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今年の年越しとお正月は簡単に そう思っていたのが嘘のように 量こそ少ないが
ほぼ毎年と同じように 年越しの料理もおせち料理も 昨日から作り始めた。

煮るとたくさんで食べきれないから 黒豆と多作りは買ってくるが 毎年 煮物は作る。
売ってあるものは味が濃くてからいから 下ゆでしたり下ごしらえしたりで面倒だが作る。
美味しいと言って家族全員が食べてくれるから 手間をかけて作っても 作りがいがある。

昨夜は この煮物のほかにキンピラ だし巻き卵 きんとん 紅白なます それに
味噌松風ふうのミートローフの六品が出来上がった。

夕食後から作り始めてこれだけ作り終えると もう真夜中だった。
さすがに腰の痛みが強くなってしまった。

手順や作る順番など考えたつもりだったが きんとんひとつとっても サツマイモの皮をむき
くちなしの実を一緒に入れて煮る それを裏ごしし水飴を入れて練り そこへ栗の甘煮を
混ぜて完成 煮物も 七種類の材料をそれぞれ下ごしらえしてから炊き合わせるから
どうしても時間がかかる。

しかし 思うような味に仕上がると嬉しい。
そして たとえ痛みが増しても 休み休みだったとしても こうして台所に立てることが嬉しい。

今日もする事がたくさんある。
料理のほかは夫の手を借りながら 今年最後の日を充実した気分で終えたい。

呆け防止にと つまらない日常を綴って書く日記を 日々読んでくださる友人たち
今年も大変お世話になりました。

自分が用なしで 生きる価値があるのだろうか と落ち込むとき いつも助けてくださるのは
あなた方の存在です。

一年間 ありがとうございました。
どうか皆さん よいお年をお迎えください。

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今年の年越しと新年は 誰も来ないし三人だけだから 何にもしなくていいね と 三人で
言いあっていたが 年末が迫ってくると やっぱりそうも言っていられない気になってきた。

だから 毎年のようではなくても 少しはおせちも作らなくては と思っている。
それで 何を買って来て何を作るか 買い物リストと品書きを作ってみた。

書き上げてみると なんだ いつもの年とあまり変わらないではないか。

ということは これが我が家の年越しとお正月のベースの料理 ということか。

明日 その買い物に行ってくる。

毎年 年末になるときれいなシクラメンの鉢を持って来てくれる教え子と 今日 会った。

繊細な彼女は 小学生の時に辛い経験をし随分立ち直れないでいたが それでも頑張って
短大を出 図書館司書の資格を得て働いていた。 でも今は体を壊して離職している。

彼女から 会いたい と連絡がきて 今日の午前中 お茶をした。

悩みやモヤモヤは 解ってくれている身近かな者に話すだけで 気が晴れる。
今日の彼女も きっとそうだったのだろう。

親や姉妹にも詳しくは話せないことを 私を相手に語ってくれた。
こちらはとにかく聞き手に回り でも ここは言っておかなくては と思うことだけは
伝えた。

我が家も 体を壊して帰って来て療養中だから 彼女の心中はよく理解できて
その点 彼女も 今まで以上に話しやすかったに違いない。

二時間があっという間に過ぎ また年が改まったらどこかで会いましょう と約束して
別れた。

息子にも 彼女にも 新しく迎える年が どうか 良い年になりますように!

医師の都合で 今年最後の大学病院の受診が いつもの火曜でなく 昨日の木曜になった。

朝 夫に連れて行ってもらうと 予約患者数は千二百を少し越えただけで 少なかった。
さすがに年末とあって 遠くから来る人が少ないのか と思っていたら なんと一昨日は
予約患者数が千八百を越えていたそうだ。

なかなかよくならなかったり難病だったり 病気そのものが重篤だったりの人が
それだけの数いる ということだ。

げんに 昨日 会計待ちをしていると 前のソファーに腰をおろした年とった男性の奥さんが
夫の顔を伺いながら「大変なことになった」「大変なことになったね」と言っていた。

つい 聞こえてきたから顔をあげて見ると 御主人の方は身じろぎもせず ただ無言で
前を向いているだけだった。

おそらく 精密な検査で思ってもみなかった結果が出 医師からそれを告げられたに違いない。

十年以上大学病院へ通っているが 受診するたびに こんな光景を目にしてきた。

その日の予約人数を見ては また そんな光景を見ては 辛いのは私一人だけではない
もっと大変な人がいる と思い返すようにしているが 実際に聞いてしまうと
こちらも辛くなってしまう。

私も昨日は 今回は手術の効果がなかなか出ないので 医師から 最近保険が効くようになった
尾骨から神経にそって背骨へカテーテルを入れて 背骨と痛む箇所の神経の癒着を剥がし
なおかつ中側から神経根を焼いて薬を入れる という手術についての説明を 再度受けた。

