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昔は「まな板」といえば木製が当たり前で 何年も使い続けたものだった。

それが近年 特に百均などで化学製品の安価な物が売られるようになると 柔らかく
曲げたりできて軽いから使い勝手がよく いつの間にか 我が家にある数枚のまな板は
すべてこの化学まな板になってしまっている。

ところが 去年の春のいつだったか 両親のお墓参りに行った帰りに 奥郡上にある
温泉に寄ると 周辺地域から切り出された木材の端材を利用して手作りされた
まな板が ロビーの片隅に並べられ売られているのを見つけた。

心惹かれて 手に取って見た。

大中小のサイズがあり 材料の木は檜や栃など様々らしかったが その場にあった
物はすべて栃の木の端材で作られていた。

手作りされたまな板は表面が滑らかで 肩に小さく可愛い焼印が押されていた。
木目はどれも柾目で 実にきれいなまな板だった。

値段も 普通街中やデパートなどで売られている物に較べると 随分安い気がした。

「欲しい 買いたい」気持ちが強くなったが 木のまな板の扱いにくさを思うと
二の足を踏んでしまう。

そもそも木のまな板が目に止まったのは 多分 娘宅にイタリアから買い求めて来た
という 大きな木の物があったからだろう。

わざわざ 大きくて重いにもかかわらず 婿が気に入って買って来ただけあって
材料はオリーブの木だったか何かで 大きくて面が広くて使い勝手がとても良かった。

そしてなによりも まな板に包丁が当たる軽やかな音と 包丁を持つ手に伝わってくる
感覚が新鮮だった。

忘れてしまっていた懐かしさがあった。

そのことを思い出し 帰宅後 娘に電話で 温泉で見つけたまな板の事を話した。

すると娘は すかさず「欲しいわ! 今度行ったら買ってきてよ!」と言った。

値段と材料からすれば 考えられないほど安い と言う。

娘宅のまな板の値段を聞くと 現地でこれだけした 日本で同じ物を買おうとすると
その倍くらいする とも言った。

だから 私が見たまな板は とてもお買い得なんじゃないの? と言い
「行ったら忘れないで買って来てね」と念を押した。

そんな経過があったものだから 去年もう一度墓参に行った後 また温泉に寄って
みると 数は少なくなっていたが あった。

あったが あいにく大きい物は一枚しかなかったし それも前回私が見た物に
比べると ひとまわり小さいような気がした。

どうせ買うなら私も欲しい と思ったので 受付カウンターの女性に
「まな板を買いたいけれど大が一枚しか置いてないが……」と聞くと 女性は
「倉庫にあったと思うから ちょっと見てきますね」と言い 奥へ引っ込んだ。

そして 腕に抱え切れないほどたくさんのまな板を持って来た。

一枚一枚見てみると 材料は栃ノ木だが 同じ大でも全部大きさが違っていた。
端材を使って作っているから その時々で微妙に大きさが違ってくるらしい。
でも 値段は同じ。

それなら大きい方がいい と 中から二枚を選んで買って帰って来た。

帰宅後 娘に連絡すると 「写真撮って送って」と言うので 測ったサイズを付けて

送ると「大きいのにやっぱりお値打ちだわ 嬉しいわ」と喜んだ。

娘宅の物に較べると小さいが 娘は この上で数種類のチーズを切り そのまま
テーブルに出してパーティ時に使う と話した。

なるほど 鎌倉では パーティによくご近所の方を招いているから ワインのお供
にするチーズを並べるのにいいし オシャレだし勝手がいい。

今 同じ使い方をしている物も木だが 大人数になるとちょっと小さいのだろう。

私は と言えば 買って帰ったものの なかなか下ろせないまま。
包装したままの状態で 今もキッチンに置いてある。

見るたび いいものを見つけた 良いものを それも安く手に入れた と
一人で喜んで悦に入り 嬉しがっているうちに 下ろす「時」を逃して
今に至ってしまったのだ。

身の回りにある生活用品を改めて見てみると 本当に木製品が少ない。

だから 柔らかな見た目なのに実は堅くて それでいて 軽いまな板は
見る者に寄り添い 気持ちを癒す力があるのかもしれない。

まだしばらくは このまま 下ろさないで見て楽しむだけになりそうだ。
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中国内はもちろんのこと 世界のたくさんの国へ感染が広がっている。

