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昔から胃腸が弱い夫。

結婚当時は胃潰瘍を患っていた。
新婚早々の若嫁だった私は 自分の体をかえりみないで昼夜なく働くのに 暴飲暴食して病院へ
行こうとしない彼の胃潰瘍を なんとか治そうと 民間療法の漢方薬を手作りしたりして
根気に施し治し 完治させた。

しかし 治ったことをいいことに深酒をするので また初めからのやり直しになる。
それを繰り返しながらも 胃潰瘍自体は完治に至った。

ところが 面倒なのは腸の方で なかなか手強くて 何度病院で処方される薬を飲んでも
一時はいいようでも すぐまた具合が悪くなってしまう。
長年この繰り返しで今日に至っている。

消化器官専門医にかかり薬を飲んでも 最近そこから変わってかかりつけ医にかかっても
どうもいい状態にはならない。

それで 去年専門医の医院で検査したのにもかかわらず 今日 またかかりつけ医の紹介で
総合病院での検査を受けた。

朝早くから出かけて行き 帰ったのは午後の二時半を回っていた。

それから 消化のいいもので遅い昼食をとり 今回は検査の際に痛みがあったとかで
疲れが大きかったのか 夕飯はいらない と言い置いてベッドへ入った。

明日 かかりつけ医のところへ行って 検査結果を聞くことになっているらしい。

明日は土曜日で 医院は午前しか開いていないから 明日もまた午前の早い時間に出かけて
行くことになる。

何もなければいいが と内心では心配している。


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この夏毎日 朝から晩まで 暑い暑い と言いながら エアコンと扇風機を同時に使い お手洗いでは
サーキュレーターを使って暑さをしのいできた。

屋内の暑さ対策として それしかない と思って過ごして来た。

我が家では子供達が成人してしまっていて 暑さ凌ぎには ほかにいいことがある ということ
を すっかり忘れていた。

それは かき氷だ。

そうだ かき氷を作って食べたら束の間でも涼しさを感じられる と思い出させてくれたのは
七里ガ浜へ行った時だった。

午後遅くに七里ガ浜に着いて娘家族の家へ行くと 暑かったでしょう と言って 娘がかき氷を
作って出してくれた。

かき氷を食べたなんて いつが最後だったか分からないくらい昔のことだ。

娘が出してくれたかき氷の美味しかったこと 美味しかったこと!

「そうだわ 日中暑い最中には かき氷を作って食べたらいいんだわ!」

思わずそう言うと 娘が笑いながら
「子供がいないとかき氷なんて家で食べないでしょ 暑い時にはこれが一番体の熱を
冷ますのにいいみたい」

そうなのだ。
暑さで食欲も落ちているから 削った氷に練乳や抹茶をかけ 凍らせた果実を散らしたり
アイスクリームを添えたりカステラやスポンジケーキを載せたりすれば 栄養補給にもなる。

着いたばかりなのに
「帰ったらさっそくかき氷器を買いに行かなくっちゃ!」「絶対に買うわ!」
と 言って みんなで大笑いした。

昔 子供たちが家にいた頃には我が家にもかき氷器があったが いつのまにか使わなくなって
古くなったから と 夫が捨てた。

それにしても 七里ガ浜で何十年ぶりかで食べたかき氷の美味しさと清々しさは 私に
ちょっとしたカルチャーショックを与えた。

そして とうに忘れてしまっていた懐かしい物への回帰と新鮮な思いを起こさせた。

七里ガ浜から帰った途端に気温が下がり かき氷の出番はないから まだかき氷器は
我が家にはない。

でも 季節の変わり目も近いから 電気屋さんではかき氷器のセールもあるのでは と
最近 新聞の折込チラシをよく見ている。

お昼前 介護保険で車椅子を使う件が承認された事を受けて これまで実費でレンタルしていた
車椅子を より室内で使いやすい作りになっている車椅子に交換するために 新しい車椅子を
持った業者と 書類を携えたケアマネの訪問があった。

本来ならもっと早く承認される予定だったのが なぜ車椅子が必要なのかを書いてもらう書類の
医師の所見欄が 直接お願いしたにもかかわらず 白紙だった とケアマネから書類を渡されて
再度 医師にことの訳を話すと 医師も書いたつもりだった悪かったねぇ と さっそくその場で
書いてくださった。

