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「平成最後の日『に』」というより 「平成最後の日『だというのに』」と言う方が
私の場合 正しいだろう。

夫の車で大学病院へ行き いつもは玄関前で降ろしてもらうのを 今朝は 建物内に
設けられた身障者用の乗降場 まで車を入れてもらい 車椅子をそこまで待って来て
ボランティアの方に押してもらい 受付や麻酔科へ行った。

いつもなら杖をついて歩いて診察室に入るのを 車椅子で入ったものだから 医師も
「どうしたの⁉︎」と ビックリして 開口一番 大声で言われた。

状態など訳を話した後 レントゲン検査。
しかし 骨には変わりがなかった。
やはり この強烈極まりない痛みの元は 神経のようだ と 医師の説明。

この今の痛みを考えると 今まで何回となく繰り返して来た神経根ブロックではなく
癒着しているのは間違いないだろうから 背骨に沿ってカテーテルを入れ薬剤を注入
すると同時に今まで同様の神経根ブロックをする と言う方法の手術の方がいい と
思う とも話された。

ところが 手術しようにも手術室が五月いっぱい は空きがない 。
それに 血液サラサラの薬を飲んでいるので 最低手術前一週間は その薬を止めなけ
ればならない。

それで これからの一週間その薬をやめて 来週の火曜日に 処置室でできるだけの
簡易手術のようなものをして様子を観る ということになった。

そして 今使っている痛み止めをやめて 出たばかりのもっと強い新薬の痛み止めを
処方していただいた。
一日二回飲む薬だが 今まで新薬を処方されると 中には副作用が強くて辛くなる
ことが度々あったから 少し不安がある。

しかし そんなことは言っていられない。
とにかく 効くのであれば どんな薬であっても試してみる。

「平成最後の日」とあって 日本中が回顧と感謝と名残を惜しむムードいっぱいで
テレビなどどの局も関連の番組ばかりで 日本のあちこちではお祭りのように
盛り上がっているらしい。

なのに そんな記念すべき日なのに 私は思ってもいなかった最近にない痛みに
悩まされている。

平成も残り三時間半になった。

内にあっては 夫も私も父や母をおくり 子のうち二人が結婚し 彼らの連れ合いと
新たに誕生した四人の孫たちを家族に迎え 一家の中心として過ごしてきた 平成という
時代だった。

外にあっては 天変地異が繰り返し 人智をもってしても未だ解決の道すら得られないという
未曾有の大惨事までが引き起こされ 平安の中に一抹の危うさが感じられる時代へと変遷
してきた この平成であった。

新たに始まる「令和」の時代が どうか平和で喜びの多い時代でありますように。

戦争の足音など大きく聞こえることのない時代となりますように。

誰もが 明日への希望と生きる勇気を持てる そんな時代でありますように。


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とにかく痛い。

昨夜は あまりの痛さに 思い切って食後に飲む痛み止めを いつもの倍飲んで寝た。

麻酔科にかかり始めた頃には 一日に四回その都度飲んでいた分量だから大丈夫 と
自分に納得させて飲んだ。
そのおかげで 四、五時間は眠れた。

その後は痛みに起きてはウツラウツラの状態を繰り返し 前に飲んだ時刻から八時間経つのを
待ち 再度服用。
通常一日に飲む量の倍を半日で服用することになった。

おかげで痛みは鈍くなったが その分眠気が強くて 一日の大半知らず知らずに眠っていた。
本当は 連休中に帰省する娘家族を迎えるために 家の中の片付けなど しなければならない
諸々が山ほどあるから 寝ている場合ではないのに。

多分 神経根ブロックの効果が切れたのだと思う、それも劇的に。

明後日受診して医師に話さなければならないが 次回のブロックがいつになるか・・・・・・。

昨日 ランチ会の後美容院へ行って おおかた五時間近く座っていたことになった。

一日のうちに何件もの用事を入れるというのは 珍しいことではあったが
予定が決まった今月の初め頃は まだ調子が良かったから 大丈夫だろうと思った。

ところがここ数日前頃から おかしくなってきているかも と感じ始めた。
でも 昨日会った友人二人は毎日忙しくしている人たちだし 三人で会うのは一年ぶり
くらいだったから ここへきて私がキャンセルしては二人に申し訳ない とも思ったし
ランチくらい大丈夫だろう とも思った。
美容院も 四日に家族全員で古希を祝ってくれるというので どうしても行きたかった。

ランチは美味しかったし話も弾んで楽しかった。美容院でもそんなに腰の状態を気に
するほどではなかったのだ。

夕方には整形外科で テリボン注射をしリハビリに加えて 長い連休を控えているから
念のためにと思い 痛み止めの注射を腰にしてもらった。

なのに今日は朝から 背筋を伸ばして歩けないほど強烈に痛みが起こったきた。
一歩踏み出す毎に痛い。
そうなると当然のように左足にもくる。

私の痛がる様子を見て息子が 夫に言って 今日も夕食後 温泉に行くことにした。
ゆっくり温泉に浸かっている間は 確かに痛みは弱くて気持ち良かったが お湯から
上がると たちまち元の痛みがやってきた。

