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私たち夫婦にとっては初孫にあたる長男の娘が 今春高校を卒業し 大学生になる。

幼い頃からマイペースで感性も独特だった孫は 長ずるに連れても今時の一般の女子高校
生とは興味を引くものや興味を持つものもちょっと違っていたから 大学で学びたいことも
一般的なことではなかったようだ。 

当然 学びたいことを学べる学校も少なかったし そのうえ彼女は 受験には必須の重要な
科目である英語が大の苦手だから なおさら 受験は大変だった。
おまけに テストの英語の結果がこの上なく悪かったらしいから 入れる学校が遠くへ遠くへ
と離れた土地へ移っていったのはやむを得ない結果だったのだろう。

それでも 彼女はもちろん息子夫婦も彼女の意思を通し ある大学に入ることができた。

そして今日の未明 息子の運転で 一人暮らしの新生活に必要な物などを積み 孫が
出発して行った。

予め家を出る予定の時刻を聞いていた夫と私と叔父である息子の三人は 長男宅へ
出向き 孫の門出を寿ぎ見送った。

半世紀以上も昔 私が生家を離れた時代には ネットもラインもスカイプもなく 連絡や
消息のやり取りは 電話すら自分では持っていなかったから 手紙だけが主な手段だった。

息子や娘を大学に出した頃でさえ パソコンはあったものの 互いの顔を見ながら気軽に
会話のできるスカイプなどはまだ開発されていなかったし携帯電話もなかったから 唯一
NTTの電話だけを持たせた。

時代が変われば 別れの仕方も門出の仕方も その覚悟でさえ変わっていく。

おそらく息子夫婦と孫は スマホを片手に 朝でも昼でも夜でも互いの時間が合う時に
今までと変わらず 距離感なく互いの顔を見ながら その日にあった出来事を話したり
するのだろう。

だから当然 未明の出発もあっけないもので 親も子も じゃあねぇ と 手を振るだけの
あっさりした別れだった。

このために 娘のところへ行くのを一週間早めてまで見送りたいと思った自分の思いは
なんだったのか 肩透かしをくったような気分だった。

物事への思いだけでなく 人生における節々への思いや型までも 時代は変えていくもの
なのだと しみじみ感じさせられた。

馬の口を捕らえてはなむけをした頃よりもずっと大昔には 旅立ちは今生の別れそのもの
だっただろうし 消息を伝え合う手紙をやり取りするような時代になってもやっぱり 遠くへ
の旅立ちは命がけのことだった。
そんな時代の別れには 見送る方も旅立つ方にも それなりの重い気持ちと覚悟があった。

文明の進化とともに 確実に 人の心の重さは軽く深さは浅くなってきていると言える。
特に昨今は 何につけて心や気持ちの重いことを嫌う。

軽い気持ちで見送り軽い気持ちで出て行く・・・それでも互いの心が繋がっていさえすれば
それはそれでいいし 重く受け止める必要はないのかもしれないが。

それでもやっぱり昔人間のジジババは 封にしっかり 「はなむけ」 と書いて 車に乗り
込む孫に渡したのだった。


 


 

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久しぶりに夫と二人で娘家族のところへ行き 一週間過ごし 一昨日帰ってきた。

去年の暮れに 娘夫婦は家を建てた。
家といっても 彼女たち家族の活動場所は東京で 平日過ごす家は都内にある。
だから 建てた家は 週末や孫たちの学校が長期の休みに使う家なので 仕事や学校から
離れて 心身をリラックスさせるのが目的だから と 鎌倉の七里ガ浜に建てた。

娘から話には聞いていたが 行ってみるのは 夫も私も今回が初めてだった。

七里ガ浜で江ノ電を降り駅を出ると ちょうど娘と二人の孫たちが迎えに来た。
すぐそばを走る国道の向こうは もう海だ。
駅舎を出るとすぐ プーンと潮の香りがする。

娘夫婦が今回新築した家は 駅まで三分 浜まで五分とかからない距離にあった。
玄関に入ると 新築特有の香りが出迎えてくれた。

大きく広く作られたバルコニーからは 家々の屋根越しに少しだが海が見えた。

土地を決める当初 前に建っている隣家も同時に売りに出される ということで
二軒分の土地に建てるはずでいたらしいが 最終的には その家の住人が
もう少し住む意向に考えが変わり 売るときには優先的に声をかけてもらう という
約束に落ち着けて 立地条件のいい今の土地に決めたらしかった。