そんな経緯があったものだから 介護保険での車椅子利用の承認がおりるのが ひと月遅れた。

新しい車椅子は よりコンパクトになっていて しかも四輪だから小回りがきいて使いやすい。

この車椅子とその上に敷くマット それに 玄関に置いている靴の脱ぎ履きが楽にできるよう
手すりも兼ねた椅子 これらの三点をレンタルする事が これで本格的に決まった。

今後必要に応じて利用する物が増えるだろうが 利用限度まではまだかなりの余裕があるから
今のところは安心していられる。

それにしても 車椅子も玄関の椅子もマットも 業者はいつも新品を持って来て換えてくれる。
申し訳ない思いがしてそう言うと それがレンタルのいいところだから と担当の社員は
こともなげに言う。

ケアマネも 何か不都合や不具合が出てきたら いつでも言ってくださいね と言ってくれる。

トイレのバリアフリー工事は来月の九日に 屋外の手すりの取り付けは十一日に と決まった。

それらが済めば 今の段階でできることは すべて終了する。
介護認定の申請から長くかかったが これでようやく落ち着く。



大学病院での診察や治療が終わって 会計が済み処方箋を薬局へファックスで送った後
迎えに来てくれた夫と 以前から 寄ってね と言われていた叔母の家へ行った。

今日のように叔母宅を訪れるのがお昼時になる日は 叔母は 何かしら配達を頼んでおいて
食べさせてくれる。
車がないから 外食しようにもタクシーを呼ばない限り出かけられないのだ。

でも今日は夫がいるので 叔母は 最初から外食しよう それも ごく最近叔母宅の近くに
できた これまではデリバリー専門だったお寿司屋さんが開いたお店へ行きたい という
希望があったので そこへ行くことに。

これまで離れた場所にあったこのデリバリー専門店のお寿司屋を 寿司好きな叔母は
何かというと重宝して たびたび使っていた。

そのお店が叔母の家に近い場所へと移転して来 おまけに店内でも飲食できる店舗として
最近オープンしたから 叔母は行って見たかったらしい。

夫や私に異存はなく さっそく三人で車で出かけた。

車だとほんの二、三分の場所に そのお店はあった。
よく賑わっている。

しばらく待つとテーブルへ案内された。
真新しい店内は明るくて気持ちがいい。
テーブルも椅子も全てが新しいし 働いている若い男女の動きもキビキビとしていて
感じがいい。

このお店は もともと釜飯類も配達するお店だから 置いてあるメニューもお寿司の膳と
様々な釜飯膳がベースになっていた。

今回はお寿司にしよう と三人とも同じ膳を注文した。

運ばれて来た膳に載っている幾つかの器も 当然ながらピカピカ。
その上やその中に 彩りよく料理が並んでいる。

配達されるお寿司のネタも まあまあ悪くなくて美味しいが 店内で供されるお寿司は
もっと新鮮で大きくて美味しかった。シャリも多い。

これだけ新鮮で美味しく値段もそこそこだったら すぐそばに以前からある回転寿司屋
は さぞかし痛手だろう とまで思えるほど 納得のいくお寿司の膳だった。

我が家のある場所は デリバリーのお店は 唯一ピザ屋が一軒あるだけで
あとは あまり美味しいと思えない個人のお寿司屋さんがあるだけだから こうした
お店があるのは羨ましい。

体調の悪い日など 気軽に配達を頼めるお店があるとどんなにかいいだろう と思う。

お昼にお腹いっぱい食べたせいで 夕ご飯が入らなかった。

よくなかったMRIの結果など 美味しいお寿司が吹き飛ばしてくれた。

今日 大学病院で 先週金曜日に受けたMRI検査の結果を聞いた。

前回の検査に比べてどれだけ悪くなっているか が問題だった。

あまりいい結果は出ないだろう と予想はしていたが 果たして 画像を見るに
前回の画像より 五番目の腰椎がかなり狭くなっていて おまけに 今回の画像では
これまで左だけだった狭まりが 右側にも起こっていた。

