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今回 もともとは八階に入院する予定だったが病床が満杯で 結果 入れられたのが
四階の それも小児科の病棟だった。

そうなったのは私一人だけでなく 内科の女性患者二人も 同室になった。

個室もいいが よほどの様態でない限り 私は一人になりたくないから たいがい
いつも同室者がいる。

入れられた病室は四病床で 先にそこに入っていたのは 重篤らしい幼児だった。

どのベッドもカーテンを引き回しているから中の様子はわからないが 出入りする看護師と
付き添っている母親らしい人との漏れ聞こえる会話の内容や 病室へ患者の様子を診に来る
医師と付き添いとの会話の端々などから その子の病状はうかがえた。

その子は 幼児らしい話し声もかわいい笑い声も まったく発することがなかった。
どうやら 身を起こすことすらできない状態らしい。
そして 流動食に近いと想われる食事をとっている最中でも 嚥下が上手くいかないらしく
必ず途中から苦しみだすのだった。

顔さえ見られなくて 男の子なのか女の子なのかもわからないその幼子は つかの間の
深い眠りの時以外 絶えず うなり泣きをしていた。

どこかに傷があって痛み それに耐えかねて泣く という泣き方やうめき声ではなく
やんちゃや甘えやかんしゃくからのものでもなく ただただ耐えてのうなり泣きだと思われた。

そしてその声は ときには 嘆きかととれるようなか細い声音に変わったりもして 実に胸を
うたれた。

なぜこんなに苦しいのか 苦しまねばならないのか…… そう訴えているうなり泣きの声だった。


何年か前 東京の孫が川崎病になり入院したことがあった。

幸いにも 孫は重篤な容体にはならなかったが それでも 小児病床の高く巡らされた柵の中で
愚図ったり泣いたりしながら横たわる小さな孫の姿は 代われるものなら代わってあげたい と
胸がつぶれる思いがし 母親である娘の心中はどれほどか と 母子ともどもを可哀想に思った。

病いに耐える子も苦しいが そんな子を見守りながら付き添う母親もまた 苦しい。
ましてやそれが重篤であれば 母親の心は張り裂けんばかりになる。

ところが私は 術後運ばれた直後から 偶然向かい合わせになったその小児の病床の二人に
間柄を母子とは感じられない違和感を持った。

だから最初 忙しい母親に代わって誰か身内がそばに付き添っているのか と受け取った。

邪険に扱っているとか というのでは決してない。
親身に世話はしているのだ。
でも 母と子 というには なにか引っかかりを感じるような……
そう私に想わせる様な子どもへの言葉かけだったり世話の仕方のように思えたからだった。

付き添っている女性の 子への声のかけ方や動きに 何か他人行儀な不自然さがあるような
熱さが微妙に足りないような 戸惑いがあるような そんな ほんのかすかな感覚だった。

母親にとって 幼い子は まるごと自分の分身のようなものだから 口をついて出る子への
言葉かけは 子が重い病いにあればなおさらのこと 深い愛情の発露からのものになろう。
だから 声音や口調も 当然 自然に甘くなったりもするものだし その動きの時なら自然に
出るだろうと想える言葉もあるものだ。

それが 看護師らから ママ と呼ばれる女性から 私には感じ取れなかった。

とはいえ見ず知らずの他人のことだし 深い部分での母親の心が私に汲み取れなくても
それは仕方のないこと しょせんは関わりのないことではある。
彼女は彼女なりに子の世話に一生懸命なのだし だからそのことにこだわっていたわけでも
興味があったわけでもない。

私は私で とにかく収まらない痛みを抱えて 寝返りもままならない状態だったのだから。

しかし そんな中で 感じていた違和感が それでなのか と分かった時があった。

付き添っていた女性と看護師の会話が聞こえたときのことだった。
看護師はどうやら妊婦であったらしい。
付き添っていた女性が看護師に 今 何ヶ月? と聞き 受け答えた後 私も七ヶ月なんだけど
何せ初めてだから云々 という声が……