一帯は 明治に 浜に迫った山の傾斜を削って造成開発がなされ分譲されたところで
浜から次第に斜めに土地が高くなり ずっと空に近い場所まで家々が建っていた。
娘たちの家は その傾斜の始まりの辺りにあった。

娘の家こそ 開発当初その土地を買った人が 後に二人の子どもに分筆したのだという
土地に建っていたが 周囲は広々とした敷地に瀟洒な家が建ち いかにも富裕層の住む
地域で テレビや雑誌で見たり目にしたりする有名人も 多く住んでいるらしかった。

日々 神経をすり減らすような繊細な仕事をしている婿や 都会の喧騒の中 分刻みで
暮らしている娘や孫たちには 仕事や喧騒を離れてのんびりするには とてもいい環境
に感じられた。

家の中は こだわって建てたというだけあってどこも使いやすくできていて この家があれば
平日頑張って仕事もできるだろうし 週末に来るのも楽しみだろう と思われた。

夫と私は 広いリビングに接して設けられた畳敷きの六畳間に布団を延べて寝た。

そこで数日過ごした後 東京の家へ行き 夫と私は 上野の観たかった二つの展覧会場へ
足を運んだ。

上野の森は 陽に当たる場所の桜の木々が八部咲きになっていて 美術館や博物館
を目当てに訪れる人や動物園へ入る親子連れ お花見に訪れた人などで賑わっていた。
相変わらずいつ行ってもすごい人の数だ。

背の高い建物と人ばかりの東京だが 文化の享受の面では やはり東京に勝る都市は
日本にはない。
その点だけは 東京に住んでいる人が羨ましい。

夫と二人で こんなに長く娘のところへ行ったのは いつ以来のことだったろう。
足腰の悪い私に合わせて動いてくれる夫のおかげで 無事に行って来られた。

感謝 感謝。 




昨日は彼岸の中日。

庭先に咲き始めた水仙を供えて 両方の両親の冥福を祈った。

三月四月は 私の母 夫の母 私の父 の命日が続く。

夫が春休みの間に 実家の両親のお墓参りに行きたいと思っている。

この冬は雪が少なかったが それでも 冬の間にはお墓へ行くことができなかった。
雪がとけた山を見ながら 父や母は 訪れるのを待っていることだろう。

老いた叔父叔母の所へも 顔を見に寄らなくては と思う。

故郷が次第に遠くなっていく。

昨夜は 満月 それも大きな月の周りに錆びた虹色の輪がかかり おぼろに輝いていた。

温泉へ行く道々 車の窓から見える情景は さながら 唱歌の 「おぼろ月夜」 のままで
知らず知らず
  菜の花ばたけに 入日うすれ・・・・・・
と 口ずさんでいた。 

年の初めに見たスーパームーンには 大きさではかなわないけれど 美しさと風情では
しのぐほどのお月様と夕空の情景だった。

日がかげると どうしても屋内にばかりいるようになって めったに外へ出ることがない。

早春の見事な夕景を見る機会など 温泉へ行かなかったらなかったことだ。

また もし外へ出て月を見られたとしても 印象に強く残るような満月の夜になど
めったに出会えるものではない。

先月の古希という誕生日を迎えて以来 美しいもの 心に残る物に出会うと
ご褒美をいただいたようで まだ感動できる心がある自分を認められたようで
なんだか嬉しくなってくる。

これからは どれほどになるかは分からないが 生きている年月の間に できるだけたくさん
美しいもの 素晴らしいものに出会う機会を作りたいと思う。

そして できる限り 清い心 感動できる心を養えたら それだけで生きる価値があるような
そんな気がしている。

  

去年の十一月 二人の孫の七五三詣りに行ったあと 正月もそれぞれ家族で迎えたので
娘家族に四ヶ月ほど会っていない。

だから 十二月末に完成した娘たちのセカンドハウスも見ないままになっていた。

お父さんが休みに入ったら 一度二人でゆっくり来たら?
と 娘が言ってくれるので 明後日 私の整形外科でのテリボン注射や夫の仕事が終わる
のを待って 午後から出かけて 何日か一緒に過ごすことにした。

娘家族は家が建ってからの週末は そちらで過ごしているので 夫と私も 明後日は
新居を訪ねてそちらへ行き 合流することにした。

家を建てた場所は海がすぐそばだから 釣りのできる所もあるらしい というので
そこで海釣りをするのを 夫は楽しみにしているが 今回は その日に備えて予め
大きなクーラーボックスや長靴 そのための衣類等々を送っておく。