ということは 現在 時々左足に起こる強烈な痙攣が いずれは右足にも起こる可能性が
大だということだ。

では 整形外科で手術すれば起きなくなるか というと そうではない。
今の左足に起こる症状がそうであるように 術後に痛みや痙攣は おそらく起こるだろう。

一度整形外科にかかってみてもいいですよ と 麻酔科の担当医は言われたが
痛みがなくなる保証がないのであれば あと十年と少し 骨の手術などしないで このまま
いくのが一番いいような気がして そう医師に話した。

今後は まあ臨機応変に考えて対処していきましょう との医師の返事だった。

もし今が五十代なら きっと 手術する方向へと関心や考えが向かうのだろうが もう七十だ。
再手術したからといって 山登りやテニスやバレーボールができるまでには 絶対にならない。
家事がそこそこできてたまに外出できて 年に一、二回娘のところへ行けたら それで十分だ。

そんな自身の今後の望みを医師に話すと そうですね、あまり高望みしないで穏やかに
暮らせるように と考えた方がいいかもしれないですね。 と 医師も言われた。

そうしていくために その都度その都度考えて できることを対処していきましょう。

最後に医師はそう言われた。
そうやって診察室での話が終わり トリガーと点滴をしてもらう処置室へ移動した。



我が家がある市には 乳がん治療では中部圏で有名な病院がある。

少し離れた市に住んでいる友人が 今日 手術後の診察と投薬を受けに その病院を訪れた。
それも 彼女を車で送迎するのは もう一人の友人。

それで 何日か前に彼女から 三人で一緒にランチをどうか とメールをもらった。

ずっと彼女の病状が気にかかっていたこともあって 二つ返事で承諾した。

彼女は今 乳がんの他に 完治しない病が発見されて 両方の治療を受けているところだ。

会ってみると 想像していたよりずっと元気そうではあったが まだ痛みはある と言うし
これでも戻ってきたの と言ってはいたが 体重もかなり落ちている様子だった。

辛抱強い彼女が まだ痛みはある と言うのだから 治療による不快感や副作用はかなりの
ようだった。
それでも ありがたいことに薬がよく効いているらしい。
でなければ いくら近くの病院へ来たからといって ランチを一緒になどできないだろう。

気の置けない仲 とあって 友人は 乳がんが発見され直ちに手術となった経緯や
それを追いかけるようにして発見されたもう一つの病いについても 発見に至るまでの
体の変化や 治療が始まって以来の体調など 自分から話し出し 教えてくれた。

近年 成年日本人の二、三人に一人はがんに罹患するらしいが それでも 一人で
二種類もの異なるがんになる人は 滅多にいないだろう。

放射線治療によって出てくる様々な副作用や苦痛など 彼女は隠すことなく話した。

乳がんの方ももう一つの病気の方も ある程度の治療が終わったり気持ちが落ち着いて
冷静に病気を受け止められる時期になったりしたからこそ 電話をくれたのだろう。

医師から 完治しない と告げられた時の思い その後 今に至るまでの心境など
ようやく 会って話せるようになったのだろう。

少しずつ元気になってきた とはいえ 未だに家事のほとんどをご主人に頼っている
から ご主人に 絶対に私より先に逝かないでね と言ってるの と 笑いながら
彼女は話した。

命に関わりがないものの 同じように完治しない病の私も 日頃 夫に 同じことを
言っているから この点の彼女の心境はよく分かった。

冗談を交えながら病について話せるまでに どれだけ自身の中で葛藤があったことか。

昔から我慢強く それでいて 周囲の人の言動もやんわりと受け止められる彼女だから
こそ 大家族に嫁ぎ 子育てしながら 大舅と大姑 舅姑 小姑と暮らし 婚家に繋がる
たくさんの親戚に囲まれて生きてこられたのだ と思う。

そんな彼女に いちどきに二つもの病気を それも一方は完治しない病気を与えるなんて
神仏はなんて不公平なのだろう。

神仏は耐えられるものに耐えられる辛苦を与えられる と何かで読んだか聞いた。

きっと彼女なら耐えられる! そう思われたからこそ彼女が選ばれたのかもしれない。

友人の 明るく穏やかな佇まいや笑顔を見ながら しばらくの時間を共にした。

実行委員は午前九時十五分集合で 昨日に続いて会場の設営を完了し 催しが始まった。

三回目とあって 年々会場の使い方 各コーナーのレイアウトなど 去年よりずっと改良され
ていたし 来場者も回りやすくなっていた。

読み聞かせと本のコーナーも 過去二回の反省に立ってテーブル上の本の並べ方見せ方など
今回が一番工夫をこらした。

そのおかげか 幼い子を連れた母親も多く足を向けてくれ 子どもが興味を示した本を
椅子に座って 一緒に読み聞かせたり 子どもが一人でやって来て 真剣な顔つきで
何冊も読んでいったり 用意してあった大きな本に目を留め 読んだりしていた。