エッ!?初めてのことって……? やっぱり……だからだったのねぇ……。

人の言動は 実におそろしい。

直にではなくカーテン越しに聞こえてくる言葉や伺える動きだからこそ 感じとれる
真実があった ということか。

存在丸ごとをかけがえのないもの 愛しいもの と どれだけ深く思えるか
その思いの度合いが これほど知らず知らず漏れてにじみ出てしまうものだったとは。

それは 思い というよりは むしろ 母子間にある絶対的な動物的な感覚 からしか
生まれてこないなにか と言っていいものなのかもしれない。


おそらく 女性は その子を可愛がっているには違いないのだ。
だから 身重でありながらも 昼夜の区別なく四六時中付き添って世話をしているのだ。

でも それでもなお 同じ色の魂にはなりきれない何かがある ということなのだろう。

そう思うと 絶えず唸るように泣いている幼子の声に 自分がみまわれている重い病いの
ほかに 自身ではどうしようもない運命の嘆きまでもが混じっているように感じられて
他人なのに よけいに 哀れとも可愛いそうにとも思えた。

与り知らぬところで 母親と別れなくてはならなかったのか亡くなってしまったのか……。


一言の言葉すらかけられず 顔すら見ないままになってしまった子ではあったが

あの幼い子の病いが どうか どうか 軽くなりますように……
無邪気な高くて澄んだ声で 笑ったり話したりできる日が どうか早く訪れますように……

幸せな長い人生が どうかどうか あの子にありますように……。











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今夕 夫の車で 大学病院を退院 帰宅した。

今回の手術は 六月の時と同じ腰椎L5の奥にある太い神経の他に二箇所の 三箇所の神経に
造影剤を入れた後 電気を通したり熱で焼いたりしてステロイド剤を入れた。

手術にかかった時間はたった五十分にもならないものだったし 命に関わることでも切開したり
するようなものではないが 神経そのものを治療する手術なので 表皮に痛み止めをするだけで
そのあとは とにかく強い痛みを感じる箇所を探ってでないとできない。

だからひたすら 強く痛みを感じる箇所を探す。それが イタイ イタァイ! イタァイ‼︎

一番痛みの強い箇所が分かったら そこへ造影剤を入れる。 それがまた イタァイ‼︎イタァイ‼️

そのあと電気を流す。 それが ビリビリ!ビィリビリィー! と十分間も続くのだから
痛いことはこの上なく まるで拷問のようだ。

そして最後に ステロイドを注入する。それも イタァイ!‼︎イタァイ!

と ただひたすら 痛みを感じてそれに耐え続けなければならない。

すべてが終わって手術台からストレッチャーに移ろうとすると 腕置き台の端を
無意識に強く握りしめていた指が 強張っていてなかなか真っ直ぐに戻らないし
息も知らず知らず止めているから 身体中から力が抜けていて 痛みもあって 思うように
動けない。

おまけに 今回は三箇所を同時にやったから 術後の痛みも強くて 処方された痛み止めが
さっぱり効かなかった。

だから 仕方がないけど 入院中も今も まだ イタァイ!



腰を痛めて寝込んでから 久しぶりに Iさんと会った。

Iさんは 私の腰の具合を心配して 二十八日に手術したあと回復してからゆっくり会うことに
してもいいのだが と言ってくださったが 私は なんでもさらけ出して話せる Iさんと
今回 どうしても会いたかったし 思ったより腰の具合もいいので ぜひ今日 と
お願いして 昨日 お昼ご飯を一緒に食べたあと 場所を移してお茶をしながら 話した。

私からは 今回は やはり息子のことが多かった。

彼女は 小学校の二年生ごろから息子のことを知ってみえるので 話しやすかったこともある。
それもあって 昔から彼女に 息子を育てるにあたっての悩みを聞いてもらってきたので
話しても よく理解してもらえるだろう という気持ちもあった。

彼女と会いたい という思いの主たるところは 多分そこにあったのかもしれない。

そして 話を聞いてもらえば 自身の気持ちを整理したり落ち着かせたりさせてもらえるだろう
という 今に始まったことではない彼女に対してのもたれや甘えがあった。

昨日も 彼女は私より十近くも若いにもかかわらず 気長に話に付き合ってくれた。

話して楽しい気持ちにさせる よく話を聞いてくれる人 というのは 頭の回転が早い。
また 話を聞きながらその内容を想像できる人でないと 真の相づちも打てないし
会話も続かない。
そして 何よりも「こころ」のある人でないと 他人の話を聞けない。

