神経の痛みも もちろんどうにかしてほしいが とにかく今は この腰の痛みを
緩和しないことには どうしようもない。

明日 どういう話になるか……
医師はやっぱり 腰の手術回避の方向を勧めるか……

私自身の気持ちも まだ決まっていない。

どうしたものか……。

連日 ベッドで過ごすのは いくら怠け者の私でも嫌になる。

それも ただ怠けてでなく 体の位置を変えるのでさえ伴う強い痛みと一緒なのだから
始末が悪い。

ベッドに横になって本を読めるいい口実の痛みだが 今回ばかりは その度合いをはるかに
超えた痛みだから 本も集中して読めない。

この状態になってから もう何日も経ったが いっこうに痛みが収まらないのが気にかかる。
予約日ではないが 来週の火曜日 もう一度大学病院の麻酔科を受診してみようと思う。
医師にも もし収まらなければ来るように と言われている。

昨日 I さんが わざわざ 穫れたさつま芋を持って来てくれたが 私の様子から 声をかけずに
そっと玄関先に置いて帰って行かれた。

お店で売られているような とてもきれいな形のさつま芋だ。

こうして 気にかけてもらえる 心配りしてもらえると 痛む中 一人で寝ている心細さを
そっとすくい上げてもらったようで 嬉しかった。

日頃 痛みになんか負けるものか と 気丈に暮らしているつもりでいても こうも痛みが
強いと そんな気持ちも萎えてくる。

いつかはこんな状態が収まって 動けるようになる!
そう自分を励まし 思い直さねば!

(この場合 痛みが治まる のと 今置かれている状況が収まる のとの どちらの意味合いが
より強いのか ならば どちらのオサマルを遣うべきか……迷う。日本語は難しい。)

中学二年半ばで実家がある町内の三校が統合され 生徒は山腹に新しく建築された校舎へ
通い始めた。

団塊の世代真っ只中の私たちだったから クラスも生徒数も多かった。

新たに編成されたクラスは そのまま卒業までのおよそ一年半 担任は変わっても
メンバーは変わらなかった。

時代がそうだったからか それぞれのクラス内の団結は強く 何かというと
クラス対抗になり クラス旗を掲げて競い合った。

中でも 私たちのクラスは 群をぬいて結束が固く 男女の区別なく仲が良かった。

その仲は 卒業して五十五年経った現在までも変わらず続き 地元にいるメンバーの骨折りで
毎年クラス会が開かれてきた。

子育てや父母にかかわり忙しくしていた時期は 出席したくてもままならなかったし
体を悪くしてからも その時の体調次第で 出たり出なかったりの私だが そんな私にも
毎年忘れず 案内を送ってくれる。

還暦の年は 学年全体で 京都への一泊旅行だったが 腰を痛めていた私は 残念ながら
大学病院に入院していて 参加できなかった。

後に 月に一回通院しているというクラスメイトが 旅の模様を知りたいだろうから と
わざわざ 旅に当たって配布された印刷物や写真などをコピーして持参し 病室を
訪ねてくれたりもした。

痛みに押しつぶされそうになっていた当時 自身も点滴をしながら ガラガラと点滴棒を
引っ張って病室まで来てくれた友の姿と気持ちが どれほどありがたかったことか。

そんな 気持ちのいい 人柄のいい友ばかりの集まりだから クラス会の案内が送られて
来るのを 毎年心待ちにしている私だ。

そして 今年も先日 会の案内状が届いた。

今年は 古希を祝っての 熱田神宮参拝や復元された名古屋城本丸拝観などを盛り込んだ
一泊旅行だという。
七十という歳を迎えた仲間に合った いいコースを考えてくれた。

なのに どうしてこうも間の悪い時にばかり 痛みに居座られるのか……

この分では また今年も出席は無理だろう……。

幹事の面々の顔が浮かんでくる。
何度も集まって 案を練ってくれただろうに……
一人でも多く参加してくれたら と思いながら 案内状を送ってくれたのだろうに……
欠席 と 丸して返信するのが ためらわれる……。

しかし 会が開かれるころには 体がどうなっているか分からない。
この調子では もしかしたら 手術もあり得る。
冬に入っての旅だから 足や腰にとって よくはないだろう。

仕方がない 諦める。

みんなに会いたい気持ちを抑えて 未練たらしくしないで 欠席 に印して
返信するよりないだろう。

今朝 とにかく痛みをこらえて 大学病院へ行った。
片手にコロコロのついたバッグ 片手に杖 バッグのサイドポケットには予備の杖を入れて。

なんでもない時には 家への出入りは車庫側から 二段の段差を上り下りしているが 昨日今日
は それもできず スロープを歩いて門扉側から出入りしている。

病院では いつもは表玄関に横づけしてもらい降りるが 今日は少しでも歩く歩数を
少なくしたくて 車椅子使用者やベッドで運ばれる患者のためにある 少し奥まった所へ
車を入れてもらった。

降りるにも歩くにも 痛い。一歩一歩に痛みがはしる。

常なら エントランスからホールのエスカレター 降りて二十歩ぐらいのカウンター へと
杖をついてはいても スムーズにたどり着ける。

ところが 今日は エスカレーターまで カウンターまでの長いこと長いこと!