この痛み方は ひょっとしたら 神経根ブロック手術の効果が薄れてきているから
なのかもしれない。

三十日に大学病院へ行く予定だから その時 この痛みについて医師に話してみるつもりでいる。

なんとか連休中だけでも もたせたいのだが・・・・・・。


昔のことになるが一緒に積み立てして旅行に行っていた人から 最近連絡があった。
もう一人にも声をかけて久しぶりにランチでもどうか というお誘いだった。

そして昨日のお昼 誘ってくれた人が偶然見つけた新装開店したばかりの和食のお店
で 三人で会食した。

店内は木の香りがし どこもかしこも真新しくて 印象のいいお店だった。
出される料理はどれも小さな器に入っていて 薄味の加減がちょうどいい。
ゆったりした気分で時間をかけていただけ それでいて値はあまり高くない。

開店間もないというのに 次から次へ中高年の女性客たちが訪れる。
広告を出したわけではないのに 口コミやネットで評判が広まっているらしい。

長く会っていなかったから 誘ってくれた人の初めての孫さんが もう二十二歳にも
なってみえると聞き ビックリ。
美味しい食事と楽しい時間を 久しぶりに過ごせた。

私は たまたま同じ日に美容院の予約を入れていたので 帰る方向が同じ人に送って
もらい美容院へ行った。

ショートのグレイヘアーのままにする と決めてからは 手入れをしっかりしないと
だらしなく見えるので 以前よりも美容院へ行く間隔が短くなった。
でも その間隔だとて 普通の人が通う回数に比べるとかわいいものだ。
なにせ以前は 三ヶ月近くも行かなかったのだから 。

昨日は シャンプーするに連れて色味が落ち着いていくから と言われて抑えた感じの
薄い紫色に染めてもらった。

今まではアッシュだったから かなり感じが変わった。

髪を短くして少し色をかけた白髪のままにするようになって 不思議に鏡を見るのが
嫌でなくなった。

髪一つで気分が変わり 自身でも明るくなったような気がしている。

決しておしゃれではない私だが 髪が変わったことで ビビットな綺麗な色味の物を
どこかに加えるのもいいのでは と思ったりもしている。









なぜか一昨夜は気が立っていて なかなか寝つけなかった。
仕方なくベッドから出てリビングへ行き テレビをつけた。

すると 真夜中にもかかわらず 旅の番組が放送されていた。
旅の場所はベトナム。
画家の城戸真亜子が 最近では 若いベトナム人カップルにも人気だという
ハノイなどの都市へ高原野菜を育てて供給している 高地の「ダラット」という
町と周辺の地域を旅し訪れていた。

ダラットは ベトナムがフランスの統治下にあった時代 フランス人たちが
高級避暑地として開発、豪勢な別荘を建てて 暑い夏の間 優雅に涼しく過ごした
土地だった。
だから 町はどこかしらフランス風な瀟洒な建物や教会などが今もあり きれいな町
が映し出されていた。

最近は 朽ちかけ放置されていた建物を買い取り リフォームして再生させ住み着く
ヨーロッパ人も出てきているらしい。
それほど今もなおヨーロッパ人を惹きつける魅力的な町らしい。

ベトナム最後の皇帝も 自ら国創りをしようとして挫折し 果てにここに豪壮優美な
別荘を建て 過ごしたという。
だから 皇帝が楽しく快適に過ごすために作ったゴルフコースもあり 今もここを
訪れプレイするハイクラスのヨーロッパ人がいるようだ。

暑いベトナムには一般には生えない美しい松林があるこの地は ベトナム人の
新婚旅行先としても昨今大変人気があって 松林を背景に写真を撮り それを帰って
から皆んなに見せるのが最近のトレンドになっている ともナレーターが語っていた。

そこだけの独自の時間がゆったり流れているような そう見せるように作られた番組
だからなのだろうが ついつい引き込まれて最後までみた。

真面目で勤勉 明るくて前向きだという国民性も 日本人には馴染みやすそうだ。

貨幣価値からいっても 旅先としては魅力的な国だ。

美しい街並みや風景 風にアオザイの裾をなびかせて行き来する女性たち・・・
なだらかな高地で栽培されている一面緑の野菜畑・・・

観ているうちに もし行けるものなら ぜひ行ってみたい と思った。

もしアジア圏でどこかへ行ける とすれば 一番はベトナム と決めた。
もし行けるのなら・・・。


先日の雨の日 玄関先の軒下に置いてあるいくつかの花鉢を雨に当てようと 夫が
持ち上げたとき 長い長いムカデが鉢底についていたらしく 夫の足元に落ちた。

驚いた夫は「ワーッ」と大声をあげた瞬間に ムカデを見失ってしまったから大変!
体に着いていないか 足元から伝って上がって来てるのでは と思ったが それは
なかった。

大慌てで探すと いたいた!
すばやく足で踏みつけて なんとか成仏させた。
でも夫は「オイ どこかに連れ合いがいるはずだから 鉢を戻すときに気をつけないと
刺されるぞ」と 気を抜かない。

