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案の定 明けて昨日は 首相が唐突に発表した 「小中高校を来月二日から春休みまで
休校にする」 についての賛否両論で マスコミはかまびすしい。

我が家も朝ごはんを食べている最中に さっそく夫の仕事先関連から 発表を受けて
どうしたらよかろう 登園を続けるか休園したらいいものか と電話があった。

何やら短くやり取りして電話を切ったが しばらくすると また違った方から
先の電話に対しての考えを述べる電話が。

とにかくまだ家にいるから 話は仕事先へ行ってからに と夫は応対していた。

そして午前中の話し合いで 登園を継続する と決まったらしい。

そうと決まれば 父兄へプリントを配って説明する必要がある。

その文案を練り印刷しなくてはならないが たまたま昨日は父兄参観の日だった。
それも通常の参観ではなく 母親手作りの忍者服を着た忍玉たちが 忍者修行を
終えた成果を父兄の前で披露し それぞれ一人ずつに親玉忍者から修了証を
渡される という 親にとっても園児にとっても大切な参観日だった。

夫は 文案を練らねばならないし 忍者服を着て親玉になり 全園児や父兄に
向かわねばならないしで 昨日は大変な一日だったようだ。

この年中行事の「忍者修行」は なんでもない普通の体力をつけるための運動
だったりだが 毎日 忍者服を着て「ござる言葉」を使ってするものだから
幼い園児たちは 忍玉になり切って張り切って頑張るらしい。

親の方も 自分が作った忍者服を着て運動する 可愛い我が子の様子を見て
喜んだり その成長ぶりを愛でたり 親にとっても大切な逃せない
参観日なのだ。

忍者修行の間は 各クラスの担任もみんな忍者服で過ごす。
勤め始めた時そのことを知って どうしたものか考えた結果 ネットで
忍者服そのものが売られているのを見つけた。
それも服の上下だけでなく 頭巾に手甲や脚絆 鉄鉢に足袋まですべて
セットになっていた。
これなら親玉忍者に見えるだろう とその一式セットを買い求めた。

若い先生方は園児と同じように それぞれの好みの色で好きなように作った
忍者服を着られるらしいが 夫は親玉だから真っ黒の装束にした。

だから今回の修行中も昨日も 夫はそれを着て事に当たった。
とはいえ 頭巾まで被ると全身真っ黒で 小さい組さんの中には
怖がる子もいるらしく 鉄鉢だけを頭の後ろで結び 顔は見えるようにして
いる と言う。

ともかくも 昨日はそんなこんなで疲れた夫は マッサージに行って帰って来た。


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昨日 政府が 全国の小中学 高校を来月二日から春休みまで休校にする と発表。

突然の重大な発表に驚いた。

現在 政府は男女共に働くことを奨励しているから共働きの家庭が多い。
このニュースを聞いて動揺している両親は多いだろう。

ウィルスの拡散を防ぐための思い切った措置 とは分かっても 長期に渡って
在宅している我が子を置いて いったい仕事に出かけられるものか……

今回ばかりは どこかに預けて というわけにはいかない。
だから戸惑っている親は少なくないだろうと思う。

では 幼稚園はどうなるのか……
手前勝手だが 実を言うと 我が家にはこちらの方が大きな問題だ。

何故なら 夫は現在 何年も前から自ら望んで パート扱いになっている。

正規ではないから 休みの日は当然無給になる。
およそ一月の間 全く収入がない となると 我が家にとって これはきつい。

この春は孫の卒業や入学があるから 祖父としては なにがしかのお祝い
が必要だし 四月には私の入院や手術が控えている。

そうでなくても 無職になって以来の次男にかかる必要経費は
すべて夫が出している。

だから ウィルスの感染も問題だが もし幼稚園が休園となると また違った悩みが
出てくるのだ。

かといって内心で 他山の石 と思っていた感染者が とうとう近くの市で発生
してしまっている現在 休園の措置になったとしても 致し方ない。

通勤に公共交通機関を使っていた というから 今後感染者が増える可能性がある。

某国は まったく厄介な感染症を引き起こしてくれたものだ。

中国人の観光客が圧倒的に多い合掌の白川村では 「出たら出た時で
しょうがない」と マスクやアルコール消毒 手洗いに気をつけながらも
半ば 諦めのような覚悟のような心境でいる と 村の知り合いは言っていた。