痛むから どうしても早くは歩みが進まない。自分でも可笑しいくらい時間がかかる。
受付が済んで麻酔科の前の待合へ行くまでが これもまた遠い遠い! 痛い痛い!

こんななら 車を降りた時に たくさん並べてあったのだから 車椅子を借りて ボランティアの
人に押してもらえばよかった。

かといって 麻酔科を目の前にして 今更どうにもならず 待合へどうにかたどり着いた。

呼ばれて診察室に入り ことの訳を話すと レントゲンを撮って状態を診ましょう と言われて
また一階の放射線科へ。

なんとか戻って しんどかった痛かった遠かった と看護師に言うと ごめんなさい車椅子で
行けばよかったですねえ と言ってくれたが 後の祭りで なんの役にも立たない。

レントゲンは直ぐに検査結果が出た。

この度の痛みは神経でなく腰そのものからきていることは 痛み具合から 自分でも
予想していたが 医師の話はそれを裏付けるものだった。

腰椎の手術をした際 周辺の筋肉が 同年齢の女性のそれと比べて強靭だったために
普通なら金属やボルトで骨を固定するところを 痛みを逃すよう骨を削っただけだった。

だから今の痛みは 要するにその時にあった筋肉が 手術以後から現在に至るまでに
なくなってきて 骨を支えきれなくなってきての事だった。

そりゃあそうだろう。
手術してから十年は経っているのだ。
その間 神経の痛みで 満足な動きすらできないで過ごしてきたのだ。

いくら 調子がいい といっても そんな時でさえ 最高に歩いて五千歩がリミットだった。
それも そんな時は ごくごく稀だったのだから 筋肉が落ちても当たり前。
おまけに加齢もあるだろう。

骨の痛みは その手術でかなり軽減するだろうが 問題は神経の痛みだ。
こちらが解決しない限り 死ぬまで激痛や痙攣はある。

ボルトを入れないまま 神経ブロックを繰り返していくか……
いっそ 金属を入れて骨の痛みだけに対処するか……

とてもできそうにない二者択一の問題に直面することになってしまった。

なぜなら 金属を入れてボルトで固定してしまうと 今度ブロックの際に針を入れるのが
難しくなってしまうのだ。

これは 医師の手術に関しての説明の後 私から問うたことへの 医師の答えだ。

この手術は腰椎の痛みのための手術ですよね この手術の後も 今までのように
神経の痛みを緩和するブロック手術はしてもらえるのですか?

そう質問した私に 聞かれるだろうと予期していたかのように 医師は
少し苦笑いを浮かべながら 答えてくれたのだった。

だから医師も 絶対に金属を入れる手術をせよ とは言えないのだ。
手術となると それは整形外科の分野であり 以後はそちらへ転科して診てもらう
ことになるのだろう。

すると 神経の方はどうしたらいいのか……
神経の激痛や強い痙攣に どう対処したらいいのか……

悩ましい問題に当たってしまった。

昨日からずっと 腰の痛みが激しい。
だから 昨日も今日も おおかたベッドに横になっている。

寝返りも 体の向きを変えるにも ちょっと前へ上体を傾け足りて後ろへやったりするのさえ
激痛が走る。

一昨日の夕方近く 夕飯の準備をしていて ギクッときた。
それから激痛が始まった。

なんとか整形外科へ連れて行ってもらい 注射と点滴 リハビリをしたが
歩いて車に乗るのも 医院に着いてから歩くのも 一苦労だ。

杖をついても痛みは変わらないし いつもより足が動かなくて不安定だから
予備にと買ってあった杖を出して 両手でつき なんとか歩く有様だ。

やっとこさっとこ車に乗ってもタイヤがゴトゴトするたびに 腰に響いて激しい痛みがくる。
道は舗装されているし 普段ならこんなには響かないのに 痛い。

これだけ痛みが激しいと ご飯も食べたくない。
夫に 直ぐ食べられる物 自分たちが食べたい物をみつくろって買って来てもらった。

明日は大学病院の受診日だから なんとしても行って診察を受けねばならない。


午後の三時半ごろ とうとう我が家に新しい洗濯機が!

朝 今使っている洗濯機で最後の洗濯。

十四年間よく頑張ってくれたわね 無理に詰め込んで洗濯させたこともあったのにね。
それでもあなたは止まることなく 汚れ物をきれいにしてくれました。

あなたが家へ来たのは 前の仲間のフタを 亡父が壊して 閉まらなくなったからでした。
それも長男に第二子が産まれる直前のことで オッパイの匂いのする小さな産着やタオルを
直ぐにも洗い始める羽目になってしまったわね 四十日間もね。

十年前からは 畑仕事の野良着も加わって 汗だくのシャツやズボンを洗ってくれました。

毎日毎日 時には日に何度も働いてくれました。
平均寿命の八年を越えて よく十四年間も動いてくれたわ ありがとう。

電気屋さんに引き取られて行ったあなたは それからどうなるのでしょう。

行く末を想うと なんだかちょっとかわいそうで…悲しくなってしまいます。

頑張り屋さんだったあなたから新顔さんに わたしのようによく働くのよ って言ってね。

この屋のお母さんも 新入りさんと どっちが長く頑張れるか 競争するわ。

できればお母さんより長生きして お父さんの面倒も見てあげてほしいと思ってるの。

さア 明日の朝から共同作業が始まるわよ!よろしくね!
仲良くやりましょうね!