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冬になってからこれまで 世間ではインフルエンザが大流行していても 家の中ばかりに
いることもあって 風邪も引かずに過ごしてきた。

十一月末の神経根ブロックの効果も出て いつもならやれない事やらない事を知らず
知らずにしていたりして 健康な人ならば そんなことで喜ぶの?と笑われるような
たとえば 大根を細く切って干して切り干し大根を作ったりして 一人で喜んでいた。

それが一昨日 朝からなんだか身体がだるくて 夕方には とうとう熱っぽく感じるように
なった。
不思議に身体がこうなると 腰の痛みが はっきり骨の痛み と感じられるようになり
腰骨が ギシギシ ドックンドックンと脈打つように痛む。
こう感じるようになったのは 微細骨折してからだ。

夕食の準備を終えた後 今までの経験から 八度はあるな と思いながら計ってみると
やはり八度五分あった。
熱がこれ以上になると骨にもよくない と自分の中でブレーキがかかった気がして
それで 昨日は一日寝ることにした。

それでも 夫は行事があってお弁当持ちで休日出勤する日だったから 寝る前にその
準備だけはしておき 朝は起きてお弁当を作り送り出した。
ついでに息子にと おにぎりを作ってテーブルに置き あとはひたすらベッドの中。

熱は八度まで下がっていたが 気がつけば眠っている を繰り返して過ごした。

もしかしたら 発熱はテリボン注射の軽い副作用なのかもしれない と思う。

経過を診るためにした血液検査の結果は まだ治療を始めたばかりだから と
医師が言いつつも あまりよくなかった。
今後の経過によっては この治療を継続できなくなるかもしれない とも言われた。

それはそれで仕方がないだろう。
ほかの治療法もあるからね と言われたから 今回の結果はあまり気にしないでおく。

なるようにしかならない と思わなければ やっていられないから。
日進月歩の医学を信じて医師を信じて どんと構えていなくてはやっていられないから。


 
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先だっての二十日 I さんと 彼女を通じて近づきになった温熱療法の先生と 彼女の
大切なお友達との四人で I さんの骨折りで 一年ぶりとなる女子会を持った。

それぞれの家庭の事情を知っている仲だから 会うのは一年ぶりでも 意識しないで
つい昨日も会ったかのように話が弾んだ。

大方は 先生の娘さんの転職先での様子やその会社のことだった。

働くことに理解のあるご主人やご家族 ことに すぐ近くに住んでいてお孫さんの面倒を
信頼してみてもらえる実の母親が在るからこそ 安心して全力で働けるのだろう と
我がことに置き換え つくづくうらやましいと思った。

自分が必死になって働いていた子ども達の育ち盛りには もうすでに母は倒れていたし
面倒をみてもらうどころか 逆に 実家への「土帰月来」の明け暮れだった。

よその家庭の話を聞く度に 家族関係や親子関係のありようの違いに驚く。
実に世の中はさまざまだと思う。

みんな それぞれの人生の中で なんとか平凡に暮らしたい と望んではいるが
その「平凡」の尺度もまた 人それぞれだ。

昔 全校生徒を前にしての朝礼で校長が 「非凡なる平凡の大切さと難しさ」について
話されたことを思い出す。

与えられた人生の中で精一杯努めることこそが 平凡であり非凡なることなのだ と
七十になった今 あらためて考えている。

さて これからの日々を どれだけ平凡に過ごせるか・・・・・・
家族や優しい友人たちに囲まれて まずは幸せなスタートをきって迎えた七十代。 
「平凡なる非凡」で終わらせることができるかどうか は ひとえに自身にかかっている。 
 
  




今日 七十歳の誕生日を迎えた。

叔母が 私がこの次節目の誕生日を迎える年には おそらく自分はこの世にいない
だろうから 古希という大切な誕生日を気の済むように祝わせて と言ってくれたことも
あって 家族にもその思いが伝染して こんなに大騒ぎする人生初めての誕生日になった。

その様子を 私がまたブログにあげたりしたものだから 家族以外の周囲の人にまで
お気遣いいただくことになってしまったことは 本当に申し訳ないことだ。

今朝も I さんから ハッピーバースデイのネットカードをいただき 午後にはきれいな
薔薇の花束が届いた。

七十歳をこんなにも家族や周囲の方々にお祝いしていただけるとは 正直思っていなかった。

自身の心の中では 変な言い方だが 「七十という年齢は本格的に年寄りになる歳」 という
思いがあって その点でだけ 今日の誕生日は特別な誕生日だという気はあった。
いよいよ本格的な老人になるのだ という 覚悟のような思いだ。