リクエストがあれば コーナーを受け持っていた委員が交代でページをめくったり読んだり
するつもりでいたが 幼い子は むしろ母親に読んでもらいたがった。

だから コーナーを受け持っているからといって なにも委員が出しゃばる必要などないのだ
と 改めて思った。

話し方教室へ通ったりして 特に読み方の勉強などしていなくても やっぱり母親が一番なのだ。

申し合わせた訳ではなかったのに 今回集まった本には マンガやアニメ系の物が一種しか
なかった。
また 会の性質上 平和や戦争に関する本が多くなってしまい 幼児が面白がって読む本が
少なくなってしまった。

友人と この反省を来年まで覚えておこうね と話した。

それでも 去年に上回る来場者と 工夫されたステージでの演奏やダンス 群読 や
リレートークなど 去年より洗練されたものになっていて とてもよかった。

反省点は次回に生かされ 次回はもっといい催しになっていくだろう。

手弁当の 全くのボランティアばかりで組織される催し 委員一人一人の思いや
考えが一つになっての 今年の会が終わった。

今日は午後遅くから 大学病院でMRI検査がある。

だから いつもなら午後に行くリハビリを 午前中に行ってやって来た。
腰に痛み止めの注射もしてもらった。

なぜなら 明日は 朝九時十五分集合で 生協の子ども平和広場が催されるからだ。
本来なら今日 他の実行委員たち同様 会場の準備や設営に出かけなければならないのだが
重い物を持ったり動かしたりできない私は こういう場合 役に立たなくて不参加だ。

今年で三回目を迎えるこの催しに 友人に声をかけられて初回から参加している。
担当は もっぱら本の読み聞かせや紙芝居など 平和や反戦 戦争に関連する子ども向け本
を集めたコーナーだ。

明日は 終了まで 設けられたステージで 群読やハーモニカの独奏や合唱や楽器演奏など
様々な協賛団体の発表があったり 昔遊びのコーナーがあったりして 声高に反戦を唱える
のではなく いじめも含めて みんな仲良くしよう と さりげなく訴える。

いつも片付けを終えると夕方近くになるから 重いものを持ったりはしなくても 用心の
ための痛み止めの注射だ。

初回から この催しを成功させようと 一生懸命に動いている友人の手伝いが 少しでも
できればいい と思っている。

娘夫婦の二年生の長女は 幼いうちから運動があまり得意ではない。
臆病で怖がりだから なんにでも思い切って飛び込んでいけないことが第一の原因ではないか
と 夫や私は思っている。

それと 彼女に競争心や闘争心が全く具わっていないことも大きい。
この点は 私もそうだから 隔世遺伝なのかもしれない。

自分の子だから娘もそれを早くから承知していて 赤ちゃんの頃から体操教室へ連れて行ったり
できるだけ体を動かすことの楽しさを植え付けようと努力してきた。

マイペースの性格もあって 今のところ孫は 自分の運動神経が少々鈍いことに気づいていない。

だから スイミングもスケートも他の子より上達が遅いのだが そんなことはなんのその
毎週楽しく通っていて 先日 私たち夫婦が遊びに行っていてオリンピックが話題に登った時も
「私も大きくなったらオリンピックに出たいな」と言ったものだから 娘は 笑顔で
「出られるといいわねぇ」と無邪気な長女の気持ちを受け止めていた。

こんな風に 邪気なくただただ楽しい気分で通うから スイミングもスケートも
全然嫌にならず 嬉しそうに今も通い続けている。
だから 彼女なりに あくまで彼女なりに 少しずつ少しずつ上達してきた。

たまに行って見学すると その前に見学したときに比べると ずいぶんと上手になっている。
今はバックでも滑れるようになり あと一段階昇級するとジュニアのクラスに入れる と
ニコニコ顔で嬉しそうに話してくれた。
(それだって 一緒に始めた子たちは とっくにそのクラスにいるのだが)