そうでない人は たとえ聞いる風でも 心の深いところで理解してくれていないから
話し手はそれを敏感に感じてしまう。

そういう点からすると Iさんは 本当に人間性の深い女性だと思う。

でないと こんなことまで話して大丈夫だろうか と いちいち考えながら話すことになって
しまい 結果 無駄な時間を過ごすことになる。

Iさん 毎回毎回 愚にもつかない話を 長々と聞いてくださって 本当にありがとうございます。
感謝 感謝です。

あなたと会って話すと 心に清々しい気が流れるような そんな気持ちになれます。

これからも よろしくお願いします。

息子が休職して家へ戻って来た当座は 心身がかなり弱っていて もともと太い身体が
かなり細くなり 顔も丸かったのが細長くなっていた。

家へ戻り 夫と私との生活に慣れた昨今は 気持ちも少しずつ落ち着いてきて 食欲も
戻ったので いいのか悪いのかまたお腹が出てきた。

日中は二階の自室にいて パソコンに向かって遊んだり本を読んだりしていることが多いが
かといって 自分の殻に閉じこもってしまっているわけでなく 私の腰が悪い間は 昼と夜の
おかずは彼がおおかた作ってくれたし 土日になると 畑仕事も嫌がらずに 夫と一緒に
やっている。

時には お昼を外で食べよう という私の誘いにものってくるし 病院への送迎もやってくれる。

一番嬉しいのは よく笑うようになったことだ。

かといって それならもう大丈夫か というと そう言えるまでには回復していないように
思える。

会社のことや 復職するのか退職するのか 退職するのなら今後どうしたいのか
どうするつもりでいるのか など 面と向かって話したり考えを聞いたりしたいのは
親として山々なのだが 今はまだ それができない。

夫も とにかく心身を元に戻さないことには……それからのことに触れるのはまだ早い と
時々二人して話す際に言っている。

かといって 息子も四十に手が届く年齢だから 私の中には 焦る気持ちや不安がある。

こんなことで仕事先が見つかるのだろうか……見つからなかったらどうしよう……
新しく仕事につけても 一人で生きていけるのだろうか……

考えだすと 限りなく暗い方へ落ちていく。

でも 息子の前では そんな不安は絶対に見せられないから テレビを見て笑ってみたり
バカ話をしてゲラゲラ笑ってみたり 極力 彼の琴線に触れないよう なるべくリラックス
できるように どうってことないよ というふうに 心がけてはいる。

これがいつまで続くのか は おそらく本人にも分からないことだ。

分からないことを 先走って あれこれ想ってみても始まらないから

🎼🎶なるようになるさ〜🎵明日のことォなど〜わからァない〜🎶

の精神で ドッと構えていよう そう思っている。

東京から帰ると 幾つか郵便物が届いていた。

その中に はるか昔に 短い間だったが教えた子からの手紙があった。

素敵な大人の女性になっている彼女は 偶然にも 私の友人とブログやそのオフ会の仲間で
友人を通じて消息が分かるようになった。

豊かな家庭に育った彼女だが つい二ヶ月ほど前に お父さんを亡くされたと 友人を通じて
知った。

友人から連絡が入ったものの 一人娘の彼女の心のうちを想うと 直ぐには声のかけようがなく
手紙を出したのは しばらく経ってからだった。

今回の手紙には そのお礼と 彼女の現在の心境が綴られていた。

封を切って便箋を広げると ハラリと一枚の紅葉がテーブルに落ちた。

広い庭に植わっている木の一葉だったのだろうか それは形の整った実に美しい紅葉だった。

そして 文章はきれいな文字でしたためてあった。

封筒には柿の実の切手が貼ってある。

いかにも 細やかで清楚な 女性らしい心遣いの手紙だ。

お父さん亡き後 ご存命なお母さんの面倒をみながら暮らしてきた二ヶ月を
ぽっかり空いた心を抱えながら 老いた母親との暮らしに戸惑いながらも
日々懸命に過ごしてきた様子がうかがえる。


