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このところ 少しずつ 足腰の強かった痛みが弱まってきた。

多分 梅雨が明けたこともあるのだろう。

昼間来たケアマネにも 今日は顔がいい と言われた。

痛みが弱くなったのはありがたいが ずっと痛みのせいで毎夜の眠りが浅かった分
日中とにかく眠くなるから困る。

昨日の病院でも 点滴をするために診察の後 点滴台に横になると 知らない間に
フッと目が閉じていたし 点滴の最中も眠ってしまった。

会計の順番を待っている間も すぐ眠くなってしまい困った。

それより何より傑作だったのは 朝 病院に着いて受付の番号札を取り 受付が
始まるのを待っている間に もうすぐわたしの番号が呼ばれるなぁ という時に
なっているにもかかわらず それを承知していながら フッと眠気にやられて
瞬間 おそらくその間二分もないくらいだったろう 寝てしまっていた。

たまたま いつも一緒になる患者に付き添って来るその人の娘さんが
「おばさん 呼ばれたよ おばさんの番号」と 声をかけて起こしてくれた。
私が手に持っていた番号を知っていたらしくそれで声をかけてくれた。

おおぜいが受付を囲んで待っている中だったから とても恥ずかしかった。
みんな静かに耳をすませて 番号が呼ばれるのを立ったり座ったりして
待っているから 大声でなくても 周囲によく響いて聞こえるのだ。

みんなの注目がいっせいに集まり あちこちから苦笑が起きた。

あんな恥ずかしいことは 最近ではないことだった。

そんな調子だから 今日も日中眠い眠い。

ケアマネの訪問の後も眠っていて 介護用品の担当者が来た と起こされ
帰った後もまた知らない間に眠っていて 息子に起こされた。

時計を見ると もう七時半近く。

夕飯の支度は すでに夫と息子でしてくれてあった。
私が起きないものだから お腹が空いてなんやかや準備したらいい。

この眠気は いったいいつまで続くのだろう。
何か特別にすることがあるわけではないから 気持ちも弛緩していて
よけいに眠いのかもしれない。
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介護保険で「要支援の二」に認定されたが 今、私費でレンタルしている車椅子を介護保険を
使ってレンタルしようとすると これができない。

車椅子やベッドは「介護度二」以上でないと 保険は使えないからだ。
しかし 医師が必要と認め 必要性の訳など記載があれば 認可が下りるらしい。

その辺の細かい言い回しや表現の仕方いかんで 利用できるかどうかがわかれてしまう。

前々回 医師と話した際には その点もお願いし医師も承知してくださったので
当然介護保険の方で車椅子の使用が認められるもの と 安心していた。

ところが どうしたことか 医師からケアマネの元に戻って来た書類の それに関する
医師の記入欄が白紙だったから 再度 医師に記入してもらってほしい と言って
先ほど ケアマネの訪問があった。

医師も 次から次へと患者を呼び入れなくてはならないから つい後で書こう として
そのままになってしまったのかもしれない。

次回の受診の際に 私から直接書類を渡し その場で記入してもらうべく ケアマネから
その書類を預かった。

車椅子一つ保険で借りるのに 大変な時間がかかってしまう。
もし医師に書いてもらったとしても それをケアマネに渡すと ケアマネは他の書類と
一緒に市役所の関係する課へ提出し その後審査があって認められたら 使用可 となり
介護保険でレンタルできるようになる。

役所関係は 書類書類で全てが進むから 実に時間がかかる。

住宅改修の方も 今日見積もりの書類を持って来たが 考慮して省く点があったりして
明日また見積り書を作り直して来ることになった。

この分だと 諸々のことが完了するのは来月末から九月初めになりそうだ。

これまで何もなしでやってきたのだから なくてもいいようなものだが
いざ使える 取り付けられる となると 早く使いたい と思ってしまうから
勝手のいいものだ。

畑の地味が悪いのか 我が家の果物の木は どれも年々ダメになる。

今年など 夫が見に行く度に 大きな枝が元から折れているそうだ。

収穫量が少なくなってしまう上に 無事な枝の桃には 黄金虫やスズメバチがたかって
危なくて木に近寄れないほどだそうだ。

去年までに 桃の木の本数が二本になってしまっていて 今年のこの様だから 収穫して
持ち帰って来る個数の少ないこと少ないこと!

