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インフルエンザは 少しずつ快方に向かって来た。

とはいえ まだ咳は出るし体もだるく 動くのがしんどいしふらつく。
食欲もないから余計にだろう。

正午前 嫁から 今日の午後メールがきた。
前から 大学生になって家を離れている孫へ クリスマス前に送る荷物があれば
一緒に送ってもらいたい物があるから 知らせてほしい と言ってあった。

その荷物を今日送るから よかったら一緒に というメールだった。

東京の孫たちへ用意した時に こちらの孫への物も準備してあるが ラッピングが
まだだった。

こういう細かいことは夫に任せるのは無理なので しんどくても 嫁が来るまでに
しなければ とフラフラしながらようやく仕上げた。

でも 持ちに来た時にうつるといけないから 夫に応対を頼み またベッドへ。

来週になれば 外出できるようになる。

今年最後の受診になる大学病院へは なんとか行けそうだから嬉しい。
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昨夜とその前の夜 とにかくしんどかった。

昨日 家には夫のと息子のと車が二台もあるというのに 夫はインフルエンザで撃沈してるし
息子は明日 胃カメラの検査があるから出来るだけ接触を避けたいので タクシーを呼んで
かかりつけの医院へ行った。

夫から移ったインフルエンザだろうとは思ったが あまりにもしんどいから何か処置を
してもらって 少しでも楽になりたかった。

看護師さんたちは ご主人のが移りましたね と苦笑い。

A型と検査結果がはっきりし 咳が長引くと喘息が出るからか 重症と思われてか
それ自体がインフルエンザの治療だという点滴を二本してもらい 薬をもらって
またタクシーで帰って来た。

夫は吸引器を処方されたが 私は点滴だけ。インフルエンザの治療が
人によって違う と初めて知った。

点滴で体に送り込まれたモノが インフルエンザのウィルスと戦っていたのだろう。
昨夜は 意識が朦朧として少し体を動かすのですらしんどかった。

当然食欲もなく おおかた二日というもの 水分だけをとっている。

でも戦ってくれたおかげで 山は越したようだ。

バカは風邪をひかない というが 本当にバカなのでは と自分でも思うほど
腰と足の痛み以外は寝込んだことがなかった。

しんどい思いはしているが これでバカではないことがわかった。

勤め先の子供たちの間でインフルエンザが流行り始めた と先週の金曜日だったか
夫が言った時

私は アラアラ! でも予防接種してるから きっと大丈夫よね と 思っていた。

休日の土曜日にはどうしても叔母の家へ届けなくてはいけない物があるので
(それは叔母に頼まれていた物で催促されたので ) どうしても買いに行かねばならなかった。

ちょっと距離のある所まで買いに行き 翌日の日曜日に届けることにした。
直ぐにも届けたかったが 土曜日は来客が多いから日曜日にして との叔母の言葉に従った。

それで 翌日の日曜日に 注連縄や鏡餅などを買いがてら 出かけた。

多分 前日の遅くからもよおしていたのだろう。
夫は盛んに買い置きの葛根湯を飲んだり喉を気にしたりしていた。

でも 私には言わなかったが 次第に体調が悪くなっていったらしい。
モールへ寄って注連飾りを買うときに叔母の家の分も買ったりして
持って行ったが 夫は玄関先で届けただけで 家の中には上がらず帰って来た。

そして月曜日 朝早くにかかりつけの医院を受診した。
検査の結果 インフルエンザA型に罹患していることが判明!

予防接種のおかげで 去年も一昨年も近年は どれだけ園で流行ってもかからなかった。

それなのに やっぱり年齢のせいで免疫力が落ちているのだろうか。
今年はとうとうかかってしまった。

それからが大変!