大人のムカデは 必ず二匹が番いで生活している。
夫婦で暮らしているのだ。

私はこのことを 去年か一昨年 初めて知った。
それは強烈な体験だった。

夫のように外に置いてあった小さな花鉢を持ち上げた途端 二十センチもあるムカデが
地面に落ちた。鉢底に隠れていたのだ。

ビックリして側にあった物で叩こうとした時 向こうからもの凄い速さで走って来る
もう一匹のムカデが目に入った。

その様子は 仲間か何か とにかくそのムカデにとって とっても大切な存在のムカデ
の災難に 取るものもとりあえず 猛スピードで駆けつけて来る という風に見えた。

足元に落ちたムカデより そのムカデの様子に驚いてしまった。

あとで夫から 大人のムカデは必ず番いでいる と教えられ またまた驚いた。
そして なるほど だからだったのか と 納得がいった。

連れ合いが 今 正に成仏させられそうになっているのだから あのムカデにしたら
この世の一大事に違いなかった。
だから 人間に例えたら 転げまろびつ一心不乱に連れ合いの元へ駆けつけた と
いうところだったのだろう。

その走って来る勢いに怖くなった私は もう夢中でそのムカデもやっつけた。

あのとき このことを夫に話したから 夫もしっかり覚えていて
「気をつけろよ、連れ合いの敵討ちをしようと狙って来るぞ〜!」
と 笑いながら でもちょっと本気で 私に言った。

昨日 夫は勤め帰りに 私は息子に送ってもらって 二人でマッサージにかかった。

カボチャを植える前の畑仕事を土日にした夫は 常にも増して肩こりが強くなり
私は 今月の上旬にした息子との旅の疲れがいつまでもとれなくて 腰痛も足痛も
出て おまけに体がだるくて倦怠感が強かった。

二人の体調の悪さのタイミングがちょうど合って 行くことになった。

夫も私も時々かかるので それぞれが「この人に」と前もって予約してあった人
に きっちり一時間半マッサージしてもらった。

二人ともが肩を主にお願いしてやってもらったので ずいぶん楽になった。

たまには こうして体のメンテナンスをしながら頑張って生きないと!と
しみじみ思う。

I さんに習って 二年以上前から 指でタッチして操作するパッドを使ってきたおかげで
どうすれば画面を動かせるかに馴れてきたからだろう。

感のような曖昧な具合でも こうするのでは こうすれば と思いながらスマホ画面に
触れると 思った通りに画面操作ができる。

まだまだ説明書は読まなくてはならないが このぶんでは夫より早くスマホに馴れ
られる気がする。

昨日のテレビの朝イチで スマホを使った詐欺を話題にして 予防法なども放送して
いたが 特にスマホの事がよくわからない中高年だけでなく 若い人でも引っかかる
くらい 手口が巧妙化しているらしい。

ちょっと触れるだけでどんなことでも瞬時に伝わってしまうから スマホはガラケイ
やガラホより ずっと危険性が増している。

恐ろしい世の中になった と思いつつも 便利な物だから 今の世の中では使わずには
暮らせない物にもなってしまっている。

自分なりに気をつけながら使わねば と番組を見て思った。

ガラケイからスマホへと変えたことはいいが 今まで指でタッチして操作することがなかった
夫は 付いている簡単な取り扱い説明書を読んで オイさっぱりわからんぞ と言って笑う。

私は とにかくパッドを使っていない間に入っているメールの処理や 改めてログインするための
パスワードなどを入れるのにかかっていて スマホの方にはかかれないでいる。

昔 パソコンが出てきた時 車の運転と同じで 習うより慣れろ だと言われたものだったが
このスマホも どうやら同じようなものらしい。

私は 明日あたりから ゆっくり使い方を覚えようと思っている。

夫も私も同じ機種だから お互いに加齢した頭でお互いを補い合って 使い方を覚えていくより
ない。
みんなが使っているものなのだから 夫と私だけが使えないなんてことはないだろうし。

とりあえずパッドの方は 使える状態になったのでひと段落 というところだ。

昨日 息子の勧めで 夫とともにショップへ行き 夫はガラケイからスマホへ
私はガラホからスマホへ そして新しくPadを購入した。

三件もの仕事だから 女性従業員が分かりやすい説明でテキパキと様々な処理
に当たってくれたものの それでも全ての手続きが終了してショップを出るまでに
五時間半もかかった。
データの移行などの時間に一時間を要したので その間にショップを出て用事を済ま
すことができたので助かった。

契約会社を変えるとどうなるか どれだけ値打ちになるか等 自分がスマホの機種を
変えた際に 息子が予め聞いてきてくれたので それならば と重い腰をあげた。

夫はまたガラケイにするかと思いきや どうせ新しくするのならスマホにする と言う
ので それなら私もガラホをスマホに と二人ともスマホに変えた。
そして私は それが目的だったiPadを購入した。

これで ようやくパッドで本が読める。
ここ数ヶ月は 息子のを借りて購入したり読んだりしていたが 何せ使い慣れない物
物なので 時々は夫のパソコンを使っていたが これだと画面が大き過ぎ かえって
読みづらかった。

パッドが新しくなったはいいが 届いているメールの多さには驚いた。
それも大方は 過去に買い物をしたショップからのものだったから 削除するのに
時間がかかり大変だった。

