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このところ 少しずつ 足腰の強かった痛みが弱まってきた。

多分 梅雨が明けたこともあるのだろう。

昼間来たケアマネにも 今日は顔がいい と言われた。

痛みが弱くなったのはありがたいが ずっと痛みのせいで毎夜の眠りが浅かった分
日中とにかく眠くなるから困る。

昨日の病院でも 点滴をするために診察の後 点滴台に横になると 知らない間に
フッと目が閉じていたし 点滴の最中も眠ってしまった。

会計の順番を待っている間も すぐ眠くなってしまい困った。

それより何より傑作だったのは 朝 病院に着いて受付の番号札を取り 受付が
始まるのを待っている間に もうすぐわたしの番号が呼ばれるなぁ という時に
なっているにもかかわらず それを承知していながら フッと眠気にやられて
瞬間 おそらくその間二分もないくらいだったろう 寝てしまっていた。

たまたま いつも一緒になる患者に付き添って来るその人の娘さんが
「おばさん 呼ばれたよ おばさんの番号」と 声をかけて起こしてくれた。
私が手に持っていた番号を知っていたらしくそれで声をかけてくれた。

おおぜいが受付を囲んで待っている中だったから とても恥ずかしかった。
みんな静かに耳をすませて 番号が呼ばれるのを立ったり座ったりして
待っているから 大声でなくても 周囲によく響いて聞こえるのだ。

みんなの注目がいっせいに集まり あちこちから苦笑が起きた。

あんな恥ずかしいことは 最近ではないことだった。

そんな調子だから 今日も日中眠い眠い。

ケアマネの訪問の後も眠っていて 介護用品の担当者が来た と起こされ
帰った後もまた知らない間に眠っていて 息子に起こされた。

時計を見ると もう七時半近く。

夕飯の支度は すでに夫と息子でしてくれてあった。
私が起きないものだから お腹が空いてなんやかや準備したらいい。

この眠気は いったいいつまで続くのだろう。
何か特別にすることがあるわけではないから 気持ちも弛緩していて
よけいに眠いのかもしれない。
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介護保険で「要支援の二」に認定されたが 今、私費でレンタルしている車椅子を介護保険を
使ってレンタルしようとすると これができない。

車椅子やベッドは「介護度二」以上でないと 保険は使えないからだ。
しかし 医師が必要と認め 必要性の訳など記載があれば 認可が下りるらしい。

その辺の細かい言い回しや表現の仕方いかんで 利用できるかどうかがわかれてしまう。

前々回 医師と話した際には その点もお願いし医師も承知してくださったので
当然介護保険の方で車椅子の使用が認められるもの と 安心していた。

ところが どうしたことか 医師からケアマネの元に戻って来た書類の それに関する
医師の記入欄が白紙だったから 再度 医師に記入してもらってほしい と言って
先ほど ケアマネの訪問があった。

医師も 次から次へと患者を呼び入れなくてはならないから つい後で書こう として
そのままになってしまったのかもしれない。

次回の受診の際に 私から直接書類を渡し その場で記入してもらうべく ケアマネから
その書類を預かった。

車椅子一つ保険で借りるのに 大変な時間がかかってしまう。
もし医師に書いてもらったとしても それをケアマネに渡すと ケアマネは他の書類と
一緒に市役所の関係する課へ提出し その後審査があって認められたら 使用可 となり
介護保険でレンタルできるようになる。

役所関係は 書類書類で全てが進むから 実に時間がかかる。

住宅改修の方も 今日見積もりの書類を持って来たが 考慮して省く点があったりして
明日また見積り書を作り直して来ることになった。

この分だと 諸々のことが完了するのは来月末から九月初めになりそうだ。

これまで何もなしでやってきたのだから なくてもいいようなものだが
いざ使える 取り付けられる となると 早く使いたい と思ってしまうから
勝手のいいものだ。

畑の地味が悪いのか 我が家の果物の木は どれも年々ダメになる。

今年など 夫が見に行く度に 大きな枝が元から折れているそうだ。

収穫量が少なくなってしまう上に 無事な枝の桃には 黄金虫やスズメバチがたかって
危なくて木に近寄れないほどだそうだ。

去年までに 桃の木の本数が二本になってしまっていて 今年のこの様だから 収穫して
持ち帰って来る個数の少ないこと少ないこと!