はるかはるか遠い昔に結んだ縁の教え子からの手紙は 教え子に恥じない生き方をせねば と
日ごろの怠惰な暮らしを振り返る いい機会を与えてくれた。




昨夜遅く 東京から帰って来た。

体の具合で 私だけもう一日二日滞在して 疲れをとってから帰ろう と思って出かけたが
一昨日大事をとって 一日の大方を横になっていたこともあって 七五三本番の昨日は
思ったより楽に過ごせたので 予定通り 昨夜の新幹線で帰って来られた。

行き来に 帯がコルセット代わりになるからと 着物で出かけたのもよかった。

娘は 現在建築中の鎌倉の家を私に見せたかったし 孫たちももっといてほしい と
引き止められたが また来るからその時に と言い置いて帰って来た。

昨日は 孫たち2人ともが日本髪を結ってもらう というので 娘が予約していた 住まいに近い
美容院へ行った。

娘は 自分の髪を整え化粧も済ませて 着物を着終えてから 二人を連れて出かけた。

彼女は この日のためにと 無地場の多い素敵な付け下げ小紋 を作っていた。
とても品のいい 洗練された地色に一目惚れして 出入りしている呉服屋さんで誂えた という
着物だけに 子どものお詣りに付き添う母親にふさわしい 品のいいものだった。

美容院から戻って来た孫たちの可愛いこと!
以前に買ってあげていた髪飾りで 豪華な日本髪を結ってもらい 薄くお化粧してもらった
二人は ニコニコ顔で帰って来た。

私は 孫たちが美容院へ行っている間に 着物を着た。

私の着物も 昨日までしつけがかかったままになっていたもので 地紋のある白生地を
色見本帳を見ながら この色 と選んで染めた無地の着物だ。
同色でありながら微妙に違う色の中から似合う一色を選ぶのは 楽しいことだが難しくも
ある。
色見本は小さな切れ端だから 反物全体に染まったときや仕立て上がったときの印象とは
違ってしまう場合がある。

私が着終えた頃に孫たちが帰宅し 私も手伝いながら 娘がそれぞれに着物を着せた。

七歳の上の孫は 今までの結び帯を卒業して 大人の帯幅を少し狭くした千歳帯を初めて締めた。

今までと違って使う腰紐も多いし 締め付け感も違ったが さすがは女の子だ。
次第に仕上がっていく着物姿を鏡で見ては 嬉しそうだった。 下の三歳も 姉に負けじと大人しく母親に着せてもらった。

幼くても 頭の先から足元まで着飾り常とは異なる装いをすると 今日が特別の日だという
気持ちが湧いてくるからだろう 動きだって不自由だろうに 二人ともおとなしく 鏡に
自分の姿を映しては ご機嫌な様子だった。