それでも こうして文章が書けるのは やっぱり嬉しい。
今までのより少し大きい物にしたので よけいに使いやすくなった。

ガラホからスマホへデータは移してもらったものの いただいたメールのうちで
大切だったメールが無くなってしまったから困った。
特に アドレスが変わったからと連絡してくださったメールを ガラホのうちに
書き替えておかなかったものだから しまった! と思っても後の祭り。

しばらく連絡をしていない I さん!申し訳ありませんが 一度連絡をいただけない
でしょうか。
こちらのナマカからのミスでごめんなさい🙏 宜しくお願いします🤲🤲

本のことだ。

ここ十年くらいは 日本の歴史時代劇にどっぷりはまってしまい 今だに抜け出せないでいる。
が そんな中でも そのずっと前から 歯切れのいい文体で描かれる人物の心理の深さや
人間への洞察力の揺るぎなさ などから 発表されるのは軽い大衆小説ばかりの作者ではあるが
とても気に入っているアメリカの女性作家がいる。

自らが何人もの子を産み育て孫があり 長く家庭生活を営んできただけに 小説の底に流れる
人間への目が母性的で 実に優しい。

大衆小説だから書かれているストーリーは純文学からは程遠いが 私はとても好きだ。

その作家の 私が最も好きで発売を待ち遠しく思いながら読み続けているシリーズが
なんと もう四十六巻にもなっている。

年に三、四回しか刊行されないシリーズだから 読み始めたのは五十代だった。
作者は私と同じ年代だから 作家自身ももう六十代後半か七十に手が届くくらいの年齢だろう。
にもかかわらず いまだに精力的に作品を発表している。


時代小説にはまる前には 日本の作家のものより英米の小説が面白くて 読む本のほとんどが
海外のものだった。
その中でもお気に入りの作家が何人かあって 日本で発売されるのを待ちかねては 買って読んだ。

そうこうするうちに日本の時代小説にはまっていったので 海外の小説からは遠ざかってしまった。
しかし この小説家のものだけは それも一つのシリーズに限っては 発売を待っては購入し
読み続けている。

作品は巻ごとに状況が変わるが その描き方や主人公が精神的に成長し円熟していく様子が
読んでいて飽きない。

日本の歴史時代小説にも 何十巻も発刊され続けられるものもあるが 私の大のお気に入りだった
シリーズでもここまで長くはなく 残念ながら終わってしまった。

だから これだけはどうか終わってしまわないように と願いながら読んでいるところだ。

これまでは 息子の病状を想って 会話の内容や言葉選びも 自分なりに かなり意識して
気を遣ってきた と思っている。

息子が帰って来てからおよそ半年が過ぎた。
日にちの経過とともにわずかずつでも快方に向かっている とは思うが 私自身が少し疲れ
てきている との自覚も 相反して感じている。

その証拠に 息子との会話の中で ちょっとした言い合いをするようになっている。

昨日 私は用があって外出し息子は自分の病院を受診したので その帰りに待ち合わせ
その後スーパーへ行った。
買い物をした後 息子が一袋私が一袋持って外へ出 息子が車のトランクを開けた。
息子は いつも車の後ろに保冷バックを入れている。

息子が下げている袋には 生ものや野菜が入っていた。
私のほうには 保冷の必要がないものばかりだった。
トランクを開けるなり息子が 「入れて!」と言う。 彼がそう言ったのは すぐそばにあった                         保冷バッグを指していると解ったので 瞬間 私は「えっ?」と思った。
彼が下げている袋こそ保冷バッグに入れるべきではないか という思いからだった。
私が下げている袋にあるのは調味料のびんやペットボトルばかりだ。

すると息子は 「なんで入れないの!早く入れてよ!!」 と怒ったように言いながら
私の手から袋を引っ張って ドッと保冷バッグに入れた。そしてその後 押し込むようにして
自分が持っていた袋をその上に置きふたをした。そして車を出し走り始めた。

家までの途中 息子が 「なんで入れないの!入れてって言ったのに!!」 と 先ほどの
事を蒸し返し始めた。
「 入れてって言えばそのバッグに入れるって解るやろ!! 」
黙っている私に 息子は繰り返し繰り返し同じことを言ってくる。

これまでの私なら 言い返すこともせず自分が考えていることも表に出さないでいたと思う。
息子の病気のためにはそのほうがいい と解っているからだ。

ところが昨日は そういう言い合いに嫌気が差して つい強い口調で
「 なぜ 『入れて』 という前に 『先に』って言葉を言わないの!!『先に入れて』 って
言ったら その後あなたがどうしたいのかどうするのかが解ってすぐに入れたのに 」
「 たった三語の 『先に』 を言うか言わないかで 自分の思いや考えが伝わらないの。
  一人よがりではコミニュケーションが成り立たないのよ! 」
「 言葉は他人と意思の疎通をはかる第一のツールなんだから 自分の考えを他人に
伝えたい解ってもらいたいと思うのなら そういう努力をしなさい! 」 

息子の 対人関係がうまくいかない理由は色々あるが 最大の原因は やはり
コミュ二ケーションが上手にとれないことだと思っている。
自分の思いが伝わらないから 相手に理解してもらえないから だからついつい
カッとなってしまう。 それも身近かにいる人や自分が心を許している人に対して。