持ち帰る量の三倍は 見て直ぐに ダメ と分かるものらしく 穴を掘って埋めて来る
のだそうだ。

おまけに 持ち帰ったものも完品の数がきわめて少ない。

あっという間に「今年の桃」は終わってしまった。

毎年楽しみに待っていてくださる方もあるのだが 今年は残念だが配れない。

一年間に夫が注ぎ込んだ労力と時間 それに費用は いったいなんだったのか・・・。

それでも 何かしらすることはあるのだろう。
夫は今日も 畑へと出かけて行った。

先の選挙で 小さな小さな党から 二人の重度障害者が当選した。

これまで軽度の障害者で車椅子を使用する議員は出たが 重度の障害を持つ人が
国会議員になったのは 初めてのことだ。

本会議場内のバリアフリー化工事が 大型の車椅子が使えるよう行われた と新聞にあった。

本会議場だけでなく 国会議事堂内全てを 大型の車椅子でも利用できるようにするには
廊下の段差や敷物 エレベーターの大きさから始まって 事細かなリフォームが必要に
なるだろう。

法のもとにすべての国民は平等に権利を有する とうたっている以上 これは当然のことで
今まで障害者に対しての手当てがなされてこなかったこと自体が むしろおかしい。

自分が障害者になって思ったことは 日本は障害者にやさしい国だ と 外国から来た人は
言うけれど そのやさしさは 実は 健常者が頭で考えて現れたものであって 障害者自身が
ここはこうあってほしい ここをこうしてほしい という 細かな配慮に基づくものではない
ということだ。

ある自動車会社から発売されている障害者が乗り降りしやすいように工夫された助手席に
しても その事が言える。
あくまでも私見ではあるが あのように不安定な椅子では いくら介助者が手伝ってくれる
とはいえ 安心して機械に任せて乗り降りできない。

今回 たった二人でも議員になって国会に入ったことにより 国が福祉行政について議論
する際に 実際に重度の障害者が議員としている事は大きな意味を持つ と思いたい。

そして 健常者が頭で考える福祉 ではなく 実際に障害者の生の声が反映される福祉行政へ
と道が照らされ なされていくといい と 心から思っている。

党の代表者は「生産性で人間をはからない世の中」を目指す と言っている。

いくらお金がかかっても 面倒でも 障害者が「お荷物」などと呼ばれない福祉の国 日本で
あってほしい。

仕事が夏休みに入った夫は 朝からよく動く。

全く私の存在を忘れているかのように よくもまあ 次から次にやる事を見つける
ものだ と感心してしまう。

そんなことくらい私でもできるんだから ボツボツやるんだから と言っても
それが待っていられない。

仕方のない私は 明け方目がさめると リビングのカーテンを開け 網戸にする。
新聞を取り込んで 鉢の花がらを摘み 玄関先を掃く。
そして 洗濯機を回すよう 風呂水の中へホースを入れ 洗剤と柔軟剤を準備して
予約タイマーをかける。

夫が起きだす前にできることはこれくらいしかない。
それだけの事をしておいて またベッドへ戻りまどろむ。

そのあと 夫は 判で押したように定時に起き 起きるやいなや活動開始。

一通り思いつくことをやり終えると それからやおら畑へと向かって行く。

私としては 畑へ行くのなら 家の諸々はいいから 早く行って 日が中天にかかる前
に戻ってほしい。

畑にいる間は携帯は持って動かないから 万が一何かあっても連絡がとれない。
十二時をはるかに回って 高速道路の作業員たちが午後の休憩に入るころ
ようやく クタクタ ビショビショの状態で戻って来る。