この手術も 麻酔なしで行われる。
今よりもっと痛みは強くなる。
それでもその手術を受けるか あるいは今までと同じ手術を受けるか 来年になって
今回の効果をみて 考えなければならない。

命に関わることではないが 私にとっては この痛みをどうするか 重大な問題だ……。

昨日は 夕方 リハビリを受けるために 整形外科も受診した。
今週からまた再開したリハビリだが 腰だけはまだ触っていない。
昨日も 臀部と両脚だけをマッサージしてもらい 帰って来た。

これで うんざりするほどの今年の病院通いが終わった やれやれだ。

勤めに行くときの大学病院 勤めが終わった後の整形外科へ と 毎日のように
文句も言わず連れて行ってくれた夫に 感謝感謝だ。

今年も残り数日。
痛い痛いから離れられない私だが 夫のおかげで 一年が過ぎていく。

息子のことや諸々 気がかりなことはいくつかあるが それでも なんとか
年は越せそうだ。

一昨日から ようやくリハビリを再開した。

施術師もよくわかっているから 腰椎周りは触らないで もっぱら臀部と両足のマッサージを
してもらう。
それに温めとメドマーだ。

そして今日は 午前中にリハビリに行き 4時過ぎに 久しぶりに温泉へ出かけた。

やっぱり温泉は 家のお風呂と違って温まる。
久しぶりに行って痛感した。

友人は 家のリフォームで 最新式の浴槽を入れ最新設備の浴室が仕上がったらしい。
テレビで宣伝している 肩からもお湯が流れ出てくる アレだ。

今朝 実に快適 と 電話があった。
コマーシャルを見るだけでも 気持ち良さそうだから 実際はもっと気持ちがいいに違いない。

我が家のお風呂は 家を建てた三十五年前のままだから 浴槽は深い。
浴室乾燥もないから 浴室内は最初は冷えている。

遊びに来る四人の孫たちは どの子も こういう深いお風呂がいい 温まる というが 東京の
娘宅の浴槽は 肩からのお湯こそなかったが 深くもなく浅くもなく で おまけにテレビが
あって ゆったり脚を伸ばしながら見られて 快適以上に快適だった。
これが「極楽 極楽」というんだろうなあ と思いながら 七五三に行った際に入ってきた。

我が家は 手入れに気をつけてきたこともあって 浴室全体が天井までのタイル張りだが
目地にも汚れやカビはなく 経年からの何ヶ所かのヒビはあっても タイルの剥がれもなく
天井もきれいなままだ。

そこはちょっと自慢でもある。
それでもやっぱり 最新のものと比べたら そりゃあ古さを感じる。
が 夫は キッチンをリフォームした時でも今でも 浴室をリフォームする気はない。

私がもっと管理をずさんにしてきたら とっくにどこか不具合が出て直すことになったかも
しれないな とも思うが 今さら仕方がないから………

夫が運転できるうちは せいぜい温泉へ通って 今日のように温まろうッと。

昨日は 夫とともに ひさびさに外出らしい外出をした。

腰骨の微細骨折や手術後は 友人と会うときは 気安さと気を張らない場所 ということから
化粧もせずに出かけていたが 昨日は 二人で暮れの挨拶に伺う という目的があったり
デパートに寄る予定もあったりして 人中へ出たので 何ヶ月ぶりかで化粧して出かけた。

別に見栄を張るわけではないが 化粧をすると なんだか気持ちが引き締まる感じだ。
単に気の持ちようなのだろうが いかに日ごろ弛緩した生活をしているか が よくわかる。

家に閉じこもっていると 身なりを気にしないから 体の内も外も だらだらとしてしまう。

若いうちは 若い ということだけで ピチピチだし さっそうとしている。それが
歳をとるに従って 身なりに気を使って身綺麗にして過ごす ということに頓着しないように
なっていき おしゃれをする気持ちもなくなってしまう。
それが 弛緩した暮らしを よけいに助長していく。

そんなことを思い最近の生活を反省しながら化粧し 身づくろいして出かけた。


たとえ古希を迎えても 女は女だ。
気持ちをしっかり保つためにも 自分なりに身ぎれいでいなくては と思う。

そうでなくても 日ごろの生活は 顔にあらわれる。

体の中は常にイタイイタイでも せめて 少しでもおしゃれ心を忘れずに身綺麗でいたい。

久しぶりの外出らしい外出で体はくたびれたが それでも心のうちは軽かった。
それがなによりの証拠 と 自分で自分に言い聞かせた。

今年の 干し柿にする伊自良大実柿は とても成りが良かった。それもどれも実が大きくて。

去年が散々な出来だったから 今年こそは と 夫は早くから楽しみにしていた。

そして 息子に手伝わせて収穫 夜毎一人で剥いては連にし軒下に吊るしては干した。

そのまま出来上がれば 何の問題もなく伝統のある美味しい連柿になるはずだった。

ところが 私が骨を傷めて寝込んでいた間のことで 私は全く知らなかったが
後々夫が話したところによると 叔母の家へ用事で立ち寄ったとき 干し柿の話になった
という。