なにせ今回は そこでの滞在中は 土日しか日中がないから 孫たちと遊んだり散歩したり
して過ごしたいし 海の様子も分からないから 今回は諦めたらしい。

月曜日からは 彼らのもともとの住まいへ移り数日滞在する予定でいる。

その間に 現在 上野で開催されている絵画展と六本木ヒルズで開催されている
北斎展へ出かけたいと思っている。

去年 若冲の めったにない大きな絵画展が開かれたので 是非にも鑑賞したかったが
残念なことに体調がすぐれず行けなかった。

だから 今回 若冲の作品も何点か出されているので 楽しみにしている。
また 北斎の絵も 多数観られるらしいので そちらも大いに興味がある。

初め夫は 日曜には一人で帰宅する と言っていたが 私が美術館へ出かけたい と
言うし 娘が お母さんと一緒に東京の家で何日か過ごして帰ったら と勧めるので
そうすることにした。

私が 一人ででも上野や六本木へ出かける と言うから それも心配になったらしい。
何度も二人でその美術館へ出かけているために 混雑ぶりが分かるからだ。

そんなわけで 今回は 二人の着替えなどの荷物は 二箇所へ送ることに。
それで昨日の夕方には 温泉へ行く途中 東京へ行く方への後の荷物を送った。
明日には 最初に行く海ばたへの荷物を送る。

月曜から滞在する荷物は 娘たちが金曜には海の家へ行ってしまうから 前もって東京へ
送って受け取ってもらわなくてはならないから 荷物の発送が逆になる。 

天気や気候を聞くと 海の家ではもう半袖で過ごしているから 薄手の上着があればいい
と 娘は言うが だからといって 今も長袖シャツに長ズボン下で居る私たちには とても
のこと いきなりの半袖は無理がある。

なので一応 下着は薄手の長袖シャツもズボン下も入れ そのうえで半袖も入れた。
上に着るもののしても 地厚の長袖も薄手の長袖も 七分袖のものも と とにかく
用心して持ったために 一箇所につきダンボール二個の大荷物になってしまった。

それでも 今の時代 宅急便があるから 本当にありがたい。
翌日にはもう送り先の玄関まで配達してくれるのだ。

昨日の午後は これらの荷作りにかかってしまったが 娘たちと快適に過ごすためなのだか
ら これも仕方がないことだろう。


 




昨日は 朝イチで総合診療部の受付を済ませたはいいが 受診の前の 医学生による問診
が実に長くて せっかくの一番乗りでの受付けがだいなしになってしまった。

この学生による対面での問診は なぜか私だけだったようで 後から来た患者は順当に
診察室へと呼ばれたらしく 問診を終えて再び待合へ戻ると ソフアーに座っている人の
顔ぶれが違っていた。

このあとに麻酔科の受診がある と分かっているのだから なにもそんな患者を選らばなく
てもいいのに・・・と内心で腹を立てながら待った。

診察室へ呼ばれたのは 十二時前。
待っている間 麻酔科の予約時間がとっくに過ぎてしまっているから 不安になって
総合診療の受付に 大丈夫か 確認をしに行った。

ようやく診察の後 超音波での検査に回されたのが午後の一時半ごろ。
その後また総合診療へ戻って呼び込みを末待つ。

そのころになると 診察を待っている患者は一人もいなくなり なんだか心細くなってくる。

それでも検査の結果は 細胞検査するまでもない小さなものが二つあるが今のところ
心配はなく 半年後に再検査する事になって 一安心した。

医師の対応や診察は親切丁寧で説明も分かりやすくよかったし検査の結果もよかった
から 長時間待たされたのも許されるが これで結果が悪かったら どこかでだれかに
苦情の一つも言いたくなっただろう。

そんなわけで 麻酔科へ向かったのは二時近かった。
すぐに処置室へ入るように看護師に言われ 診察室は素通りですぐに痛み止めの
トリガーを医師にしてもらい 終わるとこれまたすぐに点滴が始まった。

会計を済ませて処方箋をファックスで薬局へ送り 乗ったのが三時十五分のバスだった。

通いなれた大学病院だが こんなに疲れたのは久しぶりだった。

それでも 心配が一つなくなったのだから 長い一日は無駄ではなかった と思う
べきだろう。 

 