まもなくカメラマンが到着して 撮影会が始まった。

家での写真を何枚か撮った後 いよいよ神社へ。

夏に移った今度の家も 古い神社が近くにあり 住宅地にもかかわらず 飲食のできるお店が
静かな佇まいであちこちにある。

孫たちは 履きなれない草履やぽっくりに 悪戦苦闘しながらも 神社の石段を上がり 内殿へ。

神主の祝詞のあと玉串をささげ 無事に大きくなったお礼と これからの健康を願った。

カメラマンは 道中や清めの手水を使うところやお詣りの様子 境内では二人を中心に
いくつものパターンの写真を撮り 最後は 神社を去る場面までを撮った。

その頃には 孫たちもお腹をすかせお疲れ気味。
神社や自宅に近いお店で お祝いの膳を時間をかけていただき終えると 辺りはもう暗い。

着物を着替え一休みしたあと 品川まで娘の車で送ってもらった。

二泊三日で ゆとりがある日程だと思ったが なんのことはない いつもと同じように
慌ただしく過ぎた三日間だった。

行く前には土日ともに雨の予報が出ていたが 雨はポツリとも降らず いい天気で幸いだった。

孫たちは 転びもせずぐずりもせず 終始お利口だったし 私の腰も悪くなく
一生に一度しかない それぞれの七五三参りが 滞りなく済んで 本当によかった。

二人が成長して大人になったとき 記憶と写真が 幸せな七五三詣りだったことを
思い出させてくれるだろう。

腰の具合はよくなってきて 昨日は おそるおそるだったが バス停まで歩いて
習字に行ってきた。

今日の午後には夫と東京へ行くから そのために足ならしがしたかったこともある。

腰にしっかりベルトをして 家を出た。

自分の体に合わせて作ったベルトだから しっかり腰を支えてくれる。

家からバス停まで およそ今の私の足で千八百歩の距離を歩くのも 書道教室へ行くのも
久しぶりのことだった。

ひと月以上もベッドで暮らした間に 足腰の筋肉が衰えているのを感じる。
このような時に焦って早足になっては 転ぶ元になるから なんとなく靴底が地面に着く力
の弱さを実感しながらも 一歩一歩注意深く ゆっくり歩いた。

腰を痛めて医師に重い荷物は持たないよう言われてからは 先生の許可を得て 道具は皆
教室に置かせてもらっているので 持っているものは軽いし 片手にはいつもの杖がある。

それでも 乗り降りする際のバスのステップは 少々きつい。
膝の悪い人など かなり負担になる高さだろう。

教室で 久しぶりに硯や筆を並べ半紙に向かうと 戻って来られた嬉しさが湧き上がった。

下手の横好きではあっても やっぱり私は書道が好きなのだと しみじみ思った。

女子大学生が 新しくメンバーに加わっていた。
この春までは高校生だったから 夜の部で学んでいたのが 昼間の時間帯に来るように
なったのだと 先生の話。

そうなると 今までのように 時間の半分を皆でおしゃべりして過ごす なんてことは
できなくなった ということになる。

本来それが本当なのだが いつもと違った雰囲気がして ちょっと戸惑ってしまった。

腰が危うくなった時点で帰ろう と思って出かけたが 結構長くいられたので
この分なら 新幹線に乗っても大丈夫だろう と安心できて嬉しかった。

午後から夫が帰宅して着替えたら 息子に駅まで送ってもらうことになっている。

東京の孫は 十八日のために 先日送った着物を着せてもらい帯も結んで 丈や裄の
確認などして予行演習を済ませ 待っているらしい。

子ども二人一緒の七五三 とあって 娘もかなり気合いが入っているようだ。

孫たちが装う髪飾りからぽっくりまで すべて私が選んで贈ったものだ。

だから どうしたって 今日は東京へ行かねば と強く思う。

そして 下の孫が七歳になって 最後の七五三詣りをするまでは なんとしても歩いて
いられるように とも思う。

成人した姿は おそらく見られないだろう。
ましてや二人の結婚式の姿など たとえ私が生きていたとしても 二人の境遇を考えると
見ることはできないだろうから せいぜい 日本のじいじやばあばとの思い出や写真を
残しておいてほしい。

そう思って 東京へ行く。

東京行きの荷物は すでに夫が送った。

切符は前もって往復とも買ってある。だから 後は明後日のお昼過ぎに 家を出て向かうだけ
だが なんと週末の土日 東京は 雨の予報が出ている。

今のところ日曜は雨が五十パーセントの予報だ。

この夏転居した家から 参拝する神社は近いらしいが 濡れるのは嫌だ。

仕方なく傘や草履カバーを荷物に入れたが 雨ゴートは持って行かないことにした。
せっかくしつけを取ったおろし立ての着物や帯なのだ。

もし雨脚が激しければ 着て行く道中着コートを着ればいい。

それにしても 土日の前後は晴れるというのに よりによって晴れてほしい大切な日に
雨だなんて 誰かに意地悪されているようだ。

髪も結って着飾り 草履やポックリで歩く孫たちの足元が濡れていては 歩みさえ
心もとないだろう。

せめてお詣りに外出する時間だけでも 雨が上がっていることを願っている。

私だって 昨日は美容院へ行き 先週カットして染めた髪にパーマをかけてきたのだから。

今回 腰の痛みを治そうと必死になったのには 一つ訳があった。

今度の十八日に 東京の二人の孫たちが それぞれ三歳と七歳の七五三詣りなのだ。

下の孫は 上の子が生まれた時に 初着として作った着物を三歳用に仕立て直した着物を
着せる。
上の子は 帯解きの祝いだから 背の高い孫に合わせて 新しく着物と千歳帯を誂えた。