寝室を別にするために 夫の布団一式を二階へ運び 室内の乾燥を防ぐために 室内物干し
を二階へ運び バスタオル三枚をべたべたに濡らして置いたり 氷枕を運んだり
お粥や雑炊など消化のいい物を作って三食を二階へ運び お茶や薬を飲むための水 果物
や 食欲がないので カステラ好きの夫に 買って来て運んだり 大わらわだ。

夜中も様子を見に行っては 直ぐに乾燥してしまうバスタオルに霧吹きで水を吹き付けたり
いつもは上がらない二階なのに えっちらおっちら 痛いのを堪えて何度も行ったり来たり。

今日の大学病院へは行けたが どうやら私も罹患したのではないか と思われる。

二十日には息子が胃カメラの検査の予約が入っているから なんとか息子にだけは
うつさないようにと思ってはいるが どうなるか・・・。

マスクの中に濡らした除菌のティッシュを挟んでいるし 私も寝室に濡らしたバスタオルを
置いたりするつもりだが もうすでにかかっているのなら どうしようもない。

おかげで 友人と会う約束もキャンセルする羽目になってしまった。

インフルエンザに勝てるものは 悔しいが何もないのが今の医学なのだから 仕方がない。
諦めるよりない。

前に息子とスーパーへ行った時 その頃にはもう お正月用に値段も形も様々な注連飾りや
大きさの違う種類の鏡餅などが 通路に所狭しと積んだり並べたりしてあった。

それを見て ああもうそんな時期になったのだ と改めて思わされた。

まだ買い求めるには早いが どんなのがあるのか見てみよう と二人で あれこれ見た。

するとその中に 京都の清水寺でご祈祷済みのものと聖護院でご祈祷したものとが
目についた。

作るどの段階でご祈祷を受けたのかは分からないが それでも 嘘で購買者を釣って
はいないだろうから 本当にご祈祷を受けたものだろう と二人して見ながら話した。

お正月の玄関先に飾るのに どうせならご祈祷を受けたものの方が気持ちがいいから
もし買うならこれだね とも話して その時は帰って来た。

後日 息子が どうせならこの際 縁起にもこだわって日のいい日に買った方がいいよ と
言い出し どの日に買ったら一番いいのか調べてくれた。

買いに行くのはたいてい午後になるからと 赤光 先勝ち 仏滅 先負けも含めて
悪い日を除くと 日がいいのは友引か大安だけ。 更に調ると 一般に祝い事にはいい
とされる友引だが 真昼は凶 だとあった。

まさか友引でも 時間によっては凶の時があるとは 初めて知った。

そうなると 日の制約がなくて買うのにいい日は大安しかない。

直ぐに大安はいつか調べると 残っているのは十五日二十一日三十一日の 三日しかなかった。

二十一日は夫も息子も予定が入っているし まさか大晦日に飾ったのでは一夜飾りになって
しまうから かえって縁起が良くない。
そうなると 十五日しか買う日がないではないか。

準備にはまだ早い気もするが 縁起をかついでしまったからには仕方がない。

そこで昨日 玄関飾りに神棚と車飾り それに床飾り用の鏡餅や神棚 夫の両親と
私の両親の戒名を飾っている場所用の小さな鏡餅 火の神水の神と出入りする
場所二箇所用の豆飾りを買い求めて来た。

気分とはおかしなもので 日のいい日に調えた と思うと 不思議に気持ちがいい。

それに 早めに準備したのは 私の中でもう一つの理由がある。

そろそろ神経根ブロックが効かなくなる時期が迫っているのを感じているからだ。
十二月の半ばを過ぎて手術を受けたこともあるくらい この時期は微妙だ。

痛みがもっと激しくなると とてものこと 正月の準備などできなくなってしまう。
そうなる前に できることは済ませておきたい。

最近そんな思いがあるから 余計に気がせくのもある。

とりあえず お正月を迎えるための料理以外の必需品は これで調った。




例年の十二月なら 最初の日曜日は 必ずと言っていいくらい天気が悪くて
鉛色の空を濃い灰色の雲が厚く覆い おおかたの年は冷たい雨がみぞれに変わった。

何故そう言い切れるかというと 師走の第一日曜は 隣市の衣類の問屋街が 街まるごとで
一般の個人客に向けて大安売りをする日だからだ。

夏は八月の第一日曜 冬は師走の第一日曜 と決まった日に催される大安売りをめがけて
全国から人がやって来た。
私も 育ち盛りの三人の子の衣類を求めて 必ずその安売りに足を運んだ。
そして寒い中を あちらの店こちらの店と歩き回った。

どうして過去形かといえば 隣市の主要産業でもあったアパレルが 今では影が薄くなって
問屋街そのものに活気がなくなり 伝統を受け継いでその日に店を開く問屋が
少なくなってしまい かつての賑わいが嘘のような有様だからだ。