持ち帰る量の三倍は 見て直ぐに ダメ と分かるものらしく 穴を掘って埋めて来る
のだそうだ。

おまけに 持ち帰ったものも完品の数がきわめて少ない。

あっという間に「今年の桃」は終わってしまった。

毎年楽しみに待っていてくださる方もあるのだが 今年は残念だが配れない。

一年間に夫が注ぎ込んだ労力と時間 それに費用は いったいなんだったのか・・・。

それでも 何かしらすることはあるのだろう。
夫は今日も 畑へと出かけて行った。

先の選挙で 小さな小さな党から 二人の重度障害者が当選した。

これまで軽度の障害者で車椅子を使用する議員は出たが 重度の障害を持つ人が
国会議員になったのは 初めてのことだ。

本会議場内のバリアフリー化工事が 大型の車椅子が使えるよう行われた と新聞にあった。

本会議場だけでなく 国会議事堂内全てを 大型の車椅子でも利用できるようにするには
廊下の段差や敷物 エレベーターの大きさから始まって 事細かなリフォームが必要に
なるだろう。

法のもとにすべての国民は平等に権利を有する とうたっている以上 これは当然のことで
今まで障害者に対しての手当てがなされてこなかったこと自体が むしろおかしい。

自分が障害者になって思ったことは 日本は障害者にやさしい国だ と 外国から来た人は
言うけれど そのやさしさは 実は 健常者が頭で考えて現れたものであって 障害者自身が
ここはこうあってほしい ここをこうしてほしい という 細かな配慮に基づくものではない
ということだ。

ある自動車会社から発売されている障害者が乗り降りしやすいように工夫された助手席に
しても その事が言える。
あくまでも私見ではあるが あのように不安定な椅子では いくら介助者が手伝ってくれる
とはいえ 安心して機械に任せて乗り降りできない。

今回 たった二人でも議員になって国会に入ったことにより 国が福祉行政について議論
する際に 実際に重度の障害者が議員としている事は大きな意味を持つ と思いたい。

そして 健常者が頭で考える福祉 ではなく 実際に障害者の生の声が反映される福祉行政へ
と道が照らされ なされていくといい と 心から思っている。

党の代表者は「生産性で人間をはからない世の中」を目指す と言っている。

いくらお金がかかっても 面倒でも 障害者が「お荷物」などと呼ばれない福祉の国 日本で
あってほしい。

仕事が夏休みに入った夫は 朝からよく動く。

全く私の存在を忘れているかのように よくもまあ 次から次にやる事を見つける
ものだ と感心してしまう。

そんなことくらい私でもできるんだから ボツボツやるんだから と言っても
それが待っていられない。

仕方のない私は 明け方目がさめると リビングのカーテンを開け 網戸にする。
新聞を取り込んで 鉢の花がらを摘み 玄関先を掃く。
そして 洗濯機を回すよう 風呂水の中へホースを入れ 洗剤と柔軟剤を準備して
予約タイマーをかける。

夫が起きだす前にできることはこれくらいしかない。
それだけの事をしておいて またベッドへ戻りまどろむ。

そのあと 夫は 判で押したように定時に起き 起きるやいなや活動開始。

一通り思いつくことをやり終えると それからやおら畑へと向かって行く。

私としては 畑へ行くのなら 家の諸々はいいから 早く行って 日が中天にかかる前
に戻ってほしい。

畑にいる間は携帯は持って動かないから 万が一何かあっても連絡がとれない。
十二時をはるかに回って 高速道路の作業員たちが午後の休憩に入るころ
ようやく クタクタ ビショビショの状態で戻って来る。

おかげで 彼の背中は 汗のヨリでボロボロ真っ赤っか。
いくら薬を塗っても治る間がない。

畑に行くなら もっと早く行って早く帰って来て!と どれだけ口を酸っぱくして言っても
聴く耳を持たない。

まったく 体育会系の「身体動かしたいアドレナリン」なるモノは無尽蔵に出るらしい。

回遊魚の身は総じて赤い。
夫の身も 切れば真っ赤なのではなかろうか。

ちなみに 近海でウロウロのんびり動くだけの私の身は さぞかし白さが際立って
脂だらけにちがいない。

私は 今 私には分不相応な物を 一つ持っている。

それは 書道道具の一つ 文鎮だ。
この春 古希を迎えた祝いに と 思いがけず次男が贈ってくれた。

子供の頃から習字が好きだった私は 小学校から高校を卒業するまで 同じ道具入れを
大切に使っていた。
そのうちでも 赤くて長い文鎮は 大人になってあらためて書道教室に通い始めてからも
ずっと使い続けてきた。