だから 古希だからめでたい という考え方はまったくなくて せいぜいいつもの誕生日と
同じように そこいらのお店ででも食事ができたらいい くらいにしか思っていなかったのが
ふたを開けたら なんと とんでもなく特別な誕生日にしてもらっている。
ありがたいことだ。

怠惰に日々を送っていた私に 生きることに 活を入れられた気さえしている。

祝ってくださった方々へのお礼は これからの毎日をしっかり生きる ことよりない。

このうえなく素晴らしい誕生日に 幸せをかみしめながら そう思っている。








昨夜は満月 そして今年最大のスーパームーンだった。

ところが 夜半を過ぎても 空には厚く雲が広がり 残念ながら見られなかった。

十六夜となった今夜 ようやく大きな月を眺めることができた。
一夜遅れのスーパームーンだ。

去年の今頃にも 同じようなブログをあげた記憶がある。
月日がめぐり また一年が経ったということだ。

澄んだ大きな月を眺めながら また来年も この大きな月を見られるだろうか と思う。

古希の年齢を過ぎると 一年一年が勝負だ と聞いたことがある。
体力的にも精神的にも モチベーションを保つのが大変だから よほど栄養にも
気を配って体力維持に努めることが肝要だ と ある人に言われた。
そして これからの十年が勝負だ とも言われた。

今夜 午前零時を過ぎて二時間後 赤ん坊の私は 予定より一月近くも早く この世に
生まれてきた。
以来七十年も よく生きてこられた と思う。

いいことも悪いこともたくさんあって そのたびに笑い喜び 悩み悲しんで暮らしてきた。

一年毎一日毎に終活に近づいている今 どれほど遠くにあるか分からないその日に
幸せだった いい人生だった と心から思えるよう 今まで以上に 何事にも誠実に向きあい
暮らしていきたい。

一病息災 の精神で・・・・・・。

今日 大学病院の帰りにデパートへ寄り 日曜日に買ってもらい 裾上げを頼んでいた
ズボンと取り寄せをお願いしてあった杖を もらって来た。

ズボンは冬物セール中だったから 定価の半額の値段だったが 杖のほうは定価のまま。
おまけに 私が気に入った色柄の杖は 売り場の中では最高額の品になってしまった。

叔母は 気に入らない物はどんな物でも すぐに飽きたり使わなくなったりするから
値段にこだわらないで選びなさい そう言ってくれたので 選んだ結果 たまたま
高い値段の杖になった。

それでも叔母は 気に入ったものがあってよかった と喜んでくれた。

日曜日に買ってもらったコロコロのキャリーバッグもそうだったが 杖も 叔母の眼には
ずっと以前から しみったれて貧乏くさく映っていたらしい。

杖は 大学病院の麻酔科へ通い始めて間もないある日 医師に 歩行の補助に杖を
使いなさい と勧められ 杖を突くことに強い抵抗を感じながらも その日の治療を
終えた後 複雑な思いを抱えたまま院内の売店で求めた。

医師の言葉に従って 否応なく買わざるを得ない状況だったのだ。

売店に置いてあった中から選んだので 杖にどんな種類があるのかや値段によっても
違いがあるなど 考えもせずだった。
また 実用に耐えられるものであればそれで十分 という考えでもあったから 杖に
アクセサリー的な要素があることなど思いの外だったし 実際 売店に並んでいた杖は
どれも似たような実用一点張りのものばかりだった。

だから 病院内で売られているのだから 杖としては間違いのないものだろう とだけ
しか思わずに買った。

以来十年近く ずっとその杖を使い続けてきた。
当然 経年で持ち手の部分の塗装ははげて白くなり 後づけした伊勢木綿で編んだ
ストラップも色があせてきている。
でも 杖としての機能は問題がなく 今でも十分に役立っている。

そういう経緯があるからだろうか 持ち手がはげていようが 私にはかえってそれが
共に痛みを分かち合いながら経てきた年月の証のように思えて むしろ愛着がある。
それは 杖を突いて歩くことに ようようなじんできた年月でもあるからだ。