そのとき 叔母が夫に 蜂谷柿やアンポ柿は 干す途中で揉んで柔らかくするらしいから
伊自良の柿も 揉めば甘くて柔らかくて食べやすくなるんじゃない? と 言ったらしい。

たしかに 夫が作る干し柿は しっかり干し上げるから 出来上がったものは硬い。
もともと 冬場の甘味や料理に使ったりするようにと 雪が降るまでに硬く干し上げて
冬の間の保存食になるように乾燥させ 連にし吊るしておくのが 伊自良大実柿で作る
伝統的な連柿なのだ。

だから 昨今時流のようになっている柔らかい食べ物に比べると 随分硬くて食べにくい。

多分 夫もそれは感じていたことだったに違いない。
だから 叔母が言った一言が夫には響いたのだろう。

叔母に言われて夫は 今までしたことがなかったのに 干している途中で一つ一つを
柔らかくなるようにと 揉んだらしいのだ。

最近になって もう出来上がったかと思われるちょっと傷の多い柿の串を いくつか
長男宅へ 夫が持って行った。

すると 夫が帰宅するかしないかに 長男から電話が来た。

柿が発酵したように酸っぱくなっていて ちょっと食べるにはどうか という状態なんだけど
お母さん知ってる?食べてみた?

エエッ!発酵してる?酸っぱい!?

私はまだ食べていなかった。もういい頃か と思っても 決して自身では触ったことがない。
夫が もう食べられるぞ と言って テーブルへ持って来るまでは 自分からどうこうすること
は一度もない。
干し柿は すべて夫のものだからだ。
だから まさかそんなことになっているなんて思いもしなかった。

どうしたことか と 帰宅した夫に 長男の電話を告げると 驚いた夫が 自分でも一つ
食べてみた。
私も一つ 食べてみた。

長男が言う通り 酸っぱくなってしまっていた。

夫が 酸っぱい と知って 驚いたり がっかりしたのは 言うまでもない。

酸っぱくなったのは たぶん……と 夫の話からことの訳を知った次第だった。

なぜ どうしてそんなことをしたのォ!今までそんなことしたことないでしょ!
お父さんやお母さんが作ってみえた時だって 揉むなんてこと一度もしたことないでしよ!

連にして硬く干し上げるのが 伊自良大実柿で作る連柿なんでしょ?それが伊自良大実柿の
伝統的な干し柿の作り方なんじゃないの!

夫の苦労をずっと見てきた私は 彼の連柿に対する思いを知っているだけに 連柿作りを
始めてからというもの 一度もそれに対して口出しをしてこなかった。

亡くなった父母や祖先の思いを受け継いでする作業だから 私が入る余地はない と思ったし
黙々と皮をむく彼の背中は 余計な口出しを拒んでもいたからだ。

でも 今回は 自分が関わって作ったわけでもないのに つい大きな声を上げていた。

夫の連柿作りに対する深い思いを知らない叔母の 軽い気持ちで言った言葉に
なんで乗ってしまったのか……。

叔母の一言を 夫が聞いたまま実行しなければ 今頃は立派な連柿が出来上がっていたはずだ。
それも何十連も……。

夫も残念で悔しいらしいが 私も悔しい。

そんなわけで また今年も 待っていてくださる方々の期待を裏切って 我が家の連柿は
不作ではなかったのに 不出来 になってしまった。

先月 車の運転免許証の更新前に受けなければならない講習の案内状が送られてきた。

いよいよ高齢者の仲間入りか と思うと同時に 免許証を手放す時が来た とも感じた。

医師から 車の運転禁止 の指示が出てからは 一切運転はしていない。
でも せっかく取ったのだし 免許証を無しにするのは少し抵抗があった。
それで結局 乗りもしないのに一度更新した。そしてその次の更新時期の今回がきた。

いつ返納の届けに警察署へ行こうか 一般の人もまだ講習の期間があることだし 失効するまで
に行けばいい と思いながら行かなかったのは やはり未練があったからだろう。