しかし さすがに経年で 赤い色は所々剥がれて その部分に錆色が出ていた。
それでも愛着があって捨てられず 新しくすることも考えの外だった。

多分息子はそのくたびれた文鎮を どこかでチラッと見たのに違いない。
そして 本当に思いがけず 誕生日に文鎮を贈ってくれた。

その文鎮の素敵さがまた スゴイのだ。
それは古代の銅鏡の形をしていて 面には七宝で繊細な文様が施されていて 桐の箱入りで
初めて箱を開けた時には まさか文鎮だとは思わず きれいな飾り物だと思ったほどで
箱の内側には紫のビロードが貼ってあって 文鎮がキッチリ収まる造りになっている。

あまりにも装飾がきれいだし きっとそこそこ値段もしただろう と思うと 贈ってくれた
息子の気持ちが嬉しくて あだやおろそかに扱えなくて しばらくは道具箱に入れたまま
使えずにいた。

そんな私の気持ちを察したのか 息子は 書道教室へ送ってくれる度に
「文鎮 使ってる? 使ってよ」
と 繰り返して言った。

それで おそるおそる使い始めたものの 必ず桐の箱から出して使い 今も終わったら必ず
箱に入れて保管している。

ずっしりと重みのある文鎮はピタッと半紙を押さえてくれるし 七宝の文様に目をやると
それだけでいい字が書けるような そんな気がしてくるから不思議だ。
息子の思いがこもっている と感じるからだろう。

書道の時間が終わる度に箱を取り出し 開けてビロードの窪みに文鎮を戻し入れながら
「面倒でも粗末にはできませんわぁ」 と笑いながら言うと 先生も「息子さんの思いが
こもった文鎮ですもんねえ」 と 笑いながら返してくださる。

今は身に沿わない立派なこの文鎮が いつかは相応しい品になるよう 精進しなければ 。
贈ってくれた息子のためにも。

今年も友人から 生シラスが送られて来た。

彼女は 毎年 お世話になった方々や友人に 老舗の製造会社から直接送ってくれる。

小袋に小分けしてあるので すぐに消費する分は冷蔵庫に入れ 残りは冷凍できるから
ありがたい。

小さいながら なかなかお役立ちのシラスは あると本当に便利で よくスーパーでも
買っているが たくさん冷蔵庫にある と思うと嬉しくなってくる。

送ってくれた友人に 感謝感謝だ。

また今回も楽しませてもらいますよ ありがとうね。

今年は 夫に頼み込んで きゅうり三本と各種ミニトマトを五本植えてもらっている。

たった三本でもきゅうりはよく成って大きくなった。

きゅうりが欲しかったのは 一昨年 友人から教わったレシピで きゅうりのきゅうちゃん
漬けを作りたかったからだ。

それまでは きゅうりを薄く薄く輪切りにして作るきゅうちゃん漬けを作っていた。
それも あちこちから到来するたくさんのきゅうりを使って。

でも新しく教わった友人のレシピでのきゅうりのきゅうちゃん漬けは 一センチと厚みが
あって決して煮ないから 作り方も簡単で コリコリとした歯ごたえがあって美味しい。

去年これを叔母にあげたら 叔母宅のお隣の奥さんも味見されたらしく レシピがほしい と
言われ 差し上げた。
以来 その方も大量に収穫するきゅうりを 次々にそのレシピできゅうちゃん漬けにされている。
それまではやっぱり薄切りの輪切りで作っていたそうで この方が格段に美味しい と驚かれた。

