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今日は 三ヶ月会っていなかった友人と会った。

私は私で体調が悪かったり 彼女は彼女で家庭の事情だったり彼女自身の体調が悪かったり
会いたいという気持ちはつのっても なかなか会えなかった。

迎えに来てくれた彼女はいつもの彼女で 三ヶ月も会っていなかったことなどあっという間に
吹き飛んで 入ったパン喫茶で話し込み 十一時前から気づいたら午後一時半過ぎまでいた。

場所を変えてランチを と思っても おそらくはどのお店のランチの時間にもギリギリの時刻
になっているので 手っ取り早く入れる近場のお寿司屋へ行き お寿司のランチになった。

またここでも 食べたり話しているうちに午後三時を回ってしまい 慌ててお店を出た。

その後 二人でよく行く喫茶店に入り また話す話す よくこんなに話すことがあると思うほど
話し込み なんと時計は六時を過ぎるまで話していた。

彼女と会って話すとストレスがかからないから また百パーセント気を許して話せるから
こんなにも長く話していても その時間が短く感じるのだろう。

それに こんなに長い時間話していられたのは 痛み止めの新薬のおかげでもあった。

今朝は 強い副作用を案じてダリージェを一錠半にして他の薬と一緒に飲み 夫を送り出した後
一時間ほど寝た。

起きてみると 昨夜のようなことはない。
でも両足はひどく気持ちが悪く 強い締めつけるようなしびれがあり 特に左足の裏は鉄板を
貼りつけているような感覚が 相変わらずある。

しかし しかし 腰の痛みが劇的に緩和しているのも確かな事実。
そしてそれがずっと会っているうち中続いたからこそ こんなに長時間座っていられたのだ。

彼女は 私を見て 前に会ったときと比べて変わっていなくて顔色もいい と言ってくれたが
それは多分 腰の痛みが軽いから 顔つきや表情が明るかったからだろう。

痛みは 人格を変える と言われるほど 精神状態に強い影響を与える。

タリージェが腰の痛みをしっかり抑える とはいえ 副作用が強くて 体の他の部分が
ことに脳や血液の流れに悪い作用を与えては 残念だが 服用をやめざるを得なくなる。

今夜は一錠にしておいた。
それでも 頭が後ろへ引っ張られるようで 頭自体も重くて鈍痛がある。

このまま一錠だけでも服用し続けて大丈夫なものかどうか 血圧も少し高くなっている。

明後日 かかりつけの内科医院を受診して訳を説明し 相談するつもりでいる。

副作用さえなければ こんなによく効く薬なのに 本当に残念だ。


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昨日はまた大学病院受診。

予約患者数千三百七十一人。
相も変わらず すごい数だ。

その中の一人になって診察を受けた。

来月十二日に予約してある神経根ブロックの話と その後の様子を観てのことに
なる 次の手段としての機器を体内に埋め込む療法について 詳しい説明があった。

現在ではこの 機器を体内に埋め込んで 外部からそれをコントロールして
背骨に信号を送り 脳が出す痛みの神経を緩和させる という療法が 痛みについての
最高のものらしい。

実際 長年強い痛みに苦しんできた人が この療法によって痛みがとても緩和された
という実例集の冊子も頂いて来た。

考える余地がある ということだ。

しかしは 当面の痛みを緩和することが第一で 前々回から処方されている新薬の
痛み止めを倍増して 今まで処方されてきた薬とともに服薬することに。

ところが 一錠だった時は良かったが昨夜二錠飲むと てきめんに副作用が!
しかし 強いだけあって 痛みは確実に軽減された。
が 腰の痛みには確かに効いているが その反面 左足の痺れと締め付けるような
感じと重だるい感覚がものすごい。

とはいえ 痛みが軽くなると ほんとうに楽になる。

副作用をできる限り耐えて痛みを緩和するか 飲まないで痛みを我慢するか。

痛み止めは脳の薬と言ってもいいくらい脳を刺激するから これほどの副作用が
起きる薬は 正直言ってこわい。

効き目は弱くても 朝からは また一錠だけを服用することにして 来週の受診の
時に 医師に説明することにする。

どうして処方される新薬が どれも私の体に合わないのか。

まったく 人生の後半を 痛みの中で送れ とばかりの在りようにうんざりする。


昨夜 深夜バスに乗って 息子が姉の海端の家へ旅に出た。

当初 私も一緒に行く予定を立てていたが この体調不良ではとても行けそうもなく
どうしたものか と思っていたら 一人で行って来る と言い出した。

一人で行けるのならそんないいことはない。
まさか彼が 一人でも行ってくる と言い出すとは と驚きながら それだけ回復してきて
いるのだ とも思え とても嬉しかった。