そう解っているにもかかわらず 昨日の私は 一番口に出してぶっつけてはいけない事を
言ってしまった。

息子との同居が半年経って 互いに我が出てき始めたのかもしれない。

あんなこと言わなければよかった・・・という思いと でも本当のことだし・・・という思いとで
昨夜の私は 実に心が重かった。



 

今日は 今までにしたことのない失敗をした。

朝 夫の車でいつものように大学病院へ出かけた。
今日の予約患者数は千三百五十三人という玄関ホールの表示。

診察の後は 各診察室からつながっている処置室の治療台に横たわって 痛み止めの
トリガーをしていただくのを待つ。
今日の痛み止めは十四ヵ所 針がポイントにヒットすると 痛みも強いがその分効果がある
ような気がするから 我慢するより仕方がない。
その後 点滴。
血管が細くて出ない私は いつも手の甲からしか針を刺せないので血管痛がするために
ゆっくり時間をかけて液を落とす。

治療を終え 会計を済ませ処方箋をファックスで薬局へ送る。

こうして いつもと同じようにすべてを終え 夫に連絡するためにガラホをコロコロのバッグ
から取り出そうとした。

しかし 五ヵ所の外ポケットにも三ヵ所の内ポケットにも どこを探しても出てこない。
もちろん大きな本体にも入っていなかった。

なんと 家に置いて来てしまった。
バッグに入れるのを忘れてしまったのだ。

我ながら信じられない思いだった。
今まで大学病院へ来るのに 一度も忘れたことなどなかったのに・・・・・・

それに 夫の携帯番号を覚えていない ときている。
困ったことになった・・・連絡できない・・・

でも もう一度落ち着いて 本当に忘れて来たのかバッグの中を探そう・・・

そう思ってソファーに腰を下ろしてバッグを探っているうちに 
そういえば バスカード入れの中に 万が一のために 家族の連絡先と電話番号を書いて
入れていることを思い出した。

思い出せたおかげで 院内の公衆電話から夫に連絡できて ヤレヤレ。
無事 待ち合わせ場所で待ち合わせた時間に迎えに来てもらえた。

それにしても こんなにヒヤッとしたのは久しぶりだった。
連絡先を書いたものがなかったら どうなっていたことか・・・。

これも 悲しいかな 加齢のなせることなのか・・・
子ども帰りしてからはや十年 やっぱり私も歳をとってきている と 痛感させられた。

先週息子と墓参に行った後 帰宅するまでの間 私にしては普段よりとても多く歩いた。

三日間 息子とともに外出し行動したのは 息子を外へ連れ出し身体を動かすことをさせて
心身を一日でも早く健全にさせたいという思いが 裏にあってのことだった。

そんな思いは夫も同じだったから 夫は帰宅した私に 「ご苦労様」 と言ってくれた。
そんな言葉が出るほど 息子と行動をともにするには 気を遣い神経をつかう。
どこがどうというのではないが やはりどこかしら病んでいるのを感じているからだ。

若い息子と行動をともにするのは 足腰を病む私にとっては大変なことだが 十一月に
した神経根ブロックの効果が出ているときでないと絶対に無理なことなので 今回
息子が言い出した三日間の旅は その点では 時期的によかったといえる。

当然 一日動いた後 ひどく疲れたし強い痛みもあったが ホテルにあった温泉のおかげで 
驚くほど当日の疲れを翌日に持ち越すことなく動けたのはありがたかった。

それでも帰宅してみると やっぱり体は正直で 未だに体調が戻っていない。
今は息子の回復が第一という思いから 息子が 出かけたい と言い出せば無理でも一緒に
出かけたりするから よけいに私自身の回復が遅いのだとも分かっている。
でも なんとしても一日でも早く社会復帰させたのが正直な私たち夫婦の思いだ。

焦ってもしょうがないことは重々分かってはいるが それでも 子どもが社会の一員
として必要とされ働けるようになってくれるのは 親として当然の願いだろうと思う。

ただ 今の息子の状況を考えると 絶対にその思いを前面に出してはいけないことは
夫も私もよく分かっているつもりではいる。
先の見えない道を歩いているような頼りなげな心もとない思いを おそらく息子自身も
抱いているだろうから 親はどっしりと構えて ただ見守っていなければ・・・・・・

この反する二つの思いが 胸のうちでシーソーのように 常に行ったり来たりするような
そんな毎日を送っているのが 今の私だ。

県内の名のある百人を超える書道家たちの書道展が 隣市の図書館で開催されている。

今日は午後から雨になり畑仕事に出かけられないので 夫が 観にいこう と連れて行って
くれた。

亡母の弟の連れ合いが 県内ではそこそこ名のある書家で 全国区の書道展でも大きな
賞を受賞したことのある人なので 今まで県内で開催される書道展にはいつも出品してきた。

だから 今回の書展にも出品してみえるかもしれないから それを見たい というのが 夫の
目的だった。

夫は かつて前職にあったとき 折々に筆を持たなくてはならない事があって そんな時には
叔母の元へ教えをこいに伺い ずいぶん助けてもらっていた。
そんな経緯もあり 私が多少なりともかじっているので 観に行きたかったのだろう。