せっかく植えてもらったきゅうりだが 足が腰が痛くて 孫たちが来て 今年はまだ一回も
作っていなかった。

そのうちとうとう成らなくなってしまったが ありがたいことに何軒かから重なっていただいて
今年初めて作ることに。

入れる鷹の爪を二本にしたら 食べた後にジワッと唐辛子の辛味が残る 大人のきゅうちゃん漬け
に仕上がった。

レシピ通りだと ちょっと甘いから またどなたからか まとまっていただけたら 今度は
甘みを加減して作りたい。

きゅうちゃん漬けを作ったら 久しぶりにキッチンに立った感じがした。


気持ちに張りがない。

これは 娘や孫たちが来ていた期間もそうだった。

感情が動かなくて いつも平板なのだ。

喜怒哀楽の波の幅が 実に小さい。

ボケると 顔の表情が消えて感情の起伏がなくなる。
それに差し掛かってしまったのだろうか。

痛い痛いばかりの生活では 何も面白いことなどない。
思い切ってとてつもなく馬鹿げたことをしたい衝動や 大声で所構わず叫びたく
なったりする。

それほど今の生活に嫌気がさしてしまっている。

動く ということにひどく制限があるから その反動だと自分でも解っているが
仕方がないのだと 自分に言い聞かせ言いくるめてきたことにさえ 飽きてきた。

きっとしばらくすれば また気持ちも元に戻るのだろう と思いたい。

人の暮らしは面白い。

生家の家族と別れた後の一人暮らしから 夫との二人暮らしが始まり 子供が一人増え
二人増え三人と増える毎に 家族は次第に三人から四人五人になり その後また 一人減り
二人減り 三人減って 夫との二人暮らしに戻ったと思った途端 父を迎えての三人暮らしが
始まった。
それが十一年ほど続いたところで また夫と二人になった。

そして今 再び 子との三人の暮らしに戻っている。

夫と私が一つの単位となって以来 長い年月の間に 元々二人がそれぞれにくっついていた
親や 私たちから増えた子が 期間の長短はあっても しょっちゅう離れたりくっついたり。

離れた子もまた単位となって増え 増えた彼ら自身もまた離れたりくっついたり。

この動きは 科学や技術が発展し解明され 今では映像化され可視できるようになった細胞
の動きと 実によく似ているではないか。

人間は 原子や分子や細胞やらの塊だからこそ 同じ動きをしているのかもしれない。

我々人間が人生と呼ぶものは この大きな宇宙の中では 小さな一つの細胞の動きに
過ぎないのかもしれない。

鴎外の小説ではないが ただ壮大無限の『オーソリティ』の元で生かされているだけ
なのかもしれない。

人間がもし 離れたりくっついたりまた離れたりの 時に傷つきながらも さも忙しげ
に動いている小さな細胞であったなら それを電子顕微鏡で覗くような目で眺めている
『オーソリティ』には 私はどのように映っているのだろう。

思いのままに動いているのか はたまた 裏腹な動きをしているのか・・・。

『オーソリティ』の元では 気負わず焦らず ただ私らしく生かされることしかない。

決して 他力本願で生きてきたわけでも 我を張って生きてきたわけでもない人生だが
「生きてきた」のではなく「生かされてきた」のだと思うと この歳になってあらためて
「謙虚にひたすらに生きる」ことの大切さを思い知らされる。







金曜日が終業式で 孫の日本の小学二年生での体験が終了した。

宿題に四苦八苦の二週間だったが 学校では給食当番をさせてもらったり 毎日給食が
あったり 親しく話しかけてくれるクラスメイトがいたりで 楽しいこともいっぱいだった
らしい。

今日は午後 雨間に隣市の子供公園で閉園まで思いっきり遊んで帰って来 夜には花火を
楽しんだ。

二人の孫たちは「かえりたくなぁい!もっといたぁい!」と言っているが 来ている間
ずっと休んでいたスイミング教室やスケート教室もある。
また 二人とも 歯医者の予約が入っている。

下の子には 骨折していた腕の最終診察も待っている。許可が下りれば 骨折して以来
ずっとお休みしていた体操教室へも行かせたい という。

それに 二週間離れていたから 父親も寂しがっているらしい。 娘としては ようやく
子供の学校を終えて やれやれ だから もっとゆっくりしていきたい気持ちらしいが
夫のことや 習い事のことを思うと そうも言っていられない心境なのだろう。