夫が帰宅して話を聞くまで 今日は一日中気が気ではない。



昨日は朝から午後の四時過ぎまで ずっと大学病院にいた。

さすがに疲れた。

午前は 夫と一緒に 先週内科で受けたアイソトープ検査の結果を聞き 午後は 
いつもの週一の麻酔科の受診と処置。

一人で大丈夫 と言ったが 私の母や叔父叔母が ちょうどこのくらいの年齢で
全員が心臓を患い重症化したことを知っている夫は 心配だったのだろう。
仕事先には午後から出ると連絡して ついて来てくれた。

私はといえば 検査結果もだが 急速に痛みが増している足腰の状態の方が問題
だった。

起床時には痛みが強くて ベッドから出て動くのでさえやっとのこと。
時間が経つに連れて少しずつ弱くはなるものの 午前中いっぱいくらいは辛い。

足の引き連れも次第に戻ってきて 最近では強いのがしょっちゅう起こるように
なっている。

前回受けた神経根ブロックのリミットが 確実に迫っている と感じる。
それで 夫と相談の上 思い切って診察の際に医師に 機器を埋め込むトライアル
を受けたい とお願いする決心をして 昨日は出かけていた。

幸い 検査の結果は 心臓の状態は十二年前の検査と変わっていなくて 今服用
している二種類の薬を継続して飲んで様子をみることになった。

ともかくもこれでひとまず安心していい と分かりやれやれだ。

夫も安心して仕事先へ向かって行った。

午後の麻酔科での診察の際 医師にトライアルの件の気持ちを伝えると
それではとりあえず入院の日にちを決めて仮押さえしておきましょう との言。

機器の会社とのやり取りや手術室の確保 病床の確保など 事前に予約しておく
必要があったからだろう。

こうして およそ二週間の予定が決まった。

現在 機器の会社は二社あって それぞれに長短があるらしいが 患者には
そのどちらがいいのかなど判りようがないから 医師に考えてもらうよりない。

入院までに 夫にも説明を聞いてもらう機会を設けたい と言われたので
詳しい事はその時に聞くことになるだろう。

帰宅後 夫にトライアルや入院の日取りの話をすると 春休みに娘の所へ行く気
でいたのを 術前だし新型コロナウィルスの事もあるから中止する と言う。

いたし方ないが 行くのを待っている孫たちの がっかりする顔が浮かんでくる。 


来月には 長男の方の孫の卒業や入試 入学と続く一連の行事もあるし
お正月にやり損ねたままになっている長男家族との会食もある。
それに加えて 私の入院 ときた。

慌ただしい春になりそうだ。

この間の二十一日の誕生日は 大学病院で麻酔科だけでなく内科にもかかって
検査もしたりで 良くも悪くも アアまた一つ歳を重ねた という感慨も幸せ感も
何もなく過ぎてしまった。

それを なんだか物足りなく感じていたので 今日 夫にねだって 再びの
誕生日会食に行って来た。

私にしては珍しく 少しでいいから赤身の美味しいお肉が食べたい と言ったので
焼肉のお店を予約してくれた。

夫も息子も お肉ならなんでも大好きだから 否やはなかった。

予算はこれだけ と前もって決めて行った。
でないと 息子など際限なく食べてしまいそうだったからだ。

それでも 決めていった予算は結構高かったから それぞれ好みのお肉や料理を
注文できて満足した。

体質に獣脂が合わないのか 私は赤身のお肉しか食べられない。
どれだけいただけるか自分でも分からなかったから まずは一皿頼んだ。

それを 夫や息子が もったいない というほど焼いて油を落とす。
いいじゃない好きなように食べさせてよ と笑いながら焼いた。

たとえ邪道でもこれほど焼いたお肉 それも赤身なら 美味しいと思って食せる。

夫が頼んだランチはかなりお得感があって お肉を食べたい人にはいい。
霜降りやタンなど幾種類かのお肉二百グラム以上にサラダやお豆腐 イカの塩辛に
お味噌汁とおかわり自由のご飯 それにデザートがつく。