それと なんでもそうだが はたの者からタイミングよくちょっとしたアドバイスがあったり
すると それによって 苦手でできなかったことができるようになったりもする。

孫は 縄跳びがそうだった。
いくら娘が一緒になってできるようにさせたいと思って教えても 縄跳びができなかった。

それを先日 夫が娘に 縄跳びが追ってできるようになる段階を教えてきた。
その通り 娘が指導してみたところ 孫は見事に短期間で飛べるようになった。
夜 飛べるようになったことを報告してきた。
よほどうれしかったのだろう。

この 冷静に段階を追っての指導もまた 継続してこその成果が得られるコツだろう。

なかなか上達しない 上手くならない と気に病んだり悩んだりしてもなんの役にも立たない。
ただただ楽しんで 自分なりにやっていけば 少しずつでもできるようになる。

今日の習字がそうだった。
ある程度の段まで来ている仮名文字なのだが マンネリ化しているからか 自分でも納得のいく
文字が ずっと書けていなかった。

それを今日 先生の一言で なるほど!と気づくことがあった。
そのあと 気づいた点に注意しながら書いてみると これまでとは違って 文字が生きてきた。

くさらないで 楽しさだけに気を置いて続ければ ふっと小さいながらも跳躍できる時がくる。

何事も気に病む質の私が 考えてみれば当たり前のことを 改めて孫に教えられている。
やっていることは孫と同じ。
要は 何事も自分らしく楽しんで継続できたらいい! この一語に尽きる。





昨夜 予定通り帰宅した。

駅までは次男が迎えに来てくれ 途中で長男宅へ寄り土産を渡し帰って来た。

七里ガ浜では案の定 行く前から 来ると承知で出かけたノロノロの大台風の影響で
外出もできず 大屋根に近い高さのベランダから 浜に大きな白波が立っているのを
強い浜風に吹かれながら眺めたり 孫たちと遊んだりして過ごした。

海が凪いでいるときにも潮騒が聞こえるが 台風の余波ともなると その波音は
鈍く重く大きく響いてくる。

さすがにサーファーの姿はなく 荒れた高い波頭ばかりが いつも孫たちが遊ぶ砂浜
まで打ちつけていた。

そのせいだろう。
稲村ガ崎辺りの海岸道路の歩道が 一部陥没したらしい。

そうでなくても一本しかない道路が片側通行になり かなりの渋滞だったらしかった。

それでも昨日からは風雨も収まり 七里ガ浜自治会主催の夏祭りが開催された。

自治会主催というから 大したことはないだろうと思って 娘家族と出かけて行くと
七里ガ浜中の住民が集まったかと思うほどの人出で テキ屋が一切入らずに全て自治会が
設けたという屋台やテントの店の数がものすごい。

中央にはステージが組まれ 各種教室の 子供から大人までの バレーやらフラダンス
やらハワイアンやら同好会のバンドやらが 次々に空く間なく日頃の成果を披露して
いて おおぜいの観客からやんやの拍手をもらっていた。

孫たちは しばらくステージを観た後 屋台やお店を見て回り ヨーヨー釣りやくじ引き
などを楽しんだ。

週末の夕食はいつも父親が料理するので 早めに切り上げて帰宅し 皆で婿の料理を
いただいた。

婿の料理は必ずなにかのお肉のローストに ボイルした野菜やローストしたジャガイモ
がつく。

孫たちは父親のお肉の料理が大好きで 大人顔負けの量を食べる。

これだけ子供たちが喜んで食べたら作りがいがあるわね と言うと 婿も嬉しそうだった。

そして 海が凪いだ今日は 朝から私を除いた五人は 海釣りに出かけて行った。

道具は 私たちが行ったその日のうちに 夫が娘や孫を連れて釣具屋へ行き
調えてあった。

釣果はそこそこあったが なにせ幼い孫たちも混じっての岸壁からの釣りだから
魚自体は小さなもので これでは干して煮干しにでもするよりないわねェ と
娘が笑いながら言っていた。