そんなこんなで 明日の午後には 東京へ帰る という。

あっという間の賑わしい二週間が 明日で終わる。

夫は 毎週この曜日にはこの番組 と 楽しみにしていたテレビが やっと見られる と
苦笑いしている。

夫は お風呂やシャワー 下の子を幼稚園へ連れて行ったり来たり の役目の二週間だった。

夫と私にとっては 年々体力が衰えていくことを実感させられる二週間でもあった。
先週土曜日に大発作があった私は 後半は ほとんど何もできなかった。

来夏は いったいどうなっているだろう。
少なくとも 夫だけでも元気なままいられたらいいが。

去年に続いて今回 孫が私どもの地元の小学校に体験入学してわかった事が いくつかある。

去年はまだ一年生だったからか気がつかずに過ぎたが 今どきの学校は 国語の時間が
一日に必ず二時間ある。

二時間のうち 時には一方が「書写」の時間だったりもするが たいがいは国語の教科書を
使って 二回の授業だ。

「ゆとり」以後 学力の強化が確実に行われている現れなのだろうか。

教科書の進み具合も早いのか またはじっくり学ぶのか 単元ごとに出てくる漢字の書き順
や読みも覚えていかなければならない。

その授業の進み方に慣れている日本の子ならいざ知らず ポッと入って一緒に授業を受ける
孫は この二週間というもの 毎日 帰宅後の漢字ドリルの宿題をこなすのに 親子して
大わらわだった。

担任の教師は あくまでもお客さん の扱いなのだろう 「宿題はどうしましょう」と
聞かれたらしい。 娘は いずれ九月からは 日本語は同じ教科書を使っての学習が始まる と分かっているので
「ほかのお子さんと同じように出してください」とお願いしたらしい。

でも今は一学期の終わり 習う単元は すでに新しく出たたくさんの漢字を使った文章ばかりで
孫は最初からつまづいて 好きなはずの本読みがスムーズにできない。

また 当然みんなは単元ごとにやった漢字ドリルを この二週間でやって覚えねばならなかった。

算数も インターより進んでいるらしく こちらも宿題の計算ドリルをやるのが大変。

だから 毎日夕ご飯を食べる前まで 娘がつきっきりで教えながら なんとかやり終えさせている。

東京で通っている学校が お坊っちゃんお嬢ちゃんばかりだからか 孫は日本の子より独立心が
薄く 今まで 翌日の時間割に合わせての準備や持ち物を準備するのは 母親がしていたらしい。

お手伝いさんやナニーのいる家庭の子は きっとその人たちがやっているのだろう。

娘の家庭は 今のところ通常週一でしかお手伝いさんを入れていないし ノンビリ屋の
孫にやらせておいたら いつ果てるとも分からないので ついつい自分がした方が早い
から やらせていなかった ということもあるに違いない。

ところが 一番家が近い同学年の女の子と去年も今年も仲良くして 互いに行き来する
ようになっているのだが そのお友達になった女の子が 言葉遣いはもちろん
言うべき事もしっかり主張する子で 下に一年生の妹がいることや 母親が働いている
ことも影響してか 自分の事はなんでも 自分で苦なくできるような 実にビックリする
くらいしっかりした子なのだ。

去年はまだ一年生で それほど孫との差はなかったのが 一年経って会ってみると
我が子との差があまりに大きくて 母親である娘は かなりの衝撃を受けた様子。

さっそく 翌日の時間割を合わせてランドセルの中に入れる教科書や持ち物を
本人に 準備させ始めた。

させ始めたはいいが これまた なかなか自分だけではキチンとできなくて 勉強
だけでなく こちらも教えたり助けたり叱ったりの毎日だ。

でも これはいい手本になった と 私は思っている。

「いつかできるようになればいい なれるのだから」ではなく 年齢に応じて 「できる
ことはさせていく できるのだから」を 娘も目の当たりにして 思うところがあった
ようだからだ。

時代によって育児や子育ての仕方が違い育児書に書いてある「こう育てるべき」内容
も変遷していく。

昔のことを持ち出したところで今の時代には合わないから と 嫁にも娘にも 我流の
子育て論を押し付ける事は できるだけ知識して してこなかったつもりでいる。

でも 今回 孫のそのお友達の女の子を見て 考えてしまった。

その子の家には同居の祖母がみえるから おそらくは 孫の育て方や躾にも 自然に口を
挟んでこられたのではないだろうか。
それを 嫁である母親も 是 として受け入れ育てられた結果 あのように
しっかりした女の子に成長しているのではないか と思えるのだ。

私の思いはとにかく 娘だけでなく その子には 久しぶりに私も驚かされた。

育て方の違いでこんなにも違ってくるのだ と まざまざと見せつけられた気がする。

今日は 午後からの受診で大学病院へ行った。

医師に 先週の金曜日に 超強烈な痙攣が左足に起きてしまったことを話した。

以前受けた神経根ブロックの後には そのような大きな発作が起きた事がなかった
ことも含めて もしかしたら 癒着が強くなっているのかもしれないが 発作の原因が
どうしても分からない と言われた。