だから まさか叔母の目に みすぼらしく貧乏くさく映っているとは 考えてもいなかった。

コロコロバッグにしてもそうだ。

杖よりは二、三年後だったが 手に提げるバッグはもちろんのこと肩掛けのバッグでさえ
腰に負担がかかるので仕方なく 年寄りくさくて嫌だったが やむを得ず」コロコロバッグを
使うことにしよう と思った。

それで デパートの売り場を探すと コロコロバッグは介護用品のコーナーにあった。
まだ六十を幾つか過ぎただけだった私には 杖もそうだったが 自分がひどく年寄りに
思えると同時に そうせざるを得ない自身が情けなくて 実際に買うまで 何度か売り場
へ通った。
そうして選んで購入したのが 今使っている渋草色のコロコロバッグだった。

だから このバッグにもそれなりの愛着がある。
長年何処へ行くにも使ってきたから 当然のこと型も少し伸びて崩れてはいる。
それでもチャックも壊れていないし どこも悪くなっていないから これからもずっと
不具合が生じるまでは持って歩くつもりでいた。

でも それが叔母には まず渋草色なのが汚く見え 型が崩れ気味なのも 長年使い
込んだだけに しみったれて貧乏くさく感じられて ずっとそのことが気になっていた
と 笑いながらではあったが 言われてしまった。

叔母は 悪気があってそう言ったのではなく むしろその反対で 日頃から 私のことを
思ってくれているからこその言葉だろう。

おばの言葉を聴いて杖やバッグを見ると 事実 どちらも叔母の目に映っている通りだ。

ことほどさように 物に対しての見方は人によって違う と今回つくづく思い知らされた。




 


昨日は夫と次男とのランチで誕生日を祝い 今日は今日で 叔母が 古希を祝って
デパートで買い物をしよう と言ってくれて 二人でデパートの中を ゆっくり見て回った。

何でも買ってあげるから と言われたが 思ってみると  これが欲しい とか
これがない という物が思いつかない。

それで 各階を見て回ることに。

一階には ブランドのバッグのコーナーがあったが 出かけるときには たいがい
コロの付いたキャリーバッグを杖代わりに持ち歩いているので 普通のハンドバッグは
あまり興味がないし 持つ機会もない。
だから 見るだけになった。

二階の大半は 靴のコーナーが占めている。
叔母が これからの季節の春に履く靴はどう?といってくれるので 見て回った。

あれこれ見た結果 履いていても足が痛くならない靴かあった。
以前 整形外科の医師に ペタンコの靴もいいが 筋肉をつけたりするには かかとが
三センチから五センチくらいある靴を履いたほうがいい  と言われたことがあったが
その靴は ヒールの高さが三センチくらいあった。
でも 実際に履いてみたが かかとがペタンコの靴を履いているときと まったく感覚が
変わらない。 
近年買ってよそゆきにしている東京の有名ブランドのペタンコの靴より履き心地がよかった。
それで この靴を買ってもらうことに。

春になったらこの靴を履いて 娘のところや友人のところへ行ける と思うと嬉しかった。
ちょっとおしゃれっぽい それでいてしっかり歩ける そんな靴だ。

いい物を買ってもらった と思っていると 叔母が じゃあ次の階へ行くよ と言って
いつにないしっかりした足取りでエスカレーターに乗ったので 私も慌てて後を追った。

叔母は 初春に着られる上着を買ってくれたがったが 見て回っても これが欲しい という
物がない。
それじゃあ と ズボンを買ってもらうことになり 裾上げを頼んだ。
四月までははけるだろう と店員が言ってくれたし 色も 私が持っていない色目のものを選んだ。

こんなに散財させてしまって申し訳ない思いでいると 叔母が 今度は私が買ってあげたい
ものがあるから見に行こう と言って エスカレーターに乗った。

連れられて行ったのは 八階のコロコロのキャリーバッグと杖のコーナーだった。

確かに 今 私が使っているバッグは かなりの年数が経って くたびれてはきている。
それでも 使い勝手がいいので 東京でも大学病院へでも どこへでも持って行っている。
だから私自身は このバッグについては 何も思っていなかった。
ましてや 買い換えて新しいバッグにする なんて 思いもよらないことだった。