こうして七里ガ浜での滞在が終わり もっといて もっと泊まって と引き留める
孫たちを最後の最後までなだめて 鎌倉駅へと江ノ電に乗った。

どこへも出かけず屋内で孫たちを相手に過ごした数日だったが 幼い子らの
純真な発想やしぐさやもの言いは 確実に心をやわらかくしてくれた。

孫たちはハーフゆえに 父親と母親の両方の言語を習得せねばならず その分
学習の負担が大きい。

私たちの滞在中も 毎日 母親がつきっきりで漢字の学習をしていた。
新学期になって直ぐには 英語の読み書きの習熟度を見る試験もあるらしかった。

泣きべそをかきながら勉強する姿は 見ているジジババも辛いが 心を鬼にして
側について学習させている母親は もっと辛いだろう。

ガンバレ!ガンバレ!今は大変でも 将来にはきっと役に立つからね!
心でそうエールをおくりながら 勉強の邪魔にならないようにと 下の子に本を
読み聞かせたりした。

婿や娘には 別の意味でも 親として悩ましいことがたびたび起こる と話してくれた。
それは 二人の娘たちに モデルへのオファーがあちこちからあることだ。

これに対しては 婿がガンとしてお断りするのだが よくもこんなにモデルの口が
あるものだ と呆れるほど 様々な会社や事務所からの勧誘が次々にあるらしかった。

それに加えて 近所や知り合いの人を通してのお誘いがあったりして そちらからの
お話を 角を立てずにお断りするのに神経を使う と言っていた。
一度お断りしても その後も何度となく仲介されたりお誘いがあったりするらしい。

相手はよかれと思って話をもって来てくださるのだから お断りの文言によっては
気分を害してしまう事態になりかねない。

とにかく どこからのお誘いでもお断りすることで理解してもらうよりないだろう。

家の中で過ごすことで 娘夫婦や婿の仕事や孫たちの 今まで知らなかったことや
見えてこなかったことなどにも触れることができた。

台風も あながち悪いことばかりではない数日を与えてくれた。

このところ ずっと何もする気がなくて なんということもなしにダラダラ過ごしていた。

暑さと痛みと病院通いとわずかな雑事だけで過ぎていく毎日の私に比べて
夫は真っ黒になって痩せるほど体を動かし 忙しく過ごしていた。
そして 昨日あたりで 畑でのすることがなくなったらしい。

私の様子を横目で見ながらも毎日畑へ畑へと向かって行っていたのが することがなくなって
手持ち無沙汰になってきたからだろう。
夫が 七里ガ浜へ行こう と言い出した。
夏休みの間に一度二人で来たら と娘に誘われていたこともある。

私の実家のお墓参りも済んだし 夫の実家のお墓と仏壇へのお参りも一昨日済ませたから
行こうと思えば 世の中はお盆でも行けないことはない。

家にいる次男は 長男に誘われて姪の所へ出かけていて 留守の間の食事などの心配を
する必要がないから なおのこと行きやすい。

私が何日もブログをあげないものだから 心配して連絡をくれた友人にこの話をすると
気分転換にもなるから行って来たら と勧められたことで気持ちが決まり
それなら台風の影響が出ないうちに と さっそく 明日 出かけることに。

今日は午後から大学病院だったから まずはその前に駅へ行き切符を入手して 帰宅後
慌ただしく着替えなどの荷物をまとめ 宅配で送った。

明日の朝は 嫁が 駅まで送ってくれる というから ありがたく甘えることにした。

台風の影響で荒れるかもしれない海を眺めれば 少しは気分が変わってやる気が起きる
かもしれない。



一昨日 夫と 息子が運転する車で 私の実家のお墓参りに行った。

もちろん 行った目的はお墓参りだから まずは一路 墓地へ行き 周囲の清掃や草取り
暮石の清拭をして綺麗にしたところで お花をたてろうそくと線香に火をつけて三人で
手を合わせた。

夫と一緒だと 目的の墓参が済むと そこからはお決まりのコースになる。

ひいきのお店で お昼ご飯に中華そばを食べ いつものスーパーに寄って買い物。
それも 決まって買うものがあるし 魚も必ず買う。

一昨日は 今まで食したことのない魚のお刺身があった。
いち早くそれを見つけた息子が こんな珍しい魚の刺身は食べないと!と
目を輝かせ まずはカートのカゴへ入れた。