本当にここ最近は めざましく回復の方向へ向かっているように見受ける。

でも まだまだ夜は眠れないで 医師の処方薬が手放せないでいるから 完治への道のりは
遠い と思っている。

この病は 周囲の とりわけ家族の理解が重要だというから 夫もとうに腹をくくって
気長にするよりない と言っているし 息子に対する態度も その言葉通り 彼を刺激する
ような言葉や会話は 決してしない。
もちろん私も 時には 子供の頃の話をしたりして 会話や言葉がけにも気を配っている。

「あなたは私たちにとって 大切な存在である」ことを 感じさせたり思わせたりし
「あなたがこの世に存在していることそのものに意味や意義がある」と 彼が芯から
思い納得して 人生の一歩を踏み出す勇気を持てるよう 日々暮らしている。

かといって 特別視もしていないし 我が家の次男として産まれてきてからずっと
そうだったように 自然に接しているだけだ。

笑うことも多くなってきたし 顔つきも 以前のように穏やかな表情になってきている。

自分から調べて計画し 予約すべきことを予約済みにして 彼は出かけて行った。

どうか 旅の途中でトラブルやアクシデントが起きませんよう。

楽しかった と 笑顔で帰って来ますように と 祈っている。

鮭は川で産まれ大海原へと乗り出して行く そしてまた産まれた川へと帰って行く。

鮭だけではない。
イワナやヤマメ 淡水魚の代表のような鮎でさえ いっとき遡上し また川へ帰って行く。

それも 必ず産まれた川へ。

生まれた場所へ帰るのは ミツバチや蟻 ツバメもそうだ。
ツバメだけでなく 渡り鳥の多くは自分の前年の繁殖地に戻って来るらしい。

アホウドリやミズナギドリなどの海鳥 アザラシやオットセイなども 必ず繁殖地へと
戻っている。
ペンギンの類も そんな過酷な環境で繁殖しなくてもいいのに と思えるような繁殖地でも
必ず 翌年には繁殖地 生まれた土地へと帰っている。

これは「帰巣本能」 と 大きくまとめた言い方で呼ばれる。

さて では 人はどうだろう。

帰りたい気持ちはあっても それは様々な事情や条件が絡みあって 難しいのが現実だ。

その証拠に どのジャンルの歌にも 故郷を歌った歌や恋しがる唄 思いを馳せる唄が
たくさんある。

何故こんなことを書いたかというと 人生の最期を迎えた人が 自分の命の短さを悟ったのだろう
「故郷に帰りたい」と か細い声で訴えたそうな。

そのことを聞いた時 何故かしら涙がこみ上げてきた。見ず知らずの人の話なのにだ。

涙の理由をつきつめてみると おそらく 私の中にも帰巣本能のようなものがあって その最期を
迎えた人の言葉が 私の本能を刺激してのことに違いない。

海で暮らすものも川で暮らすものも 陸で暮らすものも 生き物の殆ど皆んなが 故郷へ帰る本能
故郷へ帰りたい気持ちを持っているらしい。

「生まれた場所へ帰って行く」ことを これほど大きく考えたことは 今までなかった。

「生まれた場所」とは それほど生き物にとって大切な意味のある場所なのだと知った。

では 「生まれた場所」 というものが 人間の私にとって 自身が思っている範疇を超えた
もっと何か意味のあるものなのだということか・・・・・・。














今日は お昼近くから 週末から娘宅の七里ガ浜や東京へ出かける息子の衣類を買いに
出かけた。

葬儀の後 昨日までほとんどベッドで過ごしていた。

痛みが結構な強度であるが かばって寝てばかりいると 筋力が次第になくなっていくのを
感じる。
だから 痛みがあっても コルセットを着けてでも歩かなければ と思って一緒に出かけた。

それに 一人旅をしよう と思えるまで回復した息子だが まだまだ治療中の身。
買い物くらい一人で大丈夫だろう とは思っても 食料品も買いたかったし 同行した。

紳士服の売り場をあちこち回って 彼が これがいい という服を数枚買った。

靴も欲しいと言うので 靴売り場を見たが 気に入った靴がなかった。

それで モールを出て 単独の靴店へ行った。

色々手に取って見たり試し履きしてみたりした結果 気に入った靴があった。
彼が思っていたのよりかなり高かったが 長歩きしても足のくたびれがない良い作りの
靴だったし 長く履ける靴だし キチンと感もあって良い靴だと思ったので
それくらいなら買ってあげるわ と私が払って買った。

家へ帰って来て療養を始めてから 自分から 買い物に行きたい と言い出すこともなかった
息子だったから 言い出した時は 内心 涙が出るほど嬉しかった。
少しずつ少しずつ回復している証拠だ。