でも 残念なことに今回 叔母は出品していなかった。
先日かかってきた叔父からの電話で 高齢になった叔母は教室を閉じたがっているが
お弟子さんの中には 上を目指している方があるから なかなか思うようにはいかない
ようだと言っていたから もう大きな書展へ出品するのがおっくうになっているのかも
知れない。 

私が師事している先生もそうだが 華々しく書展などに出品することを是としない先生も
多くいらっしゃるから 今回出品してみえる先生方ばかりが力のある先生だという訳では
ない。

とはいえ 書展には 毎月いただくお手本を書いてみえる大先生方も出品してみえて
やはりその作品は堂々とした迫力があり力強いものだった。

雨が降って夫が行く気にならなかったら 自分では行けない書展だったから 今日は
久しぶりに大先生方の生の書を実際に拝見し鑑賞できてよかった。




息子は 最近では かなり元気を取り戻してきたように思う。

その証拠に 私が習字に出かける日は ほとんど息子が送り迎えしてくれている。

これまで体調の悪いときや天気の悪いときに習字に行くには タクシーを使っていた。
タクシー代も年を追うごとに値上がりして 最近では片道でもおよそ千四百円もしている。
だから 乗せて行ってもらえるようになってずいぶん助かるようになった。

週に 多い時には四回行く整形外科でのリハビリも 最近では息子の送迎に頼っている。

経済的な面だけでなく 歩いてバス停まで行きバスに乗ることをしなくていい分 足腰への
負担もかからないから 痛みもそれだけ和らいでいる。

それに 迎えに来てくれると そのまま薬局やスーパーへ行ってくれたりするから それも
ありがたい。

昨日も 習字が終わった後にモールまで行き そのあとリハビリへ連れて行ってもらった。

今日は今日とて 岐阜周辺の 集めるのが最後になっていた七福神の御朱印を頂きに
天気がいいから行こう という息子と一緒に隣の市へ出かけ ついでにもう一社へ廻り
御朱印をいただいて来た。

今日もこれまでも そしてこれからも 寺社での参拝で願うことは ただ一つのことだ・・・。

目的の寺社へ行き来する道路の周辺は 盛りを過ぎてはいるが まだまだきれいな桜が
あちこちに見られ 寺社の境内でも 桜の大木がはらはらと風に花びらを舞わせながら
枝枝には見事な花を咲かせていた。

こんな春の情景を味わえるのも 息子が連れて行ってくれるからこそで そうできるように
まで彼が元気になってきている証拠だと 助手席に座って 窓外を流れる景色を楽しんだ。

季節は春真っ只中 どうか 我が家の息子を そのうららかさとあたたかいぬくもりで癒して
いただけますように・・・。
 





八日は 行きにお墓へ寄り 持って行った掃除道具でお墓の周りをきれいにして
新しい水にお花を供え ろうそくと線香に火をつけて 息子と二人ぬかずんだ。

早くから体が不自由になってしまい 孫たちと言葉を交わすことさえ難しかった亡母だったが
それでも 我が家の三人の子ども達は 心の底から全身全霊で愛情を注いでくれた祖母を
こちらも身体と心と記憶でしっかり受けとめていたらしく どの子も 彼岸へ行った今もなお
慕っている。
祖父に対しても よく一緒になって遊んでもらったやどこかへみんなで出かけた際のことなどを
細かいことまで覚えている。

だから 今回の墓参も次男が行きたいと言い出し それに私を誘った形で実現したものだった
から お墓の掃除も息子がよくやってくれた。

無条件で可愛かった孫が お墓の世話をしてくれる姿を 二人は泉下で喜んでいただろう。

そして九日は 一日かけて寺社を巡り参拝し 御朱印をいただいた。

小さな城下町で寺社が一部地域にかたまって建っているが かといって歩いて回るのは
難しい。
巡りやすい場所に駐車しておいては 各寺社へと歩いた。

親戚の家が寺社が建つ辺りにあったし 学生時代に所属していた郷土研究の倶楽部では
市内の史跡を巡ったりしたので 何処にどのお寺があってそのお寺の由緒の云々なども
学んだはずだったが 半世紀以上も経つとそれもうろ覚えになってしまっていて さっぱり
役には建たなくなっていた。

だから今回 あらためて新鮮な気持ちで寺社巡りできたことは嬉しかった。

滞在最終日の昨日は 朝起きると外は本格的な雪降りの天気。
この様子では 最後に巡る予定にしていた郊外の二ヶ寺へは行けそうにない。
またの機会に残しておくことにして ホテルに一番近いお寺と神社へだけ参拝した。
それで 今回の旅のもう一つの目的は終了。

今回息子が予約していた宿は ビジネスホテルでありながら天然温泉があったおかげで
足腰の疲れを翌日に持ち越すことなく動けた。
体が悪い私のために息子がネットで調べて そのように配慮してくれたからこその宿だった。

それにしても 今日の雪には驚いた。
「春の淡雪」とは とても思えない振りようだったし おそらくはその雪が原因だったのか
高速道路は 事故のため全面通行止めで 帰りは一般道を走らざるを得なかった。

途中 なぜか南下するにしたがって積雪の量が多かったのには驚いた。

高山市内は桜の開花はまだまだ先の様子だったが その辺りは満開で 花の上に雪が
積もっている情景が珍しかった。
道路端の家々では 雪かきをする姿も見られた。

満開の桜の木々やこぶしの白く咲く間を走りながら 高速を走ったなら見られない情景を
見ることができて かえってよかったね と息子と話しながら帰って来た。

 