ところが叔母には バッグの色が渋い草色ということもあって 日頃から よけいに
使い込んでのくたびれ方が目についていたらしい。
それで叔母は 何を差し置いてもこのバッグに代わるコロコロバッグを買ってあげよう と
思ったようだった。

叔母自身も身体が弱ってからは コロコロのキャリーバッグを買って 外出時には
いつも持ち歩いている。
そして 最近ではまた違った形とデザインのバッグを購入して 以来 気に入ったのか
そちらのコロコロバッグを使っている。

それに比べて 私が 長年使ってくたびれたようなバッグを引きずって歩いているのが
みすぼらしく思えて 気になっていたらしかった。

おまけに 私が使っている杖も コロコロよりもっと前からの物だから 持ち手の部分
が はげてきている。
叔母は それもとても気になっていたらしく この機会に杖も新しくしたらどう? と
言ってくれた。

私には思いがけないことではあったが この際だから さまざまな思いには目をつぶって
遠慮せず 叔母の好意に素直に甘えることにした。

たくさんの種類のいろいろなバッグがあった中で これはどうか あれはどうか と見ては
実際に持っていたバッグの中のものを入れてみたりして これがいい と決めた。
今使っているバッグより少し大きめで おしゃれっぽいバッグだ。

杖は 現在使っているものよりもずっと上等のものを買ってもらった。

かなりの時間をさいて選んだので コーヒーショップで一休みすると もう五時近かった。

叔母自身は もう一つ二つ買い物をしたり用事を済ませたりしたかったようだったが
時間が時間だったので それはまたのことにして 夫に連絡し 迎えに来てもらった。

午後から半日 ずっとデパートにいたことになる。

日頃世話になっているから 一生に一度しかない古希の誕生日の記念に何かしてあげたかった
と 叔母は言ってくれた。
そして  ああ これで気が済んだ と言いながら笑った。

夫も私も 叔母との関係に慣れてしまっていて 世話する事を特別なことには思っていなかったが
そう言ってくれた叔母の気持ちが嬉しかったしありがたかった。

そんなわけで 思いがけなくも 今日はスゴイお祝いをしていただいた。
それこそ一生に一度のことになるだろう。

でも それはそれとして ささやかではあっても 長男家族も 驚いたことには次男までが
それぞれに心のこもったプレゼントを準備していてくれたのは嬉しかった。

三人の子をみな成人させ父や母をみおくった後 腰を痛め神経を痛め 誰のなんの役にも
立たなくなってからは 生きていても仕方のない無用な人間に自分が思えていた。
夫や家族のお荷物・・・・・心のどこかに いつもそんな思いがあった。

だから 自分では古希という年齢にまで自身が生きてきたことに 正直言って驚いているだけだが
こうして周囲から祝ってもらうと この先もまだ生きることを許されている と思える気持ちになれる。

たくさんのプレゼントもだが そう思わせてもらえたことが 私には 目には見えない大きなことだ。












今月の二十一日は私の誕生日 それも古希という記念すべき誕生日だ。

夫は 子ども達や孫たち家族全員が我が家に集まる五月の連休に ささやかでも お祝いの
宴を開いて 家族みんなでお祝いをしてくれる と 言ってくれているが とりあえずは
誕生日を祝って 息子と三人で 今日のお昼に外で食事をした。

長いこと行っていなかったお店から 誕生日のお祝いランチのはがきが届いていたので
久しぶりにそこへ行こう ということになった。

予約していたので 大勢待っているリストを横目に 個室のような席に案内されたはいいが
衝立で仕切られた一方の側には 三十代半ばから四十代前半とおぼしき女性四人の
グループがいた。

大衆レストランだから それは仕方がないが その四人が声高に話すは大声で笑うは
にぎやかしさをはるかに超えてうるさいことこの上ないのには参った。

どうやらその状態は 私たちが席に座るずっと前から続いているらしかった。

しばらくは私たち三人 顔を見合わせて苦笑いなどしていたが いつまで経っても
片側で食事している私たちに遠慮する様子も気遣う様子もみられない。                                    ついに我慢の限界に達した夫が部屋から出て 隣のテーブルがうるさいから注意してほしい
と ウエートレスに言いに行った。