観るに 急速に回復しているように思える。
今度の七里ガ浜行きも その最たる者だ。

彼なりに考えて 夜行バスで横浜まで行くという。
自分であれこれネットで調べて 自発的に行動したい と思えるまでになっている。

だから ちょっと高くても靴を買ってあげるくらいなんでもない。

金曜の夜に出発する予定でいる。

笑って 喜んで送り出したい と思っている。

帰宅後 先週の金曜は 葬儀で行けなかったので テリボン注射をしてもらいに
整形外科へ。

医師は 長丁場なのだから 打つ間隔を 神経質に考えないでいい と言って
くださるので 気持ちが楽になる。

昨日の今日は さすがにしんどい。
正直言ってこんなに応えるとは思っていなかった。

出棺を見送るだけで失礼して来てよかった。
本当は 斎場まで行きお骨あげをし そのあと葬儀場へ戻って 初7日と四十九日の法要
その後の精進落とし とあったところを お見送りだけで失礼する と 従兄弟には伝えて
おいたから よかった。

昨夜は 釣りに出かける主人のおにぎりを作っておいて早く休んだが 夫が三時に起きて
出かける時には 気配で目が覚めて 見送った。
その後なかなか寝付けなくて とうとう六時にはベッドを出て 洗濯機を回し花の手入れや
玄関先の掃除など コソコソと動いた後 ヤレヤレヤレと時計を見ると九時半を過ぎたところ。
それなら と急に思って かかりつけ医院へタクシーを呼んで行った。

昨日帰宅後から 何だか頭の中がボーンとしていて ふらつく感覚があったから 心配だったのだ。

頭のCTを撮ったが 血管は何ともなかった。
それでも 頭部内の圧を下げる点滴をし 薬も処方してもらった。

本当は 生家のある市の病院へ入院したという 別の叔母の状況を昨日聞いたので お見舞いに
行かなくてはならないのだ。

帰り際に その市から来ていた別の従兄弟が こそっと耳元で 次は近いよ と私に言った。

だから まだ大丈夫なうちに 行って会って来なければならないのだ。
叔母は父の弟の奥さんだ。
この二月から施設に入っていて 具合が悪くなって救急車で病院に運ばれたらしい。
まだ意識はあるから 顔は分かるらしい。

春に御墓参りに行った際には どこの親戚にも寄らずに帰って来た。 意識のあるうちに 会っておかねば・・・・・・。

本当にこの体が恨めしい。

(どうしてこんな痛みに見舞われなくてはならなかったのだろうか・・・・・・)

いつもはそんな思いを沈めているが 動きたい時動かねばならない時に 自由に動けないことを
どうしても嘆いてしまう私だ。

叔母の葬儀は 従兄弟から 「家族葬だから」と言われていたが 彼の二人の姉妹と それぞれの
連れ合い そして彼らの子供たちとそのまた子供たち それに 従兄弟として連絡をくれた三人と
私と一緒に行った叔母 それだけで 集まった人がなんと四十人にもなった。
孫もだが 亡くなった叔母からするとひ孫がたくさんだったからだ。

喪主を務めた従兄弟には 三人の子に 計八人もの孫があった。
あまり幸せとは言えない幼少期を送った従兄弟だったが いい連れ合いに巡り合い いい子供たち
とたくさんの孫に囲まれて 実に堅実で柔らかく暖かで 優しい愛情が通い合っている家庭の主人
になっている。

その従兄弟が喪主になって 叔母を逝った。

葬儀の最後に 棺の蓋を取り 参列者みんなで棺を囲み お花を入れる時が来た。
葬儀会場の司会進行した女性が 従兄弟と彼の姉に 「どんなお母様でしたか?」と優しい声で
問うた。
二人は「山あり谷ありの人生を頑張って生きてきた人だった」「苦労の多い人生だった」と
言葉短く答えた。
孫たちにも 同じように問うと「厳しい人だった」と誰かが答えた。
ひ孫たちにも問うと 彼らは「・・・・・・ 」と 二十歳を筆頭にみんな無言だった。

その時になって 私ははたと思い至った。
答えられないのも最もで ひ孫たちが生まれ育った今日までの期間のほとんどを 叔母は
施設で過ごしてきたからだ。
だから 中学生のひ孫は「今日初めて顔を見た」と小さな声で 私の隣でつぶやいていた。

そうなのだ。
たくさんのひ孫があっても 元気でいなければ その彼らの存在さえ知らずに 顔も見ないで
逝ってしまわなければならない。
体はどれだけ悪くなっても 頭だけはハッキリして老いていかないと・・・・・・。