おかげで 彼の背中は 汗のヨリでボロボロ真っ赤っか。
いくら薬を塗っても治る間がない。

畑に行くなら もっと早く行って早く帰って来て!と どれだけ口を酸っぱくして言っても
聴く耳を持たない。

まったく 体育会系の「身体動かしたいアドレナリン」なるモノは無尽蔵に出るらしい。

回遊魚の身は総じて赤い。
夫の身も 切れば真っ赤なのではなかろうか。

ちなみに 近海でウロウロのんびり動くだけの私の身は さぞかし白さが際立って
脂だらけにちがいない。

私は 今 私には分不相応な物を 一つ持っている。

それは 書道道具の一つ 文鎮だ。
この春 古希を迎えた祝いに と 思いがけず次男が贈ってくれた。

子供の頃から習字が好きだった私は 小学校から高校を卒業するまで 同じ道具入れを
大切に使っていた。
そのうちでも 赤くて長い文鎮は 大人になってあらためて書道教室に通い始めてからも
ずっと使い続けてきた。

しかし さすがに経年で 赤い色は所々剥がれて その部分に錆色が出ていた。
それでも愛着があって捨てられず 新しくすることも考えの外だった。

多分息子はそのくたびれた文鎮を どこかでチラッと見たのに違いない。
そして 本当に思いがけず 誕生日に文鎮を贈ってくれた。

その文鎮の素敵さがまた スゴイのだ。
それは古代の銅鏡の形をしていて 面には七宝で繊細な文様が施されていて 桐の箱入りで
初めて箱を開けた時には まさか文鎮だとは思わず きれいな飾り物だと思ったほどで
箱の内側には紫のビロードが貼ってあって 文鎮がキッチリ収まる造りになっている。

あまりにも装飾がきれいだし きっとそこそこ値段もしただろう と思うと 贈ってくれた
息子の気持ちが嬉しくて あだやおろそかに扱えなくて しばらくは道具箱に入れたまま
使えずにいた。

そんな私の気持ちを察したのか 息子は 書道教室へ送ってくれる度に
「文鎮 使ってる? 使ってよ」
と 繰り返して言った。

それで おそるおそる使い始めたものの 必ず桐の箱から出して使い 今も終わったら必ず
箱に入れて保管している。

ずっしりと重みのある文鎮はピタッと半紙を押さえてくれるし 七宝の文様に目をやると
それだけでいい字が書けるような そんな気がしてくるから不思議だ。
息子の思いがこもっている と感じるからだろう。

書道の時間が終わる度に箱を取り出し 開けてビロードの窪みに文鎮を戻し入れながら
「面倒でも粗末にはできませんわぁ」 と笑いながら言うと 先生も「息子さんの思いが
こもった文鎮ですもんねえ」 と 笑いながら返してくださる。

今は身に沿わない立派なこの文鎮が いつかは相応しい品になるよう 精進しなければ 。
贈ってくれた息子のためにも。

今年も友人から 生シラスが送られて来た。

彼女は 毎年 お世話になった方々や友人に 老舗の製造会社から直接送ってくれる。

小袋に小分けしてあるので すぐに消費する分は冷蔵庫に入れ 残りは冷凍できるから
ありがたい。

小さいながら なかなかお役立ちのシラスは あると本当に便利で よくスーパーでも
買っているが たくさん冷蔵庫にある と思うと嬉しくなってくる。

送ってくれた友人に 感謝感謝だ。

また今回も楽しませてもらいますよ ありがとうね。

今年は 夫に頼み込んで きゅうり三本と各種ミニトマトを五本植えてもらっている。

たった三本でもきゅうりはよく成って大きくなった。

きゅうりが欲しかったのは 一昨年 友人から教わったレシピで きゅうりのきゅうちゃん
漬けを作りたかったからだ。

それまでは きゅうりを薄く薄く輪切りにして作るきゅうちゃん漬けを作っていた。
それも あちこちから到来するたくさんのきゅうりを使って。

でも新しく教わった友人のレシピでのきゅうりのきゅうちゃん漬けは 一センチと厚みが
あって決して煮ないから 作り方も簡単で コリコリとした歯ごたえがあって美味しい。