それで とにかくMRI検査をしてみることになった。
しかし予約でいっぱいで 検査を受けられるのは 最短で来月の二十三日 それも夕方の
五時からしか空いていなかった。

どれだけ痛みが強くても 命そのものに関わることではないから 途中に割り込むことも
できなくて その日の予約になった。

いったいこの強烈な発作は何処から なぜ起きるのだろう。
医師でさえ分からないのだから いくら自分の体だとはいえ 素人に私にはなおさらだ。

いつものように治療してもらい 薬の処方箋をいただいて帰って来たものの
収まりきっていない発作の後の気持ちの悪い痙攣を抱えつついる私だ。

昨日は午前中 やりたくないばっかりの上の子に母親がベッタリついて宿題をやらせた後
前から約束していたお団子作りにかかった。

分量の粉に少しずつ分量のお水を混ぜながら 孫たちに混ぜ混ぜさせる。
二人の力と混ぜ方では なかなかうまくまとまっていかないから 最終的には私が混ぜて
ひとまとめに。

お湯を沸かす間に 適当にちぎった種を 二人に手のひらでコロコロと丸めさせる。

こんな作業にもそれぞれの性格が出て面白い。

四歳になったばかりの下の子は 自分の握りこぶしもある量をちぎり おにぎりか と思う
ほどの大きさに丸めようとする。

反対に二年生の上の子は 小さな小さな丸にする。
一度に大量に丸める妹を批難しながらも せっせと数で勝負する。

煮立ったお湯に入れる際に 大きすぎる丸は三つにし 小さすぎる丸は三つを一つにし
適当に均一な大きさにしながら でも きっと食べる時に「これは私の」と言い出すから
元の大きさに近いものも作って残しながら 湯がいて浮き上がるのを待つ。

ゆであがった団子を冷水に取り 冷えたらもう出来上がり。

別に作った甘辛タレを 小鉢に取り分けた団子にかけてみんなで食した。
アンコも用意してあったが 団子はやっぱり御手洗がいいらしい。

自分が混ぜて丸めたツルッとした喉ごしのいい団子だから いつも以上に食が進むらしく
何回もお代わりをして 二人はたくさん食べた。

そして夜はお好み焼き。
タップリのすりおろした山芋とたくさんの卵を使い 生地に混ぜ込むキャベツや切りイカ
小エビも天カスも惜しみなく使ったから ふわふわの美味しいお好み焼きになった。

お団子もお好み焼きも 普段家では作らないから 孫たちには物珍しく新鮮な食べ物だった。

何処へ出かけるでもない休日だったが 孫たちには楽しい一日になったようだ。

ところが 私には思いがけなくも 超超強烈な痙攣が左足に!

孫たちと長く立って団子作りをしたせいだろう。

あんなに痛い思いをして神経根ブロックを受けたのに どうしたことだろう!

夫や息子に揉んでもらったりさすってもらったりするが とにかく痛くて治らない。
こういう状態が起こると どうすることもできなくて ただただ痛みに耐えるだけ。
歩くこともできず 座りも横になるにも痛みは変わらないから 泣きながら耐えるしかない。

自然 夕飯のお好み焼きは 娘が一人で準備してくれた。

せっかく孫たちの楽しそうな顔や声が充満していた家の中が いっぺんに変わってしまった。

去年に続いて二度目の体験で 幼稚園と小学校へ通い始めた孫たち。
そろそろ緊張もピークになり疲れが見え始めた。

一見活発で どんな環境にもすぐに飛び込んでいけそうにみえる下の孫も やはり基は
上の子と同じ。
「あ~そぼ〜」がなかなか言えなくて どうやらずっと一人で本を広げているだけらしい。

上の子も 聞けば「楽しいよ」と言うが やっぱり簡単にはお友だちができないでいる。
日ごろ通っている英国式の学校とは大きく異なる規範での生活だから 日本の子なら
自然に受け止めて行動に移せる事でも 彼女にとっては別世界へ来たかのようで 心もとない
思いや戸惑いが 常についてまわっているに違いない。

これまでの生育過程や二人が通う学校での生活の仕方 授業の様子など 娘から聞いたり
実際に見たりした様々な事と比べて 国が違うとこんなにも違うのか と驚かされる。

日本に生まれ日本人の中で「当たり前」とすら感じることなく行動している事や考え方は
世界からみると 決して「当たり前」や「当然」ではないのだ と 教えられる。

小さな事でいえば 日本では各自が持っていて当然のハンカチやハナカミだから
「持ち物調べ」なるものがあって 必ずこれらのチェックが行われる。
きちんと切りそろえているかの「爪調べ」もされる。