その頃は 広い区域を占める当日の問屋街に人があふれていたが 今はその面影すらない。

全国的にも隣市がアパレルの街として名を馳せ好調だった時期には 市内にはデパートが
三、四軒 全国的チェーンの大きなお店が数軒あるなど 市全体が活況を見せていたが
それもアパレル産業の衰退とともに 今は昔の出来事だ。

昨今では 師走の第一日曜といえども 気温が高く温かいからだろう。
めったに氷雨が降ることもなくなった。
そして子供たちも大きくなり わざわざこの日に問屋街へ行くこともなくなっている。


それに代わって 我が家の軒下に干し柿の連が下がるようになったのは十五年ほど前からだ。

元々農業をするなど思ってもいなかった家だが 北向きの暗さを感じないよう 思い切って
広く作った玄関内が幸いして たたきを収穫した柿の山積み場にして 夫は毎晩皮をむき
連にして軒下へと運び吊るす。

結婚して四十六年 年が過ぎるごとに 師走の有り様も迎え方も変わってきた。

家族の構成も暮らしも 一年として同じ年はなかった。

この師走が過ぎれば また違う師走に向けての年がやって来る。

来る年がより良い年になるよう 大安の明日 注連飾りを買いに行く。


昨日は午後から 喉の具合が良くなってきた息子に連れて行ってもらって 予め準備してある
孫の誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントの足りないものを買いにモールへ。

東京の孫たちはまだ幼いから 自分の誕生日でなくても互いの誕生日に 自分にだけ何も
プレゼントがもらえないのは悲しいだろう と 何かしらあげることにしている。

上の子の誕生日が近づいてきたので 母親である娘に 今年は何がいいか聞くと
自分で作れる簡単な手芸の セットになっているものがいいから それをプレゼントに
してほしい ということだった。

手芸店で きれいなビーズをつないでバンドにし それを時計につないで可愛い腕時計を
作るキッドがあった。

孫は小さい頃からビーズを針に通しつなぎ ネックレスやブレスレットを作るのが大好き
な子なので これはもってこいのプレゼントだろう。

これまでは我流でつないで遊んでいたビーズだったのが 出来上がりは本物のウオッチに
なるのだから きっと喜ぶだろう そう思って準備しておいた。

時計本体がそれなりにするので 金額的にもちょうどいい感じになった。

これで誕生日プレゼントは済み!と思ったが 次の瞬間下の子への物を忘れていることに
気がついた。

家を出る時には 下の子にも何かを と思っていたのだが すっかり忘れていた。

とはいえ 下の子へは言わば「付け足し」だから 値の張る物でなくてもいい。

ところが いざ買うとなると なかなか安くていいものが見つからない。
それで 本屋での自分の用を先に済ませることに。

本屋を出て歩いていると 三百円均一のショップの前に来た。

店先には 冬用品がたくさん並んでいる。

そういえば下の子は 上の子が小さい時に買ってあげた手袋を そのままお下がりで
使っていたし 二人とも 何年も前に私が編んであげたミニマフラーを未だにしている
ことも思い出した。

店内の商品はどれも 安くておもちゃみたいだが つくりはそれなりにしっかりしている。

それで よく探すと あったあった!
二人が好きなピンクがくすんだ色の手袋と同色で材質も同じミニマフラーだ。
ピンクピンクしていない分 値段以上に見えるし 品もいい。

でもこれをセットにして下の子だけにあげると きっと上の子も欲しがるに違いない。
結果 同じ品を二セット買った。

これなら なんでも上とおんなじでないと気の済まない下の子も満足するだろうし
ビーズ時計のセットは包みが小さくて あまり見栄えがしないから 手袋とマフラーを
つけてあげれば パッキングする袋も大きくなるし 上の子も喜ぶだろう。

もっと上等のものがよければ 娘夫婦が買い与えるだろうから とりあえず二人が
喜べばいい。

次は 誕生日とクリスマスのプレゼントをそれぞれ入れる袋とリボンだ。

すでに買ってあるクリスマスプレゼントは ちょっと大きいから それが入るサイズの袋
でないといけない。

こういう時は 百均に限る。
百均では ないものがないくらい たいがいの欲しい品が手に入る。
一番大きなキラキラの袋を二つとリボンをゲット。

(袋はショッキングピンクのキラキラだから 婿と娘はギョッとするかもしれないが
風船にもこんな色のがあって 室内を飾ったりするから 大丈夫だろう )