症状がない人ーキャリアというらしいーからの感染者も多いのだと報道されている。

武漢からのチャーター機での帰国者は 二名を除いて全員がホテルなどで隔離され
はいるものの 相部屋だったりの問題が出ているし 機の利用者に八万円を負担させる
件も解決していない。

各国で帰国者の対応は異なっていて 離島へ運び 一定期間隔離している国もある。

何百人もの人間を一定期間隔離するには 国内には十分な施設がないのが現実。

防衛省の船舶をそれに当てるために 準備が進んでいるらしい。

一般の国民は とにかく外出時にはマスクをして 帰宅したら手洗いやうがいをし
アルコールでの手指消毒が一番有効だというから まずはこれを守るのが第一
になる。

東京に住んでいる娘はマスクをし 必要でない外出は避けているらしいが 
それでも心配だと言っている。

日本国内のあちこちで地震が起きているし 天候も異常だし
なんだか不安なことばかりだ。

最初は市独自の有線放送局があって テレビはそこに接続していたが
フレッツ光が出てきて テレビと電話とインターネットのすべてを 光に変えた。

それから何年かして 同じ光でも他の会社からの勧誘があり またそちらへ移った。
その時点では当然 毎月支払う料金も下がる と判断して会社を変えたはずだった。

ところがその後 市の有線放送が 直接ケーブル会社のCCNに合併された。

それを知っても また煩雑な解約手続きをするのか と思うと億劫で 光のまま
去年まで過ごしていた。

その間 自動引き落としなので 使用料金の比較などすることもなかった。

それが 去年十二月 CCNの社員が世帯を個別訪問して CCNへの移行を
勧誘して回った。
夫が応対して説明を聞いたので私はよくわからないが 以前より何かが変わった
事による勧誘だったのだろう。

説明を聞いた結果 一番驚いたのが料金だ。
なんと 移行した場合 使用料金がおよそ半分になる と言うのだ。

変わったのは料金が下がるからだったはずだから どうしてそんなに高い料金を
支払う事になってしまっていたのか………。

そんな事なら 会社を変えまたCCNに戻らねば! と 当然ながらなり 新年に
なったら社員が訪問して 様々な手続きを行なってくれることに。

そして今日 解約手続きをするために 担当の人が来てくれた。

おかげで 私は側にいるだけで すべての手続きが終わり おまけに これまで
このPadではできなかった事を 教えてもらって一つできるようになった。

初期設定や使い方など教室へ通ったりして勉強する人が多い中 私はといえば
すべて友人頼りで 彼女にすべて依存していて 何の学習していないから
多機能のPadを持っていてもできないことの方が多い。

それで 今日みえたら聞いてみよう と思っていた事を話すと 嫌な顔をせず
時間をかけて丁寧に教えてもらえたから嬉しかった。

それにしても 今回CCNの勧誘訪問がなかったら 高い使用料金のまま ずっと
過ごすところだった その分お金を無駄に捨てるようなものだった と思うと
何か悔しい気してくる。

まさか騙されていたわけではないと思うが……。




昨日は朝から気温が高く一日中安定して晴れる予報だったから
病みあがりで髪を切るのには いい日和だった。

電話すると 運良く午後に予約が取れた。

息子に送ってもらい出かけると 多分全快していないからだろう 顔色が悪いのと
ちょっと顔も小さくなっていることに直ぐに気づいた美容師たちが
口々に大丈夫かと気遣ってくれた。

最近では間遠になってはいるが 長年通っているから ちょっとした変化も
お見通しだ。

滅多にないことだったが 幸い予約した時間帯の客は私一人だったこともあって
前回から昨日までにあったお互いの身辺のことなどを話しながら 洗髪やカットに
パーマをかける手順で スムーズに髪を整えてもらった。