ほかの店員がそっと様子を伺っていたが やはりお客には苦情が言いにくいらしく のぞいて
そっと見ただけで 何も言わなかった。

それから後も四人は変わらず大声で話し笑い いっこうに席を立つ気配さえない。

痺れを切らした夫が とうとう衝立を超えて 静かにして と 直接彼女らに申し入れた。

まさか隣の席からそのようなことを言われるとは思ってもいなかったのか 瞬間はびっくり
したように静かになり 小声になったが それもつかの間で あっという間に また元の
うるささに戻ってしまった。

その頃には もうこちらの食事もスープやサラダも終わってメインディシュになっていた。

最初の前菜が運ばれて来てからずっと 私たちには 絶えず焼きたてパンのサービスをしに
店員がテーブルへ来るが 隣の彼女たちのテーブルへは 一度もサービスしていない。
ということは 彼女らは 食事のコースすべてが済んでいる ということだ。
なのに 彼女たちは ずっとしゃべり続けて居座っているのだ。

お昼どき それも土曜日のお昼だから 席が空くのを待っているお客が大勢いることに
何故思い至らないのだろう。
隣で食事している者がいるのだから もう少し配慮する気持ちに何故ならないのだろう。

そんなことを思いながらナイフとフォー久を動かしていると さすがに時間もきたのか
古参らしい女性店員が お帰りください と言いに来た。

そうお店側から言われて 四人はあたふたと部屋から出て行った。

そこまで言われないと 自分たちがどういう状況にいるのか どれだけ破廉恥な行為を
しているのか に気がつかないとは なんとおろかしい女性たちか。

ようやく静かになった室内だったが 私たちもすでにデザートになり 食事が終わった。

帰り際 会計担当者が うるさくて申し訳なかった と 詫びてはくれたが 後の祭り。

食事に出て こんなことは初めてだった。

いまどきの若い母親世代の傍若無人さとマナーのなさには驚くばかりだ。

帰宅した夫が こんなに疲れた外食は初めてだ と こぼした。

せっかくの小さなお祝いだったのに そんな気分がどこかへ飛んでいってしまった。

今日の午後 急に I さんと会うことになった。

パッドが壊れて作動しないから ラインでのやり取りができないし ブログがあげられない
と いつも読んでくれている彼女なので 心配をかけないよう 予めガラホから伝えていた。

昨日 パソコンからあげたブログを読んだ彼女は アップルストアではなく電子機器を専門に
修理してくれるストアの情報を調べてくれて あきらめる前に 一度訪ねてみてはどうか と
今日 教えてくれた。

修理ができるのなら それにこしたことはない。
調べてくれたそのお店での修理料金をみると 私が思っていたより ずっと安価で修理して
もらえるようだ。

そんなことになったら どんなに嬉しいか。

もちろん 現物を持って行って見てもらってからでないと 修理が可能かどうかは分からない。
でも 希望がある以上 試してみない手はない。 近日中に持って行って見てもらう。

アップルでしか修理ができないものだとばかり思っていた私には 天の助けがまだあったよう
な気がして 身体から力が抜けたようだった。

よわったことになった 新しく買い換えなくてはならない事態になってしまった・・・
それまでは そんな思いばかりが 頭の中を グルグル回っていたのだ。

これまでも I さんの存在がなかったら パソコンもパッドも使えないままでいた。

まがりなりにも 電子書籍を購入したりブログをこうしてあげたりできるのは すべて彼女の
おかげだ。

そして 困ったときのIさん頼みで 折に触れては教えてもらい 相談に乗ってもらいしてきた。
そうして またまた 今日だ。 

実際はダメかもしれないが まだあきらめなくていい まだ救われる方法がある そう教えて
もらっただけでも 沈んでいた気持ちが ちょっと起き上がった。

それにしても 本当に 彼女は知識が広くて深い。

今日は その思いを  また一つ感じさせられた。
彼女のような女性がいつも傍らにいてくださる  と思うだけで 心が軽く明るく  そして
強くいられる。

このように 心から信頼できる友人を持つ幸運は 誰にでもあることではないだろう。

姉妹もなく 疎遠な弟一人の私には 恥ずかしながら彼女のほうが十歳も若いのに
私がいつもいつも頼ってばかりで 情けない限りだ。

I さん 予定もあったでしょうに 今日は本当にありがとう。

さっそく行ってみますね。

    