夕食後 買って来たものやこれまでに準備しておいた物を それぞれラッピングし袋に入れ
リボンをかけ 段ボール箱に納めて荷造りした。

誕生日用 クリスマス用 と娘が箱を開けた時に しっかりわかるようにもした。

これで 明日送ることができる。

さて 孫たちはどんな反応を見せるだろう。

喜んでくれるといいが・・・。






本当は 今日はこの事を真っ先に書くつもりでいたのが UFO?を見てしまったがために
書くのが二番目になってしまった。

昨日 友人から 明日の午後お邪魔するね とのメールをもらった。

彼女は重い病を二つ そのうちの一つは今の医学では完治不可能な病を抱えて闘っている。

私はそのことを知ってから 折に触れてたよりを出して彼女の体調や安否を気遣っていた。
彼女は そのお礼に と 自宅でご主人が作った野菜や品を持って ご主人の運転で
来てくれたのだ。

毎週一回放射線治療に通っている彼女は 照射した日は体全体の細胞が活性化するためか
夜眠れないのだという。
そしてそんな翌朝は ほっぺが真っ赤になってほてり 身体中がムズムズしていると言う。

眠れなくて困るから誘眠剤でなく睡眠薬を処方してほしい と医師に訴えるが 医師には
あなたには睡眠薬は処方できないから日中寝るようにしなさい と言われている と
語った。

照射の副作用だけでなく もちろん常に痛みもあるようだった。

最近 有名人が彼女と同じ病気だと公表した。
テレビでその会見を見たが 相当な苦痛を伴い治療も大変な様子だった。

その時テレビを見ながら 友人の心中を想った。

今までどんな時でも 彼女は私たち友人に愚痴った事がない。
大家族に嫁ぎ 時に義祖父母や義父母を介護し時にみおくり子供たちを育て上げ
今に至るまでには 大変なことはたくさんあったはずだ。
それなのに 集まった時に何一つ シンドイ とも タイヘン とも ツライ とも
泣きごとを言った事がない人だ。

有名人とその夫は 大変さや辛さをテレビの前で訴えていた。
それが正直なところなのだろう。

友人だって その有名人と同じく苦しかったり辛かったりするのだろうが 今日も決して
口にしなかった。

ご主人も 彼女の病気や病状について 軽い口調で 友人と私の会話に淡々と入ってこられた。

凄いご夫婦だ! と思った。

私も痛みに負けないで暮らさなければ! と 改めて思う。

今宵は今年最後の十五夜。

リハビリ帰りの車の窓から 山頂から少し上った満月🌕が 明るく下界を照らしているのを
見た。

今年はいくつ満月を見られたか・・・。

夕方のリハビリは 行きや帰りに 夕陽に色づく空や雲 昇る月や星々の様子を見られるのが
いい。

日に日に形が変わってゆく月を眺めるのも その日の天気や翌日の天気によって色づき方が
違う空や雲を見ながら 風によって季節の移ろいを感じるのもいい。

今日は 今年最後のきれいな満月を眺めながら帰って来た。

そして門扉に車を横付けしてもらい降りると 自然に西の空へ目がいった。

すると 山際近くの空で 何かがチカチカ光っている。

いつもはあんな所に光るものはない。
日の明るいうちに見た記憶の中にも 照明がつく鉄塔などない。

星にしてもあのように低い場所にあるはずがない。
飛行機のライトでないことは確か。

おまけによく見ていると その光は わずかに上下左右に動きながら点滅したかと思うと
しばらく光らなかったり 光り方がランダムだ。

エッ あれはなんなんだろう?
と思った瞬間 もしかしてあれが世に言うUFOという物体かもしれない‼︎ という思いが!