でも私にはそれだけ全部は食べられないし 霜降りもタンも無理。

だから ご飯もお味噌汁もなしで 赤身のお肉だけを頼んだ。
そして 二人に呆れられるほど焼いては食べた。

最初から お肉だけを食べる目的で ご飯も汁物もサラダさえ頼まなくて
野菜は 夫の頼んだ中から少しもらうだけにした。

このお肉嫌いの私が なんと六切れ載ったお皿の赤身肉を二皿平らげた。
これまでの人生で こんなにたくさんお肉を食べた記憶がない。

これには 夫も息子も ちょっと驚き気味だった。
私はお肉が嫌い と 家族の誰もが共通に思っていたからだ。

最後は口直しにフルーツ白玉のデザートを。
これも量が少しだったから完食。

私は一人分の予算のおよそ半分 残りは息子と夫がモリモリと食べ
三人ともが それぞれ食べたい物をお腹いっぱい食べて 予算内でおさまった。

天気は最高!
お腹も最高!

こんな誕生日はなかなかない。

後々楽しく思い出される誕生日になったことが嬉しい。




昨日は 私の※※回目の誕生日だった。

誕生日だというのに 朝から大学病院へ出かけて心臓やら血流やらの検査。

時間差で二種類の造影剤を入れてのアイソトープ検査だった。

昔 同じような検査をした折には 体の中が熱くなり ドカンドカンと感じる
嫌な検査だった と覚えていたから 今回もそうだろう と覚悟していた。

ところが 医学の進歩ってスゴイ!
昨日は 少し眠くなるような気がしているうちに時間が経ったようで
その間に 検査が終わっていた。

体内が熱くなるでもドカンドカンと小爆発するでもなく ちょっと
軽く心臓に痛みを感じたぐらいで済んだ。

連れて来てくれた息子が 万が一を想って帰らずに 検査が終わるまで
待合で待機してくれていた。

検査そのものは 体に何も負担がなかったが 会計を済ませて
帰って来るころになると さすがに体がだるくなった。

お昼を うどん屋で簡単に済ませ 夕食用に 揚げるままに調理
されたカツ肉やらメンチカツやらを買って帰宅した。

一年に一度の誕生日だ。
せめてカツくらい揚げて食したいではないか。

自身は食欲がなかったし 息子のお昼ご飯を帰ってから作る気力もなかったから
お昼は手っ取り早く 空かせている息子のお腹を膨らませた形だ。

そして夕食用も いつもならお肉だけを買って 自分で下ごしらえするのだが
体がだるいから 今日は揚げるままになった物を買った。

帰宅してしばらくすると 想わぬケアマネからの電話。
これから来月の計画表を持ってお邪魔したい と言う。

十分もしないうちにケアマネが来訪。
取り留めのない話をして およそ一時間近くもみえただろうか。

ケアマネが帰られると ボツボツ夕食の準備にかかる時間だ。

お米を洗ってお釜を仕掛け 野菜を洗ったり切ったり茹でたりして
お肉の付け合わせを準備。

洗濯物を取り込んだりしているうちに夫が帰宅。

夫が このところ ずっと行っていないから温泉へ行こう と言う。
たしかに 年末のインフルエンザ以来 体調が悪くて温泉どころでは
なかった。

そうと決まればさっそくお肉を揚げて夕食を済ませ 温泉へ。

体が思うようではなかったから いつもより三十分ほど待ち合わせの
時間を早くして入浴。

時間が遅かったためか お客もちらほらで ゆっくりお湯につかれた。

一年に一度の誕生日。
今年の誕生日は こんなふうにして過ぎていった。


ここ何日か 左胸に痛みを感じていた。

その痛みが一昨夜強くなって 夫に左肩甲骨の辺りを指圧してもらい湿布を貼り
とりあえず気休めになるかと六神丸を飲んで 翌日は麻酔科の受診だったから
いつもなら必ず入浴するのを 大事をとって入らずに寝た。