おまけに その係があって「ちゃんと持って来てください」だの「切って来てください」
だの 誰が一番持って来たか 切っているか のグラフまで作って貼られたりする。

しかし このような事が行われている国は 世界でも実に珍しいのだ。

みんなで一斉にする「掃除の時間」にしても 「子供達自身が掃除する」事すら
他国では 特に欧米ではない。

教育的に良いか悪いか に関係なく 国によってそのように異なる学校生活だから
まだ幼い孫にとっては 日々 常にあらゆる学校生活の場面で緊張を強いられて
いることだろう。

今日 それぞれが幼稚園と小学校へ行けば その後には三連休がやってくる。

その三日間で 張りつめた気持ちをできるだけほぐしてあげたいと思っている。

今朝は 上の孫は母親である娘が付き添って 下の孫は夫が自分の勤務先へ と 日本の学校と
幼稚園の体験が始まった。

ランドセルを背負った小二の孫は また背丈が伸び 一緒に並んで登校する通学班の同級生より
頭一つ分大きい。
「日本の小学生は小さいのね」と 小声で娘に言ったそうだ。

母親が上の子について行ったから 下の孫は夫の車の後部座席に設えた椅子に座り 元気に
「いってきまぁす!バイバイ!」と 手を振って 幼稚園へ出かけて行った。

ギブスが外れたばかりで慣れない園での生活が心配なので 本人やお友達へのアッピールにと
包帯を巻いて出かけて行った。

夫や孫たちが出かけた後 予定通りケアマネが訪問され 一時間半にわたって私のあれやこれを
出生地に始まって経歴や履歴 今に至るまでの事や身体の状況などを 事細かに聞かれた。

自分でも忘れかけていることや 日頃深層に押し込めている自身に向けての感情などが
つい浮き上がってくる。

痛みさえなかったら 私の人生はどうなっていただろう ケアマネが帰られた後
ふとそんな どうにもならないことを想ったりした。

日本の小学校や幼稚園を体験させたくて また今夏も 娘が二人の子供を連れてやって来た。

去年と同じ担任 と聞いて 臆病な上の子はちょっと安心。
下の子は 骨折してはめていたギブスが昨日取れ プールに入ってもよくなってから来た。

このところの東京は 連日雨ばかりで気温も上がらなくて寒かったらしく 最寄りの駅に
降りたとき 暑いのにビックリした と娘が話していた。

確かに昨日は暑くて三十度もあったから 夫は息子宅から借りた大きなビニールプールを
ふくらませて水を張り 我が家に着いたばかりの孫たちを さっそくプールに入れて
遊ばせた。

年に数回しか会わないと 孫たちの成長ぶりがよく分かる。
背丈や脚の長さ 足の大きさなど 身体的な成長はもちろん 来るたびに母親の手を
わずらわす事が少なくなってきた。

それに下の子は 語彙が急激に増え言い回しなども大人顔負けに返してくる。

上は上で 言葉や会話の内容への理解度が深まり 一層思慮深くなったようだ。

今日は 夫は朝早くから高山行き。
残った私は娘や孫たちと ちょっと時期遅れだが ほう葉寿司を作ろうと思っている。

ほうの葉は 昨日夫に頼んで 畑から採って来てもらった。
盛りを過ぎてしまっていて いい葉ではないが それでも 東京や七里ガ浜ではできない
山の料理作りに参加することを 孫たちはきっと楽しむだろう。