そうだ!録画だ録画だ! と慌ててスマホを出し「録画」をタッチ。

それからおよそ三分間撮り続けると その光はまたたかなくなった。

人工衛星なら昔夜空を動いていくのを見たことがあるし 飛行機ならライトを点滅させながら
エンジン音をさせて飛んで行く。

いったいあれはなんだったのか・・・

録画したものを夫に見せると いつもなら茶化したようなことをいう夫が フゥ〜ン と言って
黙ってしまった。

夫の目にもやはり 不審な動きと光り方だ とうつったらしい。

これまで UFOについての番組を見たり読み物に目を通したりはしても
そんな物が存在するわけがない と思って そんな物は絵空事で本当にあるものか と
信じる事がなく今まできた。

ところが 今日 このとんでもない物を見てしまったのだ。
自分の目で 実際にこの目で見てしまったのだ。

見てしまった!
不思議な光方や動きをするモノを!

見てしまったからには 思いたくはなくても アレは・・・UFO ・・・ だとしか
考え・・・られない・・・。

私は とうとう この目で実際に UFO を見てしまった・・・。

心がざわついて不安な想いがする。

でもでも 本当にUFO だったのだろうか・・・?❓❓


昨日今日と 所用で家を空けた。

久しぶりの家族での外泊になった。

喜び事で親類縁者と会う という事がなくなって久しい。

だから せっかく滅多にない外泊だというのに 晴れ晴れとした気持ちで出かけられない
のは辛い。

でも 動けるだけマシ。

以前 まだ今みたいに痛みをコントロールできなくて 薬の強い副作用もあった頃には
昨日今日のような事があって出かけたくても 出かけられなかった。

動けるのは まだ神経根ブロックの効果があるうちだからこそだ。

動けるから 疲れはするが 痛む体の疲れよりも 動けることで生じる充実感の方が大きい。


帰宅してみると 玄関の前に 教え子が持って来てくれ留守だったので置いていってくれた
と思われる 赤いシクラメンの鉢が 玄関の前に置いてあった。

彼女は もう十年以上も前から 必ず十二月になると こうしてシクラメンの鉢を持って
訪れてくれる。

彼女や姉妹や弟が通ってくれたのは 三十年以上も前なのに 彼女らは今でも私のことを
忘れずにいてくれる。

ありがたいことだと思う。

赤いシクラメンを見つけた時 二日間の疲れが薄らいだ。

明日はまた 朝から大学病院だ。

今夜 NHKで AIに動きや顔の表情 それに声の出し方や声の高さを複雑に覚えこませた
美空ひばりを作り出して 新曲を歌わせる試みを放送した。

衣装は二十年以上美空ひばりの舞台衣装を作っていた森英恵が ヘアデザインも 長く
彼女の髪を担当していた女性が 姿がよく似ている若い女性をモデルに作り上げた。

ステージで歌う際の仕草や動作は 天童よしみが参考にされた。
天童よしみは 幼い頃からずっと美空ひばりに憧れ続け尊敬してきたのだという。

一番苦労したのは 歌声の再現化だった。

美空ひばりは ものすごい音域幅と裏声や 普通歌手は持っていない声の出し方など
彼女独特の 彼女でなければありえない声で歌っていたらしい。

一つの音なのにその中に異なる音が入り混じって あの深みのある人を惹きつける歌声が
出来上がっていたのだという。

その本物の声をAIに出させるために 技術者たちは苦労した。
研究に研究 工夫に工夫を何度も重ねて ようやく声の再現化に成功した。

そうした苦労の結果 AIの美空ひばりが歌う様子が放送された。

スタジオに招待され 直にAIの美空ひばりを目の当たりにして聞いた人たちは
感動し たくさんの人が涙を流していた。

それほど完成されたAIは 見事だった。

しかし 見事だった とは思うが 再現された顔と表情は もう少し研究が欲しかった
と 私自身は思った。

生の美空ひばりの映像と比べて やはり平面的で 目や口元など もう少し似ていると
もっとよかった。

でも 科学の発達と技術の進歩によって こんな事が可能になった と私たちに理解させ
納得させるには十分の 今夜の映像や歌声だった。

今後 どれくらい遥かな未来になるかは分からないが 彼岸へと旅立った懐かしい人に
いつでも会え 話ができる時代が 確実にやってくる と予感させる番組だった。

もしそれが実現したとして その時 まだ私が生きていたら・・・ 母に会いたい・・・

六十四の時から ずっと動けず声を出せずだったから 二人でしみじみと語り合った
記憶は薄い。

会えたら 母に何を語ろう
母は何を語るだろう・・・

それより 私が彼岸へ行って母に会える時の方が 遥かに早くやって来る気もするが・・・。