ほかに珍しいものも数点あったが食指が動かずスルー。
でも家の近辺のスーパーでよく見かける魚介類でも 光り方が格段に違っている。

つぶ貝やとり貝 赤貝も 見ただけで 鮮度がいい とわかる。

それで 数種類の刺身のトレーをカゴに入れた。

ほかのお決まりの食品も買って あとは帰るだけ。

本当にあっけないほどの 私には物足りない思いの あわただしい故郷帰りだが
乗せて行ってもらえて 自分ではできない清掃やら何やらをしてもらえる
のだから 親戚や友人の顔が見られないのが残念であっても そこで文句は言えない。

帰宅後 夕食には 買って来たお刺身や何やらが お酒の友になったり
おかずになったりしたが ひさしぶりに美味しいお刺身を食べたね と
三人で言い交わすほど どれも驚くほど新鮮で うまみも甘さも歯ごたえも
抜群だった。

食べながら 昔昔 夫と一緒になった頃 魚屋に並ぶお刺身を買ったはいいが
まずくて食べられなかったこと 親しくなった人との会話で それを言うと
あんな山奥なのに刺身が美味しいなんて あるわけがない! と信じて
もらえなかったことなどを思い出し そのことを二人に話した。

夫も息子も それが事実 と分かっているから 「たしかに山深い所だから
何もないひどい田舎なのか と他所の人は思うかもしれない。 もちろん閉鎖的な面も
あったりするが それなりの歴史と洗練された文化や伝統が 形になって残っている。
食に関しても 一般に言うところの会席料理だって 金森宗和の宗和流に則った料理
が今もあったり 年越しやお正月だって きちんとこうして迎える という形に近いもの
がある。昔からの習わしに加えて近代では 山国であっても交通の発達で海が近く
なっているから 新鮮な魚介が手に入る。加えて肉類も特産があったりするからね。
雪の始末さえ考えなくてもいいなら 住むのにいい所だよね。」

と 身びいき半分にしても その場は マア冷静な公正な そんな話に落ち着いた。

夫はともかく 息子がそう思っていてくれる気持ちが 私には嬉しかった。

あれほど可愛がった孫が語る言葉を 彼の祖父母は どれほど嬉しく聞いただろう。
きっと 私以上に喜んだに違いない。

山国で買ってきたお刺身を食べながら 口や胃の腑だけでなく 心までが
美味しさを味わったような 一昨日の夕ご飯だった。

昨夜 夫が急に 私の実家の御墓参りに火曜日に行くか・・・?
と言った。

私も心で この夏のうちに夫が休みのうちに 実家の御墓参りに行きたい と思っていた。
だから いつだったか 夏のうちに御墓参りに行きたいなあ・・・と夫の前でつぶやいた。

夫は それを気に留めていてくれたらしい。

それで 息子と三人で明日の朝九時に家を出て お墓へ向かうことになった。

夕方 リハビリに行った帰りに お墓の供花を買い 帰宅後 お墓を掃除する道具や
お供えする線香 ろうそくにマッチなどを 買ってきたお花と一緒に揃えて準備した。

明日も暑くなりそうだ。

父母は 古代の神々が舟を着けたという 姿が涼やかで流麗な山を日々臨みながら
泉下で私たちが行くのを待ってくれているだろうか・・・。

哀しみや苦しみや悔恨や この世での様々な思いを超えた彼岸の世界で 二人は
仲良く とまではいかなくても 肩を並べて待っていてくれる と想いたい。

昨夜遅く テレビを観ていたら 京都にある楽美術館が映った。
楽茶碗は 千利休と楽家の陶工たちのたゆまぬ研鑽によって 現代までめんめんと受け継がれ
数々の名品が現代までに産み出されてきた。

楽焼の茶碗は 萩焼 唐津焼の茶碗とともに茶道にいそしむ者には まず持っていたい茶碗だ。

こんなに伝統のある窯の焼物であるにもかかわらず 以外に身近にある茶碗でもある。
我が家にも ひと碗ある。

この茶碗は 五十年も前 病んで臥せっていた祖母を見舞った時 祖母が 私に こっそり渡して
くれた。

元は箱に納められていたものだろうが 母によると この茶碗は 祖母が嫁いる際に持って来た
道具の一つで 長年のうちに日常使いし 箱がなくなってしまったのだろう ということだった。