翌朝には痛みはなくなっていたが 麻酔科を受診した際に 医師にその事を
告げた。

もしカテーテルを入れて機器を埋め込む手術をするとなれば その特には
検査が必要になるから この際 内科を受診し検査しておいたほうがいい
との医師の判断で 内科ゾーンへ。

ここでも受付番号を取って 内科での受付を待った。

受付を済ませしばらく待つと初診の医師の枠で呼ばれた。

以前にここで心臓の検査を受けてから もう十二年も経つ と
受付でのデータで分かった。

二千二年 検査の後 医師に診断結果を聞いた時
今後十年は大丈夫ですよ と 言われたことを
その時になって ようやく思い出した。

だから 検査する時期に来ていたのだ と自分でも変に納得がいった。

心電図 血液検査 レントゲン検査 をすることになり 
それぞれの場所で順番を待ちながら検査室を回り 検査を受ける。

結果が出るまで また内科へ戻った。

カルテが電子化されて以来 便利になったものの 受診もそれぞれの検査も
必ず番号札を取って待ってから受付られる。

そして検査を終了して戻っても また番号札を取って あらためてカウンター
での受付を待つ。

そうした後 ようやく診察室へ呼ばれる。

三つの検査の結果 特別異常は認められなかったが なにせ痛みは一過性
のものだから それだけでは判断ができない。

それで もっと詳しく心臓の動きと血液の流れを観るために 今週の金曜日に
アイソトープ検査を受けることになった。

時間差で二種類の造影剤を打ち 検査する。

金曜日には予定があったが 仕方がない。

そこまで検査して 異常なし となれば  機器を埋め込む前にトライアルで
カテーテルを入れても入れなくても また神経根ブロックを受けるにしても
どちらにしても安心して受ける事ができる。

二種類の造影剤を使っての検査だから と二枚の同意書や 検査の説明用紙やら
当日のことやらが印刷されたリーフを何枚も渡され アイソトープ検査の受付へ
予約確定に寄り ようやく終了。

昨日は予約患者数が千六百三十人と とても多かったから 行く先々の検査で
待たされたのも道理で 病院慣れしている私には 仕方がない と思えるが 
遠くからしんどいのを堪えて来ている人には 受診だけでも待ち時間が長いのに
あちらこちらと広い病院内を移動して 順番を待ちながらの検査するのは
気の毒なことだ。

会計のシステムが改良されたように こうした事や時間についても改善されれば
遠路はるばる 病む体で来院する人たちにとっても 医学的な面だけでなく
もっと優しくていい病院になるだろうに……

金曜日の検査のことだけでなく そんなことを思いながら帰って来たのだった。

 私の亡母は七人弟妹の一番上だったから 叔父や連れ合いの叔母が まだ八人
存命だ。

高齢でもあるし遺伝的な体質も大いに影響して 皆さんそれぞれに病気を抱えていたり
で 全く健康そのもの という人はいない。

中でも 父母が亡くなってからも 何かと私や家族を気遣ってくれ よく行き来して
いたのが 今日見舞った叔父と叔母の夫婦だった。

何年も前から心臓を悪くしたり癌を発症していたその叔父が 去年入院した事が
きっかけになって 認知症を発症してしまった。

病院にいた頃は 絶えず何かに怒っていて 顔つきも険しかった。

その後 運よくグループホームに入所でき 今に至っている。

叔母から 随分落ち着いてきてる と連絡をもらっていたし 今日は天気も良く
夫が代替え休日だったので 交通事故の後遺症で歩行が自由でないなか
突然一人暮らしを余儀なくされて寂しい思いをしている叔母の様子を伺うのと
ホームで叔父がどんなふうに暮らしているのか 様子を知りたくて出かけた。