九十七歳で逝った叔母だったが 七十代で認知が出 グループホームに入所。
以来 施設をいくつか変わり 最後の短い期間 九十七歳の最期を病院にいて逝った。

私から見た叔母は 自分だけの幸せを求めて自由奔放に生きた人だった。
行動も言葉も そこから生まれるものだった。

父もそうだったが叔母も 最後は認知になって 過去のことはすべて忘れて生きた。
認知は 周囲の者は大変な思いをするが 本人にとっては 一番楽な生き方なのかもしれない。

そんなことまでをも思わせる 叔母の葬儀だった。

逝った顔は 一つ上で仲の良かった私の父に 実によく似ていた。

今ごろは 早くに亡くなった母親と 父親やたくさんの兄妹が待つ処へ行くべく
現世での子供たちやそれにつながる孫やひ孫の幸せを祈りながら 巡っていることだろう。

叔母さん あの世で私の父母に会ったなら **子は幸せに暮らしていたよ と伝えてくださいね。

夕方 また事業者の男性が 私の実情に合いそうな しかもレンタルできる車椅子を
持って訪れてくれた。

昨日のより多少狭めで 背や座面に少しクッション性のある機種だった。
それにマットを敷いて座ると 背面の痛みも緩和され 私には合っている機種だと思った。

実際に家の中を車椅子で動いてみると どこへでもスムーズに行けた。

私にぴったりの 座り心地も背のもたれ具合もいい車椅子で 何だか子供みたいに嬉しい。
久しくこんな気持ちを味わったことがなかった。
嬉しくて 家の中を リビングからキッチン キッチンから洗面所 洗面所から玄関やトイレ
そしてまたリビングへと 何度もクルクル回ってみた。
快適 快適!

これを一週間お試しで借りられる。
その後 不具合があれば 他の機種に変えてもらうなりできる。
ありがたいことだと思う。

それにしても 昨日持って来てくれた機種といい今日のといい 新品ばかりだ。
包装を解いて試乗した物は そのあとどうするのだろう。

ちょっと気になる。

今朝7時に 近くの市に住んでいる従兄弟から電話があった。

寝たきりで施設にいた彼の母親が 日付が変わった頃亡くなった という。

父は九人兄妹だったらしいが 私が生まれた頃には 六人だった。
電話をもらった従兄弟の母親は 父とは年子にあたる叔母だ。
そして 寝たきりとはいえ 最後に残った たった一人の父方の叔母だった。

従兄弟は 幼い頃に母親と別れ 父たちの実家である本家で育てられた。
だから 近所で一緒に遊んだり本家へ出入りしていた私は てっきり彼は
本家の子だとばかり思っていた。

だから中学になって 彼の苗字が 実は違って 別の苗字だと知った時は驚いた。

従兄弟は穏和で優しいが 内面では かなり複雑な感情を抱いて成長したのだろう。

彼が成人して家を建てた時 叔母は当然同居できるものと思っていたらしいが
彼は「親らしいことをしてくれたことがあるか」と言って同居を拒否した。

以来 叔母は 彼の姉の家で 認知になるまで暮らしていた。
施設に入っていたが次第に体力が衰えて 最後は病院で亡くなった。

その間の長い年月 従兄弟は定期的に施設の叔母を見舞ってきた。
一度は拒否した母親だったが 優しい彼は見捨てることをしなかった。
実に立派は人間だと思う。

あまり交流のなかった叔母だが 従兄弟のために 明日は葬儀に出よう。
施設に入るまでは姉の家で暮らした母親を 従兄弟は明日 喪主として
おくる。
そんな彼のために 明日は出棺を見送って帰ろうと思っている。

昨日 麻酔科にかかり痛み止めを倍増してもらった。
そして 介護認定を申請する際の 意見書を書いてもらうようお願いした。
医師は 快く引き受けてくださった。

また今回もダメかもしれないが 申請してみなければ事は進まない。
前回は 医師に意見書を書いてもらう以前に センターから 無理 と判断され
てしまったが それに比べたら今回は 多少の望みが持てる。

そして今日の夕方近く 業者が 車椅子を持って来てくれた。

事情を予め伝えてあったので 腰の下に敷くように かなり分厚い低反発のマットも
持って来てくれた。
レンタル用の機種は限られている と言い カタログで選んでいた機種は レンタルできない
とのこと。
安価で借りるのだから やむを得ない。