何ヶ月か前から 喉が気になっている。
薬や咀嚼した物や水でさえも なんだか喉につっかえような気がしだしたからだ。

そして最近では 喉仏の少し上が 触れるとふくらみがある気がする。

周囲に甲状腺がんの人があったりするものだから よけいに気になるのかもしれない と
思いつつ 医者にかかったほうがいいのかどうか 決められないまま過ごしてきた。

でも先週 大学病院の麻酔科医に 思い切って言い出してみた。
何か異常があってはいけないから と さっそく医師が総合診療科の予約をしてくださった。
そして明日 麻酔科にかかる前に その科にかかることになった。

総合診療科は どの科にかかればいいかを患者の話を聞き症状によって決める科の
ようだ。

おそらく明日は私の話しを聞いた結果 検査にまわされるか 診察を受ける科が決まり
あらためてその科を受診するようになる。
私の場合 受診するとしたら 耳鼻咽喉科か内分泌科になるだろう。

何が飛び出すか不安ではあるが どのような結果が出ようと 思い過ごしで何も問題ない
ことも含め )受け止めねばと思っている。

もし何かできていても 良性であれば「経過観察」もあり得るし・・・・・・。

とにかく 明日は朝一で 総合診療科行きだ。

ショッピングモールから毎月送られてくる物の中に 一日だけの割引券があるが
今まで使ったことがなかった。

それを今回 夫の衣類を買うために使うことにして 昨日 夫と一緒に買い物に行った。

案がなかったが 館内はどこもバーゲンセールの真っ最中で ものすごい混みようだった。

夫はこのところ腰周りが大きくなって ズボンのウエストがキチキチになってしまったので
冬用に一本 これから履く用に二本 とズボン三本を まずは選んだ。
いまどきは 裾上げをしなくてもいいように 同じサイズで長さが選べるから便利だ。

その後に シャツを二枚選んだ。
春から初夏にかけて着るように 混紡でさわやかな素材のものにした。

それから ベルトを一本買った。

夫の衣類を新調するのは久しぶりだったから どうしても上に着るものも履く物も と
なってしまうが それでも これだけ買っても もともと二割引きだったのが割引券が
あったから三割引の値段になった。

七掛けで買ったことになるから かなりお得な買い物ができた。

家にばかりいるのなら 夫の歳なら 着古したものでも清潔でさえあればいいのだが
まだ働いているから 若い父兄や職員 対外的な面でも人目があり そうもいかない。
夫自身はいっこうに頓着のない人だが 私が気になってしまう。

行き来には小雨が降り 人ごみの中での買い物だったが いい買い物ができてよかった。 

I さんに教えてもらって パッドでブログを と言うより覚書の日記を書いているうちは
何も問題がなかったが パソコンで書くようになってからは なにせパソコン操作の
イロハを理解していないものだから 分からないことだらけなのが現状だ。

パソコンの使い方については 昔 夫に 教えてあげるから と言われたものの
いっこうに教えてもらえる気配がなかった。

それで 痺れを切らして自分用に と ノートパソコンを買ったときには I さんに
操作方法やらブログのあげ方など教えてもらったおかげで なんとかできていた。

しかし それも パッドに変えてからは 悲しいかな 使い勝手がいいものだから
すぐにパッドに馴染んでしまって すっかり忘れている。

ところが 今またこうしてパソコンに戻ってみると 前述のように 無免許運転状態で
大変心もとない有様だ。

友人のブログをいつも読もうと思っても はてさてどうするんだったか・・・
自分のこのブログでさえ 簡単に画面を呼び出すにはどうするんだったっけ?・・・

というように すべてにおいて 悪戦苦闘するはめになってしまった。

いい加減の生返事ばかりで いっこうにちゃんと教えてくれない夫に代わって
仕方がない 息子に教えを請うしかない。

面倒臭そうにでも なんとか こうすればいいのか? 程度には教えてくれた。
分からないままでいるよりはましになったから 感謝だろう。 

それにしても不思議なのは 息子は 特別にパソコンの操作を習いに教室や学校へ
行ったわけでもないのに さっさとパソコンを使えることだ。

聞けば 仕事でも使っていたからだと言うが それならなおのこと もっと複雑な使い方が
必要だったはず。
いつ何処で どうして使えるようになったのか。

息子だけでなく 今の時代を生きている若い者たちは みな 何の抵抗もなく使っている
らしい。

その頭は何処から来ているのだろう。

古希のおばあさんにとって 今の世の中には 理解できないものや不思議なもの
不思議なことにあふれている。

よくよく 噛んで含めるように説明してもらわないと 「ヘウレーカ!」 とは叫べない。





昨日 去年の暮れからずっと行っていなかった美容院へ行ってきた。

そろそろ白髪をそのまま見せるようにしていこう と 去年の秋に美容師と話して決めた。
でも いきなり それまでしていた白髪染めをやめてしまうとおかしいから 徐々に染める
色を薄くしていったほうがいいね と美容師と話した結果だった。