夫の車で外出した際に花屋に寄ってもらい 玄関先に置いている冬のままの花鉢を春の鉢
にするために 植え替える花のポットを十個ほど買って来てあった。

それを今日の午前中 夫に手伝ってもらって植え替えた。

ポット十個で九百円 という安価な花ばかりだが 春らしく黄色やピンク色の花を選んで
買ってきたから 寄せ植えした鉢に植わっていたハボタンやシクラメンを抜いて そこに
買って来ていた苗を 新しい土も加えて植えた。

それだけで鉢の雰囲気が一気に華やかになり 玄関の前が春の寄せ植えになった。

ついでに 何年か前に知人から分けていただいた鈴蘭を 少し大きな鉢に植え替えたり
長く花がつかないまま鉢だけは捨てないできたシンビジュウム二鉢も 買って来てあった
専用の用土で 一回り大きな鉢へ植え替えた。
なんとか来年こそは花を咲かせたい。

久しぶりに土や花の仕事をしたせいで ただ植え替えるだけで後の水遣りも鉢を動かす
のも みんな夫がやってくれたのに たったそれだけで もう腰が痛くなってしまった。

明日からの高山行きを楽しみにしている息子には 叱られるからこのことは内緒だ。

玄関を出るたびに目に入り 気になっていた寄せ植えの花の鉢に ようやく春が来た。


 


 

明日から 息子に連れて行ってもらい 実家のお墓参りに行く。

息子が言い出して計画してくれた。

温かくなり雪も消えたこのごろだし 春の祭りの前ならば観光客もまだ少ないだろう からと
明日から行くことになった。

お墓参りが第一の目的だが せっかく行くのだからゆっくり懐かしいあちこちを見てみたい
という息子の意向で 二泊する予定だ。

それも 親戚は私の叔父叔母も高齢だから泊めてもらうのは心苦しい と 駅前の安い宿を
自分で予約したらしい。

行程や宿など すべて息子しだいだから なんという宿に泊まるのかも知らされていない。
口出しせず息子の決めたままに動こう そのほうが彼のためにいい と思い わざと
連れて行ってもらう形にした。

だから お墓参り以外のことは 何処で何をするのか今のところ何も聞かないでいる。

ちょっとした小さな旅だが 息子と二人きりで一緒に過ごすのは初めてのことだ。
だから 旅の間どうなるか不安がないわけではないが でも それがかえって楽しみでも
ある。

明日の朝は朝が弱い息子のこと あまり早くの出発ではない。
明日から再び出勤する夫を見送った後 お墓に供える花を買いにスパーに寄ってから出発
するから と息子に言われている。

何日か夫は一人になるが そのうちの一晩は叔母と夕食をともにすることになっているから
夫一人での夕食は一晩だけになり 置いていく後ろめたさも軽くなった。 

行っている間の天気はあまりよくないらしいし気温も低くて寒いらしい。
厚手の下着も準備した。

どのような旅になるか・・・・

息子が私の実家のお墓参りに行くのは 何年ぶりになるだろう。

お墓の中では祖父母が 可愛くて仕方がなかった孫が来てくれる と知って
心待ちにしているだろう。

孫の今の状況を さぞかし心配して心を痛めているに違いない。

昨夜 テレビの「グレートトラバース」という 一人の登山家が日本の三百名山を 何回かに
分けて踏破するする番組を視た後 消さないでそのままにしていると 「深読み読書会」 と
いう番組が始まった。

数人のゲストが 一冊の本に対しての読後感想や考察を互いに語り合う それも独自の
視点で深く読み込んて意見や感想を述べ合う という番組だった。

本好きの私には 久しぶりに視る 好みの番組だった。
昨夜のテーマ本は 井上靖の 「敦煌」 だった。
ずいぶん昔に私も読んだ本だ。

ゲストたちの感想や独特の読み込み方と感想や考えのやり取りは 実に面白かった。
読んだ当時の私が若かったせいで気づかなかったり 思いが及ばなかったりした点が
あって それを互いに語り 最後に「敦煌」という小説を一つの同意できる大きな点へと
導いて着地させたのは見事だった。

視ている側も ゲストたちの中に混じってその場にいるような そんな気持ちにさせる番組
に作られていたから 単に小説を平面的に読解するのではない面白さがあった。

ここ何年も 平生は大衆小説と言われる時代物ばかりに取り付かれている私だが
こういう番組を視ると いわゆる「文学」への忘れていた興味も再び湧いて 心が
ちょっと動いてくる。

純文学の作者たちは 大衆小説の作者たちに比べると おうおうにして作品の発表数が
少ないし 作家もなかなか世に出てこない。
いわゆる芥川賞を取ったりノミネートされたりするような作家だ。

比べて 受賞するとしたら直木賞の部類の作家たちは とてつもなく多い。
この大衆小説の作家は 次から次へと出てきて また一人の作家が一年に何冊もの本
を出すから 読む側もそのスピードに追いつこうとすると 離れられなくなってしまうのだ。