それでも 持って来てくれた車椅子にマットを敷いて座ると 座り心地はいい。
しかし 腰椎が当たる背面の痛みには対応していない。

それを話すと 明日また別の機種と 座面から背面までつながっているマットを持ってくる
から 試してほしい と言って帰って行った。

選んでおいた機種が使えない と分かって ちょっとガッカリ。

明日持って来てくれる機種の具合はどうだろろう。

楽しみなような 車椅子を使うことは それだけ状態が悪い ということだから
手放しでは期待出来ないような 複雑な心境ではある。 続きを読む

先週の金曜日に 包括センターへ電話して 車椅子のレンタルができないか 聞いた。

そして今日 以前に介護認定の件で家へ来てくれたセンターの方が訪ねて下さった。

結果 再度介護認定の申請をしてみることになった。

車椅子のレンタルは 実費であれば 認定とは関係なくいつでも出来る とのことで
水曜日に業者が来てくれることになった。

三百六十五日いつでも車椅子を使いたい というのではないが 今回のように
痛みが強くて身動きが困難な時には 屋内だけでも車椅子があると助かる。

実費でも 月に数千円の費用でレンタルできるようだから 私の体の状態に合った
車椅子があれば お願いしようと思っている。

もちろん認定されると 利用料金は十分の一になるから できればその方がいい
に決まっている。 でも 今日来てくれた人は 前回も軽い感じで
大丈夫なようなことを言っておいて 実際はダメだった。
だから 今回もあまり期待していない。

とにかく 痛みがあっても家の中で動けるようにしたいから そのために車椅子
が常時 手元にあれば便利なのではないか そう思ってのことだ。

さすがに これだけ熱が下がらないと 痛みもだが 体全体がだるい。

食欲もなくなっている。

何でもいいから食べなければ 力がつかない と言って 夫が 菓子パンやらヨーグルトやらを
いくつもの種類買って来てくれたが それらが目の前に山積みされても 食べる気が
起こらない。

せっかく買って来てくれたのだから と そのうちのヨーグルト一つを やっと食べた。

夫は 感染症を起こしているのではないか と言うが 背骨に痛み止めを打って処置すると
毎回このようになるから 今回も多分同じなのだろう と思っている。

来週火曜には また大学病院だから まだ熱が下がらないようなら 何らかの処置を
してもらえるだろう。

せっかく熱が下がって その分だけでも体が楽になったのに 今日はまた上がって
夕方測ってみたら八度三分あった。

朝方は感じなかったのに 午後からなんとなく熱っぽくてだるかった。

それでも 整形外科でのテリボン注射を 連休中はしていなかったから あまり時を
おきたくなかったので 夕方行って 腰への痛み止めも一緒に注射してもらった。

昨日夫がかかったので 医師に私の状況を話してもらっておいた。
だから医師は 無理して来なくても良かったのに と言われたが 毎週金曜日 という
決まった曜日を崩したくなかったし 連休があって間隔が空いたので気になって と
応えておいた。

実際 コルセットを着けて行っているし 話を夫から聞いてあったので
硬膜外ブロックは感染症が起こる場合があるからねェ と ひょっとしてそうかも
と 匂わされた。

ブロックでなくても これまで深い治療をする度に高熱が出ているから 今回も
そうなのだろう と 自分では思っている。

とにかく熱だけでも出なくなって 痛みだけにならないと。

今朝になって熱は下がり 七度五分になった。

でも あいも変わらず強い痛みは居続けで 歩くのでさえ難しい。
お手洗いにだけは どうしても動かなくてはならないから困る。
かといって ベッドに横になっているだけでも痛いのだから どうしようもない。

ありがたいことに 何度も私のこういう状況を経験して来た夫なので 理解してくれ
痛みに耐えていることも 横になっているより仕方のないことも それでも痛いことも
すべて分かってくれている。

だから 熱が高い と知ると 水枕に氷を入れタオルで巻いて 頭の下にあてがってくれ
食事も私をあてにせず 自分で何かしら準備して食べている。
食欲がなくなっている私には プリンやヨーグルトなどを買って来てくれるし 黙って
洗濯もしてくれる。
実によくやってくれる。
申し訳ないと思うし 本当にありがたいと思う。

この分では明日も動けないだろう。

残念だが 習字を休む旨 朝になったら連絡しなくては。

遠い所の大学へ入学した孫は 連休中の何日か帰省し 私の古希も一緒に祝ってくれた。

この孫は 実に邪気がなく素直で優しい。
その性格が そのまま顔にあらわれている。

それ故に 最近 笑い転げるエピソードが二件もあった。

彼女が母親と一緒にアパート探しに現地へ行った時のこと。

いくつか回った結果 気に入った部屋があり そこに決めた。
早速二人で 近くにあるスーパーへどんな商品が並んでいるか見に行った。
スーパーの中を見て歩き 鮮魚コーナーで足を止めた。
母親が海辺育ちのためか 魚が大好きな孫だ。

魚が載った台を二人で見ていると 中から おばさん従業員が出て来て 孫に
「お嬢ちゃんいくつ?三年生?四年生?今日は学校休みなの?」
と 聞いて来たらしい。

大学生になる歳だというのに ナント 十才くらいに見られたらしい!
その言葉に驚きながらも 嫁がすかさず
「今年から大学生なんですよ。これからお世話になるかと思いますがよろしく
お願いします。」
と応えた という。

孫はその後で 「昨日 美容院に行って来たばかりなのにね〜」と つぶやいたそうな。

この事を 嫁が帰って来てから聞いて 大笑いも大笑い!