ところが 三ヶ月も放りっぱなしだったから 染めも取れパーマッ気もなくなって伸び放題の
状態になり 髪がパサパサなうえに いかにも見苦しい有様になっていて 自分でも
鏡を見るのさえ嫌になってきた。

それで ようやく重い腰を上げて行ってきたわけだ。

やっぱり ただの白髪のままとは違って 毛先にだけ薄いグレーをかけ ゆるくパーマを
かけて髪も短くすると 感じが違って 気持ちまでシャンとするような気がする。

もう本格的な春はそこまで来ている。
頭にも これで春が来た。
これなら いつでも何処へでも出かけられるだろう。

「髪がしら」 とはよく言ったものだ。
髪さえ整っていれば どんな時でも安心できる。

どれだけお婆さんになっても 身だしなみと少しの洒落心は大切だと あらためて思う。

気持ちまで華やいだ気になるのは 若くても年老いても 女だからだろうか。

ただ その華やぎは さすがにこの歳だから にび色を帯びているとは思うが・・・。  

昨夜 十二時ちょうどに時計の針が来た頃 夫の携帯に着信の音がけたたましく鳴った。
それも メールの着信ではなく通話の着信音だったから 何事か? と驚いた。

こんな深夜にかかってくる電話は 固定電話であれ携帯電話であれ
ろくなことではない。

まさか 子ども達や孫達に何かあったのでは? 高齢の叔父や叔母に何か? と
とっさに思い浮かぶことは そんなことばかりだ。

夫が出てみると なんと それは夫の勤務先からの電話だった。

そばで聞いていると どうも深刻な用件らしい。
そりゃあそうだろう だからこそ このような深夜にかかってきたのだから。

夫は 「それじゃあ今からすぐに行きますから」 と言って電話を切り 着替え始めた。

そして着替えながら言うには 勤務先の非常ベルが三十分ぐらい前から鳴り出し
それがずっと鳴りっぱなしで 近隣の家からの通報で 消防が来ているとのこと。

それを聞いた私は 泥棒でも入ったのか と一瞬思ったが 二時間ほどして帰宅した
夫の話では そうではなかった。

その非常ベルは園舎が建った時に設置されたもので 古くなったがために誤作動する
ようになり 昨日の朝も 同じようなことがあった と言うのだ。
それで早速業者を呼び 直したはずだったのが また同じように誤って作動してしまい
結果 真夜中というのに 大勢の人に迷惑をかける羽目になってしまったのだという。

夫より早く着いていた関係者は 「何百万かかったって新しい物に変えなきゃダメよ!」 と
言ってみえたらしいが 使用人の身であれば それをする権限があるわけでなし
どうすることもできないことだ。
それを考えるのは経営者しかいない。

それにしても 大切だが普段は使わない非常ベルでも 経年で壊れるものだとは
思ってもみなかった。

オオカミ少年のたとえのようにならないためにも 早急に付け替えてもらわねば
信用問題にまでなりかねない 昨夜の大騒動だった。


 

一昨日 久しぶりに友人からの電話で長話をした。

彼女とは小学校の一年生からのかかわりで 付き合いは六十年以上になるから
親よりも長い付き合いをしていることになる。

その間 消息のやり取りが薄くなった時期もあったが それでも 手紙のやり取りだけは
途絶えることがなかった。

そして 不思議なことに 年齢を経るごとに付き合いの密度が濃くなっていく。

そんな間柄だからだろうか
彼女の考え方や思考の方向性が かんぐらなくても手に取るように分かるようになってきた。

一昨日電話で話していたときにも 彼女の心の内を ピタッツと言い当てた事柄があった。
まるで 占い師が言い当てるように そのものズバリと言い当てた。

それを言い当てると さすがに彼女の驚きようは半端ではなかったが なぜか私には
分かってしまったのだから仕方がない。

それは おそらく 彼女の性格を 長い年月をかけて知り尽くすまでになってきたからだろう。

ひょっとしたら 客観的に冷静に考えたり観察したりできる分 自分の心の中より よく理解
できているからなのかもしれない。
事実 一昨日の件については 私の中では 確信めいたものがあった。