ワイワイとみんなで一緒に作るほう葉寿司が夕ご飯になる。

二人の小さい人たちは 明日からに備えて 今夜は早めの就寝になるだろう。

昨日 お昼前 以前にお見舞いに行った高山の叔母が亡くなった知らせが入った。

医師からも告げられていたし覚悟ができていたのだろう 電話の向こうから聞こえてくる
従兄弟の声は落ち着いていた。

とうとうその日が来たか と 電話を受けた私も 静かに葬儀の日程など聞き 岐阜の叔母へは
私から知らせてほしい という従兄弟の頼みを了承して電話を切った。

岐阜の叔母に連絡すると 開口一番 とうとう私一人になってしまった と 返ってきた。

私の父の兄弟とその連れ合いの中で たしかに彼女一人だけが此岸に残されたことになる。

岐阜の叔母は私より十歳多い。 この十年の開きは 物事の見方や考え方 捉え方を大きく
変える重要な年月なのだ と 叔母の言葉で思わされた。

近親の者たちが次々に鬼籍に入っていき この世に生きるのが自分一人になってしまったとき
言いようのない寂寥感や心許なさ この先への不安に襲われたのだろう。

その証拠に 昨日は何回となく電話がかかってきた。
一人でいることにいたたまれなさを感じてのことだったに違いない。

近親者の訃報に接しても 今はまだ我が身に近いこととは感じられないでいる私だが
年を追うごとに 周囲から一人欠け二人欠けしていく日が必ずやって来る。

そうした日々を そうなったときの境遇の中で いかに心穏やかに受け止めて暮らせるか。
これからの毎日「老い」をどう見つめて暮らしていくか。

とても大きな大切なことに気づかせてもらった そんな気がする昨日だった。

今の私の体では高山へ行くのは無理なので 万が一の時は夫が一人で行ってくれる と
以前から決めてあった。

娘や孫が来て早々になってしまったが こればかりはどうしようもない。

明日の本葬には 夫が参列してくれる。

私は家にいて ただ冥福を祈るばかりだ。

午後四時から 三人同時の来訪があり 何が私に必要か の話し合いをした。

初めての来訪だったケアマネは 隣の市に住まいがあるという女性で 大きな声でよく笑う
性格も良さそうな 好感が持てる方だったので安心した。

生活補助器具についても 試してみていいと思ったら それから決めたら? と キチキチと
話をつめなくていい方針で考える人だったから こちらも自然 構えなくて気楽に口にでき
ありがたかった。

ほとんどバリアフリーの我が家だが 唯一トイレとの間に段差がある。
ドアの下に 7センチの高さの巾木があって トイレ側に同じ高さで立ち上がっているタイル
が 巾木と一体になっている。
しかも トイレは ドアを挟んで床面が三センチほど低い。

住宅改修が使えるならば その巾木を取り除き トイレ側に三角状の物を置き段差を解消する
ことができないか。

父の時につけたトイレ内外の手すりを 全て新しく付け直す。

玄関のたたきに腰を下ろして靴の脱ぎ履きを容易にする器具を用いる。

玄関外から門扉までのアプローチの 今取り付けてある反対側の壁にも長い手すりをつける。

浴室内に二箇所手すりを取り付ける。
浴槽内に置く台をお試しする。

などなど 決まり センターとの契約書類やケアマネ側との書類に署名捺印。

帰宅し途中から加わった夫も混じって これら全てが終わって三人が帰られるまでに二時間
近くかかった。

そして 私の体の詳しい状態を知りたいから と 来週月曜日に改めて 今度はケアマネが
一人で来訪することになった。

支援の大まかと方向が見えてきたことで 私自身の気持ちが落ち着いた。


明日の午後には 東京から娘が 二人の子をそれぞれ日本の小学校と幼稚園に通わせるために
去年と同じようにやって来る。

しばらくは 怒涛のような賑やかな毎日が続く。


近ごろ なぜかブログを書く気が起きなくて怠けていたら
「どうしたの? 体悪いの?」
と 友人が心配して連絡をくれた。

連絡をもらって初めて アラ?そんなにあげてなかったっけ? と気がつく始末。

心配してくれた友人に 脳天気な私はひたすら申し訳なくて・・・。

手術後 なかなか体調が戻らなかったのは事実。
凄まじい稲妻が脳天から足の先まで走り痛かった分 早く効果が出るかと期待したものの
その割には腰の痛みは変わらないし 左足には最近めったにない強い痙攣がきたりで
気持ちが立ち上がってこなかった。

でも 昨日は 久しぶりに I さんと会って長いことあれこれ話した。

彼女には いつも必ずなにか為になることを教えてもらえるし 豊富な示唆に富んだ
興味深い話がきける。

家ばかりにいてなんの変わりもない暮らしを送る私には 彼女と会って話す時間は
とても貴重な時間だ。

離れていて年に一度も会えなくても気にかけてくれる友
たまにしか会えなくても気を許して話せる友

閉じこもって暮らしていても 全然淋しくも悲しくもないのは きっとこんな
揺るぎない信頼をおける友人がいてくれるおかげだ。

私の人生を支えてくれる大切な友がいてくれる・・・

そのありがたさを改めて感じている。