幼く見えるとは思っていたが まさか小学生に間違われるとは!

まさかのことに 夫は
「いくらなんでも小学校の三年生や四年生ではないだろう 大学の三年生か四年生だと
思われたんじゃあないかぁ」
と 笑いながらも言っていた。

ところが 疑っていた夫の目の前で またまた同じ様な事が起きた。

体調が悪い私を除いて 先月末 みんなでおちょぼ稲荷へ出かけた。
その時のことだ。

みんな一緒になって食べ歩きしていた時 路上で宣伝のための缶ビールを配っていた。
通る人通る人に手渡ししていた人が 夫や息子 嫁にも渡し 中学三年になった孫にまでも
配ってくれた。
ところが 家族の最後に並んでいた大学生になった孫の顔を見るなり
「子供はダメ!」
と言って くれなかった。

中学生の弟はもらえたのに 姉である彼女はもらえなかったのだ!
すかさず嫁が
「大学生です!」
と 言ったらしい。

この場面を目の当たりにした夫は 帰るなり
「やっぱり 本当だったわ!今日も子供に見られた!」
と 信じられない事が目の前で起こった様子を 笑いながら私に話して聞かせた。

私は聞いて またまた大笑い!

それほど邪気のない孫なのだ。

それが その小学生に見られる孫がだ!なんと居酒屋でバイトをするという!
それを 祝いの後の飲み会で聞いて またまたみんなで大笑い!

どこまでも楽しませてくれる孫だ。

今朝は 一番に診察室へ呼び込まれ 処方された痛み止めの新薬の効き目を確認。
まずは 副作用がなかったことと 痛みが少し緩和されたので 家族の集まりにも
なんとか出られたから嬉しかったことなどを話した。

でも新薬の痛み止めがなかったら とてもじゃないが耐えられなかった とも
話した。

結果 予定通り処置することに。

早速ベッドに横になり点滴が始まった。
いつもはサージカルテープで固定するだけのを 今回は手術するときのように
動かしても大丈夫なように しっかり頑丈に固定された。

人差し指には血中酸素を測る物を付け 片側の腕には器械につないだ血圧計が。

準備が整うと 横向きで背中を丸めた姿勢の背骨に 医師が麻酔を打った。

そうしておいて 神経が痛む元を探りながら 三ヶ所に深く麻酔を打ち それぞれに
深く針を刺して痛む場所を探りながら 背骨と神経が癒着している部分を剥がそうとした。

が それが痛い 痛い!
ベッドのガードを片手で握りしめてこらえるが とてもじゃない痛さに 自然に
「イタァ〜〜イ、‼️」
と 何度もその度に大きな声が出てしまう。

医師も「痛いねえ〜 ちょっと我慢してぇ」と言いながら針を動かすも 癒着がひどくて
途中から 針が入っていかない と医師が言いながらやっている。
看護師に動かないように足を押さえられながら 後の二カ所も同じように針を刺すが
やっぱりただ強烈極まりない痛みがあるだけで 癒着が強くて針が入らなかった。

看護師も「痛いねえ〜」となだめるように言いながら 痛みに反応して動こうとする足
を なでたり押さえたり。

どうやってもどのヶ所も癒着を剥がせないので医師は諦め 仕方なく 今度はお尻の方から
もっと長い針だったのだろうか その針で 痛む神経全体に広がるように 硬膜外ブロック
をした。

これだって麻酔を予め打ってからするのだが やっぱり痛い。
うなりながらやってもらう。

とにかく 痛い痛いの連続の治療だった。

ブロックの後は 打った周辺から足全体が麻痺していて感覚がない。

十年以上硬膜外ブロックをしていなかったが 前にした時に 下半身が弛緩して感覚が
ないので ベッドの上で失敗してしまったことがあった。

それ以来 ブロックをする時には看護師に話して 用心のために ベッドの上に大きな
シートを敷いてもらう。
今回も敷いてもらったが 幸い何事もなかった。

一時間半ほどベッドの上で安静にした後 まだ麻痺は相変わらずあったが ソロソロと
起きて ゆっくり気をつけながら処置室を出て 再び診察室へ。

医師から今日の処置や結果の説明。

手術室が空き次第 今日やったように 今度は本格的に癒着部分にカテーテルを入れながら剥がす
手術をしたい と思っていたが 今日の様子では これ以上に痛みを伴うだろうし癒着も強いから
ちょっとこの方法は無理だと思う。今後の様子を観ながら どうするか考えましょう。
と言われた。