でも 電話を終えてから思った。
果たして 私自身 偽りのない自身の心の内をこれほどまでに分かっているだろうか・・・ 








昨日 去年の暮れからずっと行っていなかった美容院へ行こう と予約の電話を入れた。

すると 電話に出た聞き覚えのある声の若い美容師が

「ごめんなさい 申し訳ないんですが このところお店を閉めているんです。それで予約を
していただけないんです。」

と 沈んだ調子で言うではないか。

何があったのか・・・ひょっとして 店長の奥さんの長く病んでみえるお父さんの容態が悪く
なったのか・・・

と思い そう聞いてみると なんと 店長の弟さんが突然亡くなり 知らせを受けた店長夫妻
は 慌てて駆けつけたのだ と 語った。
前夜休むまではなんともなかったのに 朝になって弟さんの奥さんが気がついた時には
すでに布団の中で冷たくなっていたのだそうだ。

店長は もうずいぶん前に片親だったお母さんを亡くしてみえた。
そして今 たった一人の身内だった弟までもを 亡くされたことになる。

弟さんはまだ若く 二人の女のお子さんも まだ小学生と幼稚園児だ。

親しく交流があったわけではないが それでも彼の仕事だった精肉業のほうで 何度か
御世話になり 我が家まで 注文したお肉を何度も届けてもらった。

店長の奥さんとは四十年来の付き合いだったから 店長と結婚してからも お互いに
遠い親戚のような気持ちで プライベートなことも話たり聞いたりしてきた。

だから 突然の訃報に驚いた。

弟さんが 高山市の繁華街で営んでいたお店を閉めてまで 大好きなお肉に関わる仕事を
したくて 飛騨市の奥の牧場へ 家族ともども移り住んだこと などの事情も 聞いていた。

その後 仕事が順調で 中東のドバイまで招聘されて 料理人としての腕前と肉質のよさを
絶賛されたことを聞いた時には 自分のことのように誇らしく思えた。

仕事も父親としても家族の柱としても これから というときの 突然の死だった。

日曜といい昨日といい 当たり前のことのように思っている日々の暮らしだが
一寸先には何が待っているか分からない ということを 思い知らされる。

まったくこの世の諸行無常を つくづく思わずにはいられない。

家にばかりいて なんら変わり映えのしない暮らしをしていても 時々は他出する。

そんな時 偶然 知り合いと顔を合わせることがあるが その折に立ち話などしていて
思いもかけないことを聞かされることがある。

この前の日曜日がそうだった。

息子に送ってもらいショッピングモールへ出かけて行った。
中にあるマッサージのお店を予約してあったので その時間に間に合うようにと
早めに出かけて 入り口で車から降ろしてもらいモール内へ入ったとたんに
腰や足をいためる前の五十代まで 仲良くしていた友人にバッタリ会った。

彼女は一人で買い物に来て用を済ませ帰ろうとするところだった。

同じ市内に住まっていても 車の運転さえもできなくなった私だったから 彼女を
含めた仲間とは それまで一緒に習い事をしたり季節ごとに集まっては料理をしたりと
楽しい時間を共有していたが 次第に離れ 年賀状のやり取りをするだけに
なってしまった。

久しぶりの偶然の出会いに彼女も話をしたかったらしく 「ちょっと座って話さない?」 と
言い 二人で近くにあったソファに腰掛けた。

互いの近況やらを話し仲間の友人たちの消息を聞いたりしているうちに 彼女の口から
一人の友人の思いがけない近況がもたらされた。

なんと 数年前から認知の症状が出始め 今では彼女の孫たちの年齢さえも分からなくなり
車の運転ができなくなってからは 自転車で近所へ出かけても帰り道が分からなくなる
有様なのだという。

その友人は書道の教室を持ったり民生委員をしたり 人柄もよく人望もあり 賢く穏やかな
女性だった。

思ってもいなかった彼女の語る言葉に 驚いて鳥肌が立ち声が出なかった。

仲間だった五人は くしくも同い年だったから 話題も悩みも共通するものがあって
気が合い 五十代の半ばごろまでは切れ切れにでも交流があったが 父の認知が次第に
進むに連れて会の集まりに出られなくなり 残念ながら私は自然に足が遠のいてしまった。