たしかに祖母は 若くして戦争で寡婦になって以来 多少の田畠を耕して生きてきた。
そして 野良仕事の合間には この茶碗とやかんに抹茶を持って出て お茶を立てて休んだ。

だから 大切に大切に深窓で扱われてきた茶碗と違って かなり使い込んだ跡の汚れなどもあり
決して綺麗なままの茶碗ではない。

でも その汚れは 祖母が長年この茶碗を好んで身近におき 使っていた証拠の汚れであって
そこには 祖母が生きた哀楽が詰まっている茶碗だ。

田畑の畔に座り この茶碗でお茶を立てて飲む時 祖母は何を思っていただろう。
豊かだった生家で過ごした娘時代の 楽しかった思い出だろうか・・・
この茶碗を嫁入り道具にと持たせてくれた父母のことだろうか・・・。

何人もいた自分の娘たちにではなく 祖母にとって初孫だった 祖母を慕って幼い頃から
一人ででも泊まりに バスに乗って行っていた私に と 祖母はこの茶碗を渡してくれた。

祖母が亡くなった後 一人の叔母が あの楽茶碗はどうした? と騒いだらしい。

最近では抹茶を立てて飲むこともなく過ごしていたが 昨夜の番組を観て 久し振りに
この楽茶碗に想いを馳せた。

温かみのある地厚の ほんのり赤みのさす楽茶碗は 私にとっては 祖母そのものに
等しい。

時々はこうして思い出し お茶を立てて楽しむ心のゆとりを持たねば と 思う。

夫はもともと麺類が大好き。
特に夏場の冷麦は 毎日でもいい というほどの好物だ。

これまで お店で買ったり到来物だったりの麺類を これでもか というほど食してきたが
これは美味しい‼︎と思えるものは少ない。

六月初め 新聞に うどんとも冷麦ともわからない太さの麺の広告が載った。
宣伝文言を読む限り丁寧に作られた麺だったから どうせこの夏も 美味しい麺が食べたい
と言うだろう夫のために 試しに取り寄せてみた。

値段は スーパーで売っている昔から定評のある冷麦と比べても あまり変わらなかったし
乾麺はそうめんくらいの扱いやすい長さだった。

届いた後 休日の昼間にさっそく茹でて食してみると 適度なコシがあり風味もいい。

試しに取り寄せたものは 数回でなくなってしまうくらい 夫も喜んで食べた。

それで 今度は 夏中食べられるように と大箱で取り寄せた。

ところが 毎日でもいい という夫のリクエストに答えて使っているうちに
「夏中」は もたなくなってきた。
この調子だと また頼むことになりそうだ。

そんなに麺ばかり食べても・・・と思わないではないが こう毎日暑いと
お米のご飯は食べたくないし 脂っこいものも胃腸にさわるから お昼は
どうしても麺類になってしまう。

栄養素の足りない分は できるだけ補うよう考えながら 日本中で一番暑い
この夏を 美味しい麺で乗り越えたい。

亡父を我が家に引き取った時に 始まったばかりだった介護保険を使って トイレの手すり
や玄関外の塀の手すりを付けたりした。

玄関外は 門扉から玄関先まで 敷石のゆるい階段状になっていて 植栽などもあったから
日本家屋に合った風情のアプローチになっていたが まずそれを全て取りはらって 車椅子のためのコンクリートのスロープに改造した。
その上で 片側の塀に長い手すりを付けた。

当時もやはり利用限度額の一割負担だったが かなり大掛かりな改修になったので
持ち出しの実費が多くかかった。

今回は トイレ内外の段差をなくしてフラットにする工事に 一番費用がかかる。
浴室内の二ヶ所の手すりの取り付けと あとはもう一方の塀に玄関先から延ばして
手すりを付ける。

それだけで 限度額を優に越してしまう見積もり額を 介護用品会社の担当者が 今日また書き直して 持ってみえた。

夫も同席しての話し合いと確認で その見積りで施工してもらう とお願いした。

実際に比べてみたわけではないから あくまでも感じだけだが 亡父の時と比べると
相対的に値が上がっているように思う。
十五、六年も前のことと比べること自体 おかしいのだが。

見積り書類が通り 着工するのは お盆過ぎになりそうだ。

家も 私の体に沿って 少しずつ変化していく。