最初に叔母を訪ねた。

ちょうど外出から帰ったばかりだったからか 居間には電灯も灯してなくて暗く
前回訪ねた時に比べると 家の中のどこもかしこも静まりかえって
裏寂しげだった。

気丈な叔母だが 一人でテレビを見ていても 自分の笑う声が大きく感じる
と言い 寂しいよ とボソッともらした。

仲のいい夫婦で 子供が二人だけなのに 人の倍以上の苦労をしてきた。

仲睦まじい夫婦なだけに 離れてそれぞれが一人になった事が かなりの痛手
なのだろう。

それでも 私たちが これからホームへ叔父さんの様子を見に行く と言うと
叔母が それなら昨日も行ってないから私も連れて行って と言うので
叔母を乗せて四人でホームへ向かった。

叔父は個室でベッドに横になっていた。

叔母の言葉通り 病院にいた時とは違って 穏やかな顔つきだった。

どこのなんと言う人か は認識できないが 元気は時にはしょっちゅう二人で魚釣り
に出かけた仲だけに 部屋のドアを開けて入るやいなや 夫に
アレッ まあ遠いところをよく来てくれたなあ と叔父の方から語りかけた。

それでも 私たちが部屋にいるうち 何度も何度も同じ筆問を繰り返すし
認知がかなり進んでいることを伺わせた。

帰り際 叔父は泣いていた。

何も分からなくなってはいても 心寂しいのだろう。

大柄で豪快に笑って 冗談を言っていた若い頃の叔父が思い出されて 悲しかった。

叔母を自宅へ送り 頼りなげな叔母の様子に後ろ髪をひかれながら 帰って来た。




 


  

今日は午後 長男夫婦が 嫁から夫と次男へのバレンタインチョコと 私の誕生日が
近くなったので 忙しい長男はなかなか我が家へ来る機会がないから今日一緒に
と言って 誕生日のお祝いを持って来てくれた。

夫と次男へのチョコは 嫁手作りの 生チョコたっぷりのクッキーを土台にした
ものと 豆腐を練り込んだヘルシーなチョコとの二種類だった。

仕事に行き子供を塾へ送迎する合間に作ったチョコだ。
あだやおろそかにバクバクとは食べられないありがたいチョコレートだ。

早めに誕生日プレゼントしてくれたのは 軽くて暖かそうな大判で長いショール。
アルパカが入っているので質の良さが見ただけで分かる。

薄手だから 春先まで使えて重宝しそうだ。

今下ろさず 今後入院したり手術したりした時に ベッドやベッドサイド また
車椅子での移動時に膝掛けに使うことにしよう と決めた。

これなら夏以外のシーズン いつでも使える。

長男夫婦は 息子が数日前に私立高校に合格したので安心したのか
少しホッとした様子でやって来た。

受験生を抱える家庭や親の心境は 世代に関係ない。
我々夫と私も かつて通って来た道だ。

だから 二人の心境はよく分かる。

そんな落ち着かない毎日の中 チョコを手作りしたりプレゼントを探しに行ったりは
煩わしかっただろう。

それを想うだけでも二人の気持ちがありがたい。

こうしてバレンタインやバースデーに これから何回プレゼントしてもらえるだろう。

夫ともども元気でいなければ と思う。






今日は 東海三県の各代表者が それぞれ地域コミュニティでの活動内容や活動を
通して気づいたことや変わったことなど また活動の仕方などについて発表する
という会が開かれた。