二人は 着物に合わせて髪を結おうと ずっと伸ばして長くしてきた。

そうして迎える七五三なので どうしても東京へ行って一緒に祝い 詣でたかった。

できるだけ動かないようにしてきたので 嬉しいことに どうやら行けそうになった。

それで 昨夜 東京行きの荷造りをした。

参拝時に着る着物や帯 向こうで過ごすために必要な衣類や下着など 前もって送る物を
それぞれの在り処から出して調えるのは 一仕事になる。

特に着物や帯は 腰のコルセットがわりにもなるので 行き帰りの道中にも着ていく。
そうすると 下着や長襦袢や他の小物を 参拝当日着る着物と共有できるのでいい。

それで 儀礼用の着物と帯にそれに合う帯揚げと帯締め 扇に替え足袋を箱に入れ
荷のずれを防ぐ目的もあって 何枚かの服とズボンを一緒に入れた。

肌着や三日分の薬などは 夫の荷物の箱へ入れた。

夫は夫で 参拝当日着るスーツやシャツなどは それ用のバッグに入れて
持って行くが 婿と一緒に外へ飲みに行く時に着る衣類 それに下着類や
家の中で過ごす用の物 洗面用具などを 箱に詰めた。

こういう時 私が体を悪くしてからは 夫は自分のことは自分でしてくれる
ようになったのでずいぶん助かる。 箱詰めした荷物も宅配会社の営業所まで
持って行ってくれるのも夫だ。

自分であれやこれや 二階と一階を行ったり来たりしながら荷物をまとめる姿を
見ると申し訳なくなるが 若い世代では 男性の多くがそうらしいから あまり
気を病まないようにしている。

どの着物を持って行こうか着て行こうか それに合う帯は…帯揚げは帯締めは
と あれこれ出して広げて考えるのは 着物好きな私には至福の時でもある。

今回 参拝用には地紋おこしの紺色の無地に龍村の帯 道中用には本結城に
淡い地色にデザイン化した菊紋の染め帯を選んだ。

こうして着物や帯に触れると いつまでも着物が着られるように頑張らねば
という思いが 改めて 湧き上がってくる。



途中 渋滞していた と言って 夫と息子は 七時に家へ帰り着いた。

夫一人で友人と行くときは めったに期待できない釣果が 今回は 小物ではあったが
大きなアイスボックスいっぱいにあった。

処理に手間がかかるのと利益がないのとで 市場には出ない 鯛の仲間の魚なのだそうだ。

直ぐに 夕飯に食べる分を夫が処理して塩焼きにした。
味は鯛と変わらない。

ご飯を食べて一休みした後 夫は 一塩の干物にするように 処理にかかった。
数が多いから時間もかかり 全部を 頭と内臓をとり背開きにし終えたのは十一時。

それから後は 私の仕事。
それまで横になっていた私に声をかけ 塩水を作って干物になるようにしてくれ と
言われ ぬるま湯を準備してその量の一割の塩を入れた塩水を作り その中に十分の間
浸しておいた。

そのあと干し網かごに並べて ベランダの物干し竿にかけておく作業は また夫が。

いつも家の中にいる息子は かなりの気分転換になったらしく 終始機嫌が良かった。

息子は夫よりたくさん釣ったのだそうで 残念なことに 釣り上げた魚を受ける網が
強風に吹き上げられて海に落ちてしまった と 本人たちはそれほど残念な様子もなく
その時のことを語って聞かせてくれた。

その網だとて 新しく買う際にはそこそこの値段の物なのだろうに と思いながらも
息子の明るい顔を見ながら 治療代だと思えば仕方がないかと 内心でため息をついた。

さて 今日の空日に干された魚の味は どんなだろう。