ほぼ一年ほど前からは髪を染めなくなったので その分 かかる時間が短くなった。

他人からは なんとした老婆! と見られるかもしれないが わたし的には
白髪頭は自然で 染めていた頃に比べると 何か気負いのようなものが
なくなった気がしている。

七十を迎えて 染めない と決めてよかった とあらためて思う。

神経根ブロックの効果が切れつつある今だから またいつ来られるか
予想も立てられないので 寒い時期だが 少し短めに整えてもらった。

パーマもゆるくかかっているから よけいに白髪頭が自然にみえる。

いつも身綺麗にしていたい と思ってはいても 体調が悪くなると
それどころではなくなってしまう自分のヤワな気持ちを反省する。

「『髪カシラ』という言葉がある通り 顔はいつでも化粧できるが 頭髪は
日頃から整えておかないと 急なことに対処できないから」を信条にして
晩年 車椅子や寝たきりの生活になっていても 父に美容院へ連れて行って
もらい 髪を切っていた母を こんな時には必ず思い出してしまう。

そういえば ほとんど髪がなくなっているにもかかわらず 夫は必ずひと月に一度
は床屋へ行く。

確かに 床屋から帰ると 雰囲気が変わって シャンとして見える。

髪や着るものなどで外見や雰囲気が決まることを ついつい忘れてしまい
内面のだらしなさが外にまであらわれてしまっている と反省しきり。

整えた頭でリハビリに行くと やっぱり気持ちがよかった。

体の内側がどんなに大変でも せめて外見だけでも保っていないと
気が立ち上がらないのだ とあらためて思わされた。



体調が悪いとどうしても 家の内外の掃除はおろか 身の回りでさえかまわなくなる。

しんどいから身綺麗にする気力など湧いてこない。

咳は治まった風だが 息苦しさは変わらずあって 声が音になって出ない。

浅い呼吸で小声で話しても かすれた音しか出ない。

おまけに 薬のせいなのか 手が小刻みに震えていて それも治らない。

かといって 少しずつ外出し始めたから 頭を見る他人の目が気になる。

それで 完治はしていないが 明日 美容院の予約を取ろうと思っている。

夕食の後 息子に意向を話して もし予約が取れたら連れて行ってもらうことに
した。

食欲もイマイチだが せめて髪だけでも整えれば 少しは気分も変わるだろう。

友人に会いたくて話がしたくてたまらないが 髪をきれいにし 喉が正常に
戻るまでは じっと我慢するよりない。

返す返すも インフルエンザにかかってしまった事が恨めしい。 

いつもなら木曜日の今頃の時間は 書道教室へ行っているのだが 今年に入ってからは
先生の都合で 稽古は午後遅くの時間に変わっている。

先生には 別棟で一人暮らしをする実父がいらっしゃり 食事などのお世話を
長年続けてみえた。

そのご尊父が高齢になるに伴って起こる様々な問題に対処しながら 日々暮らして
みえたが 私が去年インフルエンザにかかって通えなくなる直前には ご尊父が
救急車で病院へ運ばれる という出来事が起きた。

いっときは退院したものの またすぐに同じ事で再び入院されたらしい。

それまでしっかりしてみえたご尊父だったが 高齢もあって認知症が出てきた。

今は退院して在宅になったものの 目が離せない状況らしい。

役所が 暮れからお正月の長い休みがあったからだろう。
慌てて手続きしたものの 介護保険の介護認定が未だに下りてこない。

これまで頭がしっかりしていた分 まだらに認知症の症状が出ると
残った自我が強くて 生活全般に手がかかるだけでなく 世話の一つ一つに
手こずってしまうらしい。

それだけでも大変なのに 年末にご主人の病気が発覚 検査の結果 今月末には
手術の予定になったそうだ。

そんなこんなで 生徒が少なかった木曜日の午前中の稽古を当面なしにして
午後遅くの時間帯の稽古に合流してほしい と先生から依頼された。

生徒は これまで介護の経験済みの者が多かったから それを了承した。

私が体調不良でお休みしていた間に それらの事が起こり 一時は先生も
教室どころではなくて 大変だったらしい。

デイサービスはもちろん 入浴などヘルパーのお世話になる事すらかたくなに
拒否し それでいて 身の回りのことが満足にできないから 日々の一刻一刻
先生は気の休まる時がないようだ。

事態が落ち着くまで教室を休まれてもいい と生徒側は申し入れたが かえって
少しでも頭の中から消える時間がある方がいいから と言われ 木曜日の夕方と
土曜日は これまで通りの時間帯に稽古することになった。