こちらは 「まな板の上の鯉」同然 とにかくこの元にある痛みを緩和してほしいばかりだから
「よろしくお願いします」としか言いようがない。

退室際 てっきり待合には付き添いが待っているものと思った看護師が 「呼びましょうか?」と
言ってくれたが 今日は 夫は勤め先が遠足で 息子にはまだちょっと病院での付き添いは無理だし
かといって嫁も勤めがあるし ましてや友人には頼めないから 「いえ 一人です」と応えると
「エエ〜!大丈夫?強いねえ〜!」と言われてしまった。

別に強くはない。
入院でもするのならいざ知らず どれだけ痛くても それは自分の事。
出来るだけ家族にも甘えたくないだけだ。

迎えだけには息子に来てもらい帰宅した。

帰宅してからも麻痺はしばらく続いた。

一時間も眠ったろうか。
手洗いに立つと まだ部分的な麻痺があって 出るのか出たのか終わったのか の感覚がまだない。

おまけに 体が熱っぽい。
今までも強い手術や処置の後は 必ず発熱したから 今回も と思って体温を測ると三十九度三分ある。
しんどいはずだ。

熱は最終的に九度五分まで上がり 夜十一時ごろにようやく八度二分に下がった。

こんな状態が 多分二、三日は続くのだろう。

ベッドに横たわっているより仕方がない。
来週の診察日までには 痛みも少しはマシになるだろうし 熱も下がるだろうから。

今日はほとんど一日中横になっていた。

さすがに疲れはあるが でもその度合いは割に低い。

これは 昨日は日中ずっと着物を着ていたからだと思う。
ここ数日は大きなコルセットを着けているが 着物だと帯を締めるので それが
コルセットの代わりになる。

家族ばかりだとはいえ 記念の祝いの席だから あらたまった気持ちを現すのには
着物が一番だ。それに 伊達締めや帯が腰を支えてくれるから 着物はいい。

ずいぶん前につくって 一度も手を通していない単衣の大島があった。
それに合うようにと作った帯もあった。
大島なら あまり仰々しくないから 家族のあらたまった会食の席にちょうどいい。

昨日は気温が上がって汗ばむ と予報が出ていたので 袷では暑いだろう と考えて
単衣にしたのだった。

そうしたのがよかったようだ。
おかげで 汗もかかず寒くもなく快適に過ごせた。
やっぱリ着物はいい。

明日は大学病院へ行く日だ。
処置室で出来る手術を と前回 医師に言われたが どんな手術なのか分からない。
入院にまではならないらしいから 大したことではないと思われる。

でも万が一を想って 下着とタオル 洗顔後の化粧水などを コロコロのバッグに入れた。

どれだけでも痛みが軽くなればのだが・・・・・・。

三日の午後に娘家族が帰省。

夕ご飯は お好み焼きに鶏のから揚げ それに生野菜サラダ。

お好み焼きは 生地にたくさんの卵を使い 柔らかい春キャベツに 海老 イカを
たっぷり入れ込み 薄切り豚肉を これも何枚も載せてのスペシャル。
しかも生地はダシに大量の切りイカや天かすなどを入れたから本当に美味しくできた。

鶏の唐揚げはみんなが大好きだから 準備したお肉は二キロ弱。
この大量のお肉を ひたすら揚げた。
揚げた片はしからなくなって 結局全部を完食した。

食べる合間には 婿が送って来た美味しい生ビールを飲み 話し笑い。
それに二人の孫の甲高い声が絶え間なく混じり 賑やかに過ごした。

三日は家族みんなで 私の古希のお祝いを。
お昼はホテルでお祝い膳の席を設けてくれ その席で 子供達三人が記念の品を
贈ってくれた。

包装を解くと 大きな透明な入れ物に入ったブリザーブドフラワーだった。

古希の色は紫らしく 中に入っている花は紫で いつまでも色褪せないで長生きしてほしい
との三人の思いが込められた品だった。

ただ会食するだけでもありがたことだと思っていたところへ まさかのサプライズでの
プレゼントだったので ビックリしたり嬉しかったり。

ホテルから帰ってからは ここからが本番の 生ビールの飲み会。

またまた全員が集まって 大量のおつまみに もやしとニラにしめじを混ぜた炒め物
など とにかく大量の生ビールの消費に負けないよう 様々に食べるものを用意した。
事前にお店に頼んであった大皿のオードブル三つも加わってテーブルの上は隙間がない。
ビールを飲まない孫たち四人にも 大人に負けない量の食べ物と飲み物を準備しておいた。