今朝遅く 珍しく雲のない晴天を見ながら洗濯物を干していると 息子が起きてきて
天気がいいから気分もいいのだろう 午後に警察署へ住所の変更届けをしに行く という。

これは 私も返納に行くいい機会だ と思い 一緒に乗せていってもらうことにした。

いつかはするつもりでいた返納だ。
年内に手続きを済ませ 未練心をスッパリなくして 少しでも気持の新たな いい年を迎えたい。

昨今 蔵や旧家に埋もれているアンティークを鑑定したり また鑑定してほしくて珍品や家宝を
放送局へ持ち込むテレビ番組などが いくつかある。

ヨーロッパヘ出かけて行って 二人の女優が購入した物を どれほど価値のある品物かを競う
番組まである。

実家の本家に長い歴史があって 父も古美術商の鑑札を持っていたりしたからか 子供の頃から
古い物に触れる機会が多かった。

だからか今も古い物や美術全般が好きだから よくそんな番組をみる。

出品される物の中には 真に美術的に価値のある品も多いが 代々大切に守ってきた品でも
金額的な価値がないものや 大金を払って手に入れたにもかかわらず 実際には価値のない品
であったりする。

その反対に 安価で手に入れた品に法外な値段がついたり 子供のおもちゃなのに年数が
経ったために高額になっていたりして みていると面白い。
そして 見ながら もの価値 とは このように変わるものか と つくづく考えさせられる。

現代の美術品も その価値や付けられる売買金額は 名のある鑑定家やバイヤー また
画廊主などの目に留まり スポンサーや援助を得られないと付けられなくて
ただ発表したりするだけでは なかなか世に出るのは難しい。

だから 作家の才能の有無 が もちろん第一なのだろうが こと現代の美術品に関しての
真価は よほどの品でない限り それが対価 だとは 言い切れない。

また どれほど高価な品でも 興味のない者には それは価値がないに等しいし
高額で売買されることが信じられなかったりする。

物の価値 って いったいなんなのだろう。

昔 生家の町で 町内に所蔵されている美術品を集めた展覧会が催されたことがあった 。
行ってみると 本家所蔵の品が一点も出されていなかった。

どうしてなのか父に聞くと 本当に大事な物はどの家でも外へは出さないのだ と言った。
家宝とは門外不出なのであって めったやたらに人目にさらすものではない とも言った。

へえ〜そうなのか そんなものなのか と その時思った。

父の言葉には 言外に 価値あるもの と 家宝として受け継いできた物でも 世間的には
価値のない物かもしれないし……ということも含まれていただろう とも思う。

そう思うと 物の価値ってなんなのだろう どこにあるのだろう と ますます分からなく
なってくる。

私にとって 真に価値のある物 それを見極める必要がある と 古希を目前にした今
終活 ということともからめて 思っている。

一昨日の夜は 天気予報でも 夜は晴れるからよく見える と言っていたので ふたご座の流星群
を見たくて 夜更けに外へ出て空を見上げた。
でも見上げた空は 残念ながら 真綿を引いたよう に薄っすらと白い雲が広がっていて
流れる様子を見ることができなかった。

でも昨夜は 思いが通じたのか 夜空は ときどき薄雲がかかるもののよく晴れて 冬の星々が
墨色の中にくっきりと輝いていた。

東に寄った南の空にはオリオン座が その近くには冬の大三角形をかたどるシリウスが白く輝き
その逆の方向のわずか上には こちらは昴が ぼんやりと だ円の塊になって光っている。

思っていた以上に星空がきれいだったので もっとよく見ようと 夫が小さな双眼鏡を
持ち出した。 それで見ると 昴は七粒ほどの輝く星とたくさんの小さな星たちの塊になっていて
確かに星団なのだと分かる。

オリオンの三つ星の下にも 肉眼ではよく見えないが 縦に並ぶ明るい三つの星が確認できた。

そうやって空を仰いでいるうちにも ときどき サーッと星が流れていく。
高い天空から流れていくもの 中ごろから流れて消えるもの……長く短く様々に流れては消える。

夏のペルセウス座の流星群ほどではないが それでもアッ今流れた!……… また流れた!と
そんなに間を置かないうちに いくつもの流れ星を確認できた。

高速道路の工事に伴ってできたカルバートの灯りが 外へ出ての星見をしづらくしてしまった。
でもベランダに立って我が家の増築した部分を背にすると そのカルバートからの明かりを
運良く遮ってくれ 今はまだ きれいな星空を仰げる。

しかし 着々と進行している高速道路や料金所の工事が完成して たくさんの照明が 夜通し
煌々と灯されるようになれば こんな星空は見られなくなるかもしれない。
夏も冬も 今までのように 星のきらめく夜空を見たいものだが……。

一年後のこの時期に 今夜のような星空や流星を見られなくなったら と思うと
もう一つ見たい……もう一つ流れるまで……と 冷気を感じながらも 着ぶくれた姿で
流れては消える星の数を数えながら二人して夜空を見上げ なかなか家へ入れないでいた。