去年これを叔母にあげたら 叔母宅のお隣の奥さんも味見されたらしく レシピがほしい と
言われ 差し上げた。
以来 その方も大量に収穫するきゅうりを 次々にそのレシピできゅうちゃん漬けにされている。
それまではやっぱり薄切りの輪切りで作っていたそうで この方が格段に美味しい と驚かれた。

せっかく植えてもらったきゅうりだが 足が腰が痛くて 孫たちが来て 今年はまだ一回も
作っていなかった。

そのうちとうとう成らなくなってしまったが ありがたいことに何軒かから重なっていただいて
今年初めて作ることに。

入れる鷹の爪を二本にしたら 食べた後にジワッと唐辛子の辛味が残る 大人のきゅうちゃん漬け
に仕上がった。

レシピ通りだと ちょっと甘いから またどなたからか まとまっていただけたら 今度は
甘みを加減して作りたい。

きゅうちゃん漬けを作ったら 久しぶりにキッチンに立った感じがした。


気持ちに張りがない。

これは 娘や孫たちが来ていた期間もそうだった。

感情が動かなくて いつも平板なのだ。

喜怒哀楽の波の幅が 実に小さい。

ボケると 顔の表情が消えて感情の起伏がなくなる。
それに差し掛かってしまったのだろうか。

痛い痛いばかりの生活では 何も面白いことなどない。
思い切ってとてつもなく馬鹿げたことをしたい衝動や 大声で所構わず叫びたく
なったりする。

それほど今の生活に嫌気がさしてしまっている。

動く ということにひどく制限があるから その反動だと自分でも解っているが
仕方がないのだと 自分に言い聞かせ言いくるめてきたことにさえ 飽きてきた。

きっとしばらくすれば また気持ちも元に戻るのだろう と思いたい。

人の暮らしは面白い。

生家の家族と別れた後の一人暮らしから 夫との二人暮らしが始まり 子供が一人増え
二人増え三人と増える毎に 家族は次第に三人から四人五人になり その後また 一人減り
二人減り 三人減って 夫との二人暮らしに戻ったと思った途端 父を迎えての三人暮らしが
始まった。
それが十一年ほど続いたところで また夫と二人になった。

そして今 再び 子との三人の暮らしに戻っている。

夫と私が一つの単位となって以来 長い年月の間に 元々二人がそれぞれにくっついていた
親や 私たちから増えた子が 期間の長短はあっても しょっちゅう離れたりくっついたり。

離れた子もまた単位となって増え 増えた彼ら自身もまた離れたりくっついたり。

この動きは 科学や技術が発展し解明され 今では映像化され可視できるようになった細胞
の動きと 実によく似ているではないか。

人間は 原子や分子や細胞やらの塊だからこそ 同じ動きをしているのかもしれない。

我々人間が人生と呼ぶものは この大きな宇宙の中では 小さな一つの細胞の動きに
過ぎないのかもしれない。

鴎外の小説ではないが ただ壮大無限の『オーソリティ』の元で生かされているだけ
なのかもしれない。

人間がもし 離れたりくっついたりまた離れたりの 時に傷つきながらも さも忙しげ
に動いている小さな細胞であったなら それを電子顕微鏡で覗くような目で眺めている
『オーソリティ』には 私はどのように映っているのだろう。

思いのままに動いているのか はたまた 裏腹な動きをしているのか・・・。

『オーソリティ』の元では 気負わず焦らず ただ私らしく生かされることしかない。

決して 他力本願で生きてきたわけでも 我を張って生きてきたわけでもない人生だが
「生きてきた」のではなく「生かされてきた」のだと思うと この歳になってあらためて
「謙虚にひたすらに生きる」ことの大切さを思い知らされる。