人間は 木の股から生まれたのではなく 誰もに父があり母がある。
父と母がある以上 順当にいけば 子は見送らねばならない。

境遇や考え方によって その見送り方は様々だ。

大切なのは 見送った後に後悔が残らないようにするべき事をする ということだ。

今 先生はその真っ只中 必死に生きていらっしゃる。

経験してきた者として 自分の過ぎた日々を思い返しながら 先生を応援している。

新年に入って今日で三回目の麻酔科受診。

内科外科それぞれのゾーンで器械で発券される受付番号は 今日は五十一番だった。

毎回ほぼ同じ時刻に病院に着いても 当然 日によって発券番号は変わるが
かかり始めの頃は十番代や二十番代だったのが 去年あたりから四十番代五十番代になってきた。

かかりつけ医からまわされる患者が多くなっている事の現れかもしれない。

五十一番だから 麻酔科の担当医への呼び込みは数人後だろう と思っていたら
今日は最初だったから慌てた。

実際に受付カウンターを通ってすぐのことで 前もって血圧を測る時間もなかった。

最近 左足腿から足の平までの筋が張っていて痛い。
当然 腰の痛みも徐々に強まっている。
神経根ブロックの効き目が無くなってきている証拠だ。

でもこれは むしろ ブロック時に痛みが激しかった分よくここまで保った
と 自分でも思えるほど納得のいくことだ。

完全に効果が切れるまで これから真剣に考えなければいけないのは 次にどう対処
すべきか だ。

これまでと同じように 神経根ブロックをするか カテーテルと機器を埋め込む手術
を受けるかの選択になる。

私自身の生活の仕方や生き方のために 医師は後者を勧める。
活動域や活動の仕方をもっと広くして 生き生きと暮らせるようになるためには
絶対いい と これまで何度も言われてきた。

相談したかかりつけ医には その機器を埋め込むことによって 現在受けている
身障の等級が軽くなることはない むしろ重くなるのでは とも言われている。

だから 要は 自身の覚悟次第なのだ。

麻酔科の医師は もちろんこれまでと同じように神経根ブロックを繰り返して
いっても それはそれでいい とも言ってくれる。

今後どんどん痛みが増していくだろう。
さて どうしたらいいものか……。

病院の後 駅構内のいつもの書店へ行く体力と気力がなく モール内の書店へ。

たくさんの書籍の中に身を置くと生き返ったような気がする。
やっぱり私は本が好き 活字が好きだ。

ほぼ一月の間に 読みたい本が山ほど発行されているし 好きな作家が以前に
発行した本で 読み逃している本が何冊もあることも見つけた。

偶然声をかけた若い書店員は 仕事として以上に本好きらしく たくさんある店頭
の書架にもなかった欲しい本を わざわざバックヤードのどこからか探して見つけ
持って来てくれた。

聞けば 文庫本全般の担当だという店員だった。
いい店員に当たった。

出版が十年も前の本が 欲しい中に数冊あった。
近年の出版物のサイクルは短い。
よほど名の知れたベストセラー作家の本でない限り 表舞台からすぐに消えていく。

それらを出し入れして どの出版社のものを在庫として残しているかを熟知して
いないと とても十年も前の本が店内にあるかないか など覚えていられない。

欲しかった本があらかた手に入ったことも嬉しかったが それより 
こんな店員がいる と知ったことの方が嬉しかった。

探してもなかったら諦めよう と思っていた本が二冊あった。
それを思い直して 頼んできた。

万が一 入院となった時のためにも 未読の本をため込んで置きたい。

痛み止めトリガーの後の重痛さやだるさを 若くて小柄な男性書店員が
いっとき忘れさせてくれた。




先週金曜日に またかかりつけ医で投薬と点滴を受けたら 咳も呼吸もかなり
楽になってきた。

それで昨日 師走のうちに行きたかった実家の墓参に 夫に連れて行ってもらった。

天気予報も晴れで 今冬の飛騨地方に雪は全くといっていいほどないと聞いたので
高速道路も走りやすいから明日行くか と一昨日の夜 夫から言い出してくれた。

暮れから正月そしてそれからも 私が 墓参ができなかった と気に病んでいること
を夫は分かってくれていた。 

助手席には息子が座り 私はしんどくなったら横になれるよう後部座席に。

高山に入ってからスーパーで花を買いお墓に行くと 去年までお墓の周りに茂って
いた木がすべてなくなって笹だけになり お墓が一段とはっきり明るく見えるように
なっていた。
隣地の持ち主が整えられたようだ。