まるで中毒のようになって時代物ばかり読み漁っているのは 何人もの作家の
いくつものシリーズだったり 新しく目に入った作家のものだったりで いい加減に
やめよう とは思いつつも あり地獄か底なし沼にはまったような そんな状態にいるのは
そのせいだ。

でも そんな私が今夜  「敦煌」の深読み会 を聞いてみて面白かったのだから 案外
吸引力に引っ張られる種は大きくて 自分でも気づかないどこかに そっと眠っているのか
も知れない。
そう思うと 時代物に傾倒するようになって以来あった少し後ろめたい気持ちが なんだか
薄れたようで ちょっと嬉しかった。


今すぐには戻れないにしても 毛色の違った分野の本へも興味を引かせる そんな番組
だった。


勇んで出かけて行ったものの まったくの釣果なし という結果で 夫と息子は帰ってきた。
                                                                                まだまだ水温が低い今の時期は とにかく釣れない時期なのだそうだ。
これは 夫や息子が 現地の人に聞いた話らしい。

二人が言うには その通り 近くで一緒に釣っていた人たちの誰もが まったく釣れなくて
空身だったらしい。

そこまで見事に釣れないとなると いさぎよくあきらめがついたものとみえて 二人は
持って行ったアイスボックスをいっぱいにするべく 現地のスーパーの鮮魚コーナーへ
直行したようだ。

結果 地区の湾で朝獲れたという イカやスズキ ハマチやアジなどを買って帰宅した。

一匹も釣れなかったにしては 二人ともが残念そうでもなく 買ってきた魚を
うまいうまいと 満足げに食べていた。

昨夜は 捕らぬたぬきの皮算用さながら 大量にイカが釣れたらどうする?
そうしたら近所に配って歩くか・・・アジがいっぱい獲れたら干物にしてもいいなあ などと
笑いながら 冗談なのか本気なのか分からない会話をしつつ 糸や仕掛けや針など
の準備に余念のない二人だったが そんな話をしたことなどなかったかのような 今夜の
父子だった。

あっけらかんとして刺身をパクつく二人の様子に 何かひとこと言ってやりたい気もしたが
それでも 息子の晴れやかな顔と あまりしょげてもいなさそうな夫を見ているうちに
ガソリンと時間だけをかけた一日になってしまったものの 二人の精神衛生には
おおいに役に立った一日になったのではないか・・・と思いなおした。

それに 二人が釣ったものではなくても 獲れたてで新鮮な魚をいただけたのだから
据え膳の私としては 何も文句はない。

そんなわけで 今夜の我が家の食卓は各種お刺身の盛り合わせで 豪華なものになった。

日が変わって夜明け前の四時ごろに 夫と息子が二人で海釣りに出かける。

徐々に元気が出てきている息子の様子を見て 春休み中の夫は 一緒に海釣りに
行かないか と息子に声をかけた。

いいよ と同意した息子は 昨日 細々とした道具をそろえるために 自分で釣り道具屋へ
出かけて行き 準備していた。

そして今日も 同じ釣り道具屋へ行くという夫に まだ買いたいものがある と言って
一緒に買いに行ってきた。

考えてみると 夫と次男が二人でどこかへ出かける など 今までなかったことだ。
息子が幼い頃でさえ 父親と二人だけで何かをしたりどこかへ行ったりしたことなど
私の記憶にはない。

目的の海に着くまで二時間半くらいかかる。
その往復や互いに釣り糸を垂れながら 初めて二人だけの時間を過ごすことになる。

車中 互いに隣に座りながら どんな会話をしながら行くのだろう。
どのような内容の会話をするにしろ 二人にとって とても貴重な時間になるだろうことは
確実なことだ。

家へ戻って来て療養するようになって以来 息子が 父親の思惑に気を遣ったりしている
のをずっと感じてきた。

お父さんもあなたが元気になることが第一なんだから何も余計なことを考える必要はない
と 折々にさりげなく伝えてきたが 今回の釣行が 息子にとっても夫にとっても 互いに
より親密に心を通わせられる機会になることを願っている。

そんな私にできることは 二人のためにおいしいおにぎりを作って送り出すことだけだ。





五月一日から始まる新しい元号が発表された。

「令和」 と表された色紙を入れた額を 官房長官が掲げられた瞬間 日本中が沸いた。

私観だが 若い年代の人ほど この新元号のことを まるで芸能人のことのように話題にし
発表された際にも 喜んだり騒いだりしている気がする。

これは「生前譲位」という二百年間なかった天皇代わりの仕方にも関係しているのだろう。

それに いまどきの若者には平和が当たり前の日本があって 七十年前の戦争や戦後の
社会などは遥か遠い遠いところの話になっていて 元号についても深い思いなどさらさら
なくて ただ お祭り気分で受け取り受け入れているように 私には思える。 

それと いまどきの若者にとって 自分たち世代には売り手市場になっている日本の
経済状況も 若年層に対する手厚い保障も 政府や政治を肯定し受動して生きる原因に
なっているのではないか。

このような風潮や社会の現状は 昔はこうだった と比べるようなものではなく また
比べてどうだ と 言えるような事でもない。
が マスコミを通して見られる各年代の新元号への思いや受け止め方には 確かに
違いがある と感じたのは私だけだろうか。