その催しに 友人が県を代表じて登壇した。

友人の物事の考え方や幅広い彼女の活動を 日頃から尊敬しながら見てきたので
痛いながらまだまだ動けるうちにそんな場での友人の姿を見たい と思い
今日 思い切って会場へ出かけた。

このような会へ出かけて行くのは何年振り というくらい何年も自分の意思で
出かけた事がなかった。

出かけなかった というより タイミングが悪くて出かけられなかった という方
が正しいかもしれない。

出かけなかった大きな原因は やはり 痛みとそれに付随して出てくる症状だった。
ひどくなると歩けない事も大きな障害だ。

だから 体調が多少でもよくて 何かの催しがたまたまその「時」に合わないと
行きたい と思っても叶わない。

実際 これまで何度もそんなことがあって 残念な思いや悔しい思いをしてきている。 

だから 今日は 私にとって本当にラッキーな日でラッキーなことだった。

健常な人には理解してもらえないだろうが たったこれだけの事だけれど
舞い上がるほど 私には嬉しい出来事なのだ。

発表者の中では 友人の話が一番地についている内容で それを自分の言葉で話して
好感の持てる発表だった。

本当に久しぶりに 学びの場 に身を置いた充足感を得られた会だった。

それにしても 新型コロナウィルスで世界中が日本中が騒然としているこの時期のこと
殺菌殺ウイルスと喉を長時間潤すことをうたい文句にしている少々値段の高いマスクを
かけて出かけて行った。

そうして出かけて思ったこと感じたことがある。
想像していた以上に! はるかに!マスクをかけている人が少ない!

豪華客船内でのウィルスの拡散も 甘い隔離の仕方や甘い対処の仕方によらないか。

国内での伝播も 個々の人間がもっと我が事として考え神経を使って対応していたら
もう少し抑えられたのではないか。

日本人はいつの間にか 緊張感を持って物事に対処することを忘れてしまっている
のではないか。

久しぶりに出かけると 出かけた先で考えたり思ったりすることも多いが
行き来した途中でも 気づいたり思ったりする事が多い。



去年までバレンタインに送られてくるのは 娘が見繕った市販のチョコレートだった。

ところが 今朝 今年のバレンタインにと送られてきた箱を開けてみると
娘が夫と彼女の弟用に買ったチョコレートの箱二つだけでなく クッキーの袋が二つ
入っていた。

しかも袋の中には それぞれに「じいじへ」「※※くんへ」とたどたどしい文字で
書かれた小さな用紙が 一緒に入っている。

どうやら下の孫が書いた文字のようだ。

さっそく 「着いたよ」と娘に連絡し クッキーのことを聞いてみると
娘は笑いながら「それねえ 二人がどうしても自分たちで作ったクッキーをじいじと
※※君にあげたいって言ってね 私が手伝って一緒に作ったの だから 不出来だし
ブサイクだけど食べてあげてって伝えてね」と言った。

幼い孫たち二人が 粉からこうして形にして仕上げるまでの光景を想像すると可愛い。
二人の真剣な顔つきまでもが浮かんでくる。

たとえ形がブサイクでも 二人が一生懸命に作ったクッキーだ。

じいじは喜んで食べるだろう もちろん※※くんだって。

娘は 毎年 彼女の兄家族へのチョコレートも一緒の箱に入れて送ってくる。
送料を節約するために。

今年も それぞれの箱に 彼女の兄と甥の名前を書いて貼ってある。
そして それぞれ宛に 同じクッキーの袋が二つ入れてあった。

思い出すと 長男宅の孫たちもそうだった。

小学生になると 二人が協力しあって作ったクッキーが バレンタインのチョコに
変わって 夫と私に贈られるようになった。

バレンタインも 孫たちが成長するに連れて こうして年々変化していく。

そして 夫と私は その変化の中で 年々 歳を重ねていく……。

果たして 東京の孫たちが作ったクッキーは どんな味がするのだろうか。

十四日までは 箱の中で待機だ。