父が亡くなった後は 自分一人での他出ができなくなり 折々の集まりにも習い事にも
完全に参加できなくなってしまった。

それからは スーパーで出会ったりするか年賀状のやり取りでしか交流がなかったから
彼女の身の上にそのようなことが起きているとは・・・・・・ショックだった。

そうと知ると だからだったのか・・・・・・と納得できる出来事があった。
今年のお正月に届いた彼女からの年賀状が おかしかった・・・・・・。

賀状に押された干支の印が 「戌」 とあって どう意味を調べても 「いぬ」 としか読め
ないものだったのだ。

彼女ともあろう人が 思い込んでのうっかりミスだったのだろうか と思っていると 
数日後 改めての賀状が届いた。
どなたか周囲の方が間違いを指摘し 本人も驚いて慌てて改めて出し直したのだろう
と その時は自分なりに解釈していたのだった。

モールで出会った友人の話を聞いて 納得できた。
それと同時に なんで彼女がそんなに早くから認知症を発症してしまったのか 
あんなに賢くていい人が・・・
ご主人やお子さん方のことを考えると 心痛はいかばかりか・・・

胸がいっぱいになり 話を聞きながら 知らず知らず涙が流れていた。

なんと人の身の上とは無常なことか・・・・・・。

足腰をいためて不自由な暮らしに甘んじている私だが まだなんとか自分で考えたり
こうしてパソコンを打ったりできている。

病に あれはいい あれだったら困る との優劣はないが それでも 自分が自分で
なくなっていく辛さ 記憶がなくなり自分のしていることが把握できなくなっていく不安は
どれほど辛くて惨めに思えることか・・・・・・
認知が深くなる過程ほど辛いことはないだろう。

そんな状況にいる友人を想うと 心が痛んで 今も目頭が熱くなってくる。






二月の二十四日以来なにかにつけて頼りだったパソコンの画面までもが突然真っ暗になり                          壊れてしまった。

なので ずっと綴っていた日記のブログも書けなくていたから いつも読んでくれていた
友人たちからは「どうしたの」と 電話やメールをいただく始末だった。

いつ新しいパッドを買うか・・・ぐずぐず延ばしているが パソコンのディスプレイのほうが
早く新しい物が届いたので また当分はパソコンを使うことにした。

先月の二十四日以来 平々凡々の変わりない暮らしの中でも 多少の出来事はあった。

先月末には私の体調は回復したが したと思ったら今度は 夫が胃腸を壊してしまった。
こんなことは近年まずないことだったから ちょっと朧いてしまった。

何をおいても勤め第一の夫も さすがに腸の具合が悪くては欠勤せざるを得ず 三日
寝た。
息子の車で医者にかかりに行くにも たった五六分が大変な状態だった。
その間 おいしいおかゆを煮て食べさせることしか してあげられることもなく
ただただ 腸の回復を待つだけだった。

勤め先で園児に同じ症状の子が何人もいたらしいから 何らかの菌が入ったらしい。 

現在はすっかりよくなったが 我が家にしては ちょっとした出来事だった。

そして ブログを休んでいるうちに 孫の高校卒業があり 今日は孫が受験した大学の                          合格発表があった。

中学のときから とにかく英語が大の苦手だった孫は 高校でもやっぱり苦手科目だった
から どうしても英語が足を引っ張って 思っていた以上に点数が取れなかっらしい。

おまけに 孫が大学で学びたいことは極々狭い分野のことだったから それを学ぶための
学部を持つ大学も必然的に数が限られていたようだった。

自然 ここがダメならあそこ あそこがダメならあっちのほうがそっちの学部よりいい・・・
と 英語の出来具合で 二つ三つの学校を天秤にかけた結果 受けた大学に合格した。

本人はいたってのんびりで この一年の間緊張感のかけらも私たち夫婦に感じられなかっ
たから 孫のこととはいえ 内心やきもきしたものだった。

昨夜 さっそくお祝いを持って行ったら なんと本人も
「緊張感もなくて勉強もあんまりしなかったのに 受かってラッキーだった・・・」
と ボソッと独り言のように言うではないか。

さすがにこの言葉には息子夫婦も私たち夫婦もあきれてしまって 大笑いだった。

でもまあ 本人が言うように とにかく希望することが学べる大学に合格できて
本当によかった。