ひょっとしたら 実家のお墓の回りに別のお墓が建てられるようにとの算段なのかも
しれない。

礎石の周りをきれいにし花を立て蝋燭と線香に火をつけて 三人でお参りした。

例年の年末の墓参ができなくて 体調が悪い間 ずっと気にかかっていた事が叶って
気持ちが少し落ち着いた。

帰る途中で飛騨一宮の水無神社に詣で それを初詣とした。

子供たちがそれぞれ成人するまでは 母が倒れた後も ずっと実家で年越しをし
必ず皆で初詣をしてきた神社だから 我が家とは縁が深い。

息子も思い出すらしく 初詣の後に必ず買い求めた大きなコクセンの話などをし
いつまでも可愛がってくれた祖父母を忘れないでいてくれることが嬉しかった。

とんぼ返りだったけれど ようやく墓参と初詣ができたことで 心が軽くなり
明るくなったような気がする。

喘息が居座ってなかなか抜けない。

間遠になった咳が 時として立て続けに起こる。
呼吸も相変わらず しにくくて苦しい。

そのためか 食欲が出ない。

それでも 食べなくては力が出ない と家人も言うので なんの味もしないのに
無理矢理口から入れている。

昨夜は夕食後に咳が止まらず そのせいで何度ももどしてしまった。

午前中 息子にかかりつけ医へ連れて行ってもらい受診。
点滴と投薬を受けて帰って来た。

点滴に時間がかかり 医院を出て隣の薬局で薬を貰ったらもう午後一時を回ってしまった。

前回 薬が切れ受診した際に 早くはよくなりませんよ と言われたが それにしても
長引き過ぎている。

食べられないからインフルエンザになってから三キロほど体重が減った。

大学病院の医師にも 痩せましたねぇでも健康な痩せ方ではないから…… と
言われてしまった。

本人的には 食欲さえ出てくればあっという間に戻ることが分かっているから
体重の減少については心配していないが 問題は呼吸だ。

咳が出るので深い呼吸ができない。

インフルエンザ以来ほぼ一月。

歩いていないから足の筋力の衰えが甚だしい。
早く散歩ができるようにならないと このままでは足が萎えてしまう。

午後夕方には整形外科へリハビリに。

一日中医院通いできるのも息子がいてくれるおかげだ。

早く咳を止めて 良くはならなくてもせめてインフルエンザにかかる前の体調に戻らねば。

まだまだ咳も止まっていないし 頭もボーッとしているが 四日の内科 
昨日の大学病院と また今年も病院通いが始まった。

あれほど注意していた遺伝性の喘息が出てしまったからには 長期戦で向かう
しかない。

体調の悪さが点滴をする際にも影響して 針が血管へ入ったかと思うと
漏れてしまい 昨日は五箇所も針を刺し替えた。

処置室を出る時にはチーフ看護師が外まで追いかけて来て ふらついていて足元が
心許ないから転ばないよう気をつけなさい とわざわざ注意してくれた。


今日午前中に整形外科へリハビリに行くと マッサージの先生が肩や首がバンバンで
硬くなっているから頭がボーッとしているのはそのせいだしフラつくのもそのため
ではないか と言われた。

そうでなくても日頃たくさんの薬を飲んでいる上に今回また何種類もの薬を処方
されていて 飲む薬が多いから口や舌が荒れているからか
何を食べても味がしないし食欲もわかない。

年越しもお正月も形ばかりで済ませて大方寝ていたから せっかく去年歩いて
つけた貴重な足の筋肉だったのに なくなってしまいタランタラン。

散々な年の初めになってしまった。
これからの一年の目標も目当てもあったものではない。

長くブログをあげないものだから友人を心配させてしまった。

体が戻り生活が軌道にのるまでには まだまだ時間がかかりそうだが
まずは今日を事始めとして ボツボツやっていこう。