まるで大晦日の夜のように 小さい孫二人は十一時頃まで大きい孫二人と遊び 寝た。

大きい孫たちは 大人と同じように なんと夜中の一時半まで我が家で過ごし 息子夫婦と
タクシーで帰って行った。

大学生の孫は 今日 両親と弟に見送られて帰った。

娘家族も 午後帰って行った。

これで 我が家の連休の行事は終わり 明日は 夫は畑へ行くと言っている。
また三人の落ち着いた生活に戻った。

痛む腰を抱えての連休や行事だったから 一体どうなることかと心配だったが なんとか
家族と過ごした。

痛みは相変わらずだから 来週の火曜まではバイアスピリンを止めて手術に備えている。

今までのように動けるレベルをどうにか維持するために 長生きを願ってくれている家族の
ためにも どんな手術も受け入れて 頑張らねば! 続きを読む

多少マシになった痛みは 新薬が効いているからだろう。

おかげで今日は午後から買い出しに行けた。 明日からの娘家族の滞在分と
4日のお昼に私の古希の祝いをホテルでした後の飲み会の分だ。

ホテルを出た後 また全員が我が家に集まる。 婿が 東京から 彼の友人が工房で
作った生ビールのタンクを 事前に2つも送って来ている。

お酒大好き家族なものだから タンクのほとんどを ワイワイ飲む欲してしまう。
だから その分のつまみや孫たちの食べたり飲んだりの物が ドッサリ必要なのだ。

書き出してメモし それを夫か息子に渡してスーパーへ行ってもらえたらいいのだが
それでは絶対に足りない物が出てくる。
それにフロアーを回りながら 思いついて買い足すものもあるので どうしても
自分が行かねば と 大きなコルセットを着けて出かけて行った。

献立は あまり手がかからないものを考えて予定を組んだが 食材は手を抜けないから
献立に応じてそれぞれ必要な物をあれこれとカート二段のカゴに入れたら 最終的に 車に積み込む時には ダンボール箱が幾つもと保冷バッグが3つにもなった。

これらのほとんどを 明日からの3日間 11人で消費するのだから すごいことだ。

1年に何度もない家族全員の集いだから 出費も大きくてもやむを得ない。

孫たちや子供達が 互いに仲良く顔を会わせて楽しく過ごす その様子を傍にいて
見られるのが 私たち夫婦には嬉しい。

外国人の婿のためにも くつろいだウエルカムの雰囲気でいてあげたい。

だからこそ この連休中でもどこへも行かず 夫は娘家族を迎える準備をしている。
娘かわいさ孫かわいさ故にできる事だ。

私が動けないものだから よけいに夫の仕事が多くて 申し訳けなく思うが
仕方がない。

夫も年々歳をとる。疲れの度合いも年々増す。
私の体も 年々悪くなっているのを感じる。

こうして我が家の全員が集う機会は 今後何回あるだろう。

明日のお昼過ぎには 甲高い声の孫たちがやって来る。
束の間の賑やかな暮らしがやって来る。


全くタイミングの悪いことこの上ない時に 娘家族が来てしまう。

毎年 ゴールデンウィークには数日滞在して行くのだし 今年はおまけに 私の古希の
祝いを家族全員でしてくれる と ずいぶん前から予定してあったのだ。

それなのに 肝心の私がこの様なのだからどうしようもない。

それでも 新薬の痛み止めが効いているのか 昨日よりはマシになった。

おかげで テレビでの新天皇の剣璽等の儀や朝見の儀の生中継を見ることができた。

高齢での皇位継承だからか 厳粛な中 凛として落ち着いたお言葉の発され様で
これから我々国民の象徴として頂くに相応しいお方である と お言葉の内容は勿論
のこと 人と成りについても 日本中の誰もが そう思ったに違いない。

一昨夜は 上皇后となられた美智子様が いかに悩み苦しみながら歩んでこられたか を
事実に基づいてドキュメントタッチにしたドラマをみたが 皇后になられた雅子様も
また 適応障害となって 宮中の中で苦しんでこられた。
宮中というところは それほどまでに特殊な場所であるらしい。

ネットの記事にも そうした苦しみの中でも 常に国民に寄り添い国民の幸せを祈念し
ていらっしゃった上皇と上皇妃の在りようが 日本国民の心を 今までになく強くし
一つにした とあったが 本当にその通りだと思った。

君臨する象徴 としてではなく ともに在る象徴 としての天皇皇后像が 国民の中に
居着いた。
今上天皇と皇后もまた 同じ道を歩まれるだろう。

私は決して右翼ではないが 先の天皇皇后両陛下に対しては 特に皇后様に対しては
ずっと以前から その存在を誇りに思い とても尊敬の念を抱いてきた。

御本がお好きな美智子様には これからは 好きなだけ本が読みふけられるような
くつろいだ生活を送っていただきたい。
そして お健やかに長生きしていただきたい と思っている。