しばらく前からパッドの動きが悪くなった。
それも 保障期間が切れた途端にだった。
そして 数日前にまったく作動できなくなってしまった。

ラインもヤフーも電子書籍も 毎日の生活の大半をパッドを相手に過ごしているから 参ってしまった。

特にヤフオクを利用中だったから 品物の受け取り連絡ができなくなって慌てた。
どうしよう と固まっているうちに 夫が使っているこのデスクパソコンがあることに思い至った。
それで何とか対処できた。

パッドが壊れてしまったことは この拙いブログを必ず読んでくれている友人三人だけにはすぐに知らせた。

そうしておいて 修理が可能かどうか ダメならどんな機種があるか を知るために 息子が
名古屋のアップルストアへ行ってこよう 熱田神宮や大須観音などの寺社を参拝して御朱印をもらいがてら
と言うので 昨日行く予定にしていたら 言い出した本人が風邪を引いてしまい行けなかった。

今日になって 少し風邪の症状もよくなり 車に乗ってさえいれば日差しが暖かい日だったので 息子が
名古屋までは行けないけれど アップルのショップが入っているモールへなら行けるから  と言って
連れて行ってくれた。

でも  せっかく連れて行ってもらったが 相談したショップの店員に 修理は不可能 と
考える余地もなくバッサリ言われてしまって  ハイお終い。
仕方なく店内に展示してあるパッドやキーボード付きのものを見て それぞれの価格を確認し帰ってきた。

やっぱり新しく買うよりない とわかったものの かといって じゃあすぐに  ともいかず  いまもこうして
とりあえず夫のパソコンを借りて 久しぶりにブログをあげている。

とうぶんはこの状態が続くだろう。

何が困るかと言えば 一番困るのは 電子書籍が手軽に読めないことだ。

パッドでなら どこででも読みたいときに読めるが 同期してこのパソコンからでも読めるようにはしても
椅子に座ってパソコンに向き合わないと読めない。

これがいたって不自由だ。

しかし 不承不承でも  仕方がない しばらくはこの状態でいるよりない。  

そう思って パソコンから このブログをあげた次第。 

今年に入ってから開始した 骨のテリボン注射治療。
昨日で五回目だった。

テリボン注射の他にも痛み止めを腰椎の両側に打ってもらった。

昨日は待っている患者が少なかったからか いつもより医師と少し話せた。
そして 私が知らなかった新事実が!
なんと テリボン注射の治療が 骨に対する現在の最前線治療だと思っていたら すでに新しい
治療が確立されてるのだそうだ。

テリボン注射治療は十年ぐらい前からあったのだそうだが 保険の適用範囲外だったために
一般には知られていなかった。
保険が使えるようになって初めて一般にも認知され始めたが まだまだ周知されるまでには
至っていない。

その原因としては 他の治療と違って 患者がこの治療を施すに値するかどうかの基準が
定められているからかもしれない。
治療する医師側にとっても 面倒なのも一因だろう。

それなのに テリボン注射治療以上に効果がある治療が すでに開発されているのだそうだ。

テリボン注射は 骨自体の形成を早めて骨を強くする治療だから 骨密度が高まり
骨折しにくくなる。

二年間で百回以上の注射をして なおかつ まだ骨が思うように丈夫にならなかった時には
でも まだ次には その治療をしてもらえる という希望があるんですか?

と 医師に言うと

そうです。だからこれからの世の中には 腰が曲がったお年寄りは存在しなくなるでしょうね。

と 冗談のように言いながら 笑ってみえた。

おそらく 今はまだ保険適用外の高額な治療なのだろうが でも まだ いまよりいい治療がある
と思うと 嬉しくて目の前や頭の中が明るくなった。

まさに 医学は日進月歩している。

いつか 傷ついた神経を修復する治療法が出てくるかもしれない。

十年後か二十年後か もっと将来のことであっても きっときっと開発される。

会話の最後に 医師が

五十年前 腰が曲がったお年寄りが 痛みや生活の不便さを感じながら生きていたことを思うと
彼らを救ってあげたかったですよねぇ〜。

としみじみ言われた。

本当にそうだ。

骨だけでなく ガンだって 今では治る時代だ。
科学や医学って なんて素晴らしいのだろう。

時として 人間の愚かさや汚さに暗然となる出来事があるが その真逆の世界では 人類の幸せ
のために日々研究がなされている と つくづく思え 今の時代を